徳島大会:基調講演

「性暴力被害とその後の人生」

柳谷 和美 (おやこひろば桜梅桃李(おうばいとうり)代表、心理カウンセラー)

 おやこひろば桜梅桃李代表、心理カウンセラーの柳谷和美です。今日は「性暴力被害とその後の人生」ということで、内容は少しだけ重たいです。しかしながら、「こんなに元気になれるのだよ」ということを、皆さんにお伝えできたらと思ってやってきました。

 いつもこういった講演会では、私はおやこひろばのユニフォームを着ています。今日は「なんとかなる」と書いてあります。背中には、「根拠はないけど大丈夫」と書いてあります。これをモットーに活動しています。

 まずは、私の被害とかいろいろ体験したこと等をお話しします。ちょうど7年前の2010 年に、テレビ番組で私の性暴力被害についての特集を取材していただきました。まずはそちらを約10 分間見て、そこから私の話をしていきたいと思います。よろしくお願いします。

(映像概要)

・5歳の時に隣に住んでいた友達の父親から、7歳の時に家出をして柳谷氏の自宅に保護されていた16 歳の従兄弟から、それぞれ性暴力を受けた。

・加害者が従兄弟ということで、言ってしまうと家族全員が加害者の身内になることが怖くて親にさえ打ち明けられず、二重の苦しみを感じていた。

・中学・高校時代は、自分のことを「汚い」「価値がない」と責め続け、人を信じられず自暴自棄に過ごしていた。

・21 歳の時に長男の妊娠を機に結婚したが離婚。その後現在の夫と再婚して、次男・三男が生まれたが、夫の前で何度も「死にたい」と暴れ、その都度夫婦で話し合いを重ねた。

・抱っこをしても泣いていやがる息子にどう接していいかわからなくなり、カウンセリングを受ける中で、「この子は甘えたいんだ」ということを知り、自分もあの頃、「つらいと言えていたら」「泣いていいんだよと受けとめてもらえていたら」という想いに気付かされる。

・「誰もが加害者や被害者になるために生まれてきたわけではない」との考えから、子育てカウンセラーとして、性暴力被害者のひとりとして「加害者をつくらない子育て」を伝える活動を行っている。

 ありがとうございました。このような感じで、性暴力被害の話をしました。皆さんのお手元の資料は、スライドをそのままプリントアウトしているのではなく、私の場合は絵や写真が非常に多いので、文字だけをまとめています。もう一つは、お伝えしきれないけれども、どうしてもお伝えしたいことをまとめているので、講演会後に、是非読んでみてください。

 なぜ性暴力被害に遭ったことを訴えられないのか。私は先ほどのテレビに出てから、性暴力被害当事者として、名前を出して活動をするようになりました。当時は本名で出ていました。柳谷というのは旧姓です。

 夫の両親から、「こういった性暴力被害当事者として活動するのは恥ずかしい。子供たちがそれを理由にいじめられたらどうするのだ」と、そういうことを言われました。それもある意味、二次被害です。ただ、夫の両親がそう言うのも分からないではないということで、旧姓で活動するようになりました。離婚しているわけではありません。

 被害のことを言えないということについて、警察や性暴力被害者支援に関わる方への講演会で行うワークの紹介をしたいと思います。今日は一般の方もたくさん来ていらっしゃるので、今日は飽くまでも紹介ですので、皆さん安心して聞いてください。

 まずは二人一組になって、自己紹介をこのメニューでしてもらいます。好きなこと、好きな物などの話をするので、結構盛り上がります。「釣りが好きなのですよ」とか「すしが好きなのですよ」「ああそうですか」と盛り上がって、「隣の方と仲良くなりましたか」「はーい」と言ってもらいます。

 では、一番仲良くなった隣の人に、一番最近セックスした話をしてみてください。今から1分間考えてもらいます。昨日の人もいるかもしれないし、10 年前の人もいるかもしれないし、相手は誰で、どこで、何月何日何時くらい、場所はどの辺で、どういう手順でセックスをしましたか。あなたは全部脱ぎましたか。それとも脱がされましたか。ちつはぬれていましたか。ペニスは勃起していましたか。射精しましたか。どこに射精しましたか。

 あえて私は今一気に言いましたが、「それを思い出すために1分考えてください。はいどうぞ」と言ったら、大体ザワザワとなります。もちろん、そのときにしばらく様子を見て、「はい、話さなくていいですよ」と言うと、皆ほっとされます。

