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経済的支援に関する検討会(第10回)議事要旨


(開催要領)

日時:平成18年12月20日(水)10時00分~12時52分
場所:合同庁舎4号館共用第2特別会議室
出席者:
座長國松 孝次(財)犯罪被害救済基金常務理事
座長代理瀬川 晃同志社大学法学部教授
構成員飛鳥井 望(財)東京都医学研究機構東京都精神医学総合研究所参事研究員
岩村 正彦東京大学大学院法学政治学研究科教授
大久保 恵美子(社)被害者支援都民センター理事兼事務局長
佐々木 知子帝京大学教授、弁護士
白井 孝一弁護士
高橋 シズヱ地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人
平井 紀夫元オムロン(株)特別顧問
荒木 二郎内閣府犯罪被害者等施策推進室長
片桐 裕警察庁長官官房総括審議官
三浦 守法務省大臣官房審議官
代理出席振角 秀行金融庁総務企画局参事官
中野 雅之厚生労働省政策評価審議官
安井 正也経済産業省商務情報政策局消費経済政策課長
説明者三井 秀範金融庁総務企画局市場課長


(議事次第)

1.開会

2.第12回検討会の日程調整

3.経済的支援制度のあるべき姿についての検討(5)

4.その他


(配布資料)

資料1國松構成員資料  [PDF形式:28KB]
資料2課徴金関係資料
2-1 金融庁資料  [PDF形式:26KB]
2-2 公正取引委員会資料  [PDF形式:18KB]
白井構成員資料  [PDF形式:177KB]


(議事内容)

○経済的支援制度のあるべき姿の検討について
前回検討会における質問事項について、概略以下のとおり説明と質疑応答が行われた。
(事務局) 資料1は既に配付済みであるけれども、構成員が私案として作成した今後の中間取りまとめに向けての議論を進めていくためのたたき台の資料である。
 それから、課徴金関係資料というのがある。前回の検討会において構成員から調査依頼があった課徴金制度に関する資料である。資料2-1は金融庁、資料2-2は公正取引委員会からそれぞれ提出があった。
 金融庁については、後ほど説明いただきたいと思う。正直申し上げて、要するに不正を正すための懲罰的なお金を取るという話で、ここで検討するものとは若干趣旨が違うという感じがする。
 それから、前回の検討会で構成員から質問があったペルーの日本大使公邸の占拠事件における法人の被害状況、被害者になされた補償について、外務省、警察庁から報告があり、外務省からは日本人に死者はなく、負傷も重度のものではなかった。したがって、日本政府から人質であった日本人に対して補償されたということはないということであった。
 警察からもペルーの事件で犯罪被害者給付金の申請は行われていないという回答があった。
 以上である。
(構成員) 課徴金制度について、財源の議論のところで参考になると思うので、現行の課徴金制度の趣旨、同制度のあらましについて、説明者にきていただいているので、説明をお願いする。
(説明者) 資料2-1の資料を開いていただきたい。
 金融庁は、平成16年の国会の証券取引法の改正で課徴金を導入した。
 この趣旨であるが、まず証券取引法はさまざまな規制をしている。主に投資家を保護するための規定であって、詐欺的な行為、あるいは相場操縦的な行為から、投資家を保護して安心して証券市場で投資活動ができるということが、いわゆる資源配分の適正化、あるいは最適化であるとか、国民経済上の必要な資金、あるいは資金運用、資金調達が円滑かつ適切に行われるという市場の機能を確保するために必要である。
 証券会社を初めとする仲介業者に対しては、登録制度という行政的な制度があって、違反に対しては登録の取消などのサンクションがある。かたや市場参加者に対しては、いわゆる参入規制というか、免許・登録・許可といった事前規制は機能しない。
 国民だれでも証券市場で取引ができるということで、取引の自由が保障されている中で、例えばインサイダー取引を行うであるとか、相場操縦行為を行うといった違反行為に対しては、投資家に対して事前規制であるとか、あるいは登録許可制のような開業規制は機能しない。
 ということで、それらの違反行為に対しては、従来は刑事罰を中心とするエンフォース体系、法執行体制があった。
 不公正取引規制として、典型的にはインサイダー取引、あるいは相場操縦といったものを規制対象とする、それからディスクロージャーといって、企業財務内容を正しく投資家に開示するという規制がある。
 最近だと、日興證券グループの粉飾による違反というのが新聞に出ているが、企業の財務内容をきちんと正確に投資家に公に示す。そうすることによって、投資家は企業の価値を正確にみずから評価して投資を行う。それで株が上がればもちろん利益は出るけれども、下がった場合は自己責任が求められるということになる。証券投資の大前提としての企業財務内容の正しい開示、あるいは取引は相場操縦のようないかさまな形で行われないこと、あるいはインサイダー取引のような不公正な取引が行われないことが大前提であるが、それらの規制に違反した場合のサンクションは従来は刑事罰を中心とした規制、エンフォース体系であった。違反したら懲罰として刑事罰を与えるということで、改正後の現在の証券取引法の最高刑は懲役10年、法人の罰金は7億円というレベルである。ただし、この刑事罰には刑事政策上、謙抑性・補充性という大原則があって、軽微な違反に対しては刑事訴追をしない、差し控えるという人権保護上の大原則がある。軽微な違反について刑事訴追を行うと、その人自身の社会更生を妨げる、あるいは社会にかえって大きなマイナスになるということから、刑事罰は重大悪質な事件というものにターゲットを置いて法執行を行っていくということになるので、軽微な違反についてはどうしても見逃されるということになる。これは、見逃されたことが悪いということではなく、刑事罰のサンクションとしての熾烈性というか、非常に深刻なサンクションを与えるということの本質から出てくる大原則といわれている。そうすると市場で行われた不公正な取引というのが軽微なものであるという理由で制度的に見逃されることになり、市場でいつも不公正な取引が行われているということになるならば、一般の人が安心して投資ができないのではないか。マーケットではきちんとルールが守られて取引が行われるということが確保されているということが一般投資家が安心して証券市場に出てくるための大前提になるのではないかということから課徴金制度を導入したものである。
 諸外国では、アメリカをはじめとして各国とも行政上の制裁金というものを導入している。英語でいうとシビル・マネー・ペナルティーという。シビルというのはクリミナルという刑事罰に対応する言葉であるが、そのマネーペナルティーとか、マネータリーペナルティーということで各国ともペナルティーとして導入されている。
 その趣旨は、もちろん道義的責任を刑事罰で刑事手続を経ずに与えるということではなく、行政上、あるいは民事上の制裁金ということであるので、違反行為を抑止することによって違反行為が繰り返し行われないようにするということである。アメリカのシビル・マネー・ペナルティー、いわゆる民事制裁金、行政制裁金と呼ばれているものも、インジャンクション、差し止め判決、差し止め命令という裁判所の権限から派生してきているので、違反行為が将来繰り返されない、あるいは今の違反状態を解消する、あるいは将来の違反行為を抑止するという発想から出てくるものである。そこで日本での課徴金は、証券取引法が改正されますと、金融商品取引法上の課徴金となるが、この課徴金の趣旨としては違反行為を抑止するということでは広い意味のペナルティーということになる。ただし、刑事罰でいっているような道義的責任、あるいは倫理的な非難ではない、いわば行政上のペナルティーという趣旨である。
 課徴金の対象となる違反行為であるけれども、インサイダー取引、相場操縦、それから風説の流布、偽計である。風説というのは、今年の1月ごろ話題になったライブドアのようなケースである。あのケースは課徴金の規制の施行前で、刑事罰しかサンクションのない時代のものであるが、ああいったうわさを流して相場をつり上げたりするという行為である。それから、有価証券届出書の虚偽記載と有価証券報告書の虚偽記載であるが、これはいずれもディスクロージャー違反であるが、有価証券届出書というのは、新たに株式や社債を発行して資金調達をする場合に金融庁なり財務局に提出するディスクロージャー書類であり、有価証券報告書とは、例えばいったん上場した企業が定期的に自分の会社の企業財務内容を公表するための資料である。どういう財務情報をディスクロージャーするかについては法令に詳細に定められていて、違反には刑事罰もあって、更に、課徴金が課されるという仕組みになっている。
 ちなみに、有価証券報告書の継続開示の違反については、平成17年度の議員修正、議員立法において追加された。
 それから金額水準であるが、制度趣旨はそもそもペナルティーであるので、違反者の経済的利得にかかわらないという整理がされている。その上で、では一体幾らに設定したらいいのだろうかということであるが、過去のアメリカの課徴金の歴史を見ると、最初は違反によって得た利得程度の金額から始まった。そして、1984年、あるいは90年にその改正がなされて、インサイダー取引については悪質性が高いということで、3倍まで取れるというふうに改正された歴史もある。罰金と違って、前例がたくさんあるわけではなく、証券取引法に課徴金を導入した当時は独禁法に前例が一つあるという状況で、その金額水準というのが売上高の6%ということで、その6%というものが違反、談合、カルテルなどによって得た経済的利得程度のものを基準に法律上定めた案というふうに聞いている。ということから、初めて証券取引法上課徴金を導入するということなので、ペナルティーとはいえ、余り高いということでもいけないと。それから、もちろん不正に得た利得を下回るような水準の金額では、課徴金を入れた意味がない。そこで、ペナルティーとして必要最少限度の水準からまず始めようということで不正に得た利得程度のものを法定化して、法律で定められた算式によって課徴金額を払っていただくということになっている。
 この課徴金は、例えば不正利得は、民事上の不当利得とは関係ないという整理を法律上明確にしている。
 刑事罰との関係については、課徴金もペナルティーであるので、一定の範囲で調整が必要であるということで、若干調整をしている。かたや民事の不当利得との関係は基本的に違う制度であるということで整理しているので、例えば、不正なディスクロージャー、虚偽のディスクロージャー書類を作った。いわゆる粉飾決算のディスクロージャー書類を公表したとすると、それによって、本来だったら、紙切れ、無価値の株式を100万円で買った投資家がいるという場合、この投資家というのは会社に対して100万円の損害賠償請求を持つ。無価値なものを100万円で買わされたということになるので、100万円の詐欺の被害にあったということになる。
 そうすると、会社に対して100万円の損害賠償請求権があるが、国はこの100万円とは別に法定された、これは金額によるので100万円とならないこともあるが、その発行金額の1%ないし2%、あるいは継続開示だと一定の計算式によって算出された金額の課徴金を国に払う。例えば、それがたまたま法令上計算された金額は100万円だったとすると、違反者は被害者に100万円払い、国に100万円払い、トータルで200万円の出費をするということになる。そのうち、被害者に払った100万円はまさに損害の回復として払う。国に払ったほぼ同額程度の金額は、いわばペナルティーとして、要するに違反は割に合わないということを身をもって体験してもらうために払っていただくものと整理されている。
 インサイダーや相場操縦の場合、課徴金を払って倒産するということはないであろうが、仮に粉飾決算だと実際に破産している会社が黒字に見えているということがあり得る。ということで、すべての課徴金全体に対して同じ整理をしているが、カルテルなどと違って、証券取引法上の課徴金を支払う違反企業というのが課徴金を払う段階、あるいは払う前の段階で財務内容が非常に悪い場合、被害者に払う先ほどの100万円と国に払う100万円の優先関係をどうするかという問題が起こる。独禁法ではご案内のとおり、国の課徴金が国税債権、地方税債権に次いで優先し、民間の被害者債権に対して優先するという仕組みになっているが、証券取引法上は今申したような理由から被害者の100万円と国の課徴金が競合する場合には、被害者の賠償金が優先し、国の課徴金が劣後する、こういう整理をしている。この点で証券取引法の課徴金は劣後債権になるという点で罰金と同じように整理されている。したがって、仮に加害企業が手元に100万円しかなく、国の100万円と被害者の100万円が両方払えない場合には被害者に100万円先に払って破産するという形になる。
