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犯罪被害者等施策講演会(第4回)



日時:平成22年1月28日(木) 16:00~17:00
会場:中央合同庁舎第4号館1階共用108会議室


テーマ:「性犯罪被害者の実情」
講師:「性犯罪被害にあうということ」著者
小林 美佳 氏
小林 美佳 氏 第4回犯罪被害者等施策講演会の様子

○講演要旨(講演資料)

皆さんはじめまして、小林美佳と申します。お聞き苦しい点など多々あるかと思いますが、お付き合いください。
 まずは皆さんに性犯罪、性暴力の被害者がどういうものなのかを知っていただいて、その上で何か御質問等ありましたら遠慮なく聞いていただけたらと思います。

また、性犯罪被害に対しては、犯罪被害者支援のための制度が、恐らくそんなにたくさん使われていないのではないかと思います。それがなぜかということも一緒に今日考えていただき、感じていただけたらと思います。

まず、私の事件の概要からお話します。 『性犯罪被害にあうということ』という本の中には事細かに書かれているのですが、一応皆さんお読みではないだろうと思うので、少し細かくお話をさせていただきます。

私が被害に遭ったのは今から10年前、2000年8月31日のことです。私は東京の〇〇〇というところに住んでいました。仕事が終わって〇〇駅に着いて、駅から家まで自転車で帰る途中に、少し嫌なことがあったので、いつも帰る明るい道ではなくて、公園の周りを1周して帰ろうと思って、真っすぐ行くはずの道を右に曲がったら、T字路になっていたのですが、そこに停まっていた車の運転手に呼び止められて「ちょっと悪いんだけど、〇〇〇駅を教えてくれる?」と聞かれたのです。

私は無視しようと思ったのですが「ねぇ」と2回呼び止められたので、一応自転車を停めて、自転車にまたがったまま「あっち」と首で教えたのです。すると、その運転手が「あっちじゃわからないから、この地図で教えてくれる?」って、運転席にある地図を開いて見せてきたのです。面倒くさいなと思いながら自転車を停めて、自転車のハンドルにバッグを提げて、運転席に近づきました。地図をのぞき込もうと思ったら、車の後部座席からもう1人大きな男の人が出てきて、自転車のハンドルにかかっていたカバンを持って車に乗ってしまったのです。

ひったくりだと思い、仕事の資料が入っていた大事なカバンだったので、返してくれと思って手を伸ばしました。そうしたらそのまま、全然どういうふうに連れ込まれたのかわからないのですが、後部座席に連れ込まれて、知らないうちにタオルで顔を全部隠されて、気がついたらおなかの上に男の人が乗っかっていて、目もタオルで隠されていました。

耳では何か大きな音楽が鳴っているのが聞こえました。動こうと思うのですが、手足を押さえられているし、おなかの上には男の人が乗っかっているので動けませんでした。キャーとかも言えなくて、どうしようと思っていたら、耳元でカッターナイフをカタカタカタと出す音を聞かされて、「騒ぐな」とか「切っちゃうよ」とかいろいろ言われて、抵抗するのをやめました。そうしたら、ズボンのベルトを切られて、よく覚えてませんが、多分ズボンを下ろされてレイプをされたのだと思います。……思いますというのはおかしいですね、されました。

たったそれだけのことなのです、多分20分ぐらい。ただ、私は、もうどうでもいいから生きて帰りたいと思いました。家まですごく近くだったし、〇〇警察署というのは多分歩いて2分ぐらいのところにありました。それでも、とにかく降りて家に帰りたい、生きて帰りたい、それだけをただ願っていたのを覚えています。

すごい生々しい話ですけれども、私はそのとき生理だったのです。なので、もしかしたら助かるのではないかと、どこかで望んだことも、「わっ」っておなかの上に乗っていた男の人が驚いたことも、それに対して運転席の男の人が何を言ったかも全部多分聞いていて覚えているのですが、それを書いたり、口にしたりというのが、今でもとても苦しいし、その記憶は全く消えることなく頭の中に残っています。

