福岡大会:基調講演

「犯罪被害者等の置かれた立場」

北口 忠(被害者御家族)

 皆様、こんにちは、今日はお忙しい中、どうもありがとうございます。

 今から約14年前、娘を亡くした父親です。事件、事故等は本当に様々で、どこで、いつ発生するのか、それが分からない現状ではありますが、今日は私一個人、被害に遭った父親の思いとして聞いていただけますと大変助かります。被害に遭った家族は、強く生きようと思いながら、やはり精神的に弱い面も出てくる、そういうこともありますので、今後、皆様の助けも必要になってきますので、皆様に支援していただけることを願って、今日はお話しさせていただきます。

 今日は事件の事を知っていただこうと思って、事件の概要とその直後、現在の状況、それと今まで支援していただいた支援の内容と、支援をいただく中、二次的被害と言えるかどうか分かりませんけれども、その辺の話をさせていただくのと、それ以外でも支援していただく皆様にも当然安心・安全、それにも心配りしていただきたいので、その辺の意識向上のためのお話と、それと広島県でも福岡県でも一緒ですけれども、未解決事件が数多くありますので、その事件解決のお願いについてもお話しさせていただこうと思っております。

 事件の概要ですけど、我が家の事件は平成16年10月5日、場所は廿日市というところで発生しました。廿日市といっても分からないと思いますが、我が家は宮島から車で10分くらいの場所で、どちらかというと田舎で、今まで犯罪等が余り起こったことのない、そういった地域に住んでおります。

 事件が起こったのは平日の火曜日、午後3時前だったと思います。そのとき、私に連絡が入ってきたのが、ふだん、余り携帯のほうに電話がかかってくることのない親戚の方から、急に一報が入り、「家で事件があったからすぐ帰りなさいよ」と。「どんな事件なの?」と聞いても、多分分かっていたと思いますが、「いや、それはよく分からないので、とにかく早く帰ってきなさいよ」とそれだけ伝えられて、すぐ帰った状況であります。

 私はJRで通勤しており、近くに妹が住んでいたので「うちで事件があったみたいなので駅まで迎えに来てくれないか」と電話で話をして「いいよ」ということで、駅まで迎えに来てもらい、ちょうど駅に着いたときに、妹の知り合いに娘の搬送された病院の方がおられ、車に乗ったときにその方から妹へ電話が入り、電話を代わり「お父さんですか?」と聞かれ、「今、家に帰られても、家に入れる状態ではないですし、病院のほうに娘さんが搬送されていますので、身元確認に来ていただけますか?」と言われました。病院なら緊急手術を行うとか、処置を行いますと言われると思いながら、“身元確認”という言葉で、これは少しとんでもない事件かなという思いで、そこから私も記憶が飛びまして、駅から病院まで、これも車で5分くらいで行ける場所で、いつもの道を通ったと思いますが、どこを通っていったのか、それさえも分からず、病院に行き、病院に着いたら「こちらです」と連れて行かれ、そこで娘と対面しましたが、そこには眠っているような姿の娘、揺り動かしても起きて来ませんでした。嫌なことは忘れたいけど、忘れることのできない、そんな娘の寝ているような姿は、今でも絶対に忘れることはないですね。

 そのあと、すぐ警察の方が来られ、署の方に行っていろいろ話をしましたけど、現実なんですけど、やっぱり気持ちの中で、夢なの、という気持ちも強く、なかなか現実を受け入れることができない自分がいたと、今になってそれは言えるのかなとも思っております。

 事件直後の周囲の方の話をすれば、事件前は、近所の方と会ったとき、当然、朝であれば「おはようございます」、夕方であれば「こんばんは」と挨拶して、そのあと世間話をするような仲ではあったのですけれど、それがなかなか、こちらも会って何を話せばいいのか分からないし、近所の方もどう声を掛ければいいのか分からない。そんな状況で、“遠巻き”と言うと少しおかしいですが、ある程度、距離をとられて会釈だけされて過ぎ去っていく、そんな日々が続いたというのは今も覚えておりますし、私の友人にしても、大学を卒業して40年近く経ちますが、その友人でさえ、事件後、会ったときに「おい、北口、どう話し掛ければいい?」と話すこと自体が難しかったことを今でも覚えております。

