講義

 
テーマ:「犯罪被害者と司法」
講師:宮田 逸江 氏(静岡のぞみ法律特許事務所 弁護士)

 まず最初に簡単に自己紹介ですが、私は静岡県弁護士会の犯罪被害者支援対策委員会というところで、今年度は委員長をさせていただいております。支援対策委員会とは何のことだという話ですが、弁護士というのは強制加入で、静岡県で仕事をするためには、この静岡県弁護士会というところに所属することが必要です。そして弁護士会の中でいろいろな人権活動をやっているグループがあって、例えば消費者被害について取り組んでいる消費者委員会であったり、あるいは子どもの権利について主にやっている子どもの権利委員会だったりがあって、その中の一つの弁護士のグループかつ分科会という感じですが、その中に犯罪被害者支援対策委員会という委員会がありまして、私はそこに所属をさせていただいています。そこに所属している弁護士は犯罪被害者支援に対して意欲もあり、かつ熱心に勉強をしているものですから、そういう中で勉強をさせていただき、実際に依頼があれば、事件があれば被害者の側に立って活動をさせていただいております。

 よく一般的な弁護士のイメージとして、どうしても刑事弁護人、要するに被疑者、被告人、つまり逮捕された加害者側、裁判の被告人側を弁護するというイメージがあるかと思います。当然、被疑者、被告人を弁護する役割は弁護士の一つの使命ですが、同時に、もう皆さんご存じかと思いますけれども、昨年の12月から、刑事裁判にも被害者が参加できる制度が始まりました。それについて、被害者が弁護士をつけて刑事裁判に参加するという手続もできるようになりましたので、刑事裁判の中に被害者側の弁護士として参加するというような手続もしております。今後説明していくように、被害者を取り巻く司法の中では刑事的な側面もあれば民事的な側面もありますので、その双方を仕事として分担をしております。

 ただご承知おきいただきたいのは、あくまでも司法というのは被害者を取り巻く中での一側面にすぎないということです。後で説明をしますが、一側面にすぎないし、かつ非常に限界もある制度です。いろいろ変革はされてきてはおりますが、司法の側面だけを支えていれば被害者の方が十分にサポートされるというものではないので、他の、例えば第2回の講義であったような心理的・精神的なサポートも重要ですし、あるいは第1回にあったような民間のボランティアの方による支援も、必ずしも司法分野に限られない、非常に日常的な支援だったりということも必要になります。そういうものがすべてうまくリンクをしていけば、被害者の方に対して非常にいい支援ができるのですが、どこかのジャンルだけやっていれば十分だということではないので、是非その辺はご理解いただければと思います。

 あともう一つ、刑事手続における被害者の権利というのは近年、変革期というか革新的に変わってきています。後で説明しますが、少し前までは、被害者というのは刑事裁判の当事者でもないし、裁判所のバーの中にも入れないような状態でした。それが被害者の方たちが実際に被害に遭われて、そういう裁判の矛盾だったり権利のなさについて驚かれたり悔しい思いをされた被害者の方が運動をして、変えてきて、それが今のある程度の被害者の権利の拡充というところに繋がっています。

 後でまた参考図書をご紹介しますけれども、その被害者たちがどういう活動をしてきて、今どういう状況にあるかということについて、既に皆さんはご存じかもしれないですが、全国犯罪被害者の会「あすの会」という非常に有名な団体があります。その団体は今回の被害者の権利拡充だったり新しい司法制度の変革について、非常にいろいろ有力な働きをした団体です。この本は、その団体がどうやって活動してきたか、どういう原点があって、どういう思いをしてそういう活動に結びついたのかということについて、非常にわかりやすくまとめてある本です。この方は多分ジャーナリストだと思うのですが、是非一度読んでいただけると、被害者がどういう状況に置かれていて、少なくともどういうところにまで今きているのかわかりやすく書いてあります。『犯罪被害者の声が聞こえますか』という講談社から出ている本で、著者は東大作という方です。これは文庫本にもなっているみたいですので、機会があれば是非お手にとって、読んでいただけると、よりリアルに被害者の置かれた実情だったり運動の軌跡がわかると思います。ちょっと紹介ですが、この全国犯罪被害者の会というのは非常に、変な言い方ですけど、全国的に著名な事件の被害者の方が参加されている会です。例えば桶川ストーカー殺人事件だったり、光市の事件、今、少年の死刑云々で非常に世間を騒がせていますけれども、本村さんが参加している団体です。そういう方たちに関するレポートも載っていますので、是非参考にしてください。

 こういう方たちの運動があったおかげで、今、被害者を取り巻く状況というのは若干変わってきてはおります。今回は、その変わってきた状況について、でもその限界について、ご説明をしていきたいと思います。

 まず、既にある程度法律のことについてご存じの方は釈迦に説法になってしまいますが、司法制度というのは、刑事的な側面と民事的な側面の2側面があります。被害者の方というのは、被害に遭われるのは当然初めての経験なものですから、よくそこを混同されて理解されておられる方がいらっしゃいます。例えば、罰金が払われているのになぜ自分のところにそのお金が来ないんだというようなことで、要するに罰金と損害賠償金について、罰金というのはあくまでも国家が加害者に対して、国家が罰として徴収する権利のものとして払わせるものであって、それは被害者が加害者に対して損害賠償請求できる賠償金とは異なるんだよという、その2側面があるんだよというところのご理解をいただいて、被害者の方にもわかりやすく説明をしていただければと思います。

 刑事手続で処分が決まったとしても、それがイコール被害者に対する賠償だったり弁償だったりに繋がるわけではない。刑事手続が進めば、その中で自動的に、自分に対して被害弁償なり賠償がなされるのではないかと当然思いがちですし、ご経験がなければそう思ってもやむを得ないのですが、悲しいかな、刑事手続がいつ終わったのかもわからないというような状況があります。終わってしまった裁判について、よく被害者の方がすごく疑問に思っていらっしゃって、なぜ自分のところには何も連絡がないのだろう、弁償が受けられないままになってしまったんだけどどういうことなんだろうという義憤を感じて、非常に憤られている被害者の方もいらっしゃるのですが、支援する側として、まず刑事手続と民事手続は必ずしもリンクしていないということを理解した上で、ご説明をいただければと思います。

 起訴される前の加害者のことを被疑者、起訴された後の加害者のことを被告人といいますが、刑事手続というのは、加害者である被告人あるいは被疑者について、国がいかに刑罰を科すかという手続ですから、刑事手続の中では、被害者というのは主体ではないのです。何となくその加害者と被害者がいてという、対立している構造のように思われますが、あくまでも刑罰を科すのは国ということになります。これは近代国家が私的に復讐していくことは禁止して、そのかわり国が刑罰を科すんだよという刑罰権を独占した結果ですが、そういう意味で、刑事裁判の主体というのは、訴追、訴えて追及をしていくのは国の役人というか公務員である検察官であり、判断を下すのは、これも一種の公務員である裁判官で、要するに国家が主体になって手続を進めているとご理解いただければと思います。

 被害者の権利に対してご興味があるときに、よく被害者の方などから出される疑問として、被告人ばかりが保護されていて、被害者には何も権利がないという、その被告人の権利と被害者の権利を天秤にかけて、被告人の権利ばかりがより保障されるのはおかしいじゃないかというようなことがあります。それも被害者の気持ちとしてはもっともですが、被害者を支援する側としては、なぜ被告人の権利が保障されているのかについてご理解をいただければと思います。

