第2章 国際社会における日本警察の活動 

第1節 新たな国際犯罪への対応

 国際犯罪のうち、薬物犯罪やテロへの対策については、比較的早くから各国間の協力が進められてきた。まず、薬物犯罪対策については、国際連合で、1961年の麻薬に関する単一条約が採択され、1985年(昭和60年)のボン・サミットでも、薬物乱用対策が議題とされた。また、テロ対策については、1963年(38年)に、航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約(東京条約)が、初めてのテロ防止に関する条約として採択され、1978年(53年)のボン・サミット以降、主要国首脳会議の議題として、毎年のように取り上げられている。
 しかし、その後も、国際犯罪組織等による新たな形態の国際犯罪が拡大し、日本でもその被害は年々深刻化してきた。世界各国、特に近接するアジア地域の国々の対策の遅れは、日本の治安情勢にも大きな影響を及ぼすことから、これらの国との協力関係を強化していく必要がある。そこで、本項では、最近注目されている新たな形態の国際犯罪のうち、人身取引事犯、マネー・ローンダリング、サイバー犯罪を取り上げ、それぞれの現状と国際的に推進されている対策を紹介する。

(1) 人身取引事犯(トラフィッキング)
 [1] 日本における人身取引事犯の発生状況
 近年、世界的に、売春等の性的サービスをさせ、その収益を搾取することなどを目的として、女性や児童をだましたり脅したりして他国に移送する人身取引事犯が組織的に行われ、国際犯罪組織の資金源となっている。日本でも、ブローカーの手引きによって入国した外国人女性が、渡航費用等の名目で数百万円の不当な債務を負わされるなどした上で、性風俗店等で働かされ、売春その他の性的サービスを強要される事犯が多発している。
 その典型的な事例を紹介する。平成16年6月、沖縄県警察は、不法滞在のコロンビア人の少女をストリップ嬢として働かせていたストリップ劇場経営者の米国人の女(47)や、このストリップ嬢を劇場にあっせんしたブローカーであるコロンビア人の女(29)を、出入国管理及び難民認定法違反(不法就労助長、不法就労あっせん)で逮捕した。
 事情を聴取したところ、このストリップ嬢が人身取引の被害者であることが明らかになった。その年齢はわずか17歳であった。被害者は、15年7月ころ、コロンビア国内で「日本でダンサーをすると金が稼げる」と勧誘され、同年8月、日本人の男のあっせんにより偽造旅券で日本に不法入国した。入国後、受入れブローカーであるコロンビア人の女が被害者の身柄を引き受け、あっせんブローカーである上記のコロンビア人の女に引き渡した。被害者は、この女から、「渡航費用として500万円かかった。働いて返済しなさい」と多額の借金を背負っていることを告げられ、偽造旅券を取り上げられた上で、約1年間にわたり、ストリップショーやその観客との売春をさせられていた。被害者は、ストリップ劇場から報酬として10日ごとに15万円ずつを得ていたが、そのうち14万円は被疑者らに取り上げられていた。
 警察は、このような被害の実態が判明した後、速やかに、法務省と厚生労働省に被害者の保護について協力を依頼した。その後、被害者は、法務大臣による在留特別許可を受けた後に、婦人相談所に保護された。
 本件を含め、16年中の人身取引事犯の検挙件数、検挙人員は、それぞれ79件、58人であった。検挙人員の内訳は、経営者等が35人、受入れブローカー、あっせんブローカー等が23人である。これらの事件で確認された被害者は7か国・77人で、すべて外国人の女性であった。国籍別にみると、タイ人が48人、フィリピン人が13人、コロンビア人が5人であった。就労形態は、ホステスが63人、売春婦が7人、ストリップ嬢が4人であった。

 
図2-1 人身取引事犯の検挙状況と被害者数の推移(平成13~16年)

図2-1 人身取引事犯の検挙状況と被害者数の推移(平成13~16年)
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 [2] 人身取引事犯に対する国際的な取組み
  ア 人身取引議定書の採択と国内法の整備
 2000年(12年)11月、国際連合総会で、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書が採択された。同議定書は、締約国に対し、人身取引に係る一定の行為の犯罪化、人身取引の被害者の保護、人身取引を防止するための措置、人身取引を撲滅するための国際協力を実施するよう求めている。
 同議定書の締結に向けて、日本では、17年6月、刑法等の一部を改正する法律が国会で可決・成立した。同法により、刑法に人身売買罪が新設されたほか、人身取引の被害者の保護のため、出入国管理及び難民認定法が改正され、在留資格に応じて定められた活動に属しない活動で収入を伴う事業を運営する活動若しくは報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められる者又は売春若しくはその周旋、勧誘、その場所の提供その他売春に直接関係がある業務に従事する者であることを理由とする退去強制の対象から、人身取引等により他人の支配下に置かれている者が除かれることとなった。
 また、17年2月には、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の一部を改正する法律案が通常国会に提出された。この法律案は、風俗営業者等が接客従業者を雇用する際には、その者の国籍や生年月日、就労資格等を確認することを義務付けることなどを内容としている。この法律案が成立し、施行されると、風俗営業等における外国人の不法就労を抑止できるほか、不法就労をさせた雇用者の責任追及が容易になる。

