第1節 犯罪情勢の推移と刑事警察の50年

 1 犯罪情勢の推移
 (1) 刑法犯の概況
 戦後の刑法犯の認知件数,犯罪率(人口10万人当たりの認知件数をいう。)の推移は,図1-1のとおりである。認知件数は,戦後の混乱を反映して,昭和23年,24年にほぼ160万件に達した後,減少に転じ,48年には120万件を割って底を打ったが,以降は,多少の起伏はあるものの,増加を続け,平成11年には216万5,626件と戦後最高を記録した。一方,刑法犯の検挙件数(注),検挙人員の推移は,図1-2のとおりである。検挙件数は,5年以降は70万件台で推移しており,検挙人員は,過去10年間は30万人前後で推移している。
 (注) 本章では,特に断りのない限り,解決事件の件数を含む。解決事件とは,刑法犯として認知され,既に統計に計上されている事件であって,これを捜査した結果,刑事責任無能力者の行為であること,基本事実がないことその他の理由により犯罪が成立しないこと又は訴訟条件・処罰条件を欠くことが確認された事件をいう。解決事件の件数は,過去10年間はおおむね6,000件台から1万1,000件台で推移している。
 (2) 凶悪犯
 凶悪犯の認知件数は,昭和25年には戦後最高の1万6,225件を記録し,20年代から30年代前半にかけて,おおむね1万3,000件台から1万5,000件台の高い水準にあった。その後,経済の発展と社会秩序の回復が進むにつれて,35年の1万5,931件を境に減少傾向となり,48年には1万件を割り,平成元年には5,899件となった。しかし,2年以降増加し,11年では9,087件と,前年に比べ834件(10.1%)増加している(図1-3)。
 ア 殺人
 殺人の認知件数は,昭和29年の3,081件をピークに減少傾向にあり,平成3年の1,215件で底を打ったが,その後は横ばいで推移し,11年には1,265件となっている。殺人の検挙率は,戦後一貫して90%台で推移している(図1-4)。
 殺人の被疑者をみると,検挙人員に占める割合は,暴力団員が一貫して高く,11年では305人で,全体の23.2%を占めている。来日外国人の検挙人員は,統計を取り始めた昭和55年には1人であったが,平成11年には50人と増加し,全体の3.8%を占めている。少年の検挙人員は,昭和26年に443人を記録し,以降増減はあるものの減少傾向にあり,平成2年以降は2けた台であったが,10年,11年と検挙人員が100人を超え,11年には110人と全体の8.4%を占めている。
 イ 強盗
 強盗の認知件数は,昭和23年の1万854件をピークに減少し,平成元年には1,586件と底を打ったが,以降増加に転じ,11年は4,237件と,前年に比べ811件(23.7%)大幅に増加している(図1-5)。強盗を身体的被害の生じる強盗(強盗殺人,強盗傷人,強盗強姦)とそれ以外の強盗とに分けると,昭和23年には身体的被害の生じる強盗が1,912件(17.6%),それ以外の強盗が8,942件(82.4%)であったが,平成11年にはそれぞれ2,016件(47.6%),2,221件(52.4%)となっており,身体的被害の生じる強盗の割合が増加している。
 一方,2年以降の強盗の増加は,路上強盗の増加によるところが大きい(図1-6)。また,家人が起きていることを承知で屋内に侵入し金品を強奪する上がり込み強盗も増加傾向にあり,11年の認知件数は,前年に比べ,255件(41.3%)増の872件となっている。このほか,深夜スーパーマーケット対象強盗事件(注)の増加も目立っており,元年には29件であったものが,11年には340件となっている(図1-7)。
 (注) 深夜スーパーマーケット対象強盗事件とは,午後10時から翌日午前7時までの間に,営業中のコンビニエンスストア等のスーパーマーケットの売上金等を目的として敢行された強盗事件をいう。
 ウ 放火
 放火の認知件数は,昭和57年の2,291件をピークに減少傾向にあったが,平成3年から再び増加し始め,11年の認知件数は1,728件と,前年に比べ,162件(10.3%)増加している(図1-8)。
 エ 強姦
 強姦の認知件数は,昭和39年の6,857件をピークに,平成元年まで減少傾向が続き,以降は,1,500件前後で推移していたが,9年以降漸増傾向にあり,11年には1,857件となっている(図1-9)。強姦の全検挙人員に占める少年の割合は,昭和32年以降41年までは50%前後で推移していたが,以降減少傾向が続き,平成8年には19.8%となった。しかし,その後再び増加に転じ,11年には30.6%となっている。
 オ 捜査本部設置事件
 重要犯罪等の発生に際し,特に捜査を統一的かつ強力に推進する必要があると認められるときには,捜査本部が設置される。従来,都道府県警察により捜査本部の設置,編成及び解散の基準が異なっていたが,その基本的事項について統一を図るため,2年には,「重要事件等捜査本部運営要綱」が警察庁において定められた。2年以降の捜査本部設置事件(殺人,強盗殺人等殺人の絡む事件のうち捜査本部を設置した事件をいう。)は,おおむね110件台から140件台で推移している(表1-1)。
 (3) 粗暴犯
 粗暴犯の認知件数は,昭和34年の16万8,820件をピークに平成3年まで減少傾向が続いたが,11年の認知件数は,前年に比べ,2,071件(5.0%)増の4万3,822件となっている(図1-10)。
 粗暴犯の多くを占める傷害,恐喝及び暴行についてみると,傷害の認知件数は,昭和32年以降34年まで7万件台と高水準にあったが,以降減少傾向が続き,その後は2万件前後で推移している。傷害の検挙人員に占める少年の割合は,50年代前半までは10%台から20%台であったが,以降増加しており,平成11年には39.2%を占めている。
 恐喝の認知件数は,昭和34年以降39年まで4万件台と高水準にあったが,以降減少傾向が続き,その後9,000件台から1万4,000件台前後で推移している。恐喝の検挙人員に占める少年の割合は,34年以降42年までは50%台から60%台で推移し,以降減少傾向が続いていたが,57年からは再び50%台になり,平成7年以降60%台で推移している。
 暴行の認知件数は,昭和33年以降41年まで4万件台と高水準にあったが,以降減少傾向が続き,平成2年以降6,000件台から7,000件台で推移している(図1-11)。暴行の検挙人員に占める少年の割合は,50年代後半に初めて30%を超えた。その後若干の上下はあるものの,近年は30%前後で推移している。
 (4) 窃盗犯
 窃盗犯の認知件数は,戦後しばらくの間100万件前後で推移していたが,昭和40年代後半から増加に転じ,平成11年には191万393件に達しており,刑法犯の全認知件数の88.2%を占めている。
 手口別にみると,窃盗犯のうち,侵入盗は,減少傾向にあったが,10年以降,増加の兆しがみられ,11年には26万981件と,前年に比べ,2万3,278件(9.8%)増加している(図1-12)。侵入盗を住宅対象と住宅以外の事務所や店舗等を対象とするものに分けると,後者の比率が増加傾向にあり,昭和42年には侵入盗のうち26.3%であったものが,平成11年には48.5%となっている。
 乗り物盗のうち,自動車盗は,昭和30年代から急増し,44年に4万7,563件とピークを迎えたが,その後,3万件から3万5,000件前後で推移していた。しかし,近年,盗難時に鍵が車両にないにもかかわらず,トランクやドアの鍵の形を読み取ってその場で鍵を複製するなどし,車両を窃取する手口の自動車盗が増加しており,その増加を受け,平成11年の自動車盗の認知件数は,前年に比べ,7,208件(20.1%)増の4万3,092件となっている。
 オートバイ盗は,統計を取り始めた昭和41年から増加傾向にあり,平成元年に27万1,083件とピークを迎え,その後も高水準で推移している。11年中のオートバイ盗の検挙人員に占める少年の割合は97.5%であり,少年特有の犯罪となっている。自転車盗は,一時,昭和43年に11万2,360件と底を打ったが,以降増加傾向にあり,平成11年には40万8,306件と,窃盗犯総数の21.4%を占めている。
 非侵入盗は,統計を取り始めた昭和29年以降,40万件台から50万件台で推移していたが,50年代に入ると増加傾向が顕著となり,平成11年には,95万5,037件となっている。その主な要因は,自動販売機荒し(注1)(11年には,昭和50年に比べ,21万4,107件増の22万2,328件),車上ねらい(注2)(20万9,899件増の29万4,635件),部品盗(注3)(4万5,245件増の7万3,824件)である。平成11年の自動販売機荒しの認知件数のうち,約5万4,000件が韓国500ウォン硬貨を加工して自動販売機から金品を窃取する手口である。こうした手口は,9年から急増しており,11年には,約82万枚の韓国500ウォン硬貨が発見されている(図1-13)。
 (注1) 自動販売機荒しとは,自動販売機又はその中の現金若しくは物品を窃取するものである。
 (注2) 車上ねらいとは,窃盗の手口のうち自動車等の積荷等を窃取するものである。
 (注3) 部品盗とは,自動車,船等に取り付けてある部品,付属品を窃取するものである。
 (5) 知能犯
 知能犯の認知件数は,昭和25年の26万8,094件をピークに減少傾向にあり,40年代以降は7万件前後で推移しているが,その手口は悪質・巧妙化するとともに,大型事件の発生が目立つようになっている。
