関係機関・団体と連携した犯罪被害者支援促進モデル事業

講演:「犯罪被害者を支え、安全・安心な地域をつくるために」

命のメッセンジャー派遣事業(滋賀県)
滋賀県立農業大学校特別講義

伊藤 裕(あすの会) 伊藤 裕
(あすの会)

伊藤と申します。皆さんの貴重な時間を頂きまして、少しお話させてもらいたいと思います。

まず人形劇を見ていただきましたが、僕は事件後しばらくしてからこの人形劇を見て、なんと自分達家族と同じなのかと驚きました。細かいところは違いますけど、家族がバラバラになるというか、お互いに気を遣い合わないといけないのに、余裕が無くなっているところはそっくりで。僕もこの人形劇のお父さんのように、被害者は何ひとつ悪くないのだから、必要なことは国が全部やってくれるものだという考えでいました。

けれど、実際に事件に遭ってからは全然違っていました。

では最初に、うちの息子の事件についてお話します。

息子は2001年12月14日、交際していた女性の車の中から、男が白い鞄を盗むのを目撃しました。男は白いワゴン車に乗って逃げようとし、息子は阻止しようと車の3メートルほど手前に立ちはだかりました。しかし男は他の出口があったにもかかわらず、息子に向かって発進し、ブレーキも踏まずに息子の体を車体に巻き込んで逃走したのです。

彼女の電話で事件が起きたことを知り、搬送された病院で息子と対面した時、頭ではそこに息子がいると分かっているのですが、まるで現実感がなくて、人形劇と同じように、僕も涙が出ませんでした。テレビドラマなんかでは、対面した時、皆、ワアっと泣きますけれども、実際のそんな場面では他の被害者遺族の方も泣いたりはしなかったと聞いています。泣くというよりは、現実から逃避したいという感じになるんでしょうか。僕だけじゃなく、家内も娘も泣いていませんでした。

僕が泣いたのは、司法解剖が済んだ後の息子の姿を見た時でした。

司法解剖をする際に色々手続があるのですが、とりあえず判子を押してくださいというので、どんどん、どんどん進められていくんですね。頭は真っ白な状態なので、何がどういうことなのか、自分で理解して手続きをするというのではなくて、ただただ言われたとおりにするという感じです。

そうして息子の司法解剖が済んで、包帯を巻いて出てきた姿を見た時、その時ようやく、息子が死んだのだ、死んだのはうちの息子なんだ、と実感が押し寄せてきて、僕はもう号泣というか。声をあげて泣いてしまいました。

次々に、もたらされる事柄に対応することと、実感が湧いてくるというのは、まったく違うもので、個人差もあるのでしょうね。僕は泣いてしまいましたが、家内と娘は泣いていませんでした。おそらくこの時の二人はまだ息子が死んだという実感がなかったのだと思います。

事件が起きたのは姫路でしたが、僕たちが住んでいたのは大阪でした。とりあえず息子を連れて帰らなければということで大阪の自宅に戻ったのですが、その際、搬送費、息子に着せた浴衣代、シーツ代、それから解剖費、高速道路の料金を含めた交通費など、八万円ほどを請求されました。今思うと、どうして被害を受けた側の自分達がそのようなお金を支払わなければならないのだろうと疑問に思うのですが、その時は混乱していたので言われるままに支払いました。

現実から目を背けようとしていたのかもしれませんが、この時僕が考えていたのは会社のことでした。営業先のことや、見積書をどうしようかなどと考えていたのです。大学四回生の娘は卒論提出日の前日で、卒論を大学に持っていくのを誰かに頼もうかとか、家内は家内で、パートの仕事をどうしようなどと、そういう話をしていました。

こういう風に言うと、気丈に振舞っていたのですねなどと言われるのですが、気丈とかそういうのではなくて、ただただ色んなことが目の前を通り過ぎていくのを、ぼんやり見ているだけで、何が何だか分かっていなかったんです。

多分、息子の死を最初に実感したのは僕だったんだと思います。だから、最初に現実逃避してしまったのも僕でした。

息子を家に連れて帰って、お通夜、お葬式と続く中、本当は仏事の手配やら挨拶やら、父親らしくしっかりしていなくてはいけなかったと思うのですが、僕はもう感情がいっぱいいっぱいになってしまって。どうして息子だったんだろう、どうして息子が死ななくてはいけないのだろうと。そればかりで、家内にはかなりひどい言葉をぶつけたりしました。今思えばひどいことをしたと反省するのですが、その時はそれが分からないんですね。もう、息子の喪失と奪われたという理不尽さしか考えられなくて。

