中央イベント:パネルディスカッション

「ストーカー行為等における被害者保護の課題と支援について」

コーディネーター:
田村 正博(京都産業大学法学部教授)

パネリスト:[五十音順]
近藤 恵子(特定非営利活動法人全国女性シェルターネット理事)
櫻井 敬子(学習院大学法学部教授)
芝多 修一(逗子ストーカー事件被害者御遺族・ストーカー対策研究会議共同代表)
福井 裕輝(性障害専門医療センター代表理事)

田村: 福井さんの大変興味深い基調講演の後にパネルディスカッションをさせていただきます。パネリストの方々の御経歴等につきましては、今日のプログラムに載っておりますので、時間の関係から省略させていただきます。

 今日のパネルディスカッションは、最初にまず3人のパネリストの方々から15分程度ずつお話をしていただきます。今こちらから並んでおられる順番に3人の方々にお話をしていただきます。その後で、基調講演者の方にパネリストからの質問もあるでしょうし、またお互いのコメントもあると思いますから、それをさせていただきまして、最後に皆様方からいただいた質問に対する答えができればと思っております。どうかよろしくお願いいたします。

 それでは、まず芝多修一さんから15分間、どうかよろしくお願いいたします。

芝多: 芝多です。よろしくお願いいたします。今から3年前、2012年の11月6日に逗子で起きたストーカー事件の被害者が、私の8つ下の妹でした。そして、事件の後に、ストーカー事件の遺族として活動を始めました。ストーカー対策を考える上では、いろんな立場があると思うのですけれども、私としては、「まず被害者を守る」というところから取り組んでほしいと訴えています。あまりにも当たり前のことのように思われるかもしれませんが、残念ながら現在のストーカー犯罪をめぐる体制や対策は、必ずしもそのような意志が貫徹されていません。

 まず、簡単に逗子事件の概要を御説明させていただきます。実は、妹に対するストーカー行為が最初に始まったのが2006年、そこから6年間被害を受け続けました。その間に、引っ越し、転職等の対策をとっていったので、新しい住所や結婚後の新しい苗字は知られずに、直接的な被害から逃れることができていました。ただし、メールだけは通じるようになっていました。それは、相手の状況をモニタリングしたい、メールをやめると具体的な行為にエスカレートするかもしれない、等の配慮からあえてメールだけは残していたのですが、そこへストーキングの迷惑メールが大量に来るようになりました。

 そこで、地元警察の生活安全課に相談して、相手に警告をしてもらいました。先ほど福井先生の講演でも、「多くの加害者はこの警告で思いとどまるが一部の加害者はより悪化する」とのお話がありましたが、まさにその後者の例で、この警告で凶悪化してしまい、その後「殺してやる」という文面とともにナイフの写真を送りつけてくるなど、身の危険を強く感じる状況になりました。

 そこで再度警察に相談して、これはストーカー規制法の範囲を超えているので、脅迫罪ということで逮捕されました。その後、裁判で有罪となるのですが、メールを送り付けただけなので実刑にはならず、保護観察付きの執行猶予判決が出たのです。

 その後、加害者は保護観察所で月に何回か面談を反省した様子を見せながら過ごすのですが、その裏で再びメールを送りつけてくるようになりました。ただ、以前のメールが「殺してやる」という文面だったために脅迫罪で捕まっていたので、この時は婚約破棄の慰謝料等を求めるようなメールになりました。婚約の事実自体もないので、すべては妄想の世界なのだと思います。ただし、短期間に数千通のメールが送られてくるという異常な状況だったため、怖くて警察に相談しました。しかし、「慰謝料を求める内容なので民事で脅迫罪には当たらない」、さらには、当時はメール送信という行為はストーカー規制法で取り締まれないという判断で、警察は加害者に対する対策を何も取ることができませんでした。

 一方、保護観察では、特別遵守事項の中で一切の接触禁止が定められていたので、メールを送った段階で遵守事項違反となり、執行猶予取消しの手続が進められるはずでした。しかし、当時は警察と保護観察所の連携が一切取られていなかったため、保護司の前では真面目にしている加害者が裏でやっている行為を保護観察所は知らなかったため、こちらもなんの対策も取りませんでした。

 こうした中で、2012年の11月6日に、加害者が突如逗子に現れ、事件が起きました。その直後、現場で加害者も首を吊って自殺しました。この日は加害者の誕生日でして、自分の人生をいろいろ思ったところで、うちの妹も巻き込んで自分も死んでしまうということで事件を起こしてしまったのではないかと思います。

 保護観察中に起きた事件であったため、事件後の報道では、再度大量メールを送りつけていたにも関わらず何の対策も取れなかった警察や保護観察所の問題点が多く指摘されました。

 さらには、妹は6年間被害に合う中で、名前と住所が相手に伝わらないようにということを一番気にして、警察にも配慮を強く求め、自分でもできる範囲の対策をとってきたのですが、それをあろうことか警察が逮捕状を読み上げる際に住所と名前を言ってしまいました。

 結局、その時に警察官が伝えてしまった情報を元に、加害者は探偵を使って新しい住所と名前を知り、その翌日に犯行に至ったのです。

 このような経緯であったため、警察や保護観察所に対して、今でも憤りは感じています。 事件直後には、ストーカー問題に長年関わってこられた関係者の方から「一緒に警察の落ち度を暴いて戦いましょう」と言われたこともありました。

 もしもこのような警察の落ち度や連携体制の問題が一切なかったとして、住所や名前を警察が加害者に伝えずに、執行猶予取消しで刑務所に入っていたとしたら、あの日に事件が送ることはありませんでした。でも、一方で考えずにいられないのは、「あの日に妹が死ぬことはなかったけれども、別の日、例えばその1年後に、出所してきた加害者によって結局は事件が起きてしまったのではないか」ということです。刑務所にさえ入れば、それで妹が救われたとは到底想像できません。そのため、「警察の落ち度さえなければ」という心情には、どうしてもなれなかったのです。

 被害者遺族である私たちの心理として一番大きいのは、加害者本人が死んでしまっているので、憎むべき相手もこの世にいない、ということです。もし彼が生きていたら、多分私は、現在行っているような「加害者に治療を」というようなメッセージを社会に発信することはとてもできなかったのではないかと思います。生きている彼が、裁判で身勝手なことをもし訴えていたりすれば、それだけで遺族は怒りで心をかき乱されるのだと思います。

 でも、私たちにはそのような相手がいない。お葬式のあともひたすら悲しむだけで、ある意味、やり場のない感情みたいなものだけがありました。じゃあ、そこからどう立ち直っていくか。守れなかった妹のために何が遺族としてやれるのか。そこで思ったのが、生き残った加害者に対して裁判等の場で何かを訴えるのではなく、「次の事件の被害者を守る、次の妹を守る」ということしか、自分にやれることはないのかな、ということです。こうして、遺族としての活動を始めていきました。

 では、ストーカーに苦しむ被害者、つまり生きている”妹”達を守るために、どうしたらストーカー加害者を止めることができるのか。先ほどの講演で述べられたように、死刑をもってしても防げない。うちの事件もその場で自殺をしてしまったので、「ストーカーをしたら死刑」というあり得ない究極の法律があったとしても、それでも防げない。あるいは、実刑判決で刑務所に入ったとしても、結局1年後に出てくれば、単に事件の日付が変わるだけにすぎない。注意深く配慮したうえで罰を厳しくすることは当然必要なことだと思っていますし、それ自体反対するつもりはありません。でも、それだけでは被害者を救う事はできないのです。

 では、被害者保護の対策を強化していけば良いのかというと、それでもやはり足りない。事件の後にTVワイドショーのコメンテーターの方が、「とにかく被害者は逃げて」という話をされていて、その人がたまたま高校の同級生でもあったので結構僕はショックを受けてしまいました。妹は、6年間逃げていて、住所を変え、職場も変え、仕事で使う名前も変えて、一旦すべてを切ったところで、もう人間関係を一度つなぎ直していきました。最終的には、逗子で出会った仲間たちの協力を得ながら、会社を設立しました。事件当日は、その新しい会社の代表としての名刺が届いた日で、その喜びのメッセージが最後のフェイスブックでした。

 ストーカーやDV被害にあった被害者は、まずは迅速に逃げ、シェルターに入るなどの緊急的な対策を取ることが必要です。しかし、いつまでもそのような緊急避難的な生活を続ける事はできません。ストーカーやDVに遭ったら、あとはずっと城の塔に幽閉するような生活をするのかということではなくて、やはり当然社会の中で生きていきたいという思いはあると思うのです。そうした中で、単に「逃げて」と言われると、これ以上どうすればよかったのだろうと思ってしまいます。もちろん今の時点から振り返ると、被害者がやるべきだったこと、あるいはそれを支える私達家族がやれることがもっといっぱいあったはずという後悔は強くあります。でも、それだけで防ぐことができるとは思えないのです。

 では、どうすればストーカー加害者を止めることができたのか。妹が生きていた段階で、ストーキングの被害を受ける中で、「加害者を罰してほしい」という思いもあったとは思うのです。自分だけ一方的に引っ越したりという不利益を被っていて、相手がそのまま暮らすのは許せない、という処罰感情を被害者が抱くことはあるでしょう。

 でも、間違いなくそれよりも大きな願いは、「とにかく加害者を止めてくれ」ということです。罰ではない方法で止まるのであればそれでもいいので、とにかく止めてほしいというのが被害者側の意識としてはあると思うのです。もし加害者が治療なり何なりの結果、社会に戻って、それで幸せに暮らしていくことで自分への被害が止まるのなら、当然それでいいから止めてくれ、というのが被害者の願いなのです。

 そういうことで、事件の後に遺族として活動する中で、福井先生のお話も伺ったりしてきました。そこで、「加害者の治療で被害者を救う」という発想があるのか、と気づかせていただきました。そこで、遺族として、単に厳罰化だけを訴えるのではなく、とにかく被害者がどうやったら生き残ることができるか、その対策をもっと考えて欲しいと社会に問うていく、そんな活動を始めたのです。

 特に、加害者対策、その治療やカウンセリングの必要性・有効性については、当時は殆ど一般の人は認識できていなかったと思います。そこで、活動を始めた頃の新聞インタビューでは、「ストーカー加害者を救って!」などの、遺族が使うと違和感があるような強いフレーズをあえて発言したりしていました。当然、加害者を救ってほしいとしか言っているわけではありません。被害者を守るためにこそ、加害者側の治療なりカウンセリングなり、止めるのに有効な対策を考えてほしいというふうに訴え始めたのです。

 こうして活動を始めた中で強く感じたのが、ストーカー事件が起きるたびに繰り返されてきた単純な警察批判の報道や世論の問題点です。確かに、被害者と加害者の双方に直に接する警察が担うべき役割は大きいです。しかし、この警察に、治療やカウンセリング等の加害者対策までも全て任せられるかというと、過去の歴史からも警察による強制的な治療は人権問題化しやすく、なかなか実行力の有る対策の議論が難しい。

 むしろストーカー対策においては、法務省や厚生労働省などの省庁、自治体、NPOなどの関係者も含めて、もっと議論の土俵を広げた上で、被害者を助けるためにそれぞれの立場から何が可能か、どのように連携すべきかを議論しないといけないと思うのです。事件が起きるたびに警察バッシングだけをしていても、何も前進しない。

 それで、昨年からは、そのような幅広いストーカー対策の議論を行う場として、法学や福祉学・心理学・医学等の研究者、実際にストーカー・DVの加害者カウンセリングを行っている実践者、警察、保護観察所等の関係者、報道関係者の方々とともに、「ストーカー対策研究会議」という組織を立ち上げました。実は、私は普段は工学系の大学教員として研究・教育を行っています。そこで、自分が最も得意な社会的活動のフォーマットとして、研究会という形を選んだのでした。この研究会議では、これまでに、海外のストーカー対策、加害者のアセスメントとカウンセリングのあり方、保護観察所の役割、被害者保護の体制などについて、議論を行ってきました。今後も議論のテーマを広げ、最終的には提言をまとめていきたいと思っています。

