第1章 治安情勢の概況

1 主な社会事象の推移

 昭和56年は、東西両陣営の緊張の高まりと世界的な経済不況のなかで、国内外ともに先行きの不透明感が一層増した年であった。
 国際情勢は、レーガン政権が、ソ連の軍事力強化に対抗して、「力による平和」政策を打ち出し、新たな冷戦時代の幕開けともいわれる厳しい米ソ関係を中心に展開した。前年から世界の注目を集めていたポーランド問題は、ソ連の直接的な軍事介入はなかったものの、ヤルゼルスキ軍事政権による非常事態宣言によって自主管理労組「連帯」の活動はざ折した。西欧では、ソ連の中距離ミサイルの増強、NATO軍への戦域核配備問題、レーガン大統領の欧州限定核戦争発言等により核戦争への不安が高まり、各国で反核・平和運動が盛り上がりをみせた。また、経済不振下で行われた各国の選挙では与党の敗退が目立ち、フランス、ギリシャに左派政権が誕生した。中東情勢は、イラン国内の混乱、こう着化したイラン・イラク戦争、サダト・エジプト大統領の暗殺等により一段と混迷の度を深めた。朝鮮半島では、韓国から南北対話再開に関する新たな提案がなされたが、北朝鮮が強く拒否したため局面は打開されず、南北間の厳しい緊張が続いた。
 世界経済は、第2次石油危機の影響から脱却することができず、日本以外の西側主要国ではインフレーションの高進と失業者の増加に悩んだ。
 国内では、行政改革の推進を図るため第2臨調が設けられ、その第1次答申に基づく行革特例法が臨時国会において成立した。また、防衛力増強問題やライシャワー元駐日米大使の核持込み発言等により、国会内外で安保・防衛論議が高まった。
 国内経済は、個人消費や民間設備投資の停滞等内需不振から景気の回復が遅れた。一方、輸出はおおむね好調に推移したものの、欧米各国との貿易不均衡が拡大したため貿易摩擦問題が深刻化した。
 また、北陸地方を中心に昭和38年以来の大きな被害をもたらした豪雪、93人の犠牲者を出した北炭夕張新炭鉱のガス突出事故、女性銀行員のオンライン利用多額詐欺事件等が注目を集めた。

2 治安情勢の推移

 昭和56年は、刑法犯少年と触法少年(刑法)を合わせた人員は、戦後最高を記録し、全刑法犯の検挙人員(触法少年(刑法)の人員を含む。)の52%を占め、極めて憂慮される事態となった。内容的には、万引き、乗物盗等の初発型非行が多発し、非行の低年齢化、一般化の傾向が顕著となるとともに、校内暴力事件等の急増にみられるように凶悪化、粗暴化の傾向が一段と強まった。
 全刑法犯の認知件数は戦後3番目で、昭和25年以降の最高を記録した。内容的には、金融機関対象強盗事件、通り魔事件、コンピュータ犯罪、国際犯罪等の新しい形態の犯罪が多発し、社会の関心を集めた。暴力団犯罪は、対立抗争事件が減少した反面、暴力団員による銃器発砲事件は大幅に増加しており、武装化が進んでいることをうかがわせた。また、贈収賄事件では、公共工事をめぐるものが多発し、収賄側から積極的にわいろを要求するものが増加した。
 覚せい剤事犯は依然として増加を続け、その乱用は少年をはじめ一般市民層にまで深く浸透しつつある。また、覚せい剤乱用者による殺人、放火等の凶悪な事件が多発した。
 警備情勢では、極左暴力集団が「成田闘争」を中心に「ゲリラ」事件を繰り返したほか、凶悪な内ゲバ事件を引き起こした。また、日本赤軍は、海外から武装闘争路線の堅持を明らかにした。日本共産党は、党員と「赤旗」読者の拡大に力を注ぐとともに、ソ連共産党批判を強め、「自主独立」イメージの強化に努めたが、党勢回復の兆しはみえなかった。右翼は、政府、与党に対する批判抗議活動や左翼勢力との対決活動を活発化し、不法事案を多発させた。
 交通事故死者数は、10年ぶりに増加した前年をわずかに下回った。また、暴走族は、大規模ない集走行は減少したが、構成員数が史上最高となり、その勢力は更に拡大した。