 詐欺についてみると,高度成長期以降の地価の上昇を背景として多発した地面師詐欺(注1),カード社会到来に伴うクレジットカードを利用した詐欺,保険制度の普及に伴う保険金詐欺,M資金詐欺(注2),豊田商事事件のような職業的詐欺師集団や会社組織等による大型詐欺等が特徴的な手口として挙げられるほか,近年では,コンピュータ・ネットワークを利用した詐欺事件も発生している。
 (注1) 地面師とは,自己に所有権のない土地を勝手に売り飛ばす詐欺師である。
 (注2) M資金詐欺とは,会社の経営者等に対し,「GHQの隠し財産」等の架空のばくだいな地下資金を特別に融資するための手数料という名目で,前金を支払わせるという詐欺である。
 また,近年の特徴として,証券市場の発達と規制の強化に伴うインサイダー取引等の証券犯罪やバブル経済崩壊の影響による金融機関・企業経営陣らによる粉飾決算事件等のかつてない大型企業犯罪が続発していることが挙げられる。
 通貨偽造については,戦後初期に全盛であった「はり合わせ」による偽造のほか,印刷による偽造,カラーコピー機やパソコン・スキャナー等の新たな複写技術を利用した偽造が発生し,手口の多様化がみられる。
 「政治とカネ」をめぐる不正事案については,ここ数年,行政改革が国政の最大の焦点の一つとされる中,政治参画意識や行政監視への関心の高まりとともに,政治・行政とカネをめぐる構造的不正の追及を求める国民の声がかつてない高まりをみせている。警察では,この種事案に対する捜査体制の整備・充実を図るとともに,専門的知識・技能を有する捜査員の育成強化に努め,こうした不正事案の解明を進めている。平成11年中の贈収賄事件の検挙件数は67件,検挙人員は195人で,検挙状況は図1-14のとおりである。検挙人員のうち,首長及び地方議会議員の検挙人員はそれぞれ12人,20人であり,引き続き高い水準で推移している。11年中の政治資金規正法違反事件は,市長が代表者を務める政治団体の収支報告書に市職員らが虚偽の記入をした事件を2件検挙している。
 一方,11年4月に行われた第14回統一地方選挙(投票日は4月11日及び25日)における公職選挙法違反事件の検挙状況(投票日後90日現在)は,件数が2,454件,人員が4,035人(うち逮捕者686人)となっている。このうち,買収事件の検挙状況は,件数が2,215件,人員が3,725人で,全検挙に占める割合は,件数で90.3%,人員で92.3%である(表1-2)。また,統一地方選挙以外の11年の一般地方選挙等においても,首長,議員等を36人検挙している。
 (6) 風俗犯
 風俗犯のうち賭博の認知件数は,昭和21年に2万9,508件であったものの,その後減少に転じ,平成11年には293件となっている。
 強制わいせつの認知件数は,統計を取り始めた昭和41年以降,2,000件台から3,000件台で推移していたが,近年増加傾向にあり,平成11年には5,346件となっている。
 (7) その他の刑法犯
 その他の刑法犯の認知件数は,昭和23年の約8万3,000件をピークに減少し,47年には3万3,692件で底を打ったが,その後再び増加傾向にあり,平成11年は14万1,384件で,過去最高となった。昭和23年の認知件数のうち,最も多いのは贓物に関する罪(3万9,713件)で,次いで失火(8,694件),住居侵入(4,283件)の順となっている。一方,平成11年の認知件数のうち最も多いのは占有離脱物横領(6万7,635件)で,その93.7%(6万3,395件)が自転車の占有離脱物横領である。次いで器物損壊(5万3,552件),住居侵入(1万4,549件)となっており,これら三つでその他の刑法犯の認知件数全体の96.0%を占めている。
 (8) 犯罪による被害の状況
 犯罪情勢やそれを取り巻く社会情勢の変化に伴い,犯罪による被害の状況も変化している。例えば,国際化に伴い,来日外国人が被害者となる事案が増加しており,その刑法犯総数は,10年前の平成元年には3,200件であったものが,11年には2.7倍の8,764件となるなど,犯罪による被害にも国際化の影響がみられる。
 被害態様別にみると,刑法犯により死亡した者の数は,統計を取り始めた昭和40年に3,982人を記録した後,減少傾向にあり,平成11年には1,334人となっている。刑法犯により負傷した者の数も,統計を取り始めた昭和41年に7万6,297人を記録した後,減少傾向にあり,平成11年には2万7,639人となっている。また,女性の被害の状況についてみると,昭和40年には刑法犯により死亡した3,982人のうち女性は999人と,全体の25.1%であったが,以降,その割合が上昇傾向にあり,平成11年には,1,334人のうち女性は506人と,全体の37.9%を占めている。負傷した者の数も,昭和41年に刑法犯により負傷した7万6,297人のうち女性は1万4,354人と,全体の18.8%であったが,以降増加し,平成11年には2万7,639人のうち6,447人と,全体の23.3%を占めている。
 一方,刑法犯による財産被害は,貨幣価値の変化等により一概には比較できないものの増加傾向にあり,11年中に認知した財産犯(強盗,恐喝,窃盗,詐欺,横領及び占有離脱物横領をいう。)による財産被害の総額は,約2,807億円(前年比155億円増)であり,被害額が1,000万円以上の財産犯の認知件数も,1,855件となっている。被害品についてみると,昭和20年代は現金のほか被服類,食料品等が目立っていたが,近年は,40万件以上の認知件数がある自転車を除くと,現金,自動車,キャッシュカード,クレジットカード等が被害品目の上位を占めている。
 2 刑事警察の50年
 社会情勢や犯罪情勢の変化に伴い,刑事警察は幾多の試練を乗り越え,時代の変化に対応すべくその充実強化に努めてきた。ここでは,戦後,現在まで,刑事警察がその時々の社会情勢や犯罪情勢にどのように対応してきたかを振り返る。
 (1) 昭和20年代
 ア 昭和20年代の犯罪情勢
 (ア) 社会情勢と犯罪情勢
 a 社会情勢
 昭和20年代は,終戦直後の混乱期を経て,日本社会や経済の改革が行われた時代である。20年8月,ポツダム宣言の受諾により約4年間にわたる太平洋戦争が終結し,GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により民主化政策が進められ,22年には日本国憲法が施行された。25年には,警察予備隊が創設されたほか,朝鮮戦争が勃発し,その特需が日本経済の復興を促進した。26年には,我が国は,平和条約及び日米安全保障条約に調印し,翌27年に,両条約が発効している。また,同年,日本警察がICPO(国際刑事警察機構)の前身であるICPC(国際刑事警察委員会)に加盟している。
 b 犯罪情勢
 戦争中減少していた犯罪は,敗戦による混乱を反映して急激に増加し,20年に約71万件であった刑法犯の認知件数は,23年,24年には160万件近くに達した。
 20年代前半には,粗暴犯が急激に増加したほか,国民生活の窮乏から強盗事件が多発し,23年の約1万1,000件をピークに年間9,000件前後発生するなど,犯罪が凶悪化した。
 20年代後半に入ると,経済の安定により,窃盗や強盗,恐喝,背任といった財産犯は減少したが,暴行,傷害,脅迫等の粗暴犯は増加を続けたほか,殺人も29年には3,081件と戦後のピークを迎えた。
 (イ) 主要事件の概要
 a 帝銀事件
 23年1月,東京都豊島区長崎町の帝国銀行椎名町支店に防疫消毒班の腕章をした「東京都衛生課の医員」を名のる中年の男が現れ,集団赤痢の予防薬と偽って16人の行員に青酸化合物とみられる毒薬を飲ませ,現金16万4,000円と額面1万7,000円の小切手を奪って逃げた。8月,画家の男(56)が検挙され,30年に死刑判決が確定したが,死刑執行されぬまま同人は62年に死亡した。
 b 保全経済会事件
 証券投資,不動産投資を業とする保全経済会の理事長(38)は,実際には不動産等の投資による収益がなく不堅実な経営にもかかわらず,新聞広告,ポスター等で,投資をすれば高配当が得られると大々的宣伝を行い,出資者を誤信させ,出資金名下に多額の資金をだまし取った。同会は,約15万人から約45億円の資金を集めたとされる。29年1月,同理事長は,詐欺罪等で検挙され,懲役10年の刑が確定した。
 イ 刑事警察の対応
 (ア) 第一次捜査権の確立
 終戦後の混乱期において,民主的理念に基づく新たな警察組織・制度を確立し,混乱した治安を早期に回復することは非常に重要な課題であった。そこで,23年に旧警察法が施行され,警察の民主的管理と地方分権を図るため,公安委員会制度が取り入れられるとともに,警察機構は国家地方警察と市町村自治体警察の二本立てとされた。また,それまで検察官が主宰していた犯罪捜査,犯人逮捕等が警察固有の事務であることも明確化された。これにより,警察は,自らの責任において国民のために捜査を遂行すべき使命を担うこととなった。また,このころ,日本国憲法施行に伴う法体系の整備の中で,刑事訴訟法の全面改正が検討されていたが,旧警察法の施行により独立した捜査主体となった警察と検察との捜査をめぐる関係をどのように規定すべきかについて,激しい議論がなされた結果,23年に成立した新しい刑事訴訟法は,検察官と公安委員会及び司法警察職員との捜査に関する関係を協力関係と規定した(第192条)上で,警察官すなわち司法警察職員が,捜査に第一次的責任を有するとした(第189条第2項)。また,警察が独立した第一次捜査権を担うこととなったことに伴い,警察自らの手によって犯罪捜査に関する一般準則を定める必要が生じ,24年に国家地方警察本部長官訓令として犯罪捜査規範が制定された。そして,翌25年には,その内容を更に充実させた,国家公安委員会規則としての犯罪捜査規範が制定された。
