■中央大会:パネルディスカッション

テーマ:「地域における犯罪被害者等支援の現状と今後」
コーディネーター:
 河原 誉子(内閣府犯罪被害者等施策推進室参事官)
パネリスト:
 近藤さえ子(東京都中野区議会議員)
 武 るり子(少年犯罪被害当事者の会代表)
 平井 和友(神奈川県安全防災局安全安心部犯罪被害者支援担当課長)
 三輪 佳久(社団法人みやぎ被害者支援センター理事長)
 杉浦 徹(大阪府摂津市犯罪被害者相談員)

河原参事官: 今日はお足元の悪い中、またお忙しい中、お集まりいただきましてどうもありがとうございます。また、今回パネリストに来てくださった方々、本当にどうもありがとうございます。

平成16年12月1日、7年前の今日、犯罪被害者等基本法が制定されました。そして第1次犯罪被害者等基本計画が策定され、第2次犯罪被害者等計画は今年3月に閣議決定されました。この間、近藤さんの御講演にもありました被害者参加制度の創設、犯罪被害給付制度の拡充など国の制度が様々に進展してきたと思っております。しかしながらまだまだ課題もあり、それに向かっているところですが、犯罪被害に遭われた方々は、被害に遭う前から地域に住んでおられ、そして被害に遭った後も大部分の方はその地域で生活をなさって、そして回復への道を歩まれています。

地域で、みんなが被害に遭われた方々を支える社会を目指していきたいと思っているわけでありまして、私どもは基本法制定7年になります今年、中央大会のテーマに「地域における犯罪被害者等支援の現状と今後」を掲げ、この課題を正面から取り上げて、皆様方と考えてみたいと思いました。

前半は、それぞれの立場から被害当時の犯罪被害者支援の状況、現在の取組の状況などの御説明をいただき後半で今の課題、今後の課題について皆様とお話を進めていければと思っております。

それでは、武さん、口火を切っていただくということでお願いします。

武: ありがとうございます。では私の話から始めさせてもらいます。

私の息子は平成8年、16歳のときに、同じ16歳の見知らぬ少年たちに因縁をつけられ、何度も謝っているにもかかわらず追いかけられ一方的な暴行を受けて殺されました。私は自分の息子が、まさかこんなことで親より先に死んでしまうなど思ってもみませんでした。それまで少年犯罪のニュースを見ていても、かわいそうやな、大変そうやなと他人事としてしか考えていなかったです。そんな我が家に突然事件が降りかかったのです。

私の息子は事件当日、通っていた高校で文化祭に参加していました。そこへ他校生が入ってきて因縁をつけられて、追いかけられて暴力を振るわれたのです。息子の周りにいた友だちから色々な話を聞きました。学校の先生方も協力してくださって色々な情報をくださった。一方的な暴行だったって、何にも悪いことをしていないって、何の落ち度もないって何度も何度も確認をしました。誰もがそう言ってくれたのです。

私たち夫婦は何も悪いことをしていない被害者だから、遺族だから、何か警察は言ってくれるだろう、国は何かフォローしてくれるだろうとまずは思っていました。加害者は何か言ってくるだろう、ちゃんとした謝罪はあるだろう。加害少年が捕まった後だったら親から何かがあるだろうと思いました。でもそれすらその当時は無かったのです。

私と主人は警察に何度も聞きました。「加害者の名前を教えてください。事件の内容を教えてください」。当時は少年法が改正される前でしたので「何も教えられない」と言われたのです。「理由は何ですか」と聞くと、加害者が少年だから。それだけだったのです。それで我慢をするしかなかったのです。法律がそうなっているから何も教えられないというわけです。でも納得ができるわけではないです。

それからずっと、最初は主人と一緒に必死になって自分をさらけ出して声を上げ続けました。その後何とか法律も変わり、今日こうして国民のつどい中央大会に参加しています。私はこの場所に足を運んでまず思いました。変わったなと。この15年間、言い続けてきてよかったなと。犯罪被害者のための日ができて、週間ができて、国民のつどいが各地である、すごいなと思うのです。それだけで胸がいっぱいになります。

なぜなら15年前、何も無かったからです。被害者支援という言葉もありませんでした。窓口ももちろん無かったのです。私と主人は思ったのです。息子は生きていたのだ、大事な命だったのに、それが殺されたのに何もない。息子は元々いなかったのではないか、存在すら無かったのではないかと思うような扱いを受けたので、とても辛かったのです。

私たちは国にも見放され、加害者の誠意も全くありませんでした。この15年間、命日にもお盆にも加害者からの連絡は一度もありません。加害者はそういう対応だし国にも見放され、家族がどうなっていくかというと、とても大変な状態になるのです。私はそれまで思っていました。家族、特に夫婦は喜びは倍になり、悲しみは分け合えると。苦しみは乗り越えられると思っていたのです。それまでの結婚生活で色々なことがありましたが何とか2人で乗り越えてこられたから。でもある日突然、何の理由もなく大切な息子の命を奪われたわけです。その後の苦しみ、悲しみ、計り知れませんでした。どんどん無力感が募ってくるのです。そうなると夫婦2人でいると悲しみ、苦しみが倍になったのです。ほとんどの被害者家族がまず日常生活が難しくなる。ですから、被害者支援は被害に遭った直後から必要です。色々な人の助けが必要です。

当時私たち家族を助けてくれたのは、専門家でも関係機関の人でもありませんでした。法律や制度でもなかったのです。周りに住んでいる人たちだったのです。うちの家には色々な人が毎日来ていたのです。最初は、お通夜からお葬式から大変でした。子どものお葬式をするなんて思っていないのです。でもしなければいけない。でも私と主人は多分すごく狂ったようになっていたと思います。誰が言い出したかわかりませんが、地域の人がみんなでしてくださったのです。町内会、婦人会の人、PTAのお父さんお母さん、ボーイスカウトに入っていたのでボーイスカウトの仲間、父兄会そしてお兄ちゃんの友だち、全ての人に仮通夜、お通夜、お葬式、全てをやってもらったのです。特別なことではなかったのです。

鹿児島から主人のお母さんが葬式に来ていて、後で聞いて分かったのですが、みんなすごかったね、できることをできる人がしてたよと。例えば、私は着物の着つけがちゃんとできないのですが告別式の着物を誰かが来て、さっと着せて帰ったそうです。2人の子ども、中学生の娘と小学生の息子がいたので、その子たちの制服のアイロンかけも誰かが気がついてして帰ったと言うのです。「みんなすごいな」と言うのです。でも私は覚えていないのです。そんなことを聞いて、だんだんとありがたかったと分かっていったのです。

