関係機関・団体と連携した犯罪被害者支援促進モデル事業

講演:「犯罪の心の理解とその支援」

大学生の社会参加活動促進事業(北海道)

善養寺 圭子(社団法人北海道家庭生活総合カウンセリングセンター 北海道被害者相談室長) 善養寺 圭子
(社団法人北海道家庭生活総合カウンセリングセンター 北海道被害者相談室長)

ただ今ご紹介いただきました善養寺と申します。カウンセリングセンターの中に、レジュメに書いてあるように被害者相談室というのがあって、平成9年から活動をしています。平成9年に北海道被害者相談室というのが立ち上げられて、そして今まで11年間、被害者の支援のために活動を続けています

ご案内のあったように、平成16年に国に犯罪被害者等基本法ができて、その基本法に基づいて、基本計画ができて、北海道のほうでも平成19年に支援基本計画ができて、またますます被害者の支援が広がった、輪が広がったという、そういう段階に来ておりますけれども、なかなかご理解を得るというところが難しいなというふうに思います。

なぜかというと、他人事なのですね。被害者の人とお話をしていると、全く予想もしていないところで被害に遭いますので、明日は我が身で、もしかしたら自分も被害者になるのかもしれないと思っても不思議ではないのですが、でも支援の人たちとお話をしていると、どうしても遠い、遠いところで出来事が起きているという認識が、まだまだあるんだなと感じられます。

毎日毎日いろいろな形の事件が報道されています。その一つの事件が起こるたびに、たくさんの被害者がその周りにできる。これはちょっと想像すればわかるだろうと思いますが、その被害者の人たちがどんな心で毎日を生活していて、そのために私たちは近隣の者として、同時代を生きる者として、どのような支援をすることが一番被害者のためにとっていいのか。それはイコール自分が被害者になったときに、どういう救いを求めたらいいのかということにもつながっていくので、是非そういう立場で聞いていただければと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

明日、12時から、札幌駅のコンコースで、キャンペーン活動を行います。これももう何年もやっているのですが、最初は私どもだけでやっていたのですけれども、被害者が大変な思いをしているから、だからみんなで被害者の心を理解して、支援をしましょうという、そういう働きがありまして、元々被害者に直接接する一番最初の公的な機関である、警察の方は始めのうちから一緒にやっていたのですが最近では、今ごあいさついただいた北海道とか、司法のほうの関係で、法テラスというお名前を聞いたことがあるかなと思いますが、司法支援センターというところにも協力いていただいております。被害者の権利の回復、権利をずたずたにされてしまった、その権利の回復をするためには、法律的なサポートも不可欠なものですので、弁護士さんが一緒にやってくださったりとか、それから、今年から初めて学生さんのボランティアが入っていただける。こんなような形で広がっていくのが望ましいのだろうと思っていますが、そのキャンペーンをする予定になっております。

そもそも被害者相談室を平成9年に立ち上げたのは、北海道家庭生活総合カウンセリングセンターという、非常に長い名前の団体でございます。一番最初にカウンセリングとは何?というような形で、一般の人たちにカウンセリングの学習をしていただいて、そして生活相談を受けながら、人生をより良く生きるために、-生きる意味-の対話というふうに私どもは言っているのですが、それこそ中学生から70代の方々までのご相談を受けている、そういう団体があって、もう42年間、仕事をしています。そこでこういう電話相談とか、面接相談をやっている中で、被害者相談ということを平成9年から立ち上げたということになります。

そうですね、被害者の心理について、一番皆さんには聞いていただきたいなと思いながらいるのですけれども、まず被害者支援がどうしてこんなに広まったかということについて、レジュメの2番目ですけれども、お話をさせていただきたいと思います。

犯罪が、この頃ちょっとわけの分からない犯罪が多くはなりましたけれども、かつてからたくさんあったことは、もう若い皆さん方でも毎日の犯罪を目の当たりにすると、おわかりいただけると思います。そもそもは昭和35年に、通り魔殺人事件によって息子さんを殺された市瀬さんというお父さんとお母さんが、被害者遺族といいますが、そのお父さんとお母さんが、このような思いを二度とほかの人たち、国民の人たちにさせてはいけないと、そんな思いでビラを配りながら、被害に遭った人たちに優しく接するような社会を作っていきましょうと呼びかけがあったということはあるのですけれども、公には昭和49年の三菱重工爆破事件というのがあったのですね。

皆さんはこの頃はまだ誕生はしてらっしゃらなかったですね。そのときに、死者8名、重傷者376名という、たくさんの方がけがをなさった、亡くなったということで、犯罪被害者等の給付金支給法というのができたのです。突然事件に巻き込まれて亡くなってしまった、重傷を負った、だけれどもそのための手当てというのが何もないというところから、この給付金支給法というのができました。その支給法ができて10年経ったシンポジウムの席で、交通事故でちょうど皆さんと同じぐらいのお年の方。大学に入って、これから大学生活を送りながら将来を夢見ていた1人の青年、ご長男を亡くされた方が、そのシンポジウムの席で発言をしました。ちょうどレジュメの3番目ぐらい、平成3年に書いてある犯罪被害者等給付金支給法10周年の記念シンポジウムでの被害者遺族の発言が被害者支援のきっかけになっています。

どんなことを言ったかというと、「私の息子は去年の10月12日、飲酒運転者に殺されました」。交通事故の被害者の方は事故とは決して言いません。事件だと。殺人事件だと言う。交通事故のことも。「飲酒運手者に殺されました。殺された後の数か月間、私はどうやって生きていけばいいのかわからず、本当に無我夢中で、日本には何か私を精神的に助けてくれるところがないのかと、必死になって探しましたけれども、何もありませんでした」。

その頃は、専門家の人たちは、被害者の人はそんなに自分が被害者だということを言えないのではないか。言うということを考えていないのではないかというようなことが言われていたのですけれども、被害者の立場になりますと、「『はい、私が被害に遭いました』と大きな声で言って、大きな声で泣ける。そういう社会ではありません。今の日本では大きな声で泣きたくても泣けないのです。ただじっと自分で我慢しなければならないのが今の日本における被害者の姿だと思います」ということで、被害に遭った人たちが、または被害者遺族になった人たちが、自分で自分の気持ちを立ち上げていかなければならないのだけれども、専門家の人の支援がどうしても必要なのだということを、平成3年に発言したのがそもそものきっかけになっています。

