大阪大会 パネルディスカッション

「犯罪被害者支援~私たちができること~市民が市民を支えるということ」

コーディネーター:
楠本節子(NPO法人 大阪被害者支援アドボカシーセンター事務局長)
パネリスト :
るり子(少年犯罪被害当事者の会 代表)
寺田真治(全国犯罪被害者の会(あすの会)関西集会運営委員長)
田畑耕一(TAV交通死被害者の会 会員)
高見陽子(ウィメンズセンター大阪 代表、性暴力救援センター・大阪 事務局及び運営委員)
杉本吉史(大阪弁護士会 犯罪被害者支援委員会委員)

 【楠本】 皆様、こんにちは。私は本日の進行役を務めさせていただきます、大阪被害者支援アドボカシーセンターの楠本と申します。何分不慣れでございますので、行き届かない進行になるかと思いますけれども、皆様の御協力を頂きまして最後まで進めてまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、このシンポジウムは「犯罪被害者支援~私たちができること~」というテーマで、先ほどは基調講演の中で三木善彦さんから「隣人としてできること」としてお話をいただきました。このパネルディスカッションでは、市民が市民としてできることをそれぞれ今日は被害者の立場から、あるいは専門職として支援に携わっていらっしゃる中でのお話もお聞きしたいと思っております。

私自身は民間の被害者支援団体で支援を始めて今年で17年目となりますけれども、現場の中で特にここ10年ぐらい、2004年の犯罪被害者等基本法の成立を皮切りに、被害者のための法律や制度は少しずつ整備されて新体制も整いつつあるようには感じております。

基本法に基づいて策定されました犯罪被害者等基本計画の中にも、被害に遭ってからどの時点を起点としても適切な支援が受けられる体制づくりが必要であると謳われております。でも、これもまだまだ完全ではありません。特に被害者の方が回復への道筋を辿られる中で、まず何よりも必要なことが周囲の人の理解やサポートだと思います。

まずこのパネルディスカッションでは市民が市民を支えるということに視点を置きながら、パネリストの皆様からはそれぞれのお立場から御提言をいただき、私たち市民に何かできることについて御来場の皆さんとも一緒に考えてまいりたいと存じます。では、まずはじめに簡単な自己紹介とそれぞれの活動についてお話を頂きたいと思います。

それでは武さんから順番によろしくお願いいたします。

 【武】 こんにちは。はじめまして。紹介いただきました武るり子といいます。私は少年犯罪被害当事者の会の代表をしています。もう会を作って15年になります。今ではこうやっていろいろな公の場所に呼んでいただいて話をするようになりました。

どうしても公の場所に行くと名前が先行して言われます。「少年犯罪被害当事者の会代表、武るり子」と、すごく書かれたり言われたりします。たまに聞かれることがあります。「武さんは活動家ですか」「活動してたんですか」と聞かれる事があるのですが、私は活動家でも活動していたわけでもないのです。専業主婦です。実は専業主婦といっても、私は人前にこうして出るのはとても苦手な主婦です。その性格は本当に昔から今も変わりません。でも、今ではこうして全国いろいろな所に出掛けていって話をしているのです。

息子が事件に遭ってからは16年になるのですが、なぜ私がこんなことを続けているかというと、16年前の社会は犯罪被害者のことをまったく考えてはいませんでした。法律や制度も整っていなかったのです。そして今でもありますが、偏見がとても強かったのです。だから、本当に人前に出るのが苦手な私が声を上げざるを得なかったのです。

今、思います。ずっとあきらめなくて良かったと思うのです。私は最初に事件と分かったときから声を上げたのです。主人と一生懸命声を上げました。でもその声は拾ってはくれなかったのです。もちろん公の場所でも門前払いでした。マスコミにも相手にしてもらえなかった。大きな事件ではない、特殊性が無い、話題性が無いということもありました。少年犯罪被害者のことを取り上げるのは難しいともその頃言われたのですが、主人と一生懸命頑張ってあきらめなかったのです。

翌年会を作って、それからもあきらめずに続けてきて、今良かったなと思います。こうして犯罪被害者週間ができて、最初の挨拶にあったように7回目を迎えているのです。それを聞いただけで胸が詰まります。本当にあきらめなくて良かったなと思います。これからも頑張っていこうと思います。

会の紹介を少しします。私たちの会は少年犯罪で大切な子ども、家族を殺された遺族の集まりです。会を作って、先ほど言ったように15年になります。特徴としましては、1年に1回「WiLL」という集会をやっています。それは学生さんとやっています。私は会を作った頃から何かしたいと思っていましたが、自分たちだけで集会をしようと思っても無理なのです。私たちの会の人は沖縄、石垣島の人もいれば、北海道の人もいます。集会をしようと思っても、準備なんてとてもできません。

そんなときに知り合ったのが若い学生さんたちでした。その学生さんから会を作った頃から電話が入るようになりました。どんな電話かというと、いろいろな話をしながら最後に「武さん、もっと話を聞きたいです。行っていいですか」と言うのです。でも、私が遺族ですから気を遣いながら電話しているのがわかるのです。「傷つけるかもしれない、大変な思いをされるかもしれない、でも行きたいです」と言うのです。時には「興味半分と思ったら大変だと思うけれど、でも行きたいです」と言うのです。

私と主人は最初から言いました。「興味半分でも構わないよ」と。「入り口は何でも構わない、だからおいで」と言って来てもらっていた学生さんと「WiLL」の集会を作っています。なぜそう思ったかというと、興味という言葉はとても悪く聞こえるけれども、興味も関心も何にも感じない方が悲しいと思ったから、入り口は何でも良かったのです。そんな学生さんと作っている「WiLL」です。よかったら毎年大体10月にやっていますので、のぞきに来てください。ありがとうございました。

 【楠本】 ありがとうございました。15年前に「WiLL」の会を立ち上げられて、そしてあきらめないで声を上げ続けてこられたことが現在の活動にもつながっていらっしゃる、あるいはたくさんの、特に若い学生さんたちを巻き込んでこられたことにも非常に大きな意義があると感じさせていただきました。ありがとうございました。

続きまして寺田さん、お願いいたします。

 【寺田】 紹介いただきました、全国犯罪被害者の会関西集会の運営委員長をさせていただいております、寺田真治といいます。よろしくお願いいたします。今日はパネリストに呼んでいただきました。少し主旨とは違うのですけれども、是非とも最初に聞いていただきたいことがあります。

先ほど言われましたようにこの国民のつどいも7回目となりました。なぜ、この「国民のつどい」が開かれるようになったのでしょうか。それは2004年12月1日に犯罪被害者等基本法が成立した。ここからのスタートです。犯罪被害者週間はこの12月1日を最終日として設けられた週間であるということ。これをもう1度思い出していただきたいと思います。

私の事件は平成15年2月21日。当時、NTTの番号案内をしておりました妻が、帰宅途中に歩行者道路を歩いておりました。それは生活道路ですので隣に団地があり、普通の公園の横を通って帰っている途中に、ひったくりを目的としたであろう犯人に左足の太ももを刺されました。出血死をしています。犯人はいまだに捕まっていない事件です。

この事件が起きました平成15年2月21日金曜日でした。翌日は、全国犯罪被害者の会が近くの三宮商店街で、「それまで犯罪被害者の権利は何もなかった。犯罪被害者の権利を認めて欲しい」と署名活動をした日です。私はやはり会に非常に縁を感じました。法律を変えることにすごく意義を感じました。妻の死を私の中で昇華させるのはこれしか無いと、入会をさせていただきました。

それからずっと皆勤賞のように関西集会に参加してきました。私が参加したのは27回の関西集会でした。来月12月2日、開催しますのが134回の関西集会です。改めて思うと、年に12回開催しますから、事件から10年経ったのだという気持ちと共に、一緒に皆さんと歩いて来て良かったという思いで、今日お話しさせていただきます。