その後も変わりませんでした。うちには誰かが毎朝「おはよう」と来るのです。「ご飯食べたの」と聞かれて、私が「食べてない」と言ったとします。私は、ご飯は食べてもおいしいものはもう一生食べてはいけないとその当時は思っていたのです。息子は食べられないのに、自分が食べては絶対いけない。でも、子どもが2人いるので食事の用意をしなければいけないというのは分かっていても、ちゃんとできていなかったのです。誰かがうちに来て、ご飯食べてないと言うと、上がってご飯を作り出すのです。そしたら私は人が作っているから、いけないと思ってつられて作る。その人たちと一緒だとつられてご飯が食べられたのです。

買い物も大変でした。サンマを買いに行ったとします。家族5人です。今まで5匹買っていたのがお兄ちゃんがいなくなって4匹になるのです。それだけで手が出ませんでした。そこに一緒に行ってくれる“いつもの誰か”がいると、一緒につられて買えたりしたのです。簡単な日常生活が周りの人の手を借りないと我が家はできなくなっていたのです。

私たちの会には約30の遺族の人たちがいますが、子どもを失った人たちが多いです。子どもを先に失ってしまう親は、自分自身を責め出すという辛さもあります。あのときこうしておけばよかった。私もあの日、学校に行かさなきゃよかったとか思ったのです。主人は日頃からこんなことを言っていました。「けんかになりそうやったらまず謝れ、それでだめやったら逃げろ」と。「それでだめやったらどうするん」と聞く息子に「2、3発殴られても死にはせん」とそう言ってきたのです。そんな子は相手にするなと徹底して教えてきたことを主人は今、責めているのです。息子は教えてきたことを守ったからです。

主人は男親です。敵討ちをしたいのです。もちろん敵討ちはしてはいけないです。でも、敵討ちさえしてやれない情けない父親だと自分自身を責め続けています。15年たった今も、時々無性に悲しい顔をします。息子は私から生まれているから、命を救えると信じていたのです。でもそれはできませんでした。私が育てたからではないか、私が産んだからではないかとそこまでさかのぼって自分を責め出した。私は一人泣きながら夜中に遺書を書いたこともありました。そんな我が家だったのです。

でも、私たちの家族を地域の人たちが一つずつ助けてくれたので、一つずつできるようになったのです。今、我が家は何とか穏やかです。それには本当にたくさんの人の周りの理解、たくさんの人の力が必要でした。私はそんな地域に支えられたのです。

河原参事官: ありがとうございます。被害者支援の言葉が聞かれなかった時代に、地域の方々がすでに被害者の方々を支えてくださったということであります。被害者遺族は日常生活がとてもできなくなってしまうということも、お話にありました。

現在は、日常生活ができなくなってしまっている方への支援もメニューに入っていると思われるのですが、みやぎ被害者支援センターの三輪さん、センターの概要ですとか支援の内容、そういったことをお話しいただけますか。また、東日本大震災では被災者支援にも携わったと聞いています。犯罪被害者への支援と共通する何かがあったということですので、あわせてお話いただければと思います。

三輪: みやぎ被害者支援センター(以下センター)の三輪です。最初にセンターの概要をお話しします。センターは平成12年4月の設立で、11年目になりました。そして今日、公益社団法人に認定されました。支援体制については、犯罪被害相談員が25人、直接支援員が17人、臨床心理士等の専門相談員が8人という構成です。

次に、支援の状況、内容をお話しします。大きく分けるとまず電話相談、これが全体の半分近くあります。次に直接支援、これも全体の半分近くあります。残りが面接相談です。

それでは、直接支援についてお話しします。

直接支援は警察への届出、裁判所、検察庁、病院、行政等への同行・付き添い、それと近藤さんや武さんのお話の中にありました身の回りの世話といった日常生活支援も行います。例えば小さなお子さんの世話、ペットの世話、葬儀の世話、そして銀行、買い物、病院への付き添い、行政窓口へ付き添っての手続代行も直接支援になり、これが全体の約半数を占めています。

直接支援は単なるお手伝いというものではありません。多くの被害者の心理状況を見ると、心理状態の分析、カウンセリングのみを望んでいるのではないのです。例えばどこの病院に行ったらよいのか、休業した場合の生活費はどうしたらよいのかなど被害者が今後生きていくための実質的な支援、具体的な支援を求めているというのが実態です。ですから被害者はこれまでの人生の中で支援に関する専門家、例えば司法関係者、お医者さん等々に支援を受ける形では接してきておりませんので、これら専門の方の接触や関係には十分配慮する必要があります。そういう意味で、むしろセンターの支援員とか行政のソーシャルワーカーによる補助的な役割、被害者に安心感を与えるクッションのような役割が非常に大切ではないかと思っています。対応別に見ますと関係機関への引き継ぎが 8.8%、関係機関紹介が12.1%です。これがセンターの概要です。

それでは、次に東日本大震災のときの被災者支援についてお話しします。

東日本大震災による全国の死者・行方不明者数は1万9,447人、宮城県はその6割近い1万1,477人という甚大な損害を受けました。センターが行った3つの点についてお話しします。

一つは相談電話。震災翌日から相談電話がひっきりなしにきたのです。遠方からの安否確認の電話でした。というのは、私どもの組織名は「被害者支援センター」とあって「犯罪」が入っていないのです。それで皆さん、ここに電話すれば分かるのではないかということでかけてきたのです。1か月後には落ちつきましたが約250件を受理しています。センターに寄せられた安否確認は、警察や自治体の電話が輻輳していたためにセンターの電話を探してかけてきたのではと考えられます。今後の課題として、今回のような大震災には、センターへの相談電話の転送システムについて検討してみることも関係機関との連携の一つになるのではないでしょうか。

第2点は犯罪被害者等の安否確認の問題です。相談電話対応の一方で、センター事務室の後片づけすらできないまま、まず、未確認の相談員に対する安否確認を一斉に行いました。そのかたわら、継続支援中の犯罪被害者等の安否確認をしました。震災被害の大きかった沿岸部には殺人事件の被害者御遺族がおられて、その方の安否確認には非常に苦労いたしました。がれきの中を寒さと余震が続く中、歩いて避難場所を探し当ててお会いして無事を喜んで抱き合ったという、嬉しい情報もいただきました。

第3点は遺体安置所での安否確認と御遺体の確認、家族への対応です。これは宮城県警察本部からの要請です。派遣期間は40日間で延べ120人。派遣場所は、仙台市から17キロ離れた利府町にあるグランディ21、県内最大規模の遺体安置所です。ここでは棺や遺体収納袋にくるまれた遺体がおよそ4,500体安置されていたと思います。御遺体の写真掲示場所での対応と遺体安置所への付き添い・同行とサポート、カウンセリング、御遺族からの要望や悲嘆の傾聴、これらの対応をいたしました。当センターの支援員が対応した御遺族の数は285組、約1,000人に及びました。

