11月25日~12月1日は犯罪被害者週間

「犯罪被害者週間」国民のつどい 北海道大会

議事内容

開会挨拶

中川 義雄(内閣府副大臣)(代読:荒木 二郎(内閣府犯罪被害者等施策推進室長))

 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介をいただきました、内閣府で犯罪被害者施策を担当しております荒木と申します。本日は本来中川副大臣が参りまして、ご挨拶する予定だったんですけれど、急きょ予定が入りまして、代わりまして大変僭越でございますけれど、私のほうから中川副大臣のメッセージをお預かりしておりますので代読をさせていただきたいと思います。

 平成19年度「犯罪被害者週間」国民のつどい北海道大会の開催にあたり一言ご挨拶を申し上げます。本日は基調講演、あるいはパネリストをしていただく有識者の方々をはじめ、多くの皆様方にご列席を賜り本当にありがとうございます。国民の誰もが安心して暮らせる社会を実現するために犯罪を予防するにとどまらず、不幸にして犯罪被害に遭われた方々に対して、再び平穏な生活を営むことができるようになるまで、途切れることなく支援を受けられるようにすることが大切です。

 政府では「犯罪被害者等基本法」に基づき、犯罪被害者等の権利利益の保護が図られる社会を目指して、平成17年12月、2年ほど前ですけれど、「犯罪被害者等基本計画」を決定し、犯罪被害者に対する各種の支援施策を総合的かつ計画的に推進をいたしております。

 基本計画には258の施策が盛り込まれておりますけれども、そのほとんどがすでに実施をされております。今年は基本計画に基づき設置されました3つの検討会のとりまとめが行われました。経済的支援を強化する問題、連携のためのネットワークをつくる問題、民間の支援団体に対する援助をどうするかと、この3つの問題についてとりまとめを行いまして、政府を挙げてその施策を推進することといたしております。また、被害者の方が刑事裁判に参加できる制度が、先の通常国会でできました。これにつきましては来年の秋に施行になる予定となっております。このように被害者基本法、基本計画に基づきます施策が確実に実施がなされているところでございます。

 基本計画におきましては、基本方針として国民の総意を形成しながら施策が推進されることとされております。犯罪被害者のおかれた状況等について、国民の方に理解を深めていただくために、基本法の成立日であります12月1日にちなみまして、毎年11月25日から12月1日を「犯罪被害者週間」ということにされております。今年2回目の実施となります本年度は、標語を全国から募集をいたしまして、滋賀県の方が応募していただきまして、「悲しみを希望にかえる社会のささえ」というのを標語といたしまして、様々な広報啓発活動を行っているところでございます。

 このつどいも、犯罪被害者週間の中核的な行事といたしまして、国民の方に犯罪被害について、被害者の支援について考えていただくということで開催をするものであります。この北海道大会は4つの地方大会の1つといたしまして、北海道庁、北海道警察、北海道教育委員会の共催により開催をいたさせていただいております。

 北海道におきましては、高橋知事のリーダーシップの下で、北海道犯罪被害者等支援基本計画が策定されました。また総合相談窓口を民間団体に委託されまして、効果的な被害者に対する相談や情報提供に努めておられるところであります。

 このように行政と関係機関・団体が連携をしながら、犯罪被害者等施策を先進的に推進をされておられるところでありまして、北海道においてこの国民のつどいを開催できますことは、大変喜びにたえないところでございます。

 本日は犯罪被害者等がおかれている状況、それを踏まえての支援施策の重要性、あるいは民間の支援団体による被害者支援の意義や、更なる国民の理解の増進などをテーマといたしました、基調講演やパネルディスカッションが行われますほか、関係機関団体によりましてロビーのほうでパネル展示が行われているところでございます。

 これらの行事を通じまして、ぜひご来場の皆様方には犯罪被害者等の方がおかれている状況、犯罪被害者等の名誉や生活の平穏への配慮の重要性等について理解と関心を深めていただければと考えております。

 終わりにあたり、犯罪被害者等の権利利益の保護が図られ、より日本が安全で安心に暮らせる社会となりますように、政府といたしましても今後とも全力で取り組んでまいることをお約束申し上げましてご挨拶といたします。

 代読をさせていただきました。ありがとうございました。

挨拶

嵐田 昇(北海道副知事)

 皆様、こんにちは。副知事の嵐田でございます。本日は「犯罪被害者週間」国民のつどい全道大会ということでございます。このように大勢の方にお集まりをいただきまして本当にありがとうございます。この大会の主旨等につきましては今、荒木審議官からいろいろお話がございましたけれども、私ども北海道といたしましては本年の3月に道警察そして道教委と連携いたしまして、北海道としての犯罪被害者の支援のための具体的な施策をまとめた支援基本計画といったものを策定したところでございます。

 しかしながら、自治体としての総合的な取り組みというのは、まさにスタートしたばかりでございまして、道民の皆様方に対する認識あるいは理解といったものが十分に浸透しているのかな、といったことはまだまだ不十分ではないかと、このように思っている次第でございます。

 そういったなかで本日は内閣府さん等と共催というかたちで普及啓発事業の一環としてこの大会を開催させていただくことになったわけでございます。この後、基調講演をいただく村田先生をはじめ、道内におきまして、日頃から犯罪被害者支援に深く携わっておられる方々の貴重なお話を聞かせていただきながら多くの道民の皆様に、犯罪被害者支援への理解を深めていただければなと、このように思っている次第でございます。

 私ども8月1日に、犯罪の被害に遭われた方々の視点に立った適切な支援を行っていくために、道としての相談窓口を設けさせていただいたところでございます。学識経験者あるいは弁護士さん、医師、そして臨床心理士さん等が参加いたしました、犯罪の被害に遭われた方の支援をする推進委員会と、こういったものも立ち上げたところでございます。今後とも国、そして市町村の方々、民間の団体の方々、そして何よりも道民の皆様方の理解を賜りながら、犯罪被害に遭われた方々の総合的な支援に取り組んでまいりたいと、このように思っている次第でございます。

 結びになりますけれども、この大会の開催にご協力いただきました本日お集まりの方々、そして関係者の皆様方に深く御礼と感謝を申し上げますとともに、今日を契機に犯罪被害者への理解と支援の輪がより一層広がることを期待いたしまして、私からの簡単な挨拶に代えさせていただきます。本日はご参会、本当にありがとうございました。

挨拶

高橋 清孝(北海道警察本部長)

 北海道警察本部長の高橋でございます。本日の大会にたくさんの皆様にお集まりいただきまして本当にありがとうございます。また、日頃から被害者支援にご尽力されておられることに対しまして、心から敬意を表する次第でございます。

 犯罪被害者は身体の負傷などの直接の犯罪被害に苦しんでいるばかりでなく、被害を受けたことによる精神的ショックを受けております。また、ご遺族は犯罪によってかけがえのない家族を失い、心に深い痛手を負ってしまうなど、深刻な精神的被害も受けております。

 警察は被害者やご遺族に最初に接する機関として、被害者の要望に応えるため、事件直後からの被害者の支援を任務とします、被害者支援要員の制度等、平成8年から組織的な被害者支援の取り組みをしてきたところであります。

 被害者支援要員につきましては、この後講演をさせていただきますけれども、現在全道で警察官等約970人を指定してこういう業務に当たっております。

 しかしながら、被害者の要望といいますのは、通院の介助等生活上の支援や医療に関することなど多岐にわたっており、警察がその全てに対応することは非常に難しく、これらにきめ細かく対応するためには、行政機関や民間団体との緊密な連携が必要不可欠であります。道警察といたしましては、今後とも被害者の視点に立って支援活動を推進していくほか、市町村等行政機関、被害者の直接的支援を行う民間団体等が参加して、全道の各地域に設置されております被害者支援のネットワークとの連携を図り、被害者が必要としている支援を途切れることなく受けることができるよう、道とともに積極的な働きかけをしてまいりたいと考えております。

 終わりに、本大会を契機として犯罪被害者をださない、安全で安心して暮らせる地域社会づくりの取り組みとともに、より多くの道民の方々が被害者のおかれている現状と支援の必要性を理解され、地域社会が一体となって被害者を支える環境ができることを祈念いたしまして、私の挨拶とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

基調講演

「被害者のこころの手当」
村田 忠良(社団法人北海道家庭生活総合カウンセリングセンター理事長)

 こんにちは。ご紹介いただきました村田でございます。どんなお話を申し上げようかと思ってまいりましたら、こんなすばらしい絵を見せていただきました。これがこころの手当の絵でございます。こころがありまして手当。私、医者を今年で50年やっているのでございますけれど、手当という言葉は本当にすばらしい言葉だと思います。手を当てるんです、患者さんの体に。体に当てるということは、心にしみわたるという、そういう意味でございますよね。

 この頃は、先ほどもちょっとお話ございましたんですけれども、顔と顔、目と目を合わせてお話をしながら、お気持ちを忖度したり、自分の気持ちを伝えたりという、そういうふうな場面が非常に少なくなりました。全部機械を通して、目と目を合わせるなんてことがとんとなくなりましたですね。目を合わせなくても、向こう向いてても、昨日のほうを向いてても今日のお話できるような、そんな機械の使い方。子供のときからそれをやっておりますから、とんでもない人間ができあがるんだろうなと今心配しているわけでございます。

 こころの手当、ここに映ってる方たちは皆さん笑顔でございますよね。困った顔の人は一人もいない。ということは、これこころの手当がうまくいった結果の絵なんだと思うのでございます。

 今日は「犯罪被害者の方々のこころの手当」ということで話せということですが、どうしても忘れられない私の体験を、これはあちこちでお話させていただいているのでございますけれども、どうしてもそれを話さなければなりません、と思います。

 10年前に北海道警察本部からのご依頼で、私どもの北海道家庭生活総合カウンセリングセンターが、犯罪被害者の方々の相談室を開設することになりました。ここの場所だったと思うのでありますが、発会記念、創立記念の講演を私にせいということでございましたので、何をお話しようか、メモをつくりながら、その日になりまして朝ごはんをいただきながらテレビを見ておりましたら、神戸の淳ちゃんの首切り事件の犯人逮捕のニュースが流れたんでございます。

 私、首をスポッと切って学校の門の前に置いておいたと言うんですから、これは複数の大人の犯罪であると確信をしておりました。子供がとても首をスポッと切るなんてことできないんです。医学部の学生は1年のときに人体解剖の実習がございまして、8人の遺体を順繰りに解剖するんでございます。首をスポッと切るなんてことは到底できないことです。日本刀というのは、世界で一番切れる刀でございますけれども、首をスポッと切ったというお話は2つか3つですよね。あとは皆、袈裟切りで、それを首をスポッと切ったというのですから、これは冷凍した首を電気ノコでスポッと切ると、そういうふうなことであるはずだと。とすれば犯人は大人の複数のと、そういう方程式で私は考えておりましたのですが、犯人逮捕、ひとりの中学生が犯人であるということでございますよね。私は度肝を抜かれたんです、そんなことってあるのか。

 次に思いましたのは、淳ちゃんのお父さん、お母さんが、「先生、息子が殺された」と、私のところにおいでになったら、私はなんとか一緒に抱き合って泣くとか、なんとかお慰めの手当が少しはできるだろうと思ったんですが、中学生の単独犯行の、そのお祖父ちゃんが、「先生、犯人はうちの孫でございました」と言ってこられたら、私はそのお祖父ちゃんにどういうふうな対応をしてさしあげられるんだろうということを思いました。本当に頭が爆発しそうになりました。私が用意していた話なんて吹っ飛んでしまいました。何を言ってもむなしいと、そういうことで呆然といたしました。やっとの思いでここまで来たんですが、この壇に上がることができない、無理やり私を引っ張り上げた人がここにおられるのでありますが、何を話したかよく覚えてないぐらい。それ以後10年間、繰り返し繰り返し思いますのは、加害者の家族も被害者なんだなということです。そうすると、被害者というのはどこまで考えたらいいんだろうかと。

 札幌でも先だってもいろいろな事件が続いておりますけれども、そのお身内の方たちはそこに住んでおられないんじゃないでしょうか。どこかに姿をくらます。あるいはどこかに移っていっても、本当の名前を名乗るということも控えなきゃならないというふうな、そういう辛い生活をなさる意味の被害者になっていらっしゃるんじゃないか。

 そんなことを思い続けておりまして、被害者というのは、どこからどこまでが被害者なのか、思いがけないところに被害者の方がおられる。あるいは、被害者がお一人の場合と複数で同じような被害を受けた場合と、あるいはこころにだけ被害を受けた、あるいは人に見える体にだけ被害を受けたというような、いろんな分類ができるんでございましょうけども、とにかく様々なかたち、様々な内容の被害についての考察を絶えず続けていかなければ対策は立てられないんだという、そういうふうに思います。

 私はこの10年、私どものセンターが被害者相談のお仕事のお手伝いをさせていただきながら、常に考えておりましたのは、「犯罪被害者学」という学問をつくろうということを今思っているのでございます。被害者学なんて、そういう学問を私知りませんのですが、被害者学という、わざわざなんで学という字をつけるか。学問としての体系を考えるかと言いますと、学問にしますと批判ができます。学問にしますと、是正ができます。改善ができます。否定もできます。そういうふうなことで、その学問を成長させることができるわけですよね。そういう意味で、犯罪被害者学というものを育てたいものだと、そんな力はないんですが、皆さんとご一緒にそういう学問を育てていきたいなというふうに思うのでございます。そういう作業を今年中に始めたいなと思っているところでございます。

 ただ、心身的な被害というときに、それを受ける被害者の方の、先ほども申しましたが、たった一人で被害を受けたか、複数で被害をお受けになったのか、あるいは幼い子供が被害者なのか、大人も含めた被害者なのか、もう考えていくときりがございません。実は阪神大震災がございましたが、あの年に私神戸に4回行きました。ボランティアの医者として仮設住宅に避難して生活している人たちの往診を手伝ったり、神戸の町のバラック建てのところに救援本部というのが生田区にございまして、そこに寝泊りをしながら。神戸というのは、11月でも暖かいのだと思って行きましたら、震えるような寒さでございました。つまり、暖房だとかなんとか設備が全部壊れちゃっている。ビルが倒れてないんですね。そうすると野っ原でございます。そこに建っているバラックですから、ものすごく寒い。そういうところに1週間ほどいてお手伝いをさせていただいた。

 そのときに、今流行の言葉でPTSDという言葉があります。ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダーというんですが、心的外傷後ストレス症候群と、そういう震災に遭われた方たちの被害者の方が襲われる精神状態でございますね。その実例をつぶさに何人からも何人からもお聞きいたしました。私の手を握って、「私は生まれてから悪いことせんじゃったよ。なのにどうしてじいちゃんはとられる、家は潰れる、わしはこんなところに住まねばならんのじゃ」と、私をゆさぶったお婆ちゃんがおりました。

 そういうたくさんのお話をお聞きしながら、いろんなことを学ばせていただいたんでありますけれども、そのなかでひとつ、びっくりしたのは、あるお父さんのお話なんですが、そのご主人がとにかく毎日出勤前に犬を連れて散歩に行くんですって。そうすると向こうからやっぱり犬を連れて散歩にきたご主人とぱったり会うんですね。その犬が毎朝のことでございますから、遠くに犬の影を見ると吠えるんですって、両方の犬が。そして本当にくんずほぐれつ喜びあうんですね。それを見ながらお二人の旦那さん方は、「今日も元気でようございましたな」「それではまた」と言ってお別れするというのを毎朝続けていたんですね。

 ところが震災でぱったり。1ヶ月ほどたってやっとお家の整理もできたので、ひさしぶりにわんこを連れて散歩に行こうかと。向こうの方もどうだった、無事だったらいいがなと思いながら行ったら、遠くのほうでわんこを連れたその方を見つけたんですね。ああ、ご無事でよかったなと思っていたら、だんだん近づいていって、「ああ、ご無事でしたか、大変でしたね」と言うのに、わんこは、わんこ同士なんの挨拶もなく、さっさと行こうよと、まったく見知らぬ無関心の様子。