犯罪被害者等基本法ができる前の犯罪被害者は、非常に厳しい状況に置かれていました。今でもまだ残っておりますけれども、それ以前の犯罪被害者は裁判の中に存在が無かったのです。犯罪被害者は、国家が社会秩序を侵された、その犯罪を裁く裁判の中での犯罪事実を立証するための証拠品でしかなかったのです。ですから、裁判の場では傍聴席、バーの外に放り出されて、加害者が好き勝手言うのを黙って我慢して見ている存在でしかなかったのです。

それが、基本法ができ、改めて裁判参加の制度も作っていただきました。そして先ほど三木先生も言われたように意見陳述なり、求刑もできるようになったのです。こういったことが定着してしまうと、定着するのはいいのですけれども、やはりそれ以前はどうだったのかということをついつい忘れてしまう。

なぜ私がこんなことを言うかといいますと、裁判の被害者参加制度は、やはり法律ですから何年か後に見直しをされるわけです。そうしたときに、また前の制度に戻そうとする人たちが必ずいます。現実に、とある団体から、「将来に禍根を残す」とまで言われ、撤廃をせよという声明文が出されている、まだそんな事態なのです。

ですから、関係法律ができていますけど、まだまだ整備されている状態でなく、いつそういう何かのきっかけで前の時代に戻ってしまうかというような、危うい状況になっています。そういったところも考えていただきまして、犯罪被害者等基本法の前の時代に戻すようなことは絶対にやめていただきたいという思いで、今日はお話をさせていただいています。

思い出すと、基本法制定前の時期はいろいろ苦労や裏話も聞かせていただきました。今日主催していただいている内閣府の方々ですけれども、当時この法律の法案を作ることに携わって下さったのは、自民党の上川陽子先生、民主党では現・明石市長の泉房穂先生です。その泉房穂先生からよくお聞きするのは、「内閣府の役人っていうのはすごいよ、こちらがいろいろ質問でメールを返すんだけれども、夜中だろうがなんだろうがすぐに返事が返って来る。役人がその気になったらすごいものができるよ」という裏話をお聞きしました。先生も遅くまで起きてやっていることもあるのですけれども、そういったことでできた法律ですので、私たちは大事にしていかなければならないと思います。

ただ、すでに裁判が終わった人たちには遡及しないので、なかなか適用される場合は少ないのですけれども、これから被害に遭う人たちのために私たちがした同じつらい思いをして欲しくない、そういう思いから活動しているということを御理解いただきまして、皆さんの御協力をお願いしたいなと思います。

それと、今取り組んでおりますのは、先日発表されました犯罪被害者補償制度の要綱です。こういったものを会としては発表しております。今までは犯罪被害者に対する補償は無いと言っていいです。犯罪被害給付金はありますけれども、いまだに見舞金の考え方でしかなく、犯罪被害者の実態は犯罪が過去のものであっても、今の生活に苦しんでいる被害者の仲間がたくさんいます。そうした人たちのために補償制度の要綱を作りました。

これはまだロビーに展示が無いのですけれども、これから皆さん、新聞報道などで時折目につくこともあろうかと思います。是非とも応援していただきまして、この制度ができますようにお力を貸していただきたいと思います。以上で終わります。

 【楠本】 ありがとうございます。奥様の死をきっかけに、基本法、法律を変えるということに大きな意義を見出して活動を続けていらっしゃいました。ただ、今お話を伺っている中で、基本法あるいは基本計画の中でまだまだ足りないと、私自身も現場でいつも被害者の方からお聞きしているのですが、撤廃を求める団体があることを聞いて驚いてしまいました。

併せてまた、経済的な問題で非常に困窮を極めていらっしゃる被害者の方も多いと伺っておりますので、補償制度が何らかの形でうまく制度となればいいと感じさせていただきました。ありがとうございました。

では、続きまして田畑さん、お願いいたします。

 【田畑】 失礼いたします。紹介にあずかりましたTAV交通死被害者の会会員の田畑と申します。
私は子どもが4人おります。来年の1月22日でちょうど丸16年になりますが、一番下の子を雪の日の集団登校で、集団登校ですので上の子達も近所にいて、実はその日当番であった妻がその上で見守っていたところで車に突っ込まれて、4番目の男の子を亡くしました。1つにはやはり私どものように被害者遺族であるものの被害の実態をお伝えするべきなのですけれども、時間がありませんので1つだけ言います。

私はその当時中学校の教師をしていたのですけれども、もう抜け殻になりましてね。自分では後から聞いて気が付きました。「先生、前見てないで」「前は目を見てくれてたのに、全然見てなかったで。」そして職員室では、息をするのを忘れてしまうのです。皆さん少し息を我慢していただいたら、苦しくなってきて最後に「はぁーっ」という深い深いため息をつくのです。

職場の同僚、それから生徒達も、みんな私のその状態を受け止めてくれました。ずっと受け止めてくれたのです。1年、2年たつと自分のその状態もある程度伝わってきて、自分でも客観的に見ることができて、「ああ、皆よく支えてくれたな」という感謝の気持ち。そしてこの気持ちは、大きな区切りはいくつかあったのですけれど、実は10 年目ぐらいまではずっと私が引きずっていました。

今はどうかと言われると、今も実は、今日の三木先生の話を聞いたらフラッシュバック的に涙を何回か流したり、瞬間にその場に戻ったり、という状況があります。最初の10年に比べるとしんどさは変わらないけども、少し自分の状態は客観的に見ることができるようになってきました。交通犯罪で家族、特に私どものように子どもを亡くした親は、割と近い感情の変化がありますので、1つのケースとしてお伝えしました。

それでは会の紹介をいたします。レジメにも入っていますので、全部はお話ししませんけれども、ちょうど私どもがそういう苦しいことに出会ったことに前後して、交通犯罪に関しては全国的にいろいろな組織ができつつあるときでした。現在所属しておりますTAVにつきましては、私ども夫婦もちょうどその設立のメンバーとして続いております。

当会で何が自分にとってよかったかと思いますと、基本的にはグループカウンセリングです。最初は2カ月に1回だと思いますけれども、定期的に集まりまして、最初に参加したときは10人ちょっと、やがて20人、30人。たくさん集まるときにはグループカウンセリングを10人前後のグループに分けたりしました。自分も、あるいは後から入ってこられる方も、四度、五度と、何度も繰り返し同じことを話すのですけども、そのおかげでだんだん心に刺さったとげが流されていく。ここでしかわかってもらえないというのが、私がとらえています当会たる原点だと思っております。今もそのように続けております。

ただ、年数が経ってきまして、例えば今日このような場に私がお招きいただいてお話をさせていただくことで、対外的な活動も少し増えてきましたので、いくつかお話ししておきます。警察学校の研修で呼ばれたり、教習所の教官の研修で呼ばれたり、それから数年前から、今新しくできました法令の関係で、命について考えるという文部科学省の取り組みもありまして、私だけではなく複数の会員がいろいろな学校現場、あるいはPTAの集会で命について考えるということをさせていただいています。

後がありますので、どうしても私がこの場で皆さんにお伝えしたいことのポイントだけ言います。

先ほどから実は私は「交通犯罪」という言葉を使っている場合が多いです。ほとんどの交通事故については犯罪だという認識です。世間で言うところの本当に偶発的なことで、運転手もそれほどいい加減なことをしていなかった、普通にしていたのだけれどたまたま起こる「事故」もいくつかあります。