 それは要するに刑罰権を国が独占しているから、被告人の権利というのは、被害者に対して保障されているというよりは、国の刑罰権の暴走を許さないために保障されている。例えば裁判もなしに誰かを刑務所に入れるような国家、社会というのが果たしていいのか。そうすると、きちんとある程度国の暴走を抑えるためには、どんな極悪人であっても手続を保障して、手続にのっとって国の刑罰権を行使するのが近代国家であると。そこは決して被害者の権利をないがしろにしていることと、直接はリンクをしないのではないかなと私は思っております。それは被害者から見れば憤りは当然ですが、支援をする側がそこを混同してしまうと、ちょっと違うのではないかなとは思います。ただ社会の中で耳目を騒がせるような弁護方法が、それは弁護の方法としてどうなのかというのはそのとおりの疑問を持つときはあるのですが、それと、被告人の権利は何もなくなってもいいと、悪いことをしたのだから裁判も受けずにそのままいきなり刑罰を科してもいいんだという理屈とはちょっと違うのかなと思います。

 例えば冤罪事件が起きてしまったときに、最近有名な冤罪事件で足利事件などがありますけれども、被害者にとっても決して何もいいことはない。真犯人がきちんと逮捕されて処罰を受けていれば、報われるかどうかはともかくとして、ある程度被害者の遺族の方は納得できたはずなのに、結局真犯人はそのままになってしまい、どこに怒りを持っていけばいいのかというのが多分被害者のご遺族の気持ちだと思うので、決してその冤罪は被害者にとって望ましいことではないと考えております。

 では、刑事裁判と民事裁判と2つあって、被害者の側から見ると、これらの手続というのはどういう意義を有するのかについては、それぞれご理解いただければと思います。

 まず刑事裁判の被害者にとっての意味というと、近代国家ですので、誰か自分の家族だったり自分が非常に大切にしている人だったりが被害に遭ったときに、その加害者に対して自分で復讐をして、自分が直接やり返してしまえば、それはまた新たな犯罪ということになってしまいますので、刑事裁判をしてもらう被害者あるいは被害者の側にとっての意味というのは、加害者を処罰するということが一番重要になります。

 もう一つは、処罰を受けさせることによって加害者の自覚を促す。あるいは次の犯行、再犯を防止する。加害者の中には、実際に逮捕されて刑事裁判になるまで、自分のやったことの悪質性を自覚しないような人というのはいます。特に性被害の加害者だったりすると、すごく認識が甘いというか、「この程度のこと」というような理解をしている加害者もいます。結局そういう被害者の方がきちんと声を上げて、裁判を受けさせる、処罰を受けさせることによって、加害者に自分がやったことの違法性、あるいはどれだけ重大な深刻なことをしてしまったのかを認識させる効果は、ある程度期待できます。

 さらにもう一つは、刑事裁判をするということは、これも後で説明しますが、場合によりますが、加害者が逮捕されたり、あるいは一定期間ではあれども刑務所に収容することによって、その間の被害者の安全は確保できます。それが一生ではないというところが非常に、特に傷害事件なんかの被害者の方ですと、逮捕されても数カ月で出てきてしまって、出てきたときにさらに加害行為が続くのではないかというのを心配される方もいます。確かにそれはそのとおりですが、それでも何もしなければ加害者というのはそのままうろうろしているわけで、残念ながら、今の日本の司法制度の中で、強制的に加害者をどこかに収容する手続というのは、もうこの刑事手続しかありません。

 ちょっと例外的な手続としては、ストーカー規制法とドメスティックバイオレンス防止法の中には接近禁止命令があって、近づいてはいけないという命令が例外的にあります。ただこれは結局、ここに近づいてはいけませんよという裁判所の命令を出しておいて、近づいた場合、あるいはそれに違反して被害者に接近したときに、接近したことを犯罪として逮捕するという法律になっていますので、近づかせないということを強制するというよりは、近づいたら逮捕されるということをもって近づかせない。強制的に近づかせないという制度は、少なくとも日本にはありません。近づいたときに、犯罪と看做して逮捕しますという制度でしかないものですから、そうすると無理やりどこかに収容していく、引き離しておく方法としては、多分世界共通だと思いますが、逮捕して勾留してもらうという方法しか今のところはない。そうすると被害者にとって、刑事裁判に踏み切って刑事手続をやってもらうことは非常に重要なポイントにはなるかと思います。

 では逆に民事的な裁判をやる意味はどこにあるのかといいますと、次のページになりますが、まずは加害者に対して経済的な制裁を加える。ただここは、実際に被害者の支援をされていたりすると、被害者が本当に求めることとはちょっとずれてしまうなというのが私の実感ですが、例えば被害者というのは当然、被害を受けているので、その被害についてきちんと金銭的に補償をしてもらいたいという気持ちはあります。ただ結局被害というのは体だったり精神を害されて、お金では換算できないというのはそのとおりですし、どんなにお金を積まれたとしても、その被害を受ける前の状態に完全に戻るわけではない。被害者としては、前の状態に戻してほしいというのが本当の気持ちだと思います。ただ残念ながら今の日本の裁判制度というのは、刑事罰以外に、合法的に加害者に対して請求できるものは、被害を金銭に換算して金銭賠償として請求するという手続しかありません。それでもこれをやることによって、加害者の逃げ得、やり得になって何の経済的な制裁も受けないで放置をされることは防げることになります。経済的制裁について果たして加えられるかというのは、実際上の現実の問題では非常に厳しいところはあるのですが。

 もう一つは、民事裁判をする場合の意義としては、先ほどもご説明しましたように、刑事手続というのはあくまでも国が主体になって、国がどうやって刑罰を科すかということで、裁判の中の当事者としても、最近、被害者参加ということで被害者が参加はできるようになっていますが、あくまでも主体は国の刑罰権の代行者である検察官であったり裁判官、あるいは被告人を弁護する弁護人であるので、被害者は主体ではない。そうすると、刑事裁判を傍聴されたり参加されたりしても、どこか自分で手続を進行させていないという点でフラストレーションを感じられたりする方というのはいらっしゃいます。

 ただ民事裁判というのは加害者対被害者、個人対個人の関係なものですから、ある程度被害者側は主体的に行動できる。神部先生のお話とかでもあったと思いますけれども、被害者の方というのは、ある日突然全く自分に責任のないことで圧倒的な被害に遭って、自分では状況をコントロールできないという無力感をすごく感じていらっしゃいます。それが刑事手続で自分が実際に原告となって加害者に対して行動をすることで、ある程度やるだけやった、主体として行動したというところで、少し主体性を取り戻せるというか、圧倒的被害の中で無力感から少し回復できるというような効果はあるのではないかと言われています。

 もう一つは、民事裁判をする意味としては、たとえ刑事的な処罰が困難なケースであっても、損害賠償、要するに金銭的に賠償する責任は認められるケースはあります。そういう意味で、民事裁判をする意義というのが、被害者の方にとって、ある程度認められるとは思います。

