第5節 新しい組織犯罪への対応

1 オウム真理教関連事件における反省教訓

 地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム真理教関連事件は、複雑化する社会情勢の中で生じてきた閉鎖的な集団による組織犯罪であり、善良な市民を多数殺傷するなどの残虐かつ卑劣な凶悪犯罪であった。
 警察では、組織の総力を挙げてこれらの事件の捜査に取り組み、教団代表以下信者多数を逮捕するなどにより、多くの重要事件を検挙解決してきたところであるが、その過程においては、これらの事件が、
○ 高度な科学技術を悪用した犯罪であったこと
○ 閉鎖的な集団による計画的な犯罪で、組織的に証拠隠滅が図られたこと
○ 全国規模の広範な区域にまたがる犯罪であったこと
などの理由により、多くの困難に直面した。その中には、今後の組織犯罪対策を考える上での反省教訓とすべきものも多い。
 現在もなお、7人の警察庁指定特別手配被疑者が検挙に至っておらず、また、行方不明の教団信者も存在することなどから、警察では、一連の事件の全容解明のため、引き続き全国的な捜査を推進しているところであるが、事件の真相がある程度解明されつつある現時点において、これまでに得られた主な反省教訓事項を取り上げるとすれば、おおむね次のように言うことができる。
(1) 高度な科学技術についての知識不足
 松本サリン事件においては、世界で初めて犯罪の手段として有毒ガス「サリン」が使用された。警察では、化学兵器に用いられるサリンが犯罪の手段として使用されることを想定していなかったことから、サリン、VXその他犯行に用いられた有毒物質の性質、毒性、製造方法、原材料等に関する知識が不足していた。
 松本サリン事件の発生直後、警察は、その持てる知識力、技術力を駆使して、原因物質の特定、原因物質の製造方法、原因物質の製造に必要な薬品類の購入者の割り出しを急ぐとともに、死体の司法解剖、死亡者の居宅の検証等を行ったが、サリンについての知識や情報の不足は、捜査を著しく困難なものとした。また、この過程においては、事件の第一通報者の居宅及びその直近が被害発生現場であり、犯行に密接な関係のある場所と思われたことから、裁判官の発した令状に基づき、これらの場所について、被疑者不詳として捜索差押え及び検証を実施したほか、第一通報者から事情を聴取した。このこと自体については適正な捜査であったと考えられるが、その過程において第一通報者に多大な心労と迷惑をかけることとなったため、警察では、申し訳なく思う旨の意思表明を行った。
 松本サリン事件の発生から数日後、長野県衛生公害研究所、長野県警察科学捜査研究所、警察庁科学警察研究所における検査、鑑定の結果、原因物質はサリンである可能性が極めて高いと判断されたことから、それ以後、サリンの製造方法、サリンの製造に必要な薬品類の販売経路の解明に重点を置いた捜査を行った。
 サリンの製造方法の解明については、多くの専門家の協力を得たが、実際にサリンを製造したことのある専門家はほとんどおらず、さらに、理論的には何通りもの製造方法があることが判明するなど、捜査は複雑を極めた。また、サリンの製造に必要な薬品類についても、サリンの製造に直接結びつくものからサリンの製造に至るまでには何段階もの工程を経る必要がある物質まで様々であったことから、販売経路の解明についても、地道な捜査が要求された。
 このように、史上初めてサリンが犯罪の手段として使用されたことから、その捜査に当たり、警察に戸惑いがあったことは否めない。
 仮にサリン等の有毒物質に関する知識が十分にあったとしても、松本サリン事件が即座に解決したとは断言できないが、少なくとも、事件発生直後から捜査を一層効率的に推進し得たのではないかと思われる。
(2) 特殊な閉鎖的犯罪組織についての情報不足
 教団による一連のテロ行為は、過去に暴力主義的破壊活動を行ったことがなく、かつ、過去に暴力主義的破壊活動を行った団体と全くつながりを持たない特殊な犯罪組織によるテロ行為であった。
 従来警察が情報収集・分析の対象としていたものは、過去に暴力主義的破壊活動を行ったことのある団体や暴力団が中心であり、前記のような特殊な犯罪組織に関する情報収集・分析体制は、必ずしも十分とはいえなかった。
 坂本弁護士事件についても、坂本弁護士の居宅に教団のバッジ(プルシャ)が残されていたことなどから、教団の関与を視野に入れつつ捜査を行ってきたが、教団の閉鎖性が強かったため内部情報がほとんど得られず、かつ、組織的な証拠隠滅活動がなされたため、結果として捜査に相当の時間を要することとなった。