  イ 東南アジア各国との連携
 日本で発生する人身取引事犯の被害者は、主に東南アジアの出身者である。このため、日本における人身取引事犯の撲滅のためには、東南アジア各国との連携が不可欠である。
 こうしたことから、14年7月、警察庁は、東南アジアにおける児童の商業的・性的搾取対策に関するセミナーを東京で開催した。このセミナーは、児童買春対策や人身取引対策に取り組む東南アジア各国の治安機関や非政府組織(NGO)等が集まり、各国の児童買春や人身取引事犯の発生状況とその対策を紹介し、情報交換を行うことで、協力関係を強化することを目的としている。16年11月に開催した第3回セミナーでは、日本で発生した人身取引事犯の事例や被害者を保護するために警察が推進している広報啓発活動等の対策を紹介した。
 15年には、タイやフィリピン等の大使館や人身取引の被害者の保護活動を行うNGO等と警察庁が、それぞれ連絡窓口を設置し、相互に常時連絡を取ることができるようにすることを取り決めた。これにより、警察が人身取引事犯を認知したときは、被害者の母国の大使館等に迅速に保護の協力を求められるようになった。逆に、被害者が母国の大使館等に保護を求めた場合には、警察は、大使館等からの通報を端緒に、捜査を開始することができるようになった。さらに、一人でも多くの被害者を保護するため、警察に保護を依頼することを呼び掛ける広報用資料を作成し、在外公館の査証窓口や外務省の領事窓口、入国管理局の上陸・在留審査窓口等に行き渡るように努めている。

 
(2) マネー・ローンダリング
 [1] 日本におけるマネー・ローンダリングの発生状況
 マネー・ローンダリング(資金洗浄)とは、犯罪によって得た収益を、その出所や真の所有者が分からないようにして、捜査機関による発見・検挙を逃れようとする行為をいう。犯罪によって得た収益を他人名義で銀行に預金したり、架空の契約書等を作成して借入金や預り金を装ったりするなど、その手口は様々である。
 日本の暴力団が行っているマネー・ローンダリングの検挙事例を紹介する。五代目山口組傘下組織幹部らは、香港に所在する外国銀行の香港法人の行員と共謀の上、銀行名義の取引を装い、複数の金融機関を介して海外送金を行うことにより、いわゆるヤミ金融によって得た犯罪収益等を隠匿しようと企てた。同人らは、まず、日本国内で犯罪収益により購入した無記名の割引金融債を当該外国銀行名義のものとして東京都内の証券代行会社を介して償還し、その償還金を当該外国銀行の代理人である日本の銀行に入金させた。その後、更に香港所在の当該外国銀行の香港法人名義の口座に送金させ、最終的に約51億円の償還金を欧州所在の当該外国銀行本店の口座に隠匿した。平成16年6月、警視庁は、同人らを組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(以下「組織的犯罪処罰法」という。)違反(犯罪収益等隠匿)で検挙した。
 本件を含め、16年中は、マネー・ローンダリング事犯を、国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(以下「麻薬特例法」という。)違反で5件、組織的犯罪処罰法違反で65件検挙した。両違反の総検挙件数の約6割を、暴力団構成員及び準構成員によるものが占めている。

