浜松大会:パネルディスカッション

 
テーマ:「犯罪被害者の望む途切れない支援について」
コーディネーター:
 白井孝一(弁護士・NPO法人静岡犯罪被害者支援センター 副理事長)
パネリスト:
 清澤郁子(浜松自助グループ会員)
 鳥居光子(NPO法人静岡犯罪被害者支援センター犯罪被害相談員)
 白川美也子(国立精神神経センター治験管理室臨床研究基盤研究員)
 二宮貴至(医師・浜松市精神保健福祉センター所長)
 福田幹男(浜松市役所生活文化部部長)

白井:皆さん、こんにちは。先ほどの岡村先生のお話を受けまして、本当にこの静岡県で真心のこもった支援の体制を作っていくにはどうしたらいいのか、被害者の方々の要求にマッチした体制をどのように作っていくかということについて、これからしばらくの間討論いたしますので、お付き合いをいただきたいと思います。パネラーの方々のご紹介をしなければいけないんですけども、時間が大切ですので、それぞれの発言の中で、それぞれの方々がどのような立場で、どのような活動をなさっているのかということを含めてお話しいただくようにして、早速ディスカッションに入っていきたいと思います。

 先ほどの岡村先生のお話にありましたように、現在では犯罪被害者等基本法というものが制定されまして、そしてその法律に基づいて、被害者の方々のためのいろいろな施策、全部で258項目につきまして定められています。それが着々といろいろな省庁とか自治体などによって実現されつつあるということなんですけれども。それをちょっと、そのように言われただけではなかなか分かりにくいと思いましたので、私のほうで今日、袋の中に資料として、こういうイメージ図を、258項目いろんなところでいろんな施策を作るということで、大雑把なものでございますが、いろんな分野でそれを作り上げていきますが、肝心のそれが被害者の方々にとって本当に役に立つものにしていくかどうかという、また使い勝手のいいものにするかどうかは、それぞれがうまく連携を取って総合的に被害者の方々に役立つものにならなければならない。その中心となるのが、日ごろ市民の皆さんがしょっちゅう出入りしている市町村、あるいは県のほうが、総合的にその体制を、窓口を作ってやってくださいよということになっているわけなんです。そういうことで、今日のこれからのお話について、そのことを念頭に置いてお聞きいただければというふうに思います。

 最初に清澤さん、被害者の立場からということで、ご自身の経験なども踏まえて、ご発言いただきたいと思います。

清澤:はい。ただいま紹介にあずかりました、交通犯罪被害者遺族の清澤と申します。先ほど岡村先生のお話を聞かせていただきまして、今からお話しする前にやっぱり一つ言っておかなければいけないことがあると思いまして、私は交通犯罪被害者遺族です。

 加害者は無車検・無保険でしたので、任意保険は出ませんでした。しかし息子が、加害者が無車検・無保険の場合の保険に入っていたので、私はほかの交通犯罪被害者遺族と同じ程度の保険をいただくことができました。その基盤があってのこれから私のお話しする、立ち直っていく過程ですので、もしこれが先ほど岡村先生がお話しされたように、秋葉原の殺傷事件もそうですけども、そのような賠償金がないところでの、じゃあ、私がこの7年間活動できたかと言ったらできません。これからお話しする中にも、心理学の本を読みあさったというところも出てきますけども、それらは1冊2,000、3,000円するする本ですが、何十冊と私は買って読みました。これも息子が残してくれた賠償金があったからこそ、お金に惜しめをつけないで購入することができました。犯罪被害者遺族は、交通犯罪被害者遺族は賠償金をもらっても、世間体を気にして使えない人がいっぱいいます。私は賠償金を立ち直るためのお金だと、私は割り切って息子の残してくれたお金を使わせていただきました。その前提のもとに、私の活動、および立ち直りの過程を聞いていただきたいと思います。

 事故当時高校2年、17歳の長男を失ってから8年が過ぎました。息子が存在しないこの世で、遺族としての立ち直りの中で見えてきたことは、同時に人間が生きるとはどういうことなのかの意味を見出す結果ともなりました。事故直後、私は息子を守れなかったという自責の念と、刑事裁判を通してとことん社会に裏切られたという思いでいっぱいでした。息子の自由を奪ってでも社会への適用を強いた私に、息子があの世から「お母さんが信じてきた社会はこんなもんなんだよ」と、現実を突きつけられたようでした。平成12年8月1日、息子は高校の友人とその父親と3人で、2週間のツーリングの予定で北海道へと向かいました。その事故は北海道へ入り6日目、友人の父親と離れ、友人と2人で道東へ向かう国道39号線、層雲峡の手前で起きました。事故直後、私は事故の詳細も加害者のことも一切知らされておらず、これは運命、個人の問題である。同時に、中途半端な同情やアドバイスは、かえって私が翻弄されて自分を見失うだけ。最後は自分、自分で乗り越えるしかないと自分に言い聞かせていました。

 しかし、刑事裁判で知った事故の詳細は、ひき逃げ、居眠り、無免許、無車検、無保険、逃走中の窃盗、ほかに負傷者が2名、加害者の前科は14犯、無免許運転刑罰歴5回、自動車運転免許証は取得経験なし、覚せい剤取締法違反5回、17歳の保護観察処分に始まって服役生活7回。この加害者にとって刑事罰が犯罪抑止にはなっていない、服役生活が更生につながっていないことは明白でした。その悪質さから、今度ばかりは司法もこの加害者に厳しい判決を下すだろうと信じていました。ましてや現地の関係者までもが6年の求刑に、この加害者は更生をしないと言っているのだから、今度ばかりは厳しい判決が出るだろうと思っていました。しかし、科せられた判決は懲役4年6か月。その判決を機にさすがの私もこれは運命ではない、個人の問題ではない、社会問題であると意識を変えました。それまでなんとかぎりぎりのところで自分を保っていた私も、もう限界でした。この怒りは私一人では抱えきれない、抱えるべきではないと、偶然、判決の日の朝刊に出ていた被害者支援都民センターに連絡を取り、自助グループに入れていただきました。

 加害者が量刑不服で最高裁まで上告した1年に及ぶ刑事裁判は、自助グループに参加していたとは言え、相手が刑務所を7回も出入りし、知恵をつけている加害者だけに、あまりにも過酷なことの連続でした。ましてや、私の友人や知人たちに話をしたところで、その裁判のあまりの理不尽さに、慰めどころか、私にかける言葉は当時失っていました。ただ、そのころ私は、息子を失った悲しみだけではなく、裁判を通してさらに痛めつけられているという状況に置かれながら、日常生活の家事一切は遺族になる前とほとんど変わらずにこなせていました。それは被害者遺族が周囲に理解されにくい、事件直後から始まる感覚麻痺の一つの症状でした。刑事裁判は加害者側の上告棄却で4年6か月の判決が確定いたしました。それらは被害者遺族にとって結果ではありません。それらは被害者遺族が真実を知り、現実を受け入れ、立ち直っていくための重要なプロセスであり、そこからが死んでしまえるものなら死んでしまいたい、狂えるものなら狂ったほうが楽と、叫ぶほどの新たな地獄の苦しみの始まりでした。