 また、我が家の横が高校の通学コースになっていて、事件前までは自転車で通学される生徒の皆さんを見ていましたが、事件後、我が家の横を通らず別ルートでも行くことができますので、生徒さんを見ることがなくなった、そういうのも今でも覚えております。ただ、事件から約14年以上経ちますので、今はそんなことなく、皆さん、普通に通学はされております。

 あと、家内と子供ですが、家での過ごし方といっても、なかなか外に出るわけにもいかず、子供たちとどういう具合に時間を過ごそうかということで、ジグソーパズルでもつくるかということで、1000ピース、2000ピースのジグソーパズルを10個以上つくった記憶があります。今でもつくったジグソーパズルは残っていますが、いい思いでつくったものではないので、それをまた見るということはほとんどない状態です。

 そんな中、一番気に掛けていたのが家内で、「どこかへ行って気分転換でもしたら」と言っても、「いろいろなところに娘と行っているから、気分転換に行けと言われても、私、行くところ、全部、娘と行った思い出しか残っていないので、逆に気分転換にはならないよ」と言い、多分私以上に苦しい思いをしたんじゃないかなと思っていますし、一番つらかったのが、子供たちの面倒を見ながら、炊事、洗濯、子供に対しては笑顔で接する、その辺の気苦労というのは私に比べたら家内はすごく大変なことじゃなかったかなと思っております。

 父親の私としては今でもそうなんですけど、娘の誕生日が7月なので7月と、事件のあった10月、これは苦手な月となっておりますし、行けない場所もありまして、特に広島で言えば、8月に宮島の花火大会があるのですが、娘といつも見に行っており、その別れた年も楽しい思い出しか残っていないので、それから花火自体を見る勇気を得ることもできず、事件後は花火を見ることはなくなったのが現実ではあります。ですから、東北の震災のあと、復興花火ということで花火があがり、それを見られて、勇気や力をいただいたと聞くニュースや記事を目にしますが、私はそういう気分にはなれず、花火大会はまだまだつらい思いしか残っておりません。

 家族は大変な思いをしましたが、友人も大変な思いをしたと感じております。というのが、ちょうど事件に遭ったのが修学旅行に行く約1週間前でしたので、行ったあと、一番の親友が我が家にお土産を持ってきてくれましたが、そのお土産を仏壇の横に置き、仏壇に20分も30分も座って語り掛けているその姿、その姿も忘れることはないですし、そういう思いもしてほしくはないという思いも強かったです。

 当時は、修学旅行にうちの娘が行けなかった、そういう思いのほうが強かったのですけど、約5、6年前、副担任の先生と会うことができて、そのとき、初めて私が「先生、修学旅行はどうでした?」と聞くと、「最初のうちは、みんな悲しい雰囲気でしたけど、最後のころは笑いが出てきて、ふだんと変わらない修学旅行でしたよ」と聞いたら、私は良かったという気持ちにはなれました。修学旅行というのは、高校であっても中学であっても、当然、一生に1回しか経験できませんので、その旅行が悲しいばかりで終わっては大変なことですから、いい思い出をつくれたなら良かったのではないかなとは思っております。

 事件がいつ解決するか、いつ解決するかと、そういう思いを持ちながら、毎年過ごしてきたわけですけれど、突然、今年の4月、急展開して事件が解決して、事件が解決したことだけは、未解決と解決するのでは大きな違いがありますので、精神的には一つモヤモヤがとれた、そういう気持ちにはなっております。

 ただ、これから事件に対する裁判が始まるわけなのですが、よく皆さん、「大変だ、大変だ」とは言われるのですが、まだ私自身は、何が大変なのか、全然分かっていません。その辺は、また皆さんの御協力によって支えていただこうと考えております。

 次に、支援の話ですけど、支援があるのとないのとでは大きな違いがあります。今現在、変わらず生活できるのは、皆様の力が大変大きいと感じておりますので感謝するばかりではあります。