それを受けて平成4年に東京犯罪被害者相談室ができて、その後もいろいろな形でお聞き及びと思いますが、阪神淡路大震災が1月17日に起きて、地下鉄サリン事件は3月の20日でしたか、そのころに大きな災害、一つは災害ですが、それからオウム真理教にサリンをまかれてしまったという、またまた大きな事件が起きた。それを受けて平成8年に、大阪にボランティアによる被害者支援というのができて、今、それがきっかけになってどんどん広がっていって、平成9年に私どもの相談室ができたのですが、このときはまだ全国で5番目でした。5番目で、まだまだだったのですが、今は全国で47個所の支援センターがあります。だから都道府県ないところはないと考えてもいいぐらいに、たくさんの人が被害者支援に関わっているという現状があります。

それと同時に、今基本法の話も出ましたけれども、基本法ができたり、それから警察にも対策室から今度支援室という形に変わりましたけれども、被害者を支援していこうとか、いろいろな形がきちんとした制度になって現れていって、被害者を取り巻く環境が、だから良くなったかというと、やはり被害に遭った人の心情というのは、いくら手当てが厚くなっても変わらないということがあるなと思いながら、でも確実に広がってきているということが言えると思います。

学生さんたちもお手伝いをしてくれるというようになったのは、これはとても喜ばしいことだろうと考えております。

平成19年の8月に、先ほどごあいさついただいた、北海道のほうから犯罪被害者等の総合相談窓口という看板をカウンセリングセンターがいただきまして、そして応答する、窓口相談をするというのは私どもに任されていて、そういう看板の下で被害者の人の話を聞いているという現状です。

大体年間1,000件ぐらいの相談が来ます。そして5割から6割ぐらいの数字が被害者、犯罪被害に関わる相談というふうに考えていいと思います。

どんな相談が多いのかというと、特化してこれがすごく多いということはなかなか言えないのですが、性被害とか、それから傷害事件。こういうのが、そうですね、その犯罪に絡む相談の中の、大体2割から3割を占めていると考えてくださっていいと思います。

先日も、大学生の男の子が行きずりの人に、通りがかりの人に傷害を受けたということで、でも気丈にも彼は立ち向かってその人を捕まえて警察に突き出したと。それでその後、犯人に対するいろいろな刑罰ですね。処罰がされるのですけれども、それについては自分は納得ができないと。自分はこういう目に遭いながら黙ってそれを見ているわけにはいかないのだということで、弁護士相談を受けにきたという事例がございました。

性被害も実に多いです。危ないですね。ちょっとした暗がりでも、どうしてというような感じで、一生懸命気をつけていたにもかかわらず被害に遭ってしまうという人が、とても多いというのが今の世の中ですね。

今、全国的に報道で騒がれているのはあれですね。厚生労働省の年金の係をやっていた人の家族の方が傷害を受けたり、それからお2人とも殺されたり。一体何が起こっているのだろうというところで、いろいろ調べられておりますけれども、一つの犯罪の陰にはたくさんの被害者が生まれているということを、是非ご理解いただきたい。

例えば、加害者となった少年たちのところに行って、矯正教育の中でお話をすることがあります。2枚目のレジュメに書いてありますが、被害者の定義。被害者という疾患単位はなくて、被害者は本来健康な生活を送ってきた人であると言われます。健康な生活を送るということはどういうことかと言うと、ある程度ストレスがあっても通常のストレスとか、それから感情とか、そういうものは時間がたてば薄れていくとかね。それからちょっと、こうへこんだような気持ちでも、元に戻るという、そういう自己治癒力というか、人間の心には自然に自分で自分の心のバランスを取るという、そういう力があるはずなのですね。

だけれども、犯罪被害者のストレスはトラウマチック・ストレスといいますが、ここに書いてあるように、心のボールがへこんでも押し返して、また丸く戻す力のあるというのが人の心であると言われておりますけれども、トラウマチック・ストレスというのは、例えばこれを一つの、1人の人の心としますと、これがくちゃくちゃに外圧によってつぶされてしまう。だから二つの手で持たなければ、支えながらバランスを取っているこの心が、外圧によって、自分に何の責任もないのに、不都合もないのに、外圧によってくちゃくちゃにされてしまう。そして片方の手に乗るぐらいの、全くつぶされたような、こういう形になってしまう。これが被害者の心なのです。

トラウマチック・ストレスによって、ばっさりと切られてしまう。自分が処理できる処理能力をはるかに超えた力でつぶされてしまう。こういうような心になったのが被害者の心。昨日まではA4の紙だったのに、今日はこういう形になってしまう。この、昨日から今日の変わり方を、なんともしようがないというか、ただ茫然と、でも現実には茫然としながらも、人が亡くなればお葬式はしなければいけない。それからまつりごとがありますね。七日、七日のまつりごとがあって、そのときにお坊さんを呼んでしなければならない。でもどんどん現実的に、もう長男はいないのだ。それからあの子は死んだのだというふうに思っていくと、認められなくなってくるのですね。そういうことは決して認められない。と、仏壇の前にも座れないというような状態が起こってくる。

そうすると何が始まるかというと、くちゃくちゃになった気持ちが、一所懸命、でも伸びなければ生きていくことができませんので、例えば先ほど言ったように、被害者相談室に来て話を聞いてもらったり、いろいろなことをしながら少しずつ少しずつ伸ばしていくのだけれども、一度ついたしわ、この紙が一度ぐちゃっとつぶされてしまったら、どんなに元の形に戻そうとしても戻らないです。このしわを抱えながら、被害者の人が生きている。

その中でこのしわの中に、いろんなものが入り込んでいく。二次被害といいますが。例えばおうちの中でもお母さんが仏壇の前に座れない。それを見てお父さんのほうが、俺だって仕事があるんだから、大変なんだと。いつまでもそんなことしていて、一体お前はなんというやつだと。だらしがないと言われると、私は生きている価値がないんだ。死んでしまったほうがいいんだと思うお母さん。それからお舅さんにも、いつまでもいつまでも困った嫁だと言われて、なかなか立ち上がっていくということができないというような、そんな思いを持っているのが被害者の心なのですね。

ただ、矯正教育の中で加害者のところに行って、これについて話をしますと、加害者の人は、このしわを、自分は被害者の人にも、それから被害者の家族にも、そして僕の、自身の心にもつけてしまったのだと思う、というふうに言ってくださるのですが、被害者の気持ちは、昨日まではA4のきれいな紙だったのが、くちゃくちゃになってしまって、そして息をするためには伸びなければできないので、一生懸命伸ばすのだけれども、なかなか元の形には戻らない。しわを抱えたまま生きている、ということを一番覚えておいていただきたいと思います。