 息子を失ってから私の内的時間は止まったまま。それでも全国を飛び回って活動を精力的に行わないではいられない自分。体に負担をかけすぎではないのかと健康診断に行けば、どこも異常なしどころか、すべての項目の判定はオールA。病んだ心と肉体のバランスの悪さは日を追うごとに増していきました。しかし、当時の私にはそれが何であるのかを考える余裕はありませんでした。今となれば、その余裕のなさが正常ではなく、自己不在に陥らせる自己否定と無力感、罪責感から来る焦りは、被害者遺族の心の傷の深さのバロメーターだと今では思っています。同じ被害者遺族であっても、その症状の現れ方は違います。それでも確実に言えることは、心の傷の深さは外からは見えないだけではなく、当事者本人にも自覚しにくいものであること。被害に遭った直後からの適切なケアや、健全な人間関係に恵まれなければ、犯罪被害があまりにも突然で周囲から理解されにくい出来事だけに、当事者本人の自己防衛が現実を受け止めることにブレーキをかけてしまいます。

 そのトラウマは後々、社会生活を送っていく上で、不適切な思考パターンを作り出し、固定化されてしまうことに私は危機感を抱いています。それらは虐待やDV、いじめによる被害者の心の傷と共通するものがあるでしょう。私自身も遺族になって2年を過ぎたころより、ささいなことに過剰反応を起こし、コントロールできない自分の感情や、うつとも言えるさまざまな症状に悩まされるようになりました。このまま私は廃人になってしまうのだろうか。先の見えない、それまでには経験したことのない長期にわたる私の状況が、それまでじっと我慢をし続けてきたであろう次男からの厳しい叱責となって現れました。「あんたを見ていると毎日いらいらするんだよ」「なんで前はできていたことが今になってできないんだ!?」思いっきり肩を小突かれ、私は転げ倒れていました。返す言葉はありません。私自身がこの状態に一番困惑をし、何が私の中で起きているのかが分からなかったのですから。それは長男をなくして3年を迎えるころの出来事でした。私も沈黙を続けることで、その場をその程度で収めることができましたが、これが主人や舅、姑からの厳しい言葉だったら、私はどう受け止め、どう反応していたことでしょうか。

 そのころになると、私の状況とは裏腹に、周囲の方々はもう立ち直っただろうと、笑って手を振って声をかけるようにもなってきました。私に大きな転機が訪れたのは、4年を過ぎたころのほかの遺族たちとのニューヨーク旅行。罪の償いとばかりに自分に大きな負荷を与え続けてきた自分をあえて許し、その旅行を心から楽しみました。ニューヨークの摩天楼の夜景は心を震わせるほど美しく、私のそれまでのかたくなになっていた心を解きほぐし、それまで止まっていた時間を私の胸の奥でぎこちないながらも動かしました。それは同時に、それまで17歳のまま成長が止まっていた亡くなった長男をも成長させ、その時より外界の時間の流れとともに息子は成長し続けています。その出来事がどれほど私に救いを与えたことでしょうか。改めて内的時間と外的時間との分離が、どれほど苦しいものであったかを再認識いたしました。その出来事は、罪責感から生じる衝動となっていった外向きのエネルギーを、今度は自分をいたわるためのエネルギーとして変えていく機会となりました。

 しかし5年後、加害者の出所を迎え、私はそのことによって心の動揺が極力少なくなるように心の準備はしてきたつもりでしたが、加害者出所通知の紙切れは、被害者支援都民センターやその関係者もあ然としてしまうほど、私を動揺させました。加害者の刑罰が解け、加害者が加害者でなくなる。同時にそれは息子が被害者ではなくなり、被害者でない息子のこの世での存在証明は…。それなりの日常生活を取り戻してきた私でしたが、現実を受け止めていない自分がいました。それは息子の事故現場である北海道へ何度行っても感じていたものと同じでした。現実を受け止めるということが、一体どのような心境になることなのか。

 そのころより都民センターのスタッフのアドバイスを受け、薦められた心理学の本に始まり、私は手当たり次第、あらゆる心の問題に関する本を読みあさりました。遺族系の本はそれまでにも読んでいましたが、悲嘆に準じるものが多く、その立ち直りは私には気休めじみたものにしか思えませんでした。実際の立ち直りに役立つ本は、それらの本の中には皆無と言っても過言ではありませんでした。心の傷という視点で違った角度から自分の心を分析し、私の中で意識を前に向かわせないトラウマを見つけ出し、その修復を自分自身で行う作業は、莫大な精神力と時間を必要とする大変な作業となりました。それでもそれらを発見し、解消することができたときは、被害者遺族の重い鎧を一つ一つ脱ぎ捨てていくそう快さがありました。その作業の過程で私の大きな助けとなったのは、その意識の変化の過程を肯定し、支えてくださった被害者支援都民センターのスタッフの存在が大きいものでした。

 今年の1月、毎年行っている東京拘置所での受刑者向けの講演原稿から私は、一生抱えていくと思い込んでいた、もしあのとき息子を北海道に行かせていなければ、もしあのときに息子があの加害者と遭遇していなければ、もし、もし、という箇所を全部削除している私がいました。何度も何度も削除した自分の気持ちを確かめました。それは過去において、「もし何々ならば」はない。現在がすべてであり、そう思えること、それが現実を受け止めるということだ。それを目に見える形を通して実感できた事は、私にとって大きな収穫でした。6年目の命日に北海道の事故現場で心を込めて息子を供養したいと手を合わすことができたのも、7年目の命日には胸のつかえが取れて心が軽くなっていたのも、すべて私が現実を受け止めたからだ。決してこれは亡くなった息子のことを忘れることではありません。肉体をまとった息子をずっと追い求めていた私はもういません。むしろ息子の存在が以前より大きなものになり、私の中でゆるぎない位置を占めるその確かな存在感は、私にいつも安定感を与え続けてくれています。

 7年、世の中のどれほどの方々が、犯罪被害者遺族が、これほどの格闘と時間の経過を経て自分自身を取り戻すかを想像できるでしょうか。私のような早い立ち直りのケースはまれと言ってもいいでしょう。加害者はとっくに出所をしています。ほとんどの交通や少年犯罪の加害者は、もっと短期な刑罰で出所をしています。それらに反して加害者から何の謝罪もないまま、心の整理をつけられず、何も支援を受けられずに放置されたままの犯罪被害者遺族が、全国にはたくさんいます。

 先ほども言いましたが、一番怖いのは犯罪被害者遺族の抑圧された感情が固定化され、その不健全な精神状態が体の一部として日常のものとなってしまうことではないでしょうか。これからの人生のほうが長く、生きていく上で多くの人たちとかかわり合い、家庭を築き、日本の未来と繁栄を育んでいく子供たちであったのなら、なおさらのことでしょう。犯罪被害者遺族の支援にとって、その行政窓口はもちろん、必に応じて医療従事者、福祉、教育関係者、あらゆる関係機関による連帯と援助は必須です。以上です。

