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平成21年度
「犯罪被害者週間」国民のつどい 
実施報告

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■奈良大会:パネルディスカッション

テーマ「犯罪被害者への途切れない支援のために」

コーディネーター
 三木 善彦(帝塚山大学教授・なら被害者支援ネットワーク代表)
パネリスト
 林 良平(全国犯罪被害者の会(あすの会)幹事)
 岡本 真寿美(全国犯罪被害者の会(あすの会)会員)
 宮代 トシ子(社団法人なら犯罪被害者支援センター事務局長)
 よしむらゆたか(奈良県警察本部警務部参事官)

(三木) ただいま紹介にあずかりました三木と言います。私がこの犯罪被害者支援活動に参加したのは、今から15、6年前でした。平成8年だったと思いますけれども、実はそれまでは奈良少年刑務所の篤志面接委員といいましてボランティアの面接委員をして、犯罪の加害者のカウンセリングや相談に乗ったり、更生を手助けする、そういう役割をしてきました。

 ですから、目の前に加害者がいたということは、その後ろに被害者の方がいたはずなのですけれども、私には全然見えていませんでした。平成8年に犯罪の被害者支援活動を大阪で立ち上げようというときに、現在、全国犯罪被害者支援ネットワークの会長をなさっています山上先生が(当時、私は大阪大学に勤務していました)来られました。そして、「大阪に犯罪被害者相談室(現在の大阪被害者支援アドボカシーセンター)を立ち上げたいので協力してくれないか。カウンセラーの経験を生かして相談員の研修や顧問として働いてほしい」と頼まれました。私は、その当時、大学の教師と、内観という自分自身を見つける心理療法の研修所も自宅で開いておりましたので、二足の草鞋を履いておりました。その上、犯罪被害者の支援などといったら三足目の草鞋はどこで履くのだろうと思いまして、「とてもじゃないけど、できません」とお断りしたのですが、「是非とも、これは意義あることだから引き受けてほしい」と頼まれまして、「では時間のある限り、ご協力いたしましょう」ということで協力することになったのです。そこで初めて犯罪被害者の手記を読んだり、ビデオを見たり、犯罪被害者にお話を伺ったりして、今まで犯罪被害者がいかに権利のない状態に放っておかれたかということを初めて知りました。それまでは、加害者がそれなりに保護されているのだから、被害者も保護されていると思いこんでいました。加害者の場合、警察がまずは捕まえますが、でも優しい警察官もたくさんいますので、「お前が立ち直るために、こちら側も一生懸命協力してやろう」ということでやってくださいますし、弁護士さんはちゃんといますし、それから刑務所に入りましたら、刑務官は彼らの更生を助けるためにいろいろ技術を教えたり勉強を教えたり、いろいろしてくれます。心温かな刑務官にもたくさん会いました。そこから出た人に対しては、保護観察所があり、保護観察官が相談に乗ってくださり、あるいは何万人という民間の保護司の方がいらっしゃいまして、ボランティア活動として加害者の人たちの更生を助ける努力をしてこられました。

 では、被害者の人に対しては何があったのか。私は、当然、国が被害者のために様々な施策を講じているものと思い込んでおりましたけれども、全くなかった。私が参加したときにあったのは、犯罪被害給付金制度というのがあっただけです。それも非常に限られた被害者の人に対して、限られたお金を一時的に見舞金として支払う、それだけです。市瀬朝一さんという、自分の息子さんを通り魔によって殺されたお父様が、被害に遭った人たちが何とかその苦しみから救われるために、少なくとも経済的な補償をするのが国の責務ではないかという運動を起こされて、それに同志社大学の大谷先生が協力してくださいまして、昭和56年に犯罪被害者等給付金制度が出来上がりました。それがあっただけです。他、何もありませんでした。

 ですから、先ほど岡本真寿美さんが話してくださったように、岡本さんが事件に遭った頃、事件そのものによる被害はすごいものでしたね。全身火傷90%ということで、先ほどお聞きしましたら、26回、皮膚移植の手術をなさっています。最初の皮膚移植から10年経って、やっと少し楽になったといいましょうか。先ほどお話を伺いますと、皮膚移植したところからは汗が出ません。汗が出ないから、夏は熱がこもってしまって大変です。そういう後遺症はずっと続いているわけです。それから、皮膚の傷、顔の傷は、これ以上良くなってはいかないでしょうね。一生、この傷を抱えて、単に心の傷だけではないです、外に現れている傷を抱えて生きていかなければならない。そして、普通の場合でしたら、例えば働くということが生きがいにもなります。ところが、今、働くこともできない。といいますのは、この状態でハローワークに行ったら、仕事を回してくれるかといったら、あなたの条件に合うようなところはありません。完全に冷暖房がきちんと効いている状況でないとだめというわけです。それから、通勤の間、暑いときはどうなんでしょうか。暑い太陽に当たったら、駄目になってしまいますし、冬は冬で、寒いときには皮膚が萎縮してしまいます。ということで、なかなか仕事に就きたいと思っても仕事に就けない状況が、これから先も続いていくという状況なのですね。

 ですから、犯罪の被害に遭うという一次被害だけでなく、それから後の、先ほど話がありましたように、様々な二次被害を受けます。警察において、裁判所において、検察庁において、それから報道機関、近所の人たち、役所など様々な場面で冷たい仕打ちを受け、心ない対応を受けてこられた。私は岡本さんの話を聞いて、よくぞここまで生きてこられたと感心しました。私は偉いと思います、ほんと。

 私の話はこのくらいで、コーディネーターの役割を果たさなくてはなりません。犯罪被害の概要等についてということで、まずあすの会の林さんにお聞きしたいのですが、林さんの場合もひどい話なんです。看護師をなさっている奥さんが信号待ちをしているときに、出刃包丁で刺されて、重傷を負ってしまわれました。それで、あとほとんどもう寝たきりの状態です。その当時、小学生と幼稚園の子どもさんが二人いらっしゃったわけですね。奥さんは看護師の仕事を辞めざるを得ない。林さんは、レントゲン技師として働いていらっしゃって、もう一つ仕事を持っていらっしゃったけれども、そのほうはやめなければならない。ということで、経済的にも大変苦しい思いをなさり、子育てと奥さんの看病と、大変な状態を過ごしてこられたわけですが、それを単に自分一人の苦しみにしてしまうのではなくて、社会的に何とか意義あるものにしていきたいということで、岡村弁護士さんと協力して、全国犯罪被害者の会を立ち上げられました。

 私は心理学をやっていますので、「心の傷に対してカウンセリングを」なんて言っていますけれども、林さんは被害者の権利を守る法律をちゃんと作っていかなければならない。犯罪の被害者に対して経済的な補償ももっと増額しなければならないでしょうし、あるいは司法制度そのものを変えていかなければならないと考えられたのです。

 奥さんが遭われた事件の概要と犯罪被害者の家族という立場に立たされたときに感じられたことについて、林さんにお話し願えればありがたいと思います。

(林) 林と申します。事件の概要をほとんどしゃべっていただきましたので言うことはございませんが、今日、皆さん、袋の中に資料が入っていると思います。ちょっと見ていただけますか。いろいろ説明するのにペーパーがあったほうがよいのかなと思って用意いたしました。無理言って、奈良県のほうで作っていただいたのですが、一番表のページにビラがあります。「私的懸賞金300万円」、懸賞金をかけています。事件自体が平成7年、阪神大震災の8日後でして、来年1月24日で時効を迎えます。それをさせてはならんということで、今年1月24日と8月の2回、懸賞金をかけて、警察と協力してやったのですが、まだ犯人検挙には至っておりません。