 私その話を聞きまして、PTSD、心的外傷後トラウマ症候群、ストレス症候群というのは、人間だけじゃないんだ、わんこまでと。1ヶ月会わなかったから記憶がなくなるというわんこはいないです。そのショックですよね。動物にさえもそういうふうな心的外傷を与えるという、すごい出来事だったんだなと思う。その後のわんこのことは知りませんが、そういうふうなわんこも被害者だったわけです。

 新聞報道にはなりませんけれども、現地でいろんなことを聞きまして、私たちは単純に考えることはできないんだなということを、本当に思い知らされて帰ってきたのでございますが、被害者の方のこころの手当という、そのことも短い時間に思いついたようなお話は通用しないと思いながら、それを自覚しながらあえてお話をさせていただくのでありますが。

 こころの手当、私は精神科の医者でございますから、「病むこころの手当」と「戸惑うこころの手当」というのを区別して考えているんです。「病むこころの手当」は医者の仕事でございます。精神科の治療。ですから精神療法も含め、薬物も使います。お注射も必要なら使いますが、「戸惑うこころの手当」というのは、私どもの仲間のカウンセラーがやる仕事。これは医師免許がないから薬は使えない。「戸惑うこころの手当」というほうが難しゅうございます。病んでいる心が回復してきて、病んでいる症状がなくなって戸惑いが残るというような場合にはカウンセラーにバトンタッチをするわけですが、そういうふうな様々なふれあいの仕方をしながら、被害者のこころの手当を進めなければならないんだと思うのであります。

 ただ、ここにありますように、「悲しみを希望にかえる社会のささえ」、社会というのは私どもみんなのことでございますから、専門家だけじゃないです。素人も隣人、あるいは遠く離れた人でもとにかく社会、しかも私もちょっと後でお話したいと思いますが、この同じ時代に生きているという、同時代人として生きるという、こういう、言ってみれば一つの宿命でございますよ。今の世の中に私どもは――ひどいじゃないですか、本当に現代というのは。19世紀の人も18世紀の人も「現代は」と言ってたと思うんですけれど、この21世紀になって、20世紀以上にひどいじゃないですか。ひどさということを考えると、本当にこころが病むのでございますけれども。

 そのカウンセリングのあり方というようなことを少しお話させていただきますと、一番大事なのは、「悲しみを希望にかえる」という、そういう働きなんでありますけれども、なにが一番大事かと言いますと、共感するということなんですね。こころの痛みを同じように実体験というか、追体験といいますけれども、大変だったんだろうなということを共感してさしあげる、そういうことですね。それができない方はカウンセリングができないのであります。

 共感するという言葉がいま流行りでございますけれど、そして英訳、英語の言葉もたくさんあるんですが、私が一番好きな「共感する」という言葉の英語は、コンパッションという言葉であります。コンパッションというのは、ラテン語でともに悩むという、一緒に悩むという、コンとパッスス、英語で言うとウィズという言葉とトゥー・サファーという言葉なんだそうです。一緒に悩む、一緒に苦しむという、そういう作業が第一番に前提としてできなければならないわけであります。その共感するということが第一の作業でございまして、それができないときは、こころの手当の作業は進めるべきでない。

 被害者としてもそうですけれども、私どもがカウンセラーとして悩んでいる被害者の方と対話をする、対面するときに、自分自身のなかで瑞々しい感情が途絶しているというか、そういうふうな状況のときには、こころの手当なんていう作業はおこがましい、すべきではありません。状況はよくわかるんだけど、実感が伴わないというのがあるので、これ精神科の用語で離人症と申します。例えばお忙しい仕事が続いていて不眠がちである。寝不足で疲労困憊でというようなとき。あるいはひどくお酒を飲んで二日酔いがひどいという場合。あるいは重い病気で今度よくなって、すぐまた悪くなってというのが長引いているという、そういうような状態のときには離人症にだれでもがなります。そのときには、ああ、そういう事件に遭ったら大変だったんだろうなという、そこらの理屈というか、からくりはわかるんですけれど、どんなにか大変だったろうというような実感が伴わない。これは非常に恐ろしいことなんであります。

 被害者の方ももちろん、そういう離人症の状態になります。被害者の方が一番そうなります。ですから共感をもって何かをするというようなときにも、本当に大変なんだということをこちらが感じながらでなければ、やっちゃいかん。神戸に行って私ショックを受けたのは、お家が潰れて、ところが「助けてくれ」という声が聞こえる。皆で手で材木を退けたり、レンガを外したりやっているところに新聞社のヘリコプターがやってきた。そしてヘリコプターで放送しているわけです。そのヘリコプターの音で「助けてくれ」が聞こえなくなるんですって。それで「そっちへ行け、そっちへ行け」って皆で手を振ったら、ヘリコプターのアナウンサーは「皆、喜んで私どもに手を振って歓迎してくれています。皆さん頑張ってください」と、なお聞こえないわけでしょう。それで、やっとヘリコプターが去って行って、もう「助けてくれ」という声は途絶えているというんです。泣きながら掘っていったら、すっかり死んでしまっていたというような、そういうお話をたくさん聞いているうちに、私は人助けってこんなに難しいものだったかと思いました。ですから、私たちは自分が健康であればあるほど、自分に不幸の体験がなければないほど、よほど用心深く被害者の方に対面しなければならないんだというふうに思うわけであります。

 つまり被害者の方に対してお話をするときに、私どもはカウンセラーとしての役目、カウンセラーとしての身分というか、被害者の方はクライエントと英語で言いますが、クライエントの方に対面するわけですが、そこでのお話は対話なんでございます。対話というのは、英語でダイアローグといいますが、これはギリシャ語のディアとロゴスという言葉がくっついてできた言葉で、ディアというのは分かち持つという言葉。ロゴスは言葉、意味、もっと言うと生きる意味、あるいは命、そういうふうな深い意味をもった言葉だそうであります。ですから、会話というのは、「今日はお天気がよくてようございますね」「そうですね」というのが会話。対話というのは、本当に被害者の方のこころに手当をするときの話。そういう対話というのは、言ってみれば大げさでなくて、生きる意味の分かちあいだということであります。2人でお話することが生きる意味の分かちあいだということであります。

 この同時代に生きる者としての出会い、同じ時代に同じように生きていて、こういう被害に遭われた方、私はその被害をお受けになった方を少しでもサポートしてさしあげたいとしてここにいるんだという、そういう大変な出会いでありますね。出会いというのは、大変意味深い言葉だと私は思うのであります。

 この同時代に生きるということをなぜ私強調するかと言いますと、こんなおかしな時代ってあったでしょうか、今まで。私は知らない。私はわりと歴史が好きで、歴史的なものの本を読んだり、お話を聞いたりするのが好きなんでございますけれども、こんな奇妙な時代ってないんじゃないかと思うんですね。一番奇妙なのは「らしさ」がすっかりなくなったということです。悪いことしない人いなくなったですね。

 私も実は時々悪いこといたしますけれど、道警本部の方がこられるたびにピクンといたします。なにも悪いことしてなくても、昔はおまわりさんの姿を見ると緊張したものです。そしてお一人おひとりが、らしさをお持ちになっていた。あるいは職人気質なんていって、歩くかっこうから着ている服から見て、あの人はこういう仕事だなというのはわかるようならしさももっておられた。男らしさ、女らしさ、大人らしさ、子供らしさ、学校の先生らしさ、おまわりさんらしさ、そういうふうな「らしさ」というものが説明なしにあったじゃないですか。今まったくそういうらしさがない。こわいことですね、これは。

 男らしさ、女らしさということを軽蔑して考えるとか、今頃そんなこと言う人はいないと。じゃあ男でない、女でないと、どんな人なんだと。中性をめざすんでしょうか、と思うんです。男らしさ、女らしさというのは、なにも男女差別ではありません。男女同権です。当たり前です。けれど、男らしい男の人、女らしい女の人というのはおかしいんですよね。男でもない、女でもないという人はいりません。そういうことでありましょうね。らしさがなくなったということ。

 それともうひとつ、この頃の犯罪を見ますと、「札幌でそんな事件が起きたの?」とか、「あんな田舎でこんな大事件なの?」という、非常に単純な動機で残酷、無残な結果をうむような犯罪ばかりでございましょう。この間もタクシーに乗っておりましたら、札幌のタクシーの運転手さんで3人ほど殺されて迷宮入りなんだとかという話を聞きました。捕まらないんですよねって。その運転手さんは、しかし、なんで俺たち一晩車走ったって、ここのなかには3万円か5万円しか売り上げないんだよと。その3万円か5万円を盗るために、人の命を殺すんだからかなわないなと言うんですね。本当にそうですよ。単純一次方程式というか、動機と結果というものがそぐわないんじゃないですか。こう思ったら、もうその瞬間に犯行を起こしているという、短絡行為と言います。目的から手段を選んで、そしてという、順序だてが全然できない。思いたったらそのまま実行してしまうというのを短絡行為と言います。そしてとんでもない、いらいらするから子どもを2階から投げ捨てたとか、そんなとんでもないこと。そういうことが珍しくなくなりました。

 一人か二人死んでもあまりびくびくしなくなったんじゃないですか。昔は一人が亡くなったにしても何十年も話のタネになりましたものですよ。いま何十人か死ななければ、何十人か死んでも、3日も覚えていないくらいに世の中様々な事件の連続でございましょう。そういうふうなことがなんでもなく起きている、そういう時代に私どもは同時代人として生きているわけです。これはものすごいことです。

 私の大好きなフランスの文化大臣をしていたアンドレ・マルローという人がいます。マルローさんという人は日本に3回も来てた人で、日本に3度来て、3度目においでになったときに、残された言葉があります。「21世紀は再び精神性の時代になるであろう。でなければ21世紀はあり得ない」とおっしゃったんですね。そのことを私あるご本で見まして、「再び」という意味と、「精神性」という意味をもっと深く知りたいと。私フランス語できませんけれど、なんとかアンドレ・マルローさんに手紙を書こうと思っている矢先に亡くなられた。私はアンドレ・マルローさんのこの言葉が20世紀のお終いまで生きておられた文化人の、私たちに対する遺言だと思っているんでありますけれど、ある本を見ましたら、精神性の時代というのを宗教性の時代というふうに訳している本がございました。

 いずれにしても、物質主義というか、理屈に合わないものは存在しないというふうな言い方をしていたのが20世紀でございます。科学で割り切れないものは存在しない。科学万能主義というのはたしか20世紀の迷信だというふうに思っているんですが、21世紀はそのままではとんでもないと、人類は滅びるぞと思っています。それに対しての警告が「21世紀は再び精神性の時代になるであろう、でなければ21世紀はあり得ない」とアンドレ・マルローは言ってくれたんだと思うんですが、21世紀になって、もう7年も経ちましたよね。でもちっとも変わらない。かえって悪いじゃないですか。戦争は次から次と起きるわ。人殺しは続くわ。今までなかったような犯罪が続発するわ、ということでございます。

 そういうふうな残酷無残な、生きるということの意味がいったい何なのか、ということを絶えず問い返しながら生きていなければならないような、そういう毎日を送っている私たちにとっては、本当に辛い時代であるというふうに思うのでございますが、被害者の方の心の状態を理解するためには、いろいろな工夫が必要なのでございます。

 一つは時の流れ。昔の人は時ぐすりという言葉を言われました。時のいやしということですね。とても大変なものすごい事件に出合ったんだけど、1年たち2年たち3年たちすると、3年前のできごと、10年前のできごと、というような時のいやしという、なにか突然の突発的な事件に出合ったときに気を失いますね。あれは人間が人間を守るための身体についている自衛装置の発動なんです。一瞬気を失わせるんです。3日も4日も意識障害続いたら、これは大変ですけれども、3分か5分か気を失って、水をかけられたり、しっかりせよなんて起こされた。そうすると残酷無比ないろんな事件に出合って気を失ったんですけれども、それは5分前の過去のできごとになっているわけです。5分間の時の流れで少しでも余裕を取り戻そうという自衛手段が気を失うということです。人間の体って本当に神様いろんな工夫をなさっておつくりになったんだと思いますが、よくできていると思いますよ。

 そのことなんでございますけれども、その時の流れが、私どもと被害者の方の時間の流れがちがうんです。このことを忘れちゃならんと思うんです。時のいやしということがありますけれども、その時の流れが私どもと被害に遭われた方とはちがうんだということです。よく私、例に申し上げるんですが、3つの坊やと手をつないで歩いていたお母さんがひょいとした隙に手を離した、坊やが走り出したところに酩酊運転の車が坊やをひき殺したとします。3つの坊やは亡くなりました。お母さんは大被害者でございましょう。毎日毎日泣いて暮らしているわけですよ。そこにお友達がやってきました。あんた、まだ泣いてるの。もうあれから3年経つじゃない。しっかりしなさいよ、あなた。まだ若いんだから、元気な赤ちゃん産みなさい。それで一件落着でしょう。そう言って帰ったんですね。なぐさめになりましたか、ということです。

 私はギリシャの歴史が好きで勉強しているのでございますけれども、古代ギリシャ人は時間を2つにはっきり分けていた。クロノスという時間とカイロスという時間。クロノスというのは時計で計る時間。今、2時10分前の時間ですと、これ皆さんに共通する時間ですね。それを私は物理時間と訳しました。これ辞書にはないです、私の訳です。それからカイロスというのは、ギリシャ人はいまでも使うそうですけれども、自分の誕生日とか、自分の人生にとって非常に意義深い時を過ごした、その時のことをカイロスの時間というんだそうです。それを私は歴史時間と訳しました。

 そうしますと、3つの坊やを失ったお母さん、「あれからもう3年経ったでしょう」というお友達の時間はクロノスの時間、物理時間です。お母さんの時間は坊やをひき殺されたときから動いていないんですよ。これがカイロスの時間、歴史時間。やっとお盆を3回過ごして、あれから3年経つんだなということを思うようなゆとりもちらちらとでてきているでしょうけれど、街にでて、年恰好も同じ坊やの姿を見た途端に事故のその時に時間が戻ってしまうわけです。ですから、被害者の方とお話するときは、私どもの物理時間のものさしでお話しては何もなりません。被害者の方、人は私のことをわかってくれる、そんな人はいないんだという悲しみを深めるだけでございましょうね。そういうこともひとつ考えながらお話しなきゃならないんですね。

 「しっかりしなさい」「頑張りなさい」という言葉は、うつ病の患者さんには禁句だと、これは精神科の教科書の1ページに書いてあります。うつ病の患者さんに「しっかりしなさい」と言うと、こんなに頑張っているのに、まだ頑張れというのか、俺は生きてても無駄な価値のない人間だと。「頑張りなさい」と言われたその日に自殺した人いるんです。ですから「頑張りなさい」ということは禁句であります。被害者の方にも「しっかりしなさい」という言葉は……。しっかりしようと頑張っているのに、これ以上どうやったらしっかりできるんだという絶叫ですよ。こころの絶叫。そういうふうなことを、こころに痛みをもって受け止めてさしあげるのが共感ということです。

 しかも、歴史時間だ、物理時間だと言いますけれども、でもやっぱり時のいやしということはありがたいことです。時のいやす力というのはありがたいことだと思うのです。その時のいやしということで、こころが立ち直ってくるんですが、そのこころが立ち直る力を私は「こころの復元力」というふうに言うんです。これは教科書に書いてません。自然治癒力なんて書いてますけれども、私はけしからんと思っています。自然治癒力じゃないです。たしかに人間一人ひとりに備わっているものでありますけれども、復元力ですよ。復元力というのは、船が傾いたときに元に戻る力を復元力と言いますが、私たちのこころのなかに本当にすごい復元力というものがあるんですね。

