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犯罪被害者等施策
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犯罪被害者等施策トップ都道府県・政令指定都市主管課室長会議平成22年度 議事概要 > 講演1


講演


「ある日突然最愛の娘を奪われて ~犯罪がその後にもたらすもの~」
社団法人あおもり被害者支援センター副理事長 山内久子 氏

(講演の前に、平成20年度に内閣府犯罪被害者等施策推進室が制作したDVD「ある日突然最愛の娘を奪われて ~犯罪がその後にもたらすもの~」のドラマ部分を上映した。)

改めまして、山内でございます。先ほどご紹介いただきましたけれども、また、今、ビデオも見ていただきまして、本当にありがとうございます。座ってお話をさせていただきます。

(パワーポイント映写)
 今日のタイトルはビデオと同じタイトルにさせていただきました。

◎ 1995年(平成7年)という年
 1995年という年は、皆様方にとってもいろんな思い出とか忘れられないことあるかと思います。これは我が国、日本にとってもこの年は忘れられないのではないかと思います。
 まず1995年1月17日に阪神淡路大震災という大きな震災がありました。死亡者6,434人、行方不明者3人、負傷者4万3,792人、避難人数30万人以上、そして被害総額は約10兆円規模ということです。
 そしてまた、1995年の3月20日には、地下鉄サリン事件がありました。これは戦後最大級のテロ事件と言われております。死亡者が13人、負傷者は6,300人と報道されております。
 こういう日本の大きな災害、事件があった年ですけれども、私たち家族にとっても忘れられない年になりました。それは10月2日に、私たちの最愛の娘、山内陵子が、当時大学3年、21歳のときに殺害されました。

◎ 事件後の怒りの対象
 今のビデオでもいろいろとありましたけれども、事件後、私たちは本当にいろいろなところに怒りを感じました。一番感じたところは加害者に対してですけれども、ほかにも世間に対してとか、運命とか、あるいは警察、報道、裁判など本当にいろんなところに、私たち犯罪被害者の遺族という立場で怒りを感じていました。
 それまでは犯罪というのは、テレビのニュースで報道されるもの、あるいはドラマの中で出てくるものというイメージがあったのですけれども、まさか自分の娘が殺害されるとは思ってもみないことでしたので、まずは加害者に対してものすごく大きい憤りを感じましたし、この憤りは今も持ち続けております。

◎ 犯罪被害者・遺族は二度殺される
 犯罪被害者や遺族は、被害に遭ったこと自体が大きなことなのですけれども、そのほかにもいろいろな二次被害が後々に出てきまして、それは「二度殺される」と表現してもいいのではないかとさえ思っております。亡くなった後にも多くの被害に遭い、遺族も不安や悩みを抱くことが多いという、そういうことを現実に感じておりました。
 裁判による精神的・経済的・時間的負担というものがあります。私たちは弘前に住んでおりましたけれども、青森県の桜で有名な弘前市ですけれども、そこから事件のあった横浜まで裁判の傍聴のために、夫とともに働いておりましたので休みをとって、チケットをとって行かなければいけないということで、時間的な部分でもいろいろと負担がかかることがありました。それは娘のために行くということで、そんなに大きな負担ではなかったのですけれども、突然裁判が延期になることもありまして、急にチケットを解約しなければいけないとか、そういったことなども思いがけない負担になりました。
 それから、プライバシーの侵害がありました。これは仕方がないことなのかもわかりませんけれども、事件があった後、警察が娘のいろんなものを持って行きました。参考にするために手帳、そのほかいろんなものを持って行ったわけなんですけれども、手帳等には若い娘がいろんなことを書いているわけですよね。まさかほかの人が見るとは思ってもいなくて、自分の気持ちとか予定を書いていたと思います。それが仕事で、どうしても仕方がないとはいえ、他人に見られてしまったという思いが母親としても非常につらくて、娘に「ごめんなさいね」と、時どきその手帳を見るたびに言っております。
 マスコミの取材とか報道は、先ほどのビデオにもありましたので省略いたします。
 報道の結果が、周囲の人々からの誤解という形で、本当に思いがけなく出てきました。私たちが思ってもいない言葉が後々に返ってくるということで、これは後でまたお話いたしますけれども、こういうあたりも「二度殺される」ということになるのではないかなと思っております。
 あと入信への勧誘ということで、いろんな聞いたこともない宗教団体の方が回ってきまして、先祖を供養していないから、こういう事件に遭うのだとかいろんなことをお話して、ぜひ会に入ってほしいということが1つのところだけではなくて、何か所かの人が来るんですよね。そのたびにお断りするのですけれども、何度か繰り返して来られまして非常に私たちは困っております。
 それから、加害者は昨年の6月に刑を終えまして出所しました。その後、どうしているかは私もわかりませんけれども、再犯も不安ですし、また、私たちの自宅も知っておりますし、電話番号や住所も知っておりますので、自宅に来て何かされるのではないかと考えますと非常に不安になることがあります。

