第8章 公安の維持

1 主要国首脳会議警備

(1) 主要国首脳会議反対動向
 極左暴力集団は、6月28、29日の両日、東京・迎賓館で開催された主要国首脳会議及びこれに先立つカーター・アメリカ大統領の国賓訪問に対する反対闘争を80年代決戦の最大の前しょう戦であると位置付け、6月23日から30日までの間、東京を中心に4都道府26箇所で約6,000人を動員して集会、デモ等の反対活動を展開し、公安条例違反等の違法行為を繰り返した。この間「6.23首都高速道路上車両炎上事件」、「6.28ホテル・ニューオータニ内時限式可燃物発火事件」等7件のゲリラ事件を敢行し、これに先立つ6月7日から22日までの間に発生した「6.8迎賓館前火炎車突入未遂事件」、「6.19大磯町西湘バイパス上車両炎上事件」等6件と合わせて、主要国首脳会議に向けた「ゲリラ」事件は総計13件に上った。
 また、右翼の一部も「ヤルタ・ポツダム体制強化につながるサミット粉砕」等を訴えて、この間延べ19団体、138人が車両17台を動員して街頭宣伝活動を行った。他方、在日朝鮮人総聯合会等も「カーター訪韓絶対反対」等を掲げ、全国で約1万4,500人を動員して集会、デモ等に取り組んだ。
(2) 警察措置
 警察は、カー夕ー・アメリカ大統領の国賓訪問及び続いて開催された主要国首脳会議に対し、首脳等の身辺の絶対安全と会議の平穏、円滑な開催の確保を基本方針に、総力を結集して警備に当たった。この間、警視庁は応援を含む最高時約2万6,000人の体制で首脳等の身辺警護、集会、デモ警備、重要防護対象警備等を実施し、皇宮警察、千葉、神奈川、静岡、京都の各府県警察も応援を含む最高動員体制で本警備に臨んだ。その他の道府県警察においても長期にわたり全国いっせい検問、都県境検問、重要防護対象警戒等を実施して、極左暴力集団等による違法行為の防止に全力を傾注した。
 このようにして反対勢力の不穏動向をほぼ完全に防止し、警備の目的を達成することができた。
 また、首都高速道路や都心の一般道路で大規模な交通規制を行ったが、目立った渋滞、混乱はなかった。
 この一連の警備に従事した警察官は、全国で延べ約41万2,000人に上った。

2 「テロ」、「ゲリラ」本格化への指向を強める極左暴力集団

(1) 極左暴力集団の動向
 極左暴力集団の勢力は、昭和49年以来全国で約3万5,000人と横ばいのまま推移している。
 こうしたなかで極左暴力集団は、前年に続いて爆弾事件や内ゲバ殺人事件を引き起こしたのをはじめ、主要国首脳会議に対する反対闘争及び「成田闘争」では、時限式発火装置を付けた可燃物による放火事件、改造自動車放火暴走事件、航空ケーブル切断事件、警察施設放火事件等の悪質な「ゲリラ」事件を多発させ、また、「狭山闘争」では、東京検察合同庁舎に火炎を放射するという悪質、特異な事件を敢行するなど、「テロ」、「ゲリラ」本格化への指向を強めていることが注目された。
(2) 中心的闘争課題となった「成田闘争」
 極左暴力集団は、「成田闘争」を昭和54年の中心的闘争課題に掲げ、全国動員による5回の現地闘争を含め、延べ約10万人を現地に動員して集会、デモを繰り広げ、火炎びん等を使用した42件の「ゲリラ」事件を敢行するとともに、気球浮揚等による飛行妨害事案を多発させた。

 特に、7月、反対派農民に対する政府の「対話呼び掛け」が行われたのを契機に、反対同盟が「第二期工事阻止」に向け連月連日闘争の方針を打ち出したことにより、極左暴力集団は、「10.21闘争」を初めて全国動員による成田現地闘争として取り組むとともに、「無制限ゲリラ」を呼号して、「9.7新東京国際空港侵入事件」等空港関係施設、警察施設等に対する悪質な「ゲリラ」事件を多発させた。
(3) 爆弾事件の動向
 最近5年間の極左暴力集団による爆弾事件の発生件数の推移は、図8-1のとおりで、昭和54年は、「第2ハザマビル工事事務所爆弾事件」(10月、東