 特に、私が大切だと思っている、今の日本のストーカー対策で欠けていると思っている点が3つあります。

 まずは「一貫した被害者支援体制」です。警視庁のHPを見ると、「ストーカー被害に遭ったらとにかく警察に相談してください」と書かれています。でも、自分では深刻度が分からない、警察を信用出来ない、かえって仕返しが怖いなどの理由で、なかなか警察には言えない人も多いのです。そうした中で、警察の外部に、しかも分かりやすい形で、気軽に相談できるような組織が必要です。そこがちゃんとした専門知識を持っていて、被害者へのアドバイスあるいはアセスメントやカウンセリングができるような体制がまずは必要だと思います。

 また、そこは被害者本人だけではなくて、被害者の周辺、例えば友人や学校の先生、会社の上司などでも相談できるようにする。例えば、加害者と被害者が同じ学校や同じ職場で出会った場合、先生や上司は両者の間に立ちながら、解決の手立てが分からずに深い悩みを抱えている場合が多くあります。そのような人たちに適切なアドバイスをすることは、特にストーキングの初期の段階では効果的な場合が有ると思うのです。

 さらに私が強く必要だと思っているのは、加害者側も相談に乗ってもらえる窓口です。加害者本人が相談してくることは、あまり期待できないかもしれません。多くの加害者は、「自分はむしろ被害者だ」と思っているらしい。逗子の加害者もそうでした。なので、自分から自発的に相談くることはないかもしれません。

 でも、そのストーカーの親とか兄弟、ストーカーの家族は、相談に乗ってくれる人を求めているのではないでしょうか。先ほど経緯を紹介した逗子の事件で、警察からの警告の連絡は、加害者の家族が受けます。そして、その家族が、加害者本人にその警告について伝えたのです。その際に、家族は「何をやっているんだ!」と加害者を強く叱責したそうです。でも、このような状態にまで至った加害者には、それは逆効果なことがあります。むしろ、言い分を丁寧に聞くような徹底的受容の態度が必要だと、ある専門家の先生に教えていただきました。結局逗子の事件では、この家族の叱責を契機に加害者が凶悪化していきます。この時に、専門家が家族に対して、加害者との接し方をアドバイスしていれば、もしかしたらその後のプロセスが違っていたかもしれないと思うのです。まずはちゃんと話を聞いてあげて、その中でカウンセリングを受けることを勧めるようなことを、あの場で加害者のお兄さんなり、お母さんなり、お姉さんなりがしていれば変わったのかなと。

 そういう意味で、被害者支援を実践されている団体の方には、被害者側、加害者側両方に対応するのはなかなか難しい言われることも多いのですが、どこかが加害者の加害者家族に対してアドバイスする体制が必要だと思っています。

 2点目としては、先程から述べている治療やカウンセリングなどの加害者対策です。福井先生を始め、いろいろな専門家の方にお話を伺っていると、この加害者対策には、多様な体制・関与の仕方がありうるのだなと感じます。精神科医として加害者治療、カウンセリング中心で加害者臨床という言い方をされる方、あるいは教育や福祉の立場からの関わり方、更に立ち直りを支援しようとする弁護士の方などとお会いしお話を伺ってきました。それぞれストーカー加害者を、どの部分の問題を抱えているかということについて違う見方で関わり、それぞれ異なる処方箋を持っておられます。

 僕は、そのどれも大事なのかなと思っています。分かってきたのは、「この処方箋で全てのストーカーを止められる」という万能の対策はなさそうだ、ということです。加害者治療・カウンセリングの仕組みがすでに制度化されている海外での状況を見てみても、一つの対策でストーカーの再犯率が大きく下がることはなさそうです。そのため、「加害者治療・臨床は意味が無い」という方もおられるようです。

 これで全てが止まるという対策は多分ない、つまり1枚の大きな壁で全てのストーカーを止めることはできない。可能なことは、たとえ小さな壁であっても、それをストーカーが凶悪化する一連のプロセスの中になるべく多く構え、数多くの小さな壁、ハードルのどれかで止まる、そのプロセスのどこかで加害者が立ち止まって社会に戻っていく。それは、強制的な治療であったり、あるいは福祉的な温かい手であったり、教え諭す教育であったり。とにかく、多くのツール、多様な制度を社会の中で実装し、担い手がそれぞれの専門性を活かして取り組んでいく、そのような体制が必要だと思っています。

 ただし、単に加害者の方だけを向いた加害者対策であってはなりません。加害者対策の担い手の方々には、あくまで最優先なのは被害者の安全であることを、もう一度確認してほしいと思っています。

 具体的に言いますと、カウンセリングや治療を受けている加害者について、その状況を被害者に伝えることは、被害者が安全を確保するための対策を考えるうえで、最も欲する情報となりうるのです。

 実は、裁判後に加害者から慰謝料を求めるメールが届いた段階で、妹や私たち家族は、「ナイフの写真とともに殺すと書いてきた頃は身の安全の問題だったが、慰謝料なら結局はお金の問題で、以前の深刻な時期は脱した」と感じており、今から振り返ると、「油断」といってよい状態になってしまっていました。もしも、あの段階で保護観察所による加害者カウンセリングが行われていたら、「いやいや、未だ加害者は捻れた危険な感情を持っている」と把握できた可能性があります。それを被害者に直接、あるいは警察等を通して間接的に伝えてもらっていれば、再度の引越等のより強い防衛対策を取れていたかもしれません。

 でも、そのことを意見交換をさせていただいた保護観察所の方に訴えても、「加害者の更生・社会復帰の視点から、そのような情報を外に出すことはできません」といわれてしまします。あるいは、加害者カウンセリングの担い手となる臨床心理士の研修会で講演をさせていただいた際にも、カウンセリングの必要性と効果については参加者の皆さんが当然賛同してくださるものの、そのカウンセリングの中で知り得た情報を被害者に伝える話題になった途端、そっぽを向かれてしまいました。職業倫理として、なによりも守秘義務が大事だと。

 最初に述べたように、私が遺族として求めているのは、単なる加害者対策ではなく、被害者を守るための加害者対策です。「私は単なる加害者側の役割なので、被害者を守る役割ではない」と割り切るのではなく、すべての関係者に、まずは被害者を守るために何が可能なのか改めて考えて欲しいと願うのです。

 そうしたこともふまえての3つ目の主張は、多機関連携の必要性です。今の話にしても、保護観察所がカウンセリングで未だ捻れた感情を持っていると気づいた際に、被害者本人に直接言えないのであれば、少なくとも警察とは情報を共有して、警察が何らかの保護の処置をしたり、被害者に対策の必要性を改めて伝えたりする、そういうことをするのが必要だと思います。

 事件の後、神奈川県警の方と話す中で驚かされたのが、「保護観察所の人とは、これまで一度も会ったことがありません」、さらに、「遵守事項という単語自体を知りませんでした」という発言でした。それぐらい、保護観察所あるいは法務省と警察というのは、連携のない別組織なのだと。逗子事件を受けて、今では情報交換等で連携する仕組みが新しくできて、少しずつ動き始めていると思うのですけれども、全く足りないと思うのですね。

 先ほどの福井先生の御講演で感動したのは、海外では1つの事件・ケースについて被害者側と加害者側の関係者が一同に集まり、一緒に対策を議論する場がある、という話です。

 そういう意味でも、やはり警察でストーカー対策のすべてを抱え込むことはできません。多機関、つまり警察、法務省、厚生労働省、あるいは文科省もありますでしょうし、あるいは自治体だとまた違う体制がとれる。もちろんNPOも関わってくる。あとは、治療・カウンセリングの関係者も関わってくる。そういうところがちゃんと連携をしながら具体的に対策を考える仕組み、一緒になってまずは被害者をどうやって守るかというところからアイデアを出し合って、やるべきことをやっていく。

 現状を見てみると、ストーカーの罰則強化にしろ、治療の試みにしろ、個別の対策は少しずつでも進み始めているといえます。でも、多機関の連携は、ほとんど進んでいないように見え、焦りを感じています。先ほど福井先生も、この点について「全然ダメだ」と発言されていましたが、全く同感です。

 そういう意味で、今日、連携の旗振り役である内閣府のシンポジウムに呼んでいただき、このような発言の場をいただけたことは、非常にありがたい機会だと思っています。今後も活動を続けて行きますので、どうか御支援をよろしくお願いいたします。

田村: ありがとうございました。皆様のお手元に2枚、裏表4ページですが、「必要性」と題した資料が配られています。皆様に分かりやすくおまとめいただいております。なお、原典につきましては、最後に書いておりますように、「犯罪と非行」により詳細なものが載ってございますので、御興味のある方は是非お読みください。

 では次に近藤恵子さん、よろしくお願いいたします。

近藤: 全国女性シェルターネットの近藤でございます。どうぞよろしくお願いいたします。私たちは、DV、ストーカー、性暴力被害、様々な女性に対する暴力の被害を受けた方々の支援に関わる民間支援団体の全国ネットワーク組織です。最近は特にストーカーあるいはセクシャルハラスメント被害者の支援なども含めて、現場は困難な課題に直面をしています。

 私たちのネットワークは、民間の支援団体、全国で70近い拠点をつないでいるところなのですけれども、電話とか面談とかで直接の御相談を受けて、多くの方々の場合は一時緊急保護、シェルターやステップハウスを使ったシェルター対応をいたしますし、その他にも、例えば緊急の医療につないだり、それから司法的な支援につなげたり、もちろん警察に同行したり、その当事者の方が自らの被害から立ち直る、あるいは回復をするために必要な、様々な支援を組み立てているところです。

 ですから、相談においでになってから様々な支援手続を経て、5年、10年、15年というふうに御本人やお子さんの心身の回復を果たしながら、ずうっとお付き合いを重ねている当事者の方々もおいでになります。

 2001年にDV防止法が出来ました。また、2000年にはストーカー規制法が出来ました。私たちは、こういう現場の支援の中から日本の社会に不足しているもの、当事者、被害者にとって必要なものの法整備を進めてまいりまして、DV防止法は第3回に及ぶ改正に取り組んでまいりました。この第3次改正のときに、ストーカー規制法もようやく改正のめどが立ちまして、ストーカー規制法の側からも、それからDV防止法の側からも、それぞれ大変深刻な困難に出会う当事者、被害女性たちの支援の道筋が拡充されました。

 シェルターにおけるストーカー被害者支援の実態ということで少しお話をさせていただきたいと思いますが、私たちはまず暴力の現場から当事者の方が命を守るために身を移されることを支援の最優先課題として取り組んでいます。そして、安全な場所に身を移された方が心身のダメージを回復され、あるいは当事者の生活再建のために必要な、様々な社会的な資源を使いながら、就労支援の場に関わったり、仕事を見つけたり、お子さんの不登校に対応したり、御自身の疾病の回復に取り組まれたり、様々なことをされるわけですね。そのサポートプログラムを展開する場所が、民間シェルターの現場というふうに言っていいと思います。

 もちろんそういった直接支援活動のほかに、調査研究活動ですとか、政策提言活動、教育啓発活動といったようなものを、当事者のニーズ、当事者の必要に応じて組み立てていっているのが私たちの仕事場ということになります。

 ただ、様々な性暴力被害、あるいは様々な犯罪被害を受けた当事者の方々は、DV被害者であれ、デートDV被害者であれ、ストーカーの被害者であれ、レイプや強制わいせつを受けた方であれ、子供のときに家族から性虐待を受けたとか、それから売買春の性の商品市場で取引をされたとか、ありとあらゆる犯罪被害を受けた方々を私たちはサポートしていまして、そのサポートの最重要課題、最優先課題は、何をさておいても更なる攻撃から当事者の命を守るということなのです。その安全確保をサポートの最優先課題として、私たちは日々仕事をしています。