 (イ) 刑事訴訟法の改正(28年)
 警察に独立した第一次捜査権が与えられたことで,警察官は,裁判官の発する逮捕状により被疑者を逮捕する権限を持つこととなった。しかし,当時の警察は国家地方警察と市町村自治体警察とに二元化しており,新制度の趣旨が隅々まで行き届かなかったことや戦後の混乱期という事情もあって,逮捕権濫用を指摘する声が高まった。そのため,捜査の適正化を図る観点から,①警察の行う捜査に関し,検察官が一般的指示を行うことができる,②司法警察員が逮捕状を請求するには,検察官の同意を得なければならない,という内容を含む刑事訴訟法の改正案が提出された。この改正案に対しては,刑事訴訟法には警察と検察との権限を分立させることによって人権保障の一層の配慮を図る趣旨もあったことなどから,有力な学者を含め異論も多く,国会において激しい議論が繰り広げられた。結果的には一般的指示の強化を図る点に関しては,「一般的指示により,個々の事件の捜査を直接指揮しないように留意されたい」との附帯決議を付して,政府原案どおり成立した。一方,逮捕状請求における検察官の同意に関しては,そのような同意を規定化することに代えて,逮捕状の請求権者を公安委員会が指定する警部以上の者に限ることとされた。
 (ウ) 現行警察法の制定(29年)
 旧警察法は,警察の民主化を図るものとして画期的な意義を有するものであった。しかし,
○ 市町村自治体警察制度による警察単位の地域的細分化が,広域的な犯罪等に対処するについて警察の効率的運営を阻害していたこと
○ 国家地方警察と自治体警察は,原則として独立対等の関係にあるため,国の治安に対する責任が不明確であったこと
などの制度的欠陥を有していた。
 そこで,29年,旧警察法の優れた点を受け継ぎつつ,その制度上の欠陥を是正するため,旧警察法が現行警察法に全面改正され,今日の警察制度が確立された。
 現行警察法においては,警察の能率的運営の確保,国の治安責任の明確化等を図るため,国家地方警察と市町村自治体警察の二本立てを廃し,執行事務を行う警察組織を都道府県警察に一本化するとともに,国の警察機関による都道府県警察の指揮監督等国の一定の関与を認めることとされた。
 (エ) 捜査体制の整備
 戦前,内務省警保局には「防犯課」が置かれ,道府県には警察部長の下に「刑事課」が置かれていたにすぎなかった(警視庁には警視総監の下に「刑事部」が置かれていた。)。
 戦後の新たな法制度によって,警察に独立固有の捜査権が与えられ,犯罪捜査の第一次責任を負うこととなったことから,国家地方警察本部に「刑事部」が置かれ,同部に,防犯課,捜査課,鑑識課及び犯罪統計課が設けられた。
 また,28年の刑事訴訟法改正を契機に,従来の警察捜査の運営について再検討が加えられ,警部を始めとする幹部の指揮掌握の徹底,捜査実務能力を考慮した人事配置,鑑識機能の充実等が図られることとなった。犯罪捜査規範についても,細部にわたって再検討され,32年7月,新たに現行の犯罪捜査規範が制定された。
 (オ) 科学捜査の推進
 23年の旧警察法の施行に伴い,国家地方警察本部及び都道府県国家地方警察本部に鑑識課が設置された。また,科学捜査を推進するため,国家地方警察本部刑事部鑑識課の附属機関として科学捜査研究所(29年に警察庁の附属機関となり,34年に科学警察研究所と改称)が設立された。
 (2) 昭和30年代
 ア 昭和30年代の犯罪情勢
 (ア) 社会情勢と犯罪情勢
 a 社会情勢
 昭和20年代に復興を果たして将来への発展の根を下ろした日本経済は,さらに,「神武景気」や「岩戸景気」の波に乗り成長を遂げ,世界有数の工業国の仲間入りを果たし,30年から39年までの実質GNP成長率の平均値は,9.8%を記録した。
 31年には,経済企画庁が経済白書「日本経済の成長と近代化」を発表,技術革新による発展を強調し,「もはや戦後ではない」が流行語となった。33年には,政府が警察官職務執行法改正案を国会に提出したが,反対運動が盛り上がり,同法案の審議は未了となった。34年には,日米安全保障条約改定交渉が本格化し,11月には,安保改定阻止第8次統一行動でデモ隊2万人が国会構内に突入している。また,同年には,三池争議が始まり,伊勢湾台風で死者約5,000人,被害家屋約57万戸の被害があったほか,「岩戸景気」にわいた年でもある。35年には安保闘争がさらに激化し,5,6月には連日国会に向けて数万人がデモ行進し,米大統領秘書が来日の際には羽田でデモ隊に包囲され米軍ヘリで脱出するという事件等があったが,日米安全保障条約は改定された。また,この年には浅沼社会党委員長が日比谷公会堂で右翼少年に刺殺されたほか,政府が国民所得倍増計画を決定した。39年には,日本がOECDに加盟して先進資本主義国の仲間入りを果たすとともに,東京でアジア初のオリンピックが開催された。
 b 犯罪情勢
 犯罪情勢は,終戦直後の混乱期にみられた犯罪の増加傾向は沈静化して,刑法犯の総数は年間140万件弱のレベルで推移し,大きな変化はみられないが,少年の検挙人員,特に,少年による窃盗犯の検挙人員が増加したことが特徴として挙げられる。また,20年代に増加した粗暴犯の認知件数は30年代に入っても増加を続け,33年から39年までの間は16万件前後発生し,戦後のピークを迎えている。このほか,30年代中頃に入り強姦の認知件数が増加して年間計6,000件台に達し,40年代前半にかけてピークを迎えている。
 また,この時代,高度経済成長及び人口の都市集中に伴い,犯罪の都市集中化傾向が強まるとともに,モータリゼーションの進展や生活圏の拡大に伴って,犯罪の広域化が顕著になってきた。こうした中,犯行手段の悪質・巧妙化が進み,吉展ちゃん事件,狭山事件,西口事件等が発生したほか,モータリゼーションの急激な進展を反映して,自動車盗,車上ねらい等が急増した。
 c 暴力団情勢
 20年代に,賭博を主な資金源とする博徒,露天商を主な資金源とする的屋といった古くからの暴力集団に加え,戦後の混乱に乗じて愚連隊という新たな暴力集団が発生した。これら三者は,それぞれが闇市の支配,覚せい剤「ヒロポン」の密売等を行うとともに,これらの利権をめぐって対立抗争や離合集散を繰り返すが,その過程において資金源及び活動に際立った差異はみられなくなり,30年代には,三者を一括して「暴力団」と呼称することが社会的にも定着した。
 この30年代には,暴力団構成員及び準構成員の総数も,一貫して増加し続け,38年には約18万4,100人と,そのピークに達した。
 なかでも,本拠地周辺の地域において優位に立った山口組,稲川会等の一部の暴力団は,その組織的暴力を背景にして,広く各地に進出を図り,その過程において大規模な対立抗争を繰り返し,他の暴力団を吸収しながら,次第にその勢力を拡大した。特に,山口組は,明友会事件(注1)をきっかけに大阪への進出を果たすなど,35年から39年のわずか5年間に21府県にその勢力を拡大した。
 また,この時期,暴力団による街頭での暴力事犯やいわゆるお礼参り事犯が多発したことなどが深刻な社会問題となる一方で,32年にはいわゆる別府事件(注2)が発生するなど,集団的暴力事件が大規模化・悪質化の様相を呈した。このような情勢に対応して,33年の刑法の一部改正では,証人等威迫罪,凶器準備集合罪等が新設された。
 なお,対立抗争事件は34年から38年にかけて多発し,38年には123件を記録した。
 (注1) 35年8月,山口組が,大阪ミナミの縄張をめぐって対立関係にあった明友会を襲撃し,死傷者を出した。山口組はこの事件をきっかけに大阪進出を果たし,その後,同組が組織的に各地へ進出する契機となった。
 (注2) 32年3月,大分県の大規模暴力団同士が,別府温泉観光産業大博覧会の利権をめぐって対立し,両団体とも県内外から多数の友誼団体の応援を得て,数回にわたって,けん銃,猟銃,日本刀等を用いた大規模な対立抗争事件を引き起こした。この対立抗争事件の過程において市会議員殺人事件,新聞社襲撃事件が発生し,大きな社会問題となり,凶器準備集合罪等の新設の一つの契機となった。
 (イ) 主要事件の概要
 a 東京都入谷の幼児誘拐殺人事件(吉展ちゃん事件)
 38年3月,東京都台東区居住の幼児(4)が自宅前の公園から誘拐され,身の代金50万円を要求する電話があり,4月,母親が指定の場所に金を持参したところ,犯人に金を奪われた。40年7月,別の事件の被疑者であった無職の男(30)の自供により,荒川区の寺の墓石の下から幼児の遺体が発見され,この男が検挙され,死刑判決が確定した。
 b 狭山市の身の代金目的女子高校生殺人事件(狭山事件)
 38年5月,埼玉県狭山市の女子高校生が帰宅せず,父親あてに20万円を要求する脅迫状が届いた。翌日と翌々日,指定の場所で被害者の姉と犯人との接触が図られたが,犯人は警察の張り込みに気付いて逃走し,その後農道に埋められた被害者の遺体が発見された。同月,同市内のとび職手伝い(24)が検挙され,無期懲役の判決が確定した。
 c 広域にわたる連続強盗殺人事件(西口事件)
 38年10月,貨物運転手の男(38)は,福岡県下で専売公社の集金車を襲い,職員と運転手を殺害し,たばこ代金27万円を強奪したほか,11月には,静岡県内の貸席で女性経営者とその母親を絞殺した上,15万円を奪取し,さらに12月,東京都豊島区のアパートで弁護士を絞殺し,腕時計及び弁護士バッジを奪取して連続3件の強盗殺人事件を敢行した。男はこのほか,検挙されるまでの78日間に窃盗2件,詐欺10件で50万円余を入手していた。39年1月,熊本県下の投宿先で検挙され,死刑判決が確定した。
