第7章 公安の維持

1 治安の緊急課題となった国際テロ

(1) 国際テロ情勢
ア 地域別テロ情勢
 国際テロは、爆弾テロ、放火、武装攻撃、誘拐、ハイジャック等凶悪な形態で行われるものが目立ってきているほか、一般民間人を巻き込むテロが多発するなど、無差別化の傾向がますます強まった。
 昭和63年に世界各地域で発生した主な国際テロは、次のとおりである。
○ 中東では、国連パレスチナ休戦監視機構派遣の米将校誘拐事件(2月)、イスラエルにおけるバス乗っ取り事件(3月)等イスラム教徒過激派、パレスチナゲリラ等による西側先進諸国、イスラエル等をターゲットとしたテロが発生した。
○ 西欧では、イタリアの「赤い旅団(BR)」によるキリスト教民主党上院議員暗殺事件(4月)等極左テログループによるテロのほか、北アイルランド及びバスク地方を中心に宗教的、民族的対立を背景としたテロが引き続いて発生し、また、中東テロリストによるとみられるギリシア観光船「シティ・オブ・ポロス」号襲撃事件(7月)、パンアメリカン航空機爆破事件(12月)等が発生した。
○ 中南米では、経済不況、政情不安が続き、ボリビアにおいてはシュルツ米国務長官暗殺未遂事件(8月)が発生した。
○ アジアでは、パキスタンにおいてアフガニスタン工作員によるとみられるテロが多発したほか、インド、スリランカ等においても人種的、宗教的対立等に起因した無差別テロが多発した。また、ハク・パキスタン大統領機墜落事件(8月)もテロリストによる犯行の可能性がある。
イ 我が国に関連した国際テロ
 国際化の進展と我が国の国際的地位の向上を背景に、我が国の権益をターゲットとする国際テロや我が国を巻き込んだ国際テロ等が世界各地で多発する傾向にある。
 63年に発生した我が国関連の国際テロとしては、国外において日本人乗客が人質として巻き込まれたクウェート航空機乗っ取り事件(4月)、サンパウロ州立航空機乗っ取り事件(9月)等のほか、日本人乗客1人が死亡したパンアメリカン航空機爆破事件(12月)も発生している。一方、国内においても、国際テロリストの犯行とみられる「サウジアラビア航空事務所及びイスラエル大使館付近における千代田区内同時爆弾事件」(3月、東京)が発生した。
(2) 再び動き出した日本赤軍
ア 日本赤軍の近年の動向
 日本赤軍は、昭和52年9月、ダッカ事件(注1)を引き起こして以来大きな動きはなかったが、近年再びその動きを活発化させている。61年5月発生のジャカルタ事件(注2)、62年6月発生のローマ事件(注3)は、いずれも日本赤軍メンバーが関与していたことが確認されている。63年に入ってからも、日本赤軍は、ナポリ事件を引き起こすなど、引き続き活発な動きを示した。
(注1) ダッカ事件
 52年9月、インド・ボンベイ上空で、日本赤軍が日本航空機を乗っ取り、我が国で服役又は勾留中であった奥平純三、城崎(しろさき)勉、会社重役夫人殺人事件で服役中のAら6人を釈放させ、現金600万米ドルを奪った。
(注2) ジャカルタ事件
 61年5月14日、インドネシア・ジャカルタで、米国大使館及び日本大使館に対し付近のホテル等から飛翔(しょう)弾が発射され、また、カナダ大使館の入居するビルの駐車場で車両に仕掛けられた爆弾が爆発し、5台の車両が炎上した。飛翔(しょう)弾が発射されたホテルの部屋から、城崎(しろさき)勉の指紋が検出された。
(注3) ローマ事件
 62年6月9日、イタリア・ローマで、英国大使館及び米国大使館に対し付近のホテル等から飛翔(しょう)弾が発射され、また、米国大使館横路上において車両に仕掛けられた爆弾が爆発した。この事件で、イタリア警察当局は、奥平純三と城崎(しろさき)勉を犯人と断定し国際手配した。
〔事例〕 ナポリ事件
 4月14日、イタリア・ナポリで、米軍クラブ前路上において車両に仕掛けられた爆弾が爆発し、5人が死亡、15人が負傷する事件が発生した。この事件で、同国警察当局は、奥平純三と日本赤軍リーダー重信房子を犯人と断定し国際手配した。これに対して日本赤軍は、「イタリア警察は、我が同志がナポリの作戦に参加したというデッチ上げを行った」、「我々はまったく関与していない」との声明を重ねて発したが、爆破されたレンタカーの賃貸借契約書から奥平純三の指紋が検出された。
 他方、62年11月には、国内に潜入したBが逮捕され、63年には、日本赤軍メンバー菊村憂(ゆう)が米国で、Aが潜伏中のフィリピンでそれぞれ逮捕された。これらの逮捕によって、日本赤軍の最近の活発な動きの一端が明らかになった。
〔事例1〕 菊村憂(ゆう)の逮捕
 4月12日、米国・ニュージャージー州で、菊村憂(ゆう)が、車両内に爆発物等を隠し持っていたところを逮捕された。同人は、61年5月、オランダ・スキポール空港においてTNT火薬等の所持により逮捕され、日本に送還されたが、その後出国し行方不明になっていたもので、この間、他人名義の旅券を使用して海外を動き回っていたとみられる。
〔事例2〕 Aの逮捕
 6月7日、フィリピン・マニラ首都圏で、Aが、整形外科病院に立ち寄ったところを同国治安当局によって逮捕された。翌日、警視庁は、日本に強制送還された同人をBの共犯者として逮捕した。同人は、ダッカ事件で釈放され出国した後、日本赤軍に合流していたが、この間、フィリピンに送り込まれ、貿易商に成り済まして長期間潜伏し、Bの他人名義旅券をあっせんするなどフィリピンにおける日本赤軍の活動のための拠点作りをしていたものとみられる。

