講演

 
テーマ:「犯罪被害者の現状と支援」
講師:酒井 宏幸 氏(弁護士・NPO法人全国被害者支援ネットワーク副理事長・NPO法人長野犯罪被害者支援センター副理事長)

 ただ今ご紹介いただきました、長野犯罪被害者支援センター副理事長の酒井です。本日は内閣府と長野県の共同主催、犯罪被害者のボランティア推進講座ということで、「犯罪被害者支援の現状と課題」という題目で、1時間半ほどお話をさせていただこうと思います。

 先ほど、男女共同参画課の課長さんから、長野県の刑法犯の認知件数、2万1,000件だというお話がありました。そのデータがお手元のリーフレットに載っているんですけど、長野県の人口は200万人と言われております。その中の2万1,000件というのが、果たして多いのか少ないのか。特に重大犯罪に関して見ますと、約150件、200万人の数で考えると大変少なくて、このリーフレットの頭に「あなたの身近にも犯罪被害に遭われた方がいらっしゃいます」と書いてあるのですが、実際にいるのでしょうか。

 テレビで報道されている大きな事件というのが、長野県の場合にはあまりない。特に長野県内のニュースであれば、多少報道されますけども、あまりこう派手な事件というのが見当たらない。まして、住んでいる地域で見れば、身近に被害者がいるというのを見たこともなければ、聞いたこともないというのが現状かなというような気がします。

 実際、事件の発生件数からすれば、重大事件は約150件ということですから、恐らく身近で被害者の方を見るというのは、あまりないということになると思います。でも、事件が発生しないと思われがちですが、被害者がいないのかどうか、そこを考えてみますと、必ずしもそうではありません。長野県の関係者で被害に遭ったという方、昨年1年間で見ますと、全国放送された有名な事件の中に被害者がいらっしゃいます。

 学生の皆さんもいらっしゃいますから、学生の被害者の方でいうと、八王子で起きた書店の店員さんが刺された事件がありました。覚えていらっしゃいますか。2人の女性が刺されて、1人の方が亡くなったという事件です。確か中央大学の学生さんだったと思うのですが、怪我をされた方が中央大学の学生さんで、亡くなった方がお客さんだったと思うんですけども、その中央大学の学生さんは、実は長野県の出身の方でした。

 その他に皆さんが記憶のあるところでいうと、東京のマンションで起きた、OLさんバラバラ殺人事件というのがありました。同じ建物の中の、2軒ほど先の部屋に住んでらっしゃるOLさんを自分の部屋に引き込んで殺害して、バラバラにした上で、下水溝から流して捨てたという事件が起きました。あのときの被害者は、ご姉妹で同じ部屋に住んでいらしたのですけれども、あの方々は長野県の出身です。そういうように、事件というのは必ずしも地元では起きなくても、被害者は地元出身の方がいっぱいいらっしゃる。

 記憶に新しいとこでいうと、秋葉原事件というのがありました。男性が歩行者天国の秋葉原に車で乗り込んで、歩行者を何人かはねて殺し、そのあとナイフを持って、秋葉原に来ていた方々を殺傷したという事件がありました。あの事件は東京の秋葉原という電気街で起きた事件ですけども、長野県から行った方々が、あの場所にいなかったかどうかということで考えますと、いる可能性も十分あるわけです。

 私の息子も実は学生で、東京に行っておりまして、ここにいらっしゃる学生さんとあまり年齢違わないんですけど、実はどちらかというと、秋葉原オタクというふうにいわれるタイプの子でして、秋葉原のあの事件のあった現場から、歩いて5分のところに住んでおります。毎週週末になると秋葉原に行って、友達と情報交換をするという生活をしているんですが、あの事件が起きたときに、私はすぐに息子の携帯に電話をしました。巻き込まれているかどうかが当然心配でしたから。幸いにして、その日はまだその時間帯には寝ていたようで、事件のことさえ知りませんでした。私の息子は事件には遭わなかったけれども、同じように長野から出て行って、ああいう現場に居合わせるという方はいくらでもいるんだろうと思います。

 そういう意味では、長野県では事件は起きないかもしれないけども、被害者はいくらでもいるということになると思います。もちろん出て行った方々は、被害に遭えば、実家に帰ってきたり、あるいは不幸にして亡くなれば、ご遺族は長野県内にいるということになりますので、身近にも恐らく何人も被害者の方はいらっしゃるのだろうなと思います。

 その被害者の方ですが、一般に事件の報道があり、被害者の報道が若干されて、その後どうなったんだろうということについては、あまり知られていない。被害に遭うというのは、実際どういうことなのか。これについて若干説明したいと思うんですが、分かりやすいところで言うと、刺されて殺されるということであれば、当然命を失うということがあります。当然その人の人生はそこで終わってしまうわけですけども、残された家族からすると、自分の最愛の家族を失うという悲しみに暮れる生活が待っているということになりますし、もし事件に遭った方がご主人であったりする、つまり家計を支えている方であったりするということになると、生活の基盤を失うということにもなりかねません。

 皆さんのような学生さんの場合ですと、例えば仕送りをしてくれているお父さんが、事件に遭う、結果として収入がなくなる。自分のアルバイトで学生生活を続けられればいいですけども、親からの仕送りがなくなったら、あるいは学費を払ってもらえなくなった結果として、学生生活を続けられないということも起きます。

 事件が自宅で起きたような場合、その事件現場に今後も暮らしていけるかどうか、かなり怖い思いをしたというような場合に、同じ場所で生活をしていくというのは、大変難しいことになります。そういう意味では転居をしなければならない、あるいは仕事も変えなければならないということが起きます。会社内で起きる女性に対するわいせつ行為、あるいは強姦というようなものがあった場合に、会社内部の人間関係で、そのようなことが起きたときに、その女性は被害者ですけど、果たしてその職場にいられるか。こう考えたときに恐らく難しいでしょう。そういう意味で、被害に遭ったことによって直接受けるもの、いろいろな被害が発生するということになります。