 イ 刑事警察の対応
 (ア) 「刑事警察強化対策要綱」の策定
 38年に発生した吉展ちゃん事件及び狭山事件においては,いずれも,警察が犯人と接触し逮捕する機会がありながら,犯人を取り逃がし,捜査の不手際が厳しく批判された。
 こうした中,38年,刑事警察の充実強化を図るため,警察庁において「刑事警察強化対策要綱」が策定された。同要綱では,特に,刑事警察官の質的向上のため,刑事教養の徹底が図られることとなり,管区警察学校に刑事専門の教養コース等が新設された。また,捜査用自動車,鑑識機材等の装備の充実,刑事警察官の増員等の捜査体制の整備が進められたほか,42年には,警察大学校に特別捜査幹部研修所が設置され,上級捜査幹部に対する捜査の指揮及び管理に関する研修が行われるようになった。
 (イ) 広域捜査の強化
 30年代には,モータリゼーションの進展や生活圏の拡大に伴って,犯罪の広域化が顕著になり,広域捜査の強化が図られた。犯罪手口に関する資料を収集・管理して,その組織的運用を図る犯罪手口制度は,戦前から広域事件に対応するため存在し,戦後も変遷を経て運用されていたが,制度全般にわたって検討が行われ,31年,犯罪手口資料取扱規則が制定された。また,32年には,犯罪捜査共助規則が制定され,犯罪捜査に関する都道府県警察相互間の協力関係(他の都道府県警察に対する捜査依頼や指名手配等)に関する基本的事項が定められた。
 また,39年4月には,広域捜査の強化を目的として警察庁において「広域重要事件特別捜査要綱」が策定された。同要綱策定の契機は,38年10月以降発生した西口事件であった。この事件を通じて,広域捜査の在り方について深刻な反省を迫られ,同要綱により,広域捜査を必要とする重要事件を警察庁が指定事件として指定し,警察庁の調整の下,関係都道府県警察が特別捜査を実施することとなった。警察庁指定事件は,現在までに23の事件が指定されている。
 (ウ) 報道協定制度の発足
 報道協定制度とは,報道機関が取材又は報道することによって被害者の生命に危険が及ぶおそれがある誘拐事件等が発生した場合において,人命尊重の立場から,被害者を発見若しくは保護し,又は取材若しくは報道しても被害者の生命に危険が及ぶおそれがなくなるまでの間,報道各社が相互間で取材及び報道を自制する旨の協定を締結し,これを報道機関と警察が相互の信頼と協力の下に運用する制度である。
 35年に警視庁管内で幼児が誘拐され,報道を見た犯人が被害者を殺害するという事件が発生し,これを契機として日本新聞協会は,「身の代金目的誘拐事件報道協定制度」を創設した。その後,45年,日本新聞協会において「誘かい報道の取り扱い方針」が決定され,現行報道協定制度の基本的な枠組みが確立している。
 なお,日本民間放送連盟においては,45年,日本雑誌協会においては,55年,それぞれ報道協定制度が確立している。
 (エ) 暴力団犯罪への対応
 暴力団犯罪に対応するため,組織を背景としたその特性に着目し,31年,全国の警察に暴力団犯罪捜査専従員を配置して,順次これを整備・充実した。また,警視庁及び大規模な道府県警察には暴力団犯罪取締り主管課を置くなど取締り体制を強化して,暴力団の実態,動向の把握と事犯の徹底検挙に努めた。特に,38年には山口組,稲川一家等5団体を,39年には新たに5団体を特別取締り対象に指定し,これらに対する集中取締りを実施した。
 30年代末以降,組織の首領及び幹部の検挙を重点とした第一次頂上作戦を推進し,関東会,柳川組等多数の団体・組織を解散,壊滅に追い込むなどの成果を収めた。
 (3) 昭和40年代
 ア 昭和40年代の犯罪情勢
 (ア) 社会情勢と犯罪情勢
 a 社会情勢
 昭和40年代は高度成長期で,日本経済は前半の5年間に長期好況を記録し,42年度から45年度までの実質GNP成長率の平均値は11.8%と著しく高い数値を示した。しかし,40年代後半になると,46年の円切上げに始まり,48年10月の第四次中東戦争の勃発を発端とする石油危機が発生するなどした。
 41年には,我が国の人口が1億人を突破,44年には,東大封鎖解除,45年には,日本万国博覧会の開催,赤軍派学生9人による「よど号」ハイジャック事件,三島由紀夫の割腹自殺等があった。46年には,成田空港公団による一坪地主らの所有地の第一次強制代執行の着手が行われた。47年には,沖縄の施政権が返還され,田中角栄首相が「日本列島改造論」を発表,札幌で冬季オリンピックが開催されたほか,浅間山荘事件が発生している。48年には,円の変動相場制への移行,金大中事件の発生,石油ショックによる物価高騰があった。49年には,連続企業爆破事件が発生した。また,49年度には,実質GNP成長率がマイナス0.7%と戦後初のマイナス成長となり,消費者物価が20.9%も上昇し,狂乱物価と言われた。
 b 犯罪情勢
 40年代の犯罪情勢は,窃盗犯の認知件数が,年間100万件前後で推移し,凶悪犯,粗暴犯,知能犯,風俗犯及びその他の刑法犯がそれぞれ減少ないし横ばいとなったため,刑法犯の認知件数は減少し,48年には約119万件と戦後最低を記録した。特に,30年代に増加した粗暴犯は40年代に入りほぼ半減し,凶悪犯も40年代に入り減少傾向をみせ始め,なかでも強盗と強姦が減少している。
 一方,この時代は,経済の高度成長に伴って生じた社会構造の変化,とりわけ,都市化の進展,モータリゼーションの発達により,犯罪の広域化・スピード化が一層進むとともに,少年によるけん銃使用広域連続射殺事件,3億円強奪事件,定期旅客船「ぷりんす」乗っ取り事件等,従来,我が国では考えられなかった大型犯罪や我が国で初めての航空機ハイジャック事件である「よど号」ハイジャック事件も発生している。そのほか,技術革新に伴う社会生活や経済活動の変化等に伴い,従来に例をみない大規模なガス爆発や航空機・列車事故等の業務上過失事件等が発生している。
 なお,40年代前半から,ミランダ判決を始めとするアメリカ連邦最高裁判所の動向に触発され,学界において,デュー・プロセス・オブ・ロー(適正手続の確保)の思想に基づく捜査に対する司法的抑制の強化が提唱されるようになった。
 c 暴力団情勢
 40年代後半には,第一次頂上作戦により検挙され,服役していた暴力団の首領及び幹部が相次いで出所し,組織の復活・再編が図られ,大規模暴力団による中小暴力団の組織化,系列化の動きが強まってきた。すなわち,資金源犯罪に対する取締りの強化により,非合法資金源にのみ依存する中小暴力団が壊滅的打撃を受けた一方,大規模暴力団は,風俗営業,不動産業,金融業,土建業等の企業経営を表看板とするなど資金源の多様化を図り,また,上納金制度を確立するなどにより,取締りによる打撃を巧みに免れ,さらに,中小暴力団を吸収してその勢力を拡大させていった。また,交通事故の示談,不動産の賃貸借に伴うトラブル,債権取立て等の市民の日常生活や経済取引に介入,関与して違法・不当な利益の獲得を図る民事介入暴力等を通じて暴力団が市民社会に浸透する兆しがみられたのもこの時期である。
 暴力団の広域化・系列化が進む中で,対立抗争事件も再び激増し,45年には129件を記録した。
 (イ) 主要事件の概要
 a 渋谷駅前ライフル銃乱射事件
 元船員(18)は,40年7月,神奈川県座間町において警察官をライフル銃で射殺してけん銃を強奪した後,運転手をけん銃で脅迫して自動車を乗り継ぎ,渋谷駅前銃砲店に侵入し,店員4人を人質としてライフル銃を乱射した。同人は,同日検挙され,死刑が確定した。
 b 広域にわたる連続強盗殺人事件(警察庁指定第105号事件(昭40.12.9指定))
 40年11月,福岡県下で老英語塾教師が殺され,現金等が強奪された。その後,現場の遺留品を捜査した結果,兵庫県在住の廃品回収業者も殺されていることが判明した。一軒家で一人暮らしの老人を襲う手口は,既に大津市内でもみられ,警察庁はこれらを広域重要第105号事件として指定したが,指定の2日後にも,京都市内の小屋で一人暮らしの廃品回収業者2人が相次いで死体となって発見された。強盗殺人2件を含む前科8犯の男(52)が12月に全国指名手配されたが,その18時間後,兵庫県警察芦屋署員が西宮市内の廃品回収業者のバラック小屋を調べたところ,2人の業者が頭に瀕死の重傷を受けており,現場にいた同男を検挙した。その後,8件の強盗殺人を敢行していたことが判明し,死刑が確定した。
 c 寸又峡逮捕監禁事件(金嬉老事件)
 43年2月,元ブローカーの男(41)が静岡県内のキャバレーで金銭貸借のもつれから暴力団員2人をライフル銃で殺害し,自動車で逃走,45キロ離れた寸又峡温泉の旅館に従業員,宿泊客等13人を人質に立てこもった。
 男は部屋にダイナマイト数十本を積んで威嚇する一方,途中人質の一部を解放したり報道陣のインタビューに応じたりしていたが,記者会見で変装していた警察官に検挙され,無期懲役が確定した。
 d けん銃使用による警備員連続射殺事件(警察庁指定第108号事件(昭43.10.18指定))
 43年10月,東京のホテル敷地内で警備員が射殺され,その3日後には,京都市内の神社境内で警備員が射殺された。いずれも在日米軍基地から盗まれたけん銃による犯行であり,警察庁は,広域重要第108号事件として指定した。その後,北海道と名古屋市内の路上で2人のタクシー運転手が同型のけん銃で射殺され,売上金を強奪された。犯人の男(19)は,東京都渋谷区のビルに侵入したところを警備員に発見され,けん銃を撃って逃走したが,検挙され,死刑が確定した。
