表紙・目次 はじめに 第1章 警備警察50年の歩み 第2章 警備情勢の推移 第3章 警備情勢の展望と警察の対応 資料編

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新たなテロの脅威を示したオウム真理教等
1 無差別大量殺人テロを行ったオウム真理教

1 教団の創立と変遷

 オウム真理教(以下「教団」という。)は、昭和59年2月、麻原彰晃
(あさはらしょうこう)こと松本智津夫(まつもとちずお)被告が発足させたヨガ・サークル「オウム神仙の会」を母体とします。62年7月、名称を「オウム真理教」に変更し、平成元年8月には、東京都知事から宗教法人の認証を受けて、宗教法人「オウム真理教」として設立登記を行いました。
 教団は、昭和62年ころから、機関誌を始めとする各種の出版物、ビデオテープ、カセットテープ等を宣伝に利用し、積極的な組織拡大を行いました。特に高学歴者、医師等社会的地位が高いとされる者、理工系学生等の専門的技能を有する者を重視した勧誘活動を行いました。こうした活動の結果、教団の構成員は、平成7年3月ごろに最大となり、国内だけで約1万人を超えていたとみられます。
 また、教団は、全国各地に活動拠点を設け、7年3月の時点では、山梨県西八代郡上九一色
(かみくいしき)村の「サティアン」と称する大規模施設及び出家信者の居住施設群のほか、20数か所の本部及び支部を設置していました。さらに、ロシア、アメリカ、ドイツ及びスリランカに支部を開設し、オーストラリア及び台湾に関連会社を設立していました。
「第7サティアン」と称した教団施設
「第7サティアン」と称した教団施設
(平成7年、山梨)
 

2 テロ組織への変質

 教団は、「日本シャンバラ化計画」と称して「理想郷」の建設を目指し、そのためには、松本被告が独裁者として統治する祭政一致の専制国家体制を樹立することが必要であるとして、政治団体「真理党」を結成し、平成2年2月の衆院選に際し、松本被告以下25人の信者が立候補しましたが、全員落選しました。また、同年5月、熊本県阿蘇郡波野村へ進出しましたが、当初から地元住民による激しい反対運動が展開され、同年10月から11月にかけての熊本県警察による強制捜査(国土利用計画法違反等)では、8人が逮捕され、捜索差押えは32か所に及びました。
 教団は、これらを「国家権力による弾圧」ととらえ、教団の存続と勢力拡大のためには、国家権力を「打倒」することが必要であるとして、自動小銃、化学兵器等を開発し量産することを計画するなど、テロの実行準備を進めていきました。
 また、教団は、6年6月ごろには、松本被告を「神聖法皇」と称するとともに、国の行政機関を模した約20の「省庁」からなる省庁制を導入し、一種の擬似国家の体裁を取るに至りました。
 一方、松本被告は、「最終解脱者」として自らを「尊師」又は「グル」と呼称させ、信者に絶対的な帰依を求めました。教団の教義は、同人が既成宗教の教義を混交したもので、松本被告の指示があれば、ポアと称して殺人さえも「救済活動」として善行となるという「秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)」を最も重視し、教団のテロ組織化に大きな影響を及ぼしました。


