第7章 公安の維持

1 主要国首脳会議及び天皇陛下御在位60年記念式典警備

(1) 反対動向
 極左暴力集団は、昭和61年前半の最大の闘争課題として、天皇陛下御在位60年記念式典とそれに続く「東京サミット」を掲げ、これらを一連のものとしてとらえ、「絶対爆砕」等と主張して反対闘争に取り組んだ。
 極左暴力集団は、これら一連の闘争において、延べ1万5,406人を動員して集会、デモを行ったほか、「皇居半蔵門付近火炎物発射事件」(3月、東京)、「迎賓館に向けての金属弾発射事件」(3月、東京)、「迎賓館に向けての爆発物発射事件」(5月、東京)等32件の「ゲリラ」事件を引き起こした。
(2) 警察措置
 本警備については、主要国首脳会議参加国首脳の身辺の絶対安全と会議等諸行事の円滑な開催の確保、天皇皇后両陛下及び各皇族殿下の御身辺の絶対安全と記念式典等諸行事の円滑な進行確保等を警備の基本方針として、全国警察の総力を結集して対処した。警察庁においては、昭和60年9月7日、「主要国首脳会議警備対策委員会」を設置して、事前の準備、調整、関係省庁との連絡等の諸対策を推進した。
 警視庁では、61年4月25日から5月7日までの間、警察官3万人(うち、応援4,000人)を連日動員して、会議場、宿泊所、重要防護対象の警戒警備等に当たるとともに、道府県警察においても、5月2日から7 日までの間、警察官延べ42万人を動員して、重要防護対象の警戒警備、一斉検問等に当たった。
 また、関係都道府県警察は、国際テロ行為やテロ支援行為が国内で行われることを防止するため、外務省、ICPO等を通じての情報収集をはじめ、入国管理局、税関等の関係当局と連携して、不審外国人の入国や武器等の搬入阻止を中心とした水際対策に努めた。
 要人警護と警衛については、レーガン米大統領をはじめ参加各国首脳等28人の警護対象者及び同会議に出席した中曽根首相等関係閣僚に対し、身辺、車列、行き先地、宿泊所等に所要の警護員を配置して身辺の安全を確保した。また、天皇陛下御在位60年記念式典では、所要の警衛員を配置して、天皇陛下及び各皇族殿下の御身辺の絶対安全を確保したほか、主催者である中曽根首相以下の閣僚、衆、参両院議長、最高裁判所長官等出席した37人の警護対象者に対し、所要の警護員を配置して身辺の安全を確保した。
 これらの警備諸対策により、極左暴力集団等28人を公安条例違反等で検挙するなど、不法事案を防圧し、所期の目的を達成した。

2 凶悪な「テロ」、「ゲリラ」を繰り返した極左暴力集団

 昭和61年の極左暴力集団の勢力は、全国で約3万5,000人であり、前年と変わらなかったものの、極左暴力集団は、組織の非公然化、軍事化を一層推し進め、その行動は、より尖(せん)鋭化している。61年には、前半は天皇陛下御在位60年記念式典と「東京サミット」を、後半は「成田」と国鉄分割・民営化をめぐって、多数の悪質な「テロ」、「ゲリラ」事件を引き起こした。中でも、中核派は、飛距離の長い発射弾を使用し たり、新型の爆弾を製造するなど、一段と凶悪の度を加えた。
(1) 一段と凶悪化した「ゲリラ」事件
 昭和61年は、各種の闘争の過程で、54年以降最高の89件の「ゲリラ」事件が発生し、しかもその内容が一段と凶悪化した。50年以降における「ゲリラ」事件の発生状況は、図7-1のとおりで、現在は、52、53年に次ぐ第二のピークを迎えている。

図7-1 「ゲリラ」事件発生状況(昭和50~61年)