でもほとんどの場合には、実は事実を詳しく調べると、昨今あります京都祇園での暴走、それから京都亀岡での暴走、大阪のこの近くでの脱法ハーブに関する暴走と、皆さんも「えーっ」と思われますよね。なぜ危険運転(致死傷罪)が適用されないのかと思われますよね。でも実はうちの事件もいろいろな一つひとつ聞いていきますと、ほとんどが皆さん「えっ」と思うようなことです。

だから私たちの会では交通「事故」ではない、交通「犯罪」だ。『世間で言うところの事故ではなくて事件です。』という認識を持っていただけたら我々メンバーにとっては非常に強い心の支えとなります。

それから余りに多い発生件数があります。これは見ておいてください。警察庁の統計で年間の死亡事故者数24時間以内が何千人。1万人切りました、5000人切りましたと言いますけれども、それを例えば24で割るとか、365で割って24で割ると驚くほどです。軽傷者も入れるとやはり年間100万ぐらいです。後で見ていただいたらわかりますけれども、1時間に100人。日本のどこかで1時間に100人、死亡者も含めて命を奪われる、あるいは生還する。なおかつ統計によるものだけでそれだということです。

これが10年続いたら、ここにおられる方の中でも相当数の方が、御自身あるいは身内でそういう経験をなさっている方が多い。交通犯罪の最大の問題は、慢性的に統計的に処理されてしまうほど多いということです。それを言いたかったのです。

時間を取り過ぎたので一旦ここで切ります。

 【楠本】 ありがとうございます。私自身も、ごく初期の頃には実は「交通事故」と思っていた時期があります。やはりTAVの皆さんとお話をさせていただく中でやはり「交通犯罪」であると認識するようになりました。特にかけがいのない命が奪われ、あるいはけがをされるということにおいては、殺人、傷害致死、傷害と何ら変わりが無いのではないかという意味で交通犯罪という私たちがまずその認識を持っていく。

非常に日常的にどこにでもあるようなことですが、実は認識を変えていくところから始まると、今お話を伺いながら感じました。ありがとうございました。後でまたゆっくりお話しいただきたいと思います。

では引き続きまして、高見さんにお願いいたします。

 【高見】 こんにちは。天王寺動物口のすぐそばのウィメンズセンター大阪で活動をしています、よろしくお願いします。

1980年というとかなり前になるのですが、健康な状態の女性が子宮や卵巣をとられるという事件が産婦人科の医療の中でありました。そのときに私たちはどうしてそんなに簡単に女性の大事な子宮や卵巣が取られてしまうのだろうと疑問に感じました。そこで、患者さんの利用者側の立場に立って裁判で証言された東京の産婦人科の女医の佐々木静子さんを呼んで学習会をしました。

私たちも、自分自身の子宮や卵巣、あるいは自分自身の体についてほとんど知識が与えられてこなかった。教育の中では本当にしっかりと勉強してこなかったことが思い知らされました。今も阪南中央病院産婦人科の医師である加藤治子さんに来てもらって、女性の身体について一緒に勉強したいと申し入れました。

面白かったのは、その加藤さんは、医療従事者という狭い専門家集団の世界だけではなくて私たち利用者もある意味女性の体の専門家だということで、「一緒に症状について、体の変化について考えていきましょう」と言っていただきました。それは私たちにとっては非常にうれしいことでした。専門家、支援する側、援助する側、あるいは被害者という立場を分けるのではなくて、もう少し融合した形で一緒に考えていくことがすごく大事だとそのとき考えました。

それ以来、当事者主体の病院が欲しいということで1984年12月に女のためのクリニック準備会を設立しまして、もう30年近く、29年目に入る活動をしております。

そして、無料の電話相談を25年ぐらい前に設置しました。そのときの電話相談員は、もともと自分達が相談したい悩みごとがありました。その内容は、例えば夫からのセックスの強要であったり、自分自身の体の変化についていけない、医療者からの心ない非常に傷つくような二次被害をうけた、そういうことを相談できる場所がなかったので、作ったのです。

そのときの相談する側の人が今度は相談を受ける立場になろうと、相談ボランティアを募りました。それからもう25年間ずっと無料の電話相談を続けています。その中に、先ほど言いましたような体の悩みや、妊娠・出産、あるいは産む、産まない、産めないということを人生の中で真剣に考えている女性たちのたくさんの声が集まりました。

それが今の「男女共同参画センター」、その前は「女性センター」と言いましたけれども、その設立準備段階で、女性が何に悩んでいてどういう思いを持っているのか、何を欲しがっているのか、何が生活の中で必要なのかを、女性センター設立のときに関係者の方がウィメンズセンターに聞きに来られたこともありました。

そういう形でたくさんの女性たちの声が集まる中には、過去の性暴力被害、レイプ、性虐待、虐待の問題、そして自分自身が子どもを虐待してしまうという声もたくさんありました。今現在30代だけれども、この社会で子どもを産んでいって育てていけるんだろうかという悩みもたくさん集まりました。人間関係で上手くいかない人は信頼関係を基本的に持てなという悩みもたくさんありました。その人たちの声を聞く中で、過去の性的虐待、性暴力、夫からの暴力が見えてきました。

これはDV防止法が制定されるもっと以前の話なのでドメスティック・バイオレンスという言葉もなかったのですが、その人たちの声を聞きながら私自身も過去の性的被害に気付きながら、できるだけ早く、被害に遭ってから20年も30年もずっとそのことでしんどい思いをするのではなく、できるだけ被害直後に体のサポートあるいは心のケアができればいいのになと、産婦人科医師の加藤さんと一緒にずっと話をしました。

「もう作ろうよ」「作ろうよ言うたってお金も無いのにどうすんのん」という話をしていたのですが「でもとにかく、何とかやるしかないよ」という形でばたばたボランティアを募りまして、皆さんの善意で性暴力救援センター・大阪を2年前に発足しました。1年目よりも2年目の方がかなり電話件数も増えてきていました。ついこの間私が24時間の夜の支援に入ったのですが、もう6000件近く電話がかかっていると思います。

先ほどからの皆さんのお話にもありましたけれど、とにかく声を出せない。特に性的な被害の場合、社会通念の問題もありまして、やはりこのことを人に言うことはどれだけしんどいことかがつくづくわかるぐらいに、声を出せない女性たちの声が本当にたくさん上がってきています。

いきなり警察というのもなかなかハードルが高いけれども、まず性暴力救援センター・大阪に行って安心した空間で、安全な場所で自分自身の被害のことを話せる。その中でやっと警察に通報するケースもたくさん出てきています。

やはり最初はよくテレビのシーンであるように、暴漢されたら泣き叫んで服がボロボロになってということではなくて、知り合いの人からの性暴力被害もありますし、自分自身の身に起きたことをまるで無かったことのようにしたいというような思いもあって、淡々とまるで他人事のように話をされる。こういう調子ですから警察の方が「本当にこの被害はあったんでしょうか」と言われたりもするのですが、被害直後何が起こったか理解できない、無かったことにしたい、自分の身に起こったことではないと思い込もうとして他人事のようにしゃべられるのですけれども、通いながらしばらくすると、だんだん涙が出て怒りが出る形になってきて、そこから警察に届ける、あるいは司法の助けを借りることが出てくるわけです。だから、安心して駆け込める場所が24時間体制で必要だと思っています。24時間体制で必要だということで作り、たくさんの利用される方が増え、認知もされる中でかけ込める場ができたことでホットラインはどんどん増え続けています。

私自身、ウィメンズセンター大阪の事務局でアドボケータ養成講座を担当しておりまして、今まで自分自身が持ち続けた性暴力の被害者に対する偏見とか社会通念の間違いを、私達が持たさせていた意識を洗い直して、洗い直して、そぎ落としてやっと支援員になっていくのですけれども、過去の性暴力被害に遭ったことがフラッシュバックを起こして、支援が続けられなくなることもやはり起こってきます。そういうときには本当に次から次へと支援にかかわる人を必要とします。

