ウ イラン人薬物密売組織  従来,我が国における薬物密売は主として暴力団により敢行されてきたが,イラン人薬物密売組織が覚せい剤を始めとする薬物密売を敢行するようになり,我が国の薬物乱用の拡大に拍車をかけている(イラン人の薬物事犯の検挙状況の推移等については,4(1)イ(イ)参照。)。 (ア)イラン人薬物密売組織の成立の背景  昭和60年代以降の我が国の景気拡大を背景に,多数の来日外国人が我が国に流入したが,その後の景気後退により来日イラン人労働者の就労機会が減少し,その一部が不良化したことなどがイラン人薬物密売組織の成立の背景にある。いわゆるバブル経済の崩壊以降,東京都内の代々木公園や上野公園でのイラン人のい集とそのイラン人による変造テレホンカード密売等が社会問題化したが,こうした一部の不良イラン人は変造テレホンカードの密売等に加え,次第に,より利益があがる薬物密売を組織的に敢行するようになったものとみられる。 (イ)イラン人薬物密売組織の実態  現在,イラン人薬物密売組織の活動区域は,首都圏を中心に関西地方にまで及んでいるとみられる。  イラン人薬物密売組織は,主として本国の出身地ごとに構成され,首領の下,電話の受付,薬物の保管・見張り,客引き等の役割を分担して,薬物密売を行っており,「薬物のコンビニ」とも言われるほど,覚せい剤,コカイン,大麻,MDMA,LSD等の多種多様の薬物を扱っている。密売は携帯電話を用いるなどして,客との間で取引場所や方法を指定して行われているほか,都市部では,街頭でイラン人密売人が通行人に公然と無差別に声をかけて行われている。  イラン人薬物密売組織は,警察の取締りを逃れるため,薬物の隠匿場所や取引方法を巧妙化させており,薬物の隠匿場所を短期間に変更し,密売に際しては,薬物を直接所持せず,自動販売機や植え込み等に隠匿した上で,見張人を置くなどしている。また,その居住場所等の特定を困難とするため,日本人名義の居住場所や携帯電話を使用する事例がみられるほか,イラン人密売人同士の情報交換を活発に行い,検挙されても,薬物の入手先や組織実態等の供述を行わないことが多い。 事例1  都内の繁華街では,イラン人が夜間,数人単位で分散し,「エスあるよ」などと,路上で通行人に無差別に声をかけ薬物を密売していた。これらの者は薬物を身に付けず,マンション等の非常階段の下,自動販売機の下,道路の植え込み等容易に発見されない場所に薬物を隠匿し,また,その隠匿場所を短期間に定期的に変更していた。  密売は,状況に応じ,声かけ役,見張り役,薬物の渡し役等の任務が分担され,通行人に声をかけ,近くの路地裏等に連れて行き,金を受け取った後,付近に隠匿した薬物を引き渡す方法のほか,携帯電話番号を客に教え,携帯電話で客と取引場所を打ち合わせるなどして行われていた。このため,取締りには困難を伴い,また,密売人を検挙しても,翌日には新たな他のイラン人が街頭に立ち,薬物密売を行う状態であった。  警視庁では,平成13年9月,取締本部を設置し,同地区における集中取締りを実施し,14年12月までにイラン人密売人51人を検挙するとともに,乾燥大麻約761グラム,大麻樹脂約521グラム,覚せい剤約378グラム,ヘロイン約106グラム,コカイン約15グラム,あへん約5グラム,MDMA149錠,LSD2錠を押収した。  集中取締りにより,最大時70人を超えるイラン人が活動していた同地区の密売は沈静化した(警視庁)。 事例2  群馬県南東部を中心としたイラン人グループによる薬物密売事件では,イラン人密売人が携帯電話で注文を受け,駐車場,コンビニエンスストア等に客を呼び出し,密売人の車両内で薬物を密売していた。また,密売人は,自宅の壁や他人名義の自動車等に薬物を巧妙に隠匿し,メンバー間の呼称は通称名で行い,人物の特定に困難を伴った。  14年12月までに,イラン人密売組織の元締めを含む密売人17人のほか,末端乱用者23人の計40人を検挙するとともに,覚せい剤約370グラム,大麻樹脂約901グラム,あへん約180グラム等の薬物を押収した。また,イラン人密売人の預金債権約660万円について,国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(以下「麻薬特例法」という。)に基づく起訴前の没収保全命令を請求し,薬物密売により得た収益の没収保全を図った(群馬)。 イラン人密売人による取引状況  こうした警察の取締りにもかかわらず,退去強制処分を受けたイラン人が偽造旅券等を使用し,第三国経由で我が国に不法入国して,薬物密売を行う者が後を絶たない状況にある。また,イラン人密売人が使用する携帯電話は,当該携帯電話が押収されても,その電話番号が売買されるなどし,他の携帯電話に番号が付け替えられ,引き続き,薬物密売に使用される事例がみられる。さらに,近年,イラン人グループ間の対立抗争に備えた護身のためとみられるけん銃やサバイバルナイフ等の凶器がイラン人薬物密売人から押収されており,イラン人薬物密売組織の武装化の傾向がみられ,警察では,警戒を強めている(イラン人薬物密売組織の収益等の状況については,4(2)ウ参照。また,イラン人薬物密売組織と暴力団との連携状況については,5(2)オ参照。)。 事例3  愛知県警察では,名古屋市内の公園周辺でイラン人グループによる薬物密売が行われ,また,薬物密売に絡むとみられるグループ間のナイフ等を使用した傷害事件等が発生したことから,集中取締りを行った。  集中取締りによって,15年2月までに覚せい剤取締法違反等で検挙したイラン人薬物密売グループのうちイラン人2人が偽造パスポートを所持していた。うち1人(33)は,4年に千葉県警察に入管法違反で検挙され,退去強制処分を受けたが,13年にトルコの偽造パスポートで入国していたものであり,もう1人(27)は12年に愛知県警察に大麻取締法違反で検挙され,退去強制処分を受けたが,14年にフランスの偽造パスポートで入国していた(愛知)。