 現在は、若年層を中心とした意識構造の変化、価値観の多様化等に伴い、過去にテロ行為を行ったことのある団体と全く異なる新しい団体がテロ行為を引き起こす危険性が高まっている。今後このような団体についても、十分な体制をとって情報収集・分析を行っていく必要がある。
(3) 都道府県警察の管轄区域外の権限についての制限
 松本サリン事件等の捜査が進むにつれ、教団やその関係会社が大量のサリン原材料を購入している事実が判明するなど、一連の事案はこれまでに例をみないような大規模かつ複雑なものである疑いが強まっていた。その捜査が特に進展をみることとなる契機となったのが、公証役場事務長逮捕・監禁致死事件の発生であるが、同事件の発生により、平成7年3月22日、警視庁を中心とする約2500人の捜査態勢をもって教団施設に対する一斉捜索が行われ、これがその後の捜査の突破口となったからである。
 しかしながら、これらの捜査の経緯については、公証役場事務長逮捕・監禁致死事件や地下鉄サリン事件の発生をみる前に、十分な捜査体制を持つ警視庁が上九一色村等の教団施設に対する捜査を行い得なかったのかとの指摘が国会等で行われた。
 この種の大規模かつ複雑な事案を処理するための警察の体制を整備する観点からは、これらの指摘にもあるとおり、警視庁をはじめとする全国の都道府県警察が迅速に管轄区域外に権限を及ぼし得ることとする必要があるが、都道府県警察の管轄区域外における権限について定めた警察法の規定(当時)によれば、都道府県警察が管轄区域外に権限を及ぼすためには、管轄区域内の公安の維持等に関連することを明確に認定することが必要であり、公証役場事務長逮捕・監禁致死事件の発生に至る前に警視庁がその管轄区域外にある教団施設に対する捜査を行うことは困難であった。また、この種の事案を処理するために全国の都道府県警察が全体としてどのような態勢をとるべきか(関与させる都道府県警察の範囲をどのようにするか、各都道府県警察の任務分担をどのようにするかなど)を判断することは、個々の都道府県警察では困難であり、国が一定のイニシャティブをとる必要性が認められた。

2 今後の新しい組織犯罪への対応

 以上に述べたような反省教訓事項を踏まえ、警察庁では、オウム真理教関連事件のような新たな態様の組織犯罪に的確に対応するため、科学捜査体制、情報の収集・分析体制等の強化を図るための警察庁の組織等の整備や、警察法等関係法令の整備を行うとともに、こうした犯罪が再び発生しないように防犯体制を強化している。また、組織犯罪に的確に対応するための法制度等の対策の在り方について、諸外国の例を参考にするとともに、我が国の実情を踏まえつつ、検討を行うこととしている。
(1) 科学捜査体制等の強化
 地下鉄サリン事件等、人体に有毒な物質を使用して不特定多数の市民を無差別に殺傷した事件等の続発は、社会全体に極めて重大な不安と脅威を与えた。このような事件については、その確実な検挙により、模倣犯の発生を抑制することはもちろん、的確な内偵を行うことにより予備的事案の把握に努め、被害を未然に防止することが必要である。
 また、近年の科学技術の進歩・普及により、大規模な業務上過失被疑事件等の特殊事件全体について、その捜査を行う上でより高度な専門的知識、技能を必要とするに至っている。
 そこで、警察庁では、凶悪化・大規模化・複雑化する特殊事件に的確に対処するため、次のような科学捜査体制の強化等を図ることとしている。
ア 特殊事件捜査室の新設
 有毒物質使用事件をはじめとする特殊事件の捜査に関する指導体制の強化を図るため、警察庁刑事局捜査第一課に特殊事件捜査室を設置した。
イ 科学警察研究所の組織改正
 サリン、VX等の毒性物質を使用した新たな態様の犯罪に的確に対処すると同時に、近年の犯罪の巧妙化、公判における鑑定の審理の精緻(ち)化等に対処するため、法科学第一部から化学部門を独立させ、新たに法科学第三部を設置し、さらに、同部に化学第四研究室を新設して、これらの毒性物質に対する鑑定法等の研究・開発を進めることとした。
ウ 地方警察官の増員
 特殊事件に的確に対処するためには、捜査能力、鑑識能力、科学的知識を兼ね備えた捜査員を確保して科学捜査体制を確立することが不可欠であることから、平成8年度において所要の地方警察官の増員が行われた。
エ 専門的知識・技能を有する捜査官の確保
