第6章 公安の維持

1 変ぼうするスパイ活動とその取締り

 我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的位置関係から、ソ連、北朝鮮等共産圏諸国からのものが多く、複雑な国際情勢を反映して、これらの活動は、ますます巧妙、かつ、活発に行われている。スパイ活動を行う工作員には、外交官、ジャーナリスト、研修生等といった身分を隠れみのにして合法的に入国する者と、夜陰に乗じて海岸等からひそかに潜入する者等がある。これらの工作員は、金銭関係、異性関係等から生じる欲望や個人的弱点を巧みに利用して、日本人を手先に仕立てる例が多い。これらの手先となった者には、スパイ活動であることを知りながら積極的に加担する者もあるが、自覚のないうちにスパイに仕立て上げられる者もある。
 従来のスパイ活動は、我が国に関する各種情報や在日米軍基地情報を不法に入手するものや、北朝鮮工作員が不法に我が国に潜入し、我が国を中継基地として、韓国の政治、軍事等の情報を入手するといったものであった。しかし、これらのほかに最近では、我が国各界に対する違法性を帯びた政治工作等謀略的性格を有するものがみられ、また、ソ連が情報収集の重点を先端技術に指向してくるなど、スパイ活動に変ぼうがみられるところであり、新たな対応が要求されている。
 しかし、我が国にはスパイ活動を直接取り締まる法規かないところから、スパイ活動を摘発できるのは、その活動が各種の現行刑罰法令に触れて行われた場合に限られている。このような条件の下での検挙は困難を極めるが、昭和58年には、検挙には至らないものの、以下に説明するスパイ活動事案について調査等を行い、必要な措置を採った。
 しかし、こうして明るみに出たものは氷山の一角にすぎないと考えられ、 今後とも徹底した取締りに努めることとしている。
(1) レフチェンコ証言問題
 昭和54年10月、我が国からアメリカへ亡命したソ連の「新時代」(ノーボエ・プレーミヤ)誌東京支局長S・A・レフチェンコ氏が、57年7月のアメリカ下院情報特別委員会において、「ソ連のアクティブ・メジャーズ(政治工作)」について証言を行ったが、同年12月、同証言が公表されると我が国内に大きな波紋を呼んだ。
 警察庁は、証言に表れたソ連の情報機関KGB(国家保安委員会)の我が国における活動に伴って違法行為が存在するか否かについて調査するため、58年3月、係官をアメリカに派遣し、レフチェンコ氏より前記証言の更に具体的な内容について詳細に聴取した。
 証言及び聴取結果によれば、レフチェンコ氏は、亡命当時KGB少佐の地位にあり、「新時代」誌支局長の肩書を利用しつつ日本の各界に対して、日・米・中の離間、親ソロビ-の扶植、日ソ善隣協力条約の締結、北方領土返還運動の鎮静化等をねらいとした政治工作を行うことを任務としており、この任務に関して11人の日本人を直接運営していた。この種の工作においてKGBが成功した例としては、ねつ造した「周恩来の遺書」を某新聞に大きく掲載させたことがあった。