 それから、そういう配慮をすると同時に、被害者救済のための改正もしている。例えば、継続開示で粉飾決算があり、そのために本当は株価はゼロ円になってしまうような内容の会社の株価が100万円でついていたというようなケースで、この100万円で株を買ってしまった。ところが、その後粉飾決算があったと、会社あるいは金融庁が公表したので株価がゼロになった。こういうふうなケースだと、被害者は100万円の損害を受けることになる。
 通常は、被害者は今の100万円の損害賠償を行う場合、違反行為があったこと、それから、自分が100万円の損害を受けたこと、その自分の損害と違反行為の間に因果関係があるというすべての損害賠償請求の要素を立証することが必要になる。証券取引法では今のようなケースについては違反行為があった、粉飾決算があったということを原告が立証すれば、それ以外の挙証責任をすべて免除する、正確にいうと、違反企業側に挙証責任を転換するという規定を置いている。その上で損害額は今のようなケースだと、これが粉飾だったということが公表される前の1カ月間の平均の株価とその後の1カ月間の平均の株価の差額を損害額と推定するという規定を置いている。だから、粉飾であることさえ立証すれば、その差額の100万円が損害賠償額として推定され、違反企業が反証に成功しない限り被害者は100万円の賠償金は取れるという仕組みになっている。
 ここから先は事実上であるが、仮に監視委員会が粉飾決算を立証して課徴金をかけるということになると、いわゆる民事訴訟法上の既判力ではないが、違反があったということは強く推認されるので、事実上被害者はそのようなケースにおいてはほとんどの立証責任なく、損害賠償を受けるという結果になるものと思われる。
 それから審判手続を経る。金融庁に現在審判官が3人いて、2人が裁判官、1人は民間人で、いわゆるキャリアの行政官ではない人間を置いている。それから、その審判手続に入る前に、金融庁の場合には、証券取引等監視委員会という別の独立した委員会があって、ここは行政機関の立場を離れて、独立して調査を行って、違反行為を認定する。勧告があると、審判開始決定という行政行為が行われ、今申した独立の審判官が審判を行うことになる。説明は以上である。
(構成員) 1点だけ。課徴金納付命令の実績によると、平成18年12月6日現在で、合計で793万円になるけれども、今までの実績はこれだけか。
(説明者) そうである。先日報道のあった日興グループの件では仮に違反事実がそのまま認められると課徴金額は5億円である。
(構成員) 課徴金はどこへ入るのか。
(説明者) 国庫に入る。
(構成員) 一般財源であるか。
(説明者) 一般財源になる。それは罰金等と同じ扱いになる。
(構成員) まとめて見ると、要するに市場というものを健全に機能させるための規制がまずあって、その違反によって不当な経済的利益を得たものに対して、ある意味損害賠償とは別に、経済的利益を吐き出させるというような形で制裁をかけ、課徴金を取るという、大まかに言うとそういう理解とでよろしいか。
(説明者) 補足説明をさせていただきたい。それについてはこういう議論があった。
 不正利得を吐き出させることが目的なのか、ペナルティーが目的なのかということで、このときは独禁法の引き上げの改正論議があった時期であって、証券取引法は不正利得を吐き出させることが目的の制度ではなく、ペナルティーをかけることが目的であり、
不正利得というのは、金額を決めるためのメルクマールであるという整理をしている。したがって、不正な利得を吐き出させることが目的ではないので、最初から不正な利得を超えたり、足りないというのは目的は達成されないけれども、不正な利得を超えてペナルティーの金額をかけることは最初から想定されているということである。
(構成員) それでは、本日の検討に入る。
 冒頭事務局から説明があったとおり、前回の検討会までであわせて検討することとされている3つの論点、すなわち損害賠償債務の国による立替払及び求償の是非、公費による弁護士選任、国による損害賠償費用の補償等の是非、被害直後及び中期的な居住場所の確保、この3点を除き、大体ひとあたりの検討をいただいた。
 前回の検討会で提案させていただいたとおり、前回までの検討と議論の流れを私なりに踏まえ、議論のたたき台とするため、一構成員の立場であるが、私案のようなものを作成したところである。
 お配りしたたたき台のペーパーの中で、黒丸で示してあるところが私案の部分である。このたたき台はあくまでも議論を前に進めるためのもの、議論をさらに詰めるためのものである。これが最終案でも何でもないし、これが中間答申なり、あるいは最終答申なりのたたき台になる、土台になるというものでもない。したがって、構成員の皆様にはたたき台をもとに、これまで同様活発な議論をいただくようお願いする。
 繰り返すが、たたき台であるので、踏んでも蹴っても構わないというものであるので、よろしくお願いをする。
 早速討論に入るが、まず1の経済的支援の理念・目的・財源などに関するもの、これは並行審議ということで、これまで議論をしているものである。この理念・目的はいかにあるべきかということについては、私なりに議論の流れを見た上で、社会の連帯共助の精神に基づく被害者の尊厳ある自立を支援するというまとめでいかがかという案を出しているので、この案につき、構成員各位の意見を承りたいと思うが、この点については本日構成員から出ている資料の中に既に意見が出ているので、構成員から補足して説明することがあればお願いをする。
(構成員) 当日の配付になって大変申しわけないが、私の意見は今日出したものはとりあえずのもので、全体的なものについては、また改めてちゃんとしたものを出したいと思っている。理念・目的の記載の仕方については、その後にある給付水準の引き上げの問題とか関わっていて、その給付水準の考え方は被害者が受けた損害の一部をきちんと国で補償するという考え方に立脚するのか、そうではなく社会連帯共助からする恩恵的なもので、ただ現行の犯給法を前提にして金額だけを増額させるという考え方に立脚するのかによって大幅に考え方が違ってくるし、金額も違ってくる。後で説明させていただきたいと思うが、私としては基本法が成立して、被害者の尊厳にふさわしい処遇を保障される権利があるということをきちんと明記したわけで、それに従った十分な補償ということでいった場合は、やはり被害者が受けた損害について被害者にだけ負担させるのではなく、その一部を社会で負担しようではないか、社会を代表するものは国であるから、国が損害の一部を補償するんだというふうにきちんと明記すべきである。そのことによって、また次の給付水準の計算の仕方、考え方にも非常に大きな影響を与えるのではないかと思うので、社会の連帯共助に基づき、犯罪被害者等が被った損害の一部を国が補償するというふうにしていただきたいと思う。
(構成員) 私の考えを申すと、被害者の権利性ということがあるが、それは私の書いた文言にしたからといって、それが損なわれるものであると私自身は思っていない。特に、また社会連帯共助の精神という言葉を書いたから、被害者の権利が一部侵害されるとか、より補償を低く抑えられるということではないと思う。今、構成員からお話があったように、結局は給付水準の引き上げ指針を考える場合に、どういう理念で行うかということは関係があるわけであるが、自立をし、尊厳ある自立を支援すると場合と補償すると書いた場合でどれだけの違いがあるかということは、何ともいえないと私は思う。社会連帯というと、何となく見舞金であるとか、恩恵的なものになって、補償といえば何か権利として確立して国の方はそれに対して責任があるという考えになるというのもよく考えてみないといかんところがあるのではないかと思う。
 つまり、補償ということになると、要するに被害者とそれを補償する国というものが両方対立して、片方に権利があり、片方に義務があるというような構造でずっと物事を考えていく形になるが、そういうことをして、本当に被害者の実際に受けるべき給付水準というのは上がるのであろうか。そこが違うのではないか。自立を支援するということは恩恵でも何でもないわけで、自立の支援を受ける一種の権利を被害者は持っているという解釈で何もおかしくないわけであるから、やはり被害者が自分で立ち上がり、歩けるようになるまでの間、社会連帯の精神に基づいて支援を行っていく、それがいわば国の責務であると、こういう理解で何もおかしくない。それから、これは私もよく分からないが、補償するということを書くと、確かに犯罪の中には国が補償しなければならないような状況で起こる犯罪というのはたくさんあるんだろうと思う。特に、もう少し具体的にいえば警察が措置をしておればこの犯罪は起こらなかったんではないかという犯罪は当然あるわけであるので、そういう場合はまさに国が補償するという場合もあるかもしれない。しかし、私の今までの実務経験からしても、犯罪の起こり方は多種多様にわたり、国が云々というよりも、まさに被害者と被疑者の関係において犯罪は発生してくるわけである。さらにいえば、被害者と加害者を考えた場合に、実は犯罪の発生の原因について考えた場合には、被害者の方がむしろ犯罪発生について責任があるという場合も多々あるわけである。そういう場合に国が補償するという形でいいんであろうかという点が一つ出てくる問題だろうと思う。
 補償するということになると、補償するべき被害者にだけ補償するという感じで、むしろ被害者が限定されるようになってしまうのではないだろうか。被害者として補償を受ける場合には補償を受けるような状況の中で犯罪が発生したということを立証できないと、何となく被害者に対する経済的支援の枠組みから外れてきてしまうという感じになって、むしろ被害者の権利を狭く解釈してしまうというようなこともあるのではないだろうか。
 つまり、あくまで被害者全体としてとらえて、自立をしていく、それを支援するという整理の方がいいのではないのかなと思って、こういうやり方になっていて、よく突き詰めていくと、それほど違いはないし、むしろ自立支援といった方が被害者の給付水準というのは、ある程度上がっていくというような感じもするわけである。現在の犯給法も後で恐らくまたいろいろ議論があると思うけれども、見舞金という性格は超えているんだろうと思う。いろいろな要素が入ってきていると思う。したがって、補償といったから、あるいは社会見舞金といったから額がそれほど違ってくるということはない、むしろこういう理念で整理した方がいいという場合の理念の出し方はちょっと新しい角度から考えなければならないのではないかと。連帯か、あるいは補償かという二極対立で考えない方がいいのではないかというのが私の意見である。
(構成員) 今の構成員とそれから構成員のお話を伺って、意見を申し上げさせていただきたいと思う。
 まず第1に、権利か恩恵かということの問題が提起されているが、私の理解では目的規定をどう書くかということよりも、むしろ実際の例えば給付金を受け取るプロセスの中でどういう形で給付金の支給が決定されるのかという法的なメカニズムの構成によるところの方が実は大きいように思う。これは社会保障の方でよくある話で、もともと例えば障害者福祉とか高齢者福祉のところでは、いわゆる行政が職権で決定してサービスを行うという仕組みが従来とられていて、そういう意味では、例えば行政の決定に対して取り消し訴訟を起こしても多くの場合門前払いになってしまうというような意味でサービスを受ける人の側の権利というのが余り認められていなかったということがある。だから、目的規定が例えば障害者福祉法その他を見ていただくと、非常に美しく書いてあるけれども、実態として、サービスを受ける、あるいは給付を受けるということについて権利という性格があったかというと実はそうではなかったということがある。他方で高齢者については介護保険なりで障害者については今度自立支援という形になって、これは給付を受ける法的な仕組みというものが大きく変わって、むしろ権利という形で明確に整理されているということがあるので、要は給付金を支給するメカニズムというものを法的にどう仕組むかというところで権利か恩恵かということが決まってくるのだろうと思っている。
 それから第2に、目的規定の書き方そのものをどうするかということはいろいろな書き方があり、構成員の案とそれから構成員の案とうまく調整するということも可能だろうというふうに思うが、私自身としては第一に国と被害者の方々と二項的に考えて、その間の権利義務と考えることについては、余り賛成ではない。これは、社会保障でも議論があるが、どちらかというと、社会全体で被害者の方を支えるという話であろうというように思うので、余り国と被害者と二項的に考えて権利義務関係と考えるよりは、むしろ本当の姿に即した形で理念というのは立てた方がいいのかなとい思う。