 科学捜査に必要な専門的知識・技能を有する捜査官を育成するため、警察庁、管区警察局、都道府県警察において科学捜査に必要な化学、物理学等の教育を推進している。また、警察庁においては、全国の都道府県警察から化学知識を有し、かつ、犯罪の捜査に精通した捜査官の推薦を受け、「化学事故事件専門捜査員」として登録し、全国運用を図っている。
オ 装備資機材の拡充
(ア) 身体の防護に必要な装備資機材  サリン等が犯罪に使用された現場においても、迅速かつ的確な警察活動を行うことができるよう、身体を防護するための生化学防護服、呼吸器・目等を防護するための特殊型防護マスク等を整備した。
(イ) サリン等の採取等に必要な鑑識資機材
 事件発生現場において即時に有毒物質の種別を判定することができるガス検知器、ガスを収集するためのガス補集器、現場に遺留された化学物質等を搬送する際に必要な容器であるデシケーター等を整備した。
(ウ) 高度な分析・鑑定に必要な装備資機材
 現場で収集された有毒物質等を精密に分析するため、ガスクロマトグラフ質量分析装置、高速液体クロマトグラフ等の装備資機材を整備した。
カ 電磁的記録の解析体制の強化
 情報化社会の進展に伴い、コンピュータ・ネットワークが犯罪の用にも供される事例が多発しているが、教団内部においても、高度の情報システムが導入され、重要な電磁的記録は暗号化等の処理がされていた。押収した光磁気ディスク、フロッピー・ディスク等に保存されていた犯罪にかかわる電磁的記録も高度の暗号化等の処理が施されていたため、その解析作業は困難を極める中推進された。
 このような最近における実情にかんがみ、警察庁では、情報通信部門において、警察通信施設や電子計算組織の運用を通じて得られたノウハウをいかしつつ、犯罪の捜査等を支援するための電磁的記録の解析体制の強化を図ることとしている。
(2) 情報収集体制等の強化
 警察庁では、特殊組織犯罪対策室を新設し、情報収集・分析体制を強化するとともに、また、警察大学校の附置機関として警察政策研究センターを新設し、変化の著しい社会現象や個人・集団の意識、行動様式等について、治安の面から総合的な分析を行うこととしている。
ア 特殊組織犯罪対策室の新設
 教団による組織的違法事案の再発防止を図るため、教団関係指名手配被疑者の早期発見、検挙に努めるとともに、教団の動向の把握に取り組んでいくことが求められている。また、地下鉄サリン事件等にみられるような無差別テロをはじめ一連の組織的違法事案が教団により引き起こされたことにかんがみ、今後、平素から、過去のテロ行為との関連性の有無にかかわらず、将来テロ行為を行うなど公共の安全を害するおそれのある集団を早期に発見し、把握するための情報収集・分析を行うとともに、犯罪の捜査等の必要な措置を的確に講じていくことが必要である。
 そこで、こうした特殊組織犯罪対策を的確に推進するため、警察庁警備局公安第一課に特殊組織犯罪対策室を設置した。
イ 警察政策研究センターによる分析力の強化
 オウム真理教という新たな犯罪組織の出現等最近の治安情勢の変化には著しいものがあるが、警察は、このような従来予期し得なかった治安情勢の激変にも的確に対応していかなければならない。そのためには、変化の著しい社会事象や個人及び集団の意識、行動様式等を総合的に分析し、将来生じ得る治安かく乱要因とその対策等を研究した上で、今後の警察行政の在り方を決定していく必要がある。
 このような研究課題に取り組むため、いわば警察のシンクタンクとして、平成8年度に警察大学校の附置機関として警察政策研究センターを新設した。
(3) 指揮・連携体制の強化
 警察庁では、警察法の一部改正により、広域組織犯罪等に的確に対処するための体制の整備を図るとともに、特殊犯罪の捜査に関する指導を徹底するために長官官房審議官を設置した。
ア 警察法の一部改正
 平成8年6月には、都道府県警察がオウム真理教事件のような広域組織犯罪等に迅速かつ的確に対処することができるようにするための法律上の手当てとして、警察法の一部改正が行われ、同月5日に公布施行された。
 その要点は、次のとおりである。
・ 都道府県警察は、全国の広範な区域において個人の生命、身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し、又は害するおそれのある広域組織犯罪その他の事案を処理するため、必要な限度において、その管轄区域外に権限を及ぼすことができるようにした。
