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犯罪被害者等施策
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犯罪被害者等施策講演会(第3回)



日時:平成21年3月18日(水)13:00~14:00
中央合同庁舎4号館共用408会議室


講師:岡本 真寿美 氏
(全国犯罪被害者の会(あすの会)会員)

岡本 真寿美 氏 第3回犯罪被害者等施策講演会の様子

○講演要旨(講演資料)
資料1 全国犯罪被害者の会(通称あすの会) 1-3 [PDF:405KB]2-3 [PDF:461KB]3-3 [PDF:212KB]
資料2 文庫本「犯罪被害者の声が聞こえますか」のご案内 [PDF:106KB]
資料3 被害者参加・損害賠償命令 Q&A 申込書 [PDF:52KB]
資料4 「犯罪被害者支援フォーラム」ポスター [PDF:163KB]
資料5 新聞記事 [PDF:183KB]

 先ほど御紹介いただきました、私、岡本真寿美と申します。

 今日はお忙しい中、本当にありがとうございます。これから私自身が実際に体験した被害者の実情をお話しさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 私の事件は、平成6年2月のことです。当時、私は店で働いていて、仕事も楽しく、プライベートも充実した毎日を暮らしていました。ある日、同じ職場の女性と飲みに行くことになりました。私は知らなかったのですが、その女性と加害者はつき合っていたようです。翌日、加害者がものすごい勢いで職場へ来て「昨日行った場所を教えろ。あいつをあちこち連れ回すな。おまえを絶対に殺してやる、生きていると思うなよ。」などとわけのわからないことを言って、私を職場から引っ張り出し、私がその場所から逃げようとしたとき、突然、体にガソリンをかけられ、火をつけられ、一瞬のうちに火だるまになってしまいました。

 やっとの思いで火が消え周りを見たとき、黄色のキープアウトというテープで事件現場を囲んであり、前にはたくさんの野次馬、右にはたくさんの警察。

 すると、加害者が私のところへ来て、痛くてたまらない両肩をつかみ「俺、刑務所に入りたくないから、たばこの火で引火したと言え。いいな。」と言ってきました。私は「痛いから、私の姿を元に返して。」と言いました。その加害者はその女性とうまくいかないのは、私のせいだと勝手に妄想を抱き何の理由も関係もない私に因縁をつけ犯行にいたったことが、後に分かりました。そして、私が救急車に乗ったとき、救急隊員は加害者に対して「あなたも乗りなさい。」と言い、加害者も乗ってきました。病院へ着く間、加害者はずっと泣き続け、私に向かって「死なないかな。死なないかな。」と言い続けました。

 私は恐怖と時間の中、救急隊員の判断が今でも不思議でなりません。事件発生した場所から私が入院した病院はすぐ近くであるのに対し、加害者を先にかなり遠い病院へ連れて行き、最後に病院に連れて行かれたのです。救急隊員は重体と軽傷の区別はあると思います。私は明らかに衣類さえ燃えていて、重体の状態でした。その一方、軽傷である人物は衣類さえ燃えていなく、手と顔だけの火傷だったのです。どうして軽傷の人物を先に病院へ送り、重体である私は後なのか、全くわかりませんでした。私は1分1秒早く病院へ連れていってほしいと思っていたけれど、痛みを耐えていました。その間、きっと本当の証言をする、気をしっかり持たなければと思っていました。

 やっと病院へ着き、処置室へ運ばれたものの、先生や看護師さんはかなりあわてた様子でした。それは、救急隊員が病院へ連絡する際に、「ちょっとした火傷です。」と病院側に伝えたことによって、軽い処置用品だけを用意されていたのです。私はこのときの救急隊員の対応と判断は全く理解ができません。

 私は、先生に「助けて。助けてください。」と何度も言い続けましたが、少しずつ意識も薄れてきました。私の体は全身90%の熱傷で、先生は両親へ「あなたの娘さんですが、1週間もてばいいでしょう。一応覚悟しておいてください。」と告げられました。

 しかし、先生の努力と家族の願いで意識を取り戻すことはできたけれども、目を開けることも、話をすることもできず、ただただ不安の日々の中、人の声、足音を聞き取ることが私にとって唯一の望みでした。

