第7章 公安の維持

1 「テロ」、「ゲリラ」を激化させた極左暴力集団

 極左暴力集団の勢力は、全国で約3万5,000人で、ここ数年横ばい状態を続けている。しかし、極左暴力集団は、組織の非公然化、軍事化を進めるとともに、「テロ」、「ゲリラ」志向をますます強め、昭和60年には、中核派、革労協狭間派、戦旗荒派が一段と悪質な「ゲリラ」事件を引き起こしている。
 また、極左暴力集団は、「10.20成田現地闘争」で、火炎びん等を使用した集団武装闘争を展開した。
(1) 成田闘争を中心に多発した悪質な「ゲリラ」事件
 極左暴力集団は、「成田」、国鉄分割・民営化、「北富士」、関西国際空港等を課題とする反対闘争の過程で、昭和54年以降最高の87件に及ぶ「ゲリラ」事件を引き起こした。
 「ゲリラ」事件の内容をみると、時限式爆発物発射装置を用いて新東京国際空港に爆発物を発射した事件(4月、9月、11月)、同空港公団等の関係者宅に時限式発火装置を設置して放火した事件(7月、9月、11月)、首都圏、近畿、中国で国鉄線の通信ケーブル等を切断、焼燬(き)するとともに、駅舎に火炎びんを投げて放火した事件(11月)等一段と凶悪化している。また、中核派が10年ぶりに爆発物を使用するなど、「ゲリラ」事件は質の面でも大きく変化した。
 これらの「ゲリラ」事件に対し、警察は徹底した捜査を行い、60年は、中核派非公然活動家等50人を検挙した。

(2) 依然として続く内ゲバ事件
 昭和60年には、極左暴力集団による内ゲバ事件は、12件発生し、前年の11件を上回ったが、3年連続して殺害事件の発生はなかった。
 60年の内ゲバ事件は、中核派が「新たな対カクマル10年戦争」を標ぼうしていることや、革マル派が中核派に対し7年ぶりに攻撃姿勢に転じたことから、すべて両派の間で引き起こされ、そのうち4件は、革マル派が攻撃したものであった。また、12件の内ゲバ事件のうち6件は、学園での主導権争いがその原因とみられる。
 警察では、60年に、内ゲバ事件で28人を検挙した。
(3) 武闘路線を堅持する日本赤軍
 昭和47年にテルアビブ・ロッド空港事件を引き起こし、イスラエルのラムラ刑務所で服役していた岡本公三が、イスラエルとPFLP-GC(PFLP、General Command=パレスチナ解放人民戦線総司令部派)との捕虜交換で、5月21日に釈放された。
 日本赤軍は、岡本公三の釈放に際して、「リッダ闘争の闘いの中で、…戦死した同志…の意志をひきついで闘う決意を新たにします」、「“闘いだけが解放と勝利をもたらす”この現実を大切に我々の胸に刻み、私たちもまた、更に前進します」などを内容とする「声明」を発表し、引き続き武闘路線を堅持することを明らかにした。

2 我が国の国益と国民の平穏な生活を守るためのスパイの取締り

 我が国に対するスパイ活動や、我が国を中継基地とした第三国に対するスパイ活動は、そのほとんどがソ連、北朝鮮等の共産圏諸国によるものであり、複雑な国際情勢を反映して、引き続き巧妙かつ活発に行われている。
 特に、最近のスパイ活動は、我が国の政治、経済、外交、防衛に関する情報収集活動はもとより、我が国の高度科学技術に関する情報収集活動や、我が国各界に対する謀略性の強い工作活動に至るまで、極めて広範囲なものとなっている。
 こうしたスパイ活動は、国家機関が介在して組織的かつ計画的に行われるため、極めて潜在性が強く、また、我が国にはスパイ活動を直接取り締まる法規がないことから、スパイ活動を摘発できるのは、その活動が各種の現行刑罰法令に触れて行われた場合に限られている。
 このような条件の下で、昭和60年には、スパイ事案2件を摘発したが、これらの事案では、日本人の戸籍を不正に取得して完全に日本人に成り済ましたり、報道特派員の地位を隠れみのとするなど、その手段、方法が一段と悪質、巧妙化している。
 しかし、こうして明るみに出たものは、正に氷山の一角にすぎないと 考えられ、今後とも徹底した取締りに努めることとしている。
(1) 日本人に成り済ました北朝鮮工作員事件
 自称小住健蔵こと朴某は、スパイ活動のために北朝鮮から我が国に密入国して以来、15年間にわたり、日本人の戸籍を不正に入手して日本人に成り済まし、自動車運転免許証や旅券を取得して、日本国内だけでなく10回の海外渡航を繰り返しながらスパイ活動を行っていた。警視庁は、3月1日、旅券法違反等で朴を指名手配するとともに、朴の指示で北朝鮮に密航してスパイに仕立て上げられた在日韓国人1人を外国人登録法違反で逮捕した(東京地裁判決、懲役1年、執行猶予4年)。
 この事件で戸籍を利用された日本人は2人で、うち1人は東京都内の

