■福井大会:パネルディスカッション

テーマ:「犯罪被害者と報道について」
コーディネーター:
 松原 六郎(公益社団法人福井被害者支援センター理事長)
パネリスト:
 河野 義行(松本サリン事件被害者)
 川上 賢正(弁護士・福井県犯罪被害者等支援連絡協議会会長)
 遠藤 富美夫(福井新聞論説委員)
 川端 洋子(公益社団法人福井被害者支援センター支援員)

松原: 松原でございます。きょうは「犯罪被害者と報道について」ということでディスカッションを進めたいと思います。

先ほど、河野さんには非常に心に深く染みるお話をいただいて、本当に感動しています。被害者は真実を知りたい、そして、真実を知るためには加害者の人との交流も進める必要がある、そういう言葉が私にはとても深く心に染み渡りました。今日は私が存じ上げている被害者のご家族や行政の皆さんもおみえですし、それから何よりも一般市民の方もきょうおみえになっています。これから私たちが何をしなければいけないのか。報道というのはどういうことが必要なのかのお話を進めていきたいと思います。

それではきょう、河野さんも含めて4人の方に来ていただきましたので、被害者と報道の現状について河野さんから少しお話をいただけますでしょうか。

河野: 報道の現状ということですが、講演でも言ったのですけれども、まず事件が起こったときに一次情報は警察からとるわけです。その警察が本当にマスコミに対して丁寧に説明できれば、それは何ら問題ないのですけれども、やはり警察官というのは法の縛りがあるわけですね。刑事訴訟法の47条、ここでいくと起訴前の捜査情報は開示できないとか、警察法24条1項を見ますと、守秘義務の規定です。職務で得たそういう情報は開示しちゃいけない、しゃべっちゃいけない、そんな規定がある中で、言ってみればもともとしゃべれない警察官に対してしゃべらせる。それは非公式で情報をとってくる、そういうことによって犯罪報道というのが成り立っているわけです。

そうしますと、場合によってはきちっと裏づけがとれないケースもあるわけです、警察がきちっとしゃべらないということですから。そういう中で、例えば大きい事件が起こった、特異な事件が起こった、そんな場合にもうとにかく早さ一番というのが現状なのです。裏づけがとれればいいけれども、極端な言い方をすれば裁判に負けなきゃ言ってしまえ、みたいなそういう報道がある。だから、今の報道の中でやはり本当に速報性というものがそんなに大事なのかということを感じるわけです。

ついこの間も鹿児島で老夫婦が殺された事件がありまして、これは裁判員による裁判であるということ、被告が完全否認しているということ、それから、裁判の審議期間が40日かかる非常に長い、そういう裁判なんですね。それで、全国のマスコミも随分関心を寄せて大勢の傍聴となりました。私も傍聴しましたが、記者席というのがあるわけですけれども、落ちつかないのです。記者の人が、せいぜい5分ぐらい座っていて、次々に入れかわっていく。一体何をやっているかといったら、リアルタイムで報道しようということで、5分聞いたら、その5分を外に出て発信するわけです。ほかの人が入ってまた聞いて、そういうことが繰り返されまして、裁判官も何かだんだんいらいらしてきまして、もう記者の再入場は認めないみたいな話になったわけですけれども、そこまでして早く伝えなきゃいけない内容なのかということです。特に事件報道の場合にもう少しゆっくり構えて、それから事実関係をきちっと押さえてやればいいと思うんですけれども、今の事件報道というのはやはり早さに走っている、そういう傾向があって、大きい事件になりますと、裏づけが甘くなって間違えてしまう、そんな現状があるのではないか、そんなふうに思います。

松原: ありがとうございます。本当に河野さんも基調講演でおっしゃったように、犯罪が次々と行われていて、そして被害者が次々と出てきて、そしてその中で報道がいろんな形で行われています。犯罪による被害のことを一次被害と言い、その結果、例えば報道によって傷つけられたり、被害者の心が傷つけられたり、あるいは私は医療の立場や運ばれた病院で不用意な医者の発言、あるいは看護師の発言や扱い方によって被害がもう一度行われる被害のことを二次被害、そのように言います。そういったことも私たち被害者支援の中で決しておろそかにできないことなのですが、川端さん、少し今の犯罪被害支援の現状の中でお話しいただけますか。

