第3節 日本警察の国際協力  外国の警察行政に対する支援策を講じ、相手国の治安水準が向上すると、その国が国際犯罪の温床になることを防ぐことができる。このことは、日本を含む関係国の犯罪対策にも資するものである。また、支援を通じて相手国の治安機関と良好な関係が構築され、国際犯罪対策に関する協力が促進される効果が期待されるほか、在留邦人の安全確保にもつながる。  近年、国家発展の基礎となる効率的・民主的な政治・行政(「良い統治(グッド・ガバナンス)」)が実現していなければ、資金や物資を供与しても、その効果を十分に得ることができないとする考え方が各国に浸透しつつあり(注1)、中でも警察行政は、国の発展を支える重要な社会基盤であることから、その支援が国際的に重視されるようになっている。  また、支援の在り方も、資金や物資の供与だけでなく、人材の育成や制度の構築を通じた、支援対象全体の能力向上(キャパシティー・ビルディング)(注2)を図ることが重要とされるようになっている。  そこで、警察庁では、外務省やJICAと協力して、政府開発援助(ODA)により、インドネシア、タイ、フィリピン等アジア諸国を中心に、治安機関の能力向上のための支援を積極的に行っている。また、国連平和維持活動(PKO)や国際緊急援助活動のため外国に職員を派遣するなどの国際協力も行っている。  こうした支援の取組みの歴史は古く、昭和37年にJICAとの共催でアジア各国の警察官を集めて行った薬物関係研修コースが、その始まりである。その後、40年代後半ころから、治安の良好な日本の警察の技術と知識に注目が集まり、薬物取締り、犯罪鑑識、交通管制、交番制度、警察通信、組織運営等の分野で、技術協力の要請が多く寄せられるようになった。 注1:平成15年8月に改訂された政府開発援助大綱では、「良い統治(グッド・ガバナンス)に基づく開発途上国の自助努力を支援するため、これらの国の発展の基礎となる人づくり、法・制度構築や経済社会基盤の整備に協力することは、我が国のODAの最も重要な考え方である」とされた。  2:「キャパシティー・ビルディング」という用語は、元来、通商・貿易分野において、世界各国が標準的な貿易体制を確保できるようにするための人材の育成や関連制度の整備等の支援という意味で用いられていたが、近年、その他の分野においても用いられるようになった。 (1) インドネシア国家警察改革支援プログラム  インドネシアでは、1998年(平成10年)に、30年以上続いたスハルト政権が崩壊し、民主化改革の一つとして、国家警察が国軍から分離し、独立して治安責任を負うこととなった。しかし、軍隊としての行動様式が根付いているため、例えば事件発生時に上官の命令なしに自らの裁量で動くことにためらいを感じるなど、国民の要望に臨機応変に対応した円滑な警察活動を行うことに支障が生じていた。  そこで、警察庁では、インドネシア国家警察の要請を受け、その組織文化と職員の意識の変化を促し、国の警察制度全体の改革を支援するため、JICAとの協力の下、13年から、インドネシア国家警察改革支援プログラムを開始した。このプログラムは、国家警察長官政策アドバイザー兼プログラム・マネージャーとして同国に派遣された警察庁の審議官級の職員が、インドネシア国家警察と協議して策定したものである。支援の目標は、国民からの信頼感を向上させることであり、そのために、国民の要望に迅速かつ誠実にこたえるために必要な事項について重点的に指導を行うこととした。  [1] 幹部職員を対象とした日本国内での研修  このプログラムは、インドネシア国家警察の幹部職員を日本に招致し、研修を行うことから始まる。14年2月に10人の研修生を受け入れて以来、17年6月現在までに5回、合計94人を受け入れた。研修生には、地域住民の要望に迅速に、かつ、きめ細かく対応することの重要性を実感させるため、都道府県警察の交番での勤務を体験させる。これにより、日本の地域警察がいかに市民生活に溶け込みながら活動しているかが理解でき、研修生は、帰国後、研修の成果を生かし、日本で行われている巡回連絡等の活動を導入するなどしている。 インドネシア国家警察の幹部職員を対象とした研修(平成16年8月)  [2] 市民警察活動促進プロジェクト   ア モデル警察署における取組み  市民警察活動促進プロジェクト(注)は、このプログラムの中核となる事業であり、西ジャワ州ブカシ県とブカシ市を管轄するブカシ警察署をモデル警察署として、通信指令と犯罪鑑識の2点に重点を置いて支援を行っている。 注:インドネシア国家警察改革支援プログラムとして、本稿で紹介したインドネシア国家警察の幹部職員を対象とした日本での研修や市民警察活動促進プロジェクト以外にも、日本から薬物取締分野の知見を有する警察職員を派遣したり、バリ州警察に元警察官を派遣したりしている。  17年6月現在、日本から4人の警察職員が派遣され、うち3人が、同署で署員と共に活動をしながら業務指導や組織管理に関する助言を行っている。そこで第一に行ったことは、通報があれば即座に警察官が現場に急行できるようにすることである。