この活動をどんどん続けていかなければいけないと思っています。ボランティアの意識で関わってもらっているので、大変でしんどい思いがあり、セルフケアの必要やスーパバイズの必要性がありますので、是非何らかの形で国の支援がやはり必要だと思っています。

 【楠本】 どうもありがとうございました。高見さんは性暴力救援センターの現場でまだまだ性犯罪被害は周囲の理解が得られない、あるいはそのことで声を出せない被害者のために安全な所で話せる場所作りを目指してやってこられたという話を伺うことができました。ありがとうございました。
 最後になりましたが、杉本さん、お願いいたします。

 【杉本】 大阪弁護士会から来ました犯罪被害者支援委員会の委員の杉本といいます。弁護士というのは、被疑者・被告人、加害者側の弁護をするのが仕事ではないかと思われがちですが、弁護士による犯罪被害者の支援は犯罪被害者の法律的な権利を守るための活動で、立派な犯罪被害者のための弁護士の活動です。

ただ、この犯罪被害者の権利というものが確立されたのが、先ほど寺田さんからお話しがありましたとおり犯罪被害者等基本法の制定を受けてということになりますので、極めて歴史が新しい権利です。

そういう経緯もありまして、私たち大阪弁護士会の犯罪被害者の活動も歴史は非常に新しいです。お配りをさせていただいた資料の中にこれまでの支援の経過については記載させていただいています。武さんが被害に遭われて少年犯罪被害当事者の会を設立された当時、被害者を守る法律は何もありませんでしたというお話でしたけれども、被害に遭われた翌年の1997年に、大阪弁護士会の中で被害当事者の支援を考えるプロジェクトチームが設置をされました。

設置をされた経緯は、当時、神戸の連続児童殺傷事件が起こりまして、犯罪被害者の置かれた実情がマスコミ等で非常に多く報道される機会がありました。そういう中で弁護士会も犯罪被害者の支援弁護士としてできることは何なのかを考えないといけないと、ようやく1997年になってプロジェクトチームが設置をされることになりました。以後、このプロジェクトチームが母体となりまして犯罪被害者支援の活動が始まります。

今私たちがしている活動としては、無料電話相談の活動をしていますが、その活動も1999年から開始をしています。2001年には犯罪被害者支援委員会と名称を改めまして、その後、犯罪被害者に関する法律的な制度の改定に伴い、私たちの活動の範囲も広がってきました。特に大きかったのは、2008年犯罪被害者の刑事手続への参加の制度ができまして、その制度の導入と相まって国選被害者参加弁護士制度が作られました。国の費用で被害者の支援を行う弁護士の制度が作られました。

そういう制度ができる中で私たちの被害者の支援活動が非常な広がりを見せているのが今の現状です。今日お配りをした資料の中に大阪弁護士会のリーフレットを入れさせていただいております。1つは犯罪被害者の方へ「ひとりで悩まないで」というリーフレットを用意させていただいております。弁護士がどのような支援ができるのかということをここの中で述べさせていただいております。

犯罪被害者は、被害に遭われてまずこれから自分がどういう立場になるのかということは、まったく知らないわけです。そういう被害者に対してきちんとした情報を提供させていただくことが私たちの役割でありますし、再び被害に遭わないように被害者を守る。それは直接的な被害の後の二次被害を含めて、被害を繰り返さないために私たちが支援をさせていただくことや、さらに被害を回復するために経済的な支援活動を行っています。

このような犯罪被害者支援の活動の実情について少し話をさせていただきますが、まず先ほど言いました国選被害者参加弁護士制度が導入されまして、私たち大阪弁護士会の犯罪被害者支援委員会の委員が中心になりまして、被害者参加をする被害者の皆さんに裁判で支援をさせていただいております。

実績としては、制度が始まったのが平成20年からですが、実績で言いますと21年から23年まで大体年間で十数件になっています。この被害者参加制度ができまして、全国的には、2010年には839人、2011年には902人の被害者の方が刑事裁判に参加をされてきています。

それから、約10年以前に導入をされました意見陳述制度というのがあります。これは、刑事裁判の法廷で被害者が被害者の心情について意見を直接裁判官や裁判員の前で言ったり、あるいは書面を通じて直接裁判官、裁判員にそれを伝えたりという制度ですが、これの実績から言いますと、平成12年から23年の11年間で法廷で意見陳述をした被害者の方が全国で9281名、書面で意見の陳述をした方が3213名に上っています。

まったく被害者に対する法制度がなかった10年前から実際この間、被害者の方が刑事裁判にかかわる中でそれだけの実績が現れてきていることが、この間の被害者の活動になっています。

私たち被害者支援をさせていただいている弁護士として、被害者支援のために日々被害者の皆さんのためにきちんとした法的な知識を得て、その上で被害者の皆さんに二次被害を与えないように支援をしていくための研修が非常に大事です。その研修のために犯罪被害者の支援や犯罪被害者自身の団体の皆さんと意見交換をしたり、矯正施設を訪れて懇談をしたり、あるいは委員会の中で事例検討したり、日々私たち自身の支援のスキルを高めるための研修をさせていただいております。

それから先ほど寺田さんのお話しにありましたように、犯罪被害者の皆さんに対する経済的な支援は、今読みましたような法律・制度が常時整っていっている中で極めて不十分な支援しかなされていない現状にあります。そういう中で、犯罪被害者の皆さんが置かれた実情をきちんと社会に知っていただく、そしてそれを変えていくための法律・制度を整えていく必要があることをきちんと提言する。そのためのシンポジウムを今年の春に開催をさせていただきました。

ざっと私たちの支援活動につきましてお話をさせていただきましたけれども、まだまだ犯罪被害者が置かれている実情に対してきちんとした救済をする制度は不十分な状態にあります。私たち弁護士としましては、そういう実情をきちんと見定めてそれを社会にきちんと提言し、さらにそれを変えていく、きちんと救済していくための法制度は何なのかということを提言していくことが、私たちの役割だと考えています。以上です。

 【楠本】 ありがとうございます。刑事裁判の中では、弁護士さんはどちらかと言えば加害者側についてくれるものですけれども、大阪弁護士会の中でも、3000人ぐらいいらっしゃる弁護士さんの中でこうして犯罪被害者の方たちの支援を行っている弁護士さん、60~70名というところでしょうか、数が少ないのですがやって下さる杉本さんのような弁護士もいらっしゃいます。そしてこれからまだまだ不十分な制度や法律について提言も行っていただけるというお話をいただけたと思います。ありがとうございました。

ここで一通り自己紹介が終わったところですけれども、特に武さん、寺田さん、田畑さんのお話の中で、やはりまだまだ残念なことに被害者の方に対して偏見、それからおそらく二次被害も欠かせない問題だと思いますけれども、そのあたりのことで武さん、御自身で感じていらっしゃる偏見や現実に何か二次被害をお受けになったお話がもしありましたらお願いいたします。

【武】 私が、会を作っている事もあっていろいろな遺族、被害者の人と話をします。そしたらびっくりする事がありました。偏見というのがすごく強いのだということを感じました。と言いますのは、少年犯罪は大体少年同士が多く、加害者も被害者も少年同士が多いのです。私たちの会の人もほとんどがそうです。そうなると「少年同士や、あれはけんかや」とすぐ言われてしまいます。それがたとえ一方的であっても、集団暴行であってもリンチであっても、「あれはどうせ被害者も原因があったんやろ」と簡単に言われてしまうのですね。

