岡山大会:トークセッション

~心に寄り添う支援とは~

コーディネーター :
 川崎 政宏(認定NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ理事長)
出演者:
 山内 久子(被害者遺族)
 瀬尾 由紀子(山陽新聞社 NIE推進部副部長)

 川崎 それでは、これからトークセッションに入りたいと思います。

私はNPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズで、同じ立場の方が同じ思いを語るという場を作っていく自助グループを中心に活動をしているNPO法人の事務局と代表をしております。今日は「心に寄り添う支援」というテーマで当事者の方の思いにどう寄り添っていくか、向かい合っていくかということを中心に、話を進めて行きたいと思います。

先ほど山内さんの第1部での講演をお聞きしながら、語り始めるまでに6年間かかった、あるいは、書いたり、語るまでに6年、7年の年月を要していたというお話がありました。その間、いろいろな悔しさ、あるいは怒り、そういった思いにさいなまれながら、そういうことを語るところまで、時の変化とともにこられて、今日はお話を聞かせていただきました。

まだまだ、私たちが普段被害者支援の現場で接する被害当事者の方たちは語ることすらできずに地域の中、社会の中で孤立している方が多いのではないかなと感じています。そうした状況の中で山内さんが6年近くの中で、やっと言葉に少しずつでき始めていかれた前後の心の経過を少しお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。

 【山内】 私自身、6年くらいの間は家族でしか、娘の事件のことを言えませんでしたし、そしてまた、家族の中でしか泣いたり、怒ったりと、この怒るというのは加害者に対する怒りですが、そういうものは言えませんでした。ある時、やはりこういう悲しみや、苦しみや、つらさを持った犯罪被害者や、あるいは家族や遺族は、病院にも来るだろう。そういう時、看護師としていろいろかかわる時に、こういう事件に遭って、こういうふうな気持ちを持った人がいるということを、ぜひ知ってほしいというのが一番初めの、専門誌に書いた時の動機でした。

そしてその間は、先ほど言いましたように、家族にしか言えない、親戚にも言えなかったということがあります。書いて初めて、これからもしかしていろいろと聞かれた時には、言えるかもわからないなというちょっとした気持ちが動いてきた、それが6年後でした。

 川崎 書くことによって少しご自分の気持ちが前に動かれたのでしょうか。
 『看護教育』という雑誌に書かれることによって、お気持ちの変化を少し言葉に紡いでいく中で、また動いていかれたのでしょうか。

 【山内】 それを読んでいた人が職場の中にもいましたし、先ほども少しご紹介しました私のまったく知らない人からも、手紙とか電話をいただいた方もありますので、そういうことでやはり私はその発言をしてもいいのだという、何か保証を得られたような感じがしまして、次に時間を置いてからですが、県警から頼まれた時、講演を受けたということにつながっていきます。

 川崎 そうすると、読んでくださった方が、その読んだことを返してくださって、そこでご自分の中で少し安心感というものが芽生えてこられたのですか。

 【山内】 そうです。私、大学病院の中でも勉強会というのがあったのですが、まったく今の事件とは関係のない勉強会ですが、その勉強会で娘の事件のことでいろいろ思ったことを話してほしいと頼まれまして、そこで話をしたのが先ほどから言っている県警よりもさらに前のことになります。

 川崎 最初に言葉にして語っていくというのは本当に大変な状況だったと思いますね。

瀬尾さんも記者として被害者の方、被害者遺族の方と接して、いろいろお話を聞く機会がこれまでも多かったのではないかと思いますが、被害者の方が語られるときの大変さを、記者として、これまで感じられたことを少しお話しいただけますでしょうか。

 【瀬尾】 ちょうど今「犯罪被害者週間」ということで、各新聞でVSCOさんやファミリーズさんの協力をいただいて、岡山県内の犯罪被害の当事者の方の声がご紹介されております。岡山県内のすべての自治体、全市町村で条例が施行されたのはこの4月ですが、岡山県と合わせてすべての自治体で条例が出そろうのは全国初ということです。この4月に、その時期に合わせて、まずは当事者の声を伝える。条例はできたけれども、実際に支援とはどうあるべきかということについて、まずは当事者の声を聞くところから始めたい、考えたいと思いまして、VSCOさんとファミリーズさんのご協力をいただきまして、私は取材を始めたのですが、結果的にお2人の当事者の方のインタビューの記事を4月に掲載しました。