 とくに危ないケースというのがあります。もちろん長い間の暴力被害からようやく身を離して、ゆっくり回復をしながら離婚もしましょうという方もおいでになれば、昨日包丁で刺されそうになった、もう絶対に家には戻れないという形で飛び込んでこられる方もいて、そういう危険度のリスクを考えて、当事者のアセスメントをするのは、公的シェルターでも民間シェルターでも同じことなのですけれども、危険度の高い人々というのがこの間、浮上してきました。それはストーカー被害者が最も危険度の高い被害者像を結んでいるわけですね。

 そこに表にしてございますのは、男女間における暴力に関する調査ということで、内閣府、国が3年ごとに実態調査をしているものの一番新しい数字です。暴力被害の体験者のうちで、「命の危険を感じた」、「間違ったら殺されていた」というふうに答えた人の割合が、DV被害者では9人に1人、11.4%。これはあくまで被害を受けてきた方のパーセンテージです。デートDVについては、「交際の相手方から殺されるような目に遭った」というのは4人に1人、DVの約2倍近く高い比率を示しています。そして、更にストーカーの被害者は、被害を受けた方の3割、28.9%、約3人に1人が「間違っていたら殺されたかもしれない」という経験をしている。

 私たちは、なぜこういう順番で危険度が高くなるのだろうかということを、いつも支援の現場で考えてきたわけですけれども、先ほどの基調講演にもあったように、様々な要因はあると思います。ただ、私たちは、DV、デートDV、ストーカーと並べたときに、支配、被支配、つまり相手をコントロールする関係が不安定であればあるほど、殺人も含んだ危険度が高くなるのではないかということを、現場の実体験として確認をしてまいりました。

 5年、10年、15年と長い間暴力被害に苦しんでいるDVの被害者の方々の多くは、心身の症状を発せられていらしたり、それから子供の虐待が明らかになったり、経済的な締めつけが強くなったり、いろんな困難に立ち向かっておいでになるのですけれども、加害者の側も、この女はあと何発殴れば言うことを聞く、この子供は大きな声を出したら縮み上がって、俺の言うことを聞く。また、被害者の側も、あと5分、この男の説教を黙って聞いていれば、彼はすっきりしてパチンコに行くだろうみたいな形で、毎日毎日を自分と子供の命を物差しにして、日々を生き延びておいでになるわけです。つまり、支配の関係性がある程度定着している。

 デートDVのカップルの場合は、付き合い始めて彼氏、彼女の関係になったけれども、部活の先輩にあいつは色目を使っているのではないか。どこにメールをして、どこから携帯に発信が来たか全部調べたいとか、24時間監視をして、3回発信する間に答えなかったら許さないとか、暴力的な性行為を行って、望まない妊娠や中絶をさせるとか、そういったデートDVの被害者が4人に1人殺される目に遭っているわけです。

 そして、更にストーカーについては、先ほどの先生のお話にもありましたように、いろんな要因があって、自分が悪いなんて誰も思っていないわけなので、自分の意が通じなければ、すぐに過激な行動に走りやすい。「こんなに自分が相手のことを好きなのに、振り向いてもくれない。今ここでおまえを殺して、俺も死ぬ」みたいなことがしょっちゅうあるわけなので、そういう意味での大変ハイリスクな被害というのがストーカー被害者であると私たちは考えています。

 また、DV被害者の方々でも、離婚を申し立てるとか実家へ逃げたとか、シェルターを使って居所をくらましたみたいなときに、最も執拗な追跡が始まって、最も過激な行動が展開されるということが分かっています。ということなので、ストーカー被害に遭った方が、もしかすると女性相談センターに相談に行った、あるいはお友達と一緒に警察に駆け込んだ、あるいは弁護士事務所に相談をしたというふうに最初に相談をするとき、そこから「その人を一人にしてはならない」というのが私たちの支援の鉄則なのです。

 三鷹の女子高校生の場合も、彼女はようやくの思いで御両親にも相談した、学校の先生にも相談した、そして一緒に警察にも対応したけれども、せっかく警察に御両親と一緒に行ったのに、御両親は職場に向かわれて、彼女は一人で学校に行った。今度は下校時、学校は一人で彼女を家に戻した。そして、ああいう悲惨な事件が起こってしまったわけなので、どんなことがあってもストーカー被害者というのはいつも命の危険にさらされている被害者なのだという認識を持って、支援機関、関係機関は対応すべきであり、これは絶対的な鉄則だと私は考えています。

 先ほどもちょっと申し上げましたけれども、DV防止法の第3次改正とストーカー規制法の改正がございまして、生活を共にする交際相手についても法の対象とする、つまりそういう人たちも保護命令を使えるよということになりましたし、それから保護命令が必要な危険度の高いデートDVやストーカー被害者については、婦人相談所、公的な都道府県に設置されている配偶者暴力相談支援センター(以降、「配暴センター」という。)、などを使うことができるというふうにもなりました。しかし、デートDVやストーカーの被害者というのは、たまたま同居している人というのはものすごく少ない。そうではない不安定な関係の人が多いので、同居要件を外した法の適用が望まれると、私たちは今大きな声で主張をしています。

 先ほどの基調講演の中でも、それからほかの講師のお話でも、厚生労働省は何をやっているんだというふうなお話がありました。法務省、警察庁は何をどうするつもりなんだと、文科省はどうなんだ、内閣府はどうなんだというふうに、関係省庁の縦割りの行政の活動の中で、こういった人々が本当に支援の枠から落ちこぼれているというのが、今の日本の社会の現状ではないかと思います。

 2014年の3月に「婦人相談所ガイドライン」というものが策定をされました。婦人相談所というのは、もともと60年以上前に作られた売春防止法を根拠法として、売春に身を落とすような子女を救ってやらなくてはいけない、そして、社会的に更生させてやらなくてはいけないという保護、救済、更生といった理念で動いてきた場所なのです。しかし、実際にはDV防止法ができたり、ストーカー規制法ができたり、それから児童虐待防止法ができたりして、暴力被害に遭う多くの女性の人権確立のために、この婦人相談所、配暴センターは仕事をするのだということになったわけですね。

 そこで、改めて、新たな女性支援ガイドラインを作ろうということで、婦人相談所ガイドラインが策定されました。このガイドラインでは、支援を必要とする人はみんな受け入れましょうというのが支援理念なのです。そういう理不尽な暴力被害に遭った人の回復支援が主たる支援理念であって、なおかつ暴力被害から立ち直ろうとする当事者が自らの権利を行使する場所としての支援センターにするという大変画期的な支援理念の転換が行われたわけなのです。

 したがって、今婦人相談所では、性暴力被害者やDV被害者のほかに、ストーカー被害者やデートDVの被害者、若い女性たちの性的な搾取に遭っている人たち、もちろん外国籍女性やセクシャルマイノリティーの方々等、必要な人はみんな受け入れましょうというふうになりました。しかし、それはガイドラインがそうなったからといって、都道府県47カ所の配暴センター、婦人相談所がちゃんと仕事ができるようになったかというと、それはとてもとてもほど遠い状態です。本当に残念ですけれども、そういう状態なのですね。

 だから、「もしかしたら私は殺されるかもしれない。助けて!」というふうに県の婦人相談所、支援センターに飛び込んだとしても、「それはいつの暴力なの。この間つきまとわれたの。昨日殴られたわけではないでしょう。凶器は使われた?じゃあ、しばらく家に帰って様子を見なさい」みたいな形で追い返されてしまって、新たな被害に遭うということが実はたくさん続いています。これでは、法律に基づいて税金を投入して、全国津々浦々ありとあらゆる地域で最低限の支援を保障したセンターとしての役割、機能を十分に果たしていないと私たちは考えています。

 婦人相談所のガイドラインはできたけれども、なかなかそこがうまくいかないという前提の上で、ストーカー規制法も改正されたけれども、実はストーカー被害に苦しむたくさんの方々が、民間支援シェルター等につながれておいでになります。

 何がまずいかというと、警察の警告というのが効かない。さっきのお話にもありましたとおり、「そんなの知るか」という加害者には何を言っても無駄ということがあります。警告を無視する、あるいは警告によって逆上する。ストーカー加害者の危険度判断の有効性という意味では、私たちはこのチェックリストについても、被害者の側からのチェック項目を作ってほしい。それから、被害者の状態を測るような物差しは使わないでほしいということをお願いしました。

 そして、さらに迅速な加害者の拘束と積極的逮捕の必要性。警察は「捕まえるから被害届を出してよ」と言うんです。けれども、捕まえても、例えば不起訴処分になる。立件されない。差し戻される。ようやく裁判になったとしても執行猶予が付くというふうな繰り返しで、その実効性が本当にない。ただただ当事者は恐ろしい。「加害者が死ぬまで私たちは安心して息を吸うことができない」というのが、多くの被害女性たちの本当の声です。

 実際に、ストーカーだけではなくて、配偶者間の暴力で4日に1人ずつ、妻が夫の手にかかって殺されています。それから、女性の自殺率、もう死ぬしかないというところまで追い込まれた女性たちの自殺率は、国際水準で第3位です。男性の自殺率が高くなったと大騒ぎをして自殺防止大綱なんかを作りましたけれども、男性の自殺率は第6位とか第7位。もちろんすごく高い水準ですが、女性の自殺率に比べるとまだ緩やかです。女たちはずっと殺されてきた。女たちは、ずっと自ら死ぬしかなかった。そういう状態の中で、私たちはこういう被害を二度と繰り返さないための社会の仕組みをどうしても作っていく必要があると思います。

 私は、被害者支援の現場に徹底して仕事をしてまいりましたので、被害者支援の仕組みを整備するために、この20年、お仲間の方々と御一緒に仕事をしてまいりました。しかし、何千万人、何億人の被害者を支えたとしても、一人の加害者の言動を変容させることができなければ、この問題のゴールはないのです。加害者を変えることしかないのです。加害者を生まない社会、暴力をなくす、暴力のない社会をつくるために、私たちは施策を進めていく必要があると思います。

 加害者の不処罰を終焉させるためにと書いてありますけれども、これは国連の女性差別撤廃委員会等からも何度も勧告が来て、加害者不処罰は許さないぞと。日本の社会はちゃんと加害者を処罰しなさいと、何度も何度も何度も勧告が来ているのですが、しかし残念ながらDV罪があるわけではなし、ストーカー規制法はあっても、本当の意味での加害者処罰と更生プログラムを法的に強制する根拠にはなっていない。そこを何とかしたいというのが私たちの本当に強い願いです。また、あらゆる教育の機会を通じて、すべての人が被害者にもならない、加害者にもならない、非暴力・非差別の人権教育、男女平等教育を徹底しなければならないと思います。

 私は、性暴力犯罪を容認している日本の社会に、包括的な性暴力禁止法の制定が今ほど求められているときはないのではないかと考えています。

 以上です。

田村: どうもありがとうございました。資料の御説明がちょっと遅れたのですけれども、パネリストの方々のレジュメ等のほかに、一つだけ警察庁資料という1枚紙が入ってございます。ストーカー規制法を踏まえた警察の対応の一覧と、ストーカー事案にどれぐらいの対応をしているのかということを明らかにしたものでございます。皆様、御参考に見ていただきながらお話を聞いていただければと思います。

 それでは、お三方目として、学習院大学の櫻井先生にお願いいたします。よろしくお願いします 。

櫻井: 櫻井でございます。芝多さんとそれから近藤さんの非常にリアルな鬼気迫るお話を伺ったのですが、私は法制度という観点から、そういう現実に必要性のある問題についてどのように、最終的には法治国家なので法制度を整備していかないといけないということになりますが、その場合の状況がどういうもので、どういう課題があるのかというようなことでお話をさせていただきたいと思っております。

