第1節 暴力団の実態

 暴力団は、規模、活動地域等をそれぞれ異にするが、対外的にはその組織の威力を背景に又は威力を利用して、市民生活や経済取引に介入し、違法又は不当に資金獲得活動を行い、対内的には強い組織統制を行うなどいくつかの共通した独特の特徴がみられる。

1 暴力団の組織原理

(1) 組織の威力の存在
 世論調査によれば、国民の多くは、暴力団員を、「虚勢を張っている」(57.2%)、「あくどいことばかりしている」(45.2%)とみている。
 現に、暴力団員は、殺人、恐喝等の犯罪を繰り返すとともに、多数の武器を保有し対立抗争等において使用している。そういった事実は、そ

れを報道等を介して知った国民に対し、暴力団が「何をするか分からない恐ろしい団体である」という意識を形成させる素材となっている。その結果、暴力団がなくならない原因として49.1%の者が「被害に遭っても、暴力団の仕返しが怖いために警察に届けをしない人が多いから」を挙げている。
ア 個々の暴力団員の高い犯罪性
 暴力団勢力(注1)の検挙人員は、過去4年間は毎年3万人台で推移している。服役中の暴力団勢力は、昭和50年末現在では7,931人、全受刑者に占める割合は21.0%であったものが、平成4年末現在では1万691人、全受刑者数に占める割合は28.7%となっている。なお、4年は、新受刑者2万864人中に占める暴力団受刑者は、4,566人となっている(注2)。
(注1) 暴力団勢力とは、暴力団の構成員及び準構成員(構成員ではないが、暴力団と関係を持ちながら、その組織の威力を背景として暴力的不法行為等を行う者、又は暴力団に資金や武器を供給するなどして、その組織の維持、運営に協力若しくは関与する者)をいう。
(注2) 法務省資料による。
 また、暴力団員はその検挙回数が著しく多く(被疑者調査対象者の検挙回数について図1-2)、このことは、暴力団が犯罪を繰り返し行っている者の多く所属する集団であることを示している。

図1-2 暴力団員の過去の検挙回数の状況

 犯罪の罪種についても、殺人、強盗、強姦(かん)等の凶悪犯罪をはじめとして、恐喝、傷害、覚せい剤事犯等多種多様であり、高い犯罪性を示している。
〔事例1〕 昭和62年2月、二代目太州会の暴力団員2人(24、22)は、飲酒の上、車で深夜はいかい中、後方から進行して来た他車を橋上において停車させ、同車に乗車していた初対面の男性に対し、前照灯がまぶしいと因縁をつけた上で、同人の顔面や腹部を殴打するなどの暴行を加えた後、約5メートル下の川に投げ込み、溺(でき)死させた。同月逮捕(福岡)
〔事例2〕 平成3年7月、山口組の暴力団員4人は、資産家の自宅に押し入り、家人を脅迫、現金を強取した。その後、車で暴力団事務所にら致した上、両人を殺害し、遺体を作業所の焼却炉において焼却後、遺骨を港に投棄した。4年9月逮捕(兵庫)
イ 集団の形成による犯罪の助長
 4年中に覚せい剤の営利譲渡事犯で検挙された者の75.2%が暴力団勢力であるなど、覚せい剤の密売等の組織的な犯罪の多くは、暴力団勢力によって敢行されている。
 また、暴力団は、組織として、その活動の拠点である事務所を構え、自己を表示する標章としての代紋を有し、自らの権益の対象範囲として縄張を主張しており、これらにより、人々に組織の存在と組織の威力を明確に認識させている。その結果、個々の暴力団員が組織の威力を利用して恐喝等の資金獲得活動を行うことが可能となっている。
 このように、暴力団の存在は、個々の暴力団員の犯罪性を一層助長するものであり、犯罪の発生に与える影響は極めて大きいということができる。
ウ けん銃等の武器の保有の常態化
 真正けん銃の不法所持で検挙された者の大半が暴力団勢力(4年は全体の83.3%)であり、暴力団により隠匿されたけん銃等の武器が多数押収されていることから、暴力団の武器の所持が常態化していることがうかがわれる。暴力団の対立抗争事件の際にけん銃等の武器が使用され、一般市民が巻き添えになる事件も発生している。
〔事例〕 2年6月28日、福岡市内において山口組の傘下組織の暴力団員がけん銃で射殺されたことを発端として山口組対波谷組の対立抗争が発生し、翌日、大阪府において、波谷組の暴力団員が居住していた一般住宅へ転居して間のない市民が、波谷組の暴力団員と間違われてけん銃で射殺された(大阪)。
(2) 組織構造と内部統制
ア 組織構造
 暴力団内部においては、盃事(さかずきごと)といわれる儀式により、首領と構成員とは親子に擬せられ、先輩の暴力団員とは兄弟に擬せられ、さらに、異なる団体の首領同士が兄弟に擬せられるなど、擬制的な血縁関係によってそれぞれが結び付けられている。
 また、暴力団は、それぞれの暴力団ごとにその名称の違いはあるものの、多くの場合「組長」(「会長」)の統制の下に、「若頭」、「理事長」、「本部長」、「副会長」、「理事」、「幹事」等の上位者とその他の構成員という地位の上下によって、階層的に構成されている。
イ 内部統制
 組長等上位の地位にある構成員は、下位の地位にある構成員を意のままに支配している。
(ア) 組長等の命令の拘束力
 暴力団員にとって、組長等上位の地位にある者の命令は絶対的であり、俗に、組長等が「カラスは白い」と言えば構成員も「カラスは白い」と言わなければならないともいわれるほどの、上命下服の意識が定着している。被疑者調査において、首領からの命令、指示に対してどの程度服従するか聞いたところ、「絶対に従う」と答えた者が56.7%を占め(図1-3)、また、子分が親分の言うことを聞く主な理由としては、「親分の命令は絶対的なもの」又は「言うことを聞くのが決まり」を挙げる者が最も多く、組織内部においては組長等の命令の拘束力が非常に強いことがうかがわれる(表1-1)。

