第5章 被害者等の方々の手記

 世界でたった一つ、自分だけの宝物

匿名希望

 梅雨入りしたあの日の朝、小学一年の息子は、一才年上の姉と共に登校中に横断歩道の前に居た。信号横につっこんで来たバスの風圧で体を飛ばされ、後輪に轢かれ短い生涯を閉じました。あの日から5年、娘はPTSDで精神科へ通っています。小二の娘の目の前で起きた惨劇は心に深いキズを残しました。

 半年間は娘の手を握り一緒に朝登校しました。事故現場を通らないと学校へ行けませんでしたから。最初は、「怖い、怖い」が口ぐせでした。赤い物を見ると震え出して、パニックにもなりました。

 毎年春になると一週間学校を休学します。頭痛から始まり、腹痛、喘息発作まで、体の不調が出ます。黄色い帽子を見るたび心がぎゅっとなると、当時の担任の先生へ話したそうです。

 中学生になった今でも帰宅後は、私の体に体をくっつけて来ます。

 交通事故は殺人です。もう少し、優しい運転をしてくれていたなら、もう少し、ゆっくり運転していてくれたなら、もう少し手前で止めてくれたなら、あの子は死なずにすんだはずです。なぜあの子が死ななければいけなかったのか、今でも考えています。

 あの日心と体に受けたショックは、私達家族の絆を強くしました。同じ痛みを背負い、生きて行かなくてはならない同志だと思っています。

 そして人の暖かさも知りました。私の住んで居る所には、被害者支援センターが有り、命日に365羽の折り鶴と「365日貴方を忘れない」とメッセージを添えて送られて来ます。見も知らぬ子のために、優しさを頂いてます。今年は、息子と同級生の子達が、一千羽を折って、支援センターへ寄付してくれました。そのお礼に、「命の授業」をさせて頂きました。一年生だった子達も、六年生です。「どんな思いで天国へ行かなきゃならなかったか、僕達は考えてそして今後の生活に、生かして行かなくてはならない」と話してくれました。

 「世界でたった一つだけの自分の宝物、それは命です。お金を出しても買えません。ゲームみたいに生き返ったりしません。」 息子の分も楽しい事、苦しい事、色んな人生を歩んでほしいです。最近娘が弟へ宛てた手紙を国語の授業で書きました。

 「ケンカもしたけど、一緒に笑ったね。短い間しか一緒に居られなかったけど私は忘れないよ、ありがとう。私の弟に生まれて来てくれて、ありがとう。」 事故当日、「私も一緒に天国へ行ってあげられなくてごめんね」と泣いた娘。少しずつですが心の痛みは、薄れて来ていると思います。元通りとはならないかもしれませんが、この娘が歩む人生が少しでも苦しさからのがれられ、楽しいと笑って生きれる日々で有ることを祈っています。私達家族は少しずつ前へ進もうとしています。

 

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