 お金、ないのになぜ300万円も出せるのかと、まず、皆さん、疑問を持たれると思うので最初に言いますが、あすの会の中で未解決事件の方々が十数人いらっしゃいまして、そういう人たちが懸賞金をかけたいときには、あすの会が、犯人が捕まったらお金を出す。捕まらない限りはないのですが、あすの会の助力ですることができました。

 私自身、自分でもしたいなと思っていたのですけれども、お金がなかなかありません。たとえ100万円でもやりたいなと思ったんだけれども、犯罪被害者が訴訟参加できない現状では、懸賞金をかけて犯人を捕まえても、ただの他人事です。意味がないと思っていました。でも、去年の12月1日に、犯罪被害者の参加制度ができました。被害の当事者として法廷のバーの中に入れる、これが決まったので懸賞金をかけたいということを岡村代表に相談して、こういう形になったわけでございます。「100万円では足らないから300万円にしろ」と言われました。こういう形でビラを作ることができたわけでございます。

 事件そのものは、先ほど三木先生のほうからも紹介いただいたのですが、事件当初、子どもは小学1年生と年長組の男の子2人おりまして、妻が刺されて、子どもらにとっては母が刺されて入退院の繰り返しでありました。最初の2年間は労災という形で救われたのですが、その後、だんだんひどくなってきたんですね。入退院、結局、251日しました。それらの医療費は全部被害者負担です。先ほど真寿美さんが講演したとおりであります。犯給法ができた昭和56年ですか、あのとき、基本は遺族の方対象の見舞金の制度でありまして、こういう重傷な患者の人たちの医療費という視点がほとんど何もなかったのですね。2000年に犯給法が見直される以前の被害者というのは、全部、医療費は自己負担です。私の家庭も入院費用だけで300万円超えています。

 なぜ、私たち被害者がこんな支払いまでしなければいけないのか。先ほど三木先生もおっしゃいました。彼女も言ったとおり、そこが私も非常に不条理と思って活動し始めた原点でございます。

 今、15年経ちまして、基本的には妻は障害者になりました。モルヒネ、1日4回服用で、痛みを抑えているわけです。働けなくなりました。勤めていた病院からは解雇されました。

 事件当時、1,300万円くらい預貯金がありました。使い終わって、もう1,000万超える借金です。1,000万超える借金ができるだけ、まだいいやろうと言う方もいらっしゃいます。現に私も聞きました。でも、それって、いいんでしょうかね。そういうことを思いつつ、生活しているわけでございます。我が家の事情はそういうことでございます。

(三木) ありがとうございます。林さんは、奥さんが何の落ち度もなく、重大な被害に遭われ、そのとき、犯罪被害者が置かれた現状やあるいは犯罪被害者のための制度が何もないことに信じられない思いをされ、そして、同じ立場、同じ思いをされた犯罪被害者の方々と全国犯罪被害者の会、通称「あすの会」を立ち上げられました。そこで、続けてですけれども、林さんにこの「あすの会」について少し説明をお願いします。

(林) 資料をめくっていただいて、新聞記事が出ています。岡村代表が出ているものとか、これはページ数が振っていないのでわかりにくいのですが、これがうちの「あすの会」の代表、岡村勲です。元日弁連の副会長でありまして、「あすの会」代表でございます。新聞記事はお帰りになってからまた読んでください。

 実は、事件があってから、私は1996年、97年ごろからですか、犯罪被害者の権利というのが全くないということを気づきまして、そういう権利を確立する当事者の会を立ち上げて、いろいろ全国の人たちと連絡を取り合っておりました。その中で、岡村先生と1999年の春頃に連絡が取れるようになりまして、「いつかどこかで会って、先生、一緒に活動しましょうよ」という話をしました。でも、この頃、代表は非常に体調が悪いということで、「頑張りなさいよ。連絡だけはちゃんとするから、頑張りなさい」ということでした。もうその頃15、6人くらいの被害者の方々と出会っておりました。先ほどありました犯給法を作られた市瀬さんたちと一緒に活動された被害者の方2名と知り合いまして、その当時の活動や、新聞の切り抜き等々を見せてもらって、当時の被害者の人たちの思いというのも知り、全国に発信していました。

 NHKのとある番組で私の家庭を取り上げていただきまして、それを見ていただいた岡村代表から電話がかかりまして、1999年10月31日、岡村先生の法律事務所で会おうじゃないかという話になりました。そこに集まっているのがこの資料に写っている人なのですが、光市の本村君とか、その年「池袋通り魔事件」の宮園さんとか、渋谷登美子さん、それと代表と5人の人間が集まって、被害者の問題について語り合ったわけであります。そして、朝10時に集まって、最終的にシンポジウムをやろうという話がバッバッバと出てきて、その話になって、それからとんとん拍子に話は決まって、翌年1月23日に「あすの会」の設立総会がありまして、会が誕生したわけです。

 その設立趣意書は資料にありますので、帰ったらお読みください。犯罪被害者への偏見と、そういう中で暮らさねばならなかった被害者の決意を書いています。先ほど真寿美ちゃんの講演を聞いて、私も目頭が熱くなってしまったのですが、そういう悔しい思いをしている被害者が全国各地にいたわけです。

 私たちの会はそれでできたのですか、一番何を目的にしたかというと、被害者の権利確立と、もう一つは経済的な補償問題です。これらの制度をきちんとしてください、これが「あすの会」設立の目的でありました。

 それの突破口になったのが、ヨーロッパのドイツ、フランスへの調査団派遣でした。日本の刑事司法のお手本にした国はどうなんだということを調査しに行った。これが日本の法曹界に与えた大きいインパクトだったと思っています。被害者は、彼女が先ほど説明されましたように、2000年以前の犯罪被害者には、いつ裁判が開かれるのか、どこで開かれるのか、その結果はどうであったのか、そういう基礎的な情報すら知らせない。どこの刑務所に入ったのか、いつ出所するのか、それすらも教えてくれない。これが2000年以前の被害者の置かれた状況でした。

 2000年に、犯罪被害者保護二法ができまして、そこで初めて犯罪被害者に、いつ裁判があって、どこでやるというのを教えてくれて、なおかつ傍聴席を優先的に確保してくれるという制度になったのです。

 2008年にようやく被害者が訴訟参加できるというところまできたわけです。その活動というのは何かといいますと、先ほどヨーロッパに行ったと言いましたが、同じように日本も訴訟参加できる制度をつくってもらおうではないかということで、全国で署名運動を展開することを決議したわけであります。

 そういう活動をするには、ヨーロッパに行くのでも、お金が要るわけです。先ほど言いました。うちの会は皆さん方の寄付だけに頼っています。どこからもお金はいただいていません。バックのある組織ではないのです。なぜかというと、民間のお金でないと、自由にものが言えないからです。国からお金はもらわないという形で、すべてが民間の浄財で成り立っているわけでございます。それをバックアップしてくださったのが、その次のページの下を見ていただくと、当時、経団連の会長でした奥田碩さんです。一橋大学、うちの代表も一橋大学です。一橋大学のOB会が如水会というのですね。ここの上に額縁がありますけど、「君子交淡如水(君子の交わりは淡きこと水の如し)」とありますが、水の如くの如水会、ここが私たちの資金をバックアップするためにいろいろなことをやってくださいまして、そういうお金が出たわけでございます。

 それを2003年2月2日から、私たち被害者自身も動かなければいけないということで、新宿を皮切りにまる一年かけて全国47都道府県の県庁所在地、50カ所で最終的に署名活動をやりました。そのうち大体39万票集まった頃だったのですが、署名活動を始めました2003年6月の終わりころ小泉首相にお会いして相談したらということがありまして、小泉首相にお会いしたわけです。それが、さっき言いましたページの隣にある、お会いしたときの写真でございます。私もこの場に同席させていただきましたが、小泉首相とか、ほとんど皆さんそうなのですが、ここにいらっしゃる皆さんもこの当時だったらそうだと思います。被害者の置かれている状況を全くご存じなかったのですね。20分間の予定だったのですが、ほとんどずっと聞き役に徹されて、最後に「そんなにひどいのか。わかった」ということで、ここに書いてある「政府として検討する」、2番目に「自民党も検討する」、そういう2つのことをお約束いただいて、私たちは公邸を出たわけですが、4人、涙をボロボロ流して、良かったなという思いでありました。これが基本法成立への鶴の一声だったような気がしております。