 私は精神科の臨床を50年やってきました。本当に思い出に残る患者さんがいっぱいおられます。私なんて1年間に13人の方が自殺された。そういう1年を体験しているのでございます。こんなことお話すと背中が熱くなりますが、札幌の町を歩いていて目のやり場がないと思うことがあります。だってテレビ塔の真ん中くらいにあるガラス張りの展望のレストラン、あそこに椅子を持っていってジャーンと割って下に落ちて死んだお母さんがいるんです。それも私のところに来て診察を受けて、私がお薬をだした。そのお薬を持って家に帰って、それでですよ。私の薬袋を持って、茨戸の土手をすべり落ちて死んだ人もいる。もう本当に目のやり場がないと言いますか、突然そういう思い出がぱっと浮かびますでしょう。

 ドイツの精神科の教科書にも書いてあります。「『あの時もう一言言葉を添えてやれば、彼を自殺させることはなかったのではないか』というような思いを一生抱き続けるのは精神科医の宿命である」と書いてありました。だから、「僕だけじゃないんだな」と思うんでありますけれども。そういうふうな体験をしながら、しかし、「こころの復元力」というもので私は患者さんに治っていただいてきたんです、今まで。本当に私どもが慰めをしてさしあげる。被害者の方の手を握ってあげる。こころに手当をしてあげる。それはこの人には「こころの復元力」という不思議な力があるのだという信頼、あえて言いますと、信仰、それがなかったらできないことです。私たちが言葉で人のこころを立ち直らせてさしあげるとか、打ち砕かれたこころにまとまりを戻してさしあげるなんて力は私どもにはない。その方お一人おひとりがもっている「こころの復元力」、それに対する信頼、あるいは信仰がなかったら空しい。そういうふうに思います。

 どんなにひどい被害に遭われて、打ち砕かれているようなお姿の方のなかにも復元力がある。これは私は本当に患者さんとそのご家族から習ってきたことです、50年。50年精神科の医者をやってよく聞かれるのは、なぜ精神科の医者になったんだということと、もう一つは50年人のこころを見つめて、人のこころって一言で言えば、なんていうことでしょう? とよく聞かれます。

 私の答えは「人間、この未知なるもの」です。「人間、この未知なるもの」というのは、私の言葉でありません。フランスのアレキシス・カレルという、ノーベル医学賞をおとりになった医学者、世界で初めて人工臓器の実験をした、その人の書かれた本の題名です。「人間、この未知なるもの」、本当に人間というのはわからない。こんなに、世界で一番弱い存在だったと思う人が、私に30年前に出会って、その人の言葉が私の精神学の支えになっているという、そういうふうなことがいくつもあるんです。人間ってすごいな。一言で言えば、やっぱり「人間、この未知なるもの」だなということを思わずにはいられません。

 これも日本全国話して歩いているので、私の話をすれば必ずその方のお話をさせていただくので、もう何十回も聞いたよという方はやすらかにお休みになっていただきたいのですが、私は経歴にもありますが、以前に天使病院というところの精神科の仕事をしておりました。天使病院というのはご存知でしょうが、カトリックの修道女がフランスから7人やってきて始めた病院でございまして、非常に戦争中は敵性病院ということで苦労したんですが、頑張り通して入院患者さん一人も死なせなかった。丘珠飛行場のところに畑を借りて大根やお芋をまいて、それを北十二条の病院まで、修道女がリヤカーを引いて運んだ。そのお芋でご飯をつくり、おかゆをつくり、自分たちは本当にパンなんか全部患者さんに譲って一人も餓死させなかった、それがプライドなんですが。

 そのご褒美に連合軍がやってきたときに、北大病院にもないような医療器械やら脱脂綿やら使い捨ての注射器なんかをドンと置いていってくれたんですね。それで天使病院の産婦人科でお産をすると、産褥熱にならない。母性と子供の命を大事に考える病院だということで、1971年から私勤務したんですが、1970年代の前半は分娩数、赤ちゃんのとりあげ数が日本一でございました。日本一赤ちゃんが生まれますから、日本一障害をもった子供さんも生まれるわけですね。

 あるとき、初めてのお産をした、若い初産婦のお母さんが産んだ赤ちゃんが2つ障害をもっていたんですね。産婦人科の部長はそれをお母さんに告知できない。それで困っちゃって、「新生児黄疸が重いから、いま別室で保育しているので、2、3日待ってね」ということで面会を断っていた。毎日赤ちゃん、配達されてくるんですね、こんな箱の上に並べられてね。足の裏にまだ名前つけてませんから、「村田ベビー」とか書いて、お母さんは「どうもありがとうとおっぱいして、またよろしくね」と。お母さんは新生児室に入れない、無菌室ですから。

 同じ部屋のお母さんところに赤ちゃん連れてくるのに、私のところに来ないのはなぜだと、お母さんが「何か隠しているんだろう」と、「私が新生児室に行ってみる」ということを言い出したので、産科の部長は私のところに来ました。「村田先生、これからあのお母さんに説明するんだけども、その後のこころの手当頼みます」と言うんです。私、困った、そんなことしたことないですから。何言ってあげたらいいのか、「僕できないよ」と言ったら、その婦人科の部長怒りましてね。「先輩ともあろうものが、後輩の僕が困っているのに助けてくれないのか。それでも精神科の医者か」と言われまして、酒癖の悪い男だから仕返しが怖くて、しかたない、「わかった、わかった」と言ったら、夕方診察が終わってがらんとした診察室に、婦人科産科の婦長さんに連れられてガウンを着たお母さんが立ってました。お母さんの顔見えないんですよ、下向いて。ずっと離れているのに涙が落ちるのが見えるくらいの泣き方なんですよ。

 それで「おかけなさい」と、横の椅子にそのお母さん崩れるようにお座りになった。なんにも言ってあげられません。何を言っても言葉空中で凍り付いてしまうんじゃないかという緊迫感ですよね。私は背中さすってあげたり、娘みたいな気持ちで鼻を拭いてやったりしたと思うんですけれども、しばらくしてお母さんが、「先生ありがとう、帰ります」。「そうか。明日またおいで」。帰りました。明日もまた来るんです。同じです。3回か4回か、私も半年も続いたように思うけれど、まさかそんなじゃない。3回か4回。そしたらあるとき、ドンドンとドアをノックする。大きなノックで、「はい」と言ったら、産科の婦長なしで、患者さんのお母さん一人で立ってました。直立不動で私をはったと睨みつけてました。そしてなんとおっしゃったか。「先生、わかりました」と叫んだんです。「なにがわかったの」と言ったら、「あの子はあまり可哀相だから、めったな夫婦に預けられない。それで私たち夫婦が選ばれたの」とおっしゃったの。そして、「先生、これでいいんでしょう」と言うから、私は「えらい!」と言ったら、ぶわっと飛んできました。私にむしゃぶりついて、私の白衣にごんごんおでこをぶつけました。白衣は涙でびしょびしょでした。看護婦さんと3人で抱き合って、3人でおいおい泣きました。

 あとで聞いたんですよ。そのお母さんはその赤ちゃんが生まれたと聞いたときに、天使病院の屋上から、赤ちゃんを抱いて飛び降りよう、死のうと。この子を育てるなんてとてもできないと。この子も可哀相だということでね。だけど、どうしても人目がなくならないんですって、飛び降りる隙がないんですって。それで今日まできちゃったと。そのときに思ったと。それがそのお母さんの哲学です。30年前のできごとです。お母さんはそれだけおっしゃったんです。私はその後そのお母さんの「子供は預かりもの」だという言葉を毎日のように繰り返し繰り返し意味づけをしているんです。

 「子は授かりもの」と言いますよね。けれど、そのお母さんは「預かりもの」とおっしゃった。だれからの、ご先祖からの、神様からの、仏さまからの、未来からの、とにかく預かりものです。だから預かり主がおられるので勝手なことはできない。身勝手な自分好みの育て方をしてはならない。幼児虐待なんてとんでもないです。やがて預かっているんだからお返しする時期がくるんだ。そのときに、このようにお育て申し上げましたと、お返ししなければならない責務が私にあるんだと。お母さんそんなことなんにもおっしゃらないですよ。30年私は考え続けて、そういうことをおっしゃりたかったんだろうと思っているんです。 世界で一番、宇宙で一番弱い存在だったお母さんが、三十数年経っても、皆さんにこうやってお話しながら、背中を熱く感じる私というものがいる。私に、精神科の専門医に一生忘れられない、「村田の精神医学」というものがあれば、その一つの大きな柱になるような、そういう理念、哲学を私にくださった、そのお母さんの立ち直りを「人間、この未知なるもの」と言わないではいられないんじゃないですか。その復元力というのはどこからくるんでしょうということですよ。

 私は被害者の方のこころの手当をしてさしあげるときに、この方は大変な不幸に遭われたけれど復元力をもっていらっしゃるんだという、そういう信仰をもちながらの作業でなければならないのだ、というふうに思うのでございます。そして被害者の方のこころの手当をなさる皆さんは、こころの手当をなさる作業を始めるその瞬間から、カウンセラーとしての責任を負うのです。守秘の義務というのがあるんですよ。「私だけ知っているんだけど、事件の真相はこういうことだったんだって」なんていうことを、もし他の人に知らせたら、それは万死に値するということです。私が50年の間に患者さんから預かった秘密は数え切れないです。私がそれを酒の席ででもしゃべったら、そこのおうちは一家爆発だというような大きな秘密もいただいているんですよ。死ぬまで、墓場まで、家族の者にも言ってません。そういうものです。

 ですから、こころの手当をなさるという、その瞬間に皆さんはお一人お一人がカウンセラーだと。対人専門職と申します。守秘の義務があります。そしてその被害者の方の魂の生命力、こころの命、それを守る責任者になります。そうしますと、「被害者の方が絶望し、被害者の家族の方が絶望しても、カウンセラーに絶望する資格も権利もないんです。」これ忘れちゃなりません。世界中が絶望しても、カウンセラーになった瞬間にクライアントに対して絶望できないんです。いいですか。そういう覚悟がなければ、そういう場面に立ち会わないことですよね。

 もうお終いにいたしますが、キリスト教神学というなかで、信ずる、希望する、愛する、信・望・愛という、パウロの言葉なんかでよくでてきますが、信・望・愛というのは、超自然徳というんです、キリスト教神学では。超というのは超える。自然というのは人間ということです。人間の力を超えた徳であるというのです。愛徳、望徳、信徳と言います。徳、ラテン語でビルトスと言います。イタリア語でもビルツといって、それは男らしいという意味ももっている。ですから徳論、人助けの徳をするというときには勇気が要りますでしょ。人の前で「大丈夫ですか」なんて声をかけてあげようというときには勇気がいりますよね。そういう意味です。

 しかし、信ずる、望む、愛するということは、私は、その超自然徳というのを、「にもかかわずの徳」というふうに訳すんです。信ずることなんかとってもできない、にもかかわらず信ずるんです。愛することなんかとてもできない状況なんだけど、にもかかわらず愛するんです。希望ももてない、信ずることもできない、愛することもできない。にもかかわらず信じ、希望し、愛するんですね。それは人間わざではないというんです。神様に祈りながら、神様の力をいただきながらでもなければできないんだというので、超自然徳とキリスト教神学では言うんだそうですが、私は「にもかわらずの徳」というふうに思うんですね。

 超自然徳、にもかかわらずの3つの徳、信ずる、希望する、愛する、この人が立ち直るなんていうことはとても希望できない状況。この人が立ち直って、また仕事に復帰できるような希望はもてない。あるいはこんな残酷な人になってなんだかんだというような、いろいろな具体的な説明は皆さんにお任せしますし、想像はなさっていただきたいんですが、とにかくにもかかわらず信じ、希望し、愛するというふうな、そういう力強い徳の実践をおもちにならないなら、中途半端なカウンセリングはなさらないほうがよろしい。中途半端なこころの手当はなさらないほうがいいんですね。

 私はルネサンスという言葉が大好きなんです。ルネサンスのことを文芸復興と訳しているのは日本だけでありまして、アホもいい訳です。ルネサンスというのは、再び生まれるという意味なんです。ルネサンスというのはフランス語でありますけれども、ご存知のようにルネサンスはイタリアのフィレンツェから始まりました。これは人間性の復権運動であります。人間らしさを取り戻す運動だったんです。ですから大変な権力闘争もありまして、あのフィレンツェの生んだ大詩人のダンテも追放になりますよ。ダンテは流れ流れて東側のラベンナというところで亡くなります。ラベンナにお墓があるんです。私はラベンナに行ってダンテのお墓をなでてきましたけれども、本当に大変な時代を体験した人なんです。ルネサンスというのは、そういう激しい戦いの末に勝ち取った人間性の復権運動なんですね。

 私はルネサンスという言葉でいろんなことを解釈するようにしています。例えばアルコール中毒の患者さんが、お酒をやめて断酒会という組織をつくって見事に立ち直る。そういう方を私は仲間としてたくさんもっています。ここにも何人かお見えですけれども、そういう方と知り合いになれた、時代を同じく生きることができたということを、大きな喜びにしているのでありますが、私は断酒会の人たちを「現代ルネサンス人の集まり」というふうに言うんです。そのくらいルネサンスについてはものすごいですね。それは断酒会の人たちがこころの復元力ということの痛々しい、生々しい実例を私にいくつもいくつも教えてくださった。そのお礼の意味で、私は尊敬をこめて「現代ルネサンス人」というふうに言うんですけれど、犯罪被害者の方のこころのルネサンスを願いながらの対話、これが被害者に対するこころの手当だと存じます。

 ご清聴ありがとうございました。

被害者支援活動報告

「被害者の置かれた現状と被害者支援要員の役割」
三浦 和子(札幌方面北警察署被害者支援要員)

 北警察署の三浦と申します。現在は殺人や強盗等の事件捜査を担当する、北警察署刑事第一課強行犯係において勤務させていただいております。このようにたくさんの方々の前でお話をさせていただくことに慣れておりませんので大変緊張しておりまして、聞きぐるしい点が多々あると思いますが、ご勘弁ねがいます。

 北海道警察には現在、女性警察官が約580 名おり、その約半数が被害者支援要員の役割を担っております。被害者支援要員とは、被害者が警察と接する際、被害に遭ってしまったことの精神的負担を軽減するため、例えば今後の捜査において行わなければならないことや、その必要性を説明したり、性犯罪の被害者が病院に行く際に羞恥心や不安を少しでも軽減するため、付き添いをするなど様々な支援活動を行うために、各警察署において配置されております。

 全国で被害者支援が叫ばれた頃、私は捜査と被害者支援の完全な両立は困難だと考えておりました。捜査側には進まなくてはいけないときがあり、喧騒のなか被害者の気持ちに添えないこともあったと思います。被害者のための捜査であり、当たり前の気持ちを持てば自ずとできることが、その対策ができず被害者をさらに傷つけてしまっていることもあると思います。そのなかで、被害者支援要員は被害者と警察の信頼関係を築くための重要な架け橋を担っているんです。

 それではこれまで私が被害者支援要員として担当した体験に基づき、いくつかお話をさせていただきます。

 あるマンションにおいて女性が交際相手に殺害されたという殺人事件がありました。私が現場に臨場すると、高齢の女性が玄関前の通路にしゃがみこんでいました。それは第一発見者である被害女性のお母さんでした。私はその後すぐにそのお母さんの事情聴取に当たりました。通常の場合でも高齢者の方に数時間にわたる長時間の事情聴取は負担がかかります。加えて、変わり果てた愛娘の姿を目にした直後です。その心中を察すると胸がしめつけられる思いがしました。けれど、真実を明らかにしなければ、被害者の無念を晴らすことはできません。私は被害者に対し、捜査手続き、その必要性を細かく説明し、可能な限りの情報提供をするように心がけています。

 一般の方は警察の捜査手続き等の事情を知りません。けれどそれが日常である私たち警察官は、一般の方が知らないという事実を忘れてしまいます。そこから摩擦が起きることはご説明するまでもありません。お母さんに対しても、それらを率直に説明したところ、「わかりますよ、私は大丈夫」と言って、長時間の事情聴取に耐えてくださいました。