大震災の支援の影にはたくさんの悲劇のドラマがありました。派遣された支援員それぞれが、壮絶な悲嘆と向き合いながら御遺族支援任務に従事していきました。支援員が毎日の活動状況を記載した記録簿から少し拾ってみます。

「写真掲示板の前で、大声で泣き崩れる30代の御両親。5歳の娘さんと祖父が波にのまれ、娘さんの写真があったのだという。“5年しか生きられなかった”と大声で泣き崩れる母親の背中を抱き手を握り締め、遺体安置所へ同行。棺の前で再び両親泣き崩れる。背中をさすり、辛さ悲しさに共感。思い切り泣いても構わないのですよと言うと“泣いてもいいのですか”と顔を上げる。黙ってうなずいてあげる。“助けてやれずごめんね”“きれいな顔でよかった”“見つかってよかった”などなどの優しい言葉をかけておられた御遺族には“取り乱してすみません”と感謝して、祖父を探しますと、帰られました」。

遺体関連任務は、災害支援活動の中でも最も過酷な業務の一つと言われています。支援員の健康面、精神面も含め士気の低下を心配していましたが、支援員おのおのが職務の重要性、目標、誇りを最後まで持ち続けていたことで、精神的苦痛が軽減されたものと考えらます。

河原参事官: ありがとうございます。今度は行政の取組をお願いしたいと思います。まず、摂津市で相談員をされている杉浦さんから。

杉浦: それでは、摂津市がこの制度をつくりました経過、支援の内容、制度ができてから現在までの実績などにつきまして少しお話をさせていただきたいと思います。

まず、摂津市の紹介です。御存知でない方のほうが多いのではないかと思います。大阪市に隣接していますが大きな観光地もありませんし、大きな会社があるわけでもない。面積が14.88平方キロ、人口8万4,000人の市です。犯罪被害者の支援をしていく上で14.88平方キロしかないということが、ある面で問題になってきています。

摂津市の犯罪の発生状況は平成22年、大阪府下では1年間で1,098件、そのうち凶悪犯罪は5件です。警察署の間では摂津市は比較的安全な町だといわれておりますけれども、人口8万4,000人で件数を割ってみますと76人に1人が被害を受けていることになります。大阪府全体では53人に1人となりますので、数字だけで比較すると決して安全だと言われる数字ではないと私は思っています。では摂津市は、大きな犯罪があったわけでもなく大阪府内では比較的安全だと言われているのに、なぜこんな制度を作ったのかということになるわけです。摂津市の場合、犯罪被害者に対する支援は昭和50年から見舞金を支給するという形で行っています。これは制度施行の前日に東京・丸の内で三菱重工ビル爆破事件がありまして、摂津市民もいつ巻き込まれるか分からないことからできあがりました。ただ、それまでには交通事故、自然災害で被害を受けた方に対しての見舞金制度がありましたので、その条例の中に犯罪被害者という項目を入れ支援をしてきたということです。

平成16年には基本法ができまして、地方自治体の責務というのがうたわれました。それを受けて翌々年の18年、摂津市の警察署に設けられています被害者支援協議会、これは地域や自治会の代表、民生委員、保護司の代表、それから防犯協会の代表など約20人で構成され、その中に3人の行政の代表も入って協議をしていますが、その協議会の席で警察から基本法の説明がされました。それを受けて市長から、摂津市として何をすべきなのかを検討してみなさいという指示があったわけです。市長になる前に大阪府議会議員をされており、府議会の議長もされていた当時、犯罪被害者、その方たちの支援者と話をする機会があり、職員以上に支援に対して認識を持っていたということです。当時、相談窓口を持っている担当部長に指示がありました。そして相談窓口を担当する課でこの制度を検討していった。

ところが検討を始めると、実際何をしたらいいのか分からないことから、杉並区が摂津市よりも先にその条例を制定していたということをお聞きして色々と資料をいただき、教えていただいて摂津市の条例を作っていったわけです。そのときに市だけで条例を作るのではなくて、実際に被害に遭っている方、あるいは支援している方たちの意見も取り入れて作るべきだということで大学教授、被害者の会の代表、弁護士、行政、保護司といったメンバーで摂津市における支援施策の検討委員会を設置しました。5回ほど会議を開き、平成19年11月末、市にその答申が出されました。答申を受けた翌20年3月、摂津市はその基本となる支援条例を作りました。あわせて、見舞金を支給する必要があるということで見舞金の支給条例も作りました。また、日常生活の支援、家賃補助、就業支援も摂津市が取り組むべきだということで条例と要綱を制定いたしました。当然のことながら、市議会全ての議員が賛成という形でこの制度ができ上がりました。

その後、私は相談員として就任しました。色々な被害者の方と接してきました。裁判に参加したいがお金がなくて思うように行けない。事件が大阪府内ならともかく他の都道府県で起きた場合は旅費が大変なんだ、という話も聞かせていただきました。早速市長に相談したところ、十分ではないかもしれないが旅費の援助も考えたらどうだということになりました。それから1年後、裁判等に参加するときの費用、3万円を最高限度額に補助をするという制度も作りました。現在では6つの制度を摂津市では行っているということになります。

それで、協議会から出された答申の中には、重要なこととして、市民への啓発、二次被害を防止することがうたわれていました。市内各地域へ出向く、大きな集まりがあったときには出ていって制度の説明をして、もし身近で被害に遭った人がある場合については、支援をお願いしています。

今年で3年半になりますが現在までの支援の状況ですけれども、私のところに問い合わせがありましたのは年43件ほどです。市の条例、要綱に該当しない内容を省きますと平成20年度で10件、21年度も10件、22年度は15件、23年度はこの半年間で12件あります。そのうち実際に補助をしたのは20年度で2件、21年度はありませんでした。22年度が1件です。20年度の2件は、そのうちの1件が見舞金の支給、けがを負わされた被害者に10万円の支給をいたしております。それと家賃補助を1件いたしました。これは20万円です。

先ほど市の面積が狭い、これが問題だと触れました。DV被害を避けて市内へ逃げてこられて裁判所からの保護命令も出ていましたので警察とも相談し、支援したわけですけれども、逃げて来た人が摂津市内に引き続いて住む場合は家賃の補助ができるのです。ところが狭い摂津市内には住めない、他府県、他市へどうしても転居するということになった場合は家賃補助ができない条例になっているのです。せっかく条例があっても、DVで逃げてきた方が市外に転居して住むとなった場合には、その支援ができないという問題が出てきています。その場合でも引っ越しに要する費用、敷金については支給ができますので、したがって20 年度の20万円、それから22年度の16万2,000円、この2件については支給をしました。

