11月25日~12月1日は犯罪被害者週間

「犯罪被害者週間」国民のつどい 大阪大会~みんなで考えてみませんか。被害にあうということ~

議事内容

開会挨拶

高市 早苗(内閣府特命担当大臣)

 皆様こんにちは。犯罪被害者等施策を担当いたしております、内閣府特命担当大臣の高市早苗でございます。共催の大阪府の皆様には大変お世話になりました。今日は基調講演をしていただいたり、パネリストとしていろいろなよいお話を聞か せてくださる先生方、それから本当にたくさんの皆様にお集まりいただきました。皆様の大切なお時間を割いてご参集いただきましたことに感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

 現在、毎日、参議院で教育基本法の委員会が開かれております。私は朝から晩までずっと張り付いているような状況でございました。今日ももし答弁で呼ばれてしまいますとこちらに伺えないと思い、昨日はぎりぎりまで心配をしていたのですが、今日こうして犯罪被害者週間の最終日の締めくくりとなります、このつどいの場に来られましたことを私自身大変ありがたく思っております。

 犯罪被害者の方々がどのような状況に置かれるかということは、おそらくどんなに想像してみようと思っても難しいと思います。例えば、私が身近な家族を亡くした経験は、高校生のときに86歳まで長生きした祖父が亡くなったことです。祖父は1~2カ月入院してから亡くなったのですが、それでも10年以上頻繁に夢を見ました。私の家は共働きであり、実質子どものころからおじいちゃんが面倒を見てくれていたので、私にとっては親を亡くしたぐらいのショックだったのです。今もときどき夢に出てきます。

 ところが犯罪被害者ということになりますと、ご家族を犯罪によって亡くされた場合、これはもうある日突然思いがけなくやってきます。今朝までニコニコしていた子が、あるいは今朝元気に「行ってきます」と出掛けていかれたご主人が、もう夜は帰ってこないということは何の心の準備もなく訪れるものであり、私たちでは想像できないほどの悲しみ、悔しさ、加害者に対する怒りがあると思います。また、命はなんとか取り留めたが、長い間後遺症や障害に苦しまれる、場合によっては一生治療を続けなければいけないという状況に追い込まれることもあります。

 しかし、今までは被害者の方々がいろいろな経済的な支援を受けたくても受けられないことや、これは病院側の過った対応ですが、病院で健康保険を使おうと思ったら使えなかったなど、そのようなことでショックな目にあったあとに、また二次的な苦しみがやってくようなこともありましょう。
 また、私は女性ですから胸を痛めることは、レイプという形で性的な暴力を受けられたりすることで、場合によっては性的な暴力を受けた後に殺害されたようなケースもあるかと思います。ご家族は本当にいたたまれません。被害を受けた本人も周りが本当に温かく静かに見守りながらサポートをしてくれればいいのですが、世の中には許せない人がいるものです。被害を受けた人のところに「あんたのところの娘さんが悪かったのだろう」などと心無いことを言ったり、嫌がらせの電話をかけたり、メールをしたり、近所で陰口をたたいたり、つらい目にあった後にもう一度、もっとつらい目にあわれる方はたくさんおいでだと思います。
 今日は被害者の方も、そしてそれをサポートしてくださっている団体の方もおいででしょうが、それ以外に話を聞いてみようと思ってお出掛けくださった皆様には、ぜひとも今日のこのつどいの後に廊下のパネル展示もご覧いただきたいと思います。お一人お一人の被害者の方の写真があり、どのような経緯で死に至ったか、ご家族がどのようなつらい思いをされているか、法制度やいろいろな社会的なシステムの不備でどんな理不尽な思いをされているか、そのようなことがわかる展示になっております。

 そして、たくさんの方々から前向きなご提言をいただき、切実な運動をしていただいたおかげですが、平成17年4月に「犯罪被害者等基本法」が施行され、去年の12月にこの犯罪被害者の方々をサポートしていくためのいろいろな施策を盛り込みました「犯罪被害者等基本計画」が閣議決定されました。去年の年末なので、実際に具体的な施策は今年から順々に動きだしているという状況ですが、来年の通常国会にもいくつかの法律案がかかる予定です。ですから、これから少し中長期で見ていただき、総合的な被害者支援策を組み上げていく段階でございます。皆様には、現場でこういうところが理不尽だ、こういうところでひどい目にあった、法律はきちんとあるのに病院、警察でこのようなことを言われてしまったなどということがあるかもしれません。現場でおかしいと思うような声を、これからもお寄せいただきたいと思います。

 また、民間の支援団体の皆様にも被害者支援のためにいろいろな取り組みをいただいております。行政もがんばっていかなければなりません。ある日、突然犯罪被害者になりました、警察絡みの事件でも被害者になりましたというとき、このようなサポートが受けられますというリーフレットを渡していただいていますが、政府では追加的な施策を紹介するリーフレットを作成中でございます。このようなものも各行政機関、自治体でできるだけ手に入るように、もしくは民生委員の方にご足労をいただいてお持ちいただくなど、いろいろな場で被害者の方がこれを手に入れて、つらい中だけどこの制度を使ってみようか、例えば経済的な損害を回復するために、これに申し出てみようかなど、いろいろなことを皆様にわかりやすく候補していくための啓発も必要です。そのためには、まさに自治体、各支援団体の皆様のお力添えが必要になりますし、ますます大切な取り組みになってくると思います。

 また、教育基本法の審議でも出ております、道徳心、公共の精神、生命の尊厳に対する思いというものは、やはり青少年、小さなころからすべての国民が持っていかなければいけません。本当に秩序があり、皆が法律を守って人の命に敬意を払って生きていけば、このような心無い犯罪は起こらないはずなのです。ですから、私たちは教育施策にも一生懸命取り組んでまいります。

 私自身もこれまで憲法改正案の議論の中で申し上げてまいりましたが、憲法の条文には加害者の権利は何条も条文があります。しかし、被害者に関してはまったく書かれていません。このようなところも見直しの議論が出ております。

 国がすることは数え切れないぐらいあるかと思いますが、今日のこのつどいを通じて、皆様がますます被害者の方の状況に思いをいたしていただいて、知識を増やしていただき、自分たちもこのような啓発活動を、今日は帰ったら近所の人に話してみようと思ってお帰りになっていただきたいと思います。また、足りないところがあれば、私たちに教えていただけるような今日はそのような取り組みのきっかけになればいいと思います。

 制度的にスタートしてから、今回このようなつどいをこの第1回目の犯罪被害者週間に共催という形で開かせていただきました。今日は最後の1日でございますが、ご参加いただいた皆様方に満足していただき、実り多い大会になりますようお祈りを申し上げます。そして、太田府知事始めとして、大阪府の皆様は本当にきめ細かな取り組みをされております。今日皆様がお手元に持っていらっしゃる資料を読んでいただいたら、大阪府の取り組みもわかると思いますので、そういったことにも感謝を申し上げ、お集まりの皆様のお幸せとご健康をお祈り申し上げまして、私からの挨拶といたします。今日はお出ましいただきまして本当にありがとうございました。

開会挨拶

太田 房江(大阪府知事)(代読:高杉豊(大阪府副知事))

 開催にあたり、一言ご挨拶申し上げます。本日はお忙しい中、「犯罪被害者週間」国民のつどい大阪大会にご来場いただき誠にありがとうございます。2年前、「犯罪被害者等基本法」が成立した記念すべきこの日に、ここ大阪において本大会を開催できますことを大変うれしく思っております。また、犯罪被害者団体、支援団体を始め、開催にご協力いただきました関係の皆様にこの場をお借りいたしまして、厚くお礼申し上げます。

 さて、大阪府ではこれまで犯罪のない都市を目指して、大阪府警察本部と力を合わせ、安全なまちづくりに取り組んでまいりました。その結果、刑法犯は4年連続して減少し、特にひったくりにつきましてはピーク時の平成12年からほぼ半減するなど、治安の改善傾向が定着しつつあります。しかし、ひったくり発生件数は30年連続で全国1位となり、殺人や交通事故などの痛ましい事件、事故も多く発生しているなど、いまだに厳しい状況にあります。今後、犯罪の未然防止に一層取り組むとともに、思いがけず事件や事故に巻き込まれた方々が再び平穏な生活を営むことができるよう支援していくことが、これからの安全で安心なまちづくりには不可欠です。

 そこで、大阪府では本年度から犯罪被害者支援の専門セクションを設置し、年内を目途に大阪府犯罪被害者等支援のための取組指針を策定することなどを進めているところでございます。犯罪被害者の方々が被害から立ち直り、以前と同じような生活を取り戻すためには、地域の人々の理解や配慮、そして協力が重要です。このため犯罪被害者等に関する問題は、私たち一人ひとりにかかわる重要な問題であるということを、府民の皆様に知っていただき、ともに考え、ともに支える社会の実現を目指して、このたび本大会を開催することといたしました。ご来場の皆様方には、地域、職場、家庭において、一人ひとりができることについて一緒に考えていただき、ここで感じられたことをぜひ周囲に広めていただきたいと思います。

 結びにこの大会を契機として、犯罪被害者に対する理解の輪が広がり、府民の誰もが安心して暮らすことができる大阪の実現に向け、その機運がますます高まりますことを祈念いたしまして挨拶とさせていただきます。

第1部 人形劇
「悲しみの果てに~絶望」

<上演後>
(林友平氏)

 こんにちは。私は東大阪から参りました林と申します。平成10年に当時19歳の私の娘がアルバイト先で命をなくしました。あすの会に入り、岡村代表が遺影を持ち込んで傍聴席に出たということを知り、私も娘のために遺影の持ち込みをさせてもらおうと思い、裁判長に申し込み、許可をいただきました。関西で初めて遺影の持ち込みをしたのが私です。たぶん娘も喜んでいることと思います。

 現在、このようにあすの会に入り、皆様と一緒に活動しております。どうぞよろしくお願いいたします。


(草刈氏)

 こんにちは。尼崎の草刈です。平成14年8月27日、わが子のように育てた孫娘が18歳という若さで殺されました。なんとしても犯人を逮捕してほしい、未解決で真っ暗闇なのです。ですから、本当になんとしても司法の場にまで持っていきたいと思い、懸賞金をかけ、ビラを配り、叫びました。3年半後になって犯人が逮捕されました。

 今もまだ、未解決の方がたくさんおられます。その人たちのために私たちが叫んだとき、なぜか本当に耳を疑うような事が聞こえてきました。来年、国のほうで懸賞金を出して、犯人を捜してくださるということが決まったそうです。私も本当にそのことに期待をしています。よろしくお願いします。


(一井氏)

 堺市から来ました一井です。私は1995年に15歳の長男を少年4人による集団暴行で殺されました。2000年にあすの会に参加し、そこで初めて犯罪被害者等給付金支給法というものがあることを知りました。被害者同士の情報交換ができる場があることは大変大事なことです。

 私は少年事件の被害者ですが、少年事件では逆送されない限り、裁判さえ行われないのが現実です。人の命を奪った犯人が、少年か大人かという理由だけで刑事裁判のあり方が変わるのはおかしいと思います。少年法はこの人形劇以上に被害者を厄介者扱いしてきているということを忘れないでほしいです。ありがとうございました。