 調書作成が終わった頃には、警察署の玄関には報道関係者があふれていました。裏口にもカメラを抱えた男性の姿があります。迎えにきた親族と携帯電話で連絡をとりあい、警察署から少し離れた場所で待っていてもらって、被害関係者だと気づかれないように、わざとお母さんに笑顔で話しかけながら警察署をでました。心身ともに疲れているお母さんの体を寒空にさらすことは心苦しかったんですが、報道関係者に気づかれることなくお帰りいただくことができました。

 翌朝、被害者の兄弟に伴われて来署したお母さんは、眠れなかったようで、赤くなった小さな目をしょぼしょぼとさせていました。遺体安置室へ案内すると、泣き崩れる兄弟のなか、お母さんは静かな足取りでゆっくりと被害者に歩み寄りました。そして、解剖後に修復を受け、化粧を施された愛娘の頬を両手でしっかりと包み込んで、自分の顔を近づけてつぶやくような声で、彼女の名前を何度も何度も呼び続けました。冷たくなった被害者の顔を包むその手は小枝のように細くて、数え切れないほどの苦労を乗り越えてきたことを示すように、幾重にもしわが刻まれていました。この人をこれ以上悲しませたくない。けれど、私にはかける言葉がみつかりませんでした。自分自身が娘をもつ母親であっても、その気持ちを重ねることはあまりにおこがましく感じたのです。

 この事件では報道による苦労もありました。発生後被害者の交際相手が自殺した状態で発見され報道は過熱しました。捜査情報を知る権利がある遺族にとって、報道が先行してしまうと、置き去りにされた感覚になり、警察への不信感を抱く結果となる場合があります。遺族に伝えられる情報は即時に提供できるように、捜査状況の掌握に努め、遺族宅に張り付いていた報道関係者への自粛要請を依頼しました。

 また被害者と加害者の葬儀日程が重なったため、火葬場や葬儀場が一緒にならないように調整を図りました。こころを痛めているのは、被害者の遺族だけではありません。被害者と呼ばれない人たちもたくさん傷ついています。ひとつの事件が起きることにより、被害者、加害者、双方の周囲の人たちも心を痛めることとなるのです。

 この事件は捜査を尽くし、被害者の四十九日を前に被疑者死亡で書類送致をしておりますが、四十九日の前日に被害者宅を弔問した際、遺骨を前にお母さんが口にした言葉が、今も私の心に残っています。「毎日こうやって話しかけているんですんですよ。でも、この子が何を思って死んでいったのかは私がそばに行くまでわからないことなんでしょうね」。本来は親が先に逝くもの。親は人生をかけて育てた子供の幸せを見ながら逝き、子は育ててくれた親に感謝しながら親を看取る。それが自然で親の幸せであり、子の幸せであろうはずなのに、なぜこんなかたちで子を亡くし、送り出さなくてはならないのか。悲しみだとか、怒りだとか、悔しさだとか、そんな言葉では被害者やご遺族の気持ちを表しつくすことは到底できないと強く感じました。

 次に被害者本人および被害者家族の支援に従事した際のことについて、お話させていただきます。

 昨年の秋、札幌市北区あいの里と石狩市花川で発生した連続通り魔殺人未遂事件では、被害者本人がまったく予想できない被害を受けて、身体と心に深い傷を受けました。そして私自身もこの事件を通じ、改めて被害者支援の大切さと難しさを痛感しました。

 あいの里事件は、昨年9月28日、そしてそれから3週間後の10月21日に花川の事件が発生しました。いずれも深夜の閑静な住宅街で、一人で帰宅中の20 代の女性に凶器が向けられました。背後から頭部や頚部を鋭利な刃物で十数か所にわたりめった刺しにするという残忍なものでした。被害者は救急搬送されて生死をさまよい一命をとりとめたものの、数ヶ月間の入院生活を余儀なくされました。なんの落ち度もない彼女たちは、無差別な通り魔殺人により、一瞬にして平穏な日常を奪われたのです。2人とも自宅直近での被害でした。

 加害者は、なんの落ち度もない彼女たちを傷つけ平穏な日常生活を奪っただけでなく、幸せな幼少期を過ごした故郷を奪いました。大切な思い出がたくさん詰まった大好きな土地が、一瞬にしてもっとも恐ろしく不安を抱く場所となってしまった。この気持ちを考えるとやり切れない思いにかられます。

 私はこの2つの事件の被害者支援を担当しましたが、被害者支援のみならず、捜査員として被害者からの事情聴取にあたらなければなりません。このような突発事件の際は、早期に犯人を逮捕するため、聴取結果の迅速な報告を求められるのですが、被害者の心情を考えずに矢継ぎ早に質問を浴びせ続ければ、被害者は心を閉ざしてしまい、その後必要な情報を得るために大変な努力を強いられる結果となります。

一時は生死をさまよい、意識を回復した後も寝返りさえうつこともできずにベッドに寝たきりの日々を続けている被害者から聴取できる時間は限られています。そのわずかな時間のなかで、加害者に近づく情報を少しでも多く得なければならず、また被害者との人間関係を構築していかなければなりませんでした。毎日病院に通っても会話すらできない日もありました。

 こういった辛い状況にある被害者や関係者に対し、思い出したくない被害状況を喚起させ詳細に聴取するというのは、本当に残酷なことだと思います。けれど、被疑者を検挙し、事件を解決することは私たち警察官にできる被害者支援の大きなひとつです。そのためには実際に被害者の声を聞くことが必要不可欠であり、供述調書はまさに被害者の声を代弁するものです。被害者にもっとも近い捜査員として、すべての捜査員が被害者の気持ちを理解し、犯人検挙につながる被害者調書を作成するためには、時間をかけて被害者から詳細に話を聞かなければなりません。けれど、それは被害者に肉体的にも精神的にも大きな負担をかけることとなります。その葛藤でいつも心が押しつぶされそうになります。

 また、発生後しばらくの間は捜査側において被害者自身が狙われたものではないのか。つまり、被害者と加害者は面識があるのではないか。被害者が被害を受ける要因はないのか、という意見もあり、被害者からの事情聴取が進むとともに、通り魔である可能性が高いという見方になっていったものの、結局最初に言われた考え方は加害者が逮捕されるまで消えることはありませんでした。

 事件を解決するためには、ときに被害者の心情を害することも聞かなくてはなりません。なぜ聞かなくてはならないのか。被害者の理解を得られるよう説明を果たさなければ、捜査に必要な情報を得ることができなくなってしまいます。捜査員としての任務と、被害者支援要員としての任務はまさに両輪に位置するもので、両方が補い合って進んでいかなければなりません。2つの任務を全うするために、川の真ん中で両岸の状況を見ながらタイミングを計る、その難しさは言葉には言い尽くせません。1つの事件の背景には、被害者のみならず、被害者を囲むすべての方にも深い傷を残します。

 この2件の場合は、被害者の家族が被害状況を目の当たりにしました。もっとも安心して過ごせるはずの自宅直近において、被害者が犯人に傷つけられるという残忍な光景を脳裏に焼き付けてしまったのです。家族全員が自分自身を責めました。駅に迎えに行っていたら、もっと早く駆けつけられていたら、代われるものなら代わりたい。そして正体の見えない加害者に対する恐怖はどんどん膨らんでいきました。被害後、家族から「一人で外を歩くことができない」「鍵をかけて自宅の中にいても、犯人が入ってくるような気がする」「夜眠ることができない」「時間や場所に関係なく、突然事件のことが蘇ってきて、涙が止まらなくなる」などの訴えを受け、夜間のパトロールや私服捜査員による自宅への訪問を実施しました。また、北海道被害者相談室のご協力をいただき、同室専門カウンセラーによる精神的ケアを行っていただいて、心の負担を軽減することができたと思います。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 連続通り魔事件は被害関係者の供述をもとに犯人の似顔絵を作成し、それを見た協力者からの情報を端緒として、2件目発生から約3週間後の昨年11 月15 日、加害者を検挙するに至りました。そこにたどり着くまでには、寒空のなかを足を棒にして自取り捜査に励む捜査員、睡魔と闘いながら書類作成に励む捜査員など、被害者の目には直接うつらない捜査員一人一人の苦労と努力がありました。

 現在被害者両名についてはそれぞれ職場復帰を果たしていますが、身体には後遺症が残り、未だに安定剤や睡眠導入剤を手放すことはできません。本年10 月下旬、被害者両名の自宅を訪問し、それぞれのお母さんと話をさせていただきました。たくさんの思いを抱えるなか、やはり思うのは、最後まで加害者の口から謝罪の言葉が聞かれなかったことだそうです。犯行を否認し、真実が語られないままでは、事件は終わらない。真の謝罪がなければ、服役後にまた同じことを繰り返すかもしれない。自分たちの周囲に現れるかもしれないという不安は払拭できない。だからこそ国は、被害者に対し、服役後も加害者の情報を提供する制度をもっと十分に確立させてほしい。犯罪被害者給付制度の仕組みがもっと簡単になればいい。そして判決が下され、事件が解決しても、決して決して被害者を置き去りにはしないでほしい。そういった様々な意見をお聞きしました。

 帰り道、被害者のご自宅の近くのナナカマドが真っ赤に色づいていることに気がつきました。やっと1年、もう1年、「これから毎年これからこの季節がめぐってくると思い出すのでしょうね」とお母さんが言った言葉が深く心に残りました。

 本年11月2日、加害者は犯行を否認したまま懲役18年の判決を受けました。青年期の彼にとって18年は重い年月であるでしょう。けれど、本当のことが語られないままでは、被害者も加害者自身も本当の意味で新たな一歩を踏み出すことなどできないと思うのです。それが残念でたまりません。

 私は常々自分が精神的に不安定な状態では、被害者の支援に当たることは難しいと考えてきましたが、2件目の発生時はまさに自分が不安定な状態にあって、このような状態で支援に当たれるのだろうかと大変苦悩しました。私ごとになりますが、私には現在10歳の娘がいます。娘は私に休みをせがむことなく、いつもじっと我慢してます。直前になって期待を裏切ることになってはかわいそうだという気持ちから、普段は休みについて話をしないのですが、久しぶりの公休であったために、明日は休めると伝えたところ、娘は満面の笑みで喜んでいました。

 第2事件の招集がかかったのは、その翌朝のことでした。娘に「ごめんね」と言葉をかけたところ、私が仕事に行かなければならないことを察した娘は私にしがみつき、大声で泣き出しました。こんなふうに泣く彼女を見るのは本当に久しぶりでした。これまで数え切れないくらい寂しい思いをさせてきたのに、どんなときも寂しいということなく、我慢してきた彼女が、堰を切ったように泣いたのです。私は娘を強く抱きしめて、「ごめんね」としか言えませんでした。すべてを投げ出してしまいたくなる感情を押し殺し、泣き続ける娘を母に託して家を出ました。ひどい母親だと自分を責めながら出勤し、心は押しつぶされていました。自分をも支えられない状態で人の支援をすることなどできるのだろうかと、そう考えると、立っていることさえできない気がしました。

 けれど、病院において未だ生死をさまよっている娘の身を案じながら、その状態を確認することさえできず、病室の外で待たされている被害者のお母さんの姿や、手術後身動きできずにベッドに横たわる被害者の姿を目にしたとき、自分が引き戻されるような感覚を覚えました。苦しくて放り投げたくなるとき、いつも亡くなった父の言葉が響きます。私の父は、「人として生まれたからには人のために生きろ」と教えてくれました。亡くなる直前までがんに侵された全身の痛みを耐えて、仕事に行けといって私の背中を押しました。仕事に行けというのが、それが最後の言葉でした。それからどんなに苦しい局面でも、父の最期の言葉が私の支えとなってくれました。私はあのときの父を思うと、生きているかぎり、乗り越えられない苦しみはないとさえ思うのです。逃げてはいけないと強く思いました。

 通り魔事件の被害場所に何度も足を運び、深夜に自分の足で歩き、被害者から聴取した被害状況を頭の中で繰り返しました。けれど被害者を通じて被害を体感したことで、気づかないうちに自分の心にも大きな負担がかかっていました。不眠状態となり、唾液がでなくなるという症状が約3週間以上も続きました。被害者の苦しみをわかろうと思えば思うほど、被害者の心を感じ、同じ体験をしたような感覚に陥ることがあります。それはベテランの刑事でさえも起こりえます。

 過去に北海道で幼児2名が殺害された事件において、被害者支援要員として活動したベテランの男性刑事は、冷たくなった小さな手を握った瞬間、自分の子供の手を思い出して、子供の手は本来温かくあるはずなのにと、やりきれない気持ちにかられ、その後被害者と同じ気持ちになってしまい、警察官としての責任を果たすため我にかえらんと苦しんだそうです。

 警察における被害者支援を進めるうえでは、被害者の身になって共感しても、自分をその立場に置き換えて一緒に苦しんでいるままでは、その責任を果たすことはできません。客観的に見ることができなければ、適切な措置を講ずることもできなくなってしまうのです。けれど、それがわかっていてもやはり辛いのです。だから、人として当たり前の感情を押し殺す必要はないとも思っています。被害者とともに苦しめばいい。一緒に泣けばいい。その苦しみを経験してこそ、自然に相手を思いやる気持ちが生まれるのではないかと思うのです。人には人を思いやる気持ちが備わっているものだと私は信じます。

 第2事件の発生時、家に帰った私に娘が、「またお姉ちゃん怪我したんでしょう。お姉ちゃん大丈夫?」と聞きました。家に帰ったら真っ先に謝ろうと思っていたのに、娘の言葉を聞いたら熱いものがこみあげてきて言葉になりませんでした。私は人を純粋に思いやるという気持ちを小さな彼女からたくさん学びます。また自分自身が最愛の人を亡くし、さらに事件を通じて亡くした痛みを知る人たちと出会い、人を思うこと、自然な思いやりこそが真の被害者支援につながるのかもしれないと感じています。どんなに力を尽くしたくても、警察としてできる支援は限られてきます。それを無理に請け負うとすれば、被害者も支援者自身も苦しむ結果となってしまいます。

 だからこそ、被害者が支援を求めてきたときには、その内容を吟味し、警察として対応できないものについては、より適した機関への紹介と引継ぎこそが重要なのです。そのためには、日頃から他機関の役割を確認し、協力体制を築いておくことが必要だと感じます。

 けれど、今現在地域において被害者が立ちあがるために伸ばした手を支えることができる体制は十分と言えるのでしょうか。心や体に深い傷を負った被害者には、事件後もまだまだ様々な支援が必要なはずなのです。たとえ被害者自身が乗り越えなければならないことであっても、自分の抱えている苦しみを知っている人や社会がある、一緒に考えてくれる人がいる、そう感じることができる、寄り添うような支援と体制が救いとなり、被害者が明日へ踏み出す最初の一歩につながるのではないかと感じています。

 ご清聴ありがとうございました。

パネルディスカッション

「より良い被害者支援のあり方を求めて」
コーディネーター:
田辺 等(道立精神保健福祉センター所長)
パネリスト:
山田 廣(札幌弁護士会犯罪被害者支援委員会委員長)
善養寺 圭子(北海道被害者相談室室長)
佐藤 由佳利(北海道臨床心理士会副会長)
前田 敏章(北海道交通事故被害者の会代表)

(田辺)

 司会を進行させていただきます道立精神保健福祉センターの田辺です。本日はお忙しいところ、たくさんの方にお集まりいただきました。先ほど来の村田先生そして北署の三浦さんと非常に心にしみるお話があり、まだ感動の余韻が残るような状況でございますけれども、この時間帯は「より良い被害者支援のあり方を求めて」、各方面の活動をなされておられる方のパネルディスカッションを進行させていただきたいと思います。

 おりしも新聞・テレビでいろいろな犯罪が連日報道されております。北海道でも函館でまた痛ましい事件が起きたということが報道されております。そういったなかにございまして、このディスカッションのコーナーでは、犯罪被害に遭った方がどのような支援を受けられるのかということを中心に据えて討論をしていきたいと思っております。お手元の資料にある順にパネリストの方のご発言をいただき、その後、後段で自由討論というような進行にさせていただきたいと思います。

