関係機関・団体と連携した犯罪被害者支援促進モデル事業

体験報告(あすの会会員による)

犯罪被害者等に関するテーマ別啓発事業(大阪府)
「あすに生きる-犯罪被害者- 地域社会の支えを考えるフォーラム」

体験報告(あすの会会員による)1 体験報告(あすの会会員による)2
一井 彩子
一井 彩子
坂井 尚美
坂井 尚美
伊藤 裕
伊藤 裕
市原 千代子
市原 千代子
岡本 真寿美
岡本 真寿美
上内 勇一
上内 勇一
寺田 真治
寺田 真治
林 友平
林 友平

司会 被害者を取り巻く環境は西暦2000年を境に大きく変化し、2004年の犯罪被害者等基本法制定で、被害者の権利が認められ、さらにより良い方向に環境が変化。これらのことを念頭に置いてお聞きいただければ幸いです。

坂井 私から事件概要を説明させていただきます。

一井 そして私のほうから幾つか質問をさせていただきます。

坂井 それでは始めさせていただきます。まず伊藤さんですが、伊藤さんは奥様と息子さん、娘さんの4人で暮らしていらっしゃいました。2001年12月14日、兵庫県姫路市のファミリーレストランの駐車場にて、息子裕一さん(当時26歳)は、交際していた女性の車からバッグを盗んだ男の逃走を阻止しようとして、男の乗った車の前に立ちふさがり、ひき逃げされ、死亡されました。その後、個人で懸賞金をかけ、ビラまきなどをされました。

一井 伊藤さん、犯人が逮捕されたのはいつですか? 事件発生からどのくらい時間がたっていましたか?

伊藤 はい。2003年の6月26日、事件から1年6か月後に犯人が逮捕されました。

一井 犯人はどんな人物でしたか?

伊藤 犯人は逮捕時31歳、前科5犯の無職の男でした。息子が被害に遭ったのは、出所してたった7か月後のことで再犯しておりました。

一井 前科5犯ということですが、どのような罪を犯していましたか?

伊藤 窃盗、覚せい剤、傷害、車上荒らしなど、ありとあらゆるものをしておりました。息子の事件では強盗殺人で起訴され、無期懲役を勝ち取りました。

一井 出所してわずか7か月に窃盗を行い、とがめられ、結果、息子さんの命まで奪ってしまったということになります。刑務所のあり方について、どのように思っておられますか?

伊藤 事件に遭うまでは、刑務所とは罪を犯した人間に対し、罪に相当する罰を与え、償わせ、更正させるところだと思っておりました。しかし、何の反省もなく、罪を重ねてきた被告を見て、一番悪いのは被告だけれども、そんな人間を簡単に刑務所から出して、社会は、裕一という最愛の息子を殺されたことに対して、誰も責任を取っておりません。そのことに憤りを覚えております。

一井 懸賞金をかけるまでの思いと、それに至るまでの周りの支えについて教えてください。

伊藤 警察から情報が入らず、捜査を続けているのかどうかとても不安で、自分たちでできることは何かないかと考えて、懸賞金をかけました。ある新聞記者は、懸賞金をかけた過去の事件の内容を調べて教えてくれました。

また、懸賞金をかけて犯人逮捕に結びついた事件の遺族に連絡を取っていただき、あすの会の会員であるそのご遺族からは、懸賞金をかける際に必要な事柄を教えてもらいました。息子のたくさんの友達や私たちの知人が、一緒にビラ配りを手伝ってくれました。

一井 犯人が逮捕されたときのお気持ちをお聞かせください。

伊藤 それまで手がかりも少なく、捜査も難航し、憔悴感も募っていました。しかし、警察が地道な捜査を続けていただき、犯人を逮捕し、非常にうれしかったです。主犯だけでなく、犯行グループ5人も一緒に逮捕され、驚きと共に感謝の気持ちでいっぱいでした。

一井 もしまだ犯人が逮捕されていないとすれば、どんなお気持ちだったと思いますか?

