第3章 犯罪情勢と捜査活動

1 犯罪情勢

(1) 全刑法犯の発生状況(注1)
ア 減少傾向の止まった犯罪発生
 昭和49年の全刑法犯認知件数は121万1,005件となり、前年に比べて2万456件(1.7%)の増加をみた。
 過去10年間(注2)の全刑法犯認知件数と犯罪率(注3)の推移をみると、図3-1のとおり、昭和46年以降減少を続けた全刑法犯認知件数は、48年に120万件を割り、過去10年間の最低の119万549件を記録したが、49年は再び120万件台に戻っている。昭和49年にこのような犯罪の増加をみたのは、窃

図3-1 刑法犯認知件数と犯罪率の推移(昭和40~49年)

盗、とりわけ「万引」、「資材置場荒らし(注4)」、「部品盗(注5)」等の非侵入盗及び「自転車盗」、「オートバイ盗」等の乗物盗が大幅に増加したためである。また、犯罪率も認知件数の減少に伴い逐年減少してきたが、49年は1,100件とわずかではあるが前年に比べ増加している。
 過去10年間における刑法犯認知件数の包括罪種(注6)別構成比の推移をみると、図3-2のとおりである。他の包括罪種の構成比がおおむね減少あるいは横ばい傾向を示しているなかで、窃盗の構成比のみが増加傾向にあり、昭和49年は前年に比べ1.9%増の83.7%と過去10年間の最高を記録した。また、凶悪犯及び風俗犯の構成比は、毎年1.0%前後とほぼ一定しており、粗暴犯については、過去10年間一貫して減少している。

図3-2 刑法犯の包括罪種別認知件数(構成比)の推移(昭和40~49年)

 なお、昭和49年中の犯罪率を都道府県別にみると、図3-3のとおりである。

図3-3 都道府県別犯罪率(昭和49年)

(注1) 犯罪には、「刑法」に違反する刑法犯のほか、刑法以外の各種法規に違反する特別法犯があるが、本章においては、このうち主として刑法犯を考察の対象とする。また、特に断りのない限り、交通事故に係る業務上(重)過失致死傷は、刑法犯から除外し、「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」、「暴力行為等処罰ニ関スル法律」、「決闘罪ニ関スル件」、「爆発物取締罰則」、「航空機の強取等の処罰に関する法律」及び「火炎びんの使用等の処罰に関する法律」に違反した行為は刑法犯として扱う。
(注2) 本章においては、特に断りのない限り、昭和47年5月15日以降の沖縄県の数を含む。
(注3) 本章における犯罪率は、人口10万人当たりの刑法犯認知件数である。
(注4) 「資材置場荒らし」とは、資材置場等に置いてある資材を大量に窃取する手口をいう。
(注5) 「部品盗」とは、自動車の部品を窃取する手口をいう。
(注6) 「包括罪種」とは、刑法犯を凶悪犯、粗暴犯、窃盗、知能犯、風俗犯、その他刑法犯の6種に分類したものをいう。
凶悪犯…殺人、強盗、放火、強姦
粗暴犯…暴行、傷害、恐喝、脅迫、凶器準備集合
窃盗…窃盗
知能犯…詐欺、横領、偽造、贈収賄、背任
風俗犯…賭博、猥褻(わいせつ)
その他刑法犯…公務執行妨害、住居侵入、逮捕監禁、業務上(重)過失致死傷等

イ 主な罪種の発生状況
(ア) 凶悪犯(殺人、強盗、放火、強姦)
 昭和49年の凶悪犯認知件数は、前年の9,803件に比べ66件(0.7%)減の9,737件と大差なく、前年に引き続き1万件を割った。また、過去10年間の推移をみても、図3-4のとおり、凶悪犯の認知件数は一貫して減少を続けており、昭和49年は40年の70%以下になった。
 罪種別にみると、前年に比べ殺人、強姦が5~6%減少する一方、強盗、放火が7~9%増加しており、罪種によってかなりの変動がみられる。また、過去10年間の罪種別凶悪犯認知件数の推移をみると、殺人、強盗、強姦は、おおむね減少傾向を示しているのに対し、放火は昭和44年までの減少傾向から年間1,500件台の発生をみるまでに増えているのが注目される。

図3-4  凶悪犯認知件数の推移(昭和40~49年)

(イ) 粗暴犯(暴行、傷害、恐喝、脅迫、凶器準備集合)
 昭和49年の粗暴犯認知件数は、前年の8万8,119件に比べ9,503件(10.8%)減の7万8,616件となり、26年ぶりに8万件台を割った。罪種別にみても、凶器準備集合を除き、各罪種とも前年に比べ大幅な減少を示しており、とり わけ傷害は5,698件(13.1%)減、暴行は2,851件(10.5%)減と著しい減少を示した。
 過去10年間の粗暴犯認知件数の推移は、図3-5のとおり減少傾向を示しており、昭和49年は40年に比べてほぼ半減した。また、これを罪種別にみても、凶器準備集合を除き、各罪種ともほぼ減少傾向を示しており、なかでも脅迫、恐喝の減少は著しく、49年はともに40年の約40%となった。

図3-5 粗暴犯認知件数の推移(昭和40~49年)

(ウ) 窃盗
 昭和49年中の窃盗認知件数は101万3,153件となり、前年の97万3,876件に比べ3万9,277件(4.0%)の増加となった。手口別に前年と比べてみると、非侵入盗は、「資材置場荒らし」が68.6%、「部品盗」が20.7%、「万引」が17.5%とそれぞれ大幅に増加したことを中心に2万3,415件(5.6%)の増加を示し、乗物盗は、「自転車盗」が8.8%、「オートバイ盗」が7.4%と増加したことにより1万8,273件(8.0%)の増加を示した。これに対し、悪質性が強い侵入盗は全体的には前年とほぼ同数であるが、9月以降において前年を上回る増加の傾向をみせているのが注目される。
 また、過去10年間の窃盗認知件数の推移をみると、図3-6のとおり、全窃盗認知件数は、昭和42年までやや減少傾向にあったが、その後やや増加した後100万件前後で横ばい状態になっている。しかし、手口別にみると、非

図3-6 手口別窃盗認知件数の推移(昭和40~49年)

侵入盗、侵入盗とも、昭和45年、46年をピークに以後減少傾向をみせていたが、49年には、非侵入盗が増加を示し、侵入盗の減少傾向は止まった。これに対し乗物盗は、昭和44年以降増加傾向を示しているが、とりわけ48年、49年には大幅な増加をみせており、その動向が注目される。
(エ) 知能犯(詐欺、横領、偽造、贈収賄、背任)
 昭和49年の知能犯認知件数は、前年の7万4,826件に比べ、8,043件(10.7%)減の6万6,783件と大幅に減少した。これを罪種別にみても、各罪種とも前年と比べると減少しており、なかでも贈収賄は、前年に比べ39.4%の大幅な減少を示しているのが目立っている。
 過去10年間の知能犯認知件数をみると、図3-7のとおり、全知能犯は、昭和46年まで減少した後、47年、48年とやや増加をみたが、49年は大幅に減

図3-7 知能犯認知件数の推移(昭和40~49年)

少し、40年の64.0%となった。また、これを罪種別にみると、全知能犯の4分の3を占める詐欺は、昭和46年まで減少した後、47年は地面師等による犯行が多発したためやや増加したが、以後再び減少を始め、49年は前年に比べ5,709件(10.3%)減と大幅な減少を示した。詐欺以外の罪種では、贈収賄が2、3年の周期で振幅の大きな増減を繰り返しており、昭和49年は大幅な減少を示した。また、横領は、昭和44年まで減少傾向を示した後、横ばい状態を続けている。
(オ) 風俗犯(賭博、猥褻(わいせつ))
 昭和49年中の風俗犯認知件数は、前年に比べ0.8%減の1万1,572件であった。これを罪種別にみると、賭博、猥褻(わいせつ)とも前年に比べほとんど差がみられなかった。
 過去10年間の風俗犯認知件数の推移をみると、図3-8のとおり、全風俗犯は、昭和41年及び45年にやや増加したものの、全体的には、47年まで1万2,500件前後と横ばい状態を続けた後、48年、49年と2年続けて1万1,600

図3-8 風俗犯認知件数の推移(昭和40~49年)

件前後となった。これを罪種別にみると、昭和41年以降大幅に減少した賭博が、45年から増加傾向に転じたのに対し、44年まで増加傾向にあった猥褻(わいせつ)は、その後減少傾向を示している。
(2) 全刑法犯の検挙状況
ア 横ばいを続ける検挙率
 昭和40年以後の全刑法犯の検挙状況の推移は、図3-9のとおりである。
 検挙件数は、昭和42年以降横ばい傾向を続けているが、49年には69万6,535件と前年よりも8,207件(1.2%)増の動きがみられた。検挙人員は、昭和40年以降減少傾向を示していたが、47年を最低として、その後再び増加の兆しを

図3-9 刑法犯検挙件数・検挙人員及び検挙率の推移(昭和40~49年)

みせ始め、49年にはわずかではあるが、前年に比べ5,571人(1.6%)増の36万3,309人となった。これは、窃盗とりわけ非侵入盗、乗物盗の検挙人員が大幅に増えたためである。
 これに対し、検挙率は、昭和40年以降一貫して下降した後、45年から上昇に転じたが、47年以後横ばい傾向になり、49年は57.5%にとどまった。
イ 主な罪種の検挙状況
(ア) 凶悪犯
 凶悪犯の昭和49年の検挙件数は8,652件、検挙人員は9,214人となり、前年に比べそれぞれ58件(0.7%)、465人(4.8%)の減少となった。過去10年間の推移は、図3-10のとおりで、昭和40年以降逐年減少しており、49年は40年に比べ、検挙件数で4,491件(34.2%)、検挙人員で6,444人(41.2%)それぞれ大幅に減少している。

図3-10 凶悪犯検挙状況の推移(昭和40~49年)

 凶悪犯の検挙率は、昭和40年以降多少の増減がみられるが、90%前後の高率を維持しており、49年は前年と同率の88.9%であった。また、これを罪種別にみると、殺人96.1%、強姦91.3%、放火86.4%、強盗79.9%であった。
(イ) 粗暴犯
 粗暴犯についても、認知件数の減少に伴い、図3-11のとおり、昭和40年以降減少傾向を示し、49年は検挙件数、検挙人員が7万1,620件、9万3,512人となり、40年に比べそれぞれ6万5,191件(47.7%)減、5万2,177人(35.8%)減と大幅に減少するとともに、前年に比べて8,716件(10.8%)、7,039人(7.0%)減と著しく減少している。粗暴犯の検挙率は、昭和40年以降ほぼ横ばい状態にあるが、過去10年間90%以上の高率を維持しており、49年は91.1%となった。これを罪種別にみると、昭和49年は暴行92.8%、傷害92.5%、脅迫92.0%、恐喝83.9%となっている。

図3-11 粗暴犯検挙状況の推移(昭和40~49年)

(ウ) 窃盗
 昭和41年以降の窃盗検挙件数の推移をみると、図3-12のとおり、49年に減少した全窃盗検挙件数は、その後2年間横ばい状態を続けた後、45年以降増加傾向に転じ、49年は、前年に比べ2万5,793件(5.2%)増の51万7,693件となり、41年に比べては3万3,144件(6.8%)の増加を示している。また、これを手口別にみると、昭和42年、43年以降の侵入盗及び乗物盗の検挙件数が大幅な増加傾向を示しているのが目立っている。

図3-12 窃盗検挙件数の推移(昭和41~49年)

 全窃盗の検挙人員は、図3-13のとおり、昭和44年まで減少傾向を続けた後、漸増傾向に転じ、49年は前年に比べ1万6,789人(9.6%)増の19万792人と、41年以降の最高を記録した。
 これを手口別にみると、乗物盗の検挙人員が、昭和44年以降著しい増加傾向にあり、49年は、41年に比べ1万8,618人(65.4%)増の4万7,091人となった。また、非侵入盗の検挙人員は、昭和42年に減少後47年まで横ばい状態にあったが、その後漸増傾向に転じ、49年は11万7,846人となった。侵入盗は、認知件数が過去10年間に余り大きな変化を示さず、検挙件数も昭和41年以降漸増傾向にあるのに対し、検挙人員は41年以降減少傾向を示し、49年は41年に比べ1万3,284人(33.9%)減の2万5,855人となった。
 昭和41年以降の窃盗検挙率は、図3-14のとおり、全窃盗、侵入盗、非侵入盗とも、44年を最低として、いずれも上昇傾向にあり、49年は全窃盗が51.1%、侵入盗が56.5%、非侵入盗が57.0%であった。なお、乗物盗は、他の手口に比べて総体的に検挙率が低いのが目立っている。

図3-13 窃盗検挙人員の推移(昭和41~49年)

図3-14 窃盗検挙率の推移(昭和41~49年)

ウ 検挙の態様
 態様別検挙状況の推移は、図3-15のとおりで、逮捕の比率が年々減少しているのが目立っているが、これは窃盗の身柄不拘束検挙人員が近年増加しているためであり、昭和49年は身柄不拘束の比率が全体の68.9%を占めるまでになった。
 包括罪種別にみた検挙態様は、図3-16のとおりである。凶悪犯は、罪質上逃亡及び証拠隠滅のおそれが特に強いため、その他の罪種に比べ逮捕の比率が高いものになっている。

図3-15 態様別検挙状況の推移(昭和45~49年)

図3-16 包括罪種別検挙態様(昭和49年)

2 犯罪の特徴的傾向

(1) 最近の殺人事件における質的変化
ア 殺人事件も暗数化傾向
 従来、殺人事件のほとんどは、被害者の死体の発見等によって警察に認知されており、その捜査も被害者の死体の発見、現場の捜査という手順で展開するのが通例であった。しかし、最近は、平素の生活の場からこつ然と蒸発し、関係者からの捜索願い等に基づき警察が捜査した結果、殺害され死体が隠ぺいされていることが判明し、殺人事件として初めて警察が認知するというケースがかなりみられるようになっている。
 最近5年間に警察が認知した死体隠ぺい事件は、図3-17のとおり、年々増加しており、昭和49年は53件と、45年の3倍近くになっている。

図3-17 死体隠ぺい事件の認知、検挙件数の推移(昭和45~49年)

 このような傾向は、裏を返せば、殺人事件の中にも警察に認知されることなくやみからやみへと葬り去られるといういわゆる暗数化の傾向が現れてきたことを示すものであり、警察の伝統的な捜査手法に検討、改善を加えることが必要になってきている。
 ちなみに、昭和49年中の死体隠ぺい事件の検挙率は、81.1%であり、殺人事件全体の96.1%に比べ、はるかに低くなっている。
 警察では、昭和48年に引き続き、49年も行方不明者に対する全国的な再調

