関係機関・団体と連携した犯罪被害者支援促進モデル事業

講演:「犯罪被害者の現状と関係機関団体が行う支援について」

命のメッセンジャー派遣事業(滋賀県)
東近江地区犯罪被害者支援ネットワーク会議研修会

福井 公子
(兵庫県警被害者対策室)

皆さん、こんにちは。今、「先生」なんて紹介していただきましたけれども、私は、兵庫県警察本部の被害者対策室で課長補佐をしております現役の警察官です。よろしくお願いいたします。いろんなところでお話をさせていただくと言いながらも、話をするのはプロではございませんので、同じ事を何回も言ったりとか、お聞き苦しいところがあろうかと思いますけれども、よろしくお願いをしたいと思います。今日はJR福知山線の列車脱線事故の時の被害者支援ということに関して、皆様の参考と言いますか、これからの被害者支援に何かお役に立てる機会をいただきましたので、私たち兵庫県警察が取り組んだ対策についてお話をさせていただきたいと思います。

今年の9月8日に、JR脱線事故の事件捜査が終結しまして検察庁に送検しました。先ほどもちょっとご紹介ありましたけれども、その送検前に被害者の方々に送検内容をお伝えするという活動を最近やって、皆さん新聞とかテレビなんかでもかなり大きく報道されましたのでご存じかもしれないんですけれども、これは本当に警察としても送検前にこういった犯罪捜査の結果と言いますか、送検するというようなことを被害者の方にお伝えするということは例外的なことだったんです。これは私たち被害者支援に携っている者よりはもとより、捜査本部にいる捜査員が本当に被害者の方々に、マスコミ報道より先にお伝えしたいという思いが強くあって、どうだろうということを本当に一ヶ月以上かかりましたかね。いろんな検討をやりました。法律に触れるのではないかとかいうようなこともあって、基本的にそういう捜査資料というのは送検前には開示するということは出来ないのですね。刑事訴訟法という法律があって出来ないんですけれども、ただ、犯罪捜査規範という、捜査の基本を書いたものがあるのですけど、その中に被害者のための保護、情報提供というようなことがあって、これは捜査に支障のない範囲のことであれば、伝えてもいいという規定があって、その規定を読んで今回は例外的と言いますか、本来そういう在宅事件と言いまして、身柄を拘束しない事件については、本当は送検した後に連絡するんですけれども、送検する前に連絡をしたということなんです。

これも本当にいろいろと思ったのですね。どんなふうに受け止められるだろうかとか、どういう内容をお伝えできるんだろうかということで検討したんですけど、なかなか全てを被害者の方にお話できるわけではないので、どんな人が送検されるかということ、どんな事実で送検されるのかというようなことを、こういった紙に2枚ほどまとめたものをお渡しに行ったんですけれども、私たちが思ったのは、遺族の方もそうなんですけど、亡くなった方、ご本人ですね。ご本人に報告したいということで、お宅に伺った時には、この書いたペーパーをご仏壇にお供えをして、こうやって捜査がやっと終結して送検できるようになりましたということをご報告させていただいて、それからご遺族の方にこういったことですという説明をさせていただきました。ほとんどの方々は中身に関してはそんなに十分ということでは決してなかったと思うのですけれども、テレビとか、新聞とかで知る前に自分自身がいろんなことを警察から伝えてもらうことが出来て良かったとはおっしゃっていただきました。新聞にほとんど先行していろいろな内容が報道されていたんですけれども、正式に警察からのそういう通知というのはそれが初めてだったのです。

送検内容を通知するということでは本当に初めてですし、これは兵庫県警だけがこういったことをやると、今後また何かそういったことがあれば、これが前例となって、あの時兵庫県警こんなことやったじゃないかということになるので、非常に影響は大きいかなと思ったんですけれども、私たち被害者支援に当たっているものは一番それを感じるのは、やっぱり自分のことなのに、自分の家族のことなのにテレビなどで初めて、犯人が捕まったとか、あるいは送検されたとか、裁判が始まったとか、そんな重大なことをマスコミを通じて知らされるというのは被害者の方から常々言われていたことなので、今回は何とかこれをクリアしたいということで、こういった特例的なことということになりました。本当にいろいろと紆余曲折あって、検討しましたけれども、やっぱりやって良かったというのが感想です。否定的なことも考えればいろいろとあるんですけれども、これからの検察庁での捜査とかを考えると、捜査というのは秘匿が原則なんですけれども、やっぱりこれは被害者の方々にとっても本当に大きな一歩というふうに捉えていただいたのかなと思います。

