中央大会:基調講演

 
テーマ:「犯罪被害者支援の躍進と更なる発展へ向けて」
講師:本村洋(全国犯罪被害者の会(あすの会)幹事)

 ただいまご紹介にあずかりました本村洋と申します。

 今日はですね、まず、私は一会社員でございまして、特別な人間ではありません。そういった一会社員である私にこうして発言する機会をくださいました内閣府、並びに、今日のこの大会をご準備くださった皆様方に深く感謝いたします。ありがとうございました。

 そして、何より犯罪被害者の問題に関心を寄せていただいて、今日、お忙しい中ですね、会場にご足労頂きました皆様には深く感謝いたします。

 今日は60分という大変長い時間でございますけども、時間を頂きましたので、最後まで一生懸命話しますので、どうか最後まで聞いていただければなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 では、今日はですね、前のスライドを使いながら話を進めさせていただきます。

 皆さんの、お手元に、資料[PDF:240KB]をお配りしておりますので、家に帰ってからでもまた見直してもらえればなと思っております。

 「犯罪被害者支援の躍進と更なる発展へ向けて」というテーマで、僭越ながら話をさせていただきます。

 まず、私の自己紹介なんですけども、本村洋と言いまして、32歳になりました。昭和51年3月に大阪で生まれまして、テレビなどでは「非常に立派なこと言われますね」とか「理論的ですね」とか言われるんですけども、決してそんな立派な人間ではありません。あれは緊張して喋ってるんで、あんな口調になってるだけでですね、普段はそんな人間ではありません。

 何よりそんな立派な人間ではなくて、私は平成9年11月に、広島大学におりまして、彼女が福岡に住んでまして、遠距離恋愛をしてたんですけども、その最中に妻というか彼女のお腹に子が宿りまして、私は、どうしてもその子を下ろすことができずに親の反対を押し切って結婚したということで、この時1回家を勘当されてます。ですので、そんな立派な人間ではありません。

 その後、何とか大学を卒業して、鉄鋼メーカー、新日本製鐵というお堅い会社に入りまして、入社して1カ月後に長女が生まれるというドタバタの生活でした。

 当然、学生結婚をしましたので新居も無い、収入も無い、そんな状態で結婚をさせていただいてですね、本当に妻には、私が入社してからはずうっと苦労ばかりを掛けてきました。

 会社に入って1年経ってですね、1年間は新入社員って腕章を付けて工場の中を走り回ってたんですけども、その腕章が取れて、やっと妻と娘には楽をさせてあげられるかなと思った矢先、平成11年4月に社宅で、同じ社宅に住む、同じ会社の従業員の息子さんに家族を殺されるという事件に遭いました。

 私は、直接加害者と対峙をして自分の命が奪われるだとか、自分の体が傷つけられるとか、そういった経験はしてません。ですから、本当の被害者の当事者の気持ちは分からないかもしれないですけども、やはり最愛の家族を守れなかったという男としての責任、そして、私は妻の遺体を自分で見つけました。最後の妻の姿や表情を見た時に、どんだけ苦しかっただろう、どんだけ辛かっただろうと思うと加害者を許すことはできません。

 そして、何より私は自分の手で娘を捜してあげることができませんでした。娘は、押し入れの上の天袋の中に放り投げられていたんですけども、それは警察の方に見つけていただきましたけども、自分の手で娘を見つけてあげられなかったという悔しさもあります。

 そういったことを思った時に、当然、加害者を許すことはできませんけども、妻と娘の命を何とか無駄にしたくないと。どうすれば無駄にならないだろうってことを考えた時に、事件を通して私が考えたことを社会に訴えることしかないだろうと思って、今こういう活動をさせてもらっております。

 私がどれだけ被害者の方の、全ての思いを代弁できるか分かりませんけども、私が思ったこと、感じたことを、今日お話をさせてもらえればなっていうふうに思っております。

 あと、私の裁判の経過を簡単にご説明させてください。

 私は、平成11年4月に事件が発生しまして、事件発生の4日後に容疑者が検挙されました。警察の方のご尽力によってスピード逮捕をしていただいたのですが、実は日本の今、検挙率っていうのは30%ぐらいです。

 ですから、事件に遭った方で30%の方は加害者が分かるけども、70%の方は実は加害者が分かりません。その方は、なぜ自分の家族が殺されたのか、なぜ自分がこんな被害に遭ったのかってこと分からないまま生きていかなきゃならないっていうことになります。そう考えますと、私は大変恵まれた被害者だと思ってます。

 そして、加害者が捕まればですね、裁判が始まります。で、平成12年3月に検察側の死刑求刑に対して山口地方裁判所は無期懲役という判決を下しました。

 これに対して検察が、納得できないっていうことで控訴していただき、広島高裁でもう1度裁判していただきましたけども、これでもやはり無期懲役という結果になりました。

 さらに、これでも検察側が納得できないっていうことで、最高裁まで上告していただいて、平成18年6月に最高裁で、ある結果が出ました。

 これは、原判決を破棄するという判決でして、山口地方裁判所、広島高等裁判所が出された無期懲役っていう判決は軽いんじゃないんですかと。死刑を回避するに足る理由があるのですか、もう1度審理しなさいっていうことで差し戻されました。それで広島高等裁判所で再度やり直し裁判が行われまして、ここで死刑という判決が出ました。

 ただ、当然被告人や弁護側からすれば、今まで無期懲役だったものが急に死刑になったわけですから、もう1度やってもらいたいってことで、また最高裁で現在審理中です。

 日本は三審制といっても、これは何回も繰り返すことができます。また最高裁が差し戻しって言えば、もう1回裁判になりますので、いつ終わるか分かりません。

 ただ、ここで言いたかったのがですね、私は平成11年4月から今まで、ずっとこの刑事裁判に自分の20代の人生は、ほとんどこれに費やしてきました。ずっと裁判を傍聴してきて思ったのは、刑事裁判をですね、やっぱり10年も続けることは大変辛いなあということです。私じゃなくてもですね、20年、30年と刑事裁判をずっとやってる方もいらっしゃいますので、そう思いますと、その方々のご苦労ってのは大変だろうと思います。

 そして、何より一番思ってるのは、事件が発生してから時間が経てば経つほど人の記憶だったり物的な証拠、そういったものが劣化してきてですね、だんだんだんだん審理の時間は費やすんだけども何が真実だったか分かりにくくなってるっていう気がしております。ですから、決して裁判を長くすることが真実に近づくことではないということを伝えたいなと思って今日はこれをご紹介させてもらいました。

 やはり、裁判っていうのは、事件が起きて容疑者が検挙されれば、人の記憶や社会の関心が高いうちに、いち早く迅速に処理をして、真相を解明して処置を決める。そうすることで社会にとっても、こういう犯罪を犯したらこうなるんだという警笛にもなりますし、被害者遺族にしても大変楽です。負担が減ります。

 そして、何よりも被告人になってですね、もし冤罪であったりとか、間違ったことで係争されてて10年間も裁判すれば、その方の名誉もありますので、やはり迅速に裁判をするってことが被害者にとっても被告人にとっても社会にとっても一番いいことだと思いますので、できれば、これから裁判員制度が始まりますけども、迅速な裁判をするってことも被害者支援の一つだなっていうことを思ってますので、ちょっとそれをお伝えしたくて、今日はこれをご紹介しました。

 私は、平成11年からですね、ずっと裁判を見てきまして、その中で全国犯罪被害者の会っていう会の参画にも参加させてもらって、いろんな被害者の方と会ったりしてお話ししました。その中でいろんな疑問を持ってきまして、それについてちょっとご紹介をさせていただきます。

 先ず、平成11年、私が事件に遭ってこんな活動をする前、私は工学部の出身ですので法律のことは全く分かりません。全く分からないので思ったことを書いてます。

 加害者が18歳の少年でしたので、いきなり裁判にはなりません。家庭裁判所の少年審判っていう非公開の場があって、そこでまず少年院に送致するか成人と同等の裁判をするかっていう審理が行われます。

 この少年審判っていうのは非公開です。ですから、犯罪被害者や遺族であっても傍聴することは当然できません。ですから、例えば少年にこんなふうに刑を科してほしいって意見も言えません。当然「何でこんなことしたの?」っていうことすら質問することができません。ただ、少年審判の期間は約4週間でしたが、ひたすら待つだけです。