 次は法律の話ですが、ちょっと簡単に、こういう民事と刑事があって、法律というのはどういうふうに決まっているんですかということになります。既にご承知の方は多いと思いますが、実体の中身の法と手続法というのが必ずあります。刑事的な側面で実体法というのは、結局どういう行為をするとそれが犯罪とみなされて、かつその犯罪とみなされた場合にどう処罰されるのか、各項についての中身と罰則が決められているのが実体法ということになります。一番シンプルな実体法というと刑法で、刑法からはみ出したいろいろな特別刑法、例えば覚せい剤取締法とか、道路交通法とか、そういう刑法以外の法律でも、罰則規定があるものについては実体法という扱いになります。そして、その犯罪を犯した人に対してどういう手続きで刑事手続を進めていくのかというのが手続法のジャンルで、それが刑事訴訟法という法律になります。

 他方、民事裁判はというと、実体法というのは民法で、しかも民法の中の数条だけしか使いません。それは実際に自分が権利を侵害された、すなわち被害を受けたときにどういう権利が認められるのか、それに対してどういうふうに何を請求できるのかが定められているのが実体法、民法ということで、ではどういう手続きでその権利を行使すればいいのかというのが決まっているのが民事訴訟法ということになります。

 この中で実際に裁判手続を既にご経験されたとか、傍聴された方はいらっしゃいますか。1回見てみると、大体イメージがわかると思いますが、その法廷内の位置関係ということで、刑事事件と民事事件を次に挙げてあります。大体どこの法廷も似たようなポジションにはなっています。一番奥が裁判官です。最近、裁判員裁判が静岡でも始まりましたけれども、裁判員裁判ですと、基本的に裁判官の段のところに裁判員6人がプラスされます。刑事事件は、場合によって裁判官が1人のときもあれば、裁判官が3人のときもありますが、裁判員裁判だと、裁判官3人と裁判員6人が奥に並びます。左手が検察官で、右手が弁護士です。裁判官から一段低いところが書記官で、話をするときには基本的に、ここの証言台に進んでいって話をするということになります。

 ごめんなさい、ちょっと被告人ということで傍聴席の前に書いてあるんですが、最近は多分、被告人の着席位置は弁護人の前か弁護人の横に変わってきています。これまでは、どちらかといえば被告人と弁護人の打ち合わせを余り重視していなかったのですが、ちょっと状況が変わってきて、弁護人と被告人がスムーズに打ち合わせができるようにという意味で、弁護人の横あるいは前に移動しているケースが多いようです。

 では被害者が参加したときにどこに座るかというと、検察官の横ないし後ろということになります。これまで被害者というのは、ここの図でもありますように、裁判に参加しない限りは当事者ではない。例えば後で説明しますけれども、被害者の方が意見陳述といって自分の気持ちを述べる、あるいは証人として出廷されて、被害の状況について証言をされるというようなときは、この証言台のところに被害者の方が座って話をして、終われば傍聴席に戻るというような状況でした。被害者に参加を許したというのは、この傍聴席ではなくて、傍聴席の反対側のバーの中に、実際に被害者がずっと手続きの間座っていられるようになったということになります。これまでは、被害者は結局あくまで傍聴してなさいと。必要なときだけバーの中に入って話すことは話していいけれども、それ以外のときは傍聴人と同じ扱いだったのが、被害者参加制度という制度によって、やっとバーの中に入って座ることができるようになったのが大きな違いになります。民事事件の場合は、次のページですが、ほぼ同じ位置関係ですが、原告と被告の位置がこういうふうになります。

 では、実体法といいますが、刑事手続の中身の話に入っていきたいと思います。まずどういう行為をすると処罰の対象になるのか、先ほどご説明したように、刑法で決まっております。ただ、ある人が亡くなったという結果が生じましたと。誰かによってそういう結果が生じたというときに、その行為に対して、どの法律を当てはめればいいのか。当てはめた法律の中から、どの刑罰が相当なのかを決めていくのが刑事裁判だと理解をしていただければいいと思います。

 すごくシンプルに、これは刑法199条という条文ですが、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」という、本当にこのとおりのシンプルな条文ですが、実際に人が亡くなったという結果が生じたときに、「亡くなった」という結果がありますというだけでは殺人にならない。必ず犯罪には、この犯罪をするという意思、法律用語で「故意」というんですが、故意がなければいけない。例えば人が亡くなったという結果があったときに、その人が殺そうと思って、あるいは死んでもいいと思ってそういう結果が生じていたのであれば殺人になります。ただ場合によって、殴るという行為はしたけれども、そのときに、まさか死んでしまうとは思わなかった。殴るということはわかっていたけれども、まさか死ぬとはという状況だった場合には、同じ亡くなったという結果が生じたとしても、殺人罪ではなくて傷害致死という別の罪名になります。

 そういう意味で、法律で決まっているから裁判でシンプルに終わるんじゃないかということではなくて、どの法律に当てはめられるか、その当てはめられた法律が合っているのかを正していくのが裁判ということになります。かつ日本の法律というのは、この条文を見ていただいてわかるように、「死刑又は無期若しくは五年以上の懲役」というふうに、非常に刑罰の幅が広い状況になっています。後で刑罰の種類というところでもご説明しますが、有期懲役というのは、5年以上最高で30年までです。そうすると「死刑又は無期若しくは五年以上」というと、死刑か無期懲役か、もしくは5年から30年までのどこかという、非常に幅が広い法律の定めになっています。そうすると、この中からたとえ殺人という刑罰規定に当てはまったとしても、その中から、どこのどの刑罰を科すのが相当かというのを決めるのが刑事裁判ということになります。

 まず刑事裁判のファーストステップとしては、起訴するところから始まります。起訴をするというのは裁判にかけるということですが、どの罪名で起訴するのかということについては、検察官が独自に決める権利を独占しています。例えば私なんかも経験があるんですが、年若い子たちの集団リンチで、1人の子が本当に凄惨な亡くなり方をしてしまったというような場合でも、その子たちはまさか死ぬとは思わなかったということであれば、殺人では起訴されずに、傷害致死で起訴されるというようなことはあります。傷害致死と殺人だと全く量刑のレンジが違っていて、生じた結果は非常に悲惨ですし、やっている暴行の態様というのも、逆に非常に凄惨というか残虐なことをしていても、その故意がなかったということで、起訴が傷害致死でされてしまうというようなことはあります。

 残念ながら、今の日本の制度では、どういう罪名で裁判をスタートさせるのか、どういう罪名で起訴をするのかを決めることができるのは検察官のみです。被害者としては、検察官に意見を言ったり、あるいは説明を求めたり、何で殺人ではなくて傷害致死で起訴されてしまったんですか、どういうところでですかと説明を求めることはできるのですが、起訴の罪名、要するにどういうベースで裁判を進めていくのかというところに関しては、被害者の権利はありません。後で説明しますが、確かに被害者が裁判に参加できます。検察官の横に並んで裁判に参加して、いろいろな意見を言ったりもできますが、それもあくまでも検察官が起訴した範囲内の罪名ということになっています。多分それは検察官に裁判を進める権利を独占させているので、そこの権利の範囲内で被害者の権利を認めたということの結果ということになっております。

 あとご注意いただきたいのは、次のページでも書いてありますが、いろいろな被害が発生して損害を受けているとしても、そのすべてが刑事事件になるわけではないというところは、特に被害者の支援に携わられる方にはご注意をいただきたいと思います。例えば被害者からご相談を受けたりしていく中で、ご本人は非常に悩まれて、損害を受けたと主張されているケースがありますが、必ずしもそれがいわゆる犯罪、刑事裁判、刑事手続の中で扱えるものばかりではないというところはご理解いただければと思います。

