第8章 災害・事故と警察活動

1 自然災害と救助活動

 昭和50年中における台風、大雨及び地震による主な自然災害は、阿蘇群発地震(1月)、大分地震(4月)、東北地方の大雨(8月)、台風5号による大雨(8月)、台風6号による大雨(8月)等であった。これらをはじめ1年間に発生した主な被害は、

死者・行方不明者 202人
負傷者 653人
住宅全(半)壊、流失 3,885むね
床上浸水 4万172むね
床下浸水 14万5,610むね

で、年間に合計約4万8,000世帯、約17万3,000人が被災した。
 このような災害に際して、警察官延べ約10万人が出動し、住民の避難誘導、被災者の救出・救護、危険地域の警戒、交通、防犯対策の実施等の災害警備活動を行った。
 警察は、災害の発生が予想される危険箇所等に関する実態調査や災害警備計画の策定を行い、情報の伝達、被災者の避難誘導、救出・救護、交通規制等に関する訓練を実施するなど、災害警備体制の充実強化に努めた。特に、大地震の場合に大規模な災害の発生が予想される南関東、東海、京阪神の各地域については、関係都府県警察が大震災警備計画の策定を行うなど、災害対策の推進に努めた。また、地震をはじめとする各種災害に対する施策の推進に当たっては、中央防災会議等の会議に参加し、情報交換、各種施策の提言等を行い、関係機関との相互協力に努めた。
 昭和50年中の災害区分別の被害発生状況、警察活動の概要は、次のとおり である。
(1) 風水害
 風水害によって発生した被害は、死者・行方不明者202人、負傷者605人等であった。この風水害の中で特に大きな被害をもたらしたものは、東北地方の大雨、台風5号及び6号の影響による大雨であった。
ア 東北地方の大雨
 8月5日から7日にかけて、東北地方北部に雷雨を伴う集中的な大雨が降り、青森県下では山から流出した鉄砲水により、また、山形県下では、真室川のはん濫により、それぞれ大きな被害が発生したのをはじめ、死者・行方不明者30人、負傷者63人の被害が発生した。これに対する主な活動は、次のとおりである。
(ア) 青森県岩木町百沢地区
 8月5日夕刻から降り始めた雨は、夜半に集中豪雨となり、翌6日未明までに、岩木山を中心に約400ミリを記録した。岩木町百沢地区では、土石、流木等を含んだ鉄砲水がえん堤を破壊して流出し、住宅26むねが押し流され、逃げ遅れた住民22人が死亡したほか、住宅浸水等の被害が発生した。
 この大雨に際し、青森県警察では警察官延べ約500人を出動させ、被害者の救出・救護、行方不明者の捜索、死体の収容、検死及び被災他付近の交通の確保、被害拡大防止のための警戒・警ら等の災害警備活動を行った。
(イ) 山形県真室川地区
 8月6日未明から7日にかけて、県北部に大雨が降り、真室川村を中心に死者5人、住宅の損壊93むね等の大きな被害が発生した。真室川町では、真室川の堤防が決壊したため、約200むねが床上浸水するなどの被害が発生したほか、奥羽本線大滝駅に停車中の列車が土砂崩れによって転覆し、乗客2人が死亡し、20人が負傷した。
 この大雨に際し、山形県警察では警察官延べ約2,000人を出動させ、被災者の救助活動等を行い、特に真室川地区では浸水住宅の二階や屋根の上から救助を求めていた婦女子等115人を、舟艇等を使って全員無事に救助した。
イ 台風5号の影響による大雨
 台風5号は、8月17日午前、中心気圧960ミリバール、中心付近の最大風速毎秒40メートルの勢力で、高知県宿毛市に上陸した後、愛媛県沿岸を通り、同日午後、山口県東部を通過して日本海に抜けた。
 この台風の経路に当たった各地で、死者・行方不明者81人、負傷者146人の被害が発生したが、特に高知県下では、県中部を流れる仁淀川のはん濫等により、死者・行方不明者77人、負傷者117人の大きな被害が発生した。
 高知県警察では、仁淀川のはん濫による被害の拡大防止のため、警察官延べ約3,000人を被災地域に出動させたが、被災地に至る道路が各所で冠水、損壊、流失等により寸断されていたため、警察官の現地派遣は困難を極めた。ようやく現地に到着した警備部隊は、濁流や住宅の倒壊、土砂崩れ等の危険と闘いながら、次のような被災者の救出・救護、避難誘導等を行った。
○ 8月17日、須崎市内を流れる御手洗川かはん濫し、約150むねが浸水したため、約80人の警察官が消防団と協力して、約100人の婦女子、老人等を避難誘導し、人命の安全を確保した。