 それと、もう一つは損害の一部の填補、補てん、補償ということも確かにそうであるが、それだけにとどまってしまうより、やはりそこから一歩踏み出して構成員が書かれているような尊厳ある自立の支援ということが私は重要ではないかと考えている。
 そのほか書き方についてはいろいろ構成員の考え方と構成員の考え方をうまく調整することは可能だと思うので、それはまたこの先議論していけばよろしいのではないかと思うが、第3点目は議事の進行について、この理念・目的のところをもちろん議論することは必要であるけれども、入り口の段階で余りこれに時間をかけるのは効率的ではないと思う。私としてはもう少しご議論いただいて、各構成員の意見は伺った方がいいと思うが、そのほか今回の座長のたたき台は論点多岐にわたり、従来議論してきたところ、非常に広く取り上げてそれぞれの私案を示していただいているので、まずその先の議論を十分詰めていった上で、最後ある程度、実現可能性も含めたところでの具体的内容をある程度詰めた上でそれに即した形で、将来を見越して何か理念・目的というのがうまく書けるかということで議論するということの方がより的確な議論ができるかというような気がする。判断は構成員にお任せする。

(構成員) 私も同じ感想を持っている。先ほど構成員はたたかれても蹴られてもと言われたけれども、まだその段階ではないと思う。まだまだこれからが正念場で、この段階ではむしろ構成員と我々が率直に話し合うというか、自由な討議というか、そういう段階でしかないのではないか。恐らく来年度にかけて、これから本番が始まるので、そんなに悲壮な決意を持たれる必要はないと考えている。
 この私案を見ても、まだまだ不十分なところもあるし、省庁間あるいは省庁と我々検討会との間で、まだまだするべきことがあるように思うので、むしろ率直な意見交換をするという場であっていいと思うし、それから先ほどの構成員と構成員との議論だけれども、私は実質的な中身の対立はないという感想を持った。構成員のおっしゃっているのは、むしろ具体的な中身の議論の中で、まだまだ全体に実質的な補償ができていないのじゃないのかということを議論されているように思うし、それから今構成員がおっしゃったように法的な枠組みをいかにつくるべきかということで、むしろこれからの議論を踏まえて理念というものを考えてもいいと思う。
 それから、構成員が補償ということをおっしゃっているが、この補償というのは我々にとってはよくわからない言葉であるけれども、私が日ごろ思っているのは比較的あいまいな言葉ではないかと考えている。国家賠償といった場合は、具体的な権利という点では大きな意味を持つと思うが、補償といった場合は比較的一般用語例としても使うし、しかも国家に対する権利としても使うし、あるいは社会保障的な意味にも使うと思いますので、補償するという言葉を書いたからといって、構成員がおっしゃっているような中身が出るかどうかについて私は検討の必要があるのではないかと思う。
 以上である。
(構成員) 進行について、構成員や今、構成員のおっしゃったように、中身の問題を議論するということについては賛成であるが、ただ私が損害の一部を国が填補するのだということを明確にしてほしいと言ったのは、犯罪被害者が被害を受ける場合の補償は自賠責保険の政府保障事業とほとんど同じように考えるべきだということである。それは、例えば下関の駅の事件のように、同じ加害者に同じ機会に被害を受けたにもかかわらず、自動車でひかれた人は相手が全く無保険であっても政府保障事業で損害賠償金の一部を補償する。ところが、ホームで刺されて殺された人は、犯罪被害者給付金しか出ない。それで、なぜ今私たちが自賠責保険並みと言っているかというと、こういう補償の仕方は同じ国が補償しているのに不公平ではないかということで、きちんと自賠責の政府保障事業のように被害の一部を国が負担するのだということをはっきりさせないと、後で給付水準のところで計算の仕方がまるっきり違ってきてしまって、また下関事件のような事件が起きたときに、同じように差が起きてしまう。 であるから、構成員が文言が自立の支援かそれとも補償の一部負担かでそれほど違わないのではないかということをおっしゃったけれども、現にそのような差別が事件の被害者に起きているので、そういうことが起きないようにはっきりと定めていただきたいということである。
(構成員) 分かった。今のことについて私の意見もある。実は構成員及び構成員からご意見があったとおり、議事の進行については、両構成員のおっしゃるとおりだと思う。ただ、制度設計はもちろん考えるわけでありますが、その制度設計をどういう考えでやるのかというところにはどうしても戻ってくるので、今日は余り深く突っ込むつもりはないが、ひとあたり各構成員のご意見はお聞きしておきたいと思うが、構成員、いかがであるか。
(構成員) 私は現在の犯給法の趣旨からいって、司法、刑事に対する信頼感の醸成という趣旨とそれから損害賠償の一部補填といった内容が現在の犯給法に含まれ、さらにそれが14級まで拡大されてきた。であるから、より損害の補償的な意味のウエートが高くなっている。またこの場でも構成員から見舞金という呼称に現時点でそんなにこだわっている状況ではないというようなご発言もあった。したがって、基本的には給付金の中に、新しい仕組みの中でも既に含まれている。であるから、そういう意味では損害賠償だけの意味ではないというように私は考えている。そして、構成員の出された案は端的に書かれていると思うが、私が感じたのは、自立は別に犯罪被害者だけではなくて、国民全体ということになるかと思うけれども、ここのところは誤解を招いてもいけないので、基本法の第2条、あるいは第3条で被害を回復または軽減し、再び平穏な生活を営むことができるようにということが基本法で二度にわたってうたわれていて、私はそのことを明記する方がいいと思う。そのように考えることが妥当なことではないか。そして、今構成員のお話を聞いて、整理いただいたのでよく理解できると思っているところである。以上である。
(構成員) 私は遺族であるので、理論的なことは言えず、多分感情的に物を言ってしまうと思うけれども、そもそもが事件が起きてから後、加害者は被疑者の段階から弁護士がついたりとか、刑に関してもいろいろなサジェスションを与えられて、なるべく処罰が軽くなるようにという努力もされたり、それから刑が執行されてからも、自由は奪われるものの、衣食住満ち足りているわけである。それに比して被害者は何も国から守られていないではか。そこである。ずっとそれが一生続くわけである。であるので、基本法によって犯罪被害者がだれ一人落ちこぼれることなく、しかもシームレスに平穏な生活に戻れるまで継続的にということがうたわれているわけであるから、それが表に出るような形ですべてのことが具体的な施策につながるようにしてほしい。であるから、国の補償も、それも一人の被害者として願うことであるし、構成員の私案の中でも対象外とするというところが私は非常に気になっているけれども、対象外にしないような何かができないかというのを考えなくてはいけないんじゃないかと思っている。
(構成員) おおむね私は構成員私案でよろしいかと思っているけれども、構成員がおっしゃったように、基本的にはどういう言葉にするかで変わってはこないかもしれないと思う。構成員が言われる補償であるけれども、構成員がおっしゃったように犯罪にもいろいろな種類があるので、確かに国が補償しなければいけないというような犯罪類型もあるかと思えば、構男女間のもつれからきた事件とか、本当に個人ベースの事件であれば、本来加害者が賠償すべきというのが当然であって、恐らく社会もそのように受けとめやすいものを国がなぜ補償するという形になるのかという理論的な構成が、例え賠償と比べると補償というのはあいまいな言葉であるとはいえ、何となくしっくりこないかなという感じもする。
 権利であると基本法がうたったというのは大事なことであるけれども、その権利を具現する方法として支援であるか、補償であるかという言葉よりも、実際はどこまでの範囲で給付を認めるか、どの程度の額を認めるか、それからどういうふうに給付を受ける手続を容易化していくかとか、どういうふうに継続的に出されるかとかというところもあるかもしれないし、とはいえ財源も無限にあるわけではないので、ほかの給付との調整もあるし、どういうところで折り合いをつけていくかというところであって、入り口であるから一応この程度で意見を述べさせていただく。
(構成員) 法律に詳しい方のお話を聞いていると、補償なのか、給付なのかとか、さまざまな言葉そのものによってさまざまな解釈があるようであるので、私自身は細かい言葉の解釈をどこまで正しく理解できるのかということはよくわからないし、またそのことについては、法律家あるいは関係者の皆さんがそういう言葉をきちんと集めて一番よい形で犯罪被害者に今よりも経済的な支援を手厚くする方法でまとめていただければいいことだと思う。
 構成員案の社会の連帯共助の精神に基づき、被害者の尊厳ある自立を支援するというこの言葉自身は、犯罪によって平穏な生活を乱されてしまった被害者がその後さまざまな支援を受けながら自分も努力をして、またもとの生活を少しずつ取り戻すという意味ではとてもわかりやすい内容ではあると思っているす。
 ただ、せっかく理念として一番初めの方に書く文章になるのであれば、やはり基本法では権利という言葉が入っているので、例えば「精神に基づき、被害者の権利として尊厳ある自立を支援することを保障する」というような形で入れていただけると犯罪被害者の人たちは法律はわからないけれども、一つ一つの言葉によって国から守られているということを実感できる。そういうことが被害から回復をして自立をしていくというときにはとても大事なことだと思っているので、あとは技術の問題とで、どのようにしていけばいいのかは専門家の方に任せたいと思います。
(構成員) 理念の問題は、この検討会で一番最初に口火を切って論点として出したので、そのことも思い出してお話しする。
 私が最初理念のことを考えたときに、社会にとってわかりやすい、立場によっていろいろな解釈ができるあいまいさを残さないようにして、この制度はこういう理念に基づいて行っているということを明確に国民に伝えるような形の方がいいのではないかと考えた。そのときに、ここにある社会連帯共助とか、自立支援とか、それからドイツ流の国家責任説とかいろいろなものがあったけれども、ドイツの国家責任説については、本当に素人なりに考えてのことであるけれども、国が意思的行為としてかかわった戦争ということへの責任と犯罪ということへの国のなすべき行為を一緒の理念にしているということについては、少し首を傾げるところがあり、理解されにくいのではないかと考えて、そのときに社会連帯共助ということが中心でいいのではないかという意見を述べさせていただいた。
 補償ということが法的にどの程度の意義を持つのかということは分からないが、補償という言葉が入って、それはいわゆる国家責任説、犯罪が起こったことそのものに対しても国家に責任があるといったような考え方だと、疑問を感じる意見も多いのではないかと考えている。そこのところへのあいまいさを余り含まない方がいいのかなと考えた。
 それから、もう一つ、先ほども構成員から意見も出て、自賠責では確かに政府保障という言葉がある。これも大きく引っかかっている。自賠責では保障という言葉を使っているので、自賠責が今制度を考えていく場合の一つの最もわかりやすい基準になるだろうというのは、恐らく構成員の方、共通の認識を持っておられるのではないかと思う。ただし、自賠責では政府保障分とそのほかの部分とで違う部分がある。それは先ほど構成員が言われたように、自賠責一般では被害者の過失責任ということは余り意味をなさない。それよりも、ともかく救済ということがあって、それは多分連帯共助の精神だと思うけれども、ともかく無保険者、あるいはひき逃げ事故等で多大な損害被害を受けた人をまず救済しようということで、その人の過失がどうだったかということについては、それほど議論をしないで、十分な保障をしようということが先にきている。しかし、政府保障分については、一般の交通事故ではそうであるけれども、政府保障分のひき逃げ、あるいは無保険者については、これは過失割合ということをかなり厳格に見る。その違いがあるわけであって、確かに国家が補償ということを明示すると、構成員が言われたように、被害者の責任割合はどれくらいなのかということをかなり議論しなければならないと一つ心配をしている。