 ニュースの中で、たまに騒音被害だったり近隣トラブルで逮捕されているというようなケースがあると思いますが、あれはよほど程度がひどくて、騒音を出されている方あるいは騒がれている方が、繰り返し被害を受けることによって精神的に非常にダメージを受けてというような事実があって、初めて傷害などで逮捕ができるという状況です。単に1回2回のあの状況だったら、恐らくそれは犯罪としては扱えない。迷惑を受けているのは確かで、何らかの被害を受けているのは確かだけれども、それはイコール犯罪ではないということはご注意いただければと思います。どんな事件でも、警察に行けばいいよ、警察が絶対何とかしてくれるよという言い方をしてしまうと、逆に被害者の方が、信じて警察に行ったのにたらい回しにされるようなことになるものですから、そこは被害者に携わられる方にはご注意をいただければと思います。

 例に挙げる中では、取引先が代金を払ってくれない。これは場合によっては確かに詐欺になる可能性はあるのですが、ただ詐欺というのは、あくまでも最初から騙す意思、故意がないと詐欺としては成立しないもので、直ちにすべての金銭トラブルが犯罪に繋がるかというと、そういうわけではありません。夫婦関係の問題についても、確かにドメスティックバイオレンスで、暴力を振るわれて怪我をしたりすれば傷害罪ということになります。ただそこにまだ行っていない、金銭的な虐待だったり、あるいは今ちょっと話題になっていますモラルハラスメントといって、精神的、道義的なもの、それも一つの暴力ではありますが、それを直ちに刑事手続の中に乗せて処罰ができるかというと、まだ難しい。そこは被害を受けたとおっしゃる方のご相談に乗ったり、フォローをしていく中で注意をしていただければなと思います。どんな行為が法律で犯罪になるのか決まっていて、あくまでもその決まっていたことにうまく合致しないと刑事手続自体は進まないということをご理解いただければと思います。

 法律の中で、どういう行為が犯罪になるか決まっている。では、それについてどういうふうに処罰されるのか。日本の法律ではどんな刑罰が決まっていますかというのが次のページになります。今、日本の法律で、いわゆる刑罰というものは死刑あるいは懲役刑、罰金刑ということになります。懲役刑の中には無期懲役刑と有期懲役があって、有期懲役という懲役は1カ月以上20年以下、重くする場合には30年までということになっております。

 無期懲役になったとしても、日本の場合には出てきちゃうでしょうというような議論をよくお聞きになったことがあるかと思います。だから死刑にすべきだとか、あるいは終身刑の制度を導入すべきだという議論をお聞きになったことがあるかと思いますけれども、確かに無期刑、無期懲役になったとしても、日本の場合は仮釈放という制度があって、釈放される余地は残っています。そこが非常にクローズアップされると、被害者の方にしてみれば、無期といっても結局は戻ってくるんだろうという疑問を感じられるお気持ちは非常にわかります。ただ実際には、仮釈放が許されるかどうかというと、非常に被害者の方の疑問だったり憤りだったり、あるいは仮釈放後の再犯というような問題があって、今非常に厳しくはなっているということです。法務省のデータで調べたら、無期懲役でも仮釈放が認められるまで平均的に28年ぐらいになっているので、実際に仮釈放で出てくる無期懲役の受刑者よりは、中でそのまま亡くなってしまう受刑者の数のほうが多いという法務省のデータがあるようです。

 以上、先ほども説明したように、日本の法律というのは、殺人罪だったら直ちに何年とか、あるいは直ちに死刑とイコールで決まっていないものですから、機械的に刑罰を決めることはできなくて、いろいろな幅があります。かつ被害者の側から見ると、今の日本の裁判の量刑は比較的軽いんじゃないかというお気持ちを持っていらっしゃる方は非常に多いと思います。ただ、いきなりは変えられないというのが多分裁判所の姿勢で、それはなぜかというと、これまで綿々と刑事裁判を続けてきて、同じような事例で、例えば懲役15年だったら15年で処罰をしてきた歴史は一応あるわけです。そうすると、ほかのケースと比べて突然そのケースだけ、その加害者だけを重く処罰できないというバランス感覚は、多分裁判所はまだ持っているのだろうと感じています。

 ただ時代の流れによって徐々に重くは、特に近年は厳罰化が進んでいるのかなと。ただ、それはあくまでも徐々にであって、特に殺人の被害を受けた遺族の方がよくおっしゃるのは、人を1人殺して20年とか10何年とか、それで済むのですかというのは、被害者の側から見ればそのとおりですが、日本のそれまでの裁判の基準と比べると、今は比較的重くはなっている。ただ、そういうところがあるということです。

 かつ、法定刑の範囲は超えることはできません。それは当然ですが、例えば非常に被害自体は重い。それでもその選択刑の中に死刑がなければ、死刑を求刑することはできない。皆様も多分ご記憶にあるかと思いますが、最近すごく飲酒運転が厳罰化しました。あれというのは、ひどい飲酒運転の交通事故の被害に遭われたご夫妻が、その当時は業務上過失致死という法律しかなくて、どんな飲酒運転だろうが、運転中の事故であれば業務上過失致死という法令を適用するしかありませんでした。その法令というのは最高で5年であった。そうすると飲酒をして、お子さん2人を亡くされて、それでも最高5年で、法定刑は超えられないという状態がありましたので、非常に運動をされて、新しく危険運転致死傷罪というのをつくって、初めて懲役が1年以上、最高で20以下というところまで科せるようになりました。だから、必ずしも今の法律にないところまでの処罰はできないというところをご理解いただければと思います。

 余談ですが、危険運転致死傷で非常に注目を集めたのが、福岡でお子さんが亡くなってしまった交通事故の件で、多分福岡市の職員か何かで有名になったと思いますけれども、あれは結局一審のときには業務上過失致死を適用したんです。業務上過失致死というのは最高が5年ですが、重くする場合には、重いほうの刑の半分を足せるので、5年の場合は2年半を足して最高が7年半になるという規定だったものですから、第一審のときは業務上過失致死を適用して7年6カ月でした。ところが高裁に行ったときには危険運転致死傷で、そのときは1年以上最高20年だったものですから、20年ということで、ものすごく量刑に開きがあったというのは新聞とかで見られたと思います。あれは、裁判所によって適用する法令が全く違ったためにそういうことになったということです。

 もともと危険運転致死傷罪というのがつくられたのですが、非常にややこしい条文になっていて、酒酔いによって正常な運転ができないという要件になっているものですから、単に呼気から何ミリリットル以上のアルコールが出たらイコール酒酔いというのではなくて、正常な運転ができたかどうかというところまで要件に入ってきているので、あのケースは危険運転だったのかそうではなかったのかによって、一審と二審の判断が分かれたところで注目を集めておりました。あれも被害者にしてみれば、人が2人、まだ幼いお子さんが亡くなっていて、当然のことだと思われたと思います。ただ一般的に殺人の刑と比べても非常に重かったので、高裁の判決は非常に思い切った判決を出したなというのが、普通の刑事裁判を扱っている者の感覚として、非常に驚きを持って迎えられたということになります。ここまでが、どういうふうに刑罰が決まっているのかというところになります。