 そして、少年審判では、少年には成人同等の刑事裁判が相当であるっていう審判を下していただいて、それで初めて公開の刑事裁判になりました。被害者遺族としては、初めてその裁判を傍聴することで、例えば、私であれば妻と娘が殺害されましたけども、妻と娘のどちらが先に殺されたかとかが明確になりました。そんなことすら分からないんですね。それを刑事裁判で傍聴することで初めて分かるようになります。

 ただ、刑事裁判へ行きましても、私の裁判は非常に社会の関心が高くてですね、傍聴席が20席ぐらいしかないんですけども、400人とか300人とか、たくさんの方が傍聴に訪れてくれました。

 そうすると、被害者に優先的に傍聴席があるわけではなくて、一般の方と並んで遺族もくじを引いて当たったら裁判に入れるとか入れないってことで、傍聴席が確保されていない。せっかく刑事裁判が始まったのに傍聴できない。

 しかも、裁判に入ってもですね、また後ほど詳細説明しますけども、基本的に裁判ってのは被告人が弁明する場になります。当然、被害者から見ると、それは明らかに嘘じゃないかとか、おかしいんじゃないかって思うことが出てきます。ただ、それに意見を言うことができない。つまり、訴訟に参加する当事者としての立場が無いんですね。一般傍聴人と一緒だということで、非常に疑問に思いました。

 そして、生活面でもですね、私は自宅で犯罪に遭いました。ですから、犯罪があったその日から、私は自宅では生活をしてません。当然、事件の捜査がありますから、指紋を採ったり、家具などの差し押さえがありますし、捜査が終わっても自分の家族が殺された家でとても私も住めない。でも、自分の家を失った時に誰も補償してくれるわけじゃないんですね。自分で家を探さなきゃいけないと。

 当然、事件後はどうしたらよいか分からないので、素人考えで弁護士さんに相談すれば何とかなるんじゃないかと思ったんですけども、じゃ、弁護士さんってどうやって相談するんだろうとか、どうやって探したらいいんだろうとか分かりませんでした。

 私も、訳も分からずに最初に訪ねた弁護士の方が大変いい方だったんですけども、死刑という制度に対しては、どちらかというと廃止を指向してる方でございまして、意見が合わなかったりして、いろいろと傷ついたこともありました。今は弁護士さんとか付けずに、自分で法律のことは分かる範囲はやろうかなと思って頑張ってます。

 さらに、弁護士さんの紹介を含めてですね、被害者ってこれからどうなるんだろうとか、裁判ってどういうふうに進んでいくんだろうとか、どんな権利があるんだろうとか、この社会にはどんな福祉制度があって私を支えてくれるんだろうってことが全く相談機関も無かったし、その情報を入手することもできなかったと。

 僕が最初思ったのは、単純にこれだけです。これはおかしいんじゃないかっていうことで、テレビの方とかご取材が来た時に、こういうことおかしいんじゃないかってことをずっと言ってきました。

 テレビでいつもですね、私が何か死刑ばっかりを求めてるような印象があるんですけども、本当はこういう被害者の権利確立ってことを訴えたくてメディアに登場させてもらったってのが真意でございまして、そういうことをご理解いただければなと思っております。

 ちょっと刑事裁判のことをいろいろ話したんですけども、刑事裁判って素人目で見るとこういうふうになってまして、裁判官がいて、検察官がいて、弁護人がいて、被告人がいて、ここにバーがあってですね、傍聴席が40席ぐらいあって、この最前列が記者席といってですね、記者クラブと契約してる記者席があって、その後ろしか座れません。

 ここには一般の傍聴人もいるし、犯罪被害者も座るし、加害者の家族も座ります。当然ここに傍聴しようと思えば傍聴券が必要で、傍聴券が無ければ傍聴することができません。

 そして、裁判では、いろんなことを被告人が言います。例えば、私の事件で言えば、妻は、姦淫されてたんですけども、姦淫したのは生き返らせるためにやったんだって言ったり、また次の裁判では殺したことも覚えてないとか突然言われたりとかですね、それは違うだろうって言いたくなるんですけども、傍聴席は正に傍らで聴く席で、ここで声を上げると裁判官の方から「静かにしなさい」とか「法廷を乱したので退廷しなさい」って言われてしまいます。

 ということで、被害者は本当に裁判を傍聴するだけで何も言えません。被告人が何を言っても質問もできないし、尋問できない。例えば、弁護人の方が裁判を欠席して裁判が無くなったって、それに対して文句すら言えないんですね。そのぐらい権利が無いということです。

 裁判を傍聴しててですね、被告人がいろんなことを言って悔しい思いをされてきた方は、たくさんいらっしゃいます。例えば、関東の方で娘さんがストーカー的な事件で殺害された事件がありました。その加害者が捕まったんですけども、その娘さんは、自宅から近くの駅まで自転車で通って、駅からは電車で会社まで出勤してました。

 その出勤の帰りにですね、最寄りの駅まで自転車で帰ってきて、駅から家まで自転車で帰ってる途中に車で最初はねられて、そこでまだ生きてたんですけども、その瀕死の状態の娘さんを草むらに連れて行って包丁で刺殺した事件がありました。大変悲惨な事件で、検察は死刑を求刑した事件でした。

 その被告人は、大変素行の悪い人で、被告席から傍聴席に向かって、遺族の方を分かってるんですね、その人に「おまえたちが駅まで迎えに来れば、おれは殺さずに済んだんだ。何で迎えに来ないんだ。無責任だ」とかですね、そういう暴言をひたすら吐いてたんですね、裁判の度に。でも、当然、被害者遺族は何も言えない。そのお父さんとお母さんは、じいっと傍聴席で堪えてそれを聞いてました。

 ただ、それは何で堪えられたかというと、必ず裁判官の方が被告人に対して、私たち遺族の望む死刑という刑を出してくれるだろうと思って裁判をずっと傍聴されてました。

 でも、残念ながら裁判の判決は無期懲役という判決でした。その裁判の期間中にお母さんのほうが体調を崩されてまして、判決が出た後、もう本当に精神状態が大変辛かったと思うんですけども、娘さんが通ってた駅のすぐ近くの踏切で電車にはねられて亡くなられてます。多分、自殺をなさったんじゃないかなあと思います。きっと命を賭して何かこの裁判に対してとか被告に対して抗議をしたかったんだろうと思います。

 もし、そのお母さんが、ただ聴くだけじゃなくて、検察官の横でも座ってですね、被告人に「あなた何言ってるのよ」っていうことを言う権利があって、堂々と裁判で主張できたなら、命を賭してまで何かを訴える必要があっただろうかっていうふうに思って悔やまれてなりません。

 ということで、ちょっとまとめるとですね、刑事裁判、行われます。ただ、それは被害者を無視した制度でした。それは別に刑事裁判だけじゃありません。この日本の全ての支援制度、福祉制度を含めて被害者を無視した制度でした。

 犯罪に遭って、一番被害を被って、一番真実を知りたくて、一番被害を回復しなきゃいけないのは犯罪の被害者です。その犯罪被害者を、刑事裁判の傍聴席すら用意しないで、検察官、弁護士人、裁判官だけで裁判するってのは、私は、いかがなものかなっていうふうにこの時、素直に思いました。

 私の事件では、妻と娘の遺影を持って傍聴しようとしました。それは別に裁判を妨害しようとかでなくて、妻と娘に裁判を聴かせてあげたいと思ったからです。遺族としては、その写真が亡くなった人の影なんですね。遺影なんです。だから聴かせてあげたいと思ったんですけども、裁判所に行くと門の前で手を広げられて「プラカードのようなものの入廷は許しません。下ろしなさい」とかいうふうに言われたりして「何で、この遺影を持って入れないんですか。これは、私の妻と娘です。妻と娘が生きてれば傍聴できたじゃないですか。何で死んだら聴けないんですか」と言ったら「あなたにそんなことを言う権利はない」。

 それは裁判所の職員の方だったので「もうあなたじゃ話にならないんで裁判官に会わせてください」と言った時に、裁判所の職員の方に「裁判は、裁判官、検察官、弁護人、被告人でやるものだ。被害者遺族は関係ない。調子に乗るな」って言われて、涙を流しながら遺影に布を巻いたのを覚えています。そのぐらい被害者には何の権利も認められなかった。当事者として認めてもらえなかったと。それが非常に悔しかったです。