それではまず最初に札幌弁護士会で犯罪被害者支援の委員会の委員長としてご活躍の弁護士山田廣先生にご発言をいただきたいと思います。それでは山田さん、よろしくお願いいたします。


(山田)

 札幌弁護士会の山田です。よろしくお願いいたします。今日はご苦労様です。1997年、今からちょうど10年前なんですけれど、東京で弁護士をしている岡村先生の奥様が先生の仕事上の絡みで、逆恨みをした男に殺害されるという事件が発生しました。この岡村先生は弁護士生活38年間のベテランでありますけれども、初めて犯罪被害者として刑事裁判に関わることになりまして、犯罪被害者が刑事司法の分野だけでなく、経済的な面においても、きわめて不公正な状況に置かれていることを知りまして愕然といたします。

 先生はこれを契機に全国の犯罪被害者の方に語りかけて、2000年には全国犯罪被害者の会、これは「あすの会」と言うのですが、これを設立いたします。この「あすの会」の犯罪被害者の方が中心になって、犯罪被害者の権利の確立を求め自ら恥をしのんで体験したことを自分の言葉で語るようになりました。何人も語りました。マスコミのほうもようやくそれをフォローして報道するようになったんですね。それで大きな社会的なうねりができあがって、この2000 年に「犯罪被害者保護法」ができあがります。

 この後、急ピッチで法改正が進みまして、それから4年後の2004年には「犯罪被害者等基本法」が成立し、初めて犯罪被害者の権利を正面から認めた法律ができます。そして今年の6月には犯罪被害者が刑事裁判に参加するなどの制度を定めた法律ができました。ちょうど岡村先生の事件から10年間でようやく犯罪被害者の人権宣言がなされ、犯罪被害者に当然認められる権利が認められました。

私はこのような犯罪被害者の被害回復の制度の発展というのは当然だと思っておりますし、これからもこの施策を十分発展させなければならないと思います。これにはこの流れが、日本のこの刑事裁判のなかでどんな意味をもつのか、これを皆さんと認識を共有したいと思います。そうすることによって、これからの施策の推進の大きな原動力になる、そのように思います。

先ほどの「あすの会」の設立趣意書にはこのように書かれています。「犯罪が社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者の権利を認め、医療と生活への補償や精神的支援など、被害回復のための制度を創設することは国や社会の当然の義務である」、こう書かれています。

われわれは、刑罰権を国家に全面的に委託しております。したがって、国家はわれわれが安全に暮らせるように、警察権などを使って国民が被害に遭わないようにする義務があるわけです。仮に、犯罪が発生したとなれば、加害者を捕らえて適正な制裁を加えるとともに、犯罪被害者の権利を回復するために最大限の努力をする義務がある。このことを先ほどの設立趣意書はわかりやすく明記したものだと思います。

ところで、弁護士は犯罪被害者支援の面では法的な支援を担うわけなんですけれども、あまり弁護士の犯罪被害者支援は世間に知れわたっておりません。われわれ弁護士が伝統的にやってきた犯罪被害者支援というのは、交通事故の損害賠償とか、DV事件の離婚事件の慰謝料請求とか、加害者との示談交渉とか、経済的な利益が比較的明らかで、弁護士の報酬基準が定めやすい、そういった事件を多く手がけてきたからだと私は思っております。逆に言うと、弁護士は犯罪被害者が本来支援をしてもらいたい部分にはあまり関与してこなかったと言っても過言ではないでしょう。これは日弁連でも反省点として述べられております。

犯罪被害者が弁護士に求めている支援というのは、経済的支援だけではありません。様々なものがあります。事件が起きたら訴えたい。どこに訴えたらいいのか。また事件がその後捜査されますと、どういう手続きで事件が流れていくのか。また、事件の内容が知りたい、動機ですね。それから裁判所に行くにしても、検察庁にいくにしても不安で行けない。同行してもらいたい。それから法廷に入り、裁判官や加害者に何か言いたい、訴えたい。それからもちろん加害者から弁償してもらいたい。国家から補償してもらいたい。また私生活の平穏をマスコミ等から守ってもらいたい。このように実に様々な支援があります。今後弁護士はこれらの支援に関して、きめ細かに対応していく用意がありますし、そうしなければならないと思っております。

弁護士の支援の場合、皆さん一番ご心配になるのは弁護費用のことだと思うんですけれども、これに関しては捜査の段階、裁判の段階、その後の交渉の段階を通して、民事の法律扶助制度や法律援助制度などの制度が今、整備されてまいりました。これらを積極的に使って支援を実行していきたいと、弁護士会では考えております。

ところで、犯罪被害者の支援組織はいっぱいあります。もちろん地方公共団体に始まりまして、警察やら検察庁やら裁判所、弁護士会、医療機関、カウンセラー、民間の支援団体、非常に多くあります。これらがそれぞれバラバラに機能しますと、犯罪被害者は右往左往してしまって負担だけが増えるようなことになります。そこできちんと連携して効率的な支援をしなければならないんですけれども、これがなかなかできておりません。ですからこの段階においては、これからはどうやって犯罪被害者支援機関の連携を密にして、効率よく支援をやっていくか。当面の課題としていま認識しております。


(田辺)

 山田先生どうもありがとうございました。弁護士としてのお立場から犯罪被害者支援についてお話いただきました。限られた時間で申し訳ないんですが、私から1つご質問します。弁護士の活動として、裁判における被告の弁護というのはよくお聞きしているところですけれど、被害者支援というところで、具体的な窓口と言いますか、弁護士さんにお願いしたいという時の窓口のようなことと、実際にはどのような被害者支援、どのような内容の請託、委託といいますか、そういうものを受けられるのでしょうか。


(山田)

 弁護士会には法律相談センターという部署がありまして、いつでも電話で受け付けて、一定の時間に面接して相談をするというシステムができあがっております。その他に犯罪被害者支援委員会としましては、電話による無料相談も、これは週1回なんですけれども、行っております。その上で、犯罪被害者の方から支援内容を聞いて対応していっております。委任の範囲、内容が多岐にわたりますので、先ほどちょっと申し上げたように、経済的利益の面から言うとまったく値がつかないといいますか、不明確です。

 そこで先ほど言った法律援助制度というものがありまして、ここには、例えば警察署に事情聴取に呼ばれているんだけど、不安で一人で行けない。一緒に行ってくれんかという「同行」ですね。これも含まれているんです。金額を申しますと12万5千円です。これは基本的には立替払いなんですけれども、運用上は犯罪被害者の方に負担させないような運用もできるというふうに聞いております。


(田辺)

 わかりました。例えば被害者の方が弁護士さんについて一緒に警察に行ってもらいたいと。


(山田)

 そういうことです。裁判所の傍聴もしかり、検察庁の取調べもしかりですね。


(田辺)

 そういうときに実際費用はかかることもあるけれど、それに対しても扶助制度があると。


(山田)

 援助制度の被害者負担というのは例外的と位置づけられてますので、条件があるんですけれど、基本的には負担させない方向で今、検討されていると思います。


(田辺)

 はいわかりました。どうもありがとうございました。山田先生から弁護士会の活動としての被害者支援についてお話を伺いました。引き続きまして、犯罪被害者相談室の室長として活躍されておられます、北海道家庭生活総合カウンセリングセンター副理事長の善養寺圭子さんから、民間団体の犯罪被害者支援ということについてのご経験からご発言いただきます。よろしくお願いいたします。


(善養寺)

 善養寺でございます。よろしくお願いいたします。山田先生のほうから法律関係のここ10年の流れをお話がありましたので、民間支援の流れについて少しかいつまんでお話をして、実際の北海道被害者相談室の概要のようなことをお話させていただきたいと思います。

 警察庁のホームページが非常によくなりまして、それを開いてご覧になられるとよくわかるのですが、そもそも犯罪被害者支援という枠ができたのは、平成3年に、先ほどの三浦さんの話のなかにも出てきましたけれども、犯罪被害者に対しての犯罪被害者等給付金支給法が警察を中心にできまして、その10周年のシンポジウムが平成3年10月3日に行われた、その席で、飲酒運転で18 歳の息子さんをなくされた大久保恵美子さん、今、東京都の都民センターの事務局長さんをなさっておられますが、その方がアメリカの飲酒運転の事故で子どもさんを亡くされたお母さんたちの運動を目の当たりに見てきて、そのシンポジウムで発言をなさったのがきっかけでした。

 日本はなぜ加害者の人権ばかりが守られて、被害者の人権が蔑ろにされるんだろう。一日も早く被害者のための施策を考えてもらいたいという発言がございまして、それがきっかけになって、平成4年に東京に被害者相談室ができて、東京の被害者相談室は精神科医と臨床心理士という専門家の相談室でございましたけれども、阪神淡路大震災で活躍なさった人たちが、その後大阪にボランティアによる被害者支援というかたちを立ち上げたのが平成7年でございます。

 その頃から、警察庁にも被害者対策要綱ができたりして、一挙に被害者支援が広まり始めました。平成9年でしたが、先ほど村田理事長からのお話のなかにありましたように、道警本部から犯罪被害者の相談室を開設していただきたいとのご依頼がカウンセリングセンターに参りました。そのときはカウンセリングという、被害者の心理的な援助ということに限定してお引き受けしたのですが、被害者相談室としては全国で5番目でございました。それからどんどんできて、いまは全国46ヶ所に、支援センターという名前にだんだん変わりつつあるのですが、被害者支援のための民間団体ができております。

 北海道被害者相談室発足当時に言われましたのは、憲法第13条に「すべて国民は個人として尊重される」とうたわれているように、自分に何も罪もないのに被害に遭われて、ある日突然犯罪によって押しつぶされた、被害者の権利を一人の国民として守っていくことが隣人としての役目であるという、そのことが民間が被害者支援を行う意味なのだという説明を聞きながら、そしてなるほどと思いながら今まで活動してきているということでございます。

 発足当時と支援内容は大きく変わりまして、山田先生のお話のなかにもありましたように、平成16年に基本法ができて以来、被害者支援が大きな広がりをみせまして、北海道に支援基本計画もできて、私どもも民間団体としてなのですが、今年の3月30日に北海道公安委員会から早期援助団体としての指定を受けて、その後、8月1日に北海道から犯罪被害者等総合相談窓口の委託を受けるという流れで、どんどん責任が重くなっていくという感じがしております。

 そんななかで、中身はどういうことをしているかと言うと、平成9年の開設当時から、理事長も私も、それからカウンセラーたちもいつも共通して言っているのは、「一人ぼっちじゃない」というキャッチフレーズで、心の痛みに一人で耐えることはとても辛いことです、そんな辛いときに、どうぞ私たちにお話をしてください、という姿勢で、カウンセリングをメインに活動をしております。いろいろな方とお会いしますが、お話を聴かせていただくことでご自分の心の整理ができるという声をお聞きします。それが私たちの励みにもなって、とにかくお話を聴かせいただくという、そういう立場で活動をしております。

 電話相談が主になっておりますけれども、8月1日に総合相談窓口の委託を受けてからは、メール相談、ファックス相談も開設いたしました。その他に直接的支援がありますが、面接相談をしたり、それから札幌弁護士会の犯罪被害者支援委員会のメンバーの方々が、平成12年から私どもに協力をしてくださって、被害者の権利回復には法的な地位の向上が欠かせないものですので、毎週木曜日の午後には必ず弁護士さんが相談室に来てくださっております。それから病院、法廷、警察、検察等への付き添いという支援があります。これらはまだ件数としてはございませんけれど、家庭訪問は実際行った経緯がございます。それから広報啓発活動ですね。また、申請補助がございますが、それは犯罪被害者等給付金の申請の補助をするというような、そんな仕事の内容で今、活動を続けております。

 相談件数ですけれど、だいたい年間1千件前後を推移しているとお考えいただければいいと思います。平成14年に一度1448件という件数を数えたことがあるのですが、このときには通信犯罪が非常に多くて、振り込め詐欺だとか、架空請求の事件が多発して件数が上がりましたけれど、その後は1千件前後で推移しているというような感じでございます。

 常々支援活動を続けながら、そして先ほどの三浦さんのお話も聞きながら、辛いだろう、悲しいだろう、苦しいだろうという、被害者の思いに想いを馳せることが大前提になるのですが、研修は欠かせませんので被害者の方に一度来ていただいてお話を伺ったこともございます。そのなかで息子さんを殺害されたお母さんが、「皆さん方がどんなに一生懸命私たちのために活動してくださっても、私たちの心は癒されません」と、はっきりそうおっしゃいました。

 でもそうお聞きしたときに、私たちもそうだろうなと思いました。分かってたまるか、との思いがきっとあられるのだろうと思います。そしてその後に彼女が追っかけるように言ってくださったことは、「でもこのように皆さん方が私たちの出遭った、考えてもみなかった被害について真剣に耳を傾けてくれて、そして静かに、それこそしみとおるように聴き入ってくれるということを体験したときに、私たちの混乱した心は整理されていくのです」、そして「ありがとうございました」とおっしゃってくださった。

 こういうところに私たちは拠り所をおきながら、いつも被害者の視点に立った、いま何が求められているのだろうということと、どうすれば一番私たちも被害者の方々も安心ができるのだろうか、そのような視座を置きながら今後も続けていきたいと、そういうふうに考えているところでございます。とりあえずはここまででよろしいでしょうか。


(田辺)

 どうもありがとうございました。阪神淡路大震災とか地下鉄のサリン事件、あのあたりから民間の犯罪被害者支援の団体や活動が起きてまいりましたけれど、その後10年で相当な数の団体が増えているなかで、全国で5番目なのですか?


(善養寺)

 そうです。5番目です。


(田辺)

 犯罪被害者相談室という活動をなされているということです。平成16年に被害者支援の基本法ができて、それから平成19年3月に道も支援計画を策定するというなかで、現在北海道の被害者支援相談の委託先ということで活動されておられますよね。

 先ほど話がありましたけれども、よく医療機関とか他の機関では、十分な相談時間がないみたいなことがいっぱいあるんですね。こういった複雑な心的なトラウマをもった方たちの支援ということで話題になるんですが、電話あるいは対面もなさっているのですか?


(善養寺)

 対面もございます。


(田辺)

 どのくらいの時間をかけたりするようなケースが多いですか。


(善養寺)

 そうですね。電話相談だと、ケースバイケースなんですが、情報提供で終わる場面もありますし、それからカウンセリング的なというか、被害者ご自身の「私は不条理にも被害に遭ってしまった」と思っていらっしゃる方のお気持ちに触れるというまでには、少なくても1時間くらいはかかる感じがいたします。

 いろいろな方がいらして、継続して同じカウンセラーに聴いていただきたいという方は案外少なくて、被害者相談室のカウンセラーは十数名で活動しているのですが、先ほどお伝えしたように、継続した研修は欠かせないというスタンスでしているせいもあるのでしょうが、どのカウンセラーに聴いてもらってもご自分の気持ちが落ち着くというか、電話をかけたときと終わったときのご自分の気持ちの違いがきちんとわかられて、だれという指定はしなくても、いつでもカウンセリングがうけられるというようなかたちで継続することもあります。これは珍しいというか、おもしろいなと感じながら拝見しています。面接相談はだいたい1時間から、一番最初だと1時間半ぐらいかかることもございます。


(田辺)

 被害直後の方もおられるかもしれませんが、少し時間をおいて、いわゆるPTSDという、時間が経ってからメンタルな面での相談ということで来られる方も?


