コラム5:犯罪被害者等の手記 - 警察庁
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コラム5:犯罪被害者等の手記


磯谷富美子

ここに犯罪被害者遺族となった私の体験を書かせていただくことで、被害者遺族の苦しみや痛みを少しでもご理解いただき、被害者側がこれ以上二次被害等を受けることがないように、そして二度とこのような悲惨な事件が起きないように、社会全体が変わっていくことを願っています。


今から約3年8か月前の平成19年8月24日~25日にかけて、「闇サイト殺人事件」はおきました。被害者は、私のたった一人の娘「利恵」でした。娘は、お金目的に闇サイトを通じて集まった3人の男達によって、自宅を目前に拉致され、その2時間後には惨殺、そして岐阜の山中に遺棄されたのです。その後、きっかけを作った首謀者のC の自首により事件は発覚し、共謀した他の2人も次々に逮捕されました。


平成21年3月18日の一審判決では、A、B に死刑、自首したC に無期懲役が言い渡されました。他の2人とは別に、強盗強姦未遂罪がついた首謀者の自首が、他の2人の量刑を下回るほどに過大評価された判決でした。

その2年後の平成23年4月12日の控訴審判決は、B、C に無期懲役という、遺族の願いが無残に砕かれる判決でした。検察はB のみ上告し、C の上告を断念。闘うすべまで奪われた私は、これまでの3年8か月間に及ぶ闘いも虚しく、司法の非情さと、どうにもできない非力な自分を見せつけられることになりました。


ある日突然の悲報は、当然受け入れることはできません。千種警察署で、事件後初めて娘に会った時も、青くむくんだ娘の顔を見て、強く抱きしめると痛いのではないかと思い、そっとしか触ることができませんでした。事件当時の記憶は曖昧のままで、思い出せないこともありますが、今でもはっきりと覚えているのは、頬をつけた時の娘の頬の冷たさです。現実を突きつけられたショックが、記憶として留まったのかもしれません。


その後、娘が司法解剖を終え自宅に帰るまでに、葬儀場を決め葬儀の打ち合わせをしなければなりません。一睡もできていないこともあり、人の手を借りなければできない状態でした。駆け付けた義兄や、兄の手を借り手配しましたが、このような時に、慣れていらっしゃる方の助けがあれば、心身共の負担が随分軽くなるのではないかと思います。


旅行先で事件を聞き、千種警察署へと向った私共が調書を取り終え、警察署を出たのは午前1時をまわっていました。もう警察署にはマスコミが押し寄せていたので、裏口から出してもらい自宅へと向かいましたが、自宅周辺は既にマスコミらしき車が何台も止まっていました。家にも帰れずにそのまま姉の家に一泊することになりましたが、心身ともに疲れているはずなのに一睡もできませんでした。

取材は一社ではないために、何度も何度も傷口をえぐられる思いで取材に応えてきました。取材が終わるとぐったり疲れ、しばらく横になって休んだこともありました。

そんな思いをした甲斐があり、娘の事件は多くの知るところとなり、署名も予想以上に集まりました。後は一日も早く公判が開かれるのを待つばかりです。その間、被害者サポートあいち(*)の方に、月に一度のペースでお会いし、心情を聞いてもらったり、色々な制度を教えていただいたりしました。最初にお世話になったのは、栄での街頭署名活動の警察への届出でした。また、2人の弁護士の先生も、サポートあいち(*)の方に紹介していただきました。

では、サポートあいちはどうして知ったか。実は事件早々から、警察署の担当の方にパンフレットを頂き、説明を受けていました。法律相談日に、署名用紙の書式の問い合わせはできましたが、サポートをお願いする電話は、大変勇気が要りなかなかできない状態でした。

名古屋には、殺人事件の被害者遺族の自助グループで、「緒あしす」というのがあります。その会を立ち上げられた人が、中に入り取り次いでくれました。その「緒あしす」の人を取り次いでくれたのは、実はマスコミの方でした。

2人の弁護士の先生にサポートをお願いしてからは、公判前整理手続きが終わるたびに、検察庁に出向いてその内容を一緒に聞いていただいたり、公判が始まると、サポートセンターの方々も含め、毎回一緒に傍聴してもらいました。皆様に同席してもらい傍聴することは、精神的に大変心強く助かりました。また、意見陳述書の推敲では、先生方に随分お世話になりました。


娘との時間は、その日以来止まったままで進むことがありません。今でも31歳のまま娘が生き続けています。その娘はいくら声をかけても決して言葉を返してはくれず、黙って笑顔を見せるだけです。いつしかその笑顔が、警察署で見た悲惨な顔や、証拠写真の無残な姿に変わる時、耐えきれず泣きながら頭の中から娘を消し去ります。時間にするとほんの数分のことですが、私が生きている限りこの繰り返しが続くのでしょうか。できることなら娘との楽しかった思い出だけを胸に生きていきたいと願います。


最後に

私はある日突然、見知らぬ3人の男達によって、たった一人の家族を惨殺され亡くしました。仕事を辞め、30年住んだ住居を去り、裁判や署名活動で多額の費用を使いました。

娘は、何の落ち度も関係もないのに、31歳という若さで強制的に人生を閉じられ、夢や未来をすべて奪われてしまいました。

かたや罪を犯した者は、税金で三食食べさせてもらい、病気になれば診てもらえ、各々に三人の国選弁護人をつけてもらえ、あげくに好き勝手な言動でより以上に遺族の心を逆なでします。娘の最後の言葉に耳を貸さずに命を奪ったのに、自らの命は守ろうとして叶えてもらえます。