図8-1 極左暴力集団による爆弾事件発生件数の推移(昭和50~54年)



京)等4件が発生した。このうち3件は、犯行後報道機関に送られた声明文等から、エル・サルヴァドル等における日本海外進出企業に対する現地ゲリラ攻撃に呼応し、国内の関連企業を攻撃対象として敢行されていることが明らかとなった。
 これに対して警察は、1月24日、京都で発生した「新町会館爆弾事件」の被疑者1人を検挙した。
(4) 減少した内ゲバ事件
 極左暴力集団の内ゲバ事件は、昭和45年から54年末までに、1,569件発生し、死傷者は、3,392人(うち、殺人事件57件、死者70人)を数えているが、最近5年間の発生状況は、図8-2のとおりである。

図8-2 内ゲバ事件発生状況の推移(昭和50~54年)

 54年の内ゲバ事件は、全国で22件、死者8人、負傷者32人であり、前年(発生32件、死者7人、負傷者45人)に比べ件数、負傷者は減少したが、死者は1人増加した。
 54年の内ゲバ事件をセクト別に分析すると、図8-3のとおりで、極左暴力集団相互間が19件(86.4%)と大部分を占め、そのなかで革マル派対中核派が9件(40.9%)、革マル派対革労協が6件(27.3%)と、この3セクトで全体の3分の2以上を占めている。また、発生場所でみると、22件のうち5件が大学構内で発生した。

図8-3 内ゲバ事件のセクト別発生状況(昭和54年)

 54年の内ゲバ事件も、中核派による「津市内内ゲバ殺人事件」(5月、三重)や革マル派による東京、神奈川の革労協アジト3箇所に対する同時内ゲバ事件(11月)にみられるように、多くは事前の綿密な調査活動を踏まえて、巧妙な攻撃を加えるという極めて計画的な犯行であった。
 警察は、こうした内ゲバ事件に対して全力を挙げて警戒態勢をとるとともに、関係機関や市民への協力を呼び掛けて事件の未然防止に努めた。
 また、事件の発生に際しては、捜査を強力に進め、54年には、13件52人を検挙した。

(5) 国内各層に連帯を呼び掛けた日本赤軍
 日本赤軍は、国内の支援、同調グループの拡大を企図して、「ロッド空港事件7周年声明」(5月10日付け)や「ダッカ事件2周年声明」(10月3日付け)を発表するなど、国内各層に対する働き掛けを強めた。
 また、国内の支援、同調グループの組織体制も次第に整ってきていることがうかがわれた。