病院で病死していることが確認されたが、他の1人については所在不明のままとなっている。
(2) タス通信特派員による第三国に対するスパイ事案
 ソ連国営タス通信特派員プレオブラジェンスキーは、中国関係その他の情報を入手するため、中国人某にエージェント(手先)となるよう執ように工作活動を行っていた。その過程において違法行為が認められたため、警視庁は、プレオブラジェンスキーに対し、令状による捜索、差押えを行い、ラジオ及びメモ数点を押収するとともに、同人から事情聴取を行うため警察への出頭を求めたが、同人は、出頭要請に応じないまま、7月16日急きょ出国した。

3 活発な活動を続けた右翼

(1) 政府、与党に対する活発な抗議活動の展開
 近年、右翼陣営内に、「右翼の本質である反体制・国家革新の原点に還ろう」とする傾向が強まっており、例えば、「今は、革新対維新ではなく、保守対維新の時代である」などの主張にみられるように、行動の目標を政府、与党に求めようとする傾向が顕著となっている。
 こうした中で、右翼は、運動の重点である憲法の改正、防衛力の強化、靖国神社国家護持の実現、北方領土返還の実現、教育問題の改善等を訴えて、政府、与党に対する活発な抗議、要請活動を行った。
 また、「戦後体制の打倒」、「日米安保条約反対」を漂ぼうし、米軍池子弾薬庫跡地への米軍住宅建設に反対して「横浜防衛施設局に対する火炎びん投てき事件」(5月、神奈川)を引き起こした。
(2) 各種左翼対決活動を活発化
 右翼は、日教組に対して、「現在の教育荒廃の元凶は日教組にある」 などとして、教育研究全国集会(1月、北海道)の期間中、延べ130団体、690人を、また、定期大会(7月、三重)の期間中、延べ469団体、3,970人を動員して活発な反対活動を行った。
 日本共産党に対しては、「第26回赤旗まつり」(5月、大阪)の期間中、過去最高の延べ130団体、1,450人が、また、第17回党大会(11月、静岡)の期間中、延べ44団体、280人が反対活動を行ったのをはじめ、全国各地で、党の演説会や各種行事等に向けての抗議、批判活動を行った。
 ソ連に対しては、北方領土問題が依然として進展をみないことや、日ソ漁業交渉におけるソ連側の強硬な態度に反発を強め、活発な対ソ批判活動を行った。とりわけ、ソ連漁船の塩釜港入港をめぐっては、2月1日以降第30船出港(11月)までの間に、延べ798団体、3,790人が現地においてソ連批判の街頭宣伝や関係先に対する抗議等を行った。また、北方領土の日(2月7日)や「反ソデー」と位置付ける8月9日には、多数が「北方領土返還」等を訴えて、自動車パレード、徒歩デモ、ビラ配布等多様な活動を行った。
 また、靖国神社公式参拝をめぐる中国側の対日批判をとらえ、「内政干渉である」などとして活発な対中国批判活動を行った。
(3) 事件の悪質化
 右翼の政府、与党に対する抗議、要請活動や左翼諸勢力との対決活動が活発に行われたことに伴って、悪質な事件が多発した。
 その内容をみると、右翼事件としては初めて手製爆弾を使用した「日教組本部等に対する小包爆弾郵送事件」(5月、東京、三重)が発生したが、これは、無差別テロを企図した極めて悪質な事件であった。
 このほか、「田中元総理に対する自決勧告企図事件」(3月、東京)、「横浜防衛施設局に対する火炎びん投てき事件」(5月、神奈川)、「街頭宣伝車によるソ連大使館通用門破壊事件」(11月、東京)等「テロ」、 「ゲリラ」を志向した悪質な事件が発生した。
 警察は、これら右翼の活動に対して、不法事案の未然防止、発生した事件の早期検挙に努め、昭和60年には、公務執行妨害、傷害、暴行、爆発物取締罰則違反、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、軽犯罪法違反等で330件、473人を検挙した。最近5年間の右翼事件の検挙状況は、表7-1のとおりである。