人形劇でも出てきましたけれど、事件の後、被害者遺族の半分は家族間が不和になり、離婚してしまう場合もあるといいます。家族以外にも親戚から責められることもあるようです。

幸い、我が家の場合は親戚や近所の方々の手助けがあって、仏事は滞りなく済ますことが出来ました。

しかし、すぐに捕まるだろうと言われたはずの犯人が、なかなか捕まらなかったんです。

資料を見ていただいたら分かりますように、うちの事件では、犯人が捕まるまでに一年半かかりました。

この間、我が家は懸賞金を掛け、ビラ配りを行いました。懸賞金を掛けるのもビラ配りも、やろうと言い出したのは家内でした。僕はそういうことは国がやってくれると思っておりましたから、最初はどちらも反対しました。警察が何もかも良いようにしてくれるだろうと考えていたのです。でも家内がどうしてもというので、懸賞金を掛ける時も、ビラ配りをする時も、姫路警察署に行って相談しました。ところが警察の面子というのもあったのだと思うのですけれど、それはあくまで被害者遺族がすることで、警察は関係ないということでやって欲しいと言われたのです。

我が家が懸賞金を掛けるにあたって相談にのってくださった古賀さんという方がいるんですけれど、この古賀さんは大阪で息子さんを殺されて、大阪府警の協力のもと、懸賞金を掛けたそうなんですね。だから僕も当然そのようにしてもらえると思っていたので、面食らってしまいました。

結局、表向きには姫路警察署は関係していないという建前ながら、ビラ配りの時などは内緒ですよ、と言いながら手伝っていただいたりしたんですけれど。事件に遭った場所が違うだけで、どうして国の対応が異なるのだろうと思いましたね。

事件から一年半が過ぎて、ようやく犯人が逮捕されました。逮捕されたのはTという、当時31歳の男でした。

テレビドラマでは犯人が逮捕されて話が終わりますけれども、現実はそうではなくて、今度は裁判が行われます。

我が家は犯人逮捕までに一年半がありましたから、その間に「あすの会」に入って、他の会員の方に教えてもらったり、資料を見たり、色々勉強して裁判に備えることが出来ました。しかし、事件が起こって、すぐ後に犯人が逮捕された場合、被害者遺族はお通夜、お葬式初七日と混乱の中、さらに裁判のために被害者調書をとったりと大変なことになります。気持ちの整理がついてようやく自分も立ち直って、ふと気付けば裁判はとっくの昔に終わっていたということもあるそうです。

僕はとにかく、息子がどうして殺されなければならなかったのか、どういう状況で殺されたのか、すべてを知りたいと思って、裁判の傍聴に行きました。姫路の地方裁判所では家内と娘が証人尋問と意見陳述をさせてもらい、大阪高裁では僕も意見陳述をしました。逮捕されたT被告は、最終的に最高裁まで上告しましたが、無期懲役という判決が確定されました。

僕がこの裁判でつくづく思ったのが、被害者と加害者の不平等さでした。一番分かりやすい例としてお金の話をしますと、まず弁護士費用です。裁判を行うためには被告には必ず弁護士が必要です。被告が弁護士費用を負担できない場合は、国選弁護士が無料でつきます。しかし被害者が弁護士についてもらう場合は、自費でその費用を負担しなければなりません。また、それとは別に調書を貰うために、数十万のお金がかかります。今の法律では、事件の詳細を知りたいというだけでは調書を貰えないんです。民事裁判をするから、その資料として刑事裁判の調書を欲しいと言わなければいけないんですね。それでも完全なものを貰えるわけではなくて、個人が調書を欲しいと言いますと、裁判所が不必要だと思ったところは全部黒塗りされるんです。

弁護士さんに請求してもらうと、個人では出してもらえなかった調書を出してもらえたりします。そういうわけで、我が家も弁護士さんについていただいて、弁護士さんからお願いしてもらったわけですが、調書1枚が40円でした。コンビニなら今、1枚10円ですけどね。

僕らは生活のために働かなくてはいけないけれど、T被告は拘置所ですから刑務所のように作務もなくて衣食住すべて無料です。息子の司法解剖のお金も請求されましたが、T被告は医者にかかっても国がお金を払ってくれます。弁護士も国選弁護士ですから、T被告が費用を払う必要はありません。

