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労働・大衆運動に取り組む中、組織問題に揺れた過激派
1 前議長の「遺志」の継承を訴えて組織の引締めを図った革マル派

 革マル派は、平成一八年中、労働運動や大衆運動を通じ、組織の維持、拡大を図ることに重点を置いた活動を継続しました。
 こうした中、同派は、同年八月一二日、東京都新宿区内で記者会見を行い、創始者である黒田寛一前議長が同年六月二六日に死亡(享年七八歳)したことを明らかにするとともに、植田琢磨議長が声明文を読み上げ、「同志黒田の思想を継承し血肉化し、実践的に適用していく」ことを明らかにしました。
 その後、同派の機関紙「解放」(同年八月二八日付け)に、黒田前議長の追悼を内容とする植田議長及び政治組織局連名の論文を掲載したのを皮切りに、黒田前議長が提唱した理論の継承、組織の強化を訴える中央労働者組織委員会名の論文や同派活動家の寄稿等を繰り返し掲載し、組織の引締めを図りました。
 さらに、同年一○月一五日、都内で、約一、五〇〇人を集めて「追悼同志黒田寛一・ハンガリー革命五〇周年記念一〇・一五革共同政治集会」を開催しました。同集会では、植田議長や幹部が、黒田前議長の「遺志」の継承、組織の強化を訴えたほか、同派の活動家らが、これにこたえる決意を表明しました。
 このほか、革マル派とJR東労組の関係を取り上げた週刊誌の連載記事をとらえ、機関紙「解放」(同年九月四日付け)に「「週刊現代」を広報役とした鉄道謀略・フレームアップ攻撃を断固粉砕せよ!」と題する批判記事を掲載しました。
 その中で、JR東日本で発生した置き石等の列車妨害事件に関し、「アメリカ権力者とその意を受けた日本国家権力内謀略グループのフレームアップ」とするいわゆる権力謀略論を唱え、同派の特異な体質をうかがわせました。
 一方、革マル派が相当浸透しているとみられるJR東労組内では、元顧問を絶対視する勢力と、元顧問の影響力を排除しようとする勢力との対立が継続しています。
 革マル派は、一九年も、黒田前議長の理論の継承を訴え、組織の引締めを図りつつ、その維持、拡大に向け、大衆運動の面では、反戦・反安保、憲法改正問題等を中心に取り組むものとみられます。また、労働運動の面では、党派色を隠し、JRを始めとする基幹産業の労働組合等に浸透を図るものとみられ、その過程で、JR総連又はJR東労組と対立する労働組合及びJR各社の関係者に対し、住居侵入等の違法行為を伴う調査活動を行うおそれがあります。

反戦闘争のデモに取り組む過激派(10月、愛知)
2 改憲法案阻止闘争等に取り組む中、組織問題に揺れた中核派

 中核派は、三年五月に「当面は武装闘争を控え、大衆闘争を基軸に党建設を重視する」との「五月テーゼ」路線(一五年以降は「新指導路線」と呼称)を打ち出して以降、大衆運動や労働運動への取組みを強め、組織の拡大を図っています。
 一八年中も、「新指導路線」に基づき、改憲法案の阻止を最重点課題に掲げ、同派が「四大産別」と呼称する自治体、郵政、教育及びJRの各労働組合の中に、活動家や同調者を増やす活動に力を注ぎました。
 同派は、自らが主導する百万人署名運動において、「九条を変えるな!」をスローガンとして、街頭署名活動や労働組合の事務所への訪問を行う全国キャラバン行動に取り組みました。また、「日の丸・君が代」問題では、高等学校の卒・入学式当日に活動家を動員し、教職員に不起立を呼び掛けるビラ配布や教育委員会、学校長への申し入れ等に活発に取り組みました。
 同派は、「新指導路線」の成果を集約する集会として、同年一一月五日、一万人結集の目標を掲げて「全国労働者総決起集会」(東京)に、約二、七〇〇人を動員して、集会、デモに取り組みました。
 一方、同派内において、同年三月、関西地方委員会の最高幹部が独善的な組織運営等を理由に党員から糾弾され、解任に追い込まれました。その後、この問題の処理をめぐり、内部対立が発生し、党中央の幹部多数が解任されたほか、地方活動家が大量離党するなどの事態に発展したことで、組織の中枢部は、大きく揺らいだとみられます。
 こうした中、同派は、同年秋に「革共同第二二回拡大全国委員会総会」を開催し、組織問題の関係者五人に対して「除名決議」を行ったことを明らかにしました。
 中核派は、一九年も「新指導路線」の下、現指導体制及び組織勢力の維持、拡大を図るため、反戦、教育問題、憲法改正問題等を重要課題に掲げ、労働運動や大衆運動に対する取組みを一層強化するものとみられます。また、組織問題に関しては、責任の追及、組織離脱者の引き戻し等を図る過程で、内ゲバ事件が発生するおそれがあります。