 また、その次にページをめくっていただきまして、当時の森山法務大臣に署名をお渡ししているページがあります。その次のページに、「あすの会」は新たな活動を展開し始めた。2004年3月3日からと書いてあります。これは何かと申しますと、地方自治法99条に基く意見書を国に地方議会が提出するという陳情をやることに決めたのです。なぜかといいますと、きっかけは大阪府の堺市市議会の、私自身、知り合いの方だったのですが、堺市議会を通して国に送った。その後、それを知り、「それは一体何ですか」と私がお聞きして、あ、そういうものなんだと。それで、岡村先生に電話したら「え、そんなのがあるのか」という話で、それはやらないかんということで、結果的に意見書を提出した自治体が100を超えました。これは何を意味したかというと、小泉首相もご存じなかった、政府の方もほとんどご存じない。地方議員さんたちなんか、とってもないじゃけど、犯罪被害者の事ご存じなかったのです。私はこの奈良県議会にも来ました。そこで、議員さんたちもお話ししました。そのとき、議会があるときに陳情して各会派の全部の議員さんたちに被害者の置かれた立場というのを説明しなければいけないんです。それを、大阪府でもやり、大阪市でもやり、私自身は広島県にも行きました、岡山も行きました。あと西宮とか、近畿で行けるところはほとんど行ったのですね。でも、かなり大変だったのです。議会というのは日曜日にやりませんから、ウィークデーに時間をとって、仕事を休んで行って、そこで2、3時間、議員さんの方々に、各会派にずっと同じ説明をしなければならなかった。でも、このおかげで犯罪被害者等基本法は、議員立法という形になりました。そして、満場一致で可決成立したわけでございます。これは日本が世界に法律で誇れる法律であるということでございます。

 そういう形で基本法成立までいきました。そして、昨年2つのことが大きく決まったわけですね。設立目的である犯罪被害者を経済的に支援する支援法といいます。これが見舞金制度ではなくて、私たちが望んでいた、せめて自賠責並みにです。ただ自賠責と違って、年齢や収入によって変わります。自賠責は、収入や年収が幾らとか関係なく、年齢も関係なく3,000万円が基本です。そこで、双方にどっちに過失があったかですね。赤信号で被害者の人が渡っていればその分だけ何%かを減じられる話ですけれども、支援法はそうではなくて、そのときの年齢と稼ぎ、要は収入を証明するものが必要なのです。例えば、同じ二十歳でも、こちら側はアルバイトだった、こちらは何もしていなかったということで、支払いに差が出てきます。500万出るか出ないかです。ですから、自賠責の3,000万とは大きな差があるということは理解してください。

 もう一つ大きなのは、法廷のバーに入る権利。それは、去年12月1日にできたということでございます。私たちの活動の大まかな流れは以上で説明を終わります。

(三木) ありがとうございました。法廷の中に入るといっても、傍聴席ですら、前は入れない場合があったのですね。といいますのは、例えば、和歌山毒入りカレー事件がありましたね。あのときなどの検事さんの冒頭陳述のときには何千人という人たちが傍聴希望で訪れました。入れるのはたしか40人くらいです。その事件によって、自分のかわいい娘が殺されてしまった、旦那が殺されてしまったという遺族の人が裁判所に「私たちも、もちろん犯人の顔も見たいし、冒頭陳述を聞きたいし、是非入れてください」と言っても、「どうぞ、並んでください」。4,000人ほど並んでいたんですよ。そのうちの1人になるんです。入れるわけ、ありませんね。

 被害者や遺族に優先的に傍聴券を配布するということがなかったわけです。といいますのは、裁判というのは公開であります。誰にも対しても同じ権利、傍聴する権利を等しく与えております。ですから、被害者であろうとも優先的に傍聴させるわけにはいきません、という固い考えがあったわけですね。でも、それは何と考えてもおかしいというので、和歌山の事件の場合、大阪の高等裁判所にかかってから、やっと優先的に遺族に傍聴券を配布しましょうという形になっていったのです。ちょっと信じられないことですね。僕も初め聞いて、全く信じられなかったんです。

 そういうことで、被害者の方が検察官の横に座って、質問したり、意見を言ったりすることができるようになったというのは、画期的な出来事なのですね。今までは、弁護士側あるいは被告側が嘘、偽りを言っていても、傍聴席から「それは嘘だ」と言ったら、「あんた、うるさいから外へ出ていきなさい」といって追い出されてしまうというのが現状だったわけです。被害者の人たちは大変悔しい思いをしてこられたわけです。

 それはそれとして、岡本さんにお聞きしますけれども、先ほどの話の中で出てはおりましたけれども、大変つらい一次被害、二次被害を受けてこられたわけですけれども、事件後、岡本さんにとって心に残る出来事といいましょうか、あれはちょっと嬉しかったね、というのはどんなことだったんでしょうか。

(岡本) そうですね。私が最初に出会った警察の方で、ICU(集中治療室)で調書をとりました。私、もうスカートもはけなくなっちゃったの」と言ったときに、警察の方が「治るから大丈夫だよ」「守るからね」と、その一言一言がすごく心に残りましたね。

 その中でも心に残ったある女性警察官の方なんですけど、辛い時、一緒に泣いてくださったり、電話では言葉だけなんですけど、顔は見えなくても、いつも「大丈夫だからね」とそっと支えてくださいました。こんな警察さんがいるんだなと思って、私にとっては、大切な支えと思っています。ある駐在所の警察さんも1カ月に何回も様子を見にきて、「どうですか、変わったこと、ないですか。何か変な人とかいませんか」と常に見回りをして下さり、本当にありがたい思いです。「お願いだから、ここの駐在所から離れないで下さい、お願いします」と言ったんですけど、とうとう異動されました。

(三木) ありがとうございます。

 様々な制度ができていきましたが、それを運用していくのは人間ですので、温かい心で、被害者の心情を理解した上での制度の運用が必要だと思います。

 警察の話が出て、よしむらさんは警察代表として耳の痛い話もたくさんあって、最後だけ、ちょっといい話があって良かったかもしれませんけれども、警察のほうの被害者支援としてはどのようなことを今はなさっているわけでしょうか。

よしむら) 警察本部で犯罪被害者支援を担当しておりますよしむらです。よろしくお願いします。 岡本さんや林さんの奥様が大変な被害に遭われた当時、犯罪被害者のための法律や制度はほとんどございませんでした。また加えて、被害者を支援するという考えすら、社会にはなかった時代であったと、我々も感じておりますし、多くの皆さん方もそのようにお思いだと思います。

 しかしながら、三木先生や林さんからお話があったように、犯罪被害者やご遺族を経済的に支援する法律は、既に昭和56年1月に施行されていたのであります。犯罪被害者等給付金といいまして、当時は犯罪によって殺害された被害者の遺族、そして第1級から第3級まで、身体に重い障害が残った被害者だけが対象ではありましたが、社会の連帯共助の精神に基づき国が見舞金を支給する制度が既にできていたのであります。現在では、その支給範囲は、障害の程度が第14級まで拡大され、3日以上入院し、かつ1カ月以上通院するような傷病の被害を受けた方の治療費や休業補償も行われ、さらにそれぞれの給付額も随分増額されています。いずれにしても、今のように給付額はそれほど高くなく、対象となる犯罪も随分限定的でしたが、今から28年前に被害者を支援する法律は存在していたのです。