今でこそマスコミの方は気を付けてくださいますが、私が事件に遭った16年前、その数年の間は「けんか」という報道をすごくしていたのですね。うちも一方的だったのに「けんか」という報道がありましたし、ほとんどの家族が「けんか」という報道でした。そして私は今思い出すと、死体検案書をもらった時の事です。その中に内容が書いてあって、小さな欄に「けんかによりこうなった」ということが書いてありました。私と主人は警察の方にお願いしました。「これはけんかではないんです」「これを書き直していただきたい」と何度もお願いしましたが、結局は書き直してはもらえませんでした。

その頃は、警察でもマスコミの方でも簡単に「あのね、リンチであっても一方的であっても集団であってもけんかであっても、ひっくるめてね、全部けんかっていう表現なんだ」とおっしゃったのです。そういう扱いだったのです。それを私たちはその頃我慢をせざるを得なかったのです。でもやはりそれはおかしいと思いました。

私たち遺族は「けんか」と書かれるのがとてもつらいです。なぜなら、私たちの会の人は殺される理由なく命を奪われているのですね。大事な人の命を奪われています。その上に「被害者も原因があった」と言われたり、「けんかだった」と言われるのは名誉まで傷つけられていると思うから、とてもつらいのです。

でもそれをきちんと正してはくださらなかったです。今は少しずつ気を付けてくださいますが、そんな扱いだったのですね。だから少年犯罪は、「もう見ただけでけんかや、どうせ被害者も不良やったんやろ」とか言われてしまいます。そして、特徴があって、少年犯罪は地域で犯罪を起こす事が多いので、被害者も加害者も割と近くに住んでいます。そうすると、間違っていても大きな声が、パーッと地域に広がります。多くの遺族の人は声が上げられません。私たちのように声が上げられる遺族はまだ良いのです。でもほとんどが上げられないです。

地域で加害者側から出た噂やいろいろな噂で、被害者が悪かった、被害者がこういう人だったとかいろいろなことを言われて、じっと我慢している人がたくさんいることを知ったのです。私はびっくりしました。だから私たちは現状を知ってもらいたい。そして大事なことは、社会でも地域でも大きくて強い声、間違っているかどうか、きちんと見ていただきたいのです。この情報が正しいものなのかどうなのか見る目を持っていただきたいのです。

今は情報社会です。インターネットやいろいろな形で情報が出ます。それに惑わされないでいただきたいのです。私たちの会の中で、女の子が被害に遭っている場合があります。相手が同じぐらいの年の男の子となると、面白おかしく報道されます。それは本当に想像もつかないほどのひどいことを言われます。それでも私たちは我慢せざるを得ないのです。

だからそういう噂が流れたときでも、正しいものなのかどうか、見る目を一人ひとりが持っていただきたいのです。それにはやはり理解が必要です。だからこういう機会はとても貴重です。こういう機会を本当にどんどん全国で増やしていただきたい。そして私は16 年前から思っていたのは、一人ひとりに語りかけていくしかないと思っています。これからもそれは続けていきたいと思っています。

それからもう一つ。私の家族は地域で孤立しなかったのです。それは地域の人たちに理解があり、助けてくれたからです。今日、資料の中に新聞記事を入れてあります。詳しいことが言えないので、その記事を見てください。地域で「助けて欲しい」と私は言えました。言える地域だったから言えたのだと思います。それに寄り添ってくれる地域だったのです。特別扱いではなかったです。おかしいときはきちんと教えてくれました。

当時、私を見てパアッと散っていく人がいたので、ひどい人だと思って言いました。「ひどい人やね」「みんなあたしを避けてる」と言ったら、きちんと教えてくれる人がいました。「あんたね、外歩いてるときすごい顔して歩いてるで」と。「すごい顔して歩いてるからね」、「心配しててもよう声かけられへん」、「悪い人ばっかり違うよ」と言われました。私はそれを言われてなかったら今もきっと気が付いていないです。

遺族になって気が付かないといけないことがあると教わりました。だから、私たちは決して特別扱いは望んでいません。地域で孤立しないで普通に生きられるような、そんな地域になってもらいたい、社会になってもらいたいのです。ありがとうございました。

 【楠本】 どうもありがとうございました。まさに私たちが事件報道に接したときにけんかと書かれていたり、何か被害者のほうにも落ち度があったのではないかという書かれ方をしてしまうことで、それを鵜呑みにしてしまう、あるいは声の大きな加害者や周りの人たちに幻惑されてしまうようなことも起こっている。

やはり私たちがもっと偏見や認識を変えていかなければいけない。また、武さんからは、地域によって支えられた、地域で誰も声をかけなくなってしまう、心配はしているけれどもどんな声かけをしていいかわからないのでますます孤立させてしまう、ということもお話として伺うことができました。ありがとうございました。

寺田さん、まだ加害者が捕まっていないということですけども、この15年間でやはり様々な偏見や二次被害で苦しめられていらしたかと思いますが、少しその御体験をお話しいただけたらと思います。

 【寺田】 事件の起きましたのは平成15年の2月ですけれども、統計を見ていただくと分かりますけれども、前年の平成14 年から犯罪の認知件数、すべての犯罪の統計が下がっています。平成14年が一番日本で治安が悪かった、体感も含めて悪かったのですね。そうした中で年が変わって2月、うちの事件が起きました。

捜査員から聞く話ですけれども、事情聴取で結構若い子ですね、近隣の商業施設の防犯カメラに写っている子の事情を聞くのですけれども、「『ちょっと交番で話を聞かせてね』って言うとすぐその親が飛んで来てな、うちの子犯人扱いするんかという形で、もうそれから捜査ができないんだ」というのをポロッと1回だけ聞いたことがあります。ちょっとぼやくように「いやな、実はこんなんでな」と。あ、なるほどと思いました。うちの息子を警察に呼ばれたとなると、絶対にやはり「何でうちの息子犯人扱いするのや」とどうしても言いがちです。

では、そうした中で「自分の母親殺されてな、知ってることあったらなんか言うたってくれよ。どうしても捕まえたいやないか」と言っても、「いやそんなん関係無い」と。子どもは協力的だそうです。親の方がそうなっているという、何かそれを聞いていやだなと思ったのです。何ていう地域だと思っていたんです。

未解決でビラを配っているのですけど、最初は自費でビラを作って配るのですけれど、そうしたときにはすごく協力していただける。町づくり協議会が声をかけていただいて、率先してやっていただけるのですけれども、すごい人数来ていただいて、配っていただいて、それこそ地域の方々なので、声をかけながら「こんななってまだ捕まってないんや」と言ってくれます。それを見ると、ここの地域もなかなか捨てたもんじゃないなと思います。

それと被害の中で一番感じるのはやはり、今日も来ておられますけれども、マスコミです。私の場合で一番頭に来たことは、今日も資料持って来ようかと思ったのです。持って来なかったですけれど。一番最初にビラまきしたときに、近所の子どもが手伝ってくれました。「自分とこのお母さんなくなったら大変やろ。犯人捕まえたいな」と話しているのが聞こえていたのですけれど、そしたら子どもが手伝ってくれました。

ある大新聞の記者がそれを写真に撮って新聞記事にしているのです。その写真を見たとき私は卒倒しましたよ。うちの犯人はまだ捕まっていないのですよ。子どもの顔をアップで撮っているのです。そういう新聞記事を出すんですよ。これを別の新聞記者の労働組合の方から呼ばれてお話をさせていただきました。「僕、この新聞記事にものすごく怒ってるんですよ」と皆にコピーして配りました。みんな一生懸命記事を読んでいるのです。全然気付かない。

唯一それを言ったのは別の地方新聞の女性記者です。「この新聞見たとき、うわー、あの子えらいことした、と私思いました」、女性の感覚はやはり違います。未解決事件、犯人が捕まっていない事件の犯人捜査協力してくださいというビラまき。それに子どもが手伝ってくれた。子どもが手伝ってくれたら、やはり記事として目を引くのですね、それを平気で載せている。びっくりしましたよ。こんな感覚で新聞記事を書かれたのでたまらんなと思いました。ことあるごとにその新聞記事を持って、マスコミの皆さんには「こんなことがあった」と言います。