図1-3 首領からの命令、指示に対して服従する程度

表1-1 子分が親分の言うことを聞く主な理由

(イ) 組員の義務
暴力団は、その構成員に対し様々な義務を課している。その内容は、暴力団により異なるが、抗争への参加、事務所の当番等である。被疑者調査において、対立抗争が起きたらどうするか聞いたところ、「体を張って戦う覚悟がある」と答えた者が63.3%を占め(表1-2)、暴力団員の所属する組への忠誠心や帰属意識が高いことがうかがわれる。組との連絡方法等についてどのような義務付けがあるかを聞いたところ表1-3

表1-2 組が対立抗争に巻き込まれたときの対応

表1-3 義務付けられている組との連絡方法等(複数回答)

のとおりで、「ポケベルの携帯」、「事務所での当番制」等が高い割合を占めている。
 また、暴力団は、内部秩序を保つために種々の禁止事項を設けており、その主なものとしては、「上位者に反抗したり迷惑を掛けたりすることの禁止」、「仲間を売ること、密告、裏切りの禁止」、「内部抗争、仲間内のけんかの禁止」等が挙げられ、組織の結束の維持が重視されている。
(ウ) 統制違反に対する制裁
 組長等上位の地位にある構成員の命令に従わず、又は暴力団組織内部における禁止事項に違反した者に対しては、破門、絶縁(注)等による組織からの排除措置がとられたり、リンチ等の暴力的制裁等が科されたりする。中でも組織から離脱しようとする者に対しては、特に厳しい暴力的制裁が科される。破門、絶縁処分がとられた場合は、他の暴力団あてに絶縁状、破門状等の回状が発送されている。

(注) 「絶縁」とは、暴力団から永久追放する処分であり、「破門」とは、暴力団から追放する処分であるが後に復帰の可能性を残すものである。いずれも暴力団社会にあっては最も重大な制裁の一つである。
〔事例1〕 平成4年2月、沖縄旭琉会の傘下組織の幹部(42)は、配下の組員が以前から自己の指示、命令に従わないことに不満をもっていたため、「けじめをつけろ」と告げ、自ら同人の左手小指第1関節に包丁をあてがい、石で包丁のみねをたたいて切断し、傷害を負わせた。4月逮捕(沖縄)
〔事例2〕 4年3月、三代目旭琉会の傘下組織の組長(42)ら3人は、組織を脱退しようとした少年組員に対し、こもごも「他の組員に示しがつかない。指を詰めて持って来い」などと告げ、共同して脅迫した。9月逮捕(沖縄)

〔事例3〕 2年9月、二代目道仁会の暴力団員(22)は、無断脱退した元暴力団員を捜し出し、車の中に監禁して福岡県内の山中まで連れて行き、同所においてタイヤレンチで数十回殴打するなどの暴行を加えて殺害した上、死体に重しを付けて佐賀県内の北山ダム内に死体を遺棄した。同月逮捕(福岡)
〔事例4〕 2年12月、三代目太州会の暴力団員(42)は、事務所当番に当てられていた暴力団員が時間に遅れただけでなく、自らに反抗したことを理由として、その者を登山ナイフで刺し殺した。同月逮捕(福岡)
(エ) 暴力団員への報奨
 暴力団は、義務を果たしている構成員に対しては、検挙されたときに差し入れ、弁護士の世話等の面倒を見ることが多い。被疑者調査において、今回検挙後、所属する組織が面倒を見てくれるのかどうか聞いたところ、差し入れについては59.9%、弁護士の世話については48.4%の者が面倒を見てくれると答えている。
 さらに、暴力団組織に特に貢献した構成員に対しては、暴力団組織内においてその功労が賞揚される。例えば、他の暴力団との対立抗争の際に、組長等上位の地位にある構成員の命令に従って対立する暴力団を襲撃した者、警察に検挙されても暴力団組織の関与を否定した者等は、刑務所から出所した時に暴力団内部での地位の昇格と相応の報酬を与えられる。被疑者調査において、現在の地位に就くことができた理由を聞いたところ、「義理固さや社交性」、「長年組にいて先輩株になった」のほか、「身体を張って組に尽くした」を挙げる者が多い(表1-4)。