 事件に遭った早い時期の支援ですけど、事件当日の夜、警察署で被害者対策室の方とお会いして冊子と名刺を渡してくださり、「北口さん、今、私が誰だ、この冊子がどうだという説明をされても多分頭に入らないと思うので、とにかくこれだけはなくさないように気をつけてください。何かあれば、とにかく連絡ください」と言っていただき、別れる前、心配していただき「北口さん、今日、泊まるところはありますか」と聞かれました。というのは、事件自体が我が家で起こった事件なので、我が家には帰れない、そういう状況だったので、宿泊する場所を心配していただき、「私、妹の家に今日は泊まりますので大丈夫です」という話をしてその場を別れた事も覚えています。一番心配だったのが、当時、目撃者だった妹は、小学生でしたので、いつから学校へ通っていいのか、その辺が分かりませんでしたので、対策室の方に「小学校へ通学するのはいつのタイミングがよろしいですかね」と相談したのが多分最初だと思います。その連絡をしたら、「分かりました、北口さん。また関係者と連絡をとってお電話しますので、少し待ってください」と言われ、翌日には電話が来たと思います。そのときには「いついつから学校のほうへ通学されても大丈夫ですよ」ということを受けて、本当に良かったなという気持ちにはなりましたし、そういう話ができる場所があったことに感謝する思いが強かったです。

 それと、当時、一番気にかかったのが、娘が搬送された病院は私が住んでいる廿日市市内だったのですが、同じように被害に遭った私の母は広島市内の病院に搬送されて、体中、何カ所も刺されて、一時は心臓も止まるような危険な状態でした。その母が集中治療室にいるときに、自分より気になるのが娘のことで、「娘はどうなの? 娘はどうなの?」と聞いてくる中、母も心身共に大変な状態で、娘が亡くなったというのはなかなか言えず、「別の病院で元気で頑張っているから、ばあちゃん、あんたも頑張れよ」としか、言えませんでした。いつ私の母に真実を伝えるべきか、これもなかなか自分一人で決めることもできず、そのときも相談して、いつまでも隠すというのもおかしな話なので、集中治療室から出たとき、タイミング的にはそれが一番いいと言われて、話したのですけど、これも言葉にして話すのに、今までで一番いやな言葉で伝えるということも感じておりました。「実は」と言って私の母に話をしたとき、母もがっくりきたというのも、忘れたいけど忘れられない、そういう思いが強いです。でも、助けていただいたことには感謝しております。

 その後、支援はずっとしていただき、何か困ったときに私のほうから相談するという格好で、多分1年以内の話になりますが、カウンセラーの方に相談内容として、当時、寝れない時期が続き、あと変な話ですが、精神科の先生を紹介していただき、どういう状態なのかというのも診ていただきました。また私の母も体の具合も悪かったので、母の心配で相談をした事もあったと思います。

 これからの支援となると、事件が解決すれば裁判が始まりますが、どういう流れになるのか、被害者家族としてどうすればいいのか、この辺がまだ全て分かっていない部分が多いので、その辺は教えていただこうと考えております。

 支援の事ですが、事件後、ある会合でボランティアの人と会い、そのとき言われたのが、「私に相談していただければ、何でも解決できますから、何でも相談してくださいよ」と、すごく自信を持って言われたのは覚えております。ただ、自信を持たれるということはすごくいいことだとは思いますけれども、全て解決できるとなると、これはどうなの?という思いになりましたので、言い方一つになりますが、「聞いていただきたいという気持ちがあれば、私、聞いて少しでもお手伝いしますよ」という気持ちも大切では?と思いました。

 あと、支援の中で、これも私一個人の考え方になりますが、話を聞かれ、時々涙を流される方がおられまして、涙を流されると、こちらが涙を流さないようにグッと我慢しているのに、逆に悲しい顔をされるとすごくつらくなるので、涙を流すというのはできれば避けていただきたい。そういう思いが強いのと、私の場合、ずっと相談している人は替わらず一緒だったので、その辺はすごく助かりました。どこまでできるかはなかなか難しいのですが、相談を聞いてくださる方は、できれば替わりなく、その方が、例えば北口さんの担当ですよ、という具合にずっと聞いていただければ、こちらも話しやすいので、最初に話した方がずっと支援していただけると助かります。