(善養寺)

 いらっしゃいます。先ほど三浦さんがお話された太平の傷害事件の方もおいでになられましたが、飛び込むようにいらっしゃいまして、三浦さんがかなり丁寧に関わっていらしたことがお話をお聴きしてよくわかったのですが、それでも「聴いてください」という様子で駆け込んでこられたのはだいぶ事件からは時間が経ってからでした。反面、事件直後の被害者の方のお話をお聴きするときには、かなり聴き手のほうも気を使います。

 警察からの情報提供もあるんですけれども、その中身を確かめるということの難しさですね。訊いていいことと悪いことの区別をすることをこちらに任されているものですから、そのところで非常に苦慮いたしました。


(田辺)

 大変難しいお仕事をなされておられます。どうもありがとうございました。 引き続きまして3番目のパネリストの北海道臨床心理士会副会長の佐藤由佳利先生にご発言いただきます。佐藤由佳利先生は現在教育大学の教育実践総合センターの准教授をなさっておられます。今日は臨床心理士としてのサポート活動についてご発言いただきます。それではよろしくお願いいたします。


(佐藤)

 村田先生のお話も三浦さんのお話もあまりにも素晴らしかったものですから、いろんなことを頭のなかをぐるぐるして、自分が話そうと思ってたことが吹っ飛んだんですが、全然ちがうことを喋ると田辺先生に打ち合わせとちがうと怒られると困りますので、いま慌てて何喋るんだったか、かき集めているところでございます。

 臨床心理士という職業自体が新しい職業なんですけれども、ここが被害者という人たちと関わるようになったのは、むしろ災害のほうが先だったのではないかと思います。南西沖地震のときですとか、神戸の被災のとき、このようなときから端を発しました。

 村田先生が先ほど神戸に行かれた話をしてましたが、私自身も初めて関わったのは、神戸のむしろ被災でした。アメリカはビクティムという言葉で、被災も被害も一緒にして活動をしているというところがあるものですから、ちょっとごちゃごちゃにしてお話をさせていただくことになってしまいますが、臨床心理士会としても災害というのは一緒に考えています。もちろんいろいろ違うところはあるんですが、共通している点もあります。

 北海道臨床心理士会として最初にまとまった活動をしたのは、おそらく有珠山噴火の被害のときだったと思います。臨床心理士としては、いわゆる社会的なアウトリーチの活動と個人的なカウンセリングという意味と2通りがあります。個人的なカウンセリングは病院で仕事をしていてもスクールカウンセラーをしていても、どこで仕事をしていても必ず出合います。私自身も学校のスクールカウンセラーをしておりますが、年に1件、2件、3件といろいろな被害に遭ったお子さんたちと会うことになります。

 これもスクールカウンセラーによって違っていて、まったく会ったことがないという人もいて、私は非常にたくさん会うんですね。というのは、こういうのは被害であって、こういうことがあったときには、私のほうに上げてくださいというのが、先生方のほうにきちんと伝わっているとよく上げてもらえる。先生たちもアンテナを張り巡らせて、子供たちが自分に伝えてくれるようにということが啓蒙されていきますので、そういうところがある意味開拓されていくとよく上がってくるということがあります。とくに性被害についてはそうですね。

 そういったような個人カウンセリングの領域は、もちろん私たちは最初に端を発しているところですので、たくさん扱っております。社会的なアウトリーチという面では教育委員会と連携しての活動というのが、最近は非常に多くなってきています。道教委、札幌市教委との連携ということをよくやっております。道教委との連携は、先ほどお話したように、有珠山の被害のときが最初でした。まずは学校に行きまして、学校の先生たちからお話を聞き、学校の状況がどうなっているかというようなことをお聞きします。

 行ってみると独特なんですね。何か被害があったときの学校ですね。その事件とか災害の大きさにもよるんですけれども、例えば子供が殺された、殺人事件で全国的なニュースになった、なんていうときは、行くと凍り付いてます、まさに。全員身体もがちがちになっています。そこに入って行って何を話そうかと、こちらまで手足が冷たくなってくる。真夏に行っても手足が冷えてくるような思いをするようなこともございます。

 ときには遠いところまで行くことがあります。臨床心理士あまり全道各地におりませんので、遠いところまで行くこともあって、3時間4時間JR に乗っていって、そこからバスに乗ってください。学校の前までバスで行って降りてくださいと言われたのに、バスに乗ってたら、いくつめかの駅の前で男の方が私の顔写真を持って乗ってきて「降りてください」と言われて、「なんでしょうか」と降りたら、「私は教頭です、はじめまして」と言って、警察が取り巻いていますので、バスで降りられては困りますと。バスに乗ってるのはお婆ちゃんばかりなので、私が乗っていること自体目立つんですね。田舎のほうですと。教頭先生の車の後部座席に伏せて学校に入ったこともございます。そんなようなものものしいなかを学校に行ったということは今まで何度もございました。

 そういったなか、札幌市なんかは今年から緊急支援、そういった事件とか事故とかが起きた用のカウンセラーというのを2人別に用意しました。私もそのなかの1人をやっております。5名用意してまして、そのなかの2人が緊急支援用で、残りの3名は別な仕事をしてますが、緊急支援にも活動できるようになっています。

 ただ、北海道全域となりますと、学校といってもあまりにも広くて、なかなか手が回らないというような実情もございます。緊急派遣した後はスクールカウンセラーのほうにということですが、札幌市内は中学全部全校配置になってますけれども、道のほうは全校配置にはとてもとても至りません。ですから地域に数人いるカウンセラーを何か事件事故があったところに回すというふうになると、じゃあ今まで行っていた不登校の子を毎週面接していたのは、しなくていいのかというような話もでてきまして、てんやわんやの状況ですが、ここ数年ますます必要性が増してきております。

 なにか学校で事件事故があると、マスコミがまず校長先生ですとか教育委員会に「心のケアはどうしますか」とお聞きになるんですね。そうすると聞かれたほうは「考えていません」とは言えませんので、「いま専門家をお願いしてます」とか、「いま考え中です」とか言うわけです。そうすると必ずこちらのほうに来るというような状況があって、必ずなにかをしなければならないというようなことにどうもなってきてしまっている。

 そうすると、じゃあ私たちがいかほどのことができるのかというようなところもありまして、私たち自身もいつどこで起きるかわかりません。起きると必ず学校は「まさかうちで起きるとは思わなかった」と言うんですね。スクールカウンセラーも、「なんでうちの学校なんや」というようなことを言うわけですね。ですけれども、もちろんどこで起きるかわかりませんので、全員が私たちもできるようになっていなければいけないということが一つあります。

 それともう一つは、三浦さんのお話でもありましたが、被害者の話を聞くということは、私たちの心が非常に揺れます。大変揺れます。なかにはベテランの臨床心理士でなかなか図太い人だったにも関わらず、一度支援をしたら1年ぐらいうつだったという人がいまして、「僕もうやりたくないよ」と言われちゃったんですが、専門家であってもそんなものです。深くコミットする方ほどそういうことになります。私、神戸の震災の後に、北海道から神戸に行ってボランティア活動した人、あるいはお仕事で行かれた方々、村田先生にお願いしませんでしたが、そういう方々に調査をしてみましたら、非常に多くの方がいろいろな症状がでておりました。

 そのように今は多く知られるようになっていますが、援助者の二次被害ということがあります。ですから、一度支援をした人にまたしていただけるように、あるいはどんどん確実な支援ができる人を増やしていくようにという研修を私たちも力を入れていかなければいけないと思っていて、年に1回はやっておりますが、善養寺さんのところのように、専門的に集中してやるというふうになかなかいきません。でも私たちはある意味危機感をもって、自分のところにあったときできるんだろうかというのは非常に思っているところです。

 精神科医の先生たちが、いわゆるPTSDという症状がでた後の治療をするということとは別に、臨床心理はとくに社会的なアウトリーチの場合には早めに行ってPTSDが出てこないように予防をするということをむしろ主眼においていて、そちらをしてから、もしいろいろな症状がでてきた場合には精神科医の先生と連携をしながら、個々のカウンセリングをしていくというようなことを考えているというのが現在の実情です。ではここで終わりにさせていただきます。


(田辺)

 佐藤先生どうもご発言ありがとうございました。臨床心理士として、また臨床心理士会という組織として、とくに学校の犯罪等に関わる心的トラウマあるいは被災ということに関わる心的トラウマに対する治療的なカウンセリング、むしろ予防的なカウンセリングということを強調されてご発言いただきました。

 ご活動の具体的なところを確認させていただきたいところがあります。これはもちろんケースバイケースだと思うんですが、かなり派遣に急を要するということで、どのぐらいの時間でそこの現地の高校に到着することを求められるんでしょうか。


(佐藤)

 札幌市の場合はかなり早いです。3日目から1週間で行けるんですが、道はなかなか要請がくるまでがちょっと時間がかかります。それは間にいくつか通らなければいけない道があるものですから、どうしても2週間ぐらい経つことが多くて、福岡なんかは3日以内に入って、3日間集中して3人入るというような体制があるそうなんですけれども、なかなか北海道の場合、まず言われてすぐに動ける人がそうそういなかったりですとか、こちらに要請が来るまでに時間がかかったりとか、もう何か新聞なんかででると、来るかなと思って身構えていると携帯が鳴るということがあるんですが、ちょっと時間はどうしてもかかってしまいますね。


(田辺)

 複数の派遣ということもあり得るんですか。


(佐藤)

 原則的には1人で行きますが、2人で行った場合もあります。大きな事件の場合、2人で行くということと、1つの学校のなかに被害者の遺族と加害者の家族がいるということがあるんですね。こういうときに1人では行けないんです。加害者側と被害者側に分かれて行かなければならないということがありますので、それは学校も非常に困ることなんですけれども、2人で行くということがあります。


(田辺)

 そうですか、わかりました。あとでお互いの自由討論のなかでそれぞれの活動についてご質問等あれば、お伺いしたいというふうに思います。どうも佐藤さん、大変なお仕事ですが、ご報告ありがとうございました。

 引き続きまして、北海道交通事故被害者の会の代表の前田敏章さんからお話を伺います。前田さん、よろしくお願いします。


(前田)

 最初に自己紹介ですけれども、プログラムに書いておりませんが、12年前1995年の10月に長女を前方不注視の車に命を奪われまして、私はずっと考え続けてますけれど、通り魔殺人的な被害に長女は遭ったと、どう考えてもそう考えざるを得ないというふうに思っています。今日の私の発言はそういう被害者の立場から、被害者あるいは被害者団体がおかれている現状、それからお願いですね。こういう願いをもっているということについてお話をしたいと思います。

 8年前に道警と道の交通安全協会からの支援を受けまして、被害者の会ができました。今110人ぐらいの会員がいますけれども、活動は細々という感じで続けています。そのなかで、3年前の基本法の制定というのが、活動を継続できる活力といいますか、希望を与えていただいたというふうに思っています。とくにどの点かと言いますと、基本法のなかで、1つは理念としまして、「(すべて犯罪被害者等は、)個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と、権利ということがはっきり明記されたことです。もう1つは、それまでは被害者は社会的に孤立することを余儀なくされていたと。孤立させないために犯罪被害者等の視点に立った施策を講じるんだと、そういう社会をつくるんだということが明記されたこと、この2つが私たちにとっては希望なわけです。

 実はもう1つありまして、それはどうしても交通犯罪―私たちは交通事犯、とも呼んでますけれど-を「事故(=アクシデント)だから仕方がない」というふうな捉え方がまだ一方にあるわけで、基本法ができて、基本計画のなかで、この交通事犯がきちんと位置づけられるのかということを非常に心配していたのですが、そのことがきちんと入れられましたので、本当に安心したというのがあります。

 そういう点でもう1つつけ加えますと、犯罪被害のなかで、身体犯の被害、1年間に120万人と言われてますけれども、96%は交通事犯なんですね。ですから私たちは交通事犯の被害者の処遇と権利、これがきちんとされることが本当に安全・安心の国づくりに直結するのだと考えています。

 今、被害者の権利ということが初めて基本法で明記されてありがたかったと言いましたけれども、私たちがつくった当初の要望書では、実は権利ということを明記できませんでした。当時は自覚が足りなかったというふうに思っています。ようやく3年前に、知る権利、司法手続きに参加する権利、被害回復する権利、二次被害を受けない権利、ということで、私たち自身の要望事項のなかにも権利と明記して、そういう点では自覚をもって訴えることが今できています。最近は会報のなかにも「被害者の声が社会を変える」ということを書けるようになりました。

 数日前、東京で犯罪被害者団体ネットワークが主催した全国大会に行ってきましたけれども、被害者団体が単独主催で全国大会を開いたというのは初めてです。いわゆる支援を受ける側としての被害者団体に留まらないで、被害者運動というのは、やはり被害者自身が主体となって行うべきものであるということを私たち自身もようやく認識し始めたという、そういう現状です。

 そういうなかで、先ほどから報告がありましたけれども、司法参加ということが進みました。それからつい2日程前の新聞にも、これは読売新聞ですけれども、加害者の処遇について、保護司を通じて、間接的に被害者の感情や思いを伝えることができるということが、来月から出発することが報じられましたけれど、いろんな面で、内閣府の努力がありまして、具体的に制度が変わりつつあります。そういう点で感謝を申し上げたいと思っています。

 しかし、先ほどから話もありましたように、そういう被害者の法制度の大きな前進があって、被害者運動の前進があっても、しかし被害者が受ける悲しみや苦しみというのは、これは変わらない。そういう実相があるわけです。被害者の会ができて8年になりますけれども、8年経って実感しているのは、会員が受けている3年、5年、10年経っての三次的被害。一次被害と二次被害が健康、精神に影響を及ぼして長期的な、PTSDもそうですけれど、体調を崩す、仕事ができなくなる、入院する、社会生活が困難になる、そういう事例が、身近な会員にたくさんでておりまして、改めてそういう被害を生まない社会を切望しているというのが現状なわけです。

 ちょっと申し上げたいのは、二次被害というのは、本来私たち被害を受けた側が支援される側からの二次被害というのがこれはまだあるわけです。これは私たちの学習会での諸澤先生の指摘でもあるんですが。二次被害というのは、制度や人々の反応を介して被害者に表れる被害であると。捜査、裁判、加害者は当然ですけれども、弁護士、マスコミ、医療機関、カウンセリング機関、学校、児童相談所、消費生活センター、被害者支援に関わる人によって二次被害を受けることがなくなっていないわけです。

 それはどうしてかということなのです。それはやはりまだ日本の被害者支援が、国際的に比べても遅れているという面があるということです。すべての制度を運用する人の心のなかに、やはりまだまだ被害者の視点と、それから被害者が望むことは権利であって当然のことということの認識がまだまだ希薄なわけです。弁護士さんの話もありましたけれど、被告の権利だけを想定した制度や法律があるわけです。そういうところからの二次被害があるわけです。国連は国連被害者人権宣言というのをだしていますけれど、それを日本の社会制度とそれぞれの心の隅々におかれることが、このように集まって今後被害者支援を進めていく原点かなというふうに私は感じております。とりあえずこれで。


(田辺)

 前田さんには交通事故被害者の会の活動をお話していただきました。どうもありがとうございました。

 今、お話の活動の確認と申しますか、被害に遭った当事者だけでなく、ご家族とかご遺族も会に活動参加できるということなんでしょうか。


(前田)

 被害者の定義というのはかなり広く考えられています。家族も当然、関わりのある、被害に関係した親族も含めて被害者であるというふうに。言われなかったらなかなかそういう意識をもてないんですけれど、今そういうふうに言われてきて私たちはああそうなんだなと、そういう現状です。

 ちょっとつなげていいですか。集まっている皆さんとの共通の接点というのは、いままでずっと話がありましたけれど、犠牲を無駄にしない、再発防止、事件犯罪を生まない社会をどうつくるかということだと思うんです。そこで必要なのは、被害者の視点から命の大切さ、生命の共感ということに対する想像力、それをずっと広げること。

 もう1つは、やはり被害者の視点から、被害者の権利が当たり前だという社会にすること。そのために偏見が日本はかなり強いと言われていますから、その偏見をどう取り除くかという2つが課題かと思います。そこに被害者の会、被害者団体の役割があると思っています。そこというのは、被害者の視点からのことを率直に言うのは私たち当時者なわけです。体験を語ることは本当に辛いんですけれど、しかし、犠牲を無駄にしないという思いからすれば、それやらなければならないという思いで、1階のホールのパネル展示もそうですが、語る活動をやっておりますけれども、その大変さをどのように支援いただくか、理解していただくかということが重要かと思っています。