(坂井氏)

 大阪市から来ました坂井と申します。私の事件は2000年に何の関係もない男に父親が殺害されました。殺人の現行犯逮捕でしたが、検察が傷害致死で起訴しまして、求刑10年に対して判決6年が確定し、今年出所しました。今日はありがとうございました。


(安丸氏)

 茨木市から来ました安丸といいます。私は子どもの時に5歳上の姉をレイプされて殺害されました。そして、その性犯罪に対する偏見の中で成長しました。私の受けた被害はそればかりでなく、11年半前に暴走族のメンバーだった若者に息子がひき殺されました。

 私は奈良の女児殺害事件の公判を第1回から判決まですべて傍聴しましたが、皆さんご存じのとおり死刑判決が出されました。しかし、死刑判決というのは、かつて大臣が法を守って死刑執行命令書にサインしたことはありません。私はこの小林薫死刑囚については、法に基づいて6カ月以内に大臣に署名していただけるように望んでおります。


(川渕氏)

 応援団をさせてもらっています川渕です。僕は被害者ではありませ    ん。被害にあったことのない一般の人間です。殺人事件の刑事裁判を第1回目から判決まで見る機会があり、その中で第三者的にその裁判自体がおかしいことが多く、今はこうやって手伝わせてもらっています。


(佐藤氏)

 大阪の佐藤です。私も応援団です。「運転手さんにチップあげといてください」というセリフを担当したのは私です。あれはフィクションなんかではなく、実際に林 良平と一緒に被害者のお宅へお伺いして聞いた話なのです。ご承知のようにチップというのは心付けや祝儀などと言いますが、殺人事件の被害者にチップです。犯罪の被害者の方たちが今までどんな扱いを受けてきたかということが、あの一言でもわかると思います。


(林良平氏)

 林と申します。今日はお忙しい中、本当にたくさん集まっていただき、ありがとうございました。この人形劇は2002年8月17日に第1回を行いまして、足かけ4年、今日で24回目の公演となります。見ていただいておわかりのとおり、日本における刑事司法制度がいかに被害者をのけ者にしているかということを描き、それに対する反発というか、変えなければいけないという気持ちから脚本を書かせていただきました。

 私自身は妻が平成7年1月に殺人未遂事件にあい、犯人は逃亡中であります。基本法ができ、そして基本計画もできまして、犯罪被害者が訴訟参加できる道筋がきちんとできてきました。炎が見えてきたということです。私の事件はもうじき15年という時効を迎えます。この被害者の訴訟参加がきちんと確立してから、犯人逮捕に向けたあらゆる努力をしたいと思います。繰り返しますが、訴訟参加というものが確立しましたら、あらゆることをやって犯人を捕まえたいと思っております。ありがとうございました。


第2部 講演
「犯罪被害者を取り巻く問題について」

大谷 實(学校法人同志社総長)

 同志社の大谷と申します。どうぞよろしくお願いいたします。「犯罪被害者週間」国民のつどい大阪大会がこのように盛大に開催されまして、大変心強く、うれしく思いますし、また、ご成功に心からお喜び申し上げます。今日は時間の関係で、あまり詳しいお話はできませんが、日本での犯罪被害者支援のこれまでの経緯をたどりながら、これから留意すべき点について、若干のお話をいたします。

 犯罪被害者支援の先駆者は、ご存知のように神奈川県の市瀬朝一さんです。この方は鉄工所を経営しておられたのですが、結婚前の一人息子を昭和41年に少年により殺害されて失いました。その後、「殺人犯を撲滅する遺族会」を立ち上げ、「殺人犯はすべて死刑にすべきである」また、「殺人犯の被害者の遺族を救済する制度を作るべきだ」という主張を掲げて、殺人事件で亡くなった全国の被害者遺族の家を訪ずれ、激励してまわったのです。同時に街頭での署名活動を展開し、約2万人の署名を持って法務省に請願したのであります。しかし、当時の法務省はほとんどこの請願を相手にしませんでした。

 私は、当時、市瀬さんが運動を立ち上げられたことは知りませんでしたが、犯罪被害者補償制度を研究するため、昭和45年から約1年半、イギリスのオクスフォード大学に留学し、47年に帰国しました。その留学の成果から、日本でも犯罪被害者補償制度を造るべきであり、そのためには犯罪被害者の実態を世間に明らかにすべきだと考えまして、帰国早々、当時の京都で過去10年間の京都府における殺人の被害者の遺族約100名についてアンケートによる実態調査をしました。調査はなかなか難しかったのですが、犯罪被害については当然損害賠償が請求できるはずなのに、ほとんど損害賠償を請求しないか、請求しても賠償されていないという実態が明らかになりました。そこで、イギリスでは人身犯罪の被害者には国が犯人に代わって損害賠償を支払う、いわゆる犯罪被害者補償制度を実施していることを学会や講演会などで訴え、同時に、「犯罪被害者補償制度を促進する会」を立ち上げ、遺族の皆さんと街頭宣伝や、集会を開いて世間に訴える運動を始めたのであります。

 しかし、新聞等では注目してくれるのですが、制度の具体的な検討までには至らず、私も相当いらいらしていたのであります。ちょうどそのころですが、昭和49年8月30日に三菱重工爆破事件が発生したのです。私たちの勉強会などに取材に来ておりました新聞記者が、この被害者はどうなるのか、先進諸国では被害者補償制度ができており、日本でもその制度をつくるための運動が行われているといったような的確な新聞記事を書いてくれまして、大きな反響を呼びました。その直後に、すでに目が不自由になられていた市瀬さんが、奥様とご一緒に私の研究室を訪ねてこられ、そこで長時間語り合った結果、「市瀬さん、殺人犯は全部死刑にすべきだというのは無理ですよ。これはもう取り下げましょう。むしろ、補償制度に絞って運動していきましょう」ということになりまして、それまで私は、「犯罪被害者補償制度を促進する会」を作って、その会長になっていたのですが、「会長は市瀬さんに譲りましょう。私は顧問として、理論武装して運動に協力しましょう」ということになりまして、以来、集会に出たり、国会にもご一緒するといった活動を、全国的な規模で展開したのであります。にもかかわらず、なかなか制度創設までには至らないし、新聞記者の皆さんだけが相手にしてくれたというのが実情でした。

 当時、私たちの活動を敵視したのは、おそらく弁護士さんではなかったかと思います。いうまでもないことですが、刑事弁護士の仕事は、被疑者・被告人の人権を守るために弁護するわけです。今の刑事訴訟法は、戦後、昭和23年に新憲法の下でできた法律ですが、それまでの刑事訴訟法は、容疑者や被告人の弁護を重視したり、あるいは人権を守るような法律ではありませんでした。そのため、多くの人権侵犯事件があったのでありまして、新しい刑事訴訟法は、こうして人権軽視の刑事訴訟法を全面的に改めて、被疑者、被告人、あるいは受刑者の人権を守るものとすることを眼目としたのであります。被疑者の取調べなどでは、拷問なども珍しくなかったやり方を根本から改めようとしたのであります。こうした刑事手続きなどでの人権侵犯をやめようとして作られた新しい刑事訴訟法が、ようやく定着し始めたのに、被害者を大切にしようということにすると、悪いのは犯人であり、草の根を分けても犯人は探し出して捕まえよう、少しぐらい怪しくて、冤罪くさくても、犯罪予防のためには捕まえることも止むを得ないといった捜査や裁判が復活してしまうのではないか。こうした危惧が、弁護士さんたちに根強かったような気がいたします。今日では、弁護士会も被害者支援に熱心に取り組まれていますし、本日ご来場の皆様の大半が一般市民の方と伺いまして、文字通り時代の移り変わりを感じている次第であります。

 ともあれ、私たちの運動が功を奏したのかどうかはわかりませんが、昭和55年に「犯罪被害者等給付金支給法」の法律ができ、昭和56年1月1日から施行されました。私が被害者問題研究を始めて、ちょうど10年目に日の目を見たわけでありますが、法案の作成作業を警察庁の皆さんと一緒になって京都で苦労したことを思い出しますと、誠に感慨無量というところであります。

 ここまでが、わが国での犯罪被害者支援の第1期でありますが、私自身は、これで私の仕事は終わった、これからは本格的に刑法解釈論に没頭しようと考えまして、被害者問題から離れて研究を続けることにしたのです。

 犯罪被害給付制度(犯給制度)の創設から10年たったところで、犯罪被害者救援基金の主催で犯給制度発足10周年記念シンポジウムが開かれ、そこで私もパネリストとして議論に参加したのですが、そのときに、「先生は補償制度さえつくれば被害者の人権が守れると思っているのですか。外国をご覧なさい」といきなり手厳しい批判に出くわしました。その方は大久保さんという方で、飲酒運転による交通事故で息子さんを失われたお母さんでした。現在は東京都の犯罪被害者支援都民センターのお仕事をされていますが、その方に「本当に被害者のことを考えるのならば、精神的なケアの問題をやらなければダメなのだ。アメリカではとっくにやっている」と厳しく指摘されたのです。

 犯罪被害者補償制度を本格的に制度化したのはイギリスでありまして、イギリスでは1963年に法案ができていたのですが、制度を最初に実施したのは、実は、ニュージーランドなのです。ニュージーランドは小さな国なので、比較的簡単にできたのですが、イギリスは1964年に正式に制度を発足させます。日本の犯給法が施行されたのは1980年でしたから、日本は、約20年遅れて制度ができたことになります。もっとも、犯罪被害者の経済的支援が曲がりなりにもできたからには、次は、被害者の生活をサポートするシステムが必要だということは、私どもも承知していたわけですが、警察や法務省もなかなかそこまで手が回らなかったのが実情だったと思います。しかし、被害者の人権問題が国際的にも取り上げられるようになり、被害者のケアの問題がクローズ・アップされるようになってまいりました。そうした時期に発生したのが平成7年の地下鉄サリン事件であります。被害者の支援問題は、この事件を契機に大きな社会問題となりました。特に警察庁は平成8年に「被害者対策要綱」をつくり、警察活動の大きな転換を図りました。警察は、これまで犯罪の捜査や秩序維持活動を中心に運営してきたけれども、本当の意味での警察の活動は、国民の人権を守ることを主眼としなければならない。そういう意味では、まさに被害者を支援し、被害者の人権を守ることを警察活動の中心におくべきだというように方向の転換を図ったのです。

 これまでは被害者が「被告人はどうなっていますか?」「取り調べはどうなっていますか?」と聞いたりしますと、警察は「被害者にそういうことを知らせる義務はありません」というように、被害者をいわば度外視した捜査活動をしてきたわけです。しかし、被害者の関心は犯人がどういう扱いを受けているかといった情報を得たがるのは当然ありまして、警察も業務に支障がない限り、できるだけ犯人に関する情報を通知することにしました。相前後して、検察も同じように考えるようになりました。検察の場合は、起訴したかどうか、裁判はどうなっているか、刑務所に行って、いつ出所するのかというようなことについての情報提供もするようになってきました。刑事司法についての被害者への配慮ということが次第に国民にも浸透してきたわけです。