それでも多分どうにかなるかなと思って必死にこらえていて、「降りろ、ほら、降りろ」って言われたときにカバンと背中をぽんと押されて車を降りました。時計を見たら20分ぐらいしか経っていないし、どこかに移動しているのかと思ったら移動もしていなくて、道を聞かれたそのままの場所に降ろされました。でも、パッと見たら血がついたシャツを着ていて、ボタンは1個もなくなってしまっていて、周りをキョロキョロ見回したのですが、普通に人がコンビニに出入りをしているし、家に帰ってくる人がたまに通り過ぎたりするのです。でも、目を合わせたり、見られたりするのがすごく恥ずかしくて、何故だかわからないのですが、車を降りた瞬間から私は恥ずかしいって思いました。隠さなきゃと。

誰かに話そうというのもすぐ考えたのですが、1人で警察に行く勇気は全くなくて、では、家に帰ればよかったのですけれども、家に帰って1人になるのが怖かったのです。1人になったら今、自分にあったことを多分全部思い返して、それを受け止める自信がなくて、色々なことを考えながら公園の周りをぐるぐる歩いて、誰に連絡しよう、どうしようというのを考えていました。兄弟もいるのですが、兄弟にも話ができない、お友達に電話をしたところで多分迷惑をかけてしまうし、何があったかというのもすぐ説明できない。皆さんだったら誰に言いますか。自分だったら聞けると思いますか。

私は、そのときにどうしても近い人っていうのを思い出せなくて、そのときけんか別れをしていた彼氏に電話をしたのです。そうしたら、その彼は私が何か大変みたいな、泣きながらかけた電話だったので「いいから、そのままそこにいろ」と言ってくれて、それでも1時間ぐらい待たされたのですが、彼が来てくれて「どうしたい?」と第一声に聞かれたのです。

どうしたらいいのかも結局わからなくて、「近くに警察あるけど行くか? それとも家に帰るか?」って聞かれて、やっぱりまだ家に帰って1人になりたくないという気持ちの方が強く、警察にどうにかしてほしいと思ったのではなくて、1人になりたくない、ただそれだけで、じゃあ、話を聞いてくれるところ、そのときはやはり警察しか2人とも頭に浮かびませんでした。

それで警察に行きました。警察に行って一番にされたことは写真を撮られたことです。「切られたベルトを手に持って、正面向いて、右向いて、左向いて、シャツのボタンちょっとでいいから開けてくれる? シャツのところを拡大して撮るからね」って、すごくたくさんの写真を多分男の人に撮られました。ああいう写真って何に使われているのか、もしご存知でしたら、どなたか教えてほしいなと思うのですが、私はその写真を一度も見たことはありません。

その後、女性の刑事さんが対応してくれて、1時間か2時間個室で話を聞かれました。何をされたのか、どんな人だったのか、何色の車だったか、いろいろなことを聞かれたのですが、しゃべれないのです。自分にあったことを認めたくないし、何をされたのかって車を降りた瞬間から恥ずかしいし、どうにかしてほしいと思っている私に、それを冷静に言葉にできるほどの力はありませんでした。

何を聞かれても「わからない」「覚えてない」「言いたくない」「知らない」「多分そう」という、すごくあいまいな言葉で全部をかわして、警察の人も多分困っていたのだと思います。「何色の車?」「わからない」、「このカタログの中にある?」「そんなこと言われてもわからない」、「ナンバーは?」「全然わからない」、そういう質問と答えというのがずっとやりとりされていたような気がします。

しばらく話をした後に「何を入れられたの?」って聞かれたのです。そのとき私は答えられませんでした。多分今も答えたくないと思います。何を入れられたって答えたらよかったのだろうと今でも思うのですが、そこも「わからない」と答えました。何か聞けないと罪名が特定できないとか刑事さんは言っていましたけれども、わかりません。「人体?」って聞かれて「そうじゃないと思う」って嘘をつきました。そうしたら、後になってわかったのですが、強姦未遂という罪名で私の事件は扱われていたようです。