 今日、このチラシといいますか、犯罪被害者週間ということでかわいらしいチラシを配られているのですが、これのキャッチを見ますと、犯罪被害に遭うということについてみんなが理解をし合って、地域社会に思いやりの輪を広げましょうということで、大変美しい言葉が並んでおり、その下のほうを見ますと、主催ということで、主催は内閣府、協力は警察庁、法務省、文部科学省、厚生労働省、国土交通省ということで、関連の省庁が並べられているのですが、こういう形でみんな仲よく理解を深めていきましょうねというレベルの話をするときは、これは一致して議論ができたという雰囲気が何となくできるということになるのですが、では、それを具体的にどのようにしましょうかということで一歩、二歩具体的な話になってくると、全然話が進まないというのが現実でございまして、そのあたりがどういう状況になっているのかということが、私のお話のテーマということになるのかなと思っております。

 そういう意味で言いますと、現実に政策を具体化するとか、しかもそれに法律の根拠を与えてしっかりと進めようと、予算もその後についてくるわけですけれども、そういうことになったときに、現実にはそうした施策を打つに当たって、種々困難があるということについて、レジュメのほうを御覧いただきながら進めたいと思います。

 まず、ストーカー被害を防止するということについて、これを現実の施策としてセットする場合に、どのような難しい問題があるのかというと、一番は行政をどうやって動かすか、国家をどう動かすか、あるいは裁判所をどうやって動かすかということになってくるのですが、この場合にはずうっと伝統的に、今の近代国家ができたときからの法的なものの考え方というようなものがございまして、それが基本的な問題状況というところなのですが、基本的にストーカーの問題というのは、加害者と被害者両方とも一般の私人でありまして、私人間の問題には国家権力は介入しないというところから、これは日本に限りませんが、近代的な国家というのは出発しています。

 先の国会でもいわれた立憲主義ということがございましたが、憲法は何のためにあるかというと、国家権力が私たち一般人の生活を侵さないように国家権力を縛るというのが立憲主義の眼目でありますので、そうするとそこで考えているのは、国家権力をどう縛るか、縛って私人の領域に入ってこないようにするにはどうすればいいか、というところが主要な関心事項ということになっています。

 したがって、憲法が最高法規としてあって、その下に法律群ができているという構図でありますので、そうするとどうしても私人間の問題について、これはAさんとBさんといういわば横の関係、対等な当事者間の関係ですので、ここに国家が口出しをしてくるというのは本来やってはいけないこととして、もともとは考えられていたということになります。現在の日本の法制度の骨格もそういうところにあるということになります。

 ところが、19世紀はそういう形で始まっていて、そういう要素は依然として大原則なのですけれども、しかし現実には、2つ目の丸ですけれども、実際には私人間の問題というのを放っておくと、それはそれで大変な事態が起きて、社会自体が成り立たないような大きな混乱に陥ることもあり、そうしたことが経験的に自覚をされて、やはり私人間の関係であっても、これを全部放ったらかしというわけにはいかないだろうということで、新たな趣旨の法制度ができあがってきたという歴史がございます。

 御案内のとおり、古典的な社会立法ですと、例えば労使関係に関わるものとしては、労働基準法や労働組合法などがありますが、使用者と労働者の関係というのは、これは契約で成り立っていますし、使用者も労働者も私人なのですけれども、これを放っておきますと、使用者は持てる者だし、労働者は持たざる者だということになると、結局は使用者のほうが労働者を搾取するような関係ができてしまいます。そうした事態はよろしくないということで、例えば最低賃金を法律で定めるとか、労働者は団結して使用者に対抗するということを内容とする法律が現実に出来てきたわけです。

 今の日本国憲法は、現代型の、20世紀型の憲法ということで、労働者の団結権を始めとする労働三権がきちんと保障されており、これは、当初の問題意識からすると、国家も少し私人間にも入ろうということでセットされている規範であるということができます。現実の社会においては様々な不条理なことがあって、国家が実際には介入しないといけないような問題が日々発生しているということであります。

 他方で、通常、社会立法とは言われないけれども、私人間に入ってくる法律としては、最近では、例えば消費者法の領域がそうした性格をもっています。当事者は、事業者と消費者です。とくに高齢者の方とか、若年層の問題もあるのですけれども、そういう方々をとりまく環境が、私人間の問題だとして放っておくと、どうも悪徳事業者にだまされてしまうとか、こういう人たちをどうしたら適切に守ることができるだろうかということで発展してきたのが消費者法の分野であるといえます。また、最近、問題となっているくい打ちのデータの偽装は建設業法という法律の守備範囲に入ってきますが、これは昭和24年にできた法律で、大変古いものですが、これも元請の会社と下請の会社という、事業者同士ですけれども私人同士の関係に関わる法律です。事業者同士であっても、これも放ったからしにしておきますと、どうしても下請のほうに無理が要求されてしまい、それを言い値でのまなければいけない状況があるため、そういうところをある程度規律していかないと問題があるのではないかという趣旨から、問題が顕在化したことを受けて、少し変えていく必要性があるのではないかということが言われております。

 その他、大きな流れで言いますと、そういう並びの中に、暴力団対策法もありましたし、それから今日のテーマでありますが、ストーカー規制法も、そういう特質を持つ法律として位置付けられるということになるかと思います。ストーカー規制法といいますと、今日でこそ、ごく当たり前の法律で、むしろ全然不十分ではないかというのが一般的な感覚なのかもしれないのですが、申し上げたような基本的な構造というのでしょうか、歴史的な流れからすると、実はストーカー規制法という法律ができた、これが作られたというのは、法制度的には大変ダイナミックなことでして、従前の考え方からすれば、一種の掟破りの法律だったと言ってよろしいかと思います。

 この法律ができたのは平成12年のことでありますが、以上のような経緯をみると、日本の法制度は戦後から始まったとしても、現代型の法律が本格的にでき上がってきたのは、どうも平成の時代になってからと言って過言ではないように思われます。

 もう一つ申し上げておくべきは、ストーカー規制法の特徴の一つは、これは警察組織に権限を与えて、これに行政的なことをやってもらうという法律なのですが、戦後の法制度という点でいうと、警察というのはある意味で特殊な役所であり、福井先生も言及されていましたが、警察はかつて国家警察でもございましたので、いろいろ人権侵害の歴史もあったということも踏まえて、戦後の警察組織のもともとの出発点は市町村警察にあり、現在、都道府県警察ということで広域化されたわけですけれども、ストーカーの問題もそうなのですが、新幹線で加害者が移動してしまうと簡単に県を越えてしまいますので、それでどうするのだという話も常に出てくることになります。そのようなことで、しかし、戦後はそういう意味で警察はもともと基本的には解体するというようなところから出発していますから、民主化と非常に徹底した分権化でもってスタートした組織だったとすると、今日の警察組織の在り方については、両方の評価があり得るだろうと思います。

 それから、警察はそういう意味では戦前の歴史を背負っているものですから、なるべく警察が活動しないようにするのが好ましいということで、今の警察の組織はできております。つまり、犯罪が現に起きてから、たとえば、人が殺されてからとか、財物が盗まれてから初めて権限を発動することが認められるというのが基本で、そのことにより厳格に行動が制約されてきたということがございます。これを司法警察と言っています。

 これに対して、ストーカー規制法は、まさに犯罪になる前、重大な法益侵害が起きる前に警察に動いてもらうという話なので、犯罪が起きる前の活動ということになりまして、その意味でも一つ掟破りといいますか、法的ドグマを破った法律の一つということで、これを作るのは、理論上はかなり大変なことだったといってよいと思います。そのことは、先ほど挙げたような各省庁ではとても法律化することはできなくて、議員立法という形で現実に作られており、この間の改正も議員立法という形で対応するという歴史が続いているということになります。

 法律を作るときに行政庁が表立って出てこないというのはやはりそれなりに理由があるといってよいと思います。まずそのことをよく考えないと、法律を作れば話が進むかというと、そうではありませんで、法律を作って現実にそれを運用するのは行政庁なので、行政庁にちゃんと運用させるというところまで展望しないと、言っているだけに終わってしまうということになってしまいます。

 平成12年にできたストーカー規制法という法律ですけれども、これは警察の対応については2種類用意されていまして、一つは直罰方式ですね。ストーカー行為をしたら罰則を置く。これは極めてシンプルな方式ですが、これが一つ。これは、すでに述べたように、古典的な、罰則を置いておけばよいという、一つの戦後の法制度の典型的なモデルなのです。だけど、罰則を置くといったって、現実にその行為をした後でないと動けないということに基本的にはなりますので、その前に何かできないかということで、2番目に書きましたが、間接罰ということで挙げましたけれども、これはまず警告をして、それから禁止命令を出して、禁止命令に違反した場合には罰則を置くという方式が用意されます。このポイントは、罰則があるということではなくて、そういうストーカー行為でいきなり罰するというのではなく、その前に警察が警告をするとか、禁止命令を出せるとか、ここで警察が行政として一定の活動をすることができるというところにあります。現実には日本の行政というのは大変慎重でございますので、警告というのはストーカー規制法にある正式の警告です。警告ですから、やめろと言うわけなのですけれども、これは大変重いと、それはそれで重いものだというので、警告の前に事実上の警告に当たるものを非公式にやられるわけです。そのくらい権限の発動には大変慎重です。

 結局、最初の行政指導的なものとして行う非公式の警告と、その後、正式の警告というのをやって、それでもだめだと禁止命令を行う、というようなやり方をしていることになります。そして、そうこうしているうちに重大な法益侵害が起きることがあり、そのことがしばしば問題になりますし、被害者の方からしますと、「危ないのだから、さっさととにかく何か動いてくれないか」と言いたいのだけれども、行政の方はおいそれとは動けません。そこで、そのギャップをどうやって埋めていったらいいのかというのが、ここでの大いなる課題ということになるかと思います。

 実は、ストーカー規制法には仮命令という手法もありまして、最近、私が問題意識を持っていますのは、デュープロセスという言葉がございます。これは憲法31条に根拠があり、刑罰に代表されるような、人権を制約するような場合には、ちゃんと適正な手続をとらなければいけないという、これも大変重要な憲法上の基本原理なのですけれども、これがちょっと、法制度全体の中で、いま一つバランスよく配置されていないようなところがあるように思います。禁止命令をするときには、「この人に近付くな」という命令を出すのですが、そのときには相手、つまり、ストーカー行為をしている人に対して、まず呼び出しをかけ、ノーティス・アンド・ヒアリングをすることになります。告知をして、反論を聞いて、それから禁止命令をようやく出すということになりますから、禁止命令を出すのに手間暇がかかるわけです。そうすると、それでなくても行動が遅いのが行政の特徴ですので、ますます遅くなってしまい、今すぐにでも対応してもらいたい被害者からすると「待っていられない」と、そういう話になります。

 このことは立法者のほうも自覚をしていて、そこで仮命令というちょっと軽めの命令を置きまして、この場合には、聴聞というのですが、ノーティス・アンド・ヒアリングをはしょって仮命令を出し、その後で公安委員会のほうが意見聴取という事後的な手続を入れていいことにするという仕組みが、平成12年の法制定の段階から用意されています。ところがこの仮命令という仕組みは、机上で考えた議論の典型のような感じで、法文上は、聴聞がなくても命令を出せるのだから、仮命令でやればいいではないかと言われるかもしれませんが、仮命令は現場では全然動いておりません。その統計はさっきの資料にありませんが、別の統計があるのですが、大体0件か、ごく最近、仮命令が一個もないではないかという話を言っていたら、1件とかいう数字が統計上出てくるようになったのですが、現場では仮命令だと言っても、禁止命令でもなかなか効果がないのに、仮ということになると、ますます効果がないというのですか、人間の実情に合っていないようなところがありまして、こういうのを何とかしないといけないだろうと考えられます。