うちの近くでは、先ほどありました土師淳君の事件もありましたし、それと高校生で妹の彼氏を、妹を誘惑するとかで殺したという記事もありました。あれも実は同じ神戸市須磨区の近くです。区は変わりますけどもすぐ近くでは、北区で高校生の男の子と女の子が話ししていた所を通りがかりの犯人、それもまだ捕まっていないのですけれども、刺されて男の子が亡くなったという事件があります。結構神戸市はそういった物騒な事件が起こっています。

ですから、やはり防犯に対する意識ですとか、犯人が捕まってないというときにはどんな細かいことでもいいですから、情報を警察に集めていただいて犯人逮捕につながるように協力していただけたらと思うのです。だんだん時が経っていくと情報の件数も減りますけれど、たまにビラまきをすると少し増えることがあります。思い出して今だから言えるとか、あのとき言えなかったけどもひょっとして、というようなことがあれば、それも併せて情報提供していただきたい。

やはり地域で起こった犯罪ですので、地域で解決していただけたらと、そういう意識を持っていただけたらと思います。ですから、そんな形でビラまきに協力してくれたりするとそれがもう嬉しかったりするので、そういったことも心にとめていただいて、近くで犯罪が起こったら次が起こらないように、もし犯人が捕まってないのなら少しでも早く捕まるように知っていることを情報提供していただいて犯人逮捕に協力していただけるように、そういう意識を少し持っていただくことをお願いしたいと思います。

 【楠本】 ありがとうございました。寺田さんからは、マスコミが報道してくれたのはいいけれど、少し安全に対しての感覚が欠けていたことがあった。しかしながら、情報を求めてビラ配りをされる中で地域の方達がやはり防犯意識を持ちながら支えてくださった。原因という所からさらに支えてもらった方達の話にも進めていただけたようにも思います。ありがとうございました。

それでは田畑さんからも、両方のことをお話しいただいても結構でございます。

 【田畑】 せっかくのディスカッションですので、お聞きして私が感じたことを申し上げます。交通犯罪の場合も結構犯人がわからなくてビラ配りすることがあり、「目撃者を探しています」と書いてあります。僕らも協力したりすることもありますけれど、実際その瞬間を見るってことはまず無いです。大事な情報はその前後でも十分なのです。それを今少しお伝えして、そのことで目撃者探しのビラ配りにちょっと御協力できたらと思います。マスコミの方も、目撃情報ではなくて、前後もありますので、ありますよという形で流していただけたらと最近思うようになりました。それが1つです。

それから交通犯罪にかかわることの偏見で、一番大きいのは、「子どもの飛び出しでひいてしまいました」。犯罪者は、最初警察・検察の調書では言ってなくても、公判が始まったら弁護士がついて来て、新たな証言をします。日本の裁判は言うことは好きなことが言えます。好きなことを言って相手方がそれを反論でつぶさなければ通ってしまいます。変ですよ。子どもの飛び出しで。

でも、皆さん多くの方は免許を取っておられると思いますが、免許取ったときの教則本があります。そこにはこう書いてあります。「子どもたちが道を歩くような生活道路では、いつ子どもがボールを追いかけて飛び出すか知れない。だから子どもを見たらいつでも止まれるスピードで行きなさい」とあります。

うちの子どももそうですけれども、子どもや高齢者が車にひかれるほとんどの場合は、家の近所で歩いています。生活の場所です。なのに、「子どもの飛び出し」。これに関してはちょっと興奮しています。うちも裁判で言われましたから。それをすごく偏見だと思っています。ただ、私はこの交通犯罪において偏見があると気付いたことで、今日また別のケースのお話されている中でも、自分は今日また勉強しないといけない。他のケースでは自分は勉強していないし、こんな偉そうに言いながら間違ったとらえ方をしているのだろうとは思っています。

あと、世間一般であるのが、テレビドラマとかで「おい、犯人が向こうに行く、追いかけろ」と警察の上司が言うとパトカーが発進する。何でキキキッて鳴らすのですか。おかしいですよ。キーッって止まるのですよ。車のコマーシャルも「ヒュー。すごい加速です」。ここは自動車のレース場所ではないです。あなたの使う車は日常の生活でしょう。そんな性能いらないじゃないですか。でも、私もこの立場でなかったらそれがおかしいと気が付かなかった。「おっ、ええ車や」と思っていたと思う。「すごい性能や」と思っていたと思います。ちょっとしゃべりすぎです。また機会があれば。

 【楠本】 ありがとうございます。そうですね、視点を変えることで、何気なく見過ごしてしまったり、自分の中で偏見などにとらわれてしまっているところは確かにあるなと思いました。それから、目撃については必ずしもその時点での目撃ではなくても、前後の状況も大きな情報の一つになるのではないかという御提言もありました。

ここからは皆さんどうぞフリートーキングも結構でございますので、先ほどそれぞれお話しになられたことの感想も織り交ぜながらまたお話を進めてまいりたいと思います。

高見さんや杉本さんは、今度は支援者側として、多分いろいろな被害者の方から様々な偏見、あるいは先ほど高見さんのお話の中にありました社会通念がある、レイプ神話とよく言われていますけれども、そういう話もたくさん聞いていらっしゃるかと思いますが、少しそのあたりの話をいただければと思います。

 【高見】 先ほど基調講演の中で話されましたが、やはり被害に遭ったことや、なかなか性的な悩みが、言葉にできない。

被害のことを話せない、そしてまたそれを声に出す場所も無いので人間関係がうまくいかない。あるいは、パートナーからひどいことをされていることでカウンセリングに行かれたり、あるいは精神科に通うことを何十年続けていても、なかなか良い状態になっていかない、という方が来られたことがあります。そのときに性的な過去の被害によってそうなっていることが初めて分かった後、必死でそれを声にして言葉にして伝えたい思いがワァッと湧き上がってくる。やっとそのことについて自分が向き合うことができた。

それまではふたをしているのですね。「無理やりふたを開けるな」、「寝た子を起こすな」、「泣き寝入りしとけ」、「そんなこと、はよ忘れたらええねん」という社会の風潮がありますが、その方は言って、言って、もう言いたい、出したい。自分の中からもう出してしまいたいという方がやはりたくさんいらっしゃるのです。そうすることで、私が本当の意味で悪くはなかったのだ、加害者が悪いのだということをやっと認識できると言われます。

それから、DV被害を受けた方は、この人は加害者ではない、この人は元夫ではないと思っているのに、同じような体格の人が向こうから来ると体が固まってしまったり、解離状態を起こしたりすることもあるとか、男性の声を聞くと震えが止まらないという人だったり、もう離婚後5年ぐらい経つけれども職場で、職場の人だとわかっているのにすぐ近くでぱっと腕を上げられたときにもう怖くて、怖くて仕事にならなかったというケースがやはりあるわけです。

実は、性暴力救援センター・大阪では10代から19歳の被害者が一番多いのですけれども、そのうちの1割ぐらいは妊娠したという状態があります。レイプに遭った10代の子もDV家庭で育ち、やっと大学生活で親元から離れ自活して自分自身の生活が維持できると思ったときに被害にあって、生活そのものが立ち行かなくなって、アルバイトも辞めなければいけないけれど、親に知らされるとDVだったその家の中に戻っていかなければならないので、それも嫌だ。では、どうしたらいいかというと、なかなかその子たちがよりどころにする場所が無い。一緒に病院へついて行くとか、警察に事情聴取につきあうとか、それから弁護士さんの所に一緒に行くとか、実は生活そのものの支援は、カウンセリングをしながらすごく大事なことではないかなと思っています。