T被告は前科5犯でした。色々なことをしていましたよ。恐喝、麻薬、暴力団にも入っていたようです。刑務所にも入っていました。僕は刑務所というのはちゃんと更生させて出すところだと思っていました。でも、T被告がうちの息子の事件を起こしたのは、刑務所から出てたった7ヶ月後のことでした。

後で分かったことですけどね、刑務所から出てすぐに、車上狙いを繰り返して生活していたんです。なんでそんな人間を社会に出したのか。僕なんかは刑務所の所長さんを訴えようかという気になりますけどね。もちろん、それは出来ないですけど。本当に、法律でもなんでも作って、どうにかしてもらえないかと思いますよ。

加害者だけが国から支援されるのはおかしいということで、被害者支援を目的とした犯給法というのも一応、あります。でも、まだまだ課題が山積みだと僕は思っています。

例えば一人の犯人が、二人の人の命を奪った事件があるとしましょう。一人は車ではねられて、一人はナイフで刺されたとします。この時、車ではねられた被害者は自賠責保険で、最高3000万円のお金がもらえます。ところが、ナイフで刺された被害者は、犯罪被害者等給付金として平均数百万円しかもらえません。

それなら犯人に損害賠償請求をすればいいじゃないか、と思う方もいるかもしれません。確かに、新聞などでは裁判所はいくら支払うように命じた、と書いてあります。でも、実は裁判所の判決というのには拘束力がないんです。僕もあすの会に入って初めて知ったんですけども、犯人に支払う能力がないとか、例えば破産手続きをしたとかいうことになると、加害者は1円も支払わず、なおかつ罰せられることもないのです。

これは本当におかしい。被害者遺族は家族を殺された上に、日々の生活費を始め、ショックで体調を崩して医療費もかかり、裁判費用やら懸賞金やらで本当に大変なんです。その一方で、加害者は全部国が面倒をみてくれる。本当にもう、何から何までおかしいんです。

事件に遭った後の被害者遺族は、主に3つのことを望みます。殺された家族の無念を晴らしたい。深く傷ついた心を癒してもらいたい。そして、事件に遭うまでと同じ生活を送りたい。

最後のは、家族が殺された段階でまず、これまでと同じというのは無理なわけですけど。最初にお話したように事件の後、僕の家は家族が一度バラバラになりました。先程は僕が家内に感情をぶつけたという話をしましたけど、娘も親戚や近所の人から「ご両親が今大変だから、頑張ってあなたがお兄さんの代わりをしてあげなさいよ」というふうなことを言われて、「頑張れって言われても何をどう頑張ったらいいんやろう」「私がお兄ちゃんの代わりに死んだ方がよかったんかな」と悩んでいたそうです。

僕自身がいっぱいいっぱいやったから全然気付いていなかったんですけど、1年ぐらいしてから娘から話を聞いて、はっとしましてね。娘は「自分は成人していたから逃げ道もあった」と言っていましたけども。問題は、小さいお子さんです。

よく事件が起こった後、学校にスクールカウンセラーを置いたというような報道を聞きますけど、僕は被害者遺族の、特にお子さんにまずカウンセラーをつけるべきじゃないかと思います。加害者が少年の場合、きちんと更生プログラムを組んで、カウンセラーも数人ついて社会に復帰させるわけですけど、被害者遺族の子どもには何もありません。学校にも行けず、行ってもなかなか溶け込めなかったり、自分の将来に希望も夢も持てずに苦しんでいるお子さんは多いそうです。親は親でいっぱいいっぱいですから、子どものことを大切に思っていても、なかなかそこまで手がまわらない。親も子どもも、本当につらい状況なんです。

あと、二次被害の話をしておきましょう。息子を家に連れて帰ってすぐ、ピンポン、ピンポンと来ました。一番初めに来たの、どなたか分かりますか?

