第8章 災害事故防止と救助活動

1 概要と推移

 近時、産業経済の著しい進展は、国民生活のうえに多大の恩恵をもたらしてはいるが、反面、人口の集中、都市構造の立体化、強力なエネルギーを伴う機械の発達は、災害・事故発生の蓋然性を強め、危険度を増大させている。また、レジャーの活発化により、海や山に出かける人々が多くなり、山岳遭難や水難の機会も増加することが予想される。
 ちなみに、昭和47年中における交通事故以外の災害事故による死者・行方不明者は7,067人に及んでいる。(本章において用いる統計上の数字は、すべて昭和47年5月15日以降の沖縄の数を含む。)
 災害・事故のすう勢をみると、表8-1のとおり、昭和46年までは発生件数はおおむね横ばいの状態であり、この間の死者・行方不明者についても逐年減少の傾向を示してきた。しかし、昭和47年にいたっては、発生件数こそ例年なみのものであったが、死者・行方不明者は急激に増加した。

表8-1 災害・事故の発生状況(昭和43~47年)

 なかでも、7月初旬から中旬にかけて全国を襲った集中豪雨は、各地に深い爪あとを残し、また大阪千日デパートビル火災は、雑居ビルの防災体制の盲点が重なって、それぞれ多くの人命を奪った。
 昨年は、山岳遭難・水難事故も激増し、特に水難事故は、例年のそれを約600人上回る約3,600人の死者を記録した。こうした中にあって、雑踏事故の発生だけは、毎年減少している。

2 自然災害

(1) 被害の多かった7月豪雨
 風水害の発生は、例年おおむね梅雨期と台風時期に多いが、昭和47年は7月初旬から中旬にかけて全国各地で局地的豪雨が相次ぎ、表8-2のとおり死者・行方不明者441人、負傷者652人、住家の全(半)壊・流出4,863棟など、大きな被害に見舞われた。

表8-2 7月豪雨による被害発生状況(昭和47年7月)

 「7月豪雨」によって生じた各地区での主な被害は次のとおりである。
○熊本県天草地区(7月3日~6日)死者122人
○愛知県東部地区(7月11日~12日)死者67人
○高知県繁藤地区(7月5日)死者59人
○広島県北部地区(7月10日~12日)死者39人
 警察は、この「7月豪雨」に対して早期に警備体制を確立し、警察官延べ8万7,655人を出動させて県・市町村などの防災機関と協力して危険地域の住民約10万人を事前に避難させるなど、被害の未然防止を図るとともに、浸水やがけくずれなどで危険にさらされた約1,000人を救出する等被害の拡大防止に努めた。

〔事例1〕 7月5日、宮崎県えびの警察署管内の山間部は、60年ぶりといわれる延べ500ミリの大雨を記録した。このため、えびの市西内竪地区では地すべりが発生し、多くの民家が埋没、倒壊するなどの被害が発生したが、えびの警察署では、同地区は“シラス”地帯であること、加えてさる昭和43年のえびの地震による地盤のゆるみがあることなどから、がけくずれの危険があると判断し、地元消防団などと協力して西内竪地区の住民約70人を事前に避難させて被害を未然に防止した。
〔事例2〕 7月5日、鹿児島県宮之城警察署管内の川内川が上流地域の集中豪雨のため増水はんらんし、流域の湯田温泉街が流失した。危険事態を予測した宮之城警察署では、町役場や地元消防団と協力して、住民約350人を事前に避難させたため、同地区が水没するという大きな被害を受けたにもかかわらず、人的被害は未然に防止することができた。
 7月豪雨の被害が大きかったため、昭和47年中の風水害による被害は、表8-3のとおり、例年の約2倍に相当する637人の死者を記録し、負傷者1,147人、住家全(半)壊・流失など約7,000棟、これによる“り”災者は約40万人を数えた。

表8-3 風水害発生の推移(昭和43~47年)

表8-4 落盤、山崩れによる死者・負傷者数(昭和43~47年)

(2) 落盤事故等
 落盤・山崩れについては、表8-4のとおり、過去5年間を通じてみた場合、発生件数及び死者・負傷者数とも減少の傾向がみられる。
 昭和47年中における顕著な事故は、次の2件であった。
〔事例1〕 石狩炭鉱でガス爆発
 11月2日夕刻、北海道石狩炭鉱狐沢坑内において、ガス爆発による落盤事故があり、作業員31人全員が生埋めにより死亡する事故が発生した。

図8-1 新潟県長岡市における最深積雪の推移(昭和43~47年)

〔事例2〕 トンネル工事で落盤
 2月22日早朝、鹿児島県垂水市内でトンネル工事中の6人が突然落盤に見舞われ、全員生埋めとなって死亡した。

表8-5 落雷による死者・負傷者数(昭和45~47年)