 要は、自分が関わった性的な話をするというのは、とてもハードルが高いということなのです。殴られたとか、財布をとられたとか、蹴られたとか、そういったことは言いやすいですけれども、性的な話は言いづらいのです。

 私も今さっき、ペニスだちつだ射精だ勃起だと言いました。私もこうやって皆さんの前でお話しするのに、たくさん練習をしました。家で、子供たちと夫の前で。性的な話をするのはそれくらいハードルが高いです。

 特に子供は性暴力に遭った認識がない上に、性器の名前すら知らない場合が多いです。自分の身に起こったことを訴えること自体、想像もできません。

 なぜ40 年以上前のことを覚えているかということです。さっき見ていただいたビデオから7年たっていますので、今は49 歳になりました。でも生々しく覚えているのはなぜかというと、突然思い出したのではなくて、その被害に遭ったときから、ずっとあの不快な感覚を思い出し続けているのです。

 子供の頃は性暴力という認識がありませんでした。中学生くらいになって、「あっ」と思うのです。「あれはごっこ遊びではなくて、性暴力被害だったのだ」そこから、「自分の体が汚い」と自分で自分をどんどん責めるようになります。

 ではなぜ親に言えなかったのか。もう見るからに怖そうな父親です。母と、弟が2人いまして、これが6歳の頃の私です。父が望むいい子でいないと、父親は面白いときは面白いのです。冗談を言ったり、いろいろふざけたり、面白いものまねをしたり、でも自分の機嫌がちょっと悪いと、すぐに怒鳴る、殴る。少しでも「はぁ」としようものなら、「何を辛気臭い顔をしているのだ。笑え。笑え」と言われました。「笑え」と怒鳴られて笑えますか。

 でも小さい頃の私は、「笑え」と言われたら「ああごめん、ボーッとしちゃった」と笑っていました。もう心と体がバラバラです。さらに、いつも親の顔色にビクビクしているので、助けてほしいと頼ったり甘えたりしたら、また怒られると思っていたので、一切そんなことはできませんでした。

 では被害に遭いそうになったときに、なぜ「そんなことをしないで」と、「嫌だ」と言えなかったのか。7歳で、当時16 歳のいとこからの被害も、要求自体は暴力的ではありませんでした。「和美、ちょっとおいで。ちょっとこっちに入れてごらん」と、要求自体はとても優しいです。

 「すごく嫌だ。どうしよう」と思ったけれども、「嫌だ」って断ったら、男性のモデルが父親だったので、「怒られる。キレられるかもしれない」と思って、断ることができませんでした。ちなみに当時16歳だったこのいとこは、今どうしているのか気になると思うのですが、私に加害をした2年後、バイク事故で亡くなりました。ある意味、彼が亡くなっているから、今こうして皆さんの前で言えるのです。

 そもそも子供への性暴力は、私が経験したように脅迫や暴力がないことが多いです。「遊ぼう」とか言って近づいてくることがあります。5歳のときは、私は「お医者さんごっこをして遊ぼう」と誘われました。かわいがりや遊びの延長なので、性"暴力"というふうに認識しにくいです。

 また、性器は使用しない性暴力があります。写真や動画を撮ったり、触ったり触らせたり、指を入れたりなめたり、異物を挿入したりとか。

 80 年代全盛で、バンドで激しい歌を歌ってみたり、リーゼントのお兄ちゃんたちとお友達だったり、人と目を合わせたくないのですだれのような前髪をしていました。暴走、シンナー、酒、たばこ等、自分の体は汚いと思っていたので、売春までしていました。自分の体で金を稼いで何が悪い、買う大人がいるのだからいいだろう。

 いい子でいることしか許されず、ネガティブな状態でいることを悪いとされるので、自己肯定感は育ちません。自己肯定感が低いと、自分を大切にできません。全部自分が悪いと思う思考のまま育っていきます。

 さらには、自分の親に対して、特にすぐに怒鳴ったり殴ったりする父親に対して、こんなに苦しさを抱えているのに気付いてくれない自分を苦しめる父、母、そして今どこに行ったか分からない5歳のときの加害者を、いつか殺してやりたいと思うようになりました。中学高校のときは、「どうやったら完全殺人ができるのだろう。見つからないように殺人できるのだろう」そんなことをずっと思う思春期でした。これは、不幸ではないですか。