表1-4 現在の地位に就くことができた理由

(3) 資金獲得活動
 暴力団は、それが表向きに掲げる目的が何であれ、所属する暴力団員が生計を立て、又は組長がよりぜいたくな生活をするため、組織の威力を利用して、主に次のような資金獲得活動を行っている。
ア 組織の威力を背景とした資金獲得犯罪
 暴力団員は、組織の威力を背景として、他者の介入を妨げ、取締り機関への通報を困難にするなどにより、組織的に覚せい剤の密売(第2節1(3)イ〔事例〕参照)や賭博(とばく)を行うなどの犯罪を敢行している。
〔事例〕 平成4年2月、山口組の傘下組織の組長(44)は、姫路市内において、賭博(とばく)場を開設し、他の山口組の傘下組織の組長(43)ら賭(と)客10数人を集めて、俗にいう「サイ本引き」賭博(とばく)をさせ、客から寺銭を徴収していた。9月逮捕(兵庫)
イ 組織の威力を利用して行う資金獲得活動
 暴力団員は、自らの所属する暴力団の威力を利用して、暴力団の名称を告げ、又は暴力団の肩書入りの名刺を交付するなどの方法により資金獲得活動を行っている。これらの行為は、その対象や手口等に応じ民事介入暴力(注1)、企業対象暴力(注2)等と呼ばれる。また、その内容は、飲食店等に対するみかじめ料、カスリ、ショバ代、用心棒料、守り料(注3)等の様々な名目での金銭の不当な要求や、物品(おつまみ、芳香剤等)の購入、絵画、おしぼり等のリースの強要、交通事故等の示談交渉に介入して行う不当な金銭の要求、企業に対する雑誌等の購入の強要、事業資金名目の融資の強要等である。
(注1) 民事介入暴力とは、暴力団又はその周辺にある者が、企業の倒産整理、交通事故の示談、債権取立て、地上げ等民事取引を仮装しつつ、一般市民の日常生活や経済取引に介入し、暴力団の威力を利用して不当な利益を得るものをいう。暴力団は、民事問題の紛争において、法的な救済又は解決のシステムが十分に機能していなかったり、システムを利用する際に時間や費用を要することに付け込み、民事上の権利者の一方の当事者や関係者の形を取って介入し、関与するなどして資金の獲得を図っている。
(注2) 企業対象暴力とは、暴力団、総会屋等(総会屋、新聞ゴロ、会社ゴロ等)、社会運動等標ぼうゴロ(社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ等)が、株主権の行使に名を借りたり、社会運動や政治活動を仮装、標ぼうするなどして合法的な行為を装いつつ、企業活動に介入し、暴力団の威力を利用して不当な利益を得るものをいう。
(注3) 「みかじめ料」、「カスリ」、「ショバ代」とは、暴力団員が、縄張内で営業を営む者に対して、その営業を営むことを容認する対償として要求する金品等をいうものである。具体的には、「この辺りは、うちのシマなんだ。ここで店を出すなら、うちの組にあいさつをしてもらわないと困る。あいさつ料として月○万円を出せ」などという場合が多い。
 「用心棒料」、「守り料」とは、暴力団員が、縄張内で営業を営む者に対して、顧客とのトラブルの解決又は鎮圧を行う役務の対価と称して要求する金品等をいうものである。具体的には、「飲み屋をやっていればおかしな客も来るだろう。何かあったらうちに連絡してくれ」、「ごたごたがあったらうちが解決してやる。警察は、事件でなければ来てくれないぞ」などという場合が多い。
 歓楽街調査によると、13.5%の店が暴力団員からお金や取引の要求を受けたと答えている。国内企業調査によると、42.1%の会社が暴力団、社会運動等標ぼうゴロ等から金品の要求、契約の締結の強要等を受けたことがあるとし、その相手方について聞いたところ(複数回答)、暴力団が25.8%、フロント企業(参照)が12.3%、社会運動等標ぼうゴロが80.5%、総会屋が36.0%となっている。それぞれの調査において、暴力団から要求等を受けた店又は会社を対象に、相手が暴力団員であると認識した理由について聞いたところ表1-5のとおりで、暴力団員は、自ら名乗ることのほか、名刺、特有の言動等により暴力団員であることを相手に認識させていることが分かる。また、国内企業調査において、暴力団から要求等を受けたことのある会社に要求の態様を聞いたところ、「金額その他具体的な内容を明示してきた」とするものが31.6%であるのに対し、「具体的な内容はほのめかした」とするものが40.2%を占め、暴力団員が金品等を要求するに当たっては犯罪にならないような手段を用いていることがうかがわれる。
 暴力団から要求等を受けた店又は会社を対象にその内容について聞い

表1-5 暴力団員と認識した理由(複数回答)