ア 攻撃対象の無差別化
 61年は、極左暴力集団による「ゲリラ」事件の攻撃対象が、皇室関係施設、警察施設や自衛隊施設等の官公庁施設、外国公館、米軍施設、国鉄・私鉄関係施設、新東京国際空港関係施設、公務員や成田関係業者等の個人宅等と極めて多様化した。
 このうち、新東京国際空港建設等の各種施策に反対して、公務員や民間業者の個人の住居をねらい、時限式発火装置を使って放火するという「ゲリラ」事件は、「西組社長宅放火事件」(3月、茨城)、「山梨県出納 長宅放火事件」(4月、山梨)、「梓設計相談役宅放火事件」(11月、千葉)等12件発生したが、その攻撃対象は、これらの施策とは直接関係のない者、下請業者等にまで広がり、個人を対象とした無差別「ゲリラ」へとエスカレートした。
〔事例1〕 運輸省航空局職員宅放火事件  9月4日未明、伊勢原市で、運輸省航空局幹部職員の建築中の家屋が時限式発火装置により放火されて全焼し、周辺家屋7戸が類焼により全半焼した。事件は、「成田空港二期工事阻止」を叫ぶ中核派の犯行であったが、被害者は、運輸省航空局勤務とはいえ、これまでに成田空港建設にかかわったことはなかった(神奈川)。
 また、同日同時刻ころ、船橋市でも、成田空港と直接関係のない運輸省航空局職員宅が同じ中核派により放火され、車両1台が全焼した(千葉)。
〔事例2〕 国鉄幹部宅放火事件
 11月12日未明、千葉市で、国鉄の幹部職員の家屋が時限式発火装置により放火されて全焼し、家人が約2週間の火傷を負った。事件は、「国鉄分割・民営化阻止」を叫ぶ中核派の犯行であった(千葉)。
 また、極左暴力集団は、都市の機能を破壊し、社会を混乱させる目的で、不特定多数の一般市民を巻き込む「ゲリラ」事件を引き起こした。このうち、国鉄線に対する「ゲリラ」は、従来は1箇所ないし数箇所に対する比較的小規模なものであったが、60年には、同時に33箇所の通信ケーブル等を時限式発火装置、カッター等で切断して、国鉄線をまひさせる大規模な事件を引き起こし、61年も、同様の同時多発「ゲリラ」事件を敢行した。
〔事例〕 国鉄線に対する同時多発「ゲリラ」事件
 9月24日午前7時ころ、首都圏の5都県下(東京、茨城、埼玉、 千葉、神奈川)22箇所で、国鉄線の信号ケーブル等が時限式発火装置によって焼き切られたため、多数の電車が運休、遅延し、国鉄線はまひ状態となった。事件は、「国鉄分割・民営化阻止」を叫ぶ中核派の犯行であったが、通勤時間帯をねらったものであったため、通勤、通学の足が奪われ、大きな混乱が生じた。
イ 凶器の悪質化
 極左暴力集団が使用する凶器は、最近極めて悪質化しており、技術的にも非常に高度化している。最近5年間の「ゲリラ」事件で使用された凶器の状況は、表7-1のとおりである。

表7-1 「ゲリラ」事件で使用された凶器(昭和57~61年)

 特に、59年に中核派による「大阪第二法務合同庁舎火炎びん発射事件」で初めて使用された時限式発射装置は、60年には、爆発物を発射したり、また、戦旗.荒派や革労協狭間派による「ゲリラ」事件でも使用されるという展開をみせたが、61年にも、表7-2のとおり、これら3セクトによる10件の「ゲリラ」事件で使用され、しかも、その性能は飛躍的に高まった。

表7-2 時限式発射装置使用「ゲリラ」事件(昭和61年)