 ただ、僕も絶対に検察の方が求刑してくれた死刑が出ることを祈ってですね、願ってずっと裁判を悔しい思いをして妻と娘の顔に布を巻いて裁判の傍聴を続けました。裁判を傍聴しないと事実が分からないからです。別に加害者に会いたくて裁判行っているわけじゃないんです。

 「運命の日」って書いてますが、平成12年3月22日、これは山口地方裁判所の判決公判の日でした。当時、少年であればですね、相場主義ってのがあって、4人殺害しないと死刑にならない。強盗殺人であれば3人殺害しないと死刑にならない。ってのがあって、私の事件のように2人の被害者であれば死刑にならないというふうに言われていました。

 僕は、それは何か納得できなかったです。死者の数で決まるのかと。納得できなくて、もし僕は、死刑判決が出なかったら、この日、死のうと思ってました。遺書を残して家を出ました。裁判の判決が無期懲役でした。

 この判決を聴いた時に、僕はもう、この日が命日だなと思ってました。本当に死ぬ気でいたんですけども、その裁判の直後、私は記者会見する約束をしていましたので、私は、この世の中に残す最後の言葉と思ってその記者会見に応じました。だから何か、私が、すごい、泣きながらですね、記者会見した姿を覚えてらっしゃる方がいるかもしれませんけど、あの時は、もうこの世に残す最後の言葉だと思って記者会見に応じてました。

 その時の私が記者会見で言ったコメントなんですけども、私も気が動転して覚えてないんですが、メディアの方がちゃんとVTR撮ってくださったので、それを聞いてですね、読み起こしました。

 「判決の瞬間、僕は司法にも、犯人にも負けたと思いました。僕は、妻と娘を守ることもできず、仇を取ることもできない。僕は無力です。司法にこれほどまでに裏切られると、もう何を信じていいのか分からなくなりました。結局、敵は、被告人だけではなくて、司法だったように思います」と。

 これは、僕のその時のあふれる感情をそのままにした言葉なんですけども、僕、司法に怒ってたんですね、最後は。何で傍聴席も無いんだ、何で意見も言えないんだ、何で検察の求刑どおりの判決出してくれないんだと。それに対して何も、何で意見が言えないんだってことで、もう犯罪に遭って生活ぼろぼろになったし、国も救ってくれなかったらどうしていいか分からなくなってですね、そういったことを発言したんだろうと今になってその時の自分の感情を思うといます。

 ただ、この時に私の命を救ってくれた方がいらっしゃいます。それが、この事件を担当してくれてた山口地方裁判所の検事さんです。今、大阪地検にいらっしゃるんですけども、この検事さんが大変いい方で、裁判の度にですね、法廷が終わる度に私たち遺族を呼んでくれて、今日の裁判はこういうことを審理しましたって。被告人側が言ってることは、こういうことです。次回は、こういうことを検察側からは追及しますということをちゃんと説明してくれて、私に教えてくれました。

 私、それが当たり前だと思ったんですけども、いろんな被害者の方に聞くとそういうことはなくて、私が大変恵まれてるってことに気付いたんですが、本当にいい検事さんでした。

 この検事さんが判決後の私の記者会見を聞いててくださって、その後、検事室に呼んでくれて、こう言ってくれました。この時、もう検事さんは目に涙をためて「君は、もう司法に絶望したと言った」。

 私、この時「もう裁判してくれるな」って言ったんですね。「被告人を社会に出してください。僕はこの手で殺したいです」と。その気は無かったんですけど「そのぐらいの気持ちです」ってことを言った時に「それはいけない。そんなことよりも、こんな判決を残しちゃいけないんだ。検察は、100回負けたって、101回目を闘う。だから、本村さん、司法を変えるために一緒に闘ってくれませんか」とこの検事さんが言ってくれました。

 この時まで僕は、裁判は自分自身の憎しみとか、恨みとか、加害者への報復感でいっぱいだったんですけども、この検事さんが「司法を変えるために一緒に闘ってくれませんか。私は検察官だから、検察官の立場で裁判を行う。あなたは被害者で、例えば遺影の持ち込みだったり、傍聴席だったり、いろんな貴重な問題提起をした。あなたは被害者の立場で被害者の状況を訴えたらどうか」ということで「一緒に闘いませんか」と言ってくれて「あっ、そうか。これは僕の家族の裁判だけども、裁判を通して妻と娘の命から学んだことを何か社会に言うことができるかもしれない」ってことで、僕はこの検事さんに救われたと思っています。

 実は、この時に「あすの会」っていうのにも入ってまして「あすの会」には岡村勲っていう弁護士さんで被害者遺族の方がいらっしゃるんですけども、その方も「本村君はおかしくない。法律が間違ってるんだ。法律を変えるんだ」って言ってくれました。

 その時に、素人が法律を変えるなんて、とても想像できないんですけども、私に怒りとか、憎しみとか、悲しみ、そういった負のエネルギーをですね、法律を変えるんだっていう前向きな方向に私のエネルギーの方向を変えてくれました。それで今の私がここにいます。

 なので、私は決して1人で頑張ったわけでもないし、立派な人間ではありません。いろんな方に支えられて生きていきます。

 それで、私は素人なんですけども法律を変えたいと思って、自分の言葉でいろいろと講演とか執筆活動をしてきました。ただ、私1人ではありません。

 例えばちょっと代表的な例を言うと、1995年には地下鉄サリン事件という大変大きな事件が起こりました。この時、私は、まだ学生だったんですけども、二十歳だったかな、大変な事件が起きたなあと思ったんですが、全然自分がこんなことに遭うなんて思わず生きてきたので、あまり深く考えませんでした。

 1997年には、いろんな被害者の会が出来たんですけども、その中でもやはり少年犯罪被害者当事者の会っていう武さんっていう方が立ち上げられた会が、被害者であることを隠さずに堂々とアピールされているのを学生ながら見てて印象に残ってました。

 この年には神戸連続児童殺傷事件もありまして、少年事件ってことが大変関心が高まってきました。

 その後に、1998年には全国犯罪被害者支援ネットワーク、これは大きかったと思います。支援ネットワークが立ち上がってですね、国全体で支援のネットワークを作って支えていこうという動きが少しずつ高まってきました。でも、まだまだ世間の関心は小さかったと思います。

 この時、やはり和歌山のカレー事件とか悲惨な事件が起きまして、あと99年、私の事件もあったんですけども、池袋通り魔事件とか、下関通り魔事件とか、無差別テロのような事件が日本でも起こるようになりまして、先日も秋葉原でもああいった悲惨な事件が起こってしまって大変な残念な事態になりました。

 私は、1999年に事件に遭って、2000年に全国犯罪被害者の会を設立をして、この中でいろんな方と手を携えて活動するようになったんですけども、ちょうどですね、私が事件に遭ったぐらいの時代にたまたま全国でいろんな犯罪の被害者の方が声を上げてくれたり、民間の支援団体の方が声を上げてくれて、被害者の問題に社会が耳を傾けてくれるようになりました。

 何よりも報道機関の方も、今までは加害者がどんな人間だったかとか、どんな育成環境だったかってことばかりが注目されて、被害者ってのは犯罪を盛り上げる花飾りみたいなもんだったんですけども、被害者がどんだけその後苦しむかとか、どんな人だったかってことも積極的に取り上げてくれるようになって、被害者の問題に関心が高まってきました。これは本当、社会の皆様とメディアのおかげだと思ってます。

 じゃあ、被害者はどんなことを求めていたかってことをちょっと要約したいと思います。

 まず、何よりもですね、被害者が求めてきたことは、加害者が、容疑者が特定されて刑事裁判が行われてるんであれば、刑事裁判に参加させてくださいということをお願いしてきました。

 これ何かっていうと、最初出した図なんですけども、検察官と弁護人と裁判官って、こういう裁判の中に被害者って、この傍聴席しか入れませんでした。

 僕は、検察官に「一緒に闘ってくれませんか」ってことで大変裁判が社会的意味があるってことも教えてもらったし、自分自身の事件じゃなくて一つ一つの事件に対して、この事件にはこういうふうにこの国は対処するんだっていうことを社会に示すってことが裁判では一番大事なことだってことを教えてもらったので、被害者がここに入って一緒に検察官とともにやればいいんじゃないかと思いました。