たところ(複数回答)、歓楽街調査においては、「物品販売、リース代」(73.3%)、「みかじめ料、カスリ、用心棒料等」(34.7%)の順であり、国内企業調査においては、「機関紙(誌)購入の強要」(44.5%)、「寄付金、賛助金名下の金品の要求」(36.3%)、「物品購入の強要」(29.7%)、「クレーム及び示談名下の金品の要求」(27.3%)、「機関紙(誌)への広告掲載の強要」(18.0%)、「融資の要求」(9.0%)の順である。
 なお、それぞれの調査において、暴力団からの要求に応じたことがあるかどうか聞いたところ、歓楽街調査においては188店が、国内企業調査においては41社が「ある」としている。国内企業調査において、暴力団に渡した金額を聞いたところ、10万円未満が41社中25社を占めるが、1,000万円以上1億円以下、1億円以上もそれぞれ1社ある。
〔事例1〕 元年12月、山口組の暴力団員(32)は、パチンコ店経営者に対し、山口組の代紋と肩書入りの名刺を示した上、「月々10万円で付き合いをしてくれ。付き合いをしてくれなかった(別の)店の前で入って来る客をにらんでいたら、客がその店に来なくなり、向こうから付き合いをさせてくれと言ってきた。お宅もそうなりたくないのなら、付き合いをした方がいいのじゃないのか」などと申し向けて脅迫し、現金10万円を喝取した。2年7月逮捕(島根)
〔事例2〕 稲川会の暴力団員(26)は、通行中のトラックに自己の車を故意に接触させて交通事故を起こし、その示談交渉の際、稲川会の名刺を示し、「すみません、すみませんでは分からない。自分の意思で払わないなら会社の人を呼んでたたく」などと申し向けて脅迫し、現金120万円を喝取した。2年6月逮捕(福島)
〔事例3〕 住吉会の傘下組織の暴力団員(37)は、4年10月上旬ごろ、家屋建設現場において、「ここら辺は住吉の縄張なんだ。どういうことか分かるだろう。いくらでもいいんだ。近くの人はみんな協力している。近くの現場に行って聞いてみろ」などと告げて、みかじめ料を要求した。11月中止命令(警視庁)
〔事例4〕 山口組の傘下組織の暴力団員(45)は、4年9月初旬ごろ、建設会社の役員に対し、「今日は、菱(山口組の代紋)の人間として話をするんやないんやで。わしとこの会員になってくれや。賛助会員の会費は、1箇月1万円から3万円や」と告げるなど、執ように自己が顧問となっている「X政経文化調査会」と称する団体への賛助会費名目で金品の贈与を要求した。10月中止命令(大阪)
ウ 暴力団フロント企業
 近年、表向きには暴力団と無関係であることを装った暴力団フロント企業(注)を巧みに活用して経済活動に不当に介入し、巨額の利益を挙げるなど、暴力団がその実態を隠し、表向き企業活動を装いながら表の経済システムに進出する傾向が進んでいる。
 このような、暴力団フロント企業の活動の活発化は、バブル経済の時期を通じて顕著なものとなり、暴力団対策法の成立、施行に伴う暴力団の実態の隠ぺいの動きによりこれが一層助長されたものである。
(注) 暴力団フロント企業とは、暴力団が設立し、現にその経営に関与している企業又は暴力団準構成員等暴力団と親交のある者が経営する企業で、暴力団に資金提供を行うなど、暴力団組織の維持、運営に積極的に協力し、若しくは関与するものをいう。
〔事例〕 有限会社を経営する山口組の傘下組織の組長(43)は、知事の許可を受けないで、3年11月ごろから4年6月ごろまでの間、他の業者から委託された産業廃棄物を処分料金を徴収して埋立地に投棄するなどして、無許可で産業廃棄物の処分業を行い、500万円を超える収益を得ていた。7月検挙(愛媛)
(4) 暴力団内部における資金の流れ
 暴力団の犯罪や民事介入暴力等によって得られた資金は、暴力団の組織の上層へ集まる仕組みになっている。それには、次の二とおりの類型がある。
 一つは、暴力団員のうち一定以上の地位にある者が定期的あるいは臨時に一定額をより上位にある者に納めるという類型で、通常この金を上納金という。上納金は普通1箇月ごとに納められ、暴力団組織内部における地位に応じ、高い地位にある者ほど高額の上納金を支払うこととしている暴力団が多い。ある大規模暴力団の上納金の流れは図1-4のとおりで、一般に大規模暴力団においては毎月数億円に上る現金が組長等上位の地位にある構成員の下に集められているものとみられる。また、被疑者調査において、上納金を高いと思うか、上納金を納める理由は何かについて聞いたところ図1-5、表1-6のとおりで、それぞれ「当

図1-4 ある大規模暴力団の1箇月の上納金の流れ

然の額だと思う」(45.4%)、「納めるのが決まり」(68.6%)という回答が最も多く、上納金を支払うことは暴力団内部においては当然のことと考えられている傾向がうかがわれる。

図1-5 上納金は高いと思うか(上納金を払っている者828人を対象)

 もう一つは、下位の者が資金獲得活動を行うが、それによって得られる利益は上位の者の所得となり、下位の者は妻や愛人又は組長等に生活の面倒を見てもらったり、仕事をしたりして

表1-6 上納金を納める理由(上納金を納めている828人を対象、複数回答)

生活するという類型である。被疑者調査において、上納金を納めていないと答えた者は42.5%いるが、そのうちの69.1%の者が組織の首領でも幹部でもない暴力団員であり(注)、51.0%の者が妻、組長等に生活の面倒を見てもらっていると答えている。これらの者の多くは、このような、言わば上位者の資金獲得行為の道具として使用される立場にあると考えられる。
(注) 被疑者調査において、自分の組織内の地位について聞いたところ、首領が5.4%、幹部が44.5%、組員が48.1%、無回答が2.0%となっている。
 このように上位者に集まった金は、暴力団内部の維持、運営に要する資金あるいは組長等上位の地位にある暴力団員自らの生活費や遊興費、他の暴力団の祝事、弔事等の際に支払われる祝儀金、香典等として使われることになる。このように暴力団内部において下から上へ資金が流れる仕組みが形成された結果、組長等上位の地位にある構成員は、自ら検挙される危険を冒してまで資金獲得のための犯罪を敢行する必要がなくなったことから、これらの者の検挙が困難になっている。大規模暴力団の組長等は、一等地に豪邸を構え、また、高級外車を保有するなど、一般市民からは不自然と思われるようなぜいたくな生活を送っているが、これは、この仕組みに負うところが大きいのである。