表7-1 右翼事件の検挙状況(昭和56~60年)

4 停滞打開を模索する日本共産党

(1) 第17回党大会の開催
 日本共産党は、昭和60年11月、第17回党大会を開催した。大会初日には、東大大学院支部党員が、党の「10年間の停滞は方針上の欠陥」であるとして、会場近くで「宮本議長勇退勧告」のビラを配布し、公然と党中央を批判した。これに対し、党中央は、過去の「一進一退」は「戦後第二の反動攻勢」によるものだと強調し、党中央批判を「無邪気な観念論史観、敗北主義」と決めつけた。
 大会では、第12回党大会、第13回臨時大会と比べて大幅な綱領改正を行い、「世界資本主義の全般的危機」、「帝国主義勢力にたいする社会主義勢力の優位」等の記述を削除する一方、「核戦争阻止、核兵器の全面禁止・廃絶」に関する記述を補充し、社会主義国の一部による「他国に軍事介入する覇権主義の偏向」を指摘した記述を加えるなどした。
 しかし、党の革命路線にかかわる綱領の核心的部分には一切手を加えず、「敵の出方」論に立った暴力革命の方針を採る現綱領路線を堅持した。また、「民主連合政府」樹立に向けた政策課題である「革新三目標」に、「真の独立」、「非同盟」等の課題を加える一方、59年10月に提唱した「非核の政府」樹立に向けて、五つの目標を具体的に示した。
(2) 党の体質強化を目指した活動
 日本共産党は、昭和60年1月から4月までの「党躍進大運動」で、9中総(59年10月)決定の読了を「第一義的課題」とし、3月の常任幹部会で、「『赤旗』日刊紙を購読していない党員が多数のこされ、それが放置されていること」を重視するなど、党の体質強化を目指した行動を行い、これを通じて党勢停滞からの脱却を図った。しかし、第17回党大会では、党員数は「前大会に近い水準」で、機関紙発行部数は「300万をこえる」状態にとどまり、57年7月の第16回党大会水準(「党員48万人、機関紙三百数十万」)を下回った。
(3) 国際連帯活動
 日本共産党は、昭和59年12月の日ソ両共産党首脳会談で、諸国共産党等に対し、「核廃絶」のための闘争を呼び掛けたことから、60年には、「反核国際統一戦線」の結集に向けた国際連帯活動を行った。しかし、日本共産党が「核廃絶」をテーマとして60年7月に開催した国際シンポジウムでは、参加27箇国の党・組織代表の意見対立が目立つなど、「反核国際統一戦線」結集に進展はみられなかった。
 また、中国共産党との関係では、第17回党大会で宮本議長が、中国共産党の正式な申入れを受けて両党が関係正常化に向けて会談したことを明らかにした。

5 多様な形で取り組まれた大衆行動

 左翼諸勢力等による大衆行動には、全国で延べ約594万8,000人(うち、極左系約24万7,000人)が動員された。
 こうした大衆行動に伴って各種の違法事案が発生し、警察では、建造物侵入、公務執行妨害、凶器準備集合等で934人を検挙した。
(1) 成田闘争
 極左暴力集団等は、「成田」を昭和60年の最大の闘争課題に掲げ、成田現地に延べ約10万1,000人を動員して、集会、デモを繰り広げた。特に、60年は、4月に出された「成田は“いま”」と題する政府広報を「二期着工のためのもの」ととらえる極左暴力集団等が危機感を強め、「二期工事阻止」に向けて闘争を強化し、成田闘争に関連して爆発物等発射装置や時限式発火装置等を使用した「ゲリラ」事件44件を引き起こしたほか、「10.20成田現地闘争」では、火炎びん、丸太、鉄パイプ、石等を使った集団武装闘争を行った。
(2) 反核闘争
 左翼諸勢力等は、「核兵器廃絶」、「核戦争阻止」、「核基地撤去」等を主要課題に掲げて、「核戦争阻止5.26大集会」(日本共産党系)、「10.27反核全国100万人大行動」(社会党、総評系)、原水爆禁止全国行動等の反核闘争に取り組んだ。
(3) 基地闘争
 左翼諸勢力等は、「F16」配備反対闘争(青森・三沢)、自衛隊転地演習反対闘争(北海道・矢臼別)、自衛隊観閲式反対闘争(埼玉・朝霞)、日米共同実動訓練反対闘争(宮城・王城寺原、静岡・東富士、山梨・北富士)等の基地闘争に取り組んだ。
(4) 原発闘争
 左翼諸勢力等は、原子力発電所や核燃料処理施設の建設問題、核燃料の輸送問題等をめぐって反対闘争に取り組んだ。
 昭和60年には、原子力発電所の建設に伴う公開ヒアリングが、伊方(愛媛)で1回開催されたが、これに反対する左翼諸勢力等は、約770人を動員して集会、デモ等を行った。