〔事例〕 迎賓館に向けての爆発物発射事件
 5月4日午後4時20分ころ、主要国首脳会議歓迎行事を挙行中の

迎賓館に向けて、約2.5キロメートル離れた新宿区矢来町のマンションの一室から5発の爆発物が発射された。爆発物は、迎賓館を飛び越え、発射地点から約3.5キロメートル離れた港区赤坂の路上やビルの屋上等に落下、爆発したが、幸い大きな被害はなかった。事件は、「東京サミット爆砕」を叫ぶ中核派の犯行であった。
 発射場所となったマンションは、犯人が4月から偽名で借りていたものであり、長さ約1.5メートルの発射筒5本から成る時限式発射装置がコンクリート等で固定され、発射時刻になると窓が自動的に開くように改造されていた。また、発射後は、時限式発火装置が作動し、室内の一部を燃やした(東京)。
 また、爆弾事件については、61年には、時限式発射装置を使用した爆発物発射事件が3件発生したほか、圧力釜を使用した新型爆弾の製造、所持事件(10月、宮城、岩手)が発生したが、これらはすべて中核派に

よる犯行であり、同派による本格的な爆弾闘争への動きを示すものとして注目された。このうち「圧力釜爆弾」は、市販の圧力釜に約6キログラムの爆薬と約60個の鉛球を詰めた殺傷力の極めて強い爆弾で、しかも、従来の爆弾と異なり、爆弾からコードを引いて、手元のスイッチで爆発させ、攻撃対象を確実にねらって殺傷する目的のものである。今回は、使用される前に検挙し、犯行を未然に防止することができたが、これが実際に使用されていれば、大惨事になるところであった。
(2) 再び熾(し)烈化した内ゲバ事件
 昭和61年の極左暴力集団による内ゲバ事件は、9件発生し、前年に比べ3件減少したが、57年以来4年ぶりに内ゲバ殺人事件(2件)が発生した。
〔事例1〕 京都大学教養部構内内ゲバ殺人事件
 1月20日、京都大学教養部構内において、中核派の全学連副委員長代行が、学園の主導権をめぐって対立する革マル派によって殺害された(京都)。
〔事例2〕 真国労幹部等に対する同時多発内ゲバ事件
 9月1日未明、埼玉、大阪、兵庫の3府県6箇所において、真国労幹部等がヘルメット、鉄パイプ等で武装した数人の男に襲撃され、真国労大阪地本書記長が死亡したほか、8人が重軽傷を負った。事件は、あらかじめ電話線を切断して窓等から被害者宅に侵入し、被害者に手錠をかけた上で、凶器で乱打するなどの残忍なものであったが、「国鉄分割・民営化絶対阻止」を叫ぶ中核派は、機関紙で「9月1日、…反革命カクマル分子を…徹底せん滅した」などと犯行を自認している。
(3) より強まる非公然化、軍事化
 極左暴力集団は、「70年闘争」において多数の逮捕者を出したことの反省と対立するセクトによる襲撃を避ける必要から、昭和46年ころから組織の非公然化を図り、さらに、「ゲリラ」や内ゲバの専門部隊として、「人民革命軍・武装遊撃隊」(中核派)、「プロレタリア統一戦線戦闘団」(革労協狭間派)、「特別行動隊」(革マル派)等の軍事部門を組織するに至っている。特に、最近は、暴力否定の世論の下で、警察の厳しい取締りの手を逃れるため、組織全体の非公然化、軍事化の徹底を図り、より尖(せん)鋭的な「ゲリラ」活動に走っている。
ア 非公然活動家の実態
 非公然活動家の多くは、「70年闘争」当時において逮捕歴を持ち、その後も活動を続けている筋金入りの活動家であり、長期間にわたり、集会、デモといった公然面での活動には一切姿を見せず、肉親の葬儀にすら出席しないほか、活動家同士の間でも、ごく限られた者以外とは接触せず、お互いを異名で呼び合うなど、徹底した潜行活動を行っている。こうした活動家は、表面的には平凡なサラリーマンといった普通の市民を装いながら、専ら「ゲリラ」や内ゲバのための活動を行っている。
〔事例〕 10月12日に岩手県盛岡市郊外の都南村で摘発した中核派の「盛岡アジト」では、非公然活動家の男女2人が、夫婦を装って偽名で一戸建ての賃貸住宅に入居していたが、その引っ越しに際しては、隣近所に石けんを配ってあいさつしたほか、「夫」の方は毎日定時に出勤、帰宅し、「妻」の方も買物に出たり、道路等で顔見知りに会えば笑顔で会釈するなど、ごく一般的なサラリーマン家庭を装っていた。ところが、その裏では、この「夫婦」以外の3人の男が、住居の2階に黒色ビニールで内張りした爆弾製造室を造り、ほとんど住居の外に出ずに、専ら爆弾造りに従事していた。
イ アジトの摘発
 警察は、こうした非公然活動家の検挙、非公然アジトの摘発に総力を挙げて取り組み、61年は、非公然活動家20人を含む活動家310人を検挙したほか、11箇所の非公然アジトを摘発して多数の資料等を押収した。
〔事例1〕 松本アジトの摘発
 3月4日、松本市内の中核派非公然アジトを摘発し、内ゲバ事件で指名手配中の幹部活動家を逮捕するとともに、「ゲリラ」対象施設や数百人に上る内ゲバ対象者の調査報告等多数の資料を押収した(長野)。
〔事例2〕 春日井アジトの摘発
 4月20日、春日井市内の中核派非公然アジトを摘発し、内ゲバ事件で指名手配中の幹部活動家を公務執行妨害で逮捕(5月2日、手配事実で再逮捕)するとともに、約47キログラムの黒色火薬、時限装置等を押収した(愛知)。
〔事例3〕 盛岡アジトの摘発
 10月12日、盛岡市郊外の都南村の中核派非公然アジトを摘発し、 活動家5人を公務執行妨害及び火薬類取締法違反で逮捕(23日、爆発物取締罰則違反で再逮捕)するとともに、火薬類、爆弾製造工具類等多数を押収した。このアジトは、「圧力釜爆弾」を製造する大掛かりな武器製造工場であることが判明した(岩手)。