 その時は、自由に発言する権利だとか、被害者が自分で証人を呼んで訴追したりとか、裁判官が出した判決に不服があれば上訴する権利、ここまで与えてもらってもいいんじゃないかと考えこういったことを求めてきました。

 ただ、犯罪被害者っていうのは法律の素人です。法律の素人がですね、こんなことができるのかっていう問題はあると思うんですけども、そのためには弁護士さんを付けてもらえればいいし、逆に欧州を調べれば、欧州のほとんどの国、イギリス、ドイツ、フランスとか、イタリアとか、いろんな国は被害者が当然のように被害者が参加したいと言えば裁判に参加できる制度があるってことも調査で分かりました。

 だから、日本だけがですね、被害者が先進国では裁判に参加できないってことが分かったので、これが何とかできないでしょうかっていうことをこういう講演とかいう活動を通じて訴えてきました。

 二つ目が「民事裁判の負荷軽減」、実はこれ、大変重要な問題です。

 民事裁判ってどうするかってことを簡単に言うとですね、当然、被害者は捜査権も逮捕権もありません。だから自分で加害者を特定するはことできないし、加害者を特定したとしてもその人の身柄を拘束する権利なんてありません。

 ですから、当然、警察の方と検察の方の捜査によって容疑者が検挙されて、刑事裁判が行われてます。この刑事裁判が行われれば、刑事裁判にいろんな証拠が出てきます。その証拠を裁判所にくださいと言ってお願いして、全部はもらえないです。被告人のプライバシーに反しない限りとか、いろんな制約はありますけども、そこで自分のお金でコピーさせてもらっいます。

 ただ、このコピー代も結構高くてですね、裁判所によってまちまちですけど、1枚40円するとこもあったりして、しかも事件の記録ってのは膨大です。分からないからもう全部コピーするんです、取りあえずですね。そうすると大体何十万とかお金になっちゃうんですけども、とにかくコピーをさせてもらう。

 当然、被害者は法の素人なんで裁判なんてできません。ですから、当然、弁護士さんに依頼しなきゃいけない。でも、この弁護士さんを探す作業だって、自分で自分とウマの合う、主張が合う方を探さなきゃいけない。

 弁護士さんと折り合いがついて、じゃあ、損害賠償提起しましょうかってことで損害賠償を提起して、いわゆる民事裁判が開始されるってことになります。

 この時大変なのは、事件を立証する、自分の被害がこのくらいだからこのぐらいお金が必要ですって立証するのは、全て原告である被害者の責任です。ですから、被害者と弁護士さんは、一生懸命手を携えて証拠集めたり、文書を集めたりして、自分の仕事とか家庭をそっちのけでこの民事裁判に専念しなきゃいけませんし、当然どのくらい弁護費用が掛かるのかって話も出てきます。

 これも明確なことは言えないんですけども、私が聞いたことを言います。私も最初、民事裁判をしたいと思って、ある弁護士の方に相談に行きました。最初、弁護士の方に相談して「君の事件であれば1億円ぐらいの損害賠償請求額になりますよ」って言われて「やりたいと思います」と。

 最初に損害賠償請求額の3%頂きますと。手付け金でっていうことを言われました。1億円の3%は、もう300万なんですね。そんなに掛かるのかと思って。

 その後、経費、例えば書類を書く、どこかに調査で移動する、そういった経費、それから文書を作るお金とかは請求いたしますと。

 その後、裁判が終われば成功報酬ってのを頂きますと言われました。後から成功報酬を調べてみると、場合によっては請求額の5%とか7%とかになることが分かりました。そうすると、最大で10%ぐらいになって、1億円の民事裁判を起こそうと思うと1,000万ぐらい掛かるとその時に考えました。
 
でも、ケースによって、弁護士さんの方で安くしてくれたとかいうケースがありますけども、そのぐらい結構お金が掛かります。

 その時、私、弁護士さんに言われたのは「あなたの加害者ってのは18歳の少年ですよね。当然収入も無い。これから裁判どうなるか分からないけども、18歳の少年に1億円の損害賠償請求したってお金は取れませんよ。それでもやりますか?」と言われました。やらないですね、そこまで言われて。

 しかし確かに、そうなんです。相手にお金が無ければ、当然請求しても手に入らない。「全国犯罪被害者の会」とかその他いろんな集まりでいろんな被害者の方にお話ししたんですけども、民事裁判をやられた方は結構いらっしゃいます。本当に苦労されてます。

 ただ、民事裁判が終わると支払い命令が絶対出ます。4,000万円払いなさいとか、1億5,000万円払いなさいとかいうお金が出ます。新聞は、そこだけを書きます。何とか事件損害賠償1億円支払い命令と。ただ、全額を貰ってる被害者の方なんて、私1人も見たことありません。

 加害者は、お金が無い、資力が無いから暴力で人の物を盗んだり自分の欲を満たそうとするんですね。その人に、お金の無い人に損害賠償請求をしたってお金は取れないんです。でも、被害者が一生懸命これやって、お金が貰えると思ってやるんですけども、貰えないってことで、実は、私はこの民事裁判制度ってのは成り立ってないんじゃないかなあと思います。

 資産を持ってない加害者にとっては、民事裁判をやられても全然怖くありません、奪われる物ありませんから。ということで、被害者の経済的な救済が進まない。

 それと何より大変なのがですね、これ一つの事件なのに2回裁判を行うことになるんですね。今、私、刑事裁判にまだ9年、10年目になってまだ終わってないのに、それから、じゃ、あなた、民事裁判やりますかって言われたら、そんな元気はとても無いです。

 でも、私は、今仕事をしてますし、収入があるのでいいんですけども、本当に犯罪によって、例えば一家の稼ぎ柱であるご主人様が犯罪によって寝たきりになられたとかなった場合に、その奥様はご主人の看病をしなきゃいけないと。その家庭にお子さんがいれば、奥さんは、そのお子さんの面倒を見なきゃいけないと。ご主人の看病をしながら、お子様の面倒を見ながら。でも、収入の柱であるご主人様が寝たきりになったら収入も無くなるわけですから、奥様が自分で働かなきゃいけないと。そんな状態で、じゃ、民事裁判して、取れるかどうか分からない損害賠償請求訴訟をやりますかっていうと、そんな方はいらっしゃらないと。

 そして何よりもですね、刑事裁判でコピーさせてもらった記録を、また違う裁判官が1から読まなきゃいけない。これ、すごく時間が掛かってしまうんで非効率なんですよね。なので、何とかしてこの刑事裁判と民事裁判を一緒にしてですね、刑事裁判が終わって有罪になればそのまま民事裁判に移行できないかっていう附帯私訴制度ってのを求めてきました。これが被害者の要望の二つ目になります。

 三つ目でございますけど、次にあります「経済的な支援の拡充」。「犯罪被害者給付金の拡充」と書いてますけども、犯罪に遭うと必ず被害者は経済的に困窮してしまいます。

 これは、いつも出す図なんですけども、犯罪に遭うってことは、財産犯を除けば必ず身体的な被害、精神的な被害が発生します。特に、精神的な被害が見えにくくて大変苦労します。

 例えば、私、よく例に出すのが、家が空き巣に入られました場合です。窓ガラスを割られて家に入られて、実はほとんど被害が無かったです。そうすると、例えば、私とかだったら「良かったね、被害が少なくて」って言っちゃいそうなんですけども、空き巣に入られた人はとんでもないです。自分がいない間に勝手に人が家に入ってくる、しかも戸締まりしてたのに。もし自分が家にいたら、私が殺されてたかもしれないと。またこの家に住んでたら、また泥棒が来るかもしれない。そんな恐怖の中で生きていきます。

 ですから、犯罪の被害者に重い軽いは無いと思います。どんな軽犯罪であろうが、重要犯罪であろうが、被害を被った人には一生に1回しか無いような経験で皆さん深刻です。

 また、性被害もそうです。見た目には分かりませんし、特に女性の方は警察の方になかなか通報できなかったりする場合もあります。そういった女性の性被害で抱える心の傷ってのは男の私には分かりませんけども、心の殺人だと性被害を言う方がいらっしゃって、多分そのぐらい重いものだと思います。そういった見えない被害もあるということです。

 そんな体の被害とか精神的被害。体の被害で言えばですね、例えば通り魔で背中を刺された女性の方がいらして、その方はもう10年以上寝たきりになったりしてます。

 あとは、おやじ狩りで襲われたご主人様が頭をバットで殴られて、いわゆる脳死状態になってる方とか、そういった方もいらっしゃいます。

 そんなふうに精神的とか肉体的な危害を被ると何が起こるかっていうと、当然、仕事なんて継続できません。仕事ができないってことは、収入が途絶えるっていうことになります。