様々なつぶれ方があります。その次に侵入回避、過覚醒の症状と書いてありますけれども、例えばあるお母さんが電話をかけてきます。そして小学校6年生の自分の子供がお友達と一緒に下校途中に、大きなバスの後輪に巻き込まれてしまった。そして彼女も瞬間脳しんとうを起こして気を失ったのだけれども、目を開けたときに、ぺっちゃんこにつぶれたお友達の頭が目の前にあった。それを見てまた気を失ってしまった。

幸いにも彼女は軽傷で済んだので、事情聴取を受けた後、うちに帰ってきたのだけれども、お友達は即死状態だったのですね。それを目の当たりにして見ているわけです。その心の傷をお母さんはどう扱っていいかわからない。というような形で相談が来ます。何事もなかったように子供は振る舞うのです。あれだけのことがあったのだから、きっとふさぎ込むだろう。食欲がないだろう。いろいろなことでお母さんは気を遣うのだけれども、子供は何事もなかったようにしている。これって何ですかと。私はどうしたらいいのですかという電話が来る。

被害者の心はぐちゃっとつぶれた瞬間に、回避をするといって、自分の身の上に起こったことを、あたかもなかったことのように考えて処理をする。これは人間のすごい力ですね。これ以上私の身に何かが起こったら、私はとても自分を保つことができないというときに、その回避状態が起こるということ。そういうような相談があります。

それからフラッシュバックというものは一般的に非常に多くあるのですが、これは一度被害に遭ったら一生続くと思ったほうがいいかもしれない。少しずつ良くはなりますよ。治療を受けたり、話を聞いてもらったりしながら、あれはもう終わった出来事なのだ。自分は過去のこととしてそれを考えなければ、もうこの先生きてきていけないのだということで、少しずつ片付けてはいくことができるのだけれども、でもあるとき似たような状況が起きたら、もうガタガタガタガタ震えて、部屋の隅で丸くなって、口をきくこともできなくなってくる。

ある性被害を受けたお嬢さんは、一生懸命、そのお嬢さんが自殺をしてしまうのではないかと心配をした恋人によって助けられましたね。そして新しい生活を始めていくということをしたのですが、その2人に子供さんができて、子供さんにおっぱいをやっているときにフラッシュバックが起きたのですね。生身の自分の体ですから。そこに赤ちゃんがお母さんに添ってくることが、あるとき突然犯人の顔に重なっていった。何が起こるかというと、赤ちゃんを思いっきり投げ飛ばしてしまう。それほどひどい心の傷なのです。

そのときにそれを見たご主人が、このままだと子供も自分も、彼女も全部だめになってしまう。だから何かしわを伸ばすときに手伝ってもらう手立てがないかということで、相談室のほうに来たのですが、私の顔を見るなり、こう言いました。「私は一生人を恨んで生きるんだ」と。「こんなことは考えてもみなかった。」被害者の人は、全然自分に何の罪もないのに被害によって、外圧によってぐちゃぐちゃにされて、そしてそのぐちゃぐちゃにされた恨みのようなものをずっと抱えて生きていかなければならないという。被害者になってしまうという。なることを余儀なくされてしまうという。そういう大変なところがあります。

で、フラッシュバックが起きるというのは、何年経ってもこれは起きるというふうに思いながら、それから回避をする、感覚の麻痺というか、何事もなかったように処理をしてしまうという、いつもと同じような生活をしてしまうというようなときには、あ、回避状態なんだなというふうな理解の仕方。それからちょっとした物音にも非常に敏感に反応するとか。寝られなくなるとか、いらいらするとか、そのようなことが起こると、あ、過剰覚醒が起きているんだなというふうなこと。PTSDの前に急性ストレス障害という形で出てきますが、その急性ストレス障害が長く1か月以上続くと、PTSD、Post Traumatic Stress Disorderといいますが、そういうような診断になる。

このPTSDの診断に何が一番効果的かというのはまだまだわかっていません。被害者の「被害者学」といいましょうか、に対する医学の進歩は著しいものがあるのですが、人には個人差があるように、こういう精神療法がこの人に一番これがぴったりということが、それぞれ全部違うというところがあって、何が一番いいのかというのはまだまだ研究の段階ではあるのですけれども。とにかくこういうような症状で来た人には、こと細かく話を聞くことはやめます。あまり話を聞くとフラッシュバックが起きますので。そしてガタガタガタガタ震え出すということがあるので、あまりこと細かく話を聞かない。

では何をするのだということになると、そうですね、時間を共有するということでしょうかね。つらい、大変なときの時間を一緒にそこに居続けるというようなことで、安定した気持ちを担保していくということをやります。

ある性被害のお嬢さんは、顔見知りの男性に被害を受けました。だから誰にも言えない。どうせ言っても、あんたも悪かったんじゃないのと言われるに決まっているから、誰にも言えないけれども、自分はまさかだったので、非常に心に傷が付いた。それで被害者相談室に通ってきていましたけれども、最初は誰にもわからないように変装してやってきました。だけど少しずつ心が、あ、ここに来れば私の本当の気持ち、いろんなことがわかってもらえるんだということと、もう一つは、PTSD状態。いろいろな急性ストレス障害、ASDの状態があるときには、大事なことは決めないでおこうというようなことが、鉄則の中にあります。

だからあることで迷って、このままではだめになってしまうから、何とかしなくてはとがんばっても、がんばりすぎないようにしようね、というような、そんなようなサポートをしながら関わっていきますね。そうすると、何回か会っているうちに、1週間に1回ぐらいのカウンセリングでお会いしますけれども、何回か会っていくうちにだんだんと変装状態も解けていく。帽子を外す。それからサングラスを外す。マスクを外すというような形で、元々彼女が持っていた姿を現してくださいます。

そして病院に検査に行って、今はあれですね、性被害に遭うと警察の婦警さんが支援、指定事件の支援要員として病院に連れていってくれます。そして検査を受けさせてくれます。で、妊娠しないようなお薬も投与してくれます。それで、それが終わると大体1週間ぐらいかかる。その後に心の手当てとして、被害者相談室にやってくるというようなケースになるのですが、そのときはまだそういうシステムがなかった。これはできてから2年、まだたった2年しか経っていませんので、そのときはなかったのですが、その5回ぐらいの面接の後に、彼女は元々の彼女の姿を現して、にこにこしながら相談室にやってきました。

それまではもう人に会うのさえも怖いというような感じだったのが、にこにこしながらやってきて、言った言葉は、「先生、もう大丈夫。もう私は生きていける。大変なときに一緒にいてくださってありがとう」と言いました。