ですが、実際に取材をしたのはもっと多くの方です。あるお1人の方は、取材をさせていただく話合いをしていく中で、事件後の月日というのもありまして、ご本人がお話しするのに非常につらい状況にあるという方で、それをもちろん話し合いの中で、取材を控えることになりました。

また、別の当事者の方はお話はじっくり伺ったのですが、それを紙面化することで、その方ご本人はじっくりとお話はしてくださったのですが、それが今度は紙面に出た時に、そのご親戚とか、ご身内の方に与える影響を考えられて、慎重にお話をした結果、今回は見合わせたほうがいいのではないかということになりまして、お話合いをした結果、そこも見合わせました。

結果的に、お2人の当事者の方のインタビュー記事を掲載したのですが、いかに紙面で語っていただいて、紙面で声をお伝えすることが大変かということが、今少しだけですが、ご紹介したことで理解していただけると思います。そういった取材をいろいろ重ねている中で、決して取材ができるということが当たり前ではなくて、本当にすべて当事者の方が語ったことが、そのまま記者が理解をして、自分の真意に沿った記事が載るかどうか可能性が分からない中で、すべてを受け入れてインタビューも応じてくださる。本当に大変なことだと思うのです。

先ほどご紹介いただいた中で、私も犯罪被害者の取材に継続的にかかわってきていますが、いつもそういうことを感じます。事件を話すことで思い出すことにもなりますし、そういう真意が伝わらない可能性もあります。それでも、痛みを伴いながらも、伝えるということをしてくださっていて、その時にその当事者の方々に報道で伝えることの意義についてお尋ねすることもあるのですが、皆さん記者が伝えることの意味があるということで、こうした取材を受けてくださり、協力してくださっています。

その事件直後、それから事件から長い間、時間が経過してから、先ほど山内さんもお話されましたが、環境によっても変わりますし、その日によっても感じ方、考え方も違ってくると思うのです。その置かれた状況が1人ひとりによっても異なるので、その記者が思い描いたイメージですべてが当てはまるというわけではありません。やはり取材をきちんとしなければいけませんし、その取材ができて当たり前というように記者は思ってはいけませんし、短時間で、単発で決して理解できることではないので、地方紙ですので継続して取材を重ねられるということもあるのですが、やはり継続して取材をしていくことの大切さというのは日ごろから感じています。

 川崎 よく報道の方の問題で、先ほど山内さんのお話の中にも、まず事件直後の報道被害の問題で、誤った報道があとで取り返しがつかないというのがありました。それと事件直後の過剰な報道。同時に、よく当事者の方からお聞きするのは、3年ほどして刑事裁判も終わり、民事裁判も終わると、今度は報道の方が誰も話を聞いてくれない。思いを語ろうとした時に、周りに耳を傾けてくれる方、関心を持ってくれる方がいないという状況が一方ではあるということで、継続的なつながりとか、かかわりというのは、報道の方もそういうかかわりを持ってくださるとありがたいなという気がしますね。

 【山内】 先ほどの講演の中でも地方紙の写真を出しましたが、あの当時、「無理心中」とか「女友達」という、その言葉自体が非常に周りの人に誤解をさせてしまいまして、それをそうでないということが、本当は裁判で明らかにされていくのですが、私たちの娘の事件の時は地方であった事件ではなくて、横浜であった事件、そして横浜の裁判所であったということで、私たち夫婦しか誰も知り合いはいなかったという中で裁判が行われたわけです。

本当に娘と加害者は、友達でも何でもなかったという、その一言を私はみんなに知ってほしかったのですが、それを聞いているのは、私たち夫婦しかいないという本当にそういうあたりも1度報道されてしまうと、その後始末は誰も取らないというか、それを実感いたしましたし、とても悔しい思いをいたしました。これも1つの二次被害かなと感じております。