○ 8月17日、土佐市内で仁淀川堤防決壊の危険が切迫したので、約100人の警察官が、濁流の中、ロープや舟艇等を活用して、住民約200人を付近の小学校へ避難誘導し、人的被害を未然に防止した。
○ 8月17日、高知市を流れる久万川に、家もろとも一家5人が流された旨の急報を受けた高知警察署では、約100人の警察官がロープを渡し、舟艇を使って5人を救助した。
○ 8月18日、吾川郡伊野町勝賀瀬地区を流れる仁淀川支流の勝賀瀬川がはん濫し、勝賀瀬地区の住民約170人が孤立したため、約100人の機動隊員等が出動し、ロープを張って携行食を渡し、順次全員を救出し、避難させた。
 この災害警備に当たっては、8月20日、隣接の徳島県警察機動隊のほか、四国管区機動隊等約300人の応援を受けたのをはじめ、大阪府警察から出動服3,000着、隣接県警察から救命ボート23隻、各種車両73台等の多数の装備資器材の支援を受けるなど他府県警察からの協力の下に実施した。
ウ 台風6号の影響による大雨
 台風6号は、8月22日夕刻、中心気圧970ミリバール、中心付近の最大風速毎秒35メートルの勢力で、四国南岸に接近し、夜半には紀伊水道に入り、23日未明、四国東端の徳島県蒲生田岬付近を通過、23日早朝には淡路島を経て兵庫県に上陸し、若狭湾から能登半島を経て、同日正午過ぎ日本海に抜けた。更に台風6号は、衰弱しながらも日本海沿岸を北上し、同夜、秋田市付近に上陸し、青森県北部を経て太平洋に去ったが、東北、北海道にも大雨をもたらした。
 この台風の経路に当たった徳島県をはじめ、青森県、北海道等において、死者・行方不明者31人、負傷者54人、という大きな被害が発生した。
 関係都道府県警察では、警察官約5万人を動員して、8月21日以降、順次災害警備体制を確立し、関係機関と連携の上、6,167世帯、1万8,866人を事前に避難させたほか、被害発生に際いては、警備部隊を迅速に出動させ、被災者の救出・救護、避難誘導、交通規制、広報活動等を行い、被害の拡大防止に当たった。その主な警察活動は次のとおりである。
(ア) 徳島県
 台風6号が県南部から北部へ縦断した徳島県では、23日早朝までに剣山の 798ミリ等、山間部で記録的な豪雨があったため、美馬郡をはじめ剣山の北側に被害が集中したほか、県全体で死者・行方不明者16人、負傷者16人、住宅の損壊124むね等の大きな被害が発生した。
 この台風に際し、徳島県警察では、8月22日午前、災害警備本部を設置し、機動隊をはじめ警察官延べ約5,000人を動員して、災害警備体制を強化し、事前の警戒、広報活動等を行うとともに、災害の発生に際しては、次のとおり迅速、的確な避難誘導等被害の拡大防止のための活動を行った。
○ 台風の接近に伴い、パトカー17台、警察官約600人が出動し、吉野川流域の洪水や高潮の危険地区等に対して、台風警報の伝達、災害発生時の避難心得の伝達等事前の広報活動を行うとともに、機動隊員等約200人が海岸地域で徹夜の警戒に当たった。
○ 8月22日、美馬郡下で発生した山崩れ等に際して出動した機動隊員約30人は、災害警備用装備資器材を肩にして、土砂崩れ等による危険を顧みずに、山崩れ等で寸断された道路を徒歩で一宇村に到着し、悪条件を克服しながら、被災者の救出、被害の拡大防止のための避難誘導等の活動を行った。
