第1章 治安情勢の概況

1 主な社会事象の推移

 昭和53年は、激動する国際政治を背景として、不確実、不安定な世相を映した停滞と模索の年であった。
 米中関係では、12月の国交正常化に関する合意の発表など、両国の接近が顕著となった。一方、中ソの対立関係は続き、また、米ソ関係は、ソ連のアフリカ進出、SALTⅡ交渉の進展等にみられるように、「競争と協調」の関係が続いた。西欧では、一部の国で政治的、社会的に不安定な動きもみられた。アジアにおいては、インドシナ半島で共産諸国間に険悪な情勢が続いたほか、イランでは反政府運動が高まった。また、中東和平に関するキャンプデービッド三国首脳会談では合意文書が採択された。
 世界経済は、アメリカと西欧、日本との間の景気回復格差はやや縮小したが、緩慢な成長を示すにとどまった。OPEC諸国の経常収支黒字は顕著に減少したものの、主要先進国間の経常収支には依然として不均衡がみられた。また、ドル不安等国際通貨市場も揺れ動いた。このようななかで、7月にボンで主要国首脳会議が開かれ、世界経済の困難を打開するための「総合的な戦略」が合意されたほか、11月にはアメリカが本格的なドル防衛策を打ち出した。
 以上のような国際情勢の下で、日中平和友好条約が締結されたほか、鄧小平中国副首相をはじめとする各国首脳の来日も目立った。一方、与野党伯仲の国会では、日韓大陸だな問題、有事立法問題等が議論された。また、11月の自民党総裁公選予備選挙を経て大平総裁か選出され、12月7日には大平内閣が発足した。野党の動きとしては、袴田前共産党副委員長の除名が発表されたほか、社会民主連合の結成もあった。京都府、横浜市、沖縄県などでは新人の首長が誕生した。
 国内経済は、円高の影響で輸出は減少したが、公共投資や民間設備投資の拡大など国内需要を中心に緩やかな景気回復傾向が続いた。企業の減量経営のあおり等で雇用情勢は依然として厳しく、また、企業倒産も目立った。一方、物価は落ち着いた動きを示した。
 伊豆大島近海の地震、宮城県沖地震などで大きな被害が発生し、また、夏には猛暑と水不足が目立った。プロ野球にまつわる話題も多かったが、少年の自殺やサラ金被害などの問題もあった。3月26日の極左暴力集団による管制塔乱入事件を経て5月20日には新東京国際空港が開港した。また、7月30日には沖縄県で交通方法の変更が行われた。さらに、夏以降関西を中心に暴力団抗争が激化し、世の指弾を受けた。エル・サルバドルでの日系会社役員の誘かい事件の発生も目を引いた。

