浜松大会:基調講演

 
テーマ:「犯罪被害者は何を求めているのか」
講師:岡村勲(弁護士・全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事)

 ご紹介いただきました岡村でございます。私は2000年から犯罪被害者の運動を進めておりますが、先ほどお名前の出たお二人の先生方に、本当に大変お世話になってまいりました。

 一人は上川陽子先生でありまして、被害者の権利が何もないときに、犯罪被害者等基本法という、世界に誇れる立派な法律を作っていただきました。これによりまして、被害者はその尊厳が尊重され、そして尊厳を保障される権利を有するとして、初めて犯罪被害者が権利主体として世の中に現れたのでございます。それまでの上川先生のご努力は大変なものでございました。

 また、私どもの会を作るときには、設立以来、白井孝一先生が援助をしてくださいました。何かにつけて、白井先生と常磐大学の諸澤先生のご指導をいただいて今日まできたわけでございまして、静岡のこのお二人の先生方がいらっしゃらなければ、今日まで運動を続けてこられなかったのではないかと思っております。改めてお礼申し上げます。

 犯罪者に対する扱いというのは、かなり前からありました。例えば、寛政2年に鬼平と言われた長谷川平蔵という火付盗賊改ですね。犯罪者を放置しておくと、また再犯を起こすということで、当時の老中の松平定信に建議して、江戸の石川島に人足寄場を作って、そこで授産作業を行ったということが、犯罪者に対する政策の始まりのようでございます。

 これは、犯罪者を放置すると、また再犯を起こすという恐れもあって行ったことでしょうが、被害者に対する対策はずっと行われておりませんでした。なぜかというと、被害者は犯罪を二度と起こすとか、そんな心配はないわけですね。世の中に害を与えないなら、放っておいてもいいじゃないかということで、放っておかれてきたのだろうと思います。その人足寄場のほうは、ずっと続いて、最後には、これも静岡県の方々が更生会を作ったりして、保護司さんへと繋がっていく。こういう歴史を歩むようでございますけれども、被害者の場合は、つい最近まで放っておかれてきました。

 これは、再犯を起こす恐れがないということと同時に、被害者自身が声を上げられなかったのです。声を上げますと、「被害者の方にも落ち度があるのではないか」とか「夜道を一人で歩くからだよ」とか、そのような批判が自分に返ってくるわけです。そして、また週刊誌なんかでは、加害者は親が離婚したりして苦しい中を生活していた、それでこんなことが起こったというふうにして、とかく加害者側のサイドに立った記事が多く出るということで、被害者は声を出せない。

 それをいいことにと言いますか、社会が被害者の実情を知らなくて放置してきたわけです。いろいろな話を聞きますと、例えば「あそこはお父さんが殺されたところだから、どうも縁起が悪い。ちょっとあそこと縁談は見合わせたほうがいいのではないか」と、こういうようになったという話も聞いております。それで、その好奇心の目で見られるということで、じっと耐え忍んで我慢をしてきたということが被害者の歴史にあったと思います。

 それに対して立ち向かっていったのが、市瀬朝一さんという方なのです。この方は1966年に、昭和40何年になりますか、一人息子さんを殺されたのですね。結婚寸前の一人息子さんが通り魔に刺されたということで、この方が「殺人犯罪の撲滅を推進する遺族会」という会を作られた。これは木下恵介さんの「息子よ」という松竹映画で、少々長いですけれども、その時代が描かれております。私はこの被害者運動を始める時まで、市瀬さんのことを知らなかったのですけれども、実に感激的な映画でございます。この方が最初の苦しみから立ち直って、通り魔に刺されたその息子が亡くなるときに、「お父さん、仇を討ってくれよ」と、こう言うのですね。で、法廷でナイフを忍ばせて、仇を討とうとして止められた。それでは、仇を討つ代わりに、被害者が困らない制度を作ろうということを覚悟されたのであります。

 そして、最初は「殺人犯罪の撲滅を推進する遺族会」というのを作られたのですね。殺人犯罪は全部死刑にしてしまえと、そうすると人口は減るかもしれんけれども、殺人を起こす者はいなくなるだろう。殺人犯をどんどん死刑にしてしまえ、という運動だったようですが、同志社大学の大谷實先生に出会われて、「それは過激すぎていけないよ」と、何よりも困っているのは、遺族が経済的に困っている。これをまず救おうではないかということで、「被害者補償制度を促進する会」という会に改めて、大谷先生と一緒に運動されるようになったのですね。その辺の経過も、映画に詳しく出ております。