川端: 報道被害といいますと、まず報道されること自体が被害になる場合と、取材を受ける際の被害というものが考えられます。その中で、私どもの支援センターで受けた事例をお話ししたいと思います。これは当事者の許可をとっております。

ある遺族の方のお話です。昨年のことですが、日曜日のある報道番組で事件の再検証ということで20数年ぐらい前の事件を放映しました。その方はテレビをつけた途端、あれ、どこかで見たことのある映像だなと思ったそうです。そして、見ていましたら突然我が家が映し出され、事件現場として紹介されました。そのうえ、血のついた部屋の中が映し出されたそうです。もうとてもひどいショックで、その方は混乱しました。そして、私たちの被害者支援センターに来たのですけれども、その方がおっしゃるには、一言事前に許可をとってほしかった。こういう番組を流しますよということを言ってほしかったとおっしゃるのですね。やっぱり急に流されるというのはとてもショックですし、初めにわかっていれば見ないでおくという選択肢もあったと思います。そういうところの報道の配慮というのも必要でないかなと思っております。

松原: ありがとうございます。遠藤さんはいつもマスコミの立場で論説委員のお仕事を続けておられて、今の河野さんとか川端さんのお話を踏まえて、今の報道の現状とかあるいは事情を少しお話しいただけたらありがたいのですか。

遠藤: 河野さんのお話をお聞きして、身が細る思いがすると同時に、マスコミというのは河野さんがいてくださったおかげで救われたなという思いもしています。マスコミというのはその行動によって大きな罪を犯すこともあるのだなということを改めて痛感しております。

申しおくれました、自己紹介をさせていただきますと、ことしで記者歴が31年目になります。事件報道というのは福井新聞の場合には社会部というところが担当しております。中でも司法記者、社内ではサツ回りというふうに警察回りを略して言っておりますけれども、そのサツ回りが担当しておりまして、大きな事件がありますと、遊軍という記者のグループとか、それから支社、支局の記者も加わって大きな班をつくっていろんな報道をするという仕組みになっているわけです。私の場合もサツ回りを入社4年目から2年ほどやりまして、その後社会部のデスクあるいは社会部長というのをさせていただきました。

この報道被害というものはいろいろに経験をしております。被害者の方々から抗議を受けたり、会社として訴訟を起こされたりということも以前にはあったようです。

このマスメディアと報道ということを考える場合に分けて考えていただきたいことがあります。というのは、新聞のほかにメディアというのはテレビも雑誌もあります。それから、新聞に限っても大手紙、つまり朝日、読売、毎日、日経、産経というような新聞があります。ブロック紙というのもあります。例えば中日新聞とか西日本新聞とかですね。さらに各県にそれぞれ地元紙、郷土紙というものがあります。福井新聞の場合は地元紙です。それぞれやっぱり特性があるということを認識していただきたいというか、知っていただけたら非常にありがたいというふうに思います。

大きな事件がありますと、大手紙というのはそこにいる支局の記者のほかに、全国各地から応援がどんと入ってきます。その応援の人たちというのは、その地域に何の愛着もないというか、言ってみれば責任もないわけで、そういう人たちはどうしても本社からの指示に従って、プレッシャーもかなりあるんですけれども、とにかく新しいネタをとってこいというふうにハッパをかけられて動くわけです。そういうプレッシャーの中で河野さんがおっしゃったような、例えば裏づけがとれていないようなニュースをえいやっという形で出したりするということが起きるわけです。地元紙はそういうわけにはいかないわけですね。福井新聞の場合は80%ぐらいの普及率があります。記者は一生、福井県内に住むわけですから、責任は最後までとらないといけないと、そういう宿命がありますよね。そういうなかで、例えば加害者がひょっとすると知人かもしれないと思う場合や、実際に知人だったというケースもかなりあるんですね。そういう人のことを書くというのは、想像していただきたいんですけれども、相当につらいことなのです。ですから、大手紙の応援団のようにズバっと切ってしまうというようなことはとてもできない。ましてや苦しんでいらっしゃる被害者の方のことをもう一度苦しめるような形で書くというようなことも、できるだけ避けるということはやっております。そのことはぜひご理解願いたいなというふうに思います。

松原: ありがとうございます。私たち気がつきませんでしたけれども、やっぱり大手の中央の新聞社と地方紙というのはその役割とか、あるいは力とか、そのきめ細かさに大きな差があって、地方紙というのはいいことばかりかというと、実はとても情報を取り入れやすいリスクもあって、でも、同時に市民の感情を代弁して、被害者も含めて支え得る期待も持てる、そういうところは確かにあると思うので、きょうはまたもうちょっと話を詰めて、報道あるいは我々市民がどのようにかかわっていくかということもお話ししたいと思いますが、川上さん、いかがでしょうか?