3 長期停滞に歯止めをかけた日本共産党

(1) 党勢は横ばいのなかで総選挙で議席を倍増
 日本共産党は、大きく立ち遅れている「民主連合政府」構想を早期に軌道に乗せ直す足掛かりをつかむことを最重点に、党勢拡大を進めながら統一地方選挙と総選挙闘争に全党を挙げて取り組んだ。
 党勢拡大の面では、6、7月の2箇月にわたり設定した「総選挙勝利をめざす躍進月間」を、党員の拡大を重点に進めた結果、この間4万4,000人の党員を拡大したと発表したが、現実には多くの不活動党員を抱え、また、機関紙については拡大の一方で減紙が続出するなど成果をみなかった。11月の「全国都道府県・地区委員長会議」で宮本委員長は、党員の現勢は41万4,000人であると初めて党員数を発表したが、「赤旗」の購読部数は第14回党大会時(公表320万部)から、かなり後退していると述べるにとどまった。
 選挙闘争の面では、統一地方選挙で、候補者を大幅に絞るなど「当選第一主義」の戦術をとった結果、東京都、大阪府の両知事選挙では敗北したが、県議選挙では得票数、得票率ともに前回より大幅に減少させながらも30議席を増やしたのをはじめ、各種地方議員選挙で245議席を増やした。
 次いで総選挙では、56の選挙区を「必勝区」として、これに全国的応援体制を強化するなど「当選第一主義」の戦術を一段と徹底させたことが奏効し、得票面でみれば、得票数600万票前後、得票率10%前後という昭和47年の総選挙以来の厚い壁を突破できないといぅ停滞状況にもかかわらず、議席は改正前の19議席(革新共同2を含む。)から41議席(革新共同2を含む。)に伸長した。
 日本共産党は、総選挙直後に第9回中央委員会総会を開催して、総選挙の「躍進」面を強調した上で、第15回党大会を55年1月15日から熱海市の伊豆学習会館で開催することを決定するとともに、55年の参議院選挙あるいは次期総選挙での勝利を期して、「どんな攻撃にもたえうる組織的陣地を築く」ため党大会に向けて「公約実践・政策普及・党勢拡大」月間を設定することを決定した。
 しかし、総選挙で成果を上げた県党組織では「一服状態」がみられ、また、得票面で後退した県党組織を中心に「気落ち」や「失望感」が広がるなど「月間」への取り組みが大きく遅れるという状態が顕著にみられた。
 このようななかで日本共産党は、12月の第11回中央委員会総会で「党大会の準備期間に年末年始がはさまれるため、大会諸議案の全党討議が十分できないのでそれを時間的に保障する」、「党大会をめざす諸課題を確実に遂行する」との理由で党大会を2月下旬に延期するという異例の決定を行った。
(2) 「民主集中制」と「田口問題」
 日本共産党は昭和53年の「袴田問題」に続いて、「民主集中制」の緩和を主張する「田口問題」に直面した。
 すなわち、田口富久治名古屋大学教授は、社会主義体制下で「支配政党」の圧倒的な権力に対する抑制機能を担保し、国民の自由をいかに保障するかという問題意識から、「多元的社会主義」を主張し、また、「前衛党」の組織原則たる「民主集中制」を根本的に批判し、併せて日本共産党の現在の組織体質や「宮本体制」下の官僚主義的な党運営をも批判した。
 これら一連の「田口理論」は、従来から「宮本路線」に対して理論面からあるいは実践面から疑問を抱いていた学者、学生党員を中心に、党内に同調者の輪を広げるに至った。
 これに対して党中央は、「前衛」1月号に木破書記局長の長文の論文「科学的社会主義か『多元主義』か」を掲載して、「田口理論」は、「階級闘争を忘れた牧歌的な社会主義論である」等ときめ付け、また、第6回中央委員会総会でも宮本委員長が初めて田口教授を名指しで批判するなど、「分散主義」に対する党中央の厳しい態度を明らかにした。
 しかし、この問題は、党中央に対する不信、不満を持つ下部党員、学者党員の高い関心を呼び、また、マスコミ等も注視するところとなったため、党中央はにわかにこれに対する強硬な措置をとり得ない立場に追い込まれた。このため党中央は、「前衛」9月号にあえて田口教授の「不破論文」への反論「多元主義的社会主義と前衛党組織論」を掲載することに踏み切り、これによって、「田口問題」は党史上初めての党内民主主義をめぐる公然論争となった。また、この論争は、「宮本路線」の矛盾を党の内外にクローズアップさせることとなった。
 日本共産党は、以上のような状況のなかにあって、1月の独習指定文献の改訂では、引き続きマルクス・レーニン主義の基本文献及び「敵の出方」論に立つ暴力革命の方針や「プロレタリア独裁」の方針を明示し、党綱領と一体をなす宮本委員長の「日本革命の展望」等によって全党員を教育するとの方針を再確認して、党の革命的体質の強化に努めた。

(3) 国際連帯活動
 日ソ両共産党は、数次にわたる予備会談を重ね、曲折はありながらも最大の懸案であった「志賀問題」でソ連側が譲歩したことから、12月、官本委員長を団長とする日本共産党代表団が訪ソし、ブレジネフ書記長をはじめソ連共産党首脳と3回にわたる会談を行い、共同声明に調印、昭和39年以来15年ぶりに両党関係の正常化が実現した。
 両党会談では、北方領土問題に関しては何らの成果も上げることができず、また、共同声明で各国共産党の自主独立の立場や民族自決権の承認を確認した直後にソ連によるアフガニスタンに対する軍事介入問題が発生するなど、むしろ日本共産党の立場を苦しくさせた。
 他方、中国との関係では、中国が日米安保条約、自衛隊支持を表明していることから、綱領の基本路線として「安保廃棄、自衛隊解散」を明記する日本共産党との関係は悪化の一途をたどり、特に、日ソ両党の共同声明では、ベトナムに対する「武力による国境侵入は、明白な覇権主義行為であり、社会主義とは無縁なもの」と、名指しこそ避けたが中国を非難したことから、日中両共産党間の対立は深まった。
 また、北朝鮮との関係では、ベトナム・カンボジア問題に関して北朝鮮が日本共産党とは反対の中国寄りの立場をとり、このようななかで日本共産党は「前衛」9月号の不破書記局長論文「日本共産党の国際路線について」で、暗に北朝鮮を批判する見解を発表した。

