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不破前議長の影響力が残る日本共産党
1 退任後も常任幹部会にとどまり党運営に影響力を保持する不破議長

 平成一八年一月に開催された日本共産党第二四回大会で、不破哲三議長(当時七五歳)は、「高齢と健康面の理由から、国会活動だけでなく、選挙等党活動の先頭に立てなくなっているが、それでも最終的な責任者にとどまることは、合理的でない上、若い世代の幹部が力を発揮することを妨げる要因となる」として、一二年一一月から就いていた議長職を退任しました。後任の議長は選出せず、志位和夫委員長及び市田忠義書記局長は留任しました。
 不破前議長は、議長職を退任したものの、「知力と体力がある限り、党の発展に力を尽くすことは、共産主義者としての義務であり、責任である」として、共産党の最高指導機関である常任幹部会(一八人で構成)にとどまり、今後の党運営に影響力を残しました。また、党大会後は、「科学的社会主義」の理論研究機関である社会科学研究所の所長に留任するとともに、「若い機関幹部の計画的・系統的養成」のため開催した「特別党学校」における党綱領及び党史の講師や、日中両共産党理論会談における日本共産党の代表を務めており、今後は、理論面での活動を中心にするものとみられます。
 共産党のトップが、比較的壮健なうちに退き、他のポストで活動を続けることは前例がありません。不破前議長の前任者である宮本顕治元議長は、昭和五七年から平成九年までの一五年間、議長職に在任し、八八歳で引退しました。

議長退任のあいさつをする不破議長(1月、静岡)(共同)
2 志位委員長の初訪韓

 不破議長の退任までは、国政分野で党を代表するのが志位委員長、党活動全般に責任を負いながら特に理論分野と外交分野で党を代表するのが不破議長との任務分担がありましたが、第二四回党大会後は、志位委員長が、外交分野も党を代表することになりました。
 志位委員長は、一八年九月、韓国のソウルで開催された第四回アジア政党国際会議への出席のため、日本共産党委員長として初めて韓国を訪問しました。滞在中、韓国国会の議長、主要政党の代表等、韓国政界を中心に関係の構築に努めました。小泉前首相の靖国神社参拝等で日韓関係が停滞する中行われた同委員長の訪韓は、一九年の参議院議員通常選挙、統一地方選挙に向けた独自の外交活動のアピールであるとともに、年来の望みである赤旗ソウル支局(注)の開設に向けた環境整備であるとみられます。
(注)共産党は、八年一二月以降、赤旗ソウル支局の開設申請を韓国政府に行っていますが、拒否されています。

韓国国会議長と握手する志位委員長(9月、韓国)(共同)
3 次期国政選挙、統一地方選挙に向けた選挙闘争方針を提起
  次期衆議院議員総選挙に向けては、第二四回党大会で、小選挙区候補者の擁立について、「全小選挙区での候補者擁立を目指すが、一律には義務付けない」との方針を、一七年の選挙に続いて継続するとしました。また、小選挙区選挙の供託金募金として「衆議院小選挙区選挙供託金支援基金」(一口一○○円)を創設しました。
 一九年に予定されている次期参議院議員通常選挙に向けては、同党大会で、全選挙区への候補者の擁立と、比例五議席、東京選挙区(現職区)一議席の「絶対確保」を訴えました。
 同じく一九年に予定される次期統一地方選挙に向けては、同党大会で、共産党県議不在の六県(栃木、愛知、三重、鳥取、佐賀及び宮崎)の解消を目指すとするとともに、一八年六月二四日付け「しんぶん赤旗」で、共産党議員の不在議会の解消を、「立党の原点に立ち、革命的ロマンに満ちた活動」として、移住・帰郷しての立候補を党員に呼び掛けました。
共産党第24回大会(1月、静岡)(共同)
4 憲法闘争及び組織拡大強化を最優先課題として取り組む全労連
 日本共産党の指導・援助により結成された全労連(全国労働組合総連合)は、一八年七月の第二二回定期大会において、「憲法闘争をこの二年間のすべての課題に優先する運動として展開する」などとする「○六~○七年度運動方針」と「「五○○万全労連」を基本目標に据えつつ、当面二○一○年までに「二○○万全労連」を実現する」などとする「全労連組織拡大強化・中期計画」を決定しました。
 一九年は、前記方針に基づき、憲法改正等の課題について、他労組に対して共同行動を呼び掛けるとともに、非正規雇用・未組織労働者の組織化を中心に組織拡大に取り組むものとみられます。