川上: 私は弁護士なのでその立場から法律家としてお話をします。先ほど福井弁護士会会長の挨拶にあったように、弁護士は今まで加害者側の弁護、被告人の弁護がずっと伝統的にありまして、そちらのほうで被害者と接するというのは例えば刑事弁護をする中で示談をするぐらいのところしか接点がなかった。ですから、私どももその犯罪被害者の人権なんていうのを考えるのはごくごく最近です。福井弁護士会でも被害者支援委員会ができたのは先ほど言いましたように、たかだか5年前です。そういう中で本当に基本的人権というのは僕らが一番大事にしなきゃいけないのですが、被害者にも本当の意味で人権というのはどうなのかということをまだまだ考えていなかった。僕はもう本当に反省の至りなのですが、例えば今その中で被害者の報道と被害という話が出ました。実際に加害者の人権については、これは今仕事を十分議論されていますが、被害者の例えば人権ということをもっともっと考えないとマスコミ初期の報道に様々な報道被害を受けています。私は直接関与していないのですが、静岡であった事件では世間的に注目されたということでマスコミがずっと被害者の自宅、現場を回ることによって、被害者の家族は亡くなったところの近くでお葬式もできないような状態になっていた、非常につらい思いをしたということも見聞きしております。

一番大事なときにさっきの事件性じゃないですけれども、直後は社会的な注目を浴びる事件だと、全国からマスコミが来る、殺到します。そういう中で被害者に無遠慮な質問等が出てくることによって非常に傷つくということはあると感じました。例えば警察が事件報道します。警察が事件報道をする場合に、新聞記者はその話を聞く。警察が事件報道をするのは多分犯罪をこれからさせないため、抑止のために事件報道をする。いわば公共の秩序という意味ですね。他方、新聞記者は報道の自由というのがありますから、報道の自由をする。そうして、それは報道の自由は国民の知る権利だと。そういう中で例えば昔ありましたけれども、今新聞も被害者の名前とか住所をできるだけ明らかにしなくなりました。これは非常にありがたいことだと思います。数年前に実名報道、被害者について実名報道すべきかどうかという議論がありました。そのときに私ども被害者支援にかかわる弁護士としては、まず被害者の承諾を得てほしいと申しました。

なぜかというと、今報道の自由とか知る権利とかいろんなことが出ましたけれども、一番犯罪の中でかかわる、利害関係を持っている人権の主体は被害者じゃないのかと思うのです。被害者にも人権があるだろう、その人権と報道の自由とかいう人権との調整ならわかるけれども、何らそれまでに権利というのは考えられなかったなと、今私もあえて被害者にも人権があるよと言っています。数年前までは本当に被害者というのは例えば捜査の対象、取り調べの対象、証拠品、先ほど河野さんがお話ししましたけれども、そのぐらいの立場でしかなかったけれども、本当に利害関係を持っている被害者にもっと人権だということをわかって、そのために配慮をしていただきたいなというのがもう冒頭の私の感想です。

松原: どうもありがとうございました。今の4人の方のお話を伺って、少しまとめてみますと、やはり報道というのは必要なものである。それはなぜ必要かというと、もう被害者も加害者も出さないため、こういう事件がありこういうことになるんだと、その被害者も加害者も出さないそのためには、やはり報道というのは大きな力となります。私どもは今DV、ドメスティック・バイオレンスといって家庭内暴力なんかの運動をやるときにやっぱりマスコミの方の大きな力のおかげでDVの被害者の方、奥様とか恋人なんかが、実は私DVの被害者なんだと言って相談に来てくださる。これはやはりマスコミのおかげといいますか、そういうのはあるけれども、今4人の方のお話を伺っていると、同時に被害者の立場に立った報道がこれからは求められるだろうということであります。