 では実際に被害を受けた後、どのように手続きが進んでいくのか。次は中身の問題ではなくて、手続の問題ということになります。この辺は最初の警察の方のお話でも相当触れられたと思うので、重複になるかと思いますが、またご説明をできればと思います。これに関しては資料集の冊子の8ページ、9ページ、あるいは少年事件のほうは10ページをご参考にしていただければと思います。

 まず被害が発生します。当然、重大な事件で、すぐ救急車で搬送されたりあるいは発見されたりということであれば、捜査がすぐに開始されます。ただ、捜査が開始されない場合もあります。それは、例えば窃盗だったりすれば、その窃盗を受けた本人が「盗まれました」と言わなければ、被害を捜査機関が把握するということはないですし、一番把握しづらいと言われているのが性被害で、被害者が申告をしなければ、警察が発見をするというのはなかなか難しいということになります。

 そういうときに捜査が始まってしまえばいいですが、あるいは始まっていない場合には、警察に対して被害届を出す、あるいは告訴・告発の手続をするということが必要になります。被害届と告訴と告発というのは、もう説明はあったかと思いますが、まず被害届というのは単純に被害の発生を届け出る。告訴というのはそれだけではなくて、この人を処罰してほしいという意思を表明するということが違いになります。告発はだれでもできるというのが違いです。告訴というのは、特に一定の犯罪については必ずその捜査を開始する、あるいは裁判をするに当たって必要ですということになっています。

 特に性被害については、告訴が必ず公判を維持する要件になっています。そういう犯罪のことを親告罪といいますが、性被害の場合は当然、被害の実際を捜査機関などに申告して、それについて全く第三者である警察に話をして、その事実が裁判で扱われるということになるので、被害者の方の意思がない限りは裁判を始められないという手続に決まっております。

 これまでは告訴の期間は6カ月と非常に短い期間になっていましたが、これは撤廃されております。それは被害者、特に性被害の被害者に6カ月以内に被害の申告をさせるというのは、被害の直後は非常に混乱していますし動揺もされていますので、非常に酷で、6カ月以内に言わなかったから処罰は無理ということがないように、この親告罪の、特に性被害に関する告訴の期間制限は撤廃されました。

 告訴のこの問題というのは、後で起訴・不起訴のところでも言いますけれども、親告罪というのは、あくまでも被害者の方が処罰を希望しているというのがないと裁判を維持できません。特に親告罪の場合は、被害者が告訴をして、加害者が逮捕されて起訴されるまでの間に、被害者に対して加害者側から示談の申し出を非常に激しくというか熱心にされる場合があります。それは、示談をして告訴を取り下げてしまえば、もう裁判を維持することができないからです。性被害の場合は、特にそういう意味で、加害者側から非常に熱心に被害者に対して告訴を取り下げて示談をしてくれるようにというようなアプローチを受けることがあります。

 ただ告訴というのは、一回取り下げると、同じことについてはもう二度とできないものですから、果たして取り下げて処罰を諦めることがいいのか、それともきちんと処罰を受けさせて、その上で損害についても回復することがいいのかというのは、被害者の方によくご理解をいただく必要があります。そこがよく理解できないまま、言われたから取り下げてしまってということで、被害者の方が悔しい思いをされたりする事例がたまにありますので、そこは支援をする側もご理解をいただければと思います。

 捜査が始まると、被害者側の行動というのは捜査に協力をするということになります。結局裁判というのは、後から過去に起こったことを検証するものですから、いかに過去に起こったことを裁判官にきちんと伝えるかということで、調書という書類をつくったり、あるいは写真を撮ったり、あるいは医師、専門家医が鑑定をしたりというような書類を作成する作業が主になります。被害者としては協力をしていくことしかないということになります。

 捜査が進んでいくと、加害者はどういう状況に置かれるのかというのはその次のページですが、まず加害者が特定されると、逮捕されるケースと在宅の場合とがあります。被害者にしてみれば、せっかく告訴・告発をしたのだから、当然被害者は逮捕されるものだと思って期待をしていらっしゃる方もいるのですが、中にはそのまま在宅で、逮捕をされずに事件が進んでいく場合もあります。そして、そのまま裁判まで在宅でというケースもあります。執行猶予判決を受けたりすると、一回も身柄を拘束されることなく、加害者がそのまま日常生活を営んでいるというような状況もあり得ます。被害者からしてみると何で?と。被害者にすると当然ですけど、刑事事件となれば、何となく逮捕してもらったり勾留をしてもらったりするんじゃないかと思っていらっしゃる方が多いのですが、そうではないケースもあるというのは、支援する側は理解をしておいていただければと思います。

 仮に1回逮捕されたとしても、次の勾留というところで「勾留の必要なし」ということで自宅に戻される場合もあります。これは警察の方にもご説明いただいたかと思いますが、逮捕というのは、あくまでもその後24時間、身柄という言い方をするのですが、加害者を拘束しておく効力で、逮捕して、勾留して、初めてその後の捜査期間中、加害者を留め置くことができるということになります。基本的に勾留というのは20日間で、10日間、10日間の20日間になります。20日間すると、起訴か不起訴かが決められます。中には再逮捕を繰り返されて、この勾留期間が何度も何度も延びていくという人はいます。例えば死体遺棄でまず逮捕をして、勾留期間があって、その後に殺人でまた逮捕をして、勾留期間があって、と延びるケースはありますが、基本的に1つの罪だったら、逮捕して勾留になって、勾留になると20日間で、20日後に起訴・不起訴が決定されます。

 それは最大20日なものですから、場合によれば10日程度で出てきてしまう人もいます。ですから被害者の、特に軽微な傷害事件ですと、せっかく逮捕してもらったのに、10日ぐらい経ったら出てきて、そこら辺にいるというような事態が中には起きてしまう。というのは、要するに勾留をされたけれども、その後説明した略式起訴か何かで罰金を払って、もう刑事手続は終わっているというような状態が生じることがあります。

 20日間勾留をされて起訴・不起訴が決まりますということですが、次のページですが、起訴されると裁判ということになります。逮捕されて、勾留されている人が起訴されれば、通常はそのまま勾留というのか、拘置というのか、留置所なり拘置所なりに加害者がそのまま留め置かれるということが続きます。ただ、略式命令、略式起訴というのは、その日のうちに罰金を払って出てくるというのが略式なものですから、勾留がそれで終わります。その日のうちにほぼ出てきます。

 裁判になったとしても、場合によると保釈という制度があります。これは正式に起訴された後、裁判所に金銭を担保に積んで勾留を解いてもらう。裁判で実刑判決を受ければ収監される。もし裁判までの間に逃亡したりすれば、その担保として積んでおいたお金を没収されるという制度です。よく有名人なんかが、裁判が終わってないのに拘置所から出てきた光景を見ると思いますが、これは裁判所に保釈金を積んで、その金銭を担保に、裁判までの間、外での生活をする権利を得ているという状況になります。