 そして署名運動をやり、途中、失明しましてね、奥さん役は高峰秀子さんでしたが、高峰秀子さんが映画に出るときの、最後の映画と言わなかったでしょうか。奥さんに手を引かれて国会へ行って、証人として必要性を訴える、そして、訴えて亡くなられると、それが契機になって、2年後に犯給法(犯罪被害者等給付金支給法)が生まれたのです。

 よく三菱重工事件がきっかけでと言いますけれども、実は、その前に市瀬さんが署名運動を集めて、三木総理に会い、そして国会の法務委員会で証言までしたという、ずっと長い歴史の上に立って、三菱重工事件の後、出来たのであり、これはやはり市瀬さんが作った法律だと、私は思っております。

 この映画は、同志社大学の大谷先生が一生懸命協力したのですが、この大谷先生がこの映画の話をすると、もう相好を崩すのですよ。というと、木下恵介さんが映画を撮る前に自分に会いにきたと。そして自分を見て、「これは今まで考えていた役者じゃいかん。加藤剛だ」と、こう言って加藤剛に急遽変えた。これが大谷先生の自慢なのですね。非常に嬉しそうな顔をします。それで私は大谷先生を好きになりました。この映画は売っております。2時間半ぐらいかかりますが、是非ご覧いただきたいと思います。今度11月30日に被害者の団体が大会を開かれますが、高橋シズヱさんたちがこの映画を上映するということでしたね。

 ということで、犯給法ができました。

 それからパタッと、また被害者運動は止まってしまうのです。諸澤先生は「謎の80年代」ということを言っておられますけれども、80年に犯給法が施行された後は、運動がパタッと止まってしまったのです。そして90年の7月ごろ、警察庁の次長通達が出たり、連絡制度ができたり、とかいろいろ、少し、被害者のことをやらなきゃいけないのではないかという気運がまた出てきた。その年に、私は妻を犯罪で失ったわけでございます。

 今月17日、18日に、元厚生事務次官の方が宅配便業者に化けた犯人に殺害されたり、重症を負われたりとする事件がありましたが、これは、私の事件の場合と全く同じ手口でありました。夕方、宅配業者に化けまして、そして家内をおびき出して殺害をしたわけです。私が弁護士として、企業を恐喝してきた加害者の恐喝に応じなかった。当然のことですけれども。それを逆恨みして、私の襲撃を企画したのです。

 事件発生前におかしなことがありました。私の家は無用心で門扉は開けたままでした。それがぐるぐる縛られていて、私が帰ってから、解くのに時間がかかった。それは、私を刺すために縛っていたのですね。それは、ちょうど私が乗ってきた運転手さんがずっと見ていたものですから、刺せれなかったのでしょう。それから、家の中にガラスの破片を投げ込まれたり、門灯を叩き割られたり、そんな事件が続いておりました。私は「警察へ届けようか」と言ったのですが、家内が「これは近所の受験勉強しているお兄ちゃんがノイローゼになった仕業かもしれない。そういう若い人を捕まえたりすると将来に関係するし、実害があったわけでありませんからやめましょう」と言うものですから、届けなかったのですが、これも彼の仕業であったわけです。

 その前、その企業の相談室長が1か月前に殺されてますが、恐らく彼の仕業だろうと、みんな警察も含めて思っているのですけれども、なかなか証拠が挙がらないので、そのままになっております。まあ、知らない人の家に押しかけて接触するには、宅配便業者が一番いいのですね。これは開けてくれます。家へ来たときにも、段ボールの中にサバイバルナイフを忍ばせて、1本は足のところにこう、吊るしてやってきて、私がいないということを知ると、家内を刺したのです。たまたま彼がレンタカーで逃げるところを見ていた人がいて、翌朝警察に通報して、それで捕まったのです。