伊藤 今の自分の気持ちとしては、考えられません。まだ犯人が逮捕されていなかったときは、この怒りをどこにぶつけていいのかと、気が変になりそうでした。

しかし、今も事件が未解決の被害者の方がたくさんおられます。その心中を思うと、身につまされるとか、胸がいっぱいだとか、そんな言葉では到底言い表せません。その重苦しい気持ち、苦しい気持ちになってしまいました。

一井 未解決事件の被害者の方は、全国にたくさんいらっしゃいます。何かアドバイスがあればお願いします。

伊藤 はい。事件に対しては、被害者が直接できることは何もないので、社会に向けてビラ配りなどをして、事件を忘れ去られないようにするのが一番だと思います。そのためには警察との連絡を密にし、マスコミの方にも協力していただいて、これはアドバイスというよりは警察やマスコミさんに対するお願いです。被害者が警察やマスコミと意思疎通をきちんと図り、心のつながりを持てる状況を作ることが一番大切だと思います。

一井 ありがとうございました。

坂井 続きまして市原さんですが、市原さんは事件当時、ご主人と2人の息子さんとお嬢さん一人の5人家族で、長男さんは独立しておられ、4人での生活でした。

1999年3月17日の夜、当時18歳だった次男圭司さんは、19歳と20歳だった先輩2人と、18歳だった同級生の一人、合わせて3人の男たちに呼び出され、その後、彼らから電話に出なかったなどの言いがかりをつけられ、殴る蹴る、川に蹴り落とされる等の集団暴行を受け、翌18日のお昼過ぎに亡くなられました。

一井 市原さん、事件当時の少年たちの年齢と、市原さんの住居からの直線距離を教えてください。

市原 はい。主犯のAは20歳の成人で、私の家から事件の現場となったAの実家近くの空き地までは直線距離で200メーターです。Bは19歳でしたが、事件直後に20歳となりました。Cは圭司と同級生で、18歳でした。このBとCの家は私どもの家から3キロほど離れていますが、主人の父親の実家がある地域で、私たちも現在の家を建てて引っ越してくるまで同じ地域に住んでいました。

また、我が家のブロック塀を隔てた東隣にはBのおじさんが住んでいて、Bや家族が出入りしたりしていました。

一井 刑事裁判と少年審判の結果を教えてください。

市原 成人だった主犯のAと、事件直後に20歳になったBは刑事裁判となり、Aは求刑6年に対し、懲役4年の実刑。Bは求刑5年に対し、懲役3年、執行猶予5年、保護観察付きでした。18歳だったCは少年審判で中等少年院送致でした。

一井 その少年たちは現在どのように過ごしているのか、わかる範囲で教えてください。

市原 Aは少年刑務所で4年間の服役後出所をしてきて、現在は親の家に同居をし、結婚をして、子供も生まれているようで、車を運転中に道ですれ違うこともたまにあります。Bは刑事裁判中に直接謝罪をしたいと保釈を申請し、1999年12月にそれが認められ、拘置所を出所してきて、その一ヵ月半後には仕事に就きました。執行猶予の付いた2000年8月の刑事裁判の判決後、しばらくは実家にて暮らしていたようですが、現在は親元を離れ、多分結婚もして、新たな生活をしているようです。Cは中等少年院での1年半の処遇を終えた後、実家に戻り、現在も実家で生活をしています。

一井 犯人たちとその家族が被害者宅に隣接している場合の生活について、また、近隣の支えについて、望ましい姿を教えてください。

市原 私どもは近隣からの支えというものはほとんどなく、ある意味孤立して生活しているというのが正しいかもしれません。例えば、地域のガソリンスタンドや銀行、郵便局に行くと、加害者やその親に遭遇することがありますし、地域の行事など、お付き合いで仕方なく出かけていっても、また知り合いの方のお葬式にお参りしても、そこで加害者たちに遭遇することがあります。そういう状況なので、今でもなるべく地域では目立ったことや派手なことはしないように、ひっそり暮らしているのが実情です。

また、我が家の菩提寺はすぐ近くなのですが、法事などのお願いをして来ていただいても、住職さんは仏事が済まれるとさっさと帰っていかれます。

一井 その住職さんがさっさと帰られるのはなぜですか?

