第8章 災害、事故と警察活動

1 災害警備活動

(1) 災害警備活動の概況
 我が国は、台風、大雨、地震等の自然現象による災害が多い。過去においては、大正12年の関東大震災による史上最大の死者・行方不明者約14万人、昭和34年の伊勢湾台風による死者・行方不明者5,041人のような大型災害が発生しており、ここ10年間についても、自然災害によって、2,706人が死亡し、263人が行方不明となっている。
 我が国は、地理的、気象的条件によって風水害が多いほか、世界有数の地震国である。地震が多いのは、環太平洋地震帯が日本列島に沿って走っているためであり、マグニチュード7クラスの地震(49年に28人の死者を出した南伊豆地震クラス)は、年1回、マグニチュード8クラスの地震(関東大地震クラス)は、10年に1回の割合で起きている。
 このように我が国は、自然災害が起こりやすい環境にあるが、近年はそれに加えて、石油コンビナート火災、ガス爆発、地下街火災等の人為災害が増加しており、更に、都市の過密化に伴う避難場所の減少、危険物施設やコンビナートの増加等は、大地震が発生した場合の大型災害発生の危険性を増大させており、災害対策は、国及び地方公共団体にとっても、また、市民にとっても極めて重大な問題となっている。
ア 大災害対策の推進
 警察は、災害の発生に際しては、全警察官を動員し、危険地域の警戒、広報、住民の避難誘導や負傷者、孤立者の救出・救護、被災地の警戒その他多岐にわたる活動を行い、住民の生命、身体、財産の保護に当たっている。
 このような災害警備活動は、組織面についても技術、装備面等についても年々近代化されてきている。すなわち、機動隊には、レインジャー部隊やレスキュー部隊が出来、ビルや川の中洲に取り残された者を救出する技術、アクアラングを使っての水難者の救助等特殊技能を身につけ、災害装備の面でも折り畳み式ボート、投光器、救命索発射器のほか、主要府県警察では、ヘリコプター等も備えるようになった。更に、昭和51年には、警察庁に災害対策官が設置され、広域的な応援体制の確立、消防、自衛隊等他機関との連携の緊密化等の大地震対策及び都市災害対策が推進されている。
イ 住民参加の広域大震災警備訓練
 昭和51年7月14日午前6時30分、東京湾を震源地とする関東大地震規模の地震(マグニチュード7.9、震度6)が発生し、東京都を中心に1都8県にその被害が及んだという想定で、南関東大震災警備訓練が実施された。
 この訓練には、警察庁、関東管区警察局、警視庁、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、山梨、静岡の各都県警察が参加し、参加人員は約5万8,000人に及び、ヘリコプター8機も訓練に参加した。
 各都県警察では、それぞれ激じん被災地を想定して、警察職員の自主参集、住民の避難誘導、機動隊員による救助、交通規制、応急用通信等の訓練を行い、警察庁においても、緊急災害警備本部を設置して、関係都県警察との連絡調整に当たった。
 更に、9月6日には紀州沖の大地震を想定した京阪神地域の訓練が、10月26日には東海沖の大地震を想定した東海地域の訓練が行われ、51年の震災訓練参加者は、警察職員約10万7,000人、住民、学童等約5万2,000人に上った。
 これらの震災訓練は、警察の行った初の広域訓練であり、災害対策上多くの教訓を得たのみならず、各都道府県警察の連携を深める上で大きな意義があった。また、社会的反響も大きく、東京(約2万人)、大阪(約1万人)、千葉(約6,000人)をはじめ各地で予想を上回る住民の参加があり、震災訓練の必要性を訴える声が多かった。殊に、千葉県浦安町においては、町長をはじめ園児、生徒、住民合わせて約5,400人と地域ぐるみの参加をみ、地震発生

のサイレンを合図に学童は机の下に入り、防災袋を背負って避難するなど実際さながらの訓練が行われた。
(2) 自然災害と警察活動
 昭和51年における台風、大雨及び地震による主な災害は、鹿児島地方の梅雨前線豪雨(6月)、伊豆半島東部地震(8月)、台風第17号の影響による大雨(9月)であった。これらによる被害を含め1年間に発生した主な被害は、