イ 日本赤軍の国際テロ組織との連携
 日本赤軍は、「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」の支援を受け、テルアビブ・ロッド空港事件(47年5月)をはじめとする数々の国際テロを引き起こすなど、発足当初より今日に至るまでPFLPと緊密な連携を有しているが、近年、国際テロ組織との連携を一段と強めている。
 60年5月には、テルアビブ・ロッド空港事件の犯人である岡本公三が、イスラエルと「パレスチナ解放人民戦線総司令部派(PFLP‐GC)」との捕虜交換により釈放され、日本赤軍に合流したことから、PFLP‐GCとの連携が明らかとなった。さらに、前記のジャカルタ事件、ローマ事件については、「反帝国主義国際旅団(AIIB)」名で、ナポリ事件については、「聖戦旅団機構(OJB)」名で犯行声明が発せられたが、これらの事件には、遺留指紋等から日本赤軍メンバーが関与していたことが確実視されている。なお、AIIB名でなされた他の事件の犯行声明において、「アルメニア解放秘密軍(ASALA)」等のメンバーの釈放要求(61年9月)がなされており、このことは、日本赤軍とこれら国際テロ組織との連携を示すものである。
 また、63年6月、Aを逮捕したが、他の日本赤軍主要メンバーもマニラに潜伏していたことが判明しており、フィリピンに拠点を有する他のテロ組織から支援を受けていた可能性がある。
(3) 総力を挙げたソウルオリンピック安全対策
ア ソウルオリンピックの妨害をねらった北朝鮮
 北朝鮮は、ソウルオリンピックを機に韓国の国際的地位が向上し、南北間の経済格差が更に拡大することが「韓国革命による朝鮮の統一」という基本方針の破綻(たん)にも通じかねないことに焦燥感を募らせ、ソウルオリンピックの開催阻止を企図した。その一環として、日本人を装った特殊工作員を使って大韓航空機爆破事件(昭和62年11月)を引き起こした。犯人の一人である蜂谷真由美こと金賢姫は、約7年間にわたって特殊工作員としての訓練を受けた後、世界各国にソウルオリンピックへの参加を断念させ、韓国政権に致命的な打撃を加えるため航空機を爆破することを指令されていた。
 また、同事件は、北朝鮮工作員が偽造日本旅券を所持し、日本人に成り代わって活動していたこと、北朝鮮が日本人女性をら致し、工作員の訓練等に利用していたこと、在日北朝鮮スパイ網が同旅券偽造に関与していたことなど、我が国を巻き込んだものであることが明らかとなった(なお、我が国を利用した北朝鮮による対韓工作等については、8(1)参照)。
イ Cの逮捕と「よど号」グループの動き
 63年5月6日、兵庫県警察は、北朝鮮からひそかに帰国し、都内に潜伏していた「よど号」乗っ取り犯人グループの一人であるCを逮捕した。
 Cは、16年前に北朝鮮に帰還した在日韓国人に成り済ました上、ボランティア活動を利用した青少年の獲得工作、他のメンバーの国内潜入の際の偽装のためとみられる家出人の調査活動等をしながら、日本旅券を不正に取得し、貿易商を隠れみのとして3回にわたって海外に渡航するなどのテロに向けた準備を行っていた。
 他方、Cは、帰国した目的を「日本革命のため」と述べているが、「よど号」乗っ取り犯人グループは、「朝鮮人民の願いを無視し強行されるソウルオリンピックがどうなるかは火を見るよりも明らか」とテロを示唆する声明を発しており、さらに、同グループのDらが、国際テロを支援しているとされるリビアや、Bが2度にわたって出入りしていた中国に行き来していたことも判明している。以上のことから、「よど号」乗っ取り犯人グループは、北朝鮮の意を受け、日本赤軍等の海外の革命勢力と連携しつつ、ソウルオリンピック妨害に向けた活動をしていたものとみられる。
ウ 北朝鮮工作員の指示の下に活動していた日本人女性の逮捕(横須賀事件)
 63年5月25日、神奈川県警察は、ヨーロッパにおいて北朝鮮工作員と接触し、その指示を受けて活動していた日本人女性A(32)を、有印私文書偽造、同行使で逮捕した。
 Aは、ヨーロッパ旅行中に北朝鮮工作員と親密な関係となり、その指示を受けて我が国をはじめ東南アジア、ヨーロッパで調査活動に従事し、その報酬、資金として数百万円を渡されていた。特に、我が国については、指定された場所の撮影、知人の自衛隊員等についての人定メモの作成、日本海沿岸府県の地図の入手等の指示がなされていた。また、写真撮影の際にはマニアを装い自然に振る舞うこと、だれかに監視されていないか常に注意すること、任務に関するメモは必ず細かく破って捨てるか燃やすことなどの細かい指示を受けており、北朝鮮工作員による巧妙な日本人女性獲得工作の実態が明らかになった。
 なお、同事件を契機に、Aと同様ヨーロッパにおいて北朝鮮工作員と接触していた日本人女性5人が判明し、外務省は、Aを含む6人に対し、「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞(おそれ)があると認めるに足りる相当の理由がある者」と認定し、旅券返納命令を下した。
エ 安全対策の推進
 警察では、ソウルオリンピックの安全確保が我が国の治安問題そのものであるとの認識の下に、我が国を場とする、あるいは我が国を経由する国際テロ等の防止を図るため、全国警察の総力を結集して安全対策に取り組んだ。警察庁においては、「ソウルオリンピック安全対策委員会」を設置(2月)し、関係部門の連携、関係機関に対する要請等を行うとともに、警察庁次長の韓国出張(4月)等を通じ韓国治安機関との協力関係の強化に努めた。また、ソウルオリンピック開催1箇月前には国家公安委員会委員長が初めて訪韓し、盧泰愚韓国大統領との会見、韓国治安担当閣僚との意見交換を行った。
 さらに、各都道府県警察では、情報収集活動の強化、北朝鮮工作員の発見検挙等の事件化措置、我が国に滞在してトレーニングした外国選手団(28都道府県86施設に45箇国104チーム、1,703人)の警備、関係機関との連携による航空機のハイジャック防止対策、海空港の警戒活動等の諸対策を強力に推進し、ソウルオリンピックをめぐる国際テロの防圧に成功した。
(4) 国際テロ対策の充実強化
 最近の厳しい国際テロ情勢を背景に、昭和63年には、国際テロに関する国際会議が各国で開催された。6月の第14回主要国首脳会議(トロントサミット)では、政治宣言の中で、テロリスト及びその支援者に対し譲歩しないことが再確認されるとともに、国際テロ対策についての国際協力の必要性がうたわれた。また、6月15日、初めての「アジア・太平洋地域治安担当閣僚会議」が警察庁主催により東京で開催され、国際テロとの闘いに共同して対処するとの決意が表明されたほか、9月には、フランスにおいてICPO(第2章3(4)ア(ア)参照)の「国際テロリズムに関するシンポジウム」が開催されるなど、我が国を含めた各国治安機関における相互協力の気運が急速に高まった。
 こうした中、警察庁では、ソウルオリンピック安全対策のための応急措置として、国際テロ対策班を設置(4月)し、フィリピンをはじめ世界各国に担当官を派遣して日本赤軍、「よど号」乗っ取り犯人グループその他国際テロ組織の情報収集を行い、C、A等の逮捕につながる多くの成果を挙げた。
 特に、日本赤軍については、その動きが活発化したことから、海外情報の収集活動を強化するとともに、ICPO等を通じ、加盟国等に対する日本赤軍メンバーの写真及び指紋の再手配、ポスターの作成配布等を行った(注1)。また、国内においても、公開捜査手配を行い、各交通機関等にポスターを配布するなどその検挙に努めるとともに、支援組織の解明作業を推進した。
 ますます激化する国際テロ情勢にかんがみれば、我が国においても、国際テロ防圧のための専門組織によって、国際テロの捜査、国内外における情報の収集及び分析、外国治安機関との協力等の国際テロ対策を更に充実強化することが必要である(注2)。
(注1) 平成元年1月、ICPO事務総局に対し、国外逃亡中の日本赤軍メンバーについて、逮捕手配書(赤手配書)の発行請求を行った(第2章3(3)イ(イ)参照)。
(注2) 平成元年5月29日、警察庁に国際テロ対策を専門に担当する外事第二課を設置した。