図3-18 殺害のおそれのある行方不明者に対する捜査状況(昭和48、49年)

査を行い、殺害されているおそれの強い者に対する捜査活動を強化したところ、図3-18のとおり、49年には、殺害され土中等に隠ぺいされた者が前年の2倍以上に及んでいることが判明した。
 このような死体隠ぺい事件における殺害から死体発見までの期間は、図3一19のとおり、殺害後1週間未満で発見されたものが21件(39.6%)、2週間未満のうちに発見されたものが29件(54.7%)と半数以上を占めているが、その反面、1年以上のものが8件(15.1%)に上っている。
 また、死体隠ぺい方法は、図3-20にみるとおり、土中に隠ぺいするものが最も多く、水中に沈めるものがこれに次いでいる。特に最近は、人里離れた雑木林内に死体を埋めるなど、その方法も巧妙なものが多くなっている。
〔事例1〕 京都市の飯場における工員殺人・死体遺棄・損壊事件
 昭和49年1月、鉄筋工(32)は、同僚と飲酒のうえ口論し、手けんで同人を殴打殺害した後、死体をふとん等で包み宿舎敷地内において灯油をかけて焼却、粉砕し、周辺に投棄した(京都)。
〔事例2〕 一宮市内における失そうを仮装した寮母強盗殺人・死体遺棄事件
 昭和48年9月、愛知県下に住む主婦(38)は、大阪市内に居住する寮母を自宅に呼び寄せて、口論の末殺害し、死体を自宅古便所の便つぼに投棄したうえ、土砂、セメント等で固めて、隠ぺいした(49年3月検挙)(愛知)。
 更に、この種事件では、大半のものが死体を運搬するために自動車を利用しており、とりわけ昭和49年は、同年中に検挙された死体隠ぺい事件43件のうち、死体を自動車で他府県まで運搬して、隠ぺい工作を行ったものが9件(20.9%)にも達し、犯行の発覚が一層困難になっている。

図3-19 殺害から死体発見までの期間(昭和49年)

図3-20 死体隠ぺい方法(昭和49年)

〔事例1〕 長距離トラック運転手強盗殺人・死体遺棄事件
 昭和49年7月、店員(20)ら2人は、岩手県 下において、自動車運転手を殺害し、現金等を強奪したうえ、死体をシートに包み小型貨物自動車で宮城県下に運搬し、海中に投棄した(岩手)。
〔事例2〕 大阪電解KK幹部に対する連続殺人・死体遺棄事件
 昭和49年7月、会社員(51)ら2人は、同社専務取締役を絞殺して、死体を自動車のトランクに入れ兵庫県下に運搬し、埋立地に埋めたほか、同年10月に同社総務課長を絞殺し、死体を前回同様自動車で兵庫県下に運搬して、埋立地に埋めた(大阪)。
イ 悪質化、巧妙化する犯行手口
 昭和48年及び49年それぞれの上半期に検挙した殺人事件について、警察庁が行った「殺人事件実態調査」の結果によると、悪質性の強い計画的犯行は、調査対象事件1,820件のうち45.5%を占めている。昭和49年上半期の事件870件について、動機原因別に計画的犯行の占める割合をみると、図3-21のとおり、「集団間(内)の抗争」、「性犯罪の発覚を恐れて」、「金銭・財物の奪取」等の犯行においては、計画的なものが多い。

図3-21 殺人事件動機・原因別計画的犯行の構成比(昭和49年1~6月)

〔事例1〕 和泉市における連続女性殺人・死体遺棄事件
 元会社員(26)は、昭和44年10月、女子工員との仲を清算するため同女を自動車で誘い出したうえ殺害し、死体を付近の山中に遺棄したほか、49年5月、愛人関係にあり妊娠中の女性を、結婚の妨げになるとして、同様の方法で殺害し、死体を遺棄した(大阪)。
〔事例2〕 松山市内のひき逃げを仮装した保険金目的の実母殺人事件
 金融・不動産業者(44)は、実姉(46)と謀り、昭和46年1月、保険金等詐取の目的で、ひき逃げを仮装して実母を殺害し、保険金等4,882万余円をだまし取った後、47年7月、この事実に気付いた妻を殺害し、自分たちの実兄宅作業所内に埋めた(49年11月検挙)(愛媛)。
〔事例3〕 別府国際観光港内の交通事故を仮装した保険金目的殺人事件
 自称不動産業者(47)は、3箇月前に再婚した妻とその前夫との間の子供3人に受取総額3億7,000万円に上る保険をかけた後、昭和49年11月、自分の運転する自動車を別府国際観光港の岸壁から海中に突っ込ませ、同乗していた妻とその子供2人を殺害した(大分)。
 次に殺人事件における凶器の使用状況をみると、図3-22のとおり、凶器使用の比率は、全体的にはやや減少傾向にあるが、依然として毎年60%以上の事件において、刀剣類、包丁類が使用されている。

図3-22 殺人事件において使用された凶器の推移(昭和45~49年)

 これをアメリカ、イギリスの場合と比べると、図3-23のとおりである。アメリカでは、90%以上の事件でなんらかの凶器が使用されており、なかでも銃器を使用したものは、67.0%と最も多くなっている。これに対し、イギ リスでは、凶器不使用事件が38.2%とかなりの数になっており、凶器使用事件の中でも刃物類が30.4%と最も多く、銃器は7.3%にとどまっている。

図3-23 外国の殺人事件における凶器の使用状況

 また、最近の殺人事件では、犯行の発覚及び被害者の身元確認を困難にするため、死体を隠ぺいするほか、犯行後顔面のざ減、指紋のはく離等直接死体に工作を施すなどの証拠隠滅を図る悪質、巧妙な事案が目立っている。前述の実態調査によると、昭和49年上半期における既遂事件454件のうち約10%に当たる46件において、この種の証拠隠滅工作が行われていた。
〔事例1〕 岡崎市の女性バラバラ殺人・死体遺棄事件
 電気工事請負業者(49)は、昭和48年6月、同せい中の女性を殺害し、死体を金のこぎり等でバラバラに切断したうえビニール袋に入れ、近所のアパートの空き室の便所内に遺棄した(49年3月検挙)(愛知)。
〔事例2〕 下山村明神池のバラバラ殺人・死体遺棄事件
 昭和49年11月、奈良県下の明神池で、架線夫(42)のバラバラ殺人死体 が発見された。死体は、刺身包丁で頭、胴、腰、両腕、両大たい部等九つに切断されたうえ、顔面をざ滅、指を切断、手のひらの皮等をはく離するなど身元隠ぺい工作が施されていた(奈良)。
ウ 自動車利用事件の増加
 殺人事件のうち何らかの形で自動車を利用するものの比率は、図3-24のとおり、逐年高くなってきている。とりわけ、最近は、死体を自動車で運搬し、遺棄するなど犯行が広い範囲にわたる事件の増加に加えて、被害者を人里離れた場所へ自動車で誘い出したうえ殺害するなどの事件が増えている。

図3-24 殺人事件における自動車利用事件構成比の推移(昭和47~49年)

エ 住宅での犯行が増加
 殺人事件は、図3-25にみられるように、住宅内で行われるものの比率が最も高く、しかも、年々その比率が増加する傾向にある。
オ 都市化社会を反映した殺人事件
 一般に都市では、慣習、道徳等を中心とした社会統制機能が衰退しており、一部では目的達

図3-25 殺人事件の発生場所別構成比の推移(昭和47~49年)

成のためには手段を選ばないという風潮さえみられる。また、これとともに、自己の利害にかかわりがなければ、他人が生命の危機に直面していても何ら救いの手を貸そうとしない反面、自己の利害には異常なまでの関心を示す風潮もみられる。このような傾向は、通常人の感覚では理解し難い短絡的、倒錯的な犯行や全く突発的な犯行を生み出しており、都市における生活を不安なものとしている。とりわけ、昭和49年には、次の事例にみられるとおり、現代社会の抱える問題を象徴するような事件が発生し、社会の注目を浴びた。
〔事例1〕 平塚市の横内団地内のピアノ殺人事件
 県営団地に住む無職の男(46)は、昭和49年8月、階下に住む会社員の子供が弾くピアノの音が耳障りだと言って、同室に赴き刺身包丁で母子3人を刺し殺した(神奈川)。
〔事例2〕 川崎市の市営住宅内のペット殺人事件
 川崎市の市営住宅に住むタクシー運転手(24)とその妻(21)は、昭和49年11月、自分たちのペット(犬)が同住宅に住む主婦に投げ殺されたことに腹を立て、包丁を持って同主婦宅に赴いたうえ、同女を刺し殺した(神奈川)。
(2) 悪質化する爆破(予告)事件(注1)
ア 爆破事件(注2)
(ア) 急増した爆破事件
 爆破事件は、図3-26のとおり、昭和45年以降毎年増加傾向にあるが、とりわけ、49年は前年に比べ約3倍の45件と著しく増加している。
 昭和49年に発生した爆破事件のうち、死傷者が出たものは、表3-1のとおりで、死者8人、負傷者430人となった。
〔事例1〕 近鉄上本町六丁目駅構内コインロッカー爆破事件
 昭和49年2月、近鉄の重役宅に爆破予告電話が掛かった後、大阪の近鉄上本町六丁目駅地下2階にあるロッカーコーナーで、コインロッカー内に仕掛けられた時限装置付爆発物が爆発し、ロッカーを大破したが、

図3-26 爆破事件発生件数の推移(昭和45~49年)

表3-1 死傷者が出た爆破事件(昭和49年)

事件後付近のロッカーから5,000万円を要求する脅迫状が発見された(大阪)。
〔事例2〕 北九州市における連続爆破事件
 昭和49年3月、国鉄小倉駅構内のコインロッカーに仕掛けられた時限装置付爆発物が爆発し、付近にいた男女5人が重軽傷を負ったほか、北九州市内で同一犯人による連続3件の爆破事件が発生した(福岡)。
〔事例3〕 丸の内ビル街爆破事件
 昭和49年8月、千代田区丸の内にある三菱重工本社に爆破予告電話が掛かり、その直後、同社ビル玄関前に仕掛けられた時限式の爆発物が爆発して通行人等8人が死亡し、380人が重軽傷を負った(警視庁)。

 ちなみに過去3年間の爆破事件の発生状況を月別にみると、図3-27のとおりである。

図3-27 月別爆破事件の推移(昭和47~49年)

(イ) 悪質化する犯行手口
 爆破事件は、破壊力が大きいばかりでなく、その性質上全く無関係な第三 者にまで危害が及ぶ極めて悪質な犯罪である。従来は主として特定人を対象としたものがほとんどであったが、最近では始めから不特定の一般人を巻き込むことを意に介せずに敢行されるものが多くなっており、その悪質性の度合いをいよいよ強めている。
 このことは、図3-28のとおり、犯行場所として、交通機関、官公署、デパート、公道等の不特定多数の人が利用する場所が選ばれていることからもうかがえる。

図3-28 犯行場所別爆破事件発生状況(昭和45~49年)

 また、時間帯別にみても、図3-29のとおり、一般に人の活動が活発な時間帯に爆発するケースが年々多くなっており、一般人が爆破による被害を受けるおそれが強くなっている。
 爆発物の起爆装置は、図3-30のとおり、年々精巧なものになっており、昭和49年は45件中時限式が18件(40.0%)と最も多数を占めている。しかもこれらの時限装置は、時計やタイム・スイッチを使ったものが大半を占めており、この種事件の巧妙化がうかがわれる。
 また、爆破事件に使用された火薬類等は、図3-31のとおりで、昭和49年は比較的入手の容易な爆竹類を使用したものが71.1%を占めている。

図3-29 時間帯別爆破事件の推移(昭和47~49年)

図3-30 起爆装置別にみた爆破事件(昭和45~49年)

図3-31 使用火薬類等別にみた爆破事件(昭和45~49年)

(ウ) 困難な検挙活動
 爆破事件の検挙状況をみると、図3-32のとおり、検挙件数は増加しており、昭和49年の検挙率も、ほぼ60.0%にまでなってきているが、他の凶悪事件のそれと比べて依然として低い。これは、証拠物の多くが爆発によって散逸してしまうほか、犯人が現場にいないこと、爆破事件の捜査には特殊な科学的知識を必要とすることなど、一般事件の捜査に比べ極めて困難な要素が多いためである。
 爆破事件で検挙した被疑者についてみると、図3-33、図3-34からうかがわれるように、従来は無職者がえん恨を晴らすたぐいの犯行が多かったが、昭和48年以降は中学、高校の生徒が、ひそかに作った爆発物の威力を試

図3-32 爆破事件の検挙件数の推移(昭和45~49年)

図3-33 爆破事件動機別構成比(昭和45~49年)

図3-34 爆破事件被検挙者職業別構成比(昭和45~49年)

そうとしたり、あるいは、世間が騒ぐのを面白がって行ったりする事件が急増している。

イ 爆破予告事件(注)
 爆破予告事件は、爆破事件の増加に比例して、逐年大幅な増加を示しており、警察庁が報告を求めたものに限っても、図3-35のとおり、昭和49年は前年の190件から9倍近い1,666件に激増している。

図3-35 爆破予告事件認知、検挙件数の推移(昭和45~49年)

 また、警察が認知した爆破予告事件発生状況を都道府県(方面)警察別にみると、図3-36のとおりで、爆破予告事件は、圧倒的に大都市及びその周辺部に多く、典型的な都市型犯罪と言える。

図3-36 都道府県(方面)警察別爆破予告事件(昭和49年)

 爆破予告事件の発生を月別にみると、図3-37のとおり、「丸の内ビル街爆破事件」をはじめ、凶悪な爆破事件が発生した直後に急増する例が多く、この種事件が極めて容易に敢行できるため模倣性の強いものであることを示している。
 爆破予告事件のほとんどは、単に通告だけで終わっているが、爆破事件と

図3-37 月別爆破予告事件発生状況(昭和49年)