検察庁の方も最近は・・・今日検察庁の方はいらっしゃるのですかね・・・すごく変わりました。警察が送検をしましたら、もうすぐその1日、2日後でしたかね。被害者の方々にアンケートを送っておられましたね。要は警察から送検を受けた内容について、検事と面接希望されますかと、検事に対して何かおっしゃりたいことありませんかとかね。あと例えばこの事件、警察から送検されたこの事実が不起訴になった時、説明会に参加されますかとかいったような、そういうアンケートですね。そういうアンケートを被害者の方に送付されて、実際にもう検事さんが直接ご遺族と面接されたりとか、被害者の方と面接されているということで、そういった流れと言いますか、検察庁もそうですし、裁判所もそうですし、司法のそういった流れがここ数年、本当に被害者の方々にとっては大きな改革と言いますか、大きな転換があったような感じがします。

JR脱線事故というのは皆さんご存知のように平成17年4月25日に発生をしたのですけれども、これはJRの福知山線、大阪から福知山の方まで向かって走っている線路なんですけれども、これの上りの快速電車ですね。大阪の方に向かっている電車です。これが線路脇のマンションに激突をしたというような事故ですね。大きな事故でありました。被害状況なんですけれども、これは運転手含めて107名の方がお亡くなりになって、負傷者はここに562人とありますけれども、これは最終と言いますか、最初の頃は555人くらいとか、いろんな数が出ていたのですけれども、最近の一番最終の数は562人ということです。

これは警察の体制の話なんですけれども、4月25日9時50分には県警本部長を長とする突発重大事案対策本部というのが出来たのです。大きなこういった事案が発生した時の体制の話なんですけれども、この延べというのは、遺体安置所が設置されている5日間の延べ人員なんです。1万2,800名を動員したということです。これは救助とか、被害者対策とか、全て合わせてということなんですけれども。兵庫県警察の警察官というのが約1万2,000名ですので、全警察官、兵庫県警察あげて、JRの列車事故の救出とか、そういった活動に取り組んだといっても過言でないような体制であったということですね。この最大というのは最初の4月25日に1,900名を投入したということです。兵庫県警だけではとても足りませんので、近畿各府県から延べ258名の応援を頂きました。広域緊急援助隊と、今そういう応援の部隊があるんですけれども、お互いにこういったことで助け合うという部隊があります。それから捜査の方は先頃9月8日に送検しましたけれども、捜査本部をこの時175名体制で立ち上げまして、今年の春までに延べ3万4,000名という捜査員を投入して、この業務上過失致死傷という大きな事件を送検したということです。

これは現場の地図なんですけれども、ここに大きなカーブがこうなっていると思うのですが、以前は平成9年に東西線が出来たのですね。北新地のところを通っていく線路が出来た時に以前はここ上り下り別々になっているところを一本化してしまったのですね。ここが大きなカーブになってしまって、当然ここではスピードを落とさないと曲がれないのですね。かの運転手がここのところの一番最後のところのカーブのところで大きくスピードを出し過ぎてカーブに突入してマンションに激突をしたということで、ここでは当然曲がり切れませんから、スピードを落とさないといけませんので、遅れを取り戻そうとしたというようなことで激突をしたということですね。これが尼崎の駅なんですけれども、ここの体育館は遺体安置所になった体育館であります。ここにちょうどカーブのここのところにマンションが建っていたというようなことですね。非常に狭隘な土地だったので、いろいろと遺族の方々もここは違法建築じゃなかったのかというようなことの問い合わせなどもありましたけれども、そうではなくていろいろと調べてご遺族にも回答差し上げたんですけれども、やっぱりご遺族はいろいろなことを知りたいというような要望もありました。