 こういう、加害者が今どういう状況に置かれているのかというのを被害者の方がある程度理解をして、あるいは被害者の方に状況を説明することができると、もう終わってしまって略式命令を受けて罰金を払っているのか、あるいは裁判はこれからだけど保釈を受けているのか、あるいは執行猶予判決を受けているのかがわかると、被害者の方にとっても非常に状況を理解しやすい。特に被害者の方はわからないものですから、支援をする側で、こういう刑事手続の中の手法の仕組みというのも、ある程度の理解をしていただいて、ご説明をしていただけると非常にありがたいと思います。

 きちんと起訴をされるケースと、不起訴になるケースもあります。最初のほうにご説明したように、どういう罪名で起訴するのかも検察官が決めますし、起訴にするのか不起訴にするのかも検察官が決めます。これについては、基本的には、被害者の側はなかなかコントロールするのは難しいということになります。ただ一般的には、被害者の側から起訴する必要がないですよというような意思表示があれば、不起訴に流れがちということになります。

 そうすると、加害者の側から見ると、逮捕されて勾留されて正式な裁判を受けずに済むためには、いかに被害者との間で、もう正式な裁判を受けなくていいですよという示談を取り交わすかが非常に重大な関心事になって、加害者の弁護人から被害者側に、非常に熱心にそういうアプローチをされることがあります。そのときに被害者に常についている側としては、それを受けたらどういう状況になるのか、何が起きるのかを被害者の方にきちんと説明をしていただくことが必要ではないかと思います。

 実際に正式に刑事裁判が始まりましたという中で、通常であれば、最初のほうの法廷の図で説明したように、被害者はバーの中には入らずに傍聴席で傍聴することになります。ただ昨年の12月から、新しい被害者参加制度という制度ができました。この図は、その被害者参加制度を簡単に説明した図になります。これまではバーの外にしかいられなかった被害者が、被害者参加制度を利用することによって、バーの中に入って、検察官の横に座って手続に関与することができます。ただその関与というのは、決して検察官のように何でもできるというわけではなくて、ある程度限定的になります。できることは、情状証人に対する質問と、被告人、要するに加害者に対する質問という、この2点です。質問に関してはこの2点で、最後に意見を言うことができるということになります。

 情状証人とは何かという話ですが、一般的に事実関係に争いのない裁判、要するに加害者がもう事実を認めているということになると、犯してしまった犯罪については争いがない。そうするとその犯罪について、どの幅の量刑で決めるのか、先ほど言ったように無期か死刑か、あるいは5年以上20年以下のどの刑を科すのがいいのかというのを決めるのが、いわゆる情状ということになります。

 刑事事件の多くは、この情状しか争いがない。本人が加害者であることも争いがないし、行為をしたということも争いがない。そうすると刑を決めるに当たって、どういう状況だったのか、どういう事情があったのかというところが、大きな裁判の中で、逆に言うとそこしか争いがないということになります。その中で加害者側がよくやるのが、加害者側の家族や勤務先の雇い主等に証人として裁判に来てもらって、今後はきちんと監督します。こういうことはもう二度と繰り返さないようにさせますと。そうすると、再犯の可能性がないなら、若干でも服役する期間は短くていいんじゃないかという判断になったりする。あるいはこれまでの本人の暮らしぶり、性格だったり、要するにこんな犯罪をするような人ではないという証言をさせたり、被害者側に対して、本人はもう勾留されているので動けないけれども、家族としてどういう弁償しようと申し出をしたのか、あるいは加害者本人に代わって被害者側にどれだけ誠意を持って謝罪をしたのかということを証言させる。それを聞いてもらうことによって、量刑を少しでも軽くしようという弁護の方法をとることが一般的です。

 これまで情状証人が法廷の中で証言をしているときに、被害者はバーの外から聞いていることしかできませんでした。例えばそこで加害者側の家族が出てきて、本当に誠意を持って今後きちんと弁償もしますと言って、その後連絡を取ったら、あれは裁判上のことでしたからという対応をする加害者側の家族が、比較的というかケースとしてありました。本当に、あくまでも刑事の中で罪を軽くするための言葉であった。ただ被害者側にすれば、傍聴席からそれを聞いていて、きちんと裁判でそういうことを言ったのに何で?というような気持ちになりますし、あるいは事前の被害者側に対する対応の中で非常に心ない対応をされた。それが法廷の中に来ると、本当に真剣に謝罪をしたいと思っていますと発言をするというときに、これまでは聞いているしかできなかったけれども、バーの中に入って、検察官の横でその点について正すという権利が被害者に与えられるようになりました。

 もう一つ、被告人質問というのはほとんどどの裁判でも行いますけれども、何でこんなことをしてしまったのか、あるいはどう思っているのか、今後どうするのかというところについて、これまで検察官から聞いてもらうことしか被害者はできなかったのですが、参加をしたときには、被告人に対して被害者が直接質問をすることができるという制度ができました。ただ参加できる罪というのは一定の、比較的重大な犯罪には限られています。被害を受ければ何でもすべて参加ができるというものではありません。今日はどの罪について参加できるのかというリストを置いてきてしまったので、またどこかで調べていだたければと思いますが、刑事裁判がこれまでとはちょっと違ってきて、被害者も主体的に行動できる余地が与えられたというのは、新しい被害者参加制度ということになります。

 参加するに当たって、これまでは被害者が弁護士を頼もうと思ったら、法律扶助という制度はありますが、自分でお金を払って雇うしかありませんでした。でもこれからは国選といって、国が費用を払って、被害者側に弁護士をつけるという制度が、被害者参加制度に関しては発足しました。ですので、被害者の方にとって経済的な負担なく、裁判に参加したときに弁護士を依頼できる。それは逆に言うと、被告人側に国選があるので、それはイコールで当然の権利ですけれども、そういうことが発足しております。被害者側の中には、ご自身で参加したいけれども手続きがよくわからないのでということで、安心役として弁護士に一緒に行ってほしいというような方もいらっしゃいますし、あるいは質問したり意見を言ったりするのを、弁護士が被害者に代わってするということもできるようになりました。

 それと同時に、次のページですが、刑事訴訟法の一部が改正になって、被害者の権利が少しずつ拡充はしています。ただ、これも残念ながら万全ではありません。いろいろな問題はありますが、でも以前よりは少し権利が広くなったとご理解をいただければと思います。

 済みません、次の加害者が少年の場合と、裁判員裁判については割愛をさせていただきます。
 次に民事裁判のほうに行ったときに、民事裁判でどういう権利があるのかということになりますが、主に民事裁判で現在法律上保障されている権利というのは、最初にもご説明したように損害賠償請求権のみということになります。要するに被害を金銭に換算して、その金銭を支払わせることしかない。最初にもご説明したように、それは被害者が本当に求めていることとのギャップが非常に大きいです。どんなにお金で払ってもらっても、被害が回復するわけではないし、元に戻れるわけではない。残念ながら、今の日本の法律ではそことのギャップはありますが、損害賠償請求権ということのみが認められているということになります。

 では損害賠償請求権の中身、具体的にどういう金額になるのかというのが次のページになります。大きく分けると、主に実際に受けた被害、実損ともいいますが、例えば医療費だったり、実際に病院に通われたときの交通費だったりに加えて、それだけではなくて、被害がなければ、それまでどおりの通常の生活をしていれば得られたであろう利益、あるいは被害によって失った利益ということも、損害賠償責任の範囲の中に含まれております。例えば被害を受けたこと、損害を受けたことによって入院をされて、お仕事に行けなくなった。その間仕事を休んでしまったことの休業損害だったり、あるいは被害を受けて重大な後遺症が残ったり、例えば失明をしてしまって、それまでのような運転をする仕事ができなくなったというようなことであれば、その後遺障害による失った利益、逸失利益という言い方をしますが、それも含まれます。あるいは事件そのもの、あるいはその後の後遺症についての精神的な苦痛、これも慰謝料といいますが、こういうものについて金銭に換算をして請求をするということになります。