6 流動的な経済情勢下の労働運動

 昭和60年の春闘は、景気が回復し、実質経済成長率が5%台に転じた経済情勢の下で行われた。国民春闘共闘会議は、7%以上の賃上げと労働時間短縮を重点課題に掲げ、2月下旬から4月下旬にかけて全国的な統一闘争を展開した。この間、総評は、8%以上という独自の賃上げ要求を掲げ、「回答に不満な場合はストライキで闘う」との方針の下に、4月17日に官民統一ストを予定するなどして高額相場作りを目指した。しかし、結果的には「85賃金闘争連絡会」の戦術調整によって、民間大手組合が、金属労協への集中回答日となった4月10日を中心に賃上げ回答を要求して結集したため、春闘は、この日を最大のヤマ場とする短期集中決戦となった。こうした中で、私鉄総連(大手組合)が昨年に続き一発回答で妥結し、公労協もストライキを中止したため、春闘は、4年連続「交通ストなし」で終わった。
 秋闘は、総評、公務員共闘が中心となり、人勧、国鉄分割・民営化、「反核・平和」を主要課題に、9月から12月にかけて行われた。こうした中で、国鉄分割・民営化に反対する動労千葉が、11月28日正午から24時間の違法ストを敢行し、これを支援する極左暴力集団が、11月29日、首都圏等で国鉄の通信ケーブルを切断するなど、悪質な「ゲリラ」事件 を敢行した。
 60年には、労働争議、労働組合間の対立等をめぐって発生した傷害、公務執行妨害、暴行事件等に対し、108件、258人を検挙した。
 最近5年間の労働事件の検挙状況は、表7-2のとおりである。

表7-2 労働事件の検挙状況(昭和56~60年)

 これらの労働事件の主な内容をみると、官公労組関係では、北海道教職員組合による道交法違反事件や不退去事件及び国鉄、郵政における労使対立をめぐる事件等に対し、26件、45人を検挙した。民間労組関係では、全国一般、運輸一般等の単産を中心とした事件に対し、82件、213人を検挙した。また、反戦労働者の関係した事件に対し、10件、31人を検挙した。
 なお、60年も、自治労、日教組等の公務員労組が依然として公務員法違反のストライキを繰り返した。

7 警衛、警護

 警察は、天皇皇后両陛下及び皇族方の御身辺の安全確保のために警衛を実施している。警衛に当たっては、皇室と国民との間の親和を妨げることのないよう努めている。また、首相、国賓等内外の要人の安全確保のために警護を実施している。
(1) 警衛
 天皇陛下は、科学万博(4月、6月、茨城)、全国植樹祭(5月、熊 本)、国民体育大会秋季大会(10月、鳥取)等に行幸された。また、天皇皇后両陛下は、栃木、静岡両県の御用邸へ行幸啓された。
 皇太子同妃両殿下は、科学万博(3月、9月)、全国高等学校総合体育大会(7~8月、石川)、ユニバシアード神戸大会(8月、9月)、全国育樹祭(11月、千葉)等各地へ行啓されたほか、国際親善のため外国(2~3月、スペイン等、6月、スウェーデン等)を御訪問された。
 警察は、これに伴う警衛を実施して、御身辺の安全の確保と歓送迎者等による雑踏事故の防止を図った。
(2) 警護
 中曽根首相は、伊勢神宮参拝(1月、三重)、平和祈念式典(8月、広島)、日航機墜落事故現場慰霊(11月、群馬)等で各地を訪問したほか、日米首脳会談(1月)、大洋州4箇国歴訪(1月)、故チェルネンコ・ソ連共産党書記長国葬(3月)、主要国首脳会議(5月)、西欧4箇国歴訪(7月)、国連創立40周年記念総会(11月)のため関係諸国を訪問した。
 また、科学万博の開催に伴うナショナルデー行事に参列した42箇国の要人をはじめ、国賓として、エルシャド・バングラデシュ大統領(6月)、公賓として、ルッベルス・オランダ首相(4月)、オザール・トルコ首相(5月)、ラフサンジャニ・イランイスラム議会議長(7月)、ラジーブ・ガンジー・インド首相(11月)等多くの外国要人が来日した。
 警察は、厳しい治安情勢の下で、これら内外要人に対して警護措置を講じ、その身辺の安全を確保した。


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