御説明した数字が実績になるわけですが、実際にはまだまだあります。

摂津市の制度に該当するという相談をお聞きしまして、申請手続も説明し、書類もお渡ししているのですけれども、申請に来られていない方も3件ほどございます。一つは殺人事件だったのですけれども、その方の家族は摂津市におりませんので、親族、兄弟の方が他府県におられます。その方からは、いまだに申請が出てきていません。

DVで逃げてこられて、説明をして保護命令も出て、費用を出せる段階にはなっているのですけれども申請に来られない方もおられます。

したがってこの家賃補助については、今後、近い時期に摂津市の条例を改正して、仮に他の都道府県にいかれても家賃の補助、せめて3か月、半年ぐらいは補助できるようにしなければと思っております。ただ財政担当者は、市外に住んで市外に住民票を移された方に対して摂津市の公費を出すということについては難色を示しています。ここらはもう少し議論をして最終的には市長の判断になろうかと思いますけれども、摂津市の取組の問題点として上がっています。

河原参事官: ありがとうございました。それでは今度は神奈川県の平井さんから、取組の状況を御説明いただきます。

平井: 神奈川県の平井と申します。よろしくお願いします。

私はほかのパネラーの方とちょっと立場が異なります。行政の職員ではあるのですけれども直接被害者と接するということはしておりません。ただ、神奈川県は独特な被害者支援体制を作り上げており、その運営、いわゆる被害者支援の後方支援の仕事をやっている立場でお話をさせていただきたいと思います。

その体制は「かながわ犯罪被害者サポートステーション」と名づけています。平成21年6月に開所しています。これは神奈川県における犯罪被害者支援の中核となるワンストップの支援体制であり、行政、神奈川県警本部・各警察署、NPO法人神奈川被害者支援センターの3者が一体となって構成しています。横浜駅のすぐ近くに神奈川県民センターというビルがありまして、その中に事務所、相談窓口を設けています。県警が一緒に入ってくれているということが大きな特徴でして、県警経由で県、被害者支援センター、その3者が被害者情報を受けることができます。つまり、被害者情報を警察と共有できている。その中で3者連携して支援する体制をとっています。

神奈川県でも犯罪被害者等支援条例を平成21年4月、施行をしております。

県と県警、支援団体が一緒になってサポートステーションを構成しているのですけれども、サポートステーションは一つの組織ではありません。組織として県も県警も神奈川被害者支援センターもそれぞれ独立はしていますけれども、サポートステーションに一緒に事務室を構え机を並べて、情報も共有して一緒に仕事をしている、いわば被害者支援のための場と考えていただければよいと思います。

その特徴ですが、まず、支援窓口をサポートステーションという名称で一元化しています。電話相談窓口を「かながわ犯罪被害者サポートステーション」という名前、電話番号で統一しています。運営は県ですが、実際に窓口に出て電話対応をしていただくのは神奈川被害者支援センターの専門の方となっています。

この電話対応、被害者の方から直接お受けもしますし、他の機関から御紹介をいただくときにもサポートステーションの窓口でお受けするという方法をとっています。

3者の構成団体の役割。まず県警には、警務部警務課被害者支援室という組織があります。ここには警察署員が11人おりまして、そのうち7、8人が被害者支援に直接携わっています。残りの署員はサポートステーションには来ないのですけれども犯罪被害者の給付金事務などを担当して、支援室全員が被害者支援に当たっています。

机を並べて一緒にやっていると申し上げましたが署員は普段、県警本部の支援室にいまして案件があるたび、用があるたびに足しげくセンターに通ってきてくださいます。週に何回も来ますし、県警のカウンセラーは常時、交代でこちらの被害者支援室に来るという体制をとっています。その一番の役割は、我々への被害者情報の提供です。それともう一つは犯罪被害の発生直後、被害者の方が非常に取り乱している場合、このサポートステーションに持ち込む前に県警署員が直接、初期支援を行っています。

次に、私ども県は、組織的には安全防災局が担当しています。私を含め職員は全部で5人います。県の役割はサポートステーションという場の運営、これがまず一番です。それと合わせまして被害者の中期的な生活支援、関係機関との連絡調整をしています。

被害者に接していただくのがNPO法人神奈川被害者支援センターです。行政はどうしても四角四面なところがあります。行政では対応できない迅速かつ柔軟な対応をしていただいています。このNPO法人神奈川被害者支援センター、職員は9人、お手伝いをいただいているボランティアは43人います。平成13年9月に団体設立しており、10周年を迎えたところです。

次に、サポートステーションでの基本的な支援の流れを説明いたします。

被害者支援の要請が入るルートは主に3つです。まず、警察経由の支援要請。神奈川県の場合は、警察も含めてサポートステーションを条例に基づいて設置しているので、県警の中でも認知度がかなり高まってきている。犯罪が発生すれば、被害者のある犯罪に関してはその被害者に必ず所轄の警察署が接触をします。その際にサポートステーションの存在を各署も分かってくれていますので被害者の方と、どういった支援が必要かというコンタクトをまずとってくれます。そこで支援の必要がある、支援要請があるとなれば、所轄署から本部支援室を通じて、サポートステーションに被害者支援の要請が入ってきます。

NPO経由の支援要請は、電話相談を契機として支援に結びつけていくという流れになっています。電話だけですと本当に被害者かどうか分かりづらい面もあるのですけれども、御本人の仰っていることをよく伺って、了解をとるのが前提となります。実際に被害状況についても確認をさせていただき、確認がとれましたら支援をさせていただくという流れです。

それから、他機関経由の支援要請というのがあります。例えば「法テラス」に依頼があった。支援を求めている内容が、サポートステーションで持っているメニューに該当するようなのでお願いできませんかという依頼、あるいは他の都道府県の支援団体、警察経由でまれに他の都道府県からも被害者支援についての要請を頂戴することがあります。

お受けする案件はサポートステーションを構成する3者が一体となって受け取り、実際にどういった支援をするかを決めていきます。決めるのは3者による支援調整会議です。この会議でこういう方にはこういう支援をすると決定すると、すかさず、こういった支援をしましょう、例えばカウンセリングならすぐに被害者の方と連絡をとり、日時・場所を決めさせていただく。法律相談でしたら、この日にやりましょうという形で支援を実行しています。