 しかしながら、被害者やご遺族、あるいはご家族の方を支援しなければならないという考え方や、被害者が置かれた現状については、全く社会に周知されておらず、また認められていなかったのであります。そうした中、この犯罪被害給付制度ができて10年経った平成3年10月に、この制度の成立を記念したシンポジウムが開催されました。そして、本日のように、パネリストが壇上からいろいろと発言されたのですが、その中で一人のパネリストが「日本では事件によって受ける精神的被害でそれほど困っていないのじゃないか。被害者からそういう声が上がってこないからね」というような発言がされたのであります。すると、会場から一人の女性が手を挙げられて、「私の息子は飲酒運転で殺されました。その後、私はどうやって生きていけばいいのかもわからず、精神的に助けてくれるところがないのかと無我夢中で必死になって探しましたが、何もありませんでした。今の日本の被害者は大きな声で泣きたくても泣けないのです。ただじっと我慢しなければならないのが、今の日本における被害者の姿だと思います。被害者を精神的に救う道が何もないのです。まず、それをつくってほしいのです」と発言されました。大久保恵美子さんとおっしゃいます。今、全国犯罪被害者支援ネットワークで犯罪被害者を支援する活動に取り組んでおられます。

 この大久保さんの発言がその後の被害者支援活動に大きな影響を与えたわけです。まず、平成4年3月、東京医科歯科大学の中に犯罪被害者からの相談に応じる犯罪被害者相談室がつくられ、同じ年の4月には、犯罪被害者の実態調査が開始されました。この調査において、例えば、警察においては被害者から事情聴取する際に与える二次的被害の問題や、事件に関する情報が欲しい等のニーズが明らかとなったわけで、この結果を受けた警察庁では、警察の被害者対策に関する研究会を立ち上げて、被害者支援に係る本格的な研究を行い、そして平成8年2月、その成果として被害者対策要綱を制定して、これを全国の警察に発出したわけです。

 このとき示された要綱の精神は、被害者等にとって、最も早く、そして最も長く接する警察が被害者支援を行うことは当然のことであること、何よりも被害者のために事件を解決する警察が、勇気を持って被害の届け出を行ってくれた被害者を捜査の中で二次的被害を与えることがあってはならないことで、被害者を支援することは警察の本来の業務であることを改めて指示するに至ったのであります。そして、この要綱の精神を具体的に実現するために、被害者連絡制度、被害者支援要員制度、再被害防止制度等、様々な制度を導入してまいったのであります。

 まず、被害者連絡制度といいますのは、殺人や傷害、性犯罪などの身体犯を始めひき逃げや交通死亡事故などの重大な交通事故事件の被害者等に、刑事手続及び犯罪被害者のための制度、検挙までの捜査状況、犯人の検挙状況や処分状況を担当の捜査員が連絡する制度です。

 この制度ができるまでは、犯人のプライバシーの保護、捜査に支障に来す恐れ等の理由から、捜査に関する情報を被害者等に提供することがほとんどできていなかったのであります。自分が被害に遭ったのに、警察は何も教えてくれないという不満が二次被害となって、被害者を苦しめてきたという反省から、この制度ができたのであります。

 次に、被害者支援要員制度ですが、一定の重大な事件については、事件を担当する警察官、又は別に指定された警察官を被害者支援要員として被害者等からの事情聴取を適切に行うために配慮したり、あるいは被害者等の送迎や相談に応じさせております。また、この制度により、特に女性が被害者となった事件において、事情聴取する際、その被害者が女性警察官を担当にと希望されれば、できる限り、その要望に応えるようにしております。

 最後に、再被害防止制度ですが、犯罪被害に遭うと同じ加害者から身体的な被害に遭うのではないかととても不安になり、その不安から警察への届け出を躊躇して、さらに重大な被害に遭うことがあります。岡本さんからも「また襲われるのではないか。また被害に遭うのではないか」というようなお話がありましたが、そうしたことを防ぐため、また加害者の一方的な思い込みから出所後に御礼参りすることもあり、被害者の安全を確保することが被害者支援の上で非常に重要なことです。そこで、加害者と被害者の関係、事件の背景、加害者の性格等から、被害者が同じ加害者から再被害を受ける恐れがあると判断されるときに、この制度により被害者の安全を確保しようとしております。具体的には、刑事施設、すなわち刑務所等々と連携し、加害者の出所に関する情報を事前に入手して、被害者の安全を確保するための対策を組織的に講じていくことになります。

 この他にも、被害者の経済的負担を軽減するため、例えば身体に重大な被害を受けた被害者の診断書料、性被害に遭った場合の初診料など、また司法解剖した遺体の搬送に要する費用の一部を公費負担する制度などを設けております。この経済的負担を軽減するための制度も平成8年以降、随分充実してきたと言えます。

 ところで、被害者が求められる援助の内容は、例えば被害者が世帯主か、被扶養者か、会社員か、学生か、男性か、女性か、あるいは家族や地域の状況、被害の程度によって異なってまいります。また、被害を受けた直後、被害から1週間後、1カ月後、半年後、さらには1年後に求められる援助の内容も変わってまいります。被害者の方々が平穏な生活を取り戻すためには、相当の期間、途切れることなく支援を受け続けることが重要であると言われていますが、残念ながら、警察ではいつまでも支援を続けることにはやはり限界があります。そこで、警察だけではなく、様々な機関や団体が、それぞれの立場でできる支援を行っていただくことが必要となって参ります。

 そのため、警察を中心として、被害者をみんなで支援することを目的とするネットワークができています。県レベルでは、なら被害者支援ネットワークという組織をつくっています。現在、その代表を本日のコーディネーターの三木先生が務めておられますが、このような取組も平成11年から行っております。

 その中でも特に被害者支援を目的に活動されている民間の団体による支援が重要ではないかと考えております。公の機関ではなく、民間だからこそできる支援があります。被害者の生活に入り込んだ支援は、民間だからこそできる支援ですし、本来の生活を取り戻すためには、このような支援が大変重要だとも言われているからであります。

 こうした民間の団体としては、奈良県では社団法人なら犯罪被害者支援センターがあります。私の隣にセンター事務局長の宮代さんがお座りです。詳しくは宮代さんからお話があると思いますが、支援センターが犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律、略して犯罪被害者支援法とも言われておりますが、この法律に基づき、本年10月29日、奈良県公安委員会から犯罪被害者等早期援助団体という指定を受けられました。この指定を受けるためには、定められた多くの要件を兼ね備えていなければなりませんが、厳しい条件をクリアされて、指定を受けられた民間団体が奈良県では初めてできたということで、警察といたしましても支援センターの活動を大いに期待しているところですし、これからも良い連携をお願いしながら、被害者の方々が求める支援活動を推進して参りたいと考えております。以上でございます。

(三木) ありがとうございました。それでは、今、話に出てまいりました被害者支援センターの活動状況について、なら被害者支援センターの事務局長である宮代トシ子さんに、どんな支援内容なのかを教えていただけますか。

(宮代) 宮代でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 被害者の方のお話を聞きますと、いつも胸が詰まるような思いがしておりまして、今もそんな状況におりますので、うまく話ができますかどうか、ちょっと心もとないところなのですが、今、参事官のほうからもお話がありましたように、被害者の支援に当たっては、公的機関が行う支援と、民間の支援団体が行う、民間だからできる支援というのがあると思うのですが、私たちが引き受けている「なら犯罪被害者支援センター」について、ちょっとお話しさせていただきます。