○ 8月23日午前、名西郡神山町で鮎喰川がはん濫し、家屋の倒壊、流失の危険が切迫したため、警察は町当局と協力して、降りしきる雨の中を阿部地区の住民約150人を付近の小学校に避難させ、人命の安全を確保した。
(イ) 北海道
 北海道では、上空を横切る前線が台風の接近につれて活発化したため、23日中に道中央部と南部に200ミリ近い雨が降り、昭和37年以来13年ぶりに石狩川がはん濫し、死者・行方不明者11人、負傷者9人、住宅の損壊50むね等の被害が発生した。
 この大雨に際し、北海道警察では、8月23日、災害警備本部を設置し、警察官延べ5,000人を動員して警備体制を強化し、事前の警戒・警ら、広報活動を行ったほか、被害の発生に際しては、その拡大防止のため、次のような 活動を行った。
○ 北海道南部の茅部郡森町で、がけ崩れにより2人が生き埋めとなったため、警察官30人が現場に急行し、降りしきる雨の中、再度のがけ崩れの危険も顧みず被災者の捜索に当たり、2人を遺体で発見し、収容した。
○ 上川郡上川町の層雲峡温泉「ホテル石狩」で、裏山の土砂崩れにより従業員宿舎が倒壊し、従業員8人が生き埋めとなる事案が発生したが、これに対し、旭川警察署員及び道警警備隊員等約100人が急行し、電動カッター等を活用して、2人を救出し、6人を遺体で収容した。
(2) 震災
 昭和50年中における風水害以外の自然災害で大きな被害が発生したものは、阿蘇群発地震と大分地震であった。
ア 阿蘇群発地震
 1月22日午後、熊本県北部を震源地とする地震が発生し、約1時間おきに有感の微震が続いた後、23日深夜にはマグニチュード6.0を記録し、阿蘇地区で震度5、熊本市で震度4の強震となった。この地震で阿蘇郡一宮町及び小国町等で、負傷者10人、住宅の全壊16むね、半壊17むね、一部損壊179むね等の被害が発生し、28日まで1日に数回の余震を記録した。
 この群発地震に際し、熊本県警察では、23日、「阿蘇地震災害警備本部」を設置し、機動隊をはじめ警察部隊を出動させて、交通規制、警戒・警ら、広報活動等に当たらせ、被害の未然防止と拡大防止に努めた。
イ 大分地震
 4月21日午前、大分県中部を中心にマグニチュード6.4の地震が発生した。震源地は大分市の西南西約30キロメートル、震源の深さは約20キロメートルで大分市で震度4、震源に近い九重町では震度5~6であった。被害は、大分県西南部の九重町、湯布院町を経て庄内町に至る約600平方キロメートルの地域に集中し、負傷者22人、住宅の全壊58むね、半壊93むね、一部損壊2,089むね、道路の損壊182箇所、山崩れ・がけ崩れ139箇所等の被害が発生 した。
 この地震に際し、大分県警察では、21日、「大分地震災害警備本部」を設置し、被災者の救出・救護と被害の拡大防止に当たった。
 特に、震源地に近い九重レークサイドホテルでは、4階建ての建物のうち、1階部分がつぶれるなどの被害が発生し、余震による再度の崩壊の危険があったので、急行した約100人の警察官が消防団員、自衛隊員等と協力して、宿泊客58人を避難させるとともに、同ホテル1階に閉じ込められていた従業員6人を、電動カッター等を活用して全員無事救出した。