 私が運ばれたICU、集中治療室に警察の方が事件の本当の真実を聞きに何度か来られました。警察の方より「今日は事件の内容を聞きたくて来たのですが、いいですか。もし、つらくなったら言ってくださいね。そのときはまた次にしますから。」と言われ、私は「いいえ、大丈夫です。警察さん、私、悔しいです。何も悪いことしてないのに、どうしてこんなことをされたのかわからない。本当に悔しいんです。」と涙を流しながら事件の内容を説明しました。

 すべて話が終わった後、強行犯の係長さんだった方より「岡本さんは何も悪くないから。私たち警察は岡本さんの味方だから。大丈夫だから。私たち警察は悪い人をつかまえるのが仕事なんだから。よく話してくれてありがとう。今日はゆっくり休んで、一日も早く体を治してくださいね。」と言っていただきました。私はやっと本当の真実を聞いてもらえたと思いながら深い眠りに入りました。強行犯の係長さんの言葉は私に勇気と希望を与えてくれたことで私自身、今もなお頑張れると思います。本当にありがとうございます。

 その後、元の体に戻していくには皮膚が必要なため、父や兄は私に何も言わず、皮膚提供手術を行っていました。そのことを聞いたとき、看護師さんに「お願い。その手術はすぐ止めさせてください。被害に遭うのは私だけでいいから、とにかく早くその手術は止めさせてください。」と言ったけれども、既に遅く、手術は終わっていました。手術を中止させることもできず、悔しくて、悔しくて涙が流れるばかりでした。

 皮膚提供手術は成功し、少しずつ回復へ向かい、その後は自分の皮膚を取っては手術を繰り返しました。

 その一方で、私の父と兄は加害者の親と話し合いをする際、その親は「息子は20歳までしか育てていませんので、あとは知りません。」と言ってきました。その発言に兄は「俺の妹を返せ。元の体に返せ。」と怒り、加害者の親は更に開き直り「たたくなら、たたけばいいでしょう。」と言ってきました。数日たって、国選弁護士より私の家に警告状が届きました。その内容は、精神的苦痛にさせられ、今後その親に近づいた場合、告訴いたしますと送られてきました。私たち家族はそれ以上の被害に遭わされたのです。それにもかかわらず、警告状が送られてきたことにあきれてなりません。

 そんな中、私は毎日壮絶なリハビリを続けていき、先生の支えもあり、やっと起き上がった瞬間、先生、看護師、家族の一斉の拍手が病棟じゅう聞こえるほどでした。このとき、やっと1つの壁を乗り越えることができたという気持ちでした。その後も、元の生活へ復帰できるよう訓練を続け、やっと立てるようになったころ、刑事裁判が始まりました。

 証人尋問に出るか迷っていたとき、検察の方より、「加害者が一生面倒見るから俺と結婚してくれ。」と言って罪を軽くしようとしていることを聞き、私は立つことが精一杯の状態で証人尋問に立ちました。

 それは、裁判官、加害者、その親に事件の酷さを知ってもらうためでした。傍聴席に座っていた私に、裁判官より「何か言いたいことはありますか」と問いかけられ、私は「はい、あります。」と言いました。裁判官より「どうぞ。」と言われ、柵の中へ入りました。私は「裁判官さん、もし、あなたの娘、息子が、何もしてないのに、こんな体にさせられたらどう思いますか。そこのところ、よく考え、刑を下してください。」と言いました。裁判官より「加害者に対してどんな刑を望みますか。」と問いかけられ、私は「死刑にしてほしい。」と伝えました。そして、加害者に対して「あなたは一生面倒見るから俺と結婚してくれと言ったそうですが、冗談じゃない。自分できっといい人見つけます。」と言って柵から出た後の内容を聞きたかったのですが、検事の方より、「もう帰っていい。」と言われ、聞けないまま裁判所を後にしました。

 その刑は、求刑7年、判決6年、それは納得いかない判決でした。その後、加害者、その親からは一切の補償もないどころか、その親は「主人にはいろいろ言わないでください。仕事に影響を及ぼしますから。」と言って、家も他人に売り、逃げ回り、行方をくらましたままです。