 先ほど岡本さんのほうからも民間の支援センターの対応のまずさといいますか、そういうご指摘もありましたので、本当に身が引き締まるといいますか、これから頑張っていかなければいけないなと思っているところです。民間レベルで行う被害者支援は、日本では欧米に比べて10年くらい遅れていると言われています。日本では、東京医科歯科大学の中に犯罪被害者相談室として平成4年に設立されたのが最初でございました。この設立されるきっかけは先ほど参事官のほうからお話がありました。それよりもっと早くには、昭和42年頃ですか、さっき市瀬さんのお話がありましたけれども、市瀬さんが殺人犯罪を撲滅する遺族の会ということで、組織されまして、活動されていたという経緯もございます。

 そのような流れの中で、奈良では、平成13年9月27日に、「なら犯罪被害者こころの支援センター」として天理大学人間学部の中に全国で21番目の支援センターとして開設されました。被害を受けた方の主に心の問題をお聞きするのが中心でした。そして、必要があれば面接相談を行うという、民間のボランティアによる被害者のための相談窓口でした。その後、平成19年3月1日に、社団法人としての許可を奈良県知事から受けまして、そのとき名称も現在の「社団法人なら犯罪被害者支援センター」に改めました。"こころ"という言葉を取ったわけですね。"こころ"という言葉を取ったというのには、被害者の方が求められる支援の内容は、"こころ"の問題だけではなくてもっと直接的な支援も必要だと考えたからです。

 20年4月1日に、今の奈良市の橋本町にございます奈良マーチャントシードセンターというところに活動の拠点を移しまして、今はそこで活動しております。先ほど理事長のお話がありましたし、今、参事官のほうからもお話がありましたが、先月の10月29日に、奈良県の公安委員会から犯罪被害者等早期援助団体という指定を受けました。これは全国で27番目の指定です。ですから、今では相談だけではなくて、裁判所とか病院への付添い、弁護士相談への付添い、あるいはカウンセラーの紹介とか付添い、その費用の一部負担、また家庭に訪問いたしまして、犯罪被害に遭った直後の方は、日常生活もままならないということがありますので、家事の援助など直接的な支援も行っております。

 この早期援助団体の指定を受けるためには、クリアしなければならないいろいろな条件がありまして、相談者のプライバシーが守れる相談室があること等施設面での条件もその一つです。私たちの活動は皆様の資金、寄付とか、賛助会員の方の会費でしておりますので、経済的に大変苦しいといいますか、しんどいということもありますが、早期援助団体の指定を受けるためには施設面でプライバシーを守るとか、相談室があるということは必要欠くべからざるを条件の一つですので、今のところに引っ越しをしたわけです。その他にも指定を受けるためには、相談体制や安定した財源、スタッフの問題等厳しい条件があるわけですが、それを何とかクリアいたしまして、指定を受けることができました。念願でしたので、みんなで喜び合いました。

 この指定を受けるとどんなメリットがあるかと申しますと、今日の資料の中に「ハートニュース」が入っているかと思うのですが、そのハートニュースの中に、Q&Aという形で、指定を受けるとどんなことがあるかということを載せてございますので、またゆっくり読んでいただければいいと思うのですが、1つ目は、奈良県公安委員会指定という信頼のある指定ということで、不幸にして犯罪被害に遭った場合には、民間の団体に援助を求めようとしても、そこが安心できる団体なのかどうか、被害に遭った直後の被害者の方にはそれを判断する材料も時間的余裕もありません。厳しい条件をクリアして、公安委員会から指定を受けた団体であれば、安心して、躊躇することなく、援助を求めることができるということになります。

 また、支援センターにとりましても、指定団体ということに恥じない、質の高い援助をしなければいけないということで、信頼できる団体になるための研鑽を重ねますので、組織の向上にもつながるわけです。

 2つ目は、被害を受けた方の同意があれば、氏名とか連絡先とか、事件の概要などの情報を警察から直接提供してもらえるということがあります。提供していただいた情報をもとにして、支援センターが被害の直後からそこに駆けつけて支援を行うことができるわけです。今まではそういう情報がありませんので、被害を受けた方が直接に支援センターに連絡してこられて、その上で相談に乗るということからスタートですので、支援が遅れますので、被害直後に必要な支援を行うことができませんでしたし、支援センターの存在を知らない被害者の方もいらっしゃいました。ですから、被害者の方がその後、様々な二次被害ですね、先ほどもいろいろ報道被害や生活保護一つ受けるにしても、自分自身で戦っていかなければいけないということがありましたが、そういう直接支援で私たちが同行したり、アドボケート(権利擁護)をすることができますので、それがメリットではないかなというふうに思っております。

 支援センターのこれからの課題といいますか、それをちょっとお話ししたいと思います。せっかく指定を受けて、早期の援助ができるようになりましたので、そのことを県民の皆様に広く知っていただくこと、そのための広報活動が必要と考えています。また、不幸にして犯罪に巻き込まれてしまったとき、被害を受けた方は援助を求める権利があるということ、そして支援センターだけでなくて、地域社会全体が被害を受けた方にサポーティブで、被害を受けた方が「助けてください」と言う声を上げられる社会であるような啓発を行っていかなければならないと考えています。

 また、私たちの全国組織である全国被害者支援ネットワークという、先ほどもお話があったかと思うのですが、平成10年に設立されています。今では各都道府県、47センターがネットワークに加盟して活動していますが、活動内容が統一されたものではなくて、相談を行う日や時間帯も様々です。ですから、どこにいても、全国同じ条件で、被害を受けた方々の相談に応じられるように、例えば同一の電話番号にできないかとか、相談を受ける日時や時間帯を同じにできないかとか、同じような質の高い支援が受けられるように研修プログラムをきちんとできないかとか、検討しているところです。

 いずれにいたしましても、被害を受けた方が、どこにいても、被害直後から平穏な生活を取り戻すことができるまで、途切れない支援が受けられるような体制が必要だと思っております。

(三木) はい、ありがとうございました。私たち普通の市民にとって、検察庁に行くとか、裁判所に行くなんて、普通あり得ないですね。特に裁判所なんていうのは、普通はなかなかないですね。裁判所から「あなたは犯罪被害者ですから、今度、証人になって来てください」と言われても、まずどこにあるのかわからなかったりしますね。そして、例えば、ここですと、奈良地方裁判所は近鉄奈良駅のすぐそばですから、それはすぐわかったとしても、裁判所の中のどの法廷に行けばよいのかもわからないですね。初めてのことですので、胸はドキドキしますね。

 私も加害者のほうの支援で大阪の高等裁判所に初めて証人として出廷したことがありますけれども、そのときは胸がドキドキしておりまして、大阪高等裁判所といったら地方裁判所と高等裁判所が一緒にあり、大きい建物ですから、一体どこに行ったらいいのかわからない。不安に怯えながら行って、やっと法廷を見つけました。そして、「私、証人として来ました」と言ったら、ここに署名しなさい。その前に、証人として出ますということを弁護士に伝えましたら、裁判所から召喚状というのが来ました。「何月何日、何時にどこそこへ来い。もしも来なければ科料に処す」だったかな。罰金払えということです。こちらはボランティアとして行こうとしているのに、なんという文言かと思いました。

 そして、法廷の中で証人席に立ちまして証言しようとしたら、高等裁判所の裁判官が座っているところは、もう雲の上みたいな感じです。高いところに3人の裁判官が座っておりまして、私を睨みつけるようにして「はい、名前は?」「職業は?」と尋ねるのです。ほんとに怖かったですね、つらかったですね。ですから被害者が証人として出廷して、付添いも誰もいない、知り合いの人も誰もいない。そして、証人として発言し、それに対して、意地の悪い弁護士から言いたくもないことをいろいろ質問されて、そのときにまともに答えられますか。もう、胸ドキドキして、頭は真っ白になってしまいますね。そのときに、そばにそのことについてよく知っている支援員の人がいてくれると、落ち着きますね。