 e 三億円強奪事件
 43年12月,府中刑務所の北側路上で,東芝府中工場従業員のボーナス計2億9,434万円を運送中の銀行の現金輸送車が白バイ警察官を装った男に停車させられた。男は「爆弾が仕掛けられている」と偽って4人の行員を下車させ,発煙筒を焚いて4人を遠のかせ,自分で現金輸送車を運転して逃走した。捜査は難航し,事件から7年たった50年12月に時効となった。
 f 「よど号」ハイジャック事件
 共産主義者同盟赤軍派の9人は,45年3月,富士山上空を飛行中の東京発福岡行日航351便(通称「よど号」)内において,乗客122人を模造けん銃,日本刀等で脅して反抗を抑圧し,同便を強取の上,北朝鮮への飛行を要求した。その後,いったん給油のため福岡空港に着陸した後,韓国・金浦空港を経て,北朝鮮・美林飛行場に着陸し,同地において乗務員等を解放,9人はそのまま北朝鮮にとどまった。
 この事件は,共産主義者同盟赤軍派が「国際根拠地建設」構想に基づき海外に国際根拠地を建設しようとした最初の実践行動であり,また,我が国で最初の航空機ハイジャック事件となった。
 また,この事件が直接の契機となって,45年6月,航空機ハイジャック事件の防止を主目的とした航空機の強取等の処罰に関する法律が施行された。
 g 群馬県下の連続強姦殺人,死体遺棄事件(大久保事件)
 46年5月,群馬県藤岡市の会社員の女性を誘拐した高崎市の男(36)が検挙された。その後の捜査で,この男は,同年3月に出所したばかりであったが,3月から5月の間に,新車を乗り回し,美術教師になりすまして「モデルになって」等とだまして女性を車に乗せるなどして,8人の女性を次々と強姦,殺害していたことが判明し,死刑が確定した。
 イ 刑事警察の対応
 (ア) 「刑事警察刷新強化対策要綱」の策定
 43年に寸又峡逮捕監禁事件,45年には「よど号」ハイジャック事件,定期旅客船「ぷりんす」乗っ取り事件等の人質事件が相次いで発生したほか,40年代には爆発物,銃砲を使用した凶悪な犯罪が多発する傾向がみられた。また,大量輸送時代を背景に,航空機,列車等の大規模事故事件の発生が目立った。
 一方,都市への人口集中が住民の孤立化,匿名化をもたらし,聞き込み捜査等の人からの捜査を困難化させたことや,高度経済成長が大量生産・大量流通型の経済生活を浸透させ,物からの捜査を困難化させたことなど,捜査をめぐる環境にも変化が現れてきた。
 こうした状況の中で,犯罪の質的変化,捜査を取り巻く環境・条件の悪化等に対応し,捜査体制を抜本的に強化することを目的として,45年,警察庁において「刑事警察刷新強化対策要綱」を策定し,機動捜査隊及び特殊事件捜査係の設置,初動捜査活動の強化,常習犯に対する捜査活動の強化,コンピュータを利用した犯罪情報の管理等が進められた。
 (イ) 初動捜査力の充実
 夜間における遊撃的捜査活動等の強化を図り,犯罪発生の初期段階で犯人を検挙することを目的として,都道府県警察本部に機動捜査隊が設置された。機動捜査隊は,34年に警視庁にその原型の部隊が設置されたが,その後,逐次各道府県警察で整備が進み,46年には設置が完了した。また,49年1月には,犯罪の広域化・スピード化に対処し,捜査の初期的段階における犯人検挙の徹底を期するため,重要又は特異な事件を認知した場合に,他の都道府県警察に依頼して広域的な緊急配備を実施することとする「広域緊急配備要綱」が策定された。一方,従来例をみない大規模な業務上過失事件,航空機,船舶等の不法奪取事件,爆破事件等が発生したが,これらの事件捜査は高度の科学的知識及び捜査技術を必要とした。こうした事件の捜査経験に富み,かつ,十分な科学的知識を持った専門官を警察本部に常駐させ,いかなる場所でいかなる事件が発生しても,即刻応援捜査ができるようにしておくため,全国的に特殊事件捜査係の設置が図られた。
 (ウ) 暴力団対策の推進
 45年以降,いわゆる第二次頂上作戦を実施し,特定の組織に対する集中取締りに加え,暴力的不法行為等が多発するおそれの大きい盛り場等の特定の地域に的を絞った取締りを行い,このような地域からの暴力団排除活動にも力を注いだ。また,お礼参りの防止のため,48年には,多くの府県で「暴力110番」等を設置して被害者等からの通報連絡のルートを設けるとともに,被害者等の保護活動に専従する専門の保護係を設置して,被害者等の立場に立った実質的な保護活動を推進した。
 (4) 昭和50年代
 ア 昭和50年代の犯罪情勢
 (ア) 社会情勢と犯罪情勢
 a 社会情勢
 石油ショック以降,世界経済が低迷する中で,日本はいち早く不況から脱出し,昭和54年からの第二次石油ショックも金融引締めによって乗り切り,安定成長の軌道に乗った。51年にはロッキード事件が明らかとなり,前首相が逮捕されるなど,政財界を揺るがす贈収賄事件に発展した。一方,行財政の肥大化と財政赤字に対処するため,56年に第二次臨時行政調査会が設置された。
 50年には,3公社5現業の「スト権」をめぐって,公共企業体等労働組合協議会(公労協)による長期にわたるストが行われ,国民生活に大きな影響を与えた。52年には,日航機ダッカ事件が発生,53年の成田空港の開港では反対派の抵抗により開港が延期された。54年には,東京で日本初のサミットが開催された。また,57年には,ホテル・ニュージャパンの火災により宿泊客32人が死亡したほか,羽田沖に日航機が墜落,24人が死亡する大規模事故が発生した。
 b 犯罪情勢
 刑法犯の認知件数は,49年以降増加に転じ,50年代は54年を除いて増加を続け,59年には約159万件と23,24年に次いで戦後3番目を記録している。これは,主に窃盗犯,なかでも自転車盗を始めとする乗物盗や,車上ねらい,自動販売機荒しといった非侵入盗が増加したことによるものである。一方,殺人,強盗等の凶悪犯の認知件数は徐々に減少したが,個別の事件としては特異なものが続発した。また,犯罪は増加しただけでなく,従来の犯罪とは質的に異なる新しい形態のものも出現した。この時期,次のような社会の特徴に根ざした犯罪が発生している。
 第1の特徴は,科学技術の著しい進歩である。コンピュータを始めとする先端技術の開発は,産業構造を変革し,国民生活に大きな利便をもたらした。しかし,これに伴い全く新しい形態の犯罪も現れるようになり,特に,コンピュータ犯罪は,社会問題となりつつあった。また,複写機を利用した通貨偽造事件等にみられるように,従来は高度な技術を必要とした犯罪が,いともたやすく実行され得るようになった。さらに,交通機関の発達は,犯罪者の行動圏の拡大とスピード化とを助長し,警察官から強奪したけん銃を使用しての連続強盗殺人事件(警察庁指定第113号事件),いわゆるグリコ・森永事件(同第114号事件)等の広域犯罪が発生した。
 第2の特徴は,経済社会の仕組みが多様化・複雑化したことである。例えば,各種の保険は,国民に広く普及し,危険の分散,安定した生活の保障に欠かせないものとなったが,これに伴い,保険が一度に多額の金を入手できる手段であることに目を付けた殺人,放火事件や多種多様の保険を利用した詐欺事件が多発した。また,キャッシュレス時代を反映してクレジットカードを利用した詐欺事件も増加した。
 第3の特徴は,都市化の著しい進展である。都市では,高層ビル,地下街等の建設が進み,人の目の及びにくい新たな死角が増加した。また,人間関係の希薄化は,そこに住む人々の疎外感を募らせるとともに,規範意識の低下をもたらした。これに伴い,都市の死角を利用した犯罪やいわれなき殺人事件が目立つようになった。また,金融機関のみならず,サラ金,スーパーマーケットを対象とした強盗事件も目立ってきた。
 第4の特徴は,国際化の一層の進展である。我が国は,世界でも有数の経済大国となり,国際交流も極めて盛んになった。これに伴い,国外犯や来日外国人による広域窃盗事件等の国際的常習犯罪者による犯罪も発生するようになった。
 c 暴力団情勢
 警察の徹底した取締りと暴力団排除活動の盛り上がり等により,暴力団構成員及び準構成員の総数は減少し,また,従来からの資金獲得活動は打撃を受けた。しかし,特定の大規模暴力団はその勢力を拡大し,また,市民生活に介入,関与する民事介入暴力や,社会運動や政治活動を仮装,標ぼうして違法・不当な利益の獲得を図る企業対象暴力が増加するなど,暴力団の資金獲得活動はより一層多様化・巧妙化した。
 また,56年7月,三代目山口組組長が死亡し,57年2月には,その後継者と目されていた最高幹部も急死したことなどから,山口組内部に大きな動揺が生じ,後継組長の座をめぐって二派に分かれて争うに至った。59年6月,四代目組長が強引に決定されたことから山口組は分裂し,四代目組長に反発する一派は,新たに一和会を結成して山口組との対立関係を深めた。
 なお,海外における銃器,覚せい剤等禁制品の入手先としての拠点づくり等を動機とした暴力団の海外における活動も目立ち始めた。
 (イ) 主要事件の概要
 a 三菱銀行北畠支店における猟銃使用の強盗殺人及び人質立てこもり事件
 54年1月,大阪市住吉区にある三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男(30)が押し入り,猟銃を乱射して警察官2人,行員2人を射殺,3人に重傷を負わせ,5,000万円を要求し,客と行員計37人を人質にして立てこもったが,42時間後,警察の強行突入により犯人の男は狙撃され,死亡した。その後,同事件は被疑者死亡のまま書類送致された。この事件では,人質の行員を並ばせ盾代わりにしたり,同僚の耳を切らせたりするなどの異常さと残忍さが注目を集めた。