2 各種事故と警察活動

(1) 火災、爆発事故
ア 火災
 昭和50年の火災の発生状況は、表8-1のとおりで、前年に比べて発生件数と負傷者数は減少しているが、死者・行方不明者数はやや増加した。

表8-1 火災発生状況(昭和46~50年)

 昭和50年には、3月1日深夜、東京池袋の雑居ビル「朝日会館」の2階から出火し、逃げ遅れた客や従業員等計22人が死傷した火災、3月10日早朝、 大阪市西成区の「千成ホテル」の玄関付近から出火し、逃げ遅れた宿泊客64人が死傷した火災等、過密都市における雑居ビル、旅館等において多くの犠牲者を出す痛ましい事故が目立っている。
 警察では、火災が発生した場合、迅速に現場に出動して負傷者の救出、交通規制、群集整理等により人的被害を最小限に抑えるとともに、現場を中心とする混乱を早期に解消するための活動を行っている。また、レスキュー部隊等人命救助専門部隊を編成し、特別な訓練を実施するとともに、日頃から関係防災機関等と連絡をとり、危険な施設等の実態をは握して、避難誘導、交通規制等具体的な警備計画を立てている。
イ 爆発事故
 昭和50年のガスや火薬類等の爆発事故の発生状況は、表8-2のとおりで、前年に比べて、発生件数と負傷者数は減少したが、死者・行方不明者数は23人増加している。

表8-2 爆発事故発生状況(昭和46~50年)

 昭和50年の爆発事故の特徴としては、第1に家庭用の都市ガスやプロパンガスの爆発事故が目立っている。大都市における建築物は、建築技術の進歩と資材等の改良によって、各居室等が外部から完全に密閉されるようになったため、居室等でガスが爆発すると、その爆発力は予想をはるかに超える強大なものとなり、大きな被害をもたらしている。第2に炭鉱爆発事故の増加 傾向が自立っている。炭鉱爆発事故は、坑内の深部で発生することが多く、爆風により坑道が破壊されたり、火災を伴うことが多いため、多数の死傷者を出す惨事となっている。
 警察では、このような事故の発生に際しては、現場に警察官を出動させて、負傷者の救出、二次災害の防止、交通規制、群集整理等の警備に当たっている。
(2) 航空機、列車等の事故
ア 航空機の事故
 昭和50年中の航空機事故の発生状況は、表8-3のとおりで、前年に比べて発生件数及び死者・行方不明者数がやや増加した。これは、民間の小型輸送機、農薬散布用ヘリコプター、自衛隊機等の墜落事故によるものである。

表8-3 航空機事故発生状況(昭和46~50年)

イ 列車の事故
 最近5年間の列車に関係した事故の発生件数は、表8-4のとおり増加の傾向にあり、昭和50年には、前年に比べ17件(12.9%)増の149件となった。昭和50年中の死者のほとんどは、列車からの転落及び列車との接触によるものである。

表8-4 列車に関係した事故の発生状況(昭和46~50年)

ウ 船舶の事故
 昭和50年の船舶事故の発生状況は、表8-5のとおりで、発生件数、死傷者数とも前年に比べて大幅に減少している。

表8-5 船姉自活女発生状況(昭和46~50年)

 昭和50年の船舶事故は、小型漁船が高波によって転覆した事故、モーターボートの運転を誤った事故等、そのほとんどが小規模の事故である。
 警察では、小型船舶の事故防止のために、日常の勤務を通して、無免許運 転の取締りに当たるなど安全の確保に努めている。
(3) その他の事故
 ゴルフ場造成地の土砂崩れで作業中の従業員10人が死傷した事故、幼稚園のすべり台に園児が殺到して5人が死傷した事故、演劇練習中の女生徒が倒れたピアノの下敷きになって死亡した事故等、昭和50年中におけるその他の事故の発生状況は、表8-6のとおりで前年に比べ発生件数、死傷者数とも若干減少した。