3 警察事象の特徴的傾向

(1) 極めて憂慮される少年非行
 少年非行は、戦後第3の波が更に続き、極めて憂慮される状況となった。昭和56年に警察が補導した刑法犯少年は、戦後最高を記録した前年を更に上回り、補導人員は約18万5,000人に上り、全刑法犯検挙人員の44.2%を占めた。加えて、触法少年(刑法)も著しく増加し、この結果、触法少年(刑法)を含めた補導人員は約25万3,000人に上り、全刑法犯(触法少年(刑法)の人員を含む。)の検挙人員の52%を占めるに至った。特に、万引き、乗物盗等の初発型非行が多発し、過去10年間で2.7倍となり、刑法犯少年の61%を占め、少年非行増加の最大の要因となっている。非行の特徴は、非行の低年齢化、一般化であり、また、少年による通り魔事件、校内暴力事件等の凶悪性、粗暴性の強い非行の増加が目立った。
(2) 社会問題化した覚せい剤の乱用
 昭和56年の覚せい剤事犯の検挙人員は約2万2,000人に上り、前年に比べ10.6%増加した。覚せい剤の乱用は、一般市民層にまで浸透する傾向が強くなっており、特に、少年による覚せい剤事犯の増加は著しく、56年に検挙された少年は約2,600人で全検挙者の11.7%に当たり、前年に比べ26.8%増加した。また、覚せい剤乱用者による殺人、放火等の凶悪な犯罪や交通事故が多発し、覚せい剤の乱用は一層深刻な社会問題となった。
(3) 多発した新しい形態の犯罪
 昭和56年は、窃盗犯の認知件数が戦後最高となったことにより、全刑法犯の認知件数も、約146万3,000件に上り、昭和23、24年に次いで戦後3番目となった。犯罪の特徴的傾向としては、都市化の進展、交通手段の発達、科学技術の普及等を背景として、金融機関対象強盗事件が過去最高の発生となったのをはじめ、通り魔事件、CD犯罪等コンピュータ犯罪、国際犯罪等の新しい形態の犯罪が多発するなど、犯罪の悪質化、巧妙化が一層進んだ。
(4) 新たな段階を迎えた暴力団情勢
 昭和30年代から、山口組、稲川会をはじめとする大規模広域暴力団による寡占化の傾向が強まっていたが、7月に我が国最大の広域暴力団山口組の組長が死亡したことにより新たな段階を迎えた。山口組は表面的には平穏を装っていたが、跡目相続をめぐる内紛や他団体との抗争の兆しもみられた。
(5) 漸増を続ける交通事故発生件数
 昭和56年の交通事故の発生件数は約48万6,000件で、死者は8,719人、負傷者は約60万7,000人であった。死者は、前年に比べ41人減少したが、発生件数、負傷者数とも53年以降一貫して漸増を続けており、事故発生の諸要因が根強いことをうかがわせた。
(6) 依然、活発に展開されるスパイ活動
 我が国に対するスパイ活動は、激動する国際情勢を反映して、依然、活発に展開されている。なかでも、北朝鮮による我が国に対するスパイ活動や我が国を中継基地とした韓国に対するスパイ活動が活発化しており、昭和56年には「日向事件」等3件を検挙し、その巧妙かつ悪質な活動実態を明らかにした。
(7) 勢力を拡大した暴走族
 暴走族は、警察の強力な取締りと関係機関等の活発な活動により、そのい集走行回数は減少したが、勢力はむしろ拡大し、グループ数、構成員数ともに前年を上回るとともに、対立抗争事案や一般車両に対する襲撃事案を多発させるなど、依然として大きな社会問題であった。