 精神的なものとして、どういうものがあるかということで、第一次被害というものがありますが、これは犯罪行為から直接受ける被害ということです。当然怖い思いをするということになりますので、その恐怖心ということが発生します。

 例えば学生生活で、授業が終わってバイトに行って、アパートに帰るときに不審者につけられたということがあったときに、その怖い思いというのはずっと続きますよね。同じ道を歩いてまた誰かが来るんじゃないか。あるいは人の足音が聞こえただけで、その思い出がよみがえってくるというようなことになります。

 あと、自信の喪失ということが起きます。自分だけが狙われたという思いの中から、自分の人生に対する自信を失っていく、こういうことが起きます。あるいは自責の念。誰もが被害に遭うわけではありませんので、自分がなぜ被害に遭ったのかという中から、自分に落ち度があったのではないかと考えるようになります。これは被害者本人もそうですし、ご遺族もそうです。

 私が一番最初に被害者支援に関わった頃の事件ですけれども、事件自体は今から考えるともう30年程前に起きた事件です。有名な事件なので、ちょっとお年を召している方は記憶にあるかなと思いますけども、長野・富山連続誘拐殺人事件というのがありました。1人の被害者は20代前半の銀行にお勤めの女性でした。

 仕事が終わったあと自宅に帰るときに誘拐されて、結果的に殺害されてしまったという事件です。ご両親が事件のあと、「勤務が終わって帰るときに、迎えに行ってあげてればこういう事件に遭わなかった。迎えに行けなかった自分たちが悪い」とおっしゃったんです。二十歳を過ぎて、社会人をされている方に、特別深夜でもない時間の帰宅に親が迎えに行く。通常あり得ないことだと思います。普段から迎えに行っているわけではありません。ただその日に迎えに行ってあげられなかった自分たちが悪いと親は考えます。

 もし迎えに行ってあげれば、帰り道に誘拐されることはなかったんじゃないか、そこまで親は自分を責めるわけです。一般に考えると、そんなことはあり得ませんが、当然加害者を責める一方で、事件に遭わないようにしなかった自分がいけないというふうに、自分を責めるのです。

 社会に対する信頼感の喪失という、こういうことも起きます。これはいろんな原因があって起きるのですが、周りの人がみんな犯罪者に見えるというような気持ちになる方もいらっしゃいます。事件に遭うまでは、誰もが加害者だというふうに見ることはないわけです。周りの方々をみんな信頼して生活している。ところが一端被害に遭うと、誰も周りの方を信用できなくなる。こういうことが起きます。もちろんその裏には恐怖心というものもあるわけですけども、それ以上に社会に対する信頼というものを自分の中で失うということが起きるわけです。

 これが第一次的被害と言われているものですが、この先さらに被害が続くのです。例えばマスコミの取材による被害。事件が起きてそれがセンセーショナルなものであると、被害者もしくはご遺族のところにマスコミが押しかけます。ある事件では、家の前にカメラが10台ほど並んで、出てくる人を待っている、こういうことが実際に起きます。自分の生活が、普通の生活ができなくなってしまうわけです。とにかくコメントをくれ、あるいは顔の写真をくれということで、押しかけて、普通の生活ができなくなり、家から出られなくなってしまいます。

 また、誤った報道、マスコミさんが取材した内容を的確に報道してくれているということではなくて、被害者以外の方からも取材をした上で、報道するということが起きます。最近起きた事件ですと、千葉大の女子大生が、殺害されて放火されたという事件がありました。先週あたりから、多くの週刊誌が、千葉大の女子大生の方の素行ということで、いろんな報道をしています。それを聞いたご家族はどう思うかということです。

 過去に桶川で起きた、ストーカー殺人事件というのがありました。これも学生さんだったのですが、男性にずっとストーカーされて、最終的には連れ去られて殺されたという事件です。そのあと多くの報道で、女性のほうにいろいろな問題があったみたいな報道がされました。全くそういう事実はなかったんですが週刊誌に大きく書かれて、売り出されるというようなことがありました。なぜか事実無根の内容が面白おかしく報道される。残された家族とすれば、亡くなった娘にさらに追い討ちをかけるように傷つけるということになるわけです。

 関係者の冷たい言葉とか、周囲の方々の心ない言葉。この心ない言葉というのが意外に難しくて、先ほどお話しした連続誘拐殺人事件ありましたけども、実は刑事裁判が確定するのに20年かかっています。1人は死刑の判決が確定したんですけども、刑事裁判ですよ、民事の裁判じゃなく。その方が有罪であるかどうかの刑を決めるという裁判に20年かかっています。20年経って、最終的に判決が確定して、死刑判決ということになったわけですが、ご両親に対して、ご近所の方がどういうことをおっしゃったかというと、「20年間も裁判をやっている」裁判をやっているのは検察官と裁判所です。被害者の方が裁判をやっているわけではありません。「20年間も裁判をやっている、子どもを失ってそんなにお金が欲しいのか」、こうおっしゃったのです。

 損害賠償請求の裁判は一方でできます。娘を失ったことによる損害としての経済的な損失を補填するための損害賠償請求の裁判はできます。これは加害者に対してするわけですが、これはご遺族が裁判をしなければいけません。でもこの事件では、ご遺族は損害賠償請求の裁判を一切していません。これは加害者から取れないからです。つまりお金に関しては1円も求めてないのです。

 ところがご近所の方は、「娘を失ってお金がそんなに欲しいのか」と、こうおっしゃるのです。ここまで極端なのはそんなにないとは思いますけれども、これは長野で起きた事件で、もう10年ほどになるでしょうか。横断歩道をお母さんが、小学生の子どもと4歳ぐらいの子どもだったと思うのですけど、子ども2人を連れて、横断歩道を渡っていました。青信号です。そこに走ってきた車が左折をしようとして、その横断歩道を通ったのです。お母さんが一番前を歩いていて、その後ろに子どもが歩いていました。そして、一番後ろの子どもをはねて逃げたのです。子どもさんは即死です。