お三方のお話を聞いて本当に、被害に遭ったときに誰かに安心した場所で声に出して話ができる所と、継続した支援がやはり必要だと感じました。

 【楠本】 ありがとうございます。私自身も支援の現場で日々支援をしているところですけれども、皆様に配布させていただきました中に大阪被害者支援アドボカシーセンターのリーフレットが入っております。

今、生活支援というか事件に遭ったその直後から非常に長期にわたって継続した支援が必要だというお話がありましたが、私どものような民間被害者支援センターでは、電話や面接で相談に応じるだけではなくやはり様々な形で、裁判所、あるいは警察、検察庁、それから通院やカウンセリングに行くときにも、なかなか一人で行くのは精神的にきついので付添いを行うこともしていますけれども、まだまだ支援としてしなければいけないことはたくさんあると感じました。

では、杉本さんはいかがでしょうか。

 【杉本】 被害者について偏見というお話がありました。やはり被害者の実情、置かれた立場をきちんと知ることがないと、被害者に対する間違った知識が被害者を苦しめることが非常に多かったと思います。

一例で、私たち弁護士がかかわる部分で言いますと、被害者の皆さんが加害者に対して損害賠償という形で被害を請求する局面があります。マスコミは、例えば被害者の皆さんがその加害者に対して賠償請求何千万という提訴をしましたという報道がありますと、ついもうそれだけで被害が回復したとか賠償金を実際に受け取ったかのような間違った認識をされる場合があります。

ところが、実際に犯罪被害者が加害者に対して請求をしても、加害者にはそういう賠償をするだけの能力がなく被害回復がまったくされないケースがほとんどで、それが被害者が置かれた実情です。マスコミは、必ず記事にするためには、誰がいくら請求したのかを記事にしないと記事にならないから必ず金額を報道では書くことになってしまっている。それを読んだ方が誤解をしてしまう。そういう報道が今も続いていることが1つあります。

それから、被害者が頑張って裁判に参加をしたり、あるいは先ほど言いましたように、損害賠償の裁判を起こして最終的に結論が出た段階での状態になりますと、周りの方はこれでひと段落、一区切りだとおっしゃいます。ところがその被害者にとってそれは一つの加害者に対する取組といいますか、行った活動が1つの終わりを告げただけであって、まったく被害者にとってこの被害というものは終わってはいないわけです。そういう活動が一区切りついた段階は被害者にとって、逆に言えば一番つらい時期なのかもしれないのです。

そういうことを考慮することなく、一区切りだとかこれで一件落着だという見方は、被害者の被害をきちんと知らないということだろうと思います。犯罪被害者の置かれた日常に対してきちんとした支援をしていかなければならないということで作られた犯罪被害者等基本法なのですが、この基本法は被害者の皆さんが運動をされて、訴えかけられてそれによってはじめて制定されたものです。

そういう作られた経緯がありますので、そこで触れられている基本理念は被害者の意識をきちんと踏まえた中身が盛り込まれています。その基本理念は3つです。1つは被害者の尊厳にふさわしい処遇を保証される権利があります、ということです。2点目は被害者が置かれている状況、その事情に応じて適切な施策が講じられなければならない。3つ目が、必要な支援は途切れることがなく受けられるような施策が講じられないといけない。この3つの理念は非常に大事なことでありまして、この3つの理念を実現するために国や地方公共団体は施策を講じ、その施策に対して私たち市民がその施策がきちんと効果的に被害者の支援になるようにということが、この法律で定められているところです。

そういうことを踏まえて私たちとしてやはり考えないといけない、しないといけないなと思っているのは、やはり被害者を知ることです。偏見なくきちんと被害者の実情を曇りの無い目で見ることがまず大事なことです。それを踏まえて被害者に接していく。今日このような会に御出席いただいていること自体がそういう犯罪被害者等基本法を支える市民としての1つの大きなステップだと思っています。

是非ここで被害者の皆さんから聞かれた中身を持ち帰っていただいて、これからの被害者に対する皆さんの活動、支援に是非生かしていただきたいと思います。

 【楠本】 ありがとうございます。なんだか最後にまとめのようなお話を頂いたわけですけれども、今お話を頂きました皆様からお聞きしていると、まだまだ偏見や、被害者を取りまく環境は非常に厳しいと思いますし、一般の市民の方のみならず、被害者支援に携わっている者でさえまだまだ理解が十分に行き届いていない所もあると思います。それを私自身も仕事だからとか役割だからととらえるのではなく、一人の人間として受け止めていかなければならないと感じさせていただくことができました。

あと残り少なくなりましたけれども、少しずつ今のお話の中では市民が市民を支えることにも言及していただけたと思いますが、もう一言ずつ少しそのあたりのことで今日御来場の皆様に何か御参考になることがありましたらお話下さい。

今日ここにいらして下さって被害者の現状を知っていただくこともまず認識を変えていく1つかと思いますけれども、さらに少し何かヒントになるようなお話がございましたら、パネリストの皆様からお話しいただけたらと思います。お願いいたします。先ほど武さんは、地域の皆さんからすごく支えてくださったというお話がありましたけれど、先ほど三木先生のお話の中にもおかずを1品というお話もありました。何か御自身の体験の中で具体的にこんなことだったらできるということがあれば、是非お聞きしたいと思います。

 【武】 私がよく地域の話をするので、関心を持った新聞記者の方が話を聞きに来ることがあって、当時毎日家に来ていた私の周りの人に話を聞いたことがありました。「何で毎日武さんの家に行ってたんですか」と言うのですね。

うちの家は本当に日本を代表するぐらい家庭崩壊というかすごくひどかったのです。毎日が地獄でした。もう家の中で怒りをぶつけあったり、自分の思いを解消できないから主人の気持ちも考えられないし、主人は仇打ちもできない、国は何も守ってくれない、うちの場合は刑事裁判もなかったし、少年審判だったので本当に簡単に済まされたこともあったので、国に絶望したのです。加害者も謝罪が無い。何も無かったのでとにかくやり場がなかったのです。

家の中で怒りが出ました。物が壊れる音、泣き叫ぶ声、主人は毎日1階の部屋で怒りのような叫び声を挙げていました。本当にひどかったです。でも、そんな家に毎日誰かが来ていたのです。だからその人にその記者の方が、聞いたのですね。「なぜ、そんな家によく行っていましたね」と、その人は答えました。「どうしていいかわからなかった」、「でもあの家大変やったから、ほっとけんかったんや」、「たったそれだけやった」と言ったのです。私は、本当の意味のおせっかいの人が私の周りは多かったことが本当にありがたかったなと思いました。 学生と知り合ったとき、学生の子が言いました。「自分たちにできることは自分たちがやります」と言ってWiLLを作りました。それにも私は救われました。それから、今日、杉本先生がおられますけれど、私は民事裁判の時に杉本先生たちにお世話になりました。その弁護士の一人の桂先生が、そのころに新聞記事を書かれました。被害者と接するときには共感を持って接するという内容を書かれたのです、うちの民事裁判を始めた頃でした。その記事を見たときには涙が出ました。私たちに本当に共感を持って接してくれていると感じられたからです。

私、思いました。私は事件直後、毎日死ぬことを考えていました。でも生きてこられたのです。会を作って代表にもなりました。最近言われます。「強くなったね」と。今は「そやなぁ、昔はむちゃくちゃ弱かったから強くなったな」と言うのですけれど、私がなぜここまでできたかというと、理解してくれる人が周りにいたからだと思います。うちは本当に今にも家庭が崩壊しそうでした。今でもぎくしゃくする事があります。私たち家族は元には戻れないのです。