3 教団によるテロ事件

 教団は、平成元年11月、教団活動の不正を追及し、宗教法人認証の取消しを求める活動を続けていた弁護士の殺害を計画し、横浜市内の同弁護士宅に押し入って、同弁護士と妻及び長男の命を奪い、遺体をそれぞれ新潟、富山及び長野の山中に埋めました。
 また、6年6月には、教団名を隠して取得した土地をめぐり、地主側が詐欺行為に当たるなどとして長野地方裁判所松本支部に提起した訴訟において、教団敗訴の可能性が高くなったこと、及び地元住民による進出反対運動等を受け、かねてから研究開発と量産を進めていたサリンの殺傷能力を確認するとともに、長野地方裁判所松本支部の裁判官と付近住民を殺害することを企て、サリンを散布し、住民7人を殺害、144人を負傷させる「松本サリン事件」を引き起こしました。
 さらに、松本被告は、教団幹部等に指示し、7年2月、「公証役場事務長逮捕・監禁致死事件」を引き起こしました。しかし、同事件が教団による犯行であるとの報道が連日なされ、松本被告は、近く警察による大規模な強制捜査が実施されるとの危機感を抱きました。このため、捜査をかく乱させる目的で、教団幹部とともに、警視庁等の官庁が集中する地下鉄霞ヶ関駅に向かう東京都内の地下鉄3路線、計5本の電車内にサリンを散布することを計画し、松本被告の指示を受けた教団幹部が、30パーセントのサリン混合液約5ないし6リットルを生成しました。
 そして、同年3月20日、実行役5人が、新聞紙で包んだサリン入りナイロン袋を地下鉄車内に持ち込み、午前8時ころ、ビニール傘で袋を突き刺し、サリンを発散させて、乗客及び駅職員12人を殺害し、少なくとも約5、300人を負傷させました。
 また、教団による一連のテロ事件の捜査が行われていた最中の3月30日、出勤途上の國松孝次警察庁長官(当時)が狙撃され重傷を負う事件が発生しました。事件発生以来、9年余に及ぶ捜査の結果、16年7月7日、警視庁が、殺人未遂容疑で、元オウム真理教幹部ら3人を逮捕しました(併せて別の爆発物取締罰則違反容疑で元オウム真理教幹部1人を逮捕)。
(注) 逮捕された被疑者4人については、7月28日に処分保留で釈放されましたが、警視庁においては、今後とも引き続き、事案の全容解明に向け全力を尽くすこととしています。
「地下鉄サリン事件」
「地下鉄サリン事件」
(平成7年3月20日、東京)(共同)

2 事件の反省と教訓

1 地下鉄サリン事件への対応

 事件の発生当日、警察庁は対策室を設置するとともに、警視庁は関係幹部、機動隊等を現場に急行させ、負傷者の救出・救護、駅構内における避難誘導及び雑踏整理等を実施しました。
 また、防衛庁・自衛隊に対して、化学の専門要員の派遣や現場の検知・除染等を要請し、協力して事案に対処しました。
 さらに、事件発生の2日後には、警察官約2、500人により、教団施設に対する一斉捜索を実施し、以後、全国警察を挙げた捜査を強力に推進しました。この結果、教団施設内に潜んでいた松本被告の検挙(平成7年5月)を始め、主な教団幹部を早期に検挙し、テロ事案の再発防止を図りました。
サティアンの捜索に従事する警察官
サティアンの捜索に従事する警察官
(平成7年3月、山梨)

2 反省、教訓

 しかし、教団による一連のテロは、警察に多くの反省、教訓を残しました。なかでも、高度な科学技術についての知識不足、都道府県警察の管轄区域外の権限についての制限、そして特殊な閉鎖的犯罪組織についての情報不足が、大きな反省教訓事項として挙げられました。
 すなわち、「地下鉄サリン事件」及びそれ先立つ「松本サリン事件」では、化学兵器であるサリンが、現実にテロの手段として使用されました。しかし、当時の警察は、サリン、VXガス等の化学兵器の性質、毒性、製造方法、原材料等に関する知識が不足しておりこのことが捜査を著しく困難なものとしました。
 また、一連のテロは、広域にわたって発生する、これまでに例をみない大規模かつ複雑な事案でした。しかし、当時の警察法では、都道府県警察が管轄区域外に権限を及ぼすためには、自らの公安の維持等に関連することを明確に認定する必要がありました。そのため、「公証役場事務長逮捕・監禁致死事件」や「地下鉄サリン事件」が発生する以前には、警視庁が捜査を行うことはできないなどの状況がありました。
 さらに、発足時は一介のヨガ・サークルに過ぎなかった教団が、テロ組織に変質したことを察知できず、テロを未然に防止できなかったことは、警察にとって大きな反省教訓事項でした。