2 昭和天皇の御病気をめぐる諸勢力の動向

(1) 「天皇制打倒」を標ぼうし、皇室闘争を更に強化した極左暴力集団
 極左暴力集団は、「天皇制イデオロギーこそが日本の支配の根源である」ととらえ、日本革命のためには「天皇制打倒」が不可欠であるとして、皇室闘争を恒常的課題として取り組んでいる。最近では、昭和61年に、昭和天皇御在位60年記念式典に反対し「皇居半蔵門付近火炎物発射事件」(戦旗・荒派)を、62年には、沖縄国体開催に伴う「天皇訪沖阻止闘争」で「皇居・北の丸公園に向けた爆発物発射事件」(中核派)を引き起こしている。
 特に、63年は、昭和天皇の御病気を契機としたマスコミ報道や皇室への国民の関心が高まりをみせる中で、皇室闘争への取組を一層強めた。その結果、全国各地で記帳所、御製碑、陵墓等に対する「ゲリラ」事件及び天皇制を批判するシール貼(ちょう)付、ビラの散布等の違法事案84件を引き起こした。
〔事例〕 多摩御陵敷地内山林放火事件
 12月18日未明、八王子市で武蔵陵墓地(通称多摩御陵)の敷地内に時限式発火装置2組が仕掛けられ、同陵墓地内の下草約330平方メートルを焼失した。この事件について革労協狭間派は、軍報で「12.18『多摩御陵』に革命的火炎弾攻撃敢行」と犯行を自認した(東京)。
(2) 天皇制批判キャンペーンを強化し、革命党としての本質をみせた日本共産党
 日本共産党は、昭和天皇の御容体の急変以来、連日「赤旗」で昭和天皇の「戦争責任問題」や「政治的利用反対」を強調するとともに、自治体の記帳所設置、祭り等の行事の自粛、報道機関の姿勢等に対して、憲法の精神に反するものと非難し、これに反対するキャンペーンを繰り広げた。
 日本共産党が厳しい天皇制批判を行ったのは、党綱領に忠実な行動であり、同党の革命党としての本質をみせたものといえる(注)。
(注) 日本共産党は、党綱領で憲法の定める象徴天皇制を「反動的なもの」と決め付けて、「君主制を廃止し…人民共和国をつく(る)」と明言している。昭和40年代には、柔軟路線の下、党勢が急伸する中で「民主連合政府」の樹立を目指し、一定の範囲内で天皇制を認めるという姿勢(民主連合政府綱領提案)を示す時期もあったが、61年の昭和天皇御在位60周年をめぐっては、天皇の元首化をねらうものと厳しく批判し、以来反天皇制の原則的立場を強調している。
(3) 行動を自粛しつつも焦燥感を強めた右翼
 右翼は、昭和天皇の御容体の急変以来、記帳、祈願祭の実施、神社参拝等陛下の御快癒を祈念する行動に取り組み、ほとんどの団体が街頭宣伝活動を自粛した。
 反面、「御病気悪化の原因は、陛下に激務を強いた政府、宮内庁にある」として不満を募らせ、抗議、要請活動を強めるとともに、左翼諸勢力の皇室批判活動や報道機関の「ガン」報道等に反発し、「共産党選挙事務所侵入事件」(10月、愛媛)、「大手新聞社水戸支局発炎筒投てき事件」(10月、茨城)等を引き起こした。
 また、右翼は、皇室伝統の諸儀式がどのように行われるかに重大な関心を寄せ、政府、宮内庁に対して「伝統に基づく執行」を求めて活発な要請を行った。