 その一方、私は入退院の日々の中、後遺症との戦いが続き、回復へと向かうにつれ、眠れない毎日を過ごしていました。今では手術も以前からすると減り、元の姿に戻れるよう、つらく悔しい日々の中、努力しています。一生懸命治療してくださる先生方に感謝しています。ありがとうございます。

 その一方で、医療費の問題でとても苦しめられました。事件直後から入院費をどうするか、家族は走り回りましたが、だれも相手にしてくれませんでした。市役所に生活保護を申し込むと、「加害者が治療費を払うべきだから手が出せない。」、法律扶助協会へ行くと、「こういう場合、加害者が支払えないから泣き寝入りするしかない。」と言われ、最後には市役所の生活保護担当者を父が怒鳴りつけ、やっと生活保護を認められました。このとき既に入院から2か月。

 退院後、地元で生活保護を受けようとしましたが、当時の保護課の課長が、「犯罪被害者とかかわってこの町まで被害に遭いたくないから。」と言い、却下。2か月かけてやっと隣町で保護が認められましたが、生活保護が認められなかった間、つまり、最初の2か月と退院後の2か月間の医療費を合わせて400数十万円を請求されるようになりました。私が入院中も手術後も病室へ医事課の方が押しかけ、請求してきました。

 私は医事課の方に「母1人に対して医事課の方5、6人で囲み請求するやり方はおかしいのではないですか。私は好きでこうなったわけではない。全く関係ないのに、ここまでされて、加害者がいるのだから加害者に請求してください。」と言いましたが。

 医事課の方は、支払いをさせるため「加害者は関係ない。献血をするときもみんな献血代を支払っているんだ。だからあなたも支払ってください。あなたが病院代を支払ってくれれば、この病院は成り立っていくんですよ。だから早く支払ってください。」「どうしてここの病院に運ばれてきたのか。ほかの病院に行ってくれればよかった。そうすればこんなことにはならなかったのに。」「あなたが刑務所まで行って請求してきてください。」などと言われ続けました。

 私は「加害者が支払うと言ってますので、加害者に請求してください」と言い続けました。

 請求は何年も続き、医事課の方はついに家まで押しかけてきました。私が玄関に出るまでインターフォンを鳴らし続け、私が玄関に出た途端「ああ、今日はいたんですね。だったら話が早い。今日は全額支払ってもらうまで帰りませんから。」と言って3時間ほど座り込みました。

 次の日から病院へ行くのが嫌になるほどで、余りにもひどいため、市会議員の方に相談したところ、それは余りにもひど過ぎると院長に掛け合ってくれました。しかし、一時的に請求はされませんでしたが、再度、医事課の方に請求されました。医事課の方より「被害者は味方もいないし、いつも頭を下げていないといけない。」と言われ続け、すごく傷つけられ、いろいろな問題が重なり、精神的にも落ち着くことはありませんでした。

 生活保護も3年ほどして隣町から地元へ移すことを認められましたが、クーラーを使用することはぜいたく品だからだめだと言われ続けました。私は事件によって発汗作用がなくなってしまい、暑くなると熱がたまり、夜寝ることすらできなくなるほどなのです。何度お願いしても却下されるため、生活保護担当者に「そんなにだめと言うんであれば、私が倒れたり、生命にかかわることがあれば、あなた方で私をみてくださいね。いいですね」と言ったところ、「それは困ります」との答えでした。

 その後、とうとう体調を崩し、病院へ駆け込んだ後、やっとクーラーの使用を認められました。しかし、生活保護担当者は「大変でしたね。」の一言で済まされたのです。私は担当者に「生活保護は何のためにあるんですか。社会復帰のためじゃないんですか。あれもだめ、これもだめ。生活に必要なものはあります。そこのところをよく考え、認めてください。」と言いました。精神的にも身体的にも全く理解してもらえず、私は保護担当者に「もしあなたが私のような犯罪の被害に遭わされたとき、私の気持ちがわかりますよ。」と言いました。すると、担当者は「そんなばかな犯罪には遭いませんから。だから生活保護費を出してやってんだろう。」と言われました。