 交通事故の場合は、あらゆる状況での過失責任の判定システムがきちんとでき上がっているので、交差点でこういう状況で事故が起きた場合は、加害者車両に何割、被害車両には何割とか、過失責任の判定システム、評価システムはもうできているので、比較的判定しやすいが、犯罪の場合に被害者の過失責任割合をどう評価するのかというのは、とても難しいのではないかと思う。警察庁の方にも、例えば犯給法の例なんかでもそういったようなことがどの程度迅速にできるのかどうか、どの程度評価システムが技術的に整っているのかということをお伺いしたいのであるが、補償という言葉が入ったときに、その点は危惧を感じている。
 以上が意見である。
(構成員) 今の自賠責の政府保障の方は「保つ」である。一方で、構成員の言う「補償」する場合の「ホ」というのは「補う」ということである。だから、そこら辺も聞いただけだとどっちがわからないところもある。賠償というとはっきりと分かるけれども。余り深入りせずにと思う。
 行政側のご意見も聞きたいと思うが、構成員、何かこの理念の問題についての意見があればお願いする。
(構成員) 結論から申し上げて、構成員の考えでよろしいのではないかと思う。
 補償という言葉の意味があいまいであるというお話もあったけれども、仮に補償という言葉の中に国の責任を認めるとか、また損害を填補するとかというお考えを込めておられるとすれば、そういう考え方は今は少なくともとっていないし、これからもとることは難しいのではないか。もちろん、今お話しがあったように、犯罪被害者も千差万別であって、一律にこういった考え方をとることは、これはできないのではないのかと思っている。
 それから、構成員から基本法のお話が出たけれども、まさに基本法にも支援を行うと書かれているので、これはやはり国が、被害者を守るために支援をするというのが素直な考え方なのではないのかなと思う。
 あと、構成員が見舞金という言葉に随分こだわっておられて、従来からそうおっしゃられるけれども、確かに法律制定時には見舞金的給付という言葉は使っている。ただ、その理由は、今もちょっと申し上げたように損害の填補ではない、また国の補償ではないという意味でこういった言葉を使ったのであって、決して恩恵的とかそれから自由裁量的な意味での見舞金だという意味で使ったのではないということはぜひご理解をいただきたいし、現在の給付水準も見舞金という限度はもうとうに超えているというふうに言えるので、我々も最近は見舞金的給付という言い方はしないということにしている。
 自立支援というか、立ち直りを支援するという考え方で現在犯給法に基づく給付は行っているということである。
 また、権利ということの意味であるけれども、犯給法は、今申し上げた恩恵的、自由裁量的ではなく、法律や規則で給付の要件はきちんと決まっているので、覊束裁量的に我々はやっているわけで、決して自由裁量で増やしたり、減らしたりということはできないわけである。
 そういった法律や規則で定められた要件に該当されている方であれば、それは潜在的な意味での給付を受ける権利はそこで生じている。ただ、権利は裁定の手続を経て顕在化すると思っているから、決して被害者の方に対して恩恵的とか自由裁量的な給付を行っているわけではないということは、ぜひご理解をいただきたいと思う。
 あと、構成員からお話があった帰責性の判断は行っていて、犯罪の発生について責任があると認められる場合には一定の減額を行うという形になっている。
(構成員) ほか行政側でこの理念、目的という問題でご発言することがあればお願いしたい。
 構成員、いかがであるか。
(構成員) 特段、皆さんがおっしゃることにつけ加えることはないけれども、今も構成員から言われたように、権利義務というのは法律の中である一定の要件のもとで支給を受けることを求めることができるという形で構成して、それに従って行政が事実を要件に当てはめて支払う仕組みをつくれば、権利義務は観念できるということになるのではないかと思う。
 それから、補償という言葉が多義的であるので、その言葉を重要視されるのであれば、むしろその意味内容を突っ込んで議論すべきであるし、最終的にはその補償という言葉が適当なのかどうかということにもなるのではないかという感じがする。
(構成員) 先ほど両構成員からお話が出たとおりに議事は進行してまいりたい。この問題はこれ以上突っ込まずに、結局その給付内容、特に給付水準がどうなってくるのかというのが一つの大きな問題でもあろうと思う。
 ただ、それを議論するときに、どうしてもこの理念という問題が出てくるのではないかと思うが、もう一回その場合にはバックして議論をすればよろしいと思う。この問題はこの程度にする。私もこの表現に固執して何が何でもこうだと思って言っているわけではない。ただ、一つの整理の仕方としていかがかということである。
 先ほど、構成員から出たように基本法に戻った表現、基本法に即した表現はいかがというのは大変傾聴すべきご意見だと思うので、何かそういう形で表現は別途考えればいいと思う。
 私の印象では、私と構成員の間の給付水準とかほかの論点についても、持っていき方に関する認識はそんなに違わないのではないかとも思っているので、ここはこれ以上は突っ込まずに次の問題に移りたいと思う。よろしいか。
 それでは、次の検討に進み、給付水準の引き上げの指針についてご議論をいただく。
 私からは、理念を自立支援に置いたので、自立支援の観点から実質的に自賠責並みの水準に近づけるよう必要な引き上げを行う。具体的にはそこに書いているので、それはご参照いただきたいと思う。
 もう一つの論点は、重傷病給付金対象者についても、治療期間が長期にわたるものに対しては、医療費とは別に、新たに、休業補償を考慮した一定の支給を行うという形で整理をしておるわけであるが、この給付水準の引き上げの指針に関しまして、ご意見があればお願いしたい。
(構成員) その前に文書の内容が非常にいろいろなふうに解釈できてしまい、苦労した。
(構成員) どの文書であるか。
(構成員) 今の構成員私案の給付水準の引き上げ指針というところである。
(1)のところで、実質的に自賠責並みの水準に近づけるよう、必要な引き上げを行うというので、この点については、今までこちらの方でもお願いしていた表現にはなっているけれども、その中身が問題なわけである。どういうふうに理解していいか。というのは、少し下の方に、「引き上げに当たっては、重点的に引き上げをはかる重度後遺障害者に対する給付金について、別途給付対象となる医療費等の給付を加えた金額が現行の犯罪被害者等給付金の最高額を概ね倍増する水準に近づけるよう努め」と書いてあるから、具体的にはどういうことをイメージしているのか説明いただきたいのであるが。
(構成員) ここのところは積み上げ方式でこういう形で倍増していこうということについての具体的な指針があるわけではない。ただ、引き上げる一つの目標としては、非常にラフな議論になるが、大体自賠責並みぐらいのところに持っていくように努力するということだと思う。それをちょっと言いかえた形になっているわけであるが、引き上げる場合に、何をどう上げるかというのは、重点になるのはやはり重度後遺障害者に対する給付金なのではないだろうか。遺族給付というのは、今でもかなりの高い水準であるので、とにかく、一回中心になるところを引き上げていって、それが今でいうところの大体倍近く、これは医療費を含めてということで、そういう形で引き上げていけば、ほかもそれで全部上がっていくのではないのかというような漠然としたイメージで恐縮であるが、そういう考えをしている。
 その中身をどうしていくかということについては、またこれからご議論の対象にもなるだろうし、実際にやるとなったら、行政側でいろいろお考えいただかなければならないことだろう。一時金の給付水準を上げるにあたっては、ほかにも補装具とかいろいろなものをどこまで入れるのかというのはまたご議論いただいた上で、とにかく中心としては重度後遺障害者に対する給付金を何とかもう少し上げていけば、ほかも全部つれて上がっていくというように思う。具体的にどういう支給内容になるのかということは、もうちょっと議論してみないと私自身もよくわからないという問題ではないかと思う。
(構成員) 確かに現行の給付金の一番最高額が重症者で1,800万ぐらいになりますので、それを2倍すれば3,600万円になる。そうすると、自賠責の政府保障事業の4,000万円に近づく。ところが、現行の給付制度というのはどうなっているかというと、資料にお配りしたが、一番後ろのページに障害給付金の基礎額が書かれているけれども、この障害給付金の支給の仕方というのは、例えばもし20歳未満の被害者が1級の障害になったとする。そうすると、最高額が5,300円で最低額が3,600円である。それで、1級の1,340倍というものを掛けるわ。そうすると、3,600円の1,340倍だと484万にしかならない。
 そこで、先ほどの構成員私案の現行の犯罪被害者等給付金の最高額をおおむね倍増するというと、この5,300円と3,600円をただ倍増するだけでは484万円が968万円にしかならない。つまり最高額を倍増するとどうなるかというと、5,300円だけ倍増すると、A君のように3,600円のランクの人は全然救済されないことになる。それで、どういうふうに理解したらいいのか非常にわかりにくかったので、話をわかりやすくするために、A君のケースをご紹介した。
 それでA君は1級の障害で一時は植物人間状態だったが、ご両親の必死の努力で10年たった現在ようやく生活訓練センターに行けるようにまでなったという方である。その方の場合でも、3,600円の倍数1,340倍で482万4,000円にしかならない。そして、それを倍額にすると964万8,000円が目安となるが、現在の重傷病給付金の給付期間は、1年に延びたけれども、この方の場合、被害を受けてからおよそ3年間分、たった3年間分だけの医療費等の負担だけでも、そこにあるように集計で1,169万円もの支払いをして、そして医療費の還付金は約327万6,000円という金額があった。それで1年分を計算すると、還付金を差し引いても71万8,900円も負担していなければならない。さらに、3年間の支出項目はそこにあるように病院代の支払いとか、衛生用品代とか、介護費用とかそういうものだけで1,169万になるが、お母さんの長期休職による無給ということは一切損害は含まれていない。それで、医療還付金が327万6,295円と自己負担金は841万5,357円となるが、そのうち約71万円については重傷病給付金で給付されたとしても、さらに高額なものが自己負担になってしまう。
 そして、現在この構成員私案で障害者年金その他の障害者福祉制度における給付も考慮しつつとなっているので、現在の状態を確認したところ、A君は障害者福祉年金を月8万2,500円受給している。ところが、生活訓練ホームに月2万3,000円、身障者ケアセンターに月3,000円、嚥下障害があるため、経管栄養を1本につき400円のものを1日3本で月3万6,000円、おむつ代と尿パット代が月8,000円。彼を送り迎えしなければならないので、特別にベッドが寝られるような車にしてあるが、その駐車場代が月5,000円、合計7万5,000円を毎月支出しなければならない。であるから、生活費は全くこれに含まれていない。それで、この8万2,500円もらっても、それはほとんどなくなってしまうという状況である。
 したがって、もし構成員私案をこのように解釈すると、A君の場合には、もう4年目からはほとんど無補償に等しい状態になってしまう。ところが、自賠責の政府保障事業ではどうなるかというと、A君の場合は高校生だったので、自賠責の政府保障事業の計算では全年齢の月別平均賃金41万5,400円を基準にしてライプニッツ係数で計算するので、逸失利益だけでも9,056万円になって、さらにそのほかに慰謝料等が加算されるので優に4,000万円を超えるわけです。そうすると、A君の場合は、4,000万円の受給を受けられる。
 それなので、犯給法を単純に倍額するというだけのものと、政府保障事業のような意味での自賠責並みという意味とでは全然意味が違ってきてしまう。被害者にとっては補償される金額が全然違ってきてしまう。もう本当に家族涙ぐましい努力をしていて、昨日も「先生、やっとAが少しだけ声を出せるようになったので、もしかすると来年の4月から養護学校に入れるかもしれない」と、奥さんが泣いているのを聞くと、自立のために一生懸命やっている被害者は何も国に全部を頼ろうというわけではない。国に何でもかんでも補償してくれと、モラルハザードなんかやろうと思っていることは一つもない。一生懸命家族で努力して何とか自分で立ち直ろうとしているのに、これだけの補償金でいいのかと、私は本当に思う。だから、せめて社会の連帯共助というのならば、彼らが負っている高額の損害の一部を国が補償しようということをなぜ言えないのか。私はそれを強く言いたい。