市原 実はBの実家もこのお寺の檀家です。また、この住職さんは保護司をしておられ、Bの保護司として彼の執行猶予中の保護観察を担当されました。ちなみに、この住職さんは私の高校時代のクラブの先輩でもあり、3人のお子さんのうちの2人が、私の残された子供たち2人と同級生で、残る長男さんは加害者A、Bの同級生です。そういうこともあってか、過去にはもう少し親しかった関係も、今は希薄になっている感じで、こういう状況は地域で暮らしていく中のいたるところにあるというのが実情です。

一井 少年法があり、被害者ではなく加害少年を守ることが重要であるという意識が根底にあるということでしょうか。

市原 少年法の問題というよりも、地域の人たちの興味本位なこと以外の部分での無理解と無関心にあるように感じています。

一井 別の観点からお伺いします。市原さんは犯人に対し、民事訴訟をしましたか?

市原 はい、しました。損害賠償を提訴したときには、A・Bの同級生を持つ私の親しい友人からは、そんな大金を彼らに請求するなんて、払えるわけがないだろうと非難めいたことを言われたことがあります。また日常会話の中でも、AやBはいい子だったのに、とてもそんなことをしたとは思えないと言われたことも一度ではなくあります。判決は、第一審では9,000万円余りが認められ、控訴審では主犯に対して800万円が上乗せされました。

一井 判決に従った支払いはなされているのでしょうか。

市原 いいえ。事件から丸9年半が経過し、2003年7月の控訴審の判決から、すでに5年が経っていますが、いまだに1円も受け取っていません。私たちはお金がほしいからではなく、どうして息子が殺されなければならなかったのか、加害者たちから直接聞きたいと思い、民事訴訟を起こしたのですけれど、1億近い金額に興味を引く形の報道により、私どもに好意的な感じを持ってくれている人たちの中にも、加害者側からお金を受け取っていると思っている人たちが多い気がします。

一井 あと、事件後の息子さん、お嬢さんのことについて教えてください。

市原 長男は事件当時県外で独立していたので、生活に大きな変化はなかったと思います。でも、娘は中学校の卒業式の日に兄の事件に遭い、地域で暮らしていく中で、私たち大人以上に大変な部分はたくさんあったと思います。

でも、16歳だった娘はそういう思いを言葉にすることができず、春休み終了後に新たな生活を始めたのですけれど、言葉にできない思いを抱え、反抗的な態度や問題行動を取らざるをえなかった状況がありました。そうすると同級生からは異端児として扱われ、学校に行くと机の上にごみが置いてあるなどのいじめを受け、最終的には無視をされ、お弁当も一人で食べるようになっていたようです。

また、先生に対しても問題行動や反抗的態度はあったようで、そうなると先生からは問題児として扱われました。子供というのは家庭と学校で多くの時間を過ごしますが、そのどちらも安心できないことを知った娘は、安心できる場所を見つけるのに長い時間がかかりました。

私はこういう被害者の現実を社会で少しずつ知ってもらうしかないと感じていて、現在、岡山県内の学校やその他のところで被害者の現状を話す機会を持たせていただいています。

一井 ありがとうございました。

坂井 続きまして、岡本さんですが、岡本さんは平成6年2月、岡本さんと同じ職場の同僚に好意を抱いた犯人が、交際を求めたけれど断られ、何の関係もない第三者の岡本さんにガソリンをかけ、火を付けたという事件です。命はかろうじて助かりましたが、全身に及ぶ火傷は日常生活に重大な影響を与えています。犯人は1か月後、逮捕されました。

一井 岡本さんに質問させていただきます。ガソリンをかけられ、火を付けられたショックは大変なものだったと思います。それについてお話しください。

岡本 はい。その当時、ガソリンをかけられたとき、自分の中では生きているのか死んでいるのかわからない状態だったとしか言いようがありません。また、犯人が私に「死ね、死ね」と何回も言っているのを覚えていました。それを聞きながら、自分にとにかくしっかりしなきゃ、意識をしっかり持っていなきゃと言い聞かせていました。