4 多様化する大衆行動

 左翼諸勢力等は、「成田闘争」、主要国首脳会議に対する反対闘争をはじめ、原子力発電所、火力発電所建設反対闘争等の「公害闘争」、「基地・自衛隊闘争」、「狭山闘争」等多様な形で大衆行動を展開した。
 昭和54年の大衆行動には、全国で延べ約486万6,000人(うち、極左系約30万1,000人)が動員された。
 こうした大衆行動に伴って各種の違法行為がみられ、公務執行妨害、建造物侵入、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反等で583人を検挙した。
(1) 「成田闘争」
 昭和54年7月、政府の「対話呼び掛け」に対し、反対同盟が連月連日闘争の方針を打ち出したことにより、極左暴力集団等は、5回にわたり全国動員規模の現地闘争に取り組むとともに、空港周辺で気球、照明弾、風船等を揚げて飛行妨害をねらったほか、全国7都府県で42件の「ゲリラ」事件を敢行した。
 千葉県警察では、空港警備隊を中心として恒常的に空港の警戒警備を実施するとともに、「3.25成田現地闘争」等の全国動員による反対闘争が取り組まれた際には、全国の管区機動隊等の応援を得て空港等の警戒警備に当たった。また、関係都道府県警察においても成田での警備と連動して航空保安施設等の関係重要防護対象の警備等の警戒警備に当たった。
 これらの警備において、極左暴力集団等35人を公務執行妨害、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律違反等で検挙した。
 なお、これらの闘争に伴い警察官18人が負傷したほか、5月20日空港南側上空を飛行警戒中の警察ヘリコプターに反対派が浮揚させたとみられる気球のロープが巻きつき、空港滑走路南端に緊急着陸し、機体の一部が損壊する事案が発生した。
(2) 「公害闘争」
 「公害闘争」では、原子力発電所等の建設現場における実力阻止闘争をはじめ、公聴会等に対する妨害事案、賛否両派の対立による暴力事案等が日立ち、特に、アメリカのスリーマイル・アイランド原子力発電所事故を契機として我が国でも原子力発電所の安全性を見直そうとする機運が高まり、各地で運転、建設中止を求める闘争がみられた。
 これらの闘争で26件の違法事案が発生し、関係都道府県警察では傷害、公務執行妨害等で99人を検挙した。
(3) 「狭山闘争」等
 部落解放同盟、極左暴力集団等は延べ約7万8,000人を動員して「狭山闘争」に取り組んだが、特に、「10.31狭山闘争」の前段である10月27日に東京検察合同庁舎横路上で火炎を放射し、窓ガラス等を破壊する「ゲリラ」事件を敢行したほか、10月31日には、部落解放同盟等23人が東京高等裁判所に不法侵入した。
 関係都府県警察ではこれらの違法事案に対し、極左暴力集団等87人を公務執行妨害、建造物侵入等で検挙した。
 一方、部落解放同盟等の部落解放運動関係団体による各種の「行政闘争」やこれらの組織間の対立抗争等に伴い7件の違法事案が発生した。
 関係府県警察ではこれらの違法事案に対し、傷害、建造物侵入等で24人を検挙した。
(4) 「反戦・平和運動、基地闘争」
 昭和54年も「4.28闘争」、「5.15闘争」、「6.23闘争」、「10.21闘争」等の各記念日闘争を節とする集会、デモ等の「反戦・平和運動」が展開された。
 特に、例年最大の柱となっている「10.21闘争」では全国で約10万3,000人が動員されたが、53年の「有事立法問題」のような緊急の闘争課題がなかったことなどから前年を約13万1,000人下回った。
 関係都道府県警察では、これらの記念日闘争における違法事案に対し、公務執行妨害、公安条例違反等で26人を検挙した。
 一方、「基地闘争」では、米軍、自衛隊の実弾射撃演習、自衛隊観閲式等に対する反対闘争を中心に全国で延べ約11万2,000人が動員されたが、これらの闘争で4件の違法事案が発生した。
 関係都道府県警察ではこれらの違法事案に対し、傷害、公務執行妨害等で6人を検挙した。