「全国労働者総決起集会」開催時のデモ(11月、東京)
3 成田闘争を中心に取り組んだ革労協主流派と組織再建を目指した反主流派
  革労協主流派は、一八年中、暫定平行滑走路の北側延伸をとらえ、例年以上に成田闘争に対する取組みを強めました。
 主流派は、反対同盟北原グループ(以下「反対同盟」という。)が主催する集会・デモに活動家や同調者を動員したほか、独自の集会・デモに取り組みました。
 同年六月には、福岡市内で初めて成田闘争に取り組んだほか、同年八月には、暫定平行滑走路を北側に延伸するための工事実施計画の変更許可申請(以下「許可申請」という。)を審議するため、国土交通省が開催した公聴会(以下「公聴会」という。)に対する反対活動に取り組みました。また、同年九月には、全学連の全国大会を成田で開催し、その期間中にデモを行うなど、成田闘争に積極的に取り組みました。
 革労協反主流派は、年初の機関紙「解放」で「党内闘争は最終結着した」などと主張し、これまで繰り返してきた主流派との対立抗争を終わらせ、組織の再建を優先する姿勢を見せました。しかし、同年三月、反主流派の最高幹部の側近とみられていた活動家が、反主流派の活動拠点である「赤砦社」から都内の病院に搬送され、その後死亡するという事件が発生しました。反主流派は、組織の動揺を抑えるため、死亡した活動家に対する追悼文を機関紙「解放」(同年四月一五日付け)に掲載しました。
 こうした中、反主流派は、一一年の分裂以降、初めて全学連の全国大会を開催しました。
 大会では、新しい執行部役員が決められたほか、学生に対する働き掛けを強める方針が採択されました。
 両派は、一九年も、反戦闘争に取り組みながら、組織の維持、拡大を図るものとみられますが、活動拠点で起きた事件の影響により、反主流派の組織が不安定な状況に置かれ、主流派がその機会を利用して反主流派に対する内ゲバ事件を引き起こすおそれがあります。
4 北側延伸工事着工で危機感が強まる成田闘争
 成田国際空港株式会社(以下「空港会社」という。)は、一八年中、許可申請(同年七月一〇日)、公聴会の開催(同年八月二一日)及び国土交通大臣の許可(同年九月一一日)を経て、同月一五日に着工式を行い、同月二五日に暫定平行滑走路の北側延伸工事を開始しました。
 また、反対同盟員が賃借している農地(二か所、合計約〇・九ヘクタール。以下「農地」という。)のため、暫定平行滑走路の西側誘導路が曲折し、航空機の運航に支障が生じている事態を解消するため、農地を所有する空港会社は、同年七月一〇日、農地法に基づき、賃貸借の解除を求める手続きを講じました。
 千葉県知事は、同年九月二一日、賃貸借解除の許可を決定し、空港会社及び反対同盟員に通知しました。
 このような動きに対し、中核派、革労協主流派等が支援する反対同盟は、「北延伸弾劾」を主張し、着工式当日、反対活動に取り組んだほか、農地の賃貸借解除の決定や、新誘導路の建設に伴い東峰地区の樹林の大半が伐採されること等に対しても、反発を強めました。
 反対同盟及びこれを支援する過激派は、一九年も、北側延伸工事の進展、農地の賃貸借解除をめぐる動向に反発を強め、工事現場等における抗議行動や集会・デモに取り組むものとみられます。
 また、同年一〇月の全国総決起集会に伴う記者会見で、中核派の幹部が「テロ、ゲリラ」の可能性に言及しており、情勢次第では、空港関係者、関係施設等に対する「テロ、ゲリラ」事件の発生も懸念されます。
成田国際空港暫定平行滑走路(空港南側から撮影)
5 過激派対策の推進
 警察では、過激派に対する事件捜査を徹底するとともに、アパート、マンション等に対するローラー及びポスター等を活用した広報活動を推進した結果、一八年中、非公然活動家三人を含む七六人の過激派活動家を検挙しました。
 このうち、同年一月には、大阪経済大学の構内で大学職員に傷害を負わせるなどした革マル派系の全学連活動家ら九人を、また、同年三月、六月及び一一月には、法政大学の構内に侵入し、大学職員の業務を妨害するなどした中核派系の全学連活動家ら延べ四〇人を検挙しました。
 また、革労協に対しては、同年五月と八月、成田闘争での取組みで警察官の職務を妨害するなどした主流派の活動家六人を逮捕しました。
 警察では、引き続き、国民の理解と協力を得ながら、過激派に対する取締りを徹底することとしています。
警察庁作成の過激派対策用ポスター