 そういうものが背景になり、犯罪被害者保護のための二法が制定されました。これについて細かくは申しませんが、被害者は裁判でいろいろな負担を強いられてきました。特に被害者は証人にならなければいけません。強制わいせつや強姦の被害者は、非常につらい思いをするわけですが、そのような証人としての負担を軽くしようということになりました。直接被害者と被告人が顔を合わせることは大変な神経を使うわけですが、被害者によっては、被告人と目を合わせただけで緊張し、汗が出てくるといいます。それくらい精神的に参ってしまうのですね。だから、尋問するときでも直接顔を合わせないようにしてやろうと、ついたてで顔を見えないようにしてやろう、また、そばにいるのもイヤだという被害者には、ビデオで尋問をしようということになりました。

 一方、裁判には傍聴が許されているわけですが、被告人側の傍聴人のほうが多く、被害者側は傍聴席に行けないということがよくあった。そこで、この問題に対しても傍聴席をきちんとつくりましょうということになりました。また、被害者が被告人にどんな気持ちや感情を持っているかといった意見を言う権利を被害者に与えることになりました。また、これまでの給付金は900万円~1000万円が上限だったのですが、平成13年には法律を改正して、現在は上限を1800万円に倍増しました。他方では民間の支援活動がだいぶ普及してきました。これは主として警察の指導によるものですが、いずれにしても、このように刑事司法機関である警察、検察、裁判所、刑務所での被害者に対する配慮が大きく変わってきました。そして、民間の支援団体も全国で現在50カ所ほどあるのですが、犯罪被害者についての民間の支援活動の役割は、きわめて大きなものがあるといえます。

 こうして、一昨年の「犯罪被害者等基本法」という法律の制定に至ります。この法律によって、犯罪被害者の総合的な支援が可能になりました。また、この法律に基づいて、昨年は「犯罪被害者等基本計画」ができました。基本計画は、現在、内閣府で具体的に検討しているわけですが、再来年にはまとまることになっています。平行して、自治体でも条例等で犯罪被害者の保護を図っていこう、支援していこうということになってきました。よく日本の犯罪被害者支援は、先進諸国家に比べて、20年、いや30年は遅れているといわれてきましたが、私の見たところでは、基本計画が完成して実施されますとすごいものになると想像し、楽しみにしております。

 では、基本計画が実現した暁に、被害者のみなさんは、本当に満足され、平穏な社会生活を営むことができるのか。これが、私が今一番気になっているところです。話の締め括りとして、この点について述べたいと思います。私は、いつも犯罪被害者支援の目標をどこに置くべきかについて悩んでいます。基本法でも書かれているのですが、犯罪被害者支援のゴールは被害を受けた方、あるいはその遺族の方が平穏な生活を取り戻し、そして普通の社会生活を営めるようにすることがゴールであろうと思っております。

 しかし、国や民間でいろいろなことをしていますが、そのゴールに到達するには非常に大変だとおもいます。「犯罪被害者の人権」という言葉は、日本でおそらく私が一番初めに使った言葉ではないかと思うのですが、犯罪被害者は、人間として当然享有すべき人権を決定的に奪われた状況に陥っていると思います。もちろん、窃盗事件などではそれほどではないにしても、特に殺人事件や性犯罪の遺族や被害者の方はそうではないでしょうか。広島女児殺害事件の被害者のお父さんは、外国人の被告人が無期懲役の判決を受けたことに対して、「娘は2回殺された。強姦で殺され、それから本当に殺された」と言っておられ、「高裁では、一人でも、小さな子を狙うと極刑になるということを示してほしい」と怒りを示しておられました。犯罪被害者が受ける打撃、感情は、同じ命を失うにしても、自然災害などとは違うということを、理解する必要があると思うのです。阪神・淡路大震災で亡くなった方も、もちろん気の毒でかわいそうです。あるいは雷に打たれて亡くなる方もかわいそうです。このような比較の仕方はいけないかもしれませんが、強姦殺人や殺人といった犯罪による被害が災害などと違うのは、いうまでもないことですが、人の手によって殺されたという点にあると思うのです。殺されたら殺し返すという復讐、あるいは報復感情は、いくら聖人君子でありましても本能的にあるものです。犯罪被害者は、そのような感情を一生引きずって生きていかなければならないのですから、いわば、取り返しのきかない人生行路を強いられているといっても過言ではないのです。その意味で、多くの凶悪犯の被害者や遺族は、一生を台無しにしてしまっているのです。

 菊池 寛の小説に、『若杉裁判長』という短編があるのですが、寛刑主義者の若杉裁判長が、夜中に強盗に襲われ、その日から手のひらを返すように厳罰主義者に代わったというストーリーですが、この本能的な報復感情を克服することが、被害者や遺族の方が平穏な生活を取り戻す力になると、私は常日頃思っているのです。その意味で、被害者の方が極刑を望むことも無理からぬことでありますし、それに応えることが被害者対策の要であることも否定できません。しかし、犯人が死刑になったからその刑に満足して平穏な生活に戻れるというものでもないと思うのです。被害者の方は、単に被害を受けたということ以上の、複雑な感情を抱かれているわけで、それに応える支援こそが、真のゴールではないかと思うのです。

 先ほど言いましたように、被害の程度や種類はありますが、被害者、あるいは遺族は一生引きずって、いわば人生を台無しにしてしまっているのです。生きていてもそうなのです。そのような方を本当に社会が受け入れる、あるいはご本人が社会生活を平穏に送れるようにするためには、よほどの覚悟をもってやらないと、そういう社会にはなっていかないと思います。被害者問題の一番難しく、しかも要になるのは、この点だと思うのです。犯罪被害によって人生の望みを絶たれた方はもちろん悲惨ですが、残された遺族は、ただ愛するものを失ったというだけではなく、生きていても人生を台無しにされてしまっているのです。人間誰しも幸せを求めて生きるのですが、犯罪被害者や遺族の方と接してみると、生きる希望もなく、ただ生きているだけだという人がおられるわけで、そういう方に平穏な生活に少しでも戻っていただきたい。

 では、私たちはどうして、被害者をサポートしなければならないのでしょうか。この問題は、いつも議論になるところですが、私はこう考えています。今日の社会生活で、犯罪被害は、何時、誰に起こるかわからないのです。これは特に自由社会では顕著です。1人の危険な人物に対して1人の警察官がずっと付いて歩いていたならば犯罪は起こりません。そのようなことは財政的にも、人権上も不可能です。そこで、一定の自由があるところに犯罪発生の原因があるわけで、犯罪は社会の風土病とも言われますが、常に犯罪は発生し、しかもその被害は誰に起こるかわからないのです。被害を受けた人は、いわば不運で被害を受けているわけです。本当は自分が被害者になるところであったということもよくあることです。自分はたまたま幸運にも被害を受けなくてすんだ、被害者が被害を受けたのは不運だったからで、その結果については自分は知らないというのは、不公平ではないか。少なくても公正ではありません。被害を受けた人はいわば自分の犠牲になっていたかもしれないのでから、そのような被害者を救う、あるいは国民が連帯共助の精神で支え合うことが必要なのではないかと思うのです。それが人間としての生き方なのではないかということは理解できると思います。

 人間は皆一人で生きていくのではなく、社会生活をしているわけなので、その社会生活の中で幸せを求めたり、あるいは人生の目的を達成したりしているわけでありまして、教育基本法が言うように、人生の目的は「人格の完成」です。皆それぞれ人生を生きて、目的を達成していこうとしている中で、犯罪被害を受けた人は、そのような望みも持って生きられないという人生を歩んでいるとするならば、それは国民皆が支え合うべきではないか。私たち民間の支援活動をして者は、そういう気持ちで活動をしていますが、一般の皆さんもそのような形で、言い換えると、社会全体で被害者を受け入れてはじめて被害者の方々の気持ちは平穏になるのではないか。被害者が望む刑が科されなくても、近隣、地域、そして社会全体が被害者の気の毒な立場に同情をし、援助することが、平穏な生活への最善の道ではないかと思うのです。

 言いたいことは、国の皆さん、自治体の皆さん、あるいは民間支援の皆さんも同じような気持ちで、なぜ自分たちがこういうことをすべきなのかということ、何のためにやっているかというゴールをきちんと捉えておかないといけないのではないかということなのです。それは一般の皆さんも同じです。皆がそういう気持ちで被害者を支えていかなければ、被害者のいわゆる人権は守れません。ちなみに、人権という言葉がよく使われ、人権にはいろいろな種類がありますが、私は本来の人権とは、幸福を追求する権利ではないかと思います。

 日本の憲法の13条が私の一番好きな条文なのですが、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」ということです。まさにあらゆる人権の根本は、それぞれ可能な限り幸せを求めて生きていける、それを国が保障していくのだということです。幸せを求めて生きていく、幸福追求を根底から否定されてしまうのが、犯罪被害者ではないかと思います。そこに視点を当てることが、本当の意味での犯罪被害者の支援であり、また犯罪被害者の方もそのような姿勢でサポートしてくれると思ってはじめて、幸せを感じて、社会に戻っていけると思います。

 只今、「幸福追求権」ということを申しましたが、皆が幸福を追求できる、幸福を求めて生きる権利があるのに、犯罪被害者はその権利を根底から覆されているのです。おそらくは自然災害の被害者とは少し違った意味で、人生を台無しにされているのだということを自覚していただくと、本当の意味でのサポートになるのではないかと思います。講演の話は、余り記憶に残らないのですが、本日は、人間誰しも幸福を求めて生きていく権利持っているという「幸福追求権」を覚えて、お帰りいただければと思います。ご清聴ありがとうございました。

パネルディスカッション

「考えてみませんか。被害にあうということ」
コーディネーター:
松井 聡( 大阪府生活文化部安全なまちづくり推進課参事)

パネリスト:
林 良平( 全国犯罪被害者の会)
米村 幸純(TAV交通死被害者の会)
高松 由美子(自助グループ「六甲友の会」)
堀河 昌子(NPO法人大阪被害者支援アドボカシーセンター)
中村 英光(大阪府警察本部府民応接センター被害者対策官)

(松井)

 それではただいまから第3部パネルディスカッションを開催したいと思います。今日ご来場の皆様もご承知かと思いますが、犯罪被害者に関する問題は種々いろいろあります。本日は国民の理解の増進にスポットを当て、5名のパネリストの方々と「みんなで考えてみませんか。被害にあうということ」をテーマに議論してまいりたいと思います。パネルディスカッションが終わったときには、ご来場の皆様や、我々も含めましてなにがしか得られるものがあるような内容にしたいと思っております。時間は午後4時までの予定です。どうか最後までよろしくお願いいたします。

 最初に、パネリストの方々の自己紹介をお願いしたいと思います。それぞれ属しておられる団体の紹介は私のほうからさせていただきますが、団体の詳しい活動内容につきましては、自己紹介とあわせてご紹介をお願いいたします。

 まずは、全国犯罪被害者の会(あすの会)の林さんにお願いします。あすの会は全国の犯罪被害者が集まり、被害者の置かれている現状を訴え、被害者自らが権利と被害回復の制度の確立を目指して活動しておられる団体です。林さん、よろしくお願いいたします。


(林)