 犯罪被害者支援センターの人が、裁判所に慣れている人が一緒に行ってくれて、「トイレはあそこにありますよ」、「水はここに売っていますよ」、「法廷はここにありますよ」と案内してくれたり、それから法廷で「私はここに座っていますからね」とか、あるいは「裁判所が許してくれたら、証人席のそばにおりますよ」、そう言ってくれたら、ものすごい助かりますね。そんなふうなことを犯罪被害者支援センターがしてくれるようになれば、被害者も少しは楽になるのではないかと思います。

 それはそれとして、もう一度林さんにマイクを振りますけれども、よしむらさんの話の中で、犯罪被害者の権利法というべき犯罪被害者等基本法が制定されて、それから昨年12月から刑事裁判における被害者参加制度や損害賠償命令制度というのが始まりましたけれども、この法律や制度ができたのは、林さんたちのものすごい努力のおかげだと私は思っておりますが、それらについて、簡単に説明していただけますか。

(林) すみません、私、法律家ではございませんのでそれ程詳しくはないのですが、資料をもう一回開けていただけますか。基本法については、成立の過程はお話ししましたので、それはまた後日、皆さん、勉強していただけたらいいと思うのですが、先ほどちょっと説明したのですけれども、裁判官と被告人、傍聴人とか書いてある図のところを開けてもらいますか。どう変わったかということですね。

 2000年まではこの傍聴席にも入れなかった、ということを説明しました。2000年の被害者保護二法以降、ここの傍聴席に被害者が座れると。優先権もいただけるようになりました。

 ここに矢印があります。去年12月1日から施行されたのが、ここの傍聴席に被害者はいたのですけれども、ここの矢印の黒丸のところにおりまして、検察官の隣に座って、検察官ときちんと話しあって、そして被告人に対していろいろな質問ができるようになりました。とりあえず言えば、刑事裁判に参加して在廷する、この中にいる、ということですね。そして、被告人に質問ができるということ。そして、情状証人に対しても質問と、弾劾質問というものができます。最後に、意見陳述というんですか、論告求刑までできるという形の権利を持てたわけです。

 もう一つ、先ほど司会の三木先生から言われたのですが、損害賠償命令制度というのはどういうことかというと、次のページを見てください。刑事裁判が行われた後、これまでの被害者は改めて民事裁判という、民事のところの裁判所に収入印紙やら買って、訴状やら証拠やら揃えて、被告人、犯人に対して金銭的な民事裁判を起こすのですね。でも、そこの裁判所の裁判官は、刑事裁判と全く関係ないから、その人たちはまた一からこの事件は何か、どういうものであったのかということを調べていかなければいけなかった。それがこれまでの制度でした。その判決のお金もほとんどもらえないのが実態なのでした。

 それはおかしいということで、今度の損害賠償命令制度は、刑事裁判の裁判官がそのまま民事裁判をやってくれるんです。判決が出た、そのときから4回以内に結論を出します。要は、刑事裁判で、事件は何かということが刑事と民事でずれたり、ぶれたりしない。そういう制度でありますが、この制度も使うか使わないかは被害者の勝手です。先ほどの被害者参加制度もする、しないは、被害者の随意であります。今言った損害賠償命令制度は、基本的に2,000円でできます。1億円のお金をすると、印紙代をどれだけ払わなければいけないかといったら、60万、70万、そして弁護士さんを雇わなければなりません。そして、証拠を揃えるためのいろいろするんですね。裁判所にある刑事裁判の記録って、1枚50円、コピー代が要るのです。千枚あったら、お金がどのくらいかかるか、ということを考えてもらったらいいですね。1万枚だったら、幾らかかるんですか、コピー代。とてつもないお金が今までかかっていた。それをすっと刑事裁判の後でやるわけですね、2,000円で済みます。

 前は、民事裁判で勝っても、お金はほとんど入ってこなかったわけです。同じことがこの損害賠償命令制度でも予想されるわけですけれども、やはりきちんと加害者の責任というのを、加害者に民事に問うておいて結論が出るということは、被害者にとっては、お金は入らなくても、あとあと生きる糧になるということだと思います。そういうことを支援する方々も応援してくださればいいと。

 先ほど"こころ"という言葉を省いたとおっしゃいました。良いことです。被害者をこれまで二次被害、三次被害していたのは制度がないことでした。経済的な補償制度もなかった、それが一番大きな問題でした。"こころ"で救える話ではありません。困っていることを救う制度がある、財源がある、そういうことが一番大事なのです。明日被害に遭うかわからない会場の皆さん方もそのことを是非心していただけたらありがたいと思っています。

(三木) 今、ありましたように、被害者参加制度というのは、大きいことは、奈良県は小さいから事件を取り調べる検事さんと裁判を担当する検事さんが同一人物かもしれませんが、例えば大阪府など大都市では、たくさんの犯罪が起こります。そうしますと、取り調べる検事さんが直接に被害者に「こういうときにどうなったのか」ということを取り調べますね。検面調書という書類を作ります。そして、裁判所に行きますと、被害者が会っていた検事さんとまた別の検事さんが公判を担当します。裁判所にいる検事さんと検察庁にいる検事さんとは別者なんです。ですから、被害者の人は、今、裁判を担当している検事さんは私の顔を知ってはるのかな、私の悲しみや苦しみを、どれだけわかっているのかな、と思わざるを得ないわけです。

 ところが、今度の被害者参加制度では、検察官の隣に座るわけですので、目の前にちゃんと検事さんがいて、私のこの悲しみや怒りをちゃんと身に感じて、その上で話をしてくださるわけですので、よりわかってくださるという思いが強くなります。そのためにも、私はこれは素晴らしい制度だと思っております。

 それから、林さんから話がありましたように、刑事裁判が終わってから、次に民事裁判を起こそうとすると、高額の費用がいります。ところが今は法律が整備されて、刑事裁判が終わって、それから4回以内に民事裁判の結果が出るということは、それは被害者にとっては大変な苦労の軽減になりますね。だから、いい制度になってきたと思っています。十数年前は、日本の被害者に対する制度は、欧米から20年から30年遅れていると言われていました。それが被害者の人たち、あるいはそれを応援する人たちの声が議員さんや、総理大臣まで動かして、新しい法律ができて、やっと追いついてきました。ただ、まだ被害者を救う民間のボランティア団体は、今、47とおっしゃいましたですけれども、一つひとつはものすごく小さい。それから、財政基盤も非常に弱い。アメリカなどでしたら、1つの交通事故に関する支援団体でも、年間40億円の予算です。寄付と国からお金が出たり、あちこちからお金が集まり40億円の予算で、それを支援する人たちは300万人といます。一つの団体でそうなのです。MADDという飲酒運転に反対する母親の会という一つの団体ですが、それに参加して応援している人たちが300万人いらっしゃいます。私はそこに見学に行きました。「300万人、すごいですね」と言いまして、「そのメンバーはどんな人たちで構成されているんですか」と聞きましたら、「その半分は交通事故の被害者です、酔っぱらい運転の被害者の人です。死んだ人の遺族の人、あるいはその家族の人たち、怪我をした人たち」「あとの半分?」は言いましたら、「まだ被害に遭っていない人」とおっしゃいました。

 先ほどどなたかがおっしゃっていましたけれども、私たちはいつ犯罪に遭うかわからないのが現実です。ですから、犯罪被害者支援といいましても、それはよそごとではなくて、私たち自身のこと、ということですね。その身になって、初めて知って、誰も助けてくれないというのではなくて、その身になれば、ちゃんと周囲の人たち、あるいは警察が、弁護士会が、国が様々な形で支援してくださる、そういう助け合いの精神の満ちた世界になっていくことが必要なのではないか。その一つとして、こういう犯罪被害者の支援というのがあるのではないかと思っています。