2 暴力団員の実態

(1) 暴力団への加入
 被疑者調査において最初に暴力団に加入した年齢について聞いた結果は図1-6のとおりで、24歳までに加入した者が全体の64.7%を占めており、また、同調査において暴力団に加入した動機を聞いた結果は表1-7のとおりで、暴力団にあこがれて加入した者の割合が高く、若年者が暴力団を格好良いものと思い込んで暴力団に加入する場合が多いことがうかがわれる。

図1-6 最初に暴力団に加入した時の年齢

 また、少年の暴走族等のグループと暴力団との間に関係がある例がみられる。
 暴力団に関係のある非行集団又は暴力団に加入している刑法犯少年の包括罪種別補導状況は図1-7のとおりで、粗暴犯、凶悪犯の割合が高いことが目立っている(第5章1(1)イ参照)。
〔事例〕 稲川会の傘下組織の暴力団員3人は、暴走族構成員に対してステッカーを売り付け資金源とするとともに、暴走族の活動について指示を与えていた。4年8月、2人を道路交通法違反で逮捕(福島)

表1-7 暴力団へ最初に加入した動機(2項目回答)

図1-7 暴力団に関係のある非行集団又は暴力団に加入している刑法犯少年の包括罪種別補導状況(平成4年)

(2) 暴力団員の生活状況
 被疑者調査において、就業状況、収入、納税の有無、人生観等について聞いた結果は、次のとおりであった。
ア 暴力団員の職業、収入
 就業状況を聞いたところ図1-8のとおりで、仕事をしていない者が48.3%を占め、仕事をしている者716人にその内容を聞いたところ、建設業(26.0%)、不動産業(14.1%)、露店(11.7%)、金融業(10.6%)の順となっている。また、非合法収入源としてどのようなものがあるか聞いたところ、債権取立て(28.1%)、みかじめ料の取立て(13.1%)、覚せい剤の密売(9.8%)、賭博(とばく)(8.8%)の順となっている。合法収入、非合法収入を合わせた最近1箇月の収入を聞いた結果は、図1-9のとおりである。
 人に生活の面倒を見てもらっているかどうか聞いたところ、42.9%の

図1-8 暴力団員の就業状況

図1-9 暴力団員の1箇月間の収入

者が「面倒を見てもらっている」と答え、その者に面倒を見てくれる人は誰か聞いたところ(複数回答)、妻・愛人(40.3%)、親分(29.6%)、兄貴分(23.0%)、親(14.1%)の順となっている。
イ 国民年金等への加入状況、納税状況
 国民年金等への加入状況、納税状況は、図1-10のとおりである。

図1-10 年金加入、納税等の状況

ウ 暴力団員の人生観、生活目標
 人生観について聞いたところ図1-11のとおりで、「人生は金次第だ」、「人前で恥をかかされたら仕返しする」、「外車、ブランド品を身に付けるのはカッコいい」、「頼りにする人の言うことには絶対に従う」などが自分の気持ちに合っていると考える者が多い。このことは、非合法手段によって利益を得ることを目的としたり、報復や上位者への忠誠を重視したりする暴力団員の性格をよく表している。
 また、生活目標について聞いたところ表1-8のとおりで、「金をため

図1-11 暴力団員の人生観

表1-8 暴力団員の生活目標

たり、将来事業を経営したりする」と答えた者が32.9%を占めている。

3 指定暴力団の実態

 暴力団対策法に基づき指定暴力団として指定されている暴力団は、平成5年3月末現在、次の18団体である(表1-9)。
(1) 五代目山口組
 五代目山口組は、兵庫県神戸市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は1都1道2府38県に及び、約2万3,100人(指定時)の構成員を擁する我が国最大の暴力団である(図1-12)。
 五代目山口組は、大正4年、山口春吉が沖仲仕を集めて神戸市内を本

図1-12 山口組勢力が全暴力団勢力に占める都道府県別構成比(平成5年1月)

表1-9 指定暴力団の指定の状況(平成5年3月)