その点に関して河野さんにまたお聞きしようと思うんですけれども、やっぱり恐らくその日たくさんのメディアが来られただろうし、ましてや被疑者といいますか、そういう目にも遭われて本当に大変な思いをなさったと思いますが、被害者の立場に立った報道というのはどうあるべきなんでしょうか。

河野: 当時事件が起こりまして、まず取材要請というのがこれ半端じゃないんです。1日に50社ぐらい手紙や電話やファクスで取材を受けてほしい、そういうものが殺到するわけです。この当時私は入院しておりまして、これに対処したのが高校1年生の長男だった、断るだけで言ってみれば1日4時間ぐらいかかわるわけです。もう取材を受けませんということを伝えるのに1日4時間も費やしていたら、とてもじゃないけれどもまともな生活できない、そういう状況があります。

取材をしたいというときに一工夫してくるような記者もいたわけですね。それは被害者、加害者でもどちらでもいいんですけれども、被取材者が負担にならない方法をとるということです。それは手紙だったわけです。まず、手紙は出せば届くわけですよね。そういう中で取材の意図はどこにあるのかというものをきちっと書いて、我々はこういう報道をしたいからあなたに取材をしたい、ここまではいいですよね。その後、あなたがもし負担を感ずるようでしたら、この手紙は捨てていただいて結構ですよと。私は仕事ですから、また手紙を書きますけれども、それはあなたが選択してもらえばいいと、そういう配慮のある取材要請もあったわけですね。ただただ、もういきなり家に来てチャイムを鳴らしてというのはやはりもう暴力だと思うんです。だから、そんないわゆる取材のアプローチの仕方というものもとても大事じゃないかなというふうに思います。

それから、犯罪報道というのは本当に大きければ大きいほど大勢のメディアがわーっと来るのです。被害者というのは犯罪に出遭ったときはもうパニック状態です。コメントで言えることは悔しいとか、主人を返してとかそういうコメントしか出せない時期なのです。本当に被害者が落ちついて自分の被害を受け入れながら、外に向かって言いたい時期というのが出てくるのです。そうしますと、集中豪雨みたいな取材じゃなくて、長いスパンで被害者を見ていくということが大事なのです。長いスパンで見ていった例の典型が私の体験の中では、先ほど講演で話を出しました生坂ダム事件です。このときは亡くなった男性のお母さんが、うちの息子はそんな自殺をする訳ない、ということで独自で調べをやっていたのです。それにつき添ったのが朝日新聞の松本支局です。ずっと被害者のところへ訪れているわけですね。話を聞く、そういうことを繰り返して、記者というのも非常にローテーションが激しいですね。2年ぐらいすれば転勤ということになるわけですけれども、朝日新聞の松本支局ではその生坂ダム事件のお母さんのことは引き継ぎ事項になっているわけです。新しい記者が来ても、このお母さんのところへ行って話を聞いて、そんなことをずっと繰り返して20年たったのです。そのときに実は、これは殺されたのだという情報をお母さんが知って、そのときに朝日新聞は20年間通っていたから、その情報をいち早くとって、言ってみれば朝日新聞は一面の大スクープをとったわけです。だから、大きなスクープをとるというのはやはり時間をかけてということも必要だと思うのです。そういう意味で、これは長いスパン、その被害者を見ていくというような、そういう報道姿勢も私は必要じゃないかと、そのように思います。

松原: ありがとうございました。本当に心に染みるお話をたくさんしてくださって、どうか残りお三方、あとはフリーディスカッションというふうにしたいと思うのですけれども、川端さんいかがですか?