表8-6 その他の事故(昭和46~50年)

 この種の事故の原因を見ると、施設管理者等の不注意や関係者の軽率な取扱い等による、いわゆる人災が大部分を占めている。
 警察では、日常の活動を通じて管内の危険箇所等の実態は握に努めるとともに、これらの施設管理者に対して是正措置を要請するなど事故の未然防止に努めている。また、事故の発生に際しては、その原因を究明し、同種の事故が他に起こらないよう、施設の管理者等に対し指導、助言を行っている。

3 山岳遭難、水難と雑踏事故

(1) 山岳遭難
ア 事故発生の概況
 昭和50年の山岳遭難事故の発生状況は、表8-7のとおりで、前年に比べて、発生件数で57件(9.5%)、負傷者数で69人(22.5%)とそれぞれ増加したが、死者・行方不明者数は12人(5.5%)減少した。

表8-7 山岳遭難事故発生状況(昭和46~50年)

 発生件数及び負傷者数が増加した主な理由は、日本アルプスを中心とする中部山岳地帯の梅雨明けが早く、7、8月の夏山シーズン中に、前年より多くの登山者が入山した上、これら登山者の中には、技術が未熟な者や、無謀な登山をした者が多かったためである。また、山岳遭難事故の発生件数が増加したにもかかわらず、死者・行方不明者数が減少したのは、山岳地帯を管轄する警察や関係機関、団体等の遭難事故防止対策と救助活動が適切に行われたことや、冬山シーズン中の1、2月が全般的に好天に恵まれて、積雪量が例年を下回り、雪崩による死者が前年に比べ大幅に減ったためである。
イ 事故防止対策
(ア) 事故防止のための警察措置
 山岳地帯を管轄する警察では、山岳の危険箇所の調査、道標、警告板等の設置、整備等を行い、気象情報、山岳情報、遭難事例等を内容とした「冬山情報」(長野)、「夏山警告」(富山)、「ザイル」(岐阜)等の広報誌やパンフレット等を登山団体等に配布している。また、シーズン中は登山者の下車 駅、バス発着所、登山口等に警察官を配置して、登山カードの作成指導、山岳、気象情報の提供、装備品等の点検、指導を行っているほか、山岳遭難防止のために特別な訓練を受けた山岳警備隊員を臨時警備派出所等に常駐させ、山岳パトロール等を行って登山者に対する安全登山の指導に努めている。
 例えば、群馬県警察では、2月18日から11月30日の間、谷川岳登山指導センターに谷川岳警備隊を常駐させており、隊員は谷川岳登山指導員、県職員と協力して、登山指導や山岳パトロールに当たり、7、8月の夏山シーズンの最盛期には、毎朝、午前2時30分ごろから午前7時ごろまでの間に上越線土合駅に下車する約1,100人に対して、登山指導を行っている。
(イ) 山岳遭難対策協議会の活動
 文部省、警察庁、気象庁、日本山岳協会等で構成する山岳遭難対策中央協議会では、春山、夏山、冬山の各シーズン中の気象情報、山岳情報や登山に当たっての留意事項等を盛り込んだ「登山に対する警告文」を作成し、あらかじめ登山関係機関、団体等に配布するほか、テレビ、ラジオ、新聞等や山岳関係雑誌を通じて安全登山の指導、広報を実施している。また、昭和39年以降、毎年、登山の指導者や山岳遭難救助関係者を集め、遭難原因や救助対策を研究、討議し、その結果を具体的施策に役立てている。そのほか、登山についての一般的知識や事前の準備、注意事項等を簡明にまとめ、図解入りで分かりやすく解説した登山ハンドブック「安全登山必携」を刊行している。
(ウ) 登山条例の運用
 人命尊重の見地から、無謀な登山による遭難事故を防止するため、「富山県登山届出条例」及び「群馬県谷川岳遭難防止条例」が制定されており、一定期間に「危険区域」へ登山する者は、あらかじめ登山届や登山計画書等を提出し、安全な登山のための指導等を受けることになっている。昭和50年中の両条例の罰則適用件数は、群馬県谷川岳について4件10人、富山県剣岳について1件1人であった。
ウ 救助活動
 山岳遭難の救助組織は、昭和50年5月現在、40都道府県に392隊、構成員約2万9,000人である。このうち、警察独自の救助隊は81隊、約1,700人、警察と関係機関、団体で組織している救助隊は136隊、約1万6,000人である。50年に遭難救助のため出動した警察官は、612回、延べ5,351人に及び、民間救助隊員との協力によるものを含め、年間に727人の遭難者を救助し、遺体183体を発見、収容した。

