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3 邦人が被害に遭ったテロ事件


1 イラクにおける邦人関連事件

 海外では、邦人や我が国の権益を巻き込んだテロ事件が発生しています。特にイラクでは、武装グループが邦人を人質とする事案等が相次いで発生しています。
 これまでにイラクで発生した邦人被害に係る人質事件、殺害事件等の概要は次のとおりです。

(1)イラクにおける外務省職員殺害事件

 2003年(15年)11月、何者かが、ティクリートの南方約30キロメートルの地点で、外務省職員2人を襲撃し、同行の運転手と共に殺害しました。

(2)イラクにおける三邦人人質事件

 2004年(16年)4月、「サラーヤ・アル・ムジャヒディーン」を名乗る武装グループが、ファルージャで、邦人3人を人質としました。武装グループは、人質とした邦人3人の解放条件として、我が国に自衛隊の撤退を要求しましたが、その後、邦人は無事解放されました。
 また、同月、バグダッド近郊でも邦人2人が何者かに拘束されましたが、後に、無事解放されました。

(3)イラクにおける邦人ジャーナリスト殺害事件

 2004年(16年)5月、何者かが、バグダッド郊外で、邦人ジャーナリストとイラク人各2人が乗車する車両を襲撃し、邦人ジャーナリスト2人、イラク人1人を殺害しました。

(4)イラクにおける邦人人質殺害事件

 2004年(16年)10月、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィが率いているとされるイスラム過激派組織「タンジーム・カーイダ・アル・ジハード・フィー・バラド・アル・ラフィダイン(ニつの大河の国の聖戦基地組織)」を名乗る武装グループが、邦人旅行者1人を人質としたとの声明を発表しました。武装グループは、その後、人質を殺害しました。

(5)イラクにおける邦人拘束容疑事件

 2005年(17年)5月、「アンサール・アル・スンナ軍」を名乗る武装グループが、ヒート近郊で、英国系民間警備会社が警備する車列を襲撃し、同社に勤務する邦人1人が行方不明となりました。
 「アンサール・アル・スンナ軍」については、ザルカウィが率いる組織との関連が指摘されています。

イラクにおける邦人人質殺害事件を大きく伝えるイラク各紙
イラクにおける邦人人質殺害事件を大きく伝えるイラク各紙(共同)
2 その他の邦人が被害に遭ったテロ事件

 1996年(8年)12月に、ペルーの左翼テロ組織が引き起こした「在ペルー日本国大使公邸占拠事件」は、我が国の権益や在外邦人に対するテロの脅威を改めて明らかにするものでした。
 近年は、イスラム過激派によるテロの脅威が高まる中で、我が国の権益や在外邦人がテロの標的となるなど、イスラム過激派によるとみられるテロの被害に遭う事件が発生しています。
 1997年(9年)11月には、エジプトのルクソール・ハトシェプスト女王葬祭殿において、武装グループが銃を乱射し、邦人10人を含む死者62人、邦人1人を含む負傷者24人の被害を出した「エジプトにおける観光客襲撃事件」が発生しました。本件は、犯行声明等から、同国最大のイスラム過激派組織「イスラム集団」によるものと判明しています。
  1999年(11年)8月には、中央アジアのキルギスにおいて、国際協力事業団(現・国際協力機構(JICA))の資源開発調査に従事していた邦人4人を含む7人が誘拐される「キルギスにおける邦人技師拉致(らち)事件」が発生しました(邦人は同年10月に解放)。この事件は、オサマ・ビンラディンと関係を有するとされる「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」のメンバーによる犯行とみられています。
 2001年(13年)9月に発生した「米国同時多発テロ事件」では、ハイジャックされた航空機に搭乗していた邦人と世界貿易センタービルの崩壊に巻き込まれた邦人の計24人が犠牲となりました。
 2002年(14年)10月の「インドネシア・バリ島における爆弾テロ事件」においては、邦人2人が犠牲となりました。
 2003年(15年)5月に発生した「サウジアラビア・リヤドにおける外国人居住区連続爆破テロ事件」では、外国人居住区3か所に大量の爆発物を積んだ車両が突入して自爆し、34人が死亡、邦人を含む194人が負傷しました。同事件は、「アル・カーイダ」による犯行とみられています。
 2005年(17年)10月に発生した「インドネシア・バリ島における同時多発テロ事件」においては、邦人1人が犠牲となりました。

インドネシア・バリ島における同時多発テロ事件
インドネシア・バリ島における同時多発テロ事件
(2005年(平成17年)10月)



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