一井 医療機関の対応について、感じたことがあれば教えてください。

岡本 はい。形成外科医の医師の方はもちろんですが、ICUの看護婦、スタッフの方皆さん、麻酔科の看護婦さんや先生方、たくさんの方にすごく助けられました。もしその先生方がいらっしゃらなかったら、私は助からなかったと思っております。本当にありがたかったです。どれほど救われたか本当にわかりません。

この外傷を先に治さなければ、次に進まないということで、必死になって治療してくださいました。その姿に、私も心を打たれ、できるだけ泣き言を言わず、がんばろうと思いました。

皮膚移植の手術が済んだ後、先生の背中には汗がびっしょりだった姿を見たとき、命に向き合う仕事をされている方と思い、誠実さを見、心の底から、ありがとうございます、と改めてお礼を言いました。

一井 2000年以前、つまり平成12年以前、犯罪における医療費は被害者負担でした。被害者施策はほとんどなかったからです。社会全体が被害者の実態に目を向けることはなかったからでしょう。岡本さんの事件は平成6年です。当時のお気持ちをお聞かせください。

岡本 病院の先生をはじめ、スタッフの方々に命を救っていただきました。そして私の医療費は当然犯人が払うものだと思っていました。しかし、私に400万円以上の請求書を渡されたのです。なぜ、被害者である私がそれを支払わなければならないのか、理解に苦しみました。全身火傷で何回も皮膚移植を行わなければなりませんでした。その原因を作ったのは犯人です。医療費やいろんなものを弁償しなければならないのは犯人のはずです。いまだに、犯人、加害者からは何の弁償も補償もありません。

一井 事件以前、被害者の医療費はだれが負担するのか、だれが負担すべきかについてどう考えておられたか教えてください。

岡本 事件以前は、私は犯罪をした人間が当然負担するものだと思っていました。犯人に支払い能力がなければ、その家族が支払うべきではないかと、ずっと思っていましたね。

一井 裁判の結果と、犯人は現在どうしているのか、教えてください。

岡本 公判中、裁判所から証人として証言するよう、していただけるかということで依頼がありました。そこで一人ではどうしても立てなかったために、両親と共に裁判所へ行きました。

そこで、私は何にも悪いことしてないのに、こんな目に遭いました。裁判官、あなたのお子さんが私と同じようにこんな目に遭ったとしたら、そんな思いをしても、犯人を許せますか? と言いました。私と同じ目線で判決を下してくださいという気持ちがほしかったからです。

でも、その判決は求刑が7年、そして判決が6年でした。犯人は事件以来、何度も苗字を変えています。出所後も新たな苗字で結婚し、子供も生まれ、仕事は人を雇って会社を現在経営している社長になっています。それでも医療費はいっさい支払ってもらっておりません。

一井 謝罪はありましたか?

岡本 謝罪などいっさいありません。謝罪をしてもらっても、この体は一生元には戻りません。心の傷も治りません。医療費すら支払わない男に罪の意識はあるとは思えません。そういう犯人の謝罪、どんな意味があるのでしょうか。謝罪があったとしても、私はそれをどうしても理解することはできません。

一井 ありがとうございました。

坂井 続きまして上内さんですが、上内さんの事件は2007年10月6日、寝屋川市内のコンビニ店に勤務していた27歳の息子さんが、窃盗をした犯人を追いかけ、結果、刺されて死亡されました。犯人は15歳と19歳の少年でした。15歳の少年は強盗致死で中等少年院送致、19歳の少年は強盗殺人と銃刀法違反で逆送され、地裁で無期判決が出まして、現在控訴中になっています。

一井 上内さん、署名活動を展開され、鳩山法務大臣に面会され、提出されたわけですが、それまでの思いをお聞かせください。

上内 はい。息子と別れの日に、私は、何と言うかな、息子に固い約束をしたわけです。正義感と、使命感で犯人を追いかけた、その勇気と行動を絶対無駄にはしてはならない。そして親として、家族として、できることを精一杯やっていくんだと。

