序節 交通事故問題の克服に向けて
(1) 交通事故の被害者・遺族の声
交通事故が起こってから24時間以内の死者(24時間死者)の数は、終戦の翌年の昭和21年から平成16年にかけての59年間の累計で57万4,819人にも上っている。16年の24時間死者は7,358人、交通事故が起こってから30日以内の死者(30日以内死者)は8,492人であった(注)。
交通事故は、一瞬にして人の幸せを奪い、不幸のどん底に突き落とす。そのような交通事故がこれほどに発生している事実を、我々はいかに受け止めるべきであろうか。ここでは、交通事故の残酷さ、悲惨さについての理解を深めるために、交通事故の被害者と遺族の手記を紹介する。
注:以後、交通事故死者については、特段の断りがない限り、事故発生から24時間以内に死亡した者
「まわり道」
明け行く空を仰ぎ、さわやかな風を胸いっぱいに吸い込みながら自転車を走らせていると、「生きていて良かった」と、しみじみ思うことがある。新聞配達の仕事も楽ではないが、激しい交通事故で6年間の入院生活を余儀なくされた私には、日々元気に仕事ができるだけ幸せな気分になる。
それは、紅葉狩りの帰り道のことだった。もう10数年前の事故なのに、いま思い出しても頭痛や吐き気が起きるのだが‥。赤信号で止まっていた私たちの車に、居眠り運転のダンプカーが追突し、自家用車はペシャンコに踏み潰されてしまった。私一人だけが命をとりとめ、意識不明の重体のまま救急車に乗せられた‥らしい。
そんな私が6ヶ月後に意識を回復したときには、複雑骨折した肋骨が喉からとびだしており、手足の関節はバラバラで、再起不能と思える状態だった。心の傷は癒しようもなかったが、本当に苦しい検査や度重なる手術、孤独感や絶望感から繰り返した自傷行為などなど。その後の激しいリハビリ生活を含めて、私は通算8年間も人生の「まわり道」をすることになってしまった。
しかし、苦しんだのは決して私だけではあるまい。事故を起こした運転手さんだって、良心の呵責や責任感に苛まれたに違いない。被害者も加害者も遠い遠い「まわり道」をさせられる交通事故だなんて、もうまっぴらごめんだ。
いや、私のように社会復帰できれば、「まわり道」をしたとしても、またやり直しができる。しかし、毎年1万人近くにのぼる交通事故死亡者は、「まわり道」さえ選択することができず、無意識のうちに天国への片道切符を手にすることになる。また、交通事故で負傷する年間100万人以上の人が通るであろう、私と同じような辛く厳しい「まわり道」のことを、運転者一人ひとりが肝に銘じるべきである。
『車社会に生きよう~交通事故防止心の作文集~』(財団法人石川県交通安全協会発行)より
交通事故により大破した自動車(文中の事故とは関係しない。)
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「直樹を失って」
今朝ネ、直樹の夢を見ました。パタパタと走って来て、あの頃と同じように私のお腹の上に乗って来たので「アッ、直樹だ」と思い、ギュッと抱きしめてとても幸せでした。
直樹は、平成9年8月29日に6歳と7ヶ月で交通事故によって亡くなった私の次男です。相手は大型ダンプで、直樹は塾に行く途中の自転車でした。
死因は脳挫傷でした。身体にはほとんど傷もなく、まるで眠って居るようでした。でもその眠りは二度と覚める事はなく、あとの数時間は直樹の命が消えて行くのをただ見守る事しかできませんでした。不思議な数時間でした。
直樹を失って、様々な変化が起こりました。直樹に直接「塾に行く様に進めた」祖母(義母)が自分自身を責めて、事故のあった土地には辛くて居られないと言って引っ越してしまいました。ただ一人の弟を失った長男は、以前にも増して甘えっ子になり、一人で居るときは「つまらない」を連発します。事故の前夜、二人で楽しく遊んでいた姿が焼き付いて離れません。又、私には未だに直樹の行っていた公園にいけませんし、好きだったマーボー豆腐も作れなくなりました。
以前、よく人は「○○のことは一日も忘れたことがなかった」などと言う言葉を耳にし、そんなことがあるかしら?と思っていましたが、直樹を失ってそれは本当だと判りました。特に、夜寝るときに思い出しては涙が出て眠れなくなり、不眠症状態になったこともあります。一生抱えて生きていくのはもう辛くてイヤだと、私はサッサと死んでしまいたいと何度も思い、その度に、遺される子供のことを思って頑張り、いつかは直樹に会えるのだからと自分に言い聞かせています。
交通事故は、悲劇です。一生続く傷を心に刻み付けています。今、私は車の中に直樹の写真を乗せて運転をしています。今日の被害者が明日の加害者にならないように、直樹の顔を見ては安全運転に心掛けています。
私のお友達も弟さんを事故で失っています。
こんな思いをする人々が一人でも減ることを心から願ってなりません。
私は、今日も寝るときに直樹に話しかけます。「夢でいいから出てきてネ、お母さんは直樹に会いたいの」と‥。
『癒されぬ輪禍』(北海道警察本部監修、財団法人北海道交通安全協会発行)より
交通事故により大破した自動車(文中の事故とは関係しない。)
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(2) 交通事故の加害者の声
交通事故は、被害者やその家族だけでなく、加害者の人生をも狂わせてしまうものである。次に、交通事故の加害者の手記を紹介する。
「手離した命」
この世で一番大切にしなければならない人を、僕は手離してしまった。何て情けない男だろう‥。