(3) 減少傾向の雪害
 雪害については、過去5年間を比較した場合、逐年減少の傾向にある。これは、このところ降雪量そのものが減少していることと関連していると見られる。一例として新潟県長岡市の場合をあげれば、最近の5年間における最深積雪量は、図8-1のとおり昭和45年以降、同地の最深積雪平均値140センチを下回っており、特に昭和46年、47年においては、同平均値の2分の1以下の積雪量を記録したにすぎない。雪害については、降雪量にほぼ比例していることがうかがわれ、昭和47年中の犠牲者は、死者1人、負傷者11人のみにとどまった。
(4) 落雷
 落雷による被害は、落雷により発生した火災等の物的損害を含めて毎年130件前後発生しており、死者は20人前後で、年間の被害はおおむね一定している。
 昭和45年から47年までの落雷による死者、負傷者は、表8-5のとおりである。

3 山岳遭難と水難事故

(1) 多い転落
 昭和47年中における山岳遭難事故は、発生件数こそ前年に比べ81件減少したが、3月中旬、富士山で一度に24人の犠牲者を出すなど、1件当たりの犠牲者が多くなり、死者・行方不明者は、265人にのぼり、表8-6のとおり過去10年間における最高の数字を示した。
 同年中の遭難者を、事故の集中する
○冬山(前年12月1日~2月末日)
○春山(4月・5月の連休時期)
○夏山(7月1日~8月末日)
の各登山シーズン別にみると、図8-2のとおりである。
 死者・行方不明者について、発生地別にみると、長野69人、静岡29人、山

表8-6 山岳遭難事故による死者・負傷者数(昭和38~47年)

梨24人の順である。
 遭難者の全員について、居住地別にみると、東京132人、大阪64人、神奈川62人、福岡53人と大都府県居住者が圧倒的に多い。
 遭難事故を原因別についてみると、表8-7のとおりである。この表が示すように、各山に共通して最も多いのは、転落による遭難であって、死亡率も他の原因によるものよりはるかに高い。

表8-7 山岳遭難の原因(昭和47年)

 年間の冬山、春山、夏山シーズンを総合して、遭難者を年齢別及び職業別にみると、図8-3及び図8-4のとおりである。年齢的には20歳代が、職業関係では会社員が最も多い。こうした20歳代や会社員に事故が多いのは、限られた日程での無理な登山が増加しているためではないかと思われる。

図8-2 シーズン別山岳遭難者数(昭和47年)

図8-3 山岳遭難者の年齢(昭和47年)

図8一4 山岳遭難者の職業(昭和47年)

(2) 警察の山岳救助活動
 警察では、関係機関・団体との緊密な連携のもとに、遭難事故の防止対策を強力に推進している。山岳地帯を管轄する各警察では、機動隊を中心に山岳救助隊あるいはレンジャー部隊等を編成し、救助体制の強化、事故防止の啓蒙、指導の徹底、救助用資材の整備を行なうなど、組織の整備・拡充を図っている。

 登山口を多くひかえた長野県警察等では、報道機関や広報紙等を通じて、遭難に対する注意を広くPRし、シーズン中は、臨時警備派出所に警察官を常駐させ、登山者に必要な助言・指導を行ない効果をあげている。
 また、シーズンオフには、遭難者の運搬法、骨折の手当等山岳救助技術について指導員講習会を県の遭難対策協議会と共催するなど有事に備えている。群馬、富山の両県には、いわゆる山岳遭難防止条例が施行されており、両県警察では、これにより、登山者の実態は握と事前における指導の徹底を期し、必要により登山規制を行なっている。
 なお、昭和47年6月末における全国の山岳遭難の救助組織の状況は、表8-8のとおりである。

表8-8 山岳遭難救助組織数(昭和47年6月現在)


(3) 死者激増の水難事故
 過去5年間における水の犠牲者は、表8-9のとおりである。

表8-9 水難事故による死者・負傷者数(昭和43~47年)

 ここ10年間の記録では、昭和39年の死者・行方不明者3,764人がピークで、その後おおむね下降的傾向にあったが、昭和47年には、表8-9のとおり昭和46年に比較して死者・行方不明者で567人多い犠牲者を出すに至っている。これは、例年に比べて局地的豪雨はあったが、全国的にみるといわゆる「からつゆ」で、夏が早く到来し、30度を越す猛暑が続いたため、海水浴客が非常に多かったこと、加えて台風の影響による高波のため、遊泳禁止の措置がとられたにもかかわらず、これを無視して溺死する者が千葉、神奈川、静岡などの太平洋沿岸の海水浴場で多かったことによると思われる。
 昭和47年中の水難事故を発生場所別にみると、表8-10のとおりであり、河川、湖沼、池での事故が最も多く1,595人(41.7%)であり、次いで海が1,345人(37.2%)、その他659人(18.4%)となっている。一方、地域的に多いのは、北海道、神奈川、静岡、福島、宮城、新潟、兵庫、千葉などとなっている。
 水の犠牲者が集中するのは、6月から8月にかけての海水浴シーズンの3箇月間である。昭和47年中においても、この期間の死者・行方不明者は、2,063人で年間の57%に相当する。このうち、中学生以下の年少者の死者・行方不明者は908人で、同時期におけるその交通事故死者590人と比較すると318人も多く、関係者の適切な指導と監護が強く望まれるところである。