つながりがあると思われるものは、昭和49年中は次の5件であった。
○ 爆破予告のとおり爆破事件が発生したもの 3件
「丸の内ビル街爆破事件」、「三井物産館内爆破事件」、「大成建設ビル爆破事件」
○ 爆破という文言はなかったが、「重大な事故」という文言が使われ、爆破事件が発生したもの 1件
「近鉄上本町六丁目駅構内コインロッカー爆破事件」
○ 爆破が未遂に終わった後に予告電話があったもの 1件
「鈴鹿ハンターにおける爆破未遂事件」
 爆破予告の対象としては、表3-2のとおり、昭和48年まで「交通機関」が最も多かったが、昭和49年は「官公署」が324件(19.4%)と最も多く、次いで「一般企業」281件(16.9%)、「デパート」270件(16.2%)の順になっており、この3対象で、総件数の半数を超えている。
 爆破予告の手段をみると、図3-38のとおり、電話によるものが、昭和49年は、1,528件(91.7%)とほとんどを占めており、文書によるものが106件

表3-2 対象別爆破予告事件発生状況(昭和45~49年)

図3-38 爆破予告手段の推移(昭和47~49年)

(6.4%)とこれに次いでいる。
 また、爆破予告事件の検挙件数は、逐年増加しているが、この種事件とりわけその大部分を占める電話によるものは、証拠がほとんど残らないため、捜査は困難を極めている。端緒別検挙状況をみると、表3-3のとおり、電話の逆探知、聞込み、張込み・追尾によるものが多く、昭和49年は「取調べ」を端緒として検挙されたものが18件(全体の17.6%)と例年になく多くなっている。

表3-3 爆破予告事件端緒別検挙件数の推移(昭和45~49年)

〔事例1〕 伊勢丹デパートに対する爆破予告恐喝未遂事件
 飲食店支配人(37)は、昭和49年7月、都内新宿区の伊勢丹デパートに、「1,000万円を出さなければ、伊勢丹を爆破する」旨の文書を郵送し、検挙された(警視庁)。
〔事例2〕 東北銀行八戸支店に対する爆破予告恐喝未遂事件
 自衛隊員(23)は、昭和49年9月、八戸市の東北銀行八戸支店に、爆破予告と100万円を要求する電話を数回掛け、7回目の電話で逆探知され、公衆電話から通話中を検挙された(青森)。
〔事例3〕 新潟放送に対する爆破予告事件
 労務者(31)は、昭和49年10月、テレビのコマーシャルが多いことに腹を立て、新潟市の新潟放送に爆破予告電話を掛けたが、同通話が100番申し込みの市外通話であることが確認され、発信元が判明して検挙された(新潟)。
 検挙された被疑者を、年齢別にみると、図3-39のとおり、少年及び20歳代の者がその大半を占め、職業別では、図3-40のとおり、無職者が最も多い。動機別にみると、図3-41のとおり、「現金入手目的」、「世間を騒がすため」、「えん恨」が多いが、昭和49年は、「現金入手目的」の構成比が小さく、「世間を騒がすため」、「えん恨」によるものの構成比が大きくなっているのが注目される。

図3-39 年齢別爆破予告事件検挙人員数の推移(昭和47~49年)

図3-40 職業別爆破予告事件検挙人員数の推移(昭和47~49年)

図3-41 爆破予告事件検挙件数動機別構成比の推移(昭和47~49年)

(注) 「爆破予告事件」とは、爆発物を使用して人の生命、身体、財産に危害を加えることを相手方又は警察等に通知する事件をいう。
(3) 増えた人質事件
 人命を盾として何らかの要求をする人質事件は、昭和44年を境として急増しており、49年はハイジャック事件2件を含む25件が発生し、過去10年間の最高を記録した。
〔事例1〕 日航エアバス・ボーイング747S機ハイジャック事件
 無職の少年(18)は、昭和49年3月、東京発沖縄行日航903便が沖永良部島上空に差し掛かった際、同機をハイジャックし、那覇空港へ着陸させた後、現金5,500万ドル等を要求したが、7時間近いやりとりの末、わずかのすきをみて接近した警察官に逮捕された(沖縄)。
〔事例2〕 日航DC-8型機ハイジャック事件
 元労務者(26)は、昭和49年7月、大阪発東京行日航126便が名古屋上空に差し掛かった際、ナイフを持って女性乗務員を脅迫し、同機をハイジャックした。同人は、同機を羽田へ着陸させた後、「塩見孝也を連れて来い」などと要求し、翌日更に同機を名古屋空港まで飛行させたうえ、同空港で燃料を補給させた。その際、すきをみて乗客全員が非常口から脱出したため機内に乗り込んだ機動捜査隊員等によって逮捕された(警視庁、愛知)。
 昭和45年以降、ハイジャック、シージャックを除いた人質事件で人質となった被害者は93人に上っており、このうち婦女子が71人(女性63人、13歳未満の少年8人)で、全体の76.3%を占めている。この傾向は、昭和49年も続き、人質被害者39人中、婦女子は33人(84.6%)を占めている。
 人質事件における犯人からの要求内容は、図3-42にみるとおりで、従来から「関係者との面会」、「現金」が大半を占めており、昭和49年も、この二つが16件中12件(75.0%)を占めている。

図3-42 人質犯人の要求内容(昭和45~49年)

〔事例〕 名古屋市のホテルにおける女性従業員人質事件
 昭和49年9月、熱田区のホテルに宿泊中の元パチンコ店従業員(26)は、部屋代を請求に来た同ホテルの女性従業員に柳刃包丁を突き付けて脅迫し、「おれの女を呼べ」、「けん銃を持ってこい」などと要求して約15時間同女を人質として立て こもった(愛知)。
 人質事件は、昭和45年以降、「よど号ハイジャック事件」を除くすべての事件で、犯人を検挙、解決し、人質も救出している。また、犯人の年齢、職業についてみると、従来から無職の成人による犯行が多かったが、昭和49年は、無職の少年によるものが増えており、注目される。
 図3-43は、最近5年間の人質事件の発生から人質の救出までの時間を示すものであるが、3分の1以上のものが事件発生から3時間未満に救出されている。

図3-43 人質事件における人質の救出時間(昭和45~49年)

 また、この種事件では、人質の安全を第一として警察活動を行っているが、最近は、説得に容易に応じない傾向が強くなってきているため、逮捕までの間に非常な苦心を要する実情にある。
(4) 金融機関を対象とした強窃盗事件の増加
 金融機関には、常に多額の現金が置かれているところから、最近、強窃盗の対象としてねらわれることが多くなっている。これには、国民の一獲千金を求める風潮や昭和48年末以降の経済不況等が少なからぬ影響を与えているものと考えられる。
ア 金融機関を対象とした強盗事件の増加
(ア) 急増した金融機関対象の強盗事件
 最近5年間の金融機関を対象とした強盗事件は、図3-44のとおりで、昭和49年は、前年の8件に対し47件に増加しており、なかでも銀行・信用金庫等を対象としたものは、27件(全体の57.4%)と最近5年間の最高を記録している。

図3-44 金融機関を対象とした強盗事件の推移(昭和45~49年)

(イ) 大型化する被害
 このような事件の多発傾向とともに、表3-4に示すとおり、被害額も大型化し、昭和49年における総被害額は約1億560万円と最近3年間で最高となり、1件当たりの被害額も224万余円と前年の約10倍にもなっている。

表3-4 金融機関を対象とした強盗事件被害額の推移(昭和47~49年)

〔事例1〕 関東銀行黒子出張所の白昼銀行強盗事件
 茨城県下に住む会社員(33)は、会社の金を使い込み、その穴埋めのため、昭和49年4月、関東銀行下館支店黒子出張所に閉店後侵入し、行員にモデルガンを突き付けて現金933万円を奪い取り逃走した(茨城)。
〔事例2〕 大和銀行阿倍野橋支店の白昼銀行強盗事件
 昭和49年5月、大和銀行阿倍野橋支店に、「爆発物を持った男が銀行に行った。逃げるときに捕まえる」との警察からの連絡と誤信させるような電話が掛かり、その直後、白布で覆面をした男が爆発物に見せかけた物とけん銃様の物を所持し同行に侵入して、現金4,000万円を奪い取り逃走した(大阪)。
〔事例3〕 鹿児島銀行沖永良部支店の強盗・不法監禁事件
 オートバイ修理業者(36)ら5人は、昭和49年5月、鹿児島銀行沖永良部支店の支店長代理夫婦を”らち”し、同支店へ連行し、現金1,464万円 を奪い取った後、引き続き夫婦を那覇市まで連行して不法に監禁した(鹿児島)。
(ウ) 凶悪化する犯行手口
 金融機関対象の強盗事件で用いられた凶器は、表3-5のとおりで、けん銃、爆発物等強力なものが多くなっており、昭和49年は、けん銃及びその偽装物が11件、爆発物及びその偽装物が6件とそれぞれ47年、48年に比べ大幅な増加を示している。

表3-5 使用された凶器の種類(昭和47~49年)

〔事例1〕 三井銀行錦糸町支店の強盗事件
 都内に住む元自動車解体業者(38)ら2人は、金策に窮し、昭和49年9月、三井銀行錦糸町支店で客を装い支店長と面談中、「赤軍の者だ。2,000万円出さないと爆破する」と脅迫し、現金200万円を奪って、逃走した(警視庁)。
〔事例2〕 鯖江農協豊支所の強盗事件
 住所不定、無職の男(35)ら2人は、昭和49年11月、鯖江農協豊支所に侵入し、宿直員を縛り上げ、金庫のとびらをガス切断機で焼き切り、現金131万余円を奪って、逃走した(福井)。

表3-6 時間帯別強盗事件発生状況(昭和49年)

 また、金融機関を対象とする強盗事件の発生状況を時間帯別にみると、表3-6のとおりであり、銀行・信用金庫等を対象とするものは昼間が多く、農協を対象とするものは、警戒体制の弱い深夜に多く発生している。
イ 金融機関を対象とした窃盗事件の増加
 金融機関を対象とした窃盗事件は、図3-45のとおり、逐年増加傾向を示し、昭和49年は前年に比べ177件(5.4%)増の3,460件となった。また、金融機関の種類別では、銀行・相互銀行、信用金庫・信用組合を対象とするものの増加が目立っており、昭和49年は、銀行・相互銀行は前年に比べ190件(20.1%)増の1,133件、信用金庫・信用組合は15件(5.7%)増の276件となった。このなかには、1件で1,000万円を超える多額の被害を受けたものが多くみられた。

図3-45 金融機関を対象とした窃盗事件の推移(昭和47~49年)

〔事例1〕 群馬銀行強戸支店の現金盗難事件
 昭和49年1月、群馬銀行強戸支店の裏口のドアが焼き切られ、金庫が酸素よう断機、バール等で破壊されたうえ、現金1,818万円が盗まれた(群馬)。
〔事例2〕 高砂市内の特定郵便局金庫破り事件
 高砂市内に住む自動車運転手(26)は、昭和49年3月、窓ガラスを破って古新郵便局に侵入し、金庫の裏鉄板をタガネで破壊したうえ、現金540万円を盗んだ(兵庫)。
〔事例3〕 青森銀行本店における現金9,000万円盗難事件
 青森市内に住む警備員(34)は、昭和49年11月、青森銀行本店地下現送室において勤務中、現金輸送箱を破壊し現金9,000万円を盗んだ(青森)。
(5) 目立つ不況型の知能犯罪
 昭和49年の経済情勢は、金融引き締め政策の長期化等により景気は次第に不況色を強め、企業金融はひっ迫するなど極めて厳しいものがあった。特に同年半ばからは、日本熱学工業、阪本紡績等の大型倒産が続き、企業倒産件数、負債額は史上最高を記録している。こうした経済変動を反映して、知能犯も資金繰りに窮した企業経営者等による有価証券をめぐる不正事犯、金融機関役職員による不正貸付事犯等不況型の知能犯が目立った。特に金融機関役職員による不正事犯では、図3-46のとおり、農業協同組合及び漁業協同組合役職員によるものが目立っているが、これは、これらの組合の資金貸付けが普通銀行等より比較的緩やかであることが、犯罪を容易にしたためと見られる。

図3-46 金融機関職員による知能犯検挙状況(昭和49年)

〔事例1〕 日本熱学工業倒産をめぐる不正事犯
 昭和49年5月倒産した日本熱学工業の社長ら役員が共謀し、35億1,300万円の粉飾決算により、2億427万円の違法配当、3,047万円の役員賞与の不正支給等のほか、決算見込みのない約束手形を振り出して手形割引の名の下に1億9,063万円をだまし取った(大阪)。
〔事例2〕 田原農協組合長及び同参事らの背任事件
 非組合員の不動産業者から事業資金繰りのための不正貸付けを依頼された農協組合長と同参時が共謀し、担保を設けず、また貸付限度額を超 えて、組合長名義で小切手等9億6,533万円を不正貸付けして農協に損害を与えた(京都)。
 知能犯全体の4分の1以上を占める詐欺について、その手口別認知件数の推移をみると、図3-47のとおりである。このなかで、買受けの手口である「月賦」、「取込み」、「商品」(注1)が激減しているのに対し、買付けの手口である「代金」(注2)は増加しているのが目立っているが、これは不況の浸透により、信用取引に対する不安から商品の取引相手を選別したことにその原因があるのではないかと思われる。

図3-47 詐欺手口別認知件数の推移(昭和45~49年)

 知能犯のうちの詐欺と横領の被害額の推移をみると、図3-48のとおりであるが、昭和49年の被害額は、詐欺は364億4,110万円(1件当たりの被害額は78万円)、横領は133億935万円(1件当たりの被害額は144万円)であり、45年の被害額と比べると、詐欺は20.2%、横領は54.1%それぞれ増加しており、物価高騰を反映して、被害の大型化が目立つようになっている。

図3-48 詐欺、横領の被害額の推移(昭和45~49年)

(注1) 「月賦」、「取込み」、「商品」とも買受けの手口であり、「月賦」とは月賦等による購入を装い商品をだまし取るものをいう。「取込み」とは、仕入れ等を装い生産者、卸商店等から多量の商品をだまし取るものをいう。「商品」とは、口実を設け、小切手商品(分割払いの商品を除く。)をだまし取るものをいう。
(注2) 「代金」は、売付けの手口であり、商品の売却等を装い、前金又は内金名義で金品をだまし取るものをいう。
(6) 地方で多発する贈収賄事件
 最近5年間の贈収賄事件の検挙件数及び検挙人員は、図3-49のとおりで、昭和46年に最低を記録し、47年に上昇に転じたが、49年は件数、人員とも再び減少し、742件、884人となった。

図3-49 贈収賄検挙件数及び検挙人員の推移(昭和45~49年)