 一般的にどうやって金銭に換算するのかという話ですが、実費あるいは給与損害については、その休まれた期間とそれまでのお給料ということになりますが、実費以外の逸失利益や慰謝料については、交通事故の分野で、逸失利益と慰謝料の計算方法というのがほぼ確立されています。そして交通事故というのはあくまでも過失の犯罪ですが、故意の犯罪の場合も、一応その基準に則って請求するというのが実務になっております。ただ場合によっては、あくまでも故意なものですから、過失よりも責任が重く、当然被害は重篤だということで、慰謝料についてはものすごく増額をする場合は多いです。一応その被害を換算する基準としては、こういう基準になっていますということになります。

 交通事故の場合には、よく相手の車両に保険がついていて、それでこの損害賠償責任が賄われるということがありますが、これも同じような考え方をします。ただそれも、あくまでも自動的にどこかから金銭賠償がおりてくるわけではなくて、被害者の側は手続きをして、請求をして、保険会社と交渉をしてという段取りが必要になりますので、そこについても、特に重大な交通事故の被害者なんかの方についてのアドバイスは必要になると思います。ただ日本の犯罪被害の場合だと、交通事故以外の場合というのは通常、保険というのはないですから、賠償責任は認められても、実際の賠償をどう確保するかというのは非常に問題になります。

 秋葉原の事件で最近、死刑判決が出ましたけど、車で最初にはねられた方については、車の事故なものですから保険がある程度出る。ただその後刃物で刺された方については、保険がないものですから、賠償をどう確保するかというのは非常にそこが差になってしまっているというのが、あの事件の後で大きな問題になりました。それ以前にも、犯罪被害者等給付金という制度をもう少し拡充しなければいけない。せめて交通事故の自賠責保険並みには補償を拡充しようという運動があって、最近少し補償の範囲が拡大されましたが、それでもなかなか交通事故以外の犯罪の被害の方の場合に、いかにその賠償を確保するかというのは問題として残ってしまっております。

 こういう中身が決まっています。責任範囲が決まっています。じゃあどういうふうに権利を行使するのか、手続きをどうするのかというのが次の方法になります。今度は手続面のことになります。

 場合によれば、加害者との直接の交渉、これはいわゆる示談交渉と呼ばれるものですが、これをする時期としては、例えば先ほど言ったように加害者が逮捕されて、勾留されて、起訴するまでの間に、いかに起訴を防ぐかということで相手からアプローチがあることもありますし、もう裁判が始まっているけれども、裁判の中で情状を軽くするために相手からアプローチがあることもあります。あるいは、こちらからその時期に示談を求めて、損害賠償してくれと要求をすることもあります。ただ実際には、相手が懲役刑か何かを受けて服役してしまうと、この直接の交渉というのは難しいだろうなと思います。

 それ以外の裁判所を使う方法としては、調停制度あるいは訴訟、裁判という制度があります。調停というのも、これはあくまでも相手が裁判所に来てくれることが前提なものですから、もう服役してしまっているような相手に対しては使えません。例えば執行猶予判決がついている、あるいは罰金だけ受けて一応社会生活を営んでいるというような場合に使う制度ということになります。基本的には、合意が成立しさえすれば、調停上の合意と判決というのは同じ効力になります。ただ合意が成立しない場合には、調停は不成立ということで終了してしまいます。あるいは相手が出てこないということになると、調停が始まらないということになりますので、一般的に相手がある程度の話し合いが可能なケースでなければ、なかなか実際問題、調停を利用するというのは難しいだろうなと思います。

 そして裁判というのは民事訴訟ということになりますが、相手方が欠席すれば欠席判決ということで、こちらの言い分はそのまま認められます。判決には強制力があるので、強制執行、いわゆる裁判所の手続を利用して相手の財産から強制的に回収するという手続が可能になります。ただ、時間がかかるのと費用がかかるというのは非常なネックになります。一般的に、日本の裁判所というのは、請求する金額に応じて収入印紙を裁判所に提出するという制度になっています。普通、人が1人亡くなったというと、通常は数千万、どんな方でも請求するべきというか計算上請求できることになるのですが、そうすると裁判所に当初提出しなければいけない印紙が、例えば3,000万請求すると11万ぐらいになってしまいます。被害を受けて、人が1人亡くなって、11万の収入印紙を張って訴訟を起こせるかというとなかなか、しかも、後で説明しますけれども、実際の回収可能性がないということになると、非常に当初の費用が被害者の方にとって大きなネックということになります。これは裁判を利用するための費用ですので、負けようが勝とうが、回収できようが回収できまいが、当初裁判所に納めないと手続きが始まらない制度ということになっております。

 次のページになりますが、こういう手続が実際にあるんだけど、本当に被害者にとって使えるのかというと、ここが非常に、被害者の方の支援をしていたりご相談に乗っていたりする中で悩ましいところですが、加害者が非常に潤沢な財産がある人であればまだいいですが、通常加害者というのは資力に乏しかったり、あるいはそれまではそれなりに社会生活を営んでいたとしても、実刑判決を受けるなんていうことになれば、その時点で会社のほうはクビになっていますし、収入もなくなっているということになります。そうすると先ほどの、例えば調停だったり、裁判だったり、手続きをとって、裁判所から実際に幾ら払いなさいという判決を受けていたとしても、どうやってそれを回収するのというところが結局行き詰まってしまいます。裁判所で強制執行手続が準備されていますよとは言うんですが、強制執行手続というのは、あくまでも自分で加害者の財産を探してきて、その財産を差し押さえてくださいというふうに裁判所の手続を利用する制度なものですから、どこかで自動的に裁判所が相手の財産を探してくれたり、あるいは見つけてくれたりということはしてくれません。そうすると、加害者側の資産がない、あるいは資産がわからないという場合には、たとえ判決をとって相手に賠償すべき法律上の権利を認めさせたとしても、実際にどうやって回収するのというところが非常に大きなネックになってしまいます。

 先ほど言ったように、民事裁判というのはある程度費用がかかります。例えば収入印紙を10万円ぐらい貼って裁判を起こして、3,000万円を払いなさいという判決を取ったとしても、じゃあその3,000万をどうやって払ってもらうのか。加害者はもう刑務所に行って服役してしまっている。それで本人の財産が全くないということになると、民事手続をしたとしても、被害者側に実際にお金が払われるということはないというのが現状です。あれば当然それにこしたことはないですが、ない場合が非常に多いです。それがものすごく被害者を苦しめているというのは確かなことだと思います。そこが、被害者の支援をしている中で本当に被害者にとってネック、問題だなと思うところです。そこをカバーするために、犯罪被害給付金制度の拡充ということで、ある程度フォローをしようとはしているのですが、でもまだまだ経済的被害の回復については不十分だろうなと、そのままになってしまっているなというふうに思っています。

