第1節 50年の歩み

1 昭和20年代

(1) 終戦直後の社会的混乱と経済的窮乏の中、犯罪が急増し、昭和23、24年には刑法犯の認知件数は、ほぼ160万件に達した。ヤミ行為も横行し、物資や価格の統制法令違反が多発した。なかでも、食糧管理法違反の検挙件数は、23年には約42万件に達した(10年後の33年には約7,900件に減少)。このような中で少年による窃盗等も増加し、26年には、少年非行は戦後第1番目のピークを記録した。また、大量の覚せい剤「ヒロポン」が市中に流出し、敗戦で荒廃した社会に急激に広まり、29年ころ、いわゆる「第一次覚せい剤乱用期」となった。
(2) 昭和23年、新警察制度が発足し、同時に110番通報制度が導入された。25年には、警察活動に機動力を導入するために、パトカーが配備された。
 また、この時期、各種営業関係法令が整備された。料理店、キャバレー等に対する取締りについては、23年、売春や賭博といった風俗犯罪の予防の観点から新たに風俗営業取締法が制定された。古物営業と質屋営業については、盗品の流通阻止とその発見を容易にするために、24年に古物営業法、25年に質屋営業法が制定された。
 さらに、全国の警察署に少年警察担当者を置くなど、少年警察の組織の確立と強化が図られた。26年には、それまで規制されていなかった覚せい剤の所持、使用等を原則として禁止する覚せい剤取締法が制定され、警察は覚せい剤事犯の取締りを強化した。
 一方、戦後の社会的混乱は、民間の自主的な防犯意識を芽生えさせ、23年ころから全国の各地域で防犯協会の結成がみられた。

2 昭和30、40年代

(1) 30年代に入ると、日本経済は戦後の復興をほぼ終え、高度成長の時代を迎えた。しかし、急速な経済成長は社会にその歪(ゆが)みをもたらし、公害問題や、都市化の進展とそれに伴う享楽的風潮の高まりによる風俗環境の悪化等を招来した。このような情勢の中で、少年非行も凶悪犯、粗暴犯を中心に増加を示し、39年ころ、第2のピークを迎えた。
(2) 警察では、公害問題に対しては、昭和45年の第64回臨時国会(いわゆる公害国会)において、公害関係法令が整備されたことなどに伴い、有害物質の排出事犯等公害事犯の取締りを強化してきた。
 風俗環境の悪化に対しては、34年、風俗営業取締法が改正されて、少年非行のたまり場となっていた深夜喫茶店等が規制の対象に加えられ、名称も風俗営業等取締法と改められた。その後も、逐次改正が行われ、いわゆるソープランド、モーテル営業等も規制の対象とされた。
 また、少年非行の増加に対しては、37年には地域のボランティアを少年警察協助員(現在の少年補導員)に委嘱するなどして、街頭補導や有害環境浄化活動を強化した。
 高度経済成長の中で企業の合理化と人手不足を背景に他人の需要に応じて行う警備業が急速に発達してきたが、警備業者の増加に伴ってガードマンの業務上の不適正事案が続発したことなどから、その適正化の要望を受けて、47年に警備業法が制定された。

3 昭和50、60年代

(1) 50年代に入ると、巨大な消費社会が築かれるとともに、消費者金融、訪問販売、クレジットカードを利用した販売等消費生活のための新たな仕組みが普及、発展してきた。その一方で、サラ金や訪問販売等が絡む消費者トラブルが多発した。また、国民の投機意欲が高まり、それに乗じた無限連鎖講(ネズミ講)、マルチ商法(第5節3(1)ア(イ)注2参照)、豊田商事事件に代表される現物まがい商法のような悪質商法等多様な経済事犯が頻発した。
 また、経済的に豊かな社会が実現した反面、社会の連帯意識の希薄化、核家族化、価値観の多様化の進行、ゲームセンターやアダルトショップ等の増加といった有害環境の拡大等を背景に少年非行の低年齢化と一般化が進行し、58年ころ、少年非行は量的にも戦後最悪の第3のピークに達した。
 さらに、暴力団の対立抗争事件が激化する中で、銃器使用事案が激増するとともに、覚せい剤事犯についても、国内での密造はほぼ途絶したものの、暴力団の資金源獲得を目的とした密輸、密売が横行したことから、再び覚せい剤乱用が急増し、59年ころ、「第二次覚せい剤乱用期」と呼ばれる時代が到来した。
(2) ネズミ講、サラ金、悪質商法等に絡む消費者トラブルに対応するため、無限連鎖講の防止に関する法律をはじめ、貸金業規制法と改正出資法(いわゆるサラ金二法)の成立等、消費者保護のための法整備が進められた。警察は、これら経済関係法令違反の取締りを強化するとともに、消費者啓発活動、消費者からの相談体制の整備、消費生活センター等の関係機関との連携強化等、経済事犯への総合的な対応を図った。
 少年非行の増加に対しては、総合的な対策を推進するため、昭和51年、警察庁保安部に少年課を設置した。また、59年、風俗営業等取締法が改正されて、善良の風俗及び清浄な風俗環境の保持並びに少年の健全育成がその目的として明確化され、ゲームセンター、アダルトショップ等が新たに規制の対象とされるとともに、風俗営業は業務の適正化を通じてその健全化を図るべき営業であることが明確化され、法律の名称も風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下「風営適正化法」という。)と改められた。
 さらに、暴力団の銃器事犯が増加したため、52年には銃砲刀剣類所持等取締法(以下「銃刀法」という。)が改正され、けん銃等の密輸入、密造及び不法所持に関する罰則が強化された。また、覚せい剤事犯については、覚せい剤の乱用者による「深川通り魔事件」(56年)等が発生し、覚せい剤問題が社会問題化したことから、63年に警察庁では薬物対策課を設置するとともに、政府を挙げて、取締り、広報啓発の強化等を内容とする総合的な対策が推進された。