拠として結成した「山口組」にその起源を有し、春吉の実子の山口登(二代目)、田岡一雄(三代目)と代を経ながらその組織を拡大してきた。とりわけ、田岡組長の下、昭和30年代から40年代にかけて、山口組の傘下組織は争って各地に進出し、地元暴力団との間で「明友会事件」(35年)、「松山事件」(39年)等数々の対立抗争事件を引き起こしながら全国各地に勢力を拡大していった。
 59年、竹中正久が四代目山口組の組長となったが、これを不服とする者が大量に脱退し、長期にわたる対立抗争が繰り広げられ、この過程で竹中組長は、60年1月に射殺された。この抗争が収拾をみた平成元年4月、四代目山口組若頭の地位にあった渡邉芳則が五代目組長を襲名し、その後も、他の暴力団の勢力範囲に積極的に進出して勢力の拡大に努め、その過程で他の暴力団との間で多くの対立抗争事件を引き起こしつつ現在に至っている。
〔事例〕 平成元年11月、山口組の傘下組織が、山形市内に進出し、その勢力の拡大を企てたことから、同市内を勢力範囲とする極東関口一家が、これに対抗して、この傘下組織の暴力団員を射殺したが、この事件を契機に、山口組は、その後組織を挙げて東京、山形、青森、岐阜各都県下において、極東関口一家事務所等へのけん銃発砲、ダンプカーによる突入等計12回に及ぶ一方的な攻撃を行った(青森、山形、警視庁、岐阜)。
(2) 稲川会
 稲川会は、東京都港区に主たる事務所を置き、その勢力範囲は1都1道22県に及び、約7,400人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 稲川会は、昭和24年ごろ、博徒の鶴岡政次郎の配下であった稲川角二が静岡県熱海市を本拠として結成した「稲川組」にその起源を有し、その後、各地に進出して勢力範囲の拡大を図るとともに、名称を鶴政会、錦政会と順次改称し、47年「稲川会」と改称した。
 60年9月、稲川角二が最高位である総裁となり、石井進が二代目会長になった。さらに、平成2年6月、稲川角二の実子の稲川土肥が三代目会長となり、現在に至っている。
 稲川会も、他の暴力団との間で多くの対立抗争事件を引き起こしている。
〔事例〕 平成2年6月、青森県弘前市内の勢力範囲争いから発生した極東関口一家との間の対立抗争で、稲川会は、組織を挙げて青森県内の極東関口一家の傘下組織事務所へのけん銃発砲等計5回に及ぶ一方的な攻撃を行った(青森)。
(3) 住吉会
 住吉会は、東京都港区に主たる事務所を置き、その勢力範囲は1都1道1府15県に及び、約8,000人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 住吉会は、大正7年ごろ、横浜において沖仲仕をしていた阿部重作が東京都内を本拠として結成した「住吉一家二代目」にその起源を有するが、以後、港会、住吉会、住吉連合、住吉連合会と順次改称し、平成3年2月、「住吉会」と再度改称して、西口茂男が会長となった。
 この間、積極的に勢力拡大を図り、特に西口茂男が会長となった3年2月以降東北進出をもくろみ、地元の他団体とのあつれきを生じさせながらも、宮城県下に勢力を有する盛代盛永会等を吸収して東北地方に勢力を拡大し、現在に至っている。
 住吉会も、他の暴力団との間で多くの対立抗争事件を引き起こしている。
〔事例〕 昭和60年10月、東京都内での縄張争いから発生した国粋会との対立抗争で、国粋会の暴力団員が住吉会の傘下組織の組長宅に向けてけん銃を撃ち込み、さらに、住吉会の傘下組織事務所から出てきた暴力団員にけん銃を発砲したことから、これに対する報復として、住吉会の暴力団員は、国粋会の傘下組織事務所に対してけん銃を撃ち込んだ(警視庁)。
(4) 三代目旭琉会
 三代目旭琉会は、沖縄県那覇市に主たる事務所を置き、沖縄県内を勢力範囲として、約430人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 三代目旭琉会は、昭和27年ごろに台頭した地元の暴力団であるコザ派(後に山原(やんばる)派)と那覇派が、本土復帰を目前に控えた45年12月、本土の広域組織暴力団の沖縄進出を阻止し、自己の縄張を維持して組織を防衛する目的から大同団結して結成された「沖縄連合旭琉会」にその起源を有している。
 沖縄連合旭琉会は、以後、沖縄旭琉会、二代目旭琉会と順次改称し、58年5月、「三代目旭琉会」と改称し、翁長良宏が会長となり、現在に至っている。
 平成2年9月の組織内部のけん銃発砲殺人未遂事件に端を発した三代目旭琉会の内部分裂以降は、脱退分派した沖縄旭琉会との間で合計41件(うち三代目旭琉会18件、沖縄旭琉会23件)のし烈な対立抗争事件(うちけん銃使用32件(うち三代目旭琉会16件、沖縄旭琉会16件))を敢行した。
〔事例〕 平成2年11月、三代目旭琉会の暴力団員は、三代目旭琉会と沖縄旭琉会との間の対立抗争事件鎮圧のため車両で遊撃警戒中の警察官2人をけん銃で殺害し、現場付近を通り掛かった目撃者にもけん銃を発砲し、重傷を負わせた(沖縄)。
(5) 沖縄旭琉会
 沖縄旭琉会は、沖縄県那覇市に主たる事務所を置き、沖縄県内を勢力範囲として、約570人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 沖縄旭琉会は、三代目旭琉会の内紛により同会の9傘下組織が平成2年9月に同会から脱退し、10月、組織名称を「沖縄旭琉会」とし、富永清(分裂前の三代目旭琉会の幹部(理事長))が同会の代表者である会長になったことにより結成され、現在に至っている。
 沖縄旭琉会は、2年9月以降、三代目旭琉会との間で、組織の存亡をかけてし烈な対立抗争事件を敢行した((4)参照)。
〔事例〕 平成2年11月、沖縄旭琉会の暴力団員(25)は、対立抗争中の三代目旭琉会の傘下組織事務所前にオートバイで乗り付け、同事務所で格子の取付作業をしていたアルバイト中の定時制高校生を三代目旭琉会の暴力団員と間違えて、同人に対してけん銃を発砲し、頭部に命中させて殺害した(沖縄)。
(6) 二代目工藤連合草野一家