(構成員) ただいまのご意見は承ったが、私の案を大変細かく詰めてご議論をいただいていて、今の内容はこれからの議論で生かしていかなければならないことだと思う。
 私がここで言っているのは、あくまでも給付水準の問題を言っていて、今の水準からどれだけ上げるのかといった場合の一つの基準というのが自賠責並みということになれば、今の犯給法の最高額は倍ぐらいに上げないといけないのではないか。そして、その他の給付というのは、それに従って上げていくということである。
 今の構成員のご議論のように、一人一人の当てはめた給付額を今の基準で引き上げた場合にもやっていくということには必ずしもならないので、引き上げれば今の計算式というものは当然変わってくることもある。具体的にどう変わるかというのはやってみてわからないところがあるかもしれないが、今おっしゃられたようなここでいうところのA君については、構成員がおっしゃるような意味できちんとした給付になっているように引き上げる。そのためにどういう給付内容にしていけばいいのかということは、これからの議論になる。とにかく、自賠責並みに引き上げていくということを当検討会の目標として定めたらいかがか。あとそれを具体的にどう当てはめて、倍になった場合には、今の計算式と全く同じでやるというようには多分ならないと思う。であるから、それはまたそれで別でやっていけばよろしいので、このA君のケースはそれなりに上がった分に従ってきちんとした給付ができるようにするのが目的である。そのためにも、給付水準は少なくとも倍ぐらいに上げておかないといけないだろうというのは、今のところの議論であって、具体的なお金の計算をどうするかというのは、まだ私自身も別に考えているわけではない。したがって、今こういうA君のような場合というのは当然考慮に入れて、この給付を当然変えていかなければならないだろうということについては、実は構成員とそれほど違っているわけではないと思う。
 だから、給付内容について、あるいは給付の積み上げ方というか計算式というのは、これはまた別途のご議論だろうとは思う。
 給付水準の引き上げに関する議論とちょっと平仄の合わないところはあるかもしれないが、私の意見としては実質的に自賠責並みの水準に近づけるよう必要な引き上げは行うという指針いかがなのかということである。
(構成員) 私は先ほど構成員のお話とか、理念のところでの議論といったことからしても、多分被害者の方々にとって恐らく一番わかりやすいのは自賠責というのが一つの指標になっているということもあるので、構成員が示された特に給付の水準のいわば引き上げの目標ということとして、実質的に自賠責並みということ自体はそれは適切なものではないだろうかと思う。
 これは、先の話になるが、ただ、いずれにしても、恐らく最大の難関は財源をどうするかということになるので、その観点から、これは被害者の方々にとっては非常にある意味申しわけないけれども、やはり対象となる方々について少しウエートづけということを考えざるを得ないのではないかと思う。
 そして、恐らく多分我々法律学者などでも、特に重度の後遺障害の方々というのが一番恐らく大変であるということが、これまでも経験的に言われていることでもあるので、そこにまず重点的に取り組んでいく。その上で、それ以外の方というと大変失礼ではあるけれども、それ以外の方々についてどこまでやれるのかという形である程度考えていくというのが方針としては一番適切ではないか。重度障害者の方の場合は、本人ももちろんであるけれども、特に家族の方の負担が非常に高いというのは、今構成員がご紹介されたとおりでもあるし、これは犯罪被害者の方に限らず、その他の例においても全く同じであるので、そこにまず重点的に給付水準のことを考えていくということは方針としては適切ではないかと思っている。
 以上である。
(構成員) ほかのご意見よろしくお願いする。
(構成員) 2つ言いたいことがある。1つは引き上げについて国民に対して国としてはどういう方針をとるかということについて、自賠責並みという言い方はすごくわかりやすいということを思う。
 それから、倍増ということは、すごくアピールする言葉ではないかというふうに思われる。倍増という言葉、しかも自賠責並みというのは非常に国民に理解しやすい表現ではないかという気がする。
 それから、被害者の方々に安心感をもって頂けるという点については、今回こういう形で我々が検討会をして中間報告したときに、全面的ではなくても、少しは何か我々がやったことが実るという形で我々が宣言すべきだというふうに考えている。
 それから、もう一つは、自賠責並みといったり倍増したりという形で我々が制度設計しても、抜け落ちる部分というか、形式的な分に流れて、何か実質的な本当の補償になっていない部分があり得ると思うので、そういう意味で「実質的に」ということは両面あって、後々実質的になっていないという形で構成員からまた恐らくいろいろな批判的な視点で言われていいのではないかというふうに考える。
(構成員) 自立支援の観点から実質的に自賠責並みという場合に、現在の自賠責の政府保障事業の内容、そういう内容も含めてということを入れた方が明確になると思う。だから、自賠責並みにといったときに、その自賠責並みの補償の中身、算定方法とか、中身とかそういうものも、やはり自賠責並みのものを参考にという言葉を入れていただいてもいいけれども、そうすれば、単に実質的にというとなかなかわかりにくいと思うので、わかりやすいのではないか。
 確かに、財源の問題もあるが、とにかく全く保険に入っていない無保険者の加害者に対して加害者に変わって国が4,000万円ものお金を出すということになると、これは相当の国が出すだけの根拠というものがあったわけで、その無保険者の車を運転している人の補償ということ、殺人で殺してしまった補償という点では、ある意味では類似する面があるわけで、自賠責保険の政府保障事業の内容をほかの犯罪に類似性のあるものとして補償しても、決して国民の皆さんはそれは取り過ぎではないかという話にはならないと思う。
(構成員) 確認させていただきたいが、自賠責の場合、政府保障事業があるが、先ほどあったようにひき逃げとか無保険者の場合の財源は税ではない。保険料として取り上げている。だから、今伺っている限りで、国の責任でと言われていても、財源自体は保険料なので、議論の性格が違うということは注意された方がいいと思う。
(構成員) 政府保障事業の場合は、一般財源からの分と保険からの分と両方が財源になっていると思うけれども。
(構成員) それはそうだと思うが、要するにこちらの場合は、場合によっては100%税になるかもしれないということだとすると、保険料からの分が入っているものと、本当に同等に議論できるかどうかというのは、実は問題になり得るということはちょっと意識をしておいた方がいいということである。ただ、別に私は自賠責並みの水準に近づけるということについて反対しているという趣旨ではなくて、その点については留意した上での議論をしておかないと、先ほどどなたかがおっしゃったけれども、国民からの理解といった点でも、今後のいわば具体的な制度設計をしていく上では必要だろうという指摘だとご理解いただければと思う。
 自賠責並みに近づけるということ自体について反対しているわけではない。
(構成員) 構成員から出たA君のケースで、犯給の場合と自賠責政府保障の場合と比べた場合の額の差があるのはおかしいのではないかという意見はよく理解できるので、どうしたらいいのかということはこれからまた議論をすればいいと思う。
 ただ、先ほど構成員からも出たように、自賠責の政府保障場合はあくまで保険制度の枠組みであるから、算定方法をそっくりそのまま自賠責と同様にするというのはなかなか難しいのではないか。ただ、自賠責でなくて、新たな制度の中でのやり方は当然算定の仕方の考えで、A君のような場合が実質的に自賠責の場合と同じようになるぐらいの給付が行われるような算定方法に変えていかなければならないだろうということは、私もそのとおりだと思う。
 ただ、自賠責と同じに計算すればいいというのは、算定方法というのは大変テクニカルな話になると思うので、それはそうはいかないのではないか。片方は保険制度、片方はそうでないわけであるから、全く同じというのも難しい。そもそも私は、先ほど構成員からも出たように、やはり我々の答申はわかりやすいのがいいだろうということで自賠責並みという言葉を使っているが、これ自体は、ものすごくラフな言葉だと思うので、本来は何か別の文言で言わなければならないと思うが、とりあえずはとにかく自賠責並みということでいかがかということを言っているのであって、給付の算定の方法とはまた別の議論だろうと思う。
(構成員) 何度も申しわけないが、なぜ私がこれほどこだわるかというと、構成員は非常に大ざっぱにおっしゃるが、全体として読むと、先ほど私が言ったようにしか読めない。要するに、現行の犯給法をただ倍増させるというふうにしか読めない。それで、もしこれがベースになって、最終的な3月のまとめになってしまうと、そうすると、国会議員の先生たちはどういう仕組みになるのかということで、金額的にも全然違ったものを想定してしまう。そして、後で財源論のことにもなると思うけれども、内容においても、やはり自賠責の政府保障事業の保障の仕方を参考にするということをはっきりとしておかないと、もしくは現行の犯給法を倍増させるというような文言を取っていただくかしないと、つまりまだこれから中身については議論するという形にしておいていただかないと私としては非常に不安である。
(構成員) そういうご意見があるということで、それを踏まえてこれから仮に文書を書く段階になったら、そういうことは検討しなければならない。その検討の場合には今の構成員のご意見というのはよく斟酌をしながらやっていくつもりである。
 今は余り詰めていないのであって、要するに何かコンセンサスが得られるところをきちんとある程度何か議論の芯の分をまとめていきたいという気持ちが私は前に走るものだから、余り細かいことは詰めておらないというのが実は正直なところであるので、今言ったようなご不安が出てこないような形にはしていかなければならないと思う。
(構成員) 例えば今の構成員が挙げられた例で、特に若年者の場合、どうしても給付金の水準が差額が低くなるということで、全くの参考情報で、ちょっと算定方式その他が全然違うということと、給付形態も違うので、本当の参考であるが、労働災害の場合は、若年で災害に遭った場合は、その後、これは年金給付になるとそういうことができるが、基礎給付日額という給付の算定ベースになるものを年功賃金型で徐々に上げていくというやり方をしている。ただ、これは年功賃金型でやっているので、実は一定年齢過ぎると今度は下げていくが、そういうやり方をしているという例もある。であるので、年金給付型をとらないとすると、別途の考え方をとるということになるけれども、その辺も含めて制度設計の考え方はどういうふうにするかということは、ある程度オープンであるということ自体は、この場で先ほど構成員のお話もあったし、一応の了解なのではないかと思う。もちろん、財源の問題という大問題はあるが、その範囲内でどうできるかということを検討するということなのではないかと思う。
(構成員) 私もここの議論を踏まえて、そして実質的に自賠責水準にというように表現いただいているというのが妥当、適切な、またわかりやすい案だなと思っている。
 「実質的に」というのは大変私は重要な表現である。つまり、一方では構成員案で、例えば一時金で慰謝料を除く諸経費、損害について考慮する。あるいは介護費用についても一時金で考慮する、あるいは補装具とか日常生活用具給付についても、あるいは通院費、付き添い費についても一時金で考慮するというようにおまとめであるけれども、私は積み上げ式でということを主張するつもりはないが、また一定の範囲内でのそういう形でのまとめ方ということは必要なこととは思うが、先ほどのA君のケースでも、例えば通院費には通常出ない経費が詳細に見るとかかっているということだと思う。したがって、すべて一時金に含まれるということではなく、やはり実質的に自賠責という観点でここは整理をしていく必要があるのではないかと思う。
 それと、もう一点、遺族給付金についてここで構成員案が出ているけれども、基本的には私の理解では例えば労災法においても、この犯給法もそうであるけれども、基本的に障害給付金との均衡の中で、遺族給付金というのが決められてきている。つまり、その背景には亡くなった遺族も、重度障害を受けられた方と同様に、その給付について重要に考えなければならないという考え方が背景にあって、そういった日本全体のさまざまな補償制度がそのようになっているんではないかと思う。