 事件から5年がたったころ、私は、警察へ加害者の出所日などを聞きたくて警察署へ電話で相談しました。警察の方は、色々と調べてくれましたが、一番重要な、出所日、居住先について警察の方は、「加害者は、既に半年前に出所しており、名字も変わっていました。」そして、居住先については、「加害者のプライバシーがあるので教えられません。」「加害者が出所しているので余り外出しない方がいいですよ。」と言われました。私はなぜと思うと同時に「いろいろとありがとうございました。けれど、今までどおり外出はします。」と答えました。どうして被害者はじっとしておかなければならないのか、全く理解できませんでした。

 どうして被害者のプライバシーや権利はなく、加害者のプライバシーや権利が守られているのか、矛盾があり過ぎます。行政関係や福祉、医療など、手続や相談へ行くと、冷たい対応で、最後には「前例がない。」の一言で済まされました。何をお願いしても却下され、あやふやに片づけてしまう行政の言葉には愕然とさせられました。

 そして、生活保護を受けるとき、民生委員の方より「これから皆さんと一緒のやり方ですから、あなただけ大目に見るということはできないんだから。」と言われました。被害者だから大目にというわけではありませんが、被害者は高額な医療費を請求され、生活さえできない状況なのです。

 そして、法務局人権擁護委員へ相談に行ったところ、担当者より「夜働いていたあなたにも原因あるんですよ。加害者に医療費を支払ってもらいたいなら、加害者が刑務所から出てくる日にあなたが迎えに行って法務局に連れてきなさい。加害者に話してあげるから。」と言われました。

 納得できず、その場は帰りましたが、どうして加害者は優遇に扱われ、被害者は悪いように扱われているのか納得できません。被害に遭わされてからというもの、社会からは事実でないうわさを立てられ、指を指され挙げ句の果て、「加害者の家庭環境が楽しくなく、発散するところがなかったから、あなたをそうしたんでしょう。だから相手を許してあげなさい。」などと言われ続ける日々を耐え、精神的にもぼろぼろの状態でした。

 ある日、新聞記事に全国犯罪被害者の会、岡村勲弁護士先生の記事内容を父が見つけました。弁護士と書いてあったことにこれまでさんざん悩まされていたため、これを最後の望みで事件の書類を父が送った後、岡村先生より連絡があり、事件の詳しい内容を送ってくださいとのことでした。数日後、私は岡村先生に事件のいきさつと手紙を送って以来、苦しい日々と状況から助けられ、平成12年4月、全国犯罪被害者の会(あすの会)に入会しました。

 そして、当時、加害者との民事裁判について、費用を立てかえてもらうように申請しましたが、私の問題は相手にしてくれず、「加害者に支払う能力がないから民事裁判しても一緒ですよ」という長崎の弁護士の言葉には愕然とさせられました。そこで、岡村先生を通じて名古屋の弁護士からたどりにたどって、九州の被害者支援弁護士の方が、加害者の情報や福祉、医療など対応していただきましたが、民事裁判については、私の住所を記入しなければならないため加害者から報復のおそれと、事件から年数がたっていることから、時効という壁でした。なぜ被害者に時効があるのか納得できませんでした。それは一生の人生を奪われたからです。

 そして、ある日、新聞記事に被害者110番の記事を見つけました。私は勇気を出して電話で相談しました。初めは不安もありましたが、女性警察官の方で、安心感がありました。事件のすべてを話しているときも親身になって聞いていただきました。後でわかったことでしたが、その相談室は性犯罪被害者相談窓口だったのです。その女性警察官の方は何も言わず、犯罪の被害者である私の体験をずっと聞いてくれ、いろいろと支えていただきました。本当にありがとうございます。

 そして、平成13年に長崎県警察で岡村勲先生が講演された後、警察の方の対応が変わりました。

 そして、犯罪被害者対策室も全国に設けられました。

 被害者対策の担当者の方は2、3年ほどで代わりましたが、報復の不安の中、再発防止のため、見回りや引継ぎを常にしていただきました。ありがとうございました。

 事件が発生してから最初に会うのは警察です。事件現場で何の説明もなく、突然フラッシュの光を照らされ、撮り続けられたとき、とてもつらい思いをしました。事件から数年がたち、その写真は検察庁へ送られ、刑事裁判で使われることを初めて知りました。だれでも、何も言われず突然写真を撮られるのは嫌なものです。私はそのとき、警察の方より、一言言ってほしかったです。事件の本当の真実と、刑事裁判で証拠を残すためと言ってくれたら、私はこのときの状況や状態を明らかにするため撮ってくださいと言ったと思います。このとき、一言言葉を交わすことによって状況は変わってくるのではないのでしょうか。どうか、改めて現場での対応を見直していただきたいと思います。もし大切な家族が被害に遭わされ、事件現場を直視しなければならないとき、それでも冷静に写真を撮り続けられますか。私は是非とも改善していただきたいと切に願っています。