これは事故発生直後に県警ヘリから撮影をしたものなんですけれども、この時はもう本当に消防もそうなんですけれども、付近一帯が工場地帯でしたので、約30社ほどの500人近い方々がここに集まっていただいて救出活動をしていただきました。ここにブルーシートが敷いてあって、犠牲になられた方とか、お怪我をされた方をもう搬出されているのですね。最初機動隊が到着するまで、その間に近所の方々がこうやって協力して負傷者などを搬出されましたので、最初の50人くらいの方がどこに乗っておられたのかというのが分からないのですね。警察が到着しますと、この方は1両目のどこどこで何時何分に救出したという記録が、本当にメモなんですけど、残して、撮影をして、それから搬送するというようなことをしますのでそういう経緯が分かるんですけれども、そういった最初の方の方々にはそれが無いので、この方はどこに乗っておられたのかということが分からないということで、後々までご遺族の方々がどこの車両に乗っていたか知りたいということの調査ということも非常に苦しんだことがありました。この時は付近の工場の方々だけではなくて、住民の方々にも協力をしていただきまして、先ほど右側の方に出ていましたけれども、ブルーシートのところの状況なのですね。たくさんの負傷者の方々がここで救助を待っておられるんですけれども、この方などはたくさんのタオルを持っておられるんですけど、これは会社のタオルなんです。これで止血をしたりとか、そういうことに使ってもらおうということで、非常にいろんなものの供出をしていただきました。氷とか、水とか、いろんなことでお手伝いをいただきました。これは兵庫県は例の阪神淡路大震災がありまして、民間の力でお互いに助け合わないとこういう時にはできないという土壌と言いますか、こういうものがあるので、この列車事故に関しても非常に早く住民の方々が駆けつけてくださったというようなことがありました。

これは広域緊急援助隊が狭い車両の中で活動をしているという様子です。この狭いところにヘルメットが見えていると思うのですが、これは中に隊員が滑り込んで救出活動をしているような様子なので、ジャッキで少しずつ押し広げながら、中に入って中にいる負傷者とか、亡くなった方々を救出するというような活動をしているところです。この時警察はどのような被害者支援をしたかということなんですけれども、遺体安置所においては最初の早期支援と言いますか、そういった活動をしました。この5日間でこれは被害者支援だけで191名の警察官を投入しまして、最初の日が一番多かったんですけれども、うち女性警察官も28名、最初の日は3分の1が女性警察官だったのです。これはどういうことで女性警察官を運用したかと言うと、やっぱり同志社前行きという電車でしたので大学生の若い女性ですね、こういう方がたくさん犠牲になっておられるというようなことがありました。後からお嬢さんのことに関してお母様が、「うちの娘・・・検死とか検案をしないといけないのですけれども、あの時に娘の服を脱がせたりとか、顔を拭いたりとか、体拭いたりとか、そんなことは女性警察官の方がやってくださったんでしょうか」というようなことを質問もあって、やっぱりこういった厳しい状況の場面のところではあるんですけれども、女性警察官も活動をしなければいけないというようなことを痛感いたしました。

これは被害者支援の活動の内容なんですけれども、遺体安置所ではまず施設を確保したことです。大きな3階建ての体育館なんですけど、これを確保出来たということです。これは尼崎市の建物なんですけれども、管轄する警察署長が直接市の方にお願いをしたところ、市の方も快く提供いただきまして、すぐにそこが使えることになりました。この安置所というのが一箇所に集まったということが検死検案ということに関してスムーズに流れ、早くにご遺体をご家族の元にお返しすることが出来たということがありました。それから、そこには家族の方々が待機していただく場所とか、相談窓口を設置しました。そして、検案の場所とご遺体をお返しする引渡しの場所を設定したということです。

活動はどんなことをしたのかということなんですけれども、ご遺族への情報提供です。捜索現場での活動が今どうなっているかということはなかなか伝わってこないということがあったので、それをお伝えするということです。それから、ご遺体をお返しする時のご遺族への付添いです。やっぱり皆さん本当にもう突然のことなので何をどうしていいか分からないということがあったので、警察職員がご遺族の方に付添うというようなこともいたしました。これは体育館の様子です。これはこのメインアリーナ1階のところなんですけれども、検死する場所、警察が検死をして医師が検案をされて、それが終了しましたら、こちらの方に半分に仕切って、こちらの方のご遺体をお返しするところで棺桶に入れた状態で対面していただこうということで、棺桶を百個すぐに準備するということもなかなか大変だったんですけれども、ようやく夕方になって準備が出来まして、お渡しをすることが出来たということです。それから検案をしているところなんかをご遺族が見られるということも、非常にこれはショックなんですよね。そんなこと、皆さんもご経験ないと思いますけれども、やっぱりそれは精神的な打撃というのは大きかろうということで、ここの真ん中に卓球台がありましたので、パーテーションをしまして、ここから見えないようにしまして、そういう配慮をしたというようなことです。