 林と申します。よろしくお願いいたします。私の事件は先ほども少し触れましたので省きます。私たち全国犯罪者の会は通称あすの会と申しますが、これは殺人事件の被害者遺族を中心にした団体であり、事務局は東京にあります。

 パネル展示を見ていただいたと思うのですが、あすの会の一番大きな活動の成果は、犯罪被害者等基本法の成立に関して中心的な役割を果たしてきたことです。そこに至るまでの経緯は、パネル展示の時間経過順のものを見ていただいておわかりいただいたと思うのですが、まず、2002年の9月にヨーロッパ調査に行ったことが大きいです。

 あすの会は、2000年1月23日に設立しました。そして、被害者当事者としてのあすの会を「支援するフォーラム」というものがあります。一橋大学があすの会の代表である岡村 勲の出身校であり、石原慎太郎さん、日本経済団体連合会の会長であった奥田 碩さん、瀬戸内寂聴さん、アサヒビールの樋口廣太郎さんという4名の方が呼び掛け人となってくださってあすの会を物心両面で応援しようという形の「支援するフォーラム」をつくっていただきました。

 そのような物心両面の応援もあり、2002年9月にヨーロッパの調査をしました。日本のもともとの刑事司法は、ドイツやフランスの大陸法を基にしているのですが、ドイツとフランスの刑事司法の現状はどうなっているかということを、約1年間の研究期間を経て、現地調査を行いました。そして、ドイツとフランスでは25年から30年以上も前から犯罪被害者が法定の場の中に入っており、きちんとした権利を持っているということがわかりました。それを「ヨーロッパ調査報告書」という形で上梓して、その年の12月8日、あすの会・第4回総会におきましてその報告書を発表しました。なおかつ私たち被害者が署名活動をして、日本でもなんとしても同じような権利を獲得しようという決議をし、翌年からは全国で署名活動を展開しました。

 全国47都道府県を回って39万人の署名が集まったところで、前・法務大臣の杉浦正健さんから、「小泉首相と会える」という連絡が岡村代表にあり、2003年7月8日に私も同席させていただきました。約25分間、首相とお話しすることができ、被害者の置かれた現状を訴えました。「そんなにひどいのか」ということでビックリされ、自民党と政府で検討することをお約束いただき、この25分間で基本法ができる道筋をつけていただいたような気がします。ただ、私たちは基本法をつくってくれという活動をしてきたわけではありません。私たちは被害者の訴訟参加、附帯私訴、そして経済的な損害の回復というこの3つを求めて全国で街頭署名活動をしてきたわけです。

 署名活動とは別に、地方自治法99条に基づく意見書を採択してくださいということを各自治体にお願いして、被害者の権利を認めてくださいという意見書を自治体のほうから国や最高裁などいろいろなところに出していただきました。このような成果もあり、基本法は議員立法という形で成立しました。与野党の国会議員の皆様方のほとんど全会一致で、一昨年の12月1日に参議院で可決し、成立したのです。それをさかのぼって一週間の「犯罪被害者週間」、今日、12月1日という記念の日に、この大阪で人形劇やこのようなお話ができることは大変ありがたく、名誉なことだと思っております。今日は本当にありがとうございます。


(松井)

 ありがとうございました。林さん、最終的に署名は何万名になりましたか。


(林)

 55万7万人です。


(松井)

 すごい数になったということですね。このような国民の温かい支えが、林さんたちの励みにもなったのかなと思っております。これからも何かできるような形で国民の方々の理解、協力などが必要なのかなと思っております。

 続きまして、TAV交通死被害者の会の米村さんにお願いします。TAV交通死被害者の会は、交通事故遺族と重度障害被害者の家族による被害者同士が体験を語り、支え合う場として結成された自助努力の会です。交通犯罪を取り巻く現行制度の改善、車中心社会からの脱却などを目的として、二度と同じ被害者を出さないという社会の実現を目指して活動されておられます。では、米村さんよろしくお願いいたします。


(米村)

 よろしくお願いたします。私は平成8年12月9日に信号無視のトラックによって長男を殺されました。この来週の土曜日で10年になります。10年を迎えても変わらないのは、家内が11月の末から12月9日を迎えるまで平穏ではないということです。まったく変わっていません。変わったのは、私たちのだんらんの中に息子がいないということです。

 刑事裁判は1年2カ月という実刑判決だったのですが、殺人と言われても仕方がないと言われている事故がミスとして裁かれました。そのことには大変悔しい思いをしました。そして当時、社会的生活ができなくなった家内を助けてくださいということで、全国交通事故遺族の会にお願いをして入会をいたしました。ただし、東京と大阪という距離感もありました。その後に一緒に活動していた仲間と頻繁に会うことができ、互いの顔がわかるという意味で、地元で活動しようということになり、1999年3月にTAV交通死被害者の会の設立に参加いたしました。

 なぜTAVという横文字が付いているのかということですが、交通死被害者の会という名前のインパクトが、当時は非常に強かったということです。周囲へのインパクトも強く、私たちの会員もなかなかその名前があると会場に入れないということもあり、このようなところで正式に何か会合をするときは、TAVという愛称だけで活動をしております。

 の会の設立直後、私自身がちょうど民事も刑事も終わった段階で落ち着いたということで、会のほうからはいろいろなことを求められました。しかし、何が変わったわけでもないので、気持ちはなかなか収まりませんでした。そして当時、神奈川県から悪質な交通事犯の量刑を見直す署名活動が起こり、それに参加をしました。それは最終的には、2001年12月の危険運転致死傷罪の成立の原動力になったと思うのですが、その縁で「生命のメッセージ展」という活動に誘われて、参加しました。お隣にいる高松さんもその仲間です。その生命のメッセージ展の活動というものは、交通事故だけではなく、犯罪被害にあわれた方のご家族が参加しておられます。その活動を通じて自分の所属する交通死被害者の会を冷静に見ることができ、2004年に当時の代表から申し出を受けまして、事務局を引き受けて現在に至っております。

 11月現在、会員は155名います。奇数の月には定例会、偶数の月には交流会等を行なっております。現在、名古屋・東海地区では中部交流会というものを別に開催していただき、滋賀では滋賀の家族会というものを不定期で行なっております。その他に毎月、研究会を行なっております。私たちは自助努力の会ということで、本来は互いが悩みを打ち明け合い、体験を語り合って支え合うという会ですが、どうしても交通事故に関して社会に強く訴えたいようなことが煮詰まってきた場合、それを外に発信したいという会員と、そういうことはしたくないという会員がどうしてもできてしまいます。150人もいるとニーズが違いますので、できるだけ会員のニーズに応えていこうということで、外に発信したい方のために研究会を立ち上げました。その研究会が立ち上がった時点では、この基本法が制定された時期であったので、内閣府等からヒヤリング等のお話をいただいたときに、研究会の成果を持っていき、我々の立場をお話させていただきました。その他には会報を毎月発行しております。購読希望の方はメールで発信しますので、ぜひ後でお申し出ください。

 春と秋の交通安全集会では大阪府警のご協力をいただき、門真交通試験場で街頭活動をしております。同じ被害者遺族であり、自らの問題を解決する努力をするという意志を持った人で運営する自助努力の会です。交通事故による被害者や遺族が苦しみを越えていくために支え合う場、人の出会う場として本来の活動をしております。傷ついた心を癒やし、会員一員として他人を思いやり、少しでも心を社会に戻せるようにということを目指しております。ぜひ交通事故に対する皆様のご理解を深めていただきたいと思っています。ありがとうございます。


(松井)

 ありがとうございました。まだ皆さんもご記憶にあろうかと思いますが、今年の8月に福岡で飲酒ひき逃げにより子どもさん3人がお亡くなりになるという非常に痛ましい出来事がありました。これは交通事故というよりは、明らかに凶悪事件と呼ぶべきものなのかと思います。交通事故というものは、車が凶器になっている犯罪という位置付けができると思います。良い意味でも悪い意味でも、車社会に生きている我々にとってはまさに他人事ではない、犯罪の典型ではないかと思います。

 それでは続きまして、自助グループ「六甲友の会」の高松さんにお願いします。「六甲友の会」は兵庫県内の犯罪被害者遺族らによる自助グループで、月に1回つどいを開催し、被害者同士がさまざまなことについて語り合うなど、被害者が心を癒せるような会として活動しておられる団体です。高松さんご自身は、高校生だった息子さんを少年犯罪により亡くされた被害者遺族です。そのお立場から少年犯罪事件に関することについても、自助グループ活動の紹介とあわせてお話しいただけたらと思います。高松さん、よろしくお願いします。


(高松)

 兵庫県から来ました高松由美子です。よろしくお願いします。事件は平成9年8月に同級生を含む10人に、付き合いが悪い、生意気という理由で集団リンチを受け、長男を殺された少年事件です。

 1年半足らずで反省もなく仮退院をして、また再犯、再々犯をしていても、私たちは少年事件の審判も何も知らず、入れません。なぜ息子が殺されなくてはならなかったのか、事実が知りたいと思いました。そして、2年後に自費で民事裁判を起こしました。私は法廷が少年たちの反省の場だと思い、少年たちを裁判に呼び出し、また、直接質問をしたいということを弁護士に望み、直接質問をしました。そのことは本当に良かったと思います。現在は、刑事事件で裁判の中に被害者が検事の横にいられるようにという訴訟参加の問題があります。私自身は民事裁判ですが、その裁判を行なったことに対しては本当に良かったと思うので、それを早く実現してほしいと願っています。

  そして、4年後に大阪高裁で全面勝訴をし、親の責任が認められました。少年の場合、親の責任が認められる事件は本当に少ないです。私は料理も洗濯もできず、食事や眠ることも忘れて、自分の気持ちをまったくコントロールできませんでした。そしてその当時、私は担当の刑事に調書を2回取ってほしいということを頼んで、初めて映画やテレビのワンシーンではなく、実感を覚えて、整理がつきました。また、息子の担任の先生からは本当に励ましてもらい、支えてもらいました。しかし、その中でも私が一番支えてもらったのは、同じ痛みを持った遺族でした。孤立感もなくなり、一人ではないとわかり、今でも本当に感謝しています。またお返しすることはできないのですが、今後は私がそれを他の遺族にと思い、傍聴支援や自宅へ訪問と活動をしています。

 兵庫県では犯罪被害者の窓口はあったのでしょうが、まったく被害者ということに支援はありませんでした。そして、5年前、兵庫にも遺族2名が関わった、NPO法人ひょうご支援センターというものが立ち上がりました。それは電話相談が基本でした。そして、その設立から2カ月後にある事件がありました。それは警察の捜査ミスで起きてしまった事件でしたが、その事件のときに兵庫県警の対策室と連携をしながら、私たちはできたばかりのほやほやの民間団体と一緒にどのような支援をして、どのようなことができるかを相談しながら行い、結果、最高裁でも認められました。まだ私たちは早期援助団体ではありませんが、その事件をきっかけに、直接支援活動につながり、自宅へ伺う、または裁判傍聴へ付き添うなどさまざまな支援活動を行なっています。