3 ヤマ場に向け、一層先鋭化した成田闘争

(1) 「平成2年度空港概成」に向けた動き
 新東京国際空港は、昭和63年5月、開港10周年を迎えた。新東京国際空港の利用状況は、図7-1のとおりであり、最近は、利用客、発着便数、取扱貨物量ともに著しく増加し、現在供用中の施設(全体計画1,065ヘクタール中、550ヘクタールの部分)で対応できる限界に近づいている。運輸省、新東京国際空港公団では、「平成2年度空港概成」に向けて、61年11月、空港の未供用区域の工事に着手し、63年は、ほぼ全域に工事区域を拡大した。
 しかしながら、工事区域全体の515ヘクタール中、21.3へクタールに

図7-1 新東京国際空港の利用状況(昭和53~62年)


ついては、反対同盟員の宅地や極左暴力集団各派の団結小屋等が、空港公団の買収に応じないまま残っており、工事の障害となっている。このため、空港公団では、この未買収地の早期取得に向けて、用地内の反対同盟員等土地の所有者に対する買収のための話合いの呼び掛け等を粘り強く行っている。
(2) 危機感を強めた極左暴力集団
 成田闘争においては、全国動員規模の現地集会の動員数が、昭和60年10月以降、漸減する傾向にあるが、63年中に5回開催された現地集会のいずれにおいても動員数が増加せず、闘争の行き詰まりがみられた。極左暴力集団は、こうした動員の漸減傾向や工事区域の拡大等から今後の闘争の行方に危機感を強め、「天神峰現地闘争本部」の建物を要さい化するなどの行動に出、さらに、「テロ、ゲリラ」を中心とした過激な闘争へと突き進んだ。
 特に、63年9月21日には、用地買収の動きが活発化したところから「強制収用が近づいた」として、「千葉県収用委員会会長路上襲撃事件」を引き起こすという過激な行動に出た。この事件によって、「成田」の情勢は一挙に緊迫の度を加え、10月24日には、千葉県収用委員会会長以下委員全員が辞表を提出するに至り、収用委員会の機能は事実上停止した。
〔事例〕 千葉県収用委員会会長路上襲撃事件
 9月21日夕、千葉市内で帰宅途中の千葉県収用委員会会長が、ヘルメット、鉄パイプで武装した4、5人くらいの男に襲撃され、重傷を負うという事件が発生した。この事件は、あらかじめ現場付近の電話線を切断した上、帰宅途中の被害者を待ち伏せし、被害者を凶器で乱打するなど残忍なものであった(千葉)。

(3) 先鋭化した「テロ、ゲリラ」
 極左暴力集団は、昭和63年には、39件の悪質な「テロ、ゲリラ」事件を引き起こしたが、そのうち成田闘争に関連するものは24件であった。
 本格的な個人「テロ」である「千葉県収用委員会会長路上襲撃事件」((2)参照)、本格的な爆弾闘争である「船橋西警察署道野辺警察官派出所爆弾事件」(4(2)参照)をはじめとして、その行動はより先鋭化しており、中核派による「新東京国際空港爆発物発射事件」は、その発生が航空機の離着陸の時間帯で、爆発物が航空機本体に当たりかねない危険なものであった。また、戦旗・荒派は、7月4日、東京、千葉、茨城の3都県の空港建設工事の下請業者等8業者の車両31台に放火する事件を引き起こしたが、警察は、この事件で同派活動家5人を検挙した。
〔事例〕 新東京国際空港爆発物発射事件
 1月18日夜、成田市三里塚の空き地に駐車中の普通貨物自動車に搭載された発射装置から、空港内に向けて爆発物5発が発射された。この事件では、長さ150センチメートルの発射筒5本を鉄製アングルで固定した時限式発射装置が使われ、爆発物は、発射地点から約2,500メートル離れた空港施設内駐車場等に落下し、爆発した(千葉)。

4 爆弾志向を強め、本格的な個人「テロ」に踏み切った極左暴力集団

 昭和63年の極左暴力集団の勢力は、全国で約3万5,000人で、49年以来横ばいの状態が続いているが、その一方、極左暴力集団は、組織の非公然化、軍事化を一層推し進め、その行動は、個人「テロ」戦術を採るなど、より凶悪化している。
 過去10年間の極左暴力集団による「テロ、ゲリラ」事件の発生状況は、図7-2のとおりである。

図7-2 「テロ、ゲリラ」事件の発生状況(昭和54~63年)