 高石さんという江別の方がおりまして、飲酒ひき逃げで息子さんを亡くされました。福岡で事件が起きたときに、いち早く福岡に行って遺族とお話しています。福岡の遺族は、高石さんのような同じ立場の人と会って話ができて、心から力づけられているということを聞いているんです。

 先日も川口市の遺族とお会いして、当事者でなければわかりえない課題について話できたんですけれども、支援について私たちは、私たち自身が支援もするということも大事かと考えています。それは支援される側にとってもちろん貴重なんですけれども、当事者、体験者が支援することは私たちにとっては社会参加になりますし、それから体験を語ることがそうなんですけれども、自分の事故のことを理性的に理解することで自己回復にもつながるわけです。そのような被害者の役割についてもご理解を願って、私たちはいま交通安全協会から補助をいただいてますけれど、それをもっと直接的な公的補助をいただいて、活動できる条件をつくっていただくということを求めています。以上です。


(田辺)

 どうもありがとうございました。追加発言のなかで、1つは当事者が次の新たな当事者を支援していくという、いわゆる自助グループ的な相互サポートという、そういったことも活動のなかに今入っている、目指しているという、そういうことでございますね。

 それと前段で、交通事故被害者の会のなかで非常に重要な課題として、被害者の視点をいかに社会のなかに広めて、共有してもらうか。被害者としての視点は非常に重要な課題だというようなことをお話いただきました。

 他の3人の先生もご自分の立場あるいはご活動のなかで、現在課題として考えておられるような点がございましたら、追加でご発言いただければと思います。


(山田)

 先ほどもちょっと触れましたけれど、やはり弁護士を利用する場合は、弁護士の費用はどうなんだと、どうしても弁護士に気軽に相談できないという不安というか、それはあるかと思うんですね。

 ちょっと細かに申し上げますと、犯罪被害者の支援制度としては、先ほどちょっと申し上げた、法律援助制度ともう1つ、民事法律扶助制度があります。扶助制度のほうは、これは昔からありました。要件があるんですけれど、例えば民事の損害賠償請求を起こすという場合に、その費用の立替制度で、大方毎月5千円ずつセンターに返していくというものです。おおよそ請求の額によって立替費用もちがいますので、ご負担の額もちがってまいります。

 法律援助制度。これは日弁連が従来やってたんですけれども、今回法テラスにその仕事が移管されました。ここに法律援助制度が想定している支援の内容があるんですが、例えば被害届をだす。書面1枚をだす。それから告訴告発する。警察の事情聴取に同行する。検察審査会に申し立てをする。法廷に同行する。証人尋問に付き添う。法廷での意見陳述につきそう。刑事記録の謄写閲覧。加害者との対話。犯罪被害者給付金の請求。そのほかマスコミ対応、折衝。先ほど私申し上げた犯罪被害者のもろもろの支援の内容が全部盛り込まれているんですね。

 ですので、これからはどしどし弁護士にこれを言っていただいて、この制度を利用して求めている支援を受けていただきたいと存じます。法テラスに直接電話しても結構ですし、弁護士会でも結構ですので、これをどしどし利用いただければと思います。代金は12万5千円ですけれども、先ほど来申し上げているように、ご負担申し上げない方向で運用されているように協議がなされております。よろしくお願いいたします。


(田辺)

 どうもありがとうございます。パネリストの先生方に時間を守っていただいて、時間が少しございますので、いろいろなご活動をされている先生方の機関等のご利用等に関してのご質問があれば、少し受けたいとは思います。どうでしょうか。


(山田)

 もう一つ言いたかったのは、先ほどちょっと申し上げた支援機関の連携のことなんですけれども、例えば生活援助とか優先入居と言えば、地方公共団体に行けばいいと、それはすぐわかるんですが、カウンセリングを受けたい、どこへ行ったらいいのかとか、例えば刑事記録を閲覧謄写したいんだけど、まずどこへ行ったらいいのか。裁判の優先傍聴、申し込みはどこへするんだと。また少年事件で家庭裁判所で意見陳述したいんだけど、まずどこに電話すればいいのかとか、犯給法だって一体どこへ書面をだせばいいのか。労災給付、通勤途中の犯罪事件ですね。この労災給付申請書はどこにだすんだ。それからひき逃げとか自賠責不加入の場合の政府保障事業、これどこに請求書だすんだ。あとDV事件であれば、保護命令の申し立てどこなんだと。ストーカーの警告の申し入れはどこだ。これらの対応部署が全部ちがいます。

 これをきちんと頭にインプットしてきちんと支援するには、きわめて広範な知識と経験が必要で、相当専門知識がないとできないんですね。内閣府では専門のコーディネーターを養成して資格を付与して、それを配置しようという、将来の計画があるんですけれども、これですと、5年も10年もかかります。

 現在ある一定の部署に被害者が被害の概要と支援要請をだせば、その被害者の窮状がペーパーになって、他の支援機関に情報提供されて、情報を共有できないか。そうすることによって、支援機関のほうから犯罪被害者の方に能動的にアクセスできないかということも考えられているんです。これは情報の保護という、非常に重要な問題があるんですけれど、欧米では、このような連携が一つの社会システムとして構築されております。犯罪被害者は1ヶ所の支援機関に全部被害を訴えて、こうしてもらいたいことも全部訴える。これが資料になって、各機関に情報共有されてスムーズにアクセスされている。これがまだ日本ではできておりません。バラバラといってもいい現状です。

 ですから今、犯罪被害者のご不満も多いと思います。ほとんど1ヶ所では済まないことが多いですね。いろんな悩みや、法的な場面もあれば、経済的な場面も、治療の場面もあります。ですからこれを支援機関の連携を密にすることで解決できないか。これに関しては今知恵を絞っている最中です。たぶんこのご不満は会場にいらっしゃる方にもあるかと思うんです。どういう連携ができるか、今検討している最中ですので、具体的にまた成果があれば、ご報告申し上げたいと思います。


(田辺)

 現状の支援体制の課題を少しご提示いただきまして、これからのあり方につながるお話だったと思います。欧米では少しそういったことが進んでいるというようなお話ですけれども、たしかに被害者の被害というのは非常に多岐多様にわたっております。被害自体の一時的な損傷や怪我や心理的なダメージ、そういったものも当然被害でございますけれども、その後に取り調べやマスコミ、あるいは裁判、こういったところで事実に関する発言を求められるなかで、いやおうなしに精神的なダメージを受けてしまうと。あるいは一時的な犯罪の被害の結果として、場合によっては職業を失ったり、身体機能を失って障害となったり、経済的な収入を得る手段を失ったりといったような、実生活を維持していく上での被害が続くこともございます。

 また、その事件の大きさによっては、周辺の人々から特別な目で見られる等という、継続的ストレスによる被害といったものもでてまいりますから、犯罪被害者の支援については、医学的にもそして経済的にもあるいは心理的にも、そしてまた様々な社会的な保護政策のなかでも支援が継続されるべきであるというような、それが現在の犯罪被害者支援で言える課題だと思います。そういったことについてずいぶんといろいろなサポートシステムや扶助制度などができてまいりましたけれど、山田先生がご指摘されているのは、そういったところの関係部署というのは、それぞれに分かれておりますので、一つ一つの解決には複雑なところがあると。そういったところをどう連携していくか。そういった連携が被害者にとって、わかりやすい、使いやすいかたちになっていくことが重要なこれからの課題だというようなご指摘だったと思います。


(善養寺)

 よろしいでしょうか。補足というか、こうじゃないかなと思っているところが少しあるのですが。先ほど三浦さんがお話くださいましたように、警察に特定事件の支援要員という制度があって、大きな事件があるとだいたい1週間くらい警察の方がついて、そして被害に遭われた方のあらゆる疑問に対して適切に答えるというシステムができていると思うのですね。被害者が一番最初に出会う公的機関は警察ですので、そこでまずきちんとした対応をしなければいけないだろうと思っています。8月1日に道から総合相談窓口の委託を受けたなかにも、警察から得た情報についての対応という、そういうこともプラスされているのだろうと思います。

 私たちは今までは、3月30日の指定をいただく前は、よい聴き手であることを中核にすえて活動してきたわけですけれども、これからはよい聴き手であると同時に、適切な支援活動、敏速かつ的確に状況を判断して、そして臨機応変に対応していかなくてはならないということを要求されるのだと考えています。そのためには、いろいろな情報が必要であることはもちろんですが、それに加えていろいろなところとの連携も当然じょうずにとっていかなければならない、そんな動きでこれからは対応していきたいと思っています。


(田辺)

 犯罪の被害直後に三浦さんのような立場の支援員が警察のほうから一時的には支援活動を開始されると。被害者相談室も応じて機能していくということなんですね。


(善養寺)

 はい。


(田辺)

 心理的な支援の部分と実際的な支援と言いますか、被害者に回復するためにはいろいろな支援が必要だと思うんですが、人間としての権利を回復していくためには、経済的にもいろんなことがございますね。そういうことの紹介だとか、そういった作業も入っているんですか。


(善養寺)

 今までの事案のなかでは、経済的な支援についてのご要望はありませんでした。関わった事件なのですが、主婦が通り魔殺人事件で殺されてしまった。そうすると、先ほどの三浦さんのお話のなかにもあったように、見ず知らずの人が見ず知らずの人を殺してしまうということは考えられないわけです、取り残された家族は。絶対になにか関係があったにちがいないというところから、そうではなかったというところまで納得するまでにかなり時間がかかって、そんななかで家族関係もちょっとギクシャクしてくるということがございます。そんなとき、遺された方が自分たちからでかけていくという力はない。だから自宅まできてくださいという、そういう支援のあり方があって、ご家族皆さんと一緒にお会いするということがございました。今、何が必要かということをご家族一緒に考えるということがございました。


(田辺)

 今の発言は、犯罪被害者支援の課題の一つとして心理的な支援を要する問題として、家族にさらに二次的三次的に起こる問題があるということでした。本当に1つの犯罪が1人の被害者を傷つけるだけではなくて、家族や周辺の人にも及んでいくというような、そういったお話だったと思うんです。先ほど前田さん、三次被害というような言葉をお使いになったと思うんですが、もうちょっとその点ご説明していただけますでしょうか。


(前田)

 一次被害はおわかりと思いますけれど、一次被害と二次被害によって、長期におよぶ被害を三次被害と言うんだというふうに言われています。そのことを私たちの仲間のなかで非常に実感しているということを申しあげました。


(田辺)

 典型的なケースではどんな?


(前田)

 典型的な例ではPTSDで、フラッシュバックなどで長期入院する。薬と通院の生活のなかで体調を崩して、もっと大きな病気を発症する。命を早く落とされる家族の方もいます。そういうことで、私たちは二次被害をなくしてほしいと。もちろん一次被害をなくして欲しいということを今、強く思っているということです。


(田辺)

 そのへん、長期につづく以外に、周辺の人におよぶ被害の、そういった心的な問題について佐藤先生のほうで少しご発言いただければと思いますが。


(佐藤)

 長期的と言いますか、私いま思い浮かんだのが、ずっと続いているのではなくて、フラッシュバックでPTSDが出てくる人というのがけっこういまして、とくに性被害とか、性虐待ですね。身体的虐待もそうですが、どこか自分の体に傷があって、これはなんだろうとずっと思ってたんだけど、突然なにかのきっかけで思い出して、これは父親に殴られて、棒か何かで叩かれた傷だということを思い出したとか、実は自分は性被害に小学生のとき遭ったことを思い出したとか、そこからいきなりPTSDがぱっと出てくるというような例もあります。そういったときはカウンセリングもそうですが、かなり専門的な治療が必要になってきます。

 今、前田さんがおっしゃったような長期的なPTSDが長く続くというのはこういった犯罪被害じゃなくてもそうなんですが、長期になった方にお会いすると非常に難しいんですね。というのは、いろんな手垢がついていて、医療者の医原病みたいなものも絡まってきたりですとか、関わっていたお医者さんとかカウンセラーがどういう方たちが関わってきて、この方にどういうことをしてきて、その最後に今のかたちがあるような方とお会いすると、それを全部ひもといていかなくてはいけなくて、そこからそれこそ二次被害というのか、三次被害というのかわからないんですけれど、癒していくのでなくて、被害を与えてしまったなんてことがあるんです。

 おそらく前田さんもそういうことを、あまりはっきりおっしゃらないけれど、お聞きになっているんじゃないかと思うんですけれど、適切に的確に、この人のところに行くと、少なくともマイナスにはならず、徐々にではあるけれども、プラスの方向に行くだろうというようなところになかなか出合わない。この人だったら確実に大丈夫というものではなくて、相性みたいなものもありますし、出合ういい時期みたいなものもありますよね。そこらへんのところで、私なんかも「いや、いいときに出合いましたね」という言葉が、思わずお互いにでるということというのがあって、そういういい時期に出合うと、かなり難しい方でもストンとよくなったりすることがあります。

 臨床心理士会で1年に1回電話相談というのを1日だけやっているんですけれども、この頃電話相談をやっていると、犯罪被害者の方から電話がかかってくることが多くなってきました。交通事故の方もそうです。そんな件数は多くないんですけれども。そのなかで私交通事故の加害者で、被害者と同時に加害者の意識も非常にお持ちの方でとても罪悪感が強くて、30分ほどお話したんですけれども、お話したなかでもものすごく深いお話になって、私も天国から地獄へ何回も往復したような気分だったんです。電話ですから見えませんが、目からウロコが落ちたみたいな感じになりまして、声もガラッと変わって、「ああそうか。だれも私を責めてなかったんですね」とおっしゃって、しばらく2人で1分くらい声がでなかったんですけれども。ああ、この方はもう大丈夫なんだろうなというふうなことを感じた方がいまして、それはもう事故からたしか1年以上たってたと思います。それはその方が本当にいいときに電話をかけていらしたんだろうと思います。私も本当に聞いているだけの状況でしたけれど、ガラッとその方が変わられた。おそらく行きつ戻りつ、それからもあるかもしれませんけれど、本当にいいときにいい出合いをしたなという感じがした、そういう事例がありました。ちょっとそんなことを思い出してお話させていただきました。また前田さんにご感想を聞かせていただけたらと思います。


(前田)

 具体的に言いますと、交通事犯の被害者が二次被害から三次被害になるというのは、周りに対する信頼を失うということがあるんですけれども、一番基本的には事件、事故がどうやって起きたかという真実のところがわからないで経過してしまうこと。知る権利が曖昧にされて真実に基づいた裁判ができていないということが、その後の大きなストレスになるというのがかなり典型だと思っています。それが波及するわけです。交通事犯の被害者の問題点について知る権利がまだ非常に不十分であると思います。起訴に至るまでの過程で被害者の権利がもう少し進まなければと思います。

 これは別な団体ですけれど、いじめによって被害を受けた方がシンポジウムを開いたのですが、パンフの表題が「知る権利の確立を」なんですね。被害者としては本当に基本的な要望なんだなということを実感したんですが、そのことを皆さんにご理解・ご協力願いたいというふうに思っています。


(田辺)

 ありがとうございました。それではご質問ということでしょうか。


(質問者)

 どうしたらPTSDの予防ができるのか、ぜひ今日それをお聞きして帰って、実際にこれから役立てたいと思いますので、お聞かせ願いたいと思います。


(佐藤)

 それで苦しんでいるというのは、それはPTSDのことですか。


(質問者)

 結局トラウマになって、フラッシュバックになって、PTSDでずっと続けて悩んで苦しんでいる方がいらっしゃるんですね。それが終わらないという方がいらっしゃるんです。どういう予防方法があるのか。これからそういう相談者と向き合うときに、もし予防があれば、私はすぐにでもそういう人たちに教えてあげたいなと思ったものですから、そういう手立てがあるのであれば教えていただければと思います。


(田辺)

 ひとつご質問をいただきますので、差し障りなければどんなお仕事をされておられるのか、ちょっとご紹介いただけますか。


(質問者)

 交通事故被害者の会の怪我をした人の相談とか、いろんな方の相談を受けております。


(田辺)