その後、警察の聴取みたいなものも終わって、警察の人もすごくうろたえていました。「余り〇〇市内で性犯罪事件が起きないから、どうしていいのかわからなくって」なんて私に話してもらっても困るなと思いながら聞いていたのですが、とにかく女性の刑事さんも男性の刑事さんも私もうろたえていて、「どうしたらいいのだろう、病院でも行く?」って聞かれたのです。

行けるものなら行きたいなと思ったので、警察の車で病院に連れていってもらって診察をしてもらいました。ただ、病院のお医者さんも男性で、救急で入っていったのですけれども、私は救急の待合室にいる皆さんより多分はるかに元気で、自分で歩いていけたし、ただ泣いているというだけだったのですが、診察室に通されて「何をされたのかわからないのなら、とりあえず消毒することしかできないから、これで妊娠を免れるわけでもないし、あなたの話を聞いていると妊娠の可能性も薄そうだから、とりあえず消毒をする」って、多分2~3回言われたような気がします。その時の診療費は自分で払いました。その時に何で私が払わなきゃいけないのだろうって、ちらっと思ったのを覚えているのですが、でも自分にあったことだから仕方がないなと思い、そのまま警察にもう一回戻って荷物をとって帰宅しました。

次の日も、次の日と言っても多分家に帰ったのが3時とか4時で、6時には目を覚まして仕事に行きました。休む理由がわからなかったからです。風邪を引いているわけでもないし、出さなければいけない大事な書類を預かっていたので、仕事を休む方法も思いつかないまま、そこからまた普通の生活に戻っていきました。表向きは仕事にも行けているし、食事はできないにしても、決まった時間にちゃんと会社に通っている。特に何も問題ないようには見えるかもしれないのですが、家に帰って1人になってテレビを見ていると、知らない間に夜中になっていて、テレビが砂嵐になっているとか、仕事が終わって帰ろうと思っていた電車に何往復も何往復もそのまま乗り続けている。

記憶が飛んでしまっていて、寝ているわけではないのですが、それに気がつかない自分がいたり、電車で痴漢に遭うと加害者のことを思い出して、吐くという反応が私の体には残るようになりました。電車に乗って痴漢に遭わなくても、少し卑猥な表現がされている雑誌の広告を見たりとか、スポーツ新聞の見出しを見るだけで吐き気を催してトイレに駆け込むことも何度もありました。

そういうことって性犯罪・性暴力の被害者の間ではすごく普通に話がされるのですが、普通の生活をしている方にはきっと気がつかないことなのだろうなとか、そういうものを世の中は楽しむようにできているのだなと。だから、私は、ただそういう楽しむものの対象になっただけで、犠牲になるべき存在で生まれてきたということをだんだん自分で肯定するようになっていきました。

自分が悪いとか、自分を責めるとか、責めているつもりもないですけれども、だって、世の中がそれを肯定しているのだから自分を責める以外に何もできないでしょうというのが、私が自分を落ち着けてきた考え方です。

事件から何か月か経って親にも話をしてみたのですが、うちの母親もやっぱり受け止め切れなかったみたいで「そんなこと誰にも言っちゃいけない」とか「忘れなさい」という言葉をかけてくれました。お友達に話しても「ごめん、何も言ってあげられない」とか「大変だったね」と言うだけで、誰もそれ以上は聞いてこないし、隠しておきなさいとかそれで終わりにしようとするのです。

こういうものなのかと感じながら、あとは自分の変わった体調と付き合いながら、事件の解決は特になく、警察からも何の連絡もなく、ただ、その事実と記憶だけを持って生活していました。そのままその生活は続くので、仕方ないと自分で割り切っていました。

そして、結婚とかもしてみようと思ってしたのですが、それでもうまくいかない。「子どもは?」って聞かれるたびに、また気持ち悪くなってしまう。旦那さんは被害のことは知っていたのですが、それでも暴力的なセックスをしようとするし、子どもが欲しいというのを何度無理だと言っても何度も何度も、忘れてしまうのか、平気だと思っているのか、そういうことを求めるようになってきました。

それに耐えられなくて結果、離婚することにはなるのですが、何でそんなに理解が得られないのだろうというのを、やっと2年ぐらいして少し窮屈に思い始めて、私が助けを求めたのはインターネットの世界です。