 こういう記事が出て、もちろん轢き逃げ事件ですから、新聞は大きく取り上げたわけですが、そのときに一般の方がどういうことを考えるかということです。学生さんだと、まだお子さんを持った経験がないから、その辺がなかなか難しいのですが、この新聞記事をうちの妻が見て、一番最初に言ったのは、「お母さんはなぜ子どもの手を引いていなかったんだろう」と言ったのです。「子どもの手を引いてさえいれば、恐らくその子は轢かれなかった。小さい子どもなのに、横断歩道を渡るに当たって、お母さんがなぜ子どもの手を握っていないんだ」と、こう言ったんです。

 うちの妻は、私がこういう活動をしているので、多少犯罪被害者の実態というものを知っています。被害者にとって、どういうことが起きるんだということは、私のやっている活動から、皆さんに比べると多少知識があります。それでもうちの妻は、その新聞記事を見たときに、一番最初にそう言ったわけです。恐らく世間の小さなお子さんをお持ちのお母さん方は、皆さん同じように思ったと思います。果たして手をつないでいなかったお母さんがいけないのでしょうか。もちろん、車も信号は青で来ているのです。青で来ていて、左折するときに、その青の側の横断歩道を渡っている方を轢き逃げしたということですけど、横断歩道上の歩行者は、どんなことがあっても守らなければいけないというのが、道交法の考え方ですから、当然轢き逃げした場合、車のほうが悪い。でも世間の人はそう言わない。お母さんが悪者になってしまうんです。

 実はこの話に後日談がありまして、その新聞記事を書いた記者さんとお会いしたことがあります。事件報道があったあとに、新聞のところに、大きくコラム欄にお母さんの後ろ姿の写真が載ったのです。重大な事件だと記者さんは認識したから載せたと思うのですが、私はそれを載せた記者を怒鳴りつけました。どういうつもりでこれを載せたのかと、目的は何かと聞いたのです。新聞記者は、「こういう事件が二度と起きないようにするために、載せたんだ」とおっしゃっていました。載せられたその奥さんはどう思うか考えたことがあるのかということを申し上げたんです。

 恐らくご近所では、どこのうちの方だというのは分かります。それ以上に載せられた側は、自分はあのとき手をつないでいなかった母親だということが、少なくとも長野県の中に知れ渡ったと思います。顔は載っていませんでしたけど、特定されたと認識します。町を歩いたら、誰もが自分のことを冷たい目で見る、そう考えます。そこまで考えて記事を載せたのかということを申し上げたら、そこまでは考えてなかったと。今後はその辺のことまで考えて載せるというお話はいただきましたけども、現実問題、被害者はそこまで考えます。

 この家庭は恐らくそのあと、ぎくしゃくした家庭になります。2人いたうちの1人のお子さんを失いました。私の妻が手をつないでいなかったことを責めたと同じように、奥さんは自分が手をつないでいなかったことを責めます。当然、ご主人も頭の中でそう考えます。ご主人は決して言いません。奥さんに向ってそんなこと言ったら終わっちゃいますから。決して言いませんけども、ご主人も同じことを頭の中では考えます。それを考えていることを奥さんは分かるんです。果たしてその夫婦が今後、今までどおりにやっていけるか、かなり難しいことです。自分の子が亡くなったのをお前のせいだとご主人は思っている。そういう中で残された子を育てていかなきゃいけない。これが犯罪の被害に遭うということです。その家庭は家庭崩壊を迎えるかもしれない。2人が努力して何とかやっていける。ただ前のようにはやっていけない。こういうのが第三次被害と呼ばれる、そこまでいってしまう
家庭があるということです。

 実は昨日、東京に行って、全国被害者の会という一番大きな被害者の自助グループの方々と少しお話しをしてきたのですが、周囲の心ない言葉の中に、裁判官や検察官からの言葉もあるんだというお話をされました。どういうことを言ったかというと、裁判官が人を殺した被告人に対して、判決を言い渡して、その後に訓示というものを言うのです。被告人を無期懲役にすると言った後に、被告人に向って、「今後あなたは、被害者のご冥福を一生かけてお祈りしていきなさい」とおっしゃるのです。これは、世間一般的に見ると当たり前の言葉のように聞こえます。ところが殺されたご遺族は、加害者に冥福を祈ってほしいなんて思っていません。殺した人間が、安らかに眠ってくださいって言うってことですから。そんなこと望んでもいません。これを裁判官は平気で言うわけです。被害者としたら被告人に謝罪に来てもらいたくなんかないわけです。命返せ、これだけはいいたいけども、誰が謝罪に来いっていった。来てもらっても家には入れませんから。これは当然の気持ちだと思うのです。その被告人に向って裁判官が、「ご冥福を祈れ、安らかに眠ってくださいと祈っていきなさい」と言われても、「何を言っているんだ」というふうにしか取れません。中には、被害者のお話を聞いたときに、「まだお子さんもう1人いらっしゃるんだから、その亡くなった子の分も含めて、この子をかわいがって育ててあげてください」って平気で言うのです。亡くなった子どもと残った子ども、全く別人格ですから、同等に扱うなんてことはあり得ないわけです。

 「あすの会」の代表幹事をやっている方は、奥さんを殺された方ですけれども、裁判官から、「奥さんの分まで残りの人生を生きてください」と声をかけられたと言っておりました。それを聞いたときに、その方は、「奥さんの寿命が何年だか知っているのか。その分まで俺に生きろと、あと何年生きればいいってことだ、と思った」とおっしゃっていました。自分とすれば、奥さんが亡くなったのは、実は旦那さんの仕事の関係で亡くなったのですけれども、ご遺族として、自分の責任で亡くなったと自分で思っていますから、「俺は自殺したいぐらいなんだ」と。「その人間に向かって、女房の分まで生きろとは何事だというふうに本当に思った」とおっしゃっていました。安易な言葉のかけ方というのは、かえって相手を傷つけるとうことだと思います。