 被害者になりますと、本当に雷に打たれたようなもので、世の中が一変するのですね。もう何がなんだか分からなくなってくる。特に、私の身代わりに殺害されたわけですから、自分を責めて、責めて、どうすれば早く死ねるかというようなことばかり考える2年間でした。そして裁判が始まっても、全く頭に入らないのですね。傍聴席にいても、ぽーっとなって。そこで私は、裁判所に対して「記録を見せてください」と言って頼んだのです。ところが、「被害者に見せるという法律はありませんから、お気の毒だけれど見せられません」と言われた。これくらい情けないことはなかったですね。加害者側は自由に記録を見られる。しかも、これ公判廷に出た記録ですから、オープンな所へ出た記録なのですよね。それでも被害者には見せない。よく考えてみますと、起訴状も送ってこないし、冒頭陳述書も送ってこない。じゃ、被害者は何だと、後ろでぼうっと座っていて、必要な時だけ裁判所に呼ばれていって、証拠として証言をすると、こういうことだなということに、初めて私は気が付いたわけです。

 裁判が4回か5回か過ぎた頃、読売新聞から、人権週間に備えて何か書けと言われたもんですから、そのとき書いたものが、資料として配布しました新聞の添付です。これは平成10年の12月10日ですね。今から10年前ですか。これをちょっと読んでみます。

 「法廷ではいつも弁護人席にいた私だが、昨年、理不尽な犯罪によって家族を失い、傍聴席に座る身となった。捜査記録の閲覧が許されない遺族が犯罪の真相を知るには、法廷での審理の傍聴をするしか方法がない。しかし、法廷でのやりとりや証人尋問は聞けても、目撃者や加害者の捜査官に対する供述調書は全文が朗読されるわけではないし、傍聴人が実況検分調書や写真などを見ることはできない。傍聴では事件の詳細を知ることはできなかった。そこで裁判所に公判記録の閲覧をお願いした。お気持ちは十分理解しますが、被害者には、法律上、公判記録の閲覧権がないので、お見せできませんというのが回答だった」。この時に私は、なんと被害者には権利がないのかということを思い知らされたのです。

 もうこの頃は、本なんか読む気力も何もありませんから、自分の頭だけで考えてきたわけです。そして、最後から2段目のところに、上から1、2、3、4段目の中ごろ、「そこで私は、次のように改めることを提案する。捜査に支障をきたしたり、悪用されたりする恐れがある場合を除き、被害者に捜査情報を提供し、捜査記録の閲覧を認める。不起訴処分にする場合は、事前に被害者の意見を聞き、理由を説明するか、被害者が裁判所の許可を得て裁判に参加できるようにし、公判の立ち会い権、発言権、質問権、記録の閲覧・謄写を認め、期日の指定には被害者の意見も聞く。さらに、被害者の加害者に対する損害賠償請求について、「附帯私訴」の復活を強く要望する。旧刑事訴訟法では、被害者が起訴されている加害者を相手に損害賠償の民事訴訟を起こすと、刑事裁判と共に審理される附帯私訴制度があったが、1948年新法制定と共に廃止された」と。そして最後に、この復活を求めて、「被害者の権利を行使するためには、弁護士の助力が必要であろう。加害者に国選弁護の制度がある以上、被害者に同様の制度があってもおかしくない。むしろ社会的には、加害者より被害者を厚く遇しなければならないとすれば、被害者にも国選による、国費による弁護をつけるべきだと思う」。これは全部文献も何もなく、私が頭の中で考えたことであります。

 そして、これを書いてからちょうど10年経ちました。12月10日の新聞でありますが、今年の12月1日から被害者参加制度も生まれ、附帯私訴に代わる損害賠償命令の制度も生まれます。この新聞を書いた頃は、どこの誰も相手にしなかったのですが、書かれた内容は全部、実現をいたしました。いや、私の考えよりは弱い。完全に被告人と同等の権利を持つということは通りませんでした。検察官とコミュニケーションをとるために中に入っていくということになって、今の当事者制度を崩さないで、参加できるようになりました。ただ、ここに書いてない論告求刑の権利まで、今度はできました。

 2000年に全国犯罪被害者の会を作り、被害者の権利の実現と、被害回復制の実現に向けての運動を開始したんですが、その時には白井先生が片腕になって、やってくださいました。ドイツやフランスへ実地調査に行って向こうの様子を調べました。向こうでは被害者と加害者、これは対等の権利で裁判所へ入っています。そして、公訴参加といって裁判所の許可を得て被害者が参加しますと、その許可してくれた裁判官の首切りもできる。忌避をできる。これは被告人に忌避権を与えている以上は、被害者にも同じ権利を与えてなければならないという発想から来ているのですね。加害者と被害者、同等の立場で主張を聞いて、そして裁判所が判断をするということになっております。日本ではなかなか抵抗が強い。被害者が参加すると被告人が萎縮するとか、本当のことを言えなくなるという、非常に強い抵抗が弁護士会からありました。しかし、ドイツやフランスでこんなこと聞きますとね、もう、キョトンとしていますね。「何で萎縮するのですか、そんなに萎縮するのなら、弁護人をどんどん増やせばどうですか」ということを言って、相手にされませんでした。