加害者は少年ということで、少年法で守られているわけですね。被害者の権利はその当時、無権利状態に等しいと、そんな状態でした。家族や息子の親友たちが、なんとか今の少年法を改正したい。そして息子の無念さを晴らしたい。そういう強い思いから、署名を集めようと、取り組んでいこうということにしたわけです。はい。

一井 上内さんは一つの事件で傍聴ができる地裁と、傍聴できない家庭裁判所の裁判を体験されたわけですが、今年6月、少年審判の傍聴が可能になる法律が成立しました。これについてご感想をお聞かせください。

上内 はい。率直に少年審判の傍聴が可能になったことを心から喜んでいる次第です。傍聴することによって、事件の事実や真実を知ることができるというふうに考えています。

一井 昨年10月の事件ですので、弁護士会、警察、検察庁、裁判所には被害者相談窓口がすでに設置されていた時期ですが、そこで相談はされましたか? もしくは、それらがあることの情報を提示されましたか?

上内 はい。警察署とか、あるいは検察庁、裁判所、そこへ何度となく足を運んだわけですけども、そのとき担当者から相談窓口のパンフレットの提示はございました。しかしながら、手渡されただけで、詳しい内容の説明には至りませんでした。

事件後、毎日のように弔問客が絶えませんでしたし、仏事や報道の取材ですね。これへの対応。それからこういう事件に遭いますと、諸手続きをたくさんしなければなりません。こういった問題にも追われまして、その時点、精神的苦痛も抱えながら進んでまいりましたんで、なかなか相談窓口に行くという余裕はありませんでした。以上です。

一井 ありがとうございました。

上内 ありがとうございました。

坂井 続きまして、寺田さんの事件ですが、平成15年2月21日午後10時45分ごろ、NTT番号案内の仕事を終え、最寄り駅より近隣住民がいつも利用する歩行者道路を帰宅途中、強盗を目的としたであろう何者かに大腿部を刺され、失血死しました。いまだに犯人は逮捕されておりません。

一井 寺田さんは奥様、16歳と11歳の息子さんの4人で暮らしておられたわけですが、事件後の生活はどのように変わったのでしょうか。

寺田 約2週間は私の母親が来てくれていました。その後は各自でできることは自分でするようにしました。食事は食材の宅配を頼むようにしました。最初は慣れなくて、肉じゃがに2時間もかかってしまいました。

あと困ったのが、生活費の銀行自動引き落としです。キャッシュカードを入れた財布の入ったバッグを取られていましたので、事件直後の気持ちの混乱もあり、銀行への連絡は警察の方にお願いしたのです。通帳の切り替えを早くしておかないと引き落としがスムーズにいかないと思いましたし、配偶者死亡の忌引き休暇が5日間で、その間に手続きを済ませておきたいと焦りました。

暮らしを振り返ってみると、子供の年齢がもう少し低かったら、もっときつかったろうと思います。また、近所の人から、「お父さん、息子さん2人で良かった。女の子やったら娘さんを置いて仕事行ってられへんよ」と言われ、確かにそうだなと思いました。

一井 事件当初の地域社会の支えと、現在必要と思われる地域社会の支えの必要性に変化はありますか?

寺田 須磨警察警務課からの連絡で、区役所福祉課の方が来てくれたのですが、「すいません、母子家庭にはいろいろ支援の制度がありますが、父子家庭にはこれといった制度はないのです」と言って帰られました。そんなものかなと思いました。

ボランティアで地域の一人暮らしのご老人家庭などにお弁当を作って様子を見たりしている活動があると聞きますが、そういったことはあれば良かったかなと思います。また、私のところはまだ犯人が捕まっていないわけです。ひったくり事件が近くで起こっている新聞報道も目にします。そのことに対して地域として不安はないのか、何か活動されているのか、教えてほしいと思います。

一井 寺田さんを支えてくれたことは現実にありますか?