 遭難の多くは険しい岩壁、落石の多い場所又は厳寒期の雪けい等の難所で発生するため、救助活動には常に生命の危険と多くの困難が伴うものである。したがって、救助隊員には、一般の登山者とは比較にならない強じんな体力、不屈の精神力、高度な登山技術や救助技術及び豊富な経験が要求される。
 警察では、常に救助訓練を反復実施して、山岳遭難者の捜索及び救助活動を迅速かつ安全に実施できるよう救助隊員の体力の向上、技術の練成及び救助用装備資器材の取扱いの習熟に努めている。
〔事例〕 昭和50年8月9日、北アルプス穂高連峰の南岳を下山中の大学生が、尾根から約100メートル滑落して岩と雪けいの間に転落し、右足骨折の重傷を負った。同行していた高校生の急報により、洞沢(からさわ)常駐の長野県警察山岳救助隊が直ちに出動し、隊員は夕暮れの中でヘッドランプの光を頼りに捜索を続け、ようやく午後8時3。分、遭難者を発見した。直ちに遭難者の骨折部位に応急手当を施した後、交代で遭難者を背負って岩場を登り、翌早朝避難小屋に到達した。遭難者は、日の出を待って出動した自衛隊のヘリコプターで病院に収容された。
(2) 水難
ア 事故発生の概況
 昭和50年の水難事故の発生状況は、表8-8のとおりで、前年に比べ発生件数は56件増加したが、死者・行方不明者数は105人減少した。

表8-8 水難事故発生状況(昭和46~50年)

(ア) 夏期における水の犠牲者
 例年、水の事故は6月~8月に多発し、昭和50年も、この期間だけで、年間の死者・行方不明者の48.1%に当たる1,520人を数えている。しかし、この期間中における水の犠牲者は、表8-9のとおり、48年以降減少傾向を示しており、50年は、最近5年間を通じて、最も少なかった。

表8-9 夏期における水の犠牲者(昭和46~50年)

(イ) 幼児の犠牲者は減少
 昭和50年の水の犠牲者を年齢層別にみると、表8-10のとおりで、前年に比べ幼児の犠牲者は減少した。

表8-10 年齢層別水死者の状況(昭和49、50年)

(ウ) 6割が海、川で水死
 水死者の場所別発生状況は、図8-1のとおりである。海と河川で全体の60.8%が水死しているのは、夏期における水泳中や水遊び中の事故が多いことを示している。用水堀や池での犠牲者の過半数は幼児となっており、保護者がちょっと目を離したすきに、自宅近くの池等に転落して水死するケース が多い。

図8-1 水死者の場所別発生状況(昭和50年)

(エ) 目立つ魚釣り中の事故
 行為別では、図8-2のとおり水泳中の632人が最も多く、次いで魚釣り中の539人となっている。魚釣りの事故が多いのは、魚釣りブームにのって危険を顧みない釣り愛好家が増えたためで、磯釣り中に波にさらわれたり、船釣り中に転落して死亡するなど、昭和50年中のこれによる水死者は539人を数え、前年を10人上回った。