 二代目工藤連合草野一家は、福岡県北九州市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は福岡県ほか2県に及び、約600人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 二代目工藤連合草野一家は、昭和62年6月、北九州市における二大勢力であった「工藤会」と「草野一家」が、対立関係が解消した機会に合併し、草野一家総長の草野高明が初代総長になって結成された工藤連合草野一家に起源を有する。平成2年12月若頭であった溝下秀男が二代目総長となり、「二代目工藤連合草野一家」と改称し、現在に至っている。
〔事例〕 平成4年10月、二代目工藤連合草野一家の暴力団員らは、通行中の車の運転者から現金を強取しようと企て、路上において自らが運転する車を信号で停車した車の前方に割り込ませて停車させ、いきなりその車の運転者の顔面を殴打して車外に引きずり出し、さらに、足げりするなどの暴行を加えた上、現金、車両等を強奪した(福岡)。
(7) 五代目合田一家
 五代目合田一家は、山口県下関市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は山口県ほか3県に及び、約370人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 五代目合田一家は、昭和23年ごろ、二代目篭寅組の代貸であった合田幸一が下関市を本拠として結成した「合田組」に起源を有するが、43年に「合田一家」と改称し、以後順次代を経て、62年5月に山中大康こと李大康が五代目合田一家総長になった。
 この間、積極的な勢力拡大を図り、特に山口県下の反合田系勢力との対立抗争を繰り返しながら、これらを壊滅し、又は押さえ込み、五代目合田一家となってから、山口県下の反合田勢力であった他団体を吸収して、山口県全域を勢力範囲とするなどその勢力を拡大し、現在に至っている。
〔事例〕 昭和50年7月、合田一家の暴力団員は、下関市内における勢力争いから、同市内において、山口組の傘下組織の組長をけん銃で殺害した(山口)。
(8) 四代目共政会
 四代目共政会は、広島県広島市に主たる事務所を置き、広島県内を勢力範囲として、約330人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 四代目共政会は、昭和39年5月、博徒であった山村組組長の山村辰雄が7団体を糾合して結成した暴力団である「政治結社共政会」に起源を有する。その後二代目会長服部武、三代目会長山田久と代を経た後、平成2年9月、沖本勲が四代目会長となり、現在に至っている。
〔事例〕 暴力団員間の個人的な争いに端を発した一連の内部抗争事件において、昭和63年7月、共政会の暴力団員は、JR新幹線広島駅構内でけん銃を乱射し、流れ弾により一般人を負傷させた(広島)。
(9) 四代目会津小鉄
 四代目会津小鉄は、京都府京都市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は1道2府1県に及び、約1,600人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 四代目会津小鉄は、昭和35年ごろ、終戦後から京都市内に勢力を有していた中島会の二代目となった図越利一が、50年に三代目会津小鉄会とし、代紋も新たにして発足し、61年7月、三代目会津小鉄会総裁代行兼理事長であった高山登久太郎こと姜外秀が会長となり、組織名を四代目会津小鉄会とした。その後、平成元年10月、「四代目会津小鉄」に改称し、現在に至っている。
 四代目会津小鉄も、他の暴力団との間で多くの対立抗争事件を引き起こしている。
〔事例〕 平成4年11月、四代目会津小鉄の暴力団員は、京都市内の路上においてタクシー運転手と交通ルールのことから口論となり、このタクシー運転手に乱暴していたところ、たまたま同所を通行中仲裁に入った者に対しても、顔面等を殴打して傷害を負わせるとともに、所持していたけん銃を取り出し上空に向けて発砲して脅迫した(京都)。
(10) 四代目小桜一家
 四代目小桜一家は、鹿児島県鹿児島市に主たる事務所を置き、鹿児島県内を勢力範囲として、約190人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 四代目小桜一家は、昭和23年、大里清蔵が鹿児島市内を本拠として結成した「小桜組」に起源を有し、片平孝(二代目)を経て、44年、神宮司文夫が三代目組長となり、組織を拡大するとともに、縄張とする鹿児島県内に他の暴力団の侵入を許さず、同一家も他県に進出しないとする独自の方針(小桜モンロー主義)をとり、その勢力を維持している。63年10月に平岡喜榮が四代目総長となり、現在に至っている。
〔事例〕 平成4年1月、四代目小桜一家の暴力団員らは、鹿児島県大島郡内の路上において、第三者から殺害を依頼された者に対し、同人の頭部等を所持していた鉈(なた)で切り付け、殺害した(鹿児島)。
(11) 三代目浅野組
 三代目浅野組は、岡山県笠岡市に主たる事務所を置き、岡山県と広島県を勢力範囲として、約150人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 三代目浅野組は、昭和20年ごろ、大山国男が、現在の岡山県笠岡市を本拠として結成した博徒「大山一家」に起源を有するが、27年4月、大山国男が引退した後、大山一家の幹部であった浅野眞一が、新たに「浅野組」を結成し、代を経て、58年9月、串田芳明が組長となって、現在に至っている。
 この間、山口組、侠道会等との間で対立抗争を繰り返しつつ、岡山、広島両県下にその勢力を維持している。
〔事例〕 昭和62年1月、浅野組の暴力団員が属する暴走族と山口組の暴力団員が属する暴走族の口論に端を発した両暴力団の対立抗争で、山口組の暴力団員が、岡山市内の浅野組の傘下組織事務所を襲撃して2人を文化包丁で殺傷したことの報復として、浅野組の暴力団員は、同年1月から2月にかけて、倉敷市内においてけん銃で山口組の暴力団員2人を殺害し、1人に傷害を負わせた(岡山)。