寺田 民生委員の方や学校、特に担任の先生はいろいろ配慮してもらったように思います。

一井 実際の体験から、今後必要な支えとは何か、教えてください。

寺田 いまだに捕まらない犯人、事件に対し、負けてたまるかとの思いで過ごしています。支えというより、理不尽な事柄について一緒に憤ってほしいなと感じています。なぜ犯人逮捕に至らないのか、検証してほしいとも思っています。捜査のこと、どんな障害があったのか、などです。

被害者連絡実施要項の改正通達が平成18年12月7日付で出ています。良い内容の通達なので、実行されればと思います。また、公訴時効について廃止に向けての議論を盛り上げてほしいと思っています。

一井 ありがとうございました。

坂井 続きまして林さんですが、林さんは一人娘の当時19歳であった杏奈さんを事件で亡くされました。1998年2月19日、東大阪市内のカラオケボックスで、一人でアルバイト勤務をしていたところを、客を装って入ってきた男に刃物で数か所を刺されました。レジの中から4万円余りを奪って逃走。同年3月27日、同市内で別の事件で取り調べを受けていた無職の男(当時43歳)が、カラオケボックスで女子店員を刺したと自供し、強盗殺人容疑で再逮捕されました。事件発生から36日目の逮捕でした。

当時、林さんは奥様と息子さんと杏奈さんの4人で暮らされていました。

一井 まず、地方裁判所での公判は何回行われましたか?

 1998年6月9日が初公判で、翌年の12月7日第14回公判にて判決が下されました。無期懲役です。14回すべて傍聴しました。

一井 控訴したのはどちらでしたか?

 犯人側です。

一井 高等裁判所での公判は何回でしたか? 公判の結果もお願いします。

 高等裁判所では2000年の10月11日、控訴審判決の1回目が行われ、2001年4月11日、4回目の控訴審判決で控訴棄却の未決勾留期間420日を差し引いた無期懲役が確定しました。都合18回の裁判を傍聴しました。

一井 傍聴の際、勤務先はどのような対応をしてくれましたか? 公判が長引くにつれて、対応に変化などはありませんでしたか?

 地裁・高裁を含めて18回すべて傍聴しました。娘を殺された親の務めと今思っております。勤務先でのことですが、地裁での3回目の公判を傍聴する際に、経営者に休暇を願い出ましたところ、「仕事が忙しいのにまた裁判か」と言われました。4回目の公判も、「また裁判か」と顔をゆがめながら、舌打ちまでされました。事件発生からまだ半年余りで、犯人に対する憎しみと、娘を失った悲しみの日々の中で、妻と私はせめて裁判の中で事実を知りたいと思い、経営者のあまりにも冷たい態度に腹立ちがし、また情けなくもなりました。

裁判はこれ以後、何回続くかわからない状態でしたが、私たちは親として、たとえ会社を解雇、または不利益な取り扱いをされても裁判傍聴は続けようと決心しました。経営者はそれ以後、何も言わなくなりましたが、素っ気のない返事が返ってくるだけです。

一井 裁判員制度が来年5月より始まります。裁判員になる方には交通費と日当約1万円が支払われるようですが、これらについて自らの体験から感想をお聞かせください。

 裁判員制度に選ばれる人たちは、休暇を与えられること、また、休暇を取ることに関して経営者は解雇・不利益な取り扱いをしてはいけない等の規定が盛り込まれました。それに交通費、日当が保証されると聞いております。これらと同様に、被害者も裁判傍聴特別休暇制度を作ってもらいたいと思っております。交通費の支給も行ってほしい。なぜ被害者が裁判まで自腹で行かなければならないのでしょうかと思います。できることなら犯人側が支払うべきかと思います。無理なら国が出しても良いのではないかとも思います。

この12月に被害者参加制度が認められています。不利益はすべて被害者に押し被せられてきたと思っております。裁判員制度に選ばれた人、同等の権利を被害者参加人にも与えてほしいと、今思っております。

一井 ありがとうございました。