ご遺体をお返しするとすぐにお通夜とか、葬儀とかいうようなことがあるんですけれども、すぐにテレビの報道が流れましたのでご自宅の周辺をマスコミが本当にたくさん取材に集まってきていて、家族の方が家に入れないというような状況もあったのですね。そういったことはマスコミを通じて、新聞とか、テレビでは報道されないんですけれども、実際は遺族の方々というのはマスコミの過剰な取材とか、訪問とかに本当にもう苦しんでおられたという実情がありました。ご遺族がしなければならないことというのは1週間くらいの間にたくさんあるんです。警察の事情聴取もあるし、通夜とか、葬儀もしないといけないし、市役所なんかの届けもしなきゃいけないというようなこともあったんですけれども、、そういったご遺族のお宅へ訪問しようということで受け持ちの警察署の署員がそれぞれのご自宅に訪問をいたしました。この時には被害者の手引きと言いまして、被害者の方々の相談窓口などを書いたパンフレットなども配布をいたしました。それから何かお手伝いすることはありませんかということで要望を把握するということもありました。それからご要望があれば、通夜とか、葬儀会場の警戒なども行ないました。ただ、マスコミの取材というのも、これは警察が規制するとかいうことは一切ございません。報道の自由というのは、報道しなければならないという使命もありますので、これはご遺族がやはり本当に密葬みたいな形で静かに送りたいという要望がありますよということをマスコミの方々にお伝えするというような活動なのですね。兵庫県だけではなくて大阪や島根、それから福岡などにもご遺族がお住まいでしたので、それぞれの県警の被害者対策の分野の対策室を通じて、同じように訪問をしていただいたということです。

これはこの時に配った、これは警察の方のパンフレットなんですけれども、こちらの方は民間団体のパンフレットです。兵庫県にもこういったNPO、民間団体があるのですが、ここの直接支援員の方が私も一緒に連れて行って欲しいと。遺族の方々のところの家事支援とか、そういうこともしたいというような要望もあったのですけれども、ただ、やはりまだまだ日本ではそこまでそういった被害直後に民間の方々とか、一般の方々、近所の方とか、親戚とかとは違った全く知らない他人の方に家に入ってもらうというようなことには抵抗があるというようなことがあったので、パンフレットだけを先にお配りして、こういった団体がありますよということを紹介をし、要望があればこちらに電話をしてもらうというような、そういうやり方でご紹介をいたしました。これは大阪府警がその時に配っていただいたパンフレットですね。それぞれの地域に違った窓口などがありますので、こういうパンフレットなどを配っていただきました。この時訪問した時にはここに書いておりますように、ほとんどがマスコミの過剰な取材に迷惑しているというようなことが8割でありました。

警察だけではこういった支援というのはできませんので、部内外と連携をしないといけないということで対策会議というのを行いました。これは被害者支援の連絡会議と言いまして、これは警察部内ですね。5月19日にご遺族の居住地を管轄する8警察署の担当者と刑事部とか、救出活動に当たった警備部、それから大阪府警の担当者ですね。県外では一番たくさんのご遺族がおられる大阪府警も来ていただいて、AさんとBさんでは伝える内容とか、伝え方が違うとか、大阪と兵庫では全然伝える中身が違うということでは困るので、それを統一するというか、温度差を無くすというような形でこういう会議をいたしました。

それから、これは兵庫県被害者支援連絡協議会。今日ここは地域単位の協議会なんですけれども、これは滋賀県でもそうでしょうけれども、県単位でもございまして、発生からおおむね1ヶ月後の5月23日にこの連絡協議会の実務担当者会というのを開催しました。これは課長補佐とか、係長とか、実際に現場で仕事をされている方ばかりに来ていただきました。1ヶ月過ぎていましたから、それぞれの窓口でJR事故に関して取り組んでおらられる施策があるのです。ただ、それぞれ取り組んでおられる施策というのは他の機関では分からないのです。新聞で報道されて、あ、ここの機関こんなことやっているのかというような情報は初めて新聞などの報道を見て分かるというようなことがあったので、この時一挙に集まっていただいて、それぞれの機関がやっておられる活動を持ってきてくださいとお願いして、それで事務局の方で集めて、それをまたお配りして、情報を共有するというようなことを行いました。