 次に、マスコミ等の支援の話をすれば、未解決事件の場合、事件の風化が一番怖いことなので、その大きな力が頼りになりました。気持ちの中ではそっとしておいていただきたいという思いもありながら、一件でも多くの情報を集めるためには私が前に出るべきという、矛盾する考えの中で対応させていただきましたので、事件が解決するまで御協力いただいたことには感謝するばかりです。

 そんな中、特にマスコミ関係の方で、私が思っていることは、皆さんもそうだと思いますが、最初から没になる仕事はやりたくないですが、ある報道関係の方達から事前取材を依頼されて、その取材を受けるときに、「北口さん、何月何日に放送とか記事にしますが、それまでに事件が解決するのが一番ですから、北口さんがここで話したからといって、この内容が全て没になるのが一番いいことです」と、そういうお声掛けをしていただいて、やっぱりすごい考えの方だなという思いにはなりました。なかなか、自分の仕事を、最初から没になることを前提に仕事をするというのは大変なことですけど、そういう考え方をお持ちで仕事をしていただく方というのは本当にすばらしい方だなと思いました。

 未解決だった時、国の制度による支援の話を少しすれば、我が家の場合、報奨金制度で扱っていただいた事件だったので、事件の風化防止のためのチラシの作成は、国のほうで行っていただいたので大変助かりました。

 それと、未解決事件に対して、うちの事件の場合、事件の発生した当時、「時効」というものがあって、我が家の事件の場合、15年、そういう期間が区切られていましたが、これも皆さんのお力によって、平成22年4月に時効が撤廃になり、いつまでも解決しなければ犯人を追い続けることができる、これはすごく勇気もいただいた、そういう気持ちにはなりました。

 というのも、凶悪事件に遭わないのが一番ですけれども、遭った人間からすれば、犯人に対する処罰感情は、年数が過ぎれば過ぎるほど薄れると思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、絶対にそんなことはなく、いつまででも犯人は憎いばかり。そういう思いですから、もしも時効があって、時効だからといってそれを迎えた犯人の笑う姿、そんなものは見たくないし、想像したくない、そういう思いのほうが強かったです。

 これは余談になりますが、私は、未解決事件「宙の会」に所属しておりまして、会長を務めておられます小林様から話を聞いたとき、もし時効があれば、小林さんの事件は平成23年9月9日に時効を迎えたわけなのですが、当時、時効を迎える前の平成22年4月の前の時点で話を聞いたとき、「北口さん、15年と聞けば長いような気がするけれども、これが近づいてくると、例えば2年前になったら、あと2年という思いでなく、1年を52週と考えたら、2年だと104週しかない。それが毎週月曜日を迎えてくれば104週、103週と毎週減っていきますよ」と。それを聞いた時には、たしかうちの事件の場合、まだ7、8年あったので実感は湧きませんでしたが、それを思ったのは、去年10月、ちょうど時効があれば残り2年。「あ、うちの事件ももし時効があれば2年、104週しかない。この間に事件は本当に解決するのだろうか」という、すごい不安に駆られたという思いは残っております。

 今は時効が撤廃されましたが、もし、撤廃されず、時効が残っていればすごく大きな問題だと感じております。

 次に、二次的被害の話に移りますが、どこまでが二次的被害かといえば、人それぞれ、感じ方によってかなり違うとは思うのですが、私が感じた中で、特に事件直後に断っても断っても、どうしてもうちに来たいと。どうしても会ってお話をしたいと言われる方がおられまして、事件直後でしたから、私も母の入院している病院には行かなくてはいけない、県警の方から話を聞きたいと言われ、なかなか時間がとれないし、「気持ちだけでいいですよ」と断っても、「どうしても短い時間でいいですから、少しお伺いさせてください」「そこまで言われるならいいですよ」とわざわざうちに来られるけど、来られて話をされるのかなと思えば、家の中をキョロキョロ見られ、事件前と事件後、変わっている所が無いか探される風にしか見えない。そういう感じを受け止めましたので、そのとき、「この人、私たちのことを思ってきているのかな。それとも様子伺いに来ているのかな」という思いになった覚えがあります。