 そして、体に後遺症が残ったり、家族にそういった犯罪によって被害を被った人がいると、当然、医療費が発生します。

 体が動かないだとか介護が必要になれば、当然、介護費も発生するし、ずっと家でその人を介護しなきゃいけないってことになります。自由が拘束されるってことですね。そうすると、当然、仕事もできなくなる。

 ただ、これは、全て被害者が自分でお金を支払うことにまります。必ず経済的な被害に発展します。

 当然、経済的に豊かにならなければですね、犯罪被害から立ち直るどころじゃなくて、明日払う医療費が無いとか、明日からどうやって生活すればいいんだってことになります。

 この経済的な被害に対しては、さっき言ったんですけども、日本は、過去の国会答弁でも言われてるんですけども、それは「被害者が加害者の資産によって損害の回復を図ることが基本だ」、これが今の日本の考え方です。

 フランスとかは違います。フランスとかは、犯罪の被害は全額国が負担すると言われています。だから、その国によって考え方は違うんですけども、日本はこういう考え方だと。だから民事裁判を起こしてくださいということになります。

 ただ、民事裁判は、先ほど言ったような惨憺たる状況です。被害者が自分で証拠を集めて、弁護士を依頼して、弁護費用を払って、裁判に勝ったってお金が払われなくても、それに強制力が無い。そういう状況になってしまって、なかなか被害者が経済的には報われない。

 ただ、国もですね、そんなこと黙ってなくて、1980年に警察庁が犯罪被害者給付金ってのを初めて作ってくれました。当初は被害者やご遺族の方に最高で約1,000万円程度の一時金が支払われました。

 ただ、犯罪に遭ってですね、1,000万円というお金は大変大きいんですけども、一生涯の障害だとか一生涯看病しなきゃいけない方が生まれた場合には、とても少ない額です。

 私も妻と娘を失って、お金が全然ありませんでした、会社入って1年目だったので。葬儀もしてあげられないし、お墓も作ってあげられなかったんですけども、犯罪被害者給付金を申請して、私は400万円のお金を国から頂くことができました。

 それで、それが貰えることが分かったので、貰う前にお墓を作ってあげて、葬儀もしてあげて、何とか家族には恥ずかしい思いをさせることなく最後のお別れができたかなと思ってます。大変助かるんですけども、一生涯、傷を負った方とかには、なかなかこれでは不足だと思います。

 最後に「柔軟な生活支援態勢の確立」っていうことです。

 犯罪の被害に遭うと、その支援しなきゃいけない内容が本当にびっくりするぐらい多様です。

 さっきの続きなんですけども、当然、被害者は「何で私がこんな犯罪に遭ってしまったの?犯罪に遭ったのに何で私がこんな医療費も払って、介護もして、こんなに苦労しなきゃいけないの?」と思います。

 それで、ここに追い打ちをかけるのがですね、報道の被害です。今は本当に報道は良くなってると思うんですけども、昔はですね、例えば綾瀬の女子高生殺人事件とかであれば、高校生の女の子が複数の少年に監禁されて、毎日のように強姦を繰り返されて、亡くなられました。その後、少女をドラム缶の中に入れて、コンクリートで埋められて海に捨てて事件があったんですけども、それも、その少女はすごく綺麗な方だったんですね。美人女子高生殺人事件とかいって、その子の水着姿だとか、そんな写真いっぱい報道したりしました。

 例えば、東京であれば文京区でお受験殺人と言われた事件もありました。あれは本当に悲惨な事件で、被害者側に何の落ち度も無いんですけども、マスコミが面白がってですね、お受験殺人とか言って、加熱したお受験の狭間で生まれた軋轢で、全然無かったんですけども、お母さんが、あるお母さんをいじめてて、いじめられたお母さんが逆恨みでやったとか、そんなこと無かったのにそんな報道したりして被害者を追い詰めていきます。

 さらに、社会的な偏見。例えば、私の事件で言うと、私は、白昼、社宅で事件が起きて、加害者は水質検査員を装って入ってきました。なので、妻は内側から鍵を開けて少年を入れたんですね。なので、不倫をしてたんじゃないかとかですね、そんなことを言われたりもしました。

 そういったことで傷つきますし、それともう一つ、裁判が始まればですね、またこれ裁判は大変なんです。裁判に行けば、被害者は真実を知りたいと思って裁判に行くんですけど、真実を知ることで傷つくこともあるかもしれないし、でも、それはしょうがないと思います。

 ただ、弁護側や被告人側が心ない発言をしたりとか、そういったことで被害者が傷つくことあるっていうことで、経済的な支援もしなきゃいけないし、報道被害も直さなきゃいけないし、社会的な偏見も直さなきゃいけないし、裁判の開始に関しても、これもフォローしなきゃいけないってことで、精神的な被害ってのは多岐に渡るものが出てきます。

 じゃ、どうやって支援するかっていうことになるんですけども、これ、私が理想とする支援をいつもこう出すんですけども、犯罪被害者が真ん中にいます。当然、事件が起これば警察の方に通報して、ここはかなり綿密な連携を持ってやります。今は民間の犯罪被害者支援センターもたくさんあって、警察とここは大変連携を密にされてて、被害者と民間のこういった支援機関とかが共に連絡を取りながら犯罪被害者を助けてくれます。

 ただ、ほかの機関とですね、なかなかこの二つの機関の連携が取れてません。例えば、私が自宅で犯罪に遭いました。なので、明日から住む家がありません。だから住む家をすぐに探したいと思った時に、例えば地方公共団体に行けばですね、例えば公営住宅余ってますよとか、今ちょうど公営住宅を募集してますよとかあれば、被害者を優先的に入れてくれるとかあればいいんですけども、こことここの情報がうまくいってなければ、被害者、家に困ってますといっても、民間支援団体も、じゃ、家どうしようかしらっていうところから始まるんですよね。

 例えば、被害者がとても精神的な被害を受けててカウンセリングが必要だっていうことで、病院に行ってカウンセリングとか精神科医の治療を受けることになることがあります。

 ただ、被害者のことを理解してくださってないカウンセラーさんとか精神科医さんがいると大変なことになります。今はかなり減ったと思いますが、昔は二次被害、三次被害ってのが大変多くて、例えば女性が夜の歓楽街で強姦被害に遭いました。それで非常に心に傷を負って生きるのも辛いっていうことで精神科医に行きましたと。そしたら、あるお医者さんとかは「何であなたは夜の街にそんな短いスカートを履いて行くの。そこから直しなさい」とか、そういうことを言う方がいらっしゃいます。

 当然それはアルコール中毒とかですね、そういう依存症の方を指導する時は必要なことかもしれません。でも、一番それは犯罪被害者が悔いてることなんです。何で私はあそこに行ってしまったんだろうとか、何であの時、あの日行かなきゃよかったのにとか、一番被害者が分かってる。その分かってる傷口に塩を塗るようなカウンセリングをしたりとかする方もいらしたりして、結局、支援を求めて行った先で傷ついて帰ってくるとか、あとは支援をしてくださいっていうことで自分の被害を言わなきゃいけないですね。私は、何年何月どこどこで、こんな被害に遭って、こんなこと困ってます。それで、こんな支援をしてくれませんかって窓口行く度に説明しなきゃいけない。それがとても辛いことになったりしますし、一生懸命説明した後に、あ、それはうちではできません、よそに行ってくださいっていう紋切り型のもの。

 例えば、それも、病院に行って支援ができないことも、あ、それは法律関係なんで、例えば法律扶助協会とか、法テラスだとか、弁護士会に行ったらどうですかとか言えば次の道が開けるんですけども、そういう次を教えてくれなくて紋切り型の支援をして、逆に支援を言ったことで苦労もして傷ついて二次被害が発生したりしました。

 ということで、各機関がですね、どの機関がどんな支援ができるかってことをちゃんと分かってて、被害者が相談に来た時に、あ、警察ではできないけど、それは裁判所だったら、例えば事件の記録とか裁判記録もらえるよとかいうふうに繋げてもらえるようにすれば被害者も救われるんでしょうけども、そういうことができてなかったってのが右下でございます。