 警察は、そのうち必要と判断した数人から事情を聴取するなど所要の調査を行った。その結果、レフチェンコ氏やその前任者等から、金銭を使ってのスパイ工作をかけられ、実際に我が国の政治情勢等の情報を提供していたこと、また、相互の連絡方法として、喫茶店等のマッチの受渡しによる方法が用いられたり、「フラッシュ・コンタクト」(情報の入った容器を歩きながら投げ捨てると、後から来た工作員が即座にそれを拾う方法)の訓練をさせられたこと等の事実が把握されたが、いずれも犯罪として立件するには至らなかった。
 しかし、「レフチェンコ証言」については、同証言に述べられた政治工作活動の内容と、警察の裏付け調査の結果及び警察が過去に把握してきた各KGB機関員の政治工作活動の実態とが多くの点で一致するところから、その信ぴょう性は全体として高いものと認められた。
(2) ビノゲラードブ国外退去事案
 昭和58年5月末、警察庁は、外務省に対し、駐日ソ連大使館一等書記官A・A・ビノグラードフが、産業秘密収集活動という好ましからざる行為を行ったことを通報した。これを受けた外務省では、6月17日、ソ連大使館責任者を招致してビノグラードフの国外退去を求めたところ、同人は、6月19日、ソ連大使館員の厳重な監視の下、成田から出国した。本件は、西側諸国で、スパイ活動が露見したソ連外交官等の国外退去事案が続発していた矢先であり、かつ、我が国初のソ連外交官国外退去措置であることから、内外に大きな反響を呼んだ。
 神奈川県警察では、53年3月に来日したソ連人長期滞在技師B・N・カコーリンが、神奈川県にあるコンピュータ関係企業の幹部社員である日本人A氏とひそかに接触している事実をつかみ、不審外国人として視察を開始した。2人は、2箇月に1回の割合で接触を重ね、その場所も、当初は横浜市内の飲食店であったものが、次第に人目につかない場所が選ばれるようになり、また、いったん待ち合わせの喫茶店で落ち合い、監視をまくために別々に店を出て別れたふりをし、しばらくして指定の場所で接触するといった行動をとるなど、非公然接触を繰り返した。
 カコーリンが57年1月帰国した後、同年春、ピノグラードフとA氏の非公然接触が確認されたが、その後長期間にわたり接触が認められないため警察は、同氏から事情聴取を行い、在日KGB機関員とみなされるカコーリン及びビノグラードフによる産業秘密収集活動の実態を明らかにした。それによれば、同氏がカコーリソと知り合ったのは、興味をもっていたロシア語を勉強するため、知人の紹介を受けたのがきっかけであり、最初は単なる友達付き合いであったが、カコーリンは同氏に和露辞典の添削を依頼し、その謝礼として10万円を交付するなど巧みに関係を深めていき、ついには、大型コンピュータに関するマニュアルや半導体メモリー等の極秘資料を具体的に指定 して、その提供を求めるまでになった。
 カコーリンの帰国後、A氏の運営は、ビノグラードフに引き継がれたが、ピノグラードフは同氏に対して、定年退職後ソ連の資金援助による「産業スパイ会社」を設立するよう迫ったため、同氏は、危険を察知して、その後の接触を絶ったものである。