そのため、通信指令に関する技術協力を開始し、同署に通信指令室を設置する準備を進めるとともに、現場の最も近くにいる警察官を急行させるようにするなど、効果的な指令方法や指令を受けた者の適切な対応について指導している。また、現場に到着した者が遺留された証拠の採取活動を徹底するよう指導し、捜査能力の向上を図っている。その上で、変化した警察の活動ぶりを地域住民や被害者に公開した。  16年には、日本からの援助により、同署管内に同国で初めての交番が設置された。派遣された日本の警察職員は、パトロールの要領を始め、この交番を拠点として行われる地域警察活動全般について指導をしている。   イ モデル警察署の成果の全国展開  ブカシ警察署をモデル警察署に選定したのは、住宅地、商業地、工業団地、農漁村等多様な特性を有する地域を管轄しており、協力の成果を他の警察署に導入しやすいからである。同署での成果をインドネシア全土の警察署に導入するため、日本から国家警察本部の教育訓練総局に派遣された職員が、その企画業務に従事している。この職員の働き掛けにより、インドネシア警察は、17年5月までに、ブカシ警察署での成果を先行的に導入する3つの警察署を指定した。 ブカシ警察署 インドネシアでの研修風景(2004年(平成16年)10月) コラム1 派遣職員の手記 (市民警察活動促進プロジェクト・リーダー・警察庁警視(当時)・井口重夫)  インドネシア警察に対する支援活動は、「インドネシア警察との闘いの日々」であったといえます。支援をする側とされる側が闘うというのは妙ですが、お互いに自らの組織の誇りを守るためには、譲れないこと、受け入れたくないことがあるのです。  インドネシアの警察官の多く、特に幹部は驚くほど優秀であり、日本警察ばかりでなく、各国警察の制度や装備等について日々研究を重ねています。彼らは、内心では、「すべて知っているから指導はいらない。日本警察と同様にモノとカネがあれば、自分たちも日本警察に負けない活動ができる」と自信をもっています。  このような相手に指導内容を受け入れてもらうためには、日本警察の能力の高さを示すほかありません。そこで、日本の指紋採取技術を実地に紹介したところ、まるで手品を見たかのように驚き、その驚きが技術を習得しようとする熱意に変わりました。それまで車も機材も下働きの者に掃除させていた鑑識係員が、「専門家の指導を受けるため」に自ら掃除している姿を見たとき、支援活動のやり甲斐を感じました。  現在は、日本の援助で建設された2か所の交番に勤務する警察官に対し、市民から事件・事故の届出を受理したときに、無線機を活用して現場から警察署にいる責任者の判断を迅速に仰ぎ、的確な対応を行うようにするための指導をしています。至らない指導を行って恥をかくことのないよう、連日会議を開き、どのような指導を行うべきか検討を重ねています。 ブカシ警察署員と井口警視(右端) (2) タイ薬物対策地域協力プロジェクト  日本国内で乱用されている薬物のほとんどは、犯罪組織の関与の下、外国から密輸入されたものである。仕出国の取締り能力が向上すれば、相手国の薬物問題の解決につながるだけでなく、日本への薬物の流入の防止にも資する。 図2-5 タイ薬物対策地域協力プロジェクト  タイ薬物対策地域協力プロジェクトは、平成14年6月に、3か年計画として開始された。タイ及びその周辺のカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムにおける薬物分析技術と取締能力の向上を目指すものであり、特にこれらの国で大きな問題となっているアンフェタミン型興奮剤(ATS)(注)の成分分析技術の向上を支援している。このように複数の国を同時に支援するプロジェクトは、警察庁として初の試みであり、JICAとしても例が少ない。 注:一般的に覚せい剤と呼ばれるアンフェタミン、メタンフェタミン等の化学合成薬物の総称で、MDMA・MDA(合成麻薬)も含まれる。  このプロジェクトでは、日本警察から派遣された3人の職員が、タイ法務省麻薬統制委員会事務総局で活動している。彼らは、支援対象国を巡回し、薬物取締りや薬物分析技術に関する講義を開催している。また、薬物の鑑定や分析を容易にするため、混在している様々な物質を分別・特定することができるガスクロマトグラフィという機材を供与したほか、分析した薬物の情報をデータベース化し、取締りに活用できるようにした。  これらの支援を通じて、対象国の取締り能力や分析能力が向上したほか、日本警察と各国治安機関との協力関係が強化され、情報交換や共同取締り等を円滑に行えるようになった。現在、警察庁では、各国の要望を踏まえ、JICAと協議しながら、18年以降の支援の在り方を検討している。 (3) フィリピンに対する支援  [1] フィリピン国家警察に対する支援  フィリピン国家警察に対する支援の歴史は古く、昭和50年代以降、一時の中断を挟みつつ、約20年間にわたって実施している。当初は、同警察の犯罪研究所に犯罪鑑識に関する知識及び経験が豊富な日本警察の職員を派遣し、犯罪鑑識についての指導を行ってきた。現在も職員2人を派遣し、科学捜査の重要性を理解させるための講義を実施しているほか、鑑識機材等の導入を進め、犯罪発生時には同国の警察職員と共に現場に向かい、実地に鑑識活動の指導を行っている。  