 被害者の会で活動されているカウンセラーというようなかたちですか。


(質問者)

 カウンセラーではないですが、自助グループの一つとして、相談を受けております。


(田辺)

 自助グループの一員として相談を受けておられるという立場の方ですね。


(佐藤)

 誤解されてるかもしれないですが、予防ということはPTSDになってないという意味なんですね。PTSDになっちゃたらそれは予防できません。PTSDにならないように予防するということですね。PTSDって診断基準がありまして、3ヶ月以降にでてきますので、その3ヶ月以前にPTSDにならないように予防的な措置をしておくということですね。

 ですから私たち学校に入ることが多いので、学校に入りますと、今どんな状態であるかというのをばっと調査をしたり、先生方やお母様方に聞き取りをします。例えばちょっと不眠がちであるとか、甘えがでているとか、そういったものがでてきたら、まずそれを受け入れてくださいと。とにかく今でてきているものを受け入れてください。だいたいそれを受け入れていると、このぐらいで収まりますよと、いわゆる教育的な話をいたします。

 それは全然おかしなことではありませんと。例えば南西沖の地震のときは、子供たちが津波ごっこというのをしました。あのとき津波で多くの人が亡くなって、海岸にごろごろと死体がありましたね。そうすると子供たちはごろごろと海岸に寝そべって死体ごっこというのをしました。それから神戸の震災のときは、ダンボールを積み重ねて地震ごっことわっと崩すという遊びをしました。そういうようなことをするときに、それは不謹慎だからしてはだめだというふうに大人は止めるんです、何も知らないと。わかっていると、それはすばらしいことで、遊びのなかで自分の気持ちを発散させて癒しているという、自分の癒しの効果なんだということがわかりますので、そういうものなんですよということを伝えていきます。そういうことをしていきますと、子供たちがどんどんそれをやって、やがて収まっていきます。収まっていった子供たちはPTSDにならないですね。

 ところが、中に何人か、どうしても夜泣きであるとか、暴力であったりとか、そういったものが収まらない子がでてくる。そうすると、これは専門家の出番で、そういうことがあったときはこちらにご紹介くださいというのを布石としておいておくわけです。PTSDも軽症のうちになんとか抑えるようにすると、そうすると先ほどの前田さんのお話のように、二次被害、三次被害とつながっていかないで済むのではないかと。理想通りにはなかなかいきませんが、そういうことを考えてやっております。


(田辺)

 これはなかなかデリケートな問題ですし、少し専門的な要素がたくさん入ってまいります。PTSDということ自体をよく知る必要がありますし、非常に大変なお仕事されていると思うんですが、大事なところはどんな方でも犯罪や事故や災害の、考えられないような被害に遭ったときには、なんらかの反応が起きるものだと。異常な事態に対して正常な反応なんだと。決してあなたが異常だから今、寝られないのではないとか、まずはそういう被害者のなかに起きたことは、異常な事態に対する正常な反応なんだという姿勢で、まずはお話を聞くと。自分の手に負えない部分については、より専門的な方を紹介しながら考えていくと。

 先ほどPTSDについてはどういうものか、佐藤先生のほうからお話がありましたけれども、そのPTSDの出方と、正常な反応のなかで消化しようとしていることといろいろ峻別が難しい部分もございます。また、予防させてやろうということで、必死にそういったことを進めることが、かえって災いとなる場合もあります。非常にデリケートで難しい部分を含んでおりますので、そんなことをご理解していただきながら活動されて欲しいと思います。

 だいぶ心理的な支援についてもお話が進みましたけれども、まだまだこういった部分についても私も精神科医の端くれで、非常に申し訳ないんですが、まだまだ十分な治療機関があまりないということもあろうかと思うんですが、そのへん被害者相談室ではどんなふうに受け止めておられますでしょうか。


(善養寺)

 私たちが診断を下したりとかは決してできませんので、まずは先ほどお伝えしたようなよい聴き手であることに努めて、一体なにを訴えたいのか、ということを聴きとることに全力を傾けます。それから田辺先生がおっしゃったデリケートで難しい部分のことについてですけれども、犯罪被害者相談室を引き受けるときに、私たちはカウンセリングの学習を続けてはきましたけれども、ポスト・トラウマについては学習していないというところで、ジュディス・ハーマンの本を読んだりとか、村田先生の講座を開いたりとか、いろいろなかたちで犯罪被害者にたいする心の手当を学びました。

 学びながら今、先生がおっしゃったような異常な体験のなかでの正常な反応ということについては、カウンセラーは皆、理解していると思っています。

 1回のカウンセリングで終わる場合もあるし、またカウンセラーの中に残ってしまう課題とか、または継続していくケースについては、私どものセンターは事業としてカウンセラー養成講座を継続して開講しているものですから、精神科の先生とか臨床心理士の先生が常に出入りしてくださっておられるので、困ったときにはすぐに捉まえてご相談申し上げて、スーパーバイズしていただくということを努めてしております。必ずと言っていいほどそのことは援助をいただいております。


(田辺)

 どうもありがとうございます。いろいろお話をしてまいりましたけれど、だいぶ時間が進行してまいりまして、それぞれのパネリストの先生方同士でなにかご質問かご確認したい点などございましたら。


(佐藤)

 ひとつよろしいでしょうか。さっき山田先生のお話のなかで、マスコミ対応もやっておりますというふうなことをおっしゃってましたが、具体的に法テラスに行くとどんなことをしていただけるのか、教えていただけますか。


(山田)

 先日新聞報道されました、西区の信金職員の殺人事件、これは公訴の時効が成立しました。お母さんのほうからは、このままでは死ぬに死ねない。娘のために何とかしたいというので、加害者に対し損害賠償請求をしてもらいたいと言われ、新聞に書いてありますように、犯罪被害者支援委員会で検討して訴えを提起しております。

 この刑事事件自体はマスコミに非常に大きく報道されまして、お母さんもその都度テレビやら放送局やら大変な対応だったんですね。しかし、今回に関しては民事提訴ということで一切マスコミ等に会いたくない、対応したくない。これ嫌なんじゃなくて、現在は、もう精神的にも負担が大きくどうにも堪えられないということで、それを眼目においてくれということでした。弁護士会としては、ただ事件自体は非常にショッキングな事件であり、世間に知れ渡っている事件なので、こそっとやるにも、民事訴訟の場合、もちろん公開法廷ですから、当然マスコミはわかっちゃいます。そうすると一斉に被害者本人に対し報道に走ります。それを防ぐにはどうするかということで、代表取材、今までの経過を見て、マスコミ1社だけにお母さんに私の事務所で会っていただきました。

 それ以外のラジオテレビ、すべて直接取材は困るという報道自粛の申し入れを司法記者クラブに書面でだしました。これ書面でださなければなりません。それは当委員会名でだす。そうしますと、きちんと対応していただきました。記者会見ももちろん当事者はでませんけれど、われわれ代理人がでて、事件概要を簡単に説明して、質問にも答えて自粛のお願いをする。そうすれば今のマスコミはきちんと対応していただきまして、直接取材はしないという実例があります。

 また、事件直後はマスコミは当然のことながら被害者宅に一斉に押しかけます。当然、警察に被害者が行っていれば、被害者が帰るところを待ち伏せて取材するわけですから、それをどうするかという問題があります。自宅に関してはこれまた報道自粛の申し入れを書面でだした場合には、大方応じていただいている現状です。


(田辺)

 どうもありがとうございました。他にはどうでしょうか。それであれば、そろそろまとめといいますか、今日のシンポジウムを閉じるにあたって、それぞれの先生のご発言の延長と申しますか、今後、よりよい犯罪被害者支援という、そういったことを目指すにあたって、ご自分の立場、あるいはご自分たちの所属している活動の視点から、ぜひこれを強調しておきたいということを、今度は前田さんのほうから順に発言していただければと思います。それでは前田さん、よろしくお願いいたします。


(前田)

 私のほうからはお願いということになります。繰り返しになりますけれども、法律や制度、支援の体制、それから市民の意識、それぞれの隅々まで被害者の視点ということが浸透することを願っています。その基盤には、村田先生も言われましたけれど、被害者学という、そういう学問的発展と定着が基礎になくてはならないと思っています。安易に心のケアだけでありましたら、「じゃあ被害者、しっかりせよ、心の持ち方で」ということに陥ってしまいますから、私は被害者問題に多くの機関や市民の方が関心をもつ、問題意識をもつ、そのことが本当に社会をよくするんだと、やさしい社会をつくることに直結すると確信してますから、そこで共有できることを思っています。

 11月25日の全国大会のテーマは「いのち、希望、未来」でした。私たちはそこで、犯罪被害者の声に耳を傾けていただきたい、生命の共感ということを広げて、犯罪をうまない社会をつくるために皆さん手をつなぎ合わせましょうということを訴えました。ここでも皆さんにそのことを訴えて私の最後の発言にしたいと思います。ありがとうございました。


(田辺)

 それでは佐藤先生お願いします。


(佐藤)

 かなり前、たぶん10年くらい前だと思いますが、アメリカの映画を見ていたら、ジョディ・フォスターが主演して性被害に遭うという映画を見ていたんですが、性被害に遭った彼女が命からがら逃げ出して警察に駆け込んで、その次の場面が産婦人科にいる場面で、そこの産婦人科で診察を受けてでると、そこに弁護士さんとカウンセラーがいまして、両方ともボランティアなんですね。カウンセラーは自分の名刺みたいなものを渡して、「なにかあったらこちらにお電話ください」と言って去っていって、弁護士も同じようなことを言って、彼女はカウンセラーにはなんの興味もなかったようで、弁護士さんに連絡をとって、なんとかあいつを訴えたいんだという話でストーリーが展開していくというのがあったんですけれども。

 本当に犯罪の被害に遭って、なにもわからないし混乱している、なにもできない状況のなかで、必要なものがパッと手を差し伸べられるというような、そういった社会になっていくということがすごく大切で、先ほど山田先生がおっしゃたように、どこへかけるのか、全部ちがって、専門家じゃなきゃわからない、専門家でもわからないというような状況ではやっぱりまずいだろうと。ここに聞けば、あるいは何かがあったときはこの人がきてくれて、警察でそれでいいと思うんですが、そういうことが全部整っているというような社会に早くなっていくためには私たちは何をしていったらいいのかなということを私はいま非常に感じております。


(田辺)

 どうもありがとうございました。それでは善養寺さんお願いいたします。


(善養寺)

 はい。犯罪被害者の支援策には経済的支援と、それから山田弁護士さんたちがしてくださっている法的地位の向上と、それから私どもがしている直接的な支援活動があると思うんです。

 それで先ほどもちょっとお伝えしましたけれど、支援策のマニュアルはあってもあくまでも参考であって、ケースバイケースの被害者の方に対しての絶対的な指針はあり得ないと考えます。というときに、先ほど村田先生がお話くださった心の復元力というものに対する信仰と、三浦さんがおっしゃった、支援のためのco-work というか、いろいろなかたちでの連携を、できるだけ顔の見える連携をつなげていきたいと、今決意しているところです。


(田辺)

 どうもありがとうございました。それでは山田先生お願いいたします。


(田辺)

 先ほど前田さんの知る権利に関係するんですけれど、犯罪被害者が弁護士にお願いしてくる一番大きなことは、事件の中身を知りたい、動機が知りたい、なぜ私が狙われたのか。犯人はどんな男かが知りたい。そこで記録の謄写閲覧とか、裁判の傍聴とかをやります。それでもよくわかりません。また意見陳述権といって、法廷の中に入って被害者が被害感情について意見を述べることも行っています。

 そこで、もう一歩今回進んだんです。この6月に新しい法律ができました。参加制度です。犯罪被害者が検察官の横に座ります。そして一定の制限の下で、被告人や証人に質問ができるんです。そして最後には最終意見陳述といって、自分の量刑意見を述べることができます。死刑とか無期とか、それが言えます。そういう制度ができまして、この犯罪被害者の知る権利の部分においては、いろんな法制度が今できてきました。裁判に参加するしないは自由です。ドイツでは30 年前からやってますけれども、参加する被害者は、25%前後と言われているんです。手を挙げない人ももちろんいらっしゃいます。ただ、ぜひ中に入ってものを言いたい犯罪被害者が2割から3割位いらっしゃいます。日本ではどうでしょう。来年の秋からこれが実行されます。

 この犯罪被害者には、弁護人が公費でつくことになっています。どうしてでしょう。被告人には国選弁護人がついているんです。それに対応して犯罪被害者には公的弁護人がつきます。そういうかたちの刑事裁判が来年の秋から行われます。そしてその次の年には、裁判員制度、市民6人が、壇上に裁判官の横に3人3人と分かれて座って、裁判員制度が始まる。また法廷には、検察官の横には犯罪被害者がいる。こういった刑事裁判が来年、再来年で、革命的と言いますか、非常に大きく変わります。

 したがって犯罪被害者のご不満も、こういった面でかなり整備されてきています。また先ほどらいでている心理的なケアの面でもいろんな方策が講じられています。弁護士は弁護士の分野で、これからも新制度をうまく利用して期待に応えたいと、肝に銘じているところでございます。ありがとうございました。


(田辺)

 どうもありがとうございました。本日シンポジウムのなかでいくつかの課題を確認することができました。一つは被害者の視点に立つということの非常に難しさです。私もここで聞いていて、ふと私たちの心のなかに交通事故だったらありそうな被害だけど、他の犯罪だったら被害にはなかなか遭わないだろうという、やっぱり偏見が簡単にわくんじゃないかなと。そこですでに犯罪の被害ということの被害者の視点を失うんじゃないかなというふうに思いました。被害者の視点でものを考えることの重要さと難しさということがひとつあったと思います。

 それから、被害者支援には、非常に多方面の実際的な支援が必要だということがまた確認されました。そしてそのためにいろいろな制度やいろいろなマンパワーも必要とするということもわかりました。また、犯罪被害者の支援はその犯罪当日の一次被害のみならず、その後もつづく心理的な被害、あるいはそのことに続発して起こる経済的な被害、さらには被害者の家族や遺族を巻き込んだ二次被害、三次被害といった、非常に重い重層的な被害が継続するという、そういう切実な問題であるということも今日明らかになりました。

 今、多様なところから犯罪被害者支援ということが発言され、活動が起きつつあります。国も平成16 年に基本法をつくり、道も計画を19 年3月に策定しています。今日はそういうことで、これからより良い支援のあり方を求めてのディスカッションを行いました。

 しかし、もしかしてこの会場におられる犯罪被害の方は、私たちのディスカッションを決して十分なものとは受け止めておられないのではないかというふうに思います。あるいは、現状に失望しているということもあるかもしれません。私が思うには、犯罪の被害自体というのは、本当に取り返しのつかないことなんだと思います。今日とてもきれいな花が壇上に飾られていますけれど、犯罪被害者の心のなかに、こういった花がきちんと咲くのかということについては、私は疑わざるを得ません。一度犯罪の被害に遭った方は、そうとう深刻なダメージを受けるんだろうというふうに想像します。あくまで想像ですが。

 それでもそういった被害に遭った人を孤立させず、その人の人間としての人権の回復、人間としての尊厳が守られるように、隣人として、あるいは専門職として犯罪被害者の被害の実態を知り、なんとか支えようとするという、そういうムーブメントが今、少し起きているんだろうと思います。ですから、犯罪被害者の方に言いたいのは、犯罪被害を受けられた後もなお生きていて意味のある社会をつくっていきたいということで、こういう活動が起きていることをぜひ伝えたいし、そういった何年かの時のいやしのなかで、少なくとも壇上の花にきれいだなという感じをもっていただくぐらいまで回復していただければというふうにも思います。

 本日はご多忙な中、皆様の貴重なお時間の中で、村田先生の講演、三浦さんの実践発表、そして私たちのパネルディスカッションということで、長時間にわたってご参会いただきました。最後までお聞きいただいた皆さんに感謝申し上げて、このパネルディスカッションを閉じたいと思います。パネリストの先生方もありがとうございました。