ネットの世界では、まだ自助グループとか掲示板とかみんなが意見交換をしていたり、はき出せる場所というのがあって、その中で自分の置かれている状況、吐いたりとか記憶が飛んでしまったりとか震えたりする状況が、当たり前に話をされていることに気がつきました。

みんなそういうふうに「記憶が飛ぶよね」、フラッシュバックを起こすことを「フラバッちゃって」とか普通に表現するような環境がそこにはあったのです。その中で私は、同じような時期に被害に遭った被害者の子と知り合うことができて、何かあればその子に話をするようになりました。

わかってもらえないよねとか窮屈だよねという同じ思いをしているという、ただそれだけなのですが、理解してもらえる人に出会えたというのが、私にはとっても救いになって、そこから急激に生活が立て直されたというか、それまでと勿論、うわべの生活スタイルは変わらないのですが、気持ちが大きく変わって、やっときちんと物事を前向きにとらえられるようになったような気がします。

すごく暗い感じで話しましたが、この事件の影響を受けて何となく暗い時期というのはそれぐらいまでで、そこから何でここに私がいるのかという、少し生活の変化についてもお話ししたいと思います。

インターネットの世界でいろいろ名前を出したり、みんなと交流するようになったら、本当に性犯罪の被害者、性暴力の被害経験を持った人たちと接する機会が増えてきたのです。その中で、何かできることはないかなというのは大体みんな言うことなのですが、こんなにたくさん被害者がいるのに、なかなか今ある制度とか相談機関が使えないのはなぜだろうという話をやっぱりみんながするようになってきました。

何か公でつくりたいねという話もネット上でみんなはするのですが、実際自分たちが、じゃあ名前を出してこういうことをしたいのですとか、こういうことをやってほしいという要望をきちんと出せるかと言われたら、やっぱりみんな自分の事件のことは隠している。

それはなぜかというのは今でもわからないのですが、言えないというすごく大きな壁があって、なかなかそこに踏み出せなくて、それでも私はずっと母に言っちゃいけないと言われたときから、何で言ってはいけないのかというのがわからなくて、じゃあ、私が出てみようと思ったのです。

ほかの被害者仲間と話をしていて、何かに参加してみて、またみんなに教えるねなんていう話をしていたときに、ちょうど刑事裁判の被害者参加制度というものができるという議論がされていた時で、私は性犯罪の被害者として加害者と同じ空気は吸いたくないし、私の事件の犯人は誰だかわからないままで不起訴通知が来て、事件自体が終わってしまったのですが、もし、その加害者が今捕まったとしても、その人の顔なんか見たくもないし、臭いもかぎたくない。 明確に顔も臭いも覚えているけれども、もう一度それを目の前に突き付けられたら、私はそこから立ち上がれない、また元に戻ってしまうと思うので、被害者参加をする意味というのが全くわからなくて、反対みたいな声を上げたのがきっかけです。

そういう議論をするシンポジウムで性犯罪被害者として名前や顔を隠さずに出してみたのが、今ここにいるきっかけですし、本を出したのもそれがきっかけです。  自分自身が顔を出したり、名前を出したりして、性犯罪被害者が顔を出すということの意味は全くわかっていなかったのですが、実際に出してみたらすごくいろいろなところから声がかかって、話を聞かせてくださいと言われるようになりました。

今でもそれはわからないのですが、勿論怖かったです。本が出るときも直前になってやめようかなと思うぐらい怖かったのですが、実際出してみたら2年間で2,000人の性暴力の被害者たちから声をもらったのです。私も被害経験を持っていますと。その子たちの半分ぐらいの人が小林の名前がわかるし、顔もわかるから安心して話ができる、本に書いてあることが私と同じだと思えたから聞いてほしいと言って、声を届けてくれました。