だから犯罪被害者の、不条理にもその外圧によってくちゃくちゃにされた気持ち。その気持ちのしわ伸ばしを私たちがお手伝いする。サポートしながら見守っていくというのは、彼女の言った、大変なときに一緒に、私がそばにいますよという、そういうメッセージ。それしかできないと思っていいのではないか、と思いますね。

それが欠けてしまえば、この紙のしわを無理やり伸ばそうとすると裂けてしまう。もっとひどい状態になってしまうということを考えながら付き合っているというところが、被害者の心に付き添っているカウンセラーの心情だとお考えいただければいいと思います。

何かをやってあげようと思ってもできないですね。殺人事件で大事な、大事なお母さんが亡くなった家庭がありました。で、お父さんと子供さん3人が残されて、20代の子供さんが2人いらして、高校生がいてという形だったのですが、お父さんはどうしていいかわからない。今までうちの中を全部取り仕切っていたお母さんが突然いなくなるのですから。朝、共働きで仕事に行ってきます。何時までには帰って夕食を作るね、というふうに話をしていたお母さんが、いつまで経っても帰ってこない。何だろうと思って待っていたら警察から連絡が来て、もう病院で冷たくなっていた。

交通事件被害者家族も、朝、行ってきますと元気に出ていった子供が、午後は遺体で帰ってくる。こういうことってちょっと考えられないですね。でも、被害者の人たちはそういう思いをしているわけですね。

そのお父さんがよく私たちに言いました。「あんたら一体何やってくれんのよ。何を俺たちにやってくれんのよ。何にも本当はできないんじゃないか」って。そのとおりなのです。一度受けた被害は消しゴムで消すわけにいかないのです。だけど、受けてしまったその後のしわ伸ばしを共に手伝う。だから先ほど彼女が言った、性被害の彼女が言ったように、大変なときにそばにいますよ。ここにいますよ。だから大変なことをどうぞ話してください。話せるときが来たら話してくださいというような形でお付き合いをする。

その殺人事件からもう何年も経っています。だけれどもお嬢さんはまだ立ち直れません。ちょうど同じ年頃のお母さんと自分の年頃の母と娘の歩いているのを見ると、無性に生きているのが大変になってくる。なぜかというと、私は親にずっと心配をかけてきた。これから親に対して親孝行をしよう。することができる。自分が結婚して、赤ちゃんを生んで、孫をお母さんに抱かせてあげることができる。そのときにお母さんがいなくなってしまった。どこを探してももう戻ってこない。私は生きている意味がない。私は死んだほうがいいんだ。自分で死ぬという勇気はないし、自分が死んだらまた母が死んだときと同じような傷を家族に与えてしまう。だからきっといっそのこと加害者の家族に殺されたほうがいいんだと、こういうような会話になって考えていくのですね。

私たちは大変なその思いを十分理解しながらお付き合いをしていって、あなたが今ここに生きている意味みたいなことを対話をさせていただきますね。そうすると、レジュメの5番目に書いてある心の回復を目的として、という形で付き合っていくと、心の復元力、人間みんなが持っている心の復元力。通常のストレスのときにバランスを保ちながら、ある程度ストレスがプラスになるということも体験しながらバランスを取っている通常の気持ち。それが被害者になってぐちゃぐちゃになってしまうのだけれども人間には心の復元力というものがあって、それに丁寧に手当てをしていけば、また元の生活には決して戻れないけれども、新しい意味を見つけながら生きていくことができる。

48年前の被害をお話をした人がいました。それは大きな研修会で聞いたのですが、「48年も前のことと言って笑わないでください」というふうに彼女は言い出しました。そしてこのごろいろいろなところでお話を始めていますので、随分語れるようになったのだなと思って見ていますが、猟銃の殺人事件だったのですね。小さな田舎で、強盗が入った。猟銃を持って。そしてお父さんのまずこめかみをぶち抜いたのですね。それでそのときにその音でびっくりして立ち上がったお母さんの胸をぶち抜いたのですね。

そして子供さんたち2人は、ちょうど高校生で、親から離れて高校に通っていた。担任の先生が、急いでうちに帰りなさいと。お父さんが危篤だからと言われたのをはっきり覚えているそうです。それでうちに急いで帰ったら、ものものしくロープが張られていて、何かあったんだなというのは一目でわかった。それでお兄さんがほどなく駆けつけてきて、そして警察の人から状況を聞いているうちに、彼女はとても聞けなくて倒れてしまったのですね。

その倒れてしまった彼女の手をじっと握ってくれていたのはお兄さんだったそうです。ちょうど彼女が高校1年生で、お兄ちゃんが3年生。両親2人とも殺されてしまったものですから、明日からの生活をどうしていいかわからない。彼女は絶叫して言いました。「これから親が大切なときに、2人の親を失われた者の気持ち、皆さんはわかりますか」というふうにおっしゃいましたね。

それで家族会議、親族会議が開かれて、お兄ちゃんと彼女は別々のうちに引き取られることになった。もう考える力が全くありませんので、それはそれでしょうがないんだろうと思いながらいて。そして、でもお兄ちゃんが、黙って手を握ってくれていた感触は覚えているのだけれども、お父さん、お母さんが死んでしまった、殺されてしまったということについては、何も語っていないなと彼女が思って、1人でたたずんでいる川辺に、近くに川があったらしいのですが、その川辺にたたずんでいるお兄ちゃんの後ろ姿を見て、そうっと、明日からばらばらになってしまうよねというようなことを言いに降りていった。

そうしたらお兄ちゃんが、歌を歌っていたそうです。多分今の時代だったら「千の風になって」か、何かだったろうと、彼女は今では言うのですけれどね。そのときに「青い月夜の浜辺には」という、「浜千鳥」の歌というのがあるのですね。「親を亡くして(さがして)鳴く鳥が 波の国から生まれ出る」という歌、童謡があるのですが、それを歌っていたのですね。高校1年生ですけれども、何を思ったかというと、自分のその心に封印をするというか、この悲しみは自分1人で抱えていかなければいけないのだ。兄弟であっても共有はできないのだ。だってこれをお兄ちゃんに言うと、お兄ちゃんはもっと悲しい思いをするに違いない。だから自分は自分の心に封印をして生きていくしかないんだと思って、40何年間生きてきた。