 自己肯定感がないので、否定されることで自分の存在を確認するというゆがんだ状態になりました。その思考から、この頃デートDV被害に遭っていました。デートDV加害者の部屋でした。

 18 歳から21 歳までの3年間にわたって被害に遭い続けました。「別れよう」と言えば泣いて謝る。また暴力を受ける。また「別れよう」と言えば「お前がいないと生きていけない」と泣く。その繰り返しで、親にも見つからずに3年間過ごしていました。近所のお姉さんがたまたまうちにやってきたときに、私の腫れあがった顔を見て、「どうしたの和美ちゃん」ということで発覚します。

 そのお姉さんに協力してもらって、距離を置けました。そうすると冷静になれて、別れる勇気を持てました。その代わり、決死の覚悟でした。殺されるかもしれないと思いましたが、この人とずっと一緒に生きていくくらいなら、殺されるくらいがちょうどいいと思っていました。「ちょうどいい」っておかしいですよね。

 自己を受け入れるまでの過程ということで、22 歳のときに長男ができたことをきっかけに結婚するのですが、自分の両親の姿がモデルなので、どうしても力と支配の関係しか築けなくて、結局離婚してしまいました。

 離婚した後、今の夫に出会って、長男と一緒にもらってもらいました。福岡から大阪府吹田市にやってきました。そうすると夫は、よかれと思って、長男に事細かにしつけをしだすのです。「カレー混ぜて食べたらかっこ悪い」とか、「掃除はこうするのだ」とか、リビングで寝ていたら「そこで寝ていたら風邪を引くから、ベッドで寝なさい」とか。それがいちいち、私の育て方が悪いと否定しているように思ってしまって、「子連れ再婚ってうまくいかないのかな」と悩んでいたところに、この雑誌をコンビニの本の中に見つけました。「もう一回結婚して幸せになりました」というものです。再婚して幸せになりたいと思っていたのでしょう。

 その中に載っていたカウンセラーさんの本を読み、記事を読み、この方のセミナーに行き、子連れ再婚カウンセリングを受け、「家族ってチームなのだ。血がつながっているとかつながっていないとか関係ないのだ。チームなのだ」と言われました。夫はサッカー少年だったので、チームと聞いてピンときたようでした。

 そこでこの先生から、「和美ちゃん、カウンセラーになりなさい」と誘われて、今の職業に至ることになったのです。ちょうどその頃、夫が勤めていた会社が立ち上げた保育園の園長に、巻き込まれた形でなってしまっていました。子供たちがギャンギャン泣きます。そうしたら保育士の先生たちが「一時預かりが多いから、ギャンギャン泣いて収拾がつかないのですよね」と言います。その泣く子をどうにかするのかあなたたちの仕事じゃないのかと思いながら、「泣くってどうしたらいいのだろう。泣きやますってどうしたらいいのだろう」と思ったときに、「子供の『泣く理由』がわかる本」を見たのです。

 泣くことをいけないことだと書いてあると思ったら、「泣いていいのだよ」と書いてありました。私にとってはすごく衝撃でした。「つらいこと、苦しいことがあっても、絶対に泣いてはいけない。何だったら笑っておかなければ」と思って生きていた私にとっては衝撃でした。

 この本を読んで、阿部秀雄先生という方がやっている「日本抱っこ法協会」というところで、抱っこ法という心理技法を学び始めました。

 自分と向き合うワークをいっぱいさせられます。そうすると、いろいろな自分のつらかった気持ちが出てきました。幼かったときの、「優しくしてもらえなくて悲しかったね」とか、「つらいって言えなくて苦しかったね。怖いよ止めてって言いたかったね」という気持ちが出てきました。幼い頃の想い残しを癒やしていきました。

 癒やし始めたら、自分の心の深いところにあった傷が、一気に出てきました。出てくることで、気持ちがあふれて激しい自傷行為が始まりました。「私なんか死んだ方がいい」と言って、青あざを通り越して黒あざになるくらいまで自分をたたきまくったり、頭を壁に打ち付けたりして、パッとスイッチが入ると、自分でも止められないのです。

 そういったことが始まったので、夫も「どうしていいのやら」ということで、夫と一緒にカウンセリングを受けました。笑顔の写真ですけれど、性暴力被害のニュースがあると、スイッチが入って、ウワーとなるなど、いろいろなきっかけでスイッチが入る状態でした。