(1) 一層強まった組織の非公然化、軍事化
 極左暴力集団は、警察の相次ぐ非公然アジト等の摘発や非公然活動家の検挙をはじめとする諸対策の推進により組織的に打撃を受け、その立て直しを図るため組織の非公然化を一層強め、周囲から違和感を抱かれないアジトの設定を徹底するとともに、アジトを短期間に移転したり、旅館、ホテルに他人名義で宿泊したり、偽造した身分証明書を使用したりしている。
 また、中核派は、「革命軍戦略を高々と掲げ、ゲリラ戦争の圧倒的爆発をかちとれ」と「ゲリラ」主張を強め、専門部隊による個人「テロ」戦術を採るなど軍事化を一層進めた。
(2) 爆弾使用セクトの拡大
 爆弾使用セクトは、最近では中核派に限られていたが、昭和63年に入ると革労協狭間派がこれに加わり、爆弾使用セクトが拡大した。
 革労協狭間派は、これまで火炎車、火炎放射器等を使用した「テロ、ゲリラ」事件を多発させてきたが、63年3月17日、同派は初めて爆弾闘争に踏み切り、消火器爆弾を使用して「新東京国際空港航空燃料パイプライン保安設備室爆弾事件」を引き起こした。同派は、この事件を「日本革命史を画する歴史的爆破戦闘」と自画自賛した。
 9月26日には、「船橋西警察署道野辺警察官派出所爆弾事件」を引き起こし、中核派に続いて爆弾闘争を本格化させた。
〔事例〕 船橋西警察署道野辺警察官派出所爆弾事件
 9月26日朝、道野辺派出所裏側出口及び自転車置場付近に時差を設けたタイマーとからくり仕掛けとを用いた爆弾が2個置かれ、約30分の時差で爆発し、出入口外壁等を破損した上、現場に到着した警察官1人を負傷させた(千葉)。
(3) 個人「テロ」の本格化
 近年、極左暴力集団は、個人を対象とした「テロ、ゲリラ」事件を数多く引き起こしているが、これらは、対立セクトの構成員を襲撃する内ゲバや空港公団職員宅等に対する放火事件等であった。
 こうした中で、昭和63年9月21日、中核派は中立の第三者機関である千葉県収用委員会の会長を鉄パイプ等で襲撃し、本格的な個人「テロ」に踏み切った。中核派は、このような法治主義と民主主義に対する破壊ともいうべき凶悪、卑劣な行為を「英雄的決起」と評価するとともに、「革命軍は帝国主義権力への真の階級的憎悪と戦闘心をよみがえらせた」と、引き続き本格的な個人「テロ」を継続することを示唆している。
 また、中核派は、3月3日、「東鉄労高崎地本委員長殺害事件」を引き起こし、9月29日、「59.9.19自民党本部火炎車放火事件」の担当裁判官の宿舎に駐車中の車両を放火する事件を引き起こした。
 過去10年間の極左暴力集団による個人「テロ」等の発生状況は、表7-1のとおりである。

表7-1 個人「テロ」等の発生状況(昭和54~63年)

(4) 極左対策の一層の推進
 警察では、極左暴力集団の非公然軍事部門を壊滅し、「テロ、ゲリラ」の根絶を期することを目的として、国民及び関係機関、団体等の理解と協力を得ながら、組織の総力を挙げて、捜査活動を徹底するとともに、アパート・ローラー及び「地下工場」ローラー、旅館、ホテル対策、さらには、「ゲリラ」事件等に盗難車を使用させないための車両盗難防止対策等、あらゆる対策を積極的に推進している。
 この結果、63年には、3月11日、福島県下において、塩素酸カリウム等の爆弾原材料を運搬中の中核派非公然活動家3人を検挙したのをはじめ合計176人の活動家を検挙するとともに、中核派の「町田アジト」(4月10日)、「北神戸アジト」(7月22日)、新潟「軍事倉庫」(9月10日)等4箇所の非公然アジト等を摘発した。
〔事例1〕 北神戸アジトの摘発
 7月22日、神戸市内の中核派非公然アジトを摘発し、幹部活動家1人を有印私文書偽造、同行使で逮捕するとともに、警察に関する調査活動メモ、健康保険証の偽造に関する資料等多数を押収した(兵庫)。

〔事例2〕 新潟「軍事倉庫」の摘発
 9月10日、新潟県黒埼町内の中核派「軍事倉庫」を摘発し、火薬原料である硝酸カリウム約110キログラム、「61.5.4迎賓館に向け

た爆発物発射事件」に使われた鋼管と同規格の発射弾発射用鋼管のほか、通信網等のライフラインを破壊するために使おうとしたとみられるジェットランサー(高圧酸素溶断機)等多数の武器資材を押収した。この倉庫に隠匿されていた武器資材は、4月10日、町田アジトで幹部活動家1人が検挙された際押収された武器資材リストの一部に当たるもので、このほかに発射弾の完成品等を含めいまだ相当数の武器資材が分散隠匿されていることがうかがわれた(新潟)。

5 各地で多様な取組がなされた原発闘争

(1) チェルノブイリ事故以来不安感が増大
 昭和61年4月、ソ連のチェルノブイリ原発事故が発生して以来、スウェーデン、イタリア、スイス等において原発の廃止又は建設計画の凍結に向けた取組がみられた。我が国においても、これらの動きが報道機関を通じて伝えられたほか、原発の危険を訴える書物や講演に関心が集まるなど、全国的に原発に対する不安感が増大し、反原発の気運が盛り上がっている。
 こうした中で、原発施設の立地道県以外の地域においても反原発市民グループが数多く結成され、原発闘争は、従来の農民、漁民や労働組合を中心とした地域的なものから、主婦をはじめ幅広い層の人々が参加した全国的なものへと変化し、63年中の動員数は、最近5年間で最高を記録した。原発闘争の動員数の推移は、表7-2のとおりである。