◎ 命の重さ・尊さ
 命の尊さ・重さということですけれども、人の尊い命を奪うということは、その人だけではなくて、残された家族の大切な人生まで奪うのだなということを感じております。
 先ほどのビデオでもありましたけれども、下の娘はちょうど大学受験を控えまして思春期でした。ですからものすごく姉が殺害されたことに対して大きな反応を示しました。自ら精神科に入院したいというところまで自分を追い込んでいった、あるいは追い込まれたという状況でした。不登校も続きまして、私たちももう高校は出席日数が足りなくて卒業できないのではないかというせっぱ詰まった気持ちにもなりました。何とか学校のはからいもあって卒業することはできたのですけれども、ずっと休んでおりましたので、娘と一緒に高校の担任の先生にごあいさつに行きました。明日から学校に出ますというごあいさつだったのです。
 先生もいろんなことで娘を励ましてくれたのですけれども、最後、お宅をおいとまするときに、先生が娘に向かって、「あなたも本当に大変だったと思うけれども、お父さん、お母さんはもっと大変なんだよ、つらいんだよ」という言葉を高校3年の娘にかけました。私は、あ、この言葉はまずいなと思って、娘の顔を見ましたら、案の定、それまで穏やかな表情をしていたのですけれども、非常に厳しく変わりました。帰りの夫の車の中で「もうああいうふうに言う先生のところには、学校には行かない」と言ったわけです。つまり自分も家族みんなと同じように、お姉ちゃんの死を悼み、悲しい思いやつらい思いもしているのに、それを先生は「お父さんとお母さんはもっとつらい思いをしているよ」という比較をしてしまったわけですよね。自分も同じようにつらいのにというふうに、非常に激怒しまして、結局次の日からまた不登校になってしまったという経緯があります。
 もし、これが普通のときであれば、そういう行動に出なかったかもわかりません。しかし姉が殺人という行為で命を奪われたということが妹の気持ちも非常に険しいものにしたのではないかと私は思っております。

◎ 大切な人を喪った遺族に必要なもの(3つのT)
 大切な人を失うということは私たちの人生上、必ずといっていいほどあると思います。年の順序からいくと、おじいさん、おばあさん、あるいはお父さん、お母さんというふうにあると思うのですけれども、心が癒えていく過程・プロセスには時間(time)、涙(Tears)、話す(Talk)、この3つが非常に大事なように思います。

◎ 涙
 涙というのは人生の緩衝材となる。感情とともに出る涙の特徴としまして、浄化作用があって、感情を安定させる作用があるということです。これはアメリカのコロンビア大学やミネソタ大学で感情的に泣いた涙の成分を分析した結果、こういう作用の物質が入っているということを突きとめたわけです。タマネギを切って泣いた涙にはこういう物質は入っていないということなんですよね。ですから感情的に泣くということは非常に私は大事なように思います。特に大切な人を失って泣く涙というのは後々にその人が癒えていく過程で非常に必要なものではないかと思います。

◎ 被害者遺族へのかかわり
  被害者遺族へのかかわりについて、私がその立場になって初めて知ったこととか、あるいは周りの犯罪被害に遭った方から直接聞いたことをここにまとめて皆様にごらんいただきたいと思います。
 一人ひとりに真剣にかかわって、誠意を示すということです。先ほどのビデオでも、警察官は、恐らく自分では笑ったつもりはないと思うのですけれども、私たちには本当に笑ったように見えました。それでなくてもとても悲しい思いや悔しい思いをしているときに、そういうことを告げる人にそういう態度をとられるというのは、自分が惨めな気持ちになるものですから、ですから、この誠意を示すということは非常に大事ではないかと思いました。
 また、じっくりと話に耳を傾けること。そして、十分泣かせること、これは必要だと思います。
 同じことかもわかりませんけれども、遺族が示す感情とか言葉を批判することなく丸ごと受けとめる、これも大事だと思います。特に遺族は家族を失って、加害者に対する怒りとか、そういうものが非常に強く出る時期があります。本当に自分でも思いがけない言葉が出たりします。そんなときに、「そう言わないで」とおっしゃらないで、今怒りが出ているのだなと大きな気持ちで受けとめていただければ、遺族にとっては、受けとめてもらえているということで、少しずつ心が癒されていくと思います。
 他の事件とか被害者と比較しない。これもすごく大事だなと思いました。私たちの事件の場合は、加害者がすぐ捕まりましたけれども、事件によっては加害者がなかなか捕まらないとか、あるいはまた遺体が例えば切断されたりとか、なかなか遺体が見つからないとか、そういう事件もたくさん報道されております。それらの事件と比較して、まだ遺体の見つからない人もいるんだからとか、加害者が捕まっていない人もいるのだから、あなたはまだいいよと比較されても、遺族にとっては、自分の家族を失ったことで頭がいっぱいです。他の事件とは比較しないということがとても大事だと思います。
 夢とか、希望を失って、思い出しかないという人もいると思います。お話をしても、その人の思い出、小さいとき、こういうことがあったよとか、去年旅行でこんなことをしてとても楽しかったなど、現実より思い出の中に生きる、そういう時期があると思います。そんなときは、「現実にちゃんと目を向けて」と言うのではなくて、そういう思い出話も今は大切なのだなと思っていただければありがたいと思います。