ネット上でお話をしていた被害者たちと同じで、無条件に私たちは分かり合うことができる、みんながそう感じていたのです。ところが、例えばこういう法律、制度、機関を扱っている皆さんを目の前にして言うのも何ですが、それがどうしても性犯罪被害者に届いていない。それは性犯罪の被害者、性暴力の被害者が声を出してこなかったというのも原因なのかもしれないのですが、何とも使いにくいというか、配慮が足りないなと思うものがすごく多くて、さっきの刑事裁判への参加もしかりなのですがですが、なぜだろう。なぜだと思うか皆さんにも考えてほしいのですが、私のもとに届いた2,000人の被害者のうち、警察に届けているのは何人だと思いますか? 20人しかいなかったのです。

裁判になっているのは5人です。そうすると、皆さんが接するのは、その2,000人のうちのたったの20人もしくは5人。あとの1,995人はどうしたらいいのですか。誰にも打ち明けられないという大きな壁を乗り越えられずにいるのです。なので、もし今日ここに支援者の皆さんがたくさんいるのであれば、打ち明けられる先になってほしいというのが私の一番の願いです。そのためにどうしていいのかという具体的な策はわからないのですけれども、それを知っていてほしい。話をすること、打ち明けることがいかに大変かということを。

私も何も考えずに警察に行きましたけれども、こういう活動をしてみて警察で何を聞かれるのかとか、どんなふうに現場検証をするのかとか、場合によっては再現を求められることがある。自分の現場に連れていかれて、何をされたのか、どういうふうに相手に乗っかられたのかというのを等身大の人形を使って再現しなくてはいけない。そんなことに耐えられるかっていう説明を被害者の子たちにすると、私はそんなことはしたくないから、やっぱり警察には行きませんという結果で終わってしまうのです。

そうすると、その子は私以外の誰にも話さないまま自分の被害というのは外に出さずに、病院に行って薬を処方してもらって帰ってきて、あとはなかったことになってしまう。その現状をどうか知っていてほしいのと、皆さんには、できればその1,995人を救い出してほしい、そう思います。

それが何なのかというのは全然私にもわからないのですが、その2,000人の被害者たちに漠然と質問を投げかけたことがあって、みんなが足りないと思っているものは何ですか、何を求めていますかというのを聞いたことがあります。

こういう機関だとか、こういう場所だという具体的な答えが返ってくるのかと思ったら、理解してくれる人に出会いたいって、すごくざっくりでわかりにくいかもしれないのですけれども、まだまだ多分、性犯罪・性暴力というのは偏見とかが多いと思います。

偏見などないのかもしれないけれども、被害に遭った人たちは話せずにいるのが現状なので、話を聞ける、話せるような環境が身近になさ過ぎるということだと思うのです。 ほかにも私みたいに一番最初に話した母親が、誰にも言ってはいけないとか、心ないわけではないということは後でわかるのですが、自分に対して手を差し伸べてくれる人だと思えないような対応をされたときに、もう話すのはやめようという選択をする子もたくさんいます。

せっかく話してくれたのに、それではすごくもったいないし、うちの母親も結局は私のことを思って投げかけた言葉だったのですが、それがわかるために私はこういう活動をしないと母もそれを伝えてくれなかった。もし、やらなかったら、わからないまま母との関係に亀裂があるまま終わっていたと思うのです。

よく支援者の皆さんに、「じゃあ、どうしてあげたらいいんですか。」と聞かれるのですが、構えずに助けたいのであれば助けたいという気持ちを意思表示してほしいし、わからないのであれば、わからないから教えてほしいということを遠慮なく言ってほしいのです。

警察に私が届けた時にそれでも言えなかったのは、「警察は犯人を逮捕したいんだな。」と思ったからです。私のことを思って「何を入れたの?」と聞いたのではないだろうなと思ったのです。車の車種や色を聞いたのも犯人逮捕のためだったと思ったのです。だから、私は打ち明けることができなかった。もし、そのときに私を救いたいために何かをしたいと思っていてくれたのであれば、それを教えてほしかったと思っています。