 そのようないろんなことを経て、この間に犯罪被害者等基本法が成立し、私どもはこのヨーロッパ調査に基づいて全国の署名運動を行って、白井先生もこの静岡の支援センターで、一緒に署名運動をしてくださいました。57万通の署名を集めて小泉総理に出しました。小泉総理が「それは大変だ。党と政府でやろう」と言ってくださって、党のほうは上川先生が中心になって、あの立派な基本法を議員立法で作ってくださったのです。それから、犯罪被害者等基本計画が策定され、それから被害者参加とか損害賠償命令といった制度を作ったのです。重大な犯罪については、刑事裁判の言い渡しをした裁判官が引き続き民事の裁判をする、刑事事件に出た記録を証拠にして、そのままで損害賠償の裁判をするといった制度です。これも限定された故意犯の場合だけですが。

 これがあると非常に楽なのですね。もう、有罪判決で、責任はそこで決まっておりますから、後は損害額だけを調べればいいわけでありますから、4回位でいいではないかということで、4回の審理で損害賠償命令を出す。不服なら異議の申出ができますが、それには仮執行宣言も付くというような制度を作ることができました。これも12月1日から実施されるわけです。同じように、参加人に弁護士が付くことができるのですが、資産の乏しい人には国選でつけるということになりました。これも外国にはある制度でございます。

 そういうことで、だんだん被害者の権利は拡大されてまいりました。私達は被害者に対する補償ということも重視したわけです。一家の働き手が亡くなる、殺される、寝つくということになりますと、ものすごく経済的な負担なのですね。だから先進各国は、どこからも補償が出ない被害者のために、国からの補償制度を設けております。この資料の最後に「補償額における諸外国の比較」というのがありますが、これは19年の1月24日に白井先生が作成してくださったものです。ドイツは、国は犯罪を防止する義務があるのだ、犯罪が発生したということは国の保護義務違反である。だから国が損害賠償として金を払わなければならないのだと、こういう立場で作られておりますし、イギリスでは、誰が犯罪に遭うかも分からない、たまたま右を歩いて通り魔被害に遭った人だけに、その損害を負担させるのは不公平ではないか。左を歩いていた人も被害を負担すべきではないかということで、連帯共助の精神に基づいて国民が、社会がその損害を負担する。国民、社会といって、結局まあ税金からですね。連帯共助の精神に基づいて負担しようということになっております。

 それから、先ほど一瀬さんが作ったと言いました犯給法、これはイギリス型の連帯共助ということで作られておりますが、どれぐらい各国がお金を払っているかといいますと、まず日本・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツとありますが、一番多いのはフランスなんですね。これは、ちょっと仕組みが違って、火災保険なんかの保険料が財源になっておりますが、いずれにしても、税金なり、それに類似するものから払われるのです。一番下の段を見ますと、フランスは国民1人当り、1年間で600円を負担しています。ドイツは271円、イギリスは483円、アメリカは179円というような人口比になっております。これに対して、日本は8円71銭なのです。これは、今年の7月1日から、大体倍近く犯給法のお金が上がりました。といっても18円ぐらいなのですね。1人当たり。

 国連では、各国に国の支払能力に応じて分担金というものを課して、国連を運営しております。日本はアメリカに次いで、世界で第2位の分担国です。一昨年は、国連の19%を日本が負担していました。今、16%ちょっとに減りました。ドイツやフランスなんかは、日本の半分くらいの負担しかしておりません。にもかかわらず、ここにあるような金を国民には払っているのですね。外向けには、日本は世界第2位ということで、国連の中で大きい顔をしていますが、国内には8円71銭。倍にしたところで、これが18円になった。国内に難民を抱えてどうするのですか。総理が他国へ行くと、難民対策費というものを置いてきたり、いろんな援助を置いてきたりする。国内の難民をどうするのですかというのが、犯罪被害者の会の叫びでございました。