 こんなこと困ってますっていうことをいろんな被害者の方が声を上げて言ってきました。そうすると、私は、この国というかですね、司法・立法・行政機関は素晴らしいと思います。いろいろ年金の問題とかでご批判される方もいらっしゃいますけども、私もこういう活動をしてですね、最近では内閣府の方ともお付き合いさせてもらってますけども、別に全然贔屓するわけではありません。本当にご熱心にやってくださいますし、本当に夜遅くまで仕事をして、とんでもない時間に電子メールが来たりとかしますから、本当にご熱心にやってくれてます。

 こういった被害者の要望に対して司法・立法・行政が迅速に対応してくださいました。もうこれは本当にそうだと思ってます。このおかげでですね、被害者支援に関する法整備が急速に進みました。

 ちょっとここから年表的な話になるんですけども、犯罪被害者支援が日本で始まった最初は、1980年に犯罪被害者等給付金支給法ってのが出来たのが最初です。それまでは全くありませんでした。

 これは、市瀬朝一さんっていう方が当時いらっしゃいまして、一人息子さんを通り魔殺人で亡くされました。その市瀬さんっていう方は、最初は人を殺したらみんな死刑にしようっていう法律を作ろうってことで活動されててですね、その後、大谷實さんっていう刑法学者の方と出会って、それはさすがに無理だと。

 ただ、この市瀬さんって方は、その法律を作ろうってことで全国の被害者の方を自分のお金で回りました。そうすると、被害者の方みんなが経済的に困ってるんですね。そんなことよりも先ず生活を立て直すことが最初じゃないかっていうことで犯罪被害者に給付金をくださいって運動を始めました。

 この方は最後、お年を召してですね、もう両目が失明した後も奥様に肩を借りて全国を歩いてこの活動をされてました。その方は、残念ながらこの法律が出来る数年前に亡くなられたんですけども、その遺志を継いでこの法律が出来ました。
 ただ、1980年にこの法律が出来た後、20年間、日本は何も被害者に関する法律が出来ませんでした。
 その後、私、第1世代と勝手に呼んでるんですけども、また犯罪被害者の運動が高まってきました。最初に犯罪被害者保護二法が出来て、被害者の刑事裁判の優先傍聴権が認められ、裁判で申請して裁判官と弁護人の許可が頂ければ意見を述べることができる被害者の意見陳述権が認められました。また、ストーカー行為、これは昔は犯罪じゃなかったんですけども、ストーカー規制法が出来てストーカー行為は犯罪と認定してくださったり、少年法の一部も変わりました。
 そして、犯罪被害者給付金に関しても、当時1,000万円の最高額が少ないじゃないかってことで、ここで一旦改正されて2,000万円弱まで上げられました。

 ただ、この時はですね、犯罪被害者が可哀想だから助けてあげましょうねっていうことで、被害者は権利の主体ではありませんでした。被害者は、被害から回復する権利があるから、その権利を達成しなきゃいけないってことではなくて、可哀想だから助けてあげましょうっていう保護の対象だったんですね。これが第1世代でした。

 一旦この運動が盛んになって、それからまたしばらく何も無いんですけども、実際にこういう法を整備して運用すると、確かに有効だなっていうことが分かり、別に被害者が意見陳述権を持ったからといって刑事裁判の場が乱れるわけでもないことも判明しました。

 これは、やっぱ当たり前じゃないかってことで第2世代に進化し、犯罪被害者等基本法ってのが出来ました。これが非常に大きい法律で、これが出来て初めて犯罪被害者は保護の対象ではなくて、犯罪被害者は被害から回復する権利がある。だから、その権利は国家として守らなきゃいけないということが初めて2004年に法律で規定されました。

 こういう法律は、欧米各国は大体1970年とか80年に出来てるんですね。日本はそれから20年から30年遅れて出来ましたので、日本の被害者支援は欧米各国に比べて二、三十年遅れてるって言われるんです。ただ、この法律は欧米各国に比べても負けることない、すばらしい法律です。むしろ高く評価されてる法律です。

 これは基本法です。基本なので具体的なことは何も書かれていません。その具体的な法律が、この基本法をベースに2005年に基本計画が閣議決定されて、それから2007年6月に改正刑事訴訟法、これは犯罪被害者も刑事裁判へ参加できるとかですね、犯罪被害者給付金をもっと上げましょうとか、ちょっとこれ、名前をわざと分かりやすく書いてますけども、犯罪被害者にも国選で弁護人を付くことになりました。今までは、加害者には国のお金で弁護士が付きましたけども被害者は付きませんでした。それも、この2008年、今年の4月に制定されて被害者にも弁護士さんが国費で付きます。

 さらに、少年審判もですね、一部被害者が傍聴できるようになり大きく変わりました。それらを細かく、少しだけご説明させて頂きます。

 まず、犯罪被害者等基本法なんですけども、これは画期的な法律で、犯罪被害者の権利を明記しただけじゃなくて、この権利を実現するために国・地方公共団体、そして、私達1人ひとり国民の責務を明記した画期的な法律だというふうに思ってます。ここまで踏み込んだ、法律ってあまり無いと思いますので、大変すばらしい法律だなあと思ってます。

 私がよく被害者支援を求めていろんな集会とか行ってですね、当時、被害者支援ってのがなかなか理解されなくて、例えば弁護士さんの方とか話しすると、「君、そうは言ったって、そんなこと法律に書いてないからできないよ」とか、って言われるんですね。

 でも、この法律が出来てからは、例えば被害者の権利ってのがあって、それを達成するために国民の責務もあると。そうすると、弁護士さんだって国民の1人ですから、あなたにも責務があるんですよとか言うことができてですね、ちょっと優位に立てるようになったということです。

 ちょっと細かく中身を見ていきますと、一つはですね、犯罪被害者給付金に係る制度の充実をしなさいとか、保険医療サービスとか福祉サービスとかこの国はたくさんあるじゃないかと。それをもっとサービスが提供しやすくなるようにしなさいよということで、先ずは、この給付金については犯罪被害者支援法ってのが改正されて、今年、犯罪被害者の給付額ってのが大幅に引き上げられました。

 福祉サービスとかこういう提供の充実については、後ほどのパネルディスカッションの議題になりますけども、この国でそれをどうやってそれを連携していくかってことを今、議論をされてます。

 給付金がどのくらい上がったかといいますと、例えばですけども、犯罪によって障害1級になった場合、例えばこれは両目を失明したとか両腕を失ったとか、そのぐらいの被害になりますけども、昔はですね、例えば働き盛りの40代とか50代の方であれば、最高で1,800万とか1,600万でした。

 当然これは最高額で、査定があって満額もらえないんですね。最低額になると700万とか600万とかで、やっぱり働き盛りの方がこの一時金頂いてもですね、なかなか1年間の年収にもならないとか生活支援にならなかったんですけども、この青いのが改正後ですけども、40代、30代であれば3,500万とか4,000万近いお金が頂けますので、これは本当に被害者が一時的な生活を立て直すためには十分な額だと私は思ってます。

 何よりもこの改正のすばらしいのが最低額を引き上げたんですね。申請した場合に当然満額出ることは無いと思います。ただ、最低額でも2,000万円近いお金が必ず頂けるってことで、これは申請も決して楽ではないんですけども、申請することによって被害者の生活が本当に楽になると思いますし助かると思います。

 こういった法整備をやってくださいましたということで、もしこの中に被害者の方いらしてですね、この制度を知らなかったりとか、まだ申請してないって方がいらっしゃればですね、これはもう今年の7月からこうなっていますので、是非ご利用いただければなと思っております。

 あと、犯罪被害者等基本法ですばらしいのが、居住とか雇用を安定させなさい、この雇用を安定させなさいってのが実は大変素晴らしいです。

 犯罪被害者の立ち直りを促進するってことで、私のようにですね、事件後、事件の現場が自宅だったり、例えば女性が自宅で性被害に遭いました。加害者が捕まっていませんと。

 そんな状態で取り調べだけ終わって、次の日にもうすぐその家に帰して、そこで住んでくださいってのは、あまりにもひどい話です。そういった被害者に対してちゃんと住居を安定させなさいということです。

 あと、犯罪に遭うと、どうしても裁判に参加したりとか、一時的に精神的に不安定になって仕事の能率が落ちます。能率が落ちたからといってですね、もうあなた要らないよっていうんではなくて、ちゃんと雇用主は仕事が継続できるようにですね、理解をしてあげてくださいよってことまで書かれてます。ここまで踏み込んだのは、なかなか無いと思います。