でもまた違った形の家族にはなっていると思うのです。直後は信じられないこと、悔しいこと、悲しいこと、つらいことたくさんあったけれども、共感してくれる、寄り添ってくれる、何もしなくても寄り添ってくれる人たちがいたから、今自分が少し強くなったかなと思えるようになったと思います。だから誰にでもできることは必ずあります。

それから、支援する側も傷ついてはいけません。私は学生のスタッフに言います、「あなた達も傷ついてはいけないよ、私たちが傷つけるようなことを言ったらちゃんと言ってよ」と言うんです。だから、私たちも傷ついてはいけないけれど、支援する側も傷ついてはいけないんです。だから、お互いができることをできる人がして、何か困ったときには助けを求める、そういう社会、地域にならないといけない、なって欲しいと、自分でも言い聞かせながら毎日、日々送っています。ありがとうございました。

 【楠本】 ありがとうございました。側にいてくださった方たちが共感を持って支える、あるいは寄り添ってくれる、そして何よりもほっとけなかった。あるいは、自分たちができることをやろうとしてくれた。すごくたくさんのヒントになる言葉だったと思います。ありがとうございました。

寺田さんから何か提言がおありでしょうか。

【寺田】 先ほど杉本先生から基本法の理念について少し説明いただきました。その中で地方自治体にも責務があるということで、私たちの活動として、身近な行政単位である市に対して犯罪被害者等支援条例を求める要望という形で動いています。去年は私の住む神戸市に提出をいたしました。読ませていただきます。「要望書趣旨」、市長さん宛てです。

「貴職におかれては日頃から市民生活の安全・安心にお心配りを頂き、心から敬意を表します。私どもは犯罪被害に遭い、1日も早い安寧な生活の回復のため助け合って活動している団体です。2005年、私たちの声が国政に届き犯罪被害の権利を定めた犯罪被害者等基本法が制定され、政府をはじめ地方自治体の責務が確定したことを心から喜んでおります。

今、基本法に基づき各地方自治体において犯罪被害者等支援条例が制定されております。貴市においても近年減少傾向にあるとはいえ多くの犯罪が発生しており、兵庫県警察本部の統計によれば2005年度より2009年度の5年間において殺人107件、傷害3192件となっています。これら犯罪の被害に遭った被害者本人、家族、そして遺族の方々が私どもと同じ悲しみと困難に遭遇しておられることを考えると暗澹とした思いになります。

この状況の下で、貴市においても犯罪被害者等基本法の趣旨を踏まえて実効性のある支援条例を制定し犯罪被害者の暮らしと生業の安定のために御助力を頂きたく、下記に私どもが条例に盛り込んでいただきたい事項を列記して要望書を提出いたします。

要望事項1.犯罪被害者のための総合相談窓口を設け、ワンストップサービスができる体制を整えてください。

2.過去の犯罪被害者を含め犯罪被害が原因で生活が困窮している者に対し給付金貸付金の制度を設け、健保福祉生活支援等の相談に応じてください。

3.犯罪被害により従前の住居に居住できなくなった者に対し、住居を提供し民間住宅を借り上げた場合は住宅費助成制度を設けてください。

4.犯罪被害者が裁判等で官公署に出頭し、あるいは弁護士等の打ち合わせをする場合、企業者等から有給休暇の協力等理解が得られるように推奨してください。以上。」

これに基づきまして神戸市は動いてくれました。条例を求める検討会を立ち上げてくれまして、来年2月の議会に提案し条例ができるという段取りまでできています。近くでは京都が条例を作っていただきました。それと、堺市でも来年の市議会でおそらくできるのではないかという状況になってきました。

それと、私たちの仲間がいる東大阪市、橿原市でも要望を出して、何とか条例ができるような形、身近な行政単位で条例を作っていただける状況になってきました。周りは固まりました。次は大阪です。大阪市でできるとはまだ……。それこそすごい条例になるのではないかと、画期的な条例ができるのではないかと期待をしています。そういったことにも皆さんのお力をお借りしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 【楠本】 ありがとうございます。基本法の中の地方自治体の責務ということで、身近な行政や、議会に対しての条例の要望書を出されているということです。大阪にも頑張っていただきたいというエールも送られました。ありがとうございました。

田畑さんからもお願いいたします。

 【田畑】 1つ、後で見ていただいたらわかるのですけれど、資料の1ページ目に何かわからない地図のようなものがあります。無理にページに入れてしまって縮小しすぎましたので、何かだけお伝えしておきます。これは22年度、大阪府の警察のホームページを見ていただいたら、残念ながら各市町村の交通事件の発生した地点を点で取ってあります。枚方では1年間で2000件ありました。やはり同じような道の上に重なってあります。これは見づらいですので、大阪府警のホームページで発生現場の所を開いてまた見ていただいたら、あるいは皆さんのお住まいの所を見ていただいたら驚くほどあります。これが1つです。

今日、結構我々に共通していたのは、やはり皆さんに関心を持っていただきたい。それから周りの人が気軽に声をかけてくれた、厳しい言葉もかけてくれた。結局、隣近所の人間関係だと思います。交通犯罪で言いますと、歩道の自転車が今大問題になっていますよね。昨日久々です。後ろから自転車で来た人が「すみません、ちょっと自転車空けてちょうだい」、納得しました。皆がそうしたら、一声かけられる町になったら随分変わるのではないかと思います。以上です。

 【楠本】 ありがとうございます。一声、なかなかその一声がかけられない、なにか、こんな世の中になってしましましたね。ありがとうございます。

高見さんもお願いいたします。

 【高見】 本当に、昨今テレビの報道でもありますけれど、ストーカーによって命を落とした人もいるし、たくさんの女性たちが被害に遭っています。性暴力救援センター・大阪を立ち上げてから、産婦人科学会も、児童相談所の方も、それから弁護士さん、弁護士会の方たちにも協力していただいていま す。

なおかつ一番驚いたのは、私の今までの意識を変えてくれたなと思ったのは、今まであまり警察と普段関わることはなかったのですけども、被害にあったの子どもたちを警察の方たちが連れて来て、SACHICOの方に来られる警察官の方たちは、一生懸命で加害者を対応するということに力を注いでいただいている。なおかつ嬉しかったのは、私たちに「彼女を傷つけないで、いろいろ事情を聴くにはどうしたらいいですか」と最近聞いて下さるようになったのは、嬉しいと思います。

医療界という専門家集団に利用者の私たちも入っていって私たちが主役なのだと言って受け入れて下さる病院もあり、やっと医療界にも入って行けたこともあります。そういう意味で言うと、法律の世界も、警察もそうで、私たちが声を出していくことも大切だと今思っています。人生をあきらめないでほしい私からのメッセージです。

 【楠本】 あきらめないということですね。杉本さんは先ほどかなりまとめに近いお話を頂いたと思います。ちょっと時間が迫ってしましましたので、特に何か付け加えになることはおありでしょうか。大丈夫ですか。パネリストの皆様、そして会場の皆様、ありがとうございました。

本日のパネルディスカッションでお話しいただいたことで、何らかの結論が出るということではもちろんありません。皆様からの御体験に基づいたお話をそれぞれ皆様がお持ち帰りになって下さい。身近に被害に遭った方がもしいらっしゃったら、それから先ほど三木先生の話の中にありましたけれど、まだ被害に遭ってない、もしかするとこれから被害に遭うかもわからないという思いを持ちながら、それぞれのお立場で被害者の問題を是非御自分のものとして引き寄せていただいて、今日の議論の中で出たお話をどうぞお持ち帰りになって周りの方たちにもお伝えいただきたいと思います。

コーディネーター役の不手際で十分な議論を尽くせないままに終わってしまい誠に申し訳ございません。それではこれをもちましてパネルディスカッションを終わりたいと思います。パネリストの皆様、どうも本当にありがとうございました。

また、会場の皆様も長時間にわたりまして本当にありがとうございました。

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