 川崎 ありがとうございます。先ほど、直後のいろいろな人たちへの悔しい思いとか怒りとかというお話の一方で、支えになったことの中で、タイミング良く話を聞いてもらえたということがありました。ちょうど今話を聞くという話ですが、タイミング良く話を聞くと言うのが、実際に当事者の方にかかわるときに、どう接していいか分からないという話を、行政の方や、初めて接する方からはよくお聞きします。そのタイミングよく話を聞くと言うのは、どういうところが周囲の者、私たちを含めて気を付ければいいのか、その辺りは何かヒントになることはございますでしょうか。

 【山内】 本当にタイミングということで、いつ自分にもそのタイミングが来るのかということは、はっきり言って分からないという現状もあります。私たち友達同士で普通の会話から、ランチをしながら、たわいもないテレビの話とか、そういう話から娘の事件のことが話されたり、娘の小さかった時のことが話題になったり、そういう時にふと事件のことを聞いてもらいたいという気持ちが出てくるんですよね。ですから、「今日は話をするぞ」とか、「今日は聞いてもらいたい」という気持ちは朝の時点ではまったく分からなくて、その日過ごしていくうちに、そしてその時の状況、周りの人のこちらに向けての視線とか、表情とか、態度とか、そういうのが本当に「あっ、聞いてもらいたい、今日は話したい、今日は話してもいいかな」というふうになりますので、とても難しいです。

私自身も先ほどの中で、タイミングという表現を使いましたが、本当にそのタイミングというのは難しいと思っています。もしかしてその被害に遭われた方や、遺族の方が、「私は今日何となく話したい」という雰囲気、そういうのが分かるかもしれません。あるいは、「今日は聞いてほしい」と、こちらから言うこともあると思いますので、そういう時はいろいろな言葉をはさまないで最後まで聞いていただきたいなと思います。

 川崎 タイミングの難しさというのは確かにありますね。よくどういう形で話を聞いたり語ったりしていくかということは難しいということが出てくるのですが、先ほどもご講演の中で、陵子さんのサークルの方たちが年賀状のコピーを持ってきてくださったりとか、訪ねて来てくださったり、ずっと気をかけてかかわりを持ってくださっているという中で、その場でいろいろなお話ができていったりとか、そういうつながりの中で話がしやすくなったりとか、そういったこともあるのかもしれないですね。

 【山内】 娘の高校時代の5人組の友達がいました。そのうちの1人が陵子で欠けました。あとの4人もずっと弘前に住んでいたのですが、大学に入って、就職して、結婚してということで、今は弘前に誰も住んでいなくて、みんな近隣、あるいは、横浜とか、北海道とか遠くに行きました。これからみんながばらばらになるという時に、残された4人の友達が、娘が横浜のランドマークタワーというところのファミリーレストランでアルバイトをしていた時期があったのですが、そのファミリーレストランにみんなで行こうということで4人で行って、その行った後に、私たちの所に来て、お土産を買ってきてくれました。そして、いろいろな写真を見せてもらいながら、「陵子の働いていた所を見てきたよ」「食事をしてきたよ」と言ってくれました。それも私たちにとってはとてもありがたいお話でした。

 川崎 実際に当事者、ご遺族の方が一緒に動いたりとか、語ったりとかする場がなかなか地域の中、場合によっては家族の中でも話せないこともあったり、地域の中で孤立している状況、それから先ほど、いろいろ周りから偏見で見られたり、そういう状況で地域の中で当事者の方たちが孤立している状況が、ご遺族や当事者の方と接している中で感じます。何とかそういう中で語れる場があったりとか、一緒に思い出を話したり、一緒に大切にしてくれたりとか、そういう場が少しずつでも広がっていけば、少しずつ語っていけるように皆さんがなっていくのかなというのは、今日心に寄り添う支援というテーマで、感じるところですね。

瀬尾さんは伝える側の立場として、なかなか声に出せない当事者の方とか、あるいは、声を挙げられてもなかなか多くの方に伝えきれないという方たちに接することがおありかと思うのですが、その辺りはどのように感じておられますか。

 【瀬尾】 まさにそういう声に耳を傾けて紙面化していくというのがマスコミの役割の1つだと思うのですが、今日もこの「犯罪被害者週間」ということで、こういうシンポジウムが開かれて、わざわざ足を運ばれた方が300人近くいらっしゃるのですが、ここに来られなかった方は明日の紙面を通じて、あるいは、テレビやラジオを通じて知る1つのきっかけになると思うのですが、それによって何か関心を持つきっかけになると思うので、そういうきっかけ、関心を持つことで、それによってアウトリーチ、手を差し伸べるということにつながっていくと思いますので、まずは関心を持っていただくきっかけになればと思います。