これはこの時にそれぞれの機関が取り組んでいただいた活動なんですけれども、例えば弁護士会ですね。皆さん弁護士さんと言うと、有料なんですよね。ちょっとお話してもかなり相談料みたいなことがかかってくる。中には無料相談所もありますけれども。この時にはまだそういったことは無かったんですけれども、その会議をした次の日に勉強会をされて、信楽の高原鉄道の時の支援弁護士さんがリーダーになって勉強会をしていただいて、無料相談窓口をその後作っていただいて、非常にそれは遺族の方々にとって助かったというようなことがあったようです。

それから、精神保健福祉センター。これは県の機関なんですけれども、ここなどは保健婦さんをご遺族のお宅に訪問させるというようなこともいたしました。それは電話をしたりとか、自分で相談に行ったりできる人はまだいいだろう。もう相談にも行けない、電話もかけられないという方がおられるんんじゃないかということで、要望があれば、保健婦さんを自宅まで派遣しましょうというところまで兵庫県でも取組をいたしました。

これはこの時に被害者支援が本格化しましたよという新聞報道なんですけれども、連絡協議会というのは会合が大変なんですけれども、会が実務的に動いたというのは兵庫県でもこれが本当に最初と言えば最初なんです。それだけではなくて半年後に、被害者の家族の方に来ていただいて、これは代表者の方に集まっていただいた協議会を秋にもう1回やったんですけれども、この時にご家族にお話をしていただきました。半年経っていても全く状況が変わっていないと。負傷された方々はまだ電車にも乗れないし、恐怖で家から出られない人もたくさんいらっしゃるというような、そういうようなご家族の心情とか、ご遺族はこんな状況ですよというような話をしていただいて、また新たな取組をもっともっと続けなきゃいけないというようなことを認識をしたというようなことです。

これは連絡協議会の構成なんですけれども、発生した当初は警察が早期的な支援をするのですけれども、所帯主を亡くした方、お父さんが亡くなったところは生活の問題とか、例えば社宅に入っておられたら、もうしばらく経ったら出て行かなきゃいけないというような、住宅の問題とか、子どもさんの教育の問題、家変わらないといけないとなると学校変わらないといけないというようなこととか、生活が立ちゆかなくなってくると、やっぱり生活保護の問題等が出て来ます。補償問題があるのですけれども、なかなかその交渉なども難しいというようなことがあります。いろんな機関が集まって、こういう協議会を平成11年からやっているんですけれども、兵庫県でもこういった警察署ごとの地域単位の被害者支援連絡協議会というのがあって、それぞれ警察署でも開催いたしました。これはそれぞれの地域で窓口がいろいろとありますので、地域ぐるみで被害者の方々を支援しようというようなことで開催しました。