表7-2 原発闘争の動員数の推移(昭和59~63年)

(2) 「人間の鎖」等多様な行動形態
 反原発市民グループは、電力会社、通商産業省、県庁等への抗議要請行動を展開する中で、「人間の鎖」、「ダイ・イン」、仮装、獅子(しし)舞、太鼓や鐘を鳴らしての民謡、フォークソング、踊り等の多様な行動形態を示した。
 また、参加者の間では「一人ひとりの意思と責任で行動する」、「参加者は対等な存在」との意識が強まり、行動に統制を欠く傾向がみられた。

 こうした中で、高さ30メートルの送電鉄塔に登り原発施設への送電を妨害するなど各種の違法事案が発生し、警察では、22件、36人を検挙した。この数は、原発の建設に関する公開ヒアリングが実施されることになった昭和55年以来、最高の件数、人員である。原発闘争に伴う違法事件の検挙状況は、表7-3のとおりである。

表7-3 原発闘争に伴う違法事件の検挙状況(昭和55~63年)

(3) 核物質防護体制の整備
 近年、世界的に原子力の開発、利用が進展しているが、欧米諸国ではこれまでに原子力施設にロケット弾が撃ち込まれるなどの不法行為が発生しており、核物質の盗取や原子力施設に対する「テロ、ゲリラ」等の防止のための核物質防護体制の整備は、国際的に重要な問題となってきた。
 こうしたことから、昭和63年、我が国は、国際間の核物質輸送について防護のための措置を採ることなどを内容とする「核物質の防護に関する条約」に加入した。また、同年発効した日米原子力協定においては、プルトニウムの海外からの日本への輸送について、一定の場合に講じられるべき防護措置の指針も明らかにされた。
 また、国内における核物質の防護についても、第112回国会において「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」が改正され、事業者等に対して、核物質防護規定の作成、核物質防護管理者の選任等を内容とする措置が義務付けられることとなった。この改正により、警察は、これらの措置の内容についての通知を受け、必要に応じて意見を述べることとなったほか、特定の核物質を輸送する場合(船舶又は航空機による場合を除く。)の事業者等からの警察への届出及びその際の警察からの指示等についても規定された。

6 基盤の拡大を図るとともに、ゴルバチョフの対外協調路線を批判した日本共産党

 日本共産党は、現在も「敵の出方」論に立った暴力革命の方針を変えていない。そして、現状を「革命を凖備する時期」と認識して、党勢力の拡大をはじめとする諸活動を推進している。
(1) 地方議員、大衆団体の勢力を伸長
 日本共産党は、昭和40年代は、党員、機関紙及び国会をはじめとする各級議会の勢力を伸ばしたが、50年ころを境に長期にわたる停滞に陥っている。63年も、日本共産党は、党員及び機関紙の拡大に力を入れて取り組んだが、12月末現在でそれぞれ約49万人及び約300万部を保持するにとどまった。また、青年、学生層において社会主義離れ、革新離れの風潮が進む中で、民青同等の勢力が停滞し、63年4月には、民青同委員長が「病気」を理由に突如更迭されるという事態も生じた。しかし他方で、日常生活の利害と結び付いた同党の周辺の大衆団体、例えば、民主商工会や新日本婦人の会等で勢力の伸長がみられた。地方議員の数も、減反問題や農産物輸入自由化問題等を背景として、農村地域を中心に増加がみられた。
 また、日本共産党は、消費税問題やリクルート問題等をとらえて大衆闘争を強めたほか、昭和天皇の御病気をめぐって天皇制批判のキャンペーンを繰り広げた(2(2)参照)。労働運動の分野では、「連合」を中心とした労働戦線の統一の動きを「右翼再編」と批判し、日本共産党と関係の深い統一労組懇を母体とする新たな「階級的ナショナルセンター」の結成に向けた動きを強めた。
(2) 日本社会党に対する批判を強め、ゴルバチョフ指導部の対外協調路線を厳しく批判
 日本共産党は、昭和55年1月のいわゆる社公合意以来、日本社会党を革新陣営から脱落したと厳しく批判し、両党の関係は、国会闘争、選挙闘争あるいは大衆闘争等の各分野で悪化したまま推移した。63年も、税制改革問題への対応や原水禁運動の進め方をめぐって対立が続き、日本共産党は、日本社会党を「体制擁護政党」(11月、第3回中央委員会総会)と厳しく批判した。
 こうした両党の対立関係は、ソ連共産党と日本社会党との交流をめぐって日ソ両共産党の意見対立にも発展した。日本共産党は、ソ連共産党が「右転落」した社会党と交流を続けることは日本社会党を「美化」するものと批判し、この問題の解決のために、5月には不破副議長(当時)が訪ソしてゴルバチョフ書記長と会談したが、両者の主張は平行線をたどった。
 同時に、日本共産党は、ゴルバチョフ指導部が、核戦争の脅威の下では人類の生存という「全人類的課題」が階級の利益よりも優先されるべきとする論理を前面に掲げ、これを「新しい思考」と名付けて西側諸国に対する協調政策を推進していることに対し、階級闘争の観点を失ったものであり、「レーニン以降の世界の共産主義運動にあらわれた最大の誤り」と厳しく批判した。