3 活発な活動を続けた右翼

(1) 政府、与党に対する活発な抗議活動の展開
 右翼は、「反体制、国家革新の原点に還ろう」とする姿勢を顕著にしている中で、政府、与党に対する批判、抗議活動を強めた。
 特に、8月15日の終戦記念日に中曽根首相が靖国神社公式参拝を見送った問題や高校用歴史教科書「新編日本史」の検定問題等を、「中国、韓国の内政干渉に屈したもの」ととらえて、政府、与党のほか、中国、韓国に対しても激しい批判、抗議活動を展開し、これらの過程で「中曽根首相生家墓所に対する礼拝所不敬事件」(8月30日、群馬)、「韓国大使館員に対する傷害事件」(7月10日、東京)等を引き起こした。
(2) 各種左翼対決活動の活発化
 右翼は、極左暴力集団に対しては、3月25日に発生した極左暴力集団による「皇居半蔵門付近火炎物発射事件」を機に、「桧町公園内爆発物事件」(4月29日、東京)を引き起こしたのをはじめ、「極左対決」活動を活発化した。
 日教組に対しては、「教育荒廃の元凶は日教組にある」などとして、教育研究全国集会(1月、大阪)の期間中、延べ258団体、1,750人を、また、延期となった定期大会(9月、東京)に対しては、日教組定期大会反対活動としては過去最高の延べ518団体、4,290人を動員するなど、大量動員による活発な反対活動を行った。こうした反対活動の過程 で、脇差(わきざし)、スプレーガン等の凶器を犯行に用いた「日本教育会館乱入事件」(9月5日、東京)等の悪質な事件を引き起こした。
 日本共産党に対しては、中央主催の「赤旗まつり」(5月、東京)をはじめ、各地における演説会や各種行事に対して、抗議、批判活動を繰り返し行った。
 ソ連に対しては、北方領土問題等をめぐるソ連側の強硬な姿勢に反発を強め、活発な対ソ批判活動を行った。特に、シェワルナゼ・ソ連外相の来日(1月、東京)に対しては、期間中延べ207団体、1,280人が来日反対活動を行い、ソ連要人の来日をめぐる反対活動としては過去最高の動員を行った。また、北方領土の日(2月7日)には、全国38都道府県下で307団体、2,480人を、「反ソデー」(8月9日)には、全国34都道府県下で361団体、2,660人をそれぞれ動員して、対ソ批判活動を行った。さらに、ソ連漁船の日立港入港をめぐり、1月4日から12月4日までの間、延べ370団体、2,480人を動員して現地反対活動に取り組み、とりわけ、第1次船の入港(11月12日から13日)に対しては、ソ連漁船入港反対活動としては過去最高の117団体、790人を動員した。
 また、靖国神社公式参拝問題や教科書問題をめぐる中国側の対日批判をとらえ、「内政干渉である」などとして対中国批判活動を行った。
(3) 事件の悪質化
 右翼の政府、与党に対する抗議、要請活動や左翼諸勢力との対決活動が活発に行われたことに伴って、悪質な事件が多発した。とりわけ、爆発物を使用した事件(桧町公園内爆発物事件)が前年に引き続き発生したほか、火炎びんを使用して外国要人の襲撃を企図した「シェワルナゼ・ソ連外相車列に対する火炎びん襲撃企図事件」(1月17日、東京)、「極左対決」活動に伴う「ダンプカーによる戦旗社ビル損壊事件」(4月18日、埼玉)等の悪質、過激な事件が敢行された。