さっきから警察の悪口ばかり言っているようなのですが、それでも私が現場検証に翌々日に行ったときに、男性の刑事さんが一緒について来てくれて「小林さん、こんにちは」と言って見せてくれた警察手帳が、舘ひろしだったか、柴田恭兵だったか忘れてしまいましたが、「あぶない刑事」の誰かの写真に張り替えられていたのです。それを見て私はクスッと笑ってしました。

でも、その刑事さんの細工とか、私を笑わせてくれようとしたという気持ちがすごく印象的で、自分のことを考えてくれている人がいたという記憶として自分の中に残っています。それはたった1人でもわかってくれようとした人がいたという、すごく大きな支えであって救いであるので、組織そのもので何もできなくても、1人の人がそういうふうに接してくれれば、それでいいと思っています。

それが家族であってもいいし、友人であってもいいし、パートナーであってもいい。中には支援者でそういう人に出会えたという被害者もすごくたくさんいるので、身内に知られたくない、身内の暴力というのは性暴力の場合は残念ながらすごく多くて、そうすると身内には言いにくい、自分を知っている人には言いにくいという環境があるので、そういう人の場合、支援者・支援機関とか民間団体とかに行くという可能性がすごく高いので、そこで築ける関係というのはとても大事だと思うのです。

別に犯人が捕まらなくても、罰せられなくても、そういう人に出会えるということが性犯罪被害者にとってはまだまだ救いで、そこでしか救えないし、まだそこの段階でしかないというのが現在の日本の状況なのかなとは感じています。

皆さんが今どのように私の話を聞いてくださったのかわかりませんが、多くの公共機関で話をすると、研修の一環だったから行きましたという感想もたまに聞いたりするので、そうではないといいなと思っています。

私の願いとしては、さっきも言ったように、できれば理解者になってください、そっと被害者の背中とかを支える人になってくださいというのが願いではあります。そのために何が必要か。教育や情報というのはとっても必要なのですが、そうでないと多分、構えてしまって当然だと思うのです。

私はたまたま自分が被害者になって、どういう環境になるか、どういう気持ちになるかというのがわかるので、被害者から相談を受けても迷わずに済んでいるのですが、そうではない人が突然やってきて話をされても対応ができないと思うのです。

それで、最近始まった裁判員裁判を機に、皆さんにもうちょっと性暴力について知ってほしいと思ってつくったのが、お手元にあるリーフレットになります。性犯罪事件も例えば、強制わいせつ致傷とか強姦致傷とか、何か強姦とか強制わいせつにおまけがつくと裁判員裁判の対象事件になってしまいます。

裁判員裁判というのも私は制度ができると聞いた時に、こんなに言えない人たちがいる中で、何で地域の人にそれがばれなきゃいけないんだということをすぐに疑問に思って、性犯罪事件はちょっと今の段階では対象事件から外してほしいなと思いました。

でも、そんなこと今更できませんと断られ、だったら、そこの裁判員として呼ばれた人たちに少しでも知識を持っていただいて、無駄に変な質問を投げかけたりして、裁判員の方が恨まれたりとか、許してあげてもいいんじゃないかという、危険な犯罪者を外に出すよりはとか、その場にいて話が全く理解できない、被害者の心情が理解できないという状態で裁かれると困るので、皆さんに知識として入れておいてほしいと思ってつくったのが、そのリーフレットです。

すごくたくさんの事例が載っていたりとかして、それでも私にとってはすごく当たり前のことで、こんなこと今更一から教えなくちゃいけないのと思うぐらいのことなのですが、たくさんの皆さんに取り寄せてもらったりとかして、意外と好評だったのが自分でも予想外でした。ここにいらっしゃる皆さんには目新しいことでも、耳新しいことでもないのかもしれませんが、もし、何かのお役に立てるようであれば、性犯罪の被害者が読んでもいいと思います。

身近にそういう人がいるという人が読んでくれてもいいし、支援したいという人が何かの参考として読んでいただいてもいいので、使っていただければと思います。間もなく、リーフレットをダウンロードできるホームページが開設されるはずです。多分ここ2~3日で開設されると思いますので、そこからダウンロードしていただければ好きなだけ刷っていただくこともできますので、御一読いただければ幸いです。 本日は、ありがとうございました。(拍手)


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