 それと、私の家内も事件後、パートで仕事をしており、そのパート先での話ですが、どういう気持ちで言われるのかよく分からないですけど、「北口さんて、あの事件に遭われた北口さん?」と聞かれ、あまりいい話ではないので、「いや、全然関係ない。私じゃないですよ」と答えれば、相手の方が「ああ、そうなの、全然関係ない方なのね。でも、私、そこの奥さん、よく知っていますよ」と話されます。家内にしてみれば、「私はこの人を知らないのに、何を知っているの」。逆に言うと何を目的で話を聞きたいのか、そういうのが理解できないと強く感じたこともありました。

 それと、先ほどのマスコミ関係の方の話になりますが、良い点もたくさんある反面、少し悪い点というか、困った点もありました。相手の方の都合もありますので、突然のキャンセルとなったり、取材等は私の子供や家族は受けたくないということで、私だけが取材に応じていたわけですが、「そう言われても、家族の方から一声もらえませんか」と言われたり「現場も見せてください」と言われる時もあり、「すみません、現場も見せるわけにいかんので、それは勘弁してください。」と断ることが多かったです。

 報道の内容によっては、予告編を流されて、「いついつテレビで報道します」ということもありました。予告編がいつ流れるか、その辺も全然分かりませんので、例えば、テレビを家族で見ていて、面白い番組であれば、みんなで笑いながら見ていて、突然、我が家の事件の予告編が流れると、家族の中でも会話が途切れ、笑顔も消えて、何を話せばいいの、というような雰囲気にもなる。その辺が風化防止と、あと情報提供のために協力していただくことには感謝しながら、すみません、この辺はどうかなという思いにもなりました。

 テレビの場合、取材ですと約1時間取材を受けて、放送としては5分から長くて10分もない中、編集していただいて、事件解決に向かう報道をして頂きますが、私自身がすごく真面目とか、悲しいお父さん、そういうイメージを放送されたいのか、そういう面も強調されるときもありましたので、私はどこにでもいる普通のお父さんだから、あまりいい面ばかり強調されると、少しつらい面があるので、そういうことはできれば避けてくださいとお願いしてはおりました。

 そんな中、一番困ったというか、いやなことだったのが、事件直後、私は、取材も受けておりませんし、当然、ニュースや新聞記事、それも一切見ることがなかったのですけれども、そのためにどういう報道がされているのか、それが全て家族には分からず放送されており、どこから娘の写真を入手されるのか、テレビでは必ず娘の写真が出てくる。その写真なのですけど、使っていただきたい写真や、これはどっちかというとあまり使ってほしくないなという写真もありますが、その辺は一切関係なく報道される。その辺はしょうがないことなのかなと思いながらも、もう少し配慮もいただきたい思いにはなっております。

 それと、強く思ったのが、事件後、約1カ月、会社の方は特別の休暇をいただいて休んでいましたが、復帰した日の帰りのJRの車内で、偶然ですけど、年齢のあまり変わらない男の人二人が「おい、1カ月経つけど、あの廿日市の事件がまだ解決せんな」と話し始め、記憶に残っているなと思いながら、次に出たのが「まあ、家で殺されるくらいじゃけ、どんなワルの女の子や」と話をされたので、そんなことはないよと言えないし、逆にそんな思いをされるということは、例えば新聞記事やテレビ報道で「犯人は分からないけれども、これは恨みによる犯行か?」というような想像で書かれると、皆さん、そういう思いになるのでは?と感じました。「うちの娘は人に命を奪われるような、そんな人間じゃない」とどこかで訴えたいけど、それを打ち消すことはもうできずに、極端な話、今までずっときている、それが現状ではあります。ですから、「報道される」というのは、全部分かって報道されるというのはいいですけど、真実以外で想像の部分を書かれて、それが一人歩きして、とんでもない方向にいくと大変な思いになるので、その辺は注意していただきたいな、そういう思いが強いです。