2 警察事象の特徴的傾向

(1) 戦後最高となった非行少年の人口比
 昭和53年に警察が補導した刑法犯少年は、13万6,801人で、前年に比べ1万7,602人(14.8%)増と戦後最高の増加を示した。また、刑法犯少年の人口比(同年齢層の人口1,000人当たりの補導人員をいう。)は14.1人となり、戦後最高を記録した。なかでも、遊び型非行の代表といわれる万引き、乗物盗等の激増、40年以来減少を続けてきた凶悪犯の増加が目立ったほか、シンナー等乱用事犯も再び増加に転じたのが注目された。
 また、非行に走りやすい家出についてみると、53年に発見保護した家出少年は、5万8,375人で前年に比べ2,990人(5.4%)の増加であった。特に、家出女子少年は3万937人と男子を上回り、過去10年間の最高であった。
(2) 浮き彫りにされた暴力団の凶悪性、反社会性
 昭和53年7月11日、京都市内で発生した我が国最大の広域暴力団山口組組長そ撃事件は、山口組の松田組に対する執ような報復攻撃を誘発し、松田組側に死者7人、負傷者2人が出た。銭湯やクラブ、白昼の路上でのけん銃発砲等によって一般市民が巻き添えにされるなど、この一連の対立抗争は市民に大きな不安を与えた。
 このほか、暴力団の内紛からバラバラ殺人という猟奇的事件が発生したこともあって、国民の暴力団問題に対する関心はかつてないほど高まり、暴力団の凶悪性、反社会性が改めて浮き彫りにされた。
(3) 弱者をねらう凶悪犯罪の多発
 昭和53年の刑法犯認知件数は、前年に比べ5.4%増の133万6,922件で、5年連続して増加し、40年以来13年ぶりに130万件台に達した。
 刑法犯の特徴としては、身の代金目的誘かい事件、独り住まいの老人、女性等の独居者被害の強盗、殺人事件等弱者をねらう凶悪犯罪が目立ったことが挙げられる。また、金融機関を対象とする強盗事件も激増した。
 知能犯では、主婦等が被害を被る広域詐欺事件や公共事業をめぐる贈収賄事件が目立っている。
(4) 覚せい剤乱用者の増加と薬理作用による犯罪等の多発
 覚せい剤の乱用者は、昭和45年以降ほぼ一貫して増加を続け、53年には1万7,740人が検挙された。53年までの10年間に延べ約7万5,000人が検挙されているが、毎年、検挙者の7割以上が覚せい剤事犯による検挙歴のない新たな使用者で占められており、警察による一貫した厳しい取締りにもかかわらず、依然として、検挙人員をはるかに上回る多数の潜在的覚せい剤乱用者がいることがうかがわれる。
 また、覚せい剤を使用すると、使用直後の急性中毒や長期間の使用による慢性中毒が発生し、さらに、後遺症として長期間残る精神分裂病様の症状等が発生することがある。このため、いわゆる動機不明の殺人、悲惨な交通事故等が多発しているが、これらの覚せい剤の薬理作用等による事件、事故の発生件数は、53年には1,304件に上った。
(5) わずかな減少にとどまった交通事故死者数
 自動車保有台数及び運転免許保有者数が、昭和53年末にはそれぞれ3,500万台、3,900万人を超えるなどモータリゼーションが引き続き進展するなかで、53年の交通事故死者数は8,783人と8年連続して減少し、過去最高であった45年の交通事故死者数を半減させるという第2次交通安全基本計画の目標に更に近づいた。しかし、減少率については、52年の8.1%を下回る1.8%にとどまり、交通事故発生件数自体は、逆にわずかながら増加した。
 53年の死亡事故の特徴としては、依然として都道府県間、都市間の事故発生率の較差が著しいこと、歩行者と自転車利用者のいわゆる交通弱者が全死者数の45.8%と高率であること、大型自動車の左折時の死亡事故、女性の原付利用者、自転車利用者の死亡事故が大幅に増加したこと、酒酔い運転、無免許運転、スピード違反のいわゆる交通三悪による死亡事故が全体の約3割を占め、依然として高率であることなどが挙げられる。
(6) 「成田闘争」をめぐる悪質な「ゲリラ」事件の多発
 極左暴力集団等は、最大の闘争課題として取り組んだ「成田闘争」において、過激な行動を繰り広げるとともに、空港関連施設等に対し、前年を大幅に上回る121件の「ゲリラ」事件を敢行した。
 とりわけ、3月30日の開港日を目前にした「3.26開港阻止闘争」では、極左暴力集団が前部を鉄板等で装甲した改造トラックや荷台に積載した大量の火炎びんを炎上させた火炎自動車を使用して空港構内に侵入し、さらに、別働隊が管制塔に乱入して機器類を破壊し、そのため開港が一時延期された。
 また、極左暴力集団は、火炎びん使用事件をはじめ、時限発火装置を付けた火炎びんによる放火事件、火炎自動車突入事件、北総浄水場農薬投入事件等悪質な手口の「ゲリラ」事件を続発させたが、なかでも北総浄水場農薬投入事件は、多数の市民の生命を危険に陥れた無差別「ゲリラ」事件であった。
(7) 沖縄県の交通方法変更
 沖縄県の交通方法が、昭和53年7月30日を期して、従来の「車は右、人は左」から、本土と同一の「車は左、人は右」に変更された。沖縄県では、47年5月の本土復帰にもかかわらず、交通方法だけが従来どおりとされていたものであり、本土との交流がますます増大するなかで、本土と異なる交通方法を 採ることは、交通事故等の危険性を高めるものとして、交通方法変更は早くから懸案とされていた。今回の交通方法変更により、国内の交通方法が統一されるとともに、沖縄と本土の一体化が更に促進されることとなった。