・ 国家公安委員会の権限に属する事務(警察庁が国家公安委員会の管理の下につかさどる事務)に、広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢に関することを加えた。
・ 警察庁長官は、都道府県警察に対し、合同捜査を実施するための関係都道府県警察間の役割分担を定めるなど広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢に関する事項について、必要な指示をすることができることとし、都道府県警察は、必要があるときは、他の都道府県警察に対し人員の派遣を要求したり、その管轄区域外において捜査等を行うなどの措置をとらなければならないこととした。
 この改正により、都道府県警察は、広域組織犯罪等を処理するため、その固有の判断と責任の下に管轄区域外においてその権限を行使することができるようになり、また、警察庁長官が都道府県警察の役割分担等について指示を行うことにより、広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢を迅速かつ的確に整備することが可能となった。
イ 長官官房審議官の新設
 有毒物質を使用した犯罪をはじめとする特殊犯罪の捜査は、オウム真理教関連事件がそうであったように、特に高度な専門的知識・技術が求められ、相当の困難を伴う。
 そこで、警察庁においては、科学捜査を実践するための捜査手法や装備資機材の研究・開発等、科学捜査に関する各種施策を企画、推進するとともに、特殊犯罪が発生した場合における都道府県警察に対する指導体制を強化するため、長官官房に特殊犯罪を担当する審議官を新設した。
(4) 社会的な防犯体制の強化
ア 地域住民等との連携
 新しい組織犯罪についても、地域の中でその芽を早期に発見することによって、未然に防止することが可能である。そのためには、パトロール等の警察活動の強化のみならず、地域住民と警察との連携を強化し、地域ぐるみの防犯体制を強化することが不可欠である。
 地域における「生活安全センター」である交番、駐在所においては、地域住民との良好な信頼関係の下、家庭や事業所等を直接訪問する巡回連絡の実施、交番・駐在所連絡協議会の開催、ファックス・ネットワークの構築等を通じて、事件情報の交換、犯罪や事故に関する不安の訴えの受理、困りごとの相談等を行っている(第2章第1節参照)。
 また、警察では、防犯協会等のボランティアと連携して、地域住民による地域安全活動の推進に資する地域安全情報を提供するとともに、住民からの要望等を把握し、その要望等を反映した警察活動を行うようにしている。
 今後、社会的な防犯体制を強化していくために、このような地域住民との協力を一層緊密にしていくことが必要である。
 また、警察では、サリン等の有毒物質が発散された場合に大きな被害が予想される駅、デパート、劇場、競技場等の不特定多数の人が集まる施設に対して、自主的な点検パトロールの実施や防犯カメラの設置等の安全対策を行うように働き掛けるとともに、効果的な防犯カメラの設置方法等についての必要な助言を行うこととしている。
 また、有毒物質の原料となり得る薬品や、火薬等の危険物を取り扱う業者に対して、これらの危険物が盗まれて犯罪に利用されないように、必要な指導を行うこととしている。
イ 自動車運転免許証のICカード化
 運転免許証については、浮き出し模様(エンボスマーク)、表面のラミネート加工、顔写真についての熱転写(サーマルプリント)方式等により、種々の偽造・変造防止対策を施してきたところであるが、教団による運転免許証の偽造事件に代表されるように、最近の電子・科学技術を応用した新たな手口による偽造・変造事件が発生している。こうした偽造・変造事件は、組織的、計画的に敢行され、また、模倣性の強い犯罪であるところから、今後も同種手口による事件が発生する蓋然性は極めて高いといえる。
 近年、情報記録機能とセキュリティー機能を有するICカードの技術開発の進展は著しく、今後、各分野で広く実用化が進むと考えられるが、精巧な偽造技術に対抗するためには、このような電子技術を応用したICカードを運転免許証に導入することを検討する必要がある。そこで、警察業務の合理化・効率化の観点も踏まえながら、平成7年から、警察庁において「運転免許証のICカード化」について調査研究を開始し、委託先である「運転免許証のコンタクトレスICカード化に関する調査研究委員会」から有益な提言を受けた。