被害者支援という言葉が新聞とかテレビで言われるようになって、私はこんな大変な体験をしているのだから、だからきっと何かお手伝いができるかもしれない。そう思って、東京都は支援センターが都民センターという名前なのですが、そこに行って何かお手伝いをさせてもらいたいと言ったら、自助グループというのがあるのです。例えば交通事故でも、それから殺人事件でも、家族を亡くした人たちがその悔しさ、不条理さ、怒り、いろいろなものをそこの場所で語るという、そういうグループがあるのですが、まずそこに入って、お手伝いをしていただきましょうかということになって、そこに入ったら、彼女自身が、自分がまだまだ被害者なんだ。40何年も経っているのに、まだまだ自分は自分の、封印をしていましたから、だから思いがばーっと出てきて、みんなが話しているのを差し止めても自分の話を聞けというような自分の姿にがく然としたと言っていました。

これがもしお兄ちゃんと、自分たちは大変な目に遭ったね。力を合わせながら生きていかなきゃならないねというようなことが、きちんと話してこられたのだったら、こんなことにはならなかったろうと。でも、ほとんどの被害者の人は、思い出すことさえ苦痛だから、だから自分の心に封印をしてしまう。そして、大変な思いで暮らしているのだということをおっしゃってくださいました。

だからもう3年経ったね、もう5年経ったねという、これは物理時間と私たちは言うのですが、その時計で計れる時間で被害者の心を計ってしまったら大失敗をするのです。その人が持っている時間。48年経っても昨日のことのように思い出される。そうしたら48年経っていないわけですね。1日も経っていないかもしれない。そういうような気持ちなんだなということの理解の仕方をしないと、なかなか被害者の痛みというのは、わかりえないということですね。

これは、被害者だけではなくて、ご自分の生活の中でも、何かすごく早く過ぎてしまったとかね。それから大事なことを落としてしまったことにぱっと気づいたときには、何か時間の感覚ということを考えることがあろうかと思いますが、時間の概念ですね。概念には歴史時間と物理時間という二つの概念があるのだということを、覚えておくといいと思いますね。物理時間は1日24時間。きちんきちんと回っていきます。だけどその中で生活している皆さん一人ひとりの時間はみんな違うのですね。だからその違う時間を私は生きているという意識がとても大事だろうと思います。

それから二次被害と2番目に書いてありますが、これは被害者になってしまった被害。それを一次被害とすると、その次に起こる被害。二次被害の加害者は司法関係であったりして、本来は被害者の権利を守っていかなければならない人たちが二次被害を与えてしまうということがあります。

弁護士さんの二次被害で、非常に鮮明に覚えているのはもう随分前になりますが、中学生が集団リンチに遭いました。豊平川の河川敷で集団リンチ事件に遭って、それをJRに乗っていたお嬢さんが見つけて、携帯電話で110番をして、今豊平川のどこどこの付近で大変なことが起きているという通報をしてくださって、命をとりとめたというケースでした。

被害を受けた人は、とにかくしばらく入院して、そしてそれから外に一歩も出られなくなったのですね。自分のお友達に集団でやられてしまったわけですから、誰も信用できない。そんなような思いで、たださっきのしわをなんとか伸ばさなければ息ができませんから、それでカウンセリングを受けるということで、カウンセリングを受けに、帽子を自分の顔がわからないような感じまでかぶって、そしてカウンセリングに出かけていくという。

そういう息子を見て、お母さんが非常に心を痛めたのですね。何か私にできることはないかと。それで私にできることはきっと民事裁判を起こして、彼のために賠償金を取る。その現実をどんな感情で、どういうような思いで加害者の人は彼をそんな目に遭わせたかということをきちっと証明するとかね。そういうような形でしかないなと思って、ある弁護士さんのところに相談に行ったのだそうです。私ができるのはこのぐらいのことしかないと思って行った。

そうしたら、相手が12人いましたから、だから弁護士さんも大変な事件だなと話を聞いて、そして、まあお母さん、大変な事件だから自分がそれを引き受けるということもなかなか言いかねると。だからお互いに考える時間を持とうと。お母さんも自分にその事件を任せることができるかどうか、考えてみてほしい。自分も受けるかどうか考えるから、というふうに言われて別れたのだそうです。

2、3日たったある朝の早い時間に、8時ぐらいの時間にジャンと電話が鳴って、そのお母さんが何とかですと出たら、「母さん、500万でどうだい」という声が飛び込んできた。お母さんは足からこう崩れ落ちるような感じになった。わかりますか。どんな感じか。私たちの受けた被害の権利回復が、その500万が妥当か妥当でないかではなくて、そういう軽い言葉で片付けられるというのは何なのだと。これは何なのだというような形で、結構です。お願いしたくありませんと、やっとの思いで言って電話を切った。

弁護士さんは事実関係を拾っていって、そしてそのために、権利を回復するためには具体的にどうすればいいかということを考えながらいかなければならないから、多分弁護士さんの立場に立つと間違いではなかったのかもしれない。だけど、もうさんざんな目に遭って、息子のつらい様子を見て、そしてなぜこんな目に私たち遭わなきゃならないのと思っているお母さんにとって、500万でどうだいっていう、その投げかけというのは、バカにされているというか、すごく軽んじられているという思いにしか聞き取れなかったのですね。

それで私どものところに、犯罪被害に非常に精通している弁護士さんが来ていますので、その弁護士さんの相談を受けたい。で、来たのですね。平成12年から弁護士さんの無料相談をやっているのですが、そのときにこう顔を隠すようにしているのですね。新聞の横から様子を伺うようなお母さんを見て、何か変だなと思って、何かあったんだなと思いながら、弁護士さんが来るのがちょっと遅れていたものですから、「遅くなってごめんなさいね。お待たせして申し訳ありませんでしたね」。そういうときダイレクトに話を聞くと逃げたくなりますので、だから全く違うところで声をかけたのですね。

そうするとそのお母さんがぱっと新聞をたたんで、今日いらっしゃる弁護士さんは誰ですかと言うのです。「誰って、犯罪被害者支援委員会の弁護士さんだけれど」「お名前は何とおっしゃるんですか」。すごく切羽詰まっているのですね。それで何かあるのだなと思って、「どうなさいました?」と聞いたら、実は、さっき私がお伝えしたことを言ってくれたのです。私に何かできることがないかと思って弁護士相談に行ったらこういう結果になってしまった。もしその私が話をした弁護士さんが今ここに現れたら、私たち親子はもう生きてはいけないんだと。もうどこに行っても私たちの話を聞いてくれる人はいないんだと、そういうふうに思うのです。わかりますよね。そういう気持ち、すごく。