 b 新宿バス放火事件
 55年8月,心神耗弱状態にあった無職の男(38)が新宿駅西口の停留所に止まっていた私鉄バスの最後部乗降口から火の付いた新聞紙を車内に投げ込み,バケツ入りの4リットルのガソリンを投げ掛けたため車内が炎上,乗客6人が死亡,14人が重軽傷を負った。男は犯行直後に検挙され,無期懲役が確定した。
 c 豊田商事事件
 豊田商事は,56年4月から60年7月までの間,金地金の現物まがい商法で,老人や主婦を中心として全国約3万人から約2,000億円をだまし取った。当時の金利の2倍から4倍の利殖になると強調して金地金の購入を勧め,契約すると現金と引き換えに純金ファミリー契約証券なる書面を渡し,金地金は同社が預かると称して,満期が来ると強引に契約更新を勧め,中途解約には応じないという手口であった。トラブルが続発して社会問題化し,60年7月,同社は破産した。62年3月同社の元社長ら5人が詐欺罪で検挙され,懲役10年から13年の刑が確定した。
 なお,同社会長は60年6月,報道陣の目前で暴漢2人に刺殺された。
 d いわゆるグリコ・森永事件(警察庁指定第114号事件(昭59.4.12指定))
 59年3月に発生した江崎グリコ(株)社長に対する身の代金目的誘拐事件に端を発し,その後,森永製菓等大手食品会社を対象に多額の現金が要求された。犯人は,「かい人21面相」を名のり,自らの犯行を誇示,楽しむかのように報道機関等に対しても再三にわたって挑戦状を送付した。また,関東,中部,関西地区の百貨店,スーパーマーケットの菓子売場等に青酸ソーダ混入毒菓子が置かれ,広域にわたる殺人未遂事件が敢行されるなど,約1年半にわたって国民を震撼させた。これら一連の事件は,平成12年2月までにすべて時効を迎えた。
 イ 刑事警察の対応
 (ア) 「刑事警察強化総合対策要綱」の策定
 50年代は,経済が安定成長期へ移行し,社会的・経済的公正を望む国民の声が高まった。また,本格的なモータリゼーションの時代を迎え,自動車利用の犯罪や複数の都道府県にわたる犯罪も増加し,捜査活動も広域化した。さらに,いわゆる精密司法といわれるち密な事実認定の傾向が一層進み,より高度で信頼性の高い鑑定が必要となった。こうした環境に加え,いわゆるベテラン捜査員の大量退職時代を迎え,捜査力の低下を防ぐための後継者の育成が急務とされた。
 このような情勢に対応するため,55年10月,①重要知能犯捜査力の強化,②広域犯罪捜査力の強化,③科学捜査力の強化,④優れた捜査官の育成と指揮能力の向上の四つを柱とする「刑事警察強化総合対策要綱」が警察庁において策定され,以下のような各種施策の推進が図られた。
 a 重要知能犯捜査力の強化
 重要知能犯捜査力の強化を図るため,各都道府県警察の知能犯係捜査員の増員が図られるとともに,大都市圏管轄警察で企業犯罪特捜班が設置された。また,告訴・告発事件処理体制の強化が図られるとともに,大型企業犯罪や贈収賄事件等の重要知能犯罪の日常的な摘発活動を推進するための具体的な諸施策が順次実施された。
 b 広域犯罪捜査力の強化
 39年の「広域重要事件特別捜査要綱」の策定以降,広域捜査制度については諸制度が設けられたが,56年に策定された「広域重要事件捜査要綱」により,指定事件制度,準指定事件制度及び登録事件制度に整理・統合された。また,都道府県警察間の連絡共助の強化を図るため,各都道府県警察に広域捜査官を設置することとされた。
 c 科学捜査力の強化
 従来,指紋の照合は手作業で行われていたため,大量の指紋を短時間で照合することには限界があった。このため,指紋自動識別システムが開発,58年から実用化され,犯行現場に遺留された指紋から犯人を特定する遺留指紋照合業務や,逮捕した被疑者の身元と余罪の確認等に活用されている。
 また,科学捜査力の強化の一環として,全国の鑑定技術職員に対し必要な専門的事項に関する研修を行う機関として,58年4月に科学警察研究所に法科学研修所が創設された。
 コラム[1] 指紋こぼれ話
 1874年(明治7年)ころから東京築地病院に勤務していた英国人医師フォールズ博士は,日本人に指,掌を文書や証文に押なつする習慣があることに興味を持ち,指紋の研究を思い立った。その後,1880年(13年),研究結果を英国の科学誌「ネーチャー」に発表し,現代指紋法の発展に寄与した。
 我が国の警察における指紋制度の導入は,警視庁で明治44年に刑事課に鑑識係が設けられ,指紋に関する事務を担当することとなったのが最初である。
 1929年(昭和4年)には,説教強盗(大正15年から昭和4年にかけ,押し込んだ家で戸締まりをよくしろとか番犬を飼えなどと説教して,一番電車が来るまでの時を稼いで逃走した強盗。時の東京府民を恐怖のどん底に落とし,警察不信の声が高まった。にせ説教強盗も発生。犯人は無期懲役の判決を受けた。)の犯人が現場指紋によって割り出され,逮捕されている。数十万枚の指紋原紙を1枚ずつ繰って,地道に犯人を割り出したものである。対照係員が宿直室で仮眠したり,日曜・祭日の休暇も返上し,寝食を忘れて対照を繰り返した結果であった。
 時は経過し,昭和58年に,コンピュータによるパターン認識の技術を応用した指紋自動識別システムによる遺留指紋照合業務の運用が開始され,その3週目には,43年に兵庫県下において女性を殺害し現金を奪った犯人を確認し,時効約1か月前に逮捕するという成果を上げている。さらに,平成9年度からは,指紋を光学的に短時間で採取できるライブスキャナの警察署への設置や,遺留指紋照会端末装置の各警察本部への設置が進められるとともに,衛星通信回線等を利用したネットワークが構築され,同システムの高度化が図られている。その結果,40年代には,年間200件程度であった遺留指紋による被疑者の割り出しが,最近はその数十倍に達しつつある。
 なお,我が国の開発した同システムに対する世界各国の関心は高く,アメリカ,カナダを始めとして各国の警察で同様のシステムが導入されている。
 d 優れた捜査官の育成と指揮能力の向上
 56年,優れた捜査官の育成を図るため,刑事警察官の任用・選考についての準則を定める「刑事選考要綱準則」が策定され,刑事選考制度が確立された。また,新任の刑事課長に対する捜査実務研修が充実されるなど,指揮能力の向上のための施策が推進された。
 (イ) 暴力団対策の強化
 大阪,兵庫における山口組と松田組の対立抗争等,全国各地で悪質な事件が発生したことを受けて,50年9月から,暴力団の首領・幹部の検挙,資金源の封圧,けん銃等凶器の発見押収及び暴力団排除活動の促進を重点に,第三次頂上作戦が実施された。
 51年にはその一環として,2回にわたり,全国の警察力を動員して,暴力団に対する一斉集中取締りを実施した。さらに,暴力団の資金源を封圧,遮断するため,54年5月から7月までの間,「暴力団の首領等に係る資金源封圧作戦」を推進した。
 3次にわたる頂上作戦を始めとする徹底的な取締りにより,暴力団員の総数が大幅に減少するなど,一定の成果がみられたが,取締りの強化を受け,民事介入暴力事案等の多発にみられるように,暴力団の不当な行為は,その多様化,巧妙化の傾向を強めていった。民事介入暴力への対策としては,54年12月,警察庁に民事介入暴力対策センターが設置され,各都道府県警察においてもこの種の問題に積極的に対応するための専門担当官が置かれ,相談受理体制が強化された。
 なお,56年には,総会屋の排除を図るため,商法が一部改正されて,利益供与罪等が新設された。59年5月,大手百貨店秘書室長らが,総会屋に対し,株主総会における議事進行に協力を求める趣旨で商品券等を供与した事件で,同罪を初適用した。
 (5) 昭和60年以降
 ア 昭和60年以降の犯罪情勢
 (ア) 社会情勢と犯罪情勢
 a 社会情勢
 昭和60年のプラザ合意でドルの引き下げと円の引き上げが決定されて以降,日本経済は急激な円高を克服し,景気の回復局面に入り,株式・土地の価格が大幅かつ長期にわたって上昇し,「バブル」と呼ばれる状況が発生した。しかし,平成3年ころから株価が,続いて地価が急速に下落し,「バブルの崩壊」が起こった。その後,各方面に様々なほころびが現れた。その一つが金融機関の巨額の不良債権であり,一部の金融機関が破たんするなど,金融界にとって戦後初の本格的危機となった。一方,昭和63年のリクルート事件の発覚を始め,佐川急便事件,ゼネコン汚職事件,自民党副総裁の検挙等が相次ぎ,政治改革が進められることとなった。その他,60年には,日航ジャンボ機墜落事故が発生し,また,60年代には,電電公社,専売公社,国鉄が相次いで民営化された。平成元年には消費税が導入され,4年には,国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律が成立し,自衛隊と共に,警察官の身分を有する国際平和協力隊員75人がカンボジアに派遣され,UNTAC文民警察部門の下で現地警察官への助言,指導,監視等の任務に当たったが,5年,武装集団の襲撃によりそのうち1人が殉職し,4人が重軽傷を負うという事件が発生した。7年には阪神淡路大震災が発生し,約6,400人の死者が発生した。
 b 犯罪情勢
 刑法犯の認知件数は,昭和60年には約161万件と戦後最高を記録したが,その後も増加傾向にあり,平成11年には約217万件に達した。