 それと、これは二次的被害とは少し意味が違うかもしれませんけれども、先ほど話しました報奨金制度、これはすごくすばらしい制度ではあるのですが、日時が決まっていまして、うちの事件の場合だったら3月1日から始まり、翌年の2月28日から29日で終わる、1年ごとの更新です。残された家族としては事件の解決をすごく願っているわけですから、1年という期間でなく解決するまで更新を続けますよと、そういう制度に変わっていただきたい、そういう思いが強いです。それと同時に、我が家の場合、その制度によってチラシをつくっていただき、毎年、事件の日の10月と更新を迎える2月末前後、2回ほど、最低でもチラシ配りをしていましたが、チラシのほうも受け取っていただく方と、「私は知りません。関係ないですよ」と全て無視される方、様々でしたので、風化防止と情報は持たれていなくても解決を願うということで、チラシのほうは受け取っていただきたかったなという思いにはなっております。

 それと、あと一番困った点は、風化防止で事件のことは覚えていただいている、これはすごくいいことだけど、ただ逆に、先にお金を要求してくる方もおりまして、私は、ブログの中でメールアドレスを出していて、その中で情報提供を呼び掛けていましたが、そのメールに「私は犯人を知っている。先にお金を払えば教えてあげる」というようなメールも、何通かはいただいたことがあります。そのことに関しては、私からの返信は「あなたに誠意があるなら、先に教えてください。間違いなければ、必ずお支払いしますから」という返信メールをしたら、2回目の連絡はなかったです。

 それ以外では、何人の方が来られたか少し覚えていないのですけれども、宗教団体の方が家に来られて、言われるのは「うちの宗教に入会されますと、必ず事件は解決するので」と。私がいた場合は、「お父さん、ぜひ入会してください。そうすれば、極端な話、明日でも事件は解決しますよ」と話をされます。その話を聞いたあと、いつも私が言っていたのが、「その気持ちはありがとうございます。そこまでの自信をお持ちなら、先に事件を解決してください。解決していただいたら、私、喜んで入信しますから」と答えると、そういった宗教団体の方も二度と来られることはなかったです。どういう気持ちで来られるのか分かりませんけど、残された家族のことを考えた行動をとっていただきたい、そういう思いが大きいです。

 事件に遭ったのも大変なことですが、そのあと周りの方の支援というか、お力、考え方、これによって残された家族は命を奪われた娘に比べたら大したことはないけれど、残された家族のことを真剣に考えていただきたい、そういう思いが強くなりました。

 次に、皆様の安心・安全の話になるのですが、私の場合もそうだったのですけれど、凶悪事件というのはどうしても他人事、テレビや新聞記事の中での話ということで、「うちには関係ないんじゃないか」、そういう思いをどうしても持ってしまうのですが、この考えを持つのは一番危険なことですから、凶悪事件に遭わないようにしていただきたい。皆さんも安心・安全について考えていただきたい、そういう思いが強いです。

 我が家の事件が10月に起こるその前の9月に、皆さんも御存じだと思いますが、岡山県の津山で同じように小学生のお子さんが自宅で亡くなられた事件があったのですが、この事件もうちの事件の1カ月後に解決したのですが、テレビで見ながら、「なんで小学校の女の子が自宅でこういうことに遭うの」というような、やはりどこか他人事で見ていた自分がいる。その1カ月後に、我が家で娘と別れる事件が発生する。こんな凶悪事件が、どこでもあり得るのだと気付いたときには、逆に大切な娘を失っているわけですから、後悔以外何もない。そんな感じになりますので、皆さんには凶悪事件を他人事として絶対に見てほしくない、そういう思いが大きいです。