白井:どうもありがとうございました。次に、NPO法人静岡犯罪被害者支援センターで、日ごろ犯罪被害者の方々への支援活動に携わっておられる鳥居さんから、その静岡犯罪被害者支援センターというのはどういう活動をしておられるのかというようなことについて、ご発言いただきたいと思います。

鳥居:静岡犯罪被害者支援センターの鳥居でございます。それなりに年は取っておりますけれども、支援センターに入ってから2年半、まだ新米支援員でございます。よろしくお願いいたします。

 静岡犯罪被害者支援センターは、犯罪被害者等の精神的被害の軽減を図ることを目的にいたしまして、平成10年5月18日に設立されました。その後3年間の活動実績を踏まえまして、この種団体といたしましては、全国初のNPO法人格を取得いたしました。事業内容も電話、面接相談を含めた相談業務の充実、平成15年からは、直接的支援活動を主軸に加え、さらに平成17年からは犯罪被害者遺族の集まりである自助グループとも連携を強化しております。このような実績とさらなる支援活動の充実、強化のために、平成19年9月27日に静岡県公安委員会から犯罪被害者等早期援助団体に指定され、現在に至っております。

 次に支援センターの業務内容について、お話しいたします。犯罪被害は先ほど来、岡村先生、清澤さんのほうからもお話がありましたように突然に発生し、被害者の時の流れと人生の連続性は断ち切られてしまいます。その上、耐え難い苦痛が惹起され、ショック状態が続き心身ともに変調を来たすことが多々あります。被害者のご遺族は、突然の出来事のためにパニック状態に陥ってしまいます。そのような状態の中で、法律的なことや今後どうなるのか情報が欲しい、だれかに自分の気持ちを聞いてほしい、受け止めてほしいなどと思われる方のために、電話相談や法律相談、カウンセリングなどの業務を実施しております。

 2番目といたしましては、直接的支援でございます。この直接的支援なくしては、私どもの犯罪被害者支援センターの存在意義はないと思っております。直接的支援をするに当たりましては、まず大半は警察からの情報提供により実施しております。そして、被害者およびご遺族と私どもセンターとで、どのような支援が適切なのか、これを検討し、これでよしとなれば、支援チームを結成し支援活動に入ります。また、警察を介さずに直接支援センターに要請のあるときには、警察と連携を取りながら、支援を実施しております。

 この直接支援の内容はと申しますと、お手元のパンフにありますように付き添い支援、これがやはり重要な位置を占めております。特に警察、裁判所や検察庁の付き添い支援や、これら司法関係機関との連絡調整。被害者等は不慣れな刑事司法機関に、不安と緊張を覚えております。警察にも、免許更新以外にはちょっと入ったことがないからっていう方たちが大半を占めてらっしゃるのではないかと思います。その精神的負担の軽減を図るために、付き添い支援を実施しております。特に被疑者が起訴され裁判が始まりますと、優先傍聴席の確保、体調の変化等、緊急時の即応体制。そして、被告人や被告人の関係者と鉢合せをしないような控室の申し入れ、報道対応など、裁判所や検察官と綿密な打ち合わせをして実施しております。それから公務所、病院等への付き添い。特にPTSDに悩んでいらっしゃる被害者等には、精神的に不安となって一人で病院や役所などに行くことができないような状態にあります。そのようなとき要請があれば、私どもが付き添ってまいります。

 これらの支援は、単一ではなくて、被害者との数回の打ち合わせ、関係機関への付き添い、検察庁、裁判所との連絡調整、裁判傍聴や法廷の付き添い支援、結審後のフォローアップ等、トータル的な支援が主体となっております。このほかにも日常生活への生活支援、それから緊急時の対応等をやっております。さらに、犯罪被害者のご遺族の集まり、清澤さんのような浜松の自助会とも連携を強化して、命を学ぶ教室、学校でやっておりますけれど、その命を学ぶ教室への講師の派遣や、それから、お手元にお配りしてあります『みかんのはな』の発行など、広報啓発活動にも、これも私どもが行っております。

 さて、次に本日のテーマの後段、犯罪被害者が求める途切れない支援のためにどういうふうにしたら、どういうような方法をもって、これから対応していったらいいだろうなと考えました。結論から申し上げます。犯罪被害者等の求める支援に的確にこたえるためには、行政を含めた関係機関、団体の有機的な連携が必要不可欠と考えます。被害者支援とは、私は生活再建支援だと思います。しかも、それは総合的に行われなくてはならない。そういうふうに考えますと、当支援センターだけでは絶対に不可能です。基本法で示されたように、犯罪被害者が再び平穏な生活を取り戻すには、事件直後から中・長期的な支援が必要です。そのニーズに応じた支援を途切れなく受けられる体制作りや、その支援をどの機関、どの団体を起点としても受理可能なネットワークを構築する、これが必要である。このことは、私は支援を実施していけばいくほど、痛切に感じております。

 特に福祉、医療行政をはじめとする行政機関の、本来ならば見える支援であるはずの支援が全く見えてこない。各地に、被害者支援連絡協議会等が組織化されまして、犯罪被害者支援に関係する団体が網羅されております。それらの機関、団体のやはり意識、取り組みに非常に温度差があるために、共通認識に欠け、必ずしも有機的な連携が図られてるとは言いがたい、そういうふうな現状にあります。このように、協議会等が形骸化されているような状態であれば、役割、機能、そして連携方策が非常に不明確であります。初期の目的達成には程遠い。

 それと、被害者等が置かれている状況やニーズ、先ほど清澤さんからも岡村先生のほうからありましたけれども、個々によって異なりまして、また時間の経過とともに、直面する問題はさまざまに変化しております。そうですね。被害者等には待ち時間、猶予は全くありません。次から次へと問題が迫ってまいります。私の得意な「ちょっと待って」なんて言っている場合はありません。そのためにも関係機関、団体との連携は、強固なものでなくてはならない。早急にその方策が講じられなければならないと思っております。これをなんとか、現状を打開するために、機関、団体の実務担当者による定例会。これは定例会でも勉強会でも「あっそう会」でもいいです。これを開催して、実践を通して実務者の専門性を向上させるとともに、実務者レベルでの関係機関、団体の連携の強化が急務ではないかなと思っております。そうすれば当面、犯罪被害者等が制度や組織の谷間に陥ることのないように、適切な人と人とでもって橋渡しができるんじゃないかなと思っております。しかし、人と人との橋渡しでなく、これは将来的には組織から組織への橋渡しでなければ長続きしない、途切れない支援はできないと思っております。