 検挙した贈収賄事件を態様別にみると、図3-50のとおり、土木建築工事の施行をめぐるものが26.8%と最も多く、次いで許認可、登録、承認等をめぐるもの25.2%、地方議会議長等の選任に伴うもの7.3%の順となっている。
 その内容を具体的にみると、農地転用、土地開発許認可等をめぐるもの、庁舎、道路等の建設工事をめぐるもの、上下水道、ゴミ、し尿処理等生活環境施設建設をめぐるものなどが多いが、不況を反映した企業融資をめぐるものや、公害補償等各種の住民要求に関連した贈収賄事

図3-50 贈収賄事件の態様(昭和49年)

件も目立っている。
〔事例1〕 土地をめぐる贈収賄事件
 足利市議会議員らが、ゴルフ場開発に伴う市有地払い下げの審議、議決に関し、開発業者ら8人から現金1,555万円の賄賂を受け取った(栃木)。
〔事例2〕 下水道工事をめぐる贈収賄事件
 津市役所都市排水課長らが、下水道工事の契約、監督、検査に関し、工事請負業者ら7人から現金等351万余円の賄賂を受け取った(三重)。
〔事例3〕 地方議会副議長選挙をめぐる贈収賄事件
 宇都宮市議会議長ら議員11人が、同市議会副議長選挙に関し、選任を希望する議員から現金等167万余円の賄賂を受け取った(栃木)。
〔事例4〕 融資をめぐる贈収賄事件
 奈良市信用金庫貸付課長らが、過振りの黙認に関し、顧客ら2人から現金等208万余円の賄賂を受け取った(奈良)。
〔事例5〕 補償金の交付をめぐる贈収賄事件
 佐賀県議会議員が同県の企業誘致に伴う土地買収金の格差是正金及び港湾開発に伴う漁業権消滅のための補償金の交付に関し、関係住民43人から請託を受け、現金等90万円の賄賂を受け取った(佐賀)。
 収賄公務員を国家公務員と地方公務員別にみると、逐年地方公務員の占める比率が高くなってきており、昭和49年は図3-51のとおり、地方公務員が全体の84.4%、国家公務員が6.6%となっている。地方公務員の所属をみると、図3-52のとおりで、地方議会議員が39.8%と最も多く、次いで建設関係の14.9%、保健衛生関係の9.5%、総務関係の7.4%の順となっている。なかでも、ここ数年、地方議会議員の占める割合が著しく高くなっているが、こうした現象は、ゴルフ場等の各種の地域開発に対する規制の強化に伴って地方公共団体の行政事務や議会の審議、議決事項が増加したことなどによるものとみられる。
 また、昭和49年中に検挙した贈収賄事件を贈収賄の手段面からみると、図

図3-51 収賄者の身分構成比(昭和49年)

図3-52 収賄地方公務員の所属(昭和49年)

3-53のとおり、単純収賄が最も多く、次いで受託収賄、加重収賄の順となっている。これを前年と比べると、単純収賄は減少したが、悪質性の強い受託収賄及び加重収賄が増加しており、また、検挙事例にも賄賂の供与を公務員が積極的に要求するいわゆる要求型の事件が目立っている。
〔事例1〕 東京消防庁職員らによる贈収賄事件
 東京消防庁総務部施設課員らが、同庁庁舎新築工事に伴う入札、工事の監督等に関し請負業者に便宜を与え、その見返りとして1,000万円の賄賂を要求し、現金等100万余円の供与を受けた(警視庁)。
〔事例2〕 佐治村教育委員会参事らによる贈収賄事件
 佐治村教育委員会参事らが、校舎新築工事に伴う土木工事に関し、請負業者の手抜き工事等を指摘したうえ賄賂を要求し、現金10万円の供与を受けた(鳥取)。
 収賄者を年齢別にみると、図3-54のとおりで、40歳代、50歳代で全体の63.3%を占めているが、60歳以上が16.3%と比較的高率であるのは、地方議会議員による事案が増加したためである。

図3-53 贈収賄種別構成比(昭和48、49年)

図3-54 年齢別にみた収賄者(昭和49年)

3 国際犯罪の捜査

(1) 国際犯罪情勢
ア 日本からみた国際犯罪
 過去10年間に日本で検挙された外国人被疑者数(交通関係業務上(重)過失致死傷及び道路交通法違反を除く。以下同じ。)と本邦入国・滞在外国人数の推移をみると、図3-55及び図3-56のとおりで中国人及び韓国・朝鮮人の検挙人員は、その入国者数及び外国人登録者数の漸増にもかかわらず、減少傾向にあるが、一般外国人(中国人、韓国・朝鮮人及び在日米軍関係者を除く外国人)の検挙人員は、入国者数の推移とほぼ同様の動向を示しており、この10年間増加傾向にあるといえる。なお、米軍人等の検挙人員は、昭和46年まで300人から400人台を上下していたが、47年の沖縄復帰によって沖縄の検挙人員が計上されるようになったために急増し、48年には1,000人台に達したが、49年には940人と減少した。

図3-55 一般外国人の犯罪(昭和40~49年)

図3-56 中国人及び韓国・朝鮮人の犯罪(昭和40~49年)

 一般外国人の犯罪の中には、職業的犯罪者による悪質な事件が日立っている。例えば、アルゼンチン大統領の顧問と称する男によるデパート、ホテルを対象とした多額詐欺事件、香港警察から手配のあった4人組による連続ホテル荒らし、アメリカ人3人組による多額のホテル荒らし等が挙げられる。
 次に、日本人の外国における犯罪は、図3-57のとおりで毎年増加の傾向にある。しかもこの数字は、外国から通報のあった分だけであるから、このほかにも少なからぬ日本人が外国で検挙されていることが推測される。昭和49年について、主な罪種別に検挙人員をみると、殺人15人、強盗7人、窃盗14人、麻薬25人等であり、殺人の大部分は、日本人船員間の事案である。
 日本人の外国での犯罪のうち、刑法第3条(国民の国外犯)の適用を受けた事例をみると、スペインのラスパルマスで日本人船員が水夫長に暴行を加えて死亡させた事案、サンフランシスコで日本人が日本刀剣を盗んだ事案、パリで日本人1人を含む3人組が日本人ガイドから金銭を強奪した事案等があ

図3-57 日本人の外国における犯罪(昭和40~49年)

る。
 次に、被疑者や保釈中の被告人の海外逃亡事案も目立っている。総額2億余円の美術品窃盗団一味のフランス逃亡、選挙違反被疑者のハワイ逃亡、覚せい剤密輸事件で公判中の被告人(保釈中)のタイ逃亡等がその例である。これ以外にも、日本人旅行者に紛れて偽造旅券や変装によって被疑者等が海外に逃亡している例もあるのではないかと疑われる。
イ 外国人犯罪の実態-日本と西ドイツとの比較
 国内における外国人犯罪について日本と西ドイツを比べると、表3-7の とおり、西ドイツが外国人被疑者総数において約8倍、検挙被疑者総数に対する外国人被疑者数の比率において約4倍と、いずれも日本を上回っている。その理由としては、島国の日本に対して、西ドイツは経済的・地理的要因から大量の外国人労働者と旅行者が流れ込んでいるため、滞在外国人数が日本とは比較にならないほど多いこと、しかも、ドイツ連邦刑事局の分析によると、外国人のうち40歳未満の成人男子の数が相対的に優位を占めていることが挙げられている。ちなみに、トルコ、ユーゴスラビア及びイタリアからは多数の労働者が西ドイツに流入しているが、この3国だけで6万8,136人と全外国人被疑者の約54%を占めている。これに対して、日本に滞在する外国人の約70%は中国人と韓国・朝鮮人であり、これらの外国人は日本に定住して生活している。

表3-7 外国人犯罪の実態(1973年)

 次に、主要な犯罪について両国を比較すると、表3-8のとおりで、法律及び統計方法が異なるための誤差を見込んでも、西ドイツにおける外国人犯罪の深刻さがうかがえる。特に殺人、強姦という凶悪犯と賭博の構成比が非常に高いことが注目される。また、このことは、刑法犯の罪種別に検挙被疑者に占める外国人の割合が高い順位を比べてみても明らかである。すなわち日本の場合には、恐喝の6.2%を最高にほかはいずれも6%以下であるのに 対して西ドイツでは、賭博の49.8%を最高に10%以上の罪種が七つもある。そしてその主要なものは、凶悪犯、粗暴犯に属する犯罪である。

表3-8 主要犯罪別の外国人被疑者の割合(1973年)

(2) 国際犯罪への対応
 犯罪が国際的な広がりをもってきた現在、各国の司法警察機関が国家のわくを越えて互いに協力し合うことがますます重要になってきており、この国際協力のかなめが国際刑事警察機構(ICPO)である。
ア ICPOの活動
 ICPOの活動は多岐にわたっているが、そのうち重要なものは、国際犯罪に関する情報交換と犯人の逮捕・引渡しについての円滑な協力の確保である。ICPO事務総局が加盟国の要請にこたえて取り扱った国際犯罪の件数は、図3-58のとおり年々増加の一途をたどっており、犯行の場所を国外に求めやすい麻薬犯罪や通貨等の偽造・変造事件の多いことが注目される。また、このほかにも加盟国間で直接取り扱った国際犯罪が相当数ある。
 次に、国際犯罪情報の交換数をみると、図3-59のようになる。左側にICPO事務総局が加盟国に送付した情報件数を、右側に加盟国が他の加盟国と直接交換した情報件数をそれぞれ掲げた。これによると、事務総局が加盟国に提供した重要な情報が逐年増加の傾向にあることが注目されるが、一方で、右側の数字は全加盟国の約5分の1以下の国の数字であって、加盟国相

図3-58 ICPO事務総局扱い国際犯罪件数(1969~1973年)

図3-59 情報交換数(1969~1973年)

互間の情報交換量が極めて多いことがうかがわれる。
 ICPO事務総局は、国際犯罪のうち重要なものを選んで国際手配書を発行して加盟国に流しているが、その状況は図3-60のとおりで、国際手配書又 は事務総局の協力により逮捕された犯人の数は年々増加している。

図3-60 国際手配書発行数と逮捕された犯人数(1969~1973年)

 ICPO事務総局がこうした活動を通じて得た国際犯罪に関するファイルは、1974年6月現在で、約214万枚の氏名索引カード、約11万枚の指紋表及び約6,000枚の重要国際犯罪者の写真等から成っており、これらのファイルは国際犯罪の予防、検挙に貢献している。
イ 日本の活動
 我が国は、昭和27年にICPOの前身であるICPC(国際刑事警察委員会)に加盟した。現在、日本の国家中央事務局(NCB、National Central Bureau)は、警察庁に置かれている。我が国の国際的地位の向上に伴って、日本NCBの役割も大きくなり、昭和42年のICPO京都総会に引き続いて、49年4月には、ICPOアジア地域通信会議が東京で開かれた。この会議は、警察庁が地 域中央局となっているICPO東南アジア地域無線網の整備、充実を目的としたもので、会議には事務総局員のほかに、9箇国から18人の外国代表及びオブザーバーが参加して活発な意見交換が行われた。
 昭和50年度には、警察庁に国際刑事課を新設して、日本国家中央事務局の事務を担当させ、また、事務総局に日本の警察官を派遣する運びになっている。更に、昭和50年6月には、東京で第1回国際捜査セミナーが、警察庁、外務省及び国際協力事業団の主催で行われる予定である。
 次に、日本国家中央事務局の通信数をみると、国際犯罪の増加傾向とほぼ同様の推移を示しており、昭和40年には約1,000件の発受信数であったものが、45年には3,000件台に達し、その後一時的に落ち込みがあったものの、49年には4,088件と初めて4,000件を突破した。
 昭和49年中に、警察庁が取り扱った主な国際協力事例は、次のとおりである。
〔事例1〕 昭和49年12月、我が国は米国に対し、ハワイに逃亡中の殺人被疑者の身柄引渡しを請求した。これは、日米逃亡犯罪人引渡条約の戦後初適用の事例である。この者には、福岡県大牟田市で発生した殺人事件の被疑者として逮捕状が出されており、引渡しの請求後、米国当局はこの者を仮逮捕して、ホノルルの連邦地方裁判所において引渡し裁判に付した。
〔事例2〕 タイから事実上の身柄引渡しを受けて日本で起訴され保釈中の被告人が、他人名義の旅券で再度タイへ逃亡した事件につき、タイ国家中央事務局と連絡のうえ、昭和49年5月に日本の捜査官をタイへ派遣して、タイ政府から国外退去を命ぜられた被告人を日航機内で旅券法違反で逮捕した。
〔事例3〕 昭和49年6月21日、アムステルダムの運河でトランク詰めの日本人男性の死体が発見された事件につき、現地警察からICPOルートで警察庁に死者の身元照会があった。遺体の指紋、着衣等の資料をもとにして、全国の警察に協力を求めて調査した結果、被害者の身元を確認し た。その後、同年9月になって、この事件の被疑者としてフランス人男女2人が逮捕された。
ウ 今後の課題
 昭和45年以降国際犯罪に対する内外の関心が高まるにつれて、国際協力体制の充実が図られてきた。特に、国際刑事課の新設、ICPO事務総局への職員派遣、各種の会議、セミナー等は、国際協力を更に発展させるものと期待されているが、他方、問題も少なくない。
 第1の問題は、外国人犯罪や自国民の国外での犯罪について、関係国と必ずしも十分な連絡がとられていないことである。このため、外国で刑法第3条(国民の国外犯)に該当する罪を犯しながら、国外追放処分だけで日本に舞い戻る例もあるのではないかとみられる。そこで、外国人を検挙した場合には、必ず関係国に通報し合う制度を国際的に確立するほか、併せて犯罪者の出入国監視の強化を図る必要がある。
 次に、国外犯を認知してこれを検挙するには、外国警察に依頼して証拠を収集するほか、事件によっては我が国の警察官が直接現地へ赴いて、相手国警察の協力を得て証拠集めに当たる必要が出てくる。今後重要な国外犯が増加するにつれて、日本の捜査官が外国に出かける事案も増えると予想されるので、予算上の改善を図る一方で、法制面のあい路を克服することが急務である。
 第3に、外国警察から各種の協力を求められた場合、我が国としてどこまでこれに応じるか、外国警察官の我が国における活動をどこまで認めるかなどの点も重要である。この問題については、従来から具体的事案に即して弾力的に対処してきているが、国際協力事案が増加する折柄、何らかのより明確な基準を定める必要があると思われる。
 以上の問題のほかにも解決すべき点は少なくないが、これらはいずれも犯罪の国際化に固有の課題であり、その解決のためには、犯罪捜査を一国内で完結するものとしていた従来の考え方から抜け出すことが必要である。