 それから最近、犯罪被害者の人たちがどのような立場にいらっしゃるのかについては、いろいろな本が出るようになりました。これもありがたいことです。大きな出版社から手記が出たりしまして、犯罪被害者の人たちがどんなつらい思いをなさっているのか、精神的に、身体的に、経済的に、それから制度上で、法律的に、どれほどつらい思いをなさっているのかが、それらによってやっと伝わってまいりました。だから、犯罪被害者の人たちが声を上げるというのは大切です。しかし、これは本当につらいことで、先ほど岡本真寿美さんが話をしてくださいましたけれども、あの話をしているときに、何度か声を詰まらせておられましたけれども、それは当時のことを思い出すからですね。それは、心理学の用語では"再体験"などと言いますが、その当時の気持ちが蘇ってくる、そのときの悔しさとか、悲しさとか、痛さとか、つらさとか、それらが蘇ってくるものですから、こういう大勢の人の前で話をするというのはとてもつらいことなのですね。それを、勇気を持って話してくださるということは、すごい勇気のいることです。「皆さん、人ごとではないのです。私を見てください。私はこれだけ苦しんだのです。ですから、これからの被害者たちは、自分よりももっといい扱いを、一次被害はもうやむを得なかったとしても、それから後の冷たい対応とか、そういう二次被害をできるだけ少なくしていこうではありませんか」と訴えておられるのです。こうして、被害には遭ったけれども、「人間とは信頼できるものだ、この世の中は信頼できるものだ」ということを感じさせる世の中にみんなの力でしていけたらなと思います。

 ところで、岡本さんにとって、今、困っていることはどんなことでしょうか。あるいは、こんな制度があればいいなというのはどういうことでしょうか。

(岡本) そうですね、経済的補償というのは全くないのですね。今現在でも楽な生活とは言えません。ほんとに厳しい状態で、ハローワークへ行っても、後遺症があることから、面接を受けたときに、「もし後遺症が突然あらわれた場合、どういうふうな対応をしていいかわからないので」ということで駄目になったり、あと保険がないからということで断られ、最終的に「経験がないから」と言われるのですね。経験はその会社でつくっていくものであって、経験は最初は誰しもないことで、そこの会社に入ってからいろいろなことを学ぶわけなんです。皆さんもそうだと思うのですが、最初から何でも知っているわけでも、何でもできるわけでもないのです。会社で経験を重ねていくわけでしょう。

 じゃ、生活保護を切って、仕事をしようといっても、今現在でも、派遣されてしまった場合は、また地獄に突き落とされてしまいます。結局、生活保護を切りました。仕事を始めました。その間、保険がないので、保険を納めます。納めて、派遣されました。終わりです。またゼロです。また奈落の底に突き落とされる。家もなくなる、補償もない。加害者からの補償もない、どこからも支援もない。

 また、補償問題については、全くと言っていいほど何もなく、今現在でも、これからの医療費。自分の体の治療費を払っていかなければいけない屈辱に陥っています。

 そういう部分で、被害に遭わされ、後遺症が残ってしまった被害者についても、「あすの会」の関西集会の幹事である林良平さん、詳しく説明していただけたらと思いまして、私は会員ですので幹事にお願いしたいと思うんですけど、よろしいでしょうか、三木先生。

(三木) 結構ですよ、どうぞ林さん、お願いします。

(林) すみません、突然割り込みで。時間も無いので、本論を言います。今日、私と岡本さん、遺族ではない被害者ですね、うちの妻も生きています。でも、医療費とか、それがどれだけ重い負担をかけているかということを、まず、今日知っていただきました。でも、このまま帰ってもらうと錯覚されたままお帰りになるかもしれない。何かといいますと、昨年7月1日、支援法ができました。これの対象になるかもしれないということです。しかし、それは遡及しないんです。そのことをまずもってご理解いただきたい。基本法ができた、支援法ができた、だから過去の被害者たちも救われたんだなと、そういう錯覚を持って帰ってほしくないんです。遡及していません。

 今、彼女もそういうことです。私の妻もそうだし、現在、借金が1,000万。この犯罪によってそういう形になりました。彼女も金銭的な金額はおっしゃいませんでしたが、同じようなつらい思いをしている。就職もままならない。そういう状況なんです。常々おっしゃっていますが、経済的支援に関する検討会では遡及しないことになりました。その代わりに、過去の被害者は基金をつくって民間の浄財で救いなさい、ということになっているわけです。これが最終取りまとめになりました。

 ここで、僕は言いたい。全国犯罪被害者支援ネットワークというのがあります。今日何回か出てきました。奈良県もそこの傘下団体です。そこが先週、10月29日、自分たちの運営基金までを入れて被害者基金を国に作ってくれということで記者会見をしました。今言いましたように、内閣府におかれた検討会において、最終結論は「過去の被害者に対して民間の基金を立ち上げてこういうことをしなさい」と。その中に、悪いんですけど、こういう民間団体への基金は入っていません。これは別の民間団体の援助に関する検討会で、国による援助の仕方、国のお金の出し方が決まったのです。私はそこの検討委員でした。被害者に対する個人的な支援は、民間団体の資金にはならないんです。

 もう一つ、別のことを言います。犯給法というのが昭和56年にできたと言いました。このとき、やはり遡及しませんでした。その被害者団体は、結局、解散したわけですね。でも、それは非常にかわいそうだということで、当時の警察官の方々がポケットマネーを出し合いまして、犯罪被害救援基金というのをつくってくださいました。これは何かと申しますと、ご遺族の方々の小学生、中学生に対して、奨学資金を出すという形に特化した基金なのです。それが犯罪被害救援基金です。国の総理大臣の認可、文部大臣の認可も受けている団体です。それで、皆さん、ボランティアでやっている。そして、警察の窓口にその募金箱があるわけです。警察が関われるから、詐欺とかいろいろなことはあり得ない。基金に理事としていらっしゃる方々も、ほとんどボランティアですから、お金が要りません。そういう団体が昨年12月に、今まで小・中学生の奨学資金だけだったのだけれども、過去の被害者、去年7月1日にできた以前の被害者に対して、給付金を給付しますと決定された。財源は少ないですよ。ですから、その上限は500万までです。彼女や私たちの家庭をカバーするような金額ではない。でも、出してくれるということはありがたい話ですね。しかし、被害者支援ネットワークの基金構想は、そうした過去の被害者をいかに救っていくかを邪魔することでしかないんです。私はオレンチ(俺ン家)基金と言っているんですけど、自分らの組織の運営資金をつくるために、こういうきちんとした基金の被害者支援事業を邪魔するように、新たな別の基金を国がつくれという運動をこれから5年かけてやるらしいです。無駄ですよ、やめてほしい、被害者の目からして。

 そうでしょう?過去に遡及するかというお願いか、もしくはこの救援基金の財源ですね、今どうも聞くと、年間2,000万くらいしかないようです、被害者に回せるのは。ということは、500万円の人は4人しか救えないですね。ここの金額が増えれば、こうした過去の被害者は救えるわけじゃないですか。そういうことをネットワークは傘下団体に言うべきはずです。全然違う。過去の被害者に「死ね」というような、そういう基金構想で、今、全国展開しようとしている。とてもじゃないけど、私は被害者として許せないと思っています。それだけ言いたくて、ちょっと割り込ませていただきました。

 皆さんにお願いしたいのは、何が被害者を救うか、ということです。できますれば、皆様方にも、去年できた法律が、過去の人に遡及できるように変えてくださいという運動をしてくださるか、救援基金の原資を増やすような募金の活動をしてください。そういうものを展開していただきたい。それが被害者支援をやる団体の、少なくともそれが礼儀ではないかと思うし、国民、社会の皆さん方にも私たちの窮状をわかっていただき、本当にわかりやすい支援の仕方をやってください。どうかお願いしたいということです。