 特に事件とか事故とか自殺等で家族を失って、家族のことに触れてほしくないときがあります。国交省の前原大臣、あの方はお父さんが自殺で、33年前に亡くなったそうです。そのことを最近初めて公にしたようで、私も地方紙で読みまして、身内のそういうことを人の前で言うというのには時間がかかるのだな、この方も33年というとても長い時間を経て、初めて公にしたのだなと、その記事を読ませてもらいました。
 私の下の娘も東京の大学を出て、今、東京で働いております。しかし大学時代の友人や今の職場の人には、お姉ちゃんは横浜にいるということにして、亡くなったとは言えないと言っております。高校は地元ですので、地元の人たちは、姉のことは知っているので言わなくても済むのですけれども、その後に会った人たちには家族について触れられるのがつらいようです。姉の友達が、亡くなった娘、2月19日が誕生日なのですけれども、その日に横浜で毎年集まってお話をする会を設けているらしいんですけれども、その会に去年初めて妹を参加させてくれました。そのとき、妹は初めて安心して姉のことを言えたというんですね。つまり姉のことを全部知っている姉の同級生が、大学時代のエピソードをお話したり、また妹は、自分の姉としてのいろんなエピソードを教えたりということで、何の構えもなくお話ができて、本当にその人たちと会えてよかったということを言っております。私もそういう仲間に会えてよかったなと感じております。
 そういうわけですので、日常的な家族についての会話、これがとてもつらい。15年たった今でも、私も新しい仕事で出会った人などに家族について話すのが一番つらいです。「子どもさんは何人ですか」と聞かれたときに、「一人」というのは、亡くなった娘がいないことになりますし、「二人」といえば「上の方は今どうしていますか」、「下はどうしています」と必ず聞かれるので、それがまたとてもつらいんですよね。殺人で亡くなったということはなぜか言えません。本当につらいことです。
 ですから本当に心が癒されるまでには、その人によっても違うと思うんですけれども、相当な時間とか期間が必要ではないかと思います。

 遺族が思いをありのままに表現できる環境づくり。これは相手の人柄も人的な環境ということで私は大切なように思います。何かふっと話してみたくなるような、そういう雰囲気を持った人に私たちは自分の胸のうちを話したいなと思うことがたびたびあるわけです。
 遺族が自分の弱さを他人にさらす、そのつらさも知っていただきたいと思います。思いきって事件のことを言ったとき、「えっ、そういうことだったの」と、事件にあったこと、あるいは事件で家族をなくしたことを下に見るような、そういうふうに私たちが感じることもあります。そんなときは、この人には話さなければよかったなという、非常に後悔の念がありまして、心は癒されるどころではないというのも実感としてあります。
 遺族が語る話の流れに沿っていただきたい。ちょっと矛盾する話もするかもわかりませんし、涙を流して話が思うようにできないかもわかりません。でもそれがその人の今の状況だということで、丸ごと受けとめていただければ非常にありがたいなと思います。周りの人から温かく迎えていただくと、遺族は自分の力で方向性を見出すことができる、そういう力を遺族はそれぞれに持っていると思いますので、ぜひ、力を与えていただきたいと思っております。

 人は非日常的な出来事に遭遇したときに、心ない言葉で傷づけられたりすることがたくさんあります。しかしそれだけではなくて、癒されたり、勇気づけられるということもあります。