4 暴力団の取締り

(1) 暴力団の実態と動向
ア 暴力団の構成員数は11万人
 全国の警察では握している暴力団の団体数と構成員数は、昭和49年12月末現在、2,650団体、11万819人で、前年に比べて、73団体(2.7%)、3,687人(3.2%)減少した。過去10年間の推移をみると、図3-61、図3-62のとおり、全暴力団の団体数、構成員数は、昭和40年以降減少する傾向にあるが、これに対し、広域暴力団(注)は、昭和43年以降2,000団体前後と横ばい状態にある。

図3-61 暴力団団体数の推移(昭和40~49年)

図3-62 暴力団構成員数の推移(昭和40~49年)

 また、50人以上の構成員を持つ大型暴力団団体数は、昭和49年末現在、316団体で、前年の293団体に比べ7.8%増加し、暴力団の大型化を示している。
(注) 広域暴力団とは、2以上の都道府県にわたって組織を有する暴力団をいい、構成員も多く、悪性の高いものが多い。
イ 巧妙な組織運営と勢力拡大
 暴力団は、組織規模も大型化し、厳しい世論や警察の取締りにもかかわらず、依然として根強くはびこっている。
(ア) 大規模広域暴力団の支配力の増大
 山口組、稲川会等の大規模広域暴力団は、警察の強い取締りにもかかわらず、その勢力には根強いものがある。最近5年間における全暴力団中の広域暴力団団体数の比率は、図3-63のとおり、年々高まっており、昭和49年には、2,650体中2,032団体となっており、その比率は76.7%である。
 警察では、昭和46年、大規模広域暴力団のなかで、特に悪質で勢力の大きい団体、すなわち、山口組、大日本平和会、松葉会、稲川会、日本国粋会、住吉連合及び元極東愛桜連合会を、警察庁指定7団体に指定し、その取締りの強化を図ってきている。
 特に、山口組は、図3-64のとおり、系列下の構成員が増加している。

図3-63 全暴力団に占める広域暴力団団体数の比率の推移(昭和45~49年)

図3-64 山口組の勢力拡大状況(構成員数)(昭和40~49年)

(イ) 資金獲得活動の多角化
 暴力団は、組織を維持、拡大するために、多額の資金を必要とする。その資金獲得活動は、合法的なものと非合法的なものに区別できるが、これらの活動は、社会各層に深く浸透している。
 警察庁がは握したところによると、昭和49年における暴力団の合法的資金源は、風俗営業、金融業、不動産業、建設業を中心として、およそ2万6,000の企業に関係しているが、未は握のものもかなりあると思われるので、暴力団が何らかの形で取り扱った商品やサービス等が国民生活に相当浸透していると推測される。
 非合法資金源は、と博、ノミ行為、覚せい剤の密売、売春、ブルーフィルムの製造・販売、企業恐喝等が多い。暴力団の収入は、昭和49年中に警察が検挙した事件から判明しただけでも、麻薬、覚せい剤86億円、ノミ行為38億円、と博19億円、売春3億円、ブルーフィルム2億円、企業恐喝9億円であり、実際得ている収入は、少なく見積もってもこの10倍は下らないと推定される。
 暴力団は、警察の取締りと最近の不況等により、資金源が狭まったため、総会屋に転向したり、総会屋と手を結んで大企業に食い込むなど、社会や経済の動きに敏感に反応して、大きな利益が予想できる分野に、新しい資金源を求めて進出する傾向が強まっている。
〔事例1〕 手形割引をめぐる詐欺事件
 山口組系菅谷組員(39)は、日本熱学役員(43)と共謀のうえ、融通手形を利用して、手形割引を口実に、昭和49年5月ごろ、3回にわたって信用組合から約1億円をだまし取った(大阪)。
〔事例2〕 暴力団が総会屋として大企業に食い込んでいる事例
 稲川会幹部(49)は、企業を資金源とするため、輩下の会社ゴロ(32)の指導の下に「T政治経済研究会」を設立し、大企業から賛助金等を得ていた(警視庁)。
(ウ) 組織防衛を強める暴力団
 暴力団は、暴力排除の世論や警察の取締りの矛先を避けるため、いろいろな工作や偽装を行っている。
a 名称、呼称の改変
 組織の名称については、××興業、○○会等一般企業団体と類似するものを使用し、また、組織内の役職については、理事、監事等、会合については、例会、最高幹部会等と呼称して、一見しただけでは暴力団であることが判然としないように偽装している。
b 仮装活動
 その活動についても、麻薬追放運動や右翼政治結社としての活動等を組織活動の中心であると強調して、その組織存続の意義や正当性を主張する例が多くなっている。
〔事例1〕 麻薬追放運動を主張する事例
 覚せい剤の密売等で多くの検挙者を出している広域暴力団山口組は、「全国麻薬追放国土浄化同盟」を結成し、「麻薬、覚せい剤の追放運動」を展開している。昭和49年1月には、神戸市内の神社に山口組系組員260人を集め、この同盟の入魂式を行った。同年11月には、兵庫県内の主要駅前等において麻薬、覚せい剤追放ビラを通行人に配布して宣伝活動を行った(兵庫)。
〔事例2〕 右翼団体を仮装する事例
 山口組系暴力団首領(47)は、「八紘一宇の大義のための昭和維新実現」を目的とした右翼団体を結成し、昭和49年5月、大阪市内の神社で輩下の組員らに制服を着用させ、山口組主要幹部等を招いて入魂式を行い、更に、有名大企業に機関誌を郵送するなど、活動目的を宣伝した(大阪)。
c 紛争の内部的処理
 対立抗争等の紛争を起こすと、世論の非難と警察の取締りが強化されるので、地域に暴力団の親ぼく会を設け、紛争の早期解決に当たるなどの動きもみられる。
(2) 市民生活を脅かす暴力団犯罪
ア 対立抗争事件の増加
 最近5年間の暴力団の対立抗争事件は、図3-65のとおり、昭和46年以降減少傾向にあったが、昭和49年は、前年に比べ25件増の77件の発生をみた。これらの対立抗争事件の中には、白昼、盛り場でけん銃を乱射した事案、ダイナマイト、手りゅう弾等殺傷力の大きい武器を使用した事案が多くみられ、また、短時日に4度もけん銃等が乱射されたものがあって、市民に大きな不安と恐怖感を与えた。

図3-65 暴力団対立抗争事件発生件数の推移(昭和45~49年)

 昭和49年に対立抗争事件が増加した原因としては、一つには、警察の取締りの強化と最近の不況によって暴力団の資金源が狭まり、この維持と獲得をめぐって抗争が多発したこと、二つには、組織内部の主導権をめぐって内紛が増加したことが挙げられる。
〔事例1〕 白昼、繁華街でけん銃を乱射した事件
 昭和49年10月、貸金取立てをめぐって対立していた酒梅組系暴力団員が、大日本平和会系暴力団員に、白昼、大阪市内の繁華街で、けん銃を発射したのをきっかけに、けん銃の激しい撃ち合いになって重傷者2人を出した(けん銃6丁押収)(大阪)。
〔事例2〕 短時日に繰り返してけん銃等を乱射した事件
 昭和49年3月、千葉市内のなわ張りをめぐって対立していた稲川会系暴力団と住吉連合系暴力団は、千葉市の歓楽街、栄町を舞台に、わずか5日の間に、双方の事務所に4度にわたって、けん銃や猟銃を乱射しあった(けん銃2丁、猟銃2丁押収)(千葉)。
〔事例3〕 資金源拡大のため地方進出を企て、反撃された事件
 山口組系暴力団は、新しい資金源獲得のために秋田県進出を企て、配下の秋田県出身者を送り込んで事務所を開き、組員にバッチをつけて歓 楽街を歩かせるなど挑発したため、地元暴力団がこれに反発し、昭和49年9月、地元の暴力団員8人が木刀、鉄棒、くわ等で武装し、山口組系暴力団の事務所に殴り込んで2人に重傷を与えた(秋田)。
イ 暴力団員による銃器使用犯罪
(ア) 銃器使用犯罪が倍増
 昭和49年中に、暴力団がけん銃や猟銃を発射した事件は92件で、前年の50件に比べて、約2倍と大幅に増加した。使用された銃器は、けん銃89丁、猟銃(ライフル銃と散弾銃)35丁であり、これらの銃器による死傷者は、67人に上った。
 銃器使用犯罪は、組織対組織の対立抗争事件に、最も多くみられ、金銭関係のもつれによるものがこれに次いでいる。また、飲酒の上の口論でけん銃を発射したものも多く、暴力団の凶暴性が、これからもうかがえる。
(イ) けん銃による武装化
 最近5年間の暴力団取締りによって押収したけん銃、日本刀、あいくち等の凶器数は、図3-66のように増加傾向にあり、昭和49年中に押収した凶器

図3-66 凶器押収数の推移(昭和45~49年)

総数は、8,410点、その中でけん銃は1,054丁で、戦後最高を記録したが、これは、毎日3丁ずつのけん銃が押収されたことになる。更にこの数字からみると、暴力団の武装化の傾向が一段と強まっていることが推察できる。
(ウ) 大がかりなけん銃密輸入、密造、密売事件の増加
 昭和49年には、暴力団の武器に対する需要の増大に伴い、大がかりなけん銃の密輸入、密造、密売事件が多発している。
〔事例1〕 外国人留学生と共謀した大量のけん銃密輸入、密売事件
 暴力団員(56)は、T国留学生らと共謀して、昭和48年10月から、49年8月までの間、9回にわたってT国から、駐日T国大使館あてに航空便小包で、けん銃約200丁を密輸入し、これを暴力団数団体に密売した(被疑者33人検挙、けん銃44丁押収)(大阪)。
〔事例2〕 遠洋漁船員等を巻き込んだけん銃等密輸入、密売事件
 山口組系暴力団組長(32)は、昭和45年初めころから、組員を遠洋マグロ漁船の船員として乗り込ませたり、船員を抱き込んだりして、数回にわたり南アフリカ、オーストラリア方面から、けん銃、ライフル銃を密輸入し、これを暴力団員に密売した(被疑者30人検挙、けん銃19丁押収)(高知)。
〔事例3〕 暴力団による組織ぐるみのけん銃密造、密売事件
 稲川会系暴力団組長(48)は、組織ぐるみでけん銃の密造、密売を計画し、昭和48年6月から9月までの間に、モデルガンを大量に仕入れ、名古屋市内のアパートやマンションを工場として、けん銃66丁を製造し、稲川会の組織を通じて、中部、近畿、九州の暴力団に密売した(被疑者34人検挙、けん銃52丁押収)(愛知)。
ウ 暴力団に殺害された市民は56人
 昭和49年中に暴力団によって殺害された者(傷害致死を含む。)は59人で、このうち、56人は暴力団と何ら関係のない一般市民であった。また、これら一般市民のうち25人は、図3-67のとおり、飲酒上の口論や肩が触れたなどさ細なことが原因で殺害されたものであって、このことからも暴力団の凶暴 性がうかがわれる。
〔事例1〕 妻が密通したと誤解して妻ほか1人を焼き殺した事件
 妻が情夫をつくったと邪推した山口組系暴力団員(46)は、その真偽を確かめるため、昭和49年5月、情夫として疑った男3人を自宅に呼びつけたうえ、妻を短刀で拷問したが、否定し続けたため、ガソリンを床にまき、ライターで、点火し、妻と男1人を焼き殺したほか、他の男2人に全身火傷の重傷を負わせた(京都)。
〔事例2〕 さ細なことから暴力団員が高校生を刺し殺した事件
 山口組系暴力団員(21)は、昭和49年3月、神戸市内の空き地に放置されていた廃車に乗って遊んでいる高校生数人を見て、「誰がこの車に乗った」ととがめたところ、高校生のうちの1人が、「他人の土地に勝手に車を置くものが悪い」と反発したことに激怒して、刃渡り24センチメ

図3-67 暴力団構成員による一般人の殺害原因(昭和49年)

ートルのあいくちで、同高校生を刺し殺した(兵庫)。
(3) 暴力団との闘い
 暴力団は、市民の暴力排除の活動や、警察の取締りによって、団体数や構成員数についてみる限り、減少傾向をたどっている。しかし、大きな勢力を持ち、悪質性の高い指定7団体を中心とする広域暴力団の勢力は依然弱まっていない。
 警察では、昭和46年以降、指定7団体を中心として、全国規模の取締りを継続実施してきたが、昭和49年も、世論の支持を背景に徹底した取締りを実施し、122の暴力団を壊滅、解散させるなど相当の成果を収めており、引き続き、市民との共同作戦によって、指定7団体を重点対象として暴力団の壊滅に努めている。
ア 検挙状況
 過去10年間の暴力団犯罪の検挙状況をみると、図3-68のとおり、昭和40年以降減少傾向を続けていた検挙人員は45年から上昇に転じて増加し、49年は前年に比べ約1,200人増の約5万3,000人となった。
 また、各罪種別の検挙状況は、表3-9のとおりで、検挙件数は、傷害、覚せい剤、暴行、恐喝、銃刀法、詐欺、賭博の順となっている。暴力団の主な資金源犯罪は覚せい剤、恐喝、詐欺、賭博等であるが、前年に比べ、覚せい剤の検挙が著しく減少している。
 警察では、税務当局に対して、暴力団の所得に対する課税措置のための通報をしているが、これは、暴力団活動の資金を封圧してその活動を弱体化させるためである。昭和49年中の税務当局に対する通報は、139件、24億2,000万円で、特に、稲川会系の15件、6億3,000万円を筆頭に、指定7団体が72件、11億7,000万円とほぼ半数を占めている。
イ 広域集中取締りの実施
 広域暴力団に対しては、都道府県警察が個別に行う取締りでは、十分な効果をあげることができないので、取締対象と検挙時期について、各都道府県警察が、同一歩調で実施する「広域集中取締り」を強力に推進した。
 第1回として、昭和49年10月、警視庁、群馬、埼玉、千葉、神奈川、静岡の1都5県の警察が、関東地方に強大な勢力を有する稲川会に対していっせい検挙を実施した。これによって主要幹部12人を含めて390人を検挙し、稲川会の組織に大きな打撃を与えた。
 第2回は、昭和49年11月、富山、石川、福井、愛知、京都、大阪、兵庫の2府5県の警察が、全国的に大勢力を有する山口組と、その系列下で中心的な活動をしている山健組と菅谷組に対して、いっせい検挙を実施した。この結果、主要幹部14人を含む111人を検挙した。
ウ 盛り場の暴力追放作戦の実施
 盛り場は、風俗営業、深夜飲食店、ソープランド等が多数集中しており、暴力団のなわ張りとして最も利益が多いので、この利権をめぐる対立抗争事件や、暴力行為等各種違法行為が繰り返されて、市民に与える不安も大きい。そこで警察庁では、全国の盛り場26地域を「盛り場モデル地域」に指定し、また、各府県警察でも独自に73地域の盛り場を指定して、刑事、防犯及び交通部門が連携し、盛り場地域の浄化作戦を強力に展開した。
エ 市民と警察の共同作戦
 暴力団を根絶して、安全で平和な町を作るためには、警察の取締りだけでなく、一人一人の市民が自分たちの町を明るい安全なものにするための努力が必要である。
 昭和49年に、盛り場の暴力追放を目指して、全国各地で地方公共団体、職域・地域団体、企業等による「暴力排除委員会」、「暴力監視員」、「暴力追放懇談会」等の結成と、自分たちの町を自分たちできれいにする市民の動きが活発になり、暴力排除の気運が盛り上がったことが注目される。こうした動きが更に広まり、全国の一つ一つの町から暴力をなくすためには、市民と警察の共同作戦が、これからも地道に粘り強く続けられなければならない。
〔事例〕 「川崎駅前地域暴力追放協議会」
 市民の弱みにつけ込んで、“甘い汁”を吸っている暴力団を街から追い出すため、商店主、風俗営業関係者、町内会の代表で「川崎駅前地域 暴力追放協議会」を結成し、強力な暴力排除活動を実施している。
 この協議会は、町内会、商店、風俗営業の3分会を設け、それぞれ活発に活動しているが、これによって暴力団に対する苦情もすぐに警察に通報され、迅速な処理が図られるようになり、暴力排除活動の効果を高めている(神奈川)。