 一方で、背景説明では海外の例が出ているが、率直に申し上げて、私はなぜここだけ唐突にと思う。例えばイギリスに調査に行ったときには、そういう表現が適切かどうか別にして、亡くなった方よりも、現在困っている方に重点的に給付をするということで、極端に亡くなった場合は少ない補償金ということになっているかと思う。だから、金額だけを海外と比べてどうこうというよりも、そういう考え方の背景がある中で、遺族給付金が全体的に世界の水準とどうかというように考えて比べることが適切なことになると考えた次第である。
(構成員) 少し書き方がおかしかったのかもしれない。ここで、私が言いたいのは、遺族給付金をさらに引き上げる場合というのは、具体的にどんな場合があるのかというのが、ちょっと浮かばないので、具体的に事例を挙げていただいたらと思って、こういう書き方をしている。おっしゃる趣旨はよく分かった。これからの検討材料だと思う。
(構成員) もし遺族給付金の方は余り引き上げはしないということになると、傷害で重傷を負った方よりも殺人事件で殺された人の方が補償が少なくなってしまう。これも、つまり殺人事件で命を奪われている方が重大な被害なのに、それはもう被害を受けた人は死んで自立もないから、残された家族の自立だけを考えれば、そうなるということだと思う。
 先ほど、私がなぜ補償と自立ということに違いがあるのかと言ったのは、確かにニュージーランドにしても、スウェーデンにしても、そのように損害賠償の考え方自体も、死んだ場合には死んだ人の被害を計算するのではなく、残された方の家族の生活を中心にして損害額を計算するという考え方をとっている国もあるけれども、日本はそういうことではなく、交通事故にしても、死んだ人の損害額を計算して、そのうちの一部を保険で補償するという制度をとっている。
 だから、やはりそういうことを考えると、遺族の場合にも自賠責と同じような計算をして、損害の一部を補償すべきだと思う。補償において、殺された方が恵まれないというのは、どう考えても私はおかしいと思う。再々例出すけれども、浜松のブラジル人に強盗殺人で殺された方は、犯給法の支給が500万ちょっとしか出ない。それで、浜松市の方に何度も足を運んで、生活保護か何かそういう保障はほかにないかということだけれども、現状の生活保護の法律を適用したらあなたは対象にならないと言われた。お嬢さん2人が働いているからということで、現実には非常に生活に困っている。それで、何とかしようということで、今その対策会議を持っているような状況である。だから、やはり遺族給付金を差別した形で取り上げるというのは私は余り賛成できない。
(構成員) 構成員の意見書でこのような経済状況に直面しているA君のようなケースにおいて、構成員案の補償額では被害後4年目以降については無補償と同じ状態に陥るというのがよくわからなかったので、説明していただけるとうれしい。
(構成員) これは、仮に現行の犯給法の倍額にするというようなやり方をとった場合に964万8,000円ということになるが、既にA君の場合には3年間の間に自己負担額が800何万円になっている。そうすると、900何万円を仮にもらったとしても、それと重傷病の71万円をもらったとしても、4年目以降については全く自己負担、全額全部という意味である。
(構成員) 大変重要な議論が続いていると思うけれども、恐らく自賠責並みに引き上げるというのは、先ほど構成員からとてもわかりやすいということがあって、構成員からもそういう話がありましたので、よろしいかと思うが、構成員はじめ、いろいろな方からのご意見は、その言葉だけがひとり歩きして、決して形式化しないように、そしてそれによって実質的に重度後遺障害者とか、遺族の方でも本当に生活が破綻して困窮しているような、最も困窮している人たちが実質的には余り救われていないということがないように、これからは考えていこうということの恐らくご指摘だと思う。現在、重度後遺障害の給付の内容、あるいは遺族についても細かいこと、それはこれからかなり詰めていく段階でいろいろな議論がまた出てくるかと思うので、少なくとも自賠責並みというのは決して形式的な言葉だけに流れないようにする、あくまでも最も困っている人たちを実質的に手厚く救済していくような制度というのをつくっていくということを全体のコンセンサスとして、財源のことも含めて議論を進めていかれたらどうかと思う。
(構成員) 今の構成員のご意見、いかがであるか。
(構成員) 基本的にはそれでよろしいと思うが、ただ、いずれにしても給付水準の問題は、財源を抜きにしては議論できない。それで、その点は構成員の皆様方よく理解していただく必要があると思う。確かに、重度後遺障害の方と遺族の方との間で差が出るのはおかしいという議論も十分理解するが、しかし財源がもし確保できなければ、結局のところ薄く上げるという話になってしまって、それでいいのかということだと思う。要するに、確保できる財源との関係で、だれに最も手厚くするのか、そのチョイスは重度後遺障害の方と遺族というところまで財源によっては広がるかもしれないし、そうでないかもしれないのであって、場合によっては遺族の方々として代表として出ておられる方々も、苦渋の選択をしていただかなければいけないかもしれない。
 であるので、一般的に給付だけを議論すれば、確かに自賠責並みで全部ということは幾らでも言えるが、財源が確保できない限りは、全部机上の空論で終わってしまって、薄く、狭く、幅広に上げようというところで終わってしまう可能性があるので、そこをぜひ十分にご考慮いただいた上で議論をしていただきたい。そうしないと、なかなか現実の制度を組み立てるというところに結びついていかないのではないかと思う。
(構成員) 支援していただく側として、この検討会で話し合われることで、常に財源ということが出てくるけれども、財源のために何かを抑えられるということは非常に後ろ向きな考え方だと思っている。せっかく基本法ができて、今以上に手厚くということがあるから、できる限り、これだけのことができるというところまで話し合いを持っていった方がいいと思う。それで、財源に関しては、ここの中だけで考えることではないと思う。やはり政府と一緒に考えて、できるだけ財源を確保してもらうように考えてもらうということの方が大事なのではないかと思う。いつもいつも財源を考えて、これぐらいでしか駄目ということで、ここの話し合いをやっていたのでは、何のためにやっているのかという気もする。
(構成員) 誤解がないように申し上げるが、私は別に財源を限定せよという趣旨で言っているのではない。ただ、前にもご説明いろいろあったと思うけれども、財源をどうやって確保するのか。したがって、考えている制度設計に見合った財源をどのように調達するのかということについて、もちろん全体で考えなければいけないことだと思うが、他方で、この会議で財源のことは全部ほかで考えて下さいということで、意見を出していいのかということだと思う。であるので、ある程度財源の見通しということについて、何らかの具体的なイメージを描くくらいのことはしないと、結局何の裏付けもない議論ではないかということになってしまう。それでは私たちがやったことの意味がなくなってしまうというふうに思う。であるから、やはりある程度我々も責任を持って財源の問題を真剣に考え、その上で、こういう給付までは実現できるだろうと、そういうストーリーを組み立てるということは考えなくてはいけないだろうと思う。そういう趣旨で申し上げただけであって、まず最初に財源ありきだからこういうふうに制限すべきだという話ではなくて、もちろん皆様方がこういう形で給付を充実させるべきだというのであれば、それとあわせてやはりどういう形で財源を調達するのかということについても、一定の見通しを持つ程度には議論をこの場でしておかないと、せっかく一生懸命議論したものが最終的に取り入れられていかないという、ある意味非常に悲しい結果になってしまうかもしれないと私は危惧しているので、誤解のないようにお願いしたいと思う。
(構成員) 少し関連するかもしれないが、あくまでこの検討会が開かれたということは、今までよりも犯罪被害者への経済的支援を手厚くする方法での新たな施策を考えるための検討会であると思う。そうすると、先ほどから出ている話はどうしても給付金のところに焦点が当たっているようだが、当然警察庁は今まで給付金を見舞金からまさに被害者が自立をしていくための支援というような形までどんどん上げてきて、手厚い形になってきていると思う。だからといって、給付金だけに任せておけばいいのだろうか。決してそういうことではないと思う。であるから、例えば犯給制度中の遺族給付金とか、障害給付金関係とあるけれども、これだけではなくて、例えばの話、厚生労働省が絶対に頭は縦に振らないかもしれないけれども、例えば生活保護が状況に応じて緩やかに適切に受けることができるとか、そういうような項目もこの中に入っていかないと・・・。
(構成員) 今のはどこに入るか。
(構成員) 構成員案の1ページの1の(2)の給付水準の引き上げ指針というところである。
(構成員) そこの中にであるか。
(構成員) その中に犯給金のことのみならず、もう少し膨らみを持たせて、ほかの省庁でも犯罪被害者に経済的支援を手厚くするための何らかの現行の制度の中でも使えるものがあると思うので、さらに被害者の経済的支援を手厚くするところに結びつく方策ができ上がるのではないかと思っている。
 それと、やはり確かに財源はなければ何もできないのかもしれない。だからといって財源ばかり言われると、財源を考えるのはこちらだけではなくて、省庁の皆さんが自分の力量でとってくるものだと思っているので、その点のところもぜひお願いしたいと思う。
(構成員) 構成員のおっしゃったことは最もだと思う。単に省庁とか法律家の従来の枠組みでしゃべっていることについては、非常に閉塞感とを持たれると思うが、私は今、構成員が「省庁の力で」というようにおっしゃるけれども、やはりそうではない時代に来ているわけで、ここでの検討会がいろいろな結論を出して、必要性というものをアピールしないと財源というのは出てこないと思う。恐らく省庁間で力関係があるし、恐らく従来の殻は破れないと思う。そういう意味では、我々はこの検討会でどういう必要があるのかということをもっとアピールし、具体的に言うべきだと思う。そうでないと、国民に理解されないわけで、省庁間の話し合いで決めるということでは、むしろ不健全だと思っている。
 したがって、我々はこの検討会の中でいろいろな発言をして、むしろ省庁間のそういう力関係を破る、従来の殻を破るという方向で議論すべきだと思う。だから、確かに財源と言われると、非常に壁があるように思えるけれども、決して私はそうではないと考えていて、もう少し議論をして、従来の枠組みというものを破るべきだと私は考えている。
(構成員) やはりこの水準の問題については、犯給法との関連が非常に強いわけであるので、構成員のご意見をここでお伺いをして、先ほどから盛んに出ている財源の問題に少し突っ込んだ議論をしたいと思うが、構成員、何かご意見があったら、この機会にお願いする。
(構成員) 「自賠責並み」というところに限った意見でよろしいか。
(構成員) それでも結構である。
(構成員) では自賠責並みの水準に近づけるという部分について意見を申し上げたいと思う。自賠責並みの水準に近づけるというご意見が多数あることは、前の議論からも十分承知していて、今日もそういったご意見が多数と思っているので、実質的にそれを我々も踏まえながら努力をしていかなければいけないと思っている。
 ただ、今もお話が出ているように、自賠責というのは保険に基づく制度で、非常に損害賠償的な色彩の強い制度であるのに対して、この犯罪被害者給付金の方はそうではなくて一般財源からの、そしてまた国として支援申し上げるという制度であるので、同一には論じられないし、また制度設計上も違う理屈で我々はやっていかなければいけないという部分がある。なおかつ給付水準についても、自賠責と全く同じというところまでいくことは、これは理屈の上で難しいのではないのかと思っている。ただ、今お話があったように、我々も可能な限り、実質的にその数字に近づくように、近づけるように努力はしなければいけないとは思っている。
 それから、今構成員から「犯罪被害者等給金の最高額を概ね倍増する」という文言についていろいろご意見があったけれども、私の受けとめ方としては、これは制度上の最高額を上げるというふうに言っているだけであって、個別の方々に対する給付のやり方については触れていないのではないのかと思うので、そこまでご心配は要らないのではないか。実際に我々も、具体的な給付の考え方についてまだ制度設計していないから、何とも申し上げられないけれども、今お話があったような個別のケースについても十分参考にしながら考えていかなければいけないと思っている。