 そうすると、やはり必要な場合には、迅速に命令が出せるようにするというほうがニーズにあっているように思われるわけです。しかも、その命令は、軽くないものであることが必要ではないかというので、平成26年にストーカー行為等の規制等の在り方に関する報告書が出されまして、私も議論に参加させていただいたのですが、②ですが、禁止命令を見直さなければいけないだろうということで、もっと機動的に出せるようにする。本当に危険なときには、手続を軽くして命令が出せるようにする仕組みにしていく必要があるのではないかということが、報告書では指摘をされているところであります。

 それから、(2)では、平成25年にこの報告書に先立って、メールの送付行為が追加されたというのですが、私もこれはびっくりしたのですけれども、平成12年の段階でメールが入っていなかったというのは、あるいはやむを得ないところもあったのかなと思いますが、それがずうっとそのままで、誰も手をつけることなく、平成25年になって実際に事件が起きて初めて入ったわけです。これは、国会が悪いのか、行政府が悪いのかは別としまして、一種の立法の怠慢だといわざるを得ないと思いましたけれども、でもやっとメールを、これを議員立法で入れたわけです。なぜか霞が関は動かないということになりますが、まあ、実質的には水面下で動いているという話もありますが、ともあれ議員立法でこれが付加された。これにより、やっと少し法律が現代化したということになります。

 ところが、メールを入れたら、今度はSNSはどうするのだという話がでてきて、現在、SNSは入っておりません。これもまた法改正待ちということになりますが、そういう状況で、何かどうも、立法も含めた動きが遅いなというのが全体の様子といってよいと思います。

 この報告書は次の法改正の骨格になるのだろうと思いますけれども、内容的には規制対象の拡大というのが入りましたし、それから罰則強化というのも入っていまして、罰則強化は、実際には今日、刑罰権はあまり意味がないという御指摘が複数の方からありましたが、それは全く私も同感でして、日本の法制度の一つの問題は、罰則を置き過ぎだというというところにあります。違法行為について、何でもかんでもと言ってよいくらい、罰則があります。このことは何を意味しているかというと、実際に罰則が発動されるケースは非常に限られていますから、違法行為があって本来罰則を発動しようと思えば発動できるけれども、実際には発動されていない罰則が、現実には山のようにあるということであります。これを刑罰の機能不全と言っておりますが、罰則を置くことで足りると考えるのは、今日においては、知恵が足りないといいますか、そこのところはより有意義な制裁措置なり、治療という選択肢もあるかもしれないのですけれども、もっと違う方策を考える必要があるだろうと思われます。

 ただ、この報告書も少し未来を見据えて、新たな対策として加害者対策であるとか、被害者支援ということについて、これはちょっと領域を広げるという話になりますが、これを含めておりまして、ここが新しいところで、これから開拓をしていかないといけないところなのだろうと思います。

 ただ、1点だけ申し上げると、加害者対策として治療的なことを行うという御意見がありますが、それはそれで可能性としてはあるのだろうと思います。今回このイベントも、内閣府でやるのは今回が最後ということで、今後は警察庁でやるのかというお話ですね。警察って、もともと何をやっているところかというと、犯罪を取り締まるところであったはずで、こういうことも含めて全部警察がやるということになると、本当にできるのかという疑問はあえて挙げておきたいと思います。そういうわけで、お話は最初のところに戻りまして、協力関係とかいって出てきたいろいろな各省庁がございましたが、本当はどこがやるべきなのか。見渡すと、やはり内閣府なのかとか、そんなことも思うわけですけれども、そのあたりも含めて、ストーカー対策はなかなか奥が深くて簡単に答えは出ないと思いますけれども、まずそこを考えていかないと、的確なストーカー対策は難しいのではないかと思っているところでございます。

 以上でございます。

田村: ありがとうございました。3人のパネリストの方々、大変興味深いお話でございまして、内容が充実して、予定より時間を超えてお話しいただきました。

 さて、それではこれからディスカッションに移ってまいりたいと思います。今日は、基調講演者の方に大変有意義なお話をしていただきましたが、「えっ」と思うことも皆さん多かったのかもしれません。そういう意味で、我々が代表として、基調講演者の方に質問をするところから始めさせていただきたいと思っております。

 今日の基調講演者のお話、いろいろございましたけれども、ストーカーを病的なものだという観点から、いろいろな御説明がございました。そういうストーカーの実態に関して、どなたかパネリストの方から御質問があれば、まずそれから始めたいと思います。いかがでございましょう。どうぞ。

近藤: 福井先生に是非お伺いしたいと思っておりました。私たちは、この仕事を始めて以来ずっと、DVやストーカー、性暴力犯罪というのは、これは重罪規定の必要な犯罪なんだ、人権侵害なんだというふうに考えてきて、一度も加害者は病気なんじゃないか、ということを考えてまいりませんでした。

 特にDV被害者の場合は、3人に1人、4人に1人と様々な女性たちが、ありとあらゆる暴力支配を受けているわけですけれども、加害者像を見ますと、職業だとか学歴だとか地域だとか思想・信条だとかは一切関係ない、ありとあらゆる男性がありとあらゆるところで加害者になっている。ありとあらゆる女性たちがありとあらゆる地域で被害者になっている。そういう構造の中から、加害者は病気であるということなど考えることはできませんでした。

 ただ、ストーカーの加害者については、これはDV加害者とはちょっと違うらしいということは、私たちもその危険度の高さから考えるようになりました。ただ、それにしても、ストーカー加害者のみんなが病気で、薬であれカウンセリングであれ、それから物理的な治療であれ、それで加害行為がやむのだろうかということについては大変大きな疑問を持っておりまして、治療的な支援と、それからそうではない様々な支援の重なるところということで、先ほども図をお示しいただきましたけれども、そこに例えば福祉的な支援だとか、それから立法的な支援だとか、いろんな支援が多重に重なるような縁を私たちは作っていかなくてはいけないのではないかなと思っておりました。

 もう一度、加害者は病気なのかということについてお話を伺えればと思います。

田村: ありがとうございます。では、福井先生、本質的な質問からですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

福井: 講演の中でもお話ししたと思うのですけれども、「ストーカー病」と言っているのは、多分世界で私一人でして、これが一般の精神科疾患として認められるとか、そういうことも全く思っていないですし、今後も多分なることはないと思います。あと、一つよく聞かれるのは、責任能力に結びつける。病気なのだったら加害者には責任はないのかと。それについても全くそういう主張をするつもりはなくて、話をしたと思うのですけれども、あくまで一般啓蒙と、彼らを、とにかく事件が起きると、ワーッと「警察は何やっているんだ」と騒いでは、また終わりということの繰り返しなので、単に罰則を強化するとか、それだけではなくて、違う一つの病気と見てみる、観点を作るということに意義があるのではないかということで言っただけです。

 あと、それに付随していろいろ福祉的というようなことも御指摘いただいたのですけれども、もっともだと思っていまして、今日御紹介できませんでしたけれども、海外なんかではストーカー加害者も、単に本人のパーソナリティーとかだけではなくて、例えば仕事がないとか、身分が不安定だとか、そういう社会的な背景というのをたくさん背負った上でああいう加害者になっているわけで、例えば就労支援とか仕事の職業訓練とか、そういった広い意味の支援というのも行っていて、それも貴重な福祉的なアプローチだと思っています。

田村: ありがとうございました。どうぞ。

芝多: 私もその治療の部分について伺います。最近では、刑務所と保護観察所における特別処遇プログラムということで、暴力犯や性犯罪等については認知行動療法のカウンセリングプログラムが既に始まっていて、それが一定の効果、つまり再犯率の低下につながっているといわれています。さらに、DV加害者用のプログラムについて、試みられている方もおられる。そこで、その方に「ストーカーも含めてもらえないのですか?」と伺うと、「DVまではやれるけれども、ストーカーは無理だ」と言われるのです。「どうしても動機付けの面で、ストーカーにはプログラムをやっても効果が上がらないのではないか、ストーカーへの対応は困難で私にはできないので、DVに集中します」、と。

 海外の事例を見ていても、ストーカーに関してカウンセリングの大きな効果がありましたという文献はなかなか見当たらにようにも思います。それでも、小さいハードルでもいいから、僕はちゃんと作ってほしいという態度なのですごく期待はしているのですけれども、そういう意味で、やはりストーカーは特別に難しいものなのか、治療やカウンセリングはどれくらいの効果があるものなのか、というのを教えていただけますか。

福井: ストーカーの治療について一番進んでいるのはオーストラリアだと思うのですけれども、そこで現在、国費でいわゆるコントロールスタディといって、プラセボ群と、きちんと認知行動療法なりをやっている群との比較みたいなことが実際行われています。それは多分オーストラリアぐらいという現状だと思いますが、コントロールスタディが重要なのは、治療の意欲がない者も振り分けるというところに意味があるので、そのあたりできちんと実証しないと難しいというのはあります。

 ただ、我々のところにも加害者はいっぱい来ていて、少なくとも自分から何とかしたいという者についての予後はいいと私は思っています。ただ、問題なのは当然意欲のない者が結構多数いるので、それをどうするかというのが本当に今後の課題です。

 ちなみに、逗子の事案について言うと、加害者は助けを求めて医療機関にもちゃんとかかっていたのです。にも関わらず、私は間接的に聞いただけですけれど、カウンセラーに「あなた、自分の問題だから自分で何とかしなさい」みたいなことを言われたことで、そういうヘルプを完全に諦めたというふうに聞きましたが、その辺は医者とか治療者側の考え方を変えることで、もっと対象者を増やせるとは思っています。

 それでも、治療動機が全然ない者をどうするのという問題は確かに残りますけれども、でも今の段階で逗子の事件も、あのときにきちんと医療者側が対応していればできたのではないかということは言えると思います。

芝多: 逗子の事件は、加害者は自殺未遂を3回していて、そのために大学病院の精神科医やクリニックにずっとかかっていました。自殺未遂直後は大学病院に入って、認知行動療法も一時期受けていたらしいのですけれども、本人が辛いと言って拒否をしてやめてしまったと聞いています。最終的には普通の民間のクリニックのほうで、多分抗うつ剤等をもらう治療を継続して受けていました。実は事件の起きた5日前もそのクリニックに行って、薬をもらっていたようです。そういう意味では、医療にはかかっているのですが、多分その医療の先生も、ストーカー加害者ではなくて、単に自殺未遂者としての治療だったと思うのです。そういう意味で、単に治療さえ受ければいいのではなくて、ストーカー行為を止めるためにどういう治療の仕組みを作っていくか、今日お話いただいたようなチャレンジをもっと進めていっていただきたいと思います。

福井: ちょっとよろしいですか、補足的に。それを言うと、厚生労働省が全くやる気なしというふうに指摘したと思うのですけれど、本当にやる気がなくて、今の問題でも、ストーカーというのがいっぱいいる、潜在的なものも入れると認知件数の10倍とか20倍と言われています。医療の中でも見かけるのです。それを例えば厚労省がきちんと何か診るようにしなさいということを、通達でも何でもいいですけれども、出すだけでも全然違うと思うのですが、その動きがないので、とにかく放置して、先ほどの例で言うと、多分うつ病とでも診断をつけて、単に抗うつ薬を出して終わりということになっていたと思うのですけれども、そうではない、ストーカーとしてどうするかということをちょっと考えるだけでも、少なくとも海外の文献を読むとか、そしたら治療の方法ぐらいはいっぱい引っかかってくるので、その辺は国の問題というのは結構大きいと思います。