死者・行方不明者 242人
負傷者 665人
住宅全(半)壊、流失 4,335むね
床上浸水 110,317むね
床下浸水 397,445むね

 で、年間に合計約12万1,000世帯約41万3,000人が被災した。
 これらの災害に際して、全国で警察官延べ約16万5,000人が出動して災害警備活動に当たった。
ア 梅雨前線豪雨による災害
 梅雨前線の影響で、九州から関東に至る太平洋沿岸一帯は、6月22日から25日まで断続的に雨が降り続き、特に、鹿児島市を中心とした地域では、延べ約400ミリから800ミリの豪雨を記録した。
 この豪雨により鹿児島県下では、火山灰質のシラス土壌特有の山(がけ)崩れが各地で起き、32人が死亡したのをはじめ、24都府県で死者36人、負傷者29人、住宅の全(半)壊、流失84むね等の被害が発生した。これに際し、鹿児島県をはじめ宮崎、大分、熊本等の各県警察は、危険地域の警戒、広報、避難誘導、被災者の救出・救護等の活動を行った。
イ 伊豆半島東部地震
 8月18日午前2時19分、伊豆半島東部の河津町根岸付近の地下約10キロメートルの地点を震源とする直下型地震(マグニチュード5.3、震度3)が発生した。
 この地震による被害は、住宅の半壊3むね、一部損壊61むね、道路損壊2箇所という軽微なものであったが、49年5月の南伊豆地震とともに、駿河湾を震源域とする大地震の前兆ではないかという点で注目された。静岡県警察では、機動隊員等約100人を海路下田港に派遣し、被害実態のは握、幹線道路の交通規制、下田港における観光客の整理等に当たった。
ウ 台風第17号の影響による災害
 台風第17号は、9月13日午後、中心気圧950ミリバール、中心付近の最大風速毎秒60メートルの勢力で、鹿児島県西岸から熊本県天草地方をかすめ、玄海灘に抜けた。この台風の影響により、日本列島南岸沿いに停滞していた秋雨前線が刺激され、8日ごろから13日ごろまで断続的に雨が降り、特に、香川県東部、小豆島や四国山脈を中心とした地域に1,300~1,900ミリ、岐阜から三重にかけての山岳地帯を中心に500~1,100ミリを記録し、これらの地域を中心に、各地で山(がけ)崩れ、河川のはん濫等が発生し、全国45都道府県で、死者・行方不明者167人、負傷者421人という被害が発生した。
 これに際し、警察庁は、8日午後災害警備本部を設置して、被害状況のは握に努め、各都道府県警察は、警察官延べ約13万人を動員して、災害警備活動を行った。
(ア) 香川県
 香川県では、8日から13日にかけて、県内の各地で山(がけ)崩れが発生し、死者50人、負傷者126人等の被害が発生した。香川県警察では、災害の発生に際し、山(がけ)崩れのおそれのある地域の住民に対する避難勧告、無線通信を確保するための臨時無線中継所の設置その他の措置を講ずるとともに、被災者の救出・救護等を行った。特に、被害の大きかった小豆島には、11日の早朝と午後の2回にわたり、海上保安庁に舟艇の支援を依頼して、機動隊員、機動通信班員等約60人を派遣した。これらの救助部隊は、道路が寸断されていたため、海路から順次被災地に入り、地元消防団等と協力して、豪雨と濁流の中、孤立していた住民約6,000人を救助した。
(イ) 岐阜県
 岐阜県では、11日から岐阜市や大垣市周辺の山間部で、河川のはん濫、山(がけ)崩れ等による被害が生じ、更に、12日午前10時30分ごろ安八町におい