 あと、財源の問題であるけれども、これが非常に大事な問題で、我々がこれからも要求していくことになるのかどうか、まだここでいろいろご議論があるかとは思うけれども、ただ要求する側として申し上げさせていただくならば、やはり財源というのは非常に大事な話なのであって、我々が説明するときの迫力の問題もあるので、ぜひ財源についてまで議論をするということでご支援をいただくよう、お願いをしておきたいと思う。
(構成員) 財源問題に入りたいと思うが、この「給付水準の引き上げ指針」という項については、実質的に自賠責並みの水準に近づけるということで大体この検討会での意見集約があったということで、前に進めさせていただく。その中身については、先ほど構成員のご意見もあった。あるいはその前から構成員の話もある。具体的なケースに対する当てはめについては、それはまた別論であろうということでよろしいか。それともそこまで議論しないと前に進めないのか。
(構成員) ちょっと誤解があると思う。私がA君の例を挙げたのは、皆さんに理解しやすくするために、ただ例示として挙げたのであって、ここで言う現行の犯罪被害者等給付金の最高額を概ね倍増するという趣旨が、この文言どおり受け取ると、この自賠責の現在の制度として、最低額と最高額というのが3,600円と5,300円と書いてあるが、そこの意味の最高額というふうに理解するのか、それとも一番上の50歳なら50歳の、そこの時点での1万8,000何円、1万9,000何円を上げるというふうに理解するのかという、個別の問題ではなく制度の理解の問題として、なぜ私がそんな問題提起をするかをわかりやすくするために、A君の例で説明しただけである。だから、個別の当てはめの問題を言っているわけではない。
(構成員) それはまた具体的に、この給付水準の引き上げの指針が、今の自賠責並みということでよろしければ、「自賠責並み」と言っただけではいかにもラフなので何か書いていかないといけないという中で、今の構成員のお話になったようなことも含めて、制度設計上どう変えたらいいのかということは考えていかなければならないことである。
 今後そういうご心配があるのであれば、実際に答申案を書くときに、それがはっきりするようにご意見を出していただいたら大変ありがたいと思う。それでよろしいんではないかと思う。
 それで、時間が押してきて恐縮であるが、先ほど来水準と言ったら、財源の問題が出ないと話は進まないという議論があった。そういうところもあるので、今日で全部できるわけではないかもしれないが、そこについてのひとあたりのご議論をいただけたら大変ありがたいと思う。財源の検討であるけれども、この財源は何に求めるべきかということについて、今までの議論を踏まえた一構成員としての私案というのは、次のとおりである。
 国からの直接給付の水準の引き上げについては、引き上げ検討の前提としてそれに見合った財源を確保する必要があるが、従来の一般財源の枠では限界があることから、財源確保に関しては、被害者支援施策の充実の重要性に鑑み、政府全体として必要な財源確保措置を講ずる必要がある。
 上記に加え、国から直接給付することが困難な給付にも対応できるよう、民間の寄付金等からなる「支援基金」ないし「支援機構」の創設を検討する。
 同基金の財源として、有罪判決を受けた者から一定の金額を徴収する制度の導入等の継続的収入を得ることができる方策を検討する。この3つの点についてのご検討をいただく過程で、財源の問題が少し具体的になってくるのではないかというのが私の考えである。
 これについて、ひとあたり何かご発言があったら、お願いする。
(構成員) たたき台の中に、「有罪判決を受けた者から一定の金額を徴収する制度の導入」を「検討する」と書いてあるが、これは私は賛成であるけれども、前回言った趣旨は、ほかの制度が行き詰まった場合に新しい制度としてつくるべきだという趣旨でした。既存の制度の中で何かできないのかということである。前も申したけれども、これは極めてポリティカルな問題とを含んでいると思う。そういう意味で、先ほどのこの構成員の案から見ても、「政府全体として」という言葉があるけれども、極めて政治的な、あるいは政策的な問題だというふうに思う。
 そこで、私は基本法、基本計画の流れの中でこれを考えると、基本計画の中に「犯罪被害者等の要望に係る施策」という中で、犯罪被害者団体からの要望として「罰金を財源とする犯罪被害者等補償制度の創設」という言葉があるけれども、私は罰金については、やはり改めて検討すべきではないかと考えている。基本法あるいは基本計画にこれだけ明確に書いてあるわけであるから、この点を検討せずに終わってしまうというのは、むしろ不自然ではないかという考えである。
 前回申したように、法務省からのご意見があったけれども、これは相応の理由があると考える。この検討会で大切なことは、それを突破するだけの必要性をどれだけアピールできるかということ、それから国民に理解を得るだけの理由づけができるかどうかだというふうに考える。
 そういう点で、ほかの財源もあるかもしれないけれども、私は罰金について理論的にも全く突破口がないわけではないと考える立場である。特に、基本法それから基本計画の流れの中でこの検討会があるが、私は今までの印象であるけれども、経済的な補償についてそれほど過大な、あるいは法外ないろいろな議論がなされたわけではないと考えていて、むしろ切実なものを非常に謙抑的になされたのではないかと思う。内容的には私はすごくシンパシーを感じる内容が多くて、そういう意味でここでの議論を踏まえて、罰金というものが財源とならないかを考えるべきである。つまり被害者支援という観点から考えて、合理的な財源の配分ということにならないのかどうかということの検討は、もう一歩進んで必要ではないかと考えている。
 それから、前にも言ったように罰金が1,000億、それから反則金が900億近くあると思うけれども、特に罰金の1,000億全部を被害者支援に持ってくるべきだと考えているわけではなくて、恐らくもう少しすればどれだけここでの被害者支援、経済的な支援について必要かという議論があるかと思うけれども、私は、1,000億単位ではもちろんないし、900億単位でもないと思う。むしろ100億よりも以下というように考えているし、数十億じゃないかというふうに思う。そのときに、これまでのここでの議論の積み上げから見て、それが国民に理解が得られないのかどうかということである。私は、むしろ理解が得られると考えていて、むしろ先ほどから言うように非常に謙抑的な立場で、全員が話してきたように思うし、建設的な議論をしていきたいと思うので、この議論を踏まえて、前回の議論でも壁があることは分かったけれども、その壁を何とか突破できないのかということである。恐らく従来の枠組みから見ると、被害者の再発見ということが今日の時代だと思うけれども、もちろん被害者の方から声が上がって初めて理解できたことがあると思うので、それを踏まえて予算の合理的な再分配ということから考えるべきではないかと思っている。
(構成員) 別の言葉で言うと「罰金の特定財源化」ということであるか。
(構成員) それもいいと思うし、あるいは一般財源からとれないのかということも考えてもらいたいと思う。両方を考えている。
(構成員) 一般財源をとるという今の意見に対してどうであるか。
(構成員) 罰金を財源とすることについてどういうことを考えるべきかということについては、前回お話ししたとおりである。
(構成員) 罰金を特定財源にするというのではなくて、一般財源のまま、その一部を特定財源化することなく、被害者対策に特化して使うという方策というのは、制度設計としてあり得るのか。
(構成員) そういうことについて特別の知見を持ち合わせているわけではないので、こういう説明がある、あるいはこういう仕組みがあるという知識を持っているわけではない。
(構成員) 先ほどの構成員のお話で罰金のお話も出たが、罰金を財源に回すかどうかというのは、確かに検討の余地はあるかもしれないが、いずれにしろ要は一般財源のどこかからひきはがしてくるという話であるので、罰金を財源にするかどうかということ自体が、全体の構造を大きく変えるわけでは必ずしもないと思う。
 恐らく一つのポイントは、まず新しい財源を確保するにあたって、もし一般財源を使うのであれば、少なくとも財源の確保について予算策定の段階でシーリング枠から外して議論をしてもらわないと、ほとんどこれは意味のない議論になるだろうと思う。シーリング枠の中で各省庁がやるという話になれば、それはどこかの予算を削ってこっちに回すという話であって、そういう政策の優先順位を各省庁の枠の中で皆がやるということになると、これは実際問題としてはかなり難しい話であろうと思う。であるので、ここから先はかなりポリティカルな話になるけれども、ぜひともそのシーリング枠の外で考えてくれということを何らかの形で訴えて、そして説得力ある論拠を示すということが必要であろうと思う。
 あとは、既存の財源以外に、新しい財源を何か考えるかというのがもう一つであって、前回、構成員がおっしゃったような有罪判決を受けた者から一定の課金を取り上げるというのも一つのアイデアとしてあると思う。ただ、今日伺った限りでは、やはり従来の課徴金とはかなり性格が異なるものであって、一種の目的税的なものに随分近いものだという印象を受けたので、これもまた現在の全体としての特別会計なり目的税というものについて、非常に抑制的な政治なり財務のあり方との関係で、どうしても衝突を引き起こすとすると、やはりそこも突破しなければいけないという話なんだろうと思う。いずれにしても、先ほど構成員がおっしゃったように、そういういわば突破口を築くだけの説得力ある構成なり構想というのを我々が示せるかどうかということなのかなと思う。
 あともう一つ、関係省庁の方々に出ていただいているが、実は最も関係のあるはずの財務省が出てきていないことに対して、私は一番最初から不満を持っている。財源の話をする以上、財務省には、絶対に出てきていただきたい。責任ある方に必ず出てきていただきたいと思う。
(構成員) 次回以降、それは検討する。
(構成員) 私は、この構成員案に全面的に賛成である。それと一つ、実は財源のところであるけれども、先ほど来ずっとお話が出ていた自賠責をぜひ財源の一つとして考えることはできないだろうか。というのは、やはり交通被害者が多いわけである。基本法ができるときにも、交通被害者の皆さんたちは、自分たちは犯罪被害に入らないのではないか、そういうことを懸念する声がたくさんあった。そうではなくて、交通犯罪の人もこの対象になるということで、さまざまな施策が中に盛り込まれてもいる。
 実際に交通被害に遭った方のお話を聞いても、すぐに保険金が手に入るわけではないし、当座の生活にも困る場合がある、あるいは仕事も続けことができなくなってしまって仕事を失う、あるいは病気になるということもある。警察庁が平成15年に犯罪被害者の遺族の心理とかそれに与える社会的影響を調査した結果があるけれども、それを見ると休職とか辞職に追い込まれてしまう人が44.4%いる。生活が苦しくなったという人も45.8%いる。被害に遭った方たちは当初も困るし、では、年数がたてば何とかなるのか、その保険金をもとにして何とか生活を立て直すことができるのかとなると、また大黒柱を奪われた方たちというのは、その後、年数がたてばたつほど困窮をしてきているという調査結果もある。
 そういうことから、基金をつくるというのは、これは全面的にぜひつくっていただきたいことであるので、この中に自賠責の方からも恒久的に資金を投入し続けるような制度にしていただけないのかどうなのかというあたりを柔軟に対応して、ぜひ検討していただきたいと思う。
(構成員) 基金の財源という意味であるか。
(構成員) そうである。直接、被害者にではなくて。
(構成員) 財源の議論をする上で大変面倒だと思うが、給付についての幾つかの想定をした上で、どのくらいの追加財源が必要かというようなことについてのシミュレーションをやっていただいた方が建設的な議論になるのかなと、先ほど構成員もおっしゃっていましたが、ご検討いただければと思う。
(構成員) 分かった。