 被害者の現状というのがどういうものかということについて、今お話ししましたけれども、これからは被害者に対する支援として、どういうことが行われてきたかについて、お話ししていきたいと思います。日本の犯罪被害者支援は、昭和55 年に犯給法といわれる法律ができて、被害者及びそのご遺族に対して、経済的な支援をするというところから始まりました。この犯給法という法律は、亡くなった方に対して国がお見舞金を払うという性格のものです。できたのは、大量の被害者が出た事件があって、その被害者の方々に対する救済をしなくてはいけないということで、作られた法律です。

 例えば、ここでいうと松本サリン事件、あるいは地下鉄サリン事件が起きた。あのサリン事件の被害者の方々に対して、当時のオウム真理教が賠償しないとして、国が何とかその補償をしなくてはいけないという中で、お見舞金を払うという法律を何年か前に作りましたが、それと同様で、日本の中で被害に遭った方々に対して、経済的な賠償を得られない人には、国が幾何かのお見舞金を払おうという趣旨の法律ができた。これが一番最初です。あくまでも性格はお見舞金です。

 ここにいらっしゃる学生さんが交通事故で1人亡くなると、大体どのくらいの賠償を得られるか。男性と女性では現状において若干違いますが、6,000万円ぐらいの金額の賠償を得られます。この犯給法によって、支給される額というのは、死亡事件の場合だと1,000万円位です。あくまでもお見舞金という性格のものです。つまり、国からの恩恵ですね。被害者の持っている当然の権利ということではなくて、あまりにもかわいそうだから、国で施しをするという性質を持った法律だったということです。

 次に、総合的支援の開始ということで、第1期として、平成3年以降、いくつかの制度ができました。平成3年に、民間団体による被害者支援の活動が始められました。先ほどご紹介いただいた、私が役員をやっているところの、その前身です。前身が平成3年から、被害者からの電話相談を受け付けるという形の活動が始められました。それまではそういうものは一切なかったわけですけども、ようやくその被害者支援という活動が始まったということになります。

 その後、裁判の過程における被害者への配慮ということで、ここに書いてあるように、被害者等通知制度、被害者支援員制度、ビデオリンク、意見陳述、優先傍聴、公判記録の閲覧、刑事和解というようなこういう制度が作られました。

 被害者等通知制度というのは、被害に遭って警察が捜査を始めて、加害者を逮捕して裁判にかける。加害者が刑事裁判にかかるわけですけど、従来はいつ裁判が始まるかということについて、被害者には通知がされませんでした。自分が知らないところで、いつの間にか裁判が終わっているというようなことになっていたわけです。唯一知るのは、新聞記者さんが「こういう判決が出たけど、どう思いますか」という取材に来たときに知る。あるいは、翌日の新聞記事を見て、何年の刑になったかを知るという状態だったのです。被害者ですから、当然、加害者の刑事裁判には関心を持っているわけですけど、いつ行われるかということさえ知らされなかった。それはなぜかというと、被害者は刑事裁判の主人公じゃないからです。刑事裁判というのは、社会の秩序を乱した犯人を、秩序維持のために処罰をするという制度だと理解されてきたのです。

 仇討ちというのが昔ありましたけど、やられた人間がやり返す。これが本来あるべき姿だったかもしれませんが、そういうことをすると、かえって社会秩序が乱れるので、その仇討ち権を被害者から国は奪ったのです。一切、仇討ちという行為はさせない。その代わり国が処罰します。これは、目的は仇討ちではありません。社会秩序を維持するために国が処罰する。そうすると、被害者は関係ないのです。刑事裁判において、被害者はあくまでも証拠なのです。犯人がどういう犯罪をした、その結果としてどうなったというときの、被害の結果としての証拠であって、それ以上の価値はない。そういうふうに考えてきたものですから、刑事裁判にとって被害者は無関係なもの。証拠としては扱うけども、それ以上の扱いはしないということで、裁判が開始されるに当たっても一切通知をしなかった。これが従来の在り方でした。それがあまりにもひどいということで、少なくとも関心を持っている被害者に、「いつ始まりますよ」ということをお知らせしようと作られたのが、被害者等通知制度というものです。

 ここに優先傍聴ということが書いてありますが、裁判所の傍聴席、裁判所に行ったことある方、いらっしゃいますかね。長野の裁判所だと、長野市にある裁判所もそうですし、松本にある裁判所もそうですけど、一番大きな法廷でさえ傍聴席は多くありません。この会場の半分あるかどうかです。先日、女優さんが裁判になったときに、マスコミさんの席を除くと、一般傍聴席が20あるかないかというような話をしていましたけど、そのために何千人が並んだというのが報道されたと思います。関心を持って自分の被害の事件の裁判を傍聴に行きたい、被告人が法廷でどんなことを言うのか見てみたいと思った被害者の方が、傍聴のために裁判所に行き、同じように並ばなければなりません。そして、抽選で当たらなければ入れません。それが前の制度でした。

 今現在は、優先傍聴ということで、裁判所に事前に申し出ておけば、その方に関しては、抽選をせずに優先して入れるようにしようということで、少なくとも自分の事件については、見に行けるようになりました。もちろん、ご遺族全員が座れるというわけではないのですが、多少施設上の制限はありますけども、希望すれば何人かは優先的に傍聴できるということになり、並ばなくてよくなったという改善がされました。ここにあるビデオリンクというのは、別の会場にいながら、その人のしゃべっていることや映像を見ることができるという制度です。主に使われるのは、性被害の被害者から話を聞くときですけど、少なくとも、被告人の前になんか立ちたくないという被害者の方がいます。そういう方から裁判所がお話を聞くときには、別室を用意して、その部屋にビデオカメラで映像を撮って、それを生中継した上で、法廷で見るという形を取ろうと、そういうことができるようにしたということです。