 私はそのセンターに自助グループ、六甲友の会というものをつくりました。メンバーは15名です。廊下にパネル展示があるのですが、あれはメンバー全員ではなく、「出したくない」「もう少し待って」という人もおり、希望の方のみになっています。それぞれの人が心に深く大きな傷を持ちながら、月に一度安心して吐き出せる場、また、孤立がなく、社会に戻れる場として会合を行なっていますが、被害者だけでなく専門職の方にも参加してもらっています。私たち被害者だけでは右にも左にもできないときにアドバイスをもらい、また、お互いにいろいろな情報を得るときに専門職がいれば私たちはいい方向に向かえると思い、グループは活動しています。

 それから、メンバーの書いた手記『おもかげ』というものがあります。それに対しては一部抜粋をして廊下に掲示しているのですが、このような手記『おもかげ』というものを私たちメンバーで作成しました。これに対しては遺族が本当に血のにじむ思いで書いたものもあります。抜粋ですが、もしよろしければ読んでください。

 私たちのグループには未解決の方がいて、年2回犯罪被害者のビラ配りをしています。草刈さんは、先ほど人形劇のときにも話されたのですが、犯人が見つかりました。あと2名の未解決の方も六甲友の会メンバー、また、ひょうご被害者支援センターで、私たちは常にビラ配りをして情報を得ることをしています。もしかしたら神戸ではなく、大阪にもいるかもしれないので、もし情報をいただければありがたいと思います。これが私の事件、六甲友の会とひょうご被害者支援センターの活動です。ありがとうございました。


(松井)

 ありがとうございました。六甲友の会のような自助グループは、どうしても社会から孤立しがちな犯罪被害者の心の癒やしの場、あるいは自己回復の場、または情報交換の場というような形として非常に必要で、かつ有意義なものであろうかと思います。より一層活発な活動をされると思いますので、期待しております。

 続きまして、NPO法人大阪被害者支援アドボカシーセンターの堀河さんにお願いします。大阪被害者支援アドボカシーセンターはその前身である、大阪被害者相談室が平成8年4月に発足し、平成14年4月からは現在の名称で活動されておられます。電話相談を中心に直接的支援や啓発活動等の被害者支援に取り組んでおられる団体です。堀河さん、よろしくお願いします。


(堀河)

 大阪被害者支援アドボカシーセンターの堀河です。よろしくお願いいたします。今ご紹介あずかりましたように、私たちは1996年に大阪被害者相談室として立ち上がりました。その前年1995年の阪神・淡路大震災の折りに「大阪YWCAこころのケア・ネットワーク」として、被災された皆さんへの支援活動を展開しました。その後、その折の活動を、今度は犯罪被害を受けた皆さんに役立ててほしいということになりました。被災されると一瞬にして日常生活が奪われてしまう訳ですから、心に大きなトラウマ、心の傷を受け、またストレスを抱え込むわけです。1日でも早くケアすれば、精神的、身体的にも後遺症が残らずに回復する見込みが多いということだったので、直後から被災された皆さんへの支援活動を展開いたしました。

 実際には、その活動に参加したメンバーが中心となり、要請を受けて、大阪被害者相談室として立ち上がりの準備をしました。そのときに犯罪被害を受けられた皆さんが、人権的にも権利的にも何ら保障されるものがないという現実を目にしました。特に精神的な心の傷というものはとても大きいわけですが、それを回復する手立てはどこにもなかったのです。先ほどの大谷先生のお話の中にも、なんとかして精神的心のケアを行う態勢をつくってほしいという一被害者の声が、民間の被害者支援の活動を大きく展開させることになり、私たちは全国で3番目の被害者支援センターとして立ち上げをいたしました。

 当初は精神的ケアということで電話相談が中心でした。電話相談を聞いているうちに、中には「もう心のケアはいいのだ。その次が、その先が知りたい」というような声もだんだん多くなってきました。法的な問題や警察などでその後どういうことが起きるのかというような問題が浮かびあがってきて、情報提供も支援の一つとして加わってきました。その情報提供をする場合も、被害者の方たちがなんとかしたいという思いで、私たちの電話相談の窓口にたどり着かれたのに、たらい回しにしてそこで断絶してしまう。またそこで二次被害を起こさせてはいけないので、信頼できるネットワークの構築が大きな課題となってきました。

 そんな折、大阪府被害者支援会議が設立され、私たちもメンバーとして加わることになりました。被害支援にかかわるネットワークの中には、他にも大阪弁護士会、医療関係、行政関係、特に大阪府警などが加盟されています。まず被害者の方たちが最初に出会われるのは、警察ということもあり、そのようなところとの信頼できるネットワークというものが必要になってきました。

 徐々に、被害者の方たちとも直接お目にかかる機会が増えてきますと、一番要求されることは直接的支援です。先ほどの高松さんのお話の中にもありましたように、裁判の傍聴に付き添うということになります。また、その前の検察庁への打ち合わせや警察の事情聴取、けがをされた方は治療に通うために病院に行く、小さいお子さんをお持ちの方はそのお子さんの保育を一時的に援助するという形での直接的支援をするということがありました。

 先ほどの人形劇の中でも、裁判所の中ではどんなに被害者遺族の皆さんが孤立した立場に置かれるか十分ご理解いただいと思います。しかし、被害者の皆さんは事実を知りたいのです。なぜ自分がこのような目にあわなければならなかったのか、なぜ愛する家族を殺されなければならなかったのかという事実を知りたいために、「裁判は行きたくない場所だが、やはり傍聴してこの目で確かめたい」と言われます。そして、そのような希望を持たれる方のときには、ご一緒します。また、「裁判には行きたくないけれど、やはり事実は知りたい」と言われる方には、代理傍聴という形で、私たちのメンバーで裁判の流れなどを記録いたします。これは法的には何ら根拠はありませんが、裁判の流れなどが被害者遺族の皆さんにわかるというような形です。また、マスコミに対応される場合には、付き添ったり、弁護士との話し合いに行かれるときに付き添ったりするというようなこともしております。

 ここのお三方の皆さんはそれぞれに自助グループをお持ちで、その中で皆さんそれぞれが被害回復、また、権利保障のための活動をなさっておられます。私たちもそういう活動へのお手伝いができればということで、一緒に活動させていただいておりますが、私たちのセンターにおいても自助グループがあって、皆さんへの支援活動を行なっております。今、基本法ができたことで行政などいろいろなところと連携をしながら、被害者の皆さんが被害回復を願われるお手伝いができればというところです。まず、私たち民間機関は必要とされる支援が実現できるように、適切に提供できるような団体として努力をしているところです。


(松井)

 ありがとうございました。アドボカシーセンターは発足してちょうど10周年ということです。これまで被害にあわれた数々の方を支えてこられたことだと思います。今後も被害者支援を総合的にとり行うには、欠かせない存在であると思っておりますので、今後より一層活動が充実したものとなるよう期待しております。

 最後に、大阪府警察本部府民応接センター被害者対策官の中村さんにお願いします。大阪府警察本部では平成9年12月に被害者対策の基本方針を取りまとめた、「被害者対策推進要綱」を制定し、各種被害者対策を推進してこられております。中村さんにはこれまでの取り組みとあわせて、最近の新たな取り組みについてもお話しいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。


(中村)

 大阪府警で被害者対策を担当しております中村と申します。よろしくお願いします。私が現在の職務を担当してちょうど1年になります。自分自身、担当してみてなんと奥の深い施策だという気がしております。私たちスタッフは日々がんばっているわけですが、なかなか満足のいく仕事ができてないというところで悩んでいるのが現状です。

 私は昭和42年に警察官を拝命して、40年を迎えようとしているわけですが、私が警察官を拝命した当時は被害者支援や被害者対策など、そのような組織的な言葉はまったくありませんでした。事件を担当した刑事が個々に被害者の家に行って「何か心配ごとはないか」というような形で、刑事が被害者の要望等に一生懸命応じていたことは、今考えてみると、現在警察が行なっている被害者支援の始まりかなという気がしております。

 私の経歴は刑事警察が半分ぐらいあるのですが、この中で被害者、被疑者という2つの部分を見たとき、被疑者の権利というのは非常に厚く法で守られております。しかし、被害者の権利はまったくなかったのではということを、捜査を通じて実感しているところです。警察の被害者支援というものは、先ほど大谷先生からお話がありましたように、古くから始まっているわけです。今日は、現在我々が基本計画として取り組んでいる警察の施策を紹介したいと思います。

 この基本計画で被害者施策は258項目あるわけですが、警察独自の施策、もしくは機関、団体、皆さんと連携していく施策を合わせますと、61項目という多岐にわたっています。私は計画ができたときに、この数字を見て、なんと大きな問題だという気がしました。しかし、内容を精査してみると、これまでにやってきている施策が大半を占めており、今後改善するもの、新たに加えていくものなどを見ましても、今のところは概ねクリアができているのではないかという感じがしております。その中の一例として、先ほどからよく言われております犯罪被害給付制度は、昭和56年に制度としてできており、いろいろと改正はされているわけですが、皆さんのお手元にピンク色の資料があると思います。これは新たに改正された点で、大きく被害者給付の制度が変わっております。一度目を通していただくということで、詳しい説明は割愛させていただきたいと思います。

 その他の制度としては、被害者の経済的支援という項目でうたわれている、「居住の安定」というものがありますが、これは公営住宅等の優先入居ということです。これにつきましても、現在、大阪府とどのような形で進めていくかを検討しており、近々スタートしていくのではないかという気がしております。

 その他にもいろいろな施策があります。警察からは、「一人で悩まないで」という資料を入れております。この中ではいろいろな施策を紹介しておりますので、皆さんにも、この資料を見ていただいて、警察はこのような形で、このようなところまで支援施策に取り組んでいるのか理解していただきたいと思います。また、ホームページ等にも施策の詳しい内容等を掲載しておりますので、見ていただいて、警察の取り組みを理解していただきたいと思います。

 私の40年の経験から、被害者支援施策は非常に進歩しております。今後もこの基本計画が充実したものになればと思います。時間の関係もあり、詳しい内容についてはご説明できませんでしたが、先ほど紹介したように、警察等の案内といった形で広報をしておりますので、一度目を通して理解をいただくことで、よろしくお願いします。


(松井)

 ありがとうございました。被害にあわれた方が最初に接触するのは、やはり警察です。「被害にあったときにまず相談するところはどこでしょうか」というようなことを問う国の世論調査、あるいは府の調査でも、圧倒的に9割以上の方が「警察」とお答えになっています。国民、あるいは府民のこうした期待を裏切らないように、よりきめ細かい被害者対策を、今後ともひとつよろしくお願いしたいと思っております。

 ここで、私はコーディネーターをやっているのですが、大阪府の職員ということもあり、少しお時間をちょうだいして、大阪府の取り組みについても簡単にご説明させていただきたいと思います。

 私たち大阪府では、今年4月に安全なまちづくり推進課という課を新設し、その中に犯罪被害者支援グループを置いております。そして、この犯罪被害者支援グループ、安全なまちづくり推進課が窓口となり、被害者支援のための府の施策の総合調整を行なっております。今後は年内を目処にしまして、「大阪府犯罪被害者等支援のための取組指針」を策定いたします。深刻な状況にある犯罪被害者等が、平穏な日常生活へ復帰できるよう支援すること、ならびに犯罪被害にあった方を皆で支えていけるような社会づくりを進めていくことという、これを2本の柱として、今後さまざまな取り組みを実施していく予定にしています。簡単ですが、少しご紹介をさせていただきました。