図8-2 水死者の行為別発生状況(昭和50年)

イ 水難事故防止活動
 水難事故多発の原因としては、多くの海水浴場で安全対策が十分でないこと、危険な池、沼等が何らの防護措置もなされないまま放置されていることなどが指摘できる。
 警察では、日常のパトロール等を通じて海水浴場をはじめ水遊び等に利用されやすい場所の実態をは握し、安全施設の整備、危険区域の指定、標識の設置等を促進するよう管理者に働きかけている。
〔事例〕 愛知県警察では、海水浴シーズンに先がけて5月と6月を「危険箇所の実態は握と防護措置の推進月間」に定めて実態調査を実施し、県下で危険箇所として1,434箇所をは握し、それぞれの所有者、管理者等に対して整備するよう要請したところ、このうち1,125箇所(78.5%)に防護措置がなされた。
 また、巡回連絡、座談会等の警察活動や、報道機関の協力による幅広い広 報活動を行い、地域住民の事故防止に対する注意を喚起するとともに、PTA等と連携して児童、生徒の事故防止に努めている。水難事故が多発する夏期には、主要海水浴場に臨時の警察官派出所を設置して海浜パトロールを行うほか、警備艇による海上パトロールやヘリコプターによる空からの監視活動を行うなど、陸、海、空の連携による活動を推進している。
 なお、警察では、警察官に対して水泳、人口呼吸等の訓練を行って必要な救助技術を習熟させるように努めているほか、救命用ボート、浮き輪、簡易そ生器等の救助用資器材を整備している。
〔事例〕 昭和50年9月7日午後、神奈川県の国府津(こうず)海水浴場で遊泳中の青年が高波にさらわれ、沖合約300メートルに押し流された。折から同海水浴場上空で警戒監視に当たっていた神奈川県警察のヘリコプター「かもめ1号」がこれを発見し、備付けの救命ポートを投下するとともに、この旨を無線電話で急報し、これを受けた警備艇が現場に急行して、救命ボートにすがって漂流中の遭難者を無事救出した。

(3) 雑踏事故等
ア 雑踏事故
 昭和50年に、警察官が出動して整理に当たった各種の催し物や行楽地等への人出は、延べ7億4,800万人を数えた。
 なかでも、正月三が日に全国の主な神社、仏閣に初詣に出かけた人は、 5,900万人に達し、また、春のゴールデンウィークには、各地の主要な行楽地等で5,300万人の人出を記録した。
 このような人出の増加にもかかわらず、雑踏による事故は、表8-11のとおり、公営競技をめぐる紛争事案をも含めて、わずかに19件の発生にとどまり、しかも、昭和46年以降5年間死者ゼロを記録している。

表8-11 雑踏事故発生状況(昭和46~50年)

 各種の催し物や観光地の人出は、そのほとんどが不特定、多数人の集合であるため、ちょっとしたきっかけで大きな事故が発生するおそれがある。
 警察では、行事の主催者と緊密な連携をとり、あらかじめ、施設の状況、危険箇所の有無等を確認し、主催者に必要な事故防止措置をとらせるとともに、要所に警察官を配置して整理に当たっている。また、混雑する場所でのすりや小暴力事犯等の取締りを実施するほか、迷い子、急病人の発生に備えて救護場所の設置を配意している。
イ 公営競技をめぐる紛争事案
 昭和50年の競馬、競輪等の公営競技をめぐる紛争事案は13件発生した。その紛争原因をみると、本命の着外等判定に対する不満が7件、レースの中止、遅延等主催者側の不手際に対する不満が6件となっている。
 主な事例としては、4月11日、東京の江戸川競艇場において、レースの中止を不満としたファン約600人が紙くずに火を付けたり、施設を破壊するなど した事案があった。警視庁では、約300人の機動隊員を出動させて、事態の収拾に当たり、放火未遂等で8人を検挙した。このほかにも、川崎競輪場、佐賀競輪場等において、放火、投石を伴う悪質な紛争が起きている。
 警察では、農林省(競馬)、通産省(競輪、オートレース)、運輸省(競艇)の各監督官庁を通じ、又は直接各競技関係者に対して、競技運営の適正化、自主警備の強化、施設の整備を推進するよう強く申し入れるとともに、開催の都度、機動隊等を配置して紛争事案の防止に努めている。
 昭和50年に、公営競技の警備に従事した警察官は、延べ約22万5,000人に達した。