 そしてこれまで、被害者は二の次に扱われ、被害者の権利、知る権利、調べる権利、出所情報など、はるかに日本は遅れていました。日本の司法制度には、被害者のための裁判ではないとされ、証拠品と扱われていました。そこで、あすの会は、平成14年9月、刑事司法制度の調査のため、ドイツ、フランスへ行かれました。

 そして、同年12月から、あすの会は、犯罪被害者のための刑事司法、訴訟参加、附帯私訴の実現を目指して、全国街頭署名活動を行いました。真冬からのスタートで、ときには余りの寒さで声が震えてしまうこともありました。しかし、雨風、猛暑にも負けず、一人ひとりに署名をしていただき、最終的に署名総数55万7,215名となりました。そして、平成16年6月に署名を野沢法務大臣に提出し、同年7月8日には、あすの会創設メンバーの方々が小泉総理に会い、被害者の現状を伝えることができました。

 そして、平成16年、被害回復制度の調査のため、ドイツ、イギリスへ第2次調査団を派遣されました。その後もあすの会は、犯罪被害者の権利と被害回復制度の確立を求める意見書を全国の県議会と市議会から国へ提出していただく陳情活動を行ってきました。

 つまり、地方自治法99条に基づく意見書を採択してくださいという陳情活動を行い、最終的に110の地方自治体が意見書を採択してくださいました。あすの会では、これまで犯罪の被害に遭わされ、どこからも支援も補償もない状況でした。つらく悔しい日々の中、体力も悲鳴を上げていましたが、これからの被害者の方々に私たちと同じ苦しみを味わわせたくない。もし犯罪の被害に遭わされたら、少しでも救われるようにと活動してきました。

 その声が届き、平成16年12月1日、犯罪被害者等基本法が国会で可決、成立され、平成17年12月27日、犯罪被害者等基本計画が閣議決定され、本当に画期的な法律ができました。

 毎年11月25日から12月1日の1週間、犯罪被害者週間が設けられました。そして、被害者が裁判を起こす際、これまで自宅の住所を記入しなければならず、加害者からの報復や不安にさらされ、裁判を起こすことができませんでしたが、弁護士事務所の住所を記入できるようになりました。

 そして、これまで被害者のための裁判ではないとされ、証拠品として扱われ、被害者はかやの外でしたが、昨年12月1日から、被害者も裁判に参加できるようになり、加害者に直接質問をしたり求刑もできるようになりました。刑事裁判と民事裁判を一緒に行って、加害者に一度に請求できる、いわゆる被害者参加、損害賠償命令制度が実現されました。また、これまでどおり刑事裁判と民事裁判を別々に行うこともできます。

 そして、事件が起きてから、加害者側には無料で国選弁護士がつきますが、被害者はすべて自己負担になっていましたが、被害者側にも国選弁護士がつくようになりました。やっと一つひとつ、被害者の権利が実現され、日々感動している次第です。

 その一方、補償制度が実施される前の被害者、つまり、犯罪被害に遭わされたことによって、生命、身体、精神に及ぶ後遺症が残ってしまった被害者への補償制度は全くと言っていいほど何の補償もされていない日本は遅れています。どうか、後遺症が残ってしまった被害者への補償制度を確立してほしいです。

 加害者は国の費用で医療、食費、給料をもらい、刑務所から出所した後、社会復帰できるよう刑務所内で資格を得て、会社を経営することもできます。その一方、被害者は収入も住むところもなくなってしまい、戻れる会社があるならば復帰できますが、戻れる会社がない場合、被害者は全てゼロになってしまうのです。