 ここに犯給法13年改正の早期援助団体の指定というのがありますが、これは民間の犯罪被害者支援団体、これはボランティアで皆さんやってらっしゃるわけですが、その犯罪被害者支援団体に対して、公安委員会が、あなたの団体は犯罪被害者支援をやるに当たって、十分な経験と能力があるということを認めて、被害者支援団体として指定をするという制度です。

 何が変わるか。ボランティアでやっているNPOだったり、あるいは任意の集まりだったり、あるいは公益法人だったりするわけですが、指定を受けると何が変わるというと、警察から被害者情報を直接いただくことができるようになる。どこどこの、誰々さんが、どういう被害を受けましたということを、支援をする側が警察から教えてもらえる。教えてもらわないとどうするかと、被害者支援団体としたら、新聞記事を見るか、あるいはご本人から連絡が来るかしないと支援ができません。どこにいるか分かりませんから。ところがこの指定を受けると、少なくともこういう方が、どこにいて、この方が被害者なのだということが分かります。そうすると、こちらから支援の申し出をすることができる。お手元の資料の中に、長野の支援センターのリーフレットがあったかと思いますけども、「一人で悩まないで、あなたとともに」と書いてあるリーフレットです。

 今、犯罪捜査をしている警察署の方々は、被害者の方から事情をお聞きするときに、事情聴取が全部終わった後に、こういうリーフレットを被害者の方にお渡ししています。なので、ここに相談電話の電話番号が書いてあるから、相談しようと思う人は、このリーフレットをいただければ電話をかけられるわけです。ところが、被害直後に事情聴取を受けた被害者は、このリーフレットをもらったことを記憶していません。混乱していますから、これが何なのか分からないのです。説明はされます。でも記憶してないのです。なので、鞄の中に入ったまま、こういうことがあることさえ覚えてない。そうすると自分から電話をしてくるというのは、ある程度被害から回復した状態でないと電話してこられません。いざそれに半年かかる人もいれば、1年かかる人もいるわけです。できれば早い段階で支援を受けたほうがいい。そういう意味では、支援者の側から電話をできれば、それに越したことはない。そういう意味で、早い段階で支援者の側から連絡ができるようにということで、指定を受けた団体には、警察から被害者の情報を流すことができるようにしたというのが、この指定制度といわれるものです。

 もちろん警察としても、任意でやっている被害者支援の団体にやみくもに情報を流すわけにはいきません。特に今の個人情報保護法がある中で、そんなことをしたら、今度は警察が訴えられてしまいます。一定の資格を持ったところで、なおかつ公安委員会が指定した団体、特定の団体だけには情報を流して、早く支援に入っていただこうということで制度を作ったということです。

 総合的支援の第2期、ここに書いてある中で一番大きなことは、犯罪被害者等基本法が制定されたということです。それまでいろんな法律の改正があったり、制度の改革があったり、第1期でありました。でも、あくまでも恩恵だったんです。例えば先ほどの被害者への通知制度、これは条文がどう書いてあるかというと、「通知することができる」と書いてあるんです。通知を受ける権利を有しているとは書いてないのです。あくまでもサービスをする側の任意によって、与えるものというような在り方になっています。これに対してこの平成16年にできた犯罪被害者等基本法というのは、犯罪被害者には基本的権利があるのだということをはっきり明言しました。

 ここに書いてある「権利性の原則」ということですけれども、この権利を認めてもらうのに、最初にこの法律の原案を考えてから随分時間がかかりました。学生さんがいるから少し権利の概念を説明しますが、基本的人権という言葉を多分高校のときに習ったのではなでしょうか。言論の自由だとか、思想信条の自由だとか、男女平等の原則だとか、こういうようなのをきっと習いましたよね。この基本的人権というのはどういうものかというと、国は国民に対してその権利を認めますというものなのです。

 基本的人権というのは、私と皆さんの間にはありません。法律の概念です。国と国民の間にある。国が認めるという国民の権利、これが基本的人権というのです。そうすると、刑事裁判における被告人は国が処罰するので、基本的人権があるのです。被告人と国との間には権利という言葉が発生します。ところが、被害者と国の間には権利という言葉は発生しません。そういう意味では、被害者に権利を認めるというのは、法律概念からすると異例のことです。認める方法として、被害者に対して、国は権利として認めた上で尊重するのだという形で書いたということですね。この法律ができたことによって、国は被害者に対して尊重した以上は何かをしなければいけない。そういうことになってきたわけです。新たな258の政策というものを決めまして、それを今、実行している最中です。

 主な内容を申し上げます。損害回復・経済的支援等への取組として42施策。精神的・身体的被害の回復・防止への取組として69施策。刑事手続への関与拡充への取組として43施策。支援等のための体制整備への取組として75施策。国民の理解の増進と配慮・協力の確保への取組として29施策。本日やっているのは、一番最後の施策の中の一つです。国民の理解の増進と配慮・協力への確保への取組の中の一つとして、本日の講座があります。

 先ほどから被告人の話と被害者の話をいろいろしてきたのですが、ちょっと面白いデータを示したいと思います。犯罪を犯して刑事裁判になると、弁護士が被告人につきます。私選の弁護士と国選の弁護士というのがいます。私選というのは自分で選ぶというふうに書きますが、お金持ちの方であれば、自分で自分の好きな弁護士を選ぶ。こういうことができます。ホリエモンさんは、高裁まで裁判をいろいろやっていますけど、ああいうお金持ちの方は、自分で選んだ弁護士をあのとき4、5人つけていましたが、多額の金を払って弁護士をつける。こういうことができます。

 でも、普通の事件を起こした被告人は、弁護士の費用が払えないものですから、国選といって、国が費用をもって選んだ弁護士をつけます。当然、私も弁護士をやっていますので、そういう仕事も従来やってきたわけですけど、国が被告人のために、国費として、国選の弁護士に払う費用として使っている予算が75億円です。1年間で75億円の予算を使って被告人に弁護士をつけるのです。それは、弁護士をつけないで裁判をやると、間違った裁判になってしまう可能性があるからです。