平成8年以降は、これに加え、犯罪捜査の分野で活躍してきた職員をフィリピン国家警察の犯罪捜査隊に派遣している。また、それまで首都マニラを中心に行っていた支援事業を、フィリピン全土に拡大した。このほか、16年7月には、無償資金協力として、同警察の警察犯罪研究所に指紋自動識別システム(AFIS)の導入を図り、その運用を強化するために職員の派遣も行っている。  [2] フィリピン薬物法執行能力向上プロジェクト  フィリピンでは、深刻な社会問題となっている覚せい剤の乱用や密造の取締りを強化するため、14年7月、フィリピン薬物取締庁が設立された。同国政府は、その取締り能力と薬物分析能力を向上させるため、日本に支援を要請した。同国から日本へは大量の薬物が密輸出されており、薬物の供給地に対する対策として支援が有意義であることから、警察庁は、構想段階からこのプロジェクトに関与してきた。  17年1月から2年間の予定で、薬物取締りの分野で活躍してきた日本警察の職員1人を同国に派遣しているほか、今後も職員の短期間の派遣を8回にわたって実施し、治安機関の職員を対象とした講義を開催するなどの指導を行うこととしている。また、フィリピン薬物取締庁の職員を研修員として日本に受け入れ、警察庁や都道府県警察で研修を行うこととしている。 (4) 国際連合平和維持活動(PKO:Peace Keeping Operation)における文民警察活動  警察では、武力紛争の終了後に行われる国際連合の文民警察活動に職員を派遣している。平成4年の国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律の施行以降、日本は、同年にカンボジアに75人、11年に東チモールに3人の警察職員を派遣し、警察機能の再建が当該国・地域の復興に不可欠であることから、現地警察への助言・指導を行うとともに、活動が適正に行われているかを監視した。  現在、警察庁では、今後どのようにして、日本警察の特質を生かしながら国際連合平和維持活動に参画していくことができるか、検討を行っている。 東チモールPKO(1999年(平成11年)7月) (5) 国際緊急援助活動  日本は、外国で大規模な災害が発生したときには、被災国政府又は国際機関の要請に基づき、被災地に国際緊急援助隊を派遣することとしている。警察では、国際緊急援助隊の派遣に関する法律に基づき、昭和62年の同法の施行以降9回にわたって、国際緊急援助活動として被災者の捜索・救助活動を行ってきた。  派遣の迅速化のため、要員は、全国の機動隊員の中からあらかじめ指名されており、現地で日本や外国の関係機関と連携して円滑に活動できるよう、JICAが主催する合同訓練に参加している。また、発災時には、被災国政府等と迅速かつ確実に連絡が取れるよう、警察庁の技官が衛星電話の開設や電子メールシステムの接続等を行っている。  2004年(平成16年)12月に、インドネシアでスマトラ島沖大地震及びインド洋津波が発生した際には、救助チームの一員として、警察庁の警察官1人及び技官2人並びに警視庁の警察官12人の合計15人をタイに派遣した。彼らは、ピピ島等で捜索活動を行い、日本人2人を含む多数の遺体を発見・収容したほか、多数の遺留品を収集して関係当局に引き渡した。  また、被災者の身元確認を行うため、警察庁科学警察研究所の研究員1人及び警視庁の鑑識担当職員4人の合計5人をタイに派遣した。彼らは、DNA型鑑定(注)のための検体採取と死体見分を実施し、多数の遺体の身元確認に貢献した。 注:ヒトの細胞内に存在するDNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列を分析することによって個人を高い精度で識別する鑑定法 表2-3 警察がこれまでに行った国際緊急援助活動  外国の津波の被害現場に被災者の救助や身元確認のため職員を派遣したのは、今回が初めてのことであり、警察庁では、今回の派遣で得られた教訓を基に、体制、装備、現地の情報収集等の在り方について検討し、今後の国際緊急援助活動に役立てることとしている。 国際緊急援助隊による被災者の身元確認作業(2005年(平成17年)1月) コラム2 スマトラ島沖大地震の発生に伴う救助活動 (警察庁長官官房国際課・警察庁警視・小林正憲)  私は、救助チームの一員として、11日間にわたり、タイの被災地で救助活動に従事しました。  現地は、大津波で建物がなぎ倒され、破れた洋服や抜け落ちた髪の毛の固まりが至る所にあり、死臭が漂っていました。そうした環境の中、私たちは、酷暑に耐えつつ、黙々と捜索活動を行いました。行方不明になった被災者の親族から、手を合わせて「捜索ありがとうございます」とお礼を言われたときは、苦労が報われる思いでした。  倒壊した建物のあちこちから釘が飛び出しており、厚底の靴や厚手の手袋がないと捜索ははかどりません。津波発生に伴う出動が初めてであったため、このほかにも活動に支障を来す事柄は少なくありませんでした。普段から、どのような事案にも迅速・的確に対応できる訓練を積み、装備資機材を備えておく必要性を痛感しました。 日本から派遣された救助チーム(左から2人目が小林警視)