 最後に、被害者等の支援関連の法制度が非常に、岡村先生、白井先生のおかげで整備されてまいりました。さらにまた増えてまいりました。いろいろなニーズに対応できるということであり、それと同時に、私ども支援者はこの人にとってどの制度を使うのがいいのか、どれは差し控えたほうがいいのかと、被害者の方々の意向を考慮しなければならない時期に突入しております。それと同時に支援者のランクアップも求められていることは、明々白々です。法に温もりを与え、法を生かして使い、犯罪被害者等の望む途切れない支援。これを実践するためには、やはりさまざまな制度や機関、人材をそろえていて、すでに存在している行政のパワーが今こそ必要ではないかと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

白井:
どうもありがとうございました。今日初めてお見えになった方もいると思うんですけど、先ほど一番最初に発言された清澤さんが、自分の支えに、本当に東京都民センターのスタッフの方々に支えてもらったって発言ありましたよね。それと同じように静岡県にも犯罪被害者の支援センターというのがあって、同じような活動をしているというのを今、鳥居さんから発言していただいたものです。

 この図の中で、被害者の方が市役所に行こうと思っても、裁判所に行こうと思っても、いろんなところへ行こうと思っても、先ほど岡村先生がおっしゃったように、いきなり雷(いかずち)が落ちてきたような感じがして、何がなんだか分からなくなってしまうという状態がずっと続いてしまうと。それは清澤さんのほうのお話で分かったと思うんですけど、そういうときに一人で市役所へ行くといっても行けないし、裁判所へも行けない。そういうときに今言った都民センターの方とか静岡のNPOの支援センターの方が一緒に付き添って、いろいろ支援をしていると、そういうことでございます。

 次に白川先生。白川先生はもうずっと静岡の支援センター発足当時から浜松において性被害の被害者はじめ、被害者の方々の支援をずっとしてくださっていたわけなんですが、本当に今日、東京へ移られて残念なんですけれども、先生のご経験の中から被害者の心の傷というのはどんな状態なのか、また何が必要なのかというあたりを、先生のご経験からぜひご発言いただきたいと思います。

白川:皆様、こんにちは。今年で20年目になる精神科医です。白川と申します。今日は、私が病院で一般の精神疾患、統合失調症とかうつ病の方を診ているような状況から、犯罪被害者支援と出会ったのは、まさに警察の被害者対策との出会いでございました。以降、警察とともに歩んでまいりました精神科医の立場から見た心のケアの問題を、事例とともにお話ししていきたいと思います。

 1997年でした。警察、警察庁から全県警に犯罪被害者支援対策をするような指令がありまして、その流れの中で浜松医科大学の森則夫教授から、犯罪被害者対策支援アドバイザーという任務を拝命いたしました。当時、心的外傷後ストレス障害すなわちPTSDですね、そのPTSDを診たことがあるという方が周囲におりませんでしたので、97年の年末から東京医科歯科大学の犯罪被害者支援室の小西先生の率いるPTSD研究会に参加し始めて、勉強いたしました。

 少しずつケースが送られてきましたけれども、最初のケースは実は東京の犯罪被害者支援センターからの紹介でした。静岡県の中にネットワークがいかになかったかということを考えさせられます。若いレイプの急性期の被害者ですけれども、初めてお迎えするときに微笑んでいいのか、どういう表情を作っていいのか、私自身も大変緊張した状態であったことを思い出します。EMDRという特殊技法を用いて、見事に回復されました。

 警察との仕事ということですけれども、当初はまず、警察職員の方の心のケアから入ろうと思いました。通常の人が出会わないようなさまざまな犯罪被害に遭遇していて最初は「大丈夫だ」って仰っているんですけれども、親しくなるといろんなことを話してくださいます。代理受傷と言いますが、例えば子どもの殺人事件を扱った方が、自分の子どものことが無性に心配になるとか、DVを扱った方が結婚や恋愛関係にいろいろな問題が生じるとか、警察官も非常に大変なのだということが分かりました。

 当時、一番問題だったのが、性暴力を扱う女性警察官の心のケアでした。講義をした後に、女性警察官が私のところにたくさん来て、お話しをしてくださるんですね。警察という非常に男性的な社会の中で女性の心の傷に向かい合う時に、話を聞くだけで傷ついてしまったり、密室で起きる犯罪である性暴力被害者に対して、被害救済がなされないことで女性が傷ついてしまう。上司などの些細な言葉や心ない言葉で支援者が傷ついてしまうというケースに当時はよく遭遇しました。

 当時はまだどうやって被害者と出会えるか模索するために、警察が窓口になって相談会を何度か催しました。「レディース相談会」という名前だったんですけど、被害に遭った後の女性を募って相談をいたしました。被害者のご遺族の方が、精神的変調が自然なことなんだと説明するだけで楽になってくださったりとか、1歳半のお子さんが被害に遭われて非常に大変な状態になられまして、半年後にそのプレイセラピーを、今あざれあの保育室を借りて、1回のプレイセラピーで非常によくなっていただいたことなど印象的です。先ほど鳥居さんがおっしゃいましたけれども、98年に基礎ができていた支援センターが、当初、相談電話は「浜松いのちの電話」が受けており、次第に拡充してまいりまして、現在拠点は静岡に移っておりますけれども、ボランティアの育成や官民連携の見事な流れとなっていると私は思います。

 被害者の家族も傷ついております。家庭の中での殺人で被害者遺族であり、加害者の家族となってしまった方の治療が忘れがたいです。遺族の問題は重く、グループなどの運営も深い知識と経験が必要です。浜松市でも取り組みたかったのですが、庁内連絡協議会を結成するところまでで精一杯で、最後までお力になれなかったことを残念に思っております。今後は、浜松市の精神保健福祉センターができたことで、精神科医であるお隣にいらっしゃる二宮先生を地域精神保健活動のリーダーとして、大学や病院、クリニックなどの連携、保健所やその他の支所の保健師と共に協働できる体制の中で、暮らしのセンターを窓口として、様々なオプションが用意されていくことを期待しております。なお、最初のころは警察に対する苦情を被害者から聞くことがありましたけれども、次第にそういうことはなくなってきました。これは被害者対策の顕著な表れであろうと思います。ひまわり窓口の方や、被害者専科の講義をすることがありましたけれども、窓口や相談担当の方がどれだけ誠実に事に当たろうとしているかということには、しばしば深く感動を覚えました。

 また、法律に関しても司法修習生や家庭裁判所職員、裁判所裁判官の方々の講義を担当させていただくこともありましたが、まだ法律の領域においては、白井弁護士を始めとするような方以外には、被害者の精神症状などは理解され始めたばかりだと思います。先に申し述べたとおり、私も最初は初心者でした。勉強しなければ過ちをたくさん冒したと思います。さらに他領域にわたって知識と理解が広がっていくと思います。