これは伊丹、空港のあるところなんですけれども、伊丹警察署が取り組んだ施策ということでそれぞれのご遺族にお手紙を、この協議会の会長は警察署長なんですけれども、医師会の会長さんなんかも一緒になってこういったお手紙を書いていただいて、弔慰金等も集まりましたので、お線香を買ってご自宅にお届けしたりというような活動をいたしました。要は地域ぐるみで皆さんを支えますよというメッセージをお伝えしたということです。ご遺族や負傷者にはその他にどんな支援活動をやったかとういうことなんですけれども、警察はこの事故に関して、情報開示とか、捜査情報を提供したというようなことで大きく新聞に出たんですけれども、これは捜査情報そのものではなくて、捜査情報の中で捜査に支障の無いものをご遺族の要望に応じて違った形に作り替えて提供したということなのですね。特にどこに乗っておられたかというような情報について、行政的に手続を取ってお伝えをしたということですね。それから500人を超える負傷者の方への支援をどうするかというのが本当に問題でした。そういった方への情報は、パンフレットなどは病院の窓口とか自治体の窓口に置いていましたけれども、やっぱりいろんな情報は手元に届けないとだめなんです。その方が開けて見て、あ、こんなところがあるのかと確認をしていただかないとだめなので、郵送することにしました。これは連絡協議会長の名前で、この年、個人情報保護法が施行された年なのですね。平成17年というのは。何で私の住所が分かったのとか、私がケガをしたのが何で分かったのというようなことが問題になったらどうしようというようなことがいろいろと論議されたりもしましたんですけれども、第3者情報を含めない形でその方にとって有効な情報を提供するには問題無かろうということで、こういったお手紙を県の費用で出しました。これはそれぞれ協議会に入っていただいている機関の窓口等を紹介をしたものです。これはやっぱり手元に届いたということは非常に良かったんですね。この負傷者の方々というのは比較的広い広範囲に住んでおられるので、兵庫県だけではなくて、いろいろな府県に住んでおられましたので、やっぱり手元にそういった窓口の情報が届くというのは非常に良かったということで、そういう謝意のお言葉も頂きました。これはこの時にお配りをしたものです。そもそも協議会って何ですかという説明から、兵庫県がこういうチラシを配ったりとか、民間団体のリーフレットとか、もう一度この被害者の手引きなどもお配りをしたということです。

それから、先ほど一番最初にもお話をしましたけれども、被害者の方々がどこに乗っていたか知りたいということなんですけれども、捜査とは別にこういった特定をするための作業というのも被害者対策として実施しました。負傷者の方々にそういったことをお聞きするのは本当にまた二次的な被害を与えてしまうということもあったのですけれども、いったん電話をして協力していただけますかということで、アポを取り、亡くなった方で乗っておられたところが分からない方のお写真を預かって、そういう負傷者の方々で協力をしていただける方、それから、救助に当たった警察官、消防署員ですね。それから付近の住民の方、工場の方々に聴き取りをしました。約3ヶ月くらいかかりました。この時に17名くらいまだ分からない方があって、皆さんこんなことで分かるかなと思われると思うんですけれども、やっぱり人間の記憶ってすごいなと思うのは、この時8名の方が複数の情報があって、あ、この人いつも黒っぽい服装をされてて、シルバーシートのこの辺りにいつも座られるこの方によく似ていらっしゃるというような、そういう情報から特定できたというようなこともありました。その後、新聞の報道とか、あとテレビのニュースなんかにちょっと映っている映像ですね。そこを一生懸命分析しまして、例えば靴が映っていたら、この靴は誰々さんの靴だというのが分かれば、その時運んでいた隊員から事情聴取して、自分は何時頃に1両目から搬出した、作業に従事したということが分かれば、この方は1両目に乗っておられたんだろうというような、そういう特定の仕方を3ヶ月くらいかかってやりまして、あと乗車車両の分からない方は4名というところまで何とか出来たというようなことがありました。

これは、今回送検前に訪問する時の連絡会議です。やっぱり警察官もたくさんおりますと、いろんな温度差が出てきます。最初に申しましたけれども、やっぱり温度差を無くして同じようにお伝えしないといけないということで、こういった連絡会議を行ないました。これは事前の連絡活動の結果ですけれども、負傷者の方々には郵送させていただいて、ご遺族には基本的にはご自宅を訪問すると。訪問をお願いしますと言われた88遺族に対して、3日間で訪問をさせていただきました。負債者の方には速達で送検前に届くようにということでしたんですけれども、やっぱり負傷者の方とご遺族というのは、思いが少し違うんです。これは私たちも訪問して感じたんですけれども、負傷者の方というのは生活があるのです。辛いですけれども、もうその頃には自分の本来の仕事に戻っておられて、こういったことにもいろいろと質問が来るだろうと思って待っていたんですけど、ほとんど電話が無かったのですね。ところがご遺族というのは自分じゃない、家族なので、思いがすごくあるんですよ。どうだっただろうとか、辛かっただろうとか、痛かっただろうという思いというのは、4月25日で止まったままなのですね。それから、負傷者の方が、ご遺族の思いというのは、ずっと本当に長く続くものだろうなというふうなことはおっしゃっておりました。