会議に参加する人数は少ないのですが、それだけ機動的にやらせていただいているということを御理解ください。行政は何かと決裁をとることに時間かかってしまうのですけれども、こちらでは案件があったら警察でもすぐにその日のうち、あるいは翌日にこちらに持ち込んで会議をやりましょうとなります。会議の場でオーケーが出たら、次の行動に移る。迅速に取り組むところがサポートステーション体制の大きな特徴と自負しています。

支援メニューも資料にまとめています。県では法律相談、これは横浜弁護士会の御助力のもとで行っています。生活資金の貸し付けというのは、主に犯罪被害者の給付金の対象になるようなけがを負われた方に対して、実際に給付金が出るまでの間、そのつなぎの融資という意味合いを持った制度です。上限設定は 100万円となっています。ホテルの提供というのは、犯罪が行われた場所が御自宅だったりしたとき、事件現場で寝泊まりできないと仰る方のために用意している制度です。3泊までですがホテルに泊まりたいという御要望があれば私どものほうで手配をいたします。性犯罪に遭われた方がよく利用されます。県営住宅の提供というのも最長1年まで、これもつなぎの制度となります。本格的に転居するまでの間、一時的に住居を提供してほしいという場合に、県営住宅の提供をするもので、制度ができてからしばらく利用者はなかったのですが先日、初の適用例が出ました。民間住宅のあっせん、これも犯罪を機会に転居したいと仰る方のために県が宅地建物取引業協会と協定を結び、手数料無し、被害者の内容は伏せたままで、立地・物件条件の依頼に合った物件を協会加盟の不動産会社がこちらに出してくれて、その中から被害者の方が選んでいただけるという制度です。これも利用者が何人か出ております。

神奈川被害者支援センターは、専門相談員による電話相談を県の委託事業としてお手伝いをいただいています。カウンセリング、臨床心理士の先生方の御協力をいただき、NPO法人を通じて行っているほか、裁判等への付き添い支援もお願いをしています。県警は、早期危機介入を支援として取り組んでいます。

平成22年度の実績は、相談の電話等を受けた件数が年間878件、法律相談・カウンセリング・付き添い支援等の実際件数は285件、内訳は資料のとおりです。

サポートステーションができましたのが平成21年6月と紹介しましたが、20年度も支援センターは活動をしておりましたので付き添い支援、カウンセリングはやっていただいていました。その件数が66件だったのですけれども、サポートステーションができた1年目は212件、2年目が285件、今年度は10 月末段階ですでに233件までになりました。年間に換算すると400件ぐらいまでいくだろうという推移予測を立てています。

支援の数が伸びるというのは必ずしもいいことではない。けれども神奈川県の場合は刑法犯の認知件数が平成22年で9万3,000件少々ありまして、そのうち凶悪犯、つまり殺人、強盗、放火、強姦が503件ありました。犯罪の発生件数からすれば支援の実績は活動の定着とともに伸びていくのではないかと思っています。

支援の内訳ですが、罪種別にみると半分ぐらいが強姦、強制わいせつという性犯罪被害になっています。ここでは詳しくは申し上げませんけれども、性犯罪被害者への支援対策が今後の大きな課題であると捉えています。その他の課題については資料を御覧ください。続きにつきましては、この後の議論の中で触れる機会があればお話をさせていただきたいと思います。

河原参事官: どうもありがとうございました。

それでは近藤さん、武さんのお話、三輪さんの支援センターのお話、そして行政の取組として摂津市、神奈川県のお話を伺って、感じられたこと、何か仰りたいこと、どうでしょうか。

近藤: こういう取組が進んでいて素晴らしいと思います。ただ、こういうことを知っている人がどれぐらいいるのかなと、中野区も含めてですけれどもやはり皆様の中に制度、支援の情報がすとんと落ちていないと、犯罪に遭ったときにどうやって使っていいのかが分からない。神奈川県の平井課長が仰っていましたけれども、どのように連絡をとっていいか分からないということが一番の課題だと思うのです。ですから自治体で講演会などを催すことによって、人々の頭の片隅に残るようにしていっていただきたいと思います。

こうやって会場に来てくださっている方は、一生懸命に勉強されようという方が多いと思うのですけれども、学校の先生ですとか、子どもたちを取り巻く方たちは全く知らないと思うのです。子どもたちが通う学校にスクールカウンセラーがいます。うちの事件は12月25日に夫が発見されました。カウンセラーの方は翌年1月の10日ぐらいか、もっと2月に近いときになって電話をしてきて、うちの娘の名前を挙げて「相談に来ないのよ」と言うのです。スクールカウンセラーという支援があるのですけれども、相談に行きたいシステムになっているのかどうか。「相談に来ないのよ」とその方は朝7時半頃に電話をしてきたのですけれども、事件が12月25日ですから「ごめんなさいね、お宅の事件のとき私は海外旅行に行っていたから連絡がとれなかったけれど、その後、お嬢さんに何度も何度も言うんだけれど相談に来ないのよ」と繰り返す。私はこの方のところには娘は行かないだろうなと思いました。体制を作っているけれど、そこに魂が入っているのかということがとても大事なことで、制度を作り、魂を入れる、そうでないと使える制度になっていかないのではないかと思うのです。

自治体の職員は一生懸命やられていると思います。でも、何というのでしょうか、淡々とこなすという感じがあります。それはいい面でもあり、被害者から見れば寂しい面でもあると思います。被害者支援とは特別な事情の人たちを相手にするということを、徹底して認識していっていただきたいと私にはすごく感じます。

話は全然違うかもしれませんが、教育の現場で起きたうちの娘のことについて言えば、先生が「受験は君たちが初めて経験するとても大事なことです。それがこれから起こるから」と仰ったのです。でもその前に、うちの娘は父親の殺人事件に遭っているのです。そう思いました。何かこう、そういうところが淡々としていて、いつも同じ調子で、何があっても御自分のクラスのお子さんがいじめに遭っていたりしても、淡々と冷静にされているのではないかと思ってしまう対応でした。愛のある対応や、もっと先生に優しい気持ちを持っていただきたいと思いました。私は摂津市や神奈川県、中野区等は被害者支援の取組が出来てきてすごいと思っています。これからはああこの人に出会えてよかったという職員がいて、対応してくれて、支援が進んでいく。まだできていない自治体もこういった仕組みができていくようにしていかないと、被害者たちはどうしていいか分からないと思います。

河原参事官: ありがとうございます。制度、体制に魂を入れていくという職員一人ひとりの心構えなどについて近藤さんから課題を御提示いただきました。武さんにも伺いたいのは、御自身が息子さんを亡くされるという被害に遭われ、御主人と色々なお話があったと思います。武さんのお子さん方が学校でどうだったか、近藤さんはいのちの教育、命の大切さをお話しいただいたと思いますけれども、武さんは当時どうだったか、どんなふうに考えるかを話していただけますか。