 さてここからは、より本日のテーマに則した内容のお話を伺ってまいりたいと思います。先ほどパネリストの方々から各団体の活動内容をご紹介いただき、被害者団体、支援団体、警察、それぞれの役割を踏まえて、さまざまな活動をされておられることが非常によくわかったところです。ただ、犯罪被害者を取り巻く問題というものは、これら関係者だけの問題ではないだろうと思います。犯罪被害者等基本法の前文にも書かれていますが、現代は国民の誰もが犯罪被害者となる可能性が高まっているということです。

 大阪におけます犯罪等の発生状況を見ても、刑法犯の認知件数は近年減少傾向にあるのですが、昨年1年間でいまだ約25万件という高い水準にあります。しかもこれは大阪と全国の対比なのですが、大阪におけます発生件数というのは、全国の1割を越えているという状況です。交通事故に関しても、大阪では昨年1年間で約6万6000件の事故が発生しております。まさにいつ自分自身が事件や事故に巻き込まれるかもしれない状況といっても過言ではなかろうかと思います。

 そこで本日のテーマを、「みんなで考えてみませんか。被害にあうということ」と設定したわけです。被害にあわれた方を不運な一部の方と考えるのではなく、その人の痛みを社会全体の痛みとして考えることが求められているのではないでしょうか。しかし、私たち大阪府の方で、今年5月に行いました府政モニターアンケートの結果を見てみると、犯罪被害に関する問題というものを自分自身にかかわる問題だと捉えておられる府民の方は、実はそれほど多くはない状況にあることが伺えるわけです。

 そこでまずはこの点につきまして、これまでの活動の中で感じてこられたこと、あるいは社会に対する意識啓発や機運醸成に向けて、これまでされてこられた取り組みといったものがあればお話をいただきたいと思います。まずは林さんからお願いします。林さんには第1部で演じていただいております人形劇をおつくりになった経緯なども若干交えながらお話しいただけたらと思います。よろしくお願いします。


(林)

 どこまでお伝えできるかわかりませんが、今のご質問の中で言いますと、やはり犯罪はすぐ身近にあるという感覚が皆さんにはあまりないのではないかということがひとつです。また、安全な国、日本というイメージは非常に強いのですが、都会ではこのイメージは通用しないということを、そろそろ皆で考えなければいけない時期であるのではないかということがひとつです。

 人形劇でもやりましたが、犯罪被害者の問題というものは私自身の反省も含めてですが、犯罪の被害にあうまでは、加害者である被疑者に対しての人権というものが言われて、そこまで手厚いのだから、一方の当事者である被害者にも非常に手厚い保護がこの国ではあると思っていたのです。しかし、そうではなかったので、この活動をしているのです。そこを知らないということと、これまで放置されてきたことが非常に大きな問題だあるのだから、片一方の当事者である被害者にも非常に手厚い保護がこの国ではあると思っていたのです。しかし、そうではなかったので、この活動をしているのです。そこを知らないということ、これまで放置されてきたことが非常に大きな問題かなと思っております。

 犯罪が起きると、まず加害者の人物像で、犯人は誰だというところに興味が起こります。そして、その犯人の家庭環境、どのような生育歴があったかということにだんだん興味がいき、マスコミの報道もそうなります。そして、次は被害者の実態です。どんな人だろう、顔を映したいとなります。しかし、顔が出てしまったらそれで終わりで、加害者の対象物のひとつとなってしまうのです。そこの絵が終われば、被害者の問題というのは全部放置されてしまいます。社会全体も無関心になっていくのです。そこに私たちの置かれている根本的な原因があるような気がしております。

 現在は少し変わったのですが、街頭署名活動をやっているときの体験をお話します。2003年11月だったと思うのですが、広島で街頭署名を行いました。その署名活動をしているちょうど隣で、高校生達が、年に一度はあしなが育英基金のキャンペーンに参加しなければいけないということで活動していました。そのとき、その子たちから「殺人事件の被害者遺族には、あしなが育英基金は支給されない。対象外なのだ」とはっきり聞きました。これは今は是正されていますが。

 お金の問題を言うとおかしいかもしれませんが、交通事故には自賠責保険や任意保険等ある意味皆で負担しようという制度があります。交通事故被害者・遺族にはそういうところからの給付金もあり、子どもたちにあしなが育英基金からも支給がいっているのに、殺人事件等の被害者には両方ともないのです。高校生から聞いた時、すごく暗たんたる気持ちというか、この差別というものはどこから出てくるのだろうと思いました。先ほど申しましたように、やはり事件そのものの興味だけですべてが進んでいたことが問題ではないかと思いました。

 この人形劇の一番大きなテーマは、司法に参加できていないという事実にあるのですが、殺人事件の被害者になるのは、その本人に原因があるという思い込みが社会にあることです。「それは先祖が悪かったからだ」などいろいろな言われ方をされます。そのような社会の偏見というものに包まれていることには本当に悔しい気がします。

 人形劇の中での、「チップ」というのもそういうことです。いわゆる国のために司法解剖という形で同意したのに、帰りの遺体搬送費は被害者負担だったのです。これは私たち、あすの会ができて、この事実を知らしめてようやく解決しました。現在はそのような負担はなくなったのですが、やはりチップまであげなければいけないという事実を知ったときはがっくりきました。

 根本的なところで犯罪被害者というのは、あなたがもともと悪いのだという偏見があったような気がしています。また、私もそうですが、犯罪被害者というのは刑事裁判の中でも加害者と同じ権利をきちんと持っていると思っていたのです。しかし、実際の裁判では犯罪被害者には何の権利もなく、ただ傍聴席にいるだけでした。これも2000年、被害者保護二法ができたので、裁判がいつ、どこであるのかということが教えられています。それ以前は、大きな事件の犯罪の被害者は、マスコミの方が教えてくれたりと、「傍らの情報」で教えてられていたわけであり、裁判所や検察庁から教えてもらっていたわけではありませんでした。ですから、他の大きな事件に紛れて新聞記事にもならず、マスコミの取材もなかった無名事件の被害者には、ほとんど何も教えられないまま、ひょっとしたら犯人が誰かすらわからないまま裁判が済んでしまっていた例もあったのではないかと思っています。

 このように2000年以前の被害者というのは、ほとんど蚊帳の外に置かれており、その悔しさは、実感した者でないとわからないと思っています。しかし、2年前には基本法ができました。基本法は、犯罪被害者の権利法であるという声明文をあすの会は出しております。これは支援法ではなく、犯罪被害者に権利を認めた法律なのですと。

 本当にいつ、どこで、誰が犯罪の被害にあうかわかりません。基本法や基本計画に盛り込まれた中のそこからもうひとつ先、つまり、ただ単純に被害にあうというのではなく、あなたたちが被害者になったのだからではなく、その被害者の人たちがその後どうなるのだろうという一歩先を読んだ、どうすればこの人たちを救えるかという視点でものを考えていただきたいと思います。そして、この町を安全にするには、やはり被害者のことを考えるのが非常に大事ではないかということをご理解いただけるとありがたいです。今まで感じたところのわずか一部ですが、そういうところです。


(松井)

 ありがとうございました。では米村さん、お願いします。


(米村)

 交通事故の被害者の立場から申し上げますと、事故というのは運が悪かったという認識がまだまだ社会的にあると思うのです。運が悪かったというのが被害者を指して言うのであればまだしも、加害者に対して運が悪かったという認識があるかもしれません。事故はたくさんありますねと簡単に容認してもらっては困るのです。すべての方の身内に交通事故にあった経験のある人がいるということは異常な状態であって、正常ではないということを、ぜひ感じていただきたいと思います。誰しもが起こす事故とよく言われます。確かに双方が少し譲り合えば、防げたかもしれない事故はあるかもしれません。しかし、死亡事故、重度傷害を負うような重大な事故に関して言えば、加害者の法律違反によって起こっているのです。

 先ほどの人形劇の中で裁判官が「法治国家」と言いました。法治国家というのは、法律を守ることによって成り立っているわけですが、その法律を破った人を簡単に擁護し、容認する社会ならば、事故はなくならないと思っています。被害者支援という言葉を聞いたときに、かわいそうな人を庇護する、強者が弱者を庇護するという感覚であっては困ります。被害者そのものを、私たち国民全体というように見なければいけないのではないかと思います。その被害者の対応そのものが、私たち国民が得る権利であり、人権そのものを反映しているのではないかと思っています。

 先ほど私たちの会の活動で、街頭活動のお話をしました。今日は表のほうにパネルを展示させていただいておりますが、155名の会員の中で38名しか展示を出していません。やはり全員が出せるというわけではないのです。外に向けて発信しようというときに、その家族は一歩前に出ました。それは思いを社会に発信しようという思いと、自分と同じ思いする人をなんとか減らしたいという思いです。

 この8月から大変悲惨な事故が続いたときに、多くのマスコミからインタビューを受けました。「どう思っておられますか」という非常に単純な質問ですが、20年たってもフラッシュバックします。ですから、平和な被害者はいないのです。そこをよくご理解いただきたいです。もし飲酒運転で家族を亡くしたご家族が、飲酒運転の事故を聞くと、その時点でフラッシュバックして、非常に混乱に陥っているということをご理解いただきたいのです。何年たっても、決して時が悲しみを和らげるということはないということです。

 そこで2つの例をお話します。昨年、京都で被害者連絡協議会の街頭活動に参加し、私たちの会員が挨拶をしました。そこに出席していたのは、犯罪被害者支援連絡協議会メンバーですが、その中のお一人が「交通事故って犯罪じゃないよね」とポツリと一言おっしゃったそうです。その瞬間にチラシを配りに行った会員はショックを受けて、二度と行けない状態になりました。もうひとつは、昨年から大阪と同じように、名古屋の平針運転免許試験場でパネル展をしたいという名古屋の会員の申し出がありました。そこで、愛知県警被害者支援室に協力のお願いにあがると、そういった街頭活動は管轄外ということで断られたそうです。後に被害者支援室から交通試験場を紹介していただき、試験場の協力をいただいて実施しました。

 確かに街頭活動、パネル展示というのは被害者支援という観点から言うと違うのかもしれません。しかし、私たちの会から考えると、それは実は社会復帰の第一歩で、そこに出ていく会員が大事なのです。担当者はチラシを配った数や署名の数を気にしますが、事務局の私としてはそうではなく、そのときの会員の表情を非常に大事にしています。署名活動していただいたときに、100人集まる、200人集まるということではなく、署名していただいた方が一言何か言っていただく、そのことが励みになるわけです。

 私たちは、会から動員は一切かけません。ただ、会員が行う署名活動のときには、「会員さんは協力してあげてくださいさいね」と声がけまでにとどめておいています。そして、その中で同じ立場の人、もしくは社会から応援してもらおうと思うことが被害者支援であると思います。ですから、形だけにとらわれずに、ぜひそういった社会に向けて発信する被害者の声というものをお聞きいただきたいと思っています。支援することをかわいそうな人を助けるためということではなく、ご自分のご家族というものを意識していただきたいです。偉そうなことを言っていますが、私も10年前に息子を亡くすまで、そんなことは考えたこともありませんでした。この10年間、そのことを考え続けた中では、やはり知ってしまってからでは遅いということがあります。ですから、皆様方のご家族、そしてこれから生まれてくるであろう子どもたちに安全な社会を渡すにはどうしたらいいかということです。