4 平成元年から現在

(1) 近年における都市化の進展は、住民の連帯感を希薄化させ、高齢化の進展等とあいまって、これまで地域社会がはぐくんできた自主防犯機能や相互扶助機能の弱体化を進行させてきた。
 こうした中、少年非行は、少年自身の規範意識の希薄化等により、凶悪化、粗暴化が進展し、少年への覚せい剤等の薬物汚染や女子少年の性の逸脱行為の拡大といった問題が深刻化して、平成5年からは戦後第4の上昇局面に転じるとともに、経済的には一見何の問題もないと思われる「普通の家の子」による「いきなり」型の非行が目立つなどの質的変化がみられる。
 また、社会、経済の急速な国際化の中で、けん銃や薬物の問題でも国際化が進行している。けん銃が大量に密輸入され、一般人がけん銃使用事件の犠牲者となるなどのけん銃を使用した凶悪な事件が多発している。覚せい剤事犯についても、新たに中国で大規模な密造が行われているとみられ、大量の覚せい剤が密輸入されるとともに、イラン人等来日外国人による街頭での無差別密売が行われるなど、覚せい剤乱用のすそ野が広がり、9年ころから、「第三次覚せい剤乱用期」という深刻な事態に陥っている。
 さらに、情報化社会の急速な進展は、ハイテク犯罪と称される新たな形態の犯罪を生み出し、その検挙件数は激増している。
(2) 地域住民と警察が一体となって地域の安全を守る活動を推進するため、警察は、交番、駐在所を地域コミュニティにおける「生活安全センター」として機能強化し、平成5年から、地域住民、自治体が警察と連携して生活に危険を及ぼす犯罪等の未然防止に取り組む安全で住みよい地域社会の実現を図る地域安全活動を強力に推進することとした。
 深刻化する少年非行情勢に対しては、9年から「強くやさしい」少年警察運営を基本方針として、不良行為少年やその家族に対する支援活動の充実を目的とした「少年サポートセンター」を設置し、また、少年の薬物乱用についても、学校との連携や家庭、地域に対する広報啓発活動を強化するなど、総合的な非行防止対策を推進している。
 国際化による銃器・薬物問題の深刻化に対しては、数次の銃刀法改正によりけん銃の譲渡、譲受、発射等も犯罪とされたほか、3年には国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(以下「麻薬特例法」という。)が制定されて、不法収益の没収等が可能となった。警察は、6年に銃器対策課を警察庁に設置するとともに、政府の「銃器対策推進本部」及び「薬物乱用対策推進本部」の下で、関係省庁との連携を緊密化して、銃器・薬物事犯の徹底した取締りを推進している。
 さらに、警察庁では、国民生活の安全確保に関する施策を総合的に推進していくため、6年、保安部を生活安全局に組織改正した。
 また、10年には、インターネット等を利用して客にポルノ映像等を見せる営業等を新たに規制の対象とすることなどを内容とする風営適正化法の改正が行われた。ハイテク犯罪に対しては、不正アクセス対策法制の整備、各種ハイテク犯罪を予防するための産業界との連携の強化、風俗・経済事犯に係るハイテク犯罪の取締りのために必要な体制の整備等に取り組んでいる。

図2-1 主要刑法犯少年の検挙人員及び人口比の推移(昭和24~平成10年)

図2-2 覚せい剤事犯検挙人員の推移(昭和25~平成10年)


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