 
図2-2 五代目山口組傘下組織が敢行したマネー・ローンダリング事案

図2-2 五代目山口組傘下組織が敢行したマネー・ローンダリング事案

 [2] マネー・ローンダリングに対する国際的な取組み
  ア 金融活動作業部会(FATF)の活動
 犯罪収益は、相対的に規制の緩い国が存在すると、その国に流入していく傾向がある。このため、マネー・ローンダリングを防止するためには、世界各国が連携して規制の在り方を検討し、その水準にばらつきのないようにすることが不可欠である。
 1988年(昭和63年)12月に採択された麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(以下「麻薬新条約」という。)では、薬物犯罪収益に係るマネー・ローンダリングを処罰する国内法の整備が各国に義務付けられた。このように、マネー・ローンダリング対策は、当初、薬物犯罪に関連するものとして取り上げられていた。
 その後、1989年(平成元年)7月のアルシュ・サミットにおける合意により設置された金融活動作業部会(FATF)が、1990年(2年)4月、金融機関等に対して顧客の本人確認や疑わしい取引の金融規制当局への報告を義務付ける「40の勧告」を提言した。その後、1995年(7年)6月のハリファックス・サミットで、国際的な組織犯罪を防止する観点から、「重大犯罪による収益の洗浄を防止するため効果的な措置を講じる必要がある」とされたことを受け、FATFにより上記勧告が改訂され、マネー・ローンダリング犯罪の前提犯罪(注1)を、従来の薬物犯罪から一定の重大犯罪に拡大した。1998年(10年)のバーミンガム・サミットでは、金融機関等による疑わしい取引の届出を犯罪捜査に有効に活用できるようにするため、各国が情報を一元的に集約・分析して捜査機関等に提供する金融情報機関(FIU)を設置することについて合意がなされた。
 こうした国際的な動向を踏まえ、日本では、4年7月に麻薬特例法が、12年2月に組織的犯罪処罰法が施行され、一定の重大犯罪による犯罪収益等のマネー・ローンダリング行為を処罰する法制が整備されるとともに、不法収益が関係している疑いのある取引を金融機関等が認知した場合に、その届出を義務付ける「疑わしい取引の届出制度」が創設された。


注1:薬物犯罪等不法な収益を生み出す犯罪であって、その収益がマネー・ローンダリング行為の対象となる犯罪

 
FATF全体会合(2004年(平成16年)10月、パリ)
FATF全体会合(2004年(平成16年)10月、パリ)

  イ アジア・太平洋マネー・ローンダリング対策グループ(APG)の活動
 1997年(9年)にタイで開催されたFATF第4回アジア・太平洋マネー・ローンダリング・シンポジウムでは、マネー・ローンダリングに対する規制の緩い国・地域を無くすため、アジア・太平洋マネー・ローンダリング対策グループ(APG)を設置することが決定された。2004年(16年)8月現在、日本を含む28の国・地域が参加している。
 APGでは、加盟する国・地域が相互に審査を行う仕組みが採用され、審査を受けた国・地域は、審査で指摘を受けた点の改善状況について説明を求められる。2002年(14年)に審査を受けたタイは、反マネー・ローンダリング法を改正し、マネー・ローンダリング犯罪の前提犯罪の範囲を広げた。2003年(15年)に審査を受けたパラオも、マネー・ローンダリング法を改正し、治安機関等が疑わしい取引情報を認知した場合には、FIUへの届出を義務付けることとした。
 審査結果については、報告書が作成され、マネー・ローンダリング行為を処罰する国内法の規定が整備されているか、マネー・ローンダリングの犯罪化及びマネー・ローンダリングに関する捜査協力を行うことを定めた国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約等の関連条約を批准しているかなどといった点に関して、国ごとに、審査結果と併せて勧告が記載される。
 このように、APGは、マネー・ローンダリング対策が遅れている国・地域にその改善を促す枠組みとして、有効に機能している。

 
(3) サイバー犯罪対策
 [1] 日本におけるサイバー犯罪の発生状況
 インターネットの発展により、多大な利便がもたらされた一方、コンピュータへの不正アクセスや児童ポルノ頒布等のサイバー犯罪が国境の制約を受けることなく行われ、その被害が世界中に瞬時に拡大するなど、深刻な問題が生じている(第3章第1節第12項参照)。
 このうち「フィッシング(Phishing)」(注2)事案については、欧米を中心に多額の被害が発生して大きな問題となっていたが、最近になって日本でも事案が認知されるようになり、今後の被害の増加が懸念されている。
 「フィッシング」とは、銀行等の実在する企業を装って電子メールを送り、その企業のウェブサイトに見せかけて作成した偽りのウェブサイトを受信者が閲覧するよう誘導し、そこにクレジットカード番号、インターネット上で個人を識別するためのID、パスワード等を入力させて、金融情報や個人情報等を不正に入手する行為をいう。犯人は、これらの情報を基に、カードの不正利用等を行う。偽りのウェブサイトは外国のウェブサーバに置かれている場合が多く、犯人の特定が困難である。