 実際に私が診察するケースは、警察以外からの方が多かったです。4分の3くらいが警察以外の方で、当初は東京からでしたけれども、次第にネットワークが広がるに連れて地域から紹介されてくるようになりました。DVの被害者などでも、当時はまだ民事不介入の色合いが濃かったんですけれども、今、ベランダから突き落とされそうだと電話がかかってきたりとか、海に飛び込んで自殺行為を図るなどの激しいケースが多かったです。そして、それらの半数に、児童期や思春期の性虐待や性暴力の被害があることが印象的でした。DVを受けてPTSDを呈する女性の紹介患者の中で、その子どもたちもトラウマ症状を呈しており、虐待を受けた子供を含めて、児童精神科医である私の大きなテーマとなって現在に至っております。次第に生活安全課を中心にこのような難しい問題にも取り組んでいただけるようになり、児童相談所や家庭相談センター、女性センター、婦人保護施設、母子生活支援施設などの連携が生まれたことも非常に嬉しく思っております。

 県内在住であるのに、他県から紹介されてきたという非常に重篤なケースを、白井弁護士とともにチームを組んで支援する体験をしました。その方は非常なる誤解を受けて告訴が棄却されてしまったんですけれども、法的支援の中で白井先生方に丁寧に接していただくことの中で、被害回復は法的にはできないながら、精神的には大変回復してくださいました。

 忘れられないのは、ある大きな組織の中での性暴力被害で、隠蔽と加害者からの口止めのために被害者は何も言えずにひどい症状を呈しておりまして、初めて会ったときには食事も取れず、目が全く見えない心因性の視力障害がある状態での出会いでした。いくつもの山を越え、長年に渡る治療で回復しているということが心強いです。

 このような方の弁護の中で、また日本の性暴力被害者支援で弁護ネットワークの角田由紀子さんという弁護士と知り合いました。角田弁護士との連携のなかでも、訴訟を抱えた様々な性暴力被害をうけたケースの治療に取り組む機会をえました。また、少年の犯罪の事例もあり、同級生から暴力被害を受けてPTSDを呈した少年の支援では、何が加害なのか、何が被害なのかということについて、深く考えさせられました。また、そういうことを通して県外で子供をいじめ自殺で亡くした遺族の方たちに出会う機会もございました。このように、支援を通じて出会った支援者から、また被害者を紹介されるというようにネットワークが広がっていきました。

 このような活動の中から、次第に行政的な取り組みの必要を感じるようになりました。森教授にお願いいたしまして、2006年に浜松市に入り、2007年に浜松精神保健福祉センターの所長となりましたが、浜松市に入って一番最初にしたことが、当時、犯罪被害者の窓口を全国の自治体のなかで初めて設けた杉並区に電話することだったんですね。当時2006年には、「まだ条例ができただけで、実質的な相談はそれほど多くないです」と、窓口の方は仰ったんですけれども、先ほど伺ったように小さな種から大きな芽が育っていることを、とても感慨深く聞きました。

 お手元にこのようなパンフレットがあると思います。これは、被害に遭われた方にといって、浜松市の精神保健福祉センターとして作った被害者のためのパンフレットでございます。2006年の冬に静岡県警のほうで、もう配ってくださるというふうに確約を得ておりましたにも関わらず、諸事情のなかで遅延があり、今年の春にやっと刷ることができました。DVや犯罪被害など、トラウマに関する専門的支援について勉強しているスタッフが精神保健福祉センターにはおりますので、ぜひご利用いただければと思います。

 被害者対策に関わって思ったのは、支援のために、今まではバラバラであった様々な機関が連携していくことが非常に重要であるということでした。私は常にこのような会にまいりますと、「官、民、専門職からボランティアまでの有機的な連携を目指して」という言葉を述べてきましたが、そのことを身をもって体験できたことに深く感謝しております。

 また、ここの場にご遺族、被害者の方がもしおられましたら、どうかご自身を労わられてください。PTSDというのはストレス障害なんですけれども、それとは別に「ポストトラウマティック・グロウス」という概念がございます。直訳すればトラウマ後の成長という言葉なんですけれども、提唱者によれば、それは単に決してトラウマを乗り越えて単純にハッピーになるというものではもちろんなく、闇が深いからこそ、苦痛が深いからこそ、そこに一条の光が見えるような、そのようなものだというふうに伺っております。ここに岡村様、清澤様のお話を聞き、この「ポストトラウマティック・グロウス」ということについて深く考えておりましたし、これらの苦渋を越えて輝く変化が、一人だけでは成し遂げられない、たくさんの方たちの繋がりの中で成し遂げられたものであるということを、深く心に刻みたいと思います。私の話は以上です。ご清聴ありがとうございました。

白井:続いて二宮先生、浜松市の精神保健福祉センターの所長というお立場から、お話をいただきたいと思います。

二宮:浜松市の精神保健福祉センターの所長の二宮です。よろしくお願いいたします。まず、浜松市の精神保健福祉センターは、隣にいらっしゃる白川先生が初代の所長でいらっしゃるんですけれども、ずっと犯罪被害者に対する支援っていうものを行っておられまして、そこからまたバトンを、大きなバトンを渡されたというふうに思っております。

 まず、浜松市の精神保健福祉センターの役割なんですけれども、精神保健福祉センターというのは、精神保健福祉法の中に、県とそれから政令市に必ず置くということで決められておりまして、その中で平成18年、政令市移行に伴い、設置をされるということで、19年から始まっております。その中では、精神障害者の利益、それから権利を守るような、そういう事業をしています。例えば、精神障害者手帳を発行したり、あるいは自立支援医療というものを判定して、受けられるような形にしたり、それから入院中の患者さんの人権にしっかりと配慮しているような、その医療の適正さを見ていくというものを、一つの仕事にしています。

 それからもう一つは、心の病気についての普及、啓発。やはりいろいろな心の悩みの形について、知られていないものが多い。犯罪被害者の心の支援というものも、その中に含まれるんですけれども、そういうものについて広く普及、啓発をしていく。そしてその中で、やはり直接的な支援、間接的な支援をしていく。相談、それからできれば治療という形をしていく。あるいはその周りで働いていらっしゃる方々には、技術支援という形で、いろいろな状況についてアドバイスをしたり、一緒に協働をしたりということをしていきます。

 それからもう一つは、関係機関との連携をしていく中で、専門的な立場で意見を言っていくということをしていき、市民のための行政の動きを整えていく動きをしています。犯罪被害者の方々に対する支援の中で、行政の中では直接的な支援として、相談をしているんですけれども、今治療ということに関しては、少し浜松市の精神保健福祉センターは制限がありまして、医療的支援をするための努力を、いろいろな関係各位と、今日来られている犯罪被害者支援センターの理事である森教授、それから、そこからまたその市長のほうにも意見を言っていただいて、そのような医療がきっちり行えるような環境にしていくという状況に今あります。

 それから、その連携の中で、一応市の中では、犯罪被害者連携会議というものをやっていますけれども、それを非常に実のあるものにしていくための意見も言っていくような形にしていきたいと思っています。どうしても行政の中では、犯罪被害者の実態というものが見えていかないというところがあります。白川先生、あるいは清澤さん、非常に具体的なかかわり、それから当事者としての経験、そういうものがやはり、岡村先生が言われたように、真心のある支援をしていくためには、絶対に必要なんですね。モチベーションを維持していく、そのためにはやはりその実態を知って、どういうところで悩んでいたり、あるいはどういう支援を実際に求められているか、そういうところがやはり行政の中ではなかなか見えていずに、イメージができない。だからアクションに、行動につながっていかない。そういうような面があると思います。