 交通事故は繰り返し起きます。死亡事故は法律の違反によって起こっています。法律を守っていれば交通事故は起こらないのです。もしすべてのドライバーが交通法規を守っていたら、死亡事故というより、交通事故そのものをもっと減らせると信じております。ぜひご理解ください。


(松井)

 ありがとうございました。では高松さん、お願いします。


(高松)

 私は少年事件の被害者です。今は本当に犯罪者の年齢も下がっています。何も情報がない、名前は出ない、少年の年齢が低ければ児童相談所へと、そのようなことはまったく知らされません。遺族が誰に殺されたのかということを知りたくても、少年法ということでまったく教えてもらえないのです。マスコミは、遺族に対しては名前も住所も書きます。子どもの写真を出してほしくなくても、学校のアルバムなどを探して写真を出します。まして幼い子であれば、なぜこんな写真をというようなものを堂々と載せています。しかし、被害者のほうはまったく何も知らされない、わからないです。

 こちらのお二人と一緒で、私も事件から丸9年になりますが、私の事件の3カ月前に神戸事件がありました。そのときは「大変だね、14歳」という話を息子として、本当に他人事でした。それが三ヵ月後に我が息子を失うことになるとはまったく想像もなく、考えたこともなかったのです。

 そして、逆に今度は被害者になったときに、検事も判事も弁護士もどういうことをするのかわからない、自分は法律も何もわからない、接点もないという中からどうしたらいいのかと右も左もわからない状態でした。現在も、私が会うご遺族の家庭でも、私の9年前の事件の直後と同じで、何をしていいのかわからないのです。10年たっても20年たっても遺族の気持ちは変わらないのです。少しずついろいろな制度ができてきました。それでも遺族の気持ちというのは、事件があったその日は同じ思いになるのです。一般の人が、自分には起きないだろう、自分には関係ないだろうと思っている人がいるために、遺族になった直後の家庭に行くと、「何をすればいいのかわからない」という言葉が出てくるのではないかと思います。先ほど米村さんが言ったように、本当にこのような考え方を改めることや、近所、友達が被害にあったときのことを考えていただきたいです。また、このような言葉ではダメかもしれませんが、自分に置き換えたときの準備で、少し情報を得ることによって、少しずつ認識を改めることがいいのかなぁと、私はそこに準備的なものを感じます。

 また、林さんが言われたように、私たちはあすの会で署名活動をしました。私が大阪で一般の人に「署名をしてください」と言ったとき、「何でそんな事するのや!」と言われました。「みんな遺族なんです。遺族がこういう署名活動をしないとだめなんです。私たちが活動するのです」と言ったときに、「何で遺族がそんな活動するのや。それは国がすることやろう」と言われました。そのとき、「本当はそうしてほしいのですけどね」と言いながら、一般の人でもそのような言葉をかけてくれる人がいたことに私の心はとても温まりました。

 私は被害者を偏見の目で見てほしくありません。マスコミも本当に悲しいことしか映さないのです。ただ、本当に知ってもらいたいために言うはげしい言葉が怒りとなって、そこだけをマスコミは取り上げます。私たちが悲しんでいる、悔しんでいるところばかりを撮るのです。そして、マスコミがそういうところばかりを出すために、被害者を見る目が「ああ、被害者は悲しむのだ。ああいうふうにして怒るのだ」というような世間の目になっているのではないかと思います。

 この間、山口県の本村さんの事件の最高裁がありました。彼は明るい青年だということを私たちは知っています。何気なしに次の日にテレビを見たとき、そのことを少しだけですが、マスコミが流していました。私は、あれが本村さんなのだと思ったときに、マスコミはそういうところも撮るべきだと思いました。怒りや悲しみばかりを撮ると、一般の被害者はそういう人だと思ってします。私も普段は明るい性格なのです。そのようなところをどこかで出してもらうことによって、社会に戻れると思っています。ありがとうございました。


(松井)

 ありがとうございました。では堀河さん、お願いします。


(堀河)

 私たちが電話相談を始めた当初、電話の向こうから聞こえてきたのは、被害者の置かれている立場の本当に深刻な問題でした。そして、「10年も20年もかかって、今やっと言えるようになった」というような声を聞くことができました。「支援が必要だ」と言われたときに、「被害者の声がないのに、そういう支援は本当に必要なのか」という専門家の発言もあったと聞きました。

 先ほどの大谷先生のお話にもありましたように、市瀬さんが殺人撲滅運動をされて、社会に向かって理解を訴えられたとき、社会はなかなか目を向けることができませんでした。決して被害者が声を上げなかったわけではなく、その声を受け止められる私たち一人ひとりになっていなかったということです。現在は、本当にたくさんの被害者が声を上げられるようになり、私たちも被害者が置かれている現状、実情というものを初めて目の当たりにして、これは正しく理解しなければならないということを実感として思っております。

 今日は、たくさんの人がこのように集まってくださり、被害者の声を聞き、そしてそれをきちんと真摯に受け止めて、現状を知っていただくことが、これからの基本計画が血となり肉となっていくことにつながってくるのではないかと思います。今の高松さんのお話にもありましたように、周りがもっと早く気が付かなければならなかったという声があります。それは言われて本当に耳の痛いことであり、私たちは現状を目にしなければ、そのことをなかなか理解できませんでした。しかし、このような声を聞いたからには、被害者の方たちが本当に元の生活を取り戻すための何か手助けができれば、協力したいと、社会がそういう方向に向かってきたのだと思うのです。

 その他に私たちの経験の中でお話をさせていただくとすれば、被害者の方は、被害者であるということへの偏見で本当に苦しめられています。被害にあうと、「あんたにも落ち度があったのではないのか」「あんたにも責めを負うところがあったのではないのか」という因果応報の偏見の目で見られるために、被害者は一人でじっと耐えていく以外になかったという現実もあったわけなのです。

 現在は被害者の方たちはいろいろな保護の下、法的にもバックアップを受けることはあります。しかし、例えば、大きく社会的に騒がれるような事件が起こると、メディアスクラム、マスコミが来ます。先ほどの人形劇にもありましたが、昼夜を問わずインターホンを押し、コメントを求めるために追い回し、日常生活もままならないということです。ご近所には、たくさんのメディアが押しかけ、脚立が立ち、迷惑をかけます。そして、代表取材ということになり、被害者の方たちがコメントを出されるとき、「世間をお騒がせして申し訳なかった」と言われています。被害者でありながら世間にお詫びしなければならないという現実もあるのです。被害者の方たちは本当に様々な問題を抱えながら、また社会へ戻っていくことが、どんなに大変なことかということを理解していただきたいと思います。

 被害者には被害直後の問題もたくさんあります。また、裁判が始まり、裁判が終わり、被疑者が刑務所に入り、そして出所します。そうすると報復、お礼参りをされるのではないのかという危険性を感じられることもあります。また、精神的に立ち直ることが難しいという問題もあります。皆さんがお話になられるように、場面場面、その節目節目でフラッシュバックが起きてくるという問題もあります。そのような現実をしっかりととらえて、正しく理解することが、被害者支援の本当に大事な根本になることではないのかと思っております。


(松井)

 ありがとうございました。では中村さん、お願いします。


(中村)

 私のほうからは、若干視点が変わった形になろうかと思います。犯罪被害者の数は予想以上に多いということを、皆さんに認識していただきたいと思っております。社会的に反響の大きな事件、または特異な事件等については、マスコミ等で報道されます。しかし、表現は適切ではないかもしれませんが、隠れた事件というものも非常に多く、事件の発生の数だけ被害者がいるということを、皆さんに認識していただきたいと思います。

 元来、日本は世界で一番安全で、犯罪の少ない国と言われておりましたが、最近は安全と水はただという昔の神話は崩れ去ったのではないかという気がしております。冒頭の挨拶で大阪での犯罪件数について紹介がありましたので私のほうから詳しく、皆さんに知ってもらいたい数字をこの場で発表したいと思います。

 大阪の刑法犯の認知状況は、10月末現在で19万5000件です。これだけの犯罪が発生しているわけなのです。これは昨年に比べて減少はしておりますが、1カ月平均にすれば、約2万件という数字なのです。これだけの被害者が出ているという現状です。また、よく言われております街頭犯罪はひったくり等を中心とした犯罪ですが、この発生も10月末で10万6000件という数字です。いずれにしても昨年よりも減っております。また、交通事故も調べると、昨日現在で232名の亡くなった方がおられます。

 これだけの数字が示しているということで、まだまだ高い水準で犯罪は発生しているという厳しい現状があります。もし自分だったら、もし自分の家族だったらということを、皆さんに認識していただいて、もう一度考えてほしいというのが警察の立場としての考えです。


(松井)

 ありがとうございました。今、それぞれのお立場で活動されておられること等のお話をちょうだいいたしました。今後、今のような社会の意識を変えていくためには、どのようなことが必要になるのか、どういうふうにアプローチしていけばいいのか、特にこの問いに対しましては、被害者団体、支援団体のパネリストの方にお聞きしたいと思います。

 現在、考えておられる今後の取り組み、職場、家庭、地域で考えられる取り組み、また、行政に期待すること、あるいは行政も含めました今後の連携のあり方、こういったことについてもあわせてお話しいただけたらと思います。林さんからお願いいたします。


(林)

 地域、家庭での取り組みというのは、話し合うことしかないと思います。そういうこともなかなか難しいだろうと思いますが、ぜひともお願いしたいです。

 今日は行政の方もいらっしゃっていると思うのですが、特にその方にお願いしたいです。それぞれの地域の中には過去の被害者の方々もいて、その地域で生活を営んでおられると思います。そのような人たちに対するご理解というのを第一に考えていただきたいと思います。これから基本法に基づいたいろいろな施策が出てくると思いますが、新たな被害者に対してだけ対応するのではなく、できるものであれば、今、住んでいる人たちに先にやっていただきたいということです。

 私たちは、被害者への支援やサービスというものは、行政の方々、責任のある立場の方々がやっていただくことが一番大事なことだと思っております。なぜかと申しますと、法律ができると、全国津々浦々にその法律というのは適用されるわけなので、そこに非常に期待するところです。ただ、被害者の声を聞いたりもせず、勉強不足でせっかくできている法律等々が活かされずに、放置された被害者がいるという事態になると、法律の下で不平等が生まれてくると思うのです。ですから、これまで行政の中では被害者対策というものはなかったのですから、より深く勉強をしていただき、ご理解いただいて、被害者支援に漏れが出てこないようなあり方をぜひ考えていただきたいと思っております。以上です。


(松井)

 ありがとうございます。では米村さん、お願いします。


(米村)