2 「テロ」、「ゲリラ」本格化への指向を強める極左暴力集団

(1) 極左暴力集団の動向
 極左暴力集団の勢力は、全国で約3万5,000人に上り、前年の水準を維持したが、労働者の構成比が次第に高まっている。
 こうしたなかで、極左暴力集団は、「成田闘争」、「反戦・反安保闘争」の過程で17件の「ゲリラ」事件を引き起こした。その犯行態様は、時限式可燃物を建設会社の作業事務所に仕掛けて放火し、就寝中の従業員2人を焼死させた「東鉄工業作業事務所放火殺人事件」(6月、千葉)をはじめ、大量の砲弾が収納されている米軍弾薬庫に時限式可燃物を仕掛けて爆発させようとし

た「佐世保市米軍弾薬集積所放火未遂事件」(3月、長崎)、自走装置付火炎自動車による「米軍横田基地火炎車突入未遂事件」(11月、東京)等にみられるように、悪質なものが多く、また、戦旗派(荒派)が同派として初めてICを使った時限式可燃物を使用するなどして、同時6箇所に及ぶ「ゲリラ」事件を引き起こすなど、極左暴力集団は、依然として「テロ」、「ゲリラ」本格化への指向を強めているとみられる。
 なお、5月には、警察庁指定特別手配被疑者のA、Bを逮捕し、「52.10.27神社本庁爆破事件」等8件に及ぶ爆弾事件を解決した。
(2) 反対同盟の分裂で新たな動きをみせた「成田闘争」
 三里嫁芝山連合空港反対同盟は、闘争への取組をめぐって従来から内部で対立していたが、新たに加わった「一坪再共有化運動」問題が引き金となって、3月8日には、これを推進する立場の熱田行動隊長グループと、反対する北原事務局長グループに分裂した。これに伴い、極左暴力集団も、第4インター日本支部、戦旗派(荒派)、プロ青同等が熱田グループを、また、中核派、革労協(狭間派)、戦旗派(両川派)、蜂起派が北原グループをそれぞれ支援することとなった。
 このため「成田闘争」は、両グループによって競い合う形で取り組まれ、極左暴力集団は、6件の「ゲリラ」事件を引き起こした。
(3) 増加の兆候がみられた内ゲバ事件
 極左暴力集団による内ゲバ事件は、3件発生したが、昭和44年以来続いていた殺害事件の発生はなかった。
 しかし、学園等で内ゲバに発展するおそれのある事案が多発したことや、中核派が、「成田闘争」の取組をめぐって、戦旗派(荒派)と第4インター日本支部に「党派闘争宣言」を発していることなど、内ゲバの兆候は増大した。
(4) 武闘路線の堅持を明らかにした日本赤軍
 日本赤軍は、「5.30声明」を「人民新聞」(6月15日付け)に、重信房子の「手記」や、日本AA作家会議メンバーとの「インタビュー」を国内の雑誌等にそれぞれ発表するなど、宣伝活動に力を注いだ。また、9月には、日本赤軍が発行している「ソリダリティ」の抜粋を収録した英文刊行物「ジャパン・トゥデイ」が国内の書店に送付された。
 これらにおいて、日本赤軍は、「全員が再びべカー高原の最前線に戻っています」と述べ、その勢力に変化がないことをうかがわせるとともに、「反帝の闘いには……平和的な方法もあるし、暴力的な方法もある」などと主張し、武闘路線の堅持を明らかにした。