 もう一つは、現実的に、民事手続も被害者本人あるいは被害者の遺族が自分で動き出さないと始まらないです。誰かが刑事手続のように自動的に加害者を逮捕してくれて、裁判にかけてくれてということはないものですから、被害者が自分でその手続きを取ることが必要です。それは例えば弁護士を頼むなりということであっても、弁護士を頼むという行動を取ることが必要になります。ただ事件直後あるいは事件直後でなくても、被害者の方というのは本当に精神的にも経済的にも大変な状況なものですから、誰かを探して、依頼をして、話をしてというようなことをされることが非常に負担となるので、そこまではいいというふうにお考えになってしまう被害者の方もいらっしゃいます。しかも、やったとしても結果が、経済的に報われるかどうかは本当に難しいですよというところがあるものですから、そうすると民事手続に踏み切られるかどうかというのは、被害者の方のお気持ち次第なのかなと思います。

 そういう被害者の方の負担を少しでも軽くしたいということでつくられたのが、次の損害賠償命令制度ということになります。これは、回収の問題の難点は結局解消されていないのですが、いかにその場での過程、裁判を簡単にやるかという制度になります。これまでは、刑事事件が終わった後、刑事事件の記録を全部自分でコピーを裁判所に依頼してとって、訴状という書類をつくって、収入印紙を訴える金額に応じて貼って出して、訴訟を始めるという手続が必要でしたが、この損害賠償命令制度というのは、刑事手続の中にくっつけてできます。かつ収入印紙が基本的に1件2,000円という、非常に格安になっています。

 そうすると刑事裁判が終了して、例えば有罪判決になって懲役何年というふうな判決が出た後すぐ、その裁判所がそのまま引き続き民事の損害賠償の金額についての審理をしてくれます。かつ審理期間が、大体4回ぐらいの間で終わらせましょうということになって、非常にスピードも速いです。決定を受けられれば、判決をとったのと同じ効力があります。そういう意味で非常に簡便に、被害者の方に裁判を起こしたのと同じ結果の判決を確保することができるという制度になります。

 ただ、ここで覚えておいていただきたいのは、あくまでもこれは判決を取るまでを簡単にするというところなものですから、判決を取った後、いかに回収するかというところの問題はそのまま残ってしまいます。

 ただ、これまでは回収できないのだったら裁判をしてもしようがないと、民事裁判を起こすことすら諦めていたというのが現状だったのですが、この損害賠償命令であれば、少なくとも簡単に裁判を起こしたのと同じ効果は得られます。だったら、せっかくだからやっておこうかなとお考えになる被害者の方が増えればと、そういう意味で、少しでも簡単にという制度がこの損害賠償命令制度ということになります。

 最後ですが、民事裁判の側面と刑事裁判の側面がありますということですが、その2つの手続が交錯する場合というのは当然あります。刑事裁判の手続中、あるいは逮捕から裁判が終わるまでの間に、加害者あるいは加害者の親族や弁護人から示談あるいは謝罪の申し込みというのがされる場合があります。これは何でそういう行動を相手方が起こすかというと、刑事裁判の中で有利な情状として、少しでも刑を軽くする事情として使いたいからです。被害者に対して誠実に対応して謝罪をしたという事実があれば、それは刑を軽くする一つの事情になるからということになります。

 ただ、これに対して被害者の方が、被害者の方のご相談に乗っていたり、あるいは被害者の方に対応したりする場合、非常なジレンマを感じることがあります。それは結局、先ほども言ったように、被害者の側から見れば当然、金銭的な被害は受けています。経済的に非常な損失を受けているので、回復されてしかるべきなんですが、今ちょっとこの刑事制度の矛盾でもあるのですが、何もしない加害者が多いばかりに、少しでも被害者に対して弁償したということが、加害者にとって有利な事情にはなってしまう。そうすると被害弁償を受け取ったことによって、加害者の量刑が少しでも軽くなるかもしれないということを、受け取るに当たって覚悟をしなければいけないという状況になります。

 ただ先ほども言ったように、大概、加害者というのはその後、実刑に服してしまったりすると回収見込みはなくなります。そうすると現実に被害者が経済的被害を回復する手段としては、刑事手続の間のこの示談のときぐらいしか機会がなくなってしまうというのもまた現実です。そうすると金銭的被害の回復を考えるのか、あるいは金銭的被害の回復はもう不可能でチャンスがなくなってしまったとしても、受け取ることによって少しでも量刑が軽くなってしまうのならそれをよしとしないのかというのは、その被害者の方のお考え次第ということになります。そこについては、弁護士として相談を受けていても本当に常にジレンマは感じますが、被害者の方に事情をきちんと説明して、理解していただいて、選択をしていただくしかないということになります。

 特に加害者の家族がお金を準備しているようなケースが多いのですが、加害者の家族というのは、加害者の刑を軽くするためにお金を出すのであって、加害者の刑が確定すると、もう被害弁償についての協力が得られないということがよくあります。もう刑が確定してしまったから、刑を軽くするためだったらお金を出すけれども、刑が決まってしまったら、別にお金を出そうが出すまいが、自分の家族である加害者に影響はないのだから、もう協力はできないというような対応をされる加害者の家族がままあります。ですから、そうすると加害者の家族からであっても、結局経済的被害の回復を優先するのであれば、受け取ることが、恐らく経済的被害を回復する唯一のチャンスになりますよというような状況に被害者が追い込まれてしまうということはよくあります。それは非常に問題ではあると思うのですが、その被害者を支援していく中で一番悩ましいのはそこのところで、あとはもう被害者の方によく事情を説明して、理解をしていただいて、選択をしていただくしかないのかなといつも思いますが、いつも何とかならないものかなとは思っています。

 済みません、ものすごく勢いよく事情を説明してしまいましたが、私のお話についてはこれで終わりにさせていただきます。今日は弁護士が司法制度についてざっと説明するという機会だったのですが、どういう思いをされているのかということに関しては、弁護士でもあくまでもサポートしかできていないものですから、実際とはまた違うところもありますので、是非今後とも、被害を受けた被害者の生のお話を聞く機会をできるだけ持っていただければなと思います。

 またさっきもご紹介しましたように、こういう本であったり、あと私も読んですごいなと思ったのが、この『再会の日々』という本は、お子さんをリンチで亡くされたご両親が、少年事件なので、刑事裁判だったり、あるいはその後民事裁判をご自分でやられて、被害者側の遺族がどういう思いになるかというのをすごく克明に綴ってある本なものですから、お話を聞くのと同じぐらいずしんとくる本かなと思います。『再会の日々』という、本の森出版社というところから出ている、曵地正美さんと豊子さんという方の本ですが、機会があれば是非こういうのを読んでいただければと思います。

 もう一つ私がよく使っていて、支援者の方に非常にわかりやすい本としては『サバイバーズ・ハンドブック』という本があります。これは性被害についての支援の本ですが、非常にわかりやすくて、一通り書いてあるものですから、お手元に置いておいていただけると、どういうことをすればいいのかということに関して、支援の中身が非常にわかりやすいかなと思います。

 『サバイバーズ・ハンドブック』という、新水社から出ている本になります。また是非こういう本をたゆまなく関心を持って見ていただいて、もし機会があれば、ぜひ静岡の犯罪被害者支援センターのボランティアとして登録をしていただいたり、活動をしていただければなと思います。

 

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