図3-68 暴力団犯罪検挙状況の推移(昭和40~49年)

表3-9 暴力団犯罪の罪種別検挙状況(昭和48、49年)

5 都市における捜査活動の実態

(1) 困難化する都市の捜査活動
 我が国の10万人以上の人口を擁する都市(以下「都市部」といい、それ以外の地域を「郡部」という。)は、昭和49年3月31日現在で168市(東京23区を1市として計上する。)を数えるが、これらの都市部に住む人口は、図3-69のとおり、我が国の総人口の53.4%を占めている。このような人口集中によって都市に現出した様々な現象は、よかれあしかれ現代社会の有する特質の縮図にほかならない。なかでも犯罪現象についてみると、人口の都市集中に伴い、犯罪の都市集中の傾向が極めて顕著で、図3-70のとおり、昭和49年中に都市部で発生した刑法犯は、全国の総認知件数の69.9%を占めており、その集中の度合いは人口の集中率を上回っている。

図3-69 人口の集中率(昭和49年3月31日現在)

図3-70 刑法犯の集中率(昭和49年)

 一方、都市部における検挙率の推移をみると、図3-71のとおり全国平均の検挙率がほぼ横ばいであるのに対して、都市部のそれは10%以上の落ち込みとなっている。これは都市における連帯意識の希薄化、匿名性の増大、社会統制機能の弱化等により、捜査活動が次第に困難の度合いを増しているため で、今や都市部における捜査活動の効率化は、警察の抱えている最も大きな課題の一つとなっている。

図3-71 刑法犯検挙率の地域別比較(昭和41、49年)

ア 難しくなった聞込み捜査
 都市社会の特色である連帯意識の希薄化、匿名性の増大は、捜査活動の有力な手法である「聞込み捜査」に大きな影響を与えている。例えば、都会の雑踏の中で犯罪が発生すると、人々はこれに対して大きな関心を持って犯罪現場にい集するが、捜査活動が開始されると、協力を渋る傾向がみられる。一方、住民が関心をもって情報を得ようとしても、都会の匿名性等により十分な情報が得られないというのが実情で、このためマンションやアパートへ捜査員が聞込み捜査に行っても、隣人の職業はおろか、名前さえ知らないというケースが極めて多い。図3-72は聞込みを端緒として検挙した事件数の総検挙件数に占める割合をみたものであるが、郡部と比べて、都市部の聞込み捜査が極めて困難になってきていることを物語っている。

図3-72 「聞き込み」による凶悪犯検挙件数構成比の推移(昭和41、49年)

 次に総理府広報室が昭和49年に実施した世論調査によると、犯罪事件について何か知っている場合に、「自分から進んで警察に連絡する」という者は 54%で、前回(47年)の49%を上回り、過半数を示したが、「警察から聞かれたら答える」という者も29%で前回の27%より増えている。他人の生活と没交渉の一般的傾向を考え合わせると、積極的な協力意欲を持つ人が有力な情報を持っていることは必ずしも多くないので、粘り強い聞込み捜査等警察の積極的な働きかけがなければ犯人検挙に直結する情報が得にくい実情がうかがわれる。
 また、都市部においては、図3-73に示すように、全く面識のない者によるいわゆる“行きずり型”の犯罪の発生率が、郡部と比べて極めて高い。この種犯罪は聞込みが困難で、都市部における捜査活動をますます難しいものとしている。

図3-73 面識のない者による凶悪犯、粗暴犯の犯罪率(昭和49年)

イ 早期検挙率の減少
 犯罪の早期検挙は、地域住民の不安を解消し、第二、第三の犯罪被害の発生を予防する意味からも、また捜査経済の点からも極めて重要であり、従来からもこの目的実現のために多くの施策が講じられてきたが、必ずしも十分な効果をあげてきたとは言えない実情にある。図3-74のとおり、凶悪犯の認知件数のうち、認知したその日のうちに犯人を検挙した件数の比率の推移は、昭和47年にその比率が激減し、以後その状態が続いているが、殺人事件では49年に更に落ち込みがみられた。
 このようにして、一たび犯罪者を取り逃がし、都市の中に埋没させてしまうと、聞込み捜査の困難化とあいまって、日がたつほど情報が得にくくなり、捜査活動はますます長期化することになる。図3-75は、刑法犯の総検挙件 数を発生から検挙までの期間別に何%検挙できたかを分析し、昭和41年と49年とを比べたものであるが、41年には総検挙件数の50%以上を認知した日から20日未満のうちに検挙していたのに対して、49年には総検挙件数の50%以上が1箇月を超える捜査期間を要したことになる。

図3-74 凶悪犯認知件数に対する即日検挙件数の推移(昭和41~49年)

図3-75 都市部における刑法犯の累積検挙率(昭和41、49年)

ウ 被害回復率の低下
 早期検挙率の低下は、捜査活動の長期化傾向を招く一方、犯罪による被害品の回復にも大きな影響を与えている。図3-76は、財産犯の被害額とその回復額の推移をみたものであるが、被害額は年々上昇の傾向にあり、昭和49年は国民1人当たり1,015円で、このうち回復したものは230円で22.7%にすぎない。図3-77は、昭和41年と49年の地域別の窃盗による被害の回復率を比べてみたものであるが、全国的な被害回復率の低下傾向の中で、郡部ではなお28.1%の回復率を維持している。
エ 難しい夜間犯罪への対応
 都市部における窃盗、粗暴犯、凶悪犯の発生時間をみると、図3-78のとおり、窃盗では全体の41.3%、粗暴犯では全体の58.0%、凶悪犯では全体の64.7%が、それぞれ午後8時から午前6時の間に発生している。粗暴犯、凶悪犯がこのように夜間に多く発生しているのは、都市部には繁華街も多く、夜間の活動人口が多いためと考えられる。このため都市部では、夜間におい

図3-76 財産犯の被害額及び回復額の推移(昭和40~49年)

図3-77 地域別窃盗被害回復率(昭和41、49年)

図3-78 都市部の窃盗、粗暴犯、凶悪犯認知件数の昼夜間別構成比(昭和49年)

てもかなりの量の捜査活動が要求されているが、一方で昼間は被疑者、参考人の取調べ、聞込み捜査等夜間を上回る捜査活動が必要なため、夜間へ捜査力を振り向ける努力も限界に達している実情にある。
 警察では、捜査員を輪番で宿直勤務につけるとともに、機動捜査隊の増強を図ってこれに対処しているが、なお十分ではなく、都市部における夜間捜査力の強化は警察の抱える大きな課題となっている。
(2) 欧米諸都市における捜査活動
ア 概況
 我が国の都市部における捜査活動は次第に困難の度合いを増しているが、欧米の諸都市についてみても同じような傾向があって、各国警察ともその対策に苦慮している実情である。
 図3-79 は欧米の代表的な都市の殺人事件の発生率を比較したものである

図3-79 欧米の都市における殺人事件の発生率(人口10万人当たり)

が、ニューヨーク、ロサンゼルスにおける発生率が飛び抜けて高く、その他の都市も東京より高い比率を示している。
 また、例えばニューヨークにおける殺人の発生時間帯をみると、図3-80のとおり、午後10時から午前2時の間の発生が、最も高い比率を示してお

図3-80 ニューヨークにおける殺人事件の発生時間帯別比率(1973年)

り、我が国の都市部と同様に夜間の発生が昼間のそれを上回っている。
 一方、これらの諸都市の犯罪は、内容的にも悪質化の一途をたどっており、人質事件、爆破事件、銃器を使用した強盗事件等の多発化傾向は、各都市に共通してみられ、犯罪の悪質化は各国共通の現象となっている。
 図3-81はロサンゼルスにおける爆破事件の発生件数の推移をみたものであるが、爆破事件の多発には各警察とも手を焼いていると言われる。

図3-81 ロサンゼルスにおける爆破事件の推移(1971~1974年)

イ 各部市における諸対策
 以上のような犯罪傾向に対して、欧米諸都市の警察では、まず制服警察官をより多く街頭へ出して犯罪の発生を事前に防止するとともに、早期に犯人を検挙するよう努め、本格的な捜査活動は捜査部門の係員によって展開するシステムをとっている。欧米諸都市の警察が、効率的な捜査活動を展開するために講じている主な対策は次のとおりである。
(ア) ニューヨーク市警察本部
 ニューヨーク市警察本部では1972年に捜査活動の専門化を図るため、73の警察署(precinct station)の全捜査員の本部への引き上げを図った。しかし、過度の集中化のため、翌年再び一部の捜査員を警察署へ戻し、警ら部門(Field Service Bureau)の指揮下に入れ、現在に至っている。犯罪の増加に対しては、犯罪の発生数、重要度に応じた捜査部門内での適正な配置によって対処することを主体としている。捜査員は、午前8時から午後4時まで、午後4時から午前0時まで、午前0時から午前8時までの3つの勤務時間帯に分けて交替制勤務を実施している。
 なお、人質犯罪、爆破事件、銀行強盗等捜査活動に特別の知識、技術を要する犯罪に対しては、我が国の特殊事件捜査係に似た部長以下339人から成る「特別捜査部(Special Investigation Division)」を警察本部刑事局(Detective Bureau)に設けている。
 ニューヨーク市警察本部刑事局で保有する捜査用車両は、298台で捜査員5.8人に1台の割合となっている。
(イ) ロサンゼルス市警察本部
 ロサンゼルス市警察本部では、毎年犯罪実態に応じて、警察署の捜査員の配置を替えている。また、コンピューターの導入による省力化を図るとともに、外勤警察官と捜査員がチームを組んで地域住民との良好な関係を保ちながら、効率的な捜査活動を展開するチーム・ポリーシング(Team‐Policing)の制度を実施し、大きな効果をあげているといわれる。
 捜査員の勤務時間は、原則として午前8時から午後4時30分となっているが、刑事局(Investigation Service Group)の中央捜査部(Investigation Headquarters Division)では、午後4時から午前0時までと、午前0時から午前8時までの2つの勤務時間帯を設け、常時10~12人の捜査員を確保するシステムをとっている。
 なお、同市警察本部には200人から成る特別警察隊(Metropolitan Division)があり、犯罪防止、犯罪捜査のため活躍している。

(ウ) モントリオール市警察本部
 カナダのモントリオール島には、現在モントリオール市を含めて28の自治体があり、1972年まではそれぞれの自治体が独立の警察組織を持っていたが、同年ケベック州議会を通過した法律により、これをモントリオール警察として統合することとなり、現在必要な作業が進められている。ここでは犯罪の増加に対して、制服・私服警察官合同の特別パトロールを実施しているほか、刑事部内の配置を改めて殺人課の係員を従来の20%増の63人とした。また、捜査員の勤務時間は原則として午前9時から午後5時までとされており、午前0時から同8時までの夜間捜査は、30人から成る夜間機動捜査隊(Patrouille Nocturne)によってカバーされている。
 なお、同市警察本部では、460台の無線付き捜査用車を保有している。
(エ)パリ警視庁
 パリ警視庁においては、犯罪の増加傾向に対応して図3-82のとおりの捜査員の増員を図っている。また、犯罪の予防のために、できるだけ制服警察官を街頭に出すようにしており、特に担当区域制度を作り、各警察官が与えられた担当区域を常時監視し、パトロールするという方法をとっている。
 夜間発生する犯罪は、主として車両盗、商店等への侵入盗であるが、パリ警視庁の管内を6方面区に分割し、それぞれに方面刑事部(Brigade Territoriale)を設置して、24時間体制でこれに対処している。
 なお、パリ警視庁の刑事部門の保有する捜査用車両は、1975年1月現在で240台となっており、1971年より93台増加している。

図3-82 パリ警視庁における捜査員の増加状況(1971~1975年)

(オ) ロンドン警視庁
 近年、ロンドン市内においては、政治的背景を伴った爆弾テロが相次いで発生しているが、これに対処するために、刑事部(Criminal Investigation Division)C1課に爆弾捜査班(Bomb Squad)を設置して効果をあげている。
 夜間発生する犯罪は、大規模な工場荒らしや、事務所荒らし、車両盗等であるが、これに対して、機動捜査班(Flying Squad)をもって対処している。このほか、夜間各警察署に捜査員が数人ずつ勤務しており、夜間犯罪の発生に備えている。

