第1節 オウム真理教の誕生からテロ集団化に至るまで

1 オウム真理教の誕生

 教団は、昭和59年2月、麻原彰晃こと松本智津夫(以下「教団代表」という。)が発足させた「オウム神仙の会」を母体とする宗教団体であり、その後、62年7月、名称を「オウム真理教」に変更した。教団は、平成元年3月、東京都に対し、宗教法人の規則の認証申請書を提出したが、東京都が正式受理を留保したため、多数の信者を動員して東京都庁や文化庁に抗議に押しかけ、さらには、元年6月に東京都を相手取り、宗教法人の規則の認証申請に対する決定をしないことにつき不作為の違法確認訴訟を東京地方裁判所に提起した。その後、教団は、東京都から宗教法人の規則の認証を受け、元年8月29日に宗教法人「オウム真理教」の設立登記を行った。

2 教団の概要

 教団は、昭和62年ころから積極的な布教活動によって全国各地に活動拠点を設けはじめ、平成7年3月現在、主要拠点である山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九一色村」という。)にある「サティアン」と称する大規模な活動拠点兼教団構成員の居住施設群のほか、国内に20数箇所の本部及び支部を、国外にも4箇国に支部を設けていた。当時、教団の信者は約1万人(在家信者を含む。)であったとみられている。
 教団は、従来から、建設部、法務部、真理科学技術研究所等の名称で教団内部の組織編成を行っていたが、6年6月ころから、教団代表は、自らを「神聖法皇」と称し、自らを組織の頂点とする国の行政機関に模した省庁制を導入し、「科学技術省」、「建設省」、「自治省」、「厚生省」(6年12月上旬「第1厚生省」と「第2厚生省」に分けられた。)、「大蔵省」、「治療省」、「諜報省」等合計約20の省庁を設置し、一種の疑似国家の体裁を取るに至った。
 また、教団の教義は、様々な既成宗教のそれを部分的に取り入れ、独自の解釈を加えた特異なものであるが、その説法の一つである「ヴァジラヤーナの教え」は、教団によると、悪業を積み、寿命が尽きるころには地獄に落ちるほどの悪業を積んで死んでしまうと思われる人の命を絶つことは、殺された人、殺した人、ともに利益を得たと見るとするもので、殺人さえも善業となる場合があるとする反社会的、犯罪的なものである。
 さらに、教団代表は、信者らに対し、いわゆるハルマゲドン(最終戦争)の到来を予言するとともに、これを防ぎ、人類を救済するためには教団において今世紀末までに3万人の解脱者が必要である旨の説法を行ったが、ここでいう救済もまた、目的達成のためには手段を選ばないという暴力主義的性格の濃いものであった。
 教団は出家制度を採用しており、信者は、出家するに当たり、その所有するすべての財産を教団に寄附することを義務付けられており、この制度が教団の財政基盤を支えている。
 出家信者は、「教団のすべての戒律を守り、解脱及び救済活動に全精力を注ぎ、シヴァ大神及び尊師麻原に生涯にわたって心身及び自己の全財産をゆだね、現世における一切のかかわりを断つ」こととされている。また、上九一色村の教団施設等に居住し、修行及び所属する部署における「ワーク」と呼ばれる教団の上位者から指示された作業に従事する。
 また、出家信者は、教団代表が、その出家信者のめい想体験、修行及び「ワーク」の達成度等に基づき認定する「正大師、正悟師、師長(菩長・愛長)、師長補(菩長補・愛長補)、師(菩師・愛師)、師補、サマナ、サマナ見習」等の「ステージ」(教団における階層)によって区分され、教団内においては、「グル」又は「尊師」と敬称されていた教団代表はもとより、他の上位のステージにある信者からの指示は絶対とされている。ステージによる区別は、教団内で着用する衣服(サマナ服)の色及び材質等並びに出家生活における待遇面にも及んでいる。

3 教団のテロ集団化

 教団は、平成2年2月施行の第39回衆議院議員総選挙に際し、政治団体「真理党」を結成して教団代表及び多数の教団信者が立候補したが、

全員落選した。
 また、教団の基盤作りの一環として進出した熊本県阿蘇郡波野村(以下「波野村」という。)の教団施設をめぐり、地元住民による反対運動等が展開され、2年10月には、国土利用計画法違反等により強制捜査を受け、教団信者が逮捕された。
 教団はこれらを国家権力等による弾圧であるととらえ、その目的を実現するためには、教団に敵対する者を含め、一般人に対する無差別大量殺人の実現と国家権力を攻撃し打倒することが必要であるとして、小銃、有毒ガス等の量産を決意し、上九一色村等にそれらを大量製造するための大規模な施設を設けて、研究・開発及び製造を開始した。また、東京を中心にサリン等を散布する準備としてヘリコプターを購入するなど、大規模な武装化を進めた。
 このように教団がテロ化を押し進めることを可能とした要因としては、
○ 教団が社会秩序の破壊のため武装化を図るなど政治的傾向を有する団体であったこと
○ 殺人さえも善業となる教義に基づいた活動をしていたこと
○ 絶対的な権威を有する教団代表を頂点とした格付けを行い、徹底的な上意下達の組織体制をとっていたこと
○ 現世における一切のかかわりを断つという徹底した閉鎖性を有していたこと
○ 出家制度の採用により確固たる人的・財政的基盤を有していたことなどが挙げられる。

4 海外における活動

 教団は、国内の勢力拡大を図るとともに、海外においても、ロシア、アメリカ合衆国、ドイツ及びスリ・ランカに支部を開設したほか、オーストラリア及び台湾に関連会社を設立し、拠点作りを行っていた。
 特に、ロシアについては、平成3年末ごろから教団の進出がはじまり、少なくとも5箇所の拠点を開設し、一説には3万人以上とも言われるほどに急激な信者獲得を行うなど活発な活動を展開した。こうした活動の裏で、教団は、ロシアからの武器、薬物等の調達及びロシアへの射撃訓練ツアーを計画するなど、ロシアを基盤とした教団の「武装化」を企図していたとみられている。他方、ロシア当局も、このような同教団の活動に対する警戒を強め、7年4月18日には、教団に対する活動禁止を決定し、7月21日には、モスクワ支部幹部の身柄を拘束して(その後モスクワからの外出禁止を条件に保釈)捜査を継続中である。
 また、オーストラリアでは、教団は、関連会社「マハーポーシャ・オーストラリア」を設立し、同会社名義で農場を購入の上、大量の薬品類を持ち込み、化学物質を製造し、それらを使って羊に対する毒性の実験を行っていたとされている。
 このほか、教団は、スリ・ランカでは紅茶園を経営し、台湾では関連会社「マハーポーシャ・台湾」を設立し貿易を行うなど、ビジネスを通じた資金獲得活動を行っていたとみられる。


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