川端: 被害者の立場に立った報道というのが今ありましたが、例えば同じ事件でもその場だけではなしに長いスパンで見ていく、これはとても大事なことで、その事件がなぜ起きたのかとか、その事件後被害者はどうなったかということをずっと追って記事にしていただくというのはとても被害者の立場としてはありがたいことなんです。でも、こちら、被害者が言いたい意味と記者の方が受け取った意味とがずれるときがあるというのです。それは記事になってみてわかるのですけれども、そういうときにお互いに話し合いの後で私はあなたの話をこういうふうに受け取りました。こういうふうに理解していいですねということをお互いに確認するといいのかなと思います。

それから、早さが命と言いましたね、新聞記事なんかは。だから、事実が未確認ということもおっしゃいました。それと、よく似た意味なのですけれども、思い込みというんでしょうか。例えば少年事件といいますと、少年事件イコール喧嘩みたいに報道され、読む人は喧嘩イコール両方が悪いととってしまって、例えばこちらに何の落ち度もなく一方的に殴られて殺されたような場合、少年事件だから喧嘩というように報道されるのはとても心外だと思います。ですから、思い込みを捨ててお互いにきちっと事実確認をしていただくということがとても大事になると思います。すみません、新聞社さんを責めているわけではございませんので。

遠藤: 恐れ入ります。反論するわけではないんですけれども、実はそういう記事の書き方にしても、それから思い込みの面にしても、何重ものチェックを一応はかけているということがありまして、例えば記事を書く場合にもちろん警察の発表から始まったりするんですけれども、その後に近所を回ったり知り合いを回ったりの裏づけはまずやります。それでさっきのメディアスクラムを巻き起こしたりすることもあるわけですけれども、そうやっていろんな事実を一つ一つかためます。警察の皆さんほど綿密かどうかは別としても、そういうことはやりますし、それから、記者が原稿を出すデスクというのがおりまして、そのデスクとディスカッションをしながらこの事実はこれでいいのか、こういう見方でいいのかという話をいちいち詰めながら原稿を書くというようなこともしておりまして、ふだん見ている新聞紙面からは物すごく粗相な原稿に見えるかもしれませんけれども、案外その新聞社内でも慎重に原稿は書いているということを知っていただきたいと思います。

それから、先ほど川上賢正先生から被害者の方の人権についての認識が非常におくれているのではないかということでしたけれども、新聞も確かにご指摘のとおりでして、大体まず容疑者についての人権ということが先に問題に業界の中ではなっています。これは1976年に日本弁護士会が出された報告書を受けて新聞業界の中で論議になって、さらにその8年後1984年に共同通信の記者で浅野健一さんが「犯罪報道の犯罪」という本をお書きになりました。ここで容疑者の人権というものを新聞もメディアもしっかり考えないといけないという問題提起がされて、そこで大きな論議になりました。

被害者についてはどうかというと、これがずっと出てこなくて、多分福井県内では拉致問題が初めてですね。小浜の地村さんご夫妻がお戻りになった2002年前後にメディアスクラムを防ごうということで、福井県内の報道責任者、つまり各社の責任者が集まりまして、一応ガイドラインをつくって本人取材はしない、それから近所もある程度まで、あれは300メートルでしたか、その中には立ち入らないというようなことを自主的に決めまして取材をしたことがございます。実際に取材するときには代表取材ですね。各社の代表がカメラ1人、記者1人、それからテレビの場合もテレビカメラ1人、記者1人というような形で取材をして、それを持ち帰って各社に説明をするというような形でメディアスクラムを防いだというようなことはあります。ただ、それからいろいろ事件が起きていまして、すべてそのメディアスクラム防止策が守られているかというと、ちょっとまだ心もとない部分がございます。

川上: 今、質問で拉致被害者の場合はそういう形で協定みたいな形はしているのですが、それ以外の一般の犯罪についてはまだそこまでいっていない、と感じますがいかがでしょうか?

遠藤: 大きな事件になれば起きる可能性はあると思いますし、実際夏に大野で起きました強盗殺人事件では、やっぱり発生とともに各報道機関の20人ほどの記者が一斉に被害者のお宅に押し寄せたというようなことがあって、被害者のお父さんが泣きながら「お前ら、出ていけ」と怒鳴ったというようなエピソードも聞いてはおります。