(5) サリン等の原料物質の管理
 教団が三塩化リン等の原料物質を大量に購入し、それをもとにサリンを製造し、凶悪犯罪を引き起こしたことにかんがみ、警察庁では、新たに制定されたサリン等による人身被害の防止に関する法律等を厳正に運用するとともに、サリン等の原料物質を管理するメーカー等にそれらの適正管理を要請することとしている。
ア 法令の整備及び厳正な運用
(ア) サリン等による人身被害の防止に関する法律
 サリンは、人に対する殺傷能力が極めて高く、著しい危険性を有する物質であるが、化学兵器として用いられるなど人を殺傷すること以外にはほとんどその用途がないにもかかわらずその発散、製造、所持等や、製造を目的とした原料物質の所持等を、人の生命及び身体の被害を防止する観点から有効に取り締まる法規がこれまで存在しなかった。
 そこで、サリン等(サリン及びサリン以上の又はサリンに準ずる強い毒性を有する物質)の製造、所持等を禁止するとともに、これを発散させる行為についての罰則及びその発散による被害が発生した場合の措置等を定め、もってサリン等による人の生命及び身体の被害の防止並びに公共の安全の確保を図ることを目的として、平成7年4月19日、サリン等による人身被害の防止に関する法律(以下「サリン法」という。)が制定され、同月21日に公布施行された。
 また、サリン法では、サリンのほかにも、サリン以上の又はサリンに準じる強い毒性を有する物質であれば、犯罪に係る社会状況等を勘案しながら政令で定めることにより同法の規定による規制等にかからしめることができることとされており、オウム真理教関連事件の捜査が進展していく過程で、教団がサリンと同様に強い毒性を有するVX、ソマン、イぺリット等の製造を行っていた事実が判明するなど、サリン法の規制対象物質を定める必要性が明らかになったことから、「サリン等による人身被害の防止に関する法律の規定による規制等に係る物質を定める政令」が制定され、7年8月21日に施行された。
(イ) 化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律
 化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律は、7年4月5日公布され、一部の規定を除き、7年5月5日から施行された。同法は、我が国が化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約を批准するために、化学兵器の製造、所持、譲渡し及び譲受けを禁止するとともに、サリン等の特定物質の製造、使用を規制するなどの国内法の整備を行う必要があったことから制定されたものである。
 同法により、許可製造者等は、特定物質を運搬するに当たって、その旨を都道府県公安委員会に届け出て運搬証明書の交付を受け、運搬中はこれを携帯し、かつ、これに記載された内容に従って運搬しなければならないこととされている。
 同法は、サリンその他の有毒物質による犯罪の防止にも効果があるものと考えられることから、警察では、特定物質の運搬中の盗取等を防止するため、運搬の日時、経路、運搬手段等について指示するなど特定物質の運搬時における安全確保に努めるとともに、関係機関、団体と連絡をとりながら、厳正な運用を行っている。
(ウ) (生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約の実施に関する法律
 細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約の実施に関する法律は、兵器としての生物剤及び毒素の使用の絶無を期することを目的とした細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約を批准するために昭和57年に制定されたものである。同法は、生物剤又は毒素の開発、生産、貯蔵、取得又は保有を防疫目的等の平和的目的の場合に限定することを基本原則とし、生物兵器又は毒素兵器の製造、所持、譲渡し及び譲受けを禁止するとともに、平和的目的以外の目的をもってする生物剤又は毒素の開発等を防止するため、これらを取り扱う業者に対して報告徴収を行うことができることとしている。
 平成7年12月には、同法に係る事務の効果的な実施と関係省庁相互間の連携を円滑にするため、内閣に内閣官房及び11省庁(警察庁、防衛庁、科学技術庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、農林水産省、通商産業省、運輸省、自治省)から成る生物兵器禁止条約実施法関係省庁連絡会議が設置された。