 今ではですね、こういったことを受けて公営住宅への優先入居ってのが始まってます。

 さらに、女性とかDVとかもそうなんですけども、犯罪によって自宅に住めないとか、自宅が危険だという方に対しては、緊急避難場所、シェルターとか、そういったものが各県で進められてまして、大変すばらしいことだと思います。

 私は、この雇用の安定ってのは大変重要だと思ってます。私も事件当時と今、同じ仕事を同じ職場でしてます。ただ、事件から4カ月後に、私は仕事がどうしても手に付かなくなって会社に辞表を出しました。

 その時の上司の方が大変すばらしい方で、これもいつもお話しするんですけども、僕は、この会社で仕事をしてる時に家族を失いました。仕事をすると、どうしても家族のことを思い出しますと。仕事をしてると涙が溢れてきてですね、本当、周りの人にも気を遣わせるし迷惑だから辞めたいと言いました。

 その時に、その上司の方が辞表を受け取ってくれなかったんですね。「仕事はしなくてもいい。会社に足が向く限りは会社に来なさい。会社にいる限り、お前は俺の部下だから俺は守ってやれる。だから会社に来い。そして、この仕事が嫌なら辞めていい。辞めてもいいけれども、次の仕事を見つけてから辞めなさい。君は犯罪によって大変苦労した。いろんな経験をした。君の性格とか見れば、もしかしたら社会に訴えたいとか思うかもしれない。その時に仕事を辞めて労働もしない、納税もしない、そういった国民の重要な義務を果たさないで、どんだけ社会や国に訴えたって、それは負け犬の遠吠えになるぞ。負け犬になるぞと、お前は。だから、君こそ社会人足りなさい」と言ってくれました。

 僕、それで今の自分があると思ってます。その後、何度もくじけそうになりましたけども、社会人であろうということは、もうずっと心に、肝に銘じてやってきました。

 ですから、やはり仕事を続けるっていうことと、仕事をすることで、私もいろんな方に接して成長させてもらうし、いろんな価値観とか多様性が生まれたと思います。

 ですから、社会との関わりを切らない。それは、支援センターとかと連絡を取ることもそうですし、仕事をすることでもそうですけども、とにかく社会との連携を保ってあげるっていうことをすることが重要ではないかなというふうに思っておりまして、これは本当に大事だと思って、これを法律に入れた方は素晴らしいと私は思いました。

 それと、冒頭言った刑事手続に被害者が参加できないのはひどくないですかって話と、損害賠償請求も何かもっと考えてあげないと被害者が可哀想じゃないですかっていうことで、これが日本の刑事司法を大きく変えたんですけども、犯罪被害者の刑事裁判参加が今日からできるようになりました。附帯私訴制度っていうものもできるようになりました。これは平成19年6月20日に被害者参加制度と損害賠償命令制度として制定されました。

 それとですね、被害者が刑事裁判に参加するんだったら、被害者は法の素人だから、当然、加害者と一緒に、同じように被害者にも国選弁護人を付けてあげなさいよっていうことで、これまで唱ってくれました。

 これ正確には被害者参加弁護士っていう名前なんですけども、ちょっと分かりやすいように犯罪被害者国選弁護人って書きましたけども、とにかく国費で犯罪被害者の流動資金、現金が150万円以下の貯蓄しか無い方って条件ありますけども、国選で弁護人が付くってことになりました。

 どう変わるかということなんですが、これ先ほど出した図です。今までは傍聴券をもらって、もしくは裁判所に許可をもらって傍聴するだけでした。でも、これからの被害者は、私は傍聴するだけじゃなくて被告人に質問もしたいし、いろんなことを聞きたいですと言うと、被害者は裁判所の許可をいただければですね、ここで検察官の横に座って、検察官の指揮下で裁判に参加することができます。

 自由に発言できるわけではありません。まず被害者ができることは、被告人とか証人に情状面に関することが主となりますが、検察官の指揮下で質問することができます。

 例えば「被告人が心から反省してます。生涯掛けて償いをしたいと思います」って言った時に、被害者が「質問があります」って言って、検察官に質問内容を言って裁判官が許可されれば、被害者は被告人に「あなたは今反省してると言いました。一生償っていきますって言いました。具体的に何をするんですか?」とか、そういうことを聞くことができるんですね。

 じゃ、具体的に何かあれば答えればいいんでしょうけども「いや、弁護人が言えっていうから言いました」という人もいるかもしれません。そういうですね、被告人に対してその情状面に関することを被害者が聞くことができます。

 あとは、裁判の中でいろんな会話がされます。被告人が何か言ったとします。言ったことが被害者とか遺族であれば当然嘘だと分かることもあるんですね。例えば、ある被告人がですね、これは被害者参加が認められている海外での日本人の事件だったんですけども、ある日本人女性が殺害されました、その方の部屋で。この被告人は、本当は強盗目的で入ったんだけども、留学中の女の子だったんですけども、その女の子と実は付き合ってたんだと。強盗じゃないと。付き合って、いろいろもめて殺しちゃったんだって言ったんです。

 でも、被害者のご遺族とか、友達とかは、被害者の女性が付き合ってないことを知ってたので、検察官が気付きにくいことをそんなことないですってことで、被害者が自分で娘さんの友人を連れてきて、この人と付き合ってなかったってことを証言してもらって、この被告人の罪が重くなったとかですね、そういう被害者しか知り得ないことだって出てくるわけです。

 それは、検察官も持ち帰って調べれば分かるかもしれませんけども、裁判の中ではとっさには検察官も分からない、言えないことがあるんですね。それも被害者だったら言うことができる。

 それと、事件とは関係の無いことも被害者が知りたいことがあります。裁判は基本的には事件の真相を解明する場です。でも例えば、私が妻が残した最後の言葉を知りたいと思った時に、そんなことは、当然、裁判官とか弁護人とか検察官が質問するわけではありません。でも「被害者として被告人に質問があります。私の妻は、最後、どういった言葉を残したんでしょうか。覚えてたら教えてください」と、そういう被害者が知りたいと思うようなことも、もしかしたら聞けるかもしれないということで、非常に被害者に資すると思います。

 そして、最初に話した娘さんを殺害されたお母さんのお話です。被告人が暴言を吐いた時に「今のは、私たちの遺族の尊厳を踏みにじりました。謝ってください」とか、もしかしたら言えるかもしれない。そうしたら、命を亡くされたお母さんは、もしかしたら心の被害も軽度に済んで回復したかもしれない。

 そういうことで、私の裁判には間に合いませんでしたけども、これから不幸にして犯罪に遭った方が裁判を傍聴する度に傷つくんじゃなくて、裁判に行く度に真相が1個ずつ明らかになって、自分の怒りとか憎しみを少しずつ緩和されるような裁判になればなと思ってます。

 そして、何よりもですね、裁判が終わって有罪が確定した後に被害者が損害賠償請求をすれば、この裁判官のままで民事裁判に移行します。今までは、この刑事裁判の記録をコピーさせてもらって、それを違う裁判所に持って行って、またその違う裁判官が一から読み直してってことで時間が掛かったんですけども、これからは事件をずっと審理してきた裁判官がそのまま民事裁判をしますので、事実の内容、加害者が何をしたか、被害者がどんな被害かってことが分かってますから迅速に民事裁判をすることができる。

 さらに、この被害者に対しては、これからは必要であれば国選弁護人が付きます。なかなか裁判の中で被害者は意見を言うのは大変です。緊張もするし、興奮もする。そういった時に弁護士の方が横に座ってくれて、被害者が訴えたいことを事前に聞いておけばですね、被害者がちょっと緊張したり心の負担が大きくなったら、被害者参加弁護人のほうが代わりに質問したりとかできるようになりますので、こういったことができてですね、被害者が刑事裁判に参加して、裁判で自分の気持ちを言ったり自分が知りたい真実を確認したりすることができるようになりました。これは本当にすばらしいことです。被害者参加が可能な犯罪は死傷させた罪とか、強制猥褻、強姦とか重要犯罪に限られてますけども、まず第一歩です。

 でも、これは本当に素晴らしい法律だと思いますし、これが今日から、今日起訴された事件から始まりますので、是非利用していただきたいし、これによって犯罪の被害から回復する方が多くなるというふうに私は信じてます。