川上: 多分それが現実だと思います。メディアスクラムというのはやっぱり現実としてたまたま今まで福井はそういう大きな事件がなかったから余り起きなかっただけの話で、これからもあると思います。そのときにやはりマスコミの方に自重していただきたいというのを被害者側からすると、いろんなことでお願いをしていきたい。被害者の人権というのがここで一番大事だと伝えたい。非常に被害者に配慮した報道で、被害者の名前も住所とかも挙げないようにしている。特に性被害の事件については本当にマスコミも最近考慮してくれて、これはありがたいなというふうに思っていますが、しかし、だれかがやっぱりどこかの大手新聞じゃないですけれども、暴走した場合にはそれにみんななだれ打ってしまうというふうなこともこれからやっぱり心配するところだし、そのときにキーワードとしては被害者にも人権があることをぜひとも勘案し、皆さんもここに来て行政関係者も警察関係者もマスコミだけじゃなくて、我々も含めてやはり考えていくべきだと思います。

それともう一つ、これは普通の新聞社とかいうだけじゃなくて、私ども今気になるのは週刊誌等の部類が非常に気になっております。もうそれこそ興味本位で被害者にも落ち度があるかのようないろんな書き方をされて、亡くなった被害者の遺族なんかは、これはもう言葉悪いですけれども、死人に口なしの世界に入るから反論ができない、言った者勝ちだ、あることないこと書かれて非常に名誉毀損だと、これはもう完全に名誉毀損のところまで入るかなと思うんですが、そういう場合には今私も弁護士ですから、それは本当に名誉毀損で損害賠償、慰謝料で対応していきたいし、絶対許すことはできないなと思っています。

松原: ありがとうございます。確かに週刊誌の話をすると、私、思い出すのは河野さんの家系図を何か出した週刊誌があったように思うのですが、もっと慎重であるべきという名前の週刊誌が違いましたか。

河野: 松本サリン事件では週刊新潮ですね、ここがやはり見出しが「おどろおどろしき河野家のなぞ」という見出しで、先々代の写真を載せたんですね。先々代というのは昭和12年ぐらいに死んだ人ですが、何でここに出てくるのかなみたいな、それは一つの落差をねらったみたいなんですね。先々代は割と高名な植物学者、そして山岳写真では開祖と言われているんですね。そういう立派な家にこんなやつが出たみたいな、そういう落差をねらって書いたのです。そんな中で、私の言ってみれば戸籍ですよね。さかのぼって私の知らないことまで週刊誌に書いてあった。ええ、こんなことなんかみたいな、逆に感心しましたけれども、ここまで書くかというような、プライバシーをやはり丸裸にされていくということですね。

それから、週刊読売の見出しは「会社員44歳なぞだらけの私生活」と書いてあったんですね。一体何だろうと見ると結局私の嗜好品、ずらずら書いてあるのですね。「この男は、ビールはキリンのラガーが好きで、コーヒーはマンデリンが好きで」みたいなそんなことがずらずら書いてあって、結局これは執着とかこだわるとか、そういうところの人物像を出すために書いていくわけです。ですから、全くうそな部分じゃないのですけれども、やはり読む人にある印象を与えるということでは、後のいわゆる嫌がらせの手紙を見るとわかるわけですね。その週刊誌が引用されて、お前はこんなやつだみたいなのが来るわけです。週刊誌ではそんなことがありました。

松原: どうもありがとうございます。今のお話を少し私なりにまとめて、また違ったら訂正をしてほしいのですが、やはり新聞報道は協定を結んだりとか自主規制ということをこれから大いにお願いしなきゃいけないだろうなということと、それから真実かどうかはやっぱり被害者の方も含めて、時間をかけて取材をして、そして顔と顔、フェース・トゥ・フェースという顔をつき合わせて取材をしてほしいということ。それから、やっぱり事件があると次の事件、次の事件といくけれども、被害者の方はその事件をいつまででもその中で生きていかなければならない。それをやっぱり長いスパンで報道していくのが大事なんじゃないかなということ。今でも私、患者さんの診察の中で、本当に皆さんもう忘れちゃっているだろうと思うのですけれども、北陸トンネルの列車火災事故であるとか、あるいはもっと古いところでは福井の大地震の被害者の方というのは今でも心の中に深い傷が残っていて、そのことはもうほとんど報道では出されていない。しかし、人の心はそんなに簡単に忘れられるものじゃないということがあります。