 夫も一緒にカウンセリングを受けて、和美ちゃんがこうやって暴れ出したら、こうやって受け止めてあげるのだというのを、何度も何度も先生に教えてもらいながら、本当に少しずつ少しずつ自傷行為が減って、私は生きていていいのだ、必要とされているのだと実感できるようになりました。そして幼少期の性暴力被害から、その後の心のケアがないことで、何十年も苦しみ続け、あらゆる暴力や暴言を使う私は、加害者になることを体験し、その加害者側になってしまった自分のことをすごく後悔しました。暴力の連鎖を止めたいと思いました。

 自分にできることはないだろうかということで、「性暴力、幼少期」というキーワードでいろいろな検索をするようになりました。そのときに御自身のレイプ被害と回復をつづった本、「STAND」の著者、大藪順子さんの講演会活動を知り、講演会に行き、実際にお会いし、つながりました。

 大藪さんが企画したイベントにスタッフとして参加して、先ほどのテレビ番組の取材を受けることになりました。この大藪さんが企画したイベントというのが、さっきのPANSAKUというデュオが歌を歌っていますけれども、メインボーカルをしていた彼女もレイプ被害に遭って、やはり大藪さんの本に触発されて、「立ち上がる勇気」ということで、彼女と一緒に性暴力被害を訴えていこうとなりました。

 立ち上がる勇気も、「性暴力被害に遭ったからすぐに立ち上がらなくては」ではなくて、いろいろな人とのぬくもりを覚えて、立ち上がる勇気につながります。こうして私がやっているように公に話すこともいいし、話さないという選択も、もちろん尊重していかなければなりません。ただ私は、夫や子供たちの支援があるおかげで、こうやって皆さんに話をすることができています。

 そこからいろいろな出会いが始まりました。性暴力被害当事者としていろいろ語る中で、大阪大学の藤岡淳子先生とか、野坂祐子先生とか。この藤岡先生とか野坂先生の著書に関しては、今日皆さんに配布した資料の一番後ろに、参考文献ということで載せてあるので、興味があったら読んでみてください。

 性暴力被害に遭っても、「今を幸せに生きよう」ということで、更にいろいろな出会いがあります。私たちは「死にたい」とか「消えてしまえばいい」と思っていたけれど、こうやって生きてきて、「私たちはよく頑張ったね」とリスペクトし合う「サバイバルサロンぷれぜんと」というのを、ヤマトミライちゃんという方が立ち上げて、「それはすばらしい活動だね」ということで、今日一緒に来てもらっています。はい、拍手。(拍手)彼女の勇気で世界とつながりました。

 そうやって、同じ性暴力被害に遭った友達というか、仲間がどんどん増えていったときに、いろいろな出会いからの気付きがありました。性暴力被害後の困難があるということ。

 被害後に何もなかったかのように振る舞うのは、しんどくなります。無力感や自暴自棄になって、加害行動をしたりします。「私のことなんか放っといてよ。うるさいな」と言って暴力的になったりします。そもそも心のケアが必要なことすら知りませんでした。性暴力被害と思春期に認識しても、当然そのときは支援が必要だと分かりません。私も長きにわたってそうでした。

 30 数年後に心のケアが必要なことにたまたま気付いたけれども、私みたいに自分でカウンセリングに行ったり、カウンセリングの勉強をしたりという費用は自腹です。声を上げたら二次被害、被害者同士の傷つけ合いです。

 「あんたはいいじゃない。何回かしかなかったのだから」とか、「あんたは妊娠していないからよかったよね」とか、自分の被害よりももっと大変だったということを言い始めます。被害者同士が傷つけ合うというおかしな話です。

 又は支援者に「何とかするべき」という強い人がいると、恐怖心が増します。「ああ、この人にはもうしゃべらないでおこう」と。そもそも受け入れてもらえていないという思考が強いので、怖がってしまうのです。

 それから、社会が望む被害者像を求められます。私のように「性暴力被害に遭いました。皆さん元気ですか」とか言っても、「何、この人、不謹慎」となったり、笑ってはいけないと思ったりとか、何なら幸せになったらいけないとか。だから、自分で幸せでない方向に行こうとしてしまいます。