それで、多分違うと思いますと、来てみなければわかりませんので、違うと思いますと言って、来た弁護士さんに、お母さんは弁護士さんの二次被害を受けていますので、丁寧に対応してあげてくださいと。そしてお母さんにはカウンセラーが付き添いとして付きますと。弁護士さんが被害を与えないようににらみ役ですね。そのために置いておきますので、よろしくお願いしますと言ったら、ちょっと嫌な顔をしましたけれども、でもいいですよと言って、ああ、そういう被害を受けたんですねと言って、2時間お話を聞いてくださいました。それから彼1人でがんばって、2年間かけて和解に持っていって、500万という金額になって決まりました。

最初の500万でどうだいと、この500万で和解で決まったというお金と、同じお金のように見えるけれども、実は中身は全然違う。その2年間の間に弁護士さんはお母さんを現場に連れていって、どういうことがここで起こったかということを2人で話し合ったりとか、そういうことを話をしているうちに、さっきの48年前のお話をした方もおっしゃっていましたけれども、自分が受けた被害について語ることができることがどれだけ大切か。本当は語れないのですよ。もう語れなくて、二次被害を受けるぐらいだったらいっそ黙っていようと。ひっそりと暮らしていようと思うのだけれども、そうしているとこう、紙のしわのぐちゃぐちゃがなかなか伸びない。語ることで整理ができるということの大きさが非常にあるのですね。

道新(北海道新聞)から取材が来る。テレビから取材が来る。そして被害者のことをわかってくれようと思いながら聞いている人はわかると言うのですね。聞かれ方でわかる。そうすると語ることで私の気持ちは整理されるのですよね、というようなことを何度も言っていました。だから関わる人の姿勢というのがとても大事になるのだと思います。

この関わる人の姿勢の中で、今報道関係も随分変わってきて、サリン事件というのは皆さん方はもう10何年経っていますからまだまだ小さいときでしたよね。だから何か騒がしい事件はわかっていても、あまり実態はわからないかもしれませんが、そのサリン事件の被害者を束ねている人は、高橋シズヱさんといいますが、彼女が、9.11事件がありましたね。アメリカで。ビルに飛行機が突っ込んだ事件。あの事件の被害者遺族に会うという研修を日本の被害者遺族5人で行ってきたのですね。そして報道のされ方、それから報道関係の人に扱われるという扱われ方が、被害者の心のしわ伸ばしにどれだけ大事なことかということを目の当たりに見てきて、気丈にも帰ってきてから、報道と被害者の人たちの語る会、話の聞き方を学ぶ会というのを立ち上げましたね。

そういうようなことを被害者の人も積極的にやってくれているので、報道も随分変わってきたけれども、でもやはり間違った報道、明らかに被害者にとってみれば間違いだということをでかでかと3段抜きぐらいの見出しで書かれてしまう。これによって傷つく心というのは、とても推し量ることができないぐらいですね。

交通事故で5歳の子とお姉ちゃんが歩いていて、そこに車が突っ込んで、小学校3年生のお姉ちゃんは助かったのだけれど、5歳の子は亡くなったのです。残念ながらね。そうしたらそのお母さんから泣きながら電話が来ましてね。新聞にはきょうだいがお母さんのお使いをしに出かけていって、ふざけ合って道を歩いていたところに車が突っ込んだと書いてあったのです。

そうしたらあたかも、歩いている2人もちょっと落ち度があったのではないかと思いますよね。私もそう思いましたから。だからすごくよく覚えていたのですね。そうしたら、そんなことはないのです。嘘をつくような娘ではないし、娘にいくら聞いても、私たちはちゃんと右側の端っこのほうを歩いていた。暴走車だったのですが、その暴走車が突っ込んでくるまで、そんなことがあるとは夢にも思わなかったんだということを娘も泣きながら語っているのをお母さんが見ていて、電話をかけてきたのです。

そういうときには相談室は報道機関とも渡り合うということをしなければなりませんので、電話をかけました。で、担当の記事を書いた人に出てきてもらいました。そうしたら、警察の発表、事件発表がそういうことだったのでそのとおり書いたというふうに、その報道機関の弁明はそうだったので、あ、そうですか。お宅は裏付けも何も取らないで、警察が発表したのをそのまま発表なさると、そういう新聞なのだというふうに理解してよろしいかと言ったら、ちょっと待ってくれと。必ず裏付けは取って活字にすることは、これはしなければならないことだと思うと。では今回の事件についても何とか手当てをしてもらいたいと言ったら、お母さんと話をさせてくれということになって、結局新聞社のほうが、裏付けが甘かったということを謝って収まったということもあります。

過剰報道とか間違った報道が、その被害者の心にもっとしわをつけるという。そして医療も、それから学校、職場、近隣、それから家族。家族が二次被害の張本人になるというのはあまり考えられないでしょう? だけどさっき言った歴史時間というように、起こったことは一つでも、受け取り方がみんな違うから、ぐずぐずしている奥さんを見ると、旦那はどうしてもしっかりしろと言いたくなる。で、ぐずぐずしているその彼女からしてみると、こんな理解のない男性とはもう暮らしていられない。ほとんどの人が傷を突つき合っています。

これは私は被害者の支援をやって初めて知ったことでした。大きな被害を受けて、家族が力を合わせて、肩を寄せ合って生きていくのだろうなという想像が、見事に間違いだったということを気付かされたことでしたね。

これは北海道ではないですけれど、やはり交通事故で、お腹の中に7か月の赤ちゃんがいて、3歳の女の子と、それから5歳の男の子の手を引いて歩いていたお母さんのところに、やはり暴走車が突っ込んだのですね。そして一瞬何が起こったかわからない。昨日まで、さっきまで健康な人が事故に巻き込まれるわけですから、何が起こったかわからない。

男の子がぎゃんぎゃん泣いている声は聞こえた。それでお母さんは首をもたげようと思っても首が上がらない。だけれどもなんとかその3歳の女の子の行方を探したら、コンクリの上にべたっと寝たままになっていた。一生懸命その子の名前を呼んだのだけれども、びくとも動かない。それを見てお母さんは、そこまで確かめて気絶をしてしまったのですね。

最終的には7か月のおなかの中の赤ちゃんと3歳の子は亡くなって、お母さんと5歳の子供は入院の加療をして、そして退院をしてきた。初めは顔面蒼白になって駆けつけてくれて、そしてお前とその長男が生きていただけでも良かった。ありがたいと言っていたお父さんが、だんだんだんだんこう失ったものに対する思いが募ってくるわけですね。そうして、ちょっとお前に聞きたいことがあると。なぜあんな時間に子供2人も連れてあそこを歩いていたのか。その理由を教えてくれということになるわけです。