それから、もう一つは思い込みですね。さっき言われたように、若者同士だからどうせけんかだろう、けんかというものは両方悪い、そういう発想とか、私も医療者の端くれですので、いつも反省するのは、何か起こったときに被害を受けた人が一番知りたいのは真実なんだということなんです。真実ということがやっぱり一番その被害者の方あるいは病人の方、病人のご家族の方は知りたいわけで、そういうことに対しては本当に医療者もあるいは行政マンも、もちろんマスコミの人たちも誠実でないといけないというのが今のお話の中から伝わってきたように思います。

もうあっという間に時間が過ぎてしまいました。パネリストの皆様、3分ずつぐらいお話しください。

川上: なかなか僕も聞けないので、隣にマスコミの人がいるのでちょっと聞こうと思うんです。今被害者の名前も出さないし、住所も余り特定しないし、被疑者の段階でも被疑者の名前も出てこないと、僕、昔マスコミの新聞記者と話ししたのですけれども、クリアに事件概要がわからない。ぼけてしまうということは、読み手としては何だこれはということにならないのか。だから、正確に伝えるためにはきちっと被疑者の名前、被告人の名前とか住所とかきちっとディテールを伝えたほうがやはり国民の知る権利に資するからというような論調を承ったものですから、その辺のところはちょっと一遍あえてぶしつけで聞くのですが、本音のところを、それで最近はどう踏まえているのかをお聞かせいただけませんか?

遠藤: 川上先生がおっしゃったとおりなのです。本来は何もかも表に出して判断を読者の方にゆだねたいというのが報道の本音です。そういう考え方はなぜ来るかという話をちょっとさせていただきたいのですけれども、実はここに本を持ってきたんですが、「英国式事件報道」という本です。これはつい最近出た本で、これも共同通信の記者がイギリスへ行ってそれぞれのジャーナリストからインタビューをして書いた本です。イギリスというのは日刊の新聞が全国で100紙ぐらいありまして、その中でも300年の歴史を誇る新聞もあるくらい、いわば新聞大国なわけですね。英国BBCなんていうすごく世界的に権威のある放送局もありますけれども、このイギリスの報道機関というのはこぞって実名報道をやっているんです。実は何も隠さないというのがイギリスの流儀です。被害者についても、その周囲の友人についてもみんな取材します。取材して了解が得られればみんな実名で出します。そういうイギリスの流儀というものを、日本人のジャーナリストもなぜこんなに違うのだろうというふうに不思議に思っているというところはありまして、本来的にはイギリスのほうが報道のやり方としては、ひょっとすると正しいかもしれないという頭がどこかにあるような気はしています。

イギリスの風土のことをちょっと触れたいんですけれども、社会という言葉がございますね。会社の逆、社会です。これは明治時代に英語のソサエティーという言葉を輸入して翻訳した言葉が社会なのですね。ソサエティーというのはどういう意味かというと、もともとは人間同士のつながりという意味だそうです。人間同士のつながりだとするならば、匿名の報道をずっと続けていて、匿名報道を続けると当然固有名詞は一切出てこない、詳しい描写も出てこないということになると、これは本当に人間同士のつながりをちゃんと見た報道なんだろうかという話になるわけで、この匿名社会というものをメディアが拡大していくことになってしまうんじゃないかという危惧があるわけです。イギリスは多分そういうところを配慮して、人間社会、人間同士のつながりが社会なのだから、すべて出して人間そのものを描く、それがニュースだ、そういうどうも風土が広がっているように思います。

何か取りとめないことになりましたけれども、そういうことでございます。

河野: そのイギリスの報道というのは実名オンリーということですけれども、そうすると、各記者の名前ですね。これも全部署名記事になっているのですか。

遠藤: すべてがどうかはちょっとわかりませんが、ほとんど記者個人の責任でものを書いているという形になっていると思います。多分だから、署名入りが結構あると思います。原則かどうかはちょっと存じ上げません。

松原: ありがとうございました。非常に今突っ込んだところで、今の件はもう少し皆さんで調べて、また次の機会のディスカッションがいつあるかわかりませんが、進めたいと思います。