 「あなたが笑うとか、こうやって軽々しく話すことで、性暴力被害が軽く思われる」と言ってくる人も実際にいます。でも、私は決してそうではないと思います。性暴力被害に遭っても、幸せに生きる権利はあるのです。

 でもここは、本当に被害者あるあるで、いつも皆で言っていました。加害者がもし検挙され実刑を受ければ、刑務所という住む場所、仕事、食事が与えられるのです。でも被害者は、被害後鬱、パニック、フラッシュバック、自傷などに苦しみ、日常も仕事も、社会生活自体が困難になったりします。

 これも支援を受けたかったら、自分でその性被害について話すというハードルがあるのです。だから、話しません。そして自分一人で抱え込むというのが本当に多いです。カウンセリングなどの費用も自腹です。生活保護があればいいという問題ではありません。何でも生活保護で垂れ流しするのもいけないです。

 大阪大学の藤岡先生に、何か加害者の方がお得じゃないかという話をしたら、そうだねということで、藤岡先生が「もふもふネット」という被害者のグループ教育みたいなものを立ち上げてくれました。そこで、心理教育によっていろいろなことに気付いていきました。

 人とつながることで、ここまで来られたと思います。あれから7年たってこのような感じになりました。夫は45 歳になり、長男は26 歳になります。次男、三男は中1と小3になります。夫や子供たちが、諦めずに何年もかけて支え続けてくれて、今に至ります。

 これも被害者同士で、「和美さんは旦那さんがいるからいいよね」とか「子供がいるからいいよね」と言われて、こういうことをちゅうちょさせられるというのもおかしな話です。

 では、「子供を被害者にも加害者にもしないために」、私の体験からいうと、日頃から何でも話せる家庭環境が大事だと思いました。何でもというのは、「嫌だ」ということ。家族の中でも、嫌なことは「嫌だ」と言えること。泣くこと、泣き言が言えることです。

 さらには、「心と体のつながりから考える親子夫婦関係」でいうと、スキンシップ、話をする時間を作る、感謝の気持ちや愛情を伝える。うちは暇さえあれば「生まれてきてくれてありがとう。大好き」といつも言います。御飯を食べていても、「お母さん」「何」「大好き」と子供たちが言ってくれます。私も夫に対して「ノブちゃん、大好き」と言います。とにかく我が家では、「大好き」や「ありがとう」をたくさん言うようにしています。食事もおいしく2人以上で食べます。消化液の出方が違うそうです。

 特にこのスキンシップ。先ほどの藤岡先生は、犯罪加害者の治療教育をされている先生で、その本の中で、特に性犯罪加害をする人たちというのは、幼少期からの愛着、お母さんとのスキンシップ、触れ合いが非常に足りない人が多いことがあると言われていました。突き放されて育っている。

 人間はそもそも、触れ合いたいという本能を持っています。命をつなぎたいのです。その触れ合うということが、抱っこしたりハグをしたり、頭や手をマッサージするという、性器を使わない触れ合いがずっと乏しい人たちは、「男に唯一許された接触はセックスだ」ということで、性器を使った接触に執着するようになるのです。

 私はそういう意味では、本当に戦争時代に産めよ増やせよということで、セックスを国の兵器にしたことのベースを、ずっとやってきているのではないかと思います。日本が風俗産業とかJKビジネスとか、そういったものに疎いというか、国連からも、日本はもう少ししっかりしなければいけないと言われたりしているらしいのです。

 でも本当に今できることといったら、このスキンシップです。これを是非子供だけではなくて、おじいちゃんおばあちゃんまで、人間であれば皆スキンシップは大好きなはずなのです。美容室でシャンプーしてもらったら気持ちいいし、毎日やってもらいたいと思うのと一緒で、別に性器を使わなくても、触れ合いや愛情の確認はできます。

 特に男性は勃起にこだわったりするので、高齢になって勃起不全になってすごく落ち込んだり悩んだりしますが、ペニスを使わなくても触れ合いはできるのだと知っていただきたいです。今日ここに来た皆さんは、そういうことを伝えてあげてほしいと思います。

 この表は、警察庁が毎年犯罪白書で出している表で、私は毎年これを見ています。「検挙件数の被害者と被疑者の関係別構成比(罪名別)」という名前の表です。

 平成27 年度は殺人で864 人検挙されました。その中で加害者と被害者の関係性はというと、親族間殺人が52.4%、面識ありが34.8%。家族同士の殺人がほぼ毎年半分以上なのです。これを見て、夫婦間とか親子間という関係のコミュニケーションが大事なのだということが、なぜ分からないのかと私は思うようになったのです。