3 高揚を続ける右翼の活動

(1) 政府、与党に対する抗議活動を活発化
 右翼は、流動する内外の諸情勢に敏感に反応し、自主憲法の制定、防衛力の強化、北方領土の返還、靖国神社国家護持の実現等の問題を中心に、積極的な施策の推進等を要求して、政府、与党に対する抗議と要請の活動を活発に行った。
 こうしたなかで、右翼陣営に、「反共重視の運動から脱却して、右翼の本質である反体制・国家革新の原点に帰ろう」とする傾向が更に拡大し、「体制」との対決活動も高まりをみせた。中曽根首相の訪米に際しては、「屈辱外交の中止」、「自主外交の展開」等を訴えての抗議活動が取り組まれたほか、レーガン米大統領の来日をめぐっては、「戦後体制の打倒」を掲げ、「反米愛国・抗ソ救国」をスローガンとする「統一戦線義勇軍」等が、来日阻止闘争を行った。
 また、「ロッキード問題」をめぐっては、「金権腐敗体質の浄化」等を掲げ、政府、与党に向けた批判活動を展開したのをはじめ、田中元首相に対する糾弾活動を一段と強め、後藤田官房長官の参院選遊説に対する妨害事件(6月、岡山)等を引き起こした。
(2) 各種左翼対決活動を活発化
 右翼は、日教組に対して、「社会の混乱は、日教組の偏向教育に原因がある」などとし、教育研究全国集会(1月、岩手)、定期大会(8~9月、岡山)を中心に、活発な反対活動を行った。とりわけ定期大会については、極めて強い反発をみせて、3月半ばから反対活動に取り組み、大会終了までの間に、延べ1,100団体、7,000人が、同県下において、日教組批判の街頭宣伝活動や、「日教組への公共施設の貸与を認めないように」との岡山県、岡山市各議会に対する請願、陳情等、関係方面への抗議と要請の活動を繰り広げた。こうした日教組に対する反対活動の過程で違法事案が多発し、122人を検挙した。
 日本共産党に対しては、諸行事や各種選挙に向けての諸活動等に強い反発を示して対決活動を強め、「第24回赤旗まつり」(10月、東京)に対して延べ41団体、300人が反対活動を行ったのをはじめ、日本共産党の演説会や街頭活動、関係事務所等に抗議と批判の活動を続けた。
 また、右翼は、レフチェンコ証言問題(4月)や「大韓航空機撃墜事件」(9月)等により反ソ感情を一段と強め、年間を通じてソ連に向けた抗議や批判の活動を活発に繰り広げた。特に、「反ソデー」とする8月9日には、260団体、2,130人を動員し、また、「大韓航空機撃墜事件」に対して、事件発生以降9月末までの間に、延べ976団体、5,400人が在日ソ連公館や折から来日中のボリショイ・バレエ公演等に向けての激しい抗議行動を展開した。
 中国に対しては、特に、胡耀邦中国共産党総書記の来日(11月)を「日本の赤化を目的としたもの」ととらえ、行先地の東京、茨城、北海道、大阪等7都道府県において、延べ146団体、890人が反対活動を行った。
(3) 違法事案の多発
 右翼の政府、与党に対する抗議や要請活動、左翼諸勢力との対決活動が活発に展開されたことに伴って、違法事案が多発した。
 また、右翼の間に、目的達成の道を「直接行動」に求めようとする傾向が広まり、革新知事の誕生に反発して奥田福岡県知事に対して暴行を加えた事件(5、6月、福岡)、社会党に反発して横山同党代議士に対して傷害を与えた事件(8月、愛知)等、要人に矛先を向けた事件が相次いだ。
 さらに、伊勢神宮林に対する課税問題に反発して伊勢市役所に火炎びんを投てきした事件(1月、三重)、報道姿勢を批判して朝日新聞東京、名古屋両本社に対して時限式可燃物を設置した放火未遂事件(8月、東京、愛知)等の「ゲリラ」事件や、凶器を所持して日教組本部に立てこもり、人質の職員を負傷させた事件(6月、東京)を敢行するなど、右翼事件は、一段と悪質化するとともに危険な傾向を強めた。
 警察は、これら右翼の活動に対して、違法事案の未然防止、早期検挙に努め、この結果、昭和58年には、公務執行妨害、暴行、傷害、暴力行為等処罰二関スル法律違反、軽犯罪法違反、道路交通法違反等で、戦後最高を記録した前年を更に上回る475件、690人を検挙した。最近5年間の右翼事件の検挙状況は、表6-1のとおりである。

表6-1 右翼事件の検挙状況(昭和54~58年)