表8-10 水難事故の場所別死者・行方不明者数(昭和47年)

 警察においては、関係機関・団体と緊密な連携を保ち、広報資料の作成及び配布、危険場所の実態は握、危険区域に対する警戒の強化等を実施しているほか、海水浴シーズンには、海浜、河川等に特に大量の警察官を動員して事故防止と救難・救護の活動にあたっている。例えば、東京のゼロメートル地帯に所在する警視庁第2機動隊は、地域的関係から水難救助の機会が多く、「カッパの2機」の愛称で都民から親しまれているが、更にその活動を強力なものとするため、昭和44年3月から同隊内にアクアラング部隊を編成し、高度な救助技術の習得に励んでいる。このほか、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各府県警察でも、それぞれ機動隊の中に水難救助のための特殊部隊が編成されており、救助の万全を期している。
 昭和47年中に発生した事故のなかで特異なものは、モーターボートの暴走による事故が43件にも及び、死者8人、負傷者36人を出したことである。
〔事例1〕 7月23日、神奈川県下小網代湾内で、無免許運転のモーターボートが波打ちぎわで遊泳中の約20人の中に突込み、スクリューによって1人死亡、2人重傷を負わせる事故が発生した。
〔事例2〕 9月3日、琵琶湖沖合でモーターボートがハンドルの操作を誤り、水上スキーをしていた者と衝突し、即死させた。
 モーターボートは、若者の間に急激な人気を呼んでおり、昭和44年当時、5万6,000隻であったものが、昭和47年末には倍増の約13万隻となっている。警察庁では、これによる事故の防止を図るため、「水上安全条例モデル案」を都道府県警察に示し、必要に応じて条例の制定を検討するよう指示した。

4 雑踏事故、爆発事故等

(1) 死亡ゼロの雑踏事故
 雑踏に伴う事故の発生件数は、図8-5のとおり減少の傾向を示しており、昭和47年中は、前年に引続き、これによる死亡者はなかった。
 正月3が日における初詣の人出は、年ごとに急増しており、昭和47年には、国民の半数にあたる5,000万余の人が神社・仏閣に参詣し、各地で異常な雑踏ぶりをみせた。この数字は、4年前の昭和43年の3,400万人を約50%上回っている。
 また、競輪、競馬等の公営競技場における人出も、年々上昇の一途をたどっており、昭和47年には、競輪場約4,400万人を筆頭に、総計約1億2,500万人にのぼった。これは、昭和43年のそれと比較した場合、約3,400万人(約

図8-5 雑踏事故の発生件数及び死者数(昭和43~47年)

36.9%)増加したこととなる(第5章「生活環境の安全浄化」表5-5参照)。
 このような情勢のなかで各種の雑踏による事故が減少していることは、主催者の自主警備の強化などによる事故防止への配慮が逐年徹底してきているためと思われ、警察の事前の実地踏査と適正な群衆の整理、的確な広報活動とあいまって効果をあげているものと考えられる。
(2) 爆発事故は増加
 昭和47年における爆発物による爆発事故は、表8-11のとおり369件で死者・行方不明者は91人、負傷者は1,044人であった。

表8-11 爆発事故による死者・負傷者数(昭和43~47年)

〔事例1〕 10月18日の白昼、国鉄横浜駅西口の地下飲食街でプロパンガスが爆発し、4人が死亡し、12人が重軽傷を負った。
〔事例2〕 11月25日、茨城県下妻市の花火工場で爆発、女性作業員2人が死亡し、1人が重傷を負った。
 これらの事例を含めて爆発事故の多くは、危険物の取扱いに適正を欠いたことによるものが多く、この面の配慮が望まれるところである。
 このほか、特異なものとしては、5月26日、新潟港においてしゅんせつ船が機雷に触れ、2人が死亡し、35人が重軽傷を負う事故が発生している。
(3) 火災では大惨事続発
 昭和47年中における火災の発生は、表8-12のとおり2万2,394件で、死者・行方不明者1,067人を出している。

表8-12 火災による死者・負傷者数(昭和43~47年)