 国際化の進展,交通手段の変化,女性の社会進出等を始めとした社会経済情勢の変化は,従来当然のものと考えられていた様々な境界を徐々に消滅させた。犯罪の分野においても,警察署や都道府県警察の境界を越えた犯罪や国際犯罪が増加し,個人の生活,企業の経済活動等の多様化に伴う犯罪者の属性や組織犯罪の形態の多様化等,犯罪のボーダレス化の傾向が顕著になった。
 特に,日常的なモビリティの増大は,その生活の範囲を拡大させるとともに,個人の行動をより迅速化させている。これに伴って犯罪の態様も変容し,捜査活動の分野においても,警察署や都道府県の垣根を越えた活動を行うことが日常的となっている。また,我が国の国際化の進展に伴い,多数の外国人が我が国で生活するようになったことから,来日外国人に関する犯罪も急増している。
 バブル経済の崩壊後は,金融機関が多額の不良債権を抱えて破たんするケースが相次ぎ,不良債権の発生,膨張又は債権回収の過程において,詐欺,背任,競売入札妨害等の違法行為が行われる事案が顕在化し,金融・不良債権関連事犯対策が強化されることとなった。
 また,7年には,いわゆる地下鉄サリン事件が発生し,おびただしい人的被害と著しい社会不安を生じせしめた。
 c 暴力団情勢
 昭和60年1月,四代目山口組組長が一和会系暴力団員に射殺されたのを契機として,両団体の間に大規模な対立抗争事件が発生し,これに関係する銃器発砲事件が頻発するなど,市民に重大な脅威を与えたが,平成元年3月,両団体の対立は一和会の解散によって決着をみた。この対立抗争事件によって,2府19県において,双方合わせて317回の攻撃が敢行され,死者25人,負傷者70人を出した。
 その一方で,昭和60年代は,40年代後半,50年代に引き続き企業対象暴力事案や,民事介入暴力事案が増大した。バブル経済の時期においては,都市部における地価高騰を背景として「地上げ」等不動産取引に介入したり,「財テク」ブームを背景として活況を呈していた証券取引に絡んで利益を得ようとする事案の発生もみられた。
 さらに,バブル経済の崩壊後においては,金融・不良債権関連事犯を引き起こすなど,その資金獲得活動を多様化させている。
 また,平成9年8月には,神戸市内のホテルにおいて,山口組若頭がけん銃で射殺される事件が発生し,その後,各地でこの事件に関連するとみられる銃器発砲事件が相次いだ。
 なお,我が国の暴力団の海外における活動が活発化する一方で,海外の犯罪組織が,我が国の経済発展や国際化に伴って,外国人労働者等を足場として我が国に進出しようとする動きがみられ,我が国の暴力団と関係を持ちながら,来日外国人の不法就労のあっせん,薬物の密輸,賭博等を資金源として活動している。
 (イ) 主要事件の概要
 a 広域にわたる朝日新聞記者殺傷,器物損壊及び爆破未遂等事件(警察庁指定第116号事件(昭和62.9.25指定))
 昭和62年1月,朝日新聞東京本社に対する散弾銃発砲事件が発生したのを始め,5月に朝日新聞阪神支局において同社記者に対し散弾を発射して1人を殺害,1人に重傷を負わせる殺傷事件が,9月には朝日新聞名古屋本社の寮における散弾銃発砲事件が発生した。これらはいずれも「赤報隊」を名のる犯人による一連の朝日新聞襲撃事件とみて,警察庁では,同月,警察庁指定第116号事件に指定した。その後,さらに,63年3月に朝日新聞静岡支局に対する爆破未遂事件が,8月には東京都港区内の(株)リクルート前会長宅に対する散弾銃発砲事件が発生したため,追加指定を行った。平成12年7月末現在,捜査中である。
 b 広域にわたる連続幼女誘拐殺人及び死体遺棄事件(警察庁指定第117号事件(平成元.9.1指定))
 昭和63年8月,東京都五日市町の印刷業手伝いの男(26)は,埼玉県入間市の女児(4)を自宅近くで誘拐し,東京都西多摩郡の山林内で殺害した。さらに,この男は平成元年6月までの間に合わせて4人の幼女を次々と誘拐,殺害し,7月に,別の幼女への強制わいせつの容疑で検挙された。男は検挙されるまでの間,殺害した女児の遺骨を被害者宅に送り届けたり,犯行声明文を新聞社等に送付したりするなどし,その特異性と凶悪性から世間の注目を集めた。12年7月末現在,公判中である。
 c 広域にわたる主婦等連続殺人・死体遺棄事件(警察庁指定第120号事件(平成6.2.10指定))
 自称犬の訓練士の男(39)は,獣医師を通じて知り合った大阪市の主婦ほか4人を,4年6月から5年10月までの間に,それぞれ金銭のトラブル等から,筋弛緩剤を注射して殺害し,長野県塩尻市内の畑地に埋めて遺棄した。6年1月,同人を検挙し,12年7月末現在,公判中である。
 d オウム真理教関連事件
 宗教団体として発足したオウム真理教は,テロ集団化し,数々の違法事案を引き起こした。特に,6年6月の長野県松本市内における毒物使用多数殺人事件(いわゆる松本サリン事件)では7人を殺害,7年3月の地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(いわゆる地下鉄サリン事件)では12人を殺害し,いずれの事件でも多数の負傷者を出すなど,これらサリンを用いた無差別大量殺人事件は,国際的にも犯罪史上例をみないものであった。7年の地下鉄サリン事件以降,11年末までに,教団代表の松本智津夫を始め486人の信者を検挙した。12年7月末現在,松本智津夫は公判中である。
 e 前厚生事務次官らによる老人福祉事業をめぐる贈収賄事件
 前厚生省年金局課長補佐(39)は,埼玉県福祉部高齢者福祉課長として勤務していた当時,社会福祉法人の設立認可等に関し,有利便宜な取り計らいをしたことの謝礼として,社会福祉法人役員らから,5年7月から8年8月ころまでの間,数回にわたり,現金合計千百数十万円を収賄した。また,前厚生事務次官(57)は,4年4月ころから7年7月ころまでの間,特別養護老人ホームの設置に関する補助金の交付等に関し,有利な取り計らいをしたことなどの謝礼として,上記社会福祉法人役員から,数回にわたり現金合計数千万円等を収賄した。それぞれ8年11月,12月に検挙され,12年7月末現在,公判中である。
 f 神戸市須磨区における小学生殺人,死体遺棄事件
 中学3年生の男子生徒(14)は,9年2月,小学6年生の女児2人の頭部を鈍器で殴打して,うち1人に1週間の傷害を負わせ,3月には,小学4年生の女児の頭部を鈍器で殴打して殺害し,また,小学3年生の女児を刃物で刺して2週間の傷害を負わせた。さらに,5月,小学6年生の男児を首を絞めて殺害し,遺体から首を切断して自宅に持ち帰り,中学校正門横路上に犯行を誇示する内容の文書を添えて遺棄した上,地元新聞社に犯行声明文を送付した。6月,この男子生徒は検挙され,9年10月,医療少年院に送致された。
 g 和歌山市園部における毒物混入事件
 10年7月,主婦(37)は,自治会員が調理したカレーライスにヒ素を混入し,自治会主催の夏祭り会場において,これを食べた祭りの参加者4人を急性ヒ素中毒により死亡させ,63人に同中毒による傷害を負わせた。12月,この主婦を検挙した。12年7月末現在,公判中である。
 イ 刑事警察の対応
 (ア) 「刑事警察充実強化対策要綱」の策定
 高度科学技術の普及,国際化の進展等社会情勢の著しい変化は,コンピュータ犯罪の発生や,来日外国人犯罪の増加,ロス疑惑事件等の海外における凶悪事件の発生を招いた。一方で,自白の任意性と信用性,証拠能力の有無等の各般にわたって精密かつ厳格な審理を行う裁判実務と活発な刑事弁護活動に対応し,より一層ち密な捜査を推進する必要性が高まった。このため,刑事警察として新たな対応を迫られ,61年10月,警察庁において新たに「刑事警察充実強化対策要綱」が策定された。主な施策は次のとおりである。
 a 優れた捜査官の育成及びち密な捜査推進体制の強化
 優れた捜査官の育成のため,それまで講義形式の集合教養中心だった刑事教養にマンツーマン方式や長期実務研修方式を取り入れるなど,実践的教養が強化されるとともに,コンピュータ犯罪等の新たな犯罪に対する捜査技能の向上が図られた。また,警察が送致した事件の捜査については最後まで責任を負うという観点から,公判担当検察官との連絡,公判における争点の把握,出廷証人に対する支援等の公判対応体制を確立した。
 b 科学捜査力の強化
 犯罪捜査の対象となる各種鑑識資料をあらかじめ収集・分析し,データベース化を図り,このデータと現場資料の分析データを照合することによって得られる資料を第一線に提供することを目的に,61年4月,警察庁鑑識課に鑑識資料センターが設置された。
 また,大量かつ多様な犯罪情報を迅速かつ効果的に処理し,犯罪捜査に活用するため,コンピュータを利用した各種捜査支援システムの開発整備も進められた。
 (a) 自動車ナンバー自動読取システム
 自動車利用犯罪や自動車盗の捜査のために自動車検問を実施する場合,実際に検問が開始されるまでに時間を要すること,徹底した検問を行えば交通渋滞を引き起こすおそれがあることなどの問題がある。警察庁では,これらの問題を解決するために,走行中の自動車のナンバーを自動的に読み取り,手配車両のナンバーと照合する自動車ナンバー自動読取システムを開発し,61年度から整備を進めている。
 その結果,多くの自動車盗事件を解決しているほか,殺人,強盗等の凶悪犯罪等の重要犯罪の解決に多大な効果を挙げている。
 (b) 被疑者写真検索システム
 都道府県警察で撮影した被疑者写真を警察庁で一元的に管理,運用し,犯罪の広域化に対応した効率的な活用を図ることを目的として,コンピュータによる被疑者写真検索システムを平成2年度から整備した。これにより,全国の警察署において被疑者写真を迅速に入手することが可能となっている。