5 不安定な経済情勢下の労働運動

 昭和54年の春闘は、深刻化している雇用情勢の下で、統一地方選挙をはさんで行われた。
 国民春闘共闘会議は、54年春闘に当たって、賃上げ要求と雇用確保を重点とする要求の実現を目指して2月中旬から5月中旬までの間に、6次にわたる「全国集中行動期間」を設定した。この間、3月段階では、国労と動労が「ローカル線廃止反対」等で違法ストライキを実施し、4月段階では、私鉄総連、公労協、公務員共闘が、賃金決着を目指して「72時間の統一ストライキ」を構え、4月25日のおおむね午前中「統一ストライキ」を実施した。このため、私鉄、国鉄のダイヤが乱れるなど国民生活は大きな影響を受けた。
 秋季年末闘争では、総評は総選挙闘争に最重点を置き、物価値上げ反対や雇用確保、定年延長等の要求の実現を目指して、集会、デモ、請願等を実施した。この間、自治労は「賃金確定」等の問題で各地において違法ストライキを繰り返し、また、国鉄千葉動力車労組が「ジェト燃料増送反対」等で違法ストライキを実施した。
 このようななかで、54年には労働紛争議や労働組合間の対立等をめぐって369件の労働事件が発生し、警察では、図8-4のとおり暴行、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反等で372件、780人を検挙した。これらの労働事件の特徴を労組別にみると、日教組、自治労等の公務員労

図8-4 労働争議等に伴う不正事案検挙状況(昭和50~54年)

組では「主任制撤廃」、「賃金引き上げ、合理化反対」等を掲げて、短時間ではあったが、全国統一あるいは府県独自で違法ストライキをしばしば行った。
 また、このような違法ストライキ等に伴い、多くの違法事案が発生した。
〔事例1〕 4月、自治労広島県職組は、早朝2時間ストを実施したが、このストに際し、広島県庁前にピケを張り、職員の登庁を実力で阻止するという行動を展開したため、2人を威力業務妨害、不退去で現行犯逮捕した(広島)。
〔事例2〕 7月、新潟県地公労共闘が「退職手当条例案」の県議会上程を阻止しようと県議会委員会室に乱入したため、威力業務妨害、建造物侵入で現行犯逮捕9人を含め104人を検挙した(新潟)。
 次に、全逓、国労等公共企業体等の労組では、労働組合間の組織対立をめぐり違法事案が多発した。郵政関係では、前年からの全逓の「マル生反対闘争」が尾を引き、労使対立及び全逓、全郵政の組織対立をめぐる集団暴行事案が39件発生し、傷害、暴行等で51件74人を検挙した。
〔事例〕 国労と鉄労、全動労間の組織対立による「国鉄一関駅事件」が発生し、約6箇月の長期捜査の結果、通常逮捕1人を含む5件7人を検挙した(岩手)。
 また、民間における労働事件は、前年に比べやや増加し、運輸、出版印刷、マスコミ関係労組による違法事案が多発した。
〔事例〕 7月、時事通信労働組合員等約20人が、団交を要求して役員室入口とびらを破壊して乱入した上、取締役3人を連れ出して地下の会議室に監禁し、傷害を負わせた事件に対し、通常逮捕5人を含め16人を検挙した(警視庁)。
 さらに、反戦系労働者が介入する労働争議は、いずれも長期泥沼化の傾向を示しており、本年も、その過程で77件の違法事案が発生し、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、逮捕監禁等で39件83人を検挙した。