(三木) ありがとうございます。今の話を聞いていて、遡及というのは過去に遡ってという意味ですね。だから、この法律ができるより前に犯罪被害に遭った人たちにもちゃんとした被害者に対するお金を出しましょう、ということが必要だろうと私は思います。それを民間の寄付にだけ頼るというのは大変危ういと思いますので、今みたいに不況になってしまったらお金が集まらなくなってしまうということもありますので、やはり国の法律として過去の犯罪被害者にもちゃんと支給すべきだという法律になることが私は必要だろうと思っています。

 それから、先ほど岡本さんが「仕事がなかなか見つからない」、あるいは「採用してくれない」ということをおっしゃっておられましたけれども、例えば支援センターでは、そういうことについては何か事業をなさっていらっしゃるわけでしょうか、宮代先生。

(宮代) はい、事業というほどではないのですが、今年の2月4日に、犯罪被害者支援企業等連絡協議会というのを立ち上げました。これは、お仕事をしている方が犯罪被害に遭って、会社でもいろいろつらい立場にあってしまう方が多いわけですね。それのきっかけになりましたのが、このようなつどいを平成19年、20年に「県民のつどい」としてやりました。平成19年に開催した折に、福岡県から御手洗恭二さんにおいでいただきました。平成16年に長崎県の小学校で、小学校6年生であったお嬢さんを同級生の女の子に殺されてしまったという悲しい事件だったのですが、御手洗さんは被害当初受けた支援としてとてもありがたかったのは、警察による支援とか弁護士さんによる支援も挙げられたのですが、一番助かったのは会社から、会社の同僚と、家族ぐるみで付き合っている後輩の2人を完全に仕事と切り離して、ほぼ2カ月間、生活のサポートに回してくれたということでした。生活のサポートといいますのは、ご飯炊きとか買い物、掃除というような家事なのですが、そういうことを会社の仕事とは全然別に来ていただいて、一緒に泊まって、生活のサポートをしてくださった、これがとてもありがたかったとおっしゃったのですね。

 平成20年には、オウム真理教による松本サリン事件の被害者の河野義行さんにおいでいただいたのですが、河野さんも会社から受けた支援がとてもありがたかったとおっしゃっていました。会社が全面的に支援してくれまして、「体が良くなったら、いつでも仕事に復帰していいよ」と仕事を保証してくれたとか、有休がある限り、休暇にして有給休暇を取れと言ってくれたので、1年間は仕事に出られなかったけれども休職扱いにしてくれて、さらに1年間出られなくて、初めて退職になったとおっしゃいました。6月の事件だったのですが、7月のボーナスは全額出してくれ、12月のボーナスも1日も出勤していなかったのに全額出してくれて、その上に社長が関係者に呼びかけて、カンパをしてくれて、250万のカンパ金を集めてくれたのですね。何かの足しにしろと家に届けてくれたということです。入社して1年くらいで、会社に貢献度も少なかったのに、会社がこれだけ思いやりのある温かいことをしてくれたということで、本当にありがたかったというふうに話されました。

 この二人の話から、身近な人の支援が何よりも大切だと考えた私たち支援センターは、趣意書を作成いたしまして、いつも協力してくださっている企業や団体に呼びかけをさせていただきました。その中で32の企業や団体の方にご賛同いただけましたので、ご賛同いただいた方々で犯罪被害者支援企業等連絡協議会を立ち上げました。

 活動としてはまだまだですが、企業等の職員や家族の方が犯罪に巻き込まれた場合には、犯罪被害者の現状をよく理解してもらうこと、犯罪被害者に対して有給休暇の優先取得など、企業として可能な支援をしてもらうこと、被害者等に対しては企業と支援センターが連携して支援を行っていくこと、というような取り決めをしております。

 設立の目的を達成するための取組を考えて、本日は協議会に加盟している企業の皆さんにも多数ご参加いただいております。犯罪被害者の方やそのご家族やご遺族が平穏な生活を取り戻すためには、身近な人の温かな支援が何よりも大きな力になるということを考えて、こういうことをさせていただいております。(三木) ありがとうございました。企業の人たちも自分の社員の人たちが犯罪被害に遭った場合にこうしていこうという姿勢を示してくださっているのはありがたいと思います。

 時間はたっぷりあると思っていましたけれども、4時半までにあと2分ほどになってしまいまして、最後に参事官のよしむらさん、まとめの言葉をお願いできますか。

よしむら) 先ほどの三木先生や林さんのお話と重なる部分もあって、屋上屋を架すようなことがあるかもわかりませんけれども、ちょっとご容赦して、お聞きください。

 本日は、長崎県から岡本さん、大阪から林さんにお越しいただき、大変貴重なお話をお伺いしました。警察で被害者支援を担当する者といたしましても、大いに勉強になりました。本当にありがとうございました。

 余談ですが、岡本さんには2年越しのアプローチで、やっと奈良県にお越しいただくことができました。実は、昨年のこの大会を開くに当たり、長崎県警を通じて岡本さんの日程を確認させていただいたところ、確か山形県であったと思うのですが、既に予定が入っていたということで諦めたのですね。岡本さんや林さんのように、一部の被害者の方には多くの被害者のためにいろいろとご活躍いただいております。本当は思い出したくもない話を、このような場でお話しいただく、本当に大変なことだと思っております。被害者の方が声を上げていただき、社会に被害者の現状を訴えていただいたことで、ご自身が受けることができなかった支援制度をつくっていただいたわけであります。先ほど林さんから説明がありましたように、平成16年に犯罪被害者等基本法ができ、この法律を受けて様々な法律や制度が整備され、拡充されてきました。裁判に被害者に参加できるようにもなりました。警察が担当している犯罪被害者等給付金の額も大幅に拡充されました。でも、岡本さんや林さんは、これらの法律や制度の適用を受けることはできません。これから先同じような被害にあった方々のためにご努力、ご活動されてきたわけであります。

 本日の講演会やパネルディスカッションのような場で、被害者やそのご家族あるいはご遺族の方が犯罪被害によって受けられる様々な被害の現状をお話しいただき、被害者の方々の現実を知ることによって、人ごとではなく、身近な問題として捉えることができ、被害者になるとはどういうことなのか、ということをみんなが考えるきっかけになったと思います。そして不幸にして身近な被害者が出た場合には、地域で、あるいは職場で被害者を支えていく、そんな社会が実現できればと思いますし、それ以前に被害者も加害者も出さない、すなわち地域の誰もが犯罪を許さない、犯罪と対決するのだという気運を盛り上げ、犯罪のない安全で安心して暮らせる社会を実現することが大切だと思っております。そのためには、本日、お集まりいただきました皆様方が本日のつどいの中で感じられたことを自分の胸のうちにおさめておかず、ご家族、ご近所や職場の皆さんにお話しいただき、被害者支援の輪を広く広げていただくことを切にお願いしておきます。以上でございます。

(三木) ありがとうございました。まとめをしてくださいましてありがとうございました。

 岡本さんはじめ、パネルディスカッションに参加してくださった皆さん方に心からお礼申し上げます。それから、手話をしてくださっている人、大変だったと思います。私のように、早口でしゃべったり、途中でおかしな言葉になってしまったりして、翻訳するのが大変だったと思います。手も疲れたと思います。よくやってくださいました、ありがとうございました。それから、参加してくださった皆さん、ありがとうございました。ということでおしまいにします。

 それから、紙袋の中に、犯罪被害者週間国民のつどいアンケートが内閣府から出ておりますが、アンケートに答えてくださって、外に収集箱があると思いますので、どうぞせっかく鉛筆まで付けてありますので、書いて出してくださると大変ありがたいです。よろしくお願いします。

 では、これでおしまいにします。どうもありがとうございました。

>資料:犯罪被害者への途切れない支援のために1 [PDF:424]

>資料:犯罪被害者への途切れない支援のために2 [PDF:328]

 

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