 警察は、これら右翼の活動に対して、不法事案の未然防止と事件の早期検挙に努め、昭和61年には、公務執行妨害、爆発物取締罰則違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、軽犯罪法違反等で225件、390人を検挙した。最近5年間の右翼事件の検挙状況は、表7-3のとおりである。

表7-3 右翼事件の検挙状況(昭和57~61年)

4 停滞からの脱却に取り組む日本共産党

(1) 選挙取組みと党の体質強化を目指した活動
 日本共産党は、昭和61年7月の衆、参同日選挙を「80年代後半の国会における政党の力関係を決する重大選挙」と位置付け、得票目標を前回選挙に比べ大幅に引き上げて取り組んだ。選挙の結果、参院選では、比例代表選挙において得票543万票(前回416万票)、得票率9.47%(同8.95%)で2議席増の5議席を獲得、選挙区選挙においては得票662万票(同486万票)、得票率11.42%(同10.52%)で改選の4議席を維持し、全体として改選7議席から9議席となった。しかし、衆院選では、改選27議席は維持したものの、得票543万票(同544万票)、得票率8.98%(同9.58%)で、いずれも前回を下回った。
 党の体質強化の面では、党中央決定の読了や支部の分割、再編に力を入れるとともに、9月には「大衆から信頼され前衛党にふさわしい党風の確立のために」と題する10項目からなる党風改善の文書を発表し、そ のパンフレットを全党員の必携文書とするなど、党の体質強化を目指した活動を積極的に行った。
 また、機関紙読者拡大のために、9、10月を「機関紙拡大月間」に設定するとともに、「一紙で間に合う『赤旗』を目指して紙面の改善に取り組んだ。しかし、「100万部をこえる『月間』目標」に対し、拡大はわずか17万部にとどまった。
 このため、日本共産党は、11月以降を「地方選挙躍進・党生活活性化・機関紙拡大の大運動」に設定し、引き続き機関紙拡大等に取り組んだ。
(2) 天皇制批判の強化
 日本共産党は、党建設、大衆運動等の推進において、同党の「原則的」立場を従来にも増して強調している中で、天皇陛下御在位60年記念式典に関連する1月の「赤旗」新春インタビューでの宮本議長発言(「わが党としても天皇制論をことしは大いにやる必要があります」)以降、天皇制批判を強めた。特に、3月の日本共産党第2回中央委員会総会以降は、「君主制の廃止」という日本共産党綱領の「原則的」立場を鮮明に打ち出した天皇制批判を行った。
(3) 「非核の政府」を目指した活動
 日本共産党は、1月、昭和59年に提唱した「非核の政府」の樹立に向けて、「非核の5目標と非核政府の実現を求める会」(仮称)を組織することを呼び掛けた。5月には、それを受けて「非核の政府を求める会」が結成され、10月に大阪、京都、11月に東京で、それぞれ同会の地方組織が結成された。
(4) 国際連帯活動
 日本共産党は、ソ連共産党第27回大会(2~3月)に金子書記局長を団長とする代表団を派遣したほか、8月には、日ソ両党「共同声明」(昭 和59年)に基づく第1回定期協議のため不破委員長らが訪ソし、ゴルバチョフ書記長らと会談した。
 また、チェコスロバキア、ブルガリア、東独、ルーマニア等の東欧諸国党との交流を行った。
 一方、中国共産党との関係では、11月に、関係正常化に向けた会談を打ち切ったことを明らかにした。