** マスコミですか。

マスコミもありますね。マスコミも、二次被害の一つです。うちはマスコミにはよくしてもらったので、幸い被害はなかったですけども。

僕がショックを受けたのは、冠婚葬祭の営業の人でした。まあ、今思えばお世話にならなくてはいけない人ですからね。仕方がなかったのかもしれませんけども。

僕、あまり怒ったりしないタイプなんですけども、この時はカーッとしましてね。隣近所に聞こえるような声で、うちの息子で商売するなって怒鳴ってしまいました。家内がすぐにフォローしてくれて、あとで大変お世話になったわけなんですけど。この時はもう、先程から話しておりますとおり、気が狂ったような状態ですから、必要とかそういうことではなくて、息子の死をそういう風に扱われることに、なんで、どうして、という感じでね。

それから、懸賞金をかけた時のことです。資料を見てもらえると分かると思うんですけど。懸賞金をかけた時に、新聞に載せてもらったんです。事件を風化させないように、少しでも犯人逮捕に結びつく情報を手に入れるために、それだけのことしか頭になかったですからね。新聞に載せてもらって、とにかく犯人逮捕を、と思っていたんです。

そうしましたら、この新聞記事を持って、ピンポンと来たんですよ。何かな、と思ったら、ねえ、なんと言われたと思います?「この宗教を信じているから、お宅の息子さん、浮かばれませんよ。犯人も捕まりません。でも改宗すれば息子さんも浮かばれますし、犯人も捕まります」と、こう言われたわけですよ。

この新聞の写真に、仏壇が写っていますでしょう。それで、この宗教はダメだと言うんですね。事件直後だったら、僕はもう暴力沙汰になったかもしれませんけれど、三ヶ月以上経っていましたからね。「はい、わかりました」と言って。本も出してきて、「読んでください」って言われたのも「はい、わかりました」ってね。なんとか冷静に応対して、帰っていただきました。

犯人が逮捕された時も、別の宗教関係の人が「息子さんの供養のためにいらっしゃいませんか」ということで来ましたけど、その時も丁重にお断りして帰っていただきました。

宗教が悪いというのではないのですが、人間が一番弱っている時に、わざわざ息子のことを持ち出してそういう勧誘というのかな。そういうのは本当に情けなく思いましたね。悪意じゃなくて、その人達にとっては善意なんでしょうけどね。

同じように、家内は犯罪被害者等給付金でひっかかったようでした。息子の命をお金に換えるみたいで嫌だと言っていました。申請出来る期間というのもあるんで、被害者支援の方は親切で言ってくれるんですけど、家内には負担だったみたいです。

最終的に、ちゃんと手続をしたんですけど、これが裁判の時にT被告の減刑材料にされそうになりました。

僕、うちの息子の事件があるまでは、弁護士というのは本当に正義の味方だと思っていたんですよ。でも、実際にT被告の弁護をしている様子を見ていて、本当に腹が立って腹が立って……。

犯罪被害者等給付金は、被害者に対して国がしてくれるものであって、T被告とは何の関係もありません。なのに、弁護士はまるで、そのお金はT被告からの損害賠償のお金だというような言い方で、減刑に値するというようなことを言ったんです。

もちろん、それは認められませんでしたけど、家内は証人尋問の時、「もしT被告の減刑の材料になるのであれば、お金はいりません」ときっぱり断言しました。

その他にも、T被告と弁護士は反省しているとか、臓器移植をする意思があるとか、色々なことを言っていました。臓器移植するんだったら、今すぐしてくれよと思いますけどね。それから、謝罪の手紙を渡したいと言って来ました。

よく新聞で、加害者の謝罪の手紙を被害者は受け取らなかったとか書かれてありますけど、あれは受け取らないんじゃなくて、受け取れないんです。

裁判で判決が出る前にその手紙を受け取って開封してしまうと、被害者は加害者の謝罪の気持ちを受け取ったと見なされて、減刑の材料になるんです。お花とか香典なんかもそうです。

判決が出た後ならともかく、判決が出る前にそういうことをされると、被害者は刑を軽くしたいためだろうと思いますよね。

弁護士はそれが仕事ですからね。いかに減刑させようかと考えているんでしょうね。でもね、実際に裁判所で見ていたらよく分かりますよ。本当にもう、なんかおかしいなってね……。

最後に、皆さんにお願いしたいのですが、もし身近に犯罪被害に遭った方がいらっしゃったら、じっくり話を聞いてあげてください。それだけでいいんです。

興味本位とかそういうのはダメですけど、気持ちに寄り添って話を聞いてあげる、それだけで充分立派な支援になるんです。誠意や真心があたたかくてね。僕はそれが一番嬉しかったです。

長々とつたない話をしましたが、聞いてくださってありがとうございました。これで終わらせていただきます。