 これに対して、国が被害者のために使っているお金。先ほど申し上げたお見舞金です。お見舞金に対していくら使っているか、つい最近改正されて金額も範囲も広がったのですが、昨年1年間で使ったお金は10億円です。7分の1しか使ってない。事件が起きて、その両当事者、片方を処罰、国のために処罰するわけですけども、その処罰するに当たって、弁護士をつける経費を75億円も使っている。ところが、被害者を救済するためには、たった10億円しか使っていない。あまりにもその差は激しすぎると思いますが、被告人を処罰することも大事ですけど、傷ついた国民を助けることももっと大事なのではないかなという気がします。そっちにはあまり予算を今まで使ってこなかったということです。

 この基本法ができたおかげで、それはあまりにも少ないだろうというところで、いろんなことを変えてもらうという動きになったわけです。犯給法という被害者への経済的な見舞金を払う制度が昭和55年にできたというお話はしましたが、実はこの制度は2度改正を行っています。大きくは金額を一度増やす。あまりにもお見舞金が少なすぎるんじゃないかということで、金額を増やすという改正をしました。さらにその適応範囲を、もっと広い範囲に対して支払うという形の制度にしようということで、中身を随分変えてきました。

 最後に変わったのが、法律が施行されたのは今年の7月から、大きく変わったという形で、お見舞金から賠償金に近いものに変わりました。交通事故が起きると任意保険と自賠責という保険が使われます。自賠責保険ですと、亡くなったときには3,000万円まで出る。一般にそういう扱いをされています。この法律の改正の中で、少なくとも自賠責相当額にいくような形にしようということで、法律を改正しました。全員が自賠責と同じ金額をもらえるというわけではなくて、積算をしてみると、最も収入の多いであろう被害者の年齢でやると、大体自賠責に近いものになるかなという程度ですけども、そういう形に変えました。

 実はこれはすごく大きなことでして、先ほど秋葉原事件の話をしましたが、秋葉原事件ではレンタカーを借りて、歩行者天国のところに突っ込みました。車で殺された方は自賠責が出ます。1人3,000万円まで補償されます。ところが、車を降りてナイフで刺された方。この方々には、犯給法によるお見舞金しか出ません。当時の法律だと1,000万出たかどうかだと思いますけど、そこでも額が全然違うのです。どうせ殺されるなら車に轢かれたほうがよかったというぐらい違うわけです。

 実はあの事件は、この法律、新しく改正した法律が適用されません。明らかにおかしい。殺す手段が車だったのかナイフだったのかによって違うわけですから、これではまずいということで、できるだけ自賠責に近いようにしようと、この改正をしていただいたということです。

 実は同じような事件が、下関のほうで起きていまして、駅の構内に車で突っ込んで、何人か轢き殺して、そのあとやはりナイフで人を刺して歩いたというような事件があったのですけど、車に轢かれた方は幸いにして自賠責で賠償されたということで、すごく差が出てしまったということがありました。

 それがきっかけになって、ここまで恐らく金額が上がったのではないかなとは思いますけれども、今回の法律の改正によって、自賠責並みにしたということは、従来のお見舞金的な性格のものから、賠償金的な性格のものに変わったと言われています。国の治安を維持できずに、国民に被害を与えた国が、加害者に代わって賠償をするという考え方です。まだ日本の場合、不十分ですけれど、そういう考え方として理解できるような内容にまでなってきたということです。

 実はフランスにも同じような法律がありまして、フランスは完全賠償です。犯罪の被害によって被害を受けた方に対して、加害者から取れないときには、国が完全賠償するということになっています。交通事故で亡くなったとき、先ほど、学生の皆さんだと6,000万ぐらいだと申し上げましたが、そこまで国が賠償する。

 刺されて亡くなった場合でも、そこまで国が賠償するという制度をフランスは持っています。本来やるならそこまでいかなきゃいけないのかなと思いますが、まだ国民の理解がそこまでいっていないので、取り敢えず自賠責のところまでやっと来たという現状であります。

 この刑事手続における権利の拡充というところで、被害者参加制度とか損害賠償命令制度というのが新しく作られたとレジュメ[PDF:90KB]には書いてあります。被害者参加制度というのは、刑事裁判の中に、被害者が自ら加わるという制度です。先ほどからお話ししているように、従来の裁判では被害者は証拠品でしかなかった。国が国の秩序を維持するために、加害者を処罰するのであって、被害者に代わって処罰するものではないから、被害者は関係ない。ただし、犯罪行為を立証する、あるいは被害を立証するために、被害者が必要なときは、必要な範囲で被害者を利用するということが行われてきたわけです。そういう意味で、ナイフが証拠物という、これで刺したのだというナイフが、裁判の証拠物というんですが、それと同じで、被害を証明するための証拠扱いをしていました。

 それに対してこの制度は、少なくとも事件の当事者であることは間違いないので、その事件の当事者が、どのように加害者を処罰するかに加われないのはおかしいということで、本人が希望すれば、裁判に加わることができるようになりました。これは刑事裁判に関わっている人間からすると、産業革命的な変化です。刑事裁判の本質をも変えると言われるほどの変化だったわけですけど、法律制度がどういう原理・原則の上に立っているかはともかく、国民が求める制度でなければならない。法律理論上はそれが認められるか認められないという議論をするのではなくて、国民が必要としている制度であるならば、法理論上はどうであろうと取り入れなければならないということの典型例だと思います。

 実はこの制度の導入に当たって、先ほどお話しした「あすの会」という被害者の団体がヨーロッパへ行って、ヨーロッパでは取り入れられているので、その制度を調べてきました。その調査に実は私も一緒に行かせていただいて、ヨーロッパでどのようにして行われているかの報告を、日本に帰ってきてさせていただきました。そういう経過の中で、従来の法律制度を知っていますから、私はこの制度が自分が亡くなるまでにできればいいなと思っておりました。ただ、国民はそうは思っていなかったということだと思います。