5 多様な形で取り組まれた大衆行動

 左翼諸勢力等による昭和61年の大衆行動は、「東京サミット」、天皇陛下御在位60年記念式典、「成田」、国鉄分割・民営化、米戦艦ニュージャージーの佐世保寄港、日米共同訓練、原発等の問題を中心に取り組まれ、全国で延べ約491万3,000人(うち、極左系約22万7,000人)が動員された。
 これらの大衆行動に伴って各種の違法事案が発生し、警察では、公務執行妨害、凶器準備集合、器物損壊等で423人を検挙した。
(1) 成田闘争
 極左暴力集団等は、「成田」を昭和61年後半の闘争課題の中心に掲げ、成田現地に延べ約9万9,000人を動員して、集会、デモを繰り広げた。特に、9月に成田用水工事、10月に成田空港第一旅客ターミナルの駐車場建設工事、11月に空港管理用地(エプロン地区)の環境整備工事等が開始されたことに伴い、これを「二期工事そのもの」ととらえる極左暴力集団が「二期工事阻止」に向けての闘争を強化し、61年には、成田闘争に関連して、時限式発射装置や発火装置等を使用した「ゲリラ」事件30件を引き起こした。
(2) 国鉄分割・民営化反対闘争
 左翼諸勢力等は、分割・民営化による国鉄改革という政府の方針に対し、「世紀の大悪政、『行革』の名での有力労組つぶし」(10月3日、日本共産党第5回中央委員会総会における宮本議長冒頭発言)、「階級的な戦闘的労働運動の絶滅を狙った超反動的な階級決戦の攻撃」(10月20日付け中核派機関紙「前進」)などととらえて強く反発し、集会、デモ等の反対闘争に取り組んだ。
(3) 「反核・平和」、基地闘争
 左翼諸勢力等は、米戦艦ニュージャージーの佐世保寄港に伴う反対闘争(東京、神奈川、兵庫、広島、福岡、長崎)、日米共同訓練反対闘争(北海道、石川、滋賀、宮崎)、自衛隊北方機動特別演習反対闘争(北海道)、原水爆禁止全国行動(全国)、「10.24反核・平和全国統一行動」(全国)、「日本平和大会」(東京)等の「反核・平和」、基地闘争に取り組んだ。
(4) 原発闘争
 左翼諸勢力等は、原発公開ヒアリング反対闘争(静岡・浜岡原発、石川・能登原発、福井・大飯原発、宮城・女川原発)、核燃料施設建設反対闘争(北海道・幌延町、青森・六ヶ所村)、核燃料輸送反対闘争(新潟・柏崎刈羽原発、宮城・女川原発、愛媛・伊方原発)等に取り組んだ。
 このうち、原発公開ヒアリング反対闘争では、約2,300人を動員して集会、デモ等を行った。