4 「民主連合政府」の樹立を目指す日本共産党

(1) 不振に終わった58年選挙
 日本共産党は、昭和58年の一連の選挙を「国の根本問題を争う選挙」と位置付け、同党の最大の眼目として取り組んだ。
 4月の統一地方選では、県議選での全選挙区立候補方針等で臨んだが、福岡県知事選で日本社会党との統一候補の当選をみたものの、県議選では37議席を減らした。
 6月の参院選では、初の比例代表選挙において、得票416万票(前回全国区比9万票増)、得票率8.95%(同1.67%増)で、2議席増やして5議席を獲得した。しかし、選挙区選挙では得票486万票(前回地方区比179万票減)、得票率10.52%(同1.21%減)に終わり、改選の2議席を維持したにとどまった。
 7月には、年内にも解散、総選挙があり得るとして、「総選挙準備・機関紙拡大・党建設大運動」を開始し、必要な諸準備を選挙期間までに達成することを目指した。また、9、10月を「総選挙準備・機関紙拡大月間」に、さらに、11月以降を「総選挙躍進大運動」にそれぞれ設定して取り組んだ。
 「12月18日総選挙」がほぼ確実、となった11月には、総選挙に臨んでの共産党の「訴え」、「十大重点政策」、「非同盟・中立・自衛」政策を発表し、また、「大韓航空機撃墜事件」(9月)、「ラングーン爆弾テロ事件」(10月)及び「共産党リンチ事件」をとらえた同党に対する批判が、選挙に影響しないよう、「赤旗」号外等での反論、宣伝を強めた。
 総選挙では、革新共同も含め、得票544万票(前回比50万票減)、得票率9.58%(同0.49%減)、27議席(同2議席減)と、票、率、議席ともに後退した。
(2) 革命党としての体質の強化を目指す思想建設
 日本共産党は、参院選比例代表選挙での15道県における減票、同選選挙区選挙での大幅減票等をとらえ、党員の党活動への未結集、党勢拡大運動への不参加等の問題が依然解決されていないとし、当面の重要課題として党員の間で率直な自己批判、相互批判を行い、思想建設を進めることを強調した。
 「前衛」8月号は、不破委員長と上田副委員長の「反省」論文を掲載し注目されたが、論文発表の趣旨は、思想建設の立場から「最高幹部としての模範を示す」ことにあったとしている。また、共産党は、小田実氏らを中心とする「日本はこれでいいのか市民連合」等の「無党派グループ」との統一戦線問題について、安易な妥協は認めないとし、この面での党内のイデオロギー活動の弱さを厳しく指摘した。
(3) 「自主独立」を強調した国際連帯活動
 日本共産党は、「大韓航空機撃墜事件」や「ラングーン爆弾テロ事件」といった社会主義のイメージ低下となる事件が発生したため、これが同党にとってマイナスとならないよう、こうした事件に対する批判と、「自主独立」イメージの強化に重点を置いた活動を進めた。
 また、ソ連に対しては、論文「日本共産党とブレジネフ時代のソ連」や、「反核・平和」問題に関してソ連共産党とやりとりした書簡等で批判を強めた。
 中国共産党との関係については、2月、張香山中日友好協会副会長が槙枝総評議長との会談で、「日本共産党が中国共産党に不当な干渉をしている現状の下では、両党関係の問題は解決しない」と発言したと伝えられたのに対し、日本共産党は無署名論文「干渉主義を正当化する張香山発言について」で批判するなど、正常化の糸口すら見い出せない状態で推移した。
 このほか、日本共産党は、イタリア、ノルウェーの共産党の大会、キューバの革命記念式典に代表を派遣し、また、スペイン、メキシコ、ベトナム、デンマーク、コーゴスラビアの各国共産党の代表団を招くなどして交流を深めた。

5 レーガン米大統領来日時の警護、警備

 レーガン米大統領は、国賓として11月9日来日し、天皇陛下との会見、2回にわたる首脳会談、国会での演説、日の出山荘訪問等の日程を終了して、12日、次の訪問国である韓国に向け離日した。

(1) 来日反対行動
 左翼諸勢力は、大統領の来日を、「60年アイゼンハワー来日に比すべき決定的重大な事態」、「『日・米・韓三国安保』の強化を図るもの」(極左暴力集団)、「日米軍事同盟体制を一層固めるもの」(日本共産党)等ととらえ、一方、右翼の一部は、「YP(ヤルタ・ポツダム)体制打倒」を掲げ、反対した。両勢力は、来日前の11月6日から離日当日までの7日間で、25都道府県にわたり、延べ3万5,200人を動員しての集会、デモ、街頭宣伝等の反対行動を繰り広げた。
 特に、極左暴力集団は、東京を中心に17都道府県57箇所で、約9,500人を動員して激しい反対闘争を展開したほか、11月1日から8日までの間、5件の「ゲリラ」事件を引き起こした。