 通り魔的な殺人、面識なし。このあいだも座間市で9人を自殺サイトとかで、そういうのは11%とかです。要は、殺したくなるくらい憎たらしくなるというのは、親族だったりすることが多いということです。

 さらに、この親族間、親子間、夫婦間、私がかつて、父親を殺してやりたいと思ったのも、一歩間違えたらこの数に入っていたはずなのです。もう一つは、私がデートDV被害に遭っていたときに、付き合っていた彼氏が避妊に協力してくれなかったので、19 歳のあいだに2回中絶をしています。

 18 歳未満の子供を虐待し、一番殺されているのは0歳なのです。しかも0歳児の中で半分が0歳児0か月。要は、産んですぐ殺されている赤ちゃんが非常に多い。そこには望まない妊娠、若年、十代の妊娠が多いということです。そうなってくると、性教育をしないというのは、殺人、虐待、中絶の加担をすることになっていませんか。

 私たちには、子供のときから命の尊厳、体の仕組みを知る権利があります。私が小さいときにちゃんと性教育を受けていたら、あんな被害に遭わなかったのではないかと思うようになって、「親子で性教育」というのを、いろいろな先生たちに勉強させてもらって、自分で作りました。

 次回は来年の2月4日にあるのですが、今日はざっと行きます。ネタバレになってしまうので、今日はこの詳しい話はしません。このようなスライドを使って話していますというだけの紹介です。

 「自分の体を知ろう。体の名前を知っているかな。体の中は生きていくためにたくさんの臓器があります。御飯を食べるときには体の中にものを入れるから、手を洗うよね。いただきますって感謝するよね。よくかんで食べるよね。そうして御飯を食べたら、最後はどうなる。おしっこやうんちになるよね。ところで、赤ちゃんは体のどこからくるの。おなかの大きい人は見たことがあるよね」

 これは、中1の子が私のおなかにいたときです。これは実はビデオになっていて、当時の産婦人科の先生に、「出産しているところをビデオに撮っていいよ」と言われたので、13 時間くらいにわたる陣痛から出産のビデオを3分くらいにまとめています。今日は見せませんが。

 「生まれたときの気持ちをお母さんに聞いてみよう」ということで、親子で参加してきてもらっているので、話をしてもらうと、子供たちがとても幸せそうな顔をします。更にはプライベートパーツ、自分だけの大切な体の場所、口、胸、性器、こうもんで、水着で隠れる場所は大事だよと言ったら、うちの三男が「口は水着で隠れないよ」「あ、本当だ」となったりしました。

 「でも口も御飯を食べたりするところだから、大事にしないといけないね」と。そして「プライベートパーツを触るときは、人に見せたり見せられたりしないように、マナーを守る、プライバシーを守る。子供同士も、触りっこも駄目」と教えます。

 そして、「自分の性器は手を洗ってきれいな手で触ろうね。マスターベーションも健全だけれども、人に見せないように、要はマナー」ということを教えてあげてほしいです。

 もしそんなことをされそうになったときは、家族に話しなさいということ。だから、いつでも何でも話せる家庭環境が大事です。ネガティブこそ話せる環境が大切です。「嫌だ。つらい」を言う訓練。避難訓練はどこでやりますか。家でですよね。たとえ相手が先生や知っている人でも、「嫌だ」と伝えていいよと。

 「赤ちゃんを作るためには性器と生殖器が必要だよ」とか、こうやって体の仕組みを、「赤ちゃんを作るためには、このおじちゃんとおばちゃんがとっても愛し合っていて、そして精子と卵子が受精します」「どうやってセックスするのだ」とかです。

 赤ちゃんが生まれると育てないといけません。おっぱいをあげないといけない。オムツも替えなくてはいけない。寝かし付けたり、お宮参りに行ったり、お風呂に入れたり、七五三があったり、入学、入園があったり、旅行にも行ったりしなければいけません。責任が伴いますよ、お金もかかりますよということで、興味のある方は資料に「親子で性教育」の御案内がございますので、後で見てください。毎年3回やっていきますので、徳島からも大阪に観光がてら聞きに来てもらったらうれしいです。