 川崎 被害者の方、ご遺族の方は一番関心を持たれない、無関心の状態に置かれているということが非常につらいということをよくお聞きするのですが、先ほどの社会の中で孤立してしまう状況であるとか、関心を持たれないことによって情報も入ってこないし、逆に引きこもってしまったり、そういうことで事件から年数が経つことが、逆にその事件を風化させてしまったり、社会から忘れ去られてしまう。昔は「忘れられた存在」と被害者が呼ばれていて、いろいろな制度とか仕組みができてきても、関心を持たれないことでさらに二重に忘れ去られていくような、そういう心配を皆さん抱いている話をよくお聞きするのですが、その辺りはどのようにお感じになられているのでしょうか。

 【山内】 関心を持たれないということは、被害者の遺族としては、つらい部分とか、少しさみしい部分もあるのですが、それは関心を持つかどうかという辺りも、本当は持っていても、先ほども言ったように、いつタイミングよく話を聞いたり、あるいは慰めの言葉を言ったりということができるかという不安とか、それも第三者の方々にはあるのではないかと思うのです。

私も友達から「あなたに何て言葉を掛けていいか分からなかった」と、何度か私を食事に誘ってくれました。私もうれしくは思ったのですが、まだ外に食事をしに行くというそこまで気持ちが向いていませんでしたので、何度か悪いなと思いつつも断ったという経験がありまして、本当にあちらの思う気持ちと、こちらの思う気持ちがちょうど合ったときは話を聞いてもらえたり、話をしてくれたりということですが、そこまで本当に難しいですよね。すぐにここで答えというのも、その事件の内容ですとか、誰がどのようにということを考えると、方程式は無いように思います。

 川崎 研修の場とか、被害者支援の業務担当をされる方が、どういう声掛けをしたらいいのかとか、先ほどマニュアルはない、方程式はないという中で、いろいろ二次被害を与えてはいけないから、逆に声掛けができなくなってしまったりとかということもよくお聞きするのですが、まさに答えは無いということですよね。答えは無い中で、それぞれの方がどういう思いを持って、関心を持って心の耳を澄ませて行くか、そういうところにあるのかもしれないですね。

最後にトークセッションの中で、ご講演の中で伝え残した部分とか、あるいは付け加えてこの部分はということがもしございましたら、山内さんのほうはいかがでしょうか。

 【山内】 先ほど家族の中でも、それぞれに違う事件に対する気持ちを持っていますし、心が癒えて行く過程も、その家族が皆同じように癒えて行くわけではないというその辺りを少し言いたかったのですが、時間が無くて言えませんでした。

先ほどから言っています七五三の時の次女ですが、高校3年という思春期の終わりころで、更に受験生といういろいろな気持ちも複雑な流れがある中で、姉を失ったということで、不登校にもなってしまいました。ちょうど高校3年の10月でしたので、先生も「少し休みなさい」とは言ってくれましたが、今度は出席日数が足りなくなるということで、どうしても出なければいけないということがありました。「自分は高校は卒業しなくていい」ということまで言いました。それだけ、非常に心の傷は深かったと思います。

その後1年浪人して東京の大学に入ったのですが、そこで知り合った友達には、まだ「お姉ちゃんは横浜にいる」と言っている。そしてその後、大学を終わってから就職しましたが、その職場でも「お姉ちゃんは横浜にいる」と言っているということを言っております。私はもうその言葉を聞いただけで、次女は全然心は癒えていないということを感じております。やはり2人姉妹でずっと育ってまいりましたので、お姉ちゃんがいないとは言えないわけですね。でも、そのお姉ちゃんがどうして亡くなったかは、その亡くなり方については言えない。だから自分の心の中にいるお姉ちゃんは生きているということを言っているということで、非常に親としてもつらい思いをしております。

 川崎 ありがとうございました。家族それぞれが陵子さんへの思いをそれぞれ抱えているということですね。

時間もそろそろ参りましたので、よろしいですか。第3部のトークセッションはこれで終わりにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

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