今私は、控訴審の判決を受け深く傷つき、この国の司法に社会正義が見いだせなくなり、失意の闇の中をさまよっています。被害者遺族の苦しみはより一層深まるばかりです。

*社団法人被害者サポートセンターあいち

※本件の裁判については、本白書編集時、未だ確定していないものもあります。このコラムは、犯罪被害者等に対する国民の理解を深めるため、犯罪被害に遭われたご遺族の素直なお気持ちや被害者支援団体等との関わりなどを手記として掲載するものであり、政府が白書において裁判等に対しコメントするものではありません。


桶田清順

私は、ある日突然、加害者の身勝手な事情が原因で、大切な息子の命を失い、「しあわせ」に生きる権利を奪われ、家族共々悲しみのどん底に陥れられ、精神的・肉体的苦痛を負わされるなどの体験をすることになりました。今でもこれを引きずって日々を送っている犯罪被害者遺族であります。


事件は、平成14年7月21日早朝、東京駅構内のコンビニ店において発生した万引き犯人による強盗殺人事件です。事務所のモニターで万引き犯人を確認した店長である息子は、店の外で男に声をかけ事務所に同道を求めました。男は、事務所の入口付近まで来たところで、護身用として隠し持っていたナイフで息子の下腹部を刺し逃走しました。

息子は、逃げる犯人を見て、咄嗟に捕まえようと追跡したものと思われますが、その途中で力尽きて倒れ、病院に運ばれましたが出血多量で命を失うことになりました。

この事件は、1日に100万人以上が利用する東京駅構内で発生していることや、犯人に刺されながらも追いかけ力尽きて倒れて命を失うことになったことなどで、店長の勇気ある行動がマスコミに大々的に取り上げられ、社会の耳目を集めて連日報道されることになりました。

この事件の刑事裁判では、被告人となった犯人に対して、第1審で懲役15年の判決が言い渡されましたが、検察官が控訴し、第2審で無期懲役が言い渡され、この刑が確定しています。


私達遺族に対する警察の捜査を通じて感じたことについてですが、私達夫婦は、管轄する警察署に案内されて犯罪被害者遺族として警察の取扱いを受けることになりました。

私もかつては、捜査員として犯罪の被害者や遺族への対応を数多く担当してきておりますが、実際に遺族という立場におかれて体験する警察の対応は、見ること、聞くこと、処遇されることの全てに戸惑いを感じさせられました。

私達は、深まる息子の無念に心を痛めながら、また、事情聴取が遅々として進まないことにイライラしながら、「葬式をどうしようか」、「宿泊をどうするか」、「犯人はどうだろうか」など、頭に思い浮かぶ色々なことを考えながら質問に答えておりました。その心中は是非察してもらいたいものと思います。


葬儀が一段落すると、改めて警察の事情聴取が始まりました。私達は、緊張の糸が切れたように、何も手につかない、夜は眠れない、酒を飲んでも効かない、下痢はするし、情緒不安定になるなど、精神的、肉体的苦痛が身体を襲うなかで、捜査への協力、マスコミ取材への対応、風評にも耐えながら、暗くてつらい日々を送ることになりました。


特に母親にしてみれば、息子は、自分のお腹を痛めた分身ですから、その悔しさや悩みは相当のものであったと思われました。そんな時に家内のよりどころになったのは、前々からお付き合いさせていただいて何でも話し合える地域の友達であったようです。

今だからある程度普通に話ができますが、当時の私達は、突然、犯人の凶器で息子を失うという悲劇に出会い、精神的に非常に大きなダメージを受け、正常な判断ができない戦々恐々の毎日を送っていたという状態でありました。皆さんには、犯罪被害者遺族などは、一寸したことにも悩んでいることを理解していただいて、温かい手を差し伸べていただくことが重要であることを分かっていただきたく思います。


マスコミの取材を通じて感じたことですが、私達は、事件当日、警察署での事情聴取を終え、自宅に戻ったところで、押しかけてきたマスコミから取材の申入れを受け、あまりの横暴さに何度となく取材を断りましたが、その後共同取材を受けることになりました。

マスコミの皆さんが、犯罪被害者や遺族、ご近所の住民の理解と協力を得て取材を行い、これに基づいて報道を行い、公益の役割を果たしていることはよく理解しているつもりです。しかし、事件当日の取材や通夜会場での取材を受けた経験から申し上げれば、マスコミの皆さんには、より一層の配慮をもって取材を行うことを切に願うところです。


私は、仕事柄、警察や検察、裁判のことについて少なからず承知しており、色々と対応ができたこともあったものと思います。そういう意味では特別であったのかもしれません。

多くの方がそうであると思いますが、警察や検察、裁判などに対する知識がない方が、もし犯罪被害者遺族だったら迷うことになるのは当然だと思います。

そこで、頼りになるのは、警察や自治体、関係機関、団体の皆様方の支援や協力ということに尽きると思います。また、裁判では、自分を助けてくれる弁護人を頼むことが最良の方法になるものと思います。

犯罪の被害者や遺族の特性をご理解いただいて、関係機関や団体が連携を図り、犯罪被害者遺族が抱えている精神的・肉体的苦痛を少しでも和らげ、また、笑顔を取り戻して元の生活が送れるようになるための支援活動が積極的に推進されることを期待しております。


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