そうすると自分のお腹の中の赤ちゃんも3歳の子供も亡くなって、もう生きる望みもないけれどもがんばらなければいけないと思ったお母さんが、そこでまたガタガタっと崩れてしまうわけですね。で、私なんか生きていないほうがいいんだと。かえって生きていないほうが彼も楽に違いないということを真剣に考えるようになる。

そこにはやはり支援の人が中に入って、さっき私が言ったように、大変なときには大事なことは決めないでおきましょうと。あと少し暮らしてみて、でもやはり別れたいと思ったときに、そういうような決定をすればいいんじゃないかというような介入をしてくれて。中に入り込んでくれて助かったということがありますね。

だから至る所に二次被害があるのです。ただ、それは裏を返せば、被害者の周りにいるみんなが二次被害を与える人になるということのひっくり返った形。先ほど言ったように、話せるときに話せればいいのだということと、いつもと変わらない対応をしてあげることと、それから、何でしょうね、当たり前に付き合っていくということを周りの人がしなければ、どれだけ被害者の人が、傷を付けるかということになるのだと思います。

こういうような形でさっきのしわがどんどん深くなっていくと、信頼感は全くなくなる。そして孤立無援になっていくという、そういうことがますます被害を大きくしていきますので、その被害者の人が、高橋シズヱさんにしても、それから光市の母子殺人事件も。皆さんいろいろなことで新聞とか報道で騒がれましたからわかってらっしゃると思いますが、本村洋さんという人が被害者遺族ですが。彼らの話を聞いていると、話をすることで整理をすることができる。それから話をすることを皆さんの、今の皆さんのように聞いてくれる人がいる。これがものすごい支えになるのですね。

そういうような体験をしながら、自分の中の傷を少しずつ治していくということをしているのだ。だから、そうですね、二次被害を与えないようにという鉄則を守りながら、その人に添っていくというか、大変な体験をした人なんだよな。どうしてそんなことになったのとか、それからどういうふうに生きていけばいいのとか、そういうことをダイレクトに聞くのではなくて、その大変な体験をしながらも、一生懸命生きていこうとしているのだという形で、共有時間を持つというような形で、お付き合いをするということが二次被害を防ぐことになります。

なぜそのようなことをするかというと、最後に書いてある、心の復元力を信じているわけですね。ジュディス・ハーマンというのはアメリカの精神医学者ですが、その人が書いた本の中に、「自分のストーリーを共感的に傾聴してくれる人を得たとき、トラウマに遭遇した時点で失われた社会とのつながりや、社会的な意味の感覚は回復する」。聞いていただくことであたしたちは救われるのです、ということだと思いますね。

そしてそういう中で社会にきちんと位置付けを持っているということがどのぐらい大事なことか。だから通り魔の傷害事件に遭ったお嬢さんも、復職を嫌がっていた会社になんとかがんばって、ちゃんと出ていこうとする。出ていって、みんなに、あなたがいて良かった。あなたがいてくれてここの会社は成り立っているんだと言われることで、少し自分の自尊心というか、自分がいていいんだ。生きていていいんだという思いを確かなものにしていくということがありますね。

そういう人間の自己治癒力とか、潜在可能性を信じながら、傷を抱えて生きることのできるしなやかな心を持っているのも人間なのだということを信じて、お付き合いをするということです。

心理的援助の基礎とその展開というのは、大変な思いをした人なんだという思いを決して忘れないことが大事なのですね。それがとても大事になることと、あと被害者の支援の中で、聞くこと。アクティブ・リスニングと言うのですけれども、そのことがとても大事なことと、あと支援策としては経済的な支援、先ほど道の人から説明があったように、あらゆる方面から支援策を充実したものにしていこうと考えています。

その考えの中には、まず経済的な支援があります。医療費とか介護費とか生活費、それからお仕事、住宅など。例えばあれですね、宅急便を装ってうちの中で奥さんがけがをされた。そこに入るのってなかなか大変ですよね。それでそこに帰らないで、一時的に住宅を用意して、そこに住んでもらうというようなことも将来的には考えていかなければいけないだろうと思うのですが。

その被害者の現状をわかっている我々の民間団体と、それから例えば市営住宅、道営住宅を管理している行政と。それから被害者に一番先に関わっている公的な機関の警察の人と。いろいろなところと連携を取りながら、この支援をやっていかなければいけないと考えています。

それから法的地位の向上は、これは弁護士さん、司法のお仕事なのですが、これは随分進みました。12月1日からはバーの中に被害者が入れるようになります。今までは傍聴席でしか座ることができなかったのですね。そして優先傍聴券というのも平成12年にやっと確立されたのです。それまで光市の母子殺人事件の本村さんも、並んで傍聴券を手に入れることしかできなかった。だけど平成12年からは遺族の人は、何名までと決まっていますが、優先して傍聴できるということになって。さらにこの12月1日からは一歩進んで、検事さんと一緒に並ぶことができるようになりました。

検事さんと一緒に並んで、被害者のために弁護士を付けるということもできるようになった。弁護士を付けながら、陳述もできるし、それから質問もできるし、それから量刑をこういうことにしてもらいたいという、その量刑に付いている意見も言えるということのシステムになって、これはものすごい進歩ですね。被害者の人は被害に遭って、警察に告訴しますよね。で、警察から取り調べを受ける。そして告訴されたことがある形になったら、それは検察庁というところに送られます。と同時に、被害者はもう関係なくなるのです。証拠品でしかなくなるのですね。

それでそういうようなところから一歩進んで、事件の一番大変な思いをしているのは被害者なのだということで、いろいろな策が講じられていったということだと思います。

それから最後に、直接的な支援活動というのがありますが、これは先ほどから何度も言っているように、精神的な立ち直りのためにカウンセリングをする、心の復元力を信じながらカウンセリングをしていくことと同時に、直接的支援という名前で言っているのですが、先ほど、あんた方何してくれんのよということを言われながらも、家庭訪問をする。

それから性被害のお嬢さんはどこかで犯人に見張られているという思いがすごくあります。どこかで誰かに見られているという思いがあって、足がすくんで動けないのですね。だから病院にも行けない。そういうお嬢さんに対しては、病院まで付き添いをするということをやります。支援員が2人、お嬢さんを挟んで、両側をガードしながら病院まで行き来をする。早い治療が行われると、早く回復するということは、いろいろな例を通してもわかりますので、できるだけ早い時間にそういうことをやるということを考えています。