◎ 遺族として傷ついた言葉
 これは先ほどのビデオの中でもいろんな方が言っておりましたけれども、「もう一人、娘さんがいるからいいね」とか「天国でお嫁さんになったつもりだといいね」とか「親より早く亡くなる子は親不幸だね」という言葉も直接言われました。それから、私に対しては「あなたはもう仕事に出てきたの。仕事をやめるのかと思った」と言われたときはものすごくショックでした。私としては何とか自分の仕事をきちんと区切りつくところまではやりたいと思って出て行ったのに、そういったことを言われて、その人は、もしかして、私のことを気遣って言っているのかもわかりませんけれども、「やめろ」と言っているのかなと悪い方向にとってしまいました。また、「都会に若い娘を出すと怖い目に遭うんだよ」とか「いい娘を持つとこういうことになるんだよ」とか「あまり泣いていると、娘さんが成仏しないよ」ということも言われまして、そのたびに、私たち家族はそれぞれに傷つきました。
 半分癒えかけているという状況でも、また、もとに戻ってしまうということが何度も繰り返し行われました。

◎ 遺族を支えた言葉
 これもビデオで話していましたけれども、裁判長さんが、「被害者には全く落ち度がない」、「加害者の自己中心的な犯行である」と言われたときは、本当にこの言葉が後に私たちが頑張っていけるもとになりました。
 そして、被害者と加害者は一度も言葉を交わしたことがないこと。娘が最後に言った言葉が「私はあなたに何もしていないのに」だということ。この2つは、加害者が法廷で明らかにしたことです。私たちが最も憎むべき加害者の言うことは本来信用したくないのが本音です。でもその現場には、加害者と亡くなった娘しかいません。ですから加害者の言葉しか信ずるしかないということで資料に書いたのですけれども、でも私は加害者の言葉であったとしても、この言葉だけは信じたいなという気持ちでここに挙げました。きっと娘は包丁を自分の目の前で見て、本当に命を奪うというような覚悟で犯人は迫ってきたと思いますので、どんなに怖かったかと思います。ですからそのとき娘は、「なぜ、あなたは私にこんなことをするの」と、自分の命を守るために本当に最後の声を振り絞ったのではないかと思いまして、この言葉を聞いたときには涙が出ました。
 夫は娘のそばにいてあげられなくて、助けてあげられなくて悪かったと、今でも時どきその言葉を言っております。

◎ 遺族としてうれしかったこと
 遺族としてうれしかったことは、亡くなった人の命日とか誕生日を覚えてもらえていたときとか、タイミングよく遺族の心のうちを聞いてもらえたとき、あるいは亡くなった人の思い出話をしてもらえたとき、そして私たちに温かい心遣い、気遣いを示してくれたとき、こういうときは非常にうれしいな、ありがたいなと思いました。
 命日とか誕生日を覚えている人、あるいは思い出話をしてくれる人というのは、亡くなった人の、つまり娘の友人たちが多いわけですよね。ですから友人たちが命日や誕生日にお花を届けてくれたり、お線香をあげに来てくれたりというときは、一緒にお食事をしながらいろんな思い出話をしております。そういったあたりで、私たちの心も癒えているのだなということをつくづく感じております。

◎ 遺族の気持ちは生きている
 遺族の気持ちというのは私は決して死んではいないと思います。生きているんだなとつくづく感ずるのですけれども、家族の強いきずなというのを感じます。娘が亡くなる前も、私は自分の家族はきずなが強いのではないかと感じていたのですけれども、亡くなった後もとてもそれを強く感ずることがあります。
 そして犯罪に対する強い認識、命がこんなに大切なのだということを実感しております。
 また、被害者遺族の気持ち、これまでは何となくわかったつもりでいたのですけれども、自分が当事者になったときに、本当に遺族というのは、想像もできないいろんな気持ちを持っているのだということを実感しました。
 そして、今日のように、皆様の前で体験を話す機会をいただいている。これもまた娘が亡くなったことでいろいろなことを得ているのだと感じております。

 今日は、先ほどビデオを見ていただきまして、それにプラスした部分ということでお話をさせていただきましたけれども、娘二人を持って、私はそれぞれの娘が誕生したときはうれしく思いました。ちょうど二人とも12月と2月の寒い時期に生まれました。夜中じゅうストーブを焚いて、夜中に起きてミルクを与えて、早く大きくなってほしい。いい子になってほしいという思いで育てたわけです。
 でもその娘がまさかこういう他の人の手で命を奪われるということは思いもしませんでした。本当に人の命というのは、亡くなるときというのは何分間あるいは何秒かで亡くなるのかな、でも地球より重いというふうに言われております。
 ここにいらっしゃる方々はそれぞれの立場でいろいろお仕事をされていると思いますので、改めて命の尊さや重さを感じ取っていただければありがたいと思いますし、私自身もこれから生きていく上で命の重さ、尊さを感じてまいりたいと思っております。
 本当に今日はご清聴ありがとうございました。


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