て、長良川の堤防が決壊し、安八町、墨俣町のほぼ全域が浸水した。このため、岐阜県下で死者5人、負傷者9人、住宅の全(半)壊58むね、住宅の床上浸水約3万むね、床下浸水約5万むねの被害を生じた。岐阜県警察では、危険箇所の警戒に努め、また、関係機関とともに危険地域の住民に対し、早期に避難の勧告を行った。このため、長良川の決壊という事態があったにもかかわらず、犠牲者を最少限度にとどめることができた。
(ウ) 岡山県
 岡山県では、10日から12日にかけて県東部や西部において大雨が降り、県下で死者18人、負傷者67人の被害が発生した。特に備前地区では、降雨量が900ミリを超え、中小河川のはん濫、山(がけ)崩れ等が起こり、死者6人、負傷者6人、住宅の損壊570むね等の被害を生じた。岡山県警察では、県下で救出・救護、避難誘導その他の災害警備活動を行ったが、特に備前地区に対し、8日未明、機動隊2個小隊を派遣し、隊員は、和気郡日生町地区、備前市麻宇那地区等において、折から激しさを増した豪雨と濁流の中で、身をていして救助活動を行い、11箇所において計334人を救出した。

2 雑踏警備活動

(1) 一般雑踏警備活動の現状
 各地の行事や観光地等への人出は相当の数に上っており、そのほとんどが不特定、多数の人の集合であるため、ちょっとしたきっかけで大きな事故が発生するおそれがある。過去において、昭和31年1月1日、新潟県の弥彦神社の初詣において、帰ろうとする参拝者と神殿へ行こうとする参拝者が階段付近でもみ合いとなり、折り重なって倒れたり転落したりして、死者124人、重軽傷者94人を出す大惨事となった例があるが、警察では、この事故を教訓として、人の混雑が予想される行事や観光地等の規模や性格に応じて、行事の主催者等と十分協議して、必要な事故防止措置を採らせるとともに、必要な警察官を配置して雑踏の整理等事故防止活動に当たっている。
 51年に、雑踏事故を防止するため出動した警察官の数は延べ約70万人に上った。
 なかでも、正月3が日には全国の主要な神社仏閣に初詣に出かけた人は、約6,484万人に達し、警備のため約4万1,000人の警察官が出動した。また、春のゴールデンウィークには全国の主要な行事や観光地等に約4,800万人の人出があり、雑踏事故防止のため約4万4,000人の警察官が出動した。
 最近5年間の雑踏警備実施状況は、表8-1のとおりである。

表8-1 雑踏警備実施状況(昭和47~51年)

 51年に発生した雑踏事故は14件、死者1人、負傷者71人であり、その主なものは次のとおりである。
〔事例1〕 10月、秋祭りの畑天満宮境内で、太鼓台とともに約600人の観客が移動し、同境内の石燈籠がその圧力で倒れ、下敷きとなった幼児が死亡、その母親が負傷した(大阪)。
〔事例2〕 12月、全国自治宝くじの発売に際し、1等1,000万円の当たり券40本という大型宝くじであったことから非常に人気が高く、全国の主要な発売所には、前夜からの徹夜組も含めて多数の購入客が殺到し、特に混雑の激しかった山梨、大阪、福岡の各県の特設売場で14人が重軽傷を負った。このほか、宝くじの購入に際し直接雑踏によるものではないが、徹夜による疲労や貧血、寒さのための高血圧等の病気によって5人が倒れ、うち2人が死亡した。
(2) 公営競技場警備活動の現状
 競輪場、競馬場等の公営競技場は、全国で116箇所あり、昭和51年の公営競技場への入場者数は、延べ約1億3,800万人であった。公営競技場はレースの進展に伴いファンが熱狂的となり、わずかな不手際から大きな紛争事案に発展するおそれがある。
 警察では、通商産業省等の監督官庁を通じ、又は、直接各競技関係者に対して、競技運営の適正化、自主警備の強化、施設の整備等を推進するよう申し入れるとともに、紛争事案の発生に備えて競技開催の都度機動隊員等を配置して警備に当たっている。
 最近5年間の公営競技場警備実施状況は、表8-2のとおりである。

表8-2 公営競技場警備実施状況(昭和47~51年)

 51年に発生した公営競技をめぐる紛争事案は7件で、負傷者2人を出したほか、投石等によって事務所のガラスその他が損壊された。
〔事例〕 5月、函館競輪場において、着順を誤って発表したため、事務所へファン約20人が押し掛け抗議し、更にこれに同調したファン約300人が騒ぎだし、ガラスを壊すなどの不法行為を行った。この間、警告制止中の警察官に暴行した者1人を現行犯逮捕した。約4時間後群衆が解散し騒ぎは治まった(北海道)。