でも最後にお伝えしたいのは、支援策のマニュアル。これはあるのですね。支援策のマニュアルは考えなければいけないと思います。だけれどもこれはあくまでも参考であって、その被害、被害に対しての絶対的な指針にはなりえないということの難しさを我々は考えながら、まずは十分に思いをかける。思いをはせるということが大事だと思いながらやっています。

その中に大きく、皆さんに、同時代を生きている皆さん方にこの被害者の心情を理解していただくということも、とても大切なことになるので、明日は被害者かもしれないのですね。もしかしたらこの中にも被害に遭ったとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。もう一つ行った大学では、何か事件があったらしくて、4人ほど被害に遭った人がこの中にはいますと学長先生がおっしゃっていましたので、案外身近なのですね、被害というのは。だからそのときにはこういう施策とか、いろいろな、何でしょうね、支援があるのだということを覚えておいていただければ。そしてすぐ飛んできてくだされば、なにがしかのお役には立つのだろうと思います。

これでお話は終わらせていただきたいと思います。一緒に活動していただきながら、どんな人がどんなことをやっていて、どういう思いで被害者に関わっているか。それを是非ご理解いただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

司会 ありがとうございました。被害者に寄り添うことの大切さ、二次被害を起こさないための心のケアなど、大変理解が深まりました。まだ時間がございますので、せっかくの機会ですから、会場から質問を受け付けたいと思います。どうぞ挙手をお願いいたします。

Sさん 現代文化学科のSです。今回この講演を聞いて、すごい、事件は自分にとっても近いものだと感じました。私は全くそういう経験をしてないのですが、こう、自分でも被害者の方に力になれるのか。またその被害者の人は、そういう全く経験してない素人ではなく、その被害者の方やそういう方だけに接していただいたほうがいいのか。教えていただけますか。

善養寺 はい。一番最初に、平成4年にできたのは、精神科の先生と、臨床心理士の先生だけの相談室だったのですね。専門家の人で相談室がスタートしたのですが、ボランティアスタッフというふうに言ったらいいのかな。阪神淡路大震災とか大きな被害を受けたときには、専門家が足りないのですね。それで近隣が、隣にいる人が支援をすると。もちろん支援のための勉強をしながらですけれども。それをしながらお勉強をするということが、被害者の人にはとても大事なのだと考えられるので、研修の義務付けがありますけれども、一般の人が講習を受けて、被害者支援をやっているセンターが多いです。

Sさん ありがとうございました。

善養寺 はい。ただ、やはり中で覚えておいてもらいたいのは、非常にその心のしわね。しわが結構深くて、それこそ塩水でも入ると大変なことになるというようなことを、きちんとわかりながら関わることが大事。そういうふうに思います。誰でもできるのだけれども、その鉄則ぐらいは覚えておかなければいけないのかなと思います。

Iさん 心理学科2年のIと申します。実は僕には友達がいて、その子もあまり強いストレスとかではないのですが、そういった悩みを抱えている子で。僕の好きな歌詞の、NHKか何かの歌に、喜びは2人で共有すると2倍になる。悲しみは半分になるという歌があったのですけれども、その子は悲しみは共有すると相手にまで悲しみも2倍になってしまうから、だからあまり人に話せないんだという話をしているのですね。やはり彼女もすごく強い子ではないので、見ていてたまに痛々しくまで思ったりとかする。だけれども、人にあまり、まだ今のところは僕のようなわりと付き合いの長い友達なんですけれども、それでもまだ積極的に話せずにいる。

学校も違うので、時間もいつでも会えるわけではない。けれども、僕のほうからも何かしら彼女の助けになりたいと思ったときに、では例えば今の僕はその子にどういうふうに、具体的にどういうふうにすれば、彼女に寄り添っていけるのかというところを考えながら聞いていたのですね。どのようなアプローチの方法があったりするのでしょうか。

善養寺 はい。まずはあなたのほうからやはり声をかけなければ、そういう時間設定はできないのですね。そういうことは言っている。

Iさん はい。

善養寺 だから、まずその時間設定をして、その次にすることは、良い聞き手になることではないかなと。それから思っていることを話すようにというのは、これは共通なのですね。

だから話せるときでいいから話してくれよということで、共にいること。さっき言った歴史時間を共にするとき、心配しているんだよというメッセージを受けながら、共にそこにいる。そこから何かが生まれてくるような気持ち。

彼女自身も、話すことで非常に心が軽くなる。そういう実体験すれば、ああ、話すことって、先ほど何回も言ったように、整理ができるんだ、という思いになるとラッキーだなと思いますけれど。

Iさん なるほど。ならばやはり、2人で、喫茶店とかで、ファミレスとかで会うという時間をこれから増やしていこうと思うのですが、そういった、何て言うか、あまり突っ込まないというか、気張らないで、そういったところからほぐしていけばいいと……。

善養寺 あなたのためを思って自分は話せと言っているんだよ、という言い方は優しい暴力です。

Iさん はい。

善養寺 それは決して相手のことを思っていることにはならない。

Iさん 肝に銘じておきます。

司会 そのほかにまだ質問のある方、挙手をお願いいたします。

iさん 心理学科3年のiと申します。とても良いお話を聞かせていただいたのですけれども、一つ質問がありまして、先生、心の傷というか、しわがある状態だと、余裕がないのはわかるのですけれど、例えばカウンセラーもそういう状態の人はいると思うのですよ。その状態で相手をカウンセリングすることは……。

善養寺 できないですね。

iさん できないですよね。でもよく、何か、うつ状態、軽いうつ状態で診断されている先生とかの話を聞くのですけれども、そういうのはどうなのでしょうか。

善養寺 どうか。できるのかどうか。

iさん そうですね。

善養寺 カウンセリングの、先ほど彼も言ったように、こちらは聞き手、向こうは話し手という人間関係というのは、日常的な人間関係ではないのです。非日常的な人間関係なのです。だから自分のほうに問題があっても、それは横に置くという器量さえあれば、非日常的な人間関係はできる。

日常の延長で話を聞いていると、こちらも混沌とする、向こうも混沌とする。くちゃくちゃになってしまう。だから話を聞く。今日は聞くぞと思ったときには、ちょっと自分を横に置くということも工夫ではないか。これは練習すればできるから。

もう全部の関心を相手に向けているのだという考えさえできれば、大きく言えば臨床できると思います。はい。

iさん ありがとうございました。

司会 善養寺先生、ありがとうございました。時間になりましたので、これで講演会を終了させいただきます。

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