これは訪問活動が大きく新聞報道されたものです。このJRの列車事故に関しては本当にたくさんの関係機関に関わっていただいて、警察だけではなくて、こういった専門機関なども関わっていただきました。よく言われるのは心のケアの問題ですね。これは兵庫県には心のケアセンターというのがありまして、これは震災後設立をされた機関です。これは5月3日の新聞なんですけれども、いち早く新聞で、ここが窓口でこの時間に相談受け付けていますよというようなことを早く広報していただきましたので、いろんなところに遺族の方とか、負傷者が行かなくて済むと言いますか、本当にポイント的に、集中的にここに集まることによって、非常にケアがやりやすいというようなこともありました。この時点で100件を超えておりまして、心のケアセンターの方ではそれ以降も、訪問していただいてのカウンセリングとか、いろいろなことをしていまして、今までで延べ1,000人に近い方が心のケアセンターの相談を受けておられます。ですので、心のケアに関しては心のケアセンターが大きな役割を担っていただいたということがありました。

これは先ほどお話しました兵庫県の訪問活動のチラシです。この後ろに住所と名前を書いてファクスで送り返したら保健婦さんがその住所に来ていただけるというような、そういうようなやり方を兵庫県ではしました。これは県による訪問活動が始まりますよというようなこと。実際のところあまりたくさんの訪問要請は無かったようですけれども、やはり画期的な取組と言えるのではないかということですね。

これは民間団体です。民間団体も今回のこのJRの脱線事故に関しては非常に大きな活動をやっていただきました。兵庫県では平成14年に立ち上がって、来春を目途に、早期援助団体を目指しているんですけれども、この時に兵庫県はこういった被害者支援の民間団体ですね。NPOが主になるんですけれども、たくさんありました。この時は7つのNPOが集まって、このJR列車事故の被害者の方々への支援に取り組みました。この一番下のNPOJR被害者支援ネットと呼ばれるものですが、これは7つのそういった団体が集まって情報提供を行ったりとか、生活家事支援というようなこともやったようです。お年寄りだけになったところには訪問したりとか、そういったようなこともしたというようなことです。それから中心になったのは、先ほど言いました、ひょうご被害者支援センターですね。これは相談とか、面接日の拡大とか、臨床心理士が支援のコーディネートを行なったというようなことがありました。こういったネットワークの中心にいつもひょうご被害者支援センターがあって、いろいろとこういうノウハウを伝授したということですね。組織の大小や支援のキャリアが違いますから、そういったことの中心になったのがこの団体であったということです。

このネットは半年ほどで解散をしたということなんですけど、未だに続けていただいているのがこのNPO法人市民事務局川西というところなんですけれども、これは兵庫県の川西市、伊丹市の隣にあるんですけれども、ここに拠点を置きます民間団体なんですが、ここでは心のケアを中心とした集いというのを毎月1回行なっておられます。特に負傷者の方ですね。負傷者の方は自分自身のことなのでなかなか人に喋れない。それが一週間とか、一月くらいの時だったら、事故の話をしても大丈夫なんですけれども、これがもう半年、1年経つと、未だにそのこと言ってるのとか、もっと前向きに生きて行かなきゃだめじゃないの、みたいなことを言われたりとか、家族に自分がしんどいということをなかなかしゃべれないのですね。心配させちゃいけないだろうということで、なかなか自分の思いを話せるところがない、ということで、この事務局川西が中心になった集いの場を提供されて、そこでは本当に何をしゃべっても外に漏れないというようなことで、安心して話が出来るという場を作っていただきました。そこにはひょうご被害者支援センターから臨床心理士が行きまして、そういった支援の話とか、お話を聞いて、少しアドバイスをしたりとかいうようなこともしたようですね。それからメールマガジンを発行したりとか、あと追悼のコンサートを行ったりとかいうようなこともされたようです。