 その加害者は、現在、会社経営をしています。私は加害者から謝罪してほしいわけではありません。私が一番に望んでいることは、私の人生すべてを返してください。その一言です。今の被害者の現状をきちんと見てください。本当につらい状況に立たれているのです。

 そして、被害者は裁判が行われるとき、証拠品と扱われていました。証拠品は身につけていたものであって、被害者は物ではありません。人間です。一人の人間です。物ではないのです。きちんと理解していただきたいと思います。

 そして、被害者支援センターについて、現在では全国に設立され、被害者に添ったサポートが見受けられるようになりました。私の事件当初は相談できる場所がありませんでした。支援センターが設けられたときには本当にうれしかったです。ようやく被害者への支援の輪が広がり、相談内容も守ってもらえると思っていた矢先のことでした。言葉の配慮のなさに傷つき、個人情報や相談内容を漏らされ、了承なしの報告、要望を無視され、支援をしてやったといった対応が多く、つらく、悔しい思いをしました。これでは被害者支援センターの自己満足にしか過ぎません。いま一度、センターの対応と在り方について、二次被害、三次被害、それ以上の被害者を増やさないためにも、改めて見直していただくことを切に願います。犯罪の被害者は、なりたくてなったわけでも、かわいそうでも、同情してほしいわけでもありません。一人ひとり理解してくださる方が多くなっていただけたらと思っています。いつ、どこで、だれが被害に遭うかわかりません。明日は我が身です。

 そして、各行政機関や、弁護士、被害者支援の方々に実施していただきたくお願いがあります。ある日突然、被害に遭わされ、行政関係や各所へ相談に行ったところ、すべて専門用語で対応されたことでした。私たち被害者は一般の素人です。だれでも初めから何でも知っているわけではありません。相談に来られた被害者の方々には、専門用語は使わないでほしいのです。説明や時間を短縮するのではなく、わかりやすい説明をお願いいたします。私たちは何もわからず、救いを求め、相談に行っているのです。どうか、今後安心して被害者が相談できる対応をお願いいたします。

 大変長くなってしまいましたが、少し説明をさせていただきたいと思います。手元にあります資料の方をご覧いただきたいと思います。

 最初に岡村勲先生の表紙があります。こちらは、全国犯罪被害者の会が全国各地を回り署名活動を行ったときの記録です。2ページ、3ページ、4ページまであります。ドイツ、フランスへ調査に行かれた弁護団のことが載っております。

 次に、小泉総理と創設メンバーが直接会い、被害者の実情を訴えることができた記録です。

 次に、6ページ7ページですけれども、森山法務大臣、野沢法務大臣に署名を提出し、したときの写真です。

 次に『犯罪被害者の声が聞こえますか』という文庫本ですが、こちらは元NHKディレクターを務められていました東大作さんが犯罪被害者の置かれた現状を、一冊の本につづられています。書店の方にも販売されていますので、是非お読みいただきたいと思います。 そして、昨年12月1日から被害者参加制度、そして、損害賠償命令制度が実施されました。そこであすの会の顧問弁護士の方がもっと分かりやすく、冊子の被害者参加、損害賠償命令Q&Aと、裁判劇のDVD「偽装あなたの名誉を守りたい」を作成して下さいましたのでぜひご覧いただきたいと思います。この裁判劇は、2008年11月日比谷三井ビルにおいて行われたものです。

 あすの会は、独自で会を設立しており、社会の皆様からの寄付で賄われております。どうかご理解とご支援の程、よろしくお願い致します。

 申し込み後は、あすの会の方から送っていただきます。これは、人ごとではなく、身近に起こり得ることであり、被害者が相談に来られたとき、「こんな制度がありますよ」と救える対応ができるのではないかと思います。

 そして、最後に「犯罪被害者支援フォーラム2008inかごしま」では、昨年11月28日にあすの会の会員で関西有志の人達が、被害者の権利を求めて人形劇の手段を使って活動しています。ぜひご覧いただきたいと思います。

 時間も限られていますので、これで説明を終わらせていただきます。大変長くなりましたが、本日は、内閣府犯罪被害者等施策推進室の方を始め、皆さま、お忙しい中、足を運んでいただき、長い時間御清聴いただきましたことを心よりお礼を申し上げます。今日は本当に、本当にありがとうございました。(拍手)



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