武: うちの家には当時、中学1年の娘と小学校3年の息子がいました。お兄ちゃんが事件に遭って、突然何にも悪いことをしていないのに殺されたわけです。そのショック、悲しみは私たち夫婦と同じように計り知れなかったと思います。親は余裕がないので子どもにまで目を向けられなかった。もう自分のことだけで精一杯で、それでも子どもは一生懸命頑張って学校に行っていました。心配をかけてはいけないと思ったのでしょう。

でも、やはり人間は強くないです。色々な気持ちを心の中にためていたのです。15年たった今でも子どもたちは精神的に不安定になることがあるし、昔に戻って気持ちがすごく沈んだりすることがあります。私の周りには、地域には理解のある人がいました。お兄ちゃんの友だちが毎日、下の子たちと遊んでくれていたのです、事件の直後から。学校の帰りにうちに寄ってお線香あげて、お兄ちゃんの部屋で2人の子どもたちは遊んでもらっていました。その時に下の子たち、笑えていたのです、振り返ると。そういう時間が持てたという事が本当にありがたかったです。口に出して悲しいとか苦しいとか、しんどいとか言えなかったと思うのです。親の私がもっと気がつかないといけなかったと、すごく反省しているのです。

子どもたちは学校の中や帰り道でも、スクールカウンセラーに自分から足を運ぶことはしないと思います。自分はカウンセリングを受けなくてもいいと子どもは言いました。私が連れていったことがありましたが、自分はこの人に言ってもきっと何も分からないとはっきり子どもは言うのです。だから日常生活の中で遊びながらでも何でもいいのです。その中で自然に愚痴がこぼせたり、悩みが言えるようになったりするような場所が私は必要だと思うのです。

自分自身を振り返ると、家の中で愚痴をこぼしながら苦しい、悲しい、死にたいとずっと言っていたのです。後で聞くと「毎日、死にたいと言うてたで」と教えてもらいました。自分では何も覚えていないのです。そう言いながら、私はみんなに聞いてもらいながら思いを共有してもらっていた。そういうことがあったから今があると思います。

大人でもこうです。子どもはなかなか言えない。保健の先生が専門家と連携をとりながら子どもが足を運びやすいよう、日常的に愚痴がこぼせる場所、例えば保健室、そういう場所が私は事件直後からほしいと思います。うちだけではなく多くの残された兄弟が学校に行けなくなったりしているのですから。

なぜ地域が大事かということを、さっき言い忘れていました。

少年犯罪には特徴があります。遊ぶ範囲で事件を起こす事が多いのです。そうなると被害者と加害者は近くに住んでいる。色々な噂が出ます。少年同士というだけでけんかだと言われます。今でこそ新聞、テレビが気を付けて取り上げますが15年前は本当のけんか、一方的な暴力、リンチ、集団暴行、何であっても 99.9%少年同士だとけんかという報道になったぐらいです。死んだ者は何も言えないので、大きく強い間違った声であってもそういう声が地域にパッと広がるのです。そこで、何も言えない被害者はどうなるかというと小さくならなきゃいけない。孤立するのです。おかしいと思うのです。何も悪いことをしていないのに声を上げられる人はほとんどいないです。私たちのような会の人でも、声を上げられる人はほんの一部です。ほとんど言われたままになるのです。私たちの場合は自分たちの代わりに違うと言ってくれる人が、本当の意味のおせっかいな人がいたので、そういう噂は広がりませんでした。だから地域の人の理解がとても大事です。大きくて強い声、それが本当なのか、ちゃんと見る目を持っていただきたいということも、私はお願いしたいです。

少年同士の事件はけんかと見られますが、殺されたほうが女の子の場合、興味本位で色々なことを言われます。おもしろおかしく報道されます。それでとても辛い思いをするのです。だから本当に間違った声に流されない地域になっていただきたいし、そして理解をしていただきたいのです。まだ心細く、辛い思いをして生活している遺族の人、圧倒的に多いです。だから地域の理解が大事ですし、やっぱり関わっていただきたい。関われないのならひと声かけていただきたい。

「じゃ武さん、どうしたらいいですか」と聞かれるのです。例えば「頑張ってくださいと言えば二次被害になるとか、何かを言えば二次被害になるって言われるけど、じゃあ何がいいの」と。二次被害を言えばきりがありません。でも、二次被害のことを気にしていると声がかけられないです。マニュアルを見ると言ってはいけない言葉、たくさんあります。励ましてはいけない、何を言ってはいけない。「じゃ私、何言ったらいいの」となったら遺族同士でも声をかけられないのです。だから人として言ってはいけないことはいけない、してはいけないことはいけない、私はそうだと思うのです。だから被害に遭った人がいたならひと声かけてほしいです。心配しているよとか。

でも遺族も勝手なものです。私はいつも自分のこととして話すのですが、言われて嫌なときもあるけれども言われなきゃ寂しいです。ずっと放っておかれると自分だけよその国に行ったような、孤立しているような気になって心細くなる。本当に大丈夫かなという意味での声かけ、そこから始めていただきたいのです。

こうやって相談窓口がたくさんできてすごいと思います。パンフレットもすばらしい。でも遺族の人、被害者の人、パンフレットをもらっても目に入らない、頭に入らないことが多いです。1回、2回パンフレットをもらっても横に置いてしまうことが多いので繰り返し渡していただきたいのです。そしてほんの少しの説明、加えていただきたいです。どこかでそこにぶつかると思うのです。まだまだ支援のほしい人たくさんいるのにそこを見つけられない人がまだまだいるのです。もったいないです。1回、2回渡したからオーケーではないのです。繰り返しやっていただきたい。ほんの少しの声かけ、そしてほんの少しの説明をしていただきたいです。

これから被害者支援は、本当に素晴らしく良くなると私は期待したいです。私たちが事件に遭った頃は本当に何も無くて、とても心細い思いをしました。窓口も形だけではだめなのです。担当者が異動で変わっても、次の人がちゃんと意識を持っていただきたいのです。

河原参事官: 気持ちを持って二次被害をおそれることなく、一歩を踏み出してもらいたいというメッセージだと受けとめました。また、近藤さんからは色々な取組がすとんと落ちないといざというとき使えないとの御指摘でした。武さんからは何度でも繰り返して説明をしてほしいとありました。制度があって、分かってもらって、そして来ていただく。来ていただいたときにああこの人に会えてよかった、相談できてよかったと思えるような体制で迎えることを、我々行政としては心がけなければならないと思いました。