4 海洋博開催に伴う警察活動

 「海-その望ましい未来」をテーマとした海洋博は、昭和50年7月20日から昭和51年1月18日まで183日間にわたり、沖縄県北部の本部半島において開催された。
 この海洋博は、沖縄県にとって本土復帰後初めての大規模な国際的行事であり、観客輸送に当たっての交通規制その他多くの困難があったので、警察では、現地沖縄県警察を中心に警察庁、関係管区警察局、関係都道府県警察が一体となって、早くから具体的な諸準備を進めるとともに、海洋博の開催に際しては、延べ約6万7,000人の警察官を動員して、会場警備をはじめ関連地域全域に及ぶ交通の指導取締り、各種犯罪の予防検挙、内外要人の警衛、警護等にその総力を結集して当たり、海洋博の円滑な運営に寄与した。
(1) 会場警備
 会期中の総人場人員は、348万5,750人、一日平均約1万9,000人で、多い日には、約8万人の入場者を数えた。特に、7、8月には、夏休みを利用した家族連れや団体客が詰めかけ、沖縄館、アクアポリス、水族館等のパビリオンには観客が殺到し混雑を極めたほか、猛暑のため日射病患者が続出した。
 沖縄県警察では、会期中.144人から成る会場警察隊を編成し、これを会 場内の要所に配置したほか、混雑が予想される場所には、重点的に機動隊員等を増強配置して、雑踏の整理、犯罪の予防検挙、迷い子の保護、急病人の救護等に当たり、観客の安全を確保した。
 一方、極左暴力集団等は、「海洋博紛砕」「皇太子訪沖阻止」を叫んで開会式及び閉会式当日を中心に、集会、デモを繰り返したほか、火炎びんを使用してのゲリラ行動を敢行するなど、海洋博をめぐる治安情勢は極めて厳しいものがあった。特に7月23日深夜、極左暴力集団の1人が、モーターボートで海上からエキスポポートに侵入し、寄港中のチリ海軍の練習船「エスメラルダ号」に火炎びんを投てきし、同船の乗組員2人に重軽傷を負わせて逃走するという悪質な事件が発生した。沖縄県警察では、直ちに緊急配備を実施し、犯人をスピード検挙した。
 このような情勢に対して、沖縄県警察では、他の都府県警察から閉会式及び開会式時を中心に、警察官の応援派遣を求めて、警備に当たった。
(2) 交通の安全と円滑の確保
 海洋博の開催に当たって最も心配されたのは、会場に向かう道路の交通まひの問題であった。警察では、海洋博開催中の観客数や交通渋滞度を予測し、これに対応する交通安全施設の整備、適切な交通規制の実施、事前広報の徹底によるマイカーの抑制等総合的な交通対策を立てるとともに、会期中、延べ約1万7,200人の警察官を街頭に配置して交通の指導取締りを強化した。その結果、会期中交通の混乱はほとんどなく、関連道路はもとより、沖縄県全域の交通の安全と円滑を確保した。
(3) 警衛、警護活動
 海洋博名誉総裁の皇太子殿下が妃殿下と共に開会式及び閉会式に臨席されたほか、5回にわたって皇族の沖縄県訪問があり、警察では、その都度警衛を実地した。
 また、三木首相をはじめ来場した内外要人について警護を実施した。


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