3 水難、山岳遭難の防止と救助活動

(1) 水難
ア 事故発生の概況
 昭和51年の水難事故は、前年に比べ発生件数は132件、死者・行方不明者数は157人減少した。死者・行方不明者数は過去10年間で最も少なかった。
 最近5年間の水難事故発生状況は、表8-3のとおりである。

表8-3 水難事故発生状況(昭和47~51年)

(ア) 夏期の水死者は減少
 水難事故が多発するのは、例年6~8月であり、昭和51年もこの期間だけで年間の約半数に当たる1,424人が水の犠牲者となった。しかし、この期間中における水の犠牲者は、表8-4のとおり年々減少の傾向を示しており、51年は、過去10年間を通じて最も少なかった。

表8-4 水の犠牲者(昭和47~51年)

(イ) 依然として多い幼児の犠牲者
 昭和51年の水の犠牲者を年齢層別にみると、表8-5のとおりで、前年に

表8-5 年齢層別水死者の状況(昭和50、51年)

比べ高校生のほかは減少したが、全犠牲者の約3割が幼児であり、依然として高い率を占めている。
(ウ) 増加した河川での犠牲者
 水の犠牲者の場所別発生状況は、図8-1のとおりで、全体の61.8%が海や河川で発生しており、前年に比べ河川での犠牲者が26人増加した。年齢層別にみると、幼児では用水堀や湖沼池で、小学生以上では海や河川での事故が多い。特に幼児については、保護者等が十分注意していなかったため、1人で危険な場所に近づき、付近で遊んでいるうちに誤っておぼれるケースが多い。

図8-1 水死者の場所別発生状況(昭和51年)

(エ) 増加している魚釣り中の事故
 行為別では、図8-2のとおり水泳中の犠牲者が563人と最も多く、次いで魚釣り中が560人となっている。最近、魚釣り中の犠牲者が増加の傾向にあるが、これは釣りブームに乗って、危険を顧みない愛好家が増え、磯釣り中に高波にさらわれたり、釣り船から転落したり、釣り船が転覆したりして水死するケースが多いためである。

図8-2 水死者の行為別発生状況(昭和51年)

イ 事故防止活動
 警察は、水難事故を防止するため、日常パトロールを通じて、事故が発生するおそれのある危険な場所を調べ、安全施設の整備や危険区域の指定、標識の設置等を促進するよう管理者や関係機関、団体に働き掛けている。また、巡回連絡、座談会、ミニ広報紙による広報等の警察活動や、報道機関の協力により幅広い広報活動を行い、地域住民の事故防止に対する注意を呼び掛けるとともに、PTAや母の会等と連携し、児童、生徒の事故防止に努めている。
 水難事故が多発する夏期には、主要な海水浴場に臨時の警察官派出所を設置して海浜パトロールを行うほか、警備艇による海上パトロールやヘリコプターによる空からの監視活動を行うなど陸、海、空の連携による活動を推進している。
 また、水上におけるモーターボート等の安全航行と遊泳者の保護のため、茨城、栃木、山梨、三重、滋賀の各県警察では、水上の安全条例により事故の防止を図っているほか、石川県警察や神奈川県警察では、海水浴場の設置と遊泳者の保護のための条例に基づき、海水浴場における事故防止を図っている。
〔事例〕 佐賀県警察では、1歳児から3歳児までの幼児の水難事故を防ぐための「1~3マーク運動」を展開し、巡回連絡その他を通じて事故防止を呼び掛けるとともに、各家庭の周囲100メートル以内の危険箇所の点検を呼び掛けるなど事故防止に努めている。
ウ 救助活動
 水難事故が発生した場合、迅速な救助活動により人命が救われることが極めて多い。
 警察では、関係機関、団体と協力して主要な海水浴場等の常時監視体制を確立するとともに、警察官に水泳、人口呼吸その他の救助技術を習得させるように努めているほか、住民に対し救助技術の講習会等を行っている。また、救命用ボート、救命浮環、簡易そ生器その他の救助用資器材を整備している。
〔事例〕 海水浴客でにぎわう愛知県南知多町の内海海水浴場で、モーターボート等の無謀操縦の取締りや海水浴客の事故防止の指導や事故者の救護のため警察官2人による海上パトロールを実施中、沖合約150メートルの地点で、波に浮き沈みしてもがいている若い男を発見し、現場へ急行してでき死寸前のところを舟艇に引き上げ救助した。男は遊泳中に足がけいれんしおぼれかかっていたものである。
(2) 山岳遭難
ア 事故発生の概況
 昭和51年の山岳遭難事故の発生状況は、表8-6のとおりで、前年に比べて、発生件数で61件(9.3%)、負傷者数で65人(17.3%)それぞれ減少したが、死者・行方不明者数は6人(2.9%)増加した。