注2:「Phishing」という英語のつづりは、利用者を「釣る」という意味の「fishing」と、その手口が「洗練されている」という意味の「sophisticated」を合わせた造語であるなどといわれている。

 
図2-3 「フィッシング」の手口

図2-3 「フィッシング」の手口

 平成17年3月、警察庁は、日本の大手銀行を装った偽りのウェブサイトがアルゼンチン、ポーランド及び韓国のウェブサーバに置かれ、これらにアクセスするように誘い込むための電子メールが日本に居住する当該銀行の顧客多数に送付されるという「フィッシング」事案を認知した。同月、それぞれの国の治安機関に連絡したところ、これらのウェブサイトは削除された。
 このように、サイバー犯罪は、一国の取組みによって発生を抑止し、被害の拡大を防ぐことが困難であるため、警察では、外国関係機関との協力関係の構築と国際的な捜査能力の向上に取り組んでいる。

 [2] サイバー犯罪に対する国際的な取組み
  ア 国際的な捜査協力の推進
 警察庁は、サイバー犯罪に対して主要先進8か国(G8)(注)各国が共通して講ずる対策を検討するG8国際組織犯罪対策上級専門家会合(G8リヨン・グループ)のハイテク犯罪サブ・グループや、サイバー犯罪に関する捜査協力の在り方を協議する国際刑事警察機構(ICPO-Interpol)のIT犯罪作業部会等の会合に参画している。また、サイバー犯罪に関する国際捜査協力について24時間常時対応できる連絡窓口である「24時間コンタクト・ポイント」を設置し、G8各国との間でサイバー犯罪に関する情報交換を行ってきたが、この対象国が次第に拡大し、17年4月現在、40の国・地域がこれを設置・運用している。


注:日本、米国、英国、フランス、ドイツ、カナダ、イタリア、ロシア

 他方、日本は、アジアにおける唯一のG8の構成国であることから、アジア各国の治安機関に対し、サイバー犯罪捜査に関する国際協力を行うための連絡窓口の設置を促したり、サイバー犯罪対策の担当者を招致して国際会議を開催したりするなどして、G8と同様の取組みが、アジア各国でも推進されるよう努めている。
 また、2001年(13年)11月、欧州評議会(注)で、サイバー犯罪に関する刑事実体法に関する規定、刑事手続法に関する規定及び国際協力に関する規定を含んだ世界初の包括的な国際条約である、サイバー犯罪に関する条約が採択されたことから、日本でも、16年4月、同条約の締結について国会の承認を得、現在、その締結に向けた取組みを進めている。


注:ヨーロッパ諸国が、人権、民主主義、法の支配といった価値観の実現のために設置した国際機関で、2005年(17年)4月現在の加盟国は46か国である。日本は、米国、カナダ、メキシコ、バチカン市国と共にオブザーバーとして参加している。

  イ 国際的な技術協力の推進
 国際的なサイバー犯罪対策の推進に当たっては、各国の捜査技術力を向上させることが不可欠であり、日本では、特にアジア各国の捜査技術を向上させるための支援に力を入れている。
 警察庁では、アジア各国間で捜査関連情報の交換を行うため、アジアの10の国・地域を結ぶ、サイバー犯罪技術情報ネットワークシステム(CTINS)を整備・運用している。また、毎年、このシステムに参加する国・地域が集まる、アジア地域サイバー犯罪捜査技術会議を主催し、捜査技術の共有を図っている。
 また、17年3月には、サイバー犯罪に使用される電磁的記録媒体を解析するソフトウェアの使用方法等を教授するためインドネシアに職員を派遣するなど、技術移転にも力を入れている。

 
アジア地域サイバー犯罪捜査技術会議(平成17年2月)
アジア地域サイバー犯罪捜査技術会議(平成17年2月)

事例 日本に住む少年が韓国のウェブサイトを改ざんした事件の検挙
 警察庁は、韓国警察から、CTINSを介して、日本にいると思われるハッカーにより、韓国に所在する企業58社のウェブサイトが改ざんされたとの情報提供を受けた。これを端緒に捜査を進めたところ、日本に住む少年(17)が、東京都内の高校、コンピュータサービス会社、京都市内の病院等のウェブサーバに対して、安全対策上の欠陥(セキュリティ・ホール)を攻撃して不正アクセスした上で、ウェブサイトを改ざんしていたことが判明した。15年10月、同人を不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反、電子計算機損壊等業務妨害罪で検挙した。同人は、約30か国、約1,000件のウェブサイトを改ざんしていたことが後に判明した(警視庁)。

 第1節 新たな国際犯罪への対応

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