7 危険な傾向を強める一方、昭和天皇の御病気以来変化をみせた右翼

(1) 各種の対決活動の活発な展開
 近年の右翼は、政府・与党や財界等「体制」側との対決姿勢を次第に顕著にしており、昭和63年には、「靖国神社公式参拝問題」や「奥野発言問題」をとらえ「中国の内政干渉に屈した」などとして、また、「リクルート問題」をとらえ「金権腐敗体質を露呈した」などとして政府・与党批判活動を強め、この過程で「日本刀所持、自民党本部侵入事件」(8月、東京)を引き起こした。
 また、地上げ問題、共産国融資問題等をめぐる企業糾弾活動を活発に展開し、「都内の銀行に対する建造物損壊事件」(1月、東京)を引き起こした。
 さらに、日教組やソ連に対する抗議活動も活発に行った。警視庁は、12月18日、シェワルナゼ・ソ連外相の訪日に際し、ソ連大使館付近の路上において、拡声機を使用し高音量で反ソ街頭宣伝を行った右翼構成員を「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」(注)の初適用により逮捕した。
(注) 近年、右翼による拡声機騒音が社会的、国際的問題となり、これを契機に第113回国会において、「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」が制定(12月)され、「何人も、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域において、当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない」こととなった。
(2) 「新右翼」の影響が広がり、「ゲリラ」事件が増加
 「目的達成のためには爆弾闘争をも辞さない」、「逃げろ、捕まるな」などとする「新右翼」の主張と行動は、右翼の間に強い影響を与え、このため、最近の右翼事件は、夜間犯行を行った後逃走し、後日報道機関に犯行声明を送付するなど「ゲリラ」化の傾向を強めている。
 とりわけ、ここ数年は、この種の事件が増加し、昭和63年には、「日中友好記念『南京友好碑』損壊事件」(5月、愛知)、「日教組定期大会阻止『大手門会館』内けん銃発射事件」(7月、福岡)等の「ゲリラ」事件が発生した。
 また、右翼は、12月に制定された「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」に強く反発し、「もはや街頭宣伝では目的を達せられない。これからはテロ、ゲリラしかない」などとして、シェワルナゼ・ソ連外相訪日反対行動に際しては、同外相到着が予定されていた羽田空港やソ連大使館に十数人が侵入を企図するなど不穏な動きを示した。
(3) 昭和天皇の御病気以来変化をみせた右翼
 昭和天皇の御容体が急変した昭和63年9月以来、ほとんどの右翼は行動を自粛したため(2(3)参照)、その後の街頭宣伝活動数及び事件数は大幅に減少した。
 このような右翼の行動自粛は、かつてみられなかったものであり、一部の右翼には、自粛を通じ「街頭宣伝一辺倒の運動から脱却し、市民に共鳴される運動を展開しなければならない」などとして勉強会を開催し、構成員の資質向上に努めるなど、運動の在り方を模索しようとする動きもみられ、注目された。
 警察は、こうした右翼の活動に対し、不法事案の未然防止、発生した事件の早期検挙に努め、63年には、暴行、傷害、公務執行妨害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、軽犯罪法違反等で249件、352人を検挙した。最近5年間の右翼事件の検挙状況は、表7-4のとおりである。

表7-4 右翼事件の検挙状況(昭和59~63年)

8 潜在化、巧妙化したスパイ活動等

 我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的環境から、共産圏諸国であるソ連、北朝鮮等によるものが多く、また、我が国を場とした第三国に対するスパイ活動も、ますます巧妙、活発に展開されている。
 スパイ活動のねらいについては、従来は、我が国の政治、経済、外交、防衛に関する情報、米軍軍事情報、韓国の政治、軍事等に関する情報の入手が中心であった。しかし、近年のスパイ活動は、従来のものに加えて、我が国の各界に対する謀略性の強い政治工作活動や我が国の高度科学技術に重点を置いた情報収集活動、さらには海外にいる日本人を利用した活動等、様々な方法や目的により行われている。
 こうしたスパイ活動は、国家機関が介在して組織的かつ計画的に行われるため、潜在性が強く、その実態把握は困難である。また、我が国にはスパイ活動を直接取り締まる一般法規がないことから、スパイ活動を摘発できるのは、その活動が各種の現行刑罰法令に触れた場合に限られている。
 昭和63年には、特に、北朝鮮が、韓国革命による朝鮮の統一実現に向けて、日本人をら致したり、獲得したりすることにより、我が国を場とした対韓国諜報謀略を活発に行っていることが明らかとなった。しかし、こうして明るみに出たものは、正に氷山の一角にすぎないと考えられ、警察としては、今後とも、我が国の国益を守るため、スパイ活動に対し徹底した取締りに努めることとしている。
(1) 対韓工作に利用される我が国
ア 李恩恵ら致容疑事案
 大韓航空機爆破事件を敢行した北朝鮮特殊工作員金賢姫は、昭和53年又は54年ころ日本からら致されてきた李恩恵と称する日本人女性から、56年から58年までの間、平壌の工作員訓練所において日本人化訓練を受けていたことが明らかとなった。
 警察庁及び各都道府県警察は、李恩恵身元割り出し調査班を設置して、家出人、行方不明者等の追跡調査を実施し、国民からの多数の関連情報を得て、引き続きその身元割り出しに努めている。
 このほかにも、北朝鮮は、工作員の身分偽変に備え、日本人化訓練や日本人に成り代わるための戸籍取得を目的として、52年の「宇出津(うしつ)事件」、53年の一連のアベックら致容疑事案等で、日本人をら致したとみられる。