 そして、もう1ページ前をご覧ください。加害者に払われる金と、被害者に払われる金の対照表を書いておりますが、この左側を見ますと、犯給金が今年7月から21億3,600万。前が11億3,000万でしたから、倍くらいになっている。それに対して加害者、これは少年院へ入ったり、刑務所へ入ったり、警察に留置されたり、そういうふうな人たちに、国が医療費とか、被服費とか、食糧費とか、そういうふうなものを出す。国選弁護のお金も出さなきゃいけないと。これを見ますとね、国選弁護料だけで90億円の予算を計上しているわけです。つまり、被害者に出す金の4倍以上のものが、加害者を弁護する弁護士の国選弁護料になっているんです。なんとなく、腑に落ちない。加害者はどうなってもいいとは決して言いませんが、バランス上、どうもおかしいじゃないかと思うわけです。

 そしてまた、ずっと見てきますとね、入浴に要する費用というのがあるでしょう。これは週1回お風呂に入れる。お風呂に入れる水道光熱費が約5億。4億9,000万かかるのですね。これは週1回。これが給付金の5分の1ぐらいになっている。毎週入れたら、それだけで、昨年6月までの年間の犯給金が飛んでしまう。こういうふうな形になっているわけなのです。だから、どう見てもバランスがよくない。加害者の方に使っている金、合計すると2,407億2,100万。一方、こちらは21億5,500万。この被害者国選事業費というのは、まあ法テラス等の事務として使用するお金です。こういうような状況に被害者は置かれているのです。

 私の家の事件の時には、まあ6億ぐらいでした。オリックスのイチローの1年間の年俸よりも安いじゃないかと、わたしは言ったんですが、イチローは、もうこの21億どころではないでしょうね。いろいろと宣伝費、その他いろいろと100億ぐらいいっているのではないでしょうか。全国の犯罪被害者が集まっても、イチローの右足か左足、右手、それにかなわないくらいの手当しか受けてないということです。

 経師屋さん、この例を挙げます。これは昔からかわいがっていた近くの男の子で、精神がちょっとおかしくなったのでしょう。夜中に押しかけて、奥さんを刺し始めた。風呂から飛び出てきた子供さんが、母親を守ろうとすると、子供さんのほうが殺された。奥さんは重症で寝たきりです。もう経師屋の仕事もすることができない。そして、今は生活保護を受けております。もう何年も経師屋さんが面倒を見て、疲れ果てている。車椅子の入る都営住宅でも入れないかということで、私も運動したのですが、娘さん夫婦のいる近くに条件の合う都営住宅ができたので、そこに入れるよう都に頼みました。しかし、事務を受け付けている区のほうが、優先順位があるとか何とかで入れてもらえませんでした。非常に困っています。

 いろんな人が生活に苦しんでいる。子供を退学させざるを得なかった人とか。私たちの会員の話を聞きますと、もう切りがない。悲惨な目に遭っているわけです。よくテレビにも出ますが、長崎の岡本真寿美さんの場合は、ガソリンをかけられて、火を点けられて、26回も手術しました。やっと命は助かった。今でも、皮膚がないものですから、汗が出ない。夏は汗が出ないから、体温が上がって失神状態になるのですね。それで、生活保護を受けていますが、お母さん名義でボロい車を買っていました。そうでもしないと、皮膚が無いから股ずれして歩けない。すると、今度、福祉事務所の人から「そんな質の高いことをしてはいけない。車に乗ることを禁ずる。バスで行け」と言われた。バスの所まで歩いて行けないわけないのです。そういうこともありました。さらに、残っているところ、頭の毛を取って移植した。移植したところから髪の毛が生えてきます。それで、生活は苦しいながらも、一生懸命訓練学校へ行ってパソコンの勉強をするなどしているのですが、就職先がなく大変な生活をしている。それを考えますとね、もう少し何とかならないものだろうかと思うんです。

 前にあった地域振興券というのが、1週間ぐらいで4,000万か7,000万、あっという間に出たことがありますね。今度もまあ、一律に給付すると言っていますが、これも相当な金額でしょう。犯給金を10倍にしたって200億くらいですから、なんとかなる金だと思います。私はもっと温かい配慮をしてもらいたいと思っておるわけです。