表8-6 山岳遭難事故発生状況(昭和47~51年)

 発生件数と負傷者数が減少した主な理由は、例年になく梅雨期が長く、夏山期間が短かかったことや、10月の後半から冬型の気象状態になり、悪天候の日が続いたことなどによって、例年より登山者が少なかったためである。また、死者・行方不明者が増加したのは、4月下旬から5月上旬にかけての飛び石連休時に、北アルプス等に悪天候を無視して入山し、尾根や沢で転落した登山者が多かったためで、この期間中に前年同期に比べ14人多い18人の死者・行方不明者が出ている。
イ 事故防止対策
(ア) 事故防止活動
 山岳地帯を管轄する警察では、春、夏、冬の各登山シーズンを前に、関係機関と協力して、山の危険箇所の調査、道標、警告板等の設置、整備等を行うとともに、山岳警備隊員の救助訓練を反復実施して、隊員の体力、技術の向上を図っている。また、気象、山岳情報や遭難事例その他を盛り込んだ「冬山情報」(長野)、「夏山警告」(富山)等の広報誌やパンフレットを登山団体に配布したり、テレビ、ラジオで「夏山、冬山登山にご注意」を放送したり(山梨)、更に山岳雑誌へ毎月危険地域の紹介や山岳情報を投稿する(岐阜)など遭難事故の防止を図っている。
 シーズン中は、それぞれ地方の実情に応じた各種の事故防止対策を講じている。例えば、岐阜県警察では、登山シーズンには、北アルプス飛騨側登山口の新穂高岳登山指導センターに山岳警備隊員を常駐させて、槍ヶ岳、双六岳、笠ヶ岳方面を3コースに分けてパトロールを行い、遭難者の救助、登山者の指導等を行っている。
(イ) 救助活動
 昭和51年に山岳遭難救助のため出動した警察官は、延べ約6,000人に及び、民間救助隊員との協力によるものを含め、年間に561人の遭難者を救助し、遺体200体を発見、収容した。
 山岳遭難事故の大半は、険しい岩場や雪崩れの起こりやすい谷間で発生するため、救助活動は、常に多くの困難と、二重遭難等の生命の危険にさらされている。したがって、救助隊員は、一般の登山者とは比較にならない強じんな体力、高度な登山技術、救助技術や豊富な経験が要求される。

〔事例〕 8月、上信越高原国立公園の本白根山(標高2,165メートル)を登山中の女子高校の先生、生徒6人が付近に漂っていた硫化水素ガスを吸引して突然倒れ意識を失った。現場からの連絡で群馬県警察では、地元署員と機動隊員を急派し、軽傷者を山小屋に収容し、重傷者3人は現場で人工呼吸、酸素吸入、心臓マッサージその他の応急措置をとり、医師の到着を待った。しかし、手当てのかいなく、生徒2人は現場で死亡し、先生は重態のまま病院に収容されたが6日後に死亡した。

4 各種事故と警察活動

(1) 火災、爆発事故
ア 火災
 最近5年間の火災の発生状況は、表8-7のとおりで、発生件数と死者・行方不明者数は横ばいの傾向にあるものの、昭和51年には負傷者数が最近5年間で最高の3,098人となった。

表8-7 火災発生状況(昭和47~51年)