田村: ありがとうございました。櫻井さん、何か御質問ありますか。

櫻井: 私のほうからもちょっとコメントというか、質問的なことで、治療的保安処分ということに言及されていて、GPSの導入をしたらどうかというお話もあったのですが、これは治療をするために、保安処分というとかなり重い話だと思うのですけれども、人的に身柄を拘束して入院させるという御趣旨でしょうか。強制的に治療を受けさせるというところまで含意するのかどうかというのが1点。

 それからもう一つ、省庁間の連携というところで、日本版のMAPPAというのですか、多機関公衆保護協定の導入ということに言及されているのですが、これは法規制と言われましたけれど、協定となっているので各省庁間の協定なのかなというふうにも読めるのですが、このあたりいかがでしょうか。

田村: 今の御質問のテーマは後で取り上げるつもりでした。すみません。対策については今の御質問は後でお答えを願うとして、ほかに実態のほうでご質問がなければ、私から確認的に福井先生に質問させていただきたいのですが、「ストーカー病」と言っているのは私だけですと言われていますけれども、でも先ほどおっしゃったように、医学的な定義があるとか、それから医学実績はあるというわけですから、そこは何なのですか。それは「ストーカー病」とは言わないけれども、どういうものとして医学的に定義をし、医学的な治療がされているのかという、そちらを先にお願いします。

福井: そうですね。文献とかを出せばよかったのですが、Obsessive harassmentと言って、強迫的な嫌がらせというような病名のような扱いをされて、文献が出てきます。それが実情は、括弧してストーカーと書いてあります。つまり、嫌がらせをするということが自分の意思では止められないと、やめたくてもやめられない状態になっている、強迫的になっているという、そういう病名でいっぱい出てきます。それにおいては病気です。

田村: その病気という理解としては、割と幅広いものがあるのだということでよろしいでしょうか。

福井: 今日はあまり触れられませんでしたけれども、日本に輸入したときには、男女間に限定したというのは非常にまれなことで、そういう嫌がらせのものは全部含めるという話で、途中でも例を挙げましたが、ごみをまき散らすとか、騒音を鳴らして地域住民に迷惑をかけるとか、それも全部含めたのがその診断名です。

田村: ありがとうございました。その強迫的な嫌がらせを続けるという、かつやめられない、それは一種の病気として位置付けて、治療的関与をするというのは、これは広くあることだと。それを「ストーカー病」と呼ぶのは自分個人かもしれないがという趣旨で理解してよろしいでしょうか。ありがとうございました。その点ちょっとお聞きになって疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれないなと思って、聞かせていただきました。

 それと、もう一つ、私のほうから聞いてはあれかもしれませんが、そういう治療みたいなイメージを持っているお医者様というのでしょうか、そういう方は結構いらっしゃるのでしょうか。先ほど逗子のストーカーの加害者は、病院に行ったのだけれども、通常のうつ病とか、そのぐらいの診断しか受けていなかったのだろうと。例えば、自分も何とかしたいと思っていて、行ったところ、それは広い意味の強迫性のハラスメント的な病気だということを診断して、それなりの治療をしていただけるお医者様というのは結構いらっしゃるものでしょうか。

福井: 基本的に全くいないという状態でして、この分野は司法精神医学といって、医者でいうと司法精神科医というのですけれど、日本司法精神医学会という学会もあるのです。そこに行くと、医者が200人ぐらいはいるのですけれども、もっぱら精神鑑定、それから医療観察法関係をやっているだけで、行くと、性犯罪の治療もそうなのですが、「よくやっているね」と言われるだけで、自分がやるというふうにはならない。今日あまり話をしませんでしたけれども、性犯罪も含めて保険もきかないとなると、わざわざこんなことをしようというふうにはならないのが今の状態です。

田村: ありがとうございました。あと、そうすると、オーストラリアではそういうお医者様は結構いらっしゃるという趣旨でしょうか。

福井: そうですね。先ほど御紹介した研究所というのが、あそこの創立者が非常に立派な方で、かなり多数の方がメルボルンからいろんな地域の州に広がって、どんどん治療という方向に動いています。

田村: ありがとうございました。病気という側面で切り口をしたときに見えていくもの、それから進んでいる治療が行われている状況、あと日本においてそういったものが広い意味の病気として位置付けられていないということ、厚生労働省もいけないという話がありましたけれど、そういう御指摘だったかと存じます。

 そういう中にあって、警察の介入をしても、収まるケースは8割あるでしょうが、より悪化するケースもあるという御指摘もございました。それで、対応する者として放置してはいけないとすれば、治療的保安処分も必要だというお話があったわけですが、それに対して先ほど櫻井先生のほうから御質問を既にしていただきました。それに対する答えをお願い申し上げます。

福井: 私自身は、基本的に入院とか刑務所に入れる、隔離するということは、一時的にしか意味がないということで、治療的保安処分という意味の中には入ってこないです。ただ、可能性としては、一部執行猶予のようなものをもし取り入れたなら、その中にいる間に導入みたいなものをやった上で、社会内処遇につなげるというステップを踏むということはあると思います。ただ、単に入院だけで完結するものではないということははっきりしておきたくて、GPSというのもむしろ加害者の人権ということも当然言われるので、それも守りつつ、社会内において本人の行動をコントロールできるようにするという意味において使用するもので、繰り返しになりますが、隔離というものを目的としているものではないつもりで申し上げています。

田村: ありがとうございました。MAPPAについては、また後で御質問していただくとして、櫻井先生、質問者として今お聞きになってのコメントはありますでしょうか。

櫻井: そういうことであると、現実的に考える余地もあるのかなという気もしないでもありませんね。確かに刑罰で、あまり懲役といってもしようがないところもあって、御本人も大変苦しまれるという実態があるとすると、もしそういう医学的な対応が可能であるなら、合理的な対応として考える可能性はあるだろうというふうには思いました。

 こういうことを言うと役所が嫌がるのですけれど、先ほどのお話がありましたので申し上げると、現行法の命令には、実は2種類ありまして、一つはつきまとい等をやったときに、その行為をしてはならないことという禁止命令、5条の1項1号の命令のほかに、更に2号というのがあって、もう1つ、命令の内容として、その当該行為が行われることを防止するために必要な事項についても実は命令を出すことができるというふうになっています。そうすると、文理だけをみると、ストーカー行為をしている方の、どういう状況なのかにもよると思うのですが、医師の診断を受けたほうがいいのではないかとか、そういう症状があると認められる人については、この現行法の2号のほうの命令を使う可能性も必ずしも排除されていないようにも読めますが、どうなんでしょうか。これは、警察庁はそんなことは考えていないときっとおっしゃると思いますが、もし可能であるとすると、公安委員会規則を変えればよろしいのかもしれません。

 いずれにしましても、大事なことは、命令を出してもらうことによって、被害者の方はその行為がやむということが唯一の願いだと思うのです。別にその人を処罰することが目的ではなくて、その人がこれから将来そういう行動をとらないようになってもらいたいというのが一番重要なことだと思うので、そうだとすると、単にある行為をやるなというだけではなくて、ある種の措置命令のような形で、あるいは勧告でもいいと思うので、何かしら方策がとれるようにしておくことは意味があるように思います。例えば感染症法という法律では、感染症にかかっている疑いがあるような場合には勧告をして、健康診断を受けなさいということができ、病原体が見つかった場合には、しばらく入院しておいてくださいという仕組みがありますので、少しそういう他の法令の仕組みなども見ながら、この事案に即した対応を更に考えることはあってもおかしくないと思います。

田村: ありがとうございました。それでは、芝多さん、あるいは近藤さんから、そういう事態を防ぐための介入の手法といいましょうか、それについての福井先生の発表への御質問なり、あるいはコメントなり、独自の御意見でも結構ですが、何かございますでしょうか。

芝多: 治療のプログラムということで、私自身活動の中で最近気づいたのは、では担い手は医者なのか、カウンセラーなのか?医学なのか、心理学なのか?薬なのか、心理療法なのか?ということが、素人が思う以上に難しい。それぞれ使う言葉も違って、相互不信も大きいようです。また、加害者の「治療」というと、片側からは「人権侵害だ」、反対側からは「むしろ免責ではないか」の批判が条件反射的に出てきて、すぐに議論が止まってしまう。でも、私の態度としては、皆さん全てに期待しています。まずは出来るだけ多様な試みを、と思っています。その意味で、活動を始めた当初は「加害者治療」という言葉を使っていたのですが、最近は、治療やカウンセリング、あるいは単に「加害者対策」という言葉で、できるだけ多くの担い手を含めるような態度に努めています。

 先ほどの議論で、ああすごくいい話を教えていただいたなと思ったのは、現行法でも治療的な関与ができる可能性があるということです。ある程度強制力を持った治療・カウンセリングの仕組みがどうしても必要になってくると思います。では、強制の仕組みさえあれば、OKかというと多分そうではなくて、次には、やはり受ける側のモチベーションをどう出すかが相当難しいと思うのです。その辺で福井先生が、今、本人同意の上で進めるやり方ですけれども、それをやっていく中で、どのように入っていくといいのか。単に警察が強い態度でガッとやった後に医者やカウンセラーに回ってくるのでいいのか、あるいはもう少し違うプロセスが良いのか。結局は人の感情問題なので、強制的なプロセスだけれどもすっと入り込めるやり方がどうしたらできるのか、その辺の経験上のアイデアとかがあれば教えてほしいなと思います。

福井: 今の御質問も後でお答えするのですが、医者である必要があるかということについてですけれど、格別それはないとも言えるし、医者が心理士と違うのは処方箋を切れるかどうかだけの話で、薬が不要なものについてはカウンセリングをするだけなので、不要という意味では不要ですけれど、いろんな手だてが多ければ多いほどいいので、抗うつ剤が攻撃性を下げたりということもあるので、両方使ったほうがいいというふうには考えています。

 入り口という面ですけれども、確かに今、警察庁とやっているものは、警告を、特に書面の警告を直接渡したときに、我々の団体に行ったらどうと言う流れになっています。一般的にストーカーの加害者が一番危険なのは、警察に行ったことを知られて警告とかを受ける瞬間と、裁判の前だと一般的に言われていて、要は感情がすごく高ぶっている最悪のときに治療に行きなさいと言っているので、どうしても動機付けも低くなってしまうのです。なので、アプローチの仕方を変える必要があると思います。例えばある程度心理的な素養のある者が、後にもう一度訪問して、落ち着いたところでじっくり相手の話を聞きながら、「こういうのもあるから、行ったらどう」みたいにすると大分変わってくるのではないかということは思っていますし、実際警察庁にも話をしてあります。

田村: ありがとうございました。近藤さん、何かございますか。

近藤: 私は、関係機関の連携について具体的なイメージを持つところに来ているのだなと思うのですけれども、例えばDV防止法では、防止法の本文の中に関係機関との連携を推進する、強化するというのが入っておりますし、それから国の基本方針の中にも連携協力はかなりうたわれています。

 また、DV被害者のための相談対応マニュアル、相談の手引きというものが各自治体に配布されているのですけれども、その中にも関係機関とどのように連携するか、どういう場合にどう対処するかということが細かく書き記されています。

 私たちがこうしたいなと思っておりますのは、DVであってもストーカーであっても、被害者支援に徹する人々と加害者支援に徹する人々は役割を分けなくてはいけないということです。それに対応するところも、それぞれ専門家を育成、養成していく必要がある。その上で、関係機関の連携ネットワークを確立する必要があります。それは単に顔合わせをして、「今こんな状況だね」というのではなくて、具体的なケースをつないでケースカンファレンスのできるネットワークです。じゃあ、この人について、警察はこことこことこれをやりましょう。病院では、まず緊急入院をさせて、名前を変えて、匿名の入院患者としてとにかく丁寧な対応をしますよ。児童相談所では、残されたお子さんたちをショートステイさせ、サポートケアの担当を決めましょう。というふうに、具体的なケースについて、そこに関わる関係機関の専門職員が自分の責任の範囲となすべきことを確認しつつ、その被害当事者を支えていくという仕組みを日本の社会の中に急いで作る必要があると思います。