6 反体制の姿勢を一段と強めた右翼の活動

 昭和54年における右翼運動の特徴は、「反体制、国家革新」の姿勢を一層強めたことである。右翼は、厳しい内外情勢に刺激され、「日本は今や国の存亡にかかる未曾有の危機に差し掛かった」として「反体制、国家革新」を目指す動きを一層強め、とりわけ本流右翼等は、「戦後体制の打倒」に向けて各団体相互の連帯を強めるとともに、体制の整備を積極的に行った。こうしたなかで5月25日、大東塾塾長が自決したことは、「命を捨てて国に殉ずる」という本流右翼の真髄を示したものと受け止められ、右翼陣営全体に大きな衝撃を与えた。また、「三島事件」9周年に当たる11月25日、右翼、民族派は、全国各地で昨年を上回る人員が参加して各種行事を開催したが、これらのなかで「もはや記念行事を行う段階ではない。行動による三島精神の継承こそが現下の急務である」などと訴える声が多く聞かれた。
 このほかにみられた特徴的動向としては、第1に、元号法制化運動を活発に展開したことである。右翼、民族派諸団体は、「元号法制化実現国民会議」に結集するなどして元号に対する国民世論の高揚に努める一方、政府及び各政党に対する要請活動を活発に展開した。とりわけ日本青年協議会等は、2月、元号法案が国会に上程されて以降「元号法制化100日間闘争」を打ち出し、政府及び国会議員に対する要請活動、街頭宣伝ビラ配布等を積極的に行った。一方、行動性の強い右翼は、元号法案の国会審議中、連日、早期成立を訴えて国会周辺を中心に街頭宣伝を行うとともに、元号反対勢力に対する抗議活動を行った。
 第2には、北方領土、国防問題等で政府、与党に対する抗議、要請活動を強めたことである。右翼は、北方領土におけるソ連の軍事基地建設等の動きに強く刺激され、「日本はソ連から直接侵攻される危険にさらされている」として、政府の外交姿勢や国防問題に対する態度を厳しく批判し、対ソ強硬外交、自主国防体制の確立、有事立法の制定等を要求して活発な抗議、要請活動を展開した。さらに、右翼は、総選挙後の自民党の内紛等政局の混迷に危機感を強め、大平首相の退陣を要求するとともに政府、与党に対する激しい抗議活動を展開した。
 第3には、左翼勢力等との対決活動を強めたことである。右翼は、日本共産党の選挙闘争やソ連共産党との関係修復の動きに刺激され、各地における日本共産党の行事等に対する対決活動を活発に行った。また、4月の統一地方選挙では、左翼勢力に対する批判活動を活発に行い、その過程で「日本共産党宮本委員長殺人未遂事件」(3月)、「新宿駅東口広場集団暴力事件」(4月)等を引き起こした。さらに、日教組に対しては、教育研究全国集会(1月、茨城)や定期大会(7月、福岡)で、いずれも前年を上回る大量動員を行って激しい反対活動を行い事件を多発させた。一方、共産圏諸国との関係では、ソ連に対して、北方領土におけるソ連軍事基地強化に反対して全国各地で激しい抗議活動を行い、これらの過程で「ソ連大使館発煙筒投てき事件」(2月)等が発生した。また、中国に対しては、鄧小平副首相(2月)、谷牧副首相(9月)、「中日友好の船」代表団(5~6月)等の来日に際し、「日本赤化工作の一環である」、「日中友好はソ連の対日強硬外交を一層強める」などとして活発な反対活動を行った。
 なお、右翼、民族派団体は、54年に新たに80組織(約1,700人)が結成されたが、これらのほとんどは既存組織の離合集散や名称の変更にすぎず、全体の勢力は、約650団体、約12万人と、前年に比べてほぼ横ばいの状態であった。
 警察は、これらの右翼の活動に対し、違法にわたるおそれのあるものに対しては、警告、制止等の措置を積極的に講じて、違法事案の未然防止に努めるとともに、違法事案に対しては早期検挙の方針をもって臨み、その結果、

表8-1 右翼事件の検挙状況(昭和45~54年)

表8-1のとおり54年に殺人未遂、公務執行妨害、傷害、暴行、威力業務妨害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反等で164件、364人を検挙した。