 「あすの会」の皆さんは、自分たちが被害に遭ったときに、やはり証拠扱いされて、裁判には加われなかった。その悔しさから、これから被害に遭う方々に同じ思いをさせてはならない、そういうことからヨーロッパ調査をし、そのあと署名活動をされました。日本全国で署名活動をして、55万人の署名を集めました。

 被害者の方々が自ら街頭に立って署名活動をして、それだけの署名を集めたわけです。その結果、国民が求めている制度であるということで、当時の小泉さんが変えようと、指示を出していただいて変えることができました。

 法律家としては、自分が亡くなるまであと30年だか、40年後にできればいいなと思っていたものが、国民の声一発で変わってしまったという意味では、大変よかったなと思っておりますけれども、今回の政権が変わるのと同じようなことなのだなと思います。国民が望めばそれに見合った制度に変わっていくということの典型だと思っております。

 損害賠償命令制度、これも新しくできたのですが、これは刑事裁判を利用して、損害賠償の請求もできるという手続きです。従来は刑事裁判とは別に、被害者の方が加害者を相手に民事裁判を起こさなければいけませんでした。刑事と民事とは全く別に扱っていた。30年前に起きた連続誘拐殺人事件の被害者の方は、損害賠償の手続きを一切取っていないというお話しをしました。つまり民事の裁判をやっていなかったわけです。先ほどお話しした「あすの会」の代表、奥さんを殺された方ですが、この方も民事の手続きは一切取っておりません。刑事裁判だけで、とても民事の手続きまで行うということはできなかった。精神的な負担で、そこまで手が回らないという状態でした。

 ちなみに、一般の方が民事の裁判を起こすには、自分だけではさすがに難しいので、弁護士を頼まなくてはいけません。民事の場合には国選という制度がありませんから、弁護士を頼むには経済的な負担もかかります。そういう精神的・経済的な負担をかけて、損害賠償請求をするかというと、取れない相手にやってみてもしょうがないし、仮に取れるかもしれないと思っても、なかなかそこまでいけないという方もいます。

 「あすの会」の代表、奥さんを亡くしたその方は、実は私と同じ弁護士です、同業者です。ですから、弁護士を頼まなくても損害賠償請求の裁判を自分で起こすことは簡単です。でも、その方でさえできなかった。

 それだけ精神的な負担が大きかったということだと思います。それでは泣き寝入りになってしまうので、簡易な手続きで民事の損害賠償ができないかということで作られたのが、この損害賠償命令制度。刑事の裁判に付随して、簡単な手続きで民事の損害賠償を求めることができるようにしたという制度です。

 その下にあるのが、国選被害者参加弁護士制度。これは被害者が望めば、刑事裁判に当事者として加わることができると先ほど説明しました。被害者参加制度というものですが、参加はできても素人ですから、刑事裁判の中で何が行われているか、何をできるのかということを判断するのは大変難しいです。これは被告人と同じで、素人ではどういうことができるのかが分かりませんし、権利がこれだけありますよと言われても、その使い道が分かりません。ですので、被告人に弁護士がつくなら、参加している被害者にも弁護士をつけよう。お金が無ければ、国で費用を持ちましょう。被告人の国選弁護人と同じように、被害者にも国選で弁護士をつけましょう。それで初めて対等です、ということで制度ができました。そういう意味では、参加する被害者だけですけども、国が初めて国の費用で弁護士をつけるという制度ができたということです。

 ここに精通弁護士の紹介ですとか、被害者法律援助制度とか、いろいろ書いてございますが、これは法テラスという法律相談の紹介をするところです。ここで犯罪被害者に精通している弁護士、長野県には弁護士が今、160人ほどいるんですけれど、その中でも特に犯罪被害者の支援に精通している弁護士を紹介しようということで、法テラスが今やっております。

 なぜこんなことをするかというと、今まで弁護士はどちらかというと被告人の側につきました。従来は被害者の側に弁護士がついてもやることがないので、被告人の側についていたのです。すると発想が被告人の側にあるので、それこそ裁判官じゃないですけど、ご冥福を被告人も祈っていますって平気で言ってしまいます。そういう弁護士をつけられたら返って被害が出てしまうので、被害者のことを十分理解した弁護士をつけないと、弁護士をつけたことによって二次被害が発生する。そうならないようにしようということで、あえて精通した弁護士を紹介する。普通の法律相談だと、名簿に従って、誰でもいいかといって紹介するのですが、この犯罪被害者の場合については、特別に研修を受けて、十分理解している弁護士を紹介するということにしました。

 今、長野県は、精通弁護士名簿に30何名の方が名前を載せております。松本地区でも何人かいらっしゃいますし、そういう方々が被害者の支援を弁護士として今やっているという状態です。

 この一番下のところに、犯罪被害者週間の設置ということが書いてあります。これは国として、被害者のことを考えたり、被害者のために行動したりという意味で、被害者のための週間というものを作ろうということで、11月25日から12月1日までの1週間を、「犯罪被害者週間」ということで指定して行っております。配布された資料の中に、講演会と、「トモニチャンコンサート」という、こういうチラシがあります。これも被害者週間のキャンペーンの一つとして、これは長野の犯罪被害者支援センターが行っているものですけれども、全国でこういう活動をして、被害者の心情等をご理解いただこうということで、この週間にいろいろな活動が行われます。

 これは全国一斉にやるということですが、長野では、今年は上田の文化センターで被害者の方のお話をお聞きするという形の講演会を行います。実は、もう一つやりまして、駅前等でこの被害者週間の間に、被害者支援のための募金活動というのを実行することを予定しております。国が出してくれるお金というのは、困っている被害者に、取り敢えず賠償金の範囲で一時金としてお支払いするというだけなので、それだけでは不十分で、何らかのお金を用意しなければということで、募金活動をやる。もちろん民間の被害者支援の団体、この団体の活動資金も何とかしなければならないので、ボランティアでやっても活動資金はかかりますから、そういうものも含めて募金活動をやろうと、今年からこの被害者週間に募金活動をやることが決まっております。25日の日に長野と松本の駅前でやるそうなので、もしお近くをお通りになったら、財布の中の小銭を入れていただけるとありがたいなと思います。よろしくお願いします。