 まず、犯罪に非常に寛容な面があると思います。それをぜひ改めていかなければいけないと思っています。私たち三人はそれぞれ被害にあった形態は違います。共通しているのは、加害者は人の権利を簡単に奪う人たちであるということです。とにかくモラルの低下が非常に大きいと思うのですが、それをしっかりと見据えておかないと、何か起こると必ず加害者擁護の話が出てきます。万引きぐらい、恐喝ぐらい、交通事故ぐらいというふうに並べてられてしまうのですが、そういったことの延長の中に、非常に重大な犯罪が起こっているということをぜひ知っておいてください。

 特に交通事故で言いますと、この半年は飲酒運転が非常にクローズアップされました。交通事故は決して飲酒運転だけではないのですが、非常に原因がはっきりしやすいので、特にマスコミ等で取り上げられるのです。飲酒に対する認識を変えていかなければいけません。私たちの社会ではお酒で人を歓待するということが伝統的にあったものですから、酒の席で「飲まない」と言われると非常に機嫌の悪くなる人がいます。しかし、それは車のない時代の話です。現在は車があってその車に乗るときに、お酒を飲んで運転してはいけないというのは最低限のルールです。それを守らない人が事故を起こした、人を殺した、それに対して寛容であってはいけません。社会が厳しい対応をするという意志を示せば減ると思っています。

 繰り返し申し上げて申し訳ないのですが、交通事故は交通法規という法律を破る人が起こしている犯罪です。このことは教育の場でも言っていただきたいと思っています。最終的には教育現場で土壌をつくっていくしかないと期待しています。

 行政に対しては制度をつくっていただくのはありがたいですが、やはり末端まで速やかに伝わるようにしていただきたいです。かつて被害者の意見陳述や通知制度というものができても、肝心な検事さんが知らなかったという例が私たちの会にもありました。大阪府警には犯罪被害者のための冊子が7冊ありますが、そのうちの4冊が交通事故関連なのです。私たちの会に新入会に来られる方の一人として、それをもらったという方はいません。ということは、せっかく作っていただいたものも、現場には伝わっていないのです。私はその冊子をいただいて読ませていただきました。ひょっとしたらそれを受け取った方が、私たちの会を必要としない人なのかもしれませんが、制度そのものがお役所の末端の窓口まで行き渡っていて、そこに被害者の方が来られたときに、たらい回しにならずに、きちんと返事ができるような体制をぜひつくっていただきたいとお願いしたいと思います。


(松井)

 ありがとうございます。では高松さん、お願いします。


(高松)

 啓発ということでは、新聞記事の隅っこにでも犯罪被害者週間が載ることや、窓口が開いたなどという言葉を載せていただいくといいかなと思います。また、地域や学校では、実際に命の大切さという教育はしていると思いますが、まだまだ。学校などではいじめなどいろいろな問題があります。大学の授業にはあるかもしれませんが、もっと犯罪に対しての被害者のアピールを認識するような授業をひとつ持ってほしいです。命の大切さという言葉でもいいので、そのような授業を必ずしてほしいということです。

 私たちはいろいろな場所で「あそこ行きなさい」「ここ行きなさい」と必ずといっていいほどたらい回しにされます。そのたらい回しを本当にしてほしくありません。各県でルールをつくってもらいたいです。ここに行けばある程度のことはわかるという窓口を一箇所つくってもらわないと、遺族は、たらい回しにあい、行くだけで疲れてしまい、もうしたくないということになります。私はそういうルールづくりは本当に必要ではないかと思います。

 先週、私は東京に行ったとき、電車の中に「犯罪被害者の窓口があります」という広告が目に付きました。電車などにそういうビラがあってもいいのではないかと思います。どういう形でするかということは、各県、市町村、または警察で考えていただければいいのですが、私はもしかしたら一般の人が何げなく見たことでも、犯罪被害者とは何かと考えるではないかと思いますので、お願いをしたいと思います。


(松井)

 ありがとうございます。では堀河さん、お願いします。


(堀河)

 私たちのようは民間の被害者支援に求められることは、先ほどお話ししましたように、直接的支援の提供と同時に、やはり多くの大阪府下の皆さんに、被害者の置かれている現状というのを正しく理解していただくための広報啓発活動になると思います。講演会や支援セミナー、また、私たちは小冊子『「犯罪被害にあう」ということ-あなたに知ってほしいこと、あなたにできること-』を出しております。そのように知っていただくという活動も大きな柱となっております。

 また、関係機関との連携ということにおきましては、私たちのところだけで被害回復が果たせるものではないわけですから、いろいろな各関係機関との連携が必要かと思います。その中には行政や府警、法的な問題であれば法テラスや大阪弁護士会など、さまざまな支援活動が増えております。そういうところとの緻密な連携が必要かと思います。特に行政では、何年かすると窓口の人がかわってしまいます。前の人のときには少し話しただけで、すべてわかったのに、今度行ったらいくら説明してもわからないという、被害者が混乱に陥らないように、次を引き継ぐ人にはきちんと情報提供をして、さまざまなことが対応できるようにしてほしいと願っています。


(松井)

 ありがとうございました。犯罪被害者を取り巻く問題には、これまでから被害者団体、支援団体、警察、このような関係機関がさまざまな取り組みをされてこられたわけです。そして、ここに国が加わりました。そして、地方自治体も加わりつつあります。それぞれにはそれぞれの役割、あるいは得意分野というものがあろうかと思います。どれかが欠けても必要十分ではないだろうと考えます。

 犯罪被害者等基本法の第6条には国民の責務というものも規定されております。今後は今申し上げた機関、団体、個人、それぞれが有機的な連携を図ることで、犯罪被害者等のための取り組みの実効性を高めていくことが課題になってくるのではないかと思います。

 いろいろなご意見をちょうだいしてまいりましたが、最後に国民一人ひとりが犯罪等の被害にあうということを、他人事ではなくて自分の問題として捉え、ともに考えて支えていけるような社会づくりに向けての短いメッセージを今日のこの会場にお越しいただいている皆様、あるいは社会に向けまして、お一人ずつちょうだいしたいと思います。よろしくお願いします。


(林)

 なかなか難しいことですが、共に考えるということです。先ほどから申していますように、犯罪被害者の問題は、興味本位のところで済んでしまい、その奥底についてのものがなかなか表に出てきませんでした。そこに私たちの悲劇というものの根本があると思っています。一番大事なことは、共に考えるということで、被害者の生の声を聞いていただくということです。そこがスタートになると思います。

 私の事件はもうすぐ丸12年になります。事件以前は妻と共働きで家計を支えていましたが、片方の収入が減ってしまい、私自身の収入も減ってしまい、半分以下になってしまいました。これがどういう結果を生むのかということなど具体的なところから考えていただければ、ありがたいと思います。

 そして、これを知るということは逆に、「被害者のことを考えるということが、実は犯罪の抑止に一番効果的だ」と私たちの会の諸澤顧問が言っています。というのは、被害者のことをおもんぱかるということは、人の立場に立ってものが考えられるということになるのです。罪を犯す人の中には年齢の若い人もおり、家庭の中でこのような話題を親が提起することは非常に大事です。そのようなことの訓練があればこそ、最後の一線を踏みとどまるという知恵も出てくると思います。家庭で被害者の実態についてこれまで明らかになっていなかったものを語ってもらうことで、「被害者の人権を考える事」と「犯罪の抑止」の一石二鳥の効果を私は皆様にお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


(松井)

 ありがとうございます。では米村さん、お願いします。


(米村)

 先ほど講演の中に犯罪被害者の人権というお話がありました。私はいつもそれを聞くときに、「それは一般の善良な市民の人権です」と言い換えます。被害者という立場は自分で選んだわけではなく、突然ある日、加害者に選ばれてしまい被害者になるわけです。犯罪被害者というひとつの特殊な目で見てしまうと、ものは見えなくなると思うので、「一般市民、私たち市民の人権です」という話をします。

 先ほども申し上げましたように、9日が私の息子の命日で私の家内は今日というときにまったく動けない状態です。では、どうして私がここにいるかというと、息子の友人たちがこの10年間、命日の前に次々と来てくれて励ましてくるからです。

 今日は一般の方がたくさん来ていただいているということなので、ぜひお願いいたします。支援というのは何かを与えることだけではないと思っています。そばにいて一緒に泣いてあげる、話を聞いてあげる、命日、月命日、いろいろなときに訪問していただける、それだけでも実は大きな支援、支えになるわけです。普通の方は、特別に支援ということを考えるのではなく、もし身近な方に被害にあわれた方がいらっしゃれば、いつもそばにいるよというメッセージを与えてあげてください。決して物理的に何かをすることだけが支援ではないということを常にお願いしております。本当はこういうことは起こってはいけないことなのですが、もしお近くにそういった方がいれば、訪ねていって仏壇に手を合わせていただいて、そしてお茶を飲んで帰る、これだけでもありがたいのです。また、逆にそれを望まない方もいます。そのときはすっと引いてください。家族を亡くした直後は大変混乱していて普通の感覚ではないです。その普通の感覚ではないということをぜひご理解いただきたいです。それは10年たっても20年たっても、亡くなった方との記念日になれば完全に崩壊してしまい、正常でなくなるということをぜひご理解いただきたいと思っています。


(松井)

 ありがとうございます。では高松さん、お願いします。


(高松)

 私は遺族ですが、被害者支援センターとのかかわりも持っています。センターの目標としては、どこでも、いつでも、同じ支援、必要なときにすぐに支援サービスの言葉を掲げていただきたい。その中で、大阪であれ、北海道であれ、同じ支援をするようにするということを本当に支援目標としていただきたい。

 国民が被害者のことを自分のこととして考えることが必要です。また、支援センターは平等にいつも同じサービスをするということをしていただきたいです。それが温かい社会であり、そして事件が少なくなるのではないかと思います。ありがとうございました。


(松井)

 ありがとうございます。では堀河さん、お願いします。


(堀河)

 今、皆さんがお話になられたことに尽きるかと思います。支え合う社会というものの実現を目指すわけですが、被害者を本当に隣人として支え合うということができればと思っております。そのために被害を受けられた上に、私たちがまた二次被害を与えてはいけないという配慮を忘れないでおきたいと思います。


(松井)

 ありがとうございます。では最後に中村さん、お願いします。


(中村)

 犯罪の被害にあわれた方からは、「二度と同じような被害を出さないでほしい」「犯罪のない社会をつくってほしい」という言葉をよく聞いております。先ほどから厳しいご意見等もありましたが、そのためにもやはり皆さん一人ひとりはもちろん、組織、団体が積極的に取り組み、さらにもう一歩進んだ取組み、つまり、犯罪の被害者、犠牲者を出さないということであります。大阪のスローガンに掲げてあります「誰もが安心して暮らせるまち」になるよう、我々は取り組んでいきたいと思っております。よろしくお願いいたします。


(松井)

 ありがとうございました。今まさに私たち国民一人ひとりが犯罪被害に遭った方のことを少しでも考え、この問題に関心を持って、自分にできることが何かを探し出すことをする必要があるのではないかと思います。そうすることで、皆で支え合い、誰もが安心して暮らすことができる社会の実現につながるのではないかと考えます。このパネルディスカッションがそのきっかけになることを願っております。では以上で終わりにしたいと思います。本日は長時間にわたり、ありがとうございました。