 オウム真理教関連事件の捜査の過程で、教団がボツリヌス菌、炭疽菌の培養のための研究をしていた状況が認められたことを踏まえ、警察では、関係機関と密接な連携を取りながら、生物剤及び毒素に関する資料収集、情報交換等を図り、同法の運用を厳正に行っている。
イ メーカー等に対する要請
 警察庁では、サリン、青酸等の有毒物質が犯罪の手段として用いられたことにかんがみ、人の生命及び身体の被害の防止を確保する観点から、サリン等の原料物質を管理している関係団体等に対し、これら原料物質の適正管理を要請することとしている。
(6) 国際協力の推進
 平成7年は、年初から世界の各地域で重大テロ事件が頻発していたところに、地下鉄サリン事件やオクラホマ連邦政府ビル爆破事件という新たな態様の大規模・無差別テロ事件が相次いで発生したことから、各国政府は、深刻化するテロ情勢に関して強い危機意識を持つこととなった。(なお、諸外国のテロの状況については第4節1参照)
 そこで、6月のハリファックス・サミットでは、参加各国の首脳の間で、テロ対策の分野における国際間の協力措置を強化することなどが合意され、これを受けて、12月、カナダで「サミット・テロ対策閣僚級会合」が開催された。同会合に政府代表として出席した国家公安委員会委員長は、席上、オウム真理教関連事件の捜査状況や政府による諸対策等について報告を行うとともに、核兵器、生物兵器・化学兵器が軍隊のみならずテロ組織の手に渡る危険性を指摘し、これら大量破壊兵器を使用したテロに関して各国間の情報交換を強化すること、その具体的措置としてBC(生物・化学)テロ対策に関する専門家会合を開催することなどを提言した。また、同会合で採択された「テロ対策に関するオタワ閣僚宣言」では、「あらゆる形態のテロリズムと闘うため国際社会と共に行動することを一致して決意する。」として参加各国の政治的決意が確認されたほか、我が国の提言を受けて、BCテロ対策のための国際間協力の強化等が盛り込まれた。
 また、教団は、我が国のみならず、諸外国においても公然、非公然の活動を行っていた(第1節5参照)ことから、警察では、教団の海外での活動実態を解明するため、ロシア、アメリカ合衆国、オーストラリア等、教団が進出した国々の関係機関との間で情報交換を行い、また、捜査員を派遣するなどの措置を講じてきた。
 さらに、地下鉄サリン事件の発生後、多くの国々により、教団の国内外での活動について強い関心と懸念が表明され、教団や同事件に関する情報提供の依頼が数多く我が国に寄せられたことに対し、警察では、各国の危機意識にこたえるとともに、我が国の経験を国際間で共有することによって各国のテロ対策に貢献するべきであるとの観点から、積極的な対応を行ってきた。
 このように、警察では、多国間の国際会合への取組みあるいは二国間の情報交換等を通じて、オウム真理教関連事件から得られた経験を、様々な形で国際社会が共有できるよう努めている。また、今後も、「テロ対策に関するオタワ閣僚宣言」で示された指針を踏まえて、テロ対策に関する国際協力をより一層推進していくこととしている。
(7) 組織犯罪対策法制についての調査研究
 以上のように、現在、警察では、様々な角度から組織犯罪対策に取り組んでいるところであるが、教団がテロ集団化し、おびただしい人身被害と著しい社会不安を惹起した経緯を踏まえるとき、犯罪組織の実態を把握し、これらの犯罪を防圧し検挙するための効果的な法制度の在り方について調査研究を行う必要がある。
 第4節でみたとおり、諸外国においては、組織犯罪に対処するために様々な法制度の整備を図っているが、これらの中には、犯罪組織の人的・財政的基盤に打撃を与えるための不正収益の剥(はく)奪や犯罪組織の結成・参加の制限、一定の事項についての挙証責任の転換のほか、組織犯罪の捜査等に対する国民の協力を確保するための高額報奨金制度等、上記の観点から我が国の法制度の在り方を考える上で参考となるものも多い。警察庁では、オウム真理教関連事件の発生を契機に、我が国の実情を踏まえながら、このような新たな態様のものを含む組織犯罪に有効に対処することができる法制度の在り方について調査研究を進めることとしている。


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