6 厳しい経済情勢下の労働運動

 昭和61年の春闘は、急激な円高による輸出関連産業を取り巻く環境の悪化等の厳しい経済情勢の下で行われ、国民春闘共闘会議は、7%以上 の賃上げ、労働時間短縮等を重点課題に掲げ、2月中旬から4月中旬にかけて闘争に取り組んだ。この間、総評は、8%以上という独自の賃上げ要求を掲げ、「回答に不満な場合はストライキで闘う」との方針の下に、総評主導の高額相場作りを目指した。しかし、結果的には、4月9日の金属労協への集中回答が春闘の相場を確定し、妥結額も前回を下回った。こうした中で、私鉄総連(大手組合)が、4月10日に5年ぶりに「統一スト」を行った(始発から突入、午前6時15分中止)。また、動労千葉が、「国鉄分割・民営化阻止」を掲げ、3月のダイヤ改正に反対して、2月15日に違法ストを行った(始発から突入、午後5時30分中止)。
 秋闘は、総評、公務員共闘が中心となり、国鉄問題を最重点に、老人保健法改正、「反核・平和」、税制改革、人勧問題等を課題に行われた。
 61年には、労働争議、労働組合間の対立等をめぐって発生した傷害、暴行事件等に対し、61件、100人を検挙した。
 最近5年間の労働事件の検挙状況は、表7-4のとおりである。

表7-4 労働事件の検挙状況(昭和57~61年)

 これらの労働事件の主な内容をみると、官公労組関係では、国鉄横浜貨車区人材活用センターにおける公務執行妨害等事件をはじめ、国鉄における労使対立をめぐる事件等に対し、17件、24人を検挙した。民間労組関係では、全国一般、合化労連等の単産を中心とした事件に対し、44 件、76人を検挙した。また、反戦系労働者の関係した事件に対し、3件、4人を検挙した。
 なお、61年も、自治労、日教組等の公務員労組が依然として公務員法違反のストライキを繰り返した。

7 警衛・警護

(1) 警衛
 天皇陛下は、天皇陛下御在位60年記念式典(4月、東京)、全国植樹祭(5月、大阪)、国民体育大会秋季大会(10月、山梨)等に行幸になり、また、天皇皇后両陛下は、栃木、静岡両県の御用邸に行幸啓された。
 皇太子殿下は、献血運動推進全国大会(7月、高知)等に行啓になり、また、同妃殿下と御一緒に全国育樹祭(11月、宮崎)等各地に行啓された。
 警察は、これに伴う警衛を実施して、御身辺の安全の確保と歓送迎者等による雑踏事故の防止を図った。
(2) 警護
 中曽根首相は、伊勢神宮参拝(1月、三重)、平和祈念式典出席(8月、長崎)、7月6日施行の衆、参同日選挙に伴う遊説等で各地を訪問したほか、カナダ公式訪問(1月)、日米首脳会談(4月)、第10回アジア競技大会開会式出席及び韓国首脳との会談(9月)、日中青年交流センター定礎式出席及び中国首脳との会談(11月)のため関係諸国を訪問した。
 また、第12回主要国首脳会議(5月)に出席した参加各国首脳等をはじめ、国賓としてアルフォンシン・アルゼンティン大統領(7月)、アキノ・フィリピン大統領(11月)、デラマドリ・メキシコ大統領(11月)、公賓としてドロールEC委員長夫妻(1月)、チャールズ英国皇太子同妃両殿下 (5月)、マウン・マウン・カ・ビルマ首相夫妻(9月)、リー・クァン・ユ-・シンガポール首相夫妻(10月)等多くの外国要人が来日した。
 警察は、これら内外要人に対して警護措置を講じ、その身辺の安全を確保した。


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