4 治安情勢の展望と当面の課題

 国際情勢は、米ソの厳しい対立を背景に、核配備をめぐるヨーロッパ情勢、サダト亡き後の中東情勢、依然危機をはらむポーランド情勢等波乱要因が多く、不安定な状態で推移するものとみられる。世界経済は、西側主要国の深刻なスタグフレーション、70年代後半から不振が続くソ連・東欧経済、石油需要の減少によりかげりを見せ始めた産油国経済等の動向によっては、一層困難な局面を迎える可能性がある。
 国内では、夏に予定されている臨調の基本答申によって行政改革をめぐる論議が本格化するものとみられるほか、引き続き、防衛問題、行財政問題、減税問題等をめぐる与野党の国会内外での攻防が予想される。また、景気は楽観できない状況にあり、貿易摩擦、財政硬直化、内需不振等の問題の成り行きによっては、より厳しい事態となることも考えられる。
 少年非行については、その原因が多岐にわたっている上、社会全体のひずみに根ざしていることも多く、今後も、低年齢化、一般化の傾向は続くものとみられる。内容的には、初発型非行のほか、校内暴力や暴走族による非行、シンナー等薬物乱用や性非行等が多発するおそれがある。
 覚せい剤事犯については、暴力団が覚せい剤の密輸、密売にますます介入を強めていること、覚せい剤の密造が海外で行われているため供給の根源を絶つことが容易でないこと等から、覚せい剤の乱用が更に拡大していくことが懸念される。また、乱用者による凶悪な犯罪が多発するおそれがある。
 犯罪情勢については、金融機関対象強盗事件、コンピュータ犯罪、国際犯罪等の新しい形態の犯罪が引き続き増加することが予想される。暴力団情勢では、山口組等の広域暴力団が、首領の世代交代期にあるため、後継者争いに絡んだ対立抗争事件が多発するおそれがある。知能犯では、公共投資の伸び悩みによる建設業者の過当競争を背景とした贈収賄事件の多発や、その他の知能犯罪の一層の多様化、巧妙化が懸念される。
 警備情勢では、極左暴力集団は、「成田闘争」、「原発闘争」、「反戦・基地闘争」等を当面の重要課題として取り組むなかで、組織の非公然化、軍事化を進展させ、「テロ」、「ゲリラ」本格化への動きを強めるものとみられ、凶悪な内ゲバ事件の発生も予想される。日本赤軍は、「80年代における日本革命」に向けて、国内外の組織の拡大強化を企図した宣伝活動に力を注ぐとともに、「テロ」作戦に出るおそれがある。また、我が国に対するスパイ活動は、東西両陣営の厳しい対立を反映して、活発に展開されるものとみられる。日本共産党は、次期国政選挙に勝利し、「民主連合政府」構想を軌道に乗せ直すために、党勢拡大に全党を挙げて取り組むものとみられる。また、右翼は、憲法問題、北方領土問題、防衛問題等に関して活発な活動を展開するとみられ、左翼勢力や政党要人に対する違法事案を行うおそれがある。
 交通情勢については、ここ数年来の交通事故発生件数の漸増傾向には根強いものがあり、今後も自動車交通の肥大化が続くものとみられることから、状況が急激に好転することは期待できず、引き続き厳しい状況のなかで推移するものとみられる。また、交通の円滑の確保、交通公害の防止についての国民の要望もますます強くなると考えられる。
 このような治安情勢に対処するため、警察としては、当面、次のような施策を重点として推進することとしている。
(1) 少年非行防止のための総合対策の推進
 悪化する少年非行に歯止めをかけるため、警察は、関係機関、関係団体と緊密に連携し、少年補導活動、少年相談活動、非行集団の解体補導活動、有害環境の浄化活動等の幅広い対策を一層強化するとともに、家庭、学校、地域社会と一体となって、少年の規範意識の啓発、不良交友関係の解消、総合的な有害環境の浄化等少年非行の諸要因を解消するための施策を積極的に推進する。
 また、少年非行の根本的な解決のため、国民の一人一人が、当事者意識を持って幅広く参加できるような国民的な運動を盛り上げ、少年の非行防止と健全育成を図る。
(2) 覚せい剤対策の強化
 増加を続ける覚せい剤事犯に対処するため、昭和56年6月、「覚せい剤・麻薬事犯広域捜査要綱」を策定し、これに基づき、覚せい剤密輸入事犯の水際検挙と密輸、密売組織の壊滅に向けた広域的組織捜査を推進する。また、覚せい剤の乱用は、本人の身体や精神をむしばむだけでなく、社会に大きな害悪を流すものであることを周知徹底し、覚せい剤乱用を拒絶する社会環境作りに努める。
(3) 犯罪情勢の変化等に対応した捜査活動の推進
 犯罪情勢の変化、捜査を取り巻く環境の悪化等に対応するため、昭和55年10月に策定した「刑事警察強化総合対策要綱」に基づき、指紋自動識別システムの導入等刑事警察強化のための諸施策を推進する。
 当面の課題としては、コンピュータ犯罪に対しては、法律上、実務上の諸問題と対応策の研究、専門捜査官の養成に取り組み、金融機関対象強盗事件、通り魔事件等に対しては、効果的な現場検挙方策を講ずるなど、多発する新しい形態の犯罪に対応した諸施策を推進する。
(4) 山口組に対する徹底的な取締りと総会屋対策の推進
 後継者問題により不安定な状況にある広域暴力団山口組の取締りに最重点を置き、壊滅的な打撃を与えて、同組織の分断、解体を図る。このため、全国警察が連携して反復、継続した取締りを行い、首領、幹部等の検挙、隔離を推進するとともに、地域住民の暴力排除の気運の盛り上げを図る。
 また、昭和57年10月、総会屋の排除を規定した改正商法が施行されるが、総会屋の動向を監視し、企業に対する指導を強めるとともに、違法行為に対しては検挙活動を徹底する。
(5) 交通事故抑止対策ときめ細かい運転免許行政の推進
 自動車交通の肥大化が続き、事故発生の諸要因が一層増大する状況下で、交通事故を抑止するには、これを上回る努力が必要である。このため、昭和56年度から始まった第3次交通安全施設等整備事業五箇年計画を更に推進して、交通環境の改善を図るとともに、体系的な交通安全教育の充実、重点的な交通指導取締りを推進する。
 また、国民皆免許時代にふさわしい運転免許行政を実現するため、運転免許証の即日交付、更新事務の日曜日窓口の開設等の措置により国民の負担の軽減に努めるとともに、更新時講習について、無事故無違反者に対する簡素な講習の実施、特別学級の編成等の運営改善を図り、受講者に応じたきめ細かな講習を行う。
(6) 極左暴力集団による違法事案の未然防止と徹底検挙の推進
 極左暴力集団による内ゲバ事件、爆弾事件等の悪質な「テロ」事件、空港施設、官公庁等に対する放火、襲撃事件等の悪質な「ゲリラ」事件を未然に防止するため、極左暴力集団の動向を的確に把握し、分析するとともに、適切な警戒措置をとるよう努める。また、事件が発生した場合には徹底した捜査を進めて、その根絶を図る。
(7) スパイ活動の実態把握と検挙の推進
 スパイ活動は、国家機関が介在して組織的、計画的に行われ、極めて潜在性が強いので、視察体制を一層強化してスパイの実態把握に努めるとともに、現行法令を積極的に活用してその検挙を図る。


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