(2) 警察措置
 本警備については、大統領一行の身辺の絶対安全確保を警備基本方針として警察の総力を結集して対処した。
 警察庁においては、都道府県警察に対する指導、連絡調整、さらに、外務省等関係省庁及び米側警護担当者との連絡、情報交換等の諸対策を推進した。
 また、都道府県警察においては、事前の警備諸対策を推進するとともに、重要防護対象の警戒警備、極左暴力集団等による集会、デモ等の警備等に当たった。特に、本警備を直接担当した警視庁では、来日期間中、延べ9万人の警察官を動員して、身辺警護、空港、迎賓館、行先地、沿道等の警戒警備に当たり、公務執行妨害等の違法行為を敢行した極左暴力集団等26人を検挙した。

6 多様な形で取り組まれた大衆行動

 左翼諸勢力等による大衆行動には、全国で延べ約571万7,000人(うち、極左系約28万1,000人)が動員された。
 こうした大衆行動に伴って各種の違法行為が発生し、建造物侵入、公務執行妨害等で387人を検挙した。
(1) 「成田闘争」
 極左暴力集団等は、「成田闘争」を「80年代中期階級決戦を切り開く突破口」等と位置付け、昭和58年は、「パイプライン供用開始(8月8日)阻止」、「二期着工阻止」を主要な闘争課題とし、成田現地に延べ約9万4,000人(うち、5回の主要な闘争に延べ1万2,000人余り)を動員して集会、デモを繰り広げた。
 千葉県警察では、空港警備隊を中心として空港の警戒警備を常時実施するとともに、「3.27成田現地闘争」等全国動員による反対闘争が取り組まれた際には、全国の管区機動隊等の応援を得て警戒警備に当たった。また、関係都道府県警察においても、成田での警備と連動して、航空保安施設等関係重要防護対象に対する警戒警備に当たった。
(2) 「反戦・基地闘争」
 防衛力強化に反対する諸勢力は、日米共同実動訓練及び指揮所訓練、自衛隊統合、転地演習等に反対して各地で基地闘争に取り組んだ。この「基地闘争」では、全国で延べ約31万7,000人が動員された。これらの闘争に伴い14件の違法事案が発生し、公務執行妨害、道路交通法違反等で31人を検挙した。
 一方、「反戦・平和闘争」では、「4.28闘争」、「5.15闘争」、「6.23闘争」、「10.21闘争」等の各記念日闘争を中心とした集会、デモ等が行われ、これらの闘争に伴い5件の違法事案が発生し、公安条例違反等で6人を検挙した。
 また、米原子力空母の2度の佐世保寄港(3月「エンタープライズ」、10月「カール・ビンソン」)をめぐって、現地闘争等が取り組まれたが、2度の闘争ともそれぞれ約1万人の動員にとどまった。この2度の寄港反対闘争に伴い7件の違法事案が発生し、傷害、公務執行妨害等で10人を検挙した。
(3) 「原発闘争」
 昭和58年も原子力発電所の建設に対する反対闘争が取り組まれた。58年には、原子力発電所の建設に伴う公開ヒアリングが、柏崎・刈羽(新潟)、島根(島根)、泊(北海道)で開催され、このうち島根では、反対派が初めて「第2次公開ヒアリング」に参加した。公開ヒアリングに反対する左翼諸勢力等は、延べ約3,500人を動員して集会、デモ等を行った。これらの闘争に伴い7件の違法事案が発生し、傷害、暴行等で11人を検挙した。
(4) 「ロッキード裁判闘争」
 昭和58年は、「ロッキード丸紅ルート」関係被告人に対する求刑(1月26日)と判決(10月12日)があったことから、この二つの時点を中心に「ロッキード裁判闘争」が取り組まれた。この闘争では、「ロッキード疑獄徹底糾明」、「反金権、政治倫理確立」等を掲げ、集会、デモ、街頭宣伝行動、ビラ配布、署名行動等の大衆行動が行われ、特に、「10.12判決」当日には、全国342箇所に約16万8,000人が動員された。