6 変化に対応する新しい捜査活動

(1) 犯罪の早期検挙体制の強化
 捜査活動は、犯行後の日時が経過すればするほど、証拠が散逸し、犯人が遠方に逃走するなど困難を極めるようになる。特に、社会の進歩に伴い犯罪も広域化、スピード化、巧妙化する傾向にあるため、わずかな時間の遅れであっても証拠の確保が困難になるなど捜査活動に与える影響が大きくなっている。また、犯人の早期検挙を逸することによって、第二、第三の犯行が発生するおそれが強くなったり、検挙時に既にぞう品が処分されていて被害回復の可能性が少なくなるなどの問題が出てくる。
 したがって、事件の初期的段階に捜査活動の重点を置き、犯人の早期検挙に努めることが必要である。
ア 機動捜査隊の増強
 機動捜査隊は、犯罪の広域化、スピード化に対処するため、昭和40年に警視庁に設けられて以来、順次大都市を擁する府県において整備増強が図られてきた。その後、社会情勢の変化により、機動捜査隊の全国的な整備拡充の必要性が高まり、昭和49年末現在、全国で51隊、1,879人の陣容を整えるまでになった。
 機動捜査隊は、犯人の早期検挙と夜間の捜査体制の補強を主たる目的とした組織であり、犯罪の多発する都市部及びその周辺部等を自動車でパトロ-ルし、初動捜査、よう撃捜査及び重要事件の特命捜査に当たることなどを任務とするものである。隊員は、24時間の常時警戒体制をとるため交替制勤務を行っており、4人が一組となって、捜査用資器材、携帯無線機、鑑識用資器材等を備えた捜査用自動車に乗車し、その組織力、機動力等を駆使して、科学的、効率的な捜査活動を実施している。
イ 緊急配備体制の確立と常設検問所の設置
 緊急配備とは、殺人、強盗、爆破事件等凶悪、重要な事件が発生した際 に、大量の警察力を迅速かつ組織的に集中動員し、検問、検索、張込み等の方法で犯人を迅速に検挙するとともに、証拠が散逸しないうちに捜査資料を収集するために行われるものである。
 従来は、発生事件の種類、規模に応じ、事件発生警察署、隣接警察署、都道府県内のブロック、幹線道路等を対象とした緊急配備が実施されたほか、数都道府県にまたがる緊急配備が必要な場合には、隣接都道府県との共助協定あるいは管区内各府県との共助協定によって広域緊急配備が実施されていた。しかし、近年のますます広域化、スピード化する犯罪傾向の下にあっては、従来の広域緊急配備システムでは、効率的な運用を図ることができなくなった。このため、警察庁では、昭和49年1月16日、「広域緊急配備要綱」を制定し、各都道府県間における広域緊急配備の依頼手続の斉一化と円滑化を図り、共助協定の有無に関係なく広域緊急配備の必要があると認める場合には他都道府県への配備の依頼を行うことができることとした。
 この要綱に基づいて行われた広域緊急配備は、昭和49年10月末現在、全国で106件あり、種類別には、広域隣接配備(注)が91件(85.8%)を占めており、更にそのうち2県以内への依頼が82件と全体の77.4%を占めている。なお、これらの広域緊急配備による検挙率は30%強であった。
 緊急配備の効率化を図るため、各都道府県警察では、相互の情報交換・連絡の円滑化、配備指令の徹底等を目指した通信体制の強化を図っているほか、過去の犯罪者の逃走行動を調査分析したうえで配備箇所、配備方法に地域特性を生かした緊急配備計画を立てている。
 近畿管区警察局が、管内の府県で昭和49年6月から12月までの間に緊急配備により検挙した被疑者127人を対象に実施した調査によると、これら被疑者のうち、土地鑑のある者が72.8%、犯罪前歴者が69.1%を占め、しかも犯行直後現場から逃げた者が81.3%を占め ていた。また、その逃走手段は、図3-83のとおり、車(自動車、バス・タクシー)を利用したものが48.9%、徒歩で逃走したものが45.7%となっている。しかし、徒歩で逃走した場合でも、「徒歩の方が捕まりにくい」からという者は、そのうちのわずか10.3%にすぎず、大半の者は「交通機関を利用する余裕がなかった」(39.7%)か、「交通機関がなかった」(20.7%)ために、やむを得ず徒歩で逃走したものであり、交通機関の利用を考えている者が多い。

図3-83 逃走手段(昭和49年6~12月)

 こうした実情に対処して、犯人の早期検挙を図るためには、主要地点における犯行直後の自動車検問が不可欠となっている。
 現在、警察では、全国の主要道路沿線の重要拠点に常設検問所を設置し、常時警戒網を整備することとしているが、この警戒網が緊急配備時の自動車検問にも有効に働き、犯人の早期検挙につながることを目指している。

(注) 広域隣接配備とは、隣接都道府県に接した地域の道路その他の要点等において行う配備をいう。
ウ 犯行予測によるよう撃捜査
 犯罪捜査に最も効率的な捜査方法は、犯行現場で犯人を現行犯逮捕することである。したがって、犯罪発生が予想される場所に警察官があらかじめ張り込んでいればそれだけ犯人を逮捕する可能性が高くなり、効率的な捜査活動を行うことができる。よう撃捜査は、このような考え方に立って、一定の地域、一定の時間帯に犯罪が多発する場合あるいは同一犯人によるものと認められる犯行が連続的に発生する場合に、これらの犯罪に関するデータを分析し、犯行を予測して先制的な捜査体制をとるものである。現在、手口制度 の活用を図るなどして、常習窃盗犯や連続凶悪犯等に対する効果的なよう撃捜査活動の展開に努めているが、将来はコンピューターによる犯行予測等、より効率的な手法を導入する必要がある。
エ 犯罪手口制度の活用
 常習犯罪者は、経験上自己の最も得意とし、成功率の高い自信のある手段によって犯罪を行おうとする傾向が強い。そこで、現在、警察では、犯罪者のこのような特性に着目し、強盗、窃盗、詐欺、性的犯罪、通貨・印紙類の犯罪等を対象に、犯罪者の犯行手段・方法等を記録化するとともに、その一方で犯罪現場から得られた犯行手段・方法についての情報を記録し、これらをコンピューターを利用して対照することによって犯人及び余罪の割り出し、被害品の確認、指名手配被疑者の発見等を行っている。
 最近の犯罪傾向をみると、その手段・方法がますます巧妙化し、現場に指紋、足こん跡等の証拠を残さないものが多くなってきており、犯罪手口制度の活用が一層重要となっている。
 昭和49年中に、各都道府県警察及び警察庁で手口照会を行った件数は7万6,058件に上り、これにより検挙した件数は7,351件、人員は3,076人となっている。このうちでも、図3-84に示すように、主として「手口」から割り出したものが、5,336件(72.6%)、1,627人(52.9%)と半数以上を占めている。また、同年中に犯罪手口資料を利用して割り出した余罪は、4万3,841件であった。このほかに、警察で犯罪手口資料として保管している情報を利用して検挙に及んだものが3万4,774件、3万4,769人に上っている。

図3-84 項目別犯人割り出し状況 (昭和49年)

〔事例〕 給料日をねらった官公署荒らし事件
 都内に住む無職の男(45)は、昭和46年4月以降、東北から九州まで1府20県にわたり、各地の市役所及び県庁の給料日 をねらって役所を訪れ、すきをみて机の中の給料を盗んで逃走するという手口で、34件、1,016万余円の犯行を重ねていたが、犯行手口から同人を割り出し、49年7月、検挙した(長野)。
(2) 国民協力の確保
 限りある警察力で、犯罪の検挙を図り、国民の期待にこたえるためには、持てる力を適正かつ効率的に運用するよう努めるとともに、捜査に対する国民の深い理解と協力の確保を図らなければならない。
 最近の社会情勢の変化とりわけ都市化現象の進展は、社会の連帯意識を希薄にし、匿名性を増大させるなど犯罪者が犯罪を行うのに好都合な条件を生み出しており、捜査活動を進めるうえで国民の協力の確保はますます重要な課題となっている。
ア 被害者、参考人の協力確保
 被害者、参考人は、事件を通じて警察と直接接触を持つ人たちであり、これらの人たちの捜査に対する理解と協力を得ることがなによりも必要である。
 このため、警察では、犯罪の早期検挙について十分な実績を積み重ね、捜査に対する国民の信頼を得るよう努力するとともに、被害者や参考人の立場に立った措置をとるよう努めている。例えば、「被害者訪問の日」等捜査の進展状況や犯人検挙について被害者に連絡するなどの被害者連絡制度を設けたり、警察に出頭した参考人に対して旅費、日当を支払う制度を設けたりしている。
 特に、暴力団のからむ事件については、被害者や参考人の保護を図るため多くの都道府県警察では、「暴力110番」、「暴力ホットライン」等を設置し、被害者等からの通報連絡ルートを設けているが、昭和49年には「緊急通報装置」を導入し、被害者等の保護に万全を期している。
イ 質屋、古物商等の協力確保
 犯罪者の周囲には多くの国民の目や耳があり、犯罪者の姿をとらえている者も多い。したがって、犯罪捜査を進めるうえで、犯人と直接接触する可能 性の多い人々からの情報が極めて有効であることは言うまでもない。
 犯人は、質屋、古物商、旅館、モーテル、ドライブイン、喫茶店、ガソリン・スタンド、有料駐車場等に盗品の処分、時間待ち、休憩等のために立ち寄ったり利用したりすることが多いので、警察では、従来から、これらの営業に従事する人々に対して、積極的に犯人や盗品のチラシを配ったり、不審者を見かけたら通報するよう依頼したりするほか、直通の電話を設けるなどその協力を確保するよう努めている。
ウ 公開捜査
 犯罪捜査においては、被疑者、参考人等事件関係者の人権の保護、秘密の保持のため及び捜査運営上の必要性に基づき、その内容を一般に公表しないのが原則である。しかし、被疑者を早期に逮捕するために指名手配被疑者のうち特に必要が認められるものについて公表し、あるいは、必要な捜査情報を得るために捜査資料の一部を公開するなど、積極的に国民の協力を求める捜査方法をとることがある。
 現在、公開捜査では、新聞、テレビ等の報道関係機関に協力を依頼するほか、ポスターやチラシを警察施設や人の出入りの多い飲食店、公衆浴場等に掲示、配布したりしている。
 警察では、昭和49年も例年どおり2月を「指名手配被疑者捜査強化月間」とし、指名手配被疑者に対する強力な捜査活動を実施したが、その際警察庁指定被疑者9人、都道府県警察指定の重要被疑者32人の計41人を公開捜査に付し、警察庁指定被疑者3人、都道府県警察指定の重要被疑者4人を検挙した。
(3) 犯罪鑑識活動の推進
 捜査が長期化し、困難の度を高めるなかにあって、合理的、効率的な捜査を推進する新しい捜査活動の一環として、現代科学の知識、技術を取り入れた鑑識の機能が重要な柱の一つとして要求されている。
 昭和49年中において、広域にわたる連続殺人あるいは死体隠ぺい殺人事件、保険金目的の近親者計画殺人、相次ぐ爆破事件、大規模事故事件、更に は国際犯罪等において、各種資料の対照、鑑定・検査等の鑑識機能を十分発揮させるための努力が払われた。
 一方、とどまることのない犯罪及び捜査環境の変化に対処するため、今後更に最新の科学知識・技術、資器材を積極的に取り入れ、現場資料採取(現場鑑識)の徹底と迅速な鑑定・検査に必要な体制を確立するとともに、犯罪科学における未解明分野の研究、開発に努め、科学捜査を推進することが必要である。
ア 広域化、巧妙化する犯罪との闘い
 広域的に連続発生する類似犯罪に対して犯人の同一性を推定し、巧妙な計画的犯行を客観的根拠によって看破するためには、物からの情報を捜査に生かすことが極めて重要であり、指紋、足こん跡その他の現場資料、法医・理化学を応用した鑑定・検査の結果等は欠くことのできない犯罪捜査の武器である。
(ア) 指紋から犯人へ
 万人不同、終生不変という指紋の特性は、犯人の特定や複数の事件における犯人の異同認定に絶対的な効果がある。
 犯罪現場等に遺留された指紋や逮捕された被疑者から採取した指紋は、警察庁及び全国都道府県警察が保管する指紋資料等と対照して、犯人の割り出しや余罪の発見に威力を発揮する。
 昭和49年中に現場で指紋を採取した事件数は約21万件で、指紋による被疑者の確認数は2万1,696件に上っており、これらはいずれも毎年増加している。
 海外渡航者が逐年増加し、それに伴い日本人の関係する外国での犯罪も増加の傾向にあるが、これらの場合においても、衛星中継や航空機で外国から送られてくる指紋によって、日本人関係者の身元の割り出しや確認を行い、国際犯罪捜査にも寄与している。昭和49年中に被疑者や被害者の身元確認等のために外国から送られてきた指紋は70件で、前年より20件の増加となっている。
 このような指紋の利用をより迅速かつ広範に行えるよう対照業務の機械化に努力しているが、現在、業務量の極めて多い大阪等6都道府県でコンピューターによる指紋照合を行っており、警察庁においても、一指指紋業務にコンピューターを導入するため、昭和47年から、指紋資料の入力を行っている。昭和49年末現在のコンピューターへの入力数は102万余指である。

〔事例1〕 昭和49年3月、大阪市内において、日曜日ごとに連続発生した爆破事件では、現場から採取した遺留指紋を府下の全警察官に手配したところ、警察署の係員が捜査資料の中に類似の指紋を発見したことから、その指紋の鑑定を行い、犯人を確認して事件を解決した(大阪)。
〔事例2〕 昭和49年7月、ゲリラとつながりがあるとみられていた日本人(25)が、フランスのオルリ空港で偽造旅券3通を所持していた疑いにより逮捕されたが、フランスから送られてきた指紋と同人の自宅に残されていた書物から採取した指紋とを照合してその身元を確認した。
(イ) 犯行の同一性を物語る足こん跡
 足跡やその他のこん跡からも、無限の特徴点を抽出することができ、その異同を鑑定することによって、指紋と同様の効果をあげることができる。
 このことに着目して、現場から採取した足跡やタイヤこん、工具こん等を写真で全国警察に手配して、類似足こん跡、履物、工具類等の発見、あるいは全国をまたに掛けて行われた犯罪が同一犯人によるものであることの確認等に役立てている。
 昭和49年中に採取した足こん跡は約20万個であり、これらによって複数の事件が同一人による犯行であることを確認したものが1万1,194件、証拠として利用した足こん跡は2万1,136個であった。同様に犯人を確定したものは1万1,237件、6,515人で、これに活用した足こん跡は2万928個であった。
〔事例〕 昭和49年7月、都下小金井市で警ら中の警察官が殺害された事件で、犯人の逃走経路である梅林から採取した足跡(くつ下こん)の写真を捜査員に手配していたところ、他の犯罪で逮捕された被疑者の足型と手配書の足跡の長さ、幅、指の位置、間隔等が全く一致することを発見し、同被疑者が殺人犯人であることが判明した(警視庁)。
(ウ) 写真の役割
 捜査を進めるうえにおいて、写真の果たす役割は大きい。
 被疑者写真カードから目撃者が選び出した写真、モンタージュ写真、その他捜査の過程で一般人から入手したスナップ写真、盗品と同種の物品の写真、指紋を複写した写真等を、全国あるいは数都道府県警察の警察官に配布して被疑者の発見に役立てている。昭和49年中に作成された手配写真は、顔写真が約269万枚、モンタージュ写真約18万枚、その他の写真約68万枚である。
 また、写真は、再現することのできない犯罪現場の状況を保存するためにも用いられており、裁判に備えて作成される現場写真は、毎年約1,300万枚に上っている。
〔事例〕 昭和49年10月、長崎県下で発生した強姦致傷事件では、被害者の記憶によってモンタージュ写真を作成し、これを警察官に配布して捜査したところ、写真を見た一般人からの情報提供があり、被疑者が判明し