その日、夕方に仕事を終え、前日から泊まりに来ていた彼女と映画を見に行き、その後、少し距離はありましたが、知人の居酒屋に晩ご飯を食べに行きました。二人ともお酒は好きな方なので、二人でご飯を食べに行って酒抜きということは決してありませんでした。そして、どこに行くにも車で移動していました。午前2時前になり彼女も「帰ろう」と言い出したので、帰ることにしました。
そして、いつものように「これくらいの酔いなら大丈夫だろう」といい加減に考え、車を運転し始めました。
店を出てすぐ彼女は「気持ちが悪い」と言い、シートを倒して寝てしまいました。僕は少しでも早く家に帰って、ゆっくり休ませてやりたいと思いながらハンドルを握っていました。と次の瞬間、工事現場のガードレールに激突。私は居眠りをしてしまったのです。ハッと思い横を見ると、助手席でシートを倒して寝ていた彼女がいません。その代わりに白いガードレールが後部席の方へ伸びていました。まさかと思い後部席を見ると彼女はガードレールで後部席に打ちつけられていました。
私は「何てことをしてしまったんだ」とある種の恐怖感を覚え、急いで救急車を呼びました。その救急車での数分、彼女を呼びつづけましたが、何の返事もないままでした。それは即死を意味していました。私はと言えば、左肩の打撲程度でほとんど無キズに近い状態でした。
その後、私はその場で逮捕され、翌日釈放されました。最初、彼女のご両親やご兄弟に謝罪に行った時は「顔も見たくない」と追い返されましたが、2度目からは気持ちも落ち着いておられ、非常に寛大な態度で接してもらいました。決して許すことができないはずなのに、彼女のご両親は「あなたにつらく当たっても娘は帰ってこないのだから」、「娘が好きになった人だから」、「あなたには娘の分までしっかり生きてちょうだい」といったお言葉をいただいたり励ましてもらったりしました。
そして、事故を起こしてから約1年後、裁判が始まり、その2ヶ月後に懲役1年4月という実刑判決を受け、現在は市原刑務所で服役しています。
彼女のご両親に会いに行くたび、優しい言葉を掛けてくださったり、出所後の僕の生活を心配してくださったりして、とてもよくしてくださるのに、私は何もしてあげられません。
今はこの市原刑務所で受刑者としてしっかり反省し、今までのいい加減な気持ちをすべて捨て去ろうと努力しています。
そして1日でも早く出所できるよう遵守事項を守り、1日でも早く償いをしていきたいと思っています。事故を起こして殺人者になり、私の兄も世間に対し負い目を感じていると思います。また、友人も同じ目に会っていると思います。私のいい加減な気持がいったい何人の人に迷惑を掛けたか、また、いったい何人の人が悲しんだか、それを決して忘れることなく生きていきます。
私は殺人者なのです。前科者です。人間が一番してはならないことをやってしまいました。それなのに、1年足らずで刑務所を出ます。周りの人は「運が悪かったんだよ」といいますが、私は決してそうとは思いません。全て私のいい加減な気持ちが起こした事故の原因だと思っています。
自分の命で償えられるのなら簡単です。自分の命と引き換えに彼女が生き返るわけがないのです。ならば、自分が彼女の分まで生きて、彼女のご両親に償いをしていくしかないのです。それが彼女に対するおわびであるのだと思っています。
『贖いの日々』(財団法人東京交通安全協会発行)より
交通事故により大破した自動車(文中の事故とは関係しない。)
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(3) 交通事故問題についての国民の意識
警察庁では、平成17年2月、運転免許を受けている全国の満16歳以上の男女3,382人を対象に、我が国の道路交通の状況等に関する意識調査を行った。
まず、年間7千人以上が死亡し、100万人以上が負傷している現在の交通事故の状況についてどう思うかと質問したところ、82.4%が「深刻な事態であり、少しでも交通事故を減らすべきである」と答えた。国民の大半が、交通事故は減らすことが可能であり、また、減らすためのたゆまぬ努力を続けていくべきであると考えていることが分かる。
図1-1 現在の交通情勢に対する認識
次に、日ごろ、自分が交通事故を起こしたり、交通事故の被害に遭ったりするかもしれないと意識しているかと質問したところ、95.4%が「よく意識している」、「たまに意識している」と答えた。おおよそすべての国民が、交通事故を自分の身近な問題としてとらえていることが分かる。
図1-2 日ごろ交通事故について意識しているか
では、悲惨な交通事故を減らすためには、今後どのようにすべきかと質問したところ、調査票に示した様々な種類の交通安全対策のいずれについても、「強化すべき」、「もう少し強化すべき」とする回答が6割以上を占めた。中でも、「悪質違反者の検挙」については、約9割がそのように答えており、警察の行う交通指導取締りや交通事故捜査に対する国民の期待が極めて強いことが分かる。
図1-3 交通事故を減らすためにはどうしたらよいか
(4) 交通事故問題の克服の可能性
我が国では、長年、交通事故防止のための取組みがなされてきたが、今なお年間90万件を超える交通事故が発生し、それによって7千人を超える者が死亡し、100万人を超える者が負傷している現状をみると、交通事故問題は克服されたとはいえない。
過去の取組みを振り返ると、昭和40年代半ばから50年代前半にかけては、毎年、交通事故発生件数、死傷者数ともに減少し、また、平成5年以降現在に至るまではほぼ一貫して、死者数が減少した。この事実は、交通情勢に応じた的確な取組みにより、交通事故問題を克服することが可能であることを示している。