 51年には、12月26日、沼津市内の三沢ビル2階の飲食店「らくらく」から出火して逃げ遅れた客やホステス計15人が死亡した火災等雑居ビルにおける火災が目立った。
 雑居ビルにおける火災が大惨事となるのは、次のような理由が挙げられる。
○ 各店ごとに管理権限が分かれ、ビル全体の防火体制がとりにくい。
○ ひょろ長いペンシルビルが多く、非常口や階段が少ないなどで避難上の問題点が多い。
○ 各店の営業時間がまちまちで防火訓練、計画の立案がしにくい。
○ 風俗営業の店が多いため、窓と開ロ部が極端に少なく、出火すると煙がビル内に充満する。
 警察では、これらの危険なビルの実態は握に努めるとともに関係機関と連携をとり、事故の未然防止を図っている。また、火災が発生した場合は、迅速に現場に出動して負傷者の救出や交通規制、群集整理等により、人的被害を最少限に抑えることに努めている。更に、レスキュー部隊等の人命救助専門部隊を編成し、特別訓練を実施している。

〔事例〕 10月29日午後、山形県酒田市の映画館から出火した火災は約11時間燃え続け、同市のデパート、商店、住宅等市街地の中心部を焼き、1,613むね(被災世帯1,077世帯、被災者3,257人)を全半焼させたが、警察をはじめ関係機関の適切な避難誘導等もあって死者は少なかった(殉職者1人、負傷者964人)。
イ 爆発事故
 昭和51年のガスや火薬類等による爆発事故の発生状況は、表8-8のとおりで、前年に比べ、発生件数で34件、負傷者数で27人とそれぞれ増加したが、死者・行方不明者数は52人と大幅に減少した。
 このように、死者・行方不明者数が減少した主な理由は、炭鉱における大規模な爆発事故やコンビナート等における事故が少なかったことによる。
 警察は、事故の発生に際しては、直ちに警察官を現場に出動させ、負傷者の救護や二次災害の防止、交通規制、群集整理等に当たっている。

表8-8 爆発事故発生状況(昭和47~51年)

(2) 航空機、列車等の事故
ア 航空機の事故
 昭和51年の航空機事故の発生状況は、表8-9のとおりで、前年に比べ発生件数、死傷者数ともやや増加した。これらは、いずれも民間の小型輸送機、自衛隊機等の墜落事故によるものである。

表8-9 航空機事故発生状況(昭和47~51年)

イ 列車の事故
 昭和51年の列車に関係した事故の発生状況は、表8-10のとおりで、ここ数年増加の傾向にある。死傷者の大部分は、列車からの転落や列車との接触によるものであった。

表8-10 列車に関係した事故の発生状況(昭和47~51年)

ウ 船舶の事故
 昭和51年の船舶事故の発生状況は、表8-11のとおりで、発生件数、死者・行方不明者数は最近5年間で最も少なかった。

表8-11 船舶事故発生状況(昭和47~51年)

 船舶事故のほとんどは、小型漁船が高波によって転覆したもの、モーターボート等の運転を誤ったものなどの小規模の事故である。
 警察では、小型船舶の事故を防止するために、河川、湖沼等における無免許運転の取締り、小型船舶に対する機関、航海用具、救命設備等の検査の励行を強力に指導するなど船舶連行の安全確保に努めている。
(3) その他の事故
 橋脚工事中に一酸化炭素中毒により作業員6人が死亡した事故、ゴルフ場造成地で土砂崩れのため作業員12人が生き埋めになり死亡した事故、つり橋が落ち遠足中の中学生ら39人が重軽傷を負った事故、自動販売機が倒れ幼児が下敷きとなって死亡した事故等昭和51年におけるその他の事故の発生状況は、表8-12のとおりで、前年に比べ、発生件数、負傷者数は増加したが、死者・行方不明者数は減少した。これらの事故の原因をみると、施設管理者の不注意や関係者の軽率な取扱い、その他いわゆる人災に起因するものが大部分を占めている。このほか、ラジコン飛行機を飛ばして他人にけがをさせた事故、ハンググライダーで飛行中墜落死した事故等特異な事故がみられた。

表8-12 その他の事故発生状況(昭和47~51年)

 警察では、日常の活動を通じて管内の危険箇所の実態は握に努め、施設管理者に対する改善措置の要請、保護者に対する注意の喚起等事故の未然防止に努めている。


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