 時間が無くなりましたので、端折りますが、ここには支援センターの方々も大勢いらっしゃると思いますが、支援というのは、私はやはり真心であると思います。いろんな言葉遣いとか、技術とか言いますけれども、結局は、被害者に対する温かい思いやりではないかと思います。私の例で言いますと、私が一番うれしかったのは、野良猫でした。事件のあと、家内のかわいがっていた野良猫が毎朝来るのですね。朝、窓を開けると待っています。窓を開けると、家へ入ってきて、ごろんと横になって寝る。夕方になると、夜になると、また一人帰っていく。何も言わないのですが、あれが非常に、私側にとっては慰めでした。撫でてやっても、餌をやっても、こちらを舐め返して黙っとる。

 いろいろと慰めの言葉を言われます。例えば「奥さんの代わりに、その分まで長生きしてください。元気を出してください。」と言われると、どうしようもないのですよね。こちらは早く逝って、お詫びをしたいと思っている。実は、私は寒い雪の降る夜に、家内が倒れたというところへ同じように寝て、このまま死んでしまえばいいなと思って、姉に保護されたこともあります。それくらい思っているのに、「元気を出せ。」とか「奥さんの分まで生きてくれ。」、これ善意で言っているのでしょうけれども、言われたほうはたまらないですね。

 池田小学校の事件がありましたね。あの時に、私たち犯罪被害者の会の幹事で、1軒1軒弔問して回りましたが、その中に山下さんという方がいました。私は帰り際に「頑張ることないんですよ。」、「泣きたいときは泣きなさいよ。」、「自然にしなさいよ。」と、こう言って声かけて帰ったのですが、山下さんの書かれた本を見ますとね、それが一番嬉しかった。それで肩の力がぐっと抜けて、もうこのままで自分は頑張らなくてもいいのだと思ったということを、書いてくれております。

 いろいろ、家内の同級生たちが来て「いい人だった。」とか「学生時代はこうだった、ああだった。」と言われると「その、いい人をおれが身代わりにさせたのか。」とか、自分を責めるのです。自分が結婚を申し込まなきゃよかったと。自分があの大学を受けなければ、妻と知り合うこともなかったのではとか、もう何かにつけて自分を責めていく。黙ってもらっているほうがいいですね。

 それから、一番いいと思ったのは、裁判官や検察官が、私の顔を見ますと「先生この度はどうも。」と言ったきり、頭を下げられて何も言わない。これが一番いいですね。私は今、お悔やみに行っても、そういうふうにすることにしています。で、ただ、言うのは、「体に気をつけてくださいよ。」「眠れますか?」と、「眠れないときには睡眠薬を飲んでもいいそうですよ。」と、「食事よりも眠ることが大事だそうですよ。」と、それ以上、私はお悔やみに行っても言わないようにしています。励まそうとしていろいろすると、ますますそれが傷つくことがありますからね。とにかく寄り添ってあげるということが、私は一番大事じゃないかなと、こう思っております。

 犯罪被害者等基本法は、国の責務と同時に、自治体の責務も書いております。それに則って各自治体が条例を作ったり、事業を始められたりしております。ありがたいことだと思っております。東京都は、被害者支援の推進計画を作成し、総合窓口を都民センターの隣に作りました。相互に連絡しあって有機的な関係を作るようにしておられます。

 それから杉並の支援センター。これは非常に進んでおりますね。東京の杉並区。これはヘルパーさんの派遣もする。育児のための要員も派遣する。買い物の手伝い、病院の付き添いもやる。さらに、お金の貸付もやる。カウンセリングもやる。非常に重要な問題については、都民センターの方に繋ぐ。家の中で殺人事件があった。血の海になると、もうそこは使えないですね。そういう時のために、シェルターを準備する。

 私も被害者の会を作ったときに、石原知事にすぐそれを頼みました。即刻、都では、都営住宅を何室か確保してくれました。例えば強姦の被害場所である家へ帰ることは怖いわけですね。そうかといって、ホテルへ泊まるにはお金が大変である。一時的に入居できるところが欲しいものですので、行政の方で、ぜひ確保していただきたいと存じます。

 そして、お金の貸付。被害者は、お金が要ることがあります。特に、一家の主人が亡くなりますと、通帳がストップになるのですね。亡くなったということが新聞でも載りますと、途端に預金が一切封鎖です。お金が出ない。その時に10万でも20万でも、当座のものを貸してくれると大変助かるわけなのですね。そういうことも、是非やっていただきたいと思います。

 いろいろと考えたことを申し上げる暇もなく、雑駁な話になってしまいましたが、2時40分までということで、2分超過しましたので、これで終わりにさせていただきます。ご清聴誠にありがとうございました。

 

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