被害者等の方々の手記

 

 もう一度会いたい

野津 暢子

 2004年8月24日夜、あまりにも突然で理不尽な事故は起こりました。

 その日はいつものように日課である運動を兼ねた散歩に出かけた長男の俊博は、あまりにも身勝手な赤信号を故意に無視した暴走族の車にひき逃げされたのです。救急車にも乗せてもらえず、病院にも運ばれることなく、硬い路面に自転車もろとも身体を強く打ちつけられ頭を強く打ち肋骨が折れ、胸の大動脈破裂のため出血多量で即死状態との事でした。すぐに救急車を呼んでもらえたらあるいは一命をとりとめたかも知れないと思うと、怒りと悔しさと悲しさで私の胸は一杯です。なぜ、どうして大切な一人息子俊博には何の非も落度もないのに殺されなければならなかったのでしょうか。

 裁判によって知りえた事は、大切な息子をひき逃げして殺した犯人は、俊博が事故に遭遇した現場より2、3個手前の信号の時に前を走っていた車が遅いのでイライラしていて、次の信号から赤でも突っ走ろうと決めて、俊博が青信号になり横断歩道を渡ろうとしているところを65メートル位手前で確認していたのです。にもかかわらず、並行して来た車が道路の中央に停車してくださった横を歩道すれすれに猛スピードで走り抜け、俊博をはね飛ばし、そのままさらにスピードを加速し次の赤信号も無視して逃走したのです。

 大切な尊い人間の命を奪い、殺しておきながら、同乗していた女の子の部屋で翌日の昼過ぎまで平気で寝ていたとは、怒りとくやしさと憤りで胸が一杯です。

 最愛なる息子俊博が暴走族の車に気づいた一瞬の逃れられない恐怖と、はね飛ばされ、路面に打ちつけられた時の想像を絶する痛みを思うと、私の胸ははり裂けそうです。犯人は俊博が横断歩道を渡ろうとしているのを65メートルも手前で確認しているのです。ブレーキを踏めば十分停車出来たはずです。それをあまりにも自分勝手な感情で、大切な尊い命をはね飛ばして逃げたのです。これは殺人行為です。絶対に許せません。犯人は現在、道路交通違反、危険運転致死傷罪、救護義務違反等で服役中ですが、この春には出所すると思います。犯人は出所すれば普通の生活が出来るのに、何の落度もない大切な息子は、殺されて帰っては来ないのです。悲しいです。

 息子俊博は、昼間は紺とか黒色の服を着ていますが、夜に外出する時は赤とか黄色の明るい目にとまる色の服を着て外出するのです。事故に遭遇した日も「いってきます」と出ていった時は青色の服を着ていました。1、2分たって戻って来て赤色のシャツに着替えて再度外出したのです。その位すべてに置いて慎重でしたのに、くやしいです。

 葬儀が終って数日が過ぎ警察の方がお線香を上げに来て下さいました。夜中にもかかわらず交通課の署員を全員招集して事故の処理と逃走した犯人を追って朝方まで尽力して下さった事を知り、お世話になり本当に有難う御座いました。心より感謝申し上げます。

 息子俊博は、心の優しい純粋な気持を持った息子で、殺されなければ倍の年月を生きたであろう人生に、夢や希望がたくさんありました。児童文学や絵本作家を目指していましたので、原稿を書きためていました。その一部作『虹色の約束』を事故から1年たって出版しました。本人もどんなにか自分の手に持って喜びたかったかと思うと無念で、俊博の気持ちを察すると可哀想で涙がとまりません。事故から一日一日遠くなりますが、息子への思いは日々強くなるばかりです。

 大切な息子が天国に召されて4年6ヶ月になりますが、いまだにその現実を受けとめる事が出来ず、家の中の総ての物事に俊博への思いがつながり、毎日を胸がしめつけられる思いで私達は生きています。人生が終るまでこの気持ちは変わらないでしょう。このような悲しい気持ちで日々生きて行くのは、私達だけでたくさんです。

 命の大切さ、尊さは何ものにも代えられません。赤信号で停車するのは当然です。青信号になったら、誰でも安心して横断歩道を渡れるよう、社会の人達が交通規則を守り、特にひき逃げ事件など交通事故が絶対起こりませんよう祈るばかりです。

 

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