 内閣府は今、性暴力被害者のためのワンストップ支援センターのモデル事業を進めています。それから、厚生労働省もDVやストーカー被害に遭った方々のための、シェルターやステップハウスを出た後の継続的な自立支援モデル事業をすすめています。私はこういう動きの中で関係機関のネットワーク会議を、かなり強制力のある法的な仕組みとして位置づけることが必要だと思います。是非急いで専門家を養成し、ストーカークリニックを性暴力被害者支援センターと同じように、少なくとも各都道府県に1個所は急いで作ってもらいたいと思っています。ありがとうございます。

田村: コメントを頂きました。どうもありがとうございました。関係機関連携のほうに話が進んだと思います。では、そのようにさせていただきまして、今のお話の中で、関係機関の連携は大変大事だろうと。その意味で、ストーキングクリニックの実施は当然すぐ必要だろうというお話がございました。ストーキングクリニックについて、先ほどお話がございましたが、福井先生は何か今お聞きになりながら、ストーキングクリニックの意義について補足的なものがございましたらお願いします。

福井: おっしゃるとおりで、イギリスでももの凄い成功して、被害の率がたしか3割ぐらいまで下がったというようなデータも見せていただきました。特にあれを最初に始められた警察官の方とお会いしたのですけれども、それで勲章をもらったりとかということなのですが。途中でもお話ししましたけれど、イギリスからヨーロッパにどんどん広まっているということで、ケースとおっしゃいましたが、そのとおりで、ざくっと警察官の直感だけでやっていてもやはり限界があって、そこを単に専門家が少しアドバイスするというだけでもがらっと変わると思うのです。

 予算も本当に要らないと思います。行ってやるのも、聞きましたけれど、どのぐらいの規模か忘れましたが、一つの県ぐらいの規模に1,000万とか、そのぐらいの額の予算で、要は専門家が行って、相談についてアドバイスして、またパッと解散するというだけで、専任に何かずっとするというわけでもないので、比較的取りやすいと思います。是非やってほしいというのが私の強い気持ちです。

田村: 私から一つ確認ですが、それは警察の中にあるものというイメージですか。中に外のほかの人が来てもらって助言するというイメージでございましょうか。ほかの機関も一緒に入るのでしょうか。

福井: その上にMAPPAがあって、そこで連携をするという土台の中にぶら下がって、ストーキングクリニックについてはストーカーの専門ということで、ほかにも児童虐待とかいろんな部門があるようで、それでいうとまず連携が先に必要かもしれないです。

 確かに警察庁の方とお話ししても、保護観察所とネットワークがないんだと。保護観察所の講演なんかに行っても、それはいい話なのだけれど、ではつなぎ役をお願いしますみたいなことを言われて、幾らでもやりますよと言うのですが、そこから先に進まないという感じで、どこかやはりもっと、例えば内閣府でもいいのですけれど、上からやりなさいというようなお達しを出してもらうのがいいのではないかなと思います。

田村: ありがとうございました。先ほどちょっと保留になっておりました櫻井先生からのMAPPAについての御質問があったと思うのでお願いします。

福井: そうですね。協定ということなので違うという御指摘で、私も法律が専門ではないので分からないのですけれども、ただ聞いた範囲では、それを争って、最高裁みたいなところまでその規定を守ったかどうかが裁判になったみたいなことを聞いたので、恐らく罰則があるからそうなのだろうなと思うのですが、ちょっと分からないです。もうちょっと聞いたほうがいいと思います。

田村: ありがとうございます。多分MAPPA自身は法的な根拠があったと思いますけれども、いずれにしても多機関連携の話です。先ほど近藤さんの方からも、多機関連携が必要だということをきちんと法律の上で書いて、そしていろいろな機関が連携をすべきだというお話がございました。

 櫻井先生のほうから、多くの機関が連携するに当たって、法的な仕組み、あるいは法的な課題を含めて、どんな課題があるというふうにお考えでいらっしゃいますか。

櫻井: 「べき論」を言えば幾らでも言えるのですけれど、実際にそうはいっても各省庁間の縦割り行政と言われますが、これはなかなかそう簡単には架橋できないと思っておりまして、大きな政治課題なのだろうと思いますが、そこをなるべく実務的に軟着陸するような工夫をしつつ、現実的に案を考えていくというのが穏当だろうと思っています。

 そうすると、一つは、警察組織の大きな特徴は、都道府県警察になっているので、これは分権型の組織なのです。警察庁は別に法律を作るとか、そういうことしか基本的にはやっていませんので、実働を含めて主体は都道府県にあります。この点、各都道府県はそれぞれ総合的な地方公共団体として医療部門を抱えていますので、むしろ県レベルにおける医療関係機関との連携を都道府県警察と、それから都道府県の一般行政の部門で考えていくというのが現実的なのではないか。

 現実に都道府県レベルでそういう医療機関との連携のような事例が出てくると、厚労省もちょっと黙っていられないということになるはずで、関与されてくるかもしれないというようなことをむしろ思います。いずれにせよ、この点はいわば警察組織のメリットでもありまして、ハイブリッドの組織になっており、こういう組織は日本の行政機関としては大変独特なもので、今となっては、その良い点を生かしていくといいのではと考えております。

田村: ありがとうございました。多機関の連携に関して、芝多さん、何かコメントがあればお願いします。

芝多: 先ほどの被害者支援ところでもお話したのですが、被害者に関しては支援が全く足りていない状況なので、国の責任として、あるいは自治体の責任として、相談した日から継続してちゃんとサポートしていただける体制を作っていただきたいというのは当然あります。それは私がわざわざこの場で言わなくても皆さんお思いだと思います。

 もう一つは、これはなかなか皆さん全員に同意していただくのは難しいかもしれませんが、加害者側へのサポートです。加害者に対して、強制力をもって治療するとか、刑罰へ行くとか、そういうやや強い関わり方は当然必要で、それをどうするかという議論でしたけれども、一方でそこまで悪化する前の段階で、強圧的ではなく、サポートするという態度で関わりを作っていく。その主要な担い手が福祉なのか他の機関なのかは議論が必要ですけれども、そういう体制も作って早い段階で止められれば、誰にとってもそれが一番いいことなはずです。ストーキングの心のねじれが凝り固まる前に、より早い段階で、柔らかい関わり方を築く努力が必要なのかなと思います。

 そういう面で、先ほどお話をした加害者家族へのサポートというものは、多分声を上げられる方がほかに誰もいらっしゃらないので、なかなか意識されることはないと思うのですけれども、逗子の事件の場合は、そこが一番止める可能性のあったポイントかなと思っています。最近は、重大な事件を起こしたあとの加害者家族を支援するNPOも活動を始めており、この事件の加害者側遺族の方もサポートを受けています。でも、もっと早い段階でストーカー加害者のことで悩んでいるその家族をサポートするという人・組織が、是非出てきていただければと思います。

 先ほど言われたように、被害者と加害者側の支援を完全に分ける必要があるとすると、では誰が担うのか。お会いした中には、両方やれる、やっていると言われた組織もあるので、是非進めていただきたい。その辺の話題は、なかなかこれまで関心を集めることはなかったと思うのですが、そこも含めて加害者側にいろいろな形で関わって、先ほどお話した小さな壁、ハードルをとにかく数多く増やしてほしいなと思います。そういう意味でも、多機関でそれぞれ何がやれるかということをもっと考え、その上で連携を図っていただきたいと思います。

田村: ありがとうございました。一通りお話がございました。なお、今日は芝多さんの発表用の配布資料の最後に、多機関連携に向けての総合的ストーカー対策の話もございましたので御覧いただきたいと存じますし、その少し手前に加害者のモニタリングの話で、加害者情報について、その状況を被害者側あるいはその関係者に伝えることができないのかという御指摘がございました。

 そういう情報共有についての法的な問題もあろうと思いますが、これを論じていると、それだけでこれから1時間ぐらいかかるのかなと思いますので、限りがあるので触れませんが、一つだけ申し上げますと、先ほど近藤さんからお話がございましたように、DV法とかいろんな法律の枠組みの中では、関係機関が連携する。あるいは、その中にお医者さんが持っている情報を伝えるといったこともあろうと思いますし、児童虐待防止法でも医者が通報するという規定もございます。そういう規定がストーカー法にはないわけですから、そういう枠組みも一つ考えることが可能なのではないかと思っております。

 さて、もう時間がかなりまいりました。会場の方から多く御質問をいただいております。せっかくの機会でございますから、紹介させていただきます。申し訳ございません、限りある時間でございますので、回答者の方、なるべく短く御回答いただければと思います。

 まず、福井先生にですが、警察の介入によって8割が収まって、2割が継続・悪化する。その人の性格とか違いはどういうところにあるのでしょうか。ごく簡単に言えば、どんなところなのかというのを教えていただきたいということでございます。いかがでございましょう。

福井: まさにそれがアセスメントと言っているところの根幹部分で、ただ「こういう人が危ないです」というような単純な指標ではなくて、少なくともチェックリストというものでも、ニューラルネットワークという人工知能に使われるような情報処理を使って、かなり複雑な処理をしていて、それでも足りないと思って、やはりきっちりと事案を見て、その人なり何なり、生い立ちとか総合的に判断する必要があります。なので、「こういう人が危険です」とパッと分かれば全部防げるのですけれども、やはりそうはいかないのが厄介なところですので、ストーキングクリニックというお話をしているのはそういう意味です。

田村: ありがとうございました。それから、GPSのお話がございました。実際にストーカーに活用している国とか地域はあるのでしょうかという御質問でございます。

福井: ストーカーについては実は聞いたことがないです。GPSというと、いわゆる監視だけなのです。もっぱら使われているのは性犯罪者でして、私は性犯罪者に対してはずっと反対をしていて、GPSで監視しても再犯に効果がないというのが、いろいろ両方、文献で出てくるのですけれども、全般としては効果がないというのが今の結論で、結局何がいいかというと、事件が起きたときに警察が逮捕しやすいというだけでしかないのです。なので、もう少しテクノロジーを生かして、接近できないような仕組みというのが今ならできるのではないかと思っています。

田村: ありがとうございました。例を挙げると、例えばフランスとかそういうところで、刑の収容に代えてGPSをつけるというのが広く行われているようでございますが、予防的な意味のGPSというのはあまりメインではないのですけれども、考えるべきではないかという御趣旨だと思ってお聞きしました。

 ほかにもございますが、芝多さんにですが、今の世論は加害者への厳罰化のほうにだけ向かっていて、加害者を生まないために何かをすべきだ、加害者を止めることこそが大事だという今の御説明とかなりギャップがあります。世論とのギャップを埋めていくためには、どんなことが必要でしょうかという御質問です。いかがでしょうか。

芝多: 先ほどお話したように、逗子の事件でもし加害者が生きていれば、多分私も同じような議論に加わっていたのかなと考えたりします。やはり目の前に加害者だけが生き残っている状況で、彼に対する遺族の思いは多分相当複雑なもので、私には到底想像できないような思いを持たれているのだと思います。

 一方で、私のような立場に立たざるを得なくなった時に、どのような思いを持っているのか、それは私自身も言葉に出来ないですし、なかなかそのままでは共感してもらえない。この活動をしていて加害者側へのサポートなどのお話をしていると、たまに質問で「どのようにして加害者を許すことができるようになったのですか?」と聞かれたりしますが、全くの勘違いです。加害者を許すかどうかが私の関心ではありません。私は、逗子事件の加害者の名前を覚えていません。単に「加害者」としか呼びません。私の心は、被害者にのみ向いています。とにかくどうしたら、今被害に苦しんでいるような世の中の「妹」たちを救えるのか。そこから冷静に考えた時にでてきたのが、加害者についての話だったのです。