ここで話を少し変えましょう。窓口とは自治体の窓口を念頭に置かれていると思うのですけれども、三輪さんにお聞きします。民間団体で支援を行う中で、地域で被害者を支える、と一言で言いますけれども自治体の役割、位置づけ、あるいは意義はどういうふうに感じていらっしゃいますか。

担当窓口、部局を都道府県、市町村で作ってくださいという第1次基本計画ができ、それに従って自治体の方々に申し上げましたところ都道府県、政令指定都市は100%、部局は確定しています。市町村も91.8%確定しています。対応窓口ということでは都道府県は100%の設置、政令市を含む市町村は約 57%の設置。平成19年10月の都道府県、政令指定都市の総合的対応窓口の設置率は43.8%です。犯罪被害者白書に載っているこうしたデータを見ていると摂津市や神奈川県の取組などを聞くにつけ、地方自治体は色々なことに取り組んでいると思うわけです。一方で内閣府は、自治体と情報共有、あるいは先進的な取組を紹介しながらぜひ自治体でも進めていただきたいというお話をする機会として、都道府県、政令指定都市の主管課室長に集まっていただく会議などを開いています。そういった席で伺いますと被害者支援は警察の仕事なのではないか、どうして自治体がやるのかという声があり、地方自治体の方の胸には“すとんと落ちていない”ようです。

警察はかなり前から被害者支援に取り組んでいますが、当然、警察だけで済むわけではなく、関係機関が連携することも必要なのだけれども、やはり中心となるのは自治体ではないかと私どもは思うのです。そんな問題意識でセンターの現場で支援に取り組む方々はどんなふうに見ていらっしゃるか、お聞きできれば。

三輪: はい、わかりました。自治体が主体的に取り組むことの重要性についてまずお話しします。

民間組織である支援センターは早期援助団体としての活動はしているのですけれども、被害者のニーズに全て応えられるわけではありません。色々な協力を得て、行政が主体的に継続支援をした事例を簡単に紹介して、自治体が主体的に取り組むことの重要性について考えていきたいと思います。

30代の会社員の父親が自宅で何者かに殺害され、母親(妻)、小学校低学年と中学1年の子どもが残されました。犯人が捕まらないうちに葬儀が営まれ、残された家族3人は悲痛のどん底に置かれ、連日マスコミ報道がなされました。支援要請に基づき支援に入りました。ところが支援開始から3日目に犯人が捕まりました。妻が友人に依頼して保険金目的に夫を殺したということが判明し、妻も共犯で逮捕されました。そうすると支援の問題点として、親族間の犯罪ですから、被害者支援の対象事件から除かれてしまうのです。

ところが小学生、中学生の子ども2人にはすでにカウンセリング等の支援が始まっていました。そこで子どもたちの支援を継続させるために、今後どのような機関がどのように関わっていくかについて、センターが主体となって連絡会議、支援会議を開催しました。この事例の場合、子どもを主体的に考えましたので教育関係課、子ども家庭課、児童福祉課、民生委員、児童委員、精神福祉センター、それと警察の同席で会議を開き、その上で今後の支援を行政に委ね、センターの支援は自然な形で手を引くことになりました。その後学校から、子どもが在籍するクラスの教師によれば学校に適応していますとの連絡がきました。きっかけがどうであれ、行政が主体的に取り組んだ事例です。

それでは、問題意識や連携確保のために具体的にどういうことを行っているかについて説明したいと思います。最初はセンターとして研究会や連絡協議会等への出席、講師の派遣について触れます。

講師の派遣先の一つは裁判所。非常に熱心な裁判官がいて、ぜひ被害者の実情を知りたいということで、時々行って講演をしています。検察庁、矯正局、県、市町村、警察署、弁護士会などにも派遣します。

重大事件が発生したときは、担当窓口との支援会議が不可欠です。数回にわたって開催して連携を図る必要があると思います。連携に当たっては最低限の情報提供を行うことになるのですが、我々が配慮している点があります。まず、情報提供に当たっては支援要請者、犯罪被害者の同意を得た上で自己決定のもとに行うという大前提が必要です。2番目に、継続した支援、多様なニーズに対応するためにも支援要請に対応し得る関係機関を選定することになります。多様なニーズに対応し得る関係機関として過去の多くの事例から学んだことは、行政が多様なニーズに応えるメニューを一番多く持っているということ。その点からも行政との適切な連携が大切だと考えられます。

次に、継続性のある連絡会議を開催するにあたっては主体となる担当課、キーマンを明確にする必要があります。関係する担当者、係員だけの出席ではなく実務の責任者にも必ず同席してもらい、情報の共有と責任の所在を明確にしておくことが重要です。さらに、被害者からの同意を得ているといっても被害者は守秘義務の問題に非常に神経質ですから、入手した支援情報については関係機関以外に伝えないことを確認し合って、守秘義務には特段の配慮をする必要があります。

次に、重大事件の連携の事例について説明します。

遠隔地で発生した被害者3人の殺人、殺人未遂事件、総計96回の支援と延べ262人の支援員を派遣しました。この事例ではまず、緊急度の高い問題を優先するということで支援プランを作成、重大な事案なので長くかかるだろうということで目標を長期支援に設定しました。次にチームを編成し、支援会議を開催して何を活用してどう関わるかの具体的検討の結果、関係機関、団体等の社会資源の活用が提言されました。そして医療機関との連携、被害者参加弁護士の選定、そして関係機関、団体の連絡会議の開催ということになりました。

行政担当窓口との会議開催の働きかけ、そしてその中で気づいた点は、各担当窓口の専門職は、それぞれが心配して精力的に動くのですが、縦割りに動いていることが多いのです。点と点の動きがあっても線につながっていないのです。つまり、多くのノウハウを持っている行政の動きが、効率的ではないという問題点が時々見受けられます。さらに、行政の窓口はたくさんのノウハウを持っているのですけれども犯罪被害者支援という部分となじみが薄く、敬遠されがちな面が時々見受けられます。ですから我々も能動的、機能的に官民一体となった支援ができるよう犯罪被害者の置かれている状況、支援のノウハウなどを説明して理解と協力を求めています。

まとめると第1に、連絡会議の結果によって官民との支援チームの編成、アクションを起こす。そして連絡会議を開催するときにはキーマン、主体となるのはどこの機関が良いのかをしっかり選定する必要がある。2番目は支援の役割の明確化、どの機関が何をしているのかは知っておく。互いに溝ができてしまっては困ります。信頼関係の構築と相互理解の徹底です。3番目は共通情報の提供とコンプライアンスの徹底。細かい話ですけれども、窓口が違うと被害者の方が書類を提出するときに被害の内容をその都度書かなくてはならないということがあって、被害者の方には非常に苦痛です。共通情報の提供とコンプライアンスの徹底、そして定期的に連絡会を持つ。その会議には必ず上司にも同席してもらう、そういうことです。