3 治安情勢の展望と当面の課題

(1) 治安情勢の展望
 当面の国際情勢は、米中新時代を背景とした米中ソ三極関係の今後の展開が注目される。インドシナ情勢が重大な局面を迎えることも予想されるほか、朝鮮半島の今後の行方についても予断は許されない。また、中東情勢も波乱含みで推移するものとみられるが、イランの政情不安も懸念される。世界経済は、雇用の改善が可能な程度のインフレなき経済成長に向けて、各国で諸施策が講じられるものとみられるが、世界経済全体としての成長はなお緩やかで、失業も高水準で推移することが見込まれる。また、OPECによる年平均10%程度の原油値上げが予想されており、これが国際通貨情勢や景気回復に影響を与えることが懸念される。
 国内では、4月の統一地方選挙や解散含みの情勢を背景に、雇用問題、元号法制化問題等について与野党の攻防が予想される。また、内需の拡大を中心に物価安定基調を維持した経済成長が目指されるものとみられるが、経済情勢は、厳しい国際貿易環境、困難な財政事情等で先行き楽観は許されない。
 以上のような情勢を背景に、治安的にも国民各層における不安感の拡大、価値観の多様化のなかで、不平、不満のうっ積が様々な警察事象となって現れることが憂慮される。
 警備情勢については、まず、極左暴力集団の動向が注目される。極左暴力集団は、組織の非公然化、軍事化を更に進展させ、引き続き「テロ」、「ゲリラ」本格化への動きを強めるものとみられ、当面は、「主要国首脳会議粉砕闘争」と新東京国際空港の第二期工事に向けた「成田闘争」の激化が予想される。また、一部のグループでは爆弾事件を敢行する危険性も依然として高い。内ゲバは、関係セクトの最高幹部等に対する攻撃を中心に、引き続き発生するものと思われる。「日本赤軍」は、増強した勢力を基に再び凶悪事件を引き起こすおそれがあり、また、国内の「日本赤軍」関係者を中心に日本革命に向けての基盤作りを進めるものと思われる。次に、日本共産党は、綱領等で定められた基本方針を堅持し、「民主集中制」の徹底、学習教育活動の強化、党生活の確立等を柱に党立て直しを図り、樹立の時期を80年代に繰り延べた「民主連合政府」構想を早期に実現するための諸活動を全力を挙げて推進するものと思われる。また、労働運動は、厳しい経済情勢を背景にその動向が注目される。一方、右翼は、「国家革新」を目途にした諸準備を本格化させ、また、情勢の推移にますます危機感を強めて「テロ」等の直接行動に走るおそれがある。
 犯罪情勢については、刑法犯認知件数が窃盗を中心に5年連続して増加しており、今後の推移が注目される。また、誘かい事件、人質事件、金融機関対象の強盗事件等市民生活を脅かす悪質、凶悪な事件が多発するおそれがある。暴力団については、資金源のひっ迫、広域暴力団の組織統制力の弱化等により、企業社会への寄生、海外への進出等資金獲得活動の多様化が進む一方、武装化を伴う悪質な対立抗争事件の発生が予想される。知能犯、経済事犯も巧妙化、大型化していくとみられるほか、国際交流の活発化に伴い、各種の国際犯罪も増加することが予想される。
 少年問題については、非行増加の背景となっている規範意識の希薄化や少年を取り巻く社会環境の悪化等が更に進み、万引き等に代表される遊び型非行が引き続き増加することが予想される。また、中・高校生による校内暴力の集団化や暴走族による不法行為の粗暴化も懸念される。女子少年については、性モラルの低下による性非行が増加し、また、刑法犯少年全体に占める割合も20%を超えるものと思われる。このほか、シンナー、覚せい剤等の薬物乱用のまん延、家出や自殺の増加等憂慮すべき状況が予想される。
 交通情勢については、運転免許保有者数が今後も増加を続け、昭和54年には4,000万人を突破するものと予想され、正に国民皆免許時代を迎えつつある。交通事故は、減少の傾向にあるというものの、地域によっては依然として事故率の高いところが存在し、また、歩行者、自転車利用者等のいわゆる交通弱者の事故の多発が憂慮され、今後の状況は予断を許さないものがある。一方、交通渋滞や騒音等による生活環境の侵害は、都市周辺部や地方へ更に拡散していくものと懸念される。こうした情勢を背景として、交通警察に対する国民の要求も安全で効率的な走行環境の確保、安全で静穏な生活環境の保全に加え、良識とより良いマナーに支えられた交通秩序の確立を求めるなど多様化していくものと考えられる。
(2) 当面の課題
ア 少年非行の未然防止
 昭和53年には非行少年の人口比が戦後最高となったところであり、警察としては、専門的補導体制、学校等の関係機関との連絡体制等の充実強化を図るとともに、広報等による国民の非行防止意識の高揚、補導活動の強化や学校との連携強化による生徒非行の防止、有害環境に対する実態は握と指導取締りの徹底による有害環境の浄化等の諸施策を中心に、より総合的な少年の非行防止活動を全国的に推進するなど、国民とともに歩む少年警察活動を推進することとしている。