た(長崎)。
(エ) 効果をあげるミクロの技術
 科学捜査において、ミクロの技術が果たす役割は、ますます大きくなってきている。
 その代表的なものの一つである血液型鑑定は、かつてのABO式鑑定だけでなく、MNSs式、P式、Q式、Rh式等のほか、血清型、赤血球酵素型等多様な鑑定が行われている。日本人ではおよそA型40%、B型20%、AB型10%、O型30%、またM型30%、N型20%、MN型50%と考えられており、したがって、AM型の血液型といえば、約12%の人が持っていることになる。このように、各種の型の検査の組み合わせによって個人識別の確率は非常に高いものとなり、捜査範囲の限定や犯人の特定に大きく役立っている。最近では数センチメートルの毛髪から血液型の判定ができるようになるなど、更に著しい進歩を遂げている。血液型鑑定の状況は、図3-85のとおりである。
 また、銃器使用犯罪の増加により、銃器、弾丸等の鑑定は図3-86のとおり、毎年増加の傾向にあり、最近では改造けん銃に対する鑑定が増加している。
〔事例1〕 昭和49年9月、栃木県下で発生した女子工員失そう事件では、容疑者の使用する自動車から発見採取した1本の毛髪と、被害者の”くし”についていた毛髪を対照、鑑定したところ、血液型及び形態が一致し、容疑者の犯行であることが立証された(栃木)。
〔事例2〕 昭和49年9月、兵庫県下において、暴力団同士のなわ張り争い をめぐって、けん銃による殺人未遂事件が発生した。被害者の体内から摘出した弾丸と、後日銃刀法違反で検挙した被疑者が所持していたけん銃からの試射弾丸を鑑定したところ、同一のけん銃から発射されたものであることが立証され、事件が解決した(兵庫)。

図3-85 血液型鑑定状況(昭和45~49年)

図3-86 銃器弾丸等鑑定状況(昭和45~49年)



(オ) においを追う警察犬
 犯罪の巧妙化とともに、現場に残される資料が減少する傾向のなかにあって、「生きた鑑識器材」として警察犬の効用は逐年高まっている。
 警察犬には、都道府県警察で直接飼育、運用する直轄警察犬と、民間の優秀な犬を警察犬として委嘱する嘱託警察犬とがある。
 現在、全国で直轄警察犬61頭、嘱託警察犬732頭が活躍しており、昭和49年中の出動件数は4,238件で、前年に比べると402件増加している。
 犯人を追跡することはもちろん、採取した「物」と犯人との結びつき、埋められた死体の発見、更には警戒、人命救助等に警察犬は目覚ましい活躍をしており、その活動状況は図3-87のとおりである。
〔事例〕 昭和49年10月、大阪電解KK幹部が殺害され、神戸市内の埋立地

図3-87 警察犬の活動状況(昭和45~49年)

に埋められていた事件においては、警察犬がその埋められた場所をかぎあて、事件を解決した(大阪)。
(カ) 捜査に役立つ身元確認
 最近、死体を犯行地から遠隔の地へ運び、隠ぺい遺棄する事件が増加しているが、この種事件では被害者の身元確認が捜査進展のための重要な鍵となっている。
 身元不明死体の身元確認は、顔写真、身体特徴、着衣、所持品の対照によるほか、指掌紋の照合、歯、骨、血液型の鑑定やスーパーインポーズ法(注)、復顔法等によって行われるが、これらによって昭和49年中に図3-88のとおり、全国で410体(非犯罪死を含む。)の死者の身元を確認した。
(注) スーパーインポーズ法は、頭がい骨の写真をその本人と思われる人の生前の写真と重ね合わせて、同一人であるかどうかを法医学的に検査する方法である。
〔事例〕 昭和49年11月、奈良県下の明神池で死体が発見されたバラバラ殺人事件では、切断された被害者の6本の指を推定によって組み立て、指紋原紙との対照により身元を確認した(奈良)。

図3-88 身元確認状況(昭和49年)

イ 爆破事件等特殊事件事故への対応
 最近、爆破事件やコンビナートの爆発・火災事故あるいは工場廃液等によってもたらされる公害事犯等、新しい形の事件、事故が著しい増加をみせているが、警察ではこれに対応し得る鑑識科学体制の確立を当面の急務として、その整備と効果的運用に努力している。
(ア) 多様化する資料の鑑定
a 爆発物等の鑑定
 「丸の内ビル街爆破事件」をはじめとし各地に爆破事件が続発して、火薬類の鑑定のほか爆発物を構成している容器、時限装置、包装等の精密な理化学的鑑定・検査が捜査上不可欠のものとして要求され、これらの鑑定・検査件数は著しく増加している。
 火薬類の鑑定状況は、図3-89のとおりである。

図3-89 火薬類の鑑定状況(昭和45~49年)

〔事例〕 昭和49年8月、丸の内ビル街で発生した爆破事件では、綿密な活動により、小型トラック20台分の現場資料を採取し、これを10日間、延べ991人によって選別、鑑定して、爆薬の主成分や使用された容器、時計等を解明し、捜査の進展に寄与した(警視庁)。
b 音声鑑識
 最近、激増している爆破予告電話、脅迫、いたずら電話等の事件においては、声から犯人を割り出すため犯人の声を録音し、録音された音声を物理的に解析して容疑者の声と比較して異同識別を行い、捜査に役立てている。
c 公害関係資料の鑑定
 水質汚濁、大気汚染等から環境を保全するためのいわゆる公害事犯の取締り強化は、時代の要請である。これに伴い公害関係資料の鑑定・検査は逐年増加しており、特に、水質関係資料の鑑定が多く、カドミウム、シアン化合物等の有害物質の鑑定・検査のほか、生物化学的酸素要求量、水素イオン濃度等についても鑑定・検査を行い水質の汚染状況を明らかにしている。
(イ) 新しい器材の開発
 犯罪の質的変化に伴い複雑高度な鑑定・検査が要求されるところから、そ

の知識・技術の高度化、最新の器材の導入に努めている。
a 質量分析装置
 質量分析装置は、有機化合物の構造解析に使用される。特に、麻薬、覚せい剤や公害(PCB、有機水銀フタール、酸化合物、自動車排出ガス等)関係の鑑定・検査に威力を発揮する。
b 核磁気共鳴装置
 核磁気共鳴装置は、一般薬品の純度の測定や石油化学製品等の構造分析に用いられ、特に、従来極めて困難とされていた天然ゴム、油脂類の分析、鑑定を容易にしている。
〔事例〕 昭和49年12月、福井市内の暴力団員宅から押収した白色粉末を、近畿管区警察局の鑑識センターに送付し、ここで核磁気共鳴装置等を用いて分析したところ、同粉末は覚せい剤原料である安息香酸カフェインナトリウム(通称安ナカ)であることが明らかになり、事件の解明、販売ルートの追及に役立った(福井)。

c 電子捕獲型検出器
 電子捕獲型検出器は、放射性同位元素を照射し、分析対照資料から出るガスをイオン化してPCB、農薬等の物質を測定、検出するもので、特に、公害関係資料の鑑定・検査に威力を発揮する。

d サウンドスペクトログラフ
 サウンドスペクトログラフは、録音された音声から雑音を除去し、その音声の特徴を図形化して、電話の声と容疑者の声との異同を識別する。
〔事例〕 昭和49年10月、警視庁通信
 指令室立川分室に110番で爆破予告電話があり、この発信元の探索を行うと同時に電話の声の録音に成功した。発信元の探索により予告電話をかけた場所が判明したため、容疑者、参考人等数人から音声を録音し、サウンドスぺクトログラフ等を使って音声鑑定を行った結果、犯人を特定することに役立った(警視庁)。

(ウ) 鑑識技術の開発と高度化
a 現場鑑識技術の高度化
 潜在血液指紋の採取法等各種資料の採取技術と器材の考案等を推進するとともに、人、車両、器材が一体となったスピーディな現場鑑識体制の整備を図るため、鑑識係員の充実をはじめとし、実技を中心とした教養の推進や鑑識資器材の整備等に努めている。
b 鑑定、検査技術の高度化
 都道府県警察の鑑識課や科学捜査研究所等に勤務している法医・理化学関係の技術職員は全国に641人おり、大部分は大学の医学、理化学等の課程修了者であり、そのうち博士号取得者は19人である。
 これら技術職員に対しては、科学警察研究所や警察大学校での研修、更には一般大学への委託研修を行い、鑑定・検査技術の向上を図っている。
c コンピューターによる指紋の大量処理
 現在のコンピューターシステムによる指紋の異同識別では、指紋の特徴抽出を人手によって行っており、この過程に多くの人手を要するため、指紋の分類、対照等の大量処理が困難である。この問題点を解消するため、光学技術を利用して指紋の紋様を自動的に異同識別し、指紋資料の大量処理ができ るような装置の研究開発を行っている。
d 鑑識器材の研究・開発
 室内の温度差を記録することによって犯行時の人数を確認(推定)することのできる熱線写真の開発や、ガスクロマトグラフ等によるにおいの鑑定、血液による性別の判定法、更に足こん跡資料の集中管理システムやミラコードシステム(注)等新しい鑑識器材の開発や実用化への研究が行われている。
(注) ミラコードシステムとは、マイクロフィルムに写真と分類番号を写し込み、それを使って必要な写真を短時間で検索する方式である。
〔研究、開発例〕
○ 遺留指紋からの血液型判定法
 指紋がついた部分にセロハンテープを当てて採取した超微量の汗やあか等から血液型を判定する。この方法はアルミニューム粉末やニンヒドリン等の薬品がかけられた指紋でも十分判定できる画期的な開発である(警視庁)。
○ 光沢計の開発
 ひき逃げ事件捜査の新装置として、車体に光を当てて反射光を電流に直し電流の強弱で自動車の塗料の新旧を見分ける光沢計を開発した。これにより従来不可能とされていたトラック等の塗りの粗い車でもこの装置によって見分けることができるようになった(埼玉)。
○ 水質検査簡易試薬の開発
 小さじ1杯の試薬で、工場排水に含まれる有毒薬物の六価クロム、フェノール、シアンがその場で分かるうえ、3分後に定着した赤や青の反応色の濃淡でそれぞれの濃度が分かる簡易試薬を開発した。これは、従来のように複雑な分析結果を待たずに現場で直接、排水に含まれている薬物と濃度が同時に測定できる画期的なものである(兵庫、広島、香川)。

7 選挙違反の取締り

(1) 第10回参議院議員通常選挙の違反取締り
 第10回参議院議員通常選挙は、昭和48年末の石油危機に端を発した不況、インフレ等の国内情勢を背景に、49年6月14日公示され、7月7日施行された。
 この選挙の結果いかんが、70年代後半の国政に重大な影響をもたらすところから、「保革逆転」を目指す野党各党と長期安定政権の確立を目指す与党との間にし烈な選挙戦が展開された。参議院選挙はいわゆるスケジュール選挙であるところから、各政党は早くから公認候補を決定し、物価、インフレ、教育、福祉等の国民生活に密着した諸問題を取り上げて積極的な政策論争を展開した。中盤から終盤にかけては、企業や労働組合による組織を挙げての選挙運動や、“紙爆弾”とも称される文書活動等が極めて活発に行われた。また、買収をはじめ各種の悪質な違反が続出したため、国民の間にいわゆる金権選挙に対する批判の声が高まった。
 警察は、このような情勢に対処するため異例の「事前運動取締本部」を設置し、引き続き「選挙違反取締本部」を設けて、不偏不党、厳正公平な取締りを長期にわたり実施したが、その結果は次のとおりである。
ア 検挙状況
(ア) 総数
 検挙(投票日後90日現在)は5,321件、9,907人であって、前回(昭和46年)同期(4,269件、6,229人)と比べ、件数で1,052件(24.6%)、人員で3,678人(59.0%)の増加となっている。
(イ) 罪種別
 検挙状況を罪種別にみると、表3-10のとおり、買収が件数で全体の50.3%、人員で全体の63.4%を占めている。また、検挙人員を前回同期と比べると、文書違反が219人減少しているほかは、買収が3,332人(112.9%)増加したのをはじめいずれも増加している。

表3-10 参議院選挙における違反検挙状況(第9回:昭和46年9月25日現在 第10回:昭和49年10月5日現在)

イ 警告状況
 警告の実施状況は、表3-11のとおり、前回に比べて、2万8,820件(150.6%)増加している。警告件数がこのように増加したのは、今回の選挙では事前運動や文書活動が特に活発であったことが、主な原因と考えられる。
(2) 参議院議員補欠選挙の違反取締り
 参議院議員補欠選挙は、香川地方区(1月27日施行)、京都地方区(4月21日施行)、高知地方区(5月12日施行)、栃木地方区(12月28日施行)においてそれぞれ施行されたが、その違反検挙状況は表3-12のとおりである。
(3) 地方選挙の違反取締り
 昭和49年中に施行された地方公共団体の長及び議会の議員の選挙は、知事選10件(長崎、鳥取、京都、新潟、静岡、香川、岐阜、兵庫、滋賀、栃木)、都府県議選24件(うち補欠、再選挙23件)、市町村長選723件(うち再選挙1件)、市町村議選518件(うち補欠、増員選挙244件)、特別区議補欠選1件、 計1,276件であるが、これらの選挙における違反検挙状況は表3-13のとおりである。

表3-11 参議院選挙における違反警告件数(第9回:昭和46年7月25日現在 第10回:昭和49年8月4日現在)

表3-12 昭和49年中の参議院補欠選挙における違反取締状況(昭和49年)

表3-13 昭和49年中の各種地方選挙における違反検挙状況(昭和50年3月1日調べ)


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