河原参事官: ありがとうございました。時間は残りわずかとなりました。平井さんと杉浦さんに、問題、課題と思っていることを簡単にお話いただければと思います。まずは平井さん、どんなふうにとらえていらっしゃいますか。

平井: 神奈川県の場合、かなり進んでいる体制をとっていると思います。皆さんからもお話がありましたが、他機関との連携は進んでいるつもりですがまだまだな面もあります。性犯罪被害者への支援を充実させるために、医療機関との連携を模索しているところです。県の産婦人科医会と調整をしておりまして、形になってきつつあるところです。こうした連携は医療なら精神科の分野もありますので、有機的な連携を仕組みとして作り上げていきたいと思っています。

河原参事官: 取組が進んでいるからこそ悩みも尽きないというお話です。神奈川県が課題と感じておられる点は資料にございますので、御覧をいただければと思います。

杉浦さん、よろしいですか。

杉浦: 一番大事だと思うのは、やはり地域の人たちの支援です。行政の支援には限度があります。例えば事件が発生した当初は、警察が支援の中心になって動いていただくことになろうかと思います。でも警察にも限度がありますので、あとは行政で引き受けます。行政でも摂津市の場合ですと日常生活の支援も半年間という制限があります。それ以降は民間の支援団体でお願いしますと連携を図って継続しての支援をする必要がある。武さんは地域の人に助けられたということです。こういう話を参考にしてあらゆる場面で、あるいは支援の必要な機会があれば出ていって、被害者の方の心情を訴えて、地域に支援をお願いしていきます。

ただ残念なのは、身内で被害に遭った人がいない、地域でもその時点では被害に遭った人がいない中ではなかなか理解をしてもらえないところがあります。被害に遭われた方は当初、地域の人が挨拶をしても返せない、何かしたくても家事すら手につかない。そういう状況です。例えば地域では頑張ってね、前を向いて、とか色々なことを言われます。声をかける人は本当にそういう気持ちで言っているのに、被害者の方に受け入れてもらえないという話をよく聞きます。そのときは行政のほうで隣の人は例えば洗濯をしてあげてください、家事をしてあげてください、そういう指示をしてほしいと言われます。そうすれば、我々自治会としても全面的な協力をしますという話になります。そういったことですからなかなか理解してもらえないのですけれども、行政の責任としてそういう機会があるごとにそういう場へ出ていって、理解を求めていくということは必要だと思っています。

犯罪はどこで起こるか分かりません。いつ起こるかも分かりません。例えば摂津市内で犯罪が起こるのであれば、行政として防犯に力を入れて起こらないようにすればいいとなるけれども、そういう問題ではない。摂津、大阪の人が東京で事件に遭うかも分からない。摂津市の場合は必要があれば私が随行して、いろいろな手続の手伝いをすることになっていますがこれをいつまで続けられるか、何回でも行けるかいうと限度があります。連携を図るという意味では、東京で事件に遭い、大阪の被害者が東京に行くときには、東京の行政の担当者が付き添いをしていただく。逆に大阪で事件に遭われたときは、僕が付き添いしますという連携がこれからは必要だと思います。ただそれは一市長、職員が話していてもまとまらない。これについては国のほうで、そういう制度的なものを作っていただければいいと思います。

河原参事官: ありがとうございます。大臣の挨拶に今年は命と絆を考える年だったと思うというお話がありました。いみじくも皆様の講演とパネルディスカッションから命の大切さ、地域での絆の大切さを感じることができました。この会場には被害に遭われた方、支援をしてくださっている方、行政で働いていらっしゃる方色々いらっしゃいます。一般の方もいらっしゃいます。最後に近藤さん、武さんから一言ずついただければと思います。

近藤: 犯罪被害者週間に、犯罪被害者のために内閣府がつどいの場を計画してくださり、被害者の声をお伝えすることができてありがたく思います。そして私が被害に遭ったときからみれば、サポートが格段に進んでいます。自治体ではどうやっていこうかと、皆様が真剣に考えてくださっています。摂津の杉浦さんからは、それをつないでいこうというところにまで話がきています。ありがたいと思います。被害はどこで遭うか分からない。皆様が日本のどこで被害に遭ってもそれが連携して守られる仕組みが作られていくように、皆様で一つひとつ考えて、もっといい仕組みができるように、そして日常生活では犯罪被害者だけではなく、高齢者にも大変な問題がたくさんあるので、温かく支え合える社会になっていくように皆様のお力をお借りしたいと思います。

武: 私、15年前は死ぬことばかり考えていました。 15年経ってこうして元気で生きていて良かったと思います。国民のつどいが開かれるようになり、この場所にいることをありがたいと思います。自分自身、頑張ったこともあると思いますがそれにはたくさんの人の力が必要でした。本当に色々な人に感謝をしています。

被害者に、その遺族にならないと分からないとよく言います。私はそうは思わないのです。私たちの会には少年犯罪の遺族が集まっています。分かり合えること、たくさんあります。でも共通するのはたった1点なのです。子どもを、大切な家族を少年に殺されたというその1点だけなのです。あとは皆、思いや怒り、色々な表現の仕方、考え、違うのです。でもその1点を大事にしながら、私たちの会は頑張っています。反対にいえば事件に遭っていない人とも分かり合えるのです。分かり合えない部分はもちろんあります。難しい部分、確かにあります。でも、分かり合えるところもたくさんあるのです。

被害者の遺族だけが住んでいる地域はありません。だから地域の理解、力がとても大事だと思います。これからも頑張っていきたいと思います。少年犯罪被害当事者の会のパネル展示をしています。かわいい子どもたちの顔、お母さんのとてもいい顔が並んでいます。よかったら見て帰ってください。ありがとうございました。

河原参事官: ありがとうございます。もう私から言うことは何もありません。5人の方々それぞれのお立場から色々なメッセージを発してくださったと思います。この内容はホームページにも掲載されます。より多くの方に見ていただいて皆様が感じたこと、考えたことを明日からのそれぞれの立場に生かし、ふと立ちどまって今日を振り返っていただければと思います。

皆様どうもありがとうございました。5人のパネリストの方々に拍手をお願いいたします。

 パネルディスカッション資料:三輪氏 (PDF形式:242KB) 別ウインドウで開きます
 パネルディスカッション資料:杉浦氏 (PDF形式:196KB) 別ウインドウで開きます
 パネルディスカッション資料:平井氏 (PDF形式:410KB) 別ウインドウで開きます
 

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