 ですからやはり行政の中で、しっかりとそのような一つ一つのケースを提示していき、あるいは協力を、関係を作っていく中で、情報を集めて、しっかりとイメージを持って、真心を持った支援につなげていけるようにと思っております。以上です。

白井:どうも、ありがとうございました。そうすると、精神保健センターって、僕もよく知らなかったんですけど、直接、例えば「こういう被害者の方があって、こういうふうにカウンセリングを受けたいんだけれども」とか、そういう方に直接治療やカウンセリングを施すというよりも、そういうことを関係する機関に、アドバイスをしたり指導したりと、そういう役割とっていうことで。

二宮:両方兼ね備えています。

白井:そうなんですか。

二宮:もちろんその被害者の方が訪れれば、そのときに必要な即時の支援というものをしていける。

白井:それもやっていただける。

二宮:はい、もちろん直接的な支援をしています。その相談業務の中にも、そこは位置づけられていますので。

白井:ああ、そうですか、はい。分かりました。

 それでは最後、お待たせして申し訳ありませんでしたが、当のご当地の、浜松市の立場から、今まで浜松市のほうでもいろいろ犯罪被害者のための施策を実践していただいているようでございますので、それの紹介も兼ねて、ご発言をお願いしたいと思います。

福田:はい。浜松市の生活文化部長をしております、福田と申します。

 生活文化部、まあ大変幅広い部でございます。生活っていうことでございますので、市民の方の戸籍とか、住民の市民生活、市民課と言いますか、区民生活課と言いますか、そういうような戸籍、住民を扱う課の統括、また墓地の問題、それから災害対策、防災の問題、また自衛隊、警察の問題、このような市民に、大変生活に密着している問題を取り扱う一方、また文化っていうのがありますので、文化の問題。特に浜松は音楽の都を推進しておりますから、現在この文化活動、大変積極的に進めております。この会場となっておりますアクトシティ、今日も下のほうで「劇団四季」さんの芝居をやってます。そのような大変華やかな面がある一方、こう生活という大変密着な分もやっておりまして、私ども、毎日そういう文化の話を聞きながら、目の前でいろんな生活の問題、いろんな当面する問題、見ております。大変毎日仕事においてギャップがあるというふうに、ちょっと辛い面があるわけなんです。

 そういうこともありまして、浜松市におきましては、「くらしのセンター」というものがございます。このくらしのセンター、市役所4階のほうにございますけども、いろんな問題が最近出ております。消費生活の問題、最近は大変幅広くなっておりますので、このような問題とか、また当然一般的な身内のご家庭の問題あると思います。そういう幅広く市民の皆さんからの相談を受け付ける窓口、くらしのセンターっていうのを持っておりまして、そこで専任の職員とか専門の方、また弁護士さん等にお願いして、相談業務を受け付けております。この中に私ども、この犯罪被害者に対しても、積極的に対応しようということで、ここに窓口を置きまして、相談業務の対応をしております。

 ただ、やはりこの犯罪支援業務っていうのは、いろんな問題があると思います。一括に私どもで受ければいいってもんじゃありません。生活保護の問題、先ほど岡本先生も言いました が、生活保護の問題、住宅の問題、またシェルターとかいろんな 問題が出ると思います。そういうこともありますので、現在関係する多くの課と調整会議、さっき市長もご説明したんですが、連絡調整会議っていうのを設けております。昨年の4月に設置したわけなんですけども、この連絡調整会議の中には、やはりこういう福祉の問題を扱うほか、子供の関係ありますので、子育て支援の関係、また児童相談所。当然女性の方、環境、相談も多いもんですから、男女共同参画課という女性の相談を扱う課。また学校の問題がありますので教育委員会。当然公営住宅の問題がありますので、こういう公営住宅の所管する課も入っております。また、二宮先生の当然、精神保健福祉センターですね。心のケアっていうのも必要だと思いますので、こちらのほうも入っていただきまして、組織しております。

 この中で定期的、またいろんな問題があるごとに集まっていただきまして、個々の問題協議し、解決を図りたいと進めておるわけなんですが、やはりなかなか、また後ほど説明したいと思いますが、問題もあると思います。今後におきましても、更にこの組織を拡充、充実しまして、私どもはこの問題に取り組んでいきたいと、今そういうふうに考えております。

 市長のほうにおいても、こういう問題に大変熱心でございますので、今後何らかの新たな組織をどうしていくのかというのも一つの課題としながら、この問題に私どもは取り組んでいきたいなと、今思っております。以上でございます。

白井:ありがとうございました。一通り発言していただいた段階で、だいぶ時間が押してしまったので、少し問題を絞りながらいきたと思います。

 先ほど岡村先生のお話にもありましたように事件、自宅で事件が起きてしまうと、もうそこに住んでいられなくなってしまうとか、あるいは何度も何度も手術を繰り返しているけれども、どうしても就職できない、生活保護を受けてる方とか、いろいろ医療の問題、住宅の問題、あるいは精神的な支援の問題とか、いろんな必要があるわけなんです。そういう中で、地方自治体と協力しながら、どうしても連携しながらやらなきゃいけないということがご指摘されたと思います。鳥居さんは浜松市での被害者の方と、それから東部のほうの伊豆の国市での被害者の方を現実に支援された経験を持ってると思うんですが、そうした経験から、どんなふうに自治体と協力しあってやるのか、それから被害者の方は、その結果どういうふうになったのかというようなことを、ちょっと、ほんの2、3分で申し訳ないんですけど、ご紹介いただきたいのですが。

鳥居:東部と西部を比較してほしいとの、白井先生からの話なんですけれども、ちょっと西部、中部のほうには「こういういい事例があったんだよ」っていうことを申し上げる事例には、残念ながら至っておりません。ただ東部のほうに、これは伊豆の国市の包括支援センターと私ども、そして大仁警察署、この三者が連携して、いわゆる平穏な支援環境を整備できたっていう事例についてだけお話させていただきます。

 これは傷害致死事件の被害者のご遺族、実のお母さんです、74歳。この方が、やはり息子さんを亡くした事件のショックで、倒れまして、半身不随になってる。県警のほうから、とにかく一人でさみしがって、寂ばく感と不安感の解消のために、話し相手、いわゆる相談相手になってほしいという支援要請がありました。それ以降、私どものほうは2か月に3回ぐらい。静岡から東部、いわゆる大仁警察署管内へ2か月に3回。そして電話を2、3日おき。声を聞けば、大体そのときの状況が分かるものですから、電話、そういうふうな支援を実施しておりましたけれども、やはり訪問回数が重なるにつれて、心身ともに衰弱状況を呈していることが見とめられました。