こういった活動というのは被害者にとってどんな意味があるかということなんですけれども、皆さんも先ほど警察が乗車車両どこに乗っておられたか、3ヶ月もかかって一生懸命調査したと言いましたけれども、事故の被害者の方々というのは、そういった作業を一つひとつ積み重ねて行くことによって自分の気持ちの中で亡くなった方の思いというのを喪の作業と言うのですかね、そういうことを積み重ねて自分の心と折り合いをつけながら、何とか立ち直って行かれるというようなプロセスになるということが言われていますので、我々も出来る限りのそういった支援を行ったわけなんですけれども、その大きな力になったのがこの民間団体なのです。警察や行政というのはなかなかそういう長いスパンで被害者の方を何年も支えるということは非常に難しいということはあると思うんですけれども、こういう民間団体のボランティアというのはこういった意味では大きな力になるのではないかと思うのですね。こういう民間団体のボランティアの方というのは、地域の中でもコミュニティのリーダーをされている方がたくさんおられるので、特にそうやって一緒に被害者から直接話を聞いていただいたり、ご遺族の実態を聞いていただいたことで、その心情とか、置かれている苦しさというのを分かっていただいて、それをまた地域に持って帰っていただく。その地域で話をしていただく。JRの列車事故の被害者の方って本当に大変なんだよと。あの方は7両目に乗っていて、ほとんどケガはないけど、未だに電車に乗れないとか、目を閉じたら、その時の悲惨な状況が目に焼き付いて来て、夜に目を閉じると怖いとか、電車が走ってくるのを見たら背中が寒くなるとか、本当にそういう状況が今でもあるんだよというようなことを地域で話していただくことによって、被害者の置かれた実態を知っていただくという大きな力になって行く。それがもっと言えば、被害者というのは大変なんだ、被害者になってしまうと大変なんだという地域の皆さんが理解をしていただいて、被害者の方を支えていかないといけないなという意識を高めていただける原動力になるのは、こういったボランティアの方ではないかなと私は思います。ですから、こういった団体に1人でも多くのボランティアの方が参加をしていただけるというのは非常にありがたいということなのです。

これはこの時の新聞報道なのですけれども、7つのNPOが結集して、こういった買い物とか、洗濯とか、こんなこともやりますよと。これは直接支援と言いまして、民間団体の大きな任務と言いますか、そういう中身なんですけれども、なかなか生活支援がこういったところまでは出来たところは少なかったようですけれども、やっぱり不安感というのはすごくあるので、誰かが定期的に来てくれるというだけでも非常に心強いというようなことがあったようです。

被害者支援というのは1つの機関だけで出来ることって本当に数少なく、わりと幅が狭くなってしまうのですね。警察は発生直後の危機介入的なところがあるかと思うのですけれども、行政は地域の一番身近なところにあります。民間団体というのは県下に1つくらいしかないのです。隅々までいろんなことが出来ると言ったら、行政、役場ですね。市役所とか、区役所とか、町役場というようなところがやっぱり一番身近なところだと思うのですね。そういったところが被害者支援の中心になっていただくということと、やっぱりそういう法律の関係、医療の関係なんかもみんながそれぞれの出来るところを力を出し合いながら、連携をしながら、1人の被害者を支えていくというのが今後のあるべき姿なのかなということで、この連絡協議会というのは平成10年頃から全国で立ち上がって、全ての都道府県にあります。この活性化というのは今後の課題ではあるんですけれども、私たち兵庫県警はこの列車事故を体験しまして本当に被害者支援連絡協議会があって良かったなと思ったのです。これだけのたくさんの行政機関もそうですし、専門機関の方、集まっていただくというのは本当に大変なんです。被害者支援って何なの?というところから始めると本当に大変なんですけれども、今回このことで何も説明しなくてもすぐに集まっていただけた。実務担当者の方々に集まっていただけて、情報交換が出来て、動けたというようなことが非常に良かったなと思うのですね。皆さんもこれは年に1回だと思うのですけれども、こういった会合に出るの大変だなと思われるかもしれないんですけれども、日頃のこういう研修というのは、やっぱり何かあった時には、ああ、そうだ。被害者ってこんななんだって、こういう時にやっぱりタンス貯金みたいなものでね。銀行に預けてしまったのではなかなか持って来れませんけれど、タンスの引出しにいろんな情報を詰め込んでおいて、必要な時に出して、あ、これだこれだということで出して使うということが大切なことで、この連絡協議会を是非活性化していただきたいのです。この地域で、被害者の方が孤立してもうここには住みたくないというふうなことにならないように、被害に遭ったけれども、ここに住んでいて良かったと。いろんな方に助けてもらって何とか立ち直れたというようなことになればいいかなと感じます。

というところでお時間が参りましたので終わらせていただきます。(拍手)