 最近の犯罪は、加害者が「誰でもよかった」というような、わけの分からない事件が多いのですが、家の戸締まり、家のゴミ出しをするわずか30秒でも鍵を掛けるような癖をつけるとか、夜道を家に帰るのに明るい道だと遠回りになる、暗かったら早く帰れるという道を歩かれるときでも、なるべく安全なところを歩いていただきたい。どこまで防ぐことができるかというのはなかなか難しいのですが、我が身と家族のために安心・安全を、いつもとは言いません、ときたま考えていただきたいと思っております。

 それと、この中にももしかしたら小学生のお子さんをお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんが、今だったら多分学校で安全マップづくり、それもやっておられるとは思います。犯罪が起きやすいのは、入りやすく、見えにくい場所。そういったところをクラスで班編成して、自分たちの通学路で見つけているとは思いますが、そういった場所を見つけるのも、例えば7、8人のグループであれば、グループの中心になる人、その周りでサポートする人、そのグループ内で中心人物やサポートする人間について一緒に回るという、お子さんの性格によってかなり違うと思いますし、逆にそういったところは父親、母親が自分の子供の性格を一番よく分かっていると思いますので、我が子はどうなのかなと思いながら、一番いいのは通学路を一緒に歩いて、どこが危険な場所や安全な場所、その辺の確認はしていただきたいと願っております。

 うちの場合、事件後、解決するまで、どこに犯人がいて、またいつ遭遇するか分からない、そういう不安がありましたので、小学校、中学校、高校とずっと車で送り迎えしていましたので、そういう面では子供にはすごく窮屈な思いをさせ、「お父さん、私も友達と歩いて行って、歩いて帰りたい」と希望したけど、「いや、それは解決したら大丈夫だけど、今は少し我慢して」とお願いして、車で送り迎えしていたので、通学の途中で犯罪に遭うという心配はなかったです。でも、自宅から学校まで歩いて通学されるお子さんには、まず親としてもう少し気をつけていただいたら、少しは安全が向上するのではないかなと思っております。

 最後になりますが、特に未解決事件ですけど、御協力のお願いになります。風化が一番怖いですし、解決するにはやはり皆様方からの情報提供が大きな力となりますので、些細なことでもいいので話していただきたい、そういう思いが強いです。話すとなるとかなり勇気が要るとは思います。「話してもいいけど、これ、間違った情報だったら警察官の方に怒られるんじゃないかな」という思いを持たれるかもしれませんが、怒られることはないので、とにかく何でも話していただきたい。

 そして、話をしようと考えられた方は、必ず身近な方に相談されるんじゃないかと考えております。そのとき、例えば、「私、噂話やけど、こういうことを聞いたので、警察に話そうかな」と相談されたときに、聞かれた方が「いや、そんなん、しゃべっても仕方ない」と言われたら、もうその情報は絶対出てきませんので、そうではなく、相談された方は「それ、間違ってもいいから絶対話したほうがいいよ」と後押ししていただきたい、そういう思いが強いです。ですから、そういう話を聞かれたときには打ち消すのではなくて、話していただけるように後押ししていただきたいと願います。

 我が家の事件の話を少しすれば、私自身のほうにも情報提供していただきましたが、それは全部違っていました。でも話していただく勇気を持たれた、その気持ちにはすごく感謝の気持ちが強いです。広島にしても福岡にしてもまだ未解決事件がありますので、その事件が1件でも多く解決するように、皆様方の情報提供をお願いするばかりです。

 事件・事故に遭ったとき、遭わないのが一番なのですが、遭ったときには、この福岡であれば福岡犯罪被害者支援センター、福岡窓口と北九州窓口がありまして、福岡窓口であれば092-735-3156、北九州窓口であれば093-582-2796、祝日・年末年始を除く毎週月曜日から金曜日まで相談窓口が開かれていますので、何もないのが一番ですが、あったときには必ず力になっていただけるセンターですので、そのときには皆様、自分で悩むことなく相談されたほうがよいです。

 今の世の中、わけの分からない事件が多い中、うまく言えないのですが、事件に遭うとつらく悲しい思いしか残りませんので、支援していただくのも大切なことなのですけど、支援者の方も事件・事故に遭わないように願っておりますので、皆様も気をつけてください。今日はどうもありがとうございました。

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