 これは被害者支援ではなくて、むしろ独居老人対策のほうが最優先するのではないかと思い、大仁警察署と相談しまして、伊豆の国市の福祉へ働きかけをいたしました。そして、今までどの自治体へ出かけてもそうですが、これは何回か、遠いところまで足を運ばなければいけないなってことは覚悟して行ったんですけれども、その日に全部福祉関係の部署の実務担当者を、一堂に呼び集めてくれてありました。ですから長くかかるだろうと思うその検討会、あるいは支援検討会も3時間半で終わりました。しかもそのときには、地域包括支援センターの高齢者支援室、こちらのほうがコーディネーターを務めてくださいまして、どこの機関がどういう役割、じゃあ支援センターのほうはこういう役割を担ってくれ、大仁警察署のほうはいわゆる安全確保、そういうことで、全部役割分担がその場で決まってしまったわけです。

まあ独居老人対策ですので、施設へ何とかっていうことなんですけども、本人が非常に拒み続けておりましたが、その間、ケアマネージャーを中心に、民生委員、そしてホームヘルパー、そして保健師さん等を交代で派遣してくださって、様子を見ながら、施設入所を説得してくださいました。それも全部地域の、伊豆の国市のほうでやってくださいました。

 そして本人も、「仏壇を持って入れるような施設があれば、入ってもいいよ」っていう気持ちにまで傾いてきまして、福祉のほうで、そのようなところを探してくださいましたが、なかなか老人ホームに仏壇をっていうところまでは拒まれたみたいです。で、昨年8月に新装になった特養ホームの中伊豆荘に、ようやく仏壇を持って入ることになりました。そのときも、私ども、支援センターのほうで、いわゆるおうちの引き払い、あるいは片付け等に労力の提供ぐらいはさせてくださいと言ったところ、「いいよ。そんな静岡からわざわざ来なくても。地域の民生委員さんや、近所の人たちでもって、おばあちゃんを立ち会わせた上で片付けして、ホームのほうへこっちで送っていくからいいよ」っていうことで、すべてやってくれました。その後、私のほうで面会に行ったんですけれども、薄化粧したように顔色もよくなり、非常に喜んでおりまして、そういうことで自治体が中心になって、支援環境の整備をしていただいた。

本当にありがとうございました。今後とも、この事例についてはまた改めてお話させていただきます。ありがとうございました。

白井:ありがとうございます。清澤さんは地元浜松で、被害者の自助の会をやっておられますが、単刀直入に被害者としては、自治体に一番やってほしいと、どんなことを皆さん望んでおられるか。

清澤:今現在、すぐやって欲しいってことは、遺族が集まれるスペースが欲しいってことです。

 私たち、毎月自助グループやっておりますが、いつも、それはセンターのほうで出してくださいますが、やはり月に1回だけではなく、遺族が話をする相手が欲しいとか、何か頼るところが欲しいときに、いつでも行ける空間が欲しいということです。

 そして今日、会場にも来てるんですけども、ブラジル、外国人犯罪の被害者遺族である落合さんなんかも、一人で生活しております。本当に長い8年間…9年間だったと思います。それもたまたま縁があって、落合さんとも2年前から浜松で自助グループで、一緒に仲間として活動してきましたけれど、改めて私とは1年違いの被害者遺族ですが、別々のその時代背景の違う中で、それぞれがやっぱり苦しい状況だったことを今私は感じておりますし、今日の判決、禁固4年を聞いて、決してそれでは解決ではないことも事実ですけれども、犯罪被害者遺族が声を出さなければ、法律は変わらない。私たちが行った、危険運転致死傷罪の成立のための厳罰運動もそうでしたが、行政は何も協力してくれませんでした。外国人犯罪の署名活動も、ほとんど協力してくれなかったり、近いのではないかと思います。

 心のケア、そして私たちが集まる場所、それと同時に、今の岡村先生がお話された闘いの過程でもお分かりだと思いますが、本当に厳しい中で被害者遺族が声を出して立ち上がって闘わなければ、何も変わらないこの現実を、私は行政はもちろん、いろんな細かいこともありますけど、同時に今の時代では、そういう法律改正に向けても、行政、そして市民の皆さんの協力は大切なことです。

白井:今のお二人の発言を受けて、当の浜松市当局の福田さんとしては、どんなことができて、どんなことが今のところ障害になっているのか、ちょっとその辺を。

福田:はい。大変辛い発言あたったんですが、確かに私ども可能な限りのことはやりたいと思っております。組織化もしておりますので。

 ただ個々の問題になってまいりますと、先ほど岡本先生も言ったのですが、生活の保護、また住宅入居、こういう問題において、やはり根本となる法律があります。それを逸脱してやっていいのかどうかっていう話もあると思います。そういう意味で、最近いろんな規定もできてまいりましたので、そういう形からまず直していっていただいて、私どもはその範囲内でまずやるしかないと思うんですけども、ただそれ以外の件、真摯にそういうのに対応していくとか、相談に乗る、これはもう当然私どもやりたいと思ってます。

 また今お話にありました、こういうスペース作りっていうお話もありました。私ども、このいろんな浜松、施設持っております、市長はそういう施設を有効に活用するんだと、潰さずに有効に活用という方針を出しておりますので、可能であればそういう施設を利用しながら、そのようなスペースも作ってく方法はないかなと、その辺は私も考えていきたいと思います。

 いずれにしても、私ども職員、一番必要なことは職員の資質の問題だと思います。そういう問題に対してどういうふうに取り組んでいくかっていうことがありますので、職員に対するそういう資質向上のために研修を積み重ねながら、そういう問題に前向きに対応していくというのが、まず一番肝心ではないかと思っております。

白井:ありがとうございます。できる限りのことはすべてやっていただけるということなんで、大変ありがたいのですが、どうしても法律だとか、規則とか、そういうものに限界があるという話ですので、また岡村先生に頑張っていただいて、法律を改正していただかなければならないか、あるいは市のほうできちっと条例を作っていただいて、職員の方々がやりやすい環境を整えていただけるということも必要じゃないかと思います。
 今、職員の方々への研修も必要だという話も出ましたが、白川先生、そういうこの支援に携わる職員の方とか、いろんな人たちがどんなことに注意したり、配慮したりしながらやっていかなきゃならないのか、その辺のところをぜひお願いします。

白川:そうですね。浜松市に参りまして、私の分野で、犯罪ということと、DV、子供虐待ということと、大きく家庭の中の対人暴力被害と犯罪と二つあるんですけれども、特にDVや子供、対人暴力被害のことに関しては、研修をすぐに行い始めることができたんですね。それはなぜかというと、すでにそれに携わる部署があるからなんです。行政の一番難しいというところは、一歩一歩歩いていかなければいけないというところで、その時点というのは、まだ犯罪被害者支援、庁内の連絡協議会がございませんでしたので、そこを作るところから始めました。