 c 国際捜査力の強化
 犯罪の国際化に対処するため,港や空港を管轄する府県警察を中心に,国際捜査係の充実,通訳・翻訳官の設置増強,国際捜査に関する教育訓練や語学教育の充実が進められ,また,ICPOや外国捜査機関との連携の強化も図られた。
 (イ) 広域犯罪に係る捜査の連携と警察法の改正
 a 広域犯罪に係る捜査の連携
 社会のボーダレス化が進み,犯罪についてもその広域化が一層顕著となった。これを受けて,都道府県警察相互間の連携の強化を図るため,広域重要犯罪の発生時に,関係都道府県警察が協力し,捜査事項の分担やその他捜査方針の調整を図りつつ捜査を行う共同捜査,さらに指揮系統を一元化し,関係都道府県警察が一体となって捜査を行う合同捜査が一層積極的に推進されたほか,警察庁や関係都道府県警察が捜査情報を共有するため,捜査情報総合伝達システムの整備が推進された。また,次のような連携強化策がとられた。
 (a) 広域捜査隊の設置
 4年以降,地理的条件,交通網の状況等から,地域の一体性の強い都道府県境付近の区域において発生した犯罪に即応するために,都道府県警察の単位を越え,広域的に捜査,訓練等を行う関係都道府県警察で構成される広域捜査隊の編成が進められ,初動捜査強化のための体制づくりが行われた。広域捜査隊は,現在,全国で11区域に設置され,殺人,強盗等の凶悪事件や,特に迅速な対応を要する特異な窃盗事件等の初動捜査を行っている。
 (b) 広域機動捜査班の設置
 元年,各都道府県警察の機動捜査隊に,身の代金目的誘拐事件や人質立てこもり事件等に対する専門的捜査技術と広域的な機動捜査力を有する広域機動捜査班が設置された。
 b 警察法の改正
 6年には,従来の施策に法律上の明確な根拠を付与し,その一層の普及及び定着を図るため,警察法の一部改正が行われた。
 その要点は,次の2点である。
○ 管轄区域が隣接し,又は近接する都道府県警察は,相互に協議して定めたところにより,社会的経済的一体性が認められる都道府県の境界周辺の区域における事案を処理するため,関係都道府県警察の管轄区域に権限を及ぼすことができるようにした。
○ 警視総監又は道府県警察本部長は,都道府県警察が他の都道府県警察と共同して事案を処理する場合,相互に協議して定めたところにより,関係都道府県警察の一の警察官に,その事案の処理に関し,それぞれの都道府県警察の職員に対して必要な指揮を行わせることができるようにした。
 この改正により,合同捜査や広域捜査隊の運用について,その円滑かつ迅速な実施を確保することができるようになった。
 また,警察法の一部改正を受けて,犯罪捜査に関する都道府県警察相互間の連絡共助の在り方を定めた犯罪捜査共助規則についても大幅な改正が行われ,合同捜査,広域捜査隊等の運用の手続,方法等に関する規定が整備された。
 (ウ) オウム真理教に対する警察捜査
 地下鉄サリン事件を始めとする一連のオウム真理教関連事件は,複雑化する社会情勢の中で生じてきた閉鎖的な集団による組織犯罪であり,善良な市民を多数殺傷するなどの残虐かつ卑劣な凶悪犯罪であった。
 警察では,組織の総力を挙げてこれらの事件の捜査に取り組み,教団代表以下信者多数を検挙するなどにより,多くの重要事件を検挙解決してきたところであるが,その過程においては,これらの事件が,
○ 高度な科学技術を悪用した犯罪であったこと
○ 閉鎖的な集団による計画的な犯罪で,組織的に証拠隠滅が図られたこと
○ 全国規模の広範な区域にまたがる犯罪であったこと
などの理由により,多くの困難に直面した。
 12年7月末現在もなお,3人の警察庁指定特別手配被疑者(注)を含む4人のオウム真理教関係被疑者が検挙に至っておらず,警察では,オウム真理教関連事件の全容解明のため,引き続き全国的な追跡捜査を推進しているところである。オウム真理教関連事件のような新たな態様の組織犯罪に的確に対応するため,科学捜査体制等の強化,警察法等関係法令の整備が行われ,同様の犯罪が再び発生しないように体制・制度が強化,整備された。
 (注) 警察庁指定特別手配被疑者とは,治安に重大な影響を及ぼし,社会的に著しく危険性の強い凶悪又は重要な犯罪について,昭和47年に策定された「警察庁指定被疑者特別手配要綱」に基づき,警察庁が特別手配の指定をした被疑者をいう。同被疑者に対しては,全国警察を挙げた強力な組織捜査が行われる。
 a 科学捜査体制の強化
 有毒物質の使用にみられるように,科学技術の進歩・普及により,事件の捜査を行うに当たり,高度な専門知識・技能が必要となった。そこで,次のような科学捜査体制の強化が図られた。
 (a) 特殊事件捜査室の新設
 有毒物質使用事件を始めとする特殊事件の捜査に関する指導体制を強化するため,警察庁刑事局捜査第一課に特殊事件捜査室を設置した。
 (b) 科学警察研究所の組織改正
 サリン,VX等の毒性物質を使用した新たな態様の犯罪に的確に対処するとともに,近年の犯罪の巧妙化,公判における審理の精緻化等に対処するため,法科学第一部から化学部門を独立させ,新たに法科学第三部を設置し,さらに,同部に化学第四研究室を新設して,これらの毒性物質に対する鑑定法等の研究・開発を進めることとした。
 (c) 装備資機材の整備
 サリン等が犯罪に使用された現場で,捜査員の身体を防護するための生化学防護服,特殊型防護マスク等を整備するとともに,有毒物質の判定,採取等に必要なガス検知器,ガス捕集器等を整備した。また,有毒物質等を精密に分析するため,ガスクロマトグラフ質量分析装置,高速液体クロマトグラフ等を整備した。
 b 警察法等関係法令の整備
 (a) 警察法の一部改正
 8年6月には,都道府県警察がオウム真理教関連事件のような広域組織犯罪等に迅速かつ的確に対処することができるようにするための法律上の手当てとして,警察法の一部改正が行われ,同月,公布・施行された。
 その要点は,次のとおりである。
○ 都道府県警察は,全国の広範な区域において個人の生命,身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し,又は害するおそれのある広域組織犯罪その他の事案を処理するため,必要な限度において,その管轄区域外に権限を及ぼすことができるようにした。
○ 警察庁長官は,都道府県警察に対し,合同捜査を実施するための関係都道府県警察間の役割分担を定めるなど広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢に関する事項について,必要な指示をすることができることとし,都道府県警察は,必要があるときは,他の都道府県警察に対し人員の派遣を要求したり,その管轄区域外において捜査等を行うなどの措置をとらなければならないこととした。
 この改正により,都道府県警察は,広域組織犯罪等を処理するため,その固有の判断と責任の下に管轄区域外においてその権限を行使することができるようになり,また,警察庁長官が都道府県警察の役割分担等について指示を行うことにより,広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢を迅速かつ的確に整えることが可能となった。
 (b) サリン等による人身被害の防止に関する法律の制定
 サリン等による被害を防止し,公共の安全の確保を図るため,サリン等の製造,所持等を禁止するとともに,これを発散させる行為についての罰則及びその発散による被害が発生した場合の措置等を定めたサリン等による人身被害の防止に関する法律が7年4月に公布・施行された。
 (エ) 暴力団対策法の制定と暴力団総合対策の推進
 民事介入暴力や社会運動等標ぼうゴロ,総会屋等による企業対象暴力の多発にみられる暴力団犯罪の多様化,巧妙化,60年に発生したいわゆる山一抗争における銃器発砲事件の頻発等の情勢に対処するため,61年に警察庁において「暴力団総合対策要綱」が策定された。これにより,暴力団の取締りと暴力団排除活動を連動させ,警察の総合力を発揮した暴力団対策を推進することとされた。
 また,暴力団の海外進出が活発化していることから,暴力団の海外における活動に対処するため,その実態を掌握するとともに,海外の捜査機関と緊密な連携を図ることが不可欠であると考えられ,62年5月,警察庁に暴力団海外情報センターを設置し,暴力団の海外における活動に関する情報の収集,分析のための体制を整備するとともに,特に暴力団の進出が顕著である米国及びフィリピン等の東南アジア諸国との連携の強化に努めることとした。
 さらに,民事介入暴力,対立抗争等の暴力団の不当な行為によって市民生活が脅かされることを防止し,国民の自由と権利を保護するため,対立抗争時の事務所使用制限命令や,従来の刑罰法令には触れない類型の暴力的要求行為等に対する中止命令等の行政的措置を行うことを可能とする暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(以下「暴力団対策法」という。)が制定され,平成4年3月1日から施行された。暴力団対策法により,従来の刑罰法令による暴力団取締りのほかに,行政的手法を用いて暴力団員による不当な行為をより広範囲に規制することが可能となった。暴力団対策法の効果的な運用は,暴力団員による資金獲得活動を困難にさせるとともに,対立抗争の発生・拡大を抑止するなど,大きな成果が認められるところであり,暴力団対策の重要な柱の一つとなっている。


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