3 捜査・分析体制の整備

1 科学捜査体制の強化

 化学兵器を使用した新たな犯罪に的確に対処するため、科学警察研究所の組織体制及び分析機器の整備を図り、鑑定方法等の研究・開発を進めました。また、捜査・鑑識能力、科学的知識を兼ね備えた捜査員を確保するため、地方警察官の増員を行うとともに、専門的知識・技能を有する捜査員の育成を図るなど、捜査分析体制を緊急に整備しました。あわせて、現場活動を行う警察官の身体を防護するための生化学防護服等を配備しました。


2 広域組織犯罪等への対処体制の整備

 また、平成8年6月には、警察法を改正し、広域組織犯罪等を処理するため、必要な限度において、都道府県警察がその管轄区域外に権限を及ぼすことができるようになりました。あわせて、広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢に関し、警察庁長官が都道府県警察に対して必要な指示をすることができるようになりました。


3 特殊組織犯罪対策の推進

 一方、情報の収集・分析体制を強化するため、平成8年5月、警察庁に特殊組織犯罪対策室を新設し、将来テロを行うなど公共の安全を害するおそれのある集団や動向を早期に把握するため、情報収集及び分析、所要の犯罪捜査の推進等について、都道府県警察に対する指導調整を行うこととしました。
 その後、13年度の組織改編において、特殊組織犯罪対策室を廃止し、新たに、同対策を担当する長官官房参事官を設け、諸対策を更に強力に推進しています。

4 新たなテロへの対応

1 生物化学テロ対処体制の強化

 以上のような、警察における緊急の対応とともに、いわゆる危機管理と呼ばれる緊急事態への対処の在り方について、政府全体としての検討が逐次進められました。特に、平成13年9月の「米国における同時多発テロ事件」以降の情勢の中で、生物化学テロへの対処を含むテロの未然防止と発生時の的確な対応を行うための体制が、制度面、装備面、あるいは、関係機関や専門家との連携等、各方面で整備強化されました。
NBCテロ対応専門部隊の訓練
NBCテロ対応専門部隊の訓練

2 国際協力の推進

 「地下鉄サリン事件」(平成7年3月)後、多くの国々から教団や一連のテロ事件に関する情報提供の依頼が我が国に寄せられました。これを受け、我が国の経験を各国との間で共有し、国際的なテロ対策の推進に貢献するため、警察庁を中心に、積極的な対応を行ってきたところです。


3 テロ組織の規制

 教団に対しては、東京地方裁判所が、平成7年10月、宗教法人法に基づく解散命令を決定(8年1月確定)し、また、8年3月、破産を宣告(同年5月確定)しました。
 一方、同年7月に公安調査庁長官が行った破壊活動防止法による解散指定処分の請求に対しては、9年1月、公安審査委員会が、これを棄却しました。
 このため、11年12月には、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(団体規制法)が施行されました。同法に基づき、公安審査委員会は、12年1月、教団に対する観察処分を決定し、さらに、15年1月に、3年間の期間更新を決定しました。

5 国民に不安を与えた「パナウェーブ」

 平成15年4月、「パナウェーブ」の異様な活動状況等をマスコミが広く報道したことで住民の不安が高まり、地域住民による車列の侵入阻止行動等に発展しました。この集団は、6年ころから「会長が左翼勢力からスカラー波(電磁波)攻撃を受けている」などと主張し、白装束の異様な外観で西日本の山間部を中心に車列を組み、電磁波の発生源を調査してきた集団です。これまでも、調査の過程で道路を不法占拠するなど、トラブルが発生していました。
 警察は、これまでも必要に応じ、警告・検挙等を実施してきましたが、住民の不安を解消するため、情報収集を強化するとともに違法行為に対する厳正な取締りを推進し、15年5月以降16年2月までに暴力行為等処罰ニ関スル法律違反(集団的暴行)等4件で25人を検挙しました。


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