(構成員) 先ほど構成員から、罰金の一部をというお話があったけれども、犯罪に関係して、国が歳入の収益を得て、その同じ犯罪に関係して加害者を処罰するために700何億ものお金が使われている。例えば国選弁護だけで60億から、それ以上のお金が使われているということ。それに比して、当の犯罪によって被害を受けた方々に対する国の予算の使われ方が、多く見積もっても15億ぐらいしかない。そういう極めてアンバランスな状態にあるということは、やはり今度新しくこういう基本法が設定されたもとで、基本的にそういう犯罪に関係する国の収入支出の問題として、一つの目安として罰金による収益がどれぐらい上がっているのか、また反則金による収益がどれぐらい上がっているのかということは、非常に大きな理由になるのではないかと私は思う。
 それで、先ほど構成員が、今までの予算のシーリングの枠を外れて根本的に考えてほしいとおっしゃっていただいたけれども、本当にそういう今までの各省庁間の予算の配分とかを、やはり新しい法律ができたわけで新しく考え方も変わったわけであるので、やはりそういう点をきちっとしていただきたいと思う。
 それで、基本的には一般財源でどのように構成していくのかということを国の方で考えていただきながら、それに合わせてほかのものも補助的にどういうふうに使うかということだろうと思う。先ほど、どれぐらいのお金がかかるのかということについて、もう何回も試算をしてたけれども、一番新しく出た犯罪被害者白書で初めて知ったが、今までは犯罪白書に基づいて認知件数を基準にしていろいろ算定していた。今度の犯罪被害者白書で初めて、例えば死者数にしても罪名上の死者数というものが必ずしも一致しないわけで、正確にやるならば、これは死者数なら死者数として被害者白書に基づいてやった方が正確に出ると思って、それに基づいて現在の犯給法の給付実績等を基準にして、自賠責並みで死者の場合と、それから7級以上の重症者を対象にどれぐらいのお金がかかるのかということをいろいろ試算をして、私なりにある程度の金額というものを持っている。
 先ほど構成員から言っていただいたように、何十億ということでは済まないと思うけれども、罰金の1,000億に対して、そんな高額なものをよこせということにはならないと思う。もし、そういうデータ、試算したものを実際に数字を合わせながらやるということであれば、改めてきちっとしたものを資料として提供させていただきたいと思う。
(構成員) 必要な財源規模に関するシミュレーションは、また事務局の方でもお願いをしたいと思う。それから、先ほど出た財務省の出席についても、次回以降で要求を言ってみたいと思う。
(構成員) 財源の問題も、恐らくこの検討会である程度の案、たたき台のようなものを出してくることになると思うが、その際、やはりそれを要求していくときに、いろいろなオプションをちゃんと全部考えたという実績を示すべきではないかと思う。もちろん構成員の案もわかりやすいと思うが、しかし一方で、フランスのように国民から広く保険料を取るといったようなことでやっているところもあるし、間接税から持ってくるというところもあるし、罰金などを特定財源化するといったようなことをやっているところもあるし、各国で恐らく一番頭を悩ます問題として、それぞれ微妙に違うような制度をとっているので、それらいろいろなオプションを一応全部出してみて、それの優劣なり、あるいは日本での実現可能性あるいは日本で進めていく上での適応性その他も全部検討した上で、この検討会としてはやはり一つないしは2つぐらいの案で、これが一番よろしいのではないかといったような案を出すというのはいかがかと思う。
(構成員) 構成員のおっしゃるとおりで、財源は別に一つでなければならないことはないので、複数であってもいいし、いろいろな候補ができて、その中で幾つか主要なものをとって、結論を出せばいいと思っている。
(構成員) そういう意味では、基金と、有罪判決を受けた者からの一定金額の徴収というのも考えたらどうかというのが私のアイデアであるが、ほかに何かあれば、またお聞かせいただきたいと思う。
(構成員) 私は、財源に関しては、先ほど構成員がおっしゃったことに対して、全く同じような感じを持っている。論理的には、構成員からご説明があったような現実があるかと思うが、やはり原点に帰れば先ほどのような考え方で、もう一度考えていくということが必要ではないか。したがって、座長のこの財源についての意見は、被害者支援施策の重要性と書かれているが、もう一点そういった視点も含めて、政府全体として確保するというように考えた方がいいのではないかと思う。
 それから、基金のことに関してであるが、一つは課徴金これが可能であれば、アメリカでもヨーロッパ各国でも、そういう何らかの形で新しい財源を設けて、そして被害者支援へということになっているので、ぜひ実現に向けて検討いただきたいと思っている。
 基金についての原案で書かれているように、「継続的な収入を得ることができる方策」という表現があるが、このことが非常に重要である。つまり、突き詰めて考えれば、今のこの犯給法と同様にこの基金で実行しようとしていることが、いわゆる刑事手法の信頼性ということにも非常にかかわってくるのではないか。むしろ、より現実的にかかわってくるケースが非常に多いのではないかと思う。
 そういう意味合いも含めて、ここでは「民間等の寄附」とあるが、この「等」の中に当然関係省庁が努力をして、ここの基金の原資をつくる一つの核に考えるべきではないか。それからもう一つは、「民間等の寄附」とあるが、これもやはり寄附しやすい仕組み。ドイツでは「白い輪」でごあったけれども、いわゆる遺産相続についての税制優遇措置がございまして、「白い輪」の多くの財源がこの遺産相続の寄附によるということであった。これは一つのアイデアではあるけれども、そういった形で寄附に関する所得税あるいは法人税等々の優遇措置によって、なかなか特定というのは難しいかと思うが、そういう形で安定的に、より多くの寄附金が収入として得られるような仕組みも一方では考える必要があるのではないかと思う。
(構成員) ほかに、この財源問題についてのご意見があったらお願いする。
(事務局) 試算をやるとしてもごくごく大ざっぱな、まだ制度は詰まっていないので何とも言えないけれども、先ほど構成員の言われた中で、100億以上かかるようなことをおっしゃったけれども、自賠責の政府保障事業でも4,700件ほどの支払いで55億円ぐらいである。もちろんこれは軽いものも入っているから当然そうなるけれども、要するに、もちろん試算されるのは結構だと思うけれども、余り膨大なものになると、先ほどから話が出ているように一般財源で、しかもシーリングがどうこうという役人的な話になって、幾ら答申を出しても全く現実味がないということでは話にならないので、ぜひそこのところをよろしくお願いする。私どもも試算はさせていただきたいとは思う。
(構成員) ごく簡単なイメージとして言えば、現在の犯給法で支給の実績がある。それをベースにして、仮に今日議論になったような自賠責並みというような形で、例えば重度障害者についてやってみる。重度障害者プラス遺族についてやってみるというような、粗粗のところでやれば、今の犯給法よりどのくらい財源が膨らむのかということのイメージぐらいはつかめるのかなと思う。もちろんそれ以外にも、例えば制度が充実することによって、今よりも多分申請者がふえるだろうとか、そういうようないろいろな影響というのも考慮しなければいけないとは思うけれども、ごく大ざっぱなイメージとしてどのくらいになるのかということがわかれば、その後の議論に少し結びつくという程度である。
(構成員) 現在の警察庁の方から出された犯給法の支給実績の平成16年では、遺族給付が233人である。それで、障害給付の7級以上の人が82人である。それで死亡者数は、交通業過を除いて1,397人であるが、このうち殺人とか強盗殺人とか傷害致死だけを取り上げると861人いる。そうすると、単純にその年に死んだ人と給付裁定をされる人では年度が異なるますので、単純に比較はできないが、支給裁定されている人が233人というのは。861人に対して大体27%になる。
 それから、障害給付金の支給実績というのは、平成16年で1級から14級まで82人だったと思う。それぞれ1級、2級、3級、4級、5級、6級、7級と、7級までのその支給実績の人数のパーセンテージが、例えば1級だったら16.39%というふうに、その支給実績をパーセントで割り振りするが、この障害者、重症者が3,479人で、このうち先ほど言ったように殺人とかその他、主な事件だけ取り上げると大体3,227人ということであるが、そのうち82人というと2.54%にすぎないので、この重症者の場合にはもっとふえる可能性が十分にあるのではないか。しかし、それでも多く見積もっても、例えば仮に10%になったとしても322人であるから、それを自賠責並みに割り振って計算しても、重症者の場合には予算が100億とかそういう金額になるものではなく、何十億の範囲内だと思う。
 問題は、その死者の233人を基準にして、もし単純に3,000万円かけたとすれば、どれぐらいになるかというのはすぐおわかりいただけると思うが、いろいろな試算の仕方があると思うけれども、少なく見積もろうとしても、単純に現在の犯給法を単純に倍額程度ということは、現在15億ですので単純に倍額といったら30億ということは出てくるが、それでは先ほど言ったように現行制度を前提にした、ただの倍額というだけにすぎませんので、それは自賠責並みということにはならない。それなので、計算の仕方を思い切って自賠責並みという計算の仕方にする場合には、どれぐらいの人数に対してどの程度見積るかということによって、それが何十億になったりいろいろ変わってくるということになると思う。
(構成員) その試算案はお出しいただいたらいかがか。
(構成員) もう少し正確なものにしてみる。
(構成員) 構成員のシミュレーションの案も出て、事務局の方でも、先ほど言っていた、粗粗の財源規模のシミュレーションというのも出した上で、次回の議論はしていったらと思う。あるいは財源の捻出方法の一つのオプションとなるもの、もう少し具体的な形でお示しをして議論を進めていったらと思う。
(構成員) 構成員は、何か危機感を持たれて言われたように思うけれども、私はそういう理解はしていない。むしろ、これはこれで知恵を出し合ってやっていけばいいので、ただし注意しなければいけないことは、余り膨大になり過ぎると国民の理解を得られない。被害者は犯罪被害者のみではないので、全体的な体系性とか、あるいはバランスというのは必要なので、多ければ多いほどいいという発想でやられるのは、私は望ましくないと思う。
(構成員) 数字が一人歩きしても困るので、今お話があった亡くなった方800人の方のうち、親族間の犯罪とか、どれぐらい支給対象外の方がいるのか。それからまた、重傷病者のうち障害を負った方がどれぐらいなのかということについて、数字があればよろしいけれども、それはお持ちか。
(構成員) それは、平成9年の犯罪白書には示談率がどれぐらいとか、今度の犯罪被害者白書にも被害者の世帯別統計というものも出ているが、犯給法で言っている補償対象外というものがどの程度になるのかということは算定していないので、一応現在の支給実績233人を前提に行った。
(構成員) あともう1点であるけれども、反則金は前にもご説明したように、交通安全施設のために今使っている。交通安全施設を増やせば、そこで必ず交通事故が減っている。であるから、こういった交通事故の被害者を防ぐという意味で、大変大きな役割を果たしているので、このお金を今度は犯罪被害者に回すということは、極めて私は難しいと思う。
(構成員) その前の議論なであるけれども、全額と言っているわけではないので、そのごく一部という理解で私はいいと思っている。ただ、反則金から得るかどうかは、また議論は別であるけれども、数字の一人歩きと言われたが、膨大なところから膨大にとるということを我々は意図しているわけではなくて、その辺は非常に合理的な議論が必要だというふうに思う。
(構成員) この構成員の案の中で「有罪判決を受けた者から一定の金額を徴収する制度の導入について」というところがあって、それについて意見を申し上げたいが。
(構成員) まだ、先ほど給付水準については大体こんなものかなというところで合意を得られたと私は理解している。ただ、この財源問題は全く継続案件であって、できれば次回もうちょっと具体的な案ができた段階で、財務省からもご出席をいただきながらやれば、もうちょっと詰めた意見ができるのかなと思うので、そのときに言っていただければ結構である。
(構成員) わかった。若干時間をいただくことになるので、次回ご説明する。
(構成員) では次回、構成員からご発言をいただくということで、スタートさせていただこうと思う。
 次回はこの財源問題について、もうちょっと詰めた議論をするペーパーもつくった上でご議論を継続することにして、本日の検討はこれまでとする。



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