(12) 二代目道仁会
 二代目道仁会は、福岡県久留米市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は福岡県ほか3県に及び、約510人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 二代目道仁会は、昭和46年2月、古賀磯次が「古賀一家」ほか3団体を合体し結成した「道仁会」に起源を有し、平成4年1月、幹事長であった松尾誠次郎が二代目会長となり、名称を「二代目道仁会」と改称し、現在に至っている。
〔事例〕 昭和61年12月、熊本県人吉市内での山口組との縄張争いから発生した山口組との対立抗争で、道仁会の暴力団員は、山口組の傘下組織事務所において、応対に出た山口組の暴力団員をけん銃で殺害した(熊本)。
(13) 親和会
 親和会は、香川県高松市に主たる事務所を置き、香川県と愛媛県を勢力範囲として、約80人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 親和会は、昭和42年ごろ、その当時解散した二代目北原組の幹部であった細谷國彦が高松市を本拠にして結成した「高松親和会」に起源を有し、その後、46年に「親和会」と改称し、現在に至っている。
〔事例〕 平成2年6月、高松市内において、親和会の暴力団員は、山口組の傘下組織の縄張への進出を図り、山口組の暴力団員が出入りする店に対しみかじめ料の要求をしたが、この件に関し山口組の暴力団員から暴行を受けたことから、その報復として所持していた包丁で同人に傷害を負わせた(香川)。
(14) 双愛会
 双愛会は、千葉県市原市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は千葉県ほか2県に及び、約430人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 双愛会は、昭和20年、横浜を拠点とする博徒の集団である笹田一家の代貸であった高橋寅松が結成した「魚水会」にその起源を有する。同会は、その後「笹田一家高寅組」に改称し、勢力を拡大していたが、30年に「双愛会」として笹田一家から独立し、高橋寅松が会長となり、以後代を経て、平成4年9月、高村明こと申明雨が会長となって、現在に至っている。
〔事例〕 昭和63年10月、双愛会の暴力団員は、横浜市内の飲食店において、同店店長に対しあいさつ料を要求したところ、これを断わられたことから、同人の顔面を殴打するなどして、傷害を負わせた(神奈川)。
(15) 三代目山野会
 三代目山野会は、熊本県熊本市に主たる事務所を置き、熊本県内を勢力範囲として、約100人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 三代目山野会は、昭和29年、山野義治が不良グループと共に熊本市を本拠として結成した「新選組」にその起源を有するが、31年ごろ、「山野会」と改称した。その後、47年2月、蓑田正敏が二代目となり、61年4月、池田鉄雄が三代目となって現在に至っている。
〔事例〕 平成4年12月、三代目山野会の暴力団員は、深夜、けがの治療のため熊本県菊池市内の医院に行ったところ、医院長夫人に診察を断わられたことから、いきなり所持していたナイフで同人を突き刺し殺害した(熊本)。
(16) 石川一家
 石川一家は、佐賀県佐賀市に主たる事務所を置き、佐賀県及び福岡県を勢力範囲として、約100人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 石川一家は、昭和43年6月ごろ、石川清康が実弟石川秀康、石川芳春と共に、佐賀市、大川市方面の不良グループを集め、佐賀市を本拠として結成した「石川組」に起源を有し、51年ごろ、「石川一家」と改称し、現在に至っている。
〔事例〕 昭和57年12月ごろ、石川一家は、浜田会が縄張とする福岡県大川市内への進出を図り、同市内に傘下組織事務所を開設したが、債権取立てのトラブルをきっかけにして、58年9月、石川一家の暴力団員2人が、同市内路上において、車両に乗車中の浜田会の傘下組織の組長に対し、けん銃を発砲し、重傷を負わせた(福岡)。
(17) 二代目侠道会
 二代目侠道会は、広島県尾道市に主たる事務所を置き、その勢力範囲は広島県ほか5県に及び、約230人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 二代目侠道会は、終戦後、高橋徳次郎が広島県尾道市内を本拠として結成した博徒「高橋組」に起源を有し、高橋組が解散後、同組の最高幹部であった森田幸吉が、昭和44年1月、「侠道会」を結成し、平成元年11月、実弟の森田和雄が会長となった。その後、平成2年11月、「二代目侠道会」と改称し、現在に至っている。
〔事例〕 二代目侠道会が関与している暴走族と呉市内に勢力を有する波谷組の傘下組織が関与している暴走族とのけんかに端を発し、平成2年10月、二代目侠道会の暴力団員は、波谷組の傘下組織の暴力団員等を呉市内の二代目侠道会の傘下組織事務所に連れ込んで監禁し、リンチを加えて重傷を負わせた(広島)。
(18) 二代目太州会
 二代目太州会は、福岡県田川市に主たる事務所を置き、福岡県内を勢力範囲として、約150人(指定時)の構成員を擁する暴力団である。
 二代目太州会は、昭和29年ごろ、太田州春が福岡県田川市内の炭鉱で稼働するかたわら、不良グループを集めて結成した「太田グループ」に起源を有し、以後「太田組」等と改称し、さらに48年5月、「太州会」と改称し、平成3年12月、田中義人が会長となって、「二代目太州会」と改称、し、現在に至っている。
〔事例〕 昭和50年6月、太州会の暴力団員は、田川市における勢力争いから対立関係にあった赤心会総長方に侵入し、同総長ほか1人をけん銃で殺害した(福岡)。


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