 もちろん、このように加害者側の話を遺族である私の口からお伝えすることの意義は感じています。これまでに加害者対策の活動をされてきた方にお会いすると、皆さんが言われるのは、「厳罰化が強まる風潮の中で、これまでなかなか社会に発信する事ができなかった」「聞いてもらえなかった」ということです。今日のように、遺族の立場から発言させていただくことで、これまで議論すらされなかった状況に対して少しでも突破口を開くことができれば、という思いで活動しています。

田村: ありがとうございます。おそらく最もそのために有益な活動を芝多さんはしていただいているのではないかなと私は思っております。

 それから次に、近藤先生に御質問がございます。DV等の被害者と加害者が共依存、ちょっと今日の話と違うかもしれませんが、被害者と加害者が一種の共依存関係にあるという場合がある。そういう場合には、被害者自身も被害者であることを理解はしているのだけれども、何か加害者に依存している。周りからの説得にも応じない。そういう場合の相談を受けることもあろうと思うのですけれども、その場合、どういう対応をされているのでしょうか。

近藤: 私たちは、電話相談であれ面談であれ、一度きりでその方の支援プログラムができあがるということはあり得ないと思っています。長い時間をかけて、もちろん危険度を計りながら丁寧におつき合いを始めるわけで、何度も何度も繰り返し面談とかお話し合いをしているうちに、御本人自身がどうしてもこの被害から逃れたい、どうしても加害者との関係を絶ちたいと思ったときに私たちは介入するわけであって、あくまで当事者の意思と決断と選択に沿った支援を提供しています。

 もちろんシェルターにお入りになった後、どうしても帰りたいと言ってお戻りになる方も実はおいでになります。そういう方のためには、戻ったときは大変危ない状況になるので、こちらのほうも最寄りの警察署と連携をして、危ないときにブザーを押したらすぐ警察官が駆けつけてくれるようなサポートをしますし、それから何度でも、いつでも私たちのところに連絡をしてほしいと。ただ、Aというシェルターからお帰りになった方が、またAというシェルターを使うのはすごく危険です。加害者に知られてしまいますから。ほかの利用者の安全のためにシェルターを引っ越しするということがよくあります。したがって、全国的なネットワークにつながって下さいねというふうに対応いたします。

田村: ありがとうございました。被害者支援でもそういう意味のネットワークはとても大事なのだなというのを、今聞いて思いました。

 それから、これも福井先生に御質問です。厚生労働省が全然やる気がないというコメントが何回もございましたが、なぜだとお考えでしょうか、どうすればいいとお考えでしょうか。

福井: 直接聞いてみるしかないのですけれども、中にいた、厚労省の研究所に5年間いたという話をしたと思うのですが、役所が忙しいというのもあるのかもしれません。あとは、とにかく新しいことは潰すというのが体質のようで、何か私が始めようとすると、とにかく消してしまおうという雰囲気、それがあそこの役所のやり方なのだと思っています。

田村: ありがとうございますというか、櫻井先生に一言何か補足をどうぞ。

櫻井: 私は、専門の関係でいろんな役所を見ているのですけれども、特に厚生労働省の厚生側の方についていえば、扱っている案件が生身の人間に関わる問題が多く、個々の課題がものすごく重いのですね。したがって、理屈で割り切れないことも多く、合理的な処理をすればいいというものでもなく、たくさん関係者がいらっしゃって、その御納得を得ながら、それからまた医療関係者などもいらっしゃいますし、そういういろんな、様々な軋轢のある中で、少しでも行政を進めていくということで、随分努力しておられるのだなということが、私も厚労省を大分長く観察しておりますけれども、だんだん分かってきたところがあります。そういう意味で普通の政策論を議論するところからすると、想像もできないような苦労が本当に多い役所だなと思っておりまして、そうすると、こういう新しい問題についても、まずは咀嚼をして、どのぐらいの安定感をもって行政として対応できるかというところについて、なかなか確信がないと踏み出せないのかなというふうには思っております。

 しかし、医療的な対処の可能性が客観的にあるとすると、当然役所としては関心を持って真摯に検討していただきたいし、してくださるものというふうに一応信じております。

田村: ありがとうございました。希望の持てる発言で大変よかったと思います。ありがとうございました。

 次に、どなたにでも、または田村先生と書いてありますけれども、警察では現在、ストーカーなど命に関わる事案に関して、あらゆる法令を適用して加害者を検挙するという方針のようであるが、そういう軽い罪で検挙を繰り返すとすれば、それは刑事司法制度の乱用ではないかという御質問がございました。まあ、コーディネーターが答えるのに適しているのか、また私が答えるべきか、かなり疑問があるのですが、質問者がそう言うので、私なりの意見を申し上げます。

 やはり本来、刑事司法というのは過去を向くものだと思います。論理的にいって、過去に起きたことについて刑罰を適用して、その法的責任を問うというのが刑事罰であろうと。だとすれば、将来のために使うというのはどこかで無理があるわけです。全部が全部乱用とは言いません。私は、警察が犯罪捜査権限を持っているというのは、個人の生命、身体、財産の保護のために行使することはあり得るだろうと思っておりまして、例えばDV事案なんかで警察が事情を聞いて介入をすることによって、その事態は鎮静化をする。その結果、起訴されなくても、その捜査が間違っていたと私は思いません。そういう意味では、犯罪捜査権限を個人保護に使うこと自体、私はあってもいいと思いますが、ただ刑事司法制度というのは、最終的に過去を向くものである以上は、未来のために使うにはやはり制度上の限界はあるのだろうなと思っています。

 例えば、将来のために長期拘束することができるかというと、やはりそれはできないだろうと。過去の犯した罪の重さに従ってしか刑罰はない。だとすれば、先ほどお話があるように、「半年たってまた来るのに恐怖におびえなければいけないのか」、「そうです」と言わざるを得ない。本質的にそういう制度なのではないかなという気がいたします。

 ですから、やはり刑罰は人を救わないのだと思います。必要だけれど、救わない。では、行政や司法ができるかと言われると、それはできるとは私は言いませんが、少しできるものがあるだろうと。芝多さんがおっしゃったように、低いハードルを多数並べることなのではないか。一つの高いハードルがほかで全部できるんだと私は思っていませんし、そういうものではないかなと思っております。コーディネーターとしての発言ではなく、質問に答える参加者として発言させていただきました。

 何か櫻井先生、補足があればお願いします。

櫻井: ストーカー行為を規制するということについては、バランスの問題というのがやはりあって、ほかの重大犯罪との関係でどうなのかということは常に考えないといけないだろうと思います。それから、今回、この問題を結局警察庁のほうに投げているのですが、警察庁の任務はストーカーだけではないので、人的リソースも限られていますし、そういう意味で警察を動員してやるべき事柄というのは何なのかという、優先順位の問題はかなりシビアに見ていかないと、ストーカーの議論だけに特化してしまうと、むしろ世間の常識から外れるようなことになるかなということは若干心配しています。罰則強化の問題も、そこはバランスを押さえてということではあったのですが、ともすると、とにかく厳罰主義に走りがちだという印象は持ったところでありまして、そこは理性的な対応がやはり必要であろうと考えております。

田村: ありがとうございました。時間も参りました。最後に一言ずつお話を伺えればと思います。芝多さんから。

芝多: 先ほどご質問いただいた厳罰化の風潮の中での活動の意義ということを考えていました。たしかに今の社会は、厳罰化を求める人たち声が強まってきています。一方で、その反対側には、加害者の人権、今日の議論でも日弁連という話が出ていましたけれども、そのようなわかりやすい対立軸が出来上がっているように感じています。でも、そういう直線上のあちらかこちらかという議論は、非常に不毛だし、むしろ有害だと感じています。

 どうしてもテレビなどのメディアは登場人物のわかりやすさが重要なので、その直線上に、「芝多さん、あなたはどっちなの?遺族なら当然ここよね」と位置づけようとしてきます。そのたびに、「いや、その直線上では議論したくありません」といって、その線の外に点を置き、「この三角形で話をしましょう」といいます。その第三の点が、加害者への罰or人権ではない、「生きている被害者を守る」という視点なのです。そして、最も望ましい解決策は、加害者が静かに社会に戻っていき、被害者も元の生活を取り戻すということ。ここから考えていくことで、不毛な対立に陥らず、どちら寄りの人とも一緒に進んでいけるのではないかと思っています。

田村: ありがとうございました。それでは、近藤さん、お願いします。

近藤: 私は支援現場におりまして、ここ数年、日本の社会は大変暴力的な傾向を強めてきているということを実感しています。特に性暴力被害を受けた女性や子供たちについては、そういう暴力的な社会であればあるほど、この社会が持っているすべての社会資源や人をつなぎ合わせて、みんなで寄ってたかってこの人たちの命を守るということをやっていかなくてはいけないのではないかと思うのです。そのための関係機関の連携や、そのための法整備を私たちも直接の現場で当事者と御一緒に進めてまいりたいと思います。ありがとうございました。

田村: ありがとうございました。それでは、櫻井さん、お願いいたします。

櫻井: 私は、今日、福井先生から治療の可能性というお話を伺って、この問題についてフィールドが広がる可能性があることが分かり、この点は有意義であったと思っております。また、芝多さんが、まさに被害者側の家族だからこそ加害者側のことが言えるというのは、実に説得力のあるお話で、大変いい活動をされていることも分かり、こちらもまさに将来性のある御議論だと思った次第です。

 法制度という点からいうと、法律論は、それに引き換えちょっと後れており、少し後れ過ぎという感じもありまして、法制的な議論をもう少し感度よく、あまりぶっ飛ぶ必要はないと思うのですけれども、もう少し常識的に動いていくというふうにしていかないといけない。議員立法がどんどん増えていくことになるのではないか。それはそれで悪いことではないかもしれませんけれども、より調和的な法制度ができるということが、私としては一番願っていることなので、そのように希望しておきたいと思います。

田村: ありがとうございました。では、福井先生、お願いいたします。

福井: いろんなところに講演などに呼んでいただいて、ずっと加害者への治療とか、あと最近は多機関の連携ということも言ってきたのですけれども、誰も言う人がいないもので、自分だけ一人でやっているのかなと思ったのですが、例えばシンポジウムでも、今年は刑法学会、被害者学会の両方に参加させていただいたのですけれども、そこでもそんな話が全く出なかったのですが、今回そういう被害者の方、あるいは被害者支援されている方も同じようなことを考えているということを知ったことは非常に貴重ですし、私も勇気づけられて、またこれもやはり内閣府が企画したからこういうことになったのかなということで、私も勉強になりましたし、今後も期待が大きくなりました。

田村: ありがとうございました。内閣府が主催したからいいのができたということであります。残念なことに内閣府はもう今後主催しないそうですが、内閣府でなくなったからいいシンポジウムができないといったことのないように、是非願っています。広い意味で被害者を巡る問題を幅広い視角で論議する場が間違いなく必要だと思うのです。

 私は、正直なことを言いますと、今度この事務が警察庁に行くことには大変残念な思いを持っております。警察庁が主催したら、今日のようなシンポジウムができたのだろうか、という気がします。どうしても役所というのは主管行政を持っていればいるほど責任が重くなって、なかなか自由なことができなくなります。警察庁に被害者支援の全体を担当する事務が行っても、内閣府から行った事務は警察庁に行ったかもしれないけれど、それは警察行政と違うのであって、是非被害者の視点に本当に肉薄して、自由な議論を幅広く展開してほしい。そうなることを切に願いたいと思います。

 では、そういう希望を述べまして、このパネルディスカッションを終了させていただきます。皆様、御協力どうもありがとうございました。

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