 やはり、支援者の立場にとって一番銘記しなければいけないことっていうのは、トラウマという、トラウマを呼び起こすような状況っていうのは、一種の切断なんですね。日常生活が切断されて、時間も止まってしまって、心の流れも止まってしまう。そういう中で、やはり様々な側面で支援をしていかなければいけないんですけれども、心のケア以前に、生活の支援がまず必要なんだということを、私は行政に来てから非常に感じました。

 なぜかというと、精神科医としてケアをしている時には、心のケアだけで済む。それを求めてきた人ですから。それでいけるって、私は甘く考えていたんですね。ところが行政に来て、実際に犯罪被害者支援を行う立場として、市民の方に出会ったときに、それでは全然足りないんだということがわかりました。要は連絡協議会ができた今、少しずつそういうことを話し合っていったり、またこのようなシンポジウムをきっかけに、例えば市長も非常にこういうことに理解を示してくださいますので、浜松市の犯罪被害者支援の条例を作るとか、そういうことがなされていくっていうことが大事だと思います。

 あと、発想の転換って非常に必要で、お金が無くてもできることってあるんですね。それが例えば先ほど清澤さんが仰られたスペース作りであったりします。でも、いろいろな領域の方が支援を求めていらっしゃるもんですから、自助グループみたいな形でいくつかのグループを行うのはいかがでしょうか。私、天竜病院におりました時に、やはりそういう犯罪被害者支援、性暴力のグループとか、DVのグループとか、子供虐待被害者のグループを作っておりまして、回復に役立つばかりか、一人では出せない声をまとめることができて、例えばDVの被害者の方が、静岡県のDVの基本計画に対して意見を提出することができたりしたんですね。その立場にならないと分からないことのために、そのような立場になられた方達の場所を作るということを何らかの形で、できるといいなと思います。また浜松市精神保健福祉センターでは、自助グループ支援という項目が、精神保健福祉センターの仕事の中に作ってございますので、そういう形で精神保健福祉センターを利用していただければ、更に庁内の連携がはっきりして、当事者の要望に添って、各部署がうまく機能していくことが、私の望みであり、希望です。

白井:ありがとうございます。二宮先生のほうは精神保健福祉センターということなんですが、いろいろ高齢者の精神障害の方とか、いろんな精神障害の問題を取り扱っていると思います。犯罪による被害というのが、人間によっていろんな攻撃行為、殺人とか傷害とか強姦とか、いろんな攻撃行為によって被害が起きるために、現れてくる精神的な被害の実情もいろいろ違ってくると思うんですね。そうした犯罪被害に特有な問題がありますので、それに対して精神保健福祉センターとしては、どんな形でそれに対応していただけるのか、その辺はいかがでしょうか。

二宮:そうですね。清澤さんの体験のお話の中にもありましたけれども、やはり一番最初の段階では、当事者の方にもどういうふうなことが起こっているのか分かりにくい。何に今困っているか、精神的な状態について把握することもなかなか難しいという中で、やはり周りで気づいていただける人に、きちんとつないでいただければ、そこで必要な支援というものを、心の支えとしての支援というものを、当センターではその段階に応じて提供していくという形になればと思います。

 そのためにはやはり、カウンセリングであったり、あるいは一粒の睡眠薬であったり、その段階をしっかり判断をして、支援をしていくということも必要だと思いますし、やはり先ほど申し上げたように、市の中でもやはり犯罪被害者支援に対する理解というものも非常に少ない中で、訪れる窓口ですね。その窓口の方々に、やはりそのケースを知っていただかないと、その適切な段階での適切な支援というものに結びつかないと思います。ですから、そこの中ではやはり技術援助、あるいは後援という形ででも、そういうケースについて知っていただいて、やはりしっかりとした支援の動機が持てるような、そういうふうな動きをしていければというふうに思っております。

白井:どうもありがとうございました。だいぶ時間が押し迫ってまいりまして、もっといろいろ討論したいことがあったんですけど、最後に、ずばりご意見をお聞かせいただきたいんですが、自治体によっては、北海道など、その自治体の被害者支援の基本計画というものを作っているところがあったり、あるいはお手元にお配りしましたように、支援のための条例を制定しているところもあるようなんですが、そうした犯罪被害者支援のための基本計画を作る、あるいは支援の条例を制定するということについて、どのようにお考えか、一人ずつご発言いただきたいと思います。

それでは鳥居さんからお願いします。

鳥居:はい。被害者のご遺族から、生活支援を申し出ると、窓口ですぐ「前例がない」「被害者支援条例がない」っていうことで、その場でシャットアウトされる。そういう意味で、本県には支援条例が制定されてる市町村はまだ1か所もありません。ぜひ、浜松の「やらまいか」精神を結集して、被害者支援条例をこの地から発信していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

白川:まさに同意で、杉並区に電話したときにはまだそこしかなかったんですけど、これだけ今あるっていうことが、やろうと思えばできる。ぜひ本当に「やらまいか」で、浜松市でそれができると、このような会が行われた価値もあるのではないかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

二宮:私もその行政の、行政側にいる人間ですけれども、やはり医療的な立場でずっと仕事をしてきましたから、行政に、変な話ですけれども、染まってはいない人間ですので、そのためにできる努力はしていきたいと思っております。ですから、またよろしくお願いいたします。

福田:行政の立場でございますけども、支援条例、各市町村で作っている、給付金条件とか、見舞金条例を作ってるところもあると思います。確かにその必要性は私もあると思います。ただ、このような条例を作っても、ただ理念的な問題に陥る可能性が高いです。「こういうふうにしましょう。」と、ただ言うだけであって、理念でそういうふうにやったと。じゃあ、具体的にどういうふうに動いてるんだ、なかなかついてこないっていうのが多いもんですから、私どもも、まずその足元を固めて、それが確立したら条例というふうに、支援、具体的な支援をどういうふうにしていくんだというのが順序じゃないかなと思っておりますので、そういうことを考えながら、策定についても考えてみたいと思っております。

清澤:はい。今のお話を聞いて、私は改めて、一番初めにこの、さっき原稿を読ませてもらったときに、被害者遺族たちと同時に生きる意味を知ったっていうのは、悩んで悩んで、苦しんで、その先にある不可能を可能にする、それは信じること。私はそんなふうに自分で答えを出しました。それはほかの矯正施設の刑務官にも私は言っていますけど、浜松の行政の関係者たちに、苦しんで苦しんで、悩んで不可能を可能にしてほしいと思ってます。それが生きるということだと、私は思っています。よろしくお願いします。

白井:どうもありがとうございました。もっといろいろご意見を伺いたいんですが、時間がきてしまいました。今日はこの自治体を中心にして、どのような支援体制を作るのがいいかということをテーマに、その一端を皆さんにお分かりいただくために討論をさせていただきましたが、実は先ほど岡村先生が心血を注いで実現されました、犯罪被害者が刑事裁判に参加するという制度が、この12月の1日から始まりますので、また、ぜひそちらのほうも皆様関心持っていただいて、注目していただきたいというふうに思います。

 ではこれで、パネルディスカッションを終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

 

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