 そして、これからは裁判員制度が始まります。来年の5月からです。もしかしたら、この中に裁判所から通知が来た方がいらっしゃるかもしれませんけども、僕はこの裁判員制度は絶対に成功させなきゃいけないと思ってます。

 私たちの社会で起こった問題は、私たち社会も一緒になって考えて解決すべきです。今までは、それを司法の方に丸投げしてた、押しつけてたと思います。裁判官の方が例えば被告人に死刑を科すとか、無期を科すとか、本当に悩みながらされてます。実際に私も裁判官の方が苦渋の表情を浮かべながら判決文を読んだりしてるのを見ましたし、自分がこうして「被告人に死刑を求めます」というこの発言がどんだけ重いか、言うことによって、どれだけいろんな人から意見が来たりとか、中傷が来たりとか、苦しいかってのがよく分かりました。でも、それは、やはり社会みんなで考えることだと思ってます。

 ですから、これからの刑事裁判は、裁判官、検察官、弁護人、そして被告人も主張する。被害者も主張する。被告人と被害者双方の主張を法のプロである裁判官と私たち一般の社会人が見て、こういう犯罪に対してはこういうふうに処罰するんだってことを考えて社会にちゃんと提示する。

 また、裁判員で実際に裁判に携わった方は、事件の詳細な内容は言うことできませんけども、人を裁く難しさとか、犯罪に遭った人がどんなに苦労するかとか、犯罪は起こってしまうとですね、それを処理するのがどんだけ難しいかってことを本当に体感すると思います。そこからきっと犯罪はいけないんだって気持ちに絶対なると思います。

 僕も犯罪は減らしたいと思ってますし、多分、裁判員になった方も絶対そう思うと思います。であれば、そういった気持ちを家庭に帰って自分のお子さんに話すとか、それとなく職場の人に話すとかいうことで必ず防犯意識の向上につながると思ってますので、仕事をしてる方がこういうふうにするのは大変だと思うんですけども、皆さん積極的に社会に関係していって何とかこの裁判員制度を私たち国民みんなで支えられればなと思っております。

 ということで、ちょっといろいろ言いましたけども、第1世代、第2世代って言いましたが、今この第2世代が終わりましたと。これまで何やってきたかっていうと、今までは犯罪被害者の権利を確立をするっていう基盤整備をずうっとこの10年間ぐらいかけてやってきたっていうことになるんではないかなと思ってます。

 そして、第1世代、第2世代っていう犯罪被害者権利基盤整備の時代は昨日までです。今日から変わります。今日から第3世代っていうものに私は入ったと思ってます。それは、被害者の権利実現の世代になったと思ってます。今日から被害者参加制度、刑事裁判に被害者が参加できます。

 また、今日から被害者は刑事裁判の後にそのまま民事裁判を起こすと、損害賠償請求をすることができます。そして、今日から国選で被害者にも弁護人が付きます。更に、12月15日からは重大事件の被害者に関しては少年の審判も傍聴することができます。正に、今までですね、被害者の求めてきたことが達成されることになります。

ちょっと整理するとですね、最初に出したスライドです。平成11年、私が何にも本当に知らない時に思った、少年審判の傍聴出来ない、意見を言えない、尋問できない。刑事裁判では傍聴席もない、訴訟も参加できない、意見も言えないとか、家を失ったら、補償もない、弁護士探しも苦労したとか、色々言いましたけども、たった9年後、9年間で少年審判は重大犯罪につきましては傍聴可能になりました。意見は言えませんけども、意見を記録してくれて、それを提示することができるようになりました。まだ少年審判では尋問とか質問はできませんけども、ここまで進みました。

 刑事裁判に関しては、優先傍聴可能です。訴訟参加もできます。意見陳述もできます。尋問も、裁判官の許可は要りますけども、これもできるってことで、これは、ほぼクリアしていただきました。

 生活面でも、例えば、私の場合、自宅を失いましたけども、多分、今であれば、もし公営住宅とか空いてれば優先的に入ることができるようになりましたし、弁護士探しに苦労しましたけども、今は法テラスがあって、犯罪被害者精通弁護士という被害者のことをよく理解してますよって弁護士さんの名簿を作ってくれて、被害者が行ってびっくりするような弁護士にはならないように整備され、ちゃんと被害者のことを理解してる弁護士さんを斡旋してくれるようになりましたし、その時に弁護士費用を払えない方に対しては、ちゃんと国費で弁護士が付きます。弁護士さんも、ちゃんと国からお金を頂いて、仕事の等価を貰えるだけの制度にされてます。ということで、皆さんの税金を使わせていただくことになるんですけども進みました。

 相談機関は当時無かったんですけども、今は全国46都道府県に犯罪被害者支援センターが確立されて、あと1県だけ無い機関があるんですけども、そこが出来れば揃うことになります。

 あとは、情報の入手が非常に困難だったんですけども、今これについては日本中の各県の各支援センター以外、いろんな公共機関を含めて連携をしましょうってことで、犯罪被害者ハンドブックというの内閣府の方で作って下さっています。これは、日本にあるいろんな福祉機関とか民間機関が、どんな支援ができるか、網羅されてるもので、それを見ればですね、例えば自分が裁判所に勤めてる人でも、裁判所でできないことも、あ、これは何とか福祉センターへ行けばできるってことで、被害者にそこへ行ったらどうですかとか説明できるようなハンドブックを今一生懸命作ってますので、多分これも来年度には完成していると思います。

 ということで、たった9年間でこれだけ法律を整備してくださった。こんなになかなか整備することは無いと思うので、こういったことをやってくださった方々、そして犯罪被害者の声に耳を傾けて世論を作ってくださった国民の皆様、それを報道して伝えてくれたメディアの皆様、そして何よりも法改正のためにご尽力くださった立法府とか、行政府とか、そして司法に携わる方々に深く感謝をしてます。

 いろいろ話しましたが、最後なんですが、私がこの事件があって9年間やってきて思ったことはですね、やはり私たち全員が社会に関わっていく、僕も社会に関わることでいろいろ勉強になったし、自分も成長できたし、忙しいのはありますけども損したことは無いと思ってます。

 ですから、私たちみんなが社会に関わっていけばですね、この自分で一生懸命携わってる社会を崩そうなんて思わないと思うんですね。そうすることで防犯意識が高まると思ってるので、考え続けることは大切だと思います。

 そして、この写真は、ここのすぐ裏にあるとこです。これ、もう分かりますかね、この写真何かってのは。これは最高裁判所なんです。

 最近、私、いつもこれを最後に言うんですけども、私も事件があって初めて最高裁判所に行きました。最高裁判所、行き方が分からなかったので前日にタクシーで「最高裁判所、お願いします」と言ってこっそり見に行ったんですね。
 その時、1周ぐるっとタクシーで回ってもらいました。そしたら、大変大きな建物で立派で、調べたら有名な建築設計者の方が造られてるんですけども、何か中途半端だったんですね。もっとここ屋根伸びても良さそうだし、ここももっと出っ張れそうなんですよ。

 「あれ、これ造りかけですか?」って言ったら、「そんなことありません」って言われて、それである方に「これ何でこんなに中途半端んなんですかねえ」って聞いたらですね、こう言われたんです。

 「法は常に未完である」。要は、法を司ると万能感に浸る方がいるそうです。でも、法ってのは完成が無いんだと。常に社会が変化し、いろんな社会情勢が変われば常に法律を変えていかなきゃいけない。法治国家である以上、今の法で満足することなく、常により良い社会、より良いものを目指して法を変えていく。だから法は未完なんだということを言うために敢えてこういう設計にしているんだということで「ほう、なるほど」と思いました。

 ただ、これ建築した方に確認したわけではありません。実は、ぐるっと1周回ってるタクシーの運転手さんがこう言われたんです、私に。「本村君、法は常に未完なんだよ」。

 本当かどうか分からないんですけども、多分本当だと思うし、大変すばらしい言葉だなあと思ったので「法は常に未完である」ということを忘れずに行政とか立法に携わる方はどんどん法改正に携わってもらいたいと思いますし、私たちも、法治国家で主権者は私たちですから、法に関心を持って、より良い社会目指して法を変える活動を機会があれば積極的に参加して考えてもらえればなと思っております。

 今日は長い時間、ご清聴ありがとうございました。


 

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