 ということで、何でも話せる家庭作り。我が家ではファミリーミーティングというのを、子連れ再婚カウンセラーの先生のセミナーに行ったときから、ずっとやるようにしました。一番大事なのはこれです。否定、批判、駄目出し、説教はNGのミーティングです。このミーティングの仕方も、資料にあります。

 朝7時に起きるためにとか、日頃から何でも話せるトレーニングをします。否定をされないので、自分の意見をきちんと言えるようになっていきます。ですから、うちの子供たちはちょっと言い方がきつかったら、「お母さん、その言い方ちょっときついからやめて」って言ってきます。「すみません」「もうちょっと優しく言って」とかって、きちんと言えるようになりました。

 決めたことは家族全員で言えるようにします。議題の例は「楽しい家にするためには休日の過ごし方」です。要は、お父さんがリーダーで、家族は、皆従うではなくて、家族というチームなのだから、いろいろなことをきちんと皆で決めていこうということです。

 「会話を楽しむ」我が家で出た意見、「語尾に"にゃん"を付けてみる」「片付けてにゃん」とか言うと、何か柔らかくなりますよね。「目が合ったら変顔をしてみる」「外人風に話す」「キョウノシュクダイハ、ナンジクライニシマスカ」とか本当に言っています。

 「できない、やらない」となるのか、「やってみよう」とやるのかは選択できます。ということで、日常をどれだけ楽しむか、イライラしたらタイムアウトも必要、その場から一旦逃げるのもありです。自分の好きな風景を思い出したり、深呼吸をしてみたりも大事だと思います。

 参考までに我が家の家の壁です。ここに何が貼ってあるか。「優しい弁をしゃべろう」と。「どいて」というのは「暴力弁」とうちでは言います。「そちらをおのきになってくださらない」という「優しい弁」をしゃべろうということです。

 あとは、言葉遣い、動き、物の取扱いを優しく丁寧に、安全安心な家にしようというふうに、家族みんなが意識し合えるように気を付けています。

 「人は人によって傷つけられる。だから人は人によってしか傷は癒やされない」ちなみにこれは岡本茂樹さんの「いい子に育てると犯罪者になります」という本の最後に書いてある言葉です。私はこれを読んだときに、すごく涙が出ました。

 私にできることをやろう。それぞれが、私にできることを。私のようにこうやって講演会でしゃべることだけができることではないのです。ただ目が合ったら、笑うだけでもいいのです。お隣の方と、ちょっと顔を見合わせて笑ってみてください。何となく和むでしょう。世の中を平和にする一歩になります。

 是非、今日おうちに帰られたら「ただいま」「おかえり」と言ってみてください。家族はチームです。チームワークのよい家庭、チームの中で勝ち負けはいりません。

 私にできることは、子育て講演会だったり「おやこひろば」だったり、性犯罪、DV講演会だったり、カウンセリングをすることだったり、「ありのままの自分を認め合える社会を」ということです。

 実は、2010 年9月、先ほどのテレビ番組の特集を父に見せました。つらいと言えずに苦しかったこと、ずっと父を殺したいと思っていたけれど、父も戦争から帰ってきた祖父も、暴力の被害者から加害者になったことを理解したのだと伝えました。「その連鎖は私が止めようと思っている。だからもう殺したいとは思っていない。今後私は、それを伝える活動をしていこうと思う。おやじ、ネタにするけどごめんね」そう言うと、父親は泣き出しました。「すまんな。すまんな」と。人は許し合えるのです。

 だからと言って、性犯罪加害者を何でもかんでも許せばいいのかというと、それとはニュアンスが違うと思いますが、私と父は許し合うという選択をしました。これが去年の私と父です。大分、怖い顔から優しい顔になったと思います。

 去年、父親が新聞社の取材を受けてくれました。私が被害に遭ってから苦しかったことを記事にしたものですが、父親のコメントがここにあります。「当時はしつけのつもりだったが、娘につらい思いをさせて申し訳なかった。あのときに戻れるなら、もっと話を聞いて抱きしめてあげたい」と父は言ってくれました。この年末年始も、大阪に遊びに来る予定になっています。

 笑ってなんぼです。幸せを意識しようということで、もし、万が一、性虐待や性暴力に気付いたら、周りやいろいろな友人や専門機関に聞いてください。頼っていいのです。人とつながってください。

 ということで、泣いていいのです。泣ける家庭、泣ける地域、泣ける社会を目指してということで、私の話を終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。

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