 なかでも、5月13日夜間発生した大阪千日デパートビル火災は、118人の死者と多数の重軽傷者を出し、更に、11月6日深夜、北陸トンネル内で急行「きたぐに」の列車火災においても死者30人と多数の負傷者を出した。これらは、いずれも我が国火災史上に類例のない大惨事であって、高層雑居ビル内での火災、トンネル内での火災がいかに危険なものであるかをあらためて認識させた。
 警察は、火災が発生した場合、必要な人員を現場に動員し、更にその規模の大きさによっては、機動隊を投入するなどして、負傷者等の救護、雑踏整理、原因の究明及び消火活動の支援等を行なっている。
(4)航空機、列車等の事故
 昭和47年における航空機の事故は、表8-13のとおり、発生件数30件、死

表8-13 航空機事故による死者・負傷者数(昭和43~47年)

者・行方不明者29人である。
 5月30日、北海道滝川市付近の山岳で、横浜航空の定期便「セスナ402A」が遭難し、10人全員が死亡する事故があったほかは、特異な事案もなく推移し、発生件数及び死者・負傷者ともほぼ例年なみであった。
 一方、船舶による事故は、表8-14のとおり、発生件数132件、死者・行方木明者92人であった。

表8-14 船舶事故による死者・負傷者数(昭和43~47年)

 次に列車の事故は、表8-15のとおり、発生件数103件、死者72人、負傷者892人であった。

表8-15 列車事故による死者・負傷者数(昭和43~47年)

 列車事故による死亡者は、列車から転落したもの、線路上で列車に接触したものがほとんどである。
 なお、死亡者こそなかったが、3月28日船橋駅及び6月23日日暮里駅のいずれも国鉄駅の構内で、同じような電車追突事故が相次ぎ、船橋駅では608人、日暮里駅では143人と両者合わせて751人に及ぶ大量の重軽傷者を出す重大事故が発生した。
(5) その他の事故
 前各項の災害事故に分類しえないもの、例えば遊戯中の学童事故、建設現場における労務災害あるいは都市ガス漏えいによる中毒死等さまざまな態様の事故で警察が認知したものが昭和47年中で約2,000件発生し、死者1,001人を数えた。これらは、現場の責任者、監督者あるいは監護者等のちょっとした注意があれば避けられる事故ではなかったかと思われるものが極めて多い。
〔事例1〕 3月29日午後5時ころ、徳島県吉野川川原で、小学生8人が土手に横穴を掘って遊んでいたところ、突然、入口付近の土砂がくずれ落ち、中にはいっていた5人のうち4人が生き埋めとなり、窒息死した。
〔事例2〕 7月15日、大阪市内の製紙工場で、建設中の高さ42メートルの煙突の頂上付近で、突然足場が傾き、作業中の4人が転落して即死した。

5 展望と課題

 日本列島は、地理的条件により、6月から7月にかけて停滞する梅雨前線の影響で、時に異常な大雨を記録することがある。昭和47年の「7月豪雨」もそのひとつであった。更に、8月から10月にかけては台風のコースともなり、その影響を受けて被害をこうむることも少なくない。こうした自然災害に伴う危険箇所は、現在約6万箇所以上とみられている。
 また我が国は、有数の地震国であり、60年から70年に1回の割合で大規模震災が発生している。こうしたなかにあって東京をはじめとする諸都市は、人口の増加並びに中高層ビル、地下街、高速道路の発達などによる過密現象を呈しているので、有事にそなえて総合的な防災対策を早急に確立し、住民の安全を確保することが必要である。
 例えば、東京に関東大震災規模の大地震が発生した場合、家屋の倒壊は数万、出火は700件から800件、そのうち初期活動によってある程度は消火できたとしても、約150件は大火災に発展するおそれがあるといわれている。また、地下街の一日における流動人口は約240万人といわれており、大地震の場合に、閉鎖的空間特有の心理状態に加えて、地盤のずれによる電線の切断から暗黒の中に置かれた群衆がパニック状態におちいることは十分予想される。警察は、こうした災害発生時に、“り”災者の救助、避難誘導、交通規制に万全を期して被害を最少限にくいとめることはもちろんであるが、これに引き続いて発生しがちな人心の動揺に伴う混乱、不法行為等の2次的災害を防止しなければならない。
 警察は、以上のような観点から、大地震をはじめ、大型台風、津波などの災害発生時における治安維持の万全を期するため、平素から管内の実態掌握に努めるとともに、関係各省庁及び各地方自治体等と連絡を密にし、個々の災害警備計画を確立して有事に即応できる体制の整備を図っている。  特に、警察の無線通信を確保して、正しい情報を迅速に伝達し、人心の安定を図ることは最も緊要なことである。


目次