 特に54年は国際児童年でもあり、関係各省庁に働き掛けたことによって、新たに7月に「青少年を非行からまもる全国強調月間」が設定されており、その盛り上げを図る必要がある。
イ 暴力団対策の強化
 警察の反覆継続した取締りにもかかわらず、山口組をはじめ広域暴力団の勢力は依然として根強いものがあり、その資金獲得活動も極めて多様化してきている。このため警察では、昭和53年においては、山口組、稲川会等に対する特別集中取締りを中心に強力な取締りを推進し、それぞれの組織の中枢部に相当な打撃を与えてきた。
 今後は、この成果を踏まえた追撃的取締りを更に徹底していくとともに、こうした警察の取締りと併せて、関係行政機関との連携を密にし、暴力団員の早期かつ長期の隔離、出所後の更生対策及び不法所得に対する課税措置の推進、更には民間諸団体等国民各層の協力を得て、暴力団を社会的に孤立化させていくための諸活動を推進することが必要である。
ウ 国民の期待にこたえる積極的犯罪捜査の推進
 昭和53年は、刑法犯認知件数が5年連続して増加し、その内容も対象、手段を選ばない悪質な凶悪事件が多発するという厳しい情勢にある上、捜査活動がますます困難化している状況がみられる。
 このような状況に対処し、国民の期待にこたえるためには、機動捜査隊の増強、緊急配備体制の整備、特殊事件捜査体制の強化、コンピューターの活用による捜査情報の処理等犯罪情勢の変化に対応した効率的な捜査活動を積極的に展開し、事件の早期解決を図るなど、今後の厳しい犯罪情勢の克服に努める必要がある。
エ 覚せい剤対策の強化
 覚せい剤対策の基本は、その供給と需要の両面からこれを断つことである。具体的には、覚せい剤の供給地となっている関係各国との捜査協力、麻薬捜査犬の活用等による水際監視、厳しい刑事処分の実現の促進による「覚せい剤に手を出すことは割に合わない。」という状況作り等を引き続き推進していく必要がある。
 また、覚せい剤の有害性を広く国民に訴えるとともに、中毒者の家族等からの相談電話の設置、覚せい剤を乱用する運転者に対する行政処分の強化、注射器販売方法の改善措置の促進、関係行政機関による治療対策の促進等を図ることが必要である。さらに今後は、専門捜査官体制等の充実を図り、深刻な麻薬禍に悩む欧米の後を追うことにならないよう努める必要がある。
オ くるま社会における新しい交通秩序の確立
 今後も引き続き交通事故の減少傾向を定着させるとともに、安全で効率的な走行環境の確保と安全で静穏な生活環境の保全の調和の上に立つ新たな交通秩序を確立するため、次の諸施策を推進する必要がある。
 まず、社会に対する責任を果たす思いやりのある運転者の育成のための運転者教育を充実させるとともに、危険運転者の排除と優良運転者の賞揚等のきめ細かな運転者管理を行い、併せて企業における安全運転管理体制を強化するなど運転者対策の一層の充実を図る。
 次に、交通実態に即した合理的な交通規制基本計画を策定するとともに、生活ゾーン規制、交差点対策等を軸とした都市総合交通規制の拡充を図る。
 また、歩行者や自転車利用者に対する保護誘導活動を強力に推進する一方、悪質な違反の重点的取締り、過積載、過労運転等における使用者等の背後責任の追及を強化する。
カ 極左暴力集団による「テロ」、「ゲリラ」事件の未然防止
 極左暴力集団による爆弾、ハイジャック事件等悪質な「テロ」事件及び「成田闘争」等を通じて全国各地で敢行されている「ゲリラ」事件は、国民の日常生活に大きな不安を与えるとともに、善良な市民を直接事件に巻き込み、大惨事を引き起こす場合も少なくない。
 警察は、こうした悪質な「テロ」、「ゲリラ」事件の未然防止を図るため、平素から極左暴力集団の諸動向を的確には握、分析して事件の防圧に努め、平穏な国民生活の確保に全力を挙げているが、今後も事前の警戒態勢を強化するなど引き続き必要な警戒態勢をとり、事件の未然防止に努めなければならない。
キ 大規模災害対策の確立
 過密化、複雑化の進んでいる我が国の都市は、突発的な大災害が発生した場合にじん大な人的、物的被害が予想され、また、最近、東海地震発生の可能性が指摘されている折からその対策はますます重要なものになっている。
 警察は、このような大規模災害に対処するため、危険箇所、避難場所等の実態は握、大規模災害警備計画の再検討、災害警備訓練の実施、災害装備資器材の整備充実、防災関係機関との緊密な連携等大規模災害対策の充実強化に努めることとしている。
 また、昭和54年は、東海地域を中心とした広域的な大災害警備訓練を実施することとしている。


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