 最後に、民間被害者支援団体の拡充という点について、若干お話をしたいと思います。最初に紹介されたように、私は全国の団体と長野県の団体の両方の役員をやらせていただいているのですが、犯罪被害者支援に関わる組織としてどのようなものがあるかというと、事件捜査の最初の段階から関わっている警察、次に検察庁、裁判所も被害者には関わるということになります。それ以外には、例えば被害の後、生活保護の申請をすれば、市役所の福祉課の方々というようなことはありますけども、日常的な生活の支援に関していうと、どこも携わるところはありません。裁判を傍聴に行くに当たって、どういうことがここでできるのか。あるいは一人で傍聴に行くにはあまりにも怖いというときに、誰かについて行ってもらいたい。そういう意味の支援も必要になるのですが、そういう活動をしているのが民間の犯罪被害者支援センターといわれているところです。

 これは最初、電話相談から始めて、今現在は、直接被害者のお宅におじゃまして、例えば食事の世話をしてみたり、あるいはご家族が警察の事情聴取に行っているときに、お子さんの相手をしたりというようなところから始まって、被害者が事件後に必要とする支援について実行しているという、そういう団体です。今、全国の都道府県にやっと1個ずつできたんですけれども、いずれも民間のボランティア団体として活動しております。社会的にはかなり有益な活動をしているということですが、ボランティア団体ですので、活動している方の善意で活動をしているということになります。当然、支援をしている方々に報酬を払うなんてことはできません。事務所を維持したり、交通費を支払ったり、あるいは講師を呼んで研修したりということをするための費用はかかりますけども、それ以外は自腹でやっているというような団体です。

 長野の場合も、全国で11番目でしたかね、かなり早い段階で作られたわけですが、今現在もNPOとして細々と活動をしているという状況です。長野県は地域が広いものですから、本部は長野にありますが、長野だけではとても県民全体に対するサービスができないということで、中信地区にも支部という形で人を配置しており、松本の事件が起きたとき、あるいはその中南信地区の事件に対しても活動ができるようにということで、今、事務所的には2か所でやっております。仮に、裁判の傍聴に行くのに付き添うにしても、松本の被害者が松本の裁判所に行くに当たって、長野から人が来なければならないというのはかなり大変ですので、普通の県ではあまり2か所設けてないのですけど、長野の場合だけは2か所設けて、活動をさせていただいています。

 活動されている方々はみんなボランティアでやっているのですが、決して素人ではありません。十分な研修をした上で、二次被害を与えないように活動していくということで、研鑽を積んでいるという状態です。

 自分がやりたいなと思っても、じゃあ明日からお願いします、というわけにはさすがにいかなくて、ついたボランティアの方が、「あのとき手をつないだらよかったのにね」などと言われたら困ってしまうのですね。

 そういうことがないように、ちゃんと研修を積んで、それなりの方々がやるということにしております。これは全国でもそうですが、まだ全国的に見ると電話相談しかやっていない県もあります。直接被害者の方にお会いして、支援をするというところまでいっているのは今、半分いくかどうかだと思いますが、長野ではもう早い段階からそういう活動をしております。もし身近に困っている方がいれば、ご紹介をしていただければ、センターのほうで支援をさせていただくことが可能だと思います。

 支援をするに当たって研修を受けて、被害に遭った方の重たいお話を真摯に聞いて、なおかつできることがあればお手伝いをするということですから、生半可な決意ではなかなかできません。そこまではできないという皆さんでも、経済的な支援というのは恐らく可能だと思います。先ほども募金活動のときに、財布の中の小銭、あるいは男性でしたらもらったお釣りをポケットに入れているものがあれば、それを入れるという形での支援ということも可能だと思いますし、賛助会員という制度を設けておりますから、定期的に賛助会員として活動を支えるということもできるかなと思います。

 活動資金が足りないというのは長野だけでなくて、全国的に一緒でして、街頭での募金活動というのもありますし、今、設置型の募金箱というものを全国のほうで作って、各県でいろんなところにお願いして置いてもらう。そして、民間の方々の善意を集めようという活動をしております。実は、この会場を貸していただいた松本大学のほうにも今、若干打診をさせていただいているのですが、大学の構内に置いてある自動販売機をご協力いただけないかというお願いを今、させていただいているところです。

 自動販売機といっても何のことだか分からないと思いますが、自動販売機の売り上げの中から1本10円を寄付していただけないかというキャンペーンなのです。皆さんがお支払いになった、例えばそこの自動販売機で110円でしたけど、110円の中から10円を犯罪被害者支援のために寄付するという形の自動販売機の機械があるのです。これに入れ替えてもらうと、10円が自動的に寄付されるという形になっています。

 いろんなところで、自分たちができることというのはあると思います。積極的にボランティアとして活動するというのも一つですし、あるいはボランティアを、あるいは被害者を支えるために、そういう寄付的なものに参加する。あるいは寄付制度の付いた今の自販機とかそういうものもそうですが、そういうものを積極的に、そちらを利用するというのも一つだと思います。

 今日のお話を聞いていただいて、できれば最低限、心ない言葉をかけるのだけはお控えいただいて、より被害者を傷つけないということだけは肝に銘じて帰っていただければいいかなと思います。

 今日は支援している側の私がお話をさせていただきました。先ほどお見せした被害者週間のキャンペーンとして講演会が行われますけども、この講演会は被害者自らのお話です。どんなに研修を積んで、いろんな調査をして勉強をしても、被害者の体験にはかなうことはありません。私がどんなお話をしても、被害者の重たい言葉には絶対かないません。もしご関心があったら、直接被害者のお話を聞いていただければと思います。

 

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