7 スパイ活動等外事犯罪の取締り

 我が国に対して行われる諸外国からのスパイ活動や非公然工作活動は、我が国の国際的地位の向上とともに活発に展開されている。また、激動する国際情勢を反映して、我が国以外の国に対するスパイ活動が我が国を舞台として活発化してきている。
 我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的位置関係から、ソ連、中国、北朝鮮を中心とする共産圏諸国からのものが多くみられる。とりわけ北朝鮮の場合、日韓両国の緊密な交流関係や約65万人の在日朝鮮人の存在を背景に、我が国に対するスパイ活動や我が国を中継基地とした韓国に対するスパイ活動及び非公然工作活動が活発で、昭和25年6月の第一次北朝鮮スパイ団事件以来、54年までに37件60名に上る北朝鮮関係スパイを検挙している。
 スパイ活動等を行う工作員は、外交官、特派員、貿易商、技師等といった身分を隠れみのにして合法的に入国するものと、夜陰に乗じて沿岸などからひそかに潜入して活動するものなどがある。さらに、これらのスパイは、金銭欲、異性関係、親族関係等の個人的弱点を巧みに利用して外国人のほか日本人を手先に仕立てる例が多い。これらの手先となった者は、スパイ活動であることを知りながら積極的に加担するものや、無意識に利用されているものもある。本来スパイ活動は、国家機関が介在して組織的、計画的に行われるため極めて潜在性が強く、その実態は握は困難なものとなっている。加えて、我が国には直接スパイ活動を取り締まる法規がないことから、我が国でスパイとして検挙されるのは、スパイ活動の過程で現行刑罰法令に触れる行為を行った場合であり、これらが検挙されて顕在化するのは、正に氷山の一角にすぎない。
 これまでに検挙した事例では、出入国管理令や外国人登録法に違反したケ

ースが多い。54年には、共産圏諸国からのスパイの検挙はなかったが、日常の警察活動のなかで、出入国管理令や外国人登録法による外国人検挙の事例は多い。まず、出入国管理令違反検挙件数についてみると、502件となっており、国籍別では、地理的条件を反映して韓国及び北朝鮮が多く、全体の30.5%を占めている。違反態様別では、旅券等の不携帯、呈示拒否が50.8%、密入国が20.1%を占めている。密入国者は、韓国、台湾、タイ等から日本にいる親類や知人を頼って来た求職目当てのものが大半であるが、なかには、54年5月警視庁に検挙された「中華民国国防部情報局」派遣の諜報工作員許培哲(55)のようにスパイ活動を行うため密入国して来る者もあった。次に、外国人登録法の違反検挙件数は、7,603件となっており、国籍別にみると、韓国及び北朝鮮がその登録人員の多いこともあって圧倒的に多く、全体の88.8%を占めている。違反態様別では、登録証明書の不携帯が最も多く45.4%を占め、次いで、登録証明書の切替え不申請27.6%、登録不申請7.9%の順となっている。
 過去10年間に警察が検挙、送致した出入国管理令及び外国人登録法違反事件の状況は、表8-2のとおりである。

表8-2 出入国管理令、外国人登録法違反事件送致件数(昭和45~54年)

8 警衛、警護等

 警察は、天皇及び皇族に対しては警衛を実施し御身辺の安全確保に当たるとともに、その際国民一般との融和を妨げることのないよう努めている。また、首相、国賓等内外の要人に対しては警護を実施している。
 天皇、皇后両陛下は、全国植樹祭(5月、愛知)、国民体育大会秋季大会(10月、天皇陛下のみ、宮崎)、地方事情御視察(12月、奈良)のほか栃木県及び静岡県の御用邸へ行幸啓、皇太子、同妃両殿下は、ヨーロッパ4箇国御訪問をはじめ、国内においても全国各地へ行啓になった。
 警察は、所要の警察官を動員して、これらに伴う警衛を実施するとともに、皇太子、同妃両殿下のヨーロッパ4箇国御訪問に当たっては、関係諸国に係官を派遣し、各国の関係機関と連絡協力を行い御身辺の安全を確保した。
 また、大平首相は、日米首脳会談(5月、ワシントン)、国連貿易開発会議第5回総会(5月、マニラ)及び中国(12月、北京、西安)との親善のため関係諸国を訪問したが、警察は、首相出発時の極左暴力集団、右翼等の反

表8-3 主要警衛、警護実施事例(昭和54年)

対行動に対処するとともに、警護員を関係諸国に派遣し、各国の関係機関と連絡協力を行い、身辺の安全を確保した。
 さらに、最近における国際交流の活発化及び主要国首脳会議の東京開催に伴って、カーター・アメリカ大統領夫妻(6月)等厳重な警護を要する国賓、公賓の来日が相次いだ。また、各種の国際会議が開催され、多数の外国要人が来日したが、警察は、国際礼讓に配意しながら警護を実施し身辺の安全を確保した。
 このほか、警察は、国会、首相官邸、外国公館、空港等の重要な施設に対する警戒、警備を行い、「テロ」、「ゲリラ」等の未然防止に努めた。


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