7 厳しい経済情勢下の労働運動

 昭和58年の春闘は、長引く不況、雇用環境の悪化等厳しい経済情勢下で雇用、賃上げを争点に統一地方選を挟んで行われた。国民春闘共闘会議は、2月中旬から5月下旬にかけて7次にわたる闘争集中期間を設定し、1兆円減税と7%の賃上げを要求して、中央行動を含む全国統一行動を実施した。しかし、春闘最大の山場として設定された第4次統一行動期間(4月12~18日)では、闘争の中心となった私鉄総連大手組合が、一部を除き、ストライキなしで妥結し、公労協も交渉重視の戦術を採りストライキを中止したため、春闘は2年連続「交通統一スト」なしで終わった。
 秋期年末闘争では、総評は、減税、人事院勧告・仲裁裁定の完全実施、「政治倫理」確立を重点課題に、9月下旬から11月中旬にかけて5次にわたる統一行動を実施した。こうしたなかで、公務員共闘加盟の自治労、日教組等が「人歓の完全実施」を要求して2波にわたる違法ストを行った。
 58年には、労働争議や労働組合間の対立等をめぐって125件の労働事件が発生し、傷害、威力業務妨害等で120件、289人を検挙した。最近5年間の労働事件の検挙状況は、表6-2のとおりである。

表6-2 労働事件の検挙状況(昭和54~58年)

 これらの労働事件の主な内容をみると、官公労組関係では、日教組、自治労等の公務員労組が依然として違法ストを繰り返したほか、郵政、国鉄等公共企業体等における労使対立及び労組間の組織対立をめぐる違法事案に対して15件、19人を検挙した。このうち、国鉄において国労組合員が当局管理者に傷害を負わせた事案においては5件、8人を検挙した。
 民間労組関係では、運輸一般、全自交、全国一般、全港湾の4単産による違法事案が大きな割合を占めている。また、反戦系労働者の関係した事案に対しては27件、86人を検挙した。

8 警衛、警護

 警察は、天皇皇后両陛下及び皇族方の御身辺の安全確保のために警衛を実施している。また、首相、国賓等内外の要人の安全確保のために警護を実施している。特に、警衛に当たっては、皇室と国民との間の親和を妨げることのないよう努めている。
(1) 警衛
 天皇陛下は、全国植樹祭(5月、石川)、国民体育大会秋季大会(10月、群馬)及び地方事情御視察等に行幸された。また、天皇皇后両陛下は、栃木、神奈川、静岡各県の御用邸へ行幸啓された。
 皇太子同妃両殿下は、献血運動推進全国大会(7月、沖縄)、高等学校総合体育大会(8月、愛知)、全国育樹祭(10月、富山)等全国各地へ行啓されたほか、国際親善のため外国(3月、タンザニア等)を御訪問された。
 警察は、これに伴う警衛を実施して御身辺の安全の確保と歓送迎者等による雑踏事故の防止を図った。
(2) 警護
ア 政府、政党要人等の警護
 中曽根首相は、韓国(1月)、アメリカ(1月)、東南アジア諸国・ブルネイ(4月)を訪問し、主要国首脳会議(5月)に出席した。これに伴い、警察は、首相出発時の極左暴力集団、右翼等の反対行動等に対処するとともに、警護員を関係諸国に派遣し、各国の関係機関と連絡協力を行い、身辺の安全を確保した。
 また、中曽根首相の筑波研究学園都市の視察、広島平和祈念式典出席や参院選、総選挙に伴う全国遊説の際の警護をはじめ、政党要人の政経文化パーティーへの出席、各種の地方遊説に伴う警護を実施して身辺の安全を確保した。
イ 国賓等の警護
 国際交流の活発化を反映して、国賓として、ムバラク・エジプト大統領(4月)、レーガン米大統領(11月)、公賓として、コール・ドイツ連邦共和国首相(10月)、胡燿邦中国共産党総書記(11月)等厳重な警護を必要とする外国要人の来日が相次いだ。
 警察は、国際礼譲を尊重しながら、これらの外国要人に対する警護を実施し、身辺の安全を確保した。


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