河野さんから一言ずつお話をお願いします。

河野: 報道ということで言わせていただくと、事件報道に限って言いますけれども、まだまだ今のメディアというのはどっちかというと逮捕までの報道に対してすごく力を入れているわけです。本当に真実を追究したいあるいは被害者の訴え、そういうものを記事にするのであれば、私はやはり裁判報道中心でいいんじゃないかと思うんですね。どうしても裁判報道ということになれば、弁護側の言い分も出てくるだろうし、あるいは検察の証拠も開示されてくる。そういう中でじっくり裁判を傍聴していただいてということですね。もう入れかわり立ちかわりはやめていただいて、それでじっくり聞いて、そして何が真実なのか、あるいは社会にとって何が問題なのか。そういう裁判中心の報道にやはり変わっていったほうが事件というものがきちっと出てくるのではないか、私はそのように思うんです。

遠藤: 河野さんのおっしゃるとおりで、現象報道ではなくてちゃんとその人の人生なりその原因なり背景、社会問題、そういうものを追及していく角度でやれという言葉だろうというふうに思っております。そのとおりだと思っております。

松原: 川端さん、どうですか。

川端: イギリスの例を出されましたが、きっとそういう実名報道をしてもいいように社会が成熟しているということではないかなと思います。日本ではまだちょっと問題かなと思いますね。それで、今私たち、福井被害者支援センターで年に2回警察の委託を受けて被害者の生の声を聞くという公開講座というのをやっております。ですから、皆さんにそういうところに出ていただいて、実際に被害者の声を聞いていただく。そして、被害に遭うとどういう状況になるのか、心情的にはどうなのかということを広く知っていただいて、そして地域に生活している被害者の方を地域で支援していく、そういうふうになればちょっと社会のほうも成熟してくるのではないかなと思います。

川上: 僕も言わせていただけますか。被害者、逮捕直後とかそういう場合、事件直後については基本的に被害者は話ししたくない。マスコミが来ても「来るな」という拒否反応だけれども、被害者は黙っていたいわけではない。被害者だって言いたいことはあるのです。しかし、そんな事件直後に、それはさっき河野さんもおっしゃったけれども、「来るな」としかもう言いようがない。でも、本当は私たちの意見は言いたいところはやはりあるんだということはわかっていただいて、それをいろんなところで裁判等もありましたし、ある程度時間が経過し何なりの形で被害者の言い分をきちっと受けとめてくれる。何も黙ってくれだけが被害者の言い分じゃない、言いたい人もいるのだと、そこのところをぜひご理解していただければ、ああ、そういうことだなというふうに被害者の心情をわかって汲み取った報道というのは、またそれはそれで非常にいいのではないかな、そうあってほしいなと思っています。

松原: それぞれのパネリストの方から本当に活発なご意見をいただきました。フロアからもご意見をちょうだいしたいのですが、ちょっと時間の関係でお許しをいただきたいと思います。特に遠藤さんにはマスコミの立場で本当によくご出席いただき、お話しいただけたと思います。また、遠藤さん自身は今、拉致被害者の報道とかそういうことも含めて今もご活躍のことと思いますし、また、いろいろその継続をお願いしたいと思って、本当にありがとうございます。

それから、河野さんには私本当に感激したのは、やっぱり真実を知るには自分の家族を殺した加害者の人とつき合う、もう一つ感動したのは、加害者のご家族の保護が大事なのだというところまでおっしゃれるというのは、私は本当に人間としてすばらしい方だなとつくづく思います。

まとめにもなりませんが、市民として被害者を保護するというのは、これから最も大事なことだと思うんですが、我々は市民として何が必要かというと、その報道も含めて情報がうそか本当かを見抜く力がこれから必要なんじゃないかなと思うのです。いろんなところから情報が入ってきます。あるときはお隣の奥様から情報が入るかもしれません。あるときはインターネットから入るかもしれません。あるときは新聞、あるときはテレビかもしれません。でも、それを受ける一人一人がうそと本当を見分ける、見抜く力をこれから市民として養っていくことが大事かなというふうにお話をお聞きしながら感じました。

河野さん、どうも遠いところ、お忙しいところ来ていただきまして、ありがとうございます。また、福井の県民、市民のためにもどうかまたおいでいただきたいと思います。それから、お三方、パネリストの皆さん、本当に今後も被害者の支援あるいはこの県が成熟した市民、成熟したまちになることをお手伝いいただきたいと思います。ちょっと時間もオーバーしましたが、これでパネルディスカッションを終わりたいと思います。ご参加の皆さんも本当にありがとうございました。これで終わります。

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