イ 渋谷事件
 在日朝鮮人S(68)は、日本人や在日韓国人を工作員として訓練するため北朝鮮へ送り込むことを主たる任務とし、47年には、工作船を使った北朝鮮への密出国を図り、54年には、工作員に仕立てるため日本人男性に働き掛けて北朝鮮へ送り込むなど、北朝鮮から暗号指令を受けながら、十数年にわたってスパイ活動を行っていた。
 警視庁は、63年6月29日、Sを外国人登録法違反で逮捕し、自宅から乱数表、タイムテーブル等いわゆるスパイの七つ道具を発見し、押収した。

(2) 共産圏諸国にねらわれるココム規制品
 共産圏諸国による高度科学技術情報の収集は、それぞれの国の情報機関員による直接的スパイ活動により行われるもののほか、背後において国家あるいは情報機関員が介在し、貿易、経済活動に藉(しゃ)口して、高度科学技術機器、プラント等を組織的、計画的かつ巧妙に入手するといった形態を取るものも多い。
 中でも、ココム違反事件は、共産圏諸国からの巧妙な働き掛けがなされること、企業ぐるみで組織的、計画的に敢行されること、その摘発のためには関係機関の連携が強く求められることなどから、捜査は必ずしも容易ではないが、警察としては、このような事件を積極的に検挙し、国民の前にその実態を明らかにするように努めている。
ア 極東商会等ココム違反事件
 対中国貿易商社極東商会及び新生交易は、昭和60年6月ころから61年11月ころまでの間、通商産業大臣の承認及び税関長の許可を受けずに、ココム規制対象品であるデジタルメモリ等を従業員に携帯させて持ち出し、中国に不正輸出していた。
 警視庁は、63年5月17日、外為法及び関税法違反で、極東商会従業員2人及び新生交易従業員1人を逮捕し、18日までに両社及びその従業員ら合計9人を検挙した(東京地裁判決、極東商会に対し罰金200万円、

同社従業員2人に対しそれぞれ懲役1年、執行猶予3年及び懲役8月、執行猶予3年。新生交易に対し罰金20万円、同社従業員1人に対し罰金20万円)。
イ 三池淵号をめぐる朝鮮総連傘下団体幹部によるココム違反事件
 在日本朝鮮人商工連合会幹部K(63)は、通商産業大臣の承認を受けず、税関長に衣類、日用品と偽って申告をした上で、ココム規制対象品であるパソコン等を、朝鮮総連の関係事務所を経由して、63年9月5日、新潟港を出港する北朝鮮貨客船三池淵号でひそかに北朝鮮へ送り込もうとしていた。
 新潟県警察は、9月27日、外為法及び関税法違反で関係箇所の捜索を実施し、平成元年2月7日、外為法及び関税法違反でKを検挙した(新潟簡裁判決、罰金20万円)。
ウ ダイキン工業ココム違反事件
 大手空調機メーカーダイキン工業は、61年2月ころから62年5月ころまでの間、通商産業大臣の承認を受けず、税関長に虚偽の品質証明書を作成、提出するなどして、ココム規制対象品であるハロン2402をソ連に不正輸出していた。
 大阪府警察は、63年12月7日、関税法違反で、関係箇所の捜索を実施し、平成元年2月20日、外為法及び関税法違反で、ダイキン工業及び同社従業員2人を検挙した(大阪地裁で公判中)。

9 厳しい情勢の下での警衛・警護

(1) 天皇及び皇族の御身辺の安全を確保した警衛
 昭和天皇は、全国戦没者追悼式(8月、日本武道館)等に行幸になり、また、皇后陛下(現皇太后陛下)とともに、栃木、静岡両県の御用邸に行幸啓された。
 皇太子殿下(現天皇陛下)は、御健康の回復に努められていた昭和天皇の御名代として、妃殿下(現皇后陛下)とともに、全国植樹祭(5月、香川)に行啓されたのをはじめ、全国高等学校総合体育大会(7月、兵庫)等に行啓された。
 9月の昭和天皇の御容体の急変に伴い、当初皇太子殿下(現天皇陛下)の行啓が予定されていた国民体育大会秋季大会(10月、京都)、身体障害者スポーツ大会(10月、京都)、健康福祉祭(10月、兵庫)及びスポーツレクリエーション大会(11月、山梨)については浩宮殿下(現皇太子殿下)が、全国豊かな海づくり大会(10月、茨城)については紀宮殿下がそれぞれお成りになられた。
 警察は、これらに伴う警衛を実施して、御身辺の安全の確保と歓送迎者の雑踏等による事故防止を図った。
(2) 要人の安全を確保した警護
 竹下首相は、伊勢神宮参拝(1月、三重)、瀬戸大橋開通式(4月、岡山、香川)、参議院補欠選挙応援(4月、福岡)等のため各地を訪問したのをはじめ、9月から11月までの間に、岐阜県等9都道県において税制改革に向けた講演等を行ったほか、米国及びカナダ公式訪問(1月)、韓国大統領就任式出席(2月)、西欧4箇国訪問(4~5月)、国連軍縮特別総会出席及び西欧4箇国訪問(5~6月)、第14回主要国首脳会議(トロントサミット)出席(6月)、大洋州公式訪問(7月)、中国公式訪問(8月)、ソウルオリンピック開会式出席(9月)を行った。
 また、国賓としてルシンチ・ベネズエラ大統領(4月)、ディウフ・セネガル共和国大統領(6~7月)、公賓としてハッサン・ヨルダン皇太子同妃両殿下(4月)、ミクリッチ・ユーゴスラビア首相夫妻(5月)